海外出張

October 12, 2017

2017/10/11 5:18am

今はシカゴのホテル。
昨日の朝に着いて、昨日は1日ホテルで過ごして、
今日は朝から、顧客回り。
2件。

時差ぼけのせいで、昨日も朝の10時にホテルに着いてから(日本時間は出発日の夜中の12時ごろ)、
昼の12時から夕方5時まで5時間寝て、
その後は、夜中には3時間ほどしか寝られず、朝の2時過ぎに起きて、
そのまま今朝は9時から顧客訪問だったので、
一度ホテルへ帰ってきた昼の12時頃は、マジでふらふらだった。
昼ご飯を軽く食べ、昼寝を1時間ほどしたが、
2時前に再度起きるときに、本当に今の仕事を呪った。笑

そのあと、2時過ぎに出て、
5時ごろに帰ってきた後は、
途中に少し休憩を入れて、
夜の9時前までレポートやらメールをやって、
できれば外に食べに行きたかったけど、
疲れがMAXだったので、
9時過ぎにベッドに入り、そのまま朝の2時まで5時間寝た。

その後、眠りに戻ろうとしたけど、結局眠れず、
この後朝7時前にホテルを出て、9時の飛行機でSan Diegoに飛ぶんだけど、
寝られないので、というか、思いが爆発しそうだったので、
こうして日記を書いている。

******

海外出張に長期で来ることは、
いつもの日常を、急に鉈でぶった切られるようで、
その強引さというか、残酷さに、
別の国に着いて特に1日目の夜中、
ふと目を覚まして、ここはどこだ?と混乱して、
ああ、そうか、俺は今出張で海外に来ていたんだ、
一人っきりなんだ、
と気づいた瞬間、ものすごい焦燥感というか、
凄くショックを受ける。いつも。
何か大事なものを失くしてしまったんだ。
俺は、今、「独り」なんだ、
という事実に気づき、愕然とする。一瞬。

それまでは、奥さんと、子供と、3人での生活。
毎日、朝家を出る前に、二人の寝顔を見て、
帰ってきて、玄関に「パパ、パパ」と娘が歩いてきて、
抱きしめて、
夜は娘と一緒にお風呂に入って、
娘がどこに行くにもまとわりついて、

そんな幸せな生活が、
急に、ぶった切られる。

なんて残酷なのか。
3週間も。

******

正直、娘や妻のことを考えると、やりきれないので、
出張中は、なるべく考えないようにする。

それにしても、独り身の生活って、
なんてさみしいんだろう。

一人は気楽だとか、そりゃそうだけど、
それは、好きな時に、好きなことを、自分のペースでできるけど、
ご飯を食べるときに、そのおいしさを共有できないとか、
テレビを見ても、自分一人だとか、
部屋にずっといても、しゃべる相手がいないから、とにかく無言とか、
マジで、寂しい。

俺は、今の仕事に、就きたくて就いた。
海外出張がしたくて、それが自分の求めていたもので、
だから、2013年春に初めて海外出張に行き始めたときは、
それは嬉しかった。と思う。

でも、2013年の10月、
4回目の出張時には、
もう、妻と離れることに寂しさを感じていて、
それから、このブログを読み返すと、
何回、「俺はもう海外出張はいいや」と言っているんだろう。

*****

娘は、11月5日で2歳になる。
俺は、今月の22日、34歳を迎える。
ドイツのフランクフルトで。
5年前、初めてこの国際展示会に参加した時も、
同じくフランクフルトで、30歳を迎えた。
その時は、自分が希望する職に就けて、
自分が悪くないと思える生活を、その誕生日にしていて、
良い人生だ、と思った。

それから5年。
今は、もちろん恵まれてはいるだろうが、
しかし、俺のプライオリティは、変わってしまった。

子どもと過ごす事。妻と過ごす事。
家族と、過ごす事。

よく、「商社マンや、海外出張、海外勤務が多い人間は、
大事な人の死に目に会えない。それでも大丈夫か?」なんて
面接で聞かれたりもしたけど、
バカか。自分の家族の死に目に会えないなんて、
そんなに大事な仕事なんて、存在するわけがない。
だって、家族が一番なんだから。

*****

海外出張は、普段とは違う国に行き、
感じることもあるだろうし、
刺激も受けるだろう。

普段は会えない友達にも会えるし、
良いことだって、たくさんある。
俺は、ビジネスクラスで飛べてるし、
エコノミークラスじゃない分、恵まれていると言えるかもしれない。

でも、3週間って、マジで長すぎる。

*****

出張に出た最初の数日は、
時差ぼけのせいで、こうして真夜中に起きて、寝られず、
日中は、ものすごく疲れて、きつくて、

帰国後も、1週間くらいは、
真夜中2時ころに目が覚めることが続き、

生活リズムは崩れ、疲れる。

*****

独り身で、若いならまだしも、
俺はもう、家族もいるし、
34歳だぜ。

3年後も、5年後も、
この仕事がしたいのか?
何が、見返りなんだ?

マイルが溜まる?
ダイアモンドクラスなんて、どうでもいいわ。
ビジネスクラスで飛べたって、
家族と一緒じゃなければ、
ただのオッサンどもと、一緒に暗い機内で、
ヘッドフォンを付けて、映画を見て、
フライトアテンダントが運んでくる食べ物を動物の様に食って、
寝て、
起きて、


もう、この生活は十分です。

2017/10/11 5:36










shunsukesekine at 05:30コメント(0) 

March 04, 2017

「羽田→自宅」

2017/03/04 19:54-

毎回の出張で恒例の、「ルフトハンザ機内にて」の反省会は、今回の帰りの便ではほとんど寝てしまったので出来なかったが、羽田空港から自宅までの残りあと30分ちょっとで、サラッとしてみたいと思う。

******

さて、今回の出張の感想。
・今まで丸4年、今回のも併せて合計14回も海外出張に行き、短いのは1週間弱、長いのは4週間にも及んだ中で、今回の13日間というのはかなり短い方だったが、今までで一番長く感じた。理由は、妻と娘が恋しかったから。
娘は今15ヶ月。明日で16ヶ月になる。毎日成長が著しい娘から2週間も離れるのは、拷問に等しい。自分がいない間に、娘が力強く歩けるようになったり、階段を登れるようになったり、蓋を開けられるようになったりというのを、今はネットや便利なアプリがたくさんあるから映像では見られるものの、その場に自分がいないと言う事実、そして、恐らく娘は自分がいないことすら気づいていないその事実が、何とも出張中に、悲しい思いにさせる。

俺は海外営業がしたくてこの仕事に就いたわけだが、もう4年やってきて、十分味わったし、且つ、娘が生まれた今は、娘の成長を横で見ていたい、ミスしたくないという思いから、たった2週間(今までの感覚からすると“たった”)の出張が、“2週間も”に感じた。本当に長かった。週末を一回しか向こうで迎えず、仕事も今まで一番ラクくらいに大した内容じゃなかったのに。

今回、出張先のNYで、妻の大学時代の友人の方とお会いする機会があった。
俺は彼女に一度だけ、2008年、妻が日本に帰国する前に妻の友人たちが開いてくれたFarewell Partyに彼女がいらしたときにお会いしてるんだけど、正直余り話さなかったし、実際に一対一でお話する事は初めてに等しかった。

でも、今回、妻が元々、新しく自分の家を買ったときには、その方に絵を描いて欲しい(その方はアーティスト)という希望が昔からあり、昨年末に家を購入し、早速彼女に依頼して、仕上げていただいた絵を、今回受取に行くというのが俺の役目だった。

NYで2/28の日曜日、朝10:00に、フェリー乗り場から歩いて10分ほどのカフェ/レストランで待ち合わせした。そこはたまたま、彼女の働く仕事場のすぐ近くでもあった。

俺は9:30くらいには着いたので、かつ外は凍えるように寒かったので、中に入って、バーで温かいアップルサイダーを飲みながら、彼女を待った。

10分ほどすると彼女が現れて、「覚えてます?」との挨拶から、奥のテーブルに移動して、そこで朝食をお互いに取りながら、色々な話をし始めた。

その方は、その日は翻訳の仕事が入ったとのことで、午後には上がらなきゃ行けない予定だったので、俺としては恐らく長くても昼までかな、という頭でいたんだけど、結局、最終的には夕方18時過ぎまで一緒に付き合っていただくことになった。

細かい話等は割愛しますが、とにかく、俺は今回その方に会えて、随分と色々な刺激を受けた。

書き出すと長くなるので、要点だけ言おうとすると、
彼女に会って心を動かされたのは、
・自分の人生に、真の意味で向き合っていること。
・自分を“生かす”為に、毎日の生き方、生きる場所、やること、時間を使う内容、仕事の時間までをも考えてコントロールしていること。
・自分の考えをしっかり持っていること。
・知識が豊富であること。
・”True to herself”であるのに、そして自分の意思をしっかり持っているのに、同時に、礼儀がしっかりしていること。

そして、俺が心を動かされたのは、
彼女は、アーティストであり、絵(鉛筆、水彩画、アクリル、フォトショップ、イラストレーター等何でも)を作る人だということ。

彼女は、その道を真剣に歩んでいる人だから、絵の道を歩んでいない俺が、自分と彼女を比べるのは失礼に当たると思うが、
彼女が元々どうして今までの道を歩んできたか(子供の頃から絵が好き、映画でも自分のアート、“世界”を現せることに気づき映画の道も進んだこと、等)を聞くと、
自分が過去に感じたこととすごく似ていたので、
そして、そもそも「絵が好き」「絵を描くことが好き」という人は、考えてみたら俺の周りには殆どいなかったので(大学時代にアートクラスで一緒になった人々を除いては)、
そんな人が、今は、「絵」をやるために、一人NYに2年前から単身で渡り、毎日その地で奮闘されているというのを垣間見て、ハッキリ言ってショックを受けた。
「これって、俺が、きっと本当は一番子供の頃から好きで、でも、その道で食べていく方法もわからないし、それで失敗したら怖いから、恐らく無意識的に、“俺は絵が好きだけど、やらない”と決めて今までやってきたものじゃないか?」と。

俺は何が好き?
そう聞かれたら、こう答える。
「好きな音楽を聴きながら、絵を描いたり、文章を描いたり(自分の思うことをExpress―表現する)すること」と。

子供の頃から手先を使うのが好きだった。
まだ本当に小さい頃に、ジグソーパズルを根気強く一人で黙々とやり、
絵を書き始め、
工作にハマり、
紙粘土、厚紙で何かを作るのが大好きだった。
欲しいものは、描き、作った。

その頃は、何か模写をするのが好きだったが、
今は、ハッキリ言って、自分をExpressしたい。
その気持が強い。
自分の中にある“何か”を、
絵なり、言葉なり、何らかの媒体を使って、発散させたい。
出したい。

それが、俺が今心につっかえる、何かだと思う。

音楽アーティストは、それを、自分の作る音楽で表すんだと思う。
絵画アーティストは、絵画で。

俺は、ハッキリ言って、自分がやりたいと思っていた「ディズニーで働く(絵を描き、映画を作るサイド)」という夢を、実際に二十歳の頃に勉強して、
この道では、自分のオリジナリティが無いと、上に行けないから、そして俺は、模写ばかりしてきて、自分のオリジナリティ、アイディアを出す事が苦手だから、
その道では生きていけないかも。
そう思い、かつ、その時期にそれらの「アート」を宿題として、課題として、タスクとして「To Do」としてやる中で、ちょっと嫌になっちゃったんだと思う。
それで、本当にそれがしたいかよく分からなくなり、
その後、次にやりたいことは、ということで、イタリアルネサンスの絵画修復師があったから、それを見極める思いで、6週間、一人で初めてイタリアをメインにヨーロッパをバックパックで回ってみたけど、
実際に回る中で、そのときもルネサンス時代の宗教画ばかり見すぎて、
「何か、疲れてきた・・・」「飽きた」となった俺がいた。

で、結局そのときに、「こうして世界を回ることは、自分の見聞が広がっていくようで、自分が人間としてどんどん大きく成長していくようで、楽しい!」となり、
それだけを軸に、俺は、今までの人生をというか、仕事選びをしてきた。


そして今。冒頭に戻るが、子供が生まれ、妻と娘3人で過ごす時間の方が、海外に一人で身を置くよりもずっと大事になった今。
今、俺がやっていることは、今俺がやりたいことではない。
次の俺の道は?となったときに、
今回NYで、その方とお会いして、「絵」というものをやっている、その方に会って、
何だかガツンと、衝撃を受けた。

*******

いきなり、絵で食べられるかは知らない。
今まで絵でやってきた人に、失礼だろう。
でも、俺が出来ることは、絵をまず描くことじゃないか?
そこから、全てが始まるだろう。

グダグダ言ってねえで、とりあえず行動しろよ!と。
今の仕事がとか言ってないで、それもやりつつ、
絵をまず描けよ!と。

行動からしか、何も生まれない。

以上、電車が着くのでここまで。

20:26





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February 28, 2017



出張に出ると

2週間もの長い間
時には4週間も出張に出ていると

その間に
こどもがどんどん成長して

まるで
自分のことを忘れていかれるようで

自分だけ
置いていかれているようで

怖くなる


2017/2/28 16:34






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February 25, 2017

今、NJのホテル。朝の4時半。
昨晩はNJのお客さん二人と、うちの会社の人間三人(自分含む)の計五人で、
ホテルから歩いてすぐのHaven Restaurantという場所で食事をした。
牡蠣9個とリブアイステーキを食べた。美味しかった。

*****

今回の出張は、アメリカへの出張としては12回目となる。
この2月前後の出張は、その前に10月、その後は5月にまた来るわけだから、
来ても意味が無いということで、2年前から廃止になったはずだった。
しかし、今の上司(部長)が、来期から転勤ということで、
新しく別の部長格の人間が先日入社してきて、
名目上は、その人間の引き継ぎかつ挨拶ということで、この出張が急遽入った。
とは言えども、本当の理由は、今までの部長の慰安旅行。
最後だから行かせてやりたいという、本部長のよく分からない気持ちによる。
(裏でどういう話が行われているかは知らないが)

新しい部長になる人とは、俺は腹を割って話し合っているが、
この出張の前にも、「ハッキリ言って、ただの自己紹介と引き継ぎならば、メールやスカイプで出来るんだし、わざわざそのためだけに高い旅費を払って2週間も3人の人間が出張する意味は無いと思いますよ」と言っていた。そのとおりだと思う。
ビジネスクラスの世界一周券、一人あたり80万円。プラス、ホテル代、出張旅費、現地のタクシー代等で、人当たり合計150万、3人で450万。???この利益を出すのに一体どれだけかかるの?と。そして、俺はおじさん二人のフライトアテンダントじゃねーんだよ、と。

しかしながら、会社の決めたこと。
俺は、何回か本部長および部長に、「この出張、行く意味ないんじゃないですか?」と持ちかけたが、結局却下となった。

ということで、今はこうして、俺は自分の家族から離れ、
2週間も、ドイツ及びスイス経由のアメリカに、滞在することとなった。

*****

俺はこの仕事に、「海外営業がしたい」という理由で就いたわけだが、
この仕事に就いてから早5年が終わるところ。
最初の1年(正確には11ヶ月)は本社で研修をしたから、
実際に海外営業部に就いたのは、2013年3月からとなる。
そこから、実に数え切れないほど、海外出張を行ってきた。

俺が今の仕事に就く前に、「神様への手紙」と称して書いたメモを先日見返したが、
そこに書いたことは、驚くことにほとんど叶えられている。
その中に、「海外出張が頻繁にあること。行き先は先進国を中心に」とあったが、
まさにその通りになった。
しかも、ビジネスクラス。時には貯まったマイレージでアップグレードしたファーストクラスに乗りながら。

「海外営業」は、ステータスであり、「何をしているか」では無い。
「何がしたいか」。重要なのはそこ。
俺は、営業という仕事は、自分に合っているか、知らない。
多分、合っていない。人と話すのがそもそも好きじゃないし。
一人で黙って、好きな音楽を聴きながら、何かを描いたり、作ったりしてる方がすきだから。
(あとは、こうして書くことも好き。)

職人気質だと思う。だから、営業のレポートを書くこと自体は、嫌いじゃない。
言い回しとか、どうやったら他人が見やすい、読みやすいだろうかとかを考えるのは、
嫌いじゃない。
でも、営業なんて、そんなこと気にしない人間が多いけど。
(俺は、直属の上司(課長)に、いつも、「丁寧すぎる」と言われる。その上司の文章は、主語や目的語、てにをはが抜けまくり、ハッキリ言って誰が読んでも「これ、どういう意味?」と首をかしげる書き方なんだけど。)

愚痴は良いとして、
何を書こうとしたかというと、
最近ブログを書いていなかったから、
自分の気持ちを、吐き出そうと思った。
仕事、自分の進路に関して。

*****

先日、デュッセルドルフの夜に、
色々と考えた。

俺は、この業界(製薬業界)が興味ないとか言う前に、
まだやるべきことがあるだろう?と。

決めたのは、

_兇領匹気鮑蚤膰造泙能个契擇襪海函2兇領匹機特徴、らしさとは、
・集中力の凄さ。
・猪突猛進。
・集中すると周りが見えなくなるまで、それに没頭すること。

上記のことは、今の上司に、「もっとバランス良くして」とこの4年間、何度も言われた。
なので、彼の言うように、
「丁寧にしすぎない」=「もっと雑にやる」、
「一つのことに集中しすぎない」=「他の事も見ながら適当にやる」
ということを、頭の片隅におきながら、この4年間やってきた気がするが、
つまり、今の自分を認めずに、「自分を変えよう」としてきた気がするが、
ハッキリってそんなものはクソ食らえで、
俺という人間は、これ以上変えることはできないし、
もう、変えようとも思わない。
そもそも、30歳を超えて、人の性格、特徴、行動癖が変わるわけない。
それよりも、自分のらしさ、「強み」を認め、それを最大限まで押し出し、磨き、
そこでトップになった方が、自分は突出する。

(※愚痴になるので書きたくないが、その上司は逆に、仕事をほぼしない。普段は休憩ばかり行って、片手にアイフォンで麻雀ばかりしながらタバコをいつも吸っている。ただ、社歴は25年と長いから、社内の事が手に取るように見える、かつ、人に口出しして相手を変えようとすることが好きなタイプ。なので、彼の言動を気にすることは元々無かったはず。)

愚痴が入って気持ち良くなくなったが、
,侶誅世蓮◆崋分の『強み』を認めて、それを最大限まで押し出すこと」。
俺の場合、それは
・「集中力」
・「一度目標を決めたらそれを手に入れるまで諦めないしつこい性格」

(※妻と付き合い始めて間もないころ、それまで俺が親しくしていた人から、「お前は優しすぎるから、もっと冷たくなれ」と言われていた。しかし、そんな俺は、何かハッキリしない、もやもやしたやりづらさを感じていた。なぜならそれは、自分を殺して、別の誰かになろうとしていることだから。
しかし、妻に会い、彼女に、「本当の強さとは、優しさなんだよ」と言われ、Eye Openerだった。そうか、別に自分の優しさを押し殺さなくて良いんだ、むしろ、俺の特徴=優しさを最大限まで出し切ればいいんだ、と思った瞬間、すごく楽になった。
なぜなら、「自分を変える」=「自分を押し殺す」は、自分にとって一番生きにくい生き方だから。
自分を認め、自分の性格、特徴を認め、それがどうであろうと、その中の「良さ」を認め、そこを最大限まで引き出す、伸ばす。それが、自分を最大限まで活かす方法。己の可能性を最大限まで引き出す方法。)


二点目。
∈の業界=製薬業界の知識を、極めること。
この4年間は、日々の仕事(雑務、メールの処理、電話、会議、商談、等々)を早く、効率よくこなす小手先の技は極めてきたが、この業界の知識というと、まだまだ弱い。
今、外資系または国内を問わず、同業他社に行ったとして、
俺の業界知識は、「武器」となるには弱い。
だから、ここをもっと、磨けよ。と。
ここを勉強して、やり尽くして、他の会社での道(キャリアパス、年収、人生像)も考え、
その上で、今の業界に居続けるのか、他のことをするのかを決めるのは、それからじゃないか?と。
(ただし、今の年齢=33歳で、他の業界に行くには、絶対的な決め手が必要)

俺の場合、他の業界に移るとしたら、
アート関係。

*****

段々まとまらなくなって来たのでここで辞めますが、

最後に。

今回新しく入った上司は、最初は色々と細かいな、と俺は嫌になっていたが、
今回の出張で先日、Chattanoogaのホテルで夜一緒に飲みながら色々話したんだけど、
よく考えたら、実際はかなりいい上司なのかもしれない。今の俺に取って。

理由は、
・今の俺の上司たち(本部長、部長、課長)が持っていない、ロジカルシンキングの術を持っている。戦略、戦術がうまい。行き当たりばったりでは無い。説明がクドいところがあるが、言っている事、考えていることは的を得ている。ただ、それを言うタイミング、いう雰囲気、言う量、そういったものが、KYなのか、または今まで外資系で長年勤めてきたせいか、または彼の性格か、相手に「もうその話は分かったよ!」と言わせたくなるいやらしさを出すことがある。それは、彼は気づいていないかもしれないが。
そういった意味で、どちらかと言うと、俺に非常に似ている。つまり、今まで自分のペースで適当にノホホンとやっていた人間にとっては、「うるせえな、俺は今まで自分のペースでやってきて何とかなってんだから、お前の言っている事は正しいかもしれないし、会社の売上を考えたらそうするべきなんだろうけど、でも、何かお前、偉そうでムカつくんだよ!」と相手に言わしめる何かを持つ。
俺は現に、上の内容と同じことを、課長に何回か言われた。「いちいちうるせえな、てめえムカつくんだよ!」と。 (そう言われると、もう何も話し合おうという気はしなくなるが)

すげえ細かくなって自分で読み返すのも面倒くさいが、つまり、
彼は、「俺がこのまま、自分の細かいところを突き詰めて、KYになり、相手の気持ちや状態を察しずに、自分の言いたいことを言いたいときに言う人間=俗に言う外資系に多いイヤな外国人」になった時、どうなるであろうかを、体現してくれている。
そして、俺の今の3人の上司が持っておらず、俺がよく「彼らがもっとこうだったらいいのに」と言い続けてきた要素を、エクストリームすぎるくらいに併せ持っている。
よって、彼が加わり、今4人の上司がいることで(というか上司多すぎ)、全てのジャンルの人間性を上司に持ったようなもので、
その中で、俺はどんな上司と「まだ」気が合うのか、一番ストレスなくやっていけるのか、
または、どんな人間に将来俺がなるべきなのか、なりたいのかが、少しは見えるだろう。ということ。

そして彼なら、多少面倒くさいけれども、
外から来たばかりの人間なので、客観的にうちの会社の人間、構造、仕組み、文化、良さ悪さを見極め、的確な判断、意見を下している。今は。
それは俺に対しても一緒。
彼に聞いたところ、
武器は最低2つ以上持つべきであり、
俺の場合、英語力はまず確実な一つの武器だと。これはもう磨かれており、弱みはない。
しかし、もう一つの武器が、確立されていないと。
業界知識はまだ弱い。
敢えて言えば、ロジカルシンキングが得意じゃないかと、この2ヶ月程一緒にいて思ったと。
なので、ロジカルシンキングを二つ目の武器としては?と。
果たして、それが武器になるのかは知らないが、彼はそれを武器として、今の会社に入ってきたそう。「戦術、戦略を練る考え方、見方」を。

-5:15am

ここまでダラダラと書いてきた結論。

結局は、行動のみ!
悩んでいる暇があったら、行動のみ。
頭の中でグダグダと愚痴やら他人の批判やらを考えている人生、人間は、ちっとも魅力的じゃない。
第一、そうやってくすぶっている自分は、ちっとも気持ちよくないし、
かっこよくもない、人間のクソである。
こんな人間、誰も惹かれないし、カッコよくもなんともない。

それよりも、決断して、決心して、
道が合っているかわからずとも、自分で決断して、行動あるのみ。
そこからしか、今の状態を脱却するには、何も生まれなーい!!!




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October 20, 2016

2016/10/20 19:45- in the air from Chicago to Narita

今、シカゴから成田へ帰国する最中。
今回の出張は、3週間だった。
今回で、15回目の海外出張となる。
下記が、今までの経歴:

2013年
4月 スイス、フランス 1週間
6月 アメリカ、カナダ 4週間
7月 インド 1週間
10月 ドイツ、アメリカ、カナダ 4週間
2014年
2月 インド 1週間
2月 アメリカ、カナダ 2週間
6月 アメリカ、カナダ 3週間
7-8月 ブラジル、アメリカ 2週間
10月 フランス、アメリカ、カナダ 3週間
12月 インド 1週間
2015年
3月 アメリカ、カナダ 2週間
5月 ブラジル、アメリカ、カナダ 3週間
10月 スペイン、アメリカ、カナダ、イギリス 4週間
2016年
5月 ブラジル、アメリカ、カナダ 4週間
10月 スペイン、アメリカ、カナダ 3週間

合計で40週間近く(10ヶ月近く)、海外出張で海外で過ごしているみたい。
そりゃあ、スーツケースもボロボロになるわ、と。

今はアメリカ時間で10月20日の夜だが、
11時間後に成田に着けば、時差の関係で21日の夜8時半頃になっている。
家に着くのは、恐らく22時過ぎ。
その後2時間で、22日を迎え、33歳となる。

*****

自分は、「海外出張」がしたくて、この仕事に就いた。
なるべく、先進国を中心に、「たくさん」海外へ確実に行ける仕事に就きたかった。
製薬業界というのは、あくまでも、安定している業界という理由で、第二の理由。
一番の理由は、「海外へ頻繁に行きたいから」。
見事、願いは叶えられ、1年間の本社での研修後、
2013年3月頭に東京営業所へ移ってからは、すぐに出張が続いた。
北南米、インド担当。
2014年からは、それまでアジア圏を担当していた先輩が急に辞め、
彼の分も引き継ぎ、台湾、中東、南アフリカ等も担当に・・・・
(そこで、燃え尽きた)

2015年からは、今の担当、北南米+インドに再度落ち着き、
2015年後半からは、インドも後輩に引き継ぎ、
北南米だけを担当。
仕事の量は、ピーク時の2014年当時と比べると、断然少なく、
毎日17時半の定時を回れば、問題が無ければすぐにオフィスを出られる状態。
非常に恵まれていると言えよう。

******

ハッキリ言って、俺は、「海外営業をしたい」という夢を、2013年、29歳で叶えてしまった。
「海外営業なんて、一度行けば、実際はどんなものか気づくよ」と業界の先輩に言われたものの、
それは本当で、3回も行けば、もう慣れてしまい、むしろ飽きてしまう。
俺は、「営業」が好きな人間ではない。
人と話すのは苦手。留学時代は、自分を鼓舞して外へ行こうとしていたから、
自分を変えようとしていたから、性格もアウトゴーイングになり、
それが本当の自分だったんだと心から思った時期もあったけど、
やっぱり俺は、小さい頃、一人で家でジグソーパズルや絵を一生懸命書いていた頃の自分、
工作を一人で黙々とやり、
紙粘土でドラゴンボールのキャラクターを必死に作っていた頃の自分から変わっていない。
三つ子の魂百まで。
人の性格は、そう簡単には変わらない。

今は、妻と結婚し、昨年11月には子どもも生まれ、
今の一番の楽しみは、毎日早く家に帰って、
娘をお風呂に入れること。
だから、3週間の出張なんて、行きたいわけがない。
だって、娘の11ヶ月目の3週間を、まるまる見過ごしたのだから。
この前の、5月の出張だって、まるまる4週間、1ヶ月間、
6ヶ月目の娘の成長を見られなかった。

******

次の目標が、何なのか、ハッキリしていない。
しかし、ハッキリしているのは、
俺は、海外出張は、もう、こんなにしなくて良いということ。
結婚して、娘が生まれる前は、
それは、海外営業に憧れた。
世界中を回る仕事。カッコいいイメージ。
でも、今は、俺が求めるものではない。
わがままかもしれないが、事実。
自分が人生で欲するものは、年齢、段階で、変わる。
俺は、自分が叶えたい、「海外営業」「海外出張を頻繁にする仕事」に就き、
「人種関係なく、英語でバリバリ交渉をする術」も付き、
「英語だけの会議、交渉場」なんて、ちっとも怖くなくなり、
それがどうした?という感じ。
むしろ、言語なんて、「英語」なんて、意識しない。
ただの言語、ツールだもの。
重要なのは、何を話すか。何を知識として持っているか。

俺の今目指すところは、そういうところじゃない。
そこはもう良い。

次は、
妻と、娘と、近く、
離れることがなく、
自分が好きなことを、じっくりできる仕事。
それが良い。

俺は、絵を書くことが好き。
何か、モノをじっくり眺めたり、
作ったり、
そういう事が、好き。
人と話す事、
交渉事、
そういうのは、好きじゃない。

誰とも話さなくとも、
自分が納得行くまで、何かを極めたい。磨きたい。

そんな仕事が良い。

今の仕事をしながら、そういう事を趣味ですることもできるかもしれない。
でも、俺は33歳。
定年まで、あと30年以上ある。
最近の俺(ここ3年くらい)は、自分の夢を叶えてしまったから、
「次の目的わからない症候群」に陥り、
どこか、人生あきらめモード、惰性モードに入っていた。
でも、今回の出張中に思った。
60歳の俺が、33歳になる今の俺を見て、
「おい!何諦めてるんだ!お前、まだ33歳だろう?今の俺まで、あと27年もあるじゃないか!?もったいないぞ!今の俺が、33歳の俺に戻れたら、
あれもできるし、これもできるし。。。
怖いものなんて、何も無いのに!
死ななきゃ、何したって、どんな恥をかいたって、何でもないんだから!」
と言うだろうな、と思った。

21歳の頃の俺は、33歳頃の俺を、楽しみにしていた。
当時は、レストランの総支配人になる事を夢見て、
世界中の顧客を相手に、仕事をしている自分を夢見ていた。
ときどき、自ら、世界中の一流レストランやホテルのサービスを自ら体験しに、海外を回りながら。

それは、当時の俺の考え。今は違う。

18歳頃の俺は、アメリカへ留学した後、
ハリウッドで働き、ディズニーや、PIXARで、CGアニメーターになることを夢見ていた。
その夢は、実際にアニメーションを勉強してみて、
そこは、趣味の領域で良いや、そこへの情熱は、それほど思ったほど無かったことに気づいたが。(20歳のころ)

その後、目標をなくし、
その頃別に持っていた考え、
「ルネサンス時代の絵画の修復師」の道を確かめるべく、
20歳の夏に、初めてヨーロッパをバックパッキングで6週間回った。
そこで、イタリアを始めとした様々な国で美術館を回りまくり、
その仕事も、やはり違うかも?と言うことで、それも却下。

その後、「世界を回る旅は楽しい」と思い、
そこから、「俺が何をしたいのかはわからないけれど、とりあえず世界を回るのは好きだぜ」となり、そうして、「何がしたいかはわからないけれど、とにかく海外出張のチャンスがある仕事に就きたい」となった。

そして今に至る。32歳の最後の日の俺。

******

今朝、シカゴのホテルで思った。
別に、気合を込めて、「目標を見つけなきゃ!」と、“立派”な目標を見つけようとしてるから、意気込みしすぎて、何も出来ていないだけか?と。
絵が好き?それは変わらないだろう?なら、とりあえず、毎日時間がある限り、絵を描きまくってみればいいんじゃない?
建築が好き?(父親は建築士)
なら、今からでも遅くない。
マネッコで、建築の勉強、少ししてみたら?
もしかしたら、俺も建築の道が合っているのかもしれない。もしかして。

やっぱり、アート系が好き?
それは確実でしょ?
なら、アート関連、興味があるものを、どんどん試してみれば良い。

それをして、今の仕事をしながら、
週末に過ごす、それらの趣味の時間で、人生満足行くかもしれない。
もしかしたら、サイドビジネスで、何かそれで出来るかもしれない。
今から、職をガラリと変えて、全部、アートにする必要ない。
そもそも、アートの道で食っていくのはかなり厳しいぞと、
20歳のときに、アニメーションの勉強をして気づいたんだから。

*****

俺は、自分の人生を無駄にしたくない。
せっかく生まれたんだから、フルに生きたい。
妻も大事。娘も大事。そして、自分が満足する生き方を追求し続ける事も、諦めない。

だって、数十年後には、必ず死ぬんだから。
その時、「ああ!もっと思いっきり色々やっておけばよかった!」と後悔しながら死ぬのは、本当に耐えられないと思う。

*****

今のStagnantな状態から抜け出す、
33歳にしたい。しよう。

2016/10/20 20:20

PS. 今、読み返してみた。
相変わらず、自分の進路に悩んでるなあ。20歳のころから、全然変わっていないじゃないか(笑)、と。
でも、叶えたい事は、確実に全て叶えてきたから。それは良し。
俺は、自分が欲しいと思ったものは、
何が何でも、必ず手に入れる性格だから。
しつこい。
でも、それはアドバンテージでもあるから。



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June 05, 2016

2016/06/04 8:06am LA time (2:06am Japan time)

さて、今はANAのフライトの飛行機の中。さっき4時間半ほど寝て、起きて少しレポートを書いて今に至る。

今回の出張は、まるまる一か月間だった。5/8に日本を出て、帰りは6/5。マジで長かった。
特に、今回は娘が昨年11月に生まれてから初の出張だったので、本当に長く感じました。4週間、妻も実家に帰らずずっと一人で娘の世話をしてもらい、本当に申し訳なかったと思います。
本当は妻も実家に少ししたら帰る予定でしたが、予防接種を受ける前にお腹の調子を壊してから、接種を受けられずにそれが延び、結果、ずっと自宅で過ごす事になりました。
妻には本当に申し訳なかったと思います。今回出張先で色々な人と話すたびに、”Oh my gosh, you are on your business trip for a month with 6 months old baby and your wife is alone??? “ とビックリされました。そうだよね、一か月は本当に長すぎです。もう無いように何とか調整します。
ということで、日本に帰ったら妻がなるべく休めるように、なるべくできる限り俺もしたいと思います。まずは時差ボケとこの旅の疲れが取れるようにしないと。

******

さて、通常は出張中も日記を書きますが、今回は中々書くことができなかった。
時間はあったんだろうけど、仕事をして、レポートを書いて、その他をして・・・・としている、プラス、今回の出張はやけに疲れたので、中々落ち着いて書こうとできなかった。

そんなわけで、日本に帰る前に書いとこうと思います。

******

今回の出張は、最初の1週間はブラジル(サンパウロ)、その後は2週間をアメリカ東海岸(NY、NJ,シカゴ、テネシー、インディアナポリス、ワシントンDC,フィラデルフィア等)と、5日間をカナダ・モントリオール、で、最後の2泊をカリフォルニアのLAにしました。
LAは2年ぶり(2014年7月以来)です。

今回の出張では、まず、現地の人と会えたことが本当に良かった。
フィラデルフィアでは、なんと16年ぶり、2000年の夏以来で、当時高校二年だった俺がホームステイをした家族と会う事が出来ました。
今まではフィラデルフィア近郊の顧客を毎回訪問しており、2013年の6月以来、この3年間で10回くらいこっちに来ていたものの、滞在はNJだったので、中々会いに行くこともできなかった。
だけど今回は、初のフィラデルフィア滞在。よって、仕事が終わった月曜日に、そのまま電車に乗って、ダウンタウンから20分のところにあるJenkintown(Elkins Park)にある彼らの家に会いに行きました。

今回、16年ぶりに彼らと会って、本当に、言葉になりませんでした。
正直、駅に降り立ち、「ここが、俺が16年前にいたところか」と周りを見回しながら、余り記憶も定かでは無く、そんなときに両親二人が乗る車がそこまで来てくれて、
車の中から手を振る彼らを見て、「ああ、LauraとRichだ」と。

車から降りてきた二人を見て、正直びっくりしました。なぜなら、すごく老けていたから。
当時母親のローラは41歳くらい。今は57歳。
父親のリッチは、当時48歳。今は64歳。

当時太っていたリッチは、今ではすっかり痩せてしまい、正直、病気なのかとビックリしました。聞いてみると、糖尿病になってしまい、そのせいで体重が一気に落ちたと。目の調子も悪いらしく、ほとんどサングラスに近いような眼鏡をかけていた。
あんなに恰幅の良かった、お腹の出ていたリッチが、めちゃくちゃ細くなっていて、正直怖かった。

あと、ローラも、当時は近くのアートセンターでCEOをやってバリバリ働くワーキングウーマンだったけど、今は3年前にリタイアして、自分と別の一人とでコンサルをしているとのこと。やはり彼女も老けてしまって、若々しさが無くなってしまっていた。

まあ、彼らの年齢を考えればそれは当たり前なんだろうけど、俺の中では、彼らの姿は16年前で止まっていて、なので、その現実に中々心が追い付かなかった。

彼らと駅で会った後は、そのまま車で近くのコリアンモールのようなところへ。
「You’ve been on your trip for a while so you would like to have some Asian food, right?」と。
そこで、俺はカツ丼、彼らは刺身や寿司を食べた。
この16年で、ずいぶん変わったものです。当時はアジア食といえば、中華しなかったのに。今はローラが生の刺身を「おいしいわ」と言って食べている。

*****

その後、そのモールの1階にある台湾系のカフェでお茶を飲み、彼らの家に行った。
16年ぶりに見るその家は、思っていたよりかなり小さかった。
当時、俺はその家を見て、「大きいね」なんて言っていたけど、
ホームステイブラザーのTracyは、「My house is tiny」なんて言っていて、何を言っているんだろうと思っていた。でも、今回見てみて、失礼だけど、ああ、アメリカの家にしては小さかったんだなと気づいた。
それくらい、当時の記憶と感覚は、今と違うことを感じた。
家の周りの風景とか、裏庭の様子とか。
記憶がはっきりなところもあれば、でも、ほとんどはうろ覚えで。
俺が泊まっていた部屋も見せてもらったが、思ったよりもかなり小さかった。
「ああ、ここで、Jon Bon Joviの”Staring at your window with a suitcase in my hand”を夜中に聴いて、大人になった気分でいたんだな」と。

居間の壁には、当時俺の水泳の元コーチが、Tracyのお土産用にどこからか調達してくれた浮世絵が、フレームに入れられて飾ってあった。
今見ても、かなり良いモノだった。本物の浮世絵で、きっとかなり価値があるものなんだと思う。(コーチは、当時は既に独立してバイヤーをしており、世界中の色々なものを取り扱っていた。Tracyが日本に先に来たときも、俺たちを良く色々なところへ連れて行ってくれた。焼肉屋とか。アメリカサイズはこんなもんじゃないと、ジョッキでコーラを頼んでくれたり。)

彼らのキッチン兼ダイニングのテーブルに座り、そこで当時、アイスティーを飲みながら、食事をしたり、話をしていたことを思い出す。
彼らの冷蔵庫には、いつも大量のアイスティーが入っている。今回もその香りを嗅いで、「ああこれだよ」と。匂い、および嗅覚というのは、当時の記憶をダイレクトに一気に呼び覚ます力があります。

当時、水道水は飲むなよ、お腹を壊すからと言われていて、水を飲まない様に超気を付けていたけど、ある晩、ものすごくのどが渇いて、冷蔵庫にあるアイスティーを飲み、
翌朝、リッチがアイスティーを作るのを見ていたら、水道水から思いっきりその容器に水をジャーッと入れ、そこにアイスティーのバッグを3個くらい入れて、「Ok, done!」とか言いながら冷蔵庫にしまう様子を見て、ショックを受けたことを思い出します。

*****

当時の俺は、もちろん英語は片言で、
彼らの会話の半分も理解していたか謎です。
簡単な会話は理解できたけど、”How have you been?”という言い回しすら知らず、Tracyに聞かれて、”What?”と聞き返して、ため息をつかれたのを思い出す。玄関で。
(Tracyは結構変わったヤツで、友達も少なく、当時はセラピーの様なものに通っていた。父親のリッチともいつも喧嘩して、リッチもTracyの扱いに困っていた。今は俺はTracyとfacebookでつながっており、たまーにやり取りするけど、彼がどうなったかは、分からない)

でも、彼らの生活に当時はどっぶり遣って、ローラがアート関係だったこともあり、近所に住むアーティストの集まる食事会に夜に行ったりして、そこで、意味はほぼ分からないけど、「英語」という言語の洪水にひたすら浸り、感覚で何かを得ようとしていた、あの少し心地よい、冒険心の様な感覚を今でも覚えている。

*****

特に、彼らと過ごした3週間はとても楽しく、彼らとの別れ際に、フィラデルフィア空港で、俺の横で、チェックインカウンターのお姉さんの質問を何も理解しない俺の横に立ったリッチが、その女性の質問に対して小さくうなずいたり、首を小さく横に振るのを横目で見て、「Yes, No」と答えていた俺。
その後、彼ら4人にサヨナラを言って、通路を歩いて、角を曲がって彼らの姿が見えなくなった瞬間、一気に涙があふれ出て来て、自分でも理解できずに、かなりびっくりしたこと。
その後、機内に入っても、20分くらい、ずっと涙が止まらず、トイレに行っても止まらず、
離陸になって、席に座って、隣の女性が、「大丈夫?」と声をかけてくれたことを思い出す。

そんな、俺がいかに彼らに対して感謝していたか、彼らとの時間を楽しんだかを、今回は直に、自分の言葉で伝えることができた。
彼らも、”Oh”と、内心、「え?そんなに楽しかったの?でもそんなに楽しんでくれてたなんて、驚きだけど良かったよ」という感じだったけど、
でも、伝えられてよかった。

******

彼らは、俺の前に、日本人の女の子を一人、1年間ホームステイで迎えていたけど、その後俺が3週間来て、翌年は別の日本人の男の子が3週間来たらしい。
その後、チリの女の子が半年、フランス(?)の女の子が半年など、色々と迎えたらしい。
弟のパトリックは、大学の時に、タイに1年間交換留学。
兄貴のTracyは、シカゴで大学に行き、数年滞在したあと、今はコロラドのボールドにいる。

とにかく、たくさんのことが変わってしまった。きっと、彼らも俺のことを見ると、そう思うんだろうけど(俺の人生が、高校二年の16歳のそれから、32歳の、医薬品業界で働くビジネスマンになっていて)。

今回彼らに会って思ったのは、
「人間は歳を取るんだ」ということ。
16年経てば、16歳の人間は、32歳になり、
50歳の人間は、66歳になる。

俺も16年後は、48歳になっているわけで、
それは、16歳から、32年後なわけで。

あたりまえだけど、その、「16年」という月日を、一気に感じて、
まるで、タイムマイシンに乗ったというか、
本当に、はっきり言ってショックだった。
ああ、俺も必ず、老けて行って、誰もが老けて、いずれ死ぬんだなと。

だからこそ、人生は、楽しまなきゃいけない。
何を誰に言われようと、状況がどうであろうと、
いずれ人は必ず死ぬんだし、50年後には、俺も82歳の老人になっているんだから。

自分の中では、正直16歳のころから、メンタリティーは余り変わっていないと思う。
いつまでも自分は若いと思っている。
リッチも言っていた。「I still feel like I am 16 years old!」と。「だから、今64歳?え?誰の年齢?俺の父親の年齢じゃない?それって。ああ、自分の年齢なんだ」と、気づくという。ローラもそうだって。「64歳って言ったら、自分の父親の年齢でしょ?それが、今は自分の夫の年齢なのよ。つまり、私もそれだけOldなのよ」と。

だから、本当に、人生は、なるべく可能な限り、楽しまなきゃいけないなと、本当に感じた。
特に、すぐに後悔して、過去を思い返して、もっとこうできたのではと考え、
他人の発言を気にし、気づくと、細かく、小さいスケールの人間に陥りがちな自分は。
そんな風に生きていると、きっと死ぬとき、死ぬ直前に、ものすごく、それは耐えられないほど、後悔すると思う。「俺は、限りある命を、なぜもっと楽しまかった?なぜ、他人の発言や意見を気にして、自分のやりたいようにやり切らなかった?」と。

老いは確実に来る。髪の毛は薄くなり、肌は老化し、筋肉は鍛えないと落ち、
疲れはたまりやすくなる。
何のために生きる?今自分がたまたま所属する会社のため?そこの上司のため?
そこの誰か、他人のため?
そうじゃないと思う。自分のため。自分の家族のため。妻のため。娘のため。
自分の両親のため。兄弟のため。

そういうものだと思う。

******

とにかく、色々な意味で、感動あり、ショックあり、一言では言葉にできない感情を味わった、4時間ほどだった。

******

他には、カリフォルニアで、Liの家族と、
それから、Hollywoodでは、帰る間際に、さやかさんとスティーヴと会えた。

Liとは、会うのは2014年の7月以来。
前回会ったのが2年前で、たまに会話をしていたので、余りit’s been a long timeという気はしなかったけど、
でも、当時は一人だった彼の子供のイーサンも3歳半になり、
弟のアイヴァンも、昨年生まれて、今は11か月になるところ。

イーサンは、俺が今まで見た友だちの子供の中で、一番かわいかった。
だから、彼を見て、「ああ、子供を持つっていいことかもな」と思ったことを思い出す。

ジェニファーも元気で、二人目の子も男の子で、大分疲れていたけど、
あと、リーのお母さんも、相変わらず英語はほとんど話さないけど、いつもニコニコしていて、
父親のMr. Loも、相変わらず髪の毛がふっさりして、もう66歳ということだけど、その若さにビックリした。
彼は今も、エアポートピックアップの仕事をしている。

*****

今回彼らに会って感じたのは、
やっぱり、Liも本当にいい性格をしているし、
A man with a good heartという言葉が似合うやつだなと。
それは、やっぱり、両親だと思う。
彼の両親は、二人ともとてもいい人たちだし、
しつけがしっかりしていたんだと思う。
叱るときは叱る。
楽しむときは楽しむ。
Disciplineという言葉が、しっくりくる家庭だと思う。

*****

リーとは、6/2(木)の夜と、6/3(金)の昼過ぎに会った。
夜は、彼の家で食事。
翌日は、近くのショッピングモールへ、Cheesecake factoryでパスタとチーズケーキを食べた。パスタはアメリカではじめて、おいしいなと思った。エンジェルヘアパスタ。
チーズケーキはやっぱり甘すぎ。

別れ際、ジェニファーが、俺の娘ように、フランスのキリンのおもちゃソフィーと、オートミールを二つ買ってきてくれた。
ソフィーに関しては、持っていたのをみて、「これ高いよね、日本だと30ドル以上」というと、「アメリカは20ドルよ。TARGETで売ってるよ」と。そしたら、翌日買ってきてくれれて、すごくびっくりした。ありがたかった。
実際はTAX抜きで25ドル以上らしくて、「こりゃ高級なギフトを頂いちゃって悪いね」と。リーが、「俺が払うからいいんだよ」と。「あ、ならいいや」なんて。

リーは、最近数か月前に前職を辞めたばかりで、今回俺がカリフォルニアに来れたのも、彼が前に働いていた業界が俺と同じだったから、彼が招待してくれたようなもので。
今は、彼はジェニファーの父親が運営するビジネス(ある製品を輸入してアメリカに売る商売)を始め、独立した。よって、More time for my familyと。
彼らを見ていて思った。日本では、いかに大企業に勤めるか。いかに一つの会社に長く務めるか。その会社に貢献するかだけど、
アメリカって、「企業」というものに対する執着心がないなと。
それより、いかにより多くのお金を稼ぐ機会、多く家族と時間を過ごせるか、
そういったものを軸にしているなと。

リーのお父さんもそう。
リーもそう。
アメリカ人は、転職を繰り返すことを、当たり前と思う。
もちろん、今よりも高いサラリーで、同等か高いポジションに移る事が前提だけど。

*****

リーたちにさよならしたあとは、
ハリウッドに住む、さやかさんとスティーブに会いに。
彼らは以前はロングビーチに住んでいましたが、今は去年の後半から、ハリウッド、しかもChinese Theatreからワンブロック(本当にワンブロック!歩いて1分で着いて、本当にびっくりした)に住んでおられます。

18時ごろにタクシーで着き、その後、LAXでのフライトが1:20AMなので、23:30まで一緒にハングアウトしていただいた。
最初の1時間半くらいは彼らのアパートメントのソファでいろいろ話をして、
Steveの作ってくれたラム+コークを頂きながら、
さやかさんの最近の進捗を聞き、
Steveにギターをチューニングしてもらって、結局ほとんど弾かず(ごめんねスティーヴ)、
19:30すぎに、歩いてチャイニーズシアター近辺を回り、
スイーツのお店に行き、
そこでいろいろアメリカのスケールのでかさを感じ、
思いっきり観光客ができて、なんだかものすごく楽しかった。

その後は、Pinkのホットドッグ屋に行き、
そこでものすごい量のホットドッグを食べ、
Steveはソーセージ二本とチーズとベーコン3枚だかとチリとが入ったブリトーを全部食べ、”My Stomach is not right”と車の中で言い続け(かわいそうなスティーヴ)、
その後は、Portland Oregon発祥の、最近ブームであるSalt&Strawというアイスクリーム屋に行き、
さやかさんは赤みそとナッツ(だっけ)を食べ、
スティーヴはアボカドのアイスクリーム、
俺は、そんな変わった味があるところで、結局イチゴとバニラアイスクリーム(かな?)、を頼み、でもおいしかった。
で、そのままLAXに送ってもらった。ありがたいです。

二人と会えて、色んな話ができたり、いろいろ連れて行ってもらって、本当に楽しかった。
さやかさんも今は、ハリウッドに住み、ロングビーチに住んでいた頃よりも、よりたくさんのチャンスが入ってきて、いい調子だそうです。
今はアクターは、ただオファーが来るようにアクティングだけをして待つ時代ではなく、脚本や脚色、監督等も行って行く時代だとか。そうやって自分の質や市場価値を高め、チャンスをゲットして行く。音楽でいうと、ただ提供された歌を歌うだけではなく、曲も書き自らプロデュースするのと似ています。

今回はChinese Theaterの前で、様々なハリウッドスターの手形、足形を見ましたが、
いつかさやかさんの手形足形がそこに入る日を、僕は夢見て心から応援しています。

*****

さて、今回の出張はそんなわけで、フィラデルフィアのホームステイファミリー、カリフォルニアのリーたちとさやかさん&スティーブに会え、とても楽しかった。
それだけでも、出張に行った甲斐がありました。

あとは、自分がいつもアメリカを回るときに一緒の上司がいますが、
彼が今回、(彼はカリフォルニアに着いた翌日に先に帰ったのですが)、空港でそれぞれ別のホテルに泊まっているので、そこで別れる際に、
彼から手を差し出してくれて、「今回は良く頑張った!お疲れ様!」と、握手してくれました。
3年前に初めて出張に行った際には、ちっとも認めてくれず、むしろ敵対心むき出しだった彼。事あるごとに俺の欠点を指摘し、正直彼と一緒にアメリカを回る事が本当に苦痛でしたが、1年後の2014年6月の出張で、彼に夜一緒に食べているときに、いわば彼は父親みたいな感じで、正直うざく感じるけど、そう感じるのはあなただけですよ、という事を伝えてから、心を許してくれた彼。
今では、社内でたぶん一番かわいがってくれてるんじゃないでしょうか。
まあ、一緒に過ごす時間が一番長いという事もあると思うけど。
俺も、いい意味で彼に気を使わず、結構冷たくあしらってるし。
社内の人間は、彼とまともに遣り合おうとするから、疲れて、あの人本当分かんねえわを悲鳴を上げますが、結局、いわば自分の父親のように、あまり気を使わないくらいが逆に向こうも心地いいもので。

そんなわけで、初めて彼に認められた気がして、なんだかものすごくびっくりしました。

******

さて、この日記を書き始めてから3時間経ちますが
(途中で休憩をはさみ、少し寝ましたが)
そろそろ疲れてきたので終わりに。

書いておきたいことは、

 /佑蓮∧儔修魘欧譴襪箸い事。俺は今回の出張に出る前、すごく嫌でしたが、(なぜなら自分の普段の生活パターンと一気に変わるから)、今は、やっと日本に帰れるのに、少し、怖く感じる自分もいます。それは、妻や娘と会えることを除くと、また、この1か月間通したライフスタイルと一気に変わるから。
まあ、一日日本で寝れば、一気になれるんでしょうが。

◆1か月間の出張は、余りにも長いという事。正直、2週間が良いところ。
それ以上は、家族、特に小さな子供をもつ人間にとっては、良くありません。
子どもや奥さんとの時間も減るし、それだけ、その「会社」というものに、人生を捧げているわけですから。
よって、出張に出られることはいいけれど、この長さにならないよう、今後マジで真剣に考えて、社内調整が必要。

 英語について。というか、言語について。結局は、大声で自信を持って話す事。
ブラジルにいたとき、ウェブサイトに出てきた広告で、「あなたの英語が通じない理由」みたいなのがあり、クリックすると、日本人の講師が話す内容が。
つまりは、英語は、イギリス、つまり寒い地域で生まれた言語で、子音が多いから、大きな声で話して、子音までしっかり発音しないと、相手に伝わらないということ。
日本語は一方、小さな声で話しても通じるし、むしろ大声で話すと嫌われるカルチャー。
でも、アメリカというか、英語の国は、大声で自信を持って腹から発声するだけで、はっきり言って通じるものですと。なぜならインド人や中国人は、あんなに発音が汚いけど、大声で自信があるから伝わってるでしょと。
あとは、やっぱり日本は、「白人崇拝主義」だから、白人を目の前にすると、どこかで怖気づいて、緊張するから、自分の英語に自信が無くなる。でも、他の人種や、母国語が日本語じゃない人間を前にすると、結構自信持って話せない?と。でも、自分の上司が横にいると、やっぱり緊張して話せない、みたいな。
そんなもんだなと思いました。それを見てからは、「ああ、そうだな」と思って、ブラジルでも、ポルトガル語はめっちゃ通じたし、アメリカもカナダも問題なし。まあ、こんだけ留学もして、海外営業も数年やって、英語英語と言っていること自体、たぶん俺がコンプレックスを持ってるんだろうけど。でも、言語なんてマジで通じればいいっしょ。おれの日本語だって、かなり間違ってるし、むしろ何度も聞き返されるし、みたいな。

ぁ.リフォルニアの、今回はNewport Beachのホテルに泊まりましたが、海まで歩いて行って、足を海につけて、あの、カリフォルニアの海の空気を吸って、本当に嬉しかった。日本の海と違って、塩臭くなく、砂浜もきれいで、広くて、水平線も延々と見え、人も少なく、ああ、俺ってここで2005年の夏から、2008年の春まで、3年間も過ごしたんだなと。そりゃあ良い生活を送らせてもらったなと思った。同時に。東海岸に留学したら、たぶん全く違った人生になっただろうなと。東は、歴史があり、教育水準は高いかもしれないけど、「開放感」という点で言ったら、全く違うなと。まあ、カリフォルニアが特殊かもしれませんが。そりゃあ勉強しないで日本人だけとたむろする日本人も多くなるわな、と。

そんなところでしょうか。
とにかく今回の出張の結論は、
 1か月は長すぎる。
◆/佑鷲ず歳を取る。時は流れる。そして、体が大事。今を楽しむ事。同時に、体を一番にいたわる事。体を壊しては、何もできない。マインドも大事だけど、体をフィジカリーいたわる事が、本当に大事。健全な体に、健康なマインドも宿るから。
 なんだかんだ言って、どこに行こうと、その土地で会う人が、その土地の良さを決めるという事。
ぁ‐錣Open eyesで、偏見なく、ありのままを見る事。そういった「素直さ」を持ち続ける事は、強さと賢さがないと、できない。しかし、それさえできれば、他人が気づかない事に気づけるはず。そこから人生が更に広がるかも。

そんなところです。
はい、おしまい。
あと1時間で日本に着きます。

2016/06/04 11:21am LA time(3:21am Japan time)

PS:
ちなみに、英語で言うと、さやかさんの英語はすごかった。もう、ネイティブですね。
発音もうまいし、俺は結構LとRの発音とか、THとかを余り意識せず過ごしてしまったけど、彼女はすごいですね。Siriもめっちゃ使ってるし。俺はSiriを使うと全然英語が通じない。
それと、英語って、やっぱり喉で発音するというか、日本語は頭で話す感じだけど、英語は、喉で、下の方で声を出すと、より通じる。Deep Voiceで。

あと、全てはConfidence。自信。さやかさんとスティーヴとも話したけど、Show offする事はいいことだし、それが、他人に迷惑をかけなければ良い。
どんなに体重が重くて体の大きな女性でも、自分に本物の自信を持っていれば、ものすごく魅力的である。
アメリカは、みんな自分をshow offするし、アピールするけど、
そして、日本は、自分をshow offすることは嫌われるけど、
でも、自分に自信を持つことは大事。他人に迷惑をかけず、謙虚さは持ち、
かつ、周りを嫌うのではなく、自分に心地よく生きる事。
自分が自分自身にcomfortableであれば、それは、良い。


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October 18, 2015



2015/10/18 3:45am- (London時間)

今はロンドン→羽田の飛行機の中。
今回もありがたい事にファーストクラスの席。
前回3月と同様、アップグレードポイントが貯まっているので、40ポイントある内20を使ってアップグレードした。

******

毎回出張に来るたびに、飛行機の中で自分を省みて
結局最後には
「俺は最近視野が狭くなっていた。しかし、足りなかったのは感謝の気持ち。
全てに、感謝」で終わると、
妻に今回の出張の最初の方にからかわれていた。
でも、結局そうなる予定。

*****


今回は3週間の出張。23日間。
最初の一週間はNYとニュージャージー。
そのあとはシカゴ、アイオワ一日、インディアナポリス、ワシントンDC、
で、その後、マドリードに1週間、
ロンドンに最後一日。一泊して、今飛行機の中、というわけ。
長い出張でした。


しかし今回は、普段は行かないマドリードとロンドンが入っていたので
最後の方は新鮮で楽しかったです。
一番最初のNY(NJ)一週間は、いつもと同じホテルで、
土曜日の夜にホテルについたんだけど、そのホテルがあまりよくないホテルなので、
「またここかよ」と一人日曜の夜に暗くなっていました。
日曜は一日(11-19時)まで寝ちゃったので、昼夜逆転で思いっきり時差ボケになってしまったし。
やはり、現地に着き次第、その土地の時間に合わせ、夜まで頑張って起きているに限ります。
日中に寝ると、必ず後で後悔します。

*****

今回、ロンドンではTHE BEATLESがABBEY ROADのアルバム撮影で使ったその場所に行ってきた。
行ってみて、「ああ、ただの街中なんだ」と拍子抜けした。
未だに、普通に車がたくさん通る通り。
写真を撮るために、ふた組くらいにお願いして2往復くらいしたけど、
余りにも交通量が多くてびっくりした。
本物と同じアングルとポーズで決めたかったけど、そんな余裕は一切ないのでした。
(写真を撮ってとお願いしたふた組み(同い年くらいの男ふたり、両親と娘)とも、なんとブラジル出身だった。ブラジル人はビートルズ好き?どちらもポルトガル語で話せたので良かった。
ちなみに話が飛ぶけど、スペインもスペイン語だから、かなりポルトガル語が通じたし、やっぱりいいね、言語ができるというのは)

*****

今回はアリアナグランデのライブにも行った。
シカゴで金曜の夜。
その一週間前に着いた土曜、日曜のNYでも同じように彼女のライブがやっていたので、
「俺と同じ場所に行くなんて」と、2年前のブルーノ・マーズと同じ状況でした。

*****

さて、色々と感謝の気持ちとか、書きたかったんだけど、
なんだか乗らないので、今は辞めます。

ちなみに、海外営業で、
最近は6月から9月末まで、4ヶ月日本にいたせいか、
どうも、毎日日々の小さなタスクで頭をいっぱいにして、
すごく仕事が嫌になっていたけど、
今回また出張に来て、特に最後の一週間で、
リフレッシュできた感がありました。
アメリカの最後の二日間は、研究開発部の二人が加わったので、
いつもと違うメンバーが入り、普段とは話せない人と違う話ができたことも大きかったと思う。

そういうこともあり、自分の仕事や、自分のいる立場を、
客観的に見ることができたのも大きかったと思う。

俺は、傍から見ると、
自分が叶えたかった目標=「海外営業職につき、バリバリ海外を飛び回る」を叶えているわけで、
しかも、ビジネスクラス(たまにファーストクラス)で飛び、いいホテルにもたまには泊まらせてもらえて。
お客さんや上司とだけど、美味しい料理も食べさせていただき。
高いお酒も飲ませていただき。

妻からは、それを良く言われるけど、
俺は、性格からして、目の前の事に集中してしまう傾向があるので(猪年)、
自分を客観的に見ることが出来にくくなってしまう。

そして、常に、次の目標がある状態で、
「それに向かって毎日努力している」という実感が無いと、すぐに嫌になってしまう。
コツコツと、毎日、明確な目標があり、
その大きな目標に向かっていること。
その実感を感じていられることが、究極の喜びであり、
一番サイアクなのは、目標が何か分からなくなってしまい、
日々を、惰性で生きてしまうこと。俺にとってそれは、人生の一日いちにちを無駄にしているに等しいから。

俺はあと3日くらいで32歳になる。
今回の出張で気づいた。最近(この1年ほど)がつまらなかったのは、
「もう俺には後がない」という感じで、デッドラインを決めずに、
ダラダラ仕事をしていたからかな、と。
留学中は、「アメリカでの生活はあと○年。そのあとは、どうあがいても、自分の力をそれまでに付けていないと、食っていけない」という危機感を持って日々過ごしていた。
しかし今は、安定した会社に入ったから、ここでやって行けばいいや、という安心感があり、
どこかに、目指すべき方向性を見失っていたと思う。

俺が今の会社に一生いるのか、または、途中で動くかなど、今はわからない。
ただし、今わかっているのは、この業界に入ってまだ3年ほど。
知識も浅いし、理解も浅い。人脈もない。今のポジションは、後輩はいるとはいえ、
部下がいるわけじゃない。俺の同年代は、既にチームリーダーなり、部下を持って回している人間が普通。
従って、市場価値で見ても俺のレベルは低いと思う。
転職ももう2回しているから、履歴書も日本的に言うとボロボロだし。
(転職はリスクがでかいし、正直できればしたくないという気持ちももちろんある)

なので、結局は、少なくとも30代は、今の会社で力を付け、
今後転職を同じ業界でするにも、まずは地盤を固めることが、先決。
その地盤固めには、仮に「1年半」という仮期限を決めても、
正直、それではまだまだ力は低いと思う。

しかし俺が言いたいのは、だからと言って、「じゃあ3年」「5年」とある程度余裕を持って自分のマインドを設定すると、結局、本当に力が付いたと思える日は、どんどん後にずれて行くこと。
大事なのは、「もうあとは無い」と自分の中でだけでも勝手に設定して、
ほかの人間よりも、早く力をつけること。
ほかの人間と比べていたら、その世界から抜け出せない。

だからこそ、数ヶ月前に書いた「世界の前では上司はちっちぇえ」の中にもあったけど、
常に目標にするのは、自分の目指す業界の本物のトップを常に意識すること。
世界レベルで。

日本の中だけ見ていては、絶対に遅い。日本はやっぱり遅れていると思うし。
日本は、未だに閉鎖社会だし、男尊主義が激しいし、バブル時代の仕事のできないおっさんどもが上司にいる年代だから、どの会社も、ダラダラ仕事をする人間が多いと思うし、
残業制度があって、ダラダラ長く会社にいる人間ほど、会社に貢献している的な雰囲気があるし、
出世するには、実力よりも、結局は上司に気に入られることが重要だし、
仕事のできない先輩にも気を遣わなきゃいけないし、
満員電車は最悪だし、周りに気を使わず自分の席の確保だけを考え、
くしゃみをするときに口を抑えず、体臭を気にしない、マナーのない、
加齢臭のただようおっさんどもばかりがいる国・・・・

と凄まじい批判。

日本は、狭いと思う。土地も狭いのもあるが、島国だから、周りの国の人間が入ってこないから、
視野が狭い。というか、周りの世界を知らない。
俺は、そんな日本の腐った方の文化に合わせるのはイヤ。
(日本はいいところもたくさんあるが、ネガティブ面という意味)

しかし、日本社会で生きていく中では、その「ルール、枠」にある程度合わせる必要がある。
または、そんなのカンケーねえ(※俺が今ポルトガル語を習っている語学学校の校長先生は彼の父親)と突き出るか、
または、そういう文化の会社で働くか。
または、自分で仕事をするか。

いずれにしても、俺は今は力がなさすぎる。
だから、早く、一日もはやく、力をつけること。
そして、いつでも、別の会社でもっとレベルの高いキャリアアップ用に転職もできるようにしておくし、
または、発想をかえて、サブで、アメリカや他国で流行っているものを
日本に入れるサイドビジネスをしてもいいかもしれない。
日本にいれればウケそうなものはたくさんある。

*****

ポルトガル語の力を伸ばす。
業界知識を増やす。
日々の仕事の中で、ただの「担当者」の枠を超え、そのあとも仕事以外でも繋がれる人脈にまで持っていくよう意識すること。
自分の会社の中の人間だけのやり取りだけで日々を終わらせないこと。
常に他の会社、業界、友達の話も聞くこと。
アンテナを張り巡らせておくこと。

常に、世界レベルで、「自分」という一人のブランドを作り上げることを意識すること。

その状態にいることに、俺は多分、今は一番「安定感」を覚える。
そうじゃないと、体が拒否する。
人生がつまらないものになってしまう。

*****

以上、自分用のメモ書き。

2015/10/18 4:25am







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June 02, 2015

2015/6/2 8:32-

今、会社のオフィス。
今朝は時差ボケがまだあり、
朝5時すぎに目が覚めた。
そのまま6時前に起きて、支度して、7時に出た。
それでも、結局途中駅の乗り換えで、電車の乗り換えがうまくいかないと、
15分から20分近く待つことになり、
結局オフィスにつくのは、8時15分頃。
しかも、家を出てから、ずーっと蒸し暑く、電車の中も冷房が全然効いていないので、
何だかすごく疲れる。
日本って、先進国にも関わらず、
冷房を本当に使わないというか、自然の摂理に敢えて逆らわないところがあり、
何だか、他の欧米諸国や、または、
南米やアジア等の国と比べても、
日本に帰ってくると、「ここは発展途上国か?」と思ってしまう。
それぐらい、技術が進歩しているのに、敢えてそれを使わず、
逆に人々は暑すぎたりして疲れ、みんなだるい顔で電車の中でぼーっとしてて、
生産性が落ちるというのは、一体どうなんだろうと、いつも思ってしまう。
こう思ってしまう自分が、ピッキーすぎるのか。

*****

さて、今回は5/9-5/29まで、丁度3週間出張に行っていた。
ブラジル1週間と、アメリカ2週間。
出張中に日記を書こうと思ったんだけど、結局書けなかった。
その時の思いというのは、その場にいて、そこでしか感じられない空気や雰囲気を感じながら書くからこそ、そのときの「何か」が残るのであり、
だからそうしたいと思うんだけど、
今回はそれができなかったので、まあ、今残るそれを書こうと思う。

******

今回の出張は、すごく楽しい方だった。
季節が初夏というのもあり、気候的に開放的で、
服装も軽て良かったのも大きいと思うけど、
あとは、結局週末もホテルにいて、結構つまらない思いをした日も多かったけど、
それでも、楽しいと感じることが多かったのは、
ブラジルへ最初に行ったことも大きかったと思う。

ブラジル、今回は二回目。
前回は去年。去年は、ポルトガル語もほとんど使えず、
“Meu nome e Shunsuke”くらいし言えないことも多かったけど、
今回は、展示会で「あなたの会社は何をしている会社ですか?”O que voce faz?”」とか、
タクシーで“Boa tarde, Poderia usar esta cartao de credito, porfavor?とか”
本当にちょっとの内容だけど、そういうことはスラスラ言えるようになって、
そんな意味でも、現地の人と少しコミュニケーションが取れて、楽しかった。

今回の出張中で感じた一番大きいことは、
結局は全ては自信だということ。

俺は普段の生活の中で、会社の中での人間関係とか、
そういうものに随分と影響を受け、ストレスを受け、
随分と小さく縮こまっていたと思う。この数ヶ月は。
今思うと、随分と自信をなくしていたと思う。
または、以上にイライラし、いつもストレスフルに感じていた。いろんな事を。
それには、「日本なんだからもっとこうあるべきだろう」
「日本人なんだから、もっとこうあるべきだろう」
そういう、「●●なんだから〜」的な、固定観念が大きかったんだと思う。

でも、海外に行くと、
「ま、どうでアメリカだからしょうがないか」
「ブラジルはこんなものか」
「ドイツってこんなんなんだ」
的に、何か自分の気に入らないものがあったり、ひどいと思えるものがあっても、
「まあ、この国はこれが普通なのね」と構えられるところがあり、
結果、それが、「こんなもんでしょ」と全てを受け流せる心の広さにつながって行ったんだと思う。

それを要するに、日本でもすればいいだけの話。
俺は、日本人だから、そして日本という国にやけに期待感を持っているのか、
日本だからこそ、丁寧であって当たり前、
日本だからこそ、全て整っていて当たり前、
日本だからこそ、約束の時間5分前に集まっていて当たり前。
そんな固定観念が強かったと思う。
それが、全てに対してストレスフルに感じていた理由だと思う。

*****

そしてもう一つ。自信とは、
なくても、あるように演じることで、振舞うことで、
だんだんとそれが付いて来る、というもの。

俺は、留学時代、20代前半は、自分に自信があったと思う。
今は、最近は、身体も細くなったせいか、
髪の毛が薄くなってきたとか、いつもメガネをかけているせいで、自分の外見に自信がなくなったとか、
そんな理由で、勝手に、「自信」というものを、なくしていた。
むしろ、自信のない自分がコンフォートゾーンになっていたと思う。

だけど、出張に行き、ブラジルに行き、
治安もよくわからないところへ行き、
サヴァイヴしなきゃと意気込んで、
言葉も必死に使う中で、
そんな、自分の外見なんかはどうでも良くなり、
そのうち、そうやって必死に生きている自分自身に、自信を持ち出してくる。
または、海外でなめられないように、ハッタリでも、
自分に自信があるように胸を張る。

そうしていくうちに、まるで自分は本当に自信がある人間に思えてくる。

出張中に妻とも話していたが、
人間の脳は単純なもので、
「自分は自信がある」と自分の脳に錯覚させること。
自分はできるやヤツだと。

そうしていくうちに、脳は本当にそう思い出す。

それを、ただすればいいだけ。
日々の小さな人間関係なんかに、勝手にストレスを受け、自信をなくしているのは、
「お前の勝手だろ」という話。

*****

そんなことを、書いておきたかった。

日本で生活を続けるうちに、また、日々の小さなことで、
小さくまとまることのない様に。

2015/06/02 8:53




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March 15, 2015

2015/03/13 12:41am-(Chicago 時間) 14:41(日本時間)

今は飛行機の中。シカゴ→成田。シカゴを17:30に出たので、
7時間くらいが経った。
最初は何も食べずに3時間くらい寝て、
さっき、洋食のコースを食べ終わった。全部食べ終わるまで2時間くらいかかった。

*****

ちなみに今は、人生初のファーストクラス。
会社のお金で乗せてもらっているので、
しかも、普段はビジネスクラスだけど、2013年4月から二年間海外出張に行きまくって貯まったアップグレードポイントというものを使って、
今回初めて、ビジネスクラス→ファーストへのアップグレードを行った。
これが出来ることを知ったのは去年の10月くらいで、
上司がやっていたので、俺もやってみようと。
実際、今回の出張に行く日に、羽田空港のラウンジで、帰りの便の予約をしたら、
「現在お席はいっぱいでして、もしかしたらアップグレードできないかも・・・」と言われた。
なので、当日空港でチェックしてね、と言われて、ちょっと気になっていたけど、
昨晩ホテルでオンラインチェックインの状況を確認したら、
運良くキャンセルが出たみたいで、01Aという一番前の席になった。
31歳で、ファーストクラスに乗らせていただいています。

*****

ちなみに、去年妻が買った「飛行機の乗り方」という本で、
欧米路線の日本行きの便のファーストクラスのみ、
RIMOWAのミニケースが付いてくるということで、
これは、ファーストクラスしか手に入らず、
しかも、ファーストクラスは値引きがされないから、
手に入れるには、99万近くお金を払って乗るか、
または、(今回の自分がとったように)ビジネス→ファーストへのアップグレードをするかで、
どちらにしても、90万近くのお金を払わないとできないことだと。
なので、このポーチを見かけたら、「どこで手に入れたんですか?」と聞いてみましょう、とあり、それから気になっていた。
今回いざ手に入ると、まあ、ただのケースですけど。
ネットオークションなんかでは高値で売られているとか。

*****

こんな事を書く為にPCを開いた訳ではないんだけど、
今の自分の心境を記しておこうと思う。

*****

今回の出張は、3/1〜3/13で、正味二週間弱で、
向こうで迎える週末は一回きりだったので、
今回はとても楽だった。
2013年6月の初めての北米出張の時なんかは、
3週間半くらい回っていたから。
妻にも、毎回それだけの期間を不在にしていると思うと、申し訳ないなと思う。

*****

思えば、2005年の夏、21歳の時に、アメリカをアムトラックを使って一周して、
今回、ちょうど10年後の2015年、31歳で、
また、こうしてアメリカを回っている。
前回は、アムトラックの、一ヶ月500ドルのパスで、最低クラスの列車で。
(寝台列車ではないから、リクライニングも少ししかされず、毎日腰が痛かった。)
今回はこうして、会社のお金とは言えども、
ファーストクラスで世界を回れるようになった。
最終的には、自分のお金で、このレベルで、世界を回れるようになって、
初めて、成功したと言えるのかもしれないけれど、
少なくとも、手段はどうあれ、合法的にこうして、事実上は、
「ファーストクラスで海外出張をしている」となるんだなと。
別に自慢しているわけではなく、むしろ、海外出張をし始めてみて気づいたのは、
これはかなりの肉体労働ということで、
客観的に聞こえるイメージとは結構かけ離れているということ。

でも、ふと客観的に自分の状況を見てみて、
「ああ、俺も(当時から)10年後には、ファーストクラスで回れるようになったんだな」と思うと、
まあ、とりあえずこの時点の自分を認めてもいいのかな、と思った。

*****

今回、最後はシカゴのホテルに一泊した。
今までは空港近くのホテルが多かったけど、
前回から、ダウンタウンに泊まることにした。
今回は前回と場所は違って、Magnificent MileにあるHoliday Inn Express.
場所はかなり良かった。
近くには、Trader Joe’s やAMC Theaters, Chicago Pizza屋のUNOなんかもあり、
とてもいいところだった。
昨日の夜は、ホテルに16時前について、
そこから二時間、レポートを書いて、
18時過ぎには一緒に回っている上司と一緒に近くのレストランでチーズバーガーを食べた。

その後、20時から、ウィルスミス主演の「Focus」っていう映画を観て
(今回は結構期待して見ましたが、やっぱりイマイチだった。Will Smithはニック刑事と同じ路線を行っていますね)
そのあとは、引き続きもう一本、「CHAPPiE」っていうロボット映画を観た。
これも、中々Interestingではあったけど、
登場人物が誰にも感情移入できなくて、
ギャングスタもどきの奴らばかりが出てきて、
シガニー・ウィーバーやヒュージャックマンは出ているものの、
日本では公開するかな?という感じ。

とにかく、その後はホテルに帰ってきて、
今日は、朝また2時間くらい仕事して、
あとは、Trader Joe’sで買い物して、
Shake Shackでハンバーガーとフライズを食べた。
Shake Shackはかなり混んでいたけど(アメリカ人にとっても、まだ珍しいみたいね)
でも、全然美味しくなかった。作ったやヤツが悪かったのか?
でも、それで品質が変わるなんて、全然ダメですね。
値段設定も高いし。
よっぽど、IN N OUTや、FIVE GUYSの方が良いと思う。
In N Outなんか、そもそもめちゃくちゃ安いのにあの美味しさだし。

*****

話は逸れてますが、
ちなみに、今回Indianapolisでは、いつものお客さんと、
夜はInformal Dinnerを一緒にした。
エンドユーザーのその会社からは3人と、
間に入るアメリカの商社から2人、
あとは俺たち2人の計7名。

丸いテーブルに座って、みんなで色々と話をしながら食べて、
すごく楽しかった。
途中から、商社のMが、
「じゃあ、こっちから反時計回りに、
自分の好きなバンドを言っていこうぜ」
「自分のお気に入りの映画は」
なんて感じで話が始まり、みんなバンド名を言っていった。

年齢はみんな、一番上は60歳近いし、
大体若くても30代後半から、
40代〜50代なので、
そして、アメリカ人ばかりなので、
俺が好きなロックの世代とぴったりなので、
話が逆に合って楽しかった。
Pink Floydとか、Bostonとか、Dream Theater(この名前をDが言った時には、思わずYES!!と叫んだ。俺もすごく好きだから。でも、意外とDream Theaterを知っている人って、少なかったりする。本当にロックが好きじゃないと、知らないのかも)
他には、Phil Collinsとか。
で、俺の番になって、
「もちろん、AEROSMITHでしょ」っつったら、
みんな、「俺は10年前に、たまたま夜中に運転してたら、横にピカピカのジャグアーが止まって、なんだこの車は?って横を見たら、なんとSteven Tylerが乗ってて、
俺と他の2人、みんな口を開けてびっくりしたんだよ」みたいな話になって、
すごく楽しかった。
(ちなみにAersomithは、日記に書いたか忘れたけど、
去年2014年9月にこのL社のDがうちに来たとき、
旅館で朝食事をしながら、
Aerosmithの話になった。
彼もAerosmithが大好きで、全アルバムを持っているという。
で、彼は一時期、Indyにある地元のバンドのマネージャーみたいなものをやっていたんだけど、
その時、エアロスミスの前座を彼らがやる予定だったと。
でもそれは2009年のことで、
ちょうどその夏に、エアロスミスは他の地域を回っている時に、
スティーヴンタイラーが舞台で滑って落ちて、
肩の骨を折るという事故に合い、
そのあとバンドは、数年活動休止をしていた。
なので、運悪く、そのバンドはエアロスミスの前座をやることができなかった、というエピソード。)

そんなわけで、俺がエアロスミスと言ったら、
Dもにやっとしていて、
その話をまたみんなの前でしてくれた。
俺が、「ライブには少なくとも7回は行ったよ」と言ったら、
「Oh, you FOLLOW them」と。「お前、ストーカーだな」と。

そんなわけで、普段は日本にいると、音楽の話をしても、
あまり同年代の人とは話が合わないんですが、
こうしてアメリカのそれこそ50代以上の人と話をすると、
すごく話が合うので、こんな時こそ、
「ああ、こういう音楽を聴いてきて、ここで役立つんだな」と思った。

※ちなみに、話はずれますが、
今回の出張は3/13(金)に日本着にしたのは、
3/14(土)にLenny Kravitzのライブが東京であったから。
このチケットは12月に先々行発売でゲットしたにも関わらず、
なんと、出張に行く二日ほど前に、
急遽、オーストラリアとアジア全公演を含む予定は全て中止になったと。
理由は ”Unforeseen schedule ahead”ということ。
おいおい、元々事前に予定を立てていたのに、
「先のスケジュールが見えずに調整不可の為」という理由はないだろうと、
妻と話していると、
彼女が、「もしかしたら今のイスラム国とか、そういう関係で海外にいくのを控えているんじゃない?」と。
かもしれません。
Lenny Kravitz本人は、自分の副業の映画の撮影などで、
そういうのをライブよりも前に持ってくるわけはないと思うから。

それにしても、今回のライブは、アルバム「STRUT」を引っさげてくるやつだったので、
本当に残念。
今回のアルバムは、個人的にすごく好きだからなあ。
でも、今回代わりに、NYのマディソンスクエアガーデンでBilly Joelのライブを生で見れたから、まあいいや。
チケットも探しまくったら、69ドルで買えたし。
Sold Outだったけど、上手くネットで買えて良かった。
後でこれは別途レビューを書きます。

*****

さて、本題に入りますが、
人生というのは、自分が子供の頃に思っていたよりも、
ずっと短い。
そして、人生の「幸せな瞬間」「一生に一度の瞬間」というのは、
何回も来るわけではなく、
いざ、それを経験している時は、それはあっという間で、
その瞬間を本気でマックス味わって楽しまないと、
後ではもう、そこには戻れないし、やり直しは効かない、ということ。
(結婚式が良い例。あっという間に終わってしまう。)

つまり、俺がこうして、世界を回る、
海外出張をバリバリする、したい、という目標を持って、
いつからかやってきたわけだけれど、
いざ、こうしてある会社に入り、
そこで運良く、希望通りの仕事につけて、
本当に、世界を今は回っているということ。
しかも、最初は興味のなかった医薬品の業界だけど、
その世界も、いざ勉強してみると、奥が深いし、
世界中の当局とか、その国の医療制度とか、
色々な世界が見えてきて、面白いもので。

つまり、俺は今、かつて自分が20代前半から思い描いていた
自分の夢の状態に、いるんだということ。

でも、そのことには、実際に普段は気づかない。
普段は、毎日東京のオフィスで、朝から晩まで、
メールや仕事に追われ、
上司とたまには言い合ったり、先輩と衝突したり、
客先とストレスフルな交渉を行い、不満が溜まったり。
週末は、いつも仕事のストレスに追われて、
金曜日にあったことを、土日は引きずって、妻に迷惑をかけたり。

そんな一週間をいつも送って、
いつも疲れて、
「ああ、俺ってこうして60になるまで、東京まで片道1時間以上かけて、通勤するんだろうか」とふと思うと、ちょっと先が見えなくなって、気が重くなったり。

でも、こうして、数ヶ月に一度海外出張に来ると、
自分が、実はやりたい仕事をしているから、
そのために、普段の東京の仕事があるんだということに、気づいたり。

******

重要なのは、
自分が、常に「どうなりたいか」「どういう人生を送りたいか」ということ。
それを明確にし、
その状態に自分を近づける為に、日々自分が努力をして、
その「目標に向かって少しずつ進んでいる」状態を、自ら感じること。
その状態にさえいれば、俺は満足する。
俺が一番満足する状態は、
「夢を叶えた状態」ではなく、
「夢・目標というものが自分に“今”あり、
その状態に向かって、“今”自分は努力をしている。」
ということがはっきりしていて、それを自分で実感している事だから。
その状態にいないと、俺は一気に人生に対して面白さを感じなくなり、
やる気が生まれてこなくなる。

思えば、2012年3月にこの会社に入社して、
2013年3月から、東京オフィスへ移動し、
そこから今までちょうど二年間、海外を回ってきたわけだけれども、
ある意味、そこで俺のそれまでの人生の「目標」に到達してしまって、
それはつまり、「海外営業で世界中を回る」ことだったから、
その後、じゃあその後どうするか?の部分がわからなかったし、
見えなかった。

今も正直、
「更にこの業界に精通し、完全に一人で(上司なしで)、アメリカ/カナダ/ブラジル等の南米を周り、ビジネスをする」
という目標しかなない。
あとは、
「更に英語力、知識、教養、雑学を増やし、人間的幅を広げる」
「ポルトガル語を話せるようになり、そのあとはスペイン語も似ているから一緒に話せるようになる」
(現に、今回の出張先でも、スペイン語のナレーションとかを聞いていると、かなり似ているので結構分かった。スペイン語の方が絶対簡単なんだけどな)

ということくらい。
それ以外が見えていないから、
正直、今の俺は、
自分に自信がないんだと思う。
本当の意味での自信が。
まあ、今まで人生で、いつ自分に自信があったんだ?と問うてみれば、
「俺は自分に自信がある」と信じ込んでいた、
21歳〜23歳くらいの間だけだった気がするが。

*****

俺は、自分の人生をやはり信じたい。
せっかく生まれたんだから、最大限まで、生き抜きたい。
このブログのタイトルのように、
21歳でこのブログを書き出し、もう10年経つが、
当時からタイトルは変わっていないように、
「己の可能性を最大限まで引き出せ」が俺のモットー。

このタイトルが、正直自分の心に響かない日々を、
最近は送っていた。
「当時の、若かりし頃の勢いだな。」と。

ただ、「俺ももう31歳。
60歳まで、あと30年。
もう、人生なんて、あっという間さ」という考えになって、
30代、
40代、
50代、
を、惰性的に生きるのは、本当につまらないことで。

それは、恐らく、ものすごく酷い生き方だと思うし、
俺はやっぱり、なんだかんだいって、
「目標を常に持ち、そこに向かって毎日何かをしている」という実感を
感じていたいんだと思う。

*****

人はいずれ、この世からいなくなる。
それは、以前は、遠い先のことであり、
あまり意識をしなかったけれど、
やはりそれは、歳をとるごとに、それに対するリアリティさは、
強くなる。

自分の髪の毛の生え際が後退していく。
後頭部が、確実に薄くなっている。
たまに鏡で、後ろを見ると、
ぞっとする。
額も、日に日にベジータ化しており、
正直、鏡を観て、悩む。

禿げたら、剃ればいいじゃないかと他人には言ってきたけれど、
いざ自分がそれになると、やっぱり怖い。
それは、恐らく、「老い」を感じるから。
自分が、もう、若くなっていくことはないことを示されるから。

肌も張りも年々なくなっていく。
筋肉も鍛えないと、落ちていく。

つまり、常に体に気を使っていないと、
確実に毎年カッコ悪くなっていく。
(中身を鍛え、教養を付けて、人間としての魅力がどう顔に出るかと話は別。)

*****

何を言いたいのかわからず、そろそろ疲れてきたが、
とにかく、

 〆の自分の現状は、20代前半に描いた「世界を回る人間になる」という夢/目標を一旦叶えた状態にいるという事。

◆ー,蓮⊃靴燭別棲里別槁犬鮖ち、それに向かって自分が日々打ち込んでいる状態に、持っていくこと。また、その状態にいつも自分を置くように心がけること。
それをしないと、俺は日々生きる活力を無くす、という事。

そして、△量槁犬砲いて、
それが、上に書いた、「仕事力」「教養」「語学力」はあるが、
それよりも大きな何かが、欠けているという事。
だから、今は、毎日が正直、「面白い」と思えていないのだ。

ということ。

*****

今は、自分がどの状態にいるか。
それを客観的に把握するだけでも、必要であった。
そして、今回の出張は、
そういう機会を持つという意味でも、意味があった。

2015/03/13 -16:01 (1hr20min)

追記:
ちなみに、一緒に回っている上司とは、
随分この二年を通して仲良くなった。
最初は気が合わないと俺が思い込んでおり、
中々話も合わなかったが、
今では、向こうも俺に気を許しているのが伝わるし、
なんだか、本当に親父みたいになってきた。
毎回、チーズバーガーもおごってもらえるし。(レストランの13ドル以上するやつ。マックじゃなくて)

それだけでも、十分な進歩じゃないか。
仕事も、この二年間で、だいぶ分かるようになったし。
色々と任されるようになってきたし。
後輩にもビシバシ指導してるし。
あとは、日々の仕事の中で、
上司に楯突かないこと。
「素直さ」を忘れないこと。
傲慢にならないこと。
「俺が俺が」にならないこと。
自分の力を過信しないこと。
自分が今あるのは、上司を含め、周りの「皆さんのおかげです」という事実を忘れないこと。

俺から素直さを無くしたら、
多分、すごく細かくてこだわりが強い、
すっげえ嫌な奴、でしかない。
現に俺は、この1年くらいは、そうなっていた気がする。
昨年、2014年の5月に先輩が辞めてからは。

だから、今は、直属の上司とも、よく衝突するんだろう。
俺が、素直さをなくして、
傲慢になっているから。
それが、顔に出ているから。

Yeah man, I think I’m talking to myself too much. That’s it.


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December 02, 2014

2014/12/2 21:48-

今はインド出張中。昨日の夜にムンバイに着いたので、今日は二日目。
今は、ホテルの部屋の机でタイピング中。
仕事が後少し残っているけど、ちょっと息抜きで日記を書く。

*****

今回でインド出張は3回目。一回目は2013年7月。二回目は2014年2月。そして今回、2014年12月。
今回はムンバイで展示会が行なわれているので、それに参加。俺たちは展示はしていないが、普段各社のオフィスまでわざわざ行っているところを、今回は一箇所にみんな集まってくれているので、そこで一度に会う。

というと聞こえはいいが、インドの交通事情は相変わらずひどい。
砂埃。クラクション。ひどい運転。
今日は、会場を出たあと、歩いていたら急に車が曲がってきて、もう少しで足を引かれるところだった。本当に危なかった。明日から本気で気をつけなければいけない。

*****

インドは9月にエボラ出血熱の陽性患者が6人デリーで出たり、
狂犬病を持った野良犬がその辺を歩いていたり、
水が悪いのでお腹を壊しやすかったり、食事はカレーしかなかったり、
インフラが整っていないので、色々と疲れたりと、まあ、基本は出張をしていて嬉しいこと、楽しいことは殆どありません。
一緒に出張している本部長は、今回で彼は出張は終わり、全て今度は俺に引き継ぐ、と言っていますが、俺は俺で、課長と話し合って、インドは後輩に渡す事にしました。
自分は北米と南米開拓に集中します。むしろ、させて下さい。
今まで、2013年春に営業を持ってから、北米、南米、インドに加えて、
中東もやってきました。
そして、2014年5月からは、台湾、東南アジア、中国、ロシア、南アフリカ等。
僕がここまで頑張るのも、もう限界です。今後は、アメリカ大陸だけに集中させてもらいます。

*****

という事で、今回でインドが最後になるかもしれないけど(もしかしたら次回引継ぎで俺も来る事になるかもしれないけど)、
さっきふと思ったのは、インドのビジネスは、昨年、2013年に初めて来た時は、
もちろん顧客の事も殆どわからないし、製品もわからないし、
一緒に回る部長の声は小さくて何言ってるか全くわからないし、
そんなこんなで、状況を理解するのに時間がかかりましたが、
一年経った今では、かなりラクになったということ。
今日なんか、顧客先を回っても、商談をしても、普通にバンバン話せるし、
逆に、去年は内容も分かってないから全然話せなかったけど、それに、英語を話すことに(話す内容に自信が無いからか)ビビってたけど、
今では、普通にベラベラ喋れる。当たり前だけど。

どこの会社もそんなもんかもしれないけれど、
うちの会社もやっぱり、自分の会社が売っている製品の内容と、
その今までの歴史、関係性、マーケットの様子等、全然まったく教えてくれない。
わかってきた今になると、「なんで最初に、こうなってますみたいに教えてくれれば、もっとスムーズに理解も早かっただろうに、そうしてくれないの?」と思うこともありますが、
きっと会社なんて、そんなもんです。基本、みんな自分のことしか考えてないから。
みんな、いかに自分が仕事をしないか、面倒くさいことをしないかしか考えていないから。
みんな、いかに自分のところに面倒くさい事が回ってこないかを考えている。
もちろんそれは俺も同じ。

話はちょっとずれたけど、
そんなわけで、今回も商談中に、自分が普段担当していない製品や商流、マーケットの話が出てきて、ちょっとわからなかったけど、
後で社内資料なんかを読みくだいて行くと、大体わかってくる。
これは、俺がこの会社で働き出してもう3年経つし、そういう事情とか製品名、顧客名を聴き慣れているってのもあるだろうけど、
やっと今になって、「なんだ。今まで難しいと思っていたことも、大したことねえな」と思えてきた。
基本、なんでも、「難しいなあ」と思うと、難しいけど、
「なんだよ、こんなの簡単だねえ」「シンプルじゃん」「楽勝でしょ」という感じで考えていると、
全てがシンプルに見えて、全部簡単になってくる。

それと、なんでも真面目に、間違えないようになんて考えてやっていると、
結局ストレスが溜まるだけ。
上司なんていうのは、自分が間違えたミスや足りないところを指摘するのが仕事のようなもんだし、
彼らは、そりゃあ長年同じことをずーっとやってるんだから、そりゃあ全て簡単だよな、と思う。
俺も、最初はそれがわからなかったけど、営業二年目の後半の今になって、
やっとその感じがわかった。
つまり、なんでも慣れれば、簡単だということです。
そして、そんなに難しいことじゃない、という事です。

*****

それと、上司というのは、聞かないと答えないし、
こっちは聞いていないのに、自分は既に、自分が知った時点で、周りも同じように知っている、と勝手に理解する傾向があるから(これは誰に対しても言える。恐らく人間全般がそうじゃないだろうか)、基本、わからない事、不明なこと、不可解なこと、疑問、不安等、色々あったら、
ガンガンと正直に聞くことだね。
うるさいと思われても関係ない。だって、部下や後輩が質問したら、それに答えるのが、上司や先輩の存在意義だろう。
まあ、俺には悲しくも、「先輩」というものがいないんですけど。後輩はどんどん増えるのに。
なので、今は、自分もわからないのに、後輩に更に聞かれるから、自分でももっと知らなきゃなと思うし、知らない点が後輩の質問により浮かび上がるので、ある意味チャンスである。
聞かれて知らないことはきちんと調べようとするから、緊張感も生まれるしね。

*****

というわけで、会社なんてのは、みんな自分がいかに楽をするかを考えるクサイおっさんの集まり以外の何物でもないですが、
そんな中で、いかに自分がストレスなく過ごすかは、
「思ったことはきちんと言うこと」「全て簡単と考えて、シンプルに考えること」それにつきます。
それと、他人の評価や言葉は気にしないこと。みんな、自分が何を言ったかなんて、または、自分が発している言葉がなんだったかなんて、発した次の瞬間に忘れています。

世の中のおっさんなんて、そんなものです。

*****

以上、冬なのに、日中の最高気温が34度で暑すぎるインドより。

2014/12/02 22:10




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August 11, 2014

2014/8/11 19:46-(トルコ時間)

今はトルコ航空にて、イスタンブールから成田までの飛行機の中。
17時過ぎにフライトは始まった。

*****

今回の二週間の出張は、本当に楽しかった。
初めて、一人で回れた、というのもあっただろうし(自由だった)、
それになんと言っても、
アメリカ、カリフォルニアに行けたのが大きかったと思う。
実に、6年ぶりのカリフォルニア訪問だった。
2008年4月末に去ってから、6年と3ヶ月ぶりくらいだった。

色んな人に会えて、本当に幸せだったなあ。
俺は本当に、人に恵まれているなあ、と思った。

もしくは、親切な人とたまたま運良く会えて、
その人たちが、みんな親切にしてくれたのかもしれない。

どちらにしても、本当にありがたいことだなあ、と思った。

本当に。

*****

北カリフォルニアでは、
ロイの家族(ロイ、ジーン、ランディ)、
リエンの家族(リエン、ザック。メーガンは仕事があって会えなかった)
サンディの家族(サンディ、ハナ、マイカ。そして子供たちのお父さんもちらっと見かけた。ゲイヴやルーカスは遠くにいるので会えなかった)

サンフランシスコでは、デイビッド、

そしてロングビーチでは、
さやかさん、スティーブ、
リーの家族(リー、ジェニファー、二人の息子のイーサン(初めて会った)、リーの両親)

みんなに会えた。

本当に、みんな良くしてくれて、
笑顔で迎えてくれて、
本当に嬉しかったなあ。


今は、エアロスミスの『Nine Lives』を聴いているんだけど、
このアルバムは、2002年〜2003年のCOS時代に、
ドームのスタディルームでよく聴いて勉強してたから、
当時の事をよく思い出す。


俺は、やっぱり、18歳で日本を離れて、
あの土地をたまたま選び、
あそこで、1年だけ過ごしたわけだけれど、

その1年間では、当時は、それが当たり前かと思っていたけど、
後から考えると、本当に素晴らしい人たちに恵まれて、
彼らに親切にしてもらって、
人の温かさを知って、
「自分のままでいいこと」を気づかされた1年だった。

そのあとは、サンノゼ等のベイエリアでの2年や、
ロングビーチの南カリフォルニアでの3年など、
色々な経験をしてきたけど、
やっぱり、俺のアメリカ留学のベースは、
あそこになっているんだなあと、そう感じた。

*****

この感覚。
当時聴いていた音楽を聴き、
当時のことを、感覚で思い出し、
当時の色々な情景が頭の中に浮かび上がり、
それを、有難い、幸せだと思うこと。

こういう感覚は、たくさんありそうで、
実は、普段の生活ではあまりなかったりする。

それは、ストレスの多い日々に追われるからか、
仕事に毎日追われるからか、
通勤電車のストレスに心がやられるからか、
それは知らないけれど、
でも、
いままで、まるで遠くのもので、遥か昔の、本当は夢だったのかと思うような記憶が、
実際、6年ぶりに本当になって、
それは本当に、嬉しいことだった。

*****

人生って、素晴らしいものだなあ、と思った。

*****

ちなみに、ブラジルでは、前職で一緒だったOさんと2年半ぶりに再会し、
これまた、色々と面倒を見ていただいた。

行きつけのレストランに連れて行って頂いて、
本場のカイピリーニャを教えてもらった。

ブラジルの現地のことも色々と教えてもらって、
色々な話を聞かせてくれて、楽しませてもらって、
本当に有難いなと思った。

*****

トルコはそんなわけで、今回は二泊したけど、
ある意味、出張中に本当に初めて一人になったようなもので、
昨日と今日は二日とも、一人で数時間ずつ外に出て観光をしたけれど、
やっぱりそれは、あまり楽しくなかった。

やっぱり、何事も、
何処へ行くのも、
誰かと行って、その人とその場を共有して、
そこで、感情を共有できるから、楽しいのであって、
一人では、誰とも、その場の感情をシェアできないから、
はっきり言ってつまらない。

******

俺は普段、妻という、人生の最高の伴侶がいる。

今回サンフランシスコで会ったデイヴィッドに、
「M(妻)とはどう?」と聞かれて、(彼の家には、2007年の夏に一度妻と一緒に泊めてもらったので、彼と妻は面識がある)
「凄くいいよ。妻は俺の一番の人生のベストフレンドであり、伴侶であり、
何でも相談できて、何でもシェアできる仲なんだ」と言ったら、
そりゃあ、それは一番いいよね、最高の関係だよね。と羨ましそうに言っていた。

デイビッドは、今回会ってみて初めて知ったけど、
子供の頃、親に虐待をされたりと、色々と複雑な環境だったらしい。
だから、今でも、インセキュアというか、
やっぱり、愛情を求めて、それでも、純粋すぎるが故に、中では傷ついたり、
そんな感じで、自分の心を癒すことを、この6年間、アートを通して、
ずっとしてきたようだった。
そうは俺には言わなかったけれど、
彼が、パートナーと一時期交換日記のようにシェアしたという日記帳を、
凄く個人的なところまで見せてくれて、そこに書いてある文章を読んだら、
結構そういう内容が多かった。

(そういう意味で、彼は、俺にそれらを見せてくれて、すごくありがたかったと思う)

そんなデイビッドは、この数年間で、
色々な女性と付き合ってきたみたいだけれど、
どうも、彼と本当に会う人とは、
彼を包み込むことができる女性とは、まだ会っていないんじゃないかと、
そんな気がした。

*****

話が逸れてしまったが、
そんなわけで、俺は、そんな女性を妻として迎えられて、
恵まれていると思う。

******

日本に帰ったら、また日常が始まるけれど、
こうして、定期的に海外を回れる環境に今はいること。

いつまでこれが続くか分からないけれど、
少なくとも今は、俺はこれを楽しめているし、
とても恵まれていると、心から思う。

だから、この機会に感謝して、
このチャンスをくれた神様に感謝をして、
周りの人に感謝をして、
感謝の気持ちを忘れず、
自分自身をしっかり磨いて、
確実に、上へ登って行きたいと思う。

*****

今回の出張で、また、前の自分よりは一皮むけた気がする。

少しだけれど。

2014/8/11 20:29

じゃ、眠いのでもう寝ます。




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August 09, 2014

2014/8/9 15:12(ブラジル時間) 21:12(トルコ時間)

あと数分で飛行機はイスタンブールに着きます。
トルコは、一度行ってみたいと、COS時代にアートクラスで仲良くなったLauraから話を聞いてからずっと思っていたけど、それから11年、
やっと、トルコへ足を踏み入れます。

会社のお金でビジネスクラスに乗せてもらって、
トルコ航空の良いビジネスクラスに乗って(機内はかなり広いし、ANAよりも良いかも。まあ、ANAに勝るサービスはないですが)、
こうして世界中に行けて、
本当に、恵まれていると思います。
感謝の限りです。

日本にいると、毎日朝から晩まで次から次へと仕事が降ってきて、
しかも、この出張中も前回と同様台湾やインド、ヨルダン等の中東や、
アメリカ、カナダからもガンガンメールが入ってくるもんで、
もう、ホテルで毎日メールと何時間も格闘しながら、
何回も発狂していますが、

それでも、これだけの見返りを受けているから、やっぱり頑張ろうと思う。
自分の力だけで、いきなりビジネスクラスで世界中を回るのは許されないし、できないからね。

とにかく今は、与えられたミッション(北米、インド、台湾、中東、南アフリカ等の既存顧客対応に加えて、南米と北米の新規開拓)をガンガンやって、結果を残し、
社内で認められて、もっと責任と同時に自由を勝ち取ることですな。

*****

落合信彦の小説に影響されまくった中学時代。
それから15年ほど。
こうして、世界中を回れる状態になれて、ありがたいと思う。
でも同時に、こういうステータス(周りから見ると、かっこいいな、良いなと思われる状態)にいる自分に一番酔いしれていて、
しかし、その酔いも去年一年目で覚め、今は、そこから新しいやる気、モチベーションを見つけているところ。

それは、本当の力を持つ国際ビジネスマンになること。
世界中どこの会社、誰が相手でも、入り込んで行き、話を引き出し。
ビジネスチャンスを生み、「あいつはぜひ欲しい」と他の会社から思われる状態に一刻も早くなることだと思う。

俺が本当にビジネスを好きかどうかは知らないが、
少なくとも、こうして新しいところに行き、自分で開拓をしていくのは、楽しいと思う。
また、やっぱり、色々な世界のことを知るのは、面白い、
世界の広さを感じられるから。

*****

今回はブラジルで、前職が同じだった先輩(現在は、俺が一社目に入社したHグループで働いている)と、彼の上司2名にお世話になった。

では着くのでまた後で。

15:21



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August 05, 2014

2014/8/5 8:15am-

今はサンパウロに向かう飛行機の中。
あと1時間弱で着く。

*****

日曜日の夜は、夜の8:46発の飛行機で、レディングからSFOへ飛んだ。
サンディとハナに見送ってもらいながら。

レディングを去る時、すごく寂しかった。
色々と感慨深かった。
今日のこの一日で、ロイの家族と、リエンの家族と、サンディの家族の3家族に一度に会ったんだなあ、と。
一年しかいなかったこのSiskiyou Countyで、俺はすごく人に恵まれた生活をしたんだなあ、と。

*****

飛行機は1時間ほど飛んで、
10時過ぎにSFOへ到着。
荷物をピックアップして、
そこから、デイヴィッドの住むサンフランシスコの街中へ向かった。

事前にメールで、どうやっていくかを教えてもらっていた。
タクシーで行けば多分30分もかからなかったんだけど、
結構距離がありそうだったので、
パブリックトランスポーテーションを使った。

エアポートシャトルと、電車と、地下鉄及び路面電車に乗った。
路面電車に乗る時は、どれに乗ればいいかわからなかったけど、
同じく待っていた女の子の一人に聞いたら、すごく親切に教えてくれた。
こういうのを体験すると、やっぱりアメリカ人って親切だなあと思う。

結局、10時半過ぎに空港を出て、
デイヴィッドの住む最寄り駅を降りたのは、12時半すぎだった。
途中、「こりゃあ、ちょっと失敗したな」と思ったけど、
でも、無事に彼に会ったら、その思いも吹っ飛びました。

久々に会う彼は、とても元気そうだった。
フェイスブックで見る彼は、たまに髪を伸ばしたり、なんだか随分変わってしまった感じがしていたけど、
実際に会うと、余り変わってなかった。
彼からは、「I see youth in your face」と。
若く見えたらしい。
ちなみに今回は、会う人みんなに、
元気そうだねと言われてよかった。
とても30歳には見えないわよと。
「まあ、アジア人は実年齢より若く見えるんだよ」というと、みんな「いいなあ」と言っていた。笑

デイビッドは、路面電車(MUNI)を降りて、
Judahと46th streetの7-11のコンビニがあるところから、
少しだけ歩いたところのArt Studioの上に住んでいた。

中に入ると、NYを旅していた頃に、
泊めてもらったサムのルームメイトたちの家を思いだした。
つまり、汚いということ。
俺の嫌いな虫が出るんじゃないかと心配したが、大丈夫だった。

彼の部屋に通されると、ガールフレンドがベッドで寝ているのに気づいた。
あれ?と。まさか一緒に住んでいるとは思わなかったから、
邪魔しちゃった?と聞くと、いや、彼女は今日たまたま泊まりに来ていて、
元々シュンが来るのは話していたから大丈夫だよと。

その後、彼女はすぐに寝てたけど、
俺とデイビッドは、1時過ぎから、3時過ぎまで、
2時間ほど話をした。

主に、彼のこの6年間でのアートワークを見せてもらった。

彼は、俺がDe Anzaを2005年の夏に卒業して、ロングビーチに移ったあとも、
しばらくの間はDe Anzaに通っていた。
その後、CSU Monterey Bayに移り、
そこでアートのクラスを取っていたそうな。

彼の部屋には、一面にかかるペインティングや、
壁一面に描かれた砂漠の絵。
全て、彼がやったそうな。
素晴らしかった。

ほかにも、Life Drawingのクラスでやったスケッチや、
(俺もこのクラスは、COSとDe Anzaの両方で取った)
彼が授業中や、仕事の合間、
または、かつてのガールフレンドとお互いにしていた交換日記のアートバージョン(お互いにダイアリーの一枚や二枚を使って、
絵を書いたり、詩を書いたり、していく)
を見せてくれたりした。
すごくパーソナルなものだったけど、
“I want to share it with you”と、色々と見せてくれた。

*****

今回彼と会って最初に思ったのは、
随分とアートの世界に行ってしまったな、というか、
ヒッピーというか、完全に感覚の世界に住んでいるな、という感じだった。
なので、De Anza時代の彼とはちょっと違って見えて、
少し、違う人の様な気がした。

でも、話をするうちに、色々、お互いの価値観とか、
人生に対する考えや、
そういったものを、深いところまで話ができて、
彼と話すことは、すごくInspiringで、毎回、色々と、
自分の中のDeep withinのことを気付かされること。
それをまた感じた。
ある意味、彼と話すことは、一種のメディテーションでもある。

*****

彼は今、自分のアートの才能を、引き出そうとしている。
人物(Figure)を描くのが、今までは怖かったらしいけど、
今は、Life Drawingをやって、随分と変わったそうな。
Confidentになってきたって。

他にも、ダンスにはまっているらしく、
ハウスミュージックに合わせて踊ることを追求しているとか。

先日も電車を待ちながら、
音楽に身を任せて、踊っていたと。

そんな彼の話を聞いていて、
「大体、俺の6年間はこんな感じかな。
アートの世界を追求してきたよ。How about you?」と。
そこで俺は、考えたけど、
俺の場合は、結婚をしたり、人生に変化はいくつかあったけど、
自分自身という意味では、
とにかく、仕事に一生懸命になってきた6年間だったかな、と。
ある意味、仕事しかしてこなかったようなもので、
まあ、それが日本人としては普通なんだろうけど、
余りにも彼と、追求してきた道が違ったので、
うまく、最初は話せなかった。

でも、彼は、人の目をじっくりと見て、
透き通った目で、じっくり話を聞いてくれるので、
ある意味、嘘が付けなくなる。

俺は。自分は日本にすぐに帰国した2008年夏は、
最初は世界一周の旅に出ようと思っていて、日本で定職に着く予定はなくて、
でも、両親の意見と反発して、
まずはとりあえず、「正社員」になる、という名目で、2008年の夏のジョブフェアで面接を受け出して、
そのまま、自分の気持ち的には整理ができていないまま、
2008年9月から働き出して、
そのまま、その仕事に馴染めず、
5ヶ月で辞めて、
そのまま、インターバルなくして、
2009年2月から、次の仕事について、
そこで2011年10月一杯まで、約3年働き、
そのまま転職をして、
2012年3月から、今の会社に移ったこと。

今は、「海外を回る」という自分の、ある意味唯一の夢を叶えて、
よって、今の自分の仕事には満足をしているけれど、
俺のどこかには、アートの世界を追求したい、という欲もやはりどこかにあり、
よって、そうやってアートの世界を追求している彼のような人間に会うと、
どこか、羨ましく感じること。

そんなことを話した。

すると彼も、実は自分も、
こうしてアートの世界を追求しているけれど、
実際は、お金もほとんど入らないし、
自分のルームメイトは、ITエンジニアで、
毎年800万、更に少しプロジェクトをすれば、追加で200万、
年に1000万近くすぐに稼げてしまって、
そんな彼の収入と自分のそれを比べると、俺のこの小さな稼ぎで、
金銭的自由もほぼない状態で、こうしてアートの追求をしていることは、
正しいことなんだろうかと、
そう、自信がなくなることがよくあると。

Unsecureになると。

そんな彼は、よく、Asking for a sign,
啓示を求めるそうな。

先日もそんなわけで、駅で電車を待っているとき、
ダンスをしながら、
「何か、自分の人生を導いてくれるサインがほしい」と祈っていたら、
それから30秒以内に、
隣にいた女性が話しかけてきて、
「あなたダンスするの?」
「うん、まあね」
「I can tell you are really into it, and I like it. 私以前はダンスのインストラクターをしていたのよ。そのまま頑張ってね」と声をかけてくれたそうな。

ある意味それは、自分がそれを求めたすぐ後に、
見ず知らずの人が、そうやって声をかけてくれて、すごくびっくりしたと。


そんな風に、やっぱり、自分自身の道を追求したい、と思う反面、
世間一般がいう、「定職に付き、お金を稼ぎ、結婚して、子供を持ち・・」という意見に逆らっていることを、不安に思うことも多い、と。

*****

人生には、正解、不正解はないと思う。

その自分が住む文化での、「こうするべき」という考えはある。
でも、それに反対して進むとき、人は、不安になる。
なぜなら、マジョリティーではないから。

そして同時に、やはりお金というのは、
絶対的に必要になってくる。生きる上で。

なので、お金を稼ぐか。
稼ぐには、自分の嫌いな仕事を耐えてやるか。
自分の好きなことを仕事にするには、それで満足できるお金を稼ぐには、どうしたら良いのか。
そんなことに、人は悩む。

*****

別れ際彼が俺に言った。
「You can always start drawing. When you are waiting for your airplane, trains.」
絵を描くのに、別に、どこか決まった場所にいる必要なないよ、と。
飛行機待ちのときでも、いつでも、
スケッチブック一つさえあれば、できるよ。と。
そうだな、俺も、この6年間は絵を一回も描かなかったけど、
ちょっとやってみようかな、と。

それは、ハナにも、サンディにも、
みんな、俺の絵を見ていた人たちには、みんなに言われた。
せっかく絵が上手なのに、それをやらないのはもったいないよと。

*****

その夜は、他には、彼と一緒にかつてDe Anzaで遊んだこと、
一緒に彼がロングビーチに来て、
Huntington Beachでサーフィンをやって、彼がほぼピアのポールにぶつかりそうになって、
死ぬかと思って、”Oh no! Shun!!”みたいになっていたこと。
その時の彼の顔がマジで恐怖に満ち溢れていて、
でも、後で海から上がったあとに、それを思い返して、爆笑したこと。

デイヴィッドが、
「そういえば、俺もこの前、
友達と一緒に海に行ったら、
気づかぬ間に、急に下に足がつかないところまで来ちゃっててさ」と。

最初はその友達と二人で、あはははなんて言いながら
下を蹴って、何度もジャンプをしてはしゃいでいたらしい。

でも、気づくと急に足がつかないところに来て、
え?と思って後ろを振り返ると、
思ったより流されていて、
「こりゃやばくないか?」と二人で顔を見合わせて、
一気に浅瀬に向かってパドルしだしたと。

しかし、そこでデイヴィッドが俺に、
「You know “INSANITY” training, right?」と。
つまり、デイヴィッドの友達は、INSANITYプログラムっていうアメリカのビデオトレーニングPGMがあるんだけど(俺はたまたま前回の出張でプエルトリコに行った時にテレビでやっていて見入っていたので知っていた)、
それをその友達はやっていたので、めちゃくちゃIn Shapeで、
一気に浅瀬に向かって泳ぎ出して、あっという間に見えなくなってしまったと。
自分を置いて。

なのに自分は、ワークアウトをその頃全然していなくて、
筋肉も落ちきっていて、
全然こげなかったと。

それで、波に飲まれるは、
一向に浅瀬に近づくばかりか、むしろ遠ざかってばかりいて、
その時命の危険を感じたと。

波を避けるために、何回の周期で大きい波が来るか数えたけど、
3回で来る時もあれば5回の時もあるし、
全部不定期で、それもうまくいかず。

結局、そこで彼は、
あるだけの知識を振り絞って、
「川の中に入ったら、川の流れに身を任せろ」という言葉を思いついたらしい。
で、そのまま体の力を抜いたら、

さらに流されて、ますます死にそうになったと。笑
(その時のデイヴィッドの話し方が面白すぎた)

で、最後、「本当に俺はこれで人生終わりかも」と思って諦めかけていたら、
向こうの方から、ライフセーバーがサーフボードに乗ってパドルをして近づいてきたと。

「Hey! You alright?」と。
で彼は、「NO!!! I’m not alight!」と、
必死に訴えたそうな。
で、そのライフセーバーのボードに必死に捕まって、
何とか砂浜まで戻ってこられて、
そのまま、砂浜に倒れ込んだと。
で、そのまま、海に入る前に食べたばかりだったデルタコを全部吐き出したと。

で、もう顔を上げる気力もなくて、
その時視界に何とか入ったライフセーバーの足首を見るなり、
それをガッと掴んで、
「Hey man!! You saved me! You, save me, man! Thank you! THANK YOU!!!」と何回も必死に叫んだそうな。ぜえぜえ言いながら。

ライフセーバーは、「It’s alright man.」と言いながら去って言ったそうな。
(結局その彼の顔は一度も見れなかったらしい)

そこで俺が、「ところでデイヴィッドの友達はどうしたの?結局彼はデイヴィッドのことを置いて先に行っちゃったの?」と聞くと、
「うん、そいつは一人で浅瀬に上がって、俺のことは知りもしないで、
俺がライフセーバーに助けられてしばらくしてからフラフラになってそいつのところへ行ったら、“おい、どこにいってたんだよ?”ってさ」と。

とにかく、そのデイヴィッドの話し方がすごく面白かった。

彼は昔からそうだけど、素晴らしいストーリーテラーというか、
その時の様子を表情を交えて色々と話すので、
本当に面白い。
久しぶりにそんな楽しい経験ができてよかった。

*****

結局その日は3時過ぎに二人ともPassed outして、
翌朝俺は本当は8時半に起きて支度をして、9時半には出て
また列車とかで帰ろうと思っていたんだけど、
全然起きれなくて、気づいたら10時前で、
こりゃあやべえなと思っていたら、
デイヴィッドの彼女のシンディが、「私の小さな車でよければ送ってあげるわよ」と言ってくれて、ありがたくもそのまま空港まで送ってくれた。
トヨタの赤いコンバーチブルに、俺のスーツケースを後ろに載せてくれて、
その横にはデイヴィッドが小さくなって入って、
俺を助手席に乗せてくれて。

行きの車の中で、シンディの話も聞いた。
彼女とデイヴィッドは今、同じデイケアセンターで働いていて、
そこで知り合ったのは2年前くらいになるんだけど、
最近ここ数ヶ月前に付き合いだしたらしい。

子供も色々な子がいて、
中には病気の子もいるんだけど、
色んな子と接しながら。自分も色々と教わるよと。

ちなみに、デイヴィッドとは、サンノゼを俺が出たあとも、
よくこうして、俺が運転する車で一緒にロングビーチに行ったり、
ロングビーチからサンディエゴまで行ったりと、
色々とその車の中で話を良くしたなあ、と。
LAのゲティミュージアムにも彼と一緒に行ったな。
いろいろ話したのを覚えている。

*****

そんなわけで、また人に助けられながら、
空港まで時間通りに着き、
二人にガソリン代と称してお礼を渡して、
そのまま、また近いうちに会おうぜと言ってさよならをした。

*****

そうやって、また色々な人に助けられて(はっきり言って俺がみんなに甘えているだけかもしれないけど)、本当に感謝だなあ、としみじみと感じた。

*****

その後、SFOから4時間ほど飛行機に乗って、テキサスのヒューストンにつき、
そのまま1時間ちょっとだけ待って、すぐに乗り換えて、
また10時間以上飛んで、やっと着いたのが。ブラジルのサンパウロでした。
時間は朝の9時すぎでした。
サンパウロの空港は、なんだか随分と簡易なつくりで(グアルーリョス空港)、
でも、入国審査のお姉ちゃんなんかはとてもフレンドリーで、
お堅い日本とも違うし、無愛想なアメリカとも全然違うなあと思った。

ヨーロッパの諸国のように、適当なところもあるが、
でも、もっとフレンドリー。

そんなわけで、その日は朝に着き、
そのままほぼ休まず、フェアの一日目に行ったのでした。

*****

続く。


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August 04, 2014

2014/8/4 17:07-

今回、この数日間で、LA、Siskiyou County, Bay Areaの3ヶ所を訪れて思ったことは、

俺は、6年間で、意外と、ずいぶんといろんな経験をしていたんだなあ、ということ。

今回、たったの数日間で、LA, Long Beachの南カリフォルニアの生活と、
Siskiyou Countyの北カリフォルニアと、
San Francisco, San Joseのベイエリアの人々に会った。

3箇所とも、みんな生活スタイルは違った。

Long Beachでは、南カリフォルニア特有で、
移動には405を使って、都会の生活だったし、

Siskiyou Countyでは、ロイの家も、リエンの家も、サンディの家も、
みんな、時間がゆっくり流れていた。
大自然の中で。

ベイエリアでは、久々に会うDavidは完全にヒッピーの生活で、
アートの世界に自らをどっぷり漬けていた。

そして、それぞれの土地に行くたびに、
そこで起きたいろいろなことを思い出した。

それらの土地で会った色々な人たち。

6年間の留学生活で、本当に色んな人にあったと思う。

この日本での6年間は、ある意味、日本で、3つの会社で毎日みっちり働いて、
住む場所が大きく変わるわけでもなかったし(実際は大きく分けて3箇所に住んだけど)、
「日本」という文化は変わらなかった。

でも、学生生活の6年間は、同じ州でも、カリフォルニアという大きな州を、
北から南まで縦断して、
それぞれの場所で、色々な、本当に様々な体験をしてきたんだな、と。

白人だけの世界。
大自然の中での生活。
ベイエリアでの、中国人や台湾人などのアジア人も少々混ざった世界。
南カリフォルニアでの、ほぼ全ての国の文化が混ざった世界。

町を歩けば、知っている人に必ず会うようなど田舎から、
ミドルサイズの街、
そして、大都会まで。

すでにアメリカから離れて、忘れていた、それらの記憶が、
それぞれの場所に行くたびに蘇り、
それはまるで、本当はこれくらいと思っていたものが、
実は、ものすごく濃かった。
それを、すっかり忘れていた。

そんな感覚だった。

*****

日本で大学生活を過ごした人は、
その自分の思い出の土地や場所へ、すぐに行けるので、
そこまで、大学時代の思い出を、遥か昔の、いつかの、遠い土地の思い出、
という風には感じないのかもしれない。

でも俺や妻の場合は、
それぞれ、カリフォルニアのそれこそど田舎から大都会まで経験したので、
そして、それらの場所は、
今では太平洋を超えないと行けない土地にあるので、
その頃の友達にもなかなか会えないし、
それこそ、本当に、普段は妻としか、
お互いの経験をシェアをして話せる人がいない。

そして俺の場合は、妻と一緒に過ごしていない、北カリフォルニアとベイエリアに関しては、
当時を一緒に過ごした人は、周りには誰もいないので、
また、今回会った北カリフォルニアやベイエリアの友達は、
俺以外に、同じようにシェアした日本人はほぼ誰もいないので、
こうして自分が会いに行かないと、
本当に、彼らは存在したのかもわからなくなってしまう。

なので、そんな意味でも、
今回のVisitは、本当に意味のあるものだった。


本当に。

*****

全てを含めて、
感謝、です。
全ての人に、
こうして、今回来れた事に。
今の会社に。
妻に。
自分の人生に。
両親に。
神様に。

全てに、感謝、です。

2014/8/4 17:20


shunsukesekine at 17:00コメント(0)トラックバック(0) 

ロイの運転する車で、1時前にMt. ShastaのBlack Bear Dinerに着いて、
そこで、Fort Jonesから来るZakとLeannを待った。

ザックはもう20歳。
俺が最初に彼に会った2003年は、彼はまだ9歳だった。
そして、当時13歳だったMeganは、今は25歳になった。
(今回はMeganは仕事で来られなかった。
ここ数日、Siskiyou Countyを含め西海岸の多くが、連日の日照りと稲妻による火事で、いたるところで消防車が走っている。
常に灰が振り続けていて、車のボンネットには灰が積もる始末。
外にいると、口の中が炭の味がして、服も、BBQをしてるわけじゃないのに、煙臭かった。)

*****

Leannは、今何歳か知らないけど、相変わらず元気そうだった。

Zakは、見違える程大きくなった。
前回会ったのは6年前、14歳の頃だったけど、
当時も既に俺より少し大きかったけど、
今では、あっという間に大人になってしまった。
アバクロのモデルとしても通用するくらいかっこいいと思う。

*****

当時は殆ど話をしなかったザックが、
今ではかなりおしゃべりになった。

今はCOSの2年目で、
このあとは、Sac Stateに編入を考えているらしい。

高校時代は、サッカーに夢中になったり、
高校から一人しか選ばれないプロジェクトに選ばれたり
(サクラメントに行って、郡や州の知事になってその町を回す、という体験プロジェクトをやったそうな。彼のオーディションの日は、そのことを知らされてなくて、電話に残されたメッセージも聞かず、ただ私服で高校に行ったら、
「はい、これから試験です」と言われて、急いで音楽室にあったドラマーの服に着替えて、そのまま試験を受けたそうな。
急いで自分の私服をそこで脱いで、更衣室で服を着替えていたので、
その様子を外から見た音楽担当の教師が、
奥の更衣室でいけないことをしていると勘違いして、ドアを開けたら、
そこで裸で必死に着替えているザックがいて、
そのことを、後でリエンに謝ったそうな。
「私はそういうことだと思って開けたんですけど、実際はそうじゃなくて、
別に私はお宅の息子さんの裸を見ようとしたのではないですよ」と。

その試験は口頭試験だったんだけど、
その内容をザックは事前に良く調べていたので、
結局、テストに受かったらしい。
他の高校から来る生徒は、みんなGPAが5.8 (out of 4.0. どういうこと?と聞いたら、普通の授業以外に大学のクラスも飛び級でとっていると、そうなるらしい。)だったとか。
で、みんな生徒会長とかで、
そんな中で、ザックはみんなに、「で、お前は生徒会長?」「違うよ。サッカーチームにいるだけ」「じゃあサッカーチームのキャプテン?」「いや、ただのディフェンダーだけど」「へえ・・・」てな感じで、みんな超優秀なおぼっちゃまだったけど、自分だけただナチュラルに勉強と運動をしてきた人間だったそうな。

やっぱり、あの環境で、常に自然や動物とふれあいながら、
タフな環境で育ってきたから、本当にスマートで愛情にあふれた素晴らしい人間に育ったんだと思う。ザックも、メーガンも。

*****

1時から3時までKFCで話をしたあと、
Reddingから車で迎えに来てくれる予定のHannahに連絡をして、
彼女がBlack Bear Dinerに着いたというのでそっちへ向かった

入口に入ると、中にハナがいた。
すごく大きくなっていた。
前回会ったのは、2008年、彼女が12歳のとき。

いまでは、18歳になった。
丁度、俺がアメリカに来て、彼らに会った時の年齢。

大きくなったハナを見て、すごく不思議な感じがした。

*****

ザックとリエンは、このあと映画を見に行くということだった。
隣にあるシアターで。
Guardian of the galaxyを見るということで、
聞くと、ブラッドリー・クーパーは、なんとリエンの姪の友達らしい。
「本当に?彼、今ではすごく有名じゃないっすか」というと、
「そうみたいね、でも私は彼の映画を見たことないし、どんな人かも知らないのよ」と。
(ちなみに今回彼は、変な狐の声だけやっています。笑)

ちなみにリエンは生まれはイギリス。
2008年の夏、イギリスにみんなで、リエンの家族を訪ねに行った際に、
色々とビザの問題で大変だったそうな。
イギリス生まれなのに、市民ではない。なんちゃらかんちゃら、、、と。

*****

ちなみに、今回不思議だったのは、
まずは、俺を送ってくれたロイが、リエンとザックに会って、話をして、
そのあとは、リエンとザックが、ハナに会ってそれぞれ自己紹介をしていたこと。
俺にとっては、ロイの家族も、リエンの家族も、サンディ(ハナ)の家族も、
みんな2002年から親しくしてもらってきた家族だから、
逆にそれぞれの家族はお互いを知らなかったというのは、
変な感じであり、それぞれが”Hi, I’m Zak” “Hi, I’m Hannah, nice to meet you”とやっているのは不思議だった。

*****

また、もう一つびっくりしたのは、
丁度ハナとリエン、ザックが自己紹介をしているときに、
同じく隣の映画館に映画をたまたま見に来た、ハナのお父さんが車で通りかかったこと。

彼はずいぶんと俺に良くしてくれてたので、びっくりしたけど、
向こうは急いでいたらしくて、ちょっとリエンに俺が引き止められている間に行ってしまった。でも、少しでも遭遇できただけで嬉しかった。

*****

その後、ハナと再び久しぶりだねと言葉を交わす。
本当に大きくなって、しかも、綺麗になったなあと思った。
お母さんと同じで、金髪と綺麗な瞳の色をしていた。
ちなみに、ザックも青の綺麗な目をしていたな。

ハナとRey’s(スーパーマーケット)に入って、
ジュースを買った。

その後、ハナの車で、Mt. ShastaからReddingへ向かった。

*****

本当は1時間ちょっとで着く道のりなんだけど、
初めての渋滞に遭遇して、
結局、3時半前に出て、ハナの家に着いたのは6時前だった。
俺が空港に行かなきゃいけないのが7時半だったので、
本当は4時過ぎから3時間半くらいいられる予定だったけど、
1時間半ほどしかいられなかった。
でも、その代わりレディング空港にハナとサンディが見送りに来てくれたあと、
レディング空港の人たちはいい人たちばかりで、
「友達がいるならギリギリまで会ってていいわよ」と、実際の時間より更に30分くらい一緒にいさせてくれた。

*****

ハナたちは、俺が彼らにあった頃から、家を2回変えた。
今は、3つ目の家で、Reddingの静かな住宅地にあった。

ドアを開けると、まずは、大きくなったマイカが目に入った。
そして、サンディ。

サンディは殆ど変わってなかった。
“You haven’t changed at all”というと、”Really?”とすごく嬉しそうにしていた。

マイカは、これはもう、めちゃくちゃでかくなっていた。
自ら、”I’m giant, right?”と言っていた。

マイカは、俺が会ったのは彼が8歳の時だったけど、
当時は兄弟の中でも一番小さくて、サンディが良く心配していた。
とてもシャイな子で、「あの子は大きくなるかしら。みんなと仲良くやっていけるかしら」と。
すごく小さかったマイカ。

そんなマイカが、今ではもう、ものすごく大きくなってしまった。

今は、プロとして、ビデオの編集をしたり、
カメラマンとして、自然を写して編集したりしているそうな。
実際の作品を見せてもらったけど、ものすごかった。
しかも、日本の太鼓を演奏する日本人3人のミュージックビデオもやったりしているんだって。
日本では結構有名とか言ってたから、後で調べてみよう。

*****

簡単にみんなと話をして、
サンディが作ってくれた串焼き(チキン、野菜)と、茹でトウモロコシ、
サラダを食べた。
デザートは、「少しでいいよ」と言ったけど、ハナがめちゃくちゃよそってくれたアイスクリームとクッキー。

お腹いっぱいになったところで、もう行く時間。
最後に、マイカと少し話をして、
彼のプロの仕事用カメラで、写真を撮ってもらった。

マイカにさよならを言って、ハナとサンディに空港まで送ってもらった。

*****

ちなみに、家を出る間際、
ハナが、「これ、シュンにもらったものよ」と。
見ると、まりのキーホルダー。
それを見てなんとなく思い出したけど、
いつか、確か俺のお母さんか、おやじか、おばあちゃんが用意してくれたキーホルダーだった気がする。
それを、まだ大事に、綺麗に取って持っておいてくれた。
嬉しかった。

ザックも、「まだ、シュンにもらったCSLUBのキャップと、トレーナー、
それと、ドラゴンボールZのフィギュアも持ってるよ」と。
ドラゴンボールのフィギュアなんて、俺がたまたま日本で買ったのを持ってきてて、
200円くらいのしかもラディッツのやつだったと思うから、
「え!あれまだ持ってるの!?」とびっくりした。

メーガンも、妻がメーガンにと譲ってくれた着物をまだ大事に持ってくれているらしく、
そういうのを聞くと、本当に嬉しい。

子供たちは、彼らがまだ幼稚園や小学生のころから俺は知っているけど、
今では、みんな二十歳以上かそれくらいになってしまって、
みんな、見違える程大きく、大人になってしまった。

俺からすると、6年もの間、彼らから離れていて、
彼らは小さかった子供から、一気に大人になってしまって、
見た目が変わってしまった彼らに会うことは、正直少し怖くもあった。

俺は、彼らからもう忘れられていないかと。
もう、彼らの記憶からなくなってしまっていないかど。

でも、今回みんなに会ってみて、
みんな俺のことを覚えていてくれて、
「もう俺のことを覚えてないかと思ってたよ」というと、
“No way! You were the big part of our lives and we remember you so much!”と。
そうみんなが言ってくれたのが嬉しかった。

*****

サンディは、俺があった頃は、まだCOSにパートタイムで通いながらTutorの仕事をして(彼女とはそこで初めて知り合った)、
少しすると、Chico stateに通いだしたりして、
マスターを取って、カウンセラーになりたいと言ってたんだけど、
遂に彼女はその夢を叶え、
今では、自分のクリニックを開けるほんの手前にいる。

12年間で、ずっと頑張ってきたサンディを見て、
俺も嬉しかった。

*****

二人が空港まで送りに来てくれて、
本当に最後のLast minuteまで話をして、
その後、二人にさよならを言い、レディングを去った。
別れ際、彼らがどれだけ俺にとって重要だったか、
12年たった今でも、どれだけ俺の人生にとって重要だったかを伝えた。
ハナには、「いつもM(妻)と話をしているんだけど、
ハナの写真をフェイスブックで見るたびに、大きくなったね、すごく綺麗になったねと話をしているんだよ」とサンディに伝えると、
横で聞いていたハナは、真っ赤になっていた。

*****

レディング空港を去る時、思った。

なんて、幸せな瞬間だったんだろうと。

金曜日にここに帰ってきて、金、土、日と、
3家族と過ごして。

ジーンとロイに迎えに来てもらって。

笑顔で手を振って、涙を目に溜めているジーンを見て。

今でも元気なジーンとランディ、ロイに会って。

大きくなったザックと、リエンに会えて。

成長したハナと、マイカ、
元気なサンディに会えて。

みんなに、Welcomeをしてもらって。


俺は、2002年の夏から、2003年の夏まで、
経った一年しか、この土地で過ごさなかったけど、
そして、それから12年が経ったけど。

そして、彼らに、俺がUSにいた2003年から2008年までは、
ちょくちょく会いに行っていたけど、
それ以降は、2008年から2014年の今回までは、
一度も会いにいけなくて。

俺は、その自分にとって特別だった日々が、
もう、前々違う環境の日本で過ごすことで、
あれは、遠い記憶であり、もう、戻れないんじゃないかと、

余りにも毎日、仕事に忙殺されていて、自分は、どんどん嫌なやつになっていって、
笑うことを殆どしなくなって、気難しい、いつも怒っている嫌なやつになって、

余りにも、彼らとの生活が違いすぎて、

そんな意味で、彼らとの距離はもうこのまま縮まらないんじゃないかと勝手に思っていたけど、
今回会ってみて、一気にそれが縮まって、
みんな、ウェルカムしてくれて、
本当に、嬉しかった。

感謝。その言葉しかなかった。

*****


このあと、レディングからSFOに飛び、
10時過ぎに着いたあとは、
エアポートシャトル、電車、地下鉄を乗り継いで、
サンノゼのDe Anza College時代に良く遊んだ、Davidの住むサンフランシスコの家を訪ねた。

続きはまた後で・・・。

2014/8/4 16:06


shunsukesekine at 15:30コメント(0)トラックバック(0) 
2014/8/4(Mon) 14:10-

この4日間くらいは、本当に濃かった。
本当に、来てよかった。

*****

簡単に下記に日程を記す。
水曜日の夕方にLAXに着いて、
その夜はLiの家族と食事をして、
木曜日の昼にLiのオフィスを訪ねて、その夜もLiの家族と食事をした。
夜の11時前にモーテルに戻り、11時過ぎにNorth Hollywoodでアクティングクラスを終えたさやかさんと、彼女を迎えに行ったスティーブの二人が車で迎えに来てくれて、
Long beach downtownのバーと、深夜のデニーズへ行った。

朝の3時過ぎにモーテルに戻り、4時から1時間だけ寝て、
5時から支度をして、6時にLiのお父さんに迎えに来てもらった。
(Liのお父さんは空港からのピックアップをしている会社で働いている。今回Liの家に行って、そういえばLiのお父さんに頼めばいいじゃないかということで、この日は来ていただいた。)

モーテルを出てからちょっと無理を言って、以前妻と一緒に半年ほど住んでいたOcean blvd沿いの海が見えるPCHを走ってもらった。
感激。
PCHから710に乗り、そこから405に乗り換えて、
LAXへ着いた。

*****

空港で時間を潰して、LAXからSFOへ飛び、
また2時間ほど待って、
SFOからReddingへ向かった。

昨日は1時間しか寝ていなかったので、
LAX→SFOも、SFO→Redidngも、爆睡。

Redding空港へ1時半につくと、
その小さな空港で、
少人数乗りの小さなプロペラ機を降りるなり、
フェンスの外で手を振っているジーンとロイが見えた。

ジーンは、俺に会うなり、ハグをしてくれて、
ちょっと涙で目が潤んでいた。
ロイも、かなり禿げ上がったけど(笑)、
元気そうだった。

その後、荷物を車に入れて、
途中で水を買って、McArthurの家に向かった。

2002年の夏も同じように降り立ったReddingは、
当時も日差しが本当に強かったけど、
今回も同じように強かった。

******

金曜の夜と土曜の夜、二日間をゆっくりジーンとランディの家で過ごした。

この二日間は、本当にゆっくりできた。
今までにないくらい。

*****

Reddingからは、1時間半ほどジーンが車を運転してくれて、
途中では、山火事が3つほど起きていた。
ここ最近は、山火事ばかりらしい。

いつもの山道を超えて行き、
途中で煙がもくもくと上がる山を見下ろした。

Burneyを超えて、
やっとMcArthurに着く。

かつて彼らが5年ほど住んでいた家をがある通りをとおり過ぎて、
新し家のある方に行く。

大きなゲートの前に着くと、
ポーチに座っているランディが見えた。
いつものちょっと気難しい顔をしている。
実際は、別にただそういう顔をしているだけなんだけど。

*****

初めて入る家は、すごく大きかった。

1階には、リビングと、ロイの部屋。
2階には、ジーンとランディの部屋。

天井は2階まで吹き抜けになっていて、
天井が本当に高い。
俺がかつて夜中にぶつかった鹿の剥製の顔3体と、
猪の剥製1体は、
それぞれ、かなり高い位置に取り付けられていたので、
「もう俺が夜中にぶつかる心配はないね」と言ったら笑っていた。

昼ごはん、というか、いつもどおりの早い夜ご飯は、
ものすごくパテが熱いハンバーガー。
肉は、外のBBGグリルで、スモークにして焼いたので、
ものすごく美味しかった。
でも、でかすぎて、流石に残した。

残したのは、全てリサ(2006年くらいから飼いだした犬。ラブラドール)が食べる。
流石に、朝食に出るパンケーキや、ベーコンまで、
シロップをめちゃくちゃかけたのを、リサに食べさせていて、
いいの?と聞いたけど、
「いいのよ」と。

その夜は、食べ終わったあと、
外のポーチに4人で座って、
やることは、道行く車を眺めるだけ。

本当に、何もしない。

テレビも見ない。

音楽も聞かない。

ただ、ポーチに座って、ぼーっと、道を見るだけ。

でも、それが、贅沢なんだなあ。

*****

その日は、流石に俺も疲れていたらしく、
ポーチに座るやいなや、6時から8時半くらいまで、
知らぬ間に寝込んでいた。

汗をかいて起きると、もうジーンだけしかいなくて、
「ランディもロイももう寝たわよ」と。
俺もシャワーを浴びて、10時前には寝た。

*****

翌朝、6時過ぎに自然と目が覚めた。

7時過ぎまでベッドで、色々ものを書いたり、メールチェックをしていた。

7時過ぎにリビングへ行くと、みんな揃って、TVを見ていた。

お茶を飲んで、少しすると、
朝食の始まり。
その朝は、大きなパンケーキと(シュンは何枚食べるんだ?と聞かれて、
1枚でいいよというと、
そんなに痩せてちゃダメだ。と、大きなのを2枚もよそってくれる。
それと、カリカリに焼いたベーコン。
うまかった。でも、絶対体に悪い。)

朝食を終えて、
そこからは、みんなそれぞれ好きに過ごす。

俺は、レポートを書いてなかったので、それだけ速攻終わらせた。

1時間半くらいかけて終わらせ、11時半くらいには終わった。
その後、ポーチにランディとロイと座って、
ウトウトと昼寝をした。

また、4時過ぎに夕食の支度をして、
今度は、1時過ぎからBBQで燻していたというビーフと、
馬鹿でかいナス。これは、庭で育てたやつらしい。
ナスは、ランディがスライスしたのを、
ジーンが衣につけて、揚げる。
小麦粉と、天ぷら粉を使った。
ミックスには、水じゃなくてビール。バドライト。

あとは、バナナを揚げたやつ。

5時頃には食べだして、みんなすぐにお腹いっぱい。

ロイとランディは、その日5杯目くらいのバドライトを飲む。

俺は、金曜も土曜も、1,2缶だけ飲んで、
あとは、ロイの持ってきた緑茶を5杯くらい飲んだ。
美味しかった。

夜は、また8時半過ぎまで、ポーチに座って、
ボーっと、何もしなかった。

ここ最近、出張中も、普段の平日も、
朝から晩まで、汗をかきながら、各国の担当を死にそうになりながらやっていたので、
そして、家では、妻にいつも愚痴を聞いてもらって、なんとかやっていたので、

普段の生活と余りにも違う、アメリカの、しかもど田舎の、
誰も知る人のいないところで、幸せな3人に囲まれて、
俺は、ほとんど何も喋らずに、ぼーっとしていて、
本当に、ゆっくりできた。

*****

その日の夜は、ランディもロイも寝たあと、
ジーンと今で少し話をした。

色々と写真を見せてくれた。

ジーンには、
「この6年間で、俺の両親ももちろん年を取ったし、
俺も年をとって、
ランディは、2年前に肝臓に石が見つかったし、
みんな、大丈夫かなと心配していたけど、
みんな、全く変わってなくて、元気そうで本当に良かったよ。

ロイは、やっぱりどんな人間よりも親切でいい人だし、
こうして、ロイと、ジーンと、ランディに迎えてもらって、
本当に幸せです」と伝えた。

その夜は、11時前に寝た。

*****

日曜日の朝は6時過ぎに起きて、
ご飯を9時ごろ食べ、
11時過ぎに、ロイの車でランディとジーンにさよならを言った。

その後、ロイの運転する車で、Mt. Shastaへ向かった。

*****

ジーンたちの家を出る前、
朝から、ジーンが寂しそうにしているのがわかった。
ロイも支度をするし、
俺もロイと一緒に去るので、
息子が二人一気にいなくなるようなもんで、
彼らにとっては、すごく嫌なんだと思う。
特にジーンにとっては。

家を出る前、
庭をジーンに見せてもらって、
色々話を聞かせてもらって、
みんなで、写真を撮った。

ロイの車に荷物を積む前に、
ジーンがロイに、”Are you angry with me?”と。
なんかあったらしい。
ロイの態度がそっけなかったのか。

それに対してロイは、
“No. Annoyed. But not angry.”と。
それを聞いて面白かったので。
あとで車の中でロイにいうと、
ロイも笑っていた。
“At least I’m being honest.”と。
ロイの、ああいうユーモアのセンスが好きだな。
というか、この家は、いつも全て笑いに変えている。
俺はいつも真面目なので、よくからかわれるけど、
そんな、この家族が好き。

ジーンにキスをしたあと、
ロイは、車に荷物をつめ、
そして、俺も車に荷物を詰めた。

その後、少しして、出発の時間。
今度は、M(妻)も一緒に連れてくるのよ。と。

必ずすぐ帰ってくるのよ、と。

二人に手を振って、ロイと一緒に、彼の赤いカローラで出た。

*****

道の途中でガスを入れ、
その後、灰が雪のように振り続ける道を走った。
俺の服は、今朝下ろしたにも関わらず、もうすでに、炭臭かった。

途中、COSにいた頃にヘザーやロイたちと、雪すべりに来た、Snow Hillでロイが用を足すというころで止まった。
まさかここにまた来るとは思いもしなかった。
あの記憶を探ると、遥か昔で、本当にあったっけ?といつも思うから。

*****

道の途中、すでにジーンとランディが恋しかった。
ロイに言った。

「いつも、ロイの家を訪ねて、
そこにいる時間はもちろん楽しいんだけど、
それよりも、そこを出たあと、例えば、前々違うときに、
ロイの家でのことを思い出すと、それをもっとエンジョイできるんだよ。
あとで考えると、いかにそこでの時間が特別だったかに気づくんだ」と伝えた。

ロイは、”Huh”と言っていた。
余り伝わってないかもしれない。

COS時代を思い出しながら、Mt.Shastaへ向かった。

(続く)


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August 03, 2014

2014/8/3 6:46am-


昨日の続き。
さやかさんとスティーブに、モーテルまで迎えに来てもらった。
部屋を出ると、すぐ下にスティーブの運転するキューブが停まっていて、手を振ってくれた。
俺と同じNISSANキューブ。スティーブたちの方がだいぶ新しい型だけど。

6年ぶりの再会を祝って、車に乗り込み、
さやかさんが聞いてくれた。
行く場所を色々と考えてくれていたという。
超ロングビーチ感バリバリのバーか、
二ヶ月ほど前にできた新しいちょっとクールなバーか、
または、24時間空いているダイナー。

バーが良いと伝えて、
新しくできたロングビーチダウンタウンにあるバーに連れて行ってもらった。

*****

車を停めて、中に入る。
写真付きIDは、既に期限がとうの昔に切れたカリフォルニアドライバーズライセンスしか無かったけど、セキュリティのお兄ちゃんも余り見てなくて、普通に入れた。

中はかなりかっこいい作りだった。
そこで、ウィスキーを二杯、スティーブとさやかさんに奢ってもらった。
かなり高級なものだったのに、すみませんでした。ありがとうございました。
次回おふたりが日本に来た時には、必ず全部僕もちということで。

*****

音楽がガンガンかかるそのバーで、お酒を飲みながら、
色々な話をした。

さやかさんが今ノースハリウッドで取っているアクティングのクラスのこと。
その先生は、さやかさんの持っている良さを引き出してくれるアドバイスをくれる人で、
かつ、自分で色々と考えてやらないといけなくて、
毎週3分間のショートフィルムを撮らなきゃいけなかったりと、
すごく大変なんだけど、
その中で、さやかさんに対して、
「あなたは僕が今まで会った中で一番面白い人たちの一人だよ」と言われて、
そんな先生に認めてもらったコメディという路線で、
今はそれを突き進む事を決めたこと。

ちなみにその先生は、ビヨンセのお母さんと長い間付き合っているらしくて、
ビヨンセのお母さんの個人ジェットで、東海外に飛んだり、
ビヨンセやオバマ大統領にも色々とアドバイスをしたりしているらしい。
すごいですね。そのときは余りにもロングビーチという雰囲気だけで、普段の日本と違うので話を聞いていたけど、
こうしてよく考えると、かなりすごいですね。

そして、そんな演劇のクラスを取るには、
やっぱりその前のオーディションというか、テストをパスする必要があって、
それ自体も、かなり大変だったそうです。
それをきちんとパスして、今はそのクラスを取っているさやかさんですが、
この日は、俺と会うために、わざわざ大事なクラスを1時間早めて終わらせてくれて、
10時に切り上げて、そのまま会いに来てくれました。
「6年ぶりに大事な友達と会うから、これは絶対に帰らなきゃいけないの」と先生たちに言ってく、切り上げてくれたそうです。
ありがたい限りです。

*****

今回さやかさんに会って、話を聞いていて思ったのは、
すごくパッショネイトだったということ。
俺は、学生時代の最初の頃は多分、自分が何かに向かってすごく情熱的になって、その夢を突き詰める、というのがあったと思うけど、
(恐らくそれは、自分にとっては、映画の道を目指す、ということだった)
その道を諦めてからは、そのあとは進路に迷った感じになり、
そのあとは、ずっと、自分が何をしたいのかが分からずに、とりあえず、いろいろな国を、回るのが好き、というのを基に、海外営業に付く、というのだけを目標にやってきたけど、
今は特に、「これをしたい!」という夢があるわけではない。

だけど、さやかさんは、今でも自分の夢を明確に描いていて、
それに対して毎日精一杯頑張っている、というのが伝わってきて、
その、情熱的であることに、すごく刺激を受けた。

もしかしたらそれは、日本にいると、人は30歳近くになると、
夢に向かってかけ続ける、という熱さを持つ人は少なくなり、
「人生、こんなもんさ」「この辺でうまく妥協をしよう」という状態になる人が増えてくると思う。
それはもしかしたら、俺は会社で働いていて、周りには会社員がいることが当たり前の環境だから、そうなるのかもしれない。
ただ、どっちにしても、さやかさんのその、情熱的な姿勢に、すごく刺激をされた。

*****

ちなみにスティーブは、いつの間にかものすごい潔癖症になっていたらしく、
この日も、何かパブリックなところを触るたびに、サニタライザーを手につけて、
その後、ハンドクリームを毎回つけるという始末。
いつから?と聞いたら、数年前だという。
今では、飛行機の乗ると、
トイレに入ったあと、まずは綺麗に掃除して、
使ったあとも、また綺麗に掃除して出てくるので、
次に入る人は、「Wow!!」とびっくりするという。
その話がすごく面白かった。

ちなみにスティーブは、飛行機が好きらしい。
なぜかと聞くと、ただ自分は座って、
Some ladyがdrinkやらfoodやらsome shitsを持ってきてくれて、
映画を見てればいいなんて、なんて最高なんだと。
だから、12時間フライトなんて、短過ぎるという。
できれば、40時間くらい欲しいというから、笑ってしまった。

*****

ちなみにスティーブは俺が知る限りかなりナイスな人の一人だと思うけど、
今回も会ってみて、やっぱりそれを実感した。
こういう、スイートな人というのは、
日本人ではなかなかいないと思う。
基本日本人がスティーブくらいスイートになると、それは多分ゲイの人だし、
あとは、やっぱり日本人は、日本人独特のおっさんくささなり、
あれだけスイートで、しかし、男性、という人間は、なかなかいないと思う。
そんなわけで、特別な人だと思います。

*****

そこのバーで、ビリヤードをやり(俺は人生二回目だったけど、結構この日はビギナーズラックか楽しく出来た)、
そのあとは、カラテカみたいな変なゲームをやったけど、それが超サックスで、
酔っ払ってたのもあり、爆笑しながらプレイした。
ああいうの、楽しいなあ。

そこは2時に閉まってしまったので、そのあとは街で一番綺麗なデニーズに連れて行ってもらった。
そこで、客が俺たち以外にはもうひと組ぐらいしかいないところで、
俺はフレンチトーストを食べた。
はっきり言って美味しいとは言えないけど、
でも、真夜中にこうして友達と言ってデニーズで食べるフレンチトーストは、
うまいんだな、これが。

*****

その後、二人にモーテルまで送ってもらった。
また今度は、M(妻)も一緒に会いましょう、と。
今度は、早めに知らせてくれれば、一緒にディズニーランドも行こうねと。

二人とは、妻が元々さやかさんと友達で、
その関係で、俺も一緒に遊ぶことになったけど、
すごく良くしてくれて、本当に嬉しかった。

ちなみに、さやかさんの英語はすごいですね。
そりゃあ、ネイティブの中で、バリバリ言語のバリアなんか関係なく、昔からやっているわけですから、
英語がうまいヘタのレベルではないわけですが、
でもやっぱり、今回もさやかさんがスティーブに話をしたり、
または、俺がさやかさんに話をしたのを、スティーブに説明してくれるのを聞いて、
言い回しとか、イントネーションとか、速さとか、
こりゃあすげえなあと思った。

さやかさんが日本に来たら、まず英語の先生は絶対OKですね。
こんなに喋れる日本人(しかもノンネイティブ)って、中々いないと思う。

あとは何よりも、やっぱり、さやかさんは、ネイティブのアメリカ人の世界に一人でガンガン入って、
そこで誰よりも情熱的に活動していることだよね。
俺は、決してそういうタイプではないし、やりたくてもそこまで入り込めないので
(俺は黙って、とりあえず分からなければニコニコしているタイプ)
そんなさやかさんを見ると、「この人は本物だぜ!」とやっぱり感心してしまう。

****

そんなお二人と会えて、本当に楽しかったです。

また近いうちに会えることを楽しみにしています。

2014/08/04 23:51 (サンパウロ行きの飛行機の中で。今は地図によるとグアテマラの上あたり)



PS.
ちなみに、さやかさんが言ってくれたんだけど、
いつも俺のブログに刺激を受けると。
さやかさんがアクティングのプロジェクトなどで、
今日はどうしても寝ていたい!という日でも、
俺のブログを見て、その仕事のスケジュールとかを見ると、
「私もやらなくちゃ!」と思ってくれるそうで。
これは嬉しいと同時に、俺としては、全然そんなことはないですよ、という感じだった。
むしろ、さやかさんとスティーブにも話したけど、
俺のやっている仕事はどちらかというと、上司や会社にあれをしなさいこれをしなさいと指示を受けて、
それを、決まった時間内で黙々とやるものなので、
とても日本人的というか、何かを自分で生み出す、というわけではない。
決して、クリエイティブではない。
そして俺は、水泳や陸上で鍛えたように、
黙々と黙って、一人で何かを今詰めてやるのに昔から慣れているだけで。

逆にさやかさんの話をきいて、
さやかさんの場合は、答えがない世界で、
先生に少しアドバイスをもらい、あとは自分の中から生み出すことをやっているので、
これは本当にすごいなと思った。
恐らく俺が一番苦手な分野。
なので、俺の方こそ、さやかさんの話を聞いてすごいなと感心していたので、
俺のブログが刺激になるという話を伺って、照れると同時に、いや、さやかさんの方がすごいっすよ、という感じだった。

*****

とにかく、今回は色々な刺激をいただきました。



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August 02, 2014

2014/08/02 22:38-

今はロイの両親の家。
もう寝たいけど、今しか書けないこの気持ちをここに書いとこう。

*****

今週の水曜日の夕方に出て、
LAXへ飛んだ。
6年ぶりのカリフォルニア。
もう、LAXについて、少しリモデルされて変わったLAXの到着ゲートを出て、
外に出た瞬間から、
「これがカリフォルニアの空気だよ!」と興奮した。
6年ぶり。
俺が、留学時代を過ごした期間と全く同じだけ、ここに帰ってきてなかった。
色々と忙しいとかあったけど、やっぱり、今回ここにこうして来られることは、
本当に幸せだと思った。

****

タクシーに乗って、ホテルのクイーンメアリーに向かう。
ここは、近くに1年ほど住んでいたけど、
学生時代にここを借り切ってのパーティーみたいのがあって、
その時一度来ただけだった。
チェックインまで少し時間があったので、幽霊が出るという噂の部屋や場所を回るツアーに参加した。
かなり気持ち悪くて、ツアーに参加したことを後悔。
その後部屋に通されるが、かなりここも気味が悪くて、しかも床が濡れてたりしたので、
フロントに行って、部屋を交換してもらった。
翌日もここに泊まる予定だったけど、翌日はやめますと言って、結局ロングビーチのCSULBの近くのモーテルに翌日は泊まった。
部屋は、翌日をキャンセルしたために、その分当日の分を無料でアップグレードしてくれた。
窓付きの一番上のランクにしてもらった。

*****

夕方6時すぎに、Huntington Beachに住むリーに迎えに来てもらった。
彼とは2011年の頭に行われた、彼の台湾での結婚式以来。
実に、3年半振り以上経ってるけど、たまに電話で話をしていたせいか、余りそんな風に感じなかった。

彼の家に行き、彼の奥さんのジェニファー、
それから、彼のお母さんに会う。
ここには、俺は1年近く住んでいた。2005年の8月から、2006年の3月まで。
お母さんは余り変わってなくて、ジェニファーも相変わらず綺麗だった。
彼らには子供が産まれ、Ethanという名の男の子は、それは可愛かった!!
最初はシャイになっていて俺になつかなかったけど、
その後すぐになついてくれて、
色々とおもちゃを持ってきたり、ちょこちょこと歩いてきて、
すごく可愛かった。
俺もこの子を見て、子供を持つっていいなあ、と思った。

その日は、ジェニファーやお母さんが外で買ってきてくれた中華料理と、
作ってくれたスープなどを一緒に食べた。
9時近くに、リーのお父さんのMr.Loも帰ってきて、挨拶をした。
彼も、6年前と変わらないどころか、なんだか少し若く見えた。

夜は、10時過ぎまで話をして、その後ホテルに帰った。
(ホテルにつくと、部屋がものすごく寒くて、もう風邪をひきそうだった。冷房しか聞かなくて、窓も空かないので、結構きつかったな。雰囲気はあるけど、ちょっと不便なホテルではあります。)

*****

翌日は朝の10時過ぎに出て、(それまでは簡単に船の中を15分ほど散歩して、)
タクシーでリーの働くオフィスへ向かった。La Miradaに位置する。
今回LAに来た理由は、彼の働く会社に行くため。新規訪問の目的。

30分ほど簡単なミーティングと倉庫見学を行ったあとは、
またタクシーでロングビーチに戻り、
帰りにIn N Outに寄り、6年ぶりのIn N Outバーガーを食べた。
もちろん、Animal Style, Extra Everythingで。 (Tomato, Lettuce, Onionの量が2倍以上になる。で、値段は変わらず)
感激しました。日本に来ればいいのに。

*****

そのあとは、かなり疲れていたので、1時間半ほど昼寝した。

5時過ぎに起きて、歩いてCSULBまで行った。
15分くらい。
ラルフズとかの横の、メディカルセンターの道を歩いて。
ここは、妻と付き合い出した頃、
ファイナルを受ける時とかに、ここの道を一緒に歩いたのを思い出した。

6年ぶりのCSULBは、これまた感激だった。
図書館に行き、
かつて勉強を少しだけした部屋を見たり、
よく行ったトイレに行ったり、
外の、よく寝た芝生に行ったり、
色々と見て回った。

その後、そこまでまたリーに迎えに来てもらって、
そこからHuntington Beachのショッピングコンプレックスに行って、California Pizza Kitchenで、
テイクアウトを買った。
ピザができるまでの15分は、近くのアウドドアショップを見て回った。
こういう雰囲気の店も、意外と日本ってないから、懐かしかった。

その後は、またリーの家に行って、
ご飯を食べ、夜中の10時過ぎまで話し、みんなにさよならを言って、
一度モーテルに戻った。

その後、23時過ぎに、ロングビーチに住むさやかさんとスティーブに迎えに来てもらった。

*****

ちょっとここまで書いたけど、
とにかく、今の気持ち。

6年ぶりに、ロイとジーンとランディに会いに来られて良かった。

6年。長かった。
俺は、24歳から、30歳になってしまった。
次にいつ来られるかは、やっぱりわからないけれど、
なるべくたくさん、来たいと思う。

やっぱり、ここは俺の第二のホームで、
なんだか、この6年間、日本で、毎日仕事に、目の前のことに一生懸命になって、
なんとか生き抜いてきた日々を、
ここに来ると、なんというか、それは、6年ではあったけれど、
同時にほんの一瞬であり、
そして、それは、全て、ここから始まったということ。

そんなことを、感じた。
なんとも言葉にできないけれど。

*****

続きはまた明日書きます。

2014/8/2 23:02


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July 30, 2014

2014/7/30 Wed 18:02-

今、飛行機の中。
さっき17:05の便が、少し遅れて出発した。
今はLAXに向かっている。

*****

LA行きは実に6年ぶりとなる。
前回LAにいたのは、留学を終えるとき。
2008年の4月30日に帰ってきた。

それから、6年が経った。

今回は、仕事の一環で行くわけだけど、
週末が挟まれるように予定を立てたので、6年ぶりに、
McArthurに住むロイの家族や、今はReddingに住むサンディやハナにも会いに行ける。
LAでは二泊するので、一日目はLiとその家族に会って、
二日目はさやかさんやスティーブに会う予定。
本当に楽しみ。

*****

今朝、朝食を取りながら思ってたけど、
丁度、俺が留学をする最初の年は、
2002年の夏で、7月28日辺りに日本を経ったはず。
そのときはSFO経由のRedding行きの便に乗ったんだけど、
今回は、LAX行きとは言えど、
それから12年後のほぼ同じ日付である、7月30日に、
こうして、LA行きの便で、今度はビジネスとして行くなんて、
18歳の時の俺は、自分が30歳でこうするなんて、
想像もつかなかったなあ、と、少し不思議に感じた。

*****

最近は日記を書いていなかった。
前回の出張は、6月半ばに出て、北米(東海岸)とカナダ、
プエルトリコを回った二週間の出張だった。
6月30日に帰ってきて、それから丁度一ヶ月。
前回の出張に行くときも飛行機の中でこうして日記を書いていたけど、
その時は、心の洗濯ができればなあ、なんて書いていた。
その出張を通して。

ところがどっこい。
何回かここにも書いたけど、5月末で急遽辞めていった先輩の仕事が、
どさっと自分に回ってきたもんで、
出張中は、朝は4時に起きて、
メールチェックを1時間して、
国内線の便に乗り、
そのあとは顧客を訪問、協議を1時間行い、
それからホテルへ向かい、
やっと夕方から夜にかけてホテルに付き、
食事を取る暇もほぼなく、溜まったメール対応を深夜までする・・・

土日も、NYにいるにも関わらず、
朝の5時半に起きて、6時から12時まで、6時間ずつ、
夜も2時間ずつメール対応をして、
それでも、色々と日本にいる上司や先輩から依頼がきて・・・
という日々で、もう本当に、発狂した。
夜中にシャワーを浴びながら、「うわあああーー!!」ってでかい声で叫んでいた。
そして、上司にメールを打った。
「自分が恵まれた環境に置かれているのは重々承知しておりますが、
この仕事量は、一般的なものでしょうか。
自分の力量が足りていないせいも多々あるかと思いますが、
正直言ってキャパオーバーです」と。

それでも、現在本社で研修を受けている後輩が10月に帰って来たら、
そのタイミングで人事を再度考える予定なので、
それまで待ってくれと、軽く流される。
つまり今は、元々3人で分けていた世界の海外顧客を、
今は課長と俺の二人で分けているということ。
つい1年半前までは、台湾だけで一人が担当し、
アメリカも一人、
インドはまた別に一人(その人は韓国と国内も持っていたが)でやっていたのに、
何故か今は、俺が一人でアメリカ、インド、そして台湾に加え、
南米の開拓まで任されている。

どんだけ期待してんですか、という話だが、
まあ、さすがの俺も、ずっと黙ってやってきたけど、
流石にこの5月くらいから余りにも仕事が多くて、
5月、6月、7月の3ヶ月は、
本当に、ギリギリのところでやって来たと思う。
(その度に、家に帰ってから妻に話をして、
妻は色々と話を聞いてくれ、アドバイスをくれ、励まされた。
本当に、彼女なくしては、俺は正気を保ちながら仕事ができなかったと思う。
感謝しております。)

そして、今日からまた出張なわけで、
今日に合わせて、昨日まで、かなり今詰めて仕事をしてきたけれども、
この数ヶ月で、俺も随分と、耐久性と仕事のスピード、
その他諸々が上がった気がする。

先日妻に聞かれたけれど、これでも、前の仕事(前職)とどっちが大変?と聞かれて、
迷わず、「前職」と答えた。

それほど、前の仕事は、そりゃあ喜びも大きかったけれど、
やっぱり、日々のストレスや、長時間労働の大変さは大きかった気がする。
今は正直、B to Bだし、
B to Cに比べたら、B to Bは本当に楽だと思う。
どう転んだって、自分の失敗が、
自分だけの責任になることはないからね。
でも、前の会社では、自分の失敗=上司の責任ではなくて、
全て自分の責任であり、
そのせいで、随分と詰められた事が多かった。

よって、その時と比べるとまだ今の方が楽であり、
かつ、今の仕事は、一日絶対一件を取ってくる、というものではなく、
あくまでも顧客とのレスポンスがメインで、
俺がする内容は、見積もりを聞かれたら答えたり、
品質関係の質問を受けたら、社内の責任部署に流したり、
数ヶ月に一回出張に行き、顧客と話してそれを本社へ流したり、
たまに日本に来る顧客の接待をしたりと、
はっきり言って、ものすごく頭を使う仕事でもないし、
適当にヘラヘラやっていても、なんとか回るような仕事である。

(そんなわけで、俺の先輩には、
あまり仕事をせず、日中から業界新聞をじーっくり時間をかけて読んだり、
やたらと休憩に立って、15分ほど帰ってこなかったり、
無意識に鼻くそや耳くそをほじったり、
午後になると「睡魔が襲ってきた」と言って伸びをしたり(ちなみに俺は一度も眠くなったことがない。眠くなってる暇なんてマジでないほどメールがガンガン来るから)、
そんな風にしてるのに、
もう5時前になると、「今日のルーム#は?」とお互いに確認しあって、
6時にはきっかり出て、麻雀をしに行くという始末。
これはちなみに国内営業の先輩たち。)

横目で見ながら、
どう考えても、仕事量に差があるのでは?と思えて仕方がなく、
そこにイラついたり、
それの前に、まずは引き継ぎを全くせずに去っていき、
そのしわ寄せが全て残された俺に来ている状態を見て、
その先輩に腹が立ったり、
なかなか仕事ができるようにならない後輩に頭にきたり、と。。。
つまり、この数ヶ月は、
誰か、周りの誰かにいつも腹を立てて仕事をしているような日々だった。
本当に。

******

でも、先週くらいに、
やっと、その状態から頭が抜け出た。

それまでは、妻には、
今の状態をどう考えるべきか、
どうするべきかを何回も言われてたけど、
でも、なかなかそれができなかったんだけど、
今は、やっとそれができるようになった。

それは、もう、そういうレベルでは物事を考えないということ。
明らかにどう見ても相手の方が仕事量が少なかったら、
その人にはそれしか仕事が回ってこないんだ、というのを知って、
可哀想に思う。
逆に、それだけ周りから期待されて仕事を回してもらっている自分の状態に感謝する。

妻も言ってたけど、一番悲惨なのは、
誰にも仕事を回してもらえず、
やることがない事だから。
そりゃあ、暇だったら、午後になったら誰だって眠くなりますよ。
本当はもう仕事がないけれど、
上司が残っているから、
とりあえず6時半まではいようと決めて、
やる事がないから、業界新聞を読んだり、
後輩にいちいち口出ししたりしますよ。

でも俺は幸いなことに、そんなことを考える暇もないほど、
マジで嬉しいほどに、日中は台湾、インドなどからメールと電話がじゃんじゃん来て、
夜中の間に、北米や南米からメールがガンガンくるもんで、
そして、常に横からは後輩が質問してくるし、
上司も二人ほど、いつも聞いてくるもんで、
最初は本当に、全く自分の仕事が進まずに、マジでどうしようもなかったけど、
今は、短時間で集中して仕事をスパッと終わらせられるようになった。

*****

そして、一番大事なのは、
先週末にアナザースカイに出ていた少女時代のメンバーの一人が言ってたけど、
大事なのは、
「謝ること。感謝すること。」

どちらも、「謝」という字が入っていることにその時気づいたが、
大事なのは、決して、おごり高ぶらず、
自分の今いる環境を当たり前と思わず、
自分を偉いと思わず、
他人と自分を比べて、他人を馬鹿にせず、
常に、謙遜する気持ちを持つこと。


上に、最近の俺の状況を書いていて思ったが、
そして、最近は自分のことを客観的に考えておもっていたが、
最近の俺は、なんて嫌なやつだったんだろう、と感じていた。

いくら忙しいからと言って、
常にピリピリして、
決して口には出さずとも、俺はすぐに顔に出るから、
いつも眉間にシワを寄せて、嫌な顔をして、
キーボードをガチガチ叩いていたと思う。

5月から、6月、7月と、
我ながら、嫌だなあ、と思いつつも、
どうしてもその状況から抜け出せなかった。

抜け出すには、ぽわーんとしている皆さんと同じくらい、
俺も、日中から仕事もせずにブラブラしていればよかったのかもしれないが、
そんなことすると、一気に仕事は溜まるわけで、
そこのバランスが本当に難しかった。

でも今は、上に書いたとおり、
そんな状態が続いていたので、
どうにかして、短い時間でスパッと全てを行う事ができるようになった。
(それは、全てのやり方を覚えた、ということになると思う)

******


とにかく、
この3ヶ月ほどは、本当に辛かったが、
やっと、一線を超えられた気がする。

そして、確実に自分は成長をしていると思う。

*****

今日もこうして、ビジネスクラスでANAに乗れることを、当たり前と思わず。

色々な美味しい食事を頂けて、
良いサービスを受けられる事を、当たり前と思わず。

海外営業をあれほどしたくて、
やっとこの仕事につけて、
今では、かつて夢にまで見た、世界中を回る、という夢を叶えているのに、
この状態を当たり前と思い、「出張ばかり」なんて、不満ばかり言わないように。


人は、自分の「今」を当たり前と思うと、
すぐに傲慢になり、
人への感謝の気持ちを忘れ、
自分が、少しでも他人より偉いと思うと、
すぐに、「嫌な奴」に成り下がる。

最近の俺は、忙しさを理由に、
すげえ、「嫌な奴」になっていたと思う。

だから、俺自身が、自分を好きになれなかったから、
ブログも書けなかったと思う。

ここに言葉を書く事は、
自分の心と向き合うことだから。

自分の心と向き合うのが嫌な時は、
自分の今の状態を、客観的に見るのが嫌なときだから。

*****

謝ること。
感謝すること。

この二つを、忘れないようにしていこうと思う。

2014/7/30 18:47



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June 16, 2014

2014/6/16 14:15-

今は飛行機の中。
成田からシカゴへ行く便の中。
既に、出発して11時間が経った。
あと1時間程で着く。

日本時間は17日朝の4時15分。

*****

最近は、随分と余裕が無かったんだなあ、と、さっき、日本時間の21時頃に寝ながら思った。

最近は、日記にも、仕事のことばっかり書いていた。

確か、4月22日に、丁度30歳と半年になって、
その時に、仕事をもっとこうしていこう、みたいなことを日記に書いたと思うけど、
それから、もう2ヶ月近くたったのか、と。

毎日、朝起きて、会社に行って、
9時から19時くらいまで、ほとんど気を抜く暇もなく働き、
週に2回は、最近は遅くまで残り、
金曜日は大抵、21時過ぎまで残っていた。

なので、土曜の朝も疲れが抜けきらず、
結構、土曜日も寝ていたりと、そんな日が続いていた。

******

自分が目指す場所、
こうなりたいと思う姿。
そういったものを明確に、いつも心に強く描かず、
取り敢えず、毎日、仕事で降りかかってくる目の前の事務処理、
タスク、
そういったものに追われていると、
いつも時間との戦いになり、
言ってみれば、「自我」が抜けている状態となる。

そうしていると、気づいたら、
もう1年経っていた、
3年経っていた、
5年経っていた、
10年経っていた・・・という状態になる。

*****

俺は、ここ1ヶ月は、(特に5月末からは)、
海外営業部の先輩が抜けたのもあり、
仕事量が2倍になり、
もう本当に、気が狂うかと思った。

横には、なかなか成長しない後輩もいて、
彼への指導、そして、先輩の開けた穴を埋めることに、目の前の緊急時間を取られ、
自分がすべき仕事、それらを、腰を据えてじっくりとやる時間もなく、
己の状況を、落ち着いて見つめる余裕もなく・・・・

しかし、これで2週間、これから北米出張が入るので、
ある程度は、日常から抜け出して、自分のペースを気づき、
かつ、自分を一歩引いて、見ることもできると思う。

*****

仕事の事は置いておいて。

最近は、妻と色々なレストランに行ったりした。

近くのフレンチレストランに行ったり(2軒ほど)、
美味しい海鮮丼を食べに行ったり、
家には、妻と俺の共通の親友も泊まりに来たり、
色々と、楽しんだ。

週末は、5月末には車も運転できるようになったのもあり、
車で、近くのショッピングモールに行くのが、恒例のイベントみたいにもなった。

妻は、こういう、車に乗って、
買い物に行く、みたいなことを、将来、好きな人と結婚して、
するのが、夢だったという。

そんなことを言って、改めてその状況に感動して、
たまに少し泣いたりしている。

そんな風に、純粋で、心が綺麗で、素敵な女性を奥さんにもらって、
自分は、恵まれているなあと思う。

*****

何が書きたいかというと、
そんな風に、自分は、素敵な妻に恵まれていたり、
自分のしたかった海外営業の仕事にもつけて、今こうして出張に来ていたり、
色々と、感謝すべき、そんな事は多いはずなのに、

目の前の仕事に追われて、本当に余裕がなくなると、
毎日、周りの嫌なところばかりが目について、
(同じ職場の人間の嫌なところ、
自分の置かれている状況の悪さ、など)

「感謝」という概念を忘れて、
足りないところ、ダメなところばかりに心が向かい、
結果、いつもイライラして、恐い顔になり、
「幸せ」と思えるような、そんな、一歩引いた、素直な心を、
忘れていた、ということ。

*****

この出張は、2週間と短めだが、
自分を見つめるには、いい機会だと思う。

心の洗い出しをしたい。


2014/06/17 14:35





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February 27, 2014

2014/02/27 5:47 AM-

さて、今日でやっと北米出張も終わり。
数日前から体がだるくて、先週の終わりは、土曜日は一日中部屋で寝ていた。
一昨日はモントリオールに入ったんだけど、
気温が−10度くらいで寒くて、
夕方、上司と一緒に食事をしたあと、急に鼻水が止まらなくなってきた。
薬を飲んで、夜の8時から朝の6時まで寝たけど、
それでも治らず、結局その日のアポは、上司一人に行ってもらい、
俺は部屋で休んでいた。
鼻水を垂らしながら会うのも、相手に失礼だしね。

そして、そのまま昼の1時にモントリオール空港に向かい、
3時25分の便で、一日ぶりのNYに戻ってきた。
何しにモントリオールに行ったんだ、という感じだった。
(行きと帰りの飛行機のフライトアテンダントの女性が同じ人で、
帰りの便で彼女の顔を見て、「あ、同じ人だ」と思い
「How are you?」と言うと、
彼女も、「Wow, that was a quick turnaround!」と。
飛行機を去る時に、向こうが「Maybe I’ll see you tomorrow?」みたいな事を行ってくるので、「Probably」みたいなことを言いながら出てきた。)

昨日は夕方5時前にNYのLaGuardia空港に着き、
予約していたリモに迎えに来てもらう。
そのまま、今回初のステイとなる、
マンハッタンのホテルに泊まった。

ここは10thと57thの交差点にあるところで、
すぐ近くにはセントラルパークの南西の入口がある。
5番街にも数ブロックで歩いていけるけど、
昨日は気温がやはり−6度かなんかで、
恐らく体感温度は−10度くらいは行っていたと思う。
ビーニーを被り、かなり着込んで少し歩いたけど、
もうたまらなかった。
NYの人たちって、タフだなあと思う。
夏は湿度があってかなり暑いのに、冬は冬で、ものすごく寒くなる。
カリフォルニアとは大違いですね。

*****

それにしても、今回の出張は、結局半分は体調がすぐれなかったので、
とても体力的にきつかった。
もしかしたら熱がある気がする。体温計がないのでわからないけれど。

体調管理は本当に大事だと思う。
俺の場合、先日インド出張に1週間行ったあと、
1週置いて、すぐにこの北米出張だったから、
疲れも溜まってたと思う。
結局出張は、日曜日に出て、土曜日に帰ってくる、ということが多いから、
休みもその分、削られてるし。

結局は、一緒に同行する上司がそれぞれ別になるので、
彼らはいいけれど、俺はタイトなスケジュールになっているので、
今後はうまく手回しをして、こういうことが無いようにしようと思う。
全く、体がボロボロになりますよ。

*****

昨日回って思ったけど、
NYというのは、本当にDiversityな街だなと思う。
人種も色々と混ざっているし、本当にいろんな人たちが働いている。
街も、色々な建物が所狭しと建っているから、
人口も凄い密集している。
昨日、近くにあるTime Warner Centerまで歩いて行ったら、
地下にWholefoodsがあったので、ああ懐かしいなと思って見に行った。
水だけ買おうとして、レジの方に向かうと、
ものすごい列。
恐らく、100人以上並んでいたと思う。
レジも10レーンくらいあるのに、
そのレジまでたどり着くまでに、更に列が、
食料品売り場まで伸びている。
あんな光景は、留学時代の西海岸では見たことがなかったので、
「え?これがアメリカ?」とびっくりした。

あとはちょっと話が戻るけど、
モントリオールを出る前に、前回(2013年の夏)の出張でも食べに行った
ヴェトナミーズのフォーのお店に行った。
ちょうど昼の12時過ぎに入ったんだけど、
ものすごい人で、店はもう満杯だった。

その中に、普通に、白人がたくさんいる。
みんなフランス語でボソボソ話しながら、
フォーをすすっていた。

店員はヴェトナミーズ、
お客は、白人、黒人、アジア人、ヒスパニックが混じっている。
それこそカリフォルニアでは、アジア系のお店に、
あんなに白人が大半を占めて占領する、という光景もないので、
その有様に、やっぱりビックリした。

そんな風に、カナダは、人種が混ざっている分、
それらの人種が、本当に溶け込んで、
余り、その文化の背景を気にせずに、
どの人種も、どんな文化にもすんなりと溶け込み、
お互いに受け入れている気がするけれど、
アメリカの場合には、やっぱり、人種同士のバリアが強いと思う。
だって、アジア系のお店に、ほぼ白人なんて、
余り見ないもんね。

それと、カナダは(モントリオールなどのケベック州は)、
フランス語も供用語なので、
大体みんな、フランス語を第一に話している。
でも、英語も普通に訛りなく話すし、
プラス、自分のバックグラウンドの言語も話すから、
バイリンガルは当たり前、
トリリンガルも普通、という感じである。
その辺も、カナダとアメリカの違いなんだろうなと思う。

*****

さて、そろそろ支度をする時間なので、出ます。
今日は昼の11時15分から、JFK→成田間、14時間のフライトである。
気が重いけど何とか乗り切ります。

2014/02/27 6:11AM





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February 21, 2014

142121a


2014/02/21 21:39-

今日は金曜日。やっと1週間が終わった。
今朝6時頃起きて、「そういえばNYで何かライブやってないのかな」と調べると、
なんと、昨日と今日の夜に、Madison Square Gardenで
ジャスティン・ティンバーレイクのライブがやっているじゃありませんか!
昨日の分は遅いので、今日の分を調べると、
もうほとんどの席は埋まっていて、あっても、
「2席から」とかで、1枚200ドル近くする。
こりゃあダメだな、と諦めて、結局今日は行かなかったのですが、
さっき仕事が終わって、今は夜の9時半頃なんだけど、
諦めの悪い俺は、もう一度色々なサイトで調べてみたら、
なんと、一番後ろの方の席で、108ドルくらいのがあった。しかも1枚から買えた。
がびーん。

まあ、いつかは彼も日本に来ると信じて、
待つしかないでしょう。
しかも、今日は外は雨が降っていて寒かったし、
しかも、よく考えると、NYで8時からコンサートを見たあと、
NJのホテルに帰ってくる手段がなかったし。
(タクシーだと、めちゃくちゃかかる)

仕方ない、仕方ない。
そう思いつつ、「見たかったなー」と悔しく思う自分がいる。

2014/02/21 21:46

ちなみに、ジャスティンさんのライブのレビューを見ると、
普通に4000件以上のコメントが出てくるんだけど、
みんなめっちゃ褒めている。
ああー、一度見に行ってみたいね。





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February 20, 2014

2014/02/20 23:29-

さて、今日もやっと仕事が終わりました。
今はNJのホテル。今、日本海の呼び名で話題になっているFort Leeの近く。

今日は、朝6時に起きて、
8時半にホテルを出て、片道2時間半の、
NJの顧客の工場へ。
そこで、1時間商談を行い、
帰ってきたのは16時頃。
その後、今日はすごく疲れていたので、ちょっと20分寝るかと思って目覚ましをかけて寝たら、全く気づかず、
結局18時半前に上司からの携帯の電話の音で目が覚めた。
そこから今日のレポートを急ぎで書いたり、
あとは、日本や海外からのメールのやり取りをやりだして、
終わったのがさっき、23時半。
実に、メールのやり取りや資料作成で5時間近くやってました。

*****

うちの会社の扱っているものは医薬品関係なので、
お客さんに一つ出す資料にしても、内容をしっかりと確認し、
かつ、俺の場合は担当が北米、インドなので、
それらの顧客のR&Dに対して、うちの会社のR&Dが日本語で答えた内容を、
一つ一つ英語に訳して出さなければならない。
それも、適当にさらっと訳すと専門用語なので間違っている可能性もあるから、
一つ一つ確認したりすると、かなり時間がかかる。
まあ、今は結構大変ですが、その内この分野も極めてエキスパートになってやる、
と考えてやれば、自分への投資と思って割り切れます。
しかしね、疲れるね。目が痛いぜ。

*****

昨日は、朝はIndianapolisで顧客と商談+ランチで、
そのあとは夕方の便でIndianapolisからNYのNewark空港へ飛んできた。

その前の日は、シカゴを昼の便で出て、
そこからIndianapolisへ飛んだ。

(日本を出たのは日曜日の昼。
同じ日の夕方にフランクフルトに着いて、
そのまま頭痛がしてたのですぐに寝て、夜中に一回起きて、
で、朝、街を1時間ほど散歩して、
昼にまた空港を出て、シカゴへ飛んだ(月曜日)。
そこで一泊して、翌日(火曜日)がシカゴ→Indianapolisというわけ。)


IndianapolisではJW Marriottに、その取引先の特別レートで泊まれたんだけど、
今まで泊まった中でもOne of the bestでした。
それを破格の値段で泊まれたんだから、よかった。
でも、夜ご飯を食べに、ホテルからスカイウォークで繋がっている通路を使って、
近くのモールまで歩いていったら、
片道20分以上かかった。遠すぎ。
途中にコンヴェンションセンターを通り抜けて行くんだけど、
その廊下がとにかく長すぎる。
あのサイズとか、日本じゃ有り得ないよね。
有楽町の東京国際フォーラムとか目じゃないです。
とにかく、アメリカは土地が余っているんだなあ、と感心する。
シカゴで泊まったintercontinentalも、
とにかく広い部屋だった。
ドアを開けてから、ベッドまでが広すぎ。
最初は感動するけれど、次第に、
「これって、ただ単に部屋の移動距離が増えるだけじゃん」ということに気づく。

そして、こういう部屋のサイズに完全に慣れて、
たまに日本のビジネスホテルに泊まると、その広さと狭さのギャップにたまげる。

*****

海外営業は、体力勝負です。
朝から晩まで、基本、移動か、メールか、資料作成か。
そして、時差ボケと戦わなければいけない。

時差はないものとして、もう時計をその現地についたら合わせて、
あとは何も考えないに越したことはない。

そして、英語なんてものは、「俺はうまいんだ」と信じきってでかい声で話せば、
いくらでもうまく話せるもので。

ネットを開いていると、英語のサイトの宣伝で、
「突き抜けた英語力をつけよう」とか言ってますけど、
結局は、思い込みと実践だと思います。あとは、
実際、発音とか余り関係ない。
英語力は別に突き抜けてなくてもいいから、
話す内容を熟知していれば、いいんですよ。
(それにしても、「突き抜けた英語力」って、変な表現だと思う。
語学に、突き抜けるも何もない気がする。)

****

随分皮肉っぽくなってるのは、疲れているからです。
もう寝ます。

2014/02/20 23:44



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February 08, 2014

2014/2/8 13:05-

今朝の8時半くらいに、成田空港に着きました。
今は、家です。
ムンバイは30℃くらいあったのに、
ここ千葉は雪が降っています。気温0℃。
マジで、海外営業というのは、
やる前はかっこいいな、と思っていたけど、
はっきり言って、ただの体力勝負ですね。
肉体労働です。
インド出張中も、本当に毎日忙しかった。
ろくにブログを書く時間もなかった。
毎日、朝早く起きて、飛行機に乗るか、車に乗るかで、
かなりの長い時間を乗り物の中か、空港の待ち時間に使い、
後は、顧客のところへ着いたら、
毎回必ずインディアンコーヒー(カフェラテのこと)かお茶を薦められ、
そこで、交渉術の長けたインド人と、やり合います。

インド人は、全ての場所がそういうわけではなく、
中には、友好的なお客さんもいますが、
大きい会社になればなるほど、結構態度が傲慢になったりもします。
(というか、今気づいたけど、商社を通しているエンドユーザーは、
大体どこも態度がデカいけど、
直接やり取りをしているところは、そうでもないな。)

インド人というのは、とにかく単刀直入に物事を言う。
そして、めちゃくちゃ早口です。
奴らはとにかく頭が良い。切れる。
頭の悪いインド人は、余り見た事がありません。

そして、英語が共通語であるから、英語を使うけれども、
訛りが酷いので、結構何言ってるか分かりません。
何回か聞き返して、「ああ、OK」という感じも多い。
まあ、慣れですけど。

*****

今回はちなみに、また9社くらいと商談をしたんだけど、
その内、バンガロールにあるB社と、
ムンバイにあるU社は、とても対応が良くて良かった。

B社は、かなりデカい会社。
ここは前回の出張の時にも日記に書いたけれど、
ボスを始めとして、チームのみんなが頭がよく、
利発的な感じが表れている。
こんな人間たちの中だったら、一緒に働いても悪く無いかな、と思える。

しかし、上に書いた様な、
態度が悪い会社は、本当にヒドい。

一つ、世界的に有名な大きい会社があるけれど、
ここの購買部門の人間なんかは、そりゃあ酷いもんです。
インド人は基本的に、商談中でも、
自分の携帯に電話がかかってきたら、目の前のお客さんをそっちのけにして、
電話に出るのが当たり前。(これは前回目の当たりにしてマジでビックリした)

それでも、モラルがある人たちなら、
「Excuse me」とすまなさそうに言って電話に出るけれど、
そうじゃない人は、本当になめとんのかお前、と言いたくなるような態度で出る。

話がずれましたが、
もう一つのU社も、とても対応がよく、素晴らしい。
ここは、そんなに大きくはないけれど、
実際は、売り上げは300億、純利益は50〜60億くらいある会社。
ここが作るAPIや製薬を、実際に日本の大手企業が購入していたりする。

そんなわけで、この会社はとても売り上げもあり、潤っているのですが、
社員も余裕があるというか、マナーが行き届いている。

色々な会社を訪問して思うのは、
やっぱり、会社によって人のカラーは出るということ。

洗練された人がいる会社は、みんなやっぱり、態度もきちんとしているし、
マナーがなっている。

しかし、適当な担当者がいる会社は、
他の社員の態度もぞんざいだったりする。

結局は、会社とは、人の集まりであり、
その会社の上の人間、周りの人間が、
お互いにどう、周りを影響していくか、
周りにどう影響されるか。
そこなんだと思う。

*****

さて、今回は日曜日の夜にムンバイに着き、
月曜日はムンバイで一社(片道車で3〜4時間、合計7時間の車移動)
火曜もムンバイで二社(この日は片道1〜2時間なので悪くない)
水曜は4時起きで移動し、ハイデラバード、
ここで三社と商談。
この日の夜10時のフライトでバンガロールへ飛び、
ホテルに着いたのは夜中の1時前。

木曜日は朝からバンガロールで一社と商談、
その後一緒にお客さんとランチを食べ、
夕方のフライトでムンバイへ。

金曜日は11時から一社、
そして、午後にもう一社と商談。

そして、6時前にホテルを出て、
9時の便で、成田へ。

今回は本当に疲れた。
毎日、スキマ時間を見つけてレポートを書き、
かつ、通常の顧客とのレスボンスも行う。

海外出張中は、朝から夜寝るまで、
ほぼ、仕事に縛られているようなもんです。

まあ、段々と分かってきたから、あとは自分の裁量で回せる様になって来ると、
もうちょっとラクに、かつ楽しくできるんだろうけどね。

*****

来週の日曜からはフランクフルト経由でアメリカ、カナダへ行きます。
シカゴはマイナス15度らしいですが、
マイナス30度にだけはなりませんように。

2014/2/8 13:23





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February 05, 2014


2014/02/05 0:19-

今はムンバイのホテル。Holiday Inn.
明日の朝は4時半起きで、もう寝ないとやばいんだけど、
なぜか眠れないので、
で、
さっき、色々と上のことを考え出したので、
少しここに書く。

(ちなみに、今はインド出張中。
日曜日の朝に日本を出て、13時間飛行機に乗って、
ムンバイに19時過ぎに着いた。
昨日は一社訪問、車で片道3時間、帰りは4時間、合計7時間以上車に。
今日は、近くで良かったけど、相変わらずムンバイの渋滞は凄まじいので、
少しの距離なのに、結局片道1時間以上車にいる。
もう、インド出張は、アメリカ出張のそれとは大違いで、
マジで疲れるぜ。)

*****


さて、本題だけど、
俺が留学を終えて日本に帰ってきてから、
丁度今年の夏で、6年が終わろうとしている。

俺が留学していたのは、
2002年の7月末から、2008年の5月末まで。丁度ほぼ6年。
で、
日本での生活が始まったのが2008年6月頭、
それから、今年2014年の5月末で、丁度6年となる。

*****

留学中の6年間は、すっと、なんでも思い出せる。
1年目はCollege of the Siskiyous (Weed)
2年目はDe Anza (San Jose)
4年目からは、CSULB (Long Beach)
で、5年目に卒業して、6年目は、
Long Beachに残って、今の妻(当時は彼女)と住んで、
俺はOPTでバイトを掛け持ちしていた。


その後、日本に帰ってきて、
1年目は、3ヶ月弱の就職活動と、5ヶ月間の一社目での勤務。
2年目から3年間は、二社目での仕事。
そして、5年目からは、今の会社での研修を一年行い、
6年目、去年からは、東京に移って、
こうして、海外営業部で働き出した。

*****

日本での生活は、毎日、日本の場合は、
毎日、同じ電車に乗り、
同じオフィスへ出勤し、
同じメンツと顔を合わせて、朝の9時から夕方の6時過ぎまで働き、
また電車に1時間乗って帰って、という毎日。
はっきり言って、単調なので、
だんだんと、飽きてくる。

しかし、こうして海外出張が入ると、
体力的には結構キツいので、正直ツライが、
しかし、違う国に行き、
この国の多様さを感じ、
自分を、というか、
普段、日本の中で暮らしている「自分」という存在を、
客観的に、離れて見ることができる。

そして、「ああ、俺は、日本の生活に慣れようとして、
6年が経ったんだなあ」と、思う。

留学当初、6年間、18歳から24歳までの思春期を過ごしたアメリカのそれから、
日本の文化に急に適合しようとすることは、
やっぱり、自分的にも、結構大変だったんだと思う。

日本は、周りに合わせて、
公共の場では、大きな声を出して騒がずに、
周りと同じ形で動く、
それが、求められる文化だから。

そんな中で過ごしていると、やっぱり、窮屈感を感じる。
その窮屈感は、次第になれていき、
それが「当たり前」となるのだが、
やはり、こうして海外にくると、
いかに、日本は、その「何か」に、みんなが縛られているかに、
気づく。

結局は、日本独自の、「恥を知れ」という文化と、
同時に、島国、というのがそうさせていると思うが。
(インドを始め、他の国と国境が隣接している国であれば、
他の国の人間もガンガン入ってくるので、
そんな風に、「俺たちは日本人だけさ。つまり、自分が「日本人」と意識をすることもなく、みんなが同じ、として、過ごしていけるのさ」
という事になることも、少ないと思う。)

*****

もう疲れたので、終わりにしたいんだけど、
つまり何が書きたかったかというと、
こういうことよりも、
俺が留学をした1年目に、Mt. Shastaで出会ったSandy一家のHannahなんかは、
当時は6歳だったのに、
俺がアメリカを去る頃には、12歳になっていて、
それだけでも、本当に時の流れることの速さにびっくりしていたのに、
今では、彼女も18歳なんだなあ、と。
(何しろ、俺が、日本に帰ってきたときの24歳から、
今では30歳になっちゃったんだから。)


俺が留学をしたのが、18歳で、
で、当時6歳だったHannahは、今では18歳。
12歳から18歳の6年間というのは、
人間としても、まさに思春期を通るので、
考えや人生に対する見方も色々と変わるだろうし、
小学6年生の子供から、
大学1年生の、立派な大人になるわけで。

そんな長い期間を、俺は、
アメリカに帰っていないんだなあ、と。
(去年から出張でアメリカに行くようにはなったが、
自分のいたカリフォルニアには一度も行けていない。)

俺は、この6年間で、
人間としては、24歳の頃から、
そんなに変わっていないと思うけど、
(ただ、落ち着いてきた、それぐらいの変化だと思うけれど)、

6年間会っていないHannahは、
この間に、もう、一人の違う人間へと成長して行ってしまったんだなあ、と。


そんなことを思うと、
なんだか、悲しいというか、
しまった、というか、
時の流れることの早さに、
自分の生活の拠点が、完全に日本にシフトチェンジしてしまい、
最初はそれに慣れなかったのに、
いつの間にか、それに慣れてしまっていることに、

そして、そうやって、いつの間にか、
日本での生活に慣れて、
このまま、40代、50代、60代を迎えて行くんだろうな、
と、毎日、日本での生活の中で漠然と考えている時に、

こうして、ふと、海外に来てみて、
日本以外の国のことに気づき、
(それは、体で気づく、ということ。頭ではなく)

そこで、初めて、
「あ、アメリカを去ってから、もう、6年も経ったのか!」ということを、
その、年月という数字ではなく、
誰かの年齢が変わったことを基に、
その年月の長さに気づくとき、


なんだか、言葉にできない、
人生の早さというか、
儚さというか、

時が過ぎ去っていくことに対する、怖さというか、


そういったものを、ふと、
感じるんだなあ。



******


真夜中は、基本的に、
人間は、感傷的になります。

あと4時間弱で起きなきゃいけないので、
もう寝ます。

そして、今年こそは、
妻と一緒に、アメリカ(もちろんカリフォルニア)に、
古き友人たちを訪ねに、
行きたいと思う。


俺は、昔の友人たちに会った時、
泣くんじゃないか。


2014/02/05 0:43





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October 20, 2013

2013/10/20 18:04

現在日本時間は10月21日の1:05AM。
昨日10月20日の朝5時半に起きて、
6時過ぎに家を出て、
京成に乗り、成田空港へ7時半に着き、
9時45分発のルフトハンザで、フランクフルトへ飛んできた。
フライト時間は11時間45分。
朝の9時15分に機内に入り、
現地に着いたのは現地時間3時過ぎ。
いくらシートがフラットになるとはいえ、
12時間近く機内にいるのは、やっぱりしんどいです。
一度、ANAのビジネスクラスになれてしまうと、
(ANAは完全フルフラットになる。更には、隣に人がいないつくりになるので、
通路側か窓側、などと気にしなくて良い)
ルフトハンザの場合は、ちょっとがっかりしてしまう自分がいる。
今年の4月、初めてルフトハンザのビジネスクラスに乗ったときには、
その凄さに感激していたくせに、
なんとも人間は楽なものにすぐなれるものです。

*****

さっき、空港からタクシーでホテルまで来た。
約20分くらい。
片道チップも入れて32ユーロ。
堅気なおっちゃんだった。

初めてのドイツ。
空港には何回か来たけれど、
国の中に入るのは初です。
ソーセージとビールが飲みたい。
今はオクトーバーフェストということで、
機内では期間限定のドイツ料理がディナーであったので、
楽しみにしていたのに、
いざ頼むと、「すでに品切れになってしまって、
ウインナーがないんです」と申し訳なさそうに言われた。
ウインナーのないオクトーバーフェストって、・・・・
という感じだったけど、他の品はおいしかった。

*****

ということで、今日から約4週間の出張が始まります。
昨日は荷物詰めがなかなか終わらなくて、
妻に手伝ってもらったのに、夜中の1時過ぎまで結局かかって、
最後は妻にひどい態度をとってしまった。
彼女に申し訳ないことをしたと反省しています。
飛行機の中で、今回の持ち物リストを数も含めてつくったので、
次回はこれを見て、すぐに荷物詰めが一人でできるようにします。

以上。

2013/10/20 18:13






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October 11, 2013

2013/10/11 23:01-

この1週間は長かった。
先週はギリシャに8日近く行っていたので、
今週は1週間のペースに慣れるのが大変だった。

やっぱり、10日近く日本を離れてみて、
帰ってきて一番感じるのは、
通勤電車の辛さ。
毎日駅まで10分歩き、
電車に5分乗り、乗り換えで15分〜20分立って待ち、
その後、電車に30分乗り、
それから駅から会社まで10分歩く。
朝は片道、家を出てから1時間20分。
帰りは1時間。
それを5日連続で行い、
かつ、それらは他人に囲まれ、
体はぶつかり、
パーソナルスペールはほぼ無く、
しかも、気温はまだ高いのに、
10月に入ったからと言って、
電車の中は冷房を切っていて、
密集した暑い空気がこもった車内で過ごすとなると、
そのストレスと疲れは、かなり大きいらしい。

この生活に慣れてしまうと、そこまで辛いと思わなくなるが、
こうして10日以上その生活スタイルから離れていると、
いかにそれが辛いものなのかを、体と心の疲れで感じる。

*****

と、暗いことばかり書いているが、
実際の仕事は楽しい。
3月に東京に移り、
4月にはほぼ全てを任され始めてから、
北米(アメリカ、カナダ)、
インドを受け持っているが、
ほぼ問題なくこなせる様になってきた。
初めの頃は、先輩にいちいちやり方を聞かなければいけなかったり、
メールを書いても、その内容を確かめてもらわねばならなかったが、
今では朝出社して、一晩で10件〜15件近く来ているメールに目を通して、
すぐに即答し、
かつ、日中も国内から来る内容にすぐに対応して、、
というのが出来るようになってきた。

貿易業務も問題なく覚えたし、スピードも付いた。

後は、今度はブラジルを初めとした南米(アルゼンチン、チリなども)と、
北米を引き続き開拓して行くのみ。

来週はまた10月20日から、約4週間の海外出張となる。
今度は、フランクフルトに5日間滞在した後、
ロンドンに1日行き、
その後はNYに飛んで、そこからアメリカを回る。
今回はプエルトリコも行く。

帰ってくるのは、11月14日。
妻には悲しい思いをさせるが、しょうがない。

*****

今日は何を書こうとしたかと言うと、
何でも、毎日少しずつ集中してやって行けば、
その時間は短くても、
確実に成長して行く、ということ。

今は、ポルトガル語の習得と、
ギターにハマっている。

ポルトガル語は、6月から本格的にレッスンに通いだしたが、
週1かつ、レッスンの日以外は勉強をしていなかったのもあり、
全く伸びなかった。
また、途中で6月半ばから7月半ばに4週間の北米出張、
その後はインドに1週間、
そして、今度はギリシャに10日間など、
合間合間にいろいろと入り、結局6月にレッスンを始めてから、
一昨日でまだ7回しかやっていなかった。

しかし、今回ギリシャに行き、
自分が全く分からない言語を聞き、
その後帰ってきて、というか、
今回サントリーニで見た夕日に俺はものすごく感動して、
その景色をまた見る為に、(しかも人生で行きたいときに何回でも行ける様に)
本気で俺は頑張って、お金を稼げる様になろうと誓い、
そのためには、今やっている仕事と言語習得を本気で集中しようと誓ってから、
全てが簡単に思えてきた。
というか、やる気の度合いが俄然違ってきた。

前はどこかに、「やらされてる感」があったけど、
今は、今やっている全ての事は、
将来の俺に全て返って来ると分かるから、
全てが積極的。

そんなわけで、ポルトガル語も、
毎日行きと帰りの電車の中でヘッドフォンで聞きながらテキストをブツブツ言っていたら、
大分”分かって”きた。
前は、ポルトガル語の音や、その単語、言い回しなど、
全てがNEW to meで、ちんぷんかんぷんだったけど、
今は大分慣れた。

逆に、毎日ポルトガル語を聞かないと、
なんかそわそわするし、
聞きたい、と思う。
朝起きても、無意識でポルトガル語のセンテンスが
頭の中を流れている。

*****

そしてもう一個は、ギター。

これまた、2010年の5月頃に買ってから、
今年の2月くらいまでは、殆どさわってなかったけど、
2月にチャゲアスにハマったのをきっかけに、
ギターをさわりだして、
それから、エアロスミス、ジャックジョンソン、
ブルーノマーズの曲などを弾くのにハマってきた。

それも、まだコードを抑える指がなれなかったけど、
今は、毎日10分さわるだけで、
どんどん上達して行く。

ギターを初めて直ぐの頃、
スピッツの『チェリー』にトライしたけど
全然弾けなかった。
でも今は、問題なく弾けるようになって、
かなりビックリした。
最初は、FやB、CにBmなどは全然押えられなかったけど、
今は問題なくできるし、
コードからコードへのシフトチェンジもかなりスムースに出来る。

これも結局は、
指がその動きに慣れるまで、何回もさわって、
次第に、考えずとも、
指が勝手にその形に動くようになるのが基本。


ポルトガル語もそう。
考えずに、
頭が、CDで聞いた音を呼び起こす。
それに、ただ自分は感覚で浸るだけ。


そうやって、何度も何度も、
毎日少しずつやって行くと、
ある瞬間に、今まではそれが全く意味不明だったものが、
「あ!分かる!」となる。
その瞬間を迎えると、
一気に、それは楽しくなる。

*****

俺にとって英語も最初はそうだった。

中学3年の夏休みまでは、本気で英語が大嫌いで、
意味が分からない教科だったが、
塾の先生のおかげで、
英語に対する抵抗がなくなり、
ある時から、それまでは100問あったら、100問分からなかった教科から、
100問あったら、80問は分かる教科になった。

そして、『それ』に慣れた瞬間、
つまり、『それ』に対する抵抗を感じなくなった瞬間、
『それ』は、急に、自分の一部になり、
その瞬間、それは楽しくなる。

そう、考えずとも、
体からそれが自然に出る様になったとき、
つまり、それがクセになったとき、
それは、楽しくなる。

*****


俺は、今月の22日で、30歳を迎える。

昔読んだ本で、
「30歳の誕生日にやっている事を、
人間は、一生やって行く」というような事を言っている対談を読んだ。

その対話は妙に俺の心に残っていたが、
今年の誕生日は、フランクフルトの展示会会場で、
各国のお客さんと会議を何個もする事になる。
多分忙しいからやだけど、でも結局、
そうやって、世界中の色んな国の人種の人たちと
ビジネスを行い、
そういう状態にいられることを、俺は好きだから、
(そしてカッコいいし、自己満足が大きい)
誕生日にその状態にいられて、良いんだと思う。



30歳から、定年の約60歳まで、
残り30年しかない。
20代は、つまり、『若い時期』は、
あっという間に終わってしまった。
日本に24歳で帰ってきて、
毎日懸命に生きていたら、
あっという間に過ぎ去ってしまった。

でも、もう、俺はそれを後悔していない。
過去を後悔していない。
今の状態に、ある程度は満足しているから。

24歳から29歳まで、随分と色々な道を通り、
辛い日々を過ごしてきたが、
(正直言って、24歳から28歳の5年間は、
本当に、辛かった、という感じが大きい)
その分、今、やりたい事を仕事として出来ていて、
扱う製品も、満足のいくもの、業界だし、
その知識は、グローバルにどこでも使えるし、
言語力も、英語以外にも身につけられているし、
会社の人間関係もとても良いし、
海外出張はたくさん行けるし、
素晴らしい妻もいるし、
(彼女には寂しい思いをさせて申し訳ないけれど)

本当に、これまで諦めずに頑張ってきて良かったと思う。


******


50歳を超えると、ある程度体力は落ちるだろうから、
残り10年×2回しか、フルに動けないと思う。
人生は、短いと思う。本当に。
松下幸之助が、
若さをもう一度手に入れられるなら、
今まで手にしてきたものは全て手放してでもしたい、
と言っていた本を、15歳くらいの頃に読んだが、
そういう気持ちを持ち続けてきても、
もう既にそれから15年が経ち、30歳になった。

自分が、60歳を迎える日は、
きっと、自分が想像するものよりも、
ものすごく早いのだろう。


だからこそ、後で悔いの無い様、
生き抜きたい、
自分の人生の可能性を、フルに使って、
最大限まで発揮し、
俺の人生を、使い切りたい、と思う。

久々の、熱い日記。
しかし、その”熱さ”は、
若い頃の表に出るそれとは違い、
今では、内面の丹田の辺りで、
どっしりと構えて、燃えている熱さ。


2013/10/11 23:36






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July 27, 2013

2013/07/27 0:07am-

さて、すごく眠いので少しだけ。

******

昨日はインドのことをぼろくそ言いましたが、
インド人の皆さんとインド在住のみなさん、ごめんなさい。
今日は、日中は顧客を3つ訪問し、相変わらずでこぼこ道を車で合計3時間以上走って大分疲れましたが、
夜は、19時頃から当社の取引先の商社の方々と一緒に、
ムンバイの新興商業地域にある中華料理屋で食事をして来ました。

ここのつくりがすごかった!!
すごくおしゃれで、日本のどんなレストランよりもおしゃれなんじゃないかと思う。
(たぶん、日本にはもっとおしゃれなレストランも五万とあると思うけど、俺はそれらのレストランに行ったことがないので分からない。)
トイレの入り口と中にはボーイが一人ずついて、
個室のドアはものすごく重くて(石のような素材でできている)、なかなか開かないくらい。
ボーイがわざわざあけてくれる。
手を洗うと、さっとボーイが、大きなトングみたいなのでハンドタオルをつかんで、それを渡してくれる。素晴らしい笑顔とともに。
そして、みんな小奇麗にして清潔感がある。

店内はとてもお洒落で、明かりは最小限。
ウェイターも教育が行き届いていて、素晴らしいサービスだった。
もちろん、値段設定は高い。一品(例えば一皿)が、500Rsくらい。これは普通のレストランに比べたらかなり高い。
しかし、こんなレストランでも、普通に金持ちそうなインド人のカップルがデートしたりしている。

そして、このレストランがある一帯は、元々はスラム街だったらしいけれど、
今では金融系が集まるところだとか。
証券会社、銀行のビルが所狭しと並んでいる。
日本にもないような立派で近代的なつくりの建物が、いくつも建っており、
さらには、その横に何個も新しいビルを建てている。

しかし、そこから1分も車で走ると、
一気にスラム街が広がる。
『スラムドッグ・ミリオネア』の主人公の男の子の出身地の設定はこの辺らしく、
実際に撮影もこの近くで行われたそうな。

道端には、10Rsでチャイを売る店があり、
しかし、それでも高いので、5Rsでチャイを買う人たちが沢山いる。

しかし、そこから一分車で走ると、
一食に5000Rsをかけて食事をする人たちがいる。

この差は何か。
その中に身をおいて、色々なものを感じる。

世界は広いと思う。
俺は今まで、自分が生まれた日本を含め、
アメリカなど、既に発展した国でしか長年を過ごしてこなかった。
唯一学生時代に訪れたアジア地区(カンボジア、タイ、中国のシンセンなど)や、
中米(グアテマラ、エルサルバドル)は、
発展途上国ということが分かったけど、そして、それらの国が既に発展した国々とは違うパワーや雰囲気、人を持つことは感じていたけれど、
ここまで、インドのように、
上から下までの格差が激しく見せられる国はなかった。

それに関して話をすると、
中国などは、必死に政府が貧しいところを隠し、
良いところだけを外国人に見せようとするけれど、
インドは全てをあけっぴろげに見せるらしい。
要するに、全てがシースルー。
汚いところは隠す、ということをしない。
それにより、本当は、どの世界にも表と裏、光と闇はあるだろうが、
この国は、その両方が同時に見え、むしろ、見えすぎるので、
その対比を一度に見ることで、
脳がついていけず、
ただひとこと、
「世界は本当に広いんだ」ということを感じざるをえない。

日本は既に発展しきっている。
これ以上、何かが飛躍的によくなる、伸びる、変わる、
ということはほぼないだろう。
人々の生活レベルは発展仕切り、
誰もが同じような生活レベルである。
なので、「人生こんなもんか」という概念が生まれる。
みんな、生まれて、家庭で育ち、
学校に行き、卒業したら、どこかの会社に入って、
そこで定年まで働き、定年後は老後を静かに楽しむ。
そんな生き方が、「人生である」というマインドが、
勝手に出来上がる。

しかし、それは、他の国から見たら、
すごく生活レベルが高いし、恵まれていること、
また、ある意味は、
変化が余りにもなく、エキサイティングではない、
と言えるかもしれない。

インドで、階級の下の方に生まれたら、そこから億万長者に上がっていくことは多分相当難しいだろう。
しかし、生まれたときから超金持ちの人間と、
ものすごく貧乏な人間が、
同時に、同じ空間に共存している。目と鼻の先に。
その実態が、自分の今まで生きてきた環境には無かったので、
そこに、感じたことのない感情を感じる。

*****

「インド」とはどういう国か?
一言では決してあらわせない。
だから、少しの体験をして、
「これがインドか」と決め付けてしまうことは、
余りにもったいないし、インドに対して失礼である。

******

ちなみに、その商社の方々いわく、
インドにビジネスで一度来た人たちは、
2度目も来る、ということがほぼないらしい。
みんな、インドで経験するマイナスの点に目を向けて、
「もういいです」と遠ざかっていくそうな。

でも、俺の場合は、
昨日の偏頭痛が凄かった車のライド中は、
「もう嫌だな」と結構思ったけど、
今日のような場所に行ってみて、
そこにいる人たちも見てみると、
「インドはかなり面白いんじゃないか」と思ってしまう。
要するに、開拓しがいがある。
難しいと思うけど。

*****

そして、寄寓にも、
今日食事をしたその商社の人たちは、
みんな同じような経験をしていた。

41歳のインド支店社長は、
大学時代はバックパッカーで、専攻はスワヒリ語。
初めて行った外国はケニアで、そこで3ヶ月過ごしたそうな。
10年前から5年間中国で過ごし、中国語が話せ、
今はインドに駐在して4ヶ月目。
ちなみに新婚で、この3月にインドに来る直前に入籍したばかりで、
奥さんは来年にならないとインドに来れないとか。
大変ですね。

33歳のマネージャーは、
高校時代にブラジル、サンパウロの郊外に一年の留学経験あり。
よって、ポルトガル語が話せる。
大学ではデンマーク語を専攻。
1年半をシンガポールで駐在した後、
今はそのまま、インドに来て3年目。
奥さんはシンガポールから一緒に付き合ってくれているそうな。

そんな人たちなので、俺も気が合った。
やっぱり、若い頃から海外に行っていたり、
バックパッカーで回っていたり、
または、新興国を回っている人たちは、
好奇心旺盛というか、物好きな感じの人が多いね。

それと、これからは、やっぱりブラジル、
それからドバイ、中東、アフリカも開拓外があるそうな。

インドからドバイは飛行機で2時間。
俺が今一緒に出張している営業本部長は、やっぱり社員の安全を第一に考えなきゃいけないから、ブラジルも今はちょっと危ないと聞くし、
中東やアフリカはまだ送れないけど、
ドバイは良いんじゃないかと。
だから今度インドに来るときは、
ドバイも一緒にちらっと行くかもしれない。

*****

そんな風に、世界を回れる仕事に就けて、本当にラッキーだと思う。
妻は長期間俺が日本を離れると悲しむし、寂しい思いをさせてかわいそうだけれど、
同時にやっぱり、こういう状態にいられることを、嬉しいと思う。

商社マンと一緒に仕事をしてみて、
商社の社員はやっぱり、
世界中の色々な国に出張でいく、というよりは、
一つの国に、数年間駐在させられる、という形が強い。
それに、自分がこれから数年住む国は、自分の意思で選べない。
数年そこに住むから、パートナーとの事も考えなきゃいけないし、
子供をどのタイミングで生むかも考える必要がある。
(インドに今住むその2人は、やはりインドで産むかどうかは考えさせられるという。)

そして、メーカーと比べて、
色々な製品を扱えるから、制限がないけれど、
その代わり、その会社が持つ絶対的な強み、みたいのは、
要するにネットワークだけになってしまうし、
そこで身につける知識は、広く、浅く、になる。
一つの分野を、とことん極める、ということができないので、
そこがもどかしいと言う。
そんなとき、「メーカーがうらやましい」と時々思うという。
メーカーの持つ、社員の一体感もうらやましいと。


その点、俺が今勤める会社は、
メーカーということもあり、
一つの分野を極められる。
そして幸いにも、その分野は、
今後決して無くならないし、そこで身につける知識は、
世界中どこに行っても共通なので、どこでも使える。
また、究極的には人の役に立つものを作っているので、
使命感も持ちやすい。

そして何より、これが大事だが、
海外営業担当者が少ないのもあるし、
海外営業の本部長は、「海外にどんどん行け」という考えなのに、
うちの会社はみんな余り海外に行きたがらないので、
俺のように、喜んで行きたいやつが、真っ先にいける。
そして、国も、一つの国担当、というわけではなくて、
俺の今の場合、北米(アメリカ、カナダ)、南米(ブラジルなど)、
インドを任されている。
(いずれは、国内営業もローテーションで回ってくるらしいけれど。)

また、海外営業内でもローテーションがあるので、
他にも、アジア地域や、ヨーロッパも回れるだろう。

要するに、文字通り、
「世界中を回る」ことができる。

*****

学生時代、面接で、
「世界を飛び回るビジネスマンになりたい」というと、
「そんな漠然な答えは聞き飽きたよ」とか、
「そんな風に、いくつもの国を回れる仕事なんて余り無いよ」
なんて、会社の面接担当者から言われたけど、
実際、俺がやりたいことは、
「海外を回る」ことだし、
もっと掘り下げて、と言われても、
それ以上は、実際にやってみないと、分からない。
それが、答えであったと思うし、
だから、それ以上は答えられなかった。

実際、今この仕事について、
それだけの動機で、良かったんだと思う。
「世界を飛び回るビジネスマンになりたい」なんていうのは、
大雑把すぎて、
イメージが先行しすぎて・・・
なんてからかわれたけれど、
実際には、そんな仕事だって、あった。
そして、俺はたまたま、そんなポジションに付けた。

ラッキーだと思う。

自分が興味の持てる製品を扱い、
また、会社の人たちも、良い人たちだし。

本当に、恵まれていると思う。
ポルトガル語も、会社のお金で習わせてもらっているし。
ビジネスクラスで出張に行かせてもらえるし。

*****


というわけで、
29歳、
今の自分の人生に、感謝をします。

2013/07/27 00:51am




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July 26, 2013

2013/07/26 12:08-

さて、今日も疲れたけど日記を書く。

*****

インド出張はかなり辛い。
体力的にきつい。
そして、車に乗る時間がすごく長いんだけど、
道路状況が余りにも悪いので、今日はこめかみの辺りの偏頭痛が止まらず、上司に薬をもらって横になって寝たらやっと治まったが、本当に死ぬかと思った。

昨日の日記にも書いたけど、こっちの人たちは、とりあえずクラクションを鳴らせば良いと思っている。
本当にうるさい。マジで、ビックリする。アホかと思う。
でも、車の運転と、その国の人の歩き方って、
本当にそっくりだなと思う。
日本は、歩くときも、まあみんな普通に歩くし、車の運転もまあまあ。丁寧な人間もいれば、後ろからあおるように飛ばしてくるアホもいる。
アメリカは、歩くときには絶対に人にぶつからないように歩くし、少しでも体が触れそうになると、Excuse meと言って相手に自分がいることを知らせる。
車の運転もそう。歩行者に優しい。

そしてインドは、絶対に待たない。
飛行機に乗る際にも、どうせ飛行機に乗ったら同じだけ待つのに、
みんな搭乗するときから並んで、すごい距離を縮めて立つ。
そして車の運転もひどい。少しでも前で車が止まると、とりあえずクラクションを鳴らす。クラクションが鳴らない瞬間は絶対にない。少なくとも3台は同時に鳴らしている。
この国では、車の部品の中でクラクションが真っ先に壊れるらしい。
後ろから自分が前の車の間を行くときに、相手に「後ろから行くからぶつかるなよ」という意味で鳴らすのはまだ良いにしても、
空港とかで、前の車に人が乗り込むために一瞬止まるだけでも、とにかく鳴らす。
鳴らして、3車線しかないところを、6車線くらいで前に進む。
そんなに隙間を急いでいっても数分もかわらないのに、
とにかく、少しでも隙間があればそこから前に行こうとする。
飛行機に乗り込んだり、または列に並ぶ人間と一緒。
列に並んでいても、知らぬ顔をして前に割り込む。
(そういうやつには「おいお前」という感じで荷物でつついたり、手で向こうにいけよという仕草をすると、素直に下がる。その辺は中国人と違う。)

とにかく、インド人というのは、
よく分からない。

今日は5時におきて、
ホテルを6時半に出て、
ムンバイ空港を9時に出発して、
2時間飛行機に乗り、
11時から2時間、車に乗り(この道がひどかった。とにかく、2時間車体が上下に揺れるは、タクシーの運転手の運転がへたくそだったので、急ブレーキをかけまくるは、常にのろい速度でも5ギヤで無理に速度を出そうとするから、車体が不用意に揺れて、それらのせいで帰り道は偏頭痛がとまらなかった。)

13時から顧客とランチを食べ(やっぱりカレー)
その後は30分ほどMTGを行い、
15時に出て、2時間車に揺られ、
17時から19時まで空港で待ち、
19時から2時間飛行機に乗り、
それからまた車に20分乗り、
やっとホテルに着いたのは、22時半。

もう、今日、頭痛がとまらなかったときは、初めて、
「海外出張やだな」と思った。
アメリカのそれはずいぶんと快適だけど、インドのそれは本当にひどい。
とにかく道が悪いし、これで腰を悪くする人も多いそうな。
絶対に体に悪いと思う。
そして、牛と野良犬と人と3人のりのバイクとチャリと車とリキシャの全てが、縦横無尽にあらゆる方向から突っ込んでくる。
この国にモラルは無いのかと思う。というか、「警察」という存在を見たことが無い。
空港では、荷物のチェックと身体チェックは必ずするくせに、
荷物に水のボトルがはいっていても、何も注意されなかったりする。
結構インドではテロも起きているくせに、あの、「とりあえず形だけやっとけばいいだろう」という感じの適当さを見ると、本当にどうなってんのかと思う。

でも、こういう新興国って、
日本ももしかしたら戦後はそうだったのかもしれないけれど、
ルールがあるように見せかけて全然ないし、
人々のモラルが低すぎると思う。
で、その「モラルの低さ」を見ていると、
一言で表すと「アホ」といいたくなる。
アメリカは、全てが大雑把で、大味で、
とにかく、みんなが好き放題に生きていて、
みんな、子供のような自由な国なので、
一言で表すと「バカ」だけど、
インドは、一言で表すと「アホ」。
「バカ」は、子供のようで、何も考えずに行動を取る人をいう。
「アホ」は、本当はよく考えたら分かる頭の良さを持っているくせに、
みんながそうしているから、自分も特に考えずにモラルに沿わずに行動する人間を言う。
俺の勝手な感覚による定義だけど。

*****

さて、何を書いているんでしょうか。

でも、上にアホとかバカとか書いたけど、
出来るインド人は、やっぱり頭の良い顔をしている。
今日はるばるバンガロールの奥地まで会いに行った顧客の上司は、
本当に賢い顔をしていた。
というか、その会社の人たち(全部で5人くらい出てきた)は、
みんな賢い顔をしていた。
製薬会社というのもあるかもしれないし、
研究開発部や、または、マーケティングのトップが出てきたからかもしれないけれど、
とにかく、その上司は賢い顔をしていて、
実際の商談でも、非常に頭が良いなと思わせる発言、話の持って行きかたをしていた。
インドに来て初めて、「あ、こんな人になりたいな」と思える人だった。

今日は、インド内でうちのビジネスを任せている商社の担当者と一緒に回ったんだけど、
その彼に、帰りの空港で色々聞いた。
なぜインドでは、かたや少数のお金持ちは、家賃50万円のアパートに住む人もいれば、
一日に1ドルも使えない貧困の人もいるのか。
(この質問はナイーヴすぎると思ったけど、やはり聞かずにはいられなかった。)
答えは、それらのお金持ちにしても、貧困層にしても、
階級のために、生まれが大きいという。
そして、生まれたときからお金を持っている人間は、
それをうまく生かして自分の代でもビジネスを発展させられるか。
しかし、多くの人間がその間のミドルクラスにいるという。

インドは今、この5年でずいぶんと変わってきたという。
車の数も一気に増え(去年一年だけで、新しい車の種類は70種類増えたとか)、
そしてここムンバイは、イギリスやオーストラリアなど、
海外の人間が土地を買いあさっていく為に、
土地代がバブル状態にあるという。
殆どの企業は、インドのここムンバイに、本社を置こうとする。
それもあり、土地代の上がりようはハンパない。
数年前までは、チップは10Rsでよかったのに、
今では100Rs渡さないと満足しないボーイもいる。
(100Rsといったら、USD2ドルである。アメリカのチップより高いし。)

昨日の晩に、また別の顧客と食事をしたレストランは、
ITC Marathaというホテルの中にある中華・日本食・タイ料理などのアジア系レストラン。
えびのてんぷら5本で、1500円(750Rs)という、ものすごい値段設定の店だった。
しかし、その店で普通に食事ができるインド人も多いという。
(昨夜の場合、殆どの客は日本人やアメリカ人などのビジネスマンだった。)

そして、そのホテルの中は、本当に綺麗なつくりで、目を見張る飾りが多かったけど、
一歩外に出ると、道はボコボコで、ごみが道路に溜まり、
野良犬が走り回っている。


大分話がずれたが、今日、そのディーラーから聞いた話では、
インド人がこれだけ成長している強みは、
1)「世界中どこにでもすぐに行く。国を変えることを厭わない」
2)「同時にいくつもの仕事を同時に行うマインドとタフさを持つ」
3)「英語を公用語として使うので、言語のバリアが最初からない」
などが挙げられるという。

本当に、「貪欲」という言葉が似合うと思う。
戦後の日本も、こうだったのかと、感じる。

*****

そして、話は変わるが、
一歩外に出ると、道には人が溢れているが、
不思議と、殆ど男しかいない。
女性は、やはり差別が強いらしく、殆ど外に出ていない。
牛が、普通に道を歩いている。
乳牛から、茶色の牛まで、
車がバンバン走る道にのっそりと歩いて突っ込んでくる。

野良犬が多い。
みんな顔がしゅっとした同じ顔をしているけれど、
その昔、イギリス統治時代に、イギリスからつれられてきた高貴な犬が祖先らしい。

インド人は頭を濡らさなければ風邪は引かないと信じているらしく、
バイクを運転しながら、
頭にスーパーの袋をリアルに被ってドヤ顔でバイクを走らせている男たちが結構いる。
あれはかなりツボにはまった。
アメリカで、黒人が頭にくしを差しているのを見たときと同じ衝撃。

******

などなど。
まとまらない日記でした。

2013/07/26 12:42





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July 25, 2013

2013/07/25 12:18am-

さて、もう夜中の12時過ぎで、明日は5時起きなので寝るべきですが、ちょっとだけ日記を書きます。

*****

インドに来て4日目。
今日は水曜日。
日曜日の夜に着いて、月、火、水と3日経った。
インド出張はアメリカ出張と比べてかなりきつい。予定が入りまくり。
昨日は朝の4時におきて、5時半にホテルを出て、日帰りでハイデラバッドに飛び、
帰りの便は飛行機が2時間以上遅れたので、ホテルに着いたのは夜中の2時前だった。
実に起きてから22時間行動。「24時間働けますか」のフレーズを思い出した。

昨日は3社+うちの取引先の商社と食事をしたのもあって忙しかったけど、今日は一社しかアポが無かったので楽だった。しかし、片道車で1時間。
インドは本当に道が悪い。ものすごい。ボコボコだし、道路工事中のところばかり。聞いた話によると、雨季(6月〜9月)であるこの時期をあえて選んで工事をするらしい。理由は、雨の為に工事が遅れているといえば、仕事が遅いのを紛らわせるから、と。

なので、普通に飛ばせばすぐの距離も、ものすごく時間がかかる。
いちいちスピードを落として、それらのバンプをゆっくりとわたるから。
しかも、信号はあっても関係ない。本当に文字通り、四方八方から車、人、リキシャ、野良犬、牛が歩いてくる。これはすごいですよ。普通に高速道路を人が歩いてわたるからね。
しかもみんな、車の超ギリギリまで近づいてくる。
車も、決して待たない。真横から車がギリギリまで近づいてくる。
そしてインド人のすごいところは、クラクションを鳴らしまくる。
クラクションをならせば良いと思っている。
クラクションをならすことで、後ろから来ているよというのを知らせる。
クラクションを鳴らして、3車線の道路を6列くらいで走る。
そもそも、車線という概念がないらしい。

そして、それらのものすごい運転を、なんと殆どの車がマニュアル車で行う。
つまり、みんな片手(右手)でハンドルをさばいて、左手でシフトを操作する。
あの運転技術はすごいね。
バンプをよけながら、車の合間をぬい、クラクションを鳴らして、いかに目的地に早く着くかを競う。インド人ってかなり運転が上手いんじゃないかと思う。
そして不思議に、こんな状態でも、事故はほとんど起きないらしい。
なんでも、こっちの車保険は、ぶつかった場合、相手がわるくても、自分の車の修理用しか保険が降りないので、「ぶつける=自分の保険料が上がる」ということで、みんな絶対に自分の車をぶつけないらしい。すごいっすね。

*****

それと、格差が激しい。これはまた後で書くけど、
高速道路の真横にテントを張って暮らす家族もいれば、
高級ホテル(Hyattとか)のレストランに行くと、一食一人1万円くらいかかったりする。そして、日本人でも高いと思うそんな高級レストランで普通に食事ができるインド人が沢山いる。(普通の食事は、例えばマクドナルドのバーガー一つは25RS、要するに50円くらい。それでも高級な方ですが)

ここムンバイの家賃は、高いところは一月50万円とか。そして、それに住めるインド人がいる。
今夜会った会社の社長いわく、日本に彼は最近オフィスを開けたが(俺たちの会社の近く)、「日本の家賃は安いね」という。ええ?という感じだった。

*****

とにかく、インドはDiversityがハンパない。
俺がバックパッカーをしていた頃、インドに一度でも行ったことのある人間はみんな口をそろえて、「インドは絶対いったほうがいい。世界観が変わる」と言っていたが、
その意味が少しだけ分かった気がする。
でも、彼らバックパッカーが主に行く場所と、俺が今いる場所(ムンバイ、ハイデラバッドなどの大都市)は、それらの場所と違うと思う。見るもの、体験することも違うと思う。
なので、彼らが行っていた「インド」は、俺はまだ見ていないし、理解できていないと思う。

インドと一口に言っても、本当に幅が広すぎて、一言では表せない。


そして、食事は必ずカレーが出てくる。
韓国人が必ずキムチを食べるように、そして日本食には必ず味噌汁がつくように、
インド料理には必ずカレーがつく。
スパイスの種類と量がハンパない。
数日それらの食事をするだけで、体から加齢臭ならぬカレー臭が漂ってくる気がする。
加齢臭は幸いにもまだだと思うけど。

**********

以上。

2013/07/25 12:36am


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July 21, 2013

2013/07/21 18:54-

今は飛行機の中。
インドのムンバイへ向かう途中。
日本時間は上に書いた時間だが、
現地時間は日本より3時間半遅い15:24.
あと2時間半近くで着く予定。

インド行きのANAの便は、ビジネスクラスといえども、
アメリカ行きやヨーロッパ行きのそれとは大分違う。
機体も小さいし、席も、フルフラットにはならない。
まあ、俺にとっては十分なんだけど。

今年に入ってから、5月頭にスイス/フランスへ。
6月末から7月頭にかけて、アメリカ/カナダへ。
そして、今、7月末に、インドへ出張。
本来はインドから帰ってきて1週間後にブラジルが入る予定だったけど、
これはビザが間に合わないという理由で無くなった。
体力的にきつかったので、ほっとした。
8月8日のエアロスミス&B’zのライブもいけるようになったし。


さっき、落合信彦の『男たちの伝説』を読み始めた。
たぶん、この小説を読むのは、
6回目くらいだと思う。
初めて読んだのは、中二の9月ころだった。
当時お世話になっていた元水泳のSコーチから買ってもらった。

俺は、彼をすごく尊敬していて、
当時の俺にとっては憧れの的だった。
彼のようになりたく、彼を手本にして生きていた。

そんな彼が、俺に、「この男の生き様は、本物の男だよな」
と言って紹介してくれたのが、落合信彦だった。
そして、夏祭りに一緒に行ったその夜に、
俺と姉貴を、食事に連れて行ってくれて、
その前に、本屋によって、
この本と、もう一冊、『2039年の真実』
の2冊を買って、プレゼントしてくれた。

俺にとって、こういう小説を読むのは初めてで、
13歳の俺にとっては知らない漢字や単語も多いし、
全然馴染みの無い世界だったので、
最初は読みにくかったけど、
次第に読み進めていくうちにはまっていって、
その後は、落合の別の小説も読むようになって行った。

*****

今、こうして、その当時(1997年の夏)から、
16年経ってみて、またこうして読み返すと、
この本の面白さをまた一段と感じる。
当時は分からなかった内容も、
今では前よりも分かるようになったりして、
その内容にリアルさが増す。

さっき、プロローグを読んでいたんだけど、
中には、主人公の仁科が、
NYのJFKに降り立って、
そこから、キャデラックのリムジンでマンハッタンのレストランへ行く様子が描かれていた。
奇しくも、俺が先日行ったアメリカ出張では、
NYのJFKに降り立ち、
そこから、リムジンに乗ってマンハッタンを越えてホテルへ向かったり、
マンハッタンのレストランで食事をしたりしていたので、
この登場人物の行動に近いことをしていたんだなと、
ふと思った。

前にも日記に書いたことがあるかもしれないけれど、
俺は、この水泳のコーチ、
そして、彼に紹介してもらった落合信彦の小説に登場する主人公たちの生き様に、
近づきたい、という願望が、
無意識に脳の中に、埋まっているんじゃないか、と思う。

俺は少し前まで、貿易に関わる仕事をしたいと思っていたけれど、
それも、このコーチのやっていることだし(貿易で自分の小さなオフィスを持って経営すること)、
世界中を飛び回るビジネスマンになりたいというのも、
この小説に登場する仁科の生き様そのもの。
日本人ながら、どの人種にも負けない肉体的強靭さと、
切れる頭脳、
そして、数ヶ国語を操ること。


当時13歳の自分にとって、
Sコーチは、完全に憧れの存在だった。
そして、彼の様に生きること、
彼が、「これこそ男の生き方だ」という、落合信彦の描く世界の主人公たちのように生きること、
それを、手本にしていたことは、
俺の脳裏に、自分が思う以上に、
深く刻み込まれ、
その後、自分の進路や生き方を考える際に、
無意識ながらも、強くそれらが影響していたんだろうと、思う。

*******

ちなみに、最近は、昔と違って、
「自信を持ちたい」と思うことがなくなった。
前はしょっちゅう、「もっと自信を持ちたい」
「もっと自分に自信を持ちたい」
と思っていた。

しかし今では、そう思うことは皆無に等しい。
去年、本社で研修を受けているころ、
自分が、ほんの数年前の自分と違い、
何かを経験しても、そんなにそれによって、
自分の心が揺さぶられないことに気付いた。

それまでは、何かあると、
すぐに影響を受けて、
俺の心は揺さぶられ、
それによって、ショックを受けたり、影響を受けたり、
ということが日常茶飯事だった。

しかし、去年(28歳ころ)、
そういうことは、もう殆ど無いことに気付き、
ある意味、俺の成長は止まってしまったのかと、
少なからずショックでもあった。

そしてそれから更に1年ほど経った今では、
そういうことにも不思議さを覚えず、
むしろ、今の自分よりもっとこう変わりたい、
と思うことがほぼ無くなったことに気付いた。

もちろん、
もっと英語を上手く話せるようになりたいとか、
もっと別の言語を使えるようになりたいとか、
教養をもっと身に付けたい、
もっと貫禄を付けたいとか、
そういう願望はある。

しかし、そういう、スキル的なものではなく、
自分の核心的な、
「もっと、人間としての視野を広めたい」
的な願望は、もう殆ど抱かないことに気付く。

ほんの数年前までは、それだけが、
俺の一番の興味対象だった、と言っても過言ではないのに。

しかしそれも、
もう俺もあと3ヶ月で30歳になるし、
やっと、自分のコアが固まってきたのかと、
そうとも思う。

*********

俺は、見た目が童顔ということもあるが、
他人に実年齢よりも若く見られる。
決して、29歳には見られない。
せいぜい、27歳くらいにしか見られない。
20代前半は逆に、
25歳くらいにいつも見られていたのに。

*********

素直さ、正直さ、
だけを武器にする年齢は、もう終わった。
30歳にもなって、
ただ自分が感じたままに正直に言葉を発していては、
「若い」「経験が浅い」「深みが無い」
と見られてしまう。
先日の出張中、一緒に回った営業部長に、
「君は意外と教養がないんだね」と言われた。
俺がそれまでの第三者との会話で持ち出す質問の内容に、
「知らないことが多いんだな」と感じたという。
彼の言う教養とは、広く浅い知識。
どんな方面にも、一般常識からもう少し深く掘り下げたくらいまでは、
知っていること。

たまたま、そのとき話題になった内容で、俺の知らないことが出てきて、
それを素直に、話の腰をさえぎって、
「すいません、○○って何ですか?」
と聞くことは、時に、相手に、「そんなことも知らないのか」と思わせる。

俺はこれまで、素直に知らないことは「それって何ですか」
と聞く姿勢を通してきたが、
それも、そろそろ止めたほうが良いことを、
先日、その営業部長の言葉を妻に言ったときに、
話した。
知ったかぶりを余りするのも良くないが、
ある程度のことまでは話をあわせておいて、後で自分で調べるのも必要。
一番悔しいことは、100のジャンルがあったときに、
たとえ80のジャンルに関してはかなり深い知識を持ち合わせていても、
残り20のジャンルの話になったときに、一つも知らないようでは、
それだけで、「何だお前は、そんなことも知らないとは、
きっと、他の80も知らないんだろう」と思われること。
それが、相手に、会話の中でなめられると、
そう、その営業部長は注意をしてくれた。

男は、良い父親であると同時に、
できるビジネスマンであるべきだ、と。
そして、できるビジネスマンは、
経験、教養を持ち合わせることだと。

使う英語に関しても、注意をされた。
俺は、会話の中に”you know”を多用しすぎる、と。
それを言われるまで全く意識をしたことがなかったが、
確かに、その後自分が英語を話す際に、
何か言葉に詰まったり、考えるときに、
You knowをやけに連発することに気付いた。
彼曰く、you knowは、黒人が”You know what I’m saying?”のノリで使うように、
教養レベルの低い人間の使う言い回しだと。
よって、それよりは、
“I mean”や”well”を使ったほうが良い、と。

そのように、
「教養がない」
と会話の中で見られると、相手になめられるぞ、と。
しかし、こういうのも、
あなたに、できるビジネスマンになって欲しいから言うんだと。
きちんとした名の通るビジネスマンになれば、
他の会社から引き抜きもかかるし、
年収数千万もかなう、と。

彼は、その日、
出張で最後に一緒となる夜に、
俺にチーズバーガーとワインをおごってくれ、
その話をしてくれて、
しかし最後に、「ごちゃごちゃ言ってすみませんでした」
と言葉をつけ添えてくださった。
自分も若いころは、上司によく食事に誘われたけど、
やっぱりこうして若いものと一緒に食事に行くと、
ついつい色々言っちゃうんだ、と。
そして、自分は当時、そいう飯はまずかったから、
自分は若いやつに同じことはしたくない、と。
でも、今日こうして言っちゃったね、と。

俺は浅はかにも、そうやってその部長に言われて、
自分が「教養が無い」と言われたこと、
そして、自分の英語に関して指摘されたこと(考えてみたらこれまで、自分の英語に関して誰かに指摘されたことはほぼ無かった)に関して、
腹が立っていたので、その部長に感謝というよりは、
「ちきしょう」という悔しさしかなかった。
(案の定、いつもどおり、その悔しさは数日続いた。
それから5日くらいたって、久しぶりに妻に会い、
そのことを話して、
そこで妻に、「あなたはその部長に感謝しなきゃだめだよ。
その人は、そうやって言ってくれることで、
あなたに、もっと出来る人になってほしいと思ってくれているんだから」
といわれ、そこで初めて、
その部長の言動のありがたさを知った。

*****

上に書いたことは、最近自分におきたこと。
そして、自分が今感じていること。

人は、相手の忠告を素直に受け入れられなくなると、
そこから成長はしないと思う。

同時に、「素直さ」と「バカ正直さ」は違う。
自分を成長させるために素直さをいつまでも持ち合わすことは大事だが、
その「素直さ」を、バカ正直にいつでも出して、
尻尾を振った犬の様にいつも振舞っていると、
相手に確実になめられる。

男は、ある程度の年齢になったとき、
自分の顔に責任を持てという。

いつまでも、成長し続けたい。
自分が納得いくまで、成長を止めたくない。

結局は、自分が納得の行く人間になるまで、
自分をレベルアップさせることの願望が強く、

そして、先日妻に言われたように、
俺は、究極的な、「負けず嫌い」なんだと思う。
相手になめられなくない、という。

結局は、小学校のころに、
いつも、「○○君はすごいね。なんでもできて」
と言われた、優等生的な状態、
ちやほやされた状態に、いたいんだろうな。
結局、末っ子ということか。

******

以上、まとまらない自己回想。

2013/07/21 19:48


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July 16, 2013

2013/07/16 7:58-

今、羽田空港から自宅への電車の中。
やっと日本につきました。

シカゴの空港を13時半に出て、
15:45の飛行に乗り、8時間飛ぶ。

その後、フランクフルト空港で5時間近く待つ。
6:20ごろ飛行機が着いて、12:00発まで待つ。
ビジネスクラスのラウンジでシャワーを浴びて、仮眠室で寝たら、
なかなか寝付けなかったんだけど、アラームが鳴って、
ふっと気を抜いて、はっと気付いたら、
登場時間の1分前だった。

急いでカウンターへ行った。あぶなかった。

****

そこから、12時間のフライト。
飛行機の中では、
シカゴ→フランクフルトで、”Admission” Tina Feyの主演のコメディドラマ、
それと、”GI Joe Retaliation”を見る。

フランクフルト→羽田は、Matt Damonの”Promised land”と、
“Safe Heaven”を見た。
前者は、舞台がアメリカの田舎(農場)。
後者も、この前行ったNorth Calorinaだったので、
なんだか親近感が沸いた。

やっぱり、ああいうアメリカの田舎を舞台にした映画は、
そういうところに行ったことがあると、より現実感が沸いて面白いですね。

*****

日本についてまず感じること。

空港がすごく綺麗。
フロアにごみ一つ落ちていない。

暑い。
湿度の高さもあるけど、
それ以上に、建物内に必要以上にエアコンをかけない。
アメリカは、凍えるくらいにエアコンをガンガンかけるから、
それもどうかと思うけど、
日本のように、根拠の無い冷房設定28℃を遵守しているのもどうかと思う。

静か。
電車の中は、通勤時間で人がものすごいいるのに、
すごく静か。
もう慣れてきたけど、
最初の数分は、目をつぶると、
「あれ?この列車の中には俺を含めて3人くらいしかいなかったっけ?」
という感じになる。
それくらい、アメリカはうるさい。
日本は、みんなひそひそ声で話す。

電車の仕組みが複雑で、
方向を示す案内の文字が小さい+複雑すぎて、
全然分からない。
日本人の俺でも、
どの国よりも複雑に感じる。
スーツケースをもって困っている外国人が4人くらいいたので、
“Do you need a help?”と聞くと、
みんな”Yes, actually I do!”と言って聞いてきた。
教えてあげると、すごく感謝された。

あとは、
列車から見える外の景色が、
建物がすごく込み入って建っている。
数日前はシカゴのダウンタウンに行く途中で見た景色を、
「建物が込み入っていた」と書いたけど、
そんなの比にならない。

電車のつり革広告の文字が小さい。
文字が複雑。
漢字が読めないと普通に読めない難解なポスターが多い。
それだけ、日本人の識字率と教育が行き届いてる証拠だと思う。
海外(今回行ったアメリカ、カナダとフランクフルト)は、
どこも、最小限の文字の数で、
なるべく大きく広告を書く。

もう一つ。
つり革広告の英語塾の書いてある宣伝フレーズのレベルが低い。
「英語を、習い始めた。
 商談が、進みだした。」
なんて書いてある。
英語をちょっと習って商談が進むくらいなら、
どれだけレベルの低い商談だと思う。
もしくは、いまどき、そんなに英語が話せなくても、
その会社に英語が自分よりできる人間(上司や先輩)はいるだろうし、
その自分の仕事で話す英語を使う商談のある仕事なら・・・・
と、その広告フレーズの甘さに目が行く。
(別に、英語が話せないことを否定しているわけじゃない。
ただ、少し学びだしただけで商談が進む、というシチュエーションは、
そんなに今の企業ではないんじゃないか、と。)

*****

なんか、急に批判を書いて、いやですが、
それは置いておいて、
日本は、やっぱり自分が生まれた国なので、
落ち着くなあ、と思う。

妻とも、3週間ぶりにやっと会える。

2013/07/16  8:14




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July 12, 2013

2013/07/12  23:00-

さあ、あとアメリカ出張も数日となりました。
今日は金曜日ですが、明日は休み。
シカゴダウンタウンを見てくる予定です。

その後、月曜日の午後にシカゴのO’Hare空港を出て、
日本時間の火曜の朝に羽田に着きます。
しかし、その後、水〜金まで出社した後、
また日曜日から、今度はインドに1週間出張です。

行く前までは、結構楽しみにしていたけど、
さすがに、もう疲れてきました。

そして、インドの後は、約一週間後にブラジル出張が一週間・・・
体を壊さないように気をつけます。

*****

今日は、朝はある機関と30分のTel-conを行い、
後は午後は2時間くらい昼寝して(大分疲れていた)、
6時過ぎから、数日前に出張に途中参加された研究開発部の方と一緒に、
ホテルの前のシーフード専門のレストランへ食事に行ってきました。

それにしても、アメリカは物価が上がりました。
彼ともレストランを出てから、ホテルの前で、
8時半から9時半くらいまで約50分ほど、
アメリカの物価の上昇の話から、
二酸化炭素と地球温暖化には関係性が実はないことなど、
そんなことを色々と話していましたが、
現在、アメリカはずいぶんとインフレにあると思います。

日本はデフレで、微妙に物価が上がっているとはいえ
(食料の値段は同じでも、内容量が減ったりしている)
アメリカのそれとは費になりません。

その方は、以前アメリカに13年いらしたらしく、
ボストンとワシントンDCにいらしたのですが、
その頃は、よくスコッチなどのハードリッカーを呑んでいたそうなので、
お酒の物価が大体頭に入っているそうです。
そんな中、昨日リカーショップに入ったら、
特にウイスキーが値上がりしているのに驚いたとか。
10年前と比べて、1.5倍ほどになったそうです。

自分は、お酒は呑みませんが、
映画が好きでよく見に行くので、
映画の値段が一つの基準です。

11年前、自分が留学した年の2002年は、
映画は大人が6.5ドルから7ドルだった気がしますが、
2005年ころにかけて、段々とあがってきて、
高いところでは、8ドルから9ドルくらいだった気がします。
それでも「たけえなあ」と思っていましたが、
この前、こっちに来て初めて見に行った「The Heat」を見たNYの映画館は、
10ドルちょうどでした。

「たかいなあ」と思いながら、
その後、メリーランド州で「This is the End」を見たときは、
なんと、11.5ドルでした。
今は1ドルが大体100円としても、これでは1150円です。
日本でレイトショーを見るのと全然変わらないじゃないかと、
大分ショックです。

今日も、本当は今日から公開の「Grown Up 2」(俺の好きなアダム・サンドラー主演)が公開しているので、見に行こうかと思いましたが、
近くにある映画館の値段を調べたら、やっぱり11.5ドル。
1150円出してみるような映画かな、と、ちょっと躊躇してしまいます。

7ドルくらいなら、もっと気楽にいけるのにね。
本当に、アメリカの良いところは、映画が安いくらいだったのに、
それも駄目になったなんて、どうしたらいいんでしょうか。

*****

ちなみに、今日、シカゴのダウンタウンには、Bon Joviがライブに来ています。
さっき夕方のニュースを見ていたら、
「Bon Jovi is in the town」と言っていて、それで気付きました。
結構なんだかんだいって、彼らって人気があるね。


ちなみに、その開発のYさんと話をしていたんだけど、
こうやって、アメリカの物価が上がっているのも、
そのモノの値段自体があがっているのではなくて、
結局は、裏でつり上げたり、市場操作しているのが大きいんだろうね、と。

ガスプライス(ガソリンの値段)も、今はアメリカでの平均値はガロン3.5ドルくらいらしいですが、
2002年くらいまでは、ガロン1ドルに満たないくらいでした。
それが、俺が運転しだした2004年ころから、2ドルを越したくらいになってきて、
どんどん上がり、
俺がアメリカを去る2008年春には、高いところはガロン4.5ドルに達していました。

原油価格(Crude Oil)が、1バレルあたり、2005年ごろは、40ドル台だったのが、
今では、100ドルを超えています。

しかしこれも、原油がなくなってきている、というよりは、
エタノールなどのバイオ燃料の需要を上げることで、
コーンなどの穀物の値段を吊り上げて、
そうすると、アメリカは穀物を大量に輸出しているわけで、
一般市民はガソリン代が上がってひいひい言うものの、
アメリカ全体で考えると、ガソリン代を上げて、その代わりにバイオ燃料の需要を上げて穀物の値段を吊り上げた方が、アメリカとしては儲かる、ということで、
これらも行われているわけです。

そして、二酸化炭素の問題にしてもそう。
地球が温暖化しているかどうかは置いておいても、
それが、二酸化炭素のせいで無いことは、色々なデータを調べれば分かる。
しかし、地球温暖化を正当化する際に、
その理由付けとして、いくつか考えられる理由の中で一番そのとき妥当であった「二酸化炭素の排出量の増加」というものを理由にして、
今はそれがまかり通っている。

Yさんは元々、光合成をテーマに大学で学んでいらしたので、
植物や生物についてもかなり詳しいのですが(今は博士号を持っている)、
実際、植物にとっては、今の地球には二酸化炭素の量は少ないそうです。
むしろ、植物は二酸化炭素を取り入れて、それを原油として蓄えていくわけで、
そして、今は二酸化炭素の量が少なくなってきているから、
少ない二酸化炭素でもやっていけるように進化したC4植物(その代表がコーン=トウモロコシ)などがある。
しかし、植物全体にとっては、二酸化炭素がもっと増えた方が良い。

日本を含めた、世界の半分ほどの数の国は、
京都プロトコルで二酸化炭素排出量の減少にサインをして、
何年までに何%カットするとやっているわけですが、
それも、二酸化炭素排出量の売買権が絡んできて、
結局は、それがビジネスになるからこそ、
金融機関が裏で動き、それらの取り決めをした。

日本の25倍の土地があるアメリカは、京都には参加せず、
今でも、冷房を必要以上にかけまくっています。
いくら日本で、「冷房は28℃設定」とやっていても、それで職場が暑すぎるなどの理由から、企業全体の仕事の効率が落ちたら、意味が無い。
そもそも、「28℃設定」の根拠もなく、
もともと、誰かがたまたま「28℃」と言ったのが、きっかけになったに過ぎない。
(そして、仮に現在京都プロトコルにサインをした国が全て目標を達成しても、それは、地球の気温の上昇を食い止めることにはほぼならない。)

結局は、金融社会の天辺を支配する少数の白人社会が裏でこの世界を牛耳っていて、
全ては、「エコロジー」といいながら、結局は、「エコノミー」のために、
全ては回っているということ。
そして、その「エコノミー=ビジネス」のために、
今は、「エコロジー」というのを題目にして、
人々の購入意欲をそそっている、ということ。
新しく購買意欲を促して、人々がお金を使うことで、
世の中のお金回りを良くするために、それをしている、と言うなら良いが、
「全ては地球環境のために」などの理由をつけながら、
本当の目的は、購買意欲を促すこと。
その手法が、いかんだろうと、そういう結論に達しました。

今から数年後〜数十年後には必ず、
「2010年代前後というのは、二酸化炭素が地球温暖化を促すという理論のもとに、誰もが二酸化炭素排出量を減らそうとしていたんだよ。そして、それを理由に一般市民が、マスコミや企業に踊らされていた時代があったんだ」
と言われる日が必ずくるわけで。

********

ということなどを、食後、
気温と風の吹き加減がちょうどいい、ホテルの前で、
立ちながら話をしていました。

空港の近くなので、数分に一回は頭上を飛行機が飛び、
あとは、シャトルバスがホテルの前にとまったり、
車が前につけてきたり、
後は、アメリカ人がでかい声で話をしていて、
とにかく騒々しかった。
(思うけど、アメリカというのは、日本に比べて、格段に全ての音がでかいと思う。
人の話し声なんて、ものすごくでかい。
でも、恐らく、日本が静か過ぎるんだと思う。他国に比べて。)

*****

こういうことを書くと、色んな方向から、批判の意見が飛んできそうですね。

2013/07/12  23:33



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July 11, 2013

2013/07/10 23:15-

さあ、今日はインディアナポリスです。
今朝は5時おきで、8時半くらいの飛行機で、
ワシントンDCのレーガンナショナルエアポートから、
ここ、インディアナポリスへ飛んできました。
その後、ホテルへ移動し、
20分後の11時半にうちが取引をしているアメリカの商社とホテルで会い、
そこからインディアナポリスの顧客先へ移動しました。
12時半に着き、
そこから5時まで、簡単なランチを含めてのMTGです。

相手は、世界でも有名な大手製薬会社ですが、
本社はここにあります。
中はめちゃくちゃ広く、
今日自分たちが行ったのは、この町にあるキャンパスの中の一つだそうです。
(たしか、全部で3つキャンパスがあるとか?)

中に入ってその広さにたまげました。
まるで、大学のようでした。
銀行はあるし、プール台(ビリヤード)はあるし、
フィットネスはあるし、カフェテリアはもちろんあるし、
完全に大学でした。

そして、相手はとても皆フレンドリーで、
「良い雰囲気だなあ」と強く感じました。
相手側のリーダーは、今まであってきた中で一番好感が持てる人でした。
俺もこんな人になりたいなと思える人でした。

5時に終わった後は、いったんホテルに戻り、
5時45分に再度ホテルロビーで待ち合わせ、
ダウンタウンへ車で出て、
そこで、待ち合わせのモロッコ料理の店の向かい側のバーでいっぱいやり、
そこから6時半にモロッコ料理屋へ集合し、
9時前まで食べました。
自分たちを入れて、全部で8人。
とても楽しい席でした。


ちなみに、生まれて初めてのモロッコ料理はなかなかおいしかったですが、
ボリュームがありすぎ。
ラム肉のハニー和えを食べましたが、
もう、お腹がはちきれそうです。
これは思いっきり筋トレと運動をしないと、
マジで腰周りが太るね。
でも、アメリカの料理はプロテインを取りまくるので、
筋トレをすると一気に筋肉へと変わります。


ということで、
帰ってきて、9時から11時前までメールチェックを行い、
もうヘロヘロです。
明日はまた5時に起きて、今度は8時20分の便でシカゴへ飛びます。
明日も午前と午後に2社と会うので、
ちょっと辛いですが、
明日を乗り越えたら、その後は楽なので、体調を崩さないようにがんばります。

以上。

2013/07/10 23:23



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July 07, 2013

2013/07/07 22:41-

今日はワシントンDCに行ってきた。
今泊まっているホテルはメリーランド。
このホテルから車で10分くらい行ったところにMetroの駅があり(Shady Grove)
そこから30分ほど乗ると、ワシントンDCの真ん中に着く。

Metro Centerで降りて、
その近くのSUBWAYで5ドルでBLTフットロングを食べ(安くていいですね)、
その後歩いて、今日の目的地、
National Garally of Artに行って来た。

ここは、数年前に日本にワシントンナショナルギャラリー展の名で作品がいくつか来ていたけれど、その本拠地。

たぶん、俺は初めて行ったと思うんだけど、
ものすごい数の作品数と、広さで、
3時間近くいたけれど、頭が痛くなって足が疲れた。

もちろん、パリのルーヴル美術館とかに比べたら小さいけれど、
それでも、ものすごい広さです。
そして、建物が良く出来ている。
建築が素晴らしく、建物の中に入って、思わず
「Wow…!! すごいな・・・!!」と声が出てしまった。

そして何より素晴らしいのは、入場料が無料なこと。

今まで行って来た美術館で、作品数の素晴らしさにも関わらず入場料が無料だったのは、
イギリス・ロンドンの美術館と、
LAのGetty Museumくらいだったけれど、
ここも素晴らしかった。

作品は、ボッティチェリに、ダヴィンチに、
ティツィアーノに、デガ、モネ、ピカソ、モジリアーニ、
ゴッホにカンディンスキーと、クラシックから近代まで何でもあった。

そして、あまりこんでいないのがいいですね。
日本でそのワシントンナショナルギャラリー展を見たときは、
少しの作品数で、ものすごく込んでいたけれど、
今日は、たとえゴッホの肖像画の前でも、
ほとんど人はおらず、
貸切みたいな感じでよかった。
(でも、アメリカ人はあまり絵画をAppreciateしている人は少ない気がする。
もちろん、ものすごく詳しい人もいるけれど、
ただの観光で来て、あまり興味なさそうに、ふらふらと見ている人も多い。
でも、このアメリカの国が持っているコレクションの数と、そのGenerosityには感謝です。)

*********

帰りは、16歳高校二年生の夏以来、
13年ぶりに、ホワイトハウスを見てきた。
(前回、2005年21歳の夏に来たときは、
ワシントンDCはあまりにも暑くて、ホワイトハウスをちっとも見に行く気が起きなかった。
確かそのときは、ナショナルミュージアムかどこかで、
3Dの映像を見ただけだった気がする。
ちなみに、今日の気温は、実質の気温が33℃、
体感温度は37℃だったらしい。
もう、太陽の光は日本の日にはならない。
頭が焼けるよう。
そして、空気が本当に熱い。
あれは、帽子を被らずに太陽の光の下を15分歩くと、
体力がどんどん飛んでいってしまうのが分かる。)

前回、16歳のときにここを見たことはあまり覚えていないんだけど、
今回ホワイトハウスを真正面から見てみて、
ああ、ここにバラク・オバマとミシェル・オバマと娘二人が住んでいるのか、
という感じだった。

つい先週末には、「ホワイトハウス・ブレイクダウン」という映画も公開されているので、
せっかくここにいる間に、見てみたいですね。
チャニングテイタムとジェイミーフォックス、として監督はローランドエメリッヒ。

******

前置きはどうでも良いんですが、
何を書こうとしていたかというと、
今朝、NBCで、司会者の男性一人と、
色々な新聞社のコラムニストや評論家、BBCのアンカーなどが集まり、
最近のアメリカについて話し合っていたんだけれど、
それが凄く面白かった。

要するに、この10年間で、
アメリカはかなり変わってしまったということ。
(俺が昨日の日記の最後で触れたことをそのまま話していた。)

きっかけはやはり2001年9月11日のテロ。
それが起きたとき、ここワシントンDC(この番組はDCで撮影されていた)では、
誰もが恐怖を覚え、次に何が起こるかを怖がっていた。
そして、すぐに、当時の大統領であるブッシュは、
イラク戦争に突入することを決めた。

しかし、必ずしも、アメリカ全土が、ここワシントンDCと同じように感じていたわけではなかった、ということ。
ワシントンDCおよびNYでは、攻撃を直接されたからこそ、
誰もが怖がり、そこに位置する大統領も、やはりその中での考えで動いていたが、
アメリカの他の土地では、
そもそも、イラク戦争に突入することに疑問を感じている人も多かったのではないか、と。

BBCのアンカーである女性が面白いことを言っていた。
2001年9月12日の新聞では、
「アメリカは攻撃をしかけた国に反撃をする」と銘打ち、
それが称えられていたが、
その1年後、
2002年9月11日の新聞では、
「Why world don’t like us?」(なぜ私たちは世界に嫌われているのか?)だった、と。

つまり、テロの直後にブッシュが決めた行動は、
それが正しいと思えたものの、
実際には、攻撃をくらったことに対して、
戦争に突入して反撃するしかない、という考えと行動自体に、
世界が反対をしていたのだ、と。

そして、アメリカ人である私たちは、それを疑うことなく、
というよりも、そのときには誰もの心に恐怖しかなかったから、
NYCのワールドトレードセンターの残骸の横で消防士と一緒にメガホンを使ってみんなに話しかけたブッシュの姿は、ヒーローにしか見えなかったものの、
その一年後には、「本当にブッシュの行動は合っていたのか?」と。

(先日の新聞では、
今はオバマと前大統領のジョージ・ブッシュがたまたま同時期にアフリカを訪れているわけだけれど、
ブッシュのことを、「自分の国では評価されていない人間が、ここアフリカでは、非常に評価されている」と書いてあった。その記事を見て、「え?あんなに戦争に入るころには、その決断をしたブッシュをみんなサポートしていたくせに、今となっては、戦争が長引いて全ての不況が起きた理由をブッシュに擦り付けて、彼は悪者になってしまったの?都合がいいなあ」という感じだった。アメリカの新聞が、前大統領を「今は自国では嫌われている人間」と書いてあることにビックリした。)


「We didn’t think. There was just an action.」
(我々は考えるということをする前に、ただ行動を取ってしまった)と。

そして、それをきっかけに、
アメリカ人は、自分の国を走らせている政府を心から「信用」できなくなってしまった。

また、アメリカ人の中には、
やはり常に、「恐怖」という文字が浮かび上がり、
それがトラウマとなり、
それが、誰もの心に巣食うようになってしまった。

その後の、2008年のリーマンショック。
今度は、経済がうまく行かない。
アメリカが仕掛けた仕組みにより、
世界が大恐慌に陥った。

その後も、テロはどんどん続く。

先日は、ボストンで爆弾事件があった。

2005年の8月は、ハリケーンカトリーナがニューオーリーンズを襲ったが、
政府の行動は遅く、沢山の住民が死んだ。

それらの事件が積み重なり、
「アメリカの人民は、アメリカの政府を心から信用できない」
「常に何か危険なことが起きる」
「経済的にも、安全面でも、安心できることはない」
そういった恐怖が、人々の心に巣食った。

それが、10年。

その10年は、非常に大きい。

実際、この番組で発言していた参加者の大半は、
50代から60代の人が多かったが、
それらの人々はみんな、
「もう今は、50年前の古きよきアメリカではない。
もう、あのアメリカは存在しない」と言っていた。

確かに、ほんの20年前のアメリカであれば、
まだ、人々は自信を持ち、アメリカは自分の国に誇りを持っていたのかもしれない。
揺ぎ無い自信と誇りを。

俺が影響された落合信彦は、1960年代にアメリカへ留学したが、
ジョンFケネディが大統領だったころのアメリカは、
誰もが自分たちに揺ぎ無い自信を持ち、
心に余裕があったという。

それも、JFKが殺され、
その後は、次第にその「絶対的な自信」は崩れ去っていったという。

それでも、2000年に入るまでは、
まだ、今よりもまだ、Optimisticだったんじゃないかと思う。

それが、2001年9月11日を境に、
一気に崩れ去っていった。

今のアメリカには、
疑心暗鬼、
疑い、
恐怖、
そういった言葉が、最初に出てくる気がする。

もちろん、ど田舎の平和な町に行けば、
そういうのもあまりなく、今でも幸せにやっていると思うけれど、
やっぱり、大都市に行けば行くほど(これは、別にアメリカじゃなくても、世界中どこでも大都市は他人を疑いギスギスしているけれど)
この、「他人を疑う」という雰囲気は、
やはり、今のアメリカ人の根本に、存在しているような気がする。

*****

2008年の4月以来、
今回5年ぶりにアメリカに来てみて、
物価が大分上がったなあとか、
ずいぶんとインド人やヒスパニックが増えたなあ、とか、
前は日本の携帯の方が大分上を行っていたのに、今ではアメリカ発のiPhoneや、Samsungの製品ばかり見るなあ、とか、
テレビもHDになって、かなり映像が綺麗になったなあ、とか、
もう、日本の製品を持っているからといっても、それが凄いことには全然ならないなあ、とか、
CD屋がもうほとんど無くなったな、とか、

ずいぶんと色々と感じますが、

やはり、アメリカという国が、
だんだんと、疑心暗鬼の雰囲気を強くしているんじゃないか?という俺が感じたことは、
見事に、朝の番組で代弁していたので、
「ああ、やっぱりそう感じるのか」という感じでした。

***********


2013/07/07  23:28




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July 05, 2013

Macys-Fourth-of-July-Fireworks-Spectacular-350x235


2013/07/04 22:35

今日はアメリカは独立記念日。
TVでは、NYでのMacy’s 主催の花火と、アーティストたちのライブの様子を生中継していた(一度終わった後、そのすぐ後にまた、短く編集したものが再放送されている)。

マライア・キャリーが出てましたが、彼女は本当に歌がうまいですね。
Heroを歌っていましたが、音程をほぼ全て低く変えて歌っているので、
はたして、高い音程を出すのが辛いからそうやって歌うのか、
それとも、CDと同じように歌ってつまらないからそうするのか分かりませんが、
どちらにしても、音程が全て変わったバージョンでも、すばらしくうまかったです。
さすが歌姫ですね。

"Hero"


"#Beautiful"

なんでマライアキャリーはソファに寝転がっているのか謎ですが、寝ながらでも歌が最高にうまい。
この人ほど”セレブ感”を演出するのがうまい人はこの世の中にはいないと思います。



そして、Cherは今は何歳なのか不明ですが
(俺が15歳のころに、確か60歳くらいだった気がしたのに、それから15年経った今でも見た目が60歳くらいというのは、どういうことだろう)
元気に踊って歌っていました。

そして、テイラー・スウィフトは、なんだかんだいって、やっぱりいい歌を作りますね。
BGMに流すには耳につきすぎてしまう声をしていますが、
でも、いい雰囲気の曲を作ります。

"Everything Has Changed" ft Ed Sheeran


Tim McGrawは、あれ、人気なんですね。アメリカ人の白人女性には。
ピチピチの白いTシャツを着ているくせに、それにカウボーイハットを被って、かっこつけて歌うのはやめて欲しいですね。超レッドネックという感じです。
(ファンに怒られそう)

そして、最後はUsherが監修した音楽と花火が延々と続きますが、
あまりにも長かったので、あきれてしまった。
あれ、20分くらいやってたんじゃないでしょうか。
音楽に合わせているようで、全然合っていなかった気がするけれど(その辺のアバウトさがアメリカ)
でも、観客はわけもわからずキャーと騒いでいました。

*****

何を書こうとしたかというと、
一度目の生中継の際には、CMに入るたびに、色々な人たちにインタビューして、
どれだけ彼らがアメリカを誇りに思うかを延々と語っていたんだけど、
で、その後に、マライア・キャリーのHeroとともに、
ハリケーンSandyの被害の様子や、Bostonの爆破事件の様子の写真などが流されたんだけど、
アメリカというのは、常に、敵をつくって、それに立ち向かう姿を描くことで、
自分たちを正義にして、ヒーローとなり、
そういう状態にいつも自分たちが、そして自分の国がいることを、
誇りに思う、もしくは、思おうとしてる国なんだなあというのを、
見ていて、感じました。

日本でいうなら、
日本は、決して、
災害が起きたり、何か重大な事件がおきても、
その様子を、NHKなどで、感傷的に流すだけだけど、
そして、それが二度とおきないように、どうするかを考える文化だけれど、
(そして、その被害にあったことを、決してポジティブに捉えようとしない)、

アメリカは逆に、
何か事件が起きれば、それを嘆き悲しんだ後、
それを題材にして、それに立ち向かう自分たちの姿を讃え、
それに誇りを持り、前に進んでいこう、とする。
(よく捉えればそうだけど、上に書いたように、
「敵」をつくることで、自分たちが「攻めて行く」姿勢にいつもあることを、肯定する動きがある。)

そこが、日本のような農耕民族と、
アメリカのような肉食民族の違いだと思う。

*****

そして、やはりアメリカという国は、
できてから200年ちょっとしか経っていないわけで、
今回、この数ヶ月で、ヨーロッパ、アメリカ、カナダを訪れたけれど、
やはりアメリカというのは、
できて新しい国だからこそ、
元気もあるが、ケイオス(混乱、混沌)も多々あり、
言ってみれば、一つの国のように見せた、実は、
ただ、色々な人々が好きに集まってできた、一つの巨大なグループのようなものでしかないんじゃないか、と、
そう感じた。

それはなぜかというと、
国というのは、ある程度の歴史を持つと、
その国の文化を形成し、ある程度成熟するので、
決して、その国の中の国民が、「危なっかしい」「モラルがない」という行動を取ることが少ないと思う。
その国がドイツのようにまじめだったり、イタリアのように陽気だったり、
日本のように融通が利かなかったり、中国のようにいい加減であろうと、
ある程度は、その国の中に、一定の「コモンセンス(共通観念)」というものが存在する。


しかし、アメリカの場合には、
その「コモンセンス」が通用しない。
人が100人いたら、100人とも、見事に違う考えを持っているし、
そうやって、人は違うものだ、ということを、
美徳としている。

それはやはり、色々な人間が集まってくるからこそ、
その多様性を認め、「ここに集まってきた人間の尊厳は、必ず認める。だからこそ、全員が違うことを、根底に置こう」という無言の了解の下に、
この国は成り立っている気がする。

******

今から100年後、200年後のアメリカはどうなっているのか。



きっと、あまり変わっていない気がする。

2013/07/04 22:53


追記;
ちなみに、Wikipediaで調べたら、
Cherさんは現在67歳だそうです。
すごいですね。スティーヴンタイラーより年上ですが、
もっと元気に見えます。





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June 28, 2013

2013/06/27 8:28pm-

手短に。

今日は海外出張4日目。
もう3泊したけれど、「まだ3泊しかしてないの?もっと時間が経ってんじゃないっけ?」という感じ。
時差ぼけのせいか、一日に何度も飛行機に乗るせいか、
時間の感覚がどんどん狂っていく。
これは、きちんと自分で体の調整をしていかないと、大変ですね。
体の負担は結構大きいと思う。

*****

昨日は、TNのChattanoogaというところに泊まったけれど、
今朝は5時に起き、8時の便で、
ChattanoogaからCharlotte, NCへ。
その後、2時間後の便で、
NCからNYのNewark Airportへ。
そこから、車でNJまで行き、お客さんと3時から1時間近く会って、
さっき帰ってきて、2時間ほどメール(社内のやり取り)をしていた。
さっきシャワーを浴びましたが、もうヘロヘロです。早く寝ないと。

*****

この3日間で、NY→NJ→NC→TN→NC→NY→NJみたいなことをやっているので、
記憶が変になって行く。
昨日の朝と思ったことが、実は一昨日の朝のことだったりする。

それと、国内線の小さな飛行機は、ゆれが激しいので、
ジェットコースターが嫌いな俺にとっては、結構厳しいですね。
はっきり言って毎回酔います。
急に機体がガクンと落ちたりするので、落ちるのが苦手な自分にとってはもう最悪。
気にしないように目をつぶっていますが、
今もあるこの酔いのようなものは、
果たして疲れなのか、飛行機酔いなのか、
時差ぼけなのか、はたまた、アメリカの気候(温度が高い)のせいなのか、
よう分からん。とにかく睡眠が一番。早く寝ましょう。

*****

ちなみに、アメリカで三日も過ごすと、
英語が自分の体の中に染み込んでいきわたったのが感じられる。
テレビを見ていても、英語は結局リズムの言語なんだな、と思う。
そして、新聞を毎日ホテルでもらって読んでいるけれど(USA Today)、ずっと読んでいると、ずいぶんと英語のリズムにも慣れてくる。

留学中は、Wall Street Journalのみを背伸びして読んだり、
後は、学校のテキストというか、いつも宿題に追われていたから、
学校の中以外の読み物(本や他の新聞など)は余りしなかったし、
TVもケーブルを入れていなかったので見ていなかったけれど、
テレビもこうしてみてみると、なかなか面白いね。
何より、英語力を上げるには、まずはTVを見続けることも一つの手だと思う。

それにしても、アメリカもリアリティTV的なのを良くやっていますね。
面白いから良いけれど、いちいち個別に別の部屋でインタビューをする際に、
その個人の自己主張が半端なくて、それが逆に本物っぽく見えなかったりする。

*****

それと、昨日はTVをつけたらTNTがたまたまついて、Castleというドラマがやっていましたが、この主役の女性(Stana Katic)はとても綺麗ですね。タイプです。

stana-katic-castle


以上、どうでもいい日記でした。
もう寝ます。

2013/06/27 8:43pm




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June 25, 2013

2013/6/25 6:08am-

旅をすること、
どこか、別の国に行くことは、

自分を、普段の日常の時間の流れから、ぶつんと切り、
次元、空間を、別のところへ持って行くこと。

それは、パソコンで例えるなら、
今までは「日本」というフォルダの中で、すべてを管理していたところから、
「A」(その国)のフォルダを作り、
そこに、まっさらな状態で、自分の軌跡を描いて行くようなもの。


だから、一度、今までのフォルダとは別のフォルダを作ることにより、
今までのフォルダのことを、総体的に見ることができ、
それを、それまでの自分の人生を振り返るための節目とすることができる。

*****

また、その「A」というフォルダに移動した時点で、
過去に、そのAの国にいたことがあるならば、
そのときの記憶は、(それまで忘れていた記憶が)ありありとよみがえる、
ということも起きる。

それは、不思議な感覚である。

当時、その記憶が作られたころに、一瞬にして頭が飛ぶことで、
そのときと、今の自分に至るまでの年月を考えると、
不思議な気持ちに陥る。

「あれから、もう、13年も経ったのか」と。

(自分が初めて東海岸、およびアメリカを訪れたのは、
2000年、16歳の夏だった。)

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2013/06/25 6:14am





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CIMG4000

2013/6/24 10:51pm-

会社の出張で、アメリカに来た。
2008年の4月30日から、実に5年ぶり。

もう、5年もアメリカに来ていなかったのかと、
びっくりする。


今回は滞在がほとんど東海岸なので(NY,Chicago,Washington DC+カナダなど)、
自分が6年間を過ごした西海岸の雰囲気は余り感じられないけれど、
テレビとかを見ると、黒人の主張が激しすぎるリアリティTVとか、

(アメリカにいたころはこれが普通だったけど、5年も日本で過ごして、
久々に客観的にこういうのを見ると、
その文化の違いが面白すぎる。)

とにかく、「アメリカ!」という感じがして楽しい。

CIMG4023


さっきも、ホテルのロビーで歯ブラシと歯磨き粉をもらうのに、
10分近く待たされたんだけど、
そのホテルのロビーの男たちの手際の悪さとか、
日本ではありえねえな、さすがアメリカだなと、
そういう点でもアメリカを感じた。

(歯ブラシをくれと一度言って、部屋に戻り、
「10分以内にそちらへ行きます」といっておきながら、
ぜんぜんこないので、
しびれをきらして再度下に行き、
同じ事を言って、待つこと5分。
ぜんぜん向こうの動きも分からないし、俺が頼んだ担当者は別の電話を長々とインド語でしているので、頭に来て、もう一人のやつに”How long are you gonna make me wait for that? What’s going on man? Are you working on that or what?”とちょっと切れたら、やっと「今用意してますので、すぐに部屋に届けに行きます」と返事が返ってきた。この辺がアメリカだなあと思う。

*****

しかし、俺も今はこうして、「日本人」としての意見を書いているけれど、
自分が学生時代だったころ、
日本のビジネスマンがアメリカに来て、
「日本じゃありえないよね」と全てのことに対して文句を垂れているのを聞いて、
「そういう、何でも日本を基準にして比べるから、すぐにイライラするんだよ。
アメリカはこういうものとして捉えて、何でも日本の基準で物事を考えないことが大事なのに」
と思っていたのを思い出すと、
俺も、一端の「日本人」になったんだなあ、と感じる。

*****

それと、もう一つ思ったのは、
ホテルのロビーにしても、誰もがデカイ声でわあわあとしゃべっていること。

昨日、成田空港に向かう電車の中で、
途中で乗ってきたアメリカ人(発音がカリフォルニアだなあと思ったら、LA出身らしかった。彼の声がでかすぎて全部聞こえた)
が、二人で話をしていたんだけれど、
その一人の声が余りにも大きくて、寝ていたのに目が覚めたくらいだった。
でも、アメリカ人って、これぐらいの大きな声で話すよなあ、と。
留学中に、日本に一時帰国して、
電車の中で普通にしゃべっていると、
自分の家族に、「声が大きすぎるからもっと小さくしゃべって」
のように注意をされて、「え?普通じゃない?」とびっくりしたことがあったけど、
きっと、そんな感じなんだろうなと思う。

******

白人だから、黒人だから、ヒスパニックだから、エイジアンだから、インディアンだから、
というわけではなくて、
みんな、アメリカに住むアメリカ人だから、
声もでかいし、回りを気にしないし、
自己主張が半端ないし(むしろ自己主張をいつもしていないと、相手にされない)、
表情とか、ジェスチャーとか、
何もかもが大げさで、
「すげえ」んだろうな、と思う。

2013/6/24 11:08pm








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May 05, 2013

2013/05/05 7:07am-

今は、ルフトハンザAIRの飛行機の中。
飛行時間は11時間。あと40分足らずで東京(NRT)に着く。


今回、4日間のスイス/フランス出張を通して感じたことは、
「英語/その文化 に浸ることの重要さ」。

英語に関しては、とにかく、英語に「触れる」のではなく、
浸ること。

英語力を日本で勉強してもなかなか伸びないのは、
日本ではメインの言語が日本語であり、
英語を使うことがほぼないのに加え、
英語を“感じる”ことがほぼないから。
しかし、一度海外に出て、英語を使う環境に自分をおいてしまえば、
英語の中に“浸る”ので、水が体にしみこんでくるように、
あっという間に自分の中に、“英語”を使うこと、英語の環境が、
しみこんで来る。


それは、二つ目のポイント、
“文化に浸ること”でも同じ。

日本にいれば、知らずの内に英語

******

上のところまで書いて、着陸態勢に入ったのでPCを閉じましたが、
その後、何を書くか忘れました。
(今は成田駅から電車に乗ったところ @8:45am)

とにかく、二つ目のポイントは、
文化に浸ることの大事さ。

その文化に身を完全に浸して、
初めて、その国の“空気”がわかる。

その感覚は、やはり、物理的に自分の身を海外において、
その国にabsorbしないと分からない。

ただ、日本で海外の本を読んだり、テレビを見たりするだけでは、
完全には分からない。
だから、定期的に海外に身をもっていくことは大事。

そして、俺はさっき思ったけど、
自分はやっぱり、そういう状態、
つまり、海外、他の国、他の文化に身を沈めて、
それを体全体で感じ、
その状態にいることが、大好きだって事。

そうすると、この世界にある国の数ほど、
様々な種類の世界が広がっていることを感じるし、
そうやって、“この世界の広さ”“Diversity”を感じることが大好き。
だって、この地球には、それだけ広い世界があるのだから、
それを知らずに、そのまま死んで行くのは、
本当にもったいないことだと思う。

*****

それと、最後に。

英語だけ話せるっていうのは、
ぜんぜん武器にはならないこと。
日本国内の日本の会社で働くのであれば、
「英語をただ話せる」ことは、
武器にはなるかもしれない。

しかし、海外に出ると、
特にヨーロッパなんかは、
3ヶ国語を話せるのは当たり前で、
7,8ヶ国語、
中には、11ヶ国語話す人も普通にいる。

そして、そういう環境に入ったとき、
ただ英語が話せるのは、「私は息ができますよ、文字が読めますよ」
といっているのとほとんど変わりない。

それよりも、英語を使って、「何が話せるか」。
何の専門知識を持っているのか。
他の人にはない、何の特別な能力を持っているのか。

ビジネスの交渉に長けていて、
商談では絶対に負けない頭の回転の速さでもいい。
でも、それは対外、中身がないと、長くは続かないし、
半永久的なビジネスパートナーシップを相手の会社とは築けないから、
それよりも、Genuineな、
「専門知識」を持ったほうがいい。

サイエンスの知識、
ケミストリーの知識、
政治、人、何でもいい。

自分が仕事をしていくその分野で、
完全に他の人よりも有利にたつ、「知識」。
それが、必要。

その上で、英語以外に、自分の母国語と、
あと、その相手の母国語もしゃべれたら、
結構強いと思う。

(今回のように、スイスでの会議なら、
英語、日本語、そして、相手の言語のフランス語かドイツ語。)

******

以上を、今回の滞在で感じました。

不思議と、こういう感覚は、
つい1時間前まで感じていても、
いざ日本についてしまうと、体がそれを感じなくなってしまうので、
書きたい!という気持ちもなえてしまうし、
結構、さっき書きたかったことが、
体から書けていない気がする。

以上。



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May 04, 2013

2013/5/3 23:43-

今はこっち、スイスの時間ではこの時間ですが、
日本は5月4日の朝6時半過ぎです。

3日前か4日前からスイスとフランスに来ています。

スイスのジュネーブ空港に降り立ち、そこから車で高速をかっ飛ばして20分ほど、
フランスのDivonne-les-Bains
という町にある、Chateau de Divonne
というホテルに泊まっています。今日で4日目です。

明日の朝7時にここを出て、9時半過ぎのフライトで、
フランクフルト経由で日本へ帰ります。

******

敬語使いは疲れるので、ここから普通にかく。

今回は会社の出張でここへ来た。

入社して初めての海外出張。というか、日本の会社に入ってから、
初めての海外出張ですね。

今回はスイスにある、ある大手製薬会社との商談のために
ここへきた。

俺は、まだ入って2年目のペーペーですが、
ある部署の部長と、うちの会社が雇っているコンサルタントの方と、
後は、別の会社(うちの顧客でもあり、競合他社でもある)のCEOと、
その3名が、今回の訪問先の企業との商談をするに当たり、
通訳および議事録とり係りで今回は呼ばれた。

結婚式の2週間前でもあり、
しかも、その顧客の都合のせいで、
出張が本来の日にちから1週間ずれ、
ちょうどGWにかかったこともあり、
色々と思うところはありましたが、
まあ、こうしてスイスとフランスに出張に来ました。

聞こえはいいですね。

*****

この4日間は、ほとんどこのホテルに滞在して、
そこの図書室やロビー、およびバーでの会議などが主なので、
あまり、「フランスに来たぜ!スイスに来たぜ!」という感じはしなけれど、
その代わり、おいしいフランス料理と、これはこれは最高級の、
ここには書けないようなワインを何本も戴いています。

(今回一緒に商談に参加しているその会社のCEOが、
これはものすごい実業家で、
億万長者ということで、ワインのコレクションを8万本持っているそうな。
その彼が持つワインを、家からゴロゴロ持ってきてくれて、
一本それこそ数万円から数十万円するもの、
なかには、買おうと思っても買えないものまで、
そういうワインを、幸運にも飲ませていただいています。

この歳で、こんなに沢山の高級ワインを、
一度に飲ませてもらっていいのか、と、
ずいぶんいい思いをさせていただいておりますが、
ラッキーだったとしかいいようがないでしょう。
この特権を十分噛み締めたいと思います。)

*****

こう書いていると、まるで食事とワインのためだけに来たようですが、
そいういうわけではなく、きちんと仕事もちょこっとだけしています。

とにかく、自分が英語がしゃべれるというだけで、
この会社に雇ってもらい、
今回の製品、およびこの国の担当でもないのに、
こうして呼ばれてもらったことは、光栄だったとしか言いようがないでしょう。

それから、そのCEO(以下T)と実際にお会いして、
「こんな人間もこの世には存在するのか」と思える人と、
2日以上一緒にすごさせてもらえるというのは、
すばらしい経験だなと思いました。

うちのコンサルタントでもあるOさんも、
これまたすごい人で、色々な会社の社長や副社長をやったり、
後は、ハーバード大学で客室教員をしたりしているそうです。

この方とも、今回の出張は結構時間に余裕があったし、
周りに何もないので、
1対1で色々とお話を聞かせて戴いたりして、
大変ありがたいです。
(普段は、うちの会社では課長以上の人間しか、彼の講演を聞けなかったりする)

ということで、
I'm enjoying the advantage of being here.

******

こうして4日間、丸々英語だけの世界に浸っていると、
なかなか、英語力というか、英語の「感覚」は戻ってくるものですね。

しかし、5年前、留学していたころに比べると、ずいぶんとスラスラとしゃべれなくなったな、
というか、
口のまわりが悪い気がしますが、
ずっと使っていると、慣れてくるもんですね。


それにしても、俺はこの5年間で、
完全に日本のカルチャーに慣れきってしまったんだなあと思った。

フランスなんかでは、他人と目が合っても、
「ボンジュー♪」とかいって微笑んだり、

ホテルのフロントやレストランの従業員と何か言葉を交わすときも、
笑顔とちょっとのユーモアがこもった会話をするわけですが、

日本人てそういうのがないから、
俺も、最初は完全に、「他人」という意識をして、顔がこわばっていたというか、
なんか、ぎこちないなあ、という感じだった。

俺は、その国の文化に慣れるスピードが速いと思うけれど、
それも、日本に帰ってきたときも同じで、
今は完全に、「THE日本人」になってたんだなあと、
しみじみと1日目に思った。

今はだいぶこっちのノリに慣れたけど。

******

ちなみに、ビリオネアというのは、
完全に一般人と違うなと思った。

はっきり言って、「超わがまま」。

自分の意思をどんなところでも必ず通すし、
それがうまくいかないと、やたらと不機嫌になるし、
その場に何人人間がいようと、全部自分のペースで空気を支配することを絶対的に求めるし、
急にデカイ声で歌を歌いだしたり(in the restaurant)
その場にいる女性に必ずフラーティングしたり(口説く)
話す内容は、下ネタのジョークか、自分の妻と家族の自慢か、
いかに自分がお金を持っているかだったり、

こうかくと、まあ嫌な人そうですが、

その生き様というか、「生き方」を見ていると、
「こんな生き方をしている人がいるんだな」と、
びっくりせざるを得ない。

やっぱり、この世の中というのは、
同じ人間でも、その人によって、
考え方も、生き方も、きるものも、お金に対する考え方も、
もの、食事に関する考え方も、
すべて変わってくる。

だから、普段は自分が決して接することのない世界の人間と、
こうして時間をともにして、彼を観察できたというのは、
非常に貴重だな、と思った。

自分の生き様も、
彼を少し見習い、後はほとんど反面教師にして、
色々と学べたから。

*****

しかし、昔落合信彦が言っていたけど、
「この世で、自分の金や女の話しか出来ない金持ちのやつほど、つまらない人間はいない」
と言っていたが(ex. ドナルド・トランプ)
今回あったこの人も、結構それに近いな、と、表面的には感じるところあった。

でも、彼の場合は、
芯が通っているし、
きちんとこっちが丁寧に真摯に接すれば、
それをきちんと返してくれるので、
Totally assholeではなく、
He's just a big kid who's grown up but still a kid. And totally a control freak.

という感じの人です。
Very interesting.

(でも、彼も自分で自分のことをPervertと言っていたけど、
やっぱり、ヘンタイであればあるほど、
それだけ色々なことに拘りがあるということだし、
自分の世界を持っている、という意味では、
ヘンタイほど面白い人間はいないと思う。)

でも、同時に、すげえコンプレックスも抱えてるんだろうな、と、
そう思えるところもある。

*****

今の気持ちを記すつもりが、
だいぶ長くなりました。

この4日間はワインの呑みすぎで気持ち悪いので、
もう寝ます。

2013/5/4  0:17am




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