My Life-人生

December 19, 2013 23:00

2013/12/19 22:51-

最近は、ずいぶん仕事にも慣れた。
今年の頭、3月に東京営業所に移ってからは、
最初は貿易業務も営業の対応も全然慣れなかったけれど、
今では、どっちも殆ど聞かずに自分で全て対応できるし、
かつ、スピードもついてきた。

英語に関しても、出張に今年は4回くらい行って、
(スイス一回、インド一回、北米二回(そのときドイツとロンドンも一緒に))
大分、ビジネスで使う英語や、
かつ、どんな話をするかにも慣れた。

多分、そういう経験と時間が、自分に自信を与えているのだと思う。

*****

思えば、俺はずいぶんと、悩まなくなったと思う。
今の仕事に移るまでは、
かつ、今の仕事に移ってからも、
最初の頃は、結構悩んでいた。

今の会社に移るまでは、常に、
「俺の人生はこれで良いのか、俺の進路はこれで良いのか」
と悩んでいた。
結局、進路をどうするかが、
俺の、17歳くらいからの悩みだったと思う。

今は、自分の好きなことを仕事にできて、
かつ、人にも恵まれているので、
はっきり言って、仕事においてのストレスが、殆どない。
(そりゃもちろん、日々の中での小さなストレスは多々ありますが。
でも、そんなのは、かつて抱えていた大きな悩みに比べたら、屁でもない。)


そういった中で、以前は、妻に、よく、
俺の話を聞いてもらって、励ましてもらっていたんだけど、
今は、そういった進路の悩みで、
妻に殆ど相談しなくなったなあ、と思う。

今の悩みは、正直、
日々薄くなっていく髪の毛のことくらいですか。
(30代に入って、本気で後頭部と剃り込みが同時に薄くなってきているので、
マジで焦っている。そりゃあ、昔から将来は禿げると覚悟していたけど、
本当に髪の毛が薄くなりだすと、それはもう、死活問題ですよ。
男にとって、やっぱり”髪の毛がなくなる”というのは、
多分、”もう自分は若くは無い”ということを知らされる、
大きな恐怖なんだと思う。
”もう若く無い”というのは、恐い事実です。俺の心は、
まだまだ若いけれど。)

*****

何を書いてるかよく分からなくなったけど、
そんなわけで、こうしてここに、こういう真面目な事を久々に書こうとしても、
やっぱり、最後は髪の毛の薄さに関してで話が終わってしまうので、
結局、今は殆ど悩みっていうのは無いんだと思う。



幸せなことです。


今後は、数年後に、子供をもって、
その子を育てて、というのに、
自分の興味の対象も変わって行くんだろうな、と何となく思う。

30歳にもなると、
自分のことだけを考えている人生というのは、
結構、物足りないね、というのに、気づいてくるのかな。

2013/12/19 23:00





October 22, 2013 23:10

2013/10/22 23:04-

さて、ついに30歳を迎えました。
三十路ジョークを25歳から妻といい続けてきましたが、
ついに30歳になっちゃいました。
しかし、もう、「若い」ということに余りこだわりがなくなってきた自分。
後は、どう今後を生きるかです。

今日は朝から晩まで、結局フランクフルトのメッセで、
超でかい展示会の一部のブースで、
たくさんのお客さんと話し、
夜はチェコ人のお客さんと、上司二人と会食を行ないました。
悪くない誕生日だったと思います。

下は、さっきFacebookにのっけたコメント。
結局、こういう気持ちです。
今までは気を張って生きてきましたが、
これからの人生は、ゆらりゆらり、くらりくらり、ゆるりゆるり、さらりさらりと、
力を抜いて生きて行きたいと思います。
でも、自分の心の声には正直に。

*****

いつも励ましてくれる、妻よ、ありがとう。
あなたのおかげで、今日の僕はいます。
そして、いつも支えてくれる友達、ありがとう。
寂しがりやで、その癖に、一人でいるのが好きで、
わがままで、すぐ不機嫌になり、
いつも自分の子供っぽさに辟易する自分ですが、
これからはもう少し成長して、
もう少し大人になりたいと思います。

とりあえず、30歳の気持ち。

2013/10/22 23:09


***************

Thanks so much everyone who gave me special comments for my birth-day and for those who always have been my special people. I am happy to become 30 years old in this day, in this environment, in this life. I feel like I have gone through very tough road up till today, but now I am happier than anytime of my life today. I love my job, I love my wife, I love my family, and I love where I am in my life today. When I was 20 years old, I read this book which was saying; "When you become 30 years old, how you spend your 30-years-old-birth-day is how you would live your entire life". I also remember my elder friend of mine saying; "When you become 30 years old and if you are not satisfied with your life, you would come back to where you should be belonging to". Those are my motto of how to live my life up to 30 years old, and how I spent today was something I can be satisfied with. I have spent hours doing business with people internationally and had some good time with my colleagues and my bosses, and our clients.
Of course I miss my wife and it is too sad that I couldn’t spend today with her, but still, by fulfilling my work, I can also make my wife and family happy, I believe.

Thank you again everybody who have been helping me and giving me love in my life. Thanks to you, I can be what I am today. I am excited how I will spend my next 10 years. Thanks!
Love, Shun

さて、今日で30歳を迎えました。その昔、二十歳の頃に読んだ本に、「どう30歳の誕生日を過ごしているかは、その人の人生がその後どうなるかを映し出す」的なことが書いてあり、いつの間にかそれが僕の中にずっと残っていました。また、僕の大学時代の大事な先輩は、「もしも男が30歳のときに、その人が一番したいことをしていなかった場合、必ず彼は、本来の道に戻って来るんだよ」と言っていました。30歳はその節目だ、と。
自分はこれまで、特に24歳から28歳までの5年間は、結構辛い道を歩んできたと思っています。決して簡単な道ではありませんでした。いつも、俺の人生は大丈夫なのか、俺の生き方は合っているのかと、自問自答する日々でした。(そしてそのときいつも側では妻が励ましてくれました。)結局、29歳を目前に今の会社に入り、今は希望である海外営業の仕事で、毎日充実した日々を送れています。今日も、朝から晩まで各国の方々とビジネスミーティングを行い、夜は会食をしたりと、同僚、上司、お客様、いい人たちに囲まれ、ドイツという新しい国で、「新しい人生」を感じています。
妻と過ごせないのは残念ですが、そして、妻はやっぱり僕にとって一番大事な人なので、彼女のいない人生はあり得ませんが、しかしながら、こうして仕事として考えたときに、自分が満足できる、少なくとも文句をつける気にはならない状態にいられることは幸せであり、それだからこそ、日本にいるときに、妻と、いずれ増える家族を幸せにしていきたいと思えます。
今までは、自分の人生を、将来を、恐れながら歩むことが多かったと思いますが、今は、すばらしい妻とすばらしい仕事に恵まれ、将来を楽しみに歩むことができます。30歳にして、やっと落ち着いた自信が付いたのだと思います。
これからの10年間、30代を、楽しく、エキサイトしながら、生きて行きたいと思います。
そして、何よりもいつも助けてくれる皆さんのおかげで今日の自分はあります。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

***************








October 11, 2013 23:39

2013/10/11 23:01-

この1週間は長かった。
先週はギリシャに8日近く行っていたので、
今週は1週間のペースに慣れるのが大変だった。

やっぱり、10日近く日本を離れてみて、
帰ってきて一番感じるのは、
通勤電車の辛さ。
毎日駅まで10分歩き、
電車に5分乗り、乗り換えで15分〜20分立って待ち、
その後、電車に30分乗り、
それから駅から会社まで10分歩く。
朝は片道、家を出てから1時間20分。
帰りは1時間。
それを5日連続で行い、
かつ、それらは他人に囲まれ、
体はぶつかり、
パーソナルスペールはほぼ無く、
しかも、気温はまだ高いのに、
10月に入ったからと言って、
電車の中は冷房を切っていて、
密集した暑い空気がこもった車内で過ごすとなると、
そのストレスと疲れは、かなり大きいらしい。

この生活に慣れてしまうと、そこまで辛いと思わなくなるが、
こうして10日以上その生活スタイルから離れていると、
いかにそれが辛いものなのかを、体と心の疲れで感じる。

*****

と、暗いことばかり書いているが、
実際の仕事は楽しい。
3月に東京に移り、
4月にはほぼ全てを任され始めてから、
北米(アメリカ、カナダ)、
インドを受け持っているが、
ほぼ問題なくこなせる様になってきた。
初めの頃は、先輩にいちいちやり方を聞かなければいけなかったり、
メールを書いても、その内容を確かめてもらわねばならなかったが、
今では朝出社して、一晩で10件〜15件近く来ているメールに目を通して、
すぐに即答し、
かつ、日中も国内から来る内容にすぐに対応して、、
というのが出来るようになってきた。

貿易業務も問題なく覚えたし、スピードも付いた。

後は、今度はブラジルを初めとした南米(アルゼンチン、チリなども)と、
北米を引き続き開拓して行くのみ。

来週はまた10月20日から、約4週間の海外出張となる。
今度は、フランクフルトに5日間滞在した後、
ロンドンに1日行き、
その後はNYに飛んで、そこからアメリカを回る。
今回はプエルトリコも行く。

帰ってくるのは、11月14日。
妻には悲しい思いをさせるが、しょうがない。

*****

今日は何を書こうとしたかと言うと、
何でも、毎日少しずつ集中してやって行けば、
その時間は短くても、
確実に成長して行く、ということ。

今は、ポルトガル語の習得と、
ギターにハマっている。

ポルトガル語は、6月から本格的にレッスンに通いだしたが、
週1かつ、レッスンの日以外は勉強をしていなかったのもあり、
全く伸びなかった。
また、途中で6月半ばから7月半ばに4週間の北米出張、
その後はインドに1週間、
そして、今度はギリシャに10日間など、
合間合間にいろいろと入り、結局6月にレッスンを始めてから、
一昨日でまだ7回しかやっていなかった。

しかし、今回ギリシャに行き、
自分が全く分からない言語を聞き、
その後帰ってきて、というか、
今回サントリーニで見た夕日に俺はものすごく感動して、
その景色をまた見る為に、(しかも人生で行きたいときに何回でも行ける様に)
本気で俺は頑張って、お金を稼げる様になろうと誓い、
そのためには、今やっている仕事と言語習得を本気で集中しようと誓ってから、
全てが簡単に思えてきた。
というか、やる気の度合いが俄然違ってきた。

前はどこかに、「やらされてる感」があったけど、
今は、今やっている全ての事は、
将来の俺に全て返って来ると分かるから、
全てが積極的。

そんなわけで、ポルトガル語も、
毎日行きと帰りの電車の中でヘッドフォンで聞きながらテキストをブツブツ言っていたら、
大分”分かって”きた。
前は、ポルトガル語の音や、その単語、言い回しなど、
全てがNEW to meで、ちんぷんかんぷんだったけど、
今は大分慣れた。

逆に、毎日ポルトガル語を聞かないと、
なんかそわそわするし、
聞きたい、と思う。
朝起きても、無意識でポルトガル語のセンテンスが
頭の中を流れている。

*****

そしてもう一個は、ギター。

これまた、2010年の5月頃に買ってから、
今年の2月くらいまでは、殆どさわってなかったけど、
2月にチャゲアスにハマったのをきっかけに、
ギターをさわりだして、
それから、エアロスミス、ジャックジョンソン、
ブルーノマーズの曲などを弾くのにハマってきた。

それも、まだコードを抑える指がなれなかったけど、
今は、毎日10分さわるだけで、
どんどん上達して行く。

ギターを初めて直ぐの頃、
スピッツの『チェリー』にトライしたけど
全然弾けなかった。
でも今は、問題なく弾けるようになって、
かなりビックリした。
最初は、FやB、CにBmなどは全然押えられなかったけど、
今は問題なくできるし、
コードからコードへのシフトチェンジもかなりスムースに出来る。

これも結局は、
指がその動きに慣れるまで、何回もさわって、
次第に、考えずとも、
指が勝手にその形に動くようになるのが基本。


ポルトガル語もそう。
考えずに、
頭が、CDで聞いた音を呼び起こす。
それに、ただ自分は感覚で浸るだけ。


そうやって、何度も何度も、
毎日少しずつやって行くと、
ある瞬間に、今まではそれが全く意味不明だったものが、
「あ!分かる!」となる。
その瞬間を迎えると、
一気に、それは楽しくなる。

*****

俺にとって英語も最初はそうだった。

中学3年の夏休みまでは、本気で英語が大嫌いで、
意味が分からない教科だったが、
塾の先生のおかげで、
英語に対する抵抗がなくなり、
ある時から、それまでは100問あったら、100問分からなかった教科から、
100問あったら、80問は分かる教科になった。

そして、『それ』に慣れた瞬間、
つまり、『それ』に対する抵抗を感じなくなった瞬間、
『それ』は、急に、自分の一部になり、
その瞬間、それは楽しくなる。

そう、考えずとも、
体からそれが自然に出る様になったとき、
つまり、それがクセになったとき、
それは、楽しくなる。

*****


俺は、今月の22日で、30歳を迎える。

昔読んだ本で、
「30歳の誕生日にやっている事を、
人間は、一生やって行く」というような事を言っている対談を読んだ。

その対話は妙に俺の心に残っていたが、
今年の誕生日は、フランクフルトの展示会会場で、
各国のお客さんと会議を何個もする事になる。
多分忙しいからやだけど、でも結局、
そうやって、世界中の色んな国の人種の人たちと
ビジネスを行い、
そういう状態にいられることを、俺は好きだから、
(そしてカッコいいし、自己満足が大きい)
誕生日にその状態にいられて、良いんだと思う。



30歳から、定年の約60歳まで、
残り30年しかない。
20代は、つまり、『若い時期』は、
あっという間に終わってしまった。
日本に24歳で帰ってきて、
毎日懸命に生きていたら、
あっという間に過ぎ去ってしまった。

でも、もう、俺はそれを後悔していない。
過去を後悔していない。
今の状態に、ある程度は満足しているから。

24歳から29歳まで、随分と色々な道を通り、
辛い日々を過ごしてきたが、
(正直言って、24歳から28歳の5年間は、
本当に、辛かった、という感じが大きい)
その分、今、やりたい事を仕事として出来ていて、
扱う製品も、満足のいくもの、業界だし、
その知識は、グローバルにどこでも使えるし、
言語力も、英語以外にも身につけられているし、
会社の人間関係もとても良いし、
海外出張はたくさん行けるし、
素晴らしい妻もいるし、
(彼女には寂しい思いをさせて申し訳ないけれど)

本当に、これまで諦めずに頑張ってきて良かったと思う。


******


50歳を超えると、ある程度体力は落ちるだろうから、
残り10年×2回しか、フルに動けないと思う。
人生は、短いと思う。本当に。
松下幸之助が、
若さをもう一度手に入れられるなら、
今まで手にしてきたものは全て手放してでもしたい、
と言っていた本を、15歳くらいの頃に読んだが、
そういう気持ちを持ち続けてきても、
もう既にそれから15年が経ち、30歳になった。

自分が、60歳を迎える日は、
きっと、自分が想像するものよりも、
ものすごく早いのだろう。


だからこそ、後で悔いの無い様、
生き抜きたい、
自分の人生の可能性を、フルに使って、
最大限まで発揮し、
俺の人生を、使い切りたい、と思う。

久々の、熱い日記。
しかし、その”熱さ”は、
若い頃の表に出るそれとは違い、
今では、内面の丹田の辺りで、
どっしりと構えて、燃えている熱さ。


2013/10/11 23:36






May 23, 2013 21:38

2013/5/23. 21:02

先日観たDoveのCMで、
元アメリカ・サンノゼの警察署で犯人の似顔絵を書いていた男性が、
今では、色んな人の似顔絵を、
その人の顔を見ずに、

1、その人の、自分の顔に対する自分自身の感想を聞いて描く

2、その人と、その場所で初めて会った人に、その人の印象を聞いて描く

という形で二枚の絵を描き、
その二枚を、後で本人に見比べてもらい、その違いの感想を聞く、
というのをやっていた。


まずは、その男性が、すべての人の似顔絵を、
その人の顔を一切見ずに描くことも驚きだったが、(そして、その似顔絵がかなり実物と似ている)

何よりビックリしたのは、
どの似顔絵も、
本人の自分の顔に対する印象よりも、
他人がその人の第一印象を見て言った感想を聞いて描いた絵の方が、
より綺麗に、美しく、素敵に描かれていた、ということ。

その二枚の似顔絵を、
本人たちは最後に二枚比べて見せられ、
隣では、その似顔絵を書いた男性が、
"Don't you think you are more beautiful than you think you are?"
「あなたが思っているよりも、他の人が見ているあなたの方が、綺麗ではないですか?」
と聞くと、
本人たちは、
"Yes, yes" と言いながら、涙を流していた。

、、、、

今日、仕事が終わって帰る間際に、
職場の先輩と、俺の前の会社の仕事について話を少しした。

俺は正直、
前の会社の仕事について、余り良い思い出を抱いていないと、自分では感じる。

しかし、いざ今日、先輩にはなしをしてみると、
自分がそこで、いかに貴重な経験を積んだかを、改めて客観的にみてみて、強く感じた。

人と話す力、
話を聞く力、
物事を早く行う力、
電話対応の方法、
新規顧客にアプローチする力、
人前で堂々と話す力、
根性、スタミナ、等々。

そのおかげで、今では、
今の会社で、高い評価を得ている。

それは、自分の中では、前の会社がスタンダードになっているので、それが当たり前と思うが、
こうして、外から見た印象を聞かないと、自分が実際にどう見られているか、
または、自分の前の会社で得た経験が、どのようなものだったのかは、分からない。



その先輩と話して、
自分が、前職で、
いかに、貴重な経験を積んでいたかを、改めて感じた。

そして、改めて、
自分の過去を、再評価することができた。

、、、、

人は、他人と比べてばかりいては、自分の自信はつかない。

過去の俺は、他人と比べてばかりで、自分の自信がなかった。

今は、他人と比べることはほとんどなくなったが、
その代わり、過去の自分のとった道や、経験を、
過小評価して、
実際のそれよりも、
小さく、それを見ている傾向が、
強すぎるのかもしれないと、
そう思った。

、、、、


人は、いくら経験を積もうが、
その経験をきちんと吟味し、味わい、
自分の糧へと変えていかないと、
その経験を積んだ意味は、ほとんどなくなってしまう。

同じ経験を積んでいても、
その評価と生かし方次第で、
人は、かなり変わってしまう。

いつも自信があるように見えて、
人生を楽しんでいるように見えるやつは、
自分の過去を過小評価せず、
すべて、なるべくしてなったと正当に評価し、
自分の歩みに、自信を持っているやつだと思う。

この前、結婚式に来てくれた、自分の親友たちと一度に出会い、

そいつらのことを考えると、
みんな、胸を張って、
堂々と生きているやつが多いなと思い、
そしてそんなやつは、男として、非常にかっこいいと思う。

そういった人間たちに共通しているところはなんだろうと考えると、
上のことに行き着いた。

つまり、自分の過去、
いわゆる、自分自身を肯定し、
それを糧にして、今日から明日以降を、力強く、足を確実に踏みしめながら生きているのだ、と。

俺は、過去の自分の経験を人に話すと、色んな経験をしていてうらやましい、と言われることもある。

実際、そうであると思う。
なのに、当の本人が、それを認めず、
自分の過去を、「もっとこうすればよかった」と悔やみながら生きるというのは、
俺という人間の可能性を与えられていながら、
その可能性を、最大まで活かさずに、殺して生きるようなもんだろうと。


結局、考え方というのは「癖」で、そのクセを変えるのは、自分次第というだけ。

現役でいられるのは、残り三十年。
自分が「若い」と言われるのは、あと数年しかない。

今のうちに、俺のクセを治し、
過去を肯定し、
自分自身のとって来た道を肯定し、
それらを最大限まで糧にして、
これから、前に力強く進んで行きたいと思う。


堂々と、常に前を向き、
胸を張り、
笑顔を持ちながら。



21:37



May 22, 2013 21:23

2013/5/22. 20:48

結婚式を終えて、三日が経った。

本当に、良い式だった。
昨日妻が、「もう一回結婚式やりたいね」って言ってたけど、本当にそう思う。

何より、自分たちの大事な友達が、一度にみんな集まってくれている、しかも遠くから、っていうのが、本当にありがたかった。

みんな、俺たちのために、正装をして、綺麗なドレスをきて、オシャレをしてきてくれて。

みんなが、その日に、その場所に、自分たちのためだけに集まってくれる、ということは、
本当にありがたいことだと思う。


俺は、最後の謝辞を、ほとんど練習しないまま、本番に任せて行ったけど、やはり少し緊張してしまったので、
前に考えていた、会場の方々へのお礼や、
そして、皆さんへのお礼、
「こうして私たちがここに今立っていられるのも、皆様一人一人のおかげです。本当にありがとうございます。
皆さんからいただいているこのご恩は、少しずつ、しかし、必ず返させて下さい。
そして、これからは私たち二人が、皆様が今日ここにこうして集まって祝福してくださったことをムダにしないよう、幸せな家庭をしっかりと築いて行きたいと思います。」

という言葉を、きちんという事ができなかった。
それを少し悔やんでいます。

すごくシンプルに、「皆様、本当にこの度はありがとうございました!」しか言えなかったと思うので。


、、、、、、


俺の個人的な感傷は置いておいて、

本当に、ありがたいひと時だった。

同時に、自分たちがあそこまで、三時間以上の間、主役であり、
かつ、来ている全員が味方で、祝福してくれていることというのは、

今後の人生で、たぶんもうほとんどないんだろうなと思った。

それはもちろん、とても気持ちの良いもので、
きっと、芸能人ていうのは、これに近いものを普段感じているんだろうな、と思った。

そりゃあ、あれだけ色んな方向から写真を撮られて、みんなにキャーキャー言われてたら、
見た目にも気を使い、「見られかた」を覚えて、かっこよく、またはきれいになっていくよな、と思った。
なぜなら、芸能人は、「見られかた」を極めている職業だから。


、、、、、


自分のエゴは置いておいて、
本当に、ありがたいひと時でした。


皆さんに、きちんとお礼を、十分に伝えきれなかったと思うので、これからしっかりと返して行きたい。

21:00





May 20, 2013 23:30

2013/5/20 (Mon) 23:27-

昨日、2013.05.19 (Sun)は、僕と妻の結婚式&披露宴でした。

ちょうど一年前の2012.05.19に入籍をして、
それからちょうど一年後の昨日、結婚式を挙げました。

この準備には、一年以上をかけて、
(90%の準備は妻が)して来ました。

僕も、披露宴の最中に流すプロフィールムービーを作ったり、
直前ではありましたが、 ウェディングツリーの木の絵を描いたり、
来て下さる皆さんへメッセージを書いたりと、
4月頭辺りからは、毎週末のようにやることがあり、
式の直前には、毎晩やることがあって、
式の前日の夜には、妻と険悪なムードになるくらい喧嘩したりと
(これも俺が悪い)
結構、不安なところもありましたが、

しかし!
昨日は、本当に素晴らしい式となりました。

天候は、予報では数日前まで、ずっと曇りのち雨の予報。
降水確率は50%。
妻はそれを気にして、かなり落ち込んでいましたが、
きっと大丈夫だよ、と個人的には思っており、
更には、今回私たちのプロデューサーをしてくださった鈴木さんという方が、
完全な晴れ女ということで、
式の当日の天候について妻がぽろっとこぼしたところ、
(これは、式の2日前の金曜日)
その鈴木さんは、
「絶対大丈夫です。私がお二人の時間だけは晴れさせます」
と言い切りました。

他の方は、みんな、
「当日は晴れるといいですね」
てな感じで、少し濁すのですが、
そのプロデューサーは、
「絶対晴れます。大丈夫です」
と、こっちが不安になる位言いきるので、
どうかな、と思っていたら、
当日は、完全な快晴!!!

さらには気温も、22℃と、
外でのデザートビュッフェができるのは23℃以下だったので、
本当に最高のコンディションでした。

来て下さった方々も、ゲストへのサプライズだったそのデザートビュッフェには
本当に感激してくれて、
特に女性陣は、大満足の様子でした。

途中で、外のガーデンに出て、
自由に歩いたり、羽を伸ばせるのも、
良かったみたいです。

(披露宴のウェルカムスピーチでは、
俺の方から、
「ここ、新浦安は、条例でも決められているように、
カリフォルニアンのような外観に作られています。
ここの会場もそうで、かつ、ここの会場の名前である
サンタモニカ邸は、僕と妻が出会った場所、カリフォルニアの町です。
よって、今日は皆さんにも、カリフォルニアの雰囲気を少しでも味わっていただきたく思い、
この会場を選ばさせていただきました。」と伝えた。
実際、天気もちょうどよく、
庭でのパーティーみたいな感じも取り入れられて、
本当に良かったと思う。)


ゲストの方々には、
北は岩手から、
南は大分まで、
本当に全国から来ていただきました。
(1人は今は大阪に住んでいますが、カリフォルニア出身のノアも参加。)

今回、自分や妻の親戚の方にも参加いただき、
かつ、それぞれの親友にも参加していただき、
また、新郎の方は、会社の方々や、
前の会社時代にお世話になった方にも参加いただき、
本当にありがたく、感謝の言葉を言っても伝えきれない時間となりました。

当日は、謝辞もあり、
結構緊張していましたが、
妻のメイクをして下さった会場の方も、本当に良い方で、
「皆さん、いざ始まってしまうと、
どんどん進んで行くので、
”次に何しよう”と考える暇もなく終わってしまって、
最後になって、”え?もう終わりなの?”っておっしゃるんですよ。
なので、次のことは考えずに、
もう、今だけを味わって、十分に楽しんだ方がいいですよ」と。

その言葉を聞いて、それまでは謝辞のことを気にしていた自分も、
「ああ、そうだよな。
むしろ、今日で俺の人生は最後と思って、
今日の”瞬間”を味わおう」と心を切り替えることができました。
その結果、本当に全てを楽しむことができました。
その方の言葉にも感謝です。


最初の式の部分では、自分が一人で神父の後ろをついて歩いて行くので、
大きな扉が開く前で待っているときは、とても緊張しましたが、
いざ扉が空いて、中に歩いて行くと、
かつての仕事仲間から、「わあー」「きゃあー」「かっこいいー」などの黄色い声が聞こえ、それで緊張がほどけました。

その後、前に立つところで、
自分の父親の顔を見て、なんか、涙が込み上げてきてしまいました。

その後、新婦が入場。
母親にベールダウンをしてもらい、
その後は、父親と一緒にヴァージンロードを歩いて来ます。

2人が近くなったところで、
彼女のお父さんに敬礼。

そこで、父親の手から、自分の手へ、
手を移す彼女の手を取りながら、
お父さんへ、「ありがとうございます」か「よろしくお願いします」か、
覚えていませんが、何か言ったところ、
お父さんも、「よろしく頼むよ」と言ってくれたのを見て、
さらに、涙がこぼれそうでした。


その後、誓いを立て、
再び、参列者の真ん中を歩いて行きます。

みなさんに一礼をして、
会場を出ました。

もう、その間ずっと、
自分の目には、涙が浮かんでおり、
本当に感無量でした。

*****

その後、階段を降りるところで、
皆さんにフラワーシャワーをしていただき、
みんなで写真を撮ります。


その後は、披露宴会場へ向かい、
皆さんのテーブルの間をかいくぐり、
自分たちの座る場所へと通されました。


今までの人生で、80人近くの人たちを前に、
自分たちが主役になることというのは、
ありませんでしたので、
本当に、不思議な感覚でした。


その後、上に書いたウェルカムスピーチを行い、
その後は、新郎の友人代表で、
高校時代からの付き合いの、R.H.に乾杯のスピーチと音頭をしてもらいました。

Rは、やはり俺が見込んだ男で、
素晴らしいスピーチをしてくれました。
しっかりと、綺麗な日本語で挨拶をしてくれ、
かつ、俺たちの共有のエピソードに触れてくれ、
彼のことを、横から見ながら、
「こいつは、やっぱり、人前に立つ男なんだな」
というのを、ひしひしと感じました。

彼の堂々としている感じと、目の輝きと、
放つオーラは、本物だと思います。

*****

その後、今勤めている会社の理事から主賓のスピーチをいただき、
新婦の中座があり、
(新婦のおばあちゃん2人をサプライズでエスコート。
かつ、おじいちゃんには一輪の花束。
その時の新婦のメッセージでは、妻は既に泣いており、
「おじいちゃん、大好きだよ。いつまでも元気でいてね」と。
みんなそれを見て、号泣していたそうです)

その後、一息ついた時に、
新郎ゲストの方から、みんなが立って来てくれました。

俺は余り友達が多い方ではありませんが、
高校時代、大学時代、英語の予備校時代など、
それぞれに、1人ずつくらい、親友と呼べる存在がいます。
(この日記にも、その3人のことはよく書いています)

その3人が、昨日は、同じ席でみんな一気に仲良くなってくれ、
俺のところへ3人が来てくれ、
みんなで一緒に写真を撮ったりしていると、
何だか、夢の様でした。
「え?なんで、悟空とキン肉マンと桜木花道が一緒にいるの?」みたいな。

カリフォルニアで大学時代に出会った親友たちからは、
ハグと、熱い握手。
“I’m so glad to see you buddy!”みたいな、なぜか日本人同士なのに英語。

その後は、前職での仲間たち。
前職では、同じ会社ではないにも関わらず、
仕事関係が一緒ということで知り合ったSさんも、
(俺のある意味恩人のような人)
今回は来て下さり、
祝って下さいました。
本当に嬉しかったです。

*****

その後、俺は父親と母親をサプライズで指名して、
中座。
もちろんその時のBGMは、エアロスミスの”Walk This Way”。
今回は結婚式ということで、中々ロックは使えなかったのですが、
大好きなエアロスミスは使えて良かったです。

(もちろん、Alicia KeysやBrian McKnightなども使いました。)

その後、新婦がドレスを替えて、
カラードレスでの入場。

その前に、自分が作ったプロフィールムービーを、
ゲストの前で流しました。

その時、俺たちは、ゲストがいる会場の上の二階の奥で、
映像が流れる様子だけを遠くから見守りながら、
ゲストの反応を、声だけで聞いていたのですが、
みんな、歓声を上げてくれたり、
最後は、みんな泣いてくれたそうで、
もう、ここ一ヶ月はほぼ全ての週末を費やした自分にとっては、
有り難い限りです。

同時に、自分はFilm Majorでもあったので、
自分が作った映画が皆の前で流せる、ということは、
初めてだったので、
ある意味、夢がかない、とても嬉しかったです。

*****

映画が終わったところで、階段を降りて再入場。

その後、新婦の親友と、
新郎新婦共有の親友から、スピーチをもらいました。

それぞれ、感動的なスピーチと、
笑いありの和めるスピーチ。
とても良かったです。


そしてその後は、ゲストへのサプライズであった
外の庭での、ビュッフェスタイルデザート。

しまっていたカーテンを開けると、
外ではスタッフがみんな手を大きくふっていてくれていて、
これはこれは、もう本当に嬉しさと感動の嵐でした。

外にみんなで出て、みんなと写真撮影。
俺たちはほとんど食べる時間がなかったけれど、
みんな、会場にいるとなかなか写真が撮れないので、
この時は、みんな外で、明るい日差しの中、
好きな様に動けたので、
とてもよかったみたいです。

(ある意味、ディズニーランドのキャラクターたちになったようでした。
常に、みんなが写真を撮りに並んで待っていてくれる、というか。
でも、俺も昔からミッキーとかプーさんに似ていると言われますが)

そこでも、きちんと近くで挨拶ができていなかった方々にも、
直接歩いて、挨拶をしに行きました。

この時間は、本当によかった。
みんな、楽しそうで、
俺の予備校時代の親友のOさんは、
「よくこんなお城みたいなところ見つけたね!すごいよ!」
と嬉しそうでした。

みんな、楽しそうなのが本当によかった。

*****

その後、会場に戻り、
新婦からのスピーチ。

通常は、新婦が手紙を読むそうですが、
御涙ちょうだい系で、それは絶対に嫌だと、
新婦の母親、かつ新婦本人からの強い希望により、
新婦からの、カンペ無しのスピーチとなりました。
(ここは、さすがコミュニケーション学部かつ生まれた時から喋っていたという妻の良さがガンガン出ていました。)

妻の聞かせるスピーチに、会場は一つに。
会場のマネージャー役の方も、
妻のスピーチを真剣な表情で遠くから聞いて下さり、
終わった途端に、妻の母親のところへ駆け寄って、
「今まで関わって来た方々の中で、一番感動するスピーチでした」
と伝えて下さったそうです。


その後は、妻と私で、
両親へのサプライズのプレゼント贈呈。

その後、会場が真っ暗になった中で、
私たちとそれぞれの両親の合計6名だけにスポットライトが当たり、
そこで、まずは私の父親、
つまり、新郎父親からの挨拶。

親父の顔を横で見ると、
完全に暗記して来たスピーチを、
親父は、一言も間違えずに、言い切りました。


ちなみに、親父は、
先日ここの日記にも書いたが、
病気になったばかりでした。

手術を4月に済ませ、
まだ、体調も万全ではなく、
今日も、参加しているのが難しい状態でもありました。

しかし、親父は、堂々と立ち、
びしっとした言葉で、決めてくれました。

正直、親父が会うたびに、
少しずつ痩せて、細くなって行くのを見ています。

今回も、一番最初、
チャペルに入った際に、
親父の顔を見て、泣きそうになったと書きましたが、
それは、親父の顔を見た時に、
大分弱ったな、というのを感じたからです。


色々な思いがこみ上げ、
そんな親父が、隣で、今、しっかりと気力を出して、
覇気を見せながらスピーチをしているのを見ると、
身震いせずにはいられませんでした。



その後、自分からの最後の謝辞です。


まさか、真っ暗な中、
しかも、父親のその覇気迫るスピーチを聴いた後に、
元々考えていた、最初の笑いの部分を言う気も一切思い出せず、
完全に、その場で感じたことを、
伝える謝辞となりました。

(皆さんへの挨拶と御礼、
新婦の両親への挨拶、
自分の両親への挨拶、
そして、妻への言葉を入れました。
その後、最後に再び、皆さんへの挨拶で、しめました。)


その後、6人で、その場を後にし、
最後、ゲストの皆さん一人一人に感謝の気持ちを御礼を伝えながら、
お見送りをしました。


本当に、あっという間の3時間とちょっとでした。

*****

終わった後は、妻と俺の前職場の仲間たちと最寄り駅の近くの居酒屋で楽しく語らい、
その後、家に帰って来ました。


家に付き、今日きて下さった皆さんと皆に御礼の電話をすると、
みんな、「今日は本当に楽しかったよ。感動したよ。ありがとう」と言ってくれ、
もう、本当に嬉しいばかりでした。

今回乾杯のスピーチをしてくれたRは、
「今まで十何回結婚式出てるけど(彼は仲間が多く、本当に数多くの式に参加している)、お前ほど最後にああやって決めたヤツはいなかったよ」と。

俺も、Rのスピーチに感動したので、それをきちんと伝えました。

ちなみに、新婦中座の後に、
RがOさんと一緒に席まで来てくれた時に、
Rが、「お前のこと尊敬してるよ。ほんと、目を見れば分かるよな」と、
Oさんに言っているのを見て、
やっぱり、本当に嬉しかったです。


他にも、みんな、式に来てくれて、
温かい言葉をくれて、本当に嬉しかったなあ。

俺の両親も、「楽しかった」と言ってくれたし、
妻の両親も、親戚も、友達も、
みーんな、楽しんでくれたみたいです。

本当に良かった。

感謝感激、
悔いは一切なし、というかたちです。

*****

今回使った会場も、
本当に素晴らしいところで、
最後は、その日に働いていてスタッフ全員が、
シャトルバスの通る両サイドで待っていてくれて、
みんなで手を振ってくれ、
最後に、
「せーの、お幸せにー!!」
と叫んでくれて、
もう、本当に感激でした。

すばらしい方々でした。

******

もう長くなりすぎたので辞めますが、
本当に、本当に、
良い式でした。

妻も、本当に満足してくれて、
俺も、心から満足していて、
本当にやってよかった。

一生の思い出となりました。

******

また、一ヶ月後に届く写真と、
当日の様子を撮影したBlue-Rayが届くのが楽しみです。


そして、今回感じたことは、
やっぱり、皆さんへの「感謝」です。

皆さんのおかげで、
僕らの周りの方々のおかげで、
自分たちは、こうして、
幸せな時を過ごせました。

もう、本当に、
感謝の一言に尽きます。

皆さんに、きっちりと、
今回の恩を返して行かなければと思います。

皆さん、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。


2013/5/21 0:36am







April 30, 2013 16:30

2013/04/30 15:20-

今、ルフトハンザの飛行機の中。
ビジネスクラス。
会社のお金で。

このパーテーションの中には、全部で乗客が15人しかいない。
とても余裕があり、良い。

席は、完全フラットになる。さっき、それで13時から14時半まで、1時間半寝た。


************


完全に静かな個室なので、
そして、時間があるので、
自分のことを、見つめてみようと思う。



最近の悩みは、特にない。

先日妻とも話したが、
ほんの少し前までの俺は、
仕事のこと、
進路のこと、
それらで、ずっと悩んでいたが、
今は、新しい会社に入り、
仕事も、やりたい海外営業部、
こうして、数ヶ月に一回は海外出張もでき、
また、英語も使えるので、
毎日のように、英語力を必要とされて、
とても、満足している。

自分が、「求められている」と感じるし、
自分が今まで得てきた力=
「留学によって培った、英語力、コミュニケーション能力」
が、きちんと生かされる、または必要とされる力なので、
その状態に、満足している、と言える。


一社目の時は、
英語力は求められたが、
コミュニケーション能力、人と話す力、
人と接する力、
それを、使い機会がまったくないと感じたため、
毎日やりがいがなく、心は死んだも同然だった。

(今、その会社の同じ仕事についたら、
おそらく、文句はあまり言わずに働いたと思う。
給料も良いし、残業代も15分おきに出るし、
日立の福利厚生だし、
今考えると、今まで経験した3社の中で、
一番良い条件だったと思う。
金銭的にも、外資=英語を使える、または、社内に外国人(しかもアメリカ人、シリコンバレー)がたくさんいる、というのは。
でも、当時は、それは、自分が欲していたものではなかった。)

*****

二社目(前職)では、
自分が欲していた、
または、一社目の反動によって、
「コミュニケーション能力」を使うこと、鍛えることを、
非常に欲していた。

その力は、俺が伸ばしたかった力であり、
「俺はこれがあるんだ。または、伸ばせるんだ」
と証明したかった力だった。

また、一社目の後なので、
「お金なんて関係ない、
大事なのは、やる仕事の内容であって、
お金は、最低限の生活ができれば、それでいい」
と考えていた。


最初の半年間は良かった。
むしろ、入社して、最初の2ヶ月(2009年2月〜3月、横浜支店勤務の時代)は良かったけれど、
2009年4月から新宿に行き、
そこから、体力的にも(通勤の遠さ)
精神的にも(周りで無条件で応援してくれる人がいなくなったこと)
きつい時期が、7月まで続いた。
4ヶ月間。


そしてその後、
7月にT.S.さんが新宿に移ってきて、
8月には、彼の家に泊まったりして、
面倒を見てもらい、
おれ自身の力も伸びてきて、
のびのびと仕事ができるようになった。

8月、9月、
この2ヶ月は、本当に楽しかった。

8月、9月は、
この時期が、
ずっと続けばいい、
毎日、夜、JRから京急に乗り換えるところで、
いつも、
Maroon5を聴きながら、
「これがずっと続けばいい」
と思っていた。


その後、
10月にK.O.さんが辞め、
11月にもう一度、100万ポイントを超えたものの、
12月ごろから、なんとなく、メリハリがなくなり、
1月、2月、3月と、勢いでいっていたものが、
5月のクレームの連続勃発により、
営業部長に、社内メールでひどいことを言われ、
自分のプライドは傷つき、
自尊心が落ちて、
6月、7月と、落ちていった。

確か、7月は、
自転車での事故もあり、
さらに、自分の気持ちは、落ちて行ったと思う。
正直、そのころのことを、
あまり覚えていない。


妻は、4月から留学に行き、
帰ってきたのは、8月だった。
つまり、ちょうど彼女がいなくなっていたときに、
俺の仕事面は、だんだんと下がって行き、
精神的に、頼れるところがなくなっていた。

5月ごろ、(既に退職されて、たまに面倒を見て下さっていた)Jさんに相談すれば、
助けてくれるんじゃないか、

クレームの担当でお世話になった、
あの方(食事に連れて行ってくださった。俺に対してクレームを下さった会員さんの祖父様)
に、会うことで、
救われるんじゃないか、


そう、成田の駅のエスカレーターのところを歩きながら、
思っていたことを、思い出す。

*****

その後、2010年の9月以降、
2011年の頭くらいまでは、あまり記憶がない。
年齢はちょうど、27歳になった。

9月から、K.T.さんが移ってきた。

2010年の年末にオフィスが移り、
2011年の新年から、
新しいオフィスでの仕事が始まった。

そのころはちょうど、2010年末にCHさんが入ってきたり、
2010年の4月には、
Nちゃんや、Kなども入ってきた年だった。
Kとは、一緒に、
セミナーの準備もやったりした。
セミナーの隊長、副隊長とか。

ずいぶんと、それに力を使ったと思う。

******

2011年の2月に、
部長に、札幌オフィスでの支店長の仕事を持ちかけられた。
震災の一ヶ月前。


つまり、二社目に入社して、
2年がちょうど終わったところ。

それを断り、
そのときには、転職の話を部長にしていて、
4月からは、より、居場所が狭くなったと思う。

俺のアテンションは、完全に転職のほうへと移っていた。

オフィスでは、一部の人間の攻撃が、
俺としては、精神的に辛かった。
彼女たちは、好き勝手にやっていたと思う。
ある意味、いじめに近いと思う。(笑)

とても、先輩ではあるが、
「上司」とは呼べない。

2011年の夏には、
彼女と出かけている際に、
電話がかかってきて、
酷いことを言われ、
その後、俺はだいぶ落ち込み、
彼女を悲しませてしまった。

あのころは、
転職と、二社目の仕事と、
両方を両立させて行くことが、
体力的にも本当に辛く(唯一の休みの日を、面接に当てなければならなかった)
きつかったと思う。

*****

これでは踏ん切りがつかないというのもあり、
また、会社側の要請もあり、
10月頭付けで、そこでの仕事を辞めた。

俺の、二社目に対する思いは、
2009年時の入社時のそれと、
2011年時、俺が去るときのそれとは、
まったく違うものだったと思う。


今思うと、
S.I.さん、
T.S.さん、
W.A.さん、
そういった人たちの存在が、
俺がそこで仕事をして行く上では、
大きかったと思う。

先輩として、かわいがってくれる存在。
あきらめずに、目をかけてくれる存在。
見放さずに、見てくれている存在。
そして、俺のことを、
「お前はできる」と無条件で、疑わずに、
信じてくれている存在。



しかし、部長、他数名、
そういった存在は、違った。

俺のことを、最初から疑いの目で見ていた。

だから、俺は、
自信をなくし、自尊心をなくし、
びくびくし、
毎日、おびえて仕事をしていた。

2011年時、
俺があそこを去ったとき、
そういう意味で、
俺にとっての「味方」はいなかったんだと思う。

だから、俺の心は、荒んでいた。

だから、今でも、
二社目のことを、
2009年時はよくても、
2011年時のことは、思い出したくないんだと思う。


俺が思っていた以上に、
あのときのことは、本当に辛かったんだと思う。
2010年の5月から、
2011年の10月まで、
1年半の間は、
本当に、辛かったんだと思う。
俺が、26歳から、
28歳になる直前まで。

******

その後、2011年10月から、
2012年の2月まで、
転職活動という、自分との闘いが始まった。

責める人間は、俺自身しかいない。
なぜなら、毎日、自分との対面であり、
俺が、選んだ道だったから。


果たして、このまま、
自分が本当に行きたいと思える会社が見つからないのではないかと、
どうしようもない絶望感と、
無力感に襲われそうになることもあった。

でも、それを認めてしまうと、
恐怖で動けなくなってしまうので、
その意識を、無意識のまま、
言葉にせず、
頭で認めない、
そんな日々だった。

*****

10月から11月は、
まったく動きもなく、
かなり辛かった。

2007年の9月から2008年の2月まで、
自分の進路がわからないまま、
彼女とロングビーチのアパートで
暮らしていたころの焦燥感に近い。


12月に、一度、
初めて行きたいと思えた会社、
MLに受かるかに思えたが、
そこで落ち、
どん底の気分を味わった。

もう、どうしようと、思った。

そのとき辛かったのは、
・お金が日々日々なくなって行くことの恐怖
・親からのプレッシャーに対する焦り
・28歳で何やってんだ、俺に未来はあるのか、という、自分の道を間違ったんじゃないか、という、自信の消失

だった。

3つ目に関しては、
面接で、または、書類選考で落とされる理由は、
俺が取ってきたまさにその道を、
否定されることだったから。

一社目を、5ヶ月で辞め、
二社目を、2年と10ヶ月で辞めていることが。

日本の有名な大学を出て、
大手企業、または、普通の企業に就職して、
そこで、少なくとも3年勤めたヤツのほうが、
俺よりも、「価値がある」
そう、思わせられることが、
とても、いやだった。


俺が今まで取ってきた選択、
歩んできた道の選択は、間違っていたのかと、

そう、思わせられることが、
本当にいやだった。


俺は、誰よりも芯が強いと思うが、
なのに、
俺が取ってきた道の表面的な見た目のせいで、
「S.S.という人間には、芯がない」
と思われることが、
一番、耐えられなかったんだと思う。

一度、日本の「進路コース」を踏み外すと、
もう、そこには戻れない、という、事実。

それを受け入れること、
俺は、もう、
日本の「できるやつら」のコースで、
一緒に戦うことはできないのか?
そして、その理由は、
一社目を5ヶ月で辞めている。
一社目で3年間勤めなかった。
たとえ、有名海外大学を出ていようと、
たとえ、大学時代に、
どんな日本のやつらよりも、
俺自身を磨いたと自負しても、

たとえ、一社目も、日本社会では負けず劣らずの有名企業であっても。



ただ、一社目を、
「5ヶ月で辞めた」だけで、
もう、日本のそのコースに戻れないことが、
本当に、辛かった。

俺よりも、大学時代にサボっていて、
俺よりも、社会人になってからも、
適当に仕事をしているであろう人間よりも、
俺の方が、たとえ今まで真剣に生きてきていても、

「一社目を、5ヶ月で辞めた」

その事実だけで、
そいつらと同じ土俵に立つこともできず、
かつ、そいつらに、生涯年収が、
一生、追いつけないであろうことに。


******


結局は、男であり、
ステータスと、
お金、
それがある方が、
自尊心も高まるし、
自分が、己の能力を最大限まで使っている、と、
思える。


なのに、それができないこと。

そして、学生時代は、どんな失敗をしようが、
結局は、その学校の中でしか事は影響していないから、
自分の人生の進路に絶対的な過ちはもたらさないものの、
社会人になってからとった行動は、
すべて、社会の目に、
すべて、跳ね返ってくる、ということ。


******

それを知らずに、一社目を辞めるといったときに、
親父と、母親は、
反対したんだと思う。

そして、俺が、彼らにそれを相談せずに決断してしまったことに、
驚きと、悲しみと、
絶望を感じたのだと思う。

*******

思えば、
俺が自分で選んだ道にもかかわらず、
そこでの仕事が辛い、
そこでの毎日がきついと、
親の前で嘆いていたことは、
親にとって、本当に辛かったと思う。
前職の時代。


きっと、彼らは、
俺が今の会社に入った、2012年の2月、
つまり、ほんの1年前までは、
ほとんど、安心することができなかったんじゃないのか。


そう思うと、親不孝ものであると思う。

親孝行をせねば。

******

また、妻という存在は、
本当に大きいと思う。

一社目に入ったころ、
二社目に入ったころ、
二社目できつかったころ、
転職時期に入ったころ、

最後に、今の会社での仕事が決まるまで、

俺を支えてくれたのは、
彼女だった。

彼女が、俺のことを、無条件で信じてくれ、

「あなたなら絶対に大丈夫」
と言い続けて、励まし続けてくれた。


彼女の支えなしでは、
俺は、あの時期を、
乗り切れなかったと思う。

*****


さっき、これを書きながらふと思った。

妻と、親父が、
病気になったのは、
彼女たち二人が、

それまでは、俺のことを心配して、
彼女たちが俺のことを支える必要があったから、
彼女たちは、常に丈夫で、健康でいなければいけなかったのに対して、

今では、俺もすっかり落ち着き、
悩み事が一切なくなったことで、
やっと、肩の荷を降ろした二人が、
病気に、かかったのではないか、と。


だから、今では、
俺自身が、自分に対する悩みがないからこそ、
他人のことを、気にかけられるのであって、
まず、自分にとって一番大事なその二人とは、
家族である、妻と、父親なのだ、と。



******


すべては、結果論かもしれない。

しかし、人生は、

最後に、”All was well.”と言えなければならない。



人生で、過去は、変えられない。

歳は、確実に取っていく。

体は、確実に衰えて行く。

若さは、一生じゃない。

だから、常に、
「後悔」をしないために、
毎日、精一杯、
胸を張って、生きて行かなければ、ならない。



人生は、そうあるべき。


2013/04/30 16:27




April 06, 2013 12:14

2013/4/5 11:42am-

今、結婚式に使う、自分の子供の頃の写真を見ていた。

そこには、若い頃の父親や母親、
姉貴の写真ももちろんあった。


*****

今年の一月、親父に、ある病気が見つかった。

手術を、先日4月2日に行った。

今は、無事に回復している。


*****


妻にも、病気ではないが、
あるものが体の中に見つかり、
その手術を、先日、4月4日に行った。

4月4日と5日は、会社の休みをもらい、
4日は、朝から妻の看病をした。

午後2時30分に手術室に入って、
その後、手術室から、夜の6時5分に出て来た彼女は、
次第に、麻酔が切れてきたせいで、
寒さで体がガタガタ震え、可哀想だった。

普段、体調がおかしくなったり、
または、辛そうにふるまう彼女を、
この6年間、見た事が余りない。

だから、そうやって、衰弱仕切っている彼女を見ると、
可哀想で、いたたまれなかった。


*****

昨日は、彼女の熱も段々下がって来て、
俺は、午後3時半頃にさよならをして、
そのまま実家のある町へ電車で移動し、
そこから、父親の入院する別の病院へ、
向かった。

手術前にも、会いにいけなく、
手術が終わって、初めて顔を合わせたのが、昨日だった。

2日に手術をして、
5日の夜の昨日の時点では、体にはパイプが1つだけ繋がっている状態だったが、
その日の日中までは、
他に、パイプが前に2本、
それと、背中に、麻酔のパイプが1本、
そして、両手に、血液のパイプが2本と、
合計、6本のパイプが繋がっていたそうな。


昨日は、俺が着いたら、
気分転換にと、一緒に少し病室の外をぐるっと歩き、
普通に歩けていたので、安心した。


*****

この数日の間に、
自分の大事な人に、
二人も、手術がおきて、
気分的にも、大変だった。

だが、二人とも手術がうまく行き、
今は順調に回復に向かっているので、
良かったと思う。


*****


俺は、今29歳。
今年の10月で、30歳になる。

さっき、写真を見ていた。

自分が、生まれて間もない頃の写真から、
小学生や、中学生、
高校の頃まで。


中学位からは、反抗期が始まり、
親に反発し、
特に、父親には、反発していた。

その頃は、父親がムカついて、
父親みたいにだけは、将来なりたくない、と思っていた。


妻と付き合いだして、
自分が、父親にそっくりだと、何度も言われる様になった。

最初は、それが嫌だった。

でも、最近は、嫌だとも思わない。

むしろ、俺の原点と言うか、
ルーツに戻った感じで、
それで、全部がOKになる、
落ち着く、という感じがする。



*****


自分が、今いる、この家で生まれて。

写真を見ると、同じ家の中の、部屋の片隅で、
タオルケットの上で、昼寝をしている写真などがあった。


その小さなこどもが、
次第に大きくなって、
反抗して、生意気になって、
高校を出たら、アメリカに行くと言い出して、
そのまま本当に行ってしまって、
6年間帰って来ず、
その後は、今度は日本にいるにも関わらず、
ほとんど家に帰って来ず、
むしろ、アメリカのときよりも帰って来ず、
そのまま、結婚をすると言って、
去年の5月に、入籍をして、
そして、アメリカから帰って来て、5年が経とうとしていて、
今、30歳を手前にしている。



その息子が、自分には、いつからか反抗的で、
いつも機嫌が悪く、
刺々しく、
ほとんど、目も合わせてくれない、
という状態は、親父にとって、苦しいものだったと思う。


その息子は、今、
親父が、病気にかかり、
体も、若い頃に比べると、老いて、
元気のない状態を見ると、
いたたまれなくなり、
悲しくなっている。




今は元気に回復に向かうと思うが、
いつか、この後、
父親が亡くなる瞬間が来たとき、
俺は、相当後悔すると思う。

思春期に入ってから、
親父に、辛く当たって来たからだ。


その、償いというか、
自分が、後悔しないためにも、
親父に、親孝行をしなければいけない、と思う。


*****

人間は、自分の生きてきた道を、
変える事はできない。

自分が選んだ道のりは、
それが、過去になった瞬間に、
もう、変える事はできない。

例えそれが、一分前であろうと、
十年前であろうと。


過去は、変えられない。
いくら悔やんでも、変えられない。

ならば、過去は、「既に起こったもの」として、受け入れ、
後は、これからどうして行くか、
を、自分の意志で、変えて行くしか無い。



今までの人生で、過去の選択を、悔やむ事は、
何度とあった。

俺の人生を、間違えたと、
失敗したと、
悔やむ事は、何度もあった。


しかし、過去を悔やんでもしょうがない、
過去は変えられない、
変えられるのは、過去に対して、自分がどう考えるか、
過去に起こった事を、自分が、どう捉え、
どう、それを生かすか、であること、


それだけであることに、
この、過去一年当たりから、強く、
納得することになった。


*****

時は、過ぎて行く。

時間は、止められない。

歳を、取って行く。

体は、衰えて行く。


だから、今を、感謝して生き、
目の前のことを、味わい、
自分の大事な人を、大切にして、
心を広く、大きくもって、
生きて行かなければ、ならない。


*****

人は、自分の精神面も、肉体面も、
健康な時には、
物事を、プラスの方向に考えられる。

しかし、自分が、肉体的や、精神的に、
病んだ時、

その時に、同じものごとを、
プラスの方向に考えるには、
ものすごい労力がいるし、
かつ、それをするのが、どうしても出来ないときがある。



だからこそ、
このような思いを、記しておかなければならない。

そして、必ず覚えておきたい事は、
人生というのは、全てが、そうなるように動いていて、
全て、ベストの方向に、向かっている、ということ。

過去に起こった、どんなことも、
「それがあったからこそ、今のこの状態になれた」
と思える瞬間が、必ず来る、ということ。


そして、それをするには、
過去を、悔やまず、
過去を、Acceptし(受け入れ)、
過去を、Let it go(解き放つ)こと。



*****


人間は、健康な時には、
目の前のお金、
見栄、
肩書き、
そういうものに、魅力を覚えて、
それらの獲得に、躍起になるが、

健康、体を、壊しては、
それらの何ものも、意味を成さない。



*****

2013/4/6 12:07pm







April 05, 2013 01:30


今日、妻の手術が、無事に終わった。

今は病室で、一人でいると思うと、可哀想で仕方がない。


今日は、三時間半の手術を終えて部屋に戻ってきた彼女は、全身麻酔が切れた状態で寒さでガタガタ可哀想な位に震えており、見ていて余りにも居た堪れなかった。

普段は、例え苦しかろうと、苦しい表情を表に出すことは一切ない。

機嫌が悪くて、とげとげしい態度を取ったり、
不安だからと、不安な表情を表に出すことは、ほぼ一切ない彼女。

そんな彼女が、今日は、ずっと苦しそうな顔をして、
眉間に皺を寄せていた。

相当苦しいんだと思う。


本当に、よく頑張ったと思う。

早く、よくなって、回復して欲しい。

来月に控えた結婚式には、万全の状態で挑めるように、
辛い思いを彼女がしないように、

早く、良くなるように、
神様に祈るしかない。

2013/4/5. 1:23am






February 28, 2013 08:13

最高級のお刺身。富山でとれた新鮮なもの
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2013/2/28 7:52am

昨日は、朝の6時に起きて、ずっと引っ越しの準備。
前日の晩は、Oさんと最後の呑みをした。
いつもは、彼の家で、ワインを飲みながら音楽を聴くが、
今回は、「最後なので、私の同級生がやっているお店で食事をしましょう」
と誘って下さった。

その日の17時にOさん宅の家の前に行くと、
既にそのお店の人が、バンで迎えに来てくれていた。

その店主は、Oさんと小学校時代からの友達しい。
普段は仕出ししかしていないが、予約で、店でも食べられる様にしてくれるとのこと。

また、その料理が凄かった。
二人で、結構大きめの部屋を貸し切りで、
3年前に内装をしたばかりというその店は、
とてもお洒落だった。

トイレもとても綺麗だし、中には、お洒落なお香や、
絵なども飾ってある。

部屋も、大きな屏風があったり、お皿が飾ってあったり。

とても、仕出しが専門の店には見えなかった。

*****

そこで、まるで5人分はあるかと思うほどの料理をいただく。

高級なお刺身に、飛騨牛のすき焼きに、
サバやマグロのカマ(これが本当に大きかった!)に、
茶碗蒸し、菜の花のキッシュ、
白魚の踊り食いに、
白菜とツナのサラダ(創作料理)、
この店の看板料理である、蟹の塩蒸しに、
美味しい炊き込みご飯、お味噌汁、
凝った入れ物の抹茶、
そして最後に、季節のフルールの盛り合わせ。


もう、本当に、
久しぶりに、あんなにお腹が一杯になりました。

いつもは、大体肉などを食べてお腹が一杯になりますが、
この日は、肉は、すき焼きに入っていた3切れくらいの肉ぐらいで、
後は全部、お魚でした。

しかし、魚を食べ過ぎて、腹がはち切れそう、というのは、
何とも贅沢なもんです。
しかも、全て超高級魚。



*****

その日はてっきり、Oさんの友達の店というので、
イメージ的には、町の小さな居酒屋を想像していたので、
今まで通り、半分ずつ払うつもりでいたので、
その日はその待遇にビックリです。

それで、お会計の際にも、
「最後だから、ここは私に払わせて下さい」と、
全てご馳走になりました。


ただの、会社の風呂で出会った仲で、
仕事では一度も関わる前に、定年退職をされたOさんと、
ここまで仲良くなり、
ここまでして頂くなんて。

近いうちに、恩返しをせねばと、
しみじみと思います。


マグロのカマ。「絶対4人前でしょう」位の量が
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蟹の塩蒸し
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*****


さて、その日は、17時半に店に入り、
食事が終わったのは、何と21時前でした。
結局、3時間半ちかく、その店で過ごしていました。
日本料理の、フルコースです。


その後は、またOさんの家まで、店主自らに送って頂き、
Oさんちで、いつもの音響システムで、
音楽を聴きます。


この日は、ジャズ、クラシック、
それと、先日聴いて凄く感動した、
石川さゆりの「天城越え」などを聴きました。

「天城越え」に関しては、
去年の12月に発売されたという、
スタジオマスターレコーディングの一品。

もう一曲、「朝花」という曲と併せて、
二曲しか入っていないのに、
何と、8400円もします。
ぎょえー。

これは、スタジオでの録音のオリジナルのテープから、
そのまま作り起こしているので、
普通のCDとは、音が比べ物にならないそうです。

そして、更に、Oさんの数百万の音響システムで聴くので、
もう、目の前に、バンドのメンバーと、
石川さゆりさんがいらっしゃるようでした。

今までも、この歌は好きだったけど、
もう、今は完全にファンですね。


さゆりさん
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*****

クラシックは、今度5月に、
東京でクラシックの祭典が東京国際フォーラムであり、
それにOさんも来られるので、
その時に聴く予定の、ドビュッシーやラヴェルなどを聴きました。

Oさんは、その数日からなる祭典を、
かなり前から楽しみにされており、
3日間からなるスケジュール表を観ながら、
「これもいいな、でも、これも絶対聴かないとな」
と、色々と教えてくれます。

本当に、音楽に造詣が深い方です。


その日は、最近俺がギターにハマっている話もして、
アコースティックギターのバンドの演奏も聴かせてくれました。

ちなみに、Oさんは高校の頃、
チューバをやっていたそうです。
他にも、クラシックギターや、スペインギターをやっていたそうな。

*****



その夜は23時前にお邪魔して、
夜は引っ越しの準備の続きをやろうと思いつつも、
酒も入っていたので、疲れて全然できす。

気持ちを切り替えて、すぐ寝ました。

そして、次の日、朝の5時に起きてやるはずが、
結局6時過ぎに起きて、
そこから、引っ越し屋が来る11時までに、
超特急で荷物を詰める。

もう、引っ越しっちゅうのは、
本当に疲れますね。
いつも、思った以上の数倍は大変です。


11時少し前に業者が来て、
一緒に荷物を詰めながら、
終わったのが13時前。
その後、残ったゴミを少し処分して、
大家さんに、残りのゴミの処理を相談。

結局、コタツは、今回の引っ越しでは入らず、
余ってしまったので、
同じアパートに住む、後輩のT君の家の前に、
餞別として置かせていただく。

残りのゴミは、気前の良い大家さんが、
今度のゴミ処理の日に捨てておきますねと、
車にゴミ袋5袋分と、
ビンなどのその他のゴミを入れて下さった。

(この町は、ゴミ処理が日本一厳しいんじゃないかというくらい、
ゴミの分別と、出す日が限られている。
なので、皆に聴くと、
大体、「ゴミを捨てられずに、家に半年間置きっぱなし」
と言う人が結構多い。
(ビンや段ボールなどね)

****

その後は、本当は歩いて、
別の荷物をF君ちの前に差し入れし、
その後は会社に作業着を返し、
駅まで歩いて行こうと思っていた所を、
「私が送ってあげますよ」
との大家さんのお言葉に、
「いいんですか?本当にすみません」
と言いながら、全て送って頂いた。

本当に感謝ですな。
こんなに良い大家さんは、多分余りいないんじゃないでしょうか。

ちなみに、娘さんがいらっしゃるそうで、
28歳、税理士、
うちの会社の反対側の通りの会計事務所で働いているそうです。
まだ独身らしく、
「うちの娘は外に中々出て行かないので、
出会いがないんですよ」と言っていました。

うちの会社なんて、独身の男どもがわんさか溢れているので、
それを言うと、「何か出会う機会があればね〜」と困っていました。

(その話を、後でうちの会社の子たちに言うと、
早速飛びついて来ました。)

*****

その後、15時12分の電車に乗るべく、
15時頃に駅に着き、大家さんにお別れをした後、
切符を買おうとしていると、
何と、背広を着た二人の人物が登場。

声を聴くと、何と、さっき荷物を家の前に届けたF君と、
その先輩の、Hさんじゃありませんか。

そう、彼らはこの日、
京都への出張だったのです。
たまたま、同じ電車にはち併せた、というわけ。

*****

ということで、電車に乗り、
そのまま、名古屋まで約3時間、
最高に楽しい時間を過ごしながら、移動しました。

本当は、途中の駅までしか一緒じゃなく、
その後は、俺は自由席、
彼らは指定席だったんだけど、
「どうせなら一緒に座ろうぜ」と、
車掌さんに相談して、
何とか、3人一緒の、席をゲット。

そこで、Hさんが、
「ほら」と、缶ビールを差し出して下さり、
3人で、乾杯。

そのお返しに、俺も、
昨日の店で包んでもらった、
パックに入った、
マグロのカマと、蟹を出す。

すると、「おおお!」と。

結局、新幹線の中は、
俺たちの場所だけ、宴会会場に。

どんなやつが、新幹線の中で、
マグロのカマ食って、蟹を手でほじくり返して、
ビールを飲んでんだ、と。


F君はよく、
「Sさんと一緒にいると、いつも色んなハプニングが起きて、
本当に楽しいんですよ。
色んな人に話しかけたりするし、
普通の人はただスルーする所を、食いついて行くし、
だから、色んな事が起きて面白い」と言いますが、

この日も結局、彼的に言わせると、
ただの出張が、
一気に、楽しい宴会に変わったそうな。
迷惑ばかりですみません。

*****

そんなわけで、普段は余り話す事のないHさんとも、
色んな話をして、
F君とも、最後も一緒に過ごせて、
楽しい3時間は、あっという間に過ぎ去りました。

ちなみに、俺は今まで、
ビールは「美味い!!」と思った事は、
超働いた後の、最初の一口を抜かしてはなかったのですが、
昨日のこのビールは、本当にうまく、
500を呑んだ後、その後、350も買って、
結局、2缶を呑んでしまった。
しかも、最後まで、ずっと美味しかった。

初めてですね、ビールが美味くて、
「もっと飲みたい」と思ったのは。

それをHさんに言うと、
「結局、酒なんてのは、そんなもんなんやさ。
雰囲気で飲むもんやしな。」と。

ちなみに、彼はカラオケがプロ級にうまく、
12月の懇親会の後に一緒に行ったカラオケで、
彼の歌う「ゲットワイルド」を聴いた後は、
頭からその曲がずっと離れないという。

「仕事は、六割」という彼は、
「結局、仕事なんて、
究極を言えば、資金源のためなんだから、
仕事の場で何を言われようと、どう思われようと、
マトモに受け取らず、うまくやり抜けばいいの。
それを、『仕事を全部』にしてしまうと、
それでポシャった時に、人生終わるからな。」と。


正に、正論だと思います。

そんな彼は、背も高く、かなりかっこいいのですが、
いつも余裕があるように振る舞う人で、
後輩の俺たちにも、楽しい話と、ジョークとユーモアで笑わせてくれ、
中々いないタイプの、爽やかなかっこいい先輩です。

そんな人の、その言葉を聞いて、
「ああ、なるほどな」と、何か凄く感心するものがありました。

*****

18時過ぎに、彼ら二人と名古屋駅で別れた後は、
俺は一人、品川行きの新幹線に乗り、
昨日の22時前に、やっと、
実家に帰って来ました。

*****




ということで、
本社研修での11ヶ月間は、
あっという間のようで、
すごく長かったようで、
しかし、やはり、
人に恵まれたので、あっという間でした。

1年前の今頃は、
正直、どんな会社か分からず、
本社のある町も、超田舎だし、
「大丈夫かよ」と、心配じゃなかったといえばウソになりますが、
しかし、本当に良い一年でした。

妻には、5月に入籍したばかりで、
1年近くも、さみしい思いをさせてしまったけれど、
これからは一緒にやっと住めるので、
楽しい生活を送って行きたいと思います。

(結局俺たちは、
2007年の5月に付き合いだし、
その後、半年程は一緒にアメリカで住んだものの、
その後、日本に帰って来てからは、
2008年から、2013年の今まで、
結局、5年以上も、ずーっと、一緒に住めなかった。
一時期は、家が近いこともあり、
少しだけ、一緒に長くいられたけれど、
後は、特に2010年の春からは、
もう3年も、ずーっと遠距離です。

本当に、こんなに長い間一緒にいるのに、
恐らく、一緒に住んだ時間は、1年にも満たないので、
やっと一緒に住めるということで、本当に嬉しいです。)


*****

以上、
今の心境と最近の近況でした。


2013/2/28 8:39am



February 05, 2013 23:44


結局、人がどうのこうの、自分のことを言ったとしても、
それを気にすることは無い。

なぜなら、それは、その人の意見でしか無いから。

自分の行動など、すぐに変えられることで、
且つ、それが必ずベターな方向に自分を向かわせることであれば、
それは考慮した方が良いが、

その意見が、自分の性格なり、
傾向なり、
自分の人間性に関することで、
それを変えた方が良い、と言って来るときは、
気にしない方が良い。


他人から見える自分というのは、
他人が100人いれば、
100通りの見方があり、
100通りの、「もっとこうしたら良い」という意見がある。

だから、それを一々真に受けていては、
体が持たない。

そして、人間というものは、
年齢も30歳近くになると、
かつて若い頃は、
「ああ、もっと俺も変わった方が良いのか」
と思ったとしても、
今となっては、
一日寝てしまえば、
以外と忘れてしまう。

そして、この年齢で、
自分の性格なり、
傾向を変えるのは、ほぼ不可能に近い。
不可能ではないが、
それにかけるパワーを考えると、
既にある、自分の長所に目を向けて、
そこをアクセル全開で伸ばして行った方が、
ずっと効率も良いし、
自分という車の運転も、楽になる。


人からどうのこうの言われて、
自分という車の性格を変えようとすることは、
アクセルを踏みながら、同時に、
ブレーキも踏もうとしているようなもので。


そして、その車が、大人しそうに見えたり、
または、素直そうに見えて、
何でも聴いてくれる、と思える程、
他人は、その車に、
色々と文句をつけて来る。

「もっと、車体の色はこうした方が良い」
「タイヤはこれに変えた方が良い」
「エンジンはこっちにした方が良い」・・・・


****


しかし、最終的には、
その車を運転するのは、自分であり、
その車と一生付き合って行くのは、
他でもない、自分しかいない。

ならば、自分が、
その車を運転し易い様に、
自分が一番良く知っている、その車の良さを伸ばして、
思いっきり毎日、好きな様に飛ばして行ったら良い。


****


そして基本、男というのは、
年下の男に、説教をしたがるもの。

だから、そういう説教が始まったら、
耳半分にして、流して聴いておけば良い。


****


と、久しぶりにフラストレーションを感じたので、
書いてみる。


一々、人の車に、
いちゃもん付けてくんな、っつうの、ね。

2013/2/5 23:41



PS.
しかしながら、
普段、大人しそうに見える、プリウスのような車が、
実はマスタングだった、の様に、
急に牙を剥くと、
相手は、かなりビックリするもので。


だからこそ、本性はマスタングならば、
たまに「僕はプリウスに見えますけれど、
マスタングですよ」とちらちらと見せた方がいい、などと今日は言われたが、


しかしね、それも、俺の生き方だからね。

そういう、人の性格的なところを、いちいち言われると、
面白く無いね。





February 02, 2013 13:12

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2013/2/2 12:19-13:12

先日書いておきたったことが、
もう一つあるので、
簡単に書いておく。

*****

先週の土曜日は、
いつも月一で呑んでいるOさんのご自宅で、
最後の集まりをした。

この時は、俺が今月でこちらも最後というので、
Oさんの同級生の、
TさんとKさんも来て下さる。

Tさんは、俺とOさんが8月に初めて呑んだ際に、
一緒に来て下さっていたが、
この前の12月の飲み会のときは、参加してくれたものの、
他の日は、都合が会わなくてこられなかった。

Kさんは、いつも会社の風呂で話すものの、
一緒に呑める日が中々都合が付かず、
結局、今回が初めてとなった。

*****

ちなみに、Oさんちに集まる時には、
必ず、Oさんが、ローストビーフやサラダなどを用意してくれて、
後は、ワインも1、2本用意して下さる。

俺は、ワインを一本持って行くか、
または、カマンベールチーズやチョコレートを買って持って行く。

そこで、ワインを飲みながら、
Oさんの自慢の高級ステレオと、
超高級アンプで、最高の音質で、
クラシックや、オペラや、
ジャズを、主に聴く。

たまに、俺がこれを聴きたいというCDを持って行き、
エアロスミスや、アリシアキーズ、
ジョンメイヤー、レニークラヴィッツに、
ノラジョーンズなどを流してもらった。



この前の12月の際には、
ここには書かなかったけれど、
Oさんが、クリスマス用にチキンを用意して下さり、
クリスマスの曲を聴きながら、Tさんも一緒に
3人で呑んで、本当に楽しかった。


*****


話を元に戻して。

この前の土曜日は、
そんなわけで、Kさんも加わり、
4人で、最後の飲み会を行った。


ちなみに、俺はKさんとは、
風呂場でよく話をするようになったんだけれど、
彼は、ローリングストーンズを初めとする、
ロックが好きなので、
今回は、彼の好きなアーティストの音源DVDを持って来てもらった。

The Rolling Stonesに、
Miles davis,
Pat Metheny Group,
Jaco Pastorius,
Yes,
Pink Floydに、
ZZ Top,
Rod Stewartなど。



彼にとっては、ストーンズが神様とのことで、
また、Kさんは、20年ほどベーシストをしていたので、
(『お遊び程度』というので、
本当にそうかと思っていたら、
かつて、以前にアーティストがこの町に来た際などには、
後ろでベースを担当して演奏などしていたらしい。
すげえぜ)

上に書いたJaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)などは、
ベーシストで、俺は今まで知らなかったけれど、
色々と教えてもらって良かった。


それから、
Pink Floydは、留学時代に、ルームメイトのRoyが好きで、
よく、彼の持っていたあの古いパソコンの安いスピーカーから、
Pink Floydをかけたり、
または、彼のあの古い青いジープ(すまんね、ロイ)の、
これまた安っぽいスピーカーから、
Pink Floydをたまに流したりしていた。

(ちなみに、ロイは、この古いジープに
ずっと乗っていたのだが、
2005年ごろ彼を訪ねると、
両親からプレゼントされた、赤い新車のカローラか何かに乗っていた。

それを見て、俺が、
"Oh man, Roy, you are spoiled"と冗談まじりに言うと、
"Yes Shun, I know, I'm spoiled"と、
首を振りながら言っていたのを思い出す。

これはもちろん冗談で、
ロイは、本当にアメリカ人でこんな良いヤツいるのか?
という位、本当に良いヤツなので、
彼には、"spoil"ということばが、
全く似合わないんだけれど、
それを敢えて、そんな彼に言うと、
彼もそれにマジな顔をして乗ってくれるという、
そんなジョーク。)


****

話を元に戻して。


そんなわけで、この日、Kさんのおかげで、
今まで聴いたことの無かったPink Floydを、
映像を見ながら聴けて、
とても良かった。

「これが、Pink Floydの世界か」と、
やっと、appreciateできた。



また、ストーンズのライブ映像も、観る。


ストーンズはストーンズで、
俺は、今までなぜか聴いて来なかったんだけれど、

(イギリスのバンドは、
ビートルズやQueenを抜かしては、
殆ど聴いて来ていない。
Radio Head、OasisにCold Playなど、
どうも、イギリスのバンドの作る曲は、
全体的に好きになれない。
あとは、アイルランド出身のU2も、
やっぱり、どうもしっくり来ない。

それよりも俺はやっぱり、
Aerosmithや、Lenny Kravitzなど、
アメリカ的な音の方が、昔から聴いているせいもあると思うけど、
もっとオープンで好き。)

今回は、そんなわけで、ストーンズも聴けて、
「ああ、これがストーンズの世界か」と、
これまた、やっと理解して、Appreciateできた。



俺はてっきり、ストーンズの曲っていうのは、
結構、かなりヘヴィーで、
つかみ所の無い曲を想像していたんだけれど、
聴いてみると、歌詞もとてもクリーンで、
エアロスミスのような、f wordsの多発は全く無いし、
(というか、全然ない)
とても、「お上品なバンドだな」
という印象が、今回観てみて強かった。


(思うに、エアロスミスは、
かなり色んな歌詞で、f wordsを使うので、
もしも彼らが、f wordsを入れないで曲を作っていたら、
もっと、多くの層に、受け入れられていたんじゃないかなと、
そう思う。
f wordsが入って、アルバムが"Explicit"ラベルが貼られたものばかりだから、
結果、かけられる場所も限定されてしまう。
それに対して、ストーンズは、
f wordsがなくクリーンなので、
年代関係なく、どこでもかけられて来たのかな、と。
まあ、余りストーンズは詳しくないので、
まだよく分かりませんが。)



Rolling Stones "Start me up" めちゃくちゃ良いですね


Rolling Stones "Satisfaction" めちゃくちゃ良いですね


*****


それと、今回Kさんとは、
彼がベーシストということもあり、
俺が今回持って行ったエアロスミスの最新アルバムをかけようとすると、
「どれ、ハミルトンさんのベースを聴きますか」と、
そういうことをポロッと言われるので、
それがおかしかった。

基本、エアロスミスのベーシストはトムハミルトンだなんて、
さらっと言える人は余りいないので、
そういうところがとても嬉しい。

「ハミルトンさんのベースはどうですか?」と聴くと、
「彼のベースは、とてもシンプルやな。
シンプルだから、ヴォーカルが歌い易い。
スティーヴンタイラーが歌い易いんだな」と、
バシッと教えてくれました。


*****


そんなわけで、
ストーンズなどのDVDを見た後は、
'69年のWood stockのライブ映像も観る。

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俺は、今回初めて、
このWood stockの映像を観れたので、
とても嬉しかった。

「ああ、これが、あの有名なWood stockか」と。

そこには、Norah Jonesの父親の、
シタール奏者のラヴィ・シャンカル (रवि शंकर, Ravi Shankar)も出ていた。

俺はこの日まで、この人の娘がNorah Jonesだということを、
全然知らなかった。

*****

そんなわけで、OさんとTさんは、
俺とKさんが、ストーンズのライブに観入っている間に、
二人とも寝てしまったけれど、
そんな二人を横目に、
「OさんとTさんは、こういう音楽は理解できないんやさ」と、
ちょっと微笑みながら言っていた。


*****


今回は、前回Oさんに聴かせていただき、
俺がとても気に入った、
グレン・グールド(Glenn Herbert Gould)の
バッハ「ゴルトベルク変奏曲」BWV988(1981年4月・5月 デジタル録音版)
のアルバムを、Oさんに譲っていただき、
Oさんに御礼をしながら、
彼の家を後にした。


帰り道は、Kさんと一緒に、
雪がかなり積もった道を、
家まで歩いて来た。

俺たちが呑んでた間に、
外は、かなりの量の雪が降っていて、
地面には、さらっさらの新雪が、
絨毯のように広がっていた。

真っ白で、ふわふわの、
どこまでも続く、大きなクッション、という感じ。

(こっちの雪は、
夜は気温がマイナス15℃近くまで落ちることもあるほど寒いので、
雪の質が細かくて、さらさら。
もう少し気温が高いところでの雪は、
水分を含むので、もっとベタベタして、重いらしいが、
ここの雪は、本当にきめ細かく、
さらさらで軽い。)



帰り道は、Kさんは、
今晩は実家に泊まる、とのことで、
俺んちは、かなり遠くになるんだけれど、
そこまで、「酔いさましやさ」と言って、
家の前まで送ってくれた。

「いや、僕が可愛い女の子ならまだしも、
ただの男なんで、いいですよ」と言うと、
「いや、好きでやってるんやさ」と言って。


途中、駅前にある古い町並みの通りで、
「ここがうちの実家さ」と言う。

見ると、そこは旅館なので、
「え?ここですか?旅館が実家なんですか?」と聴くと、
「そう、うちの90になるお袋が、一人でやってるんや」と。

いやあ、この町には、旅館も4つくらいしかないので、
そのうちの一つが、彼のご実家だったとは、
ビックリしました。

(結構こんな感じで、
会社の人の実家は、
お店、という場合が多々ある。

今いる部署でも、「◯◯接骨院はどこですか」
と、Googleマップを見ながら聴いていると、
「ちなみに、このクレーン屋がTさんの実家や」
「え?本当ですか?」などのように。

俺の生まれ育った町は、俺が生まれた頃に出来たニュータウンのため、
そういうことがないので、
そんな意味でも、とても面白い。
「え?この店は◯◯さんの家だったんですか?」みたいな。)


*****


もう長くなりすぎたので、もう辞めますが、
その帰り道、Kさんが言ってくれた。


「いやあ、今までずいぶん長く勤めて来たけど、
ここまで自分の好きな音楽の話ができる人は
おらなかったもんだから、
うれしいな」と。



Oさんも、
やはり同じで、
クラシックやジャズなど、
彼は、そんな高級なオーディオを買うくらい好きなのに、
周りに、そういう音楽の趣味をシェアして話せる人が、
余りいないと言う。

「この辺には、こういうものを聴く人がおらんでな」と。


そういうわけで、
そんな風に、
二人の方が、そんなことを言ってくれる、というのは、
とても嬉しいし、
俺も、自分の好きな音楽の話ができて、
良かったな、と思う。



Kさんに、その帰り道、
「いや、ぼくも、
結構、周りに、エアロスミスなどの話をする人がいないので、
こうしてお話ができて、すごく嬉しいです。
以外と、ロックとかを聴く人って、
周りにいないもんですよね」と。


するとKさんが、
「結局俺らは変わりもんなんやさ。
だって、普通は、その時に流行っている
日本の歌謡曲を聴くのに、
そこで、『俺は周りとは違う』とか言って、
アメリカなんかのロックを聴いているんやから」と言うので、
言われてみれば、そうだな、と思った。



*****


その時の帰り道の、雪が真っ白に積もった道の中を、
すごく静かな中、
Kさんと、そういう、音楽の話をしながら帰って来た情景というのが、
ずいぶんと印象的で、頭に残っている。



2013/2/2 13:12






PS.
簡単に書いておくと言いながら、
Alicia Keysの"songs in A-minor"を丸々聴き終わってしまった。


ちなみに、Alicia Keysといえば、
先日出た"Girl on Fire"に最近はハマっているけれど、
この日、それを持って行ってかけると、
OさんもKさんも、
「これはええなあ」としみじみと言っていた。

ということで、そのアルバムはお貸しして来た。


妻にそれを言うと、
「二人とも趣味がいいね」と言っていた。


本当に、Alicia Keysは、
たとえ歌詞が分からなくても、
「この音楽は、良いな」と感じさせる何かがあるようです。



January 07, 2013 22:38

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

*****

さて、年末は29日に実家へ戻り、
年末は家でゆっくりして、
31日から、妻が家に来て、みんなでゆっくりと紅白を見ながら過ごしました。

年始は、1日には姉夫婦が実家まで来てくれて、
8月以来、大きくなった姪っ子と会いました。
既に以前と顔が変わり、前はごろごろ回るくらいだったのに、
今では10歩くらい歩く様になっていて、
その変貌ぶりにビックリしました。
子供の成長は本当に早いのですね。

*****

2日は妻の家まで電車と車で行き、
昼は美味しい高級ステーキをごちそうになりました。

夜は、ホテルに付いている銭湯に入りに行き、
その後は妻の実家で、お父さんとお母さんと4人で食事をしました。

初めて妻のお父さんと一緒に晩酌をして呑みましたが、
色々とお話ができて、とても嬉しかったです。
お父さんも喜んでくれていたみたいで良かったです。

*****

次の日(3日)は、昼は妻のおばあちゃんが高いお寿司を取ってくれたので、
それを食べました。
その後、バスに乗って東京付近まで行きました。
春から住む予定の場所を見学するためです。

その日は夕方にホテルに入り、
その後、以前食事をしたかなり美味い中華料理屋に再度入り、
その後は20時近くから『レ・ミゼラブル』をみました。
とても良かったです。妻は気に入って、数日後に両親とまた観に行っていました。

夜は、そこの温泉に浸かりに0時頃に下まで行ったのですが、
深夜にも関わらず人がかなりいて、
まるで動物園でした。

*****

次の日(4日)は、昼から物件を見学し、
大体相場を付けてから、千葉辺りで買い物をして、
その後は実家へ戻って来ました。

*****

5日は、朝に家を出て、
父親に付いて来てもらい、昨日見た物件の案内センターが
実家の近くにあったので、そこで話を聞いて来ました。
話がうまく進んで良かったです。

その後は、美味いと評判のラーメン屋へ父親も一緒に行き、
その後、妻と電車に乗り、結婚式の会場へ。

そこで、15時から19時近くまで、第一回目の打ち合わせです。
本当は20時までの予定が、
妻が数年前から式のイメージを膨らませてくれていたため、
あっという間にトントンと決まって行き、
18時過ぎには全部終わりました。
やるな妻よ。

*****

その夜は、実家に戻り、
私の両親と4人で、焼き肉を食べました。
おごってもらいました。
とても美味しかったです。
文字通り腹がはち切れん程食べました。

*****

そして、翌日(6日)、10時過ぎに家を出て、
ここ、今の家へ帰って来ました。
家に着いた時は、夜の18時過ぎでした。

*****

そんなわけで、8日間も休みがあったにも関わらず、
毎日何かしら動いていて、本当に充実した日々を過ごせました。

妻とも一ヶ月半ぶりに会えて良かったです。
今回は僕の両親とも、妻の家族や親戚の方々とも一緒に過ごせて、
本当に良かったです。

*****

『結婚』というのは、
二人が一緒に家族になる以外に、
その二人を囲んだ周りの人たちも、同じ『家族』になるんだな、
ということを強く感じました。

その分、今まではただの『少年』だったのが、
急に、
『夫』『娘の旦那』『孫の旦那』『父親』
の様に、役割が増えて行きます。

しかし、その分、
やはり、人生も濃くなって行くわけです。

*****

相変らず、少年、というか、
赤ちゃんのままの自分ですが、
そんなことを感じ、
「もっと成長せねば」と感じた次第であります。

*****

以上、
今年は遂に三十路になりますので、
がんばりマウス。

2013/1/7 22:38




December 30, 2012 23:09

2012/12/30 22:55-

久しぶりにRと会って来た。
彼と会うのは6月以来で、
今回は、お互い成田に帰って来ていたので、
昨日やつから連絡が会って、今日の夜会いに行く事にした。

駅前の餃子の王将で食べて、
その後、成田山までお参りに行こうぜとなって、
途中に見つけた新しいアメリカ人向けみたいなパブで、
二杯ほど飲んで、
その後、誰も、人っ子一人いない成田山新勝寺で、
一晩早い初詣をして来た。

お賽銭箱の前には、
大きな文字で、「平成25年度初詣」と書いてあったから、良し。
一足早い行動ということで。

生まれて初めて行く成田山の12月30日の夜は、
本当に誰もいなくて、一日後のその込み具合と
雲泥の差で、そのギャップに驚いた。

*****

半年ぶりに会うRは、
相変わらず仕事で疲れていた感じだったけれど、
やつと話していると、とても元気が湧いてくる。

今から11年前、
俺たちが18歳の頃に、初めて会って、
それから、半年ほど一緒に勉強して、
10年前にアメリカにそれぞれ旅立ったわけだけれど、
それから、随分と時間が経った気もするし、
あっという間だったという気もする。

今日、「もう10年か」なんて話をしていたけれど、
Rの方は、
「でも、この10年が余りにも濃すぎて、
まだ10年!?って感じがするよ。
これからの10年は、更に今までの10年よりも濃いのか、
よく分かんねえな」と話をしていた。

まあ、そんだけ、
お互いに、特に彼の場合は、
かなり濃い人生を送って来たということでしょう。

*****

それにしても、久しぶりに、
こうして学生時代の友人と会えるという事は、
そして、色々と酒を呑みながら語り合えるということは、
とても幸せな事だと思います。

彼は、それこそ俺が留学する前から知っている仲間で、
お互いにお互いのルーツを知っているというか、
なので、お互いに、今の状況がどうであれ、
「お前はこういうやつなんだから、
安心して、自分の道を行けよ」
と言い合える仲というか、
そんな感じがします。


今日は、本当に楽しかったな。
昨日あいつが「会おうぜ」と連絡して来てくれて、
本当に良かった。

*****

また会える日を楽しみにしています。

彼には、結婚式で、
乾杯の音頭を取ってもらいます。


2012/12/30 23:06




PS.
結構な量の酒を呑んだので、
トイレが近かった俺たち。

成田山でお参りをした後に、
「トイレに行きてえな」と話していたが、
成田山の前の公衆便所も、
夜なので閉まっているという始末。

さすがにそこの茂みで立ちションをするにも、
新勝寺の不動明王に怒られそうなので、
少し歩いたところの誰もいない場所で、
こっそりと立ちションをしました。

そのときの彼の一言。

「まあ、猫がしたと思えば良いっしょ」

そういうノリと発想が面白いっす。






November 18, 2012 22:59

155


2012/11/18 22:48

すごく眠いですが、
今の気持ちをちょっと記しておきます。

*****

今週は、木曜日から休みをもらって、
実家に一日かけて帰り、
金曜日に、西千葉の神社で、
妻と和装をして、プロのカメラマンに写真をとってもらった。

本当に良い経験、思い出になった。
二人とも満足満足。

*****

金曜日の夜は、千葉のホテルに泊まる。
妻と二人で、夜中の2時過ぎまで、
ずーっと、色々と話をする。

言語の話とか、
(we came to the conclusion that "language is a vehicle". I'll write about this more later.)
その他、色んなこと。

お互い、最近感じたこと、
この3ヶ月間であったこと
(前回妻に会ったのは8月の半ばだった)、
など、色々と話した。
本当に楽しかった。

彼女とは、本当にいろいろな話ができるから、
本当にすばらしいと思う。

お互いに同じ様な留学の経験をして、
同じ様な体験、思いをして来たから、
何の説明もなしで、
ある程度、レベル、段階、ステージの話ができる。
そこは、例えば言語の話で言えば、
「英語が話せる、話せない」のレベルではなく、
実際に、本気の留学生として、
完全なアメリカ人の中に入った際に、
そこで感じる様々なこと、
そこでの状態など、
そういったときに感じる「こと」が話せて、嬉しい。

その「こと」「感覚」「その時に感じること」は、
確実にそこに存在しているのだが、
実際に、そういった同じ様な経験をした人間と、
その「こと」について話すときにしか、
その「こと」、そしてそれにより生まれ出す「感情、感覚、気持ち」は、
思い返すことができない。

それを、その夜、
妻と話をして、
また感じる。

こういう話ができる関係というのは、
本当に恵まれていると思う。
知的好奇心の脳の部分がくすぐられるというか、
そういう、感覚の世界、
脳がムズムズする話ができることは、
中々貴重なことであり、
そういう話が出来る人というのは、
一般的にいっても、中々出会えるものではないから。

(要するに、価値観がそれだけ合う、ということなんだと思う。)

*****


さて、このことはまた、
時間ができたらゆっくり書きたいと思います。

今回の休みは、
妻ともゆっくり過ごせて、
家族ともゆっくり過ごせ、
本当によかった。リラックスできた。


ちなみに、実家のある関東はめちゃくちゃ暖かかったが、
(気温は日中は17℃近くあった)
ここ、俺の家がある場所は、
クソ寒い。
さっき、バスで山の中を通って来たとき、
外の気温計が、マイナス5℃と表示されていた。

家に帰って来ても、部屋の中の気温は5℃だし。
家の中なのに、白い息が出て、
余りにも頭が寒いので、
ビーニーを被っているんですけれど。

*****

同じ日本なのに、
全然違うぜ。

2012/11/18 22:59



追記:
朝起きて、Macのマウスを触ると、
キンキンに冷えていて、その冷え具合にびっくりする毎日。

もう少ししたら、マウスが凍っているんじゃないでしょうか。






November 11, 2012 23:17

2012/11/11 23:02-

昨日の夕方から、
TさんとWさんが訪ねに来てくれた。
Tさんは横浜から、
Wさんは静岡から、
(以下、敬称略)
TがWの家に電車で行き、
そこから車で来てくれた。


昨日は駅前の飲み屋で食事をして、
その後、もう一軒行き、
そこで会社の人(総務の人)と会い、
ワインのデカンタを帰り際におごって頂いた。
感謝。

*****

その後はカラオケに行き、
2時間歌いまくる。
Tさんの歌唱力に脱帽。
俺たちのテーマソング、
"Don't Stop Me Now"と、
あとは、彼がエミネムの"Lose Yourself"を歌う。


夜中の2時過ぎに家に帰って来て、
少しコタツを囲んで話し、
3時過ぎに寝る。

*****

今朝は、10時過ぎに起き、
近くのラーメン屋で食べて、
雨のふる中、
この町の古い町並みを探索。

本当は白川郷に行く予定だったが、
彼らの今晩泊まる予定の宿に電話をすると、
遅くとも17時までに来てちょ、ということで、
もう時間がなくなり、
駅前のコーヒー兼お食事屋で、
色々と話す。

Wの専門の心理学やセラピーの話とか、
日本と海外の違いとか(人や、文化の違い)、
社会のことなど、
色々と話して、面白かった。

最近はそういう知的な話というか、
知的好奇心がくすぐられる話、
専門的な話をしていなかったので、
すごく楽しかった。

TとWは、俺の一個上で、
アメリカの留学生として先輩だけれど、
Tは去年まで世界中で勉強したり働いたりしていたし、
Wも、やはり今年の頭まで、
アメリカでずっと働いていたので、
二人と話すと、
留学生としてのシェアできる部分があり、
共通の視点、共通の経験、
共通の話題がたくさんできるので、
それが楽しい。

(留学生と、そうでない人では、
やはり、何か話をする際に、
どうしても完全にシェアできない価値観などが派生する。
差別的な意味ではなくて、
経験的、文化を観る視点的な意味で。)

よって、俺たちが、
自分たちでは「普通」のつもりでも、
(例えば、町の中で、
隣の人に気軽に話しかけたりすること)、
それがアメリカやヨーロッパでは普通でも、
日本だと、思いきり引かれたり、
「変人」のレッテルを与えられたりすることなど、
そういうことが、ジョークっぽく話し合えて、
そういうのも楽しい。

特に俺たち3人は、
完全に、海外の文化にドップリ浸かったタイプの人間なので。

(ちなみに、妻もやはりそのタイプの人で、
同じ様な経験をして来たので、
普段、妻と価値観を含め、
様々な話が、
『説明』なしでできることは、
本当に大きいことだな、
幸せなことだな、と思った。)

*****

その後、
彼らは宿に向かい、
さよならをした。

また会う日まで。

*****


今日、ふと気づきました。

そうやって、
昔から自分のことを知っていて、
かつ、同じ様な経験をしてきて、
青春をともにし、
苦労をともにした「仲間」がいること、

そして、そういう仲間と時間を共に過ごし、
その仲間が自分にいることを「自覚」すると、
自然と、自分自身にも、
揺るぎない満足感と、
自信があふれてくるものだ、と。

*****

そんなわけで、
遠路はるばる来てくれて、
本当に嬉しかったです。

楽しかった。


今週末はやっと、
3ヶ月ぶりに妻に会えます。
すごく楽しみです。

2012/11/11 23:16





追記:

あともう1つ。

Tさんは、俺のことを10年前、
俺が18歳の頃から知っているわけで、
(俺も彼のことを同じ様に10年前から知っているけれど)
そういう意味で、
お互いに、どれだけ相手が人として変わったか、
成長したかを知っていて、
その成長ぶりを客観的に知らせることができることも、
大きなことだと思う。

彼は、俺がWeedのCOSにいた頃に、
De Anzaを教えてくれた人だし、
彼が俺に与えた影響は、
ずいぶん大きかったと思う。

よって、「先輩」というよりは、
「良き友人、頼れる親友」という感じの方が近い。
彼といると、安心する部分が多い。

****

今回も、昨日の夜、食事の場で、
俺が20歳の夏、(2004年)
ちょうど、フィルムの道を断念した後、
自分の行くべき道が分からなくなっていたときに、
ヨーロッパの旅の際に彼のいたイギリスを訪ねた時の話になって、
その時の俺のことを、
「ちょうど、シュンちゃんが、
それまで夢に描いていた道をあきらめ、
その後、ディレクションを無くして、
どうしたら良いんだという、
その彼の目というか、
その時の様子が、
すごく印象に残っている」と、
Wさんに対して言っていた。

俺からすると、
2004年の俺も、
今の俺も、
同じ「俺」なんだけれど、
彼からしたら、
それは過去の「俺」で、
その時の俺の様子を、客観的に見ていて、
それをどう感じたか、
それを今、俺(自分)が聞くことで、
「ああ、そうか、
その時の俺は、
そういう風に見えていたのか。」と、
客観的に、8年半前の自分を知ることができ、
その結果、その時の自分と、
今の自分の距離を知ることができ、
それにより、成長や、
自分の変化を、知ることができる。


それは、とても貴重なことだと、
思った。

****


俺がかつては、
全て、自分の価値観が正しいと信じ、
「Tさん、イギリスのTESCOの牛乳おいしいっすよ!!!
絶対飲むべきですよ!!」みたいなあの頃。

「いや、それは分かったけど、
牛乳自体、そんなに好きじゃないし」(世間)みたいな。


そういう、かつての自分を客観的に見て、
自分も変わったんだな、と思えることも、
何か、感慨深いとまでは言わずとも、
感じるものがあるわけですよ。

That's something, という感じです。





October 22, 2012 22:38

さあ、いよいよ、
自分も29歳になりました。
なってしまいました。

これで、20代も終わりです。
信じられません。
来年の今日には、30歳です。げええーーー



今日、仕事中に、
「俺って、今が何歳だったら、
しっくり来るかな?」
と思ったら、結果は、
25歳くらいでした。

まあ、26歳でも良いけれど、
27歳だと、なんか、
その年齢に、自分が無理して合わせている、って感じがする。

なので、
精神年齢的にも、背伸びしなくてちょうどいいな、
と思うのは、
25歳くらいです。



*****


まあ、こんなことを言ってるから、
まだ中身は幼いのかもしれないけれど、
でも、それは事実であり、
実際、21歳くらいからあとは、
毎年、自分の中身はまだその年齢に追いついていないのに、
勝手に年齢だけがどんどん歳を重ねていくような、
そんな感覚です。


俺の敬愛するスティーヴンタイラーは、
50歳の誕生日にどう感じるかと聞かれて、
「俺は、30年の経験を得た、20歳のガキだ」
と答えましたが、
自分も、そんな感じではあります。


*****


それは置いておいて。

去年の28歳より、
今日までの一年間を振り返ると、
ずいぶんと色々と「変化」が多かった一年だったな、
と思いました。


まず、10月の頭に前職を辞めて、
その後、2月に仕事が決まるまでは、
ずいぶんと精神的に不安定で、寂しい日々を過ごしたし、
(今でもその当時のことを思い出すと、
心の中を風が吹き荒むというか、
すごくソワソワした、ものすごくイヤな感じになります。
それだけ、イヤだったんだと思う。)

その後、3月に仕事が決まってからは、
4月に、今住んでいるここの山奥の町へ移り住んだ。

その前に、11月に、姉の子ども(自分の姪)が産まれた。

生まれて初めて、
自分の近くの人から、
生命が誕生する瞬間を見た。

それはもう、感激だった。


*****


そして、一番大事なこと。

4月にここに移り住んだあと、
5月に、ついに、
5年間付き合った彼女と入籍をした。


今でも、彼女は関東の実家に住んでおり、
俺がここに単身赴任なので、
中々会えずに寂しい思いをしているけれど、
毎日電話で話をして、
色々と話を聴いてもらったりして、
彼女のおかげで、俺は毎日、がんばることができる。


こんな田舎町で、
親しい友人も周りにいない中で、
それでもがんばれるのは、
彼女という存在がいるから。

だから俺は、
毎日精神的に安定して、
日々を過ごしていくことができる。


素晴らしい女性を妻に持てたことに、
感謝。


*****


そして、仕事も変わった。

前職とは全く正反対のような会社だが、
自分の英語力も使え、
かつ、自分がこの会社で、
力を付けて行っている、
と感じられることが嬉しい。

今頑張って身につけた、というか、
伸ばしたことは、
今後、自分の人生に必ずや実になることが
見えることがいい。


そして何より、
自分が一番好きなこと
(海外の人を相手にしたり、
海外へ仕事で行けること)
が出来ることが良い。


俺にとっての価値観とは、
やはり、上の点に喜びを感じるわけで、
それが仕事でダイレクトに出来ることは、
素晴らしいと思う。


*****


今はこうして、山奥に住んでいるが、
こうしてインターネットがあるおかげで、
みんなともコンタクトが取れるし、
寂しい感じがしない。



今日はちなみに、俺の誕生日だったが、
(というか、だからこの日記を書いているのか)

もちろん、会社の人は俺の誕生日を知る由もないから、
特に何も言われないが、
帰って来て、フェイスブックなどを通して、
色んな人が、「誕生日おめでとう!」のコメントをくれることが嬉しい。

そうやって、言葉をくれる友達がいることも素晴らしいし、
そうやって、距離はどれだけ遠く離れていても、
距離を感じずに、こうしてリアルタイムでコミュニケーションが取れることは、
すごいことだなあ、と思う。


*****


そんなわけで、特にまとまりのない文章となったが、
去年一年間(28歳の一年間)は、
色々と変化が多かった一年でした。
(不思議にも、毎日落ち着いた日々を送っているので、
そんな気が全くしなかったけれど。)


今年は、20代最後の一年。

昔読んだ本で、
30歳の誕生日にしていることを、
その人間は、きっと、
一生して行く、
ということを読んだことがあります。

(糸井重里氏と、科学者の対談の本。)


その対談を読んだのは、
俺が20歳になる直前でしたが、
そんなわけで、
それ以来、俺の中には、
「30歳の自分」というのは、
一つの区切りであり、
同時に、
その時点の自分が、
自分の一生を決めるようなものだと思っています。




そういうわけで、
俺が来年の今日に、何をしているかというと、
恐らく、東京のオフィスで働くか、
もしそれが休日だったら、
妻と一緒に過ごしているわけだけれど、

そのときに、
「うん。いい人生だ。このラインで、
今後も歩んで行こう」

と、心から思える様な、
そんな、ずっしりと構えた、
腰を据えた、状態でいたい、と思います。


*****


いつも励ましてくれる皆さん、
周りで支えてくれている皆さん、
どうもありがとうございます。


これからも私はがんばります。


2012/10/22 23:38




August 19, 2012 23:24

2012/8/19-


今週は、火曜日の朝から、
今日まで、実家の方に帰り、
そこで妻と一緒に、結婚指輪を選んだり、
家族で、姉貴の誕生日祝いと結婚二周年祝い、
及び俺と妻の入籍祝いを兼ねて、
食事をしたりした。


妻とは、5月の入籍日以来、
3ヶ月間、一度も会えなかったので、
今回会えて本当に嬉しかった。


俺は今会社の都合で研修のため、
ここの土地に1年来ているけれど、
やはり可哀想なのは妻だと思う。
せっかくの新婚にも関わらず、
こんなに離れた土地にいて、3ヶ月振りにしか会えないなんて、
やっぱりひどいと思う。

10月には、来年の結婚式に向けて、
ウェディングドレスの試着と決定等もあるので、
次は10月には一度帰りたいと思う。


*****


今回は、ということで、
水曜日から今日(日曜日)まで、
合計4日半、彼女と過ごすことが出来た。

今回は結婚指輪を選びに行った銀座にも二泊したので、
結局、俺が実家に帰り、彼女も実家に帰った昨日以外は、
4日程、ずっと一緒にいた。

こんなことは、留学時代以来か、
または、俺が横浜にいた頃時代以来なかったので、
本当に嬉しかった。






彼女といると、
色んな話ができるから楽しい。

くだらない話、
面白い話、
最近思っていること、
最近気づいたこと、
哲学について、
政治について、
今後の人生について、
人間について、
人生について、
などなど・・・

毎回、俺は彼女に会うと安心して甘えてしまうけど、
そうやって、俺の全部を受け入れてくれる人がいるということは、
そして、そういう、心から信頼できる人と、
これから一生を共にできるということは、
非常に幸せなことだと思う。


*****


今回は、本当にお互いに気に入った結婚指輪も選べてよかった。

9月の末に届く予定。





また、彼女に会える日を楽しみにして。


2012/8/19 23:22





追記:

今回は姉夫婦にも久しぶりに会えて、
姪っ子にも久しぶりに会えた。

前回会ったときより、かなり大きくなっていてビックリした。
すごく可愛かった。

お姉ちゃんも、自分の子供を見る目が本当に幸せそうで、
お姉ちゃんの旦那さんと、3人で本当に幸せそうで、
本当に良かったなと思う。


俺の両親も元気そうでよかった。

お母さんは元気に毎日働いているし、
親父も家で本を読んだりして元気そうにしている。




いずれ、親孝行もしっかりして行きたいと思う。





August 13, 2012 19:07

2012/8/13 18:50-

明日から夏休み。
本当は明日も出社日で、
明後日からお盆休みなんだけど、
俺が色々な部署に顔を出すたびに、
みんなに、
「休みは取らないのか?(会社の休み以外に、有給をくっつけて取らないのか?)」
と聴かれる。

聞くと、どうやら、
俺みたいに遠方から来ている人間は、
お盆休みなどに少し休みを足して、
長期で地元へ帰るとのこと。

最初は、「え?そんなの良いんですか?それができたらいいなあ」
なんて言ってたけど、
余りにも何人にも聴かれるので、
これは取るべきだなと思い、急遽昨日の夕方、
うちの課長に確認する。


すると、「いいよ」とあっさり。

ということで、休みを一日早めて、
明日から6日間の休みです。
嬉しいなあ。



俺は、日本で社会人になってから、
こんなに長い盆休みは初めてだから、
(去年なんか、お盆休み自体が無かった 笑)

そして、彼女と3ヶ月ぶり、
入籍したぶりに会えるので、
もう楽しみでしょうがないです。

今日は帰り際、
色んな先輩から、
「気をつけて帰れよ」
「達者でな」
「もう今からウキウキだろ?楽しんでこいよ」
と、色んな温かい言葉をもらった。


さっきも、
俺がこの前の土曜日に家にお邪魔した先輩に、
明日帰ることを電話で伝えて、
(本来は俺も明日出社で、彼女は最近桃狩りの為に会社を休んでいるので、
でも明日は出社するから、それに合わせて、
俺が実家に帰る用に、別にまた桃を持って来て下さると言っていたので)

「明日帰ることになりましたので、すみません。お気遣いありがとうございました」と伝えると、
「ああ!なら今から家まで行くよ!20分ほど待っとってな」と言って、
わざわざ売り物用の箱に入れた桃を、
車でうちまで届けに来て下さった!!

本当に感激です。


IMG_5545



*****


昨日も、日記にも書いたけど、
祭りに行った際にも、色々な先輩や会社の人に奢ってもらったりして、
みんな優しくて親切な人たちで、
もう本当に、俺は、素晴らしい人たちに囲まれているなあと、
しみじみと思います。





*****


この土地は、田舎で、
周りを山に囲まれていて、
それで、昔ながらの文化が残っていて、
人の繋がりが強い、ってのもあると思うけれど、

やっぱり、彼らが自分自身でも言う様に、
「おせっかい」なほど、親切な人たちなんだと思います。




*****


俺は、昔から、
結構、一人でいることが好きだったけど、
それははっきり言って、人とどう接していいかが分からず、
そのまま、一人でいることに慣れてきた、
っていうところが大きかったと思う。



で、アメリカに行って、
最初の土地で、
田舎の人たちに、すごく親切にしてもらって、
そこで、「人に囲まれる幸せさ」を知って、
それからは、そういうものを、
求める様になってきた。




日本に帰って来て、
この4年間、
やっぱり、日本の文化に馴染めないというか、
俺は、「日本」という文化に入ると、
カチコチに固くなって、
「固いヤツ」と見られる傾向があるけれど、

それでも、この土地の人たちは、
そんな俺でも、
「なんか、言葉遣いがやけに丁寧なヤツが来たなあ」
という感じで、
しかし、色々と気遣ってくれて、
結果、こんなに人に恵まれることとなった。



*****


毎回思うのは、
新しい土地に行った際に、
そこを離れるとき、
そこに行って良かったなあ、と思うのは、
必ず、「人との出会い」なわけで。



それは、初めて自分が生まれた土地を離れ、
高校は少し離れた佐原に行った時も、
そこを離れる際に、そう思ったし、
その後、アメリカに渡り、
一年目のWeed, 
二、三年目のSan Jose,
四〜六年目のLong Beachと、

やっぱり、その土地に行って本当に良かったと思えるのは、
その土地で出会った人々との繋がりが、
自分の人生に残るからだった。


俺の彼女とも、
結局、Long Beachで出会ったわけだし。
お互いに実家は凄く近いにも関わらず。


*****



俺は、アメリカで、
「自分を出す」ということを学び、
しかし、日本に帰って来て、
また、その「型」にハマり、
うまく自分の立ち位置を見つけられない状態に
勝手に陥っていた気がしたが、
今、こうして、
この土地に来て、
この会社に入り、
温かい方々に恵まれ、
28歳にして、
やっと、日本の社会でも、
自分を出すことを、徐々に学んでいる気がする。



*****



とにかく、
自分の周りに今いる、
素晴らしい人々に、心から感謝をしています。



2012/8/13 19:07






IMG_5517


2012/8/12 23:25-

今日は会社の先輩に誘われて、
近くの町の祭りに行った。
そこでは、同じく同じ課の別の先輩が出身で、
そこで今日は祭りがあるとのことで、
本当は今日は会社は出勤日だったが、
彼は祭りの為に休みを取っていた。



17時ぴったりに仕事を終わらせ、
速攻風呂に入り、
17時半に先輩の車で祭り会場へと向かう。

町と言っても、同じ「町」。
しかし、ここは今から6年程前に、
幾つかの町が統合されたらしいので、
実際は、「区」に近いらしい。





会場に着くと、
完全に、「町」の祭りだった。

俺たちは17時45分には着き、
まだ客も全然いなかったが、
それも19時前にはかなり込み始め、
最後、21時前後には、
大込みだった。


IMG_5533




*****



先輩に焼きそばやぎょうざをおごってもらい、
焼き鳥を焼く先輩には、
パックに入った10本程の焼き鳥をただでもらう。

IMG_5532


生ビールも一杯目は彼のツテでもらってもらい、
その後は、
何と別の会社の人がいて、
その人伝いで、
生ビールをもう一杯と、
熱燗の酒までもらう。

今日は、お金を一銭も使っていないんですけど。
しかし、「これ以上本気で食えません」というくらい、
沢山色々なものを食べさせてもらった。

団子に、飛騨牛の焼き肉に、
えごまクッキーに、
その他もろもろ・・・・

もう、感謝しまくりです。


*****


結局、
うちの会社の品質管理部の部長と、
総務の課長もそこの町の出身者で、
その二人と、
あとは、俺にビールや酒を嫌という程持って来てくれた方と、
俺の先輩と、
他にも友達も読んで、
最後は10人くらいで、
わっはっはと盛り上がっていた。

ビンゴの神様と称する品質管理部の部長は、
途中までぜんぜん当たっていなかったので、
「あれ?ビンゴの神様じゃなかったんですか?」
とちゃちを入れたら、
「ここから集中します。
次は12がくるで」
と言うと、本当に12が来る始末。

その後、一気にリーチとなり、
舞台の方に行ったかと思いきや、
速攻次の数手でビンゴとなり、
デカイ景品をもらって帰って来ていた。

やるな、あれがビンゴの神様か。

*****


しかし、ここの土地に来て5ヶ月目になりますが、
本当に良い人たちに囲まれて幸せです。

昨日は、同じ課の別の先輩の家にお邪魔して、
桃狩りや、きゅうり、とまと、ピーマン、なす、みょうが、枝豆、大葉など、
色々な野菜狩りもさせていただきました。
(一番上の写真は、昨日直接畑から採ってそのまま頂いた桃と野菜たち。)


彼女の家は、俺の家からチャリで走って10分くらいなんだけど、
そこは山の麓にあり、
彼女の家が所有するその畑の広いこと!!

山に、段々に畑があり、
本当にぶったまげるくらいの広さの畑だった。

しかしそれも、
「この辺の人は、こんなもんやで」
と言っている。
俺から見たら、超大富豪なんですけど。


*****


彼女の家では、ご両親(父親)は10年前までサラリーマンだったが、
58歳で退職をして、
それから、このまま何もしねえと体がなまけちまう、
ということで、
「じゃあ、畑もあるし桃でもやっか」と、
桃を苗木から作り始めた所、
今では、全国からわざわざ桃を買いにくる程、
かなり有名な桃の農家となったそうな。



彼女のお父さんとお母さんはとても強烈で、
特にお母さんが強烈だった。
会うなり、
「ほら、こんなに蚊に食われちまった」と、
真っ赤になった足を俺に見せて来る。
そういうノリがいいですね。


IMG_5441




昨日は、その先輩の妹さんも名古屋からたまたま実家に帰郷してくる日で、
俺が昼前に彼女の家にお邪魔し、
桃をいただき、
そのままじゃ申し訳ないので、
段ボールなどを作って手伝っていたら、
妹さんが到着した、という感じ。

よって、いつの間にか、
4人の間に加わって、
完全にホームステイにきた留学生みたいになっていた。

先日6月にRに会った際に、
「お前は山に縁があるな」と言われたが、
やはり、10年前に留学の最初の地に選んだWeed, Californiaにしても、
俺は山に縁があるらしい。

(俺の父親と母親の実家は、
ともに港町なんだが)


*****


それにしても、
田舎の人は、やっぱり親切で、
昨日の俺の様に、
のこのこと桃を頂きに行った人間にも、
「ほら、これも食ってけ。あれも食ってけ」と、
色々とくれる。

そして、ホスピタリティ(おもてなし精神)が
非常に強い。
温かい。

多分、俺の様に、
誘われたら「はーい、いきまーす」というノリで、
素直に遊びに行く人間も少ないのかもしれないけど、
(または、みんなそんなに図々しくないのに、
俺は、ぼーっとしてるから、
普通の人なら、気を遣って遠慮する所を、
それを全面から「ありがとうございます」と受け入れるから、
逆に向こうも受け入れてくれるのかもしれないけれど)

とにかく、
色んな人に可愛がってもらって、
本当に幸せだなあと思います。


*****



昨日は、
彼女のお母さんと二人でソルダムを取りに行き、
(そのソルダムの畑は、
かなり上の方まで坂を上がった、遠い所にあった)
その畑から、
帰りは一人で歩いて下の家の方まで帰って行ったんだけど、

その道の途中で、
周りに広がる、
凄まじい程の量で生える木々によってできる、
緑の色がすごく強い森と、
遠くに見える田んぼと、
近くに流れる水路の水の音と、
遠くに聞こえるかすかな蝉の声と、
向こうから流れて来る、その気持ちの良い風を肌に感じていたら、


そして、
自分が決して食べきれない量の桃をいただき、
更には、
自分が今まで目にしたことの無い程の量の桃が
気になっているのを見て、
そのように、

「自分が生きて行く上に十分すぎる以上の食物が、
自然の中になっている」状態と、

「圧倒される程の自然に囲まれた」状態に身を置いたとき、


ふと、
「豊かさ」とは何だろう、と、

そう思った。



IMG_5478





都会にいると、
まるで、お金が沢山あるほど「豊か」で、
高級な車に乗り、
高級な家に住み、
高級な時計やアクセサリーを付け、
高級な洋服を着て、
人と比べて、
金銭的に、沢山のお金を持っている状態ほど、
「豊か」だと思えるけれども、



こうして、こういう環境にくると、
そういうものは、
余り意味をなさないことに気づく。



こっちの方は、
土地も余る程あるので、
どの家もバカでかいし、
(普通に、
家の中にトイレが三つあるのがスタンダードらしい。
洋風、和風、そして、男用トイレ。)

そしてみんな、
洋服や装飾品などは、
一切気にしない。
まあ、少しは気にするが、
ここではそんなに意味を成さない。


そして、
どの家でも野菜や果物を大抵作っており、
それが穫れたら、
会社に来て、
みんなに分ける。




どこかに旅行に行ったり、
出かけて来たら、
必ずお土産をかって、自分の部署や、
普段お世話になっている他部署に配る。




そういうように、
「分ける」文化が、
浸透している。




なので、
「モノ」は有り余っている、と感じ、
その感覚が、
自分の心を、「豊か」にさせる。


(ここで俺が言う「モノ」とは、
上に書いた時計や装飾品、車などの「モノ」ではなく、
生きて行く上に必要となる、
食べ物などの「モノ」。)




*****




俺は正直、
この会社に入るかどうか迷っているとき、
この町を、Google Mapのサテライトで見て、
周りを山に囲まれ、
何にもなさそうなこの土地に来ることを、
かなり躊躇ったが、
しかし、
その結果、実際に来てみると、
そこには、
Googleマップでは決して見ることのできない、
温かい人々の「生活」が存在していた。



そして、その人々との触れ合いが、
俺に、色々と、
大切なことを、
教えてくれている。




*****




10年前、
2002年の7月28日、
俺は、日本の千葉から、
アメリカのWeedに向けて旅立った。

その時は、
「なんでこんな山奥に来てしまったんだ」
と後悔した時も多々あったが、
やはり、後から思い返すと、
そこで出来た友達、
知り合った家族たちは、
俺の本当の家族の様に、
今でも連絡を一番取り合う仲となり、
そんな、素晴らしい人たちとの「出会い」を、
俺にくれた。









それからちょうど10年。



こうして、また、
今度は日本の中の「山奥」に来て、
またそこで、こうして、
毎日、素晴らしい日々を過ごしている。


温かい人々に囲まれながら。




******



ここでみんなに受けている恩は、
必ず、これからどんどん返していかなきゃなあ、と思う。


こうして、
先に人に分け与えるからこそ、
みんな、
お互いに分け与える、
そんな文化になって行くのだと思う。




****




ちなみに、
俺の最初に行った学校の裏には山があり、
そこには、
"Bear Trail"(クマの道)という名の
山道があったが、
そして、本当にクマが出るとの噂だったが、



昨日桃狩りをさせて頂いた先輩の家では、
家のすぐ近くまで、熊が出たそうな。

ある日、桃が一日に100個くらい夜の間に無くなっており、
タネだけが地面に残っていて、
「何かおかしい」と、
警察に届け出たら、
「奥さん、それは熊ですよ」となり、
カゴをしかけたら、
大きな熊がかかったらしい。
しかも2頭も。






10年前は、
「こんな、ベアトレイルなんて名前の、
熊が出るところは、
他にはないだろうな」と言っていたが、

実際、自分の生まれた国の、
そこの山奥の方が、
もっと凄かった。



ちなみに、猪やカモシカ、
狐に狸も出るんだって。

「サファリパークじゃないですか!」と言ったら、
「いや、人も普通に住んどるし。失礼や!」とツッこまれた。


2012/8/13 0:01am





August 11, 2012 00:44

2012/8/11 0:25-

今日は、うちの会社を先日定年退職した
Oさんの家にいって、
そこでOさんと、もう一人の方と、
3人でお酒を飲みながら、音楽を聴いたりして、
楽しく過ごした。



Oさんは、恐らく62歳か63歳くらい。
元々俺がこの土地に移り、
最初に会社の風呂に入った日に、
浴槽に入って、
「大きい風呂でいいですね」と話しかけたその人が、
Oさんだった。


それから、Oさんは俺の顔を見ると、
笑顔でいつも話しかけてくれて、
お互いに名前の自己紹介もしていなかったが、
風呂場での「顔見知り」になっていた。

*****

それから少しして、
風呂場でいつものように少しずつ話していると、
彼が、音楽が好きで、
特にオペラが好きで、
一年に一回は東京へ行き、
本場オペラ公演を見に行っていることを知る。

それで、「すごいですね!」との話から、
「今度もし興味があったらうちに来て音楽を聴きますか?」
と誘って下さり、
結果、今日、彼の家に行く約束となっていた。


彼は、6月の最終末で退職が決まっており、
(既に2回程定年を迎えたが、退職時期を延ばしていたとのこと)
今回は、本当に退職ということで、
知り合ってほんの少しで、彼とは会社で顔を合わせない仲となってしまった。

*****

彼は、本当に性格の良い人で、
最初は正直、ここの方言が強すぎて、
何を言っているかさっぱりだったけど、
俺も日に日にこの土地の方言を覚え、
今では、殆ど聞き返すことも無くなって来た。




彼はいつも、食堂で休憩中に見ると、
新聞を読んでいて、
休憩終了の時間がくると、
そそくさと早足で工場の現場へ帰って行く。

非常に真面目な方なんだというのが、
彼の表情と、仕草から伝わって来る。


*****


ということで、
6月末の時点で、
今日、つまり8月の2周目の金曜日に飲もうと話をしており、
今日、そういうことで、
彼の家にお邪魔して来た。


*****



彼の家は駅から歩いてすぐの所にあり、
駅で待ち合わせをしていたので、
俺はそこまでワインを一本買ってチャリで行き、
そこから一緒に歩いて彼の家へ向かった。




彼の家は非常に大きく、
ビックリしたが、
どうやら、一人で暮らしているとのこと。

「縁が今までなかったもんで」と、
笑顔を交えながら、ちょっと寂しそうに言っていたのが、
なんか心に残っている。


******



彼の家へ入り、
一階のダイニングにある冷蔵庫に、
俺が買って来たワインを入れる時に、
壁に飾ってある数々の絵画のポスターに気づく。


見ると、フェルメールなど、
西洋のものが多い。


聞くと、絵も好きで、
この前も、今東京でやっている
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を見て来たとか。



音楽以外にも、
絵など、
アート系で趣味が似ていることが知れて嬉しかった。


*****


二階の音楽ルームに上がると、
もう一人の方は既に上がって、
一杯先に始めていた。

(彼は今、品質管理部でまだ現役で働いている方。
俺は余り話したことは無いが、
もの静かで、知的な雰囲気のする方。
俺が研修で来月からそちらに伺うので、
その際にお世話になる。)




3人揃った所で、
Oさんがこの前東京に行った際に買って来たという、
一本2000円以上するチリのワインで乾杯。

これが美味しかった。


それ以外に、
彼が用意してくれた、
ローストビーフや、
近くの朝市で買って来たというキャベツとトマトで作ったサラダ、
骨つきのチキン、
カマンベールチーズ、
ピザ、
アーモンドなどのおつまみを肴に、
お酒を飲みながら、
語った。



*****


主に、Oさんが気を遣って、
色々と話題を振って下さった。


今日彼を見ていて思ったが、
彼は非常に人に気を遣う方で、
かつ、優しすぎるくらいの方なんだと思う。

少しでも話題が途切れると、
俺が興味のありそうな話題を振って下さり、
そこで、音楽の話をしたり、
村上春樹の話をしたり、
(彼はジャズが大好きで、素晴らしい音響を持っていたので、
まるで村上さんみたいだなあと思ったら、
彼の後ろに『1O84』が3冊並べておいてあるのを発見。
それを指摘したら、
やっぱり村上さんが大好きとのこと。
図書館にある村上さんの本は全て読破したらしい。
俺も彼の小説は『ダンスダンスダンス』以外読みましたよと伝えて、
海辺のカフカとかの話をした。)




そんなわけで、
優しすぎるOさんの温かい手料理とともに、
おいしいお酒を飲んだ。


*****




そして何より驚いたのは、
彼がその部屋に持つ、
凄まじい音響システム。


自分の身長くらいある高さの、
大きな大きなスピーカーが、
50インチの大画面HDテレビの左右に、
並ぶ。


そして、そのテレビの下には、
これまた大きなアンプが、
4台並ぶ。



聞くと、
なんと、そのアンプ4台で、
400万円以上、
スピーカー1セットで、200万円以上、

そして、それらの機器を繋ぐコードがあるんだけど、
(一本一本はもの凄く太い。)
それらのコードは、1本7〜8万円するそうな。
そんなコードが、
10本以上群がっていた。



そんなわけで、
その部屋は、
もう、プロの音楽家のような部屋だったわけです。



そして、そこで、
Miles Davisの"My Funny Valentine"を大音量で聴きながら、
その世界に浸る。

(その部屋は完全防音になっているので、
もの凄い音で聴いても、外には漏れない。)



俺が持つスピーカーとは比べ物にならないほど、
その音は、
まるで、目の前に生の演奏者がいるような、
まさに、ライブ会場だった。

観客の小さな声まで聞こえて来る。



アンプの大きさも半端無いので、
音の大きさ自体が、
全然違う。

パワーが違った。


*****



そして、その後は、
ワーグナーのワルキューレのライブ演奏の映像を見る。



これもまた凄かった。




*****




結局、
途中から、
俺がMacが好きという話になった後、
彼らの友達で、前にこの会社で働いていたもの凄いMac好きの友達がいるとのことで、
彼に電話をし、彼も急遽、
21:00前後に来る。

その後Oさんは、ワインを飲み過ぎて完全に寝込む。
その間、俺とその二人の計三人で、
大音量でまたマイルズデイヴィスを聴きながら、
色んな話をした。


(新しく来たその方は、
7年前に結婚したらしいが、
奥さんが中国の方で、
その結婚のエピソードももの凄くて、
そこから、異文化結婚の話、
日本の市役所の酷さの話、
その他色んなことを話した。
彼も非常に面白い人だった。)




そんなわけで、
18時半から飲み出して、
23時前になり、
眠るOさんをおこし、
挨拶をして、
帰って来た。



*****



帰り道、思った。

すごく楽しかったな、と。



俺は、今はこの町に、
1年限定で来ているわけだけど、
その中で、
たまたま会社の風呂で出会った、
全然違う職場の人と友達になり、
その人のうちで、超特大スピーカーでMiles Davisを聴き、
彼らの友達と仲良くなり、
帰り道、
その町を、
自転車を飛ばしながら、
夏の夜風が気持ちいい中、
車は殆ど通らない、人気も殆どない町の中を、
さーっと、駆け抜けて、田んぼの脇道を通って、
家へと帰る。





こういう瞬間ていうのは、
今しかなく、
今から数年後、
はたまた数十年後には、
今日みたいな日のことを、
もの凄く、懐かしく、
「ああ、あんな時があったなあ」と、
懐かしく、思うんだろうな、と。









その土地で、
新しい人々と会い、
その人たちと仲良くなり、
その人たちと食事をともにし、
彼らの家へお邪魔して、
彼らの生活を垣間みる。



そういうことをしたとき、
そういうことができるとき、
俺は、何だか、
この人生の、はかなさというか、
素晴らしさとともに、
その、「諸行無常」的なことを、
強く感じてしまう。



*****



アメリカであれば、
年齢が違えど、
例え、自分の親父と同じような年齢の人とでも、
「友達」になれる。


今回のOさんとの出会いは、
結構、それに近いものがあり、
それを、また嬉しく思う。



彼は今回、
「また今度は、10月頃にやろうや」と、
何回も嬉しそうに話してくれた。


彼が、今日のために、
料理を用意して待っていてくれたことを思うと、
何だか、胸に来るものがある。






俺は来年以降は、東京へ戻るけれど、
たまにこっちに出張で来る際には、
ぜひ、彼とも定期的に会うことができたらいいな、
と思う。


その時は、また、
好きな音楽を聴きながら、
音楽や、アートや、
小説の話をしながら。






*****





Oさんとの出会いに、感謝。





2012/8/11 0:59

















July 01, 2012 18:28


昔、2005年の7月、
アメリカ一周の旅をしているとき。


アムトラックの列車に乗り、
列車の中で、寝泊まりをしていた。


確か、ユタ州か、コロラド州の辺りを走っているとき。


その時、俺の横には、
初老の女性が乗っていて、
その人と、色々と話をしていた。



俺は、日記帳を持っていて、
やる事はそれに自分の気持ちを書くことしかなかったので、
ひたすら書いていると、
大体の人は、
「何を書いているの?」と話しかけてくれた。

彼女も、その内の1人だった。


*****


彼女に、「あなたはところで、何をしているの?」
と聴かれたので、
自分は、日本からの留学生で、
今は留学して3年が終わったところで、
まだカリフォルニアしか見ていないので、
アメリカ全体を見たいと思って、
こうして旅をしている、と告げた。



すると彼女は、こう聞いた。


「ところで、あなたは幾つ?」



21歳です、と答えると、

「このような形の一人旅をするには、
ちょっと若すぎるんじゃないの?」

と言われた。



確かに、一人で、
ただひたすら、
列車の外の景色を眺めて、
自分の過去のことなどに思いを馳せているヤツなんていうのは、
普通、21歳ではいなかった。


俺の周りには、
彼女の様に、
そろそろ定年で、リタイアをしたばかりの人たちばかりしか、
旅をしていなかったから。


*****


その彼女が、ある朝、
俺に何かのフルーツをくれながら、
こう話してくれた。



「若い頃はね、
きらびやかなもの、
豪華なもの、
派手なもの、

そういったものに、
感動したり、心を奪われたりするんだけど、

私のように歳をとると、
自然の中にある、
何でもないような、素朴な景色を、
なによりも綺麗だと、思う様になるのよ。」



そういって彼女が指した窓の外には、
まだ朝もやがかかり、
先ほどやっと出て来た太陽の光に照らされて、
薄緑色に輝く、
何の変哲もない、草が生えた畑が広がっていた。




*****



その時の彼女の台詞と、
その窓の外の光景は、

未だに、ふとした瞬間に、
よく思い出す。





*****



さっき、母親に、誕生日のお祝いの電話をして、
少し話をして、

その後、自分の部屋から見える、
外の景色を眺めていたら、

そして、外に広がる、
山にかかった薄紫の雲、
その切れ目から除く、黄金色に光った夕日、

そして、目の前に広がる田んぼと、
その横を流れる、水路の水の音、
遠くで鳴く、虫の声などを聞き、


7月頭の、この、
涼しい、気持ちいい風を肌に感じていたら、




あの時の、その女性の言葉と、
その光景と、

その、「雰囲気」を、思い出した。




*****




こういう、「瞬間」を味わうとき、

俺は、人生は、
かけがえのないものであると思う。




2012/7/1 18:28












2012/7/1 0:10am-

先日彼女と話をした際に、
俺の人間としての、レベルの話になった。


曰く、一般の人の人間としてのレベルが、
人生を通して、100まで行くものであるとすれば、
俺の場合は、そのレベルが、
1000くらいまであるらしい。


そして、だからこそ、
俺は常に、「成長したい」という欲が強いし、
だから、常に、
「◯◯さんは若いですね」と言われるのだ、と。


*****


俺は日本に帰って来て、社会人になってからも、
常々、「若い」と言われて来た。

余りにも色々な人に言われるので、
もしかして俺には威厳がないのか、とか、
俺はそんなに弱々しく見えるのかい、
とちょっと嫌に感じた時期もあったが、
どうやら、そうじゃないらしい。

つまり、20代も後半、
(つまり俺の年齢)になると、
社会に幻滅して、
「まあ、どうせこんなもんっしょ」
「どうせ頑張ってもたかが知れてんだから、気楽に行こうぜ〜」
的なノリが、普通は出て来るものだが、
それが俺には無いという事。

正直、自分次第で、いくらでも成長できると思っているし、
日々、進化をしていたいと思う。


先週、神戸でRと会ったが、
ヤツも言っていた。

「未だに、何でもできると思ってるからさ」

俺も、そんなノリに近いものがあると思う。

*****

話を元に戻して。


だから、彼女曰く、
俺の人生を通してのレベルの限界は、
1000まであるからこそ、
他の人が、人生を通して100のレベルなので、
今の時点で50まで行って取りあえず満足していても、
俺の場合は、
「いや、俺的には50だと、全然自分の中で足りねえし」
と、必死になって、焦って、レベルを上げようとしている、と。



そして彼女は言う。

神様が、俺のレベルを1000に設定した理由は、
必ず何かあって、
レベルが1000になる器があるからこそ、
その器で成し遂げる何かがあり、
その目的を知る事が、
俺の人生の真の目的だ、と。



だから間違っても、
レベルを1000まで上げることだけに躍起になっていてはダメで、
それで、目的を見つけずに人生を終わってしまっては、
目的のために手段が存在するのに、
その手段を極めることで終わってしまい、
本末転倒である、と。


*****


俺は、その話を聴いて、
凄く嬉しかった。

ここにこういう事を書くと、
なんか自慢しているみたいでどうかなと思ったけど、
これは俺の日記だし、人生の記録帳であるから、
書く。


*****

俺は人生で何が一番嬉しいかと聞かれれば、
やはり、自分の成長を感じることだと思うし、
それが、自分が生きる、一番の趣味であると思う。



本を読むのも、自分の「知識」「教養」という内面性が磨かれるのが好きだから。

結局は、自分という人間のレベルアップを、
どれだけできるかが、
究極の趣味なんだと思う。


だから、Lenny Kravitzの曲には良く、
"I want to be a better man"とか、
"Got to be strong"とか、
そういう台詞が良く出て来るけれど、
それにも、非常に共感する。


*****


そして、俺がやっぱり、
一番心が震えるのは、
自分の器は、デカい、と自分が思えることだと思うし、
今はその器がデカくなくとも、
デカくする器量があると、感じられることが、
俺が頑張って行ける一番の根拠なんだと思う。


逆に、
俺は大した事無い人間、
俺の器は実は小さい、
と思わされてしまったり、
「そうなのかな?」と感じてしまう時ほど、
恐いものはない。

それは、俺にとって、
自分の希望を壊されるようなものだから。


*****

なので、今まで会って来た人の中でも、
いつか日記に書いた、横浜にある、ある会社の社長との面接で言われた、
「キミは、ザルだ」という話には、
今でも励まされるし、
かつ、そのザルの器を、
自ら小さくすることがないよう、
自分を鍛えて行きたいと思う。


*****


そして俺は、常にそうやって、
自分を心から、一番認めて、励ましてくれる人が、
自分の妻であること。

それは、本当に、
どれだけ感謝してもしきれないくらい、
有り難いことだと思う。



*****

ということで、
俺は、俺のレベルを、
とにかく上げて行く事。


そして、その自分の人生を使い、
自分の目的を、きちんと自覚すること。


それが、俺の人生を通しての課題。


2012/7/1 0:26am








2012/6/30 23:51-

さっき、2時間くらいかけて、
俺の昔のメールを読んでいた。
友達に送ったり、家族に送ったもの。

殆どは、20歳から、23歳くらいまでのもの。

俺が、COSを終えて、De Anzaに移った直後から、
CSULBを卒業する位の頃のものまで、
ランダムに。

(普段はGmailを使ってるので、留学3年目の途中まで使っていたHotmailは今は殆ど開かないんだけど、ちょっと過去の先輩へのメールで気になるものがあって調べたら、そこから一気に、色々と読み出してしまった。)

*****

自分の過去のメールを見て、
若いなあ、とも感じたし、

何より、一番感じたのは、
それは、確かに昔の俺なんだけど、
今になって、やっと、
その頃の自分を、「客観的に」見れた、ということ。



当時の俺は、やはり、自分のことしか見えておらず、
自分が周りから見てどのように写るのか、
果たして、「俺」という人間は、どんなものだったのか、というのは、
「俺」という主観でしか、見えていなかったと思う。



もちろん今も、それは変わらないと思う。

歳を重ねるに連れて、
より、昨日よりも、もっと賢くいたいと思い、
そういう術は、少しずつ身につけて来ているとは思うが、

それでもやはり、「今」の自分を、
完全に、客観的に見ることは、
難しいと思う。

なぜならそこには、
自分に対する、希望と、
欲が入るから。

(つまり、今の俺は、実際には「こう」だが、
自分としては、「こう」あってほしい、という欲があり、
その「実態」と「希望」の間には、
必ずギャップが存在する、ということ。)




そして、過去のメール、
つまり、今から8年〜5年ほど前のメールを読んで、
既にその頃の俺は、今の俺の状況とは大分かけ離れているから、
やっと、その頃の自分の「主観」をなくして、
「一人の他人」として、
過去の自分を見れる、ということ。


*****


20歳から23歳の自分は、
年齢的にもちろん若くもあり、
かつ、今の自分にない、
精神的な「若さ」を持っていた。

それは、「未熟さ」とも呼べるかもしれないし、
「ナイーブさ」とも呼べると思う。





*****

それらのメールを読み終わって、
当時の記憶、
そして、当時は確かに経験したが、
長い間呼び覚ましていなかった為に、
忘れていた記憶を思い出し、

言わば、俺の歩いて来た道を、
振り返る事もせず、
その道の軌跡を確かめずに、
毎日、先の事か、もしくは、今日のことしか考えない自分に、

自分が通って来た、その軌跡を確かめさせることで、

自分という人間の幹が、また一段、
固まった、というか、
「ああ、俺は、こういう道のりを経て、
これらの経験を経て、
これらの考えと悩みを経て、
今に至ったんだ」というのが分かり、

妙な達成感と充実感があった。


*****


俺は今、28歳であり、
今年の10月に、29歳になる。


俺にとっては、2005年というのは、
何故か自分の今までの人生の中での節目となっている。

(それは、年号的に切りが良いというのもあるだろうし、
その年は、色々と悩んで、
自分の専攻を変えたり、
住む土地と学校を、ガラリとベイエリアから南カリフォルニアに変えたのもあったし、
とにかく、色々な「変化」が自らの中であったからだと思う。)

その時、21歳だった俺から、
今は、確実に7年が経ち、俺は、今28歳となっている。



俺的には、2005年というのは、ついこの前なわけだが、
確実に毎年、年は過ぎ、
その時は、過去となって行く。


*****

なんかカッコ付けて書いていたら、
ポイントが分からなくなってしまったが、

取りあえず、確実に年は過ぎ、
自分も確実に年齢を重ねて行き、

自分の過去の記憶は、
「最近のもの」から、
「古いもの」へと、変わって行く、ということ。


そして、その中で、
自分にとって「新しい記憶」も、
確実に、「古い記憶」となって行き、
その過程の中で、
普段頻繁に思い出さない思い出以外は、
記憶の隅に、置いて行かれるであろう、ということ。



そして、それらの自分の「過去の軌跡」を、
たまに振り返る事は、

自分に、
「ああ、俺が今、「自分」という人間である所以は、
そこにあるのか」
と、客観的に認識することで、

自分という人間を、少しは、
客観的に見て、評価をすることができ、

それが、自分に対する、自信へと、
繋がるであろう、ということ。


*****


まあ、毎回同じ事を感じるんだけどね。
こうして、過去の日記なり、自分の軌跡を見返すと。



とにかく、常に成長して行きたい。


2012/7/1 0:09am




June 24, 2012 22:30

2012/6/24(Sun) 22:57-

昨日と今日は、社員旅行で大阪と神戸に行って来た。
大阪では、ノアと、
神戸では、Rと会った。

大阪の場合は、俺のステイしたホテルはなんばだったけど、
ノアの住む家はそこのすぐ近くで、
神戸の方でも、Rの住む家は俺たちが行動予定だった元町のすぐ近くだったので、
まるで二人に会いに行く為の旅行みたいな感じだった。

*****

ノアとは、4年ぶりの再会だった。
最後に会ったのは、2008年の4月。
サクラメントで会った以来。

奴は、去年から大阪に晴れて来れる様になり、
今は既に約一年間、大阪にいる。
あいつが仕事を終えた21時半頃になんばの近くで会い、
その後、朝の4時半まで、なんばの酒屋なりバーなり、
後はなんばの川沿いを歩いたりして、
色んな話をした。

(あの川はノアが所有しているらしい。川沿いにいたホームレスのおじさんから5000円で買い取ったらしい。そういうジョークがウケる)

*****

ノアとは、本当に久しぶりで、
しかも、俺は2008年頃にあいつと最後に会ってから、
当時は俺も進路が定まらず不安定だったこともあり、
結構あいつに辛く当たってしまったときもあった。
そのために、少し心の引っかかりがあった。

それを奴に謝り、
「I was being such a jerk man, especially when we were at the donut place in Orange County in 2007. I have to appolozie to you」と言うと、
「Gosh, I don' remember you being jerk at all and all I remember is the donut! That's so bad that you had this guily feeling in you for 4 years and I don't even remember it!」と、彼なりのジョークとユーモアでまた笑わせてくれた。


俺はあいつと会ったのが2002年の8月で、
それ以来、奴とは随分一緒に遊んだ。
そんなわけで、友達、というよりも、どっちかというと家族に近い。
近過ぎて、ムカつく兄弟、そんな感じ。
なので、ちょっと仲違いがあった(と俺だけ勝手に思っていた)ヤツと昨日は和解できて、
更にお互いの絆が深まり、
それ意外に、久々に英語を使いながらノア独特のユーモア満載の会話ができて、
本当に楽しかった。

ああいう感覚は、
それを再度経験しないと、
「ああ、俺、こういう感覚をミスしてたなあ」と分からない。

まるで昨日は、夜の10時から朝の5時までは、
またカリフォルニアに留学しているような、そんな感じだった。

(ヤツとはアメリカのジョークなどの話も沢山する。
また、それ以外にも、
母国語以外の言語を学ぶ事、それを使って話す事の楽しさ、
言語の歴史などから、
お互いの人生など、色々な話ができて楽しかった。
彼の良い所は、どんな話題であれ、
必ずそれに対して反応してくれ、それを深く掘り下げて話がして行けるところだと思う。
それが、めちゃくちゃ下らないジョークであろうと、
歴史の話であろうと、
哲学の話であろうと。)

*****

今朝は、神戸でRと会う。

彼と会ったのは、去年の2011年10月、東京駅にて以来。

その時は、俺はまだ転職活動を始めたばかりで、
随分と不安な時期ではあった。

その時はRも、自分の仕事に対して悩む所もあったみたいだけど、
今では、神戸支店に移動し、
そこで、毎日朝の8時から夜中の12時過ぎまで、
頭がショートするほど頭を使って、
仕事をしているそうな。


あいつと会って楽しい事は、
いつも彼は自分の限界を超えるところまでやりきっていて、
常に、自分の「限界」「器量」を広げ続けているところ。

俺が彼を尊敬する点は大きく分けて二つある。
一つは、人間関係の作り方がうまい。
野球部という団体行動の中で培った、
年齢、相手の性格関係なく、
誰とでもニュートラルな関係を作れるところ。
(言い換えると、相手によって自分の態度を変えることがないこと。)

二つ目は、知識。
彼は、今の仕事を通して、
色々な業種や業界に股がって仕事をしているわけだが、
それを通して、俺が持っていない多くの知識を持っている。

俺は結構、彼の話を聴いて、
そこから触発されて、
「もっとこうしよう」と思い、行動に移す事が多い。

そんなわけで、彼はいつも、
俺が伸ばしたい二つの要素、
つまり、「人間関係の構築」と「知識」の二つを鍛えていて、
俺よりも上を行っているので、
そこを、あいつには負けたくねえ、と思うというか、
良い意味でのライバルのように、見てしまう。

*****

ちょっと話は変わるが、
最終的には、
人と比べるのではなく、
「自分と比べてどうなのか。
闘う相手は自分」という状態が、
究極の状態。

彼はいつも、
「自分に負けない様に」
「一番の敵は、自分」
ということを言う。

誰か別の人になろうとしている人生は、
「自分になろうとする人生」と比べて、
はるかに基盤がなく、軸が通らない。

昨日ノアにも話したが、
俺が今までの人生で学んだことの一つは、
「誰かになろうとすることは意味が無く、
いかに、”より自分自身になれるか”が、
一番重要である」ということ。

*****

閑話休題。

そんなわけで、Rはいつも、
俺とは全く逆の状態、環境に身を置く事が多いので、
彼のその多様性から学ぶ事は非常に多い。

*****

ということで、
昨日と今日は、留学時代の親友であり、
かつ、深い話ができる二人と会えたので、
非常に楽しかった。



こういう感情は残しておきたいので書いた。
眠いのでもう寝る。

2012/6/24 23:20


******


追記:2012/6/30 17:11

先日の旅行から一週間が経った。
この新しい土地で基本一人で過ごすことが多い俺にとっては、
上に書いた二人と久々に会えて話せた事は凄く楽しかった。

特に、ノアとの会話は本当に楽しかったな。



上にも書いたけど、
あいつと会って、最初に行ったなんばの近くの小さな居酒屋で、
あいつに二つのことを伝えた。

一つは、上に書いた、俺が何か心に引っかかっていた気持ち。

それを話しているときは、俺も酒が入っているのもあったけど、
ちょっと涙ぐんで話していたら、
ノアも同じ様に涙ぐんでいた。


もう一つは、
ヤツが、基本的に、
"Man of good heart"ということ。

彼は、非常にバカなことばかりするし、
頭に来る事も多いが、
それでも、心は、非常に良いものを持っていて、
人間として、絶対にこいつは大丈夫、
という安心感というものがある。

それを俺は、彼に伝えたかった。
"You are the man with a good heart."と。

すると彼は、俺に言う。

「俺たちが最初に会った頃に、
COSの裏のBear Trailを散歩した時を覚えているかい?」と。

俺たちはキャシーのパーティーで知り合ってから、
たまにノアがグレハンのバスに乗って、
サクラメントからウィードまで来て、
その夜はタケの家に泊まったりしながら、
俺と一緒に遊んだりしていた。



ある日、多分あれは、
初めて一緒にベアトレイルを歩いた時だと思うけど、
その時に、俺は彼に一枚の手紙を書いた。

内容は正直よく覚えていないけれど、
「この2日間、楽しかったよ。
ノアに会えて、本当に嬉しいよ」的な感じの内容だと思う。


彼は、その手紙にえらく感動したらしく、
時たま、それから数年経っても、
その手紙のことを触れることがあった。


そして、この夜。
ノアはまた言っていた。

「あれから10年経つけど、
未だに、俺は落ち込んだ時に、
あの手紙を取り出して、読む事もある。
あの手紙を読むと、
少なくとも、この世の中に一人は、
俺の事を素晴らしい人間だと思ってくれた人がいると思えて、
勇気をもらえるんだ」と。


まあ、ノアは口がうまいので、
ちょっと尾ひれが付いているかもしれませんが、
少なくとも、俺にはとても嬉しいことだった。

*****

当時の俺たちは、本当にナイーヴで、
(世間知らずで、騙され易いくらい純粋、という、"naive"という言葉が、俺たちにはピッタリだった)
今思うと、二人とも、
本当に純粋な若者だったんだと思う。



精神年齢が低かったというのもあると思うが、
そういうわけで、
俺とノアは、何だか似ているところがあって、
(ナイーブという点で)
お互いにムカつきあっているところがあった。

*****

とにかく、先週の夜は、ノアと久々に会えて、長い間話せて、
本当に楽しかった。

時間を忘れて、好き放題、色々とバカをやって話をするというのは、
学生時代殆どしていないから、
しかも、ああやって英語で、アメリカの文化のヤツと話をするというのも、
今では中々ないから、
そういう意味でも、久々に学生時代に戻った様だった。


*****

俺たちのInternational student advisorのキャシーは、
俺たちに早くMt. Shastaに戻って、
リユニオンをしようと言ってくれている。

早く、それを叶えられると良い。


2012/6/30 17:24







June 03, 2012 08:39

2012/6/3 7:59am-


ここにも何度か書いているが、
今は、「留学をしている」という感覚が強い。

いずれ俺は、この土地を1年以内に去るのであり、
今は、テンポラリーでこの土地に滞在している、
という感覚。

よって、留学時代の心持ちに近い。





留学時代は、
常に、住む場所も変わるし、
学校も変わる、
また、進路も決まっておらず、
次はどうするのか、
どの学校に行くのか、
どの土地へ移動するのか、
何の仕事を将来選ぶのか、
という選択肢の中から、
常に、先を「選ぶ」という作業が続いていたので、
そういった意味でも、「安定していなかった」
状態である。



今はその点、
進路は、ある程度固まったので、
今の仕事でしっかりとキャリアを積んで行きながら、
自分自身、何が起こっても、
食って行ける人間として、
この世の中に存在していることが、
自分のミッションである。

キャリア、という観念において。

(プライベートでは、
妻と幸せな家庭を築き、
同時に、
子供を近いうちに持ち、
幸せな家庭生活を作って行く、
というのが目標。
それも安定しているので、
そこにもブレはない。)


*****


このように、
「進路、キャリア」
「プライベート」
という二点に置いては、
学生時代の時には、
どちらも確定していなかった為に、
毎日試行錯誤だったのに対して、
今は逆に安定している。


それとは反対に、
今、留学時代と同じことというのは、
初めに書いた様に、

「いずれ、この土地を去る」
ということが、分かっている、ということ。


*****


俺は、アメリカにいる頃は、
「いずれこの土地を必ず去るのだから、
今でしかできないこと。
アメリカでしかできないことを、
重点的にやろう」と、
いつも意識していた。



その結果が、
ただぼーっと過ごしているよりも、
より多くの友達を作り、
より多くの場所へ行き、
より多くのことを経験することへと、
繋がった。



*****


今も、似ている。

この土地には、少ししか滞在しないことから、
「今」しか出来ない事をしよう、という感覚が強い。


ただ、「より多くの土地へ」という意識は、
余りない。

場所は、はっきり言って、
誰か大切な人と行かない限り、
余り面白いものではないから。

(自分の場合は、それが妻である。)



それよりも、
今、一人でこの広い家に住み、
周りには何もなく、
山奥に籠っているような状態において、

「知識を付けよう」
という欲が、非常に高い。


*****


俺は今まで、
金融のこと、
経済のこと、
歴史のこと、
政治のこと、

そういったものに、
余り興味を覚えずに、
人生を生きて来た。


しかし今、
実際にお金を稼ぐ身となり、
また、
仕事を通して、
別の国の方と交渉をしたり、
または、
部署内での仕事をする上で、
上に挙げた知識の足りなさを、
感じている。


必要だから、勉強する。
それが、自分のスタイル。

*****


話が大分トピックとずれているが、
ここで書きたかった事は、


一体、人間というのは、
いつ、「属している」と感じるのか、
ということ。




俺は、今、「会社」という組織に属している。

よって、この「土地」に属しているという感じはないものの、
(この土地にはもちろん属しているが、あくまでも、
いずれこの土地を去るので、「一時的」という、
「仮」の感覚が強い。)

何かの「組織、グループ」に属している、
という安心感があるので、
そこは、精神的に安定している。

(また、その組織の居心地が良く、
その組織内で行う日々の活動が、
自分の生活、及び人生の目的に直結している、
ということが非常に大事。
それがないと、
例え何かの組織に属せようと、
決して、精神的安定感は生まれない。)



しかし、俺は、
上に書いた様に、
この「土地」に属している、
という感じは持たない。

これは、あくまでも一時的なものだから。


*****


しかしながら、
俺が前職において、
横浜に在住していたころ、

「組織」に対しての、
属する事により生まれる「精神的安定感」は、
ほんの一時しか感じられなかったが、
(それは、前職では一生キャリアをそこで積んで行く事ができない、
ということを、
ある時期から、感じたから。)

「土地」に対する「所属感」は、
少なからずあった。





しかし、その、
横浜の土地に対する「所属感」は、
なぜ、起こったのか?


それを、さっき考えていた。


決して、横浜のその土地は、
自然も多く無く、
居心地は、はっきり言って、
良くも無く、悪くもなく、
という感じだった。


その土地に、仕事以外の特定の友達がいたわけでもない。



ただ、今と違うのは、
「俺はいつか、ここを去る」
という感覚が、殆どなかったことだ。



決して、前職を一生続ける気がないことは、
分かっていた。

しかし、その横浜の土地を移って、
どこかへ移動する、
という実感も湧かなかった。


それは、今書きながら気づいたが、
きっと、
次の進路、
つまり、前職の後に、
一体、自分はどの道に進むのか、
が見えていなかったからなんだと思う。


人は、次のステップが決まっていない時に、
一歩を踏み出す程、勇気を必要とすることはないと思う。



しかし、今俺は、
次のステップが決まっている。

だから、安心して、
「この土地には、近いうちにおさらばだ」
という、安心感を、
感じるのだと思う。


*****


大分話がずれてきてしまったが、

そうやって、何かの「土地」や「組織」に属していない、
という「不安」を感じるとき、

それを紛らわす手段として、
人は色々なものに走る。

(本当は、その「不安」に向き合わなければ、
本当に自分の人生の問題は解決されないのだが、
それは非常にしんどい作業であり、
同時に、
毎日の仕事が辛かったりすると、
唯一、それができるプライベートの時間は、
ただの浪費活動に充てたくなってしまう。
しかし、それを続けることは、
本質の問題から目をそらしていることであるので、
一時的な「逃げ」により、
一時の満足感は得られようと、
心の奥底に眠る「不安感」は、
一生、付きまとって来る。)



その「不安」をかき消す手段として、
「テレビ」というものは、
非常に、有効な手段であると思う。


テレビを付けて、
その内容を見ているだけで、
例え自分は、山奥の誰もいないところに
一人で住んでいようとも、

テレビの中で起こることに、
意識を飛ばす事で、
まるで、「何か」に属している感が、
一気に生まれる。

そして有り難い事に、
テレビを見るに当たって、
「頭を使う」という行為は、必要とされない。





しかし同時に、
俺はテレビを見るということが嫌いなので、
テレビを見ない。

(番組の内容が気に入らない、
CMがうるさい、
そして、テレビによって、
自分の時間をコントロールされることが、
一番嫌い、などがある。)


そこで、何をするかというと、
パソコンでネットをするか、
(こうしてブログを書く、ニュースを見る、
Youtubeを見る、など)

映画を見るか、
本を読むか、
たまに、ギターを触るか、

それくらいしか、主にしない。



そして、今までは、
(つまり前職までは、)
キャリアも決まらず、
プライベートもフィックスしておらず、
その両方において、
「不安定」な状態があったわけだが、

今は、
キャリアに置いても、
プライベートに置いても、
完全に、フィックスしたので、

後は、
今得た、その二つを、
「いかに磨くか」
ということに、集中すればいいわけである。


(今までは、
「キャリア」「プライベート」という点において、
「新しい何かを、見つける」
という作業だったのに対して、
今は、
既に見つけた「それ」を、
じっくりと磨く事に、専念ができる。
ただ、自分の場合は、
プライベートにおいては、
自分の彼女という、
大事な人が、5年前から決まっていたので、
その点は、この5年間は一切心配がなかったけれど。)





そして、俺はきっと、
職人肌なので、
何か新しいものを見つける、
という、狩猟民族的な行為よりも、

既に見つけた武器を、
いかに、もっと切れる様に磨いて行くか、
もっと光るように、磨いて行くか、
という、ジックリした作業の方が、
性に合っているし、
好きなんだと思う。

(狩猟民族的なところは、
元々の俺の性格は、そうではないため、
それを出来ると嬉しい、という、
自己実現的な嬉しさを感じるために、
あえて自らを外に出して行く傾向はある。
しかし、心からそれを好きかというと、
それは違い、
本当は、
農耕民族の様に、
一つの畑を、
じっくりと耕して、
育てて行く事の方に、
より「安心感」を感じるのだと思う。)





そして、上に挙げた様に、
自分の心の中に、
本質的な問題が巣食うことにより生まれる
「不安感」を、取り除かずに、
または、
その「不安感」が、確実に存在するのに、
その存在を無視して、
一時的に、自分の趣味に走ることは、
例え、一時的な安心を覚えようとも、
本当の意味での、
心の「安定」は、
決して生み出さない。




しかし今の俺は、
今までと違い、
自分の人生で重要な二点、
「キャリア」
「プライベート」
の両方が、固まった。


(今までは、
それ(この5年間は「キャリア」)を「探す」作業が必要であり、
それが分からないことが、
心に巣食う、一番の「不安定感」だった。

そして、その答えを見つける為に、
試行錯誤して、悩んでいた。
しかし今は、それが解決された。
つまり、自分の心の奥の「不安」「迷い」が、
無くなった。)






だからこそ、今の俺は、
精神的に、本当に、
「安定」しているのだと思う。


つまり、今までは、
"I don' know what I'm doing"状態に対し、
今は、
"I know what I'm doing"状態。



*****




これは、今の仕事に就けた、
ということも大きいし、
しかしそれ以上に、
自分の妻のおかげ、
というところが大きいと思う。

彼女が、
俺をずっと励ましてくれてきたので、
今自分がいる状態に、
自分が辿り着けた、という感が、
非常に大きい。

なので、妻には非常に感謝している。


*****


同時に、
そもそも、
俺を、高校を出た後に留学させてくれた両親にも、
心から感謝をしている。

自分の両親が、
留学を承諾してくれなかったら、

そして、
バカ高い留学費用を
払ってくれなかったら、
俺は、留学なんて、
することができなかった。



それは、
留学を終えて、
今、
周りに留学をした人が殆どいない状態に陥り、
そこで、
「留学ができることは、
非常に特別な事だ」
ということを、
様々な人の言葉により、
しみじみと感じることからも、

改めて、
感じさせられる。

自分の両親に、
いかに、良い思いをさせてもらったのかを。



*****


だから俺は、
しっかりと稼いで、
自分の妻を幸せにし、
将来自分の子供が、
「留学をしたい」と言うのならば、
必ずさせてあげたいと思う。


そのためには、
今の時代、
いつ、自分の会社が潰れたり、
または、
自分の業界が危うくなるかも分からないので、
そのためにも、
自分自身を、
「会社に属する一人の人間」
として見なすのではなく、
「この社会で、どこでも生きて行ける、
一人の仕事人」
として、見なす事が、大事なわけであって。



そのために今俺は、
自分に足りない知識を増やし、
より、「仕事人」として、
自分のレベルを上げられる様に、
自らを、磨いている。



*****


以上、書きながら、
自己完結。

I needed to let all go and clear up my head.

2012/6/3 8:35am





PS.

あとは、ただ単純に、
「より良い人間になりたい」
「より、賢い人間になりたい」
「もっと、自分が自らを誇れる人間になりたい」
という欲が、強いだけ。


俺が自分を磨く理由は、
それが、究極の趣味だし、
それが、一番面白いから。
人生において。


以上。












May 21, 2012 21:28

2012/5/19 (土)

この日、遂に彼女と入籍しました。

朝は、ゆっくり起きて、
朝ご飯兼昼ご飯を食べ、
ここから歩いて20分ほどの所にある、
市役所に、籍を入れに行きました。

籍を入れたのは、丁度2時50分頃。
土曜日なので、市役所の表玄関は閉まっていましたが、
脇にある非常用玄関から入り、書類を提出しました。



まだ式を挙げていないので、
そして、式は来年を予定していることもあり、

また、彼女とは今はまだ一緒に住めないことから、
正直、
「結婚をした」という実感が、
あまり湧かない、というのが本音です。

彼女と一緒に住み出したら、
きっと、ああ、俺たちは結婚したんだな、
と、しみじみと感じることと思います。


でも、籍を入れた一昨日と、昨日一日は、
彼女と本当にゆっくりと過ごせました。

彼女は俺の住むこの場所まで、
はるばる片道8時間くらいかけて、
電車と長距離バスと飛行機を乗り継いで来てくれましたが、
結局、近くの観光は一切せず、
二人で、いろいろと話をしながら、
料理を作ったり、スーパーに買い物に行くくらいで、
後は、ずっと家にいました。


でも、こういう時間が、とても貴重で、
とても幸せでした。

ロングビーチに一緒に住んでいた、
5年前を思い出しました。



*****


今回、結婚をして、
家族も喜んでくれたり、
友達も喜んでくれたりして、
とても嬉しいですが、
何より一番嬉しいのは、
彼女が、本当に幸せそうにしていることです。



彼女と出会ったのは、約5年と半年前。
それから、5年前の、2007年5月16日から、
ずーっと、付き合って来ました。



前の日記にも書きましたが、
彼女が俺と別れた方がいいのかな、
と思ったことも、沢山あったみたいです。


しかし、それでも、
俺が進路的に不安定な時期でも、
俺が非常に未熟で、ひどい事を言って、
彼女を泣かせたりしていた時期も、
彼女は、ずっと一緒にいてくれました。


今俺は、一人で仕事の関係で、
遠いところに一人で来ていて、
ここで仕事をしているから、まだ気は楽ですが、
辛いのは彼女だと思います。

結婚をしたのに、
それでも、一年近くも、
遠くに住んでいて、
しかも、交通の便が悪いので、
3ヶ月に一回くらいしか会えないというのも、
彼女にとっては、本当に辛いと思います。



今回も、色々と話をしましたが、
やっぱり、彼女も凄く寂しいみたいです。

だからこそ、俺も、
今はしっかりと働いて、
来年、関東に戻れる様になったら、
彼女と一緒に住み出した時に、
しっかりと、良い生活が出来る様に、
今を、頑張らなければ、と思います。

*****


俺は、彼女が嬉しそうにしているとき、
彼女が、幸せそうにしているとき、
俺も、すごく嬉しくなります。

彼女が、これからも嬉しそうに、
幸せそうに暮らして行ける様に、
俺が、努力して行きたいと思います。


*****

今の思い。

2012/5/21 21:28








May 16, 2012 21:30



2012/5/16 21:27


昨日で、彼女と付き合い出して、
丁度5年が経ちました。

今日から、6年目です。

今から3日後、
5月19日には、入籍予定です。




5年。

長い年月です。

自分の年齢の、約5分の1を占めます。

18歳で高校を出てからは、
その10年の期間の内、
半分を、彼女と過ごした事になります。


長い年月です。


*****


彼女には、今まで、本当に助けてもらって来ました。

自分の人生の、数多くの、
深い部分を、一緒に過ごした女性です。





明後日の夜、ここに来てくれて、
次の日に、市役所に婚姻届を届けに行きます。




*****



今は、そわそわしています。



うまい言葉が出て来ませんが、
とにかく、

彼女を幸せにしようと思います。



2012/5/16 21:30




May 08, 2012 23:34

IMG_4557



今日あった嬉しいこと。


*****



仕事が終わって、家に帰って来ると、
ケータイがバッグの中で鳴っている。

見ると、なんと着信が7回以上残っている。。。

全部同期の三人からで、3回残っていたボイスメッセージは全て空。

そのまま一人にかけ直すと、
「今どこですか?」
「家です」
「ちょっと緊急の用件なので、今から家の前に行きますから、
家の外に出て来て下さい」と。

何ごとかと思ったので
「何かあったんですか?」と聞く。

「いや、行けば分かるんで、
とにかく行きます」
「え、何か事件ですか?」
「ええ、そんなもんです」

何で内容を言わへんねん、と、
ちょっと不審に思いながら、
何だろう?と想像を廻らす。

まあ、きっと同期の3人からの着信があったということは、
どっかに急遽食べに行こうとか、
そんなもんかな?と思った。


*****


既に脱いでいたズボンをまた履いて、
靴下も履いて、
下に降りると、
ちょうど三人が車で並んで現れ、
3台の車が、家の前に停まる。



一番前に停めたTさんに、
「どうしたんですか?」と聞くと、
「いや」と行って、後ろを指差す。

見ると、後ろにはFさんと、Sさん。

みんなやけに顔が暗いので、
もしかして、誰か事故に合ったのかと思い、
「え、本当にどうしたんですか?」と聞くと、
そこでFさんが、車から何か取り出す。


そして、「おめでとうございます」と。

見ると、手には、
大きな日本酒の一升瓶が二本。

そこには「同期一同」の文字が。


一瞬、混乱しました。

「え?え?
もしかして、僕にですか?」


そこで、みんな笑顔になって、
「ご結婚、おめでとうございます」と。


いやあ、もう嬉し過ぎて、
ワケが分かりませんでした。


まだ入籍は少しだけ先ですが、
先に皆さん、お祝いをしてくれました。

まさか、ちっとも期待していなかったし、
そんなことが起こるとは、
全く予想もしていなかったので、
本当に、ビックリしました。



「いやあ、◯◯さん、
中々風呂から出て来ないから、
また誰かおっちゃんと話し込んでるんちゃうか?
って言うてたんですよ!」

(俺たちは仕事が終わった後、会社の風呂に入るが、
今日は、たまたま俺が入るのが遅くて、
どうやらその3人は、風呂場で今日あって、
こうすることを、決めたそうな。)


で、会社の真ん前に酒屋があって、
そこでその酒を購入して、
俺が出てくるのを待っていたけれど、
全然来ないから、どうしたことかと、
思っていたそうな。

俺は、それに気づかず、
さらーっと、チャリで脇を通って、
帰って来てしまったそうです。


*****


しかし、本当に良い同期を持ったものです。

人生始まって、
「同期」というものを初めて持ち、
その存在にも感謝をしていますが、
まさか、こんなことまでしてくれるとは
思いもしませんでした。

本当に、本当に嬉しかったです。



******


会社も本当に良い所だし、
幸せです。

皆さん、今日は本当にありがとう。

明日からも、頑張ります。
そして、良い家庭を築きたいと思います。



本当に嬉しい瞬間でした。



2012/5/8 23:33





May 06, 2012 07:36

2012/5/6.  7:25-


あとは、さっき書き忘れたけど、
親への感謝の気持ちは、
なるべく、声に出して、
直接、伝えた方が良いと思う。




今、長友選手の、
「日本男児」を途中まで読んでいるが、
彼は、高校に入るまで、
また、高校に在学中の至る段階で、
母親に、「ありがとう。母ちゃんに感謝をしている」という言葉を、メールや手紙で伝えている。




中々、中学の頃から、
きちんと母親、または父親に、
「ありがとう」という言葉を面と向かって伝えることはできないと思う。


彼の場合、母親と父親が別れて、母親だけの家庭で育ったのもあり、
余計、「自立をしなければ」という気持ちも、若い頃から多かったとは思うが、

それでも、彼のその熱すぎるくらいダイレクトな姿勢をみると、
その時は目を背けたくなるけれど、
後で、
ジワジワと自分の心に効いてくる。



、、、、、


昨日の一日は、
俺の人生の大事な節目の一つだったこともあるが、
やはり、これからは、
親と直接過ごす時間は、
確実に減って行くと思う。



だからこそ、
後で後悔しないように、
感謝の気持ちは、
なるべく、直接伝えなければいけない。


2012/5/6.    7:32am







2012/5/6.  7:01am-

今、成田から自宅に戻るところ。



昨日は、本当によかった。

彼女はすごく幸せそうだったし、
それ以上に、
彼女のご両親も、
うちの両親も、
みんな、幸せそうだった。



親父も、「うまく行ってよかったな」と。


昨日思った。
結婚とは、
当の本人たちが幸せになるってのもあるけれど、
それ以上に、
親も、幸せになるもんなんだな、と。

親からしたら、
安心するんだと思う。

特に、
俺みたく、男側が結婚する場合よりも、
女性側が、自分の大事な娘が、結婚する場合は、
安心、という気持ちと同時に、
複雑な気持ちも多いと思う。






昨日は、
後日入籍をする時のために、
食事の場で、
両方の父親に、
保証人としてサインを書いて頂いたが、
その際にも、彼女のお父さん、
そしてお母さんは、
やはり、寂しそうだった。



自分の大事に育てて来た娘が、
誰か別の男の元に行ってしまうわけだから。



それを考えると、
そして、昨日の彼女のご両親の寂しそうな顔を思い浮かべると、
本当に、彼女を幸せにしてあげなければいけないな、と思う。



しっかり働いて、俺が稼ぐのは元より、
幸せな家庭が築けるように、

彼女が、「幸せ」と感じる日常を過ごせるように、
俺が、努力しなけりゃならない。




、、、、、




 男は、
結婚して、
子供を持つと、大人になると言うが、
そして、俺もまだ随分と子ども子どもしているところが多いが、

これから、自分自身も、
変わっていく気がする。



、、、、、


Such a new feeling I've never had in my life.


2012/5/6.   7:12







May 05, 2012 19:30

2012/5/5 19:17-

今日は、彼女のご両親と、
うちの両親を交えての、計6人にて、
食事会を行いました。

正式な婚約の食事会です。


12時半から、
成田の参道にある和食のお店で、
会食を行いました。


12時半前に俺たち一家は店に着き、
彼女の家族を迎えました。

そこで、正式な挨拶、
及び、婚約指輪の贈呈を行いました。

緊張しました。
緊張しすぎて声は低くなりまくるし、
(俺は緊張すると声が極端に低くなる傾向がある)
汗をかきまくりでした。

どんな会社の面接よりも緊張したぜ。

*****

その後は、
和の食事を、
4時近くまで、堪能しました。



うちの両親と、彼女のご両親が顔を合わせるのは、
ちょうど5年前の5月、
俺たちの卒業式の時以来です。

そのときは、お互い付き合いだしてまだ間もなく、
お互いの両親にも、きちんと「お付き合いしています」
の様な報告はしていなかったので、
今回が実質、正式な初の顔合わせとなります。


*****


最初は俺が緊張していたせいか、
周りの皆さんも緊張されていたようですが、
次第にお酒が入ると、
彼女のお父さんも、うちの父親も、
お互いに饒舌になり、
二人で、歴史の話題で盛り上がっていました。

彼女も率先して話題を出して、
その場を盛り上げてくれたおかげで、
皆さん楽しく過ごされたようです。
本当に良かった。

*****


最後は、彼女のご家族は、
成田山を参拝して行かれるということで、
店の前で別れました。


*****


今日の様に、
自分の両親が正装をして、
自分も正装をして、
どこかに挑む、というのは、
考えてみたら、
小学校の卒業式以来くらい、
の様な気がします。





やはり、
気が引き締まるものです。

この様にすると。


*****

今日は、5月5日、こどもの日。

天気も素晴らしく良く晴れて、
気温は28度ほど。

湿度もそこまで高くなく、
風もそよかぜくらいが吹いて、
とても良い天候でした。



その様な日に、
こうして、正式にお互いの家族に挨拶ができて、
嬉しく思います。



*****


これからは、自分の人生は一人じゃありません。

家族ができます。


責任も、自分のお嫁さん、
そして、将来生まれる子供たちと、
自分以外の人間を守って行く責任が生まれますが、
その分、もっと頑張ろうと思えます。




先日会社の先輩と話をしていた際に、
その方は、
「子供が生まれるっていうのは、
『親』と『子』って感じよりも、
なんか、自分の分身というか、
『仲間』が増えるようなもんや」
と言っていました。




結婚は、「冒険である」と言います。

奥さんができて、
子供ができることは、
自分にとって、
自分の人生という『冒険』を、
一緒に、探検していく仲間ができるようなもの。




俺と彼女は、
出会った頃から、
『探検隊』といって、
よくアメリカの色んなところを回っていましたが、

そんな感じで、
これからも、
良い『探検隊』を築いて行きたいと思います。


*****



以上、
日中の緊張がほどけて、
ちょっとフラフラしている、
夜のひと時より。



2012/5/5 19:30





May 04, 2012 09:45

2012/5/4 9:38〜

アメリカから帰って来てから、
先日の5/1でちょうど四年が経った。


この四年は、
すごく充実して、長かったようにも感じるし、
ある意味、あっという間だった気もする。


留学をしていた六年間は、
ほぼ二年に一回は
住む場所を変えていた、っていうのもあるのかもしれないけれど、

または、18歳から24歳の六年間という、
自分の人格を形作る時期を、
そこで過ごしたのもあるのかもしれないけれど、

俺の、「人間」、
というものでみると、
思いっきり、最初と最後では変わりがあった六年間だった。


、、、、



この四年間は、
日本での社会人として、

または、
「会社」で働くものとして、

自分を変化させて来た、

そんな感じがする。


、、、



これから、彼女に一ヶ月ぶり以上に会いに行く。


五月の初頭、

気温と湿度がちょうどいい、
ある朝の心情。



2012/5/4. 9:45am





April 28, 2012 21:46


2012/4/28 21:29〜


今日は晩ご飯をパスタとピザ、ワインにした。
今日読んでいた本の設定が、イタリアンレストランの再編成の話であり、
それから無性に、ピザとパスタが食べたかったので。

*****

一人でノラジョーンズの"Come away with me"を聴きながら、
食べていて、ふと思った。

俺って、
去年の10月から、今年の1月の終わりまで、
凄く、精神的に不安だったよなあ、と。

当時は、次の仕事も決まっておらず、
見切りを付けて前の会社を辞めてしまったのもあり、
次に、本当に自分が心からやりたい仕事が見つかるかどうか、
そんな仕事や会社が見つかっても、
そこに果たして入れるのかどうか、
それが非常に不安だったと思う。



ただ、そういう「不安」は、
言葉にしてしまうと、
自分がその不安を持っている事を意識してしまい、
余計恐くなりそうだったので、
恐らく、無意識的に、
その「不安」という漠然な概念を、
心の中で感じつつも、
それを感じない様に、
ひたすら、もがいていたんだと思う。

*****

以前にもここに書いたが、
転職活動中に、一番恐いのは、
「先が見えないこと」だった。


俺が今行っている方法、及び行動は、
果たして、合っているのかどうか。

その計画と行動の先には、
果たして、俺が望む結果が待ち伏せているのか。


それとも、その計画と行動は、
俺が望む未来に、道が繋がっていないのではないか。


それが分からない事が、
一番不安だった。

要するに、
目をつぶって、
暗闇の中を、
ゴールの方向すら分からないまま、
ただひたすら、
歩いて行くしか無い様なものだった。


唯一、
「努力すれば、必ず結果は報われる」
「諦めなければ、必ずいつか成功する」
という事だけを希望に。


*****

なので、
精神的には、
随分と彼女に助けられたと思う。


夜になって、
毎晩、何回彼女に電話で励まされたか。

何時間も、
話をしてもらって、
励ましてくれた。


恐らく、10月の後半までは、
まずは、どうしたら良いのか分からず、
それに対して不安だったし、

12月の終わりで、
「この会社なら行ってもいい」
と思えた会社に、初めて見送りをくらった際には、
マジで絶望しそうになった。
(一晩だけだったけれど。)


また、
「仕事がない」というのは、
社会的に見ても肩身の狭いものだし、
国が運営している「ハ」の所に行っても、
何故か、劣等感を感じるし、
社会的に、自尊心が奪われて行く様な感じがあったことは、
否めなかった。

*****

何を書こうとしているかと言うと、

人間は、
環境が変わったり、
自分の立場が変わると、
すぐにその変化に慣れて、
前の状態や、前の心情を、
忘れてしまう、ということ。




あんなに、
5ヶ月近く、不安な日々を送ったのに、
今では、
毎日の仕事に対して、
会社の環境に対して、
新しい生活環境に対して、
新しい人間関係に対して、
非常に満足し、
「何て自分は恵まれているんだ。幸せだなあ」
と、しみじみと感じる日々になっている。


そして、
その「幸せ」という感覚も、
この生活が始まって一ヶ月経ち、
その新鮮な気持ちも、
徐々に、薄くなっている事も事実。

要するに、
既に慣れ出している。
この環境と、
この状況に。

*****

そんな中、
さっき、一人でノラジョーンズを聴きながら、
ワインを飲んで、
ふと、思ったわけ。


「そういえば、
俺は去年の年末頃、
毎日、朝起きて活動をして、
午後にはジョギングをして、
夕方にはシャワーに入って、
その後一人でご飯を食べながら、
テーブルの前に置いてあるマックの黒い画面に映った自分の顔を見て、
『俺はこんなんで良いのか』と、
情けなく思ってたよな。
すげえ不安だったよな」
と。



あの時の不安な気持ちというか、
認めたく無いけれど、
心の奥底に確かに眠っている、
果てしない不安というか、
その感覚は、
今思い出しても、
非常に嫌な気持ちになる。


それだけ、嫌だったんだろうな、
あの状態が。

(だから、俺が以前に住んでいた横浜のあの地域には、
結果、丁度三年住んで、
そこでは楽しい思い出も沢山あったにも関わらず、
最後に非常に不安な日々を一人でそこで送ったため、
今、その地域の事を思い出すと、
非常に心が重くなる。)


*****


なので、
今は、こうして自分が「幸せ」という状態に入ってしまい、
それに一ヶ月染まって、
それ自体も、「普通」になり出した所で、
ふと、
「そういえば、
これは、当たり前じゃねえんだ。
現に、数ヶ月前までは、
俺は全然違う環境で、
違う精神状態だったんだ」と、
客観的になって気づいた、という感じだった。

*****


俺はまだ、今の会社に移って、
研修をさせてもらっている状態だし、
何も「仕事」はしていない訳だが、
とにかく、
今与えられている環境に感謝をして、
奢り高ぶることなく、
人への感謝の気持ちを忘れる事無く、
周りの見えない、調子にのった野郎にならない様に、
今の自分の環境への感謝の心を忘れず、
自分を戒めて、
やって行きたいと思う。



*****

2012/4/28の心情。


21:46






April 05, 2012 23:25

2012/4/5 22:56-

さて、昨日は夜の10時に寝たので、
今日は一日、快適でした。
やっぱり、身体が資本であり、
その身体を整えるのに、睡眠は大事ですね。

*****

今日は、一日中、安全衛生の研修だった。
朝の9時から夕方の4時半まで、
ずーっと、外からお招きしたコンサルタントの方のお話だった。
ああいう所にもお金を使ってもらって、
もう、感謝ですね。会社に。

*****

17時過ぎに会社を出た後は、
歩いて、駅の向こう側にある、
図書館へ行った。
この図書館の存在は、
昨日、郵便局の位置を調べている時点で気づいた。

この町には、前にも書いた様に
大きな本屋が無く、それが唯一の悩みだったけれど、
今日、その図書館に行って、
僕のこの町に対する評価は、大きく180度変わりました。

*****

自分にとって、「図書館」というものは、
非常に大きな存在意義を持つ。
自分の人生に置いて。

自分の住んでいる近くに、
大きくて、本が沢山置いてある図書館があるかどうかで、
その人生には、大きな差が出て来る。

そして、俺の地元の成田には、
その充実した図書館があったわけだけれど、
そこの図書館ほど、
品揃えが豊富で、充実した図書館は余り見た事がなかったので、
やはり、「成田はいいよな」となっていた。

*****

しかし!
今日、この町にある、その図書館に足を踏み入れて、
僕は、ショックを受けましたよ。

まず、そのカッコいい入り口。
円形になった自動ドアが、
二重になっていて、
玄関は、ちょうど丸い空間を一度通り過ぎるようになっている。

そこを入ると、広がる大きな天井。

そして、その開放感ある受付のあるスペース。


そこには、最新の雑誌や新刊本が、
まるでセンスの良い書店にように、
飾ってある。

そして、雑誌の種類も豊富で、
過去のバックナンバーは、いくらでも取り寄せが可能だとか。

そこには、日経シリーズも殆ど揃って、
「日経マネー」なんてのまであった。

新聞も全種類が揃い、
過去3ヶ月分は、必ずそこにストックしてあるらしい。

そして、肝心なハードカバーや文庫本も、
かなりの数が揃えてあった。

俺の好きな村上春樹のハードカバーも、全部揃っていたし、
他にも、日本の作家から海外の作家まで、
一通り揃えてある。

美術関係の本も在庫が多く、
各巨匠の大きな作品集もあった。


それに、経済や金融、歴史、文化など、
様々なジャンルの本も多々揃えてある。

そして、そこに無い本は、
リクエストすれば、必ず近辺から取り寄せるか、
購入してくれるとのこと。

(一度に5冊までリクエスト可能なので、
早速、5冊もリクエストしてきてしまった。
この図々しさ。)


そして、二階にも、空間は広がるんだけれど、
二階は主に、PCや、勉強室と銘打たれた、
広い教室があった。



しかしですね、
本の内容も大事ですが、
何より感動したのは、
この図書館の建築ね。

木を基調に、
天井が非常に高く、
円形に設計されたこの図書館には、
本当に、気持ちの良いスペースが設計されている。


そして、壁には、
いくつもの木でできた勉強机があり、
そこで本を読むもよし、
勉強するもよし。

今日は、学生が6人くらい勉強してたけど、
なんと、勉強することを考慮して、
消しゴムのかすを払うハケまで設置してある。


そして、円形のイスがあったり、
大きなソファがあったり、
二人で向かい合って座れる、丸机を囲んだイスがあったりと、
とにかく、
「居心地の良い空間」だった。


もちろん子供用の大きな本読み場もあるし、
子供用のスペースも、大きく取られてある。

二階にあるテラスは、
春から夏にかけては、開け放つそうな。
(この地域は、夏になっても湿度が低いので、
殆ど暑くならないらしい。
だから、エアコンはいらないとか。)

*****

更には、ブランケットの貸し出しもあるし、
トイレは非常に綺麗だし、
もう、文句ないっすね。

受付のお姉さんは丁寧で親切だし、
本を借りた後に、全員に、
「ありがとうございました」と声をかけているし、
もう、本当に文句の付けどころがありませんでした。




しかし、一番凄いのは、
「人がいないこと」だよね。


こんなに良い図書館なのに、
殆ど、人がいない。

今日俺が行った際にも、
多分、全部で合わせて10名もいなかった。

そして、空間が広いから、
かなり、自分で独り占め感があるんですよ。

これ、大事ですね。

*****

基本的には、この町には人口が少ないので、
そして、土地がかなり広いので、
外を歩いても、殆ど人を見かけない。

まあ、みんな車に乗っているんですが。


なので、まるで、
この町に俺くらいしか住んでいないんじゃないか、
と、そんな錯覚に陥ってしまうくらいなんです。

(もちろん、スーパーとかに行くと、
人はちらほらいますが。)


俺はもともと、人が沢山いる場所が好きじゃないので、
東京とかは、やっぱり嫌い。
横浜も、人が凄く多いから、
良いけれど、どうも、
「落ち着く」という感じはなかった。


地元の成田に帰ると落ち着くのは、
人が少ないから。

それでも、最近は成田も、
人口がどんどん増えて来て、
車の交通量も増えて来て、
なんか、騒々しくなってきてしまった。



そんな中で、この町は、
まるで、時代と逆行するかのように、
人がいないんですなあ。

そして、みんな親切で、
落ち着いているから、
人がいないけれど、
全然物騒じゃないんですなあ。

白壁作りの町並みも綺麗だし、
昔ながらの畳屋とか、料亭とか、
日本絵画の店とか、
なんだか色々とあるし、

非常に、「和」な町です。

*****

ということで、
今日、図書館の帰り道、
「いやあ、本当に良い所に来たなあ。
仕事も良いし、会社も良いし、
図書館も良いし、町も良いし、
神様はいるんだなあ。
Life ain't ever been better than it is now」と、
ブツブツ言いながら、帰って来ました。


(後でそれを彼女に話すと、
「ねー、言ったでしょ」と。

そう、彼女は、俺が就職先で悩んでいる時にも、
きっとこの会社を選んだら、
またまるでWeed時代に戻った様になるよ、
それに、あなたは人が多い所が嫌いでしょ、
だから、きっとそれも合うよ、と、
色々と見越して、俺にこの町が合うであろう事を
言っていてくれていたのでした。

でも俺は、基本的に、
自分が経験をするまでは、
実感が湧かないので、それまでは、
その言葉に対する納得感も持てないタイプなので、
「そうかなあ」と流していたようです。

で、後になって、
「ねえ!ここめっちゃ良いよ!」
と彼女に言うと、
「ねー、言ったでしょ」と、
いつも言われる訳です。)

*****

以上、幸せな人間の報告でした。

東京オフィスの先輩方は、
「あそこで車がないと、マジでヤバいよ」
と言われましたが、
全然そんなことなさそうです。

俺にはあの図書館があるので、
休みの度に、そこへ通い詰めようと思います。

2012/4/5 23:35







April 02, 2012 22:03

4499058-Weed_Siskiyou_County_California_Weed


2012/4/2 22:00〜

さて、新しい生活が昨日より始まりました。
詳細を忘れる前に、
ここに書いておきます。

*****

まず、昨日、ここの新しい土地へ着きました。
地名は記しませんが、西日本の山奥です。
もう本当に山奥です。

昨日は朝の6時8分の電車に乗り、
ここへは12時半過ぎに着きました。
実に、成田から6時間半です。

引っ越しのトラックも、夕方の3時過ぎに着き、
引っ越しも全て終わったのは夕方の6時頃。

仕事は今日から開始だったので、
まだ段ボールが家の中に散らばっています。

*****

ここは、留学一年目の土地、
Siskiyou Countyを思い出します。
俺がいた、WeedやMt.Shastaの町にそっくり。
店がまあ、全く無い訳ではないので、
雰囲気的にはマウントシャスタですが、
完全に、あの土地の生活に戻った感じです。

家から歩いて3分以内で、会社に着きます。
更に反対側に歩いて3分で、ホームセンター。
町のホームセンターで、超ちっちゃいです。
ウィードとかにあった店の雰囲気とおんなじ感じです。

会社の近くにはスーパーもあるので、
そして、俺は車が無いので、
何とか、暮らして行けます。

東京の支店に先日まで3週間弱勤めましたが、
その際に、俺が車を持っていない事を言うと、
「マジで死ぬよ」と言われました。
それほど、車が無いと、どこにも行けない所です。

昨日初めて会った大家さんは、
とてもいい人でした。
大家さんのいる不動産屋に駅から15分ほど歩いて行くと、
「どうやってここまでいらしたんですか?」
「歩いて来ました」
「ええ、それなら、車で迎えに行けばよかったですね」

そんなことを言って下さるほど、
とても親切な方でした。

近くの家(この家)まで車で送ってくれる途中、
俺が車が無いことを言うと、
スーパーとホームセンターへの行き方も教えてくれました。
「ホームセンターは、このすぐ裏なんですが、車だと回って行かなきゃいけないので、回りますが、歩いて行く際には、そこの道を行けば大丈夫です」
その道は、用水路の横にある、小さな道。
そこまで教えてくれました。


そんな大家さんも、
「車がないと、どこにも行けないので不便ですよ。
せめて、レンタカーをなさったら」
と心配してくれました。

この周りには温泉が沢山あるみたいなので、
休日を使って、最初はバスなどを使って行ってみたいですね。

*****

家の窓からは、向こう側に、綺麗な山脈が見えます。
山にはまだ雪が沢山積もっています。
昨日も、雪がちらちらと降っていました。
今朝の明け方は、寒過ぎて目が覚めるくらいです。


今朝は、8時から新入社員の歓迎式。
今年は8名の新入社員に加えて、
俺ともう一人の中途の方が、
一緒に研修に参加します。

8名の内、5名が高校卒の18歳。
そして3名が、大学院卒の24歳〜25歳。

今朝の入社式は、
食堂を模様替して、
そこで行いました。

正面の壁には、
中学の卒業式以来見たことのなかった、
赤と白の日本の伝統の壁掛け。

そして、正面には日の丸とここの会社の紋章。

超、日本的会社です。


朝は、司会の声に合わせて、
起立、礼、着席、など。
ああいう雰囲気は、高校以来です。


朝会議室に集まった際に、人事の方から、
「今日は、私が名前を呼びますから、
起立をして、後ろを振り返り、軽くお辞儀をして下さい。
その後、私からの紹介が終わったら、
お辞儀をして、『宜しくお願いします』と言って下さい」
と説明が入りました。

見ると、彼の持つバインダーの上には、
今日の段取りが書かれた紙が。
そこには、10人全員分の名前と、

◯◯ ◯◯(名前)(起立)→「はい、よろしくおねがいします」→(着席)

みたいなことが10人分書かれています。
それを見て、「こういう事に時間をかけて、書類を作ったりするんだな」
と、驚きました。

*****

今朝はその入社式で、
社長から新入社員一同への喜びの挨拶が在った後、
次は、新入社員代表より、
答辞がありました。

彼は、席を立ち、
斜め方向にお辞儀をしてから歩き出して、
もう一度、壇上の前でお辞儀をして、
胸から下書きを取り出し、
それを読み上げました。

内容は、形式に則った、
全くアンオリジナルの文章でした。
しかも、凄く真面目な事を言っているのに、
「最後に、随分と生意気な事を申し上げましたが、
まだまだ右も左も分からない私たちが、
多々なるご迷惑をおかけするかと思いますが、
宜しくご指導のほど、お願い致します。」
と締めました。

それを聞いた時に、
「え?生意気な事言ってたっけ?言って無いじゃん?」
と、むしろ、
それを生意気と表現したその事に驚きました。

超日本主義です。

*****

思えば、自分も、小学生や中学生の頃は、
ああいう、答辞とか、送辞を読まされたものです。

あれって、大抵、
真面目で、成績はそれなりに優秀で、
本番でヘマをしなさそうな、落ち着いた子が選ばれるんだよね。

昔はそんな人間で、
そういう文化に何も違和感を感じなかった自分も、
留学をして別の国へ行き、
ある意味日本とは全く正反対のアメリカという国で6年を過ごし、
その後も、一社目はアメリカ資本の外資、
二社目も日系ではあるが、中身は完全に外資のベンチャーで、
3年を過ごした中で、
そういう、「超・日本社会」に対して触れる機会が、
相当、無くなっていた様です。

それを、今朝の入社式に参加して思いました。

「ああ、日本人ていうのは、
元々、小学校に入ってから、高校、
そして、大学を出るまでは、ずーっと、
組織の中に所属して、
そこで、しきたりを学び、
それに適応するように躾けられ、
その後、そのままストレートで休みも無く、
次は会社に入り、
そこでも、学生の頃と同じ様に、
”入社式”などに参加をして、挨拶をして、
そうやって、次の新しい組織に慣れさせられて行くんだな」
と。




社会人なりたての頃の自分に関しては(約3年半前)、
そういうものに、嫌悪感を示した訳ですが、
今となっては、別の会社で経験も積み、
もう、腰を据えようという思いでいるし、
後は、一番大きな理由は、
別の、全く異なる外資やベンチャーの環境、文化で過ごして来たので、
今日のような、こういう、
「超日本的」な雰囲気を、
ある意味、他の企業と比べながら客観的に見ることができて、
面白いと思うし、
同時に、「こういうのって、日本独特の良さなんだなあ」
と、それに対する理解と感謝の念が、深まったのかもしれません。

*****


さて、ということで、
今日は、一日中研修で、
一つの部屋の中で、講義を受けて過ごしました。

この講義式の研修は、
約1週間半続きます。

今日の監査役からの話は面白かったな。
やはり、どの会社でも、
監査をする方の話というのは、
引き付けられるものがありますね。


それから、もう一つ驚いたのは、
昼に、「給食」が配布されること。

給食と聞いて驚きましたが、
まあ、ただの弁当です。

しかし、その弁当は、
近くの弁当屋から配送されるのか、
ご飯とおかずは、それぞれ別の容器に入り、
完全に、「◯◯弁当」と書かれた、
まるでお母さんの手作りの様です。

食堂に、昼になると、
本社にいる全社員がぞろぞろと集って、
湯のみにお茶を入れて、
そこで、黙々と弁当を食べます。

新入社員の席は、
既に決められていて、
テーブルの上に、「新入社員専用」と紙が貼られています。
そういうのが、凄く面白いです。


朝は8時出社、
夕方は5時までですが、
午前中に一回、
午後に一回、それぞれ15分ずつの休憩が入ります。
前職で、朝から深夜まで、
「休憩」というものの存在がなかった自分にとっては、
天国のような話です。



図書室が存在し、
食堂にも本が何冊か置いてありますが、
理事会に頼むと、
本を購入してくれるそうです。

人事の方に、「リクエストの上限はありますか?」
と聞いたら、
「いや、誰もリクエストをしているのを見た事がないので、
きっと、リクエストされたら、何でも買ってくれると思いますよ」

嬉し過ぎますね。
本が読めて良かったです。
(この町には、なんと本屋が無いので。
駅前の、小さな小さな、
しなびた本だけが置いてある、ふるーい書店を抜かしては)

*****

そして、あくまでも、
礼儀正しく心がけているつもりが、
もう一人の中途入社の方に、
入社式が終わるなり早々、言われました。

「やっぱり、留学されていた事もあって、日本人らしくないですね」
「え、そうですか? どこを見られてそう感じましたか?」
「良い意味で、物事をはっきりと言ったり聞かれたりしますよね」

どうやら、朝の会議室で、
人事の方に、色々と質問をしていた様子が、
そう映ったらしいです。
自分では、ただ質問をしていただけですが、
そう映った様です。
それでも、俺なんか、結構大人しい方だと思うんだけどな。
前の会社が、みんな気が強過ぎたのかな?

今日、研修中にふと感じたのは、
日本人は、何人もの人がいる公共の場所になるほど、
人前で発言をしたり、大きな声で話したりする事を、
あえて控える、ということです。
例え、話の途中に、
分からない事があったり、質問があったりしても。

そこで、手を上げて、
「質問が二つあります。これは何ですか?」
と聞くと、ちょっと浮くみたいです。

*****

と、長くなりましたが、
今日の感想。

とにかく、
会社から歩いて家まで3分だし、
スーパーも近いし、
家の周りは、車が全く走っていないので、
超静かだし、
水は山奥の水なので、
水道水で十分美味しいし、
空気はきれいだし、
もう、完全に、
"I'm back in the Siskiyou County"という感じです。


返って来たぜ、
シスキュース。

2012/4/2 22:37



PS.写真は、
Weedのダウンタウンの写真。
俺が今住んでいるところも、
まあ、こんな感じです。



March 31, 2012 09:34

昨日はひろぽん(ピエール)と会って来た。
いやあ、本当に楽しかった!!
二人で集うのは、この前の月曜日を抜かせば、
2010年の11月くらい以来かな。
その前は、2009年の1月、俺の前職が始まる前だった。

その前は、もう、ロングビーチですよ。

彼とはロングビーチで出会い、
最初は変な経緯で親しくなったわけですが、
それから、俺が前に住んでいたアパートをある理由で出ることになり、
そのまま住む所もなく、ひろぽんのアパートに泊めてもらうことになり、
そこのクローゼットに結局、一年近くも住むことになったというわけ。




当時は、俺が悩んでいた頃、
よく、「ひろくうぅぅぅ〜ん」とか言いながら、
俺のおじいちゃんである彼に、よく話を聞いてもらっていました。

そんなわけで、彼には非常にお世話になっています。

*****

彼はどこか超越した所があって、
人とは違う次元でものごとを見ているところがあると思います。

最近は苫米地英人氏の本にはまっている自分ですが、
彼は、苫米地の言う所の、
「抽象度の高い次元でものごとを見ている」
のだと思います。

なので、モノゴトの本質を見抜くし、
小さなウンコ投げ(俺たちはどうでも良い言い合いや下らないことをそう呼んでいます)
にも参加せずに、遠くから見て、
「それってさあ、こうなんじゃない」
となるし、
更には、人から表面的にどう見られても、気にしない、
というところがあるのでしょう。

*****

ということで、ちょっと日本人離れした彼ですが、
(そして、年齢の割には中身が老けすぎているので、
当時からおじいちゃんと呼んでいましたが)
そんな彼とも、久しぶりに会って、色々と話をすると、
本当に、良い友達を持ったなあ、と思うものです。


彼との様に、
何の気兼ねも無く、
色々と話ができる仲間というのは、
人生の宝物だと思います。

*****

さて、そんなわけで、
昨日はとても良い時間を過ごしました。

最後に行ったカラオケでは、
彼の美声を堪能しました。

オペラから、B'zから、
井上陽水の「メイクアップシャドウ」から、
マイコーに、ジャミロクワイまで、
全て本気で上手でした。

才能のある人は違いますね。

*****

それと、上の苫米地もある本で、
「全ては繋がっているのです」
的なことを言っていましたが、
俺もその言葉を最初に聞いたのは、
ひろぽんからでした。

「ひろさんは、音楽も数学も物理も法律も化学も、
スポーツも料理も、なんで何でもできるんですか?」

「それはね、全てがバラバラだと思っているからいけないんだよ。

全ては一つなんです」

その言葉を、初めて彼に会った日に、
ロングビーチの近くのサンゴという日本食レストランで聞いたわけですが、
それ以来、「こ、こいつスゲエ!!」となったわけです。

*****

また次に会える日を楽しみにしています。

2012/3/31 9:34am




March 29, 2012 22:44


今日は前職の先輩のAさんと日暮里で会って来ました。
彼は今朝まで会社の関係でオールだったらしいですが、
昼過ぎまで寝た後、そのまま夕方に出て来てくれました。
月末の忙しい中、感謝です。

*****

彼は、去年の10月に一度うちに泊まりに来て、
その後会っていませんでした。
彼も色々と大変みたいですが、
お互いに約束をして、今年の夏にはまた会おう、となりました。

帰り際に、俺への就職祝いということで、
ブックカバーのプレゼントをくれました。
本当に感謝です。
ありがたい・・・。

*****

彼は、年齢は俺の一つしたですが、
前職の関係では、俺の二つ程先輩になります。
俺が2009年の4月から、新宿に移った際に、
既に新宿で縁の下の力持ち的な存在で、
新宿オフィスを支えていた人です。

同じ男同士ということで、
大分優しくしてくれ、
一時期は、
オフィスに泊まって、ビールを買ってきて
カウンセリング用のブースで飲んだり、
もう一人のS先輩も交えて、
東京のどっかの河原に10月の寒い中、
たき火をしに行って泊まったりと、
よく考えると、「何で俺たちあんなことしてたんだ?」
的なバカなことをやって過ごした中です。

彼とは一年だけ新宿で一緒に過ごし、
その後は大宮へ移動してしまったので、
実質は一年のみの同じ時間でしたが、
前職の男同士の関係は強く、
(女性社員が大半だったので)
今でも、こうして会う時間を割いてくれて、
プレゼントまで頂いて、
もうありがたい限りです。

*****

こういう関係を、大事にして行きたいと思います。
やっぱり、人生の中で、
一番「幸せだなあ」と感じるのは、
親しい人と一緒に時を過ごし、
「仲間がいる」と思えるときだと思います。

*****

以上、本日の心境でした。

2012/3/29 22:44




March 25, 2012 19:46

さて、今日は彼女がうちの実家に来て、
うちの両親に挨拶をしてくれました。

うちの両親も正式に結婚が決まり、
嬉しそうでした。
まあ、俺が仕事が決まっていなかったのもあったので、
去年の終わり頃から大分不安だったようですが、
今では仕事も決まり、
いい奥さんも決まり、
安心したそうです。

*****

彼女は明日から仕事の関係で韓国へ出張へ行きます。
気をつけて行って来て欲しいです。


*****

段々と入籍の日や、
式の日の予定が決まって来ます。

本格的に、「結婚するんだな」
と感じます。


*****

今までは、二人で付き合っているだけでしたが、
やはり結婚となると、
お互いの両親や家族も関わり、
大きなイベントなんだなと感じます。


その分、責任感も感じますが、
まずは自分がしっかりと働き、
一家を養って行きたいと思います。


*****

以上、本日の心境でした。

2012/3/25 19:51




March 19, 2012 23:00

さて、今日は姉と姪、及び犬が泊まりに来ています。
俺が仕事から帰って来てから、
夜の23時の今まで、
ずーっとにぎやかです。

姪はぎゃんぎゃん泣いてるし、
犬はわんわん吠えてるし、
みんなバタバタしているし、
流石にこの小さな家に、5人と一匹は狭いわね。

*****

と、それはどうでもいいんですが、
昨日は大事な日でした。

彼女の実家に、挨拶に行きました。

俺は、彼女のご両親には、一度5年前の卒業式のときに
お会いしていましたが、
実際に、実家まできちんと挨拶に行ったことはありませんでした。

俺も先月仕事が決まり、
先日から仕事も始まり、
これできちんと、挨拶に行けます。



*****


実家に行く前に、
彼女と二人で、海に行きました。

先日指輪も一緒に買いに行って、
実際には婚約をしたことになりましたが、
実際、きちんとプロポーズをしていなかったので、
海でしました。


プロポーズの場所は、海が良いということを、
彼女が以前からほのめかしてくれていたので、
海に行くことは決まっていました。


言葉で言うのと一緒に、
言葉だけだと、形に残らないので、
手紙も添えて、自分の気持ちを記しました。


手紙を渡して、
指輪を渡すと、
彼女は嬉しそうに、泣いていました。

すごく嬉しそうな顔をしていて、
俺も本当に嬉しくなりました。


*****


その後、彼女のお宅へお邪魔して、
まずはおじいさんの仏壇にお線香をあげ、
その後は、ご両親、そしておばあちゃんも参加して、
5人で話をしました。

1時間40分ほど。
緊張しました。


彼女のお父さんも気を遣って、
俺がわざわざ、「娘さんをお嫁に下さい」
の様なことを言わずとも、
大丈夫な様に、話を進ませてくれました。

俺は始終、緊張して、
固くなっていました。

*****

話も終わり、
彼女の自宅を後にして、
夜は、地元のレストランで、食事を取りました。

最近の自分の仕事のことに関して、
彼女のことに関して、
色々と話しました。

*****


彼女とは、約5年間、
ずっと一緒に来たけれど、
今回やっと、正式に婚約をして、
指輪も渡して、
彼女も、本当に嬉しそうです。


彼女の嬉しそうな顔を見ると、
本当に良かったなあ、と思います。


昨日は、お話の場で、
おばあちゃんも、「本当によかった」と泣いていました。


*****

彼女を、これから一生、
幸せにしてあげたいと思います。


2012/3/19 23:12




2012/3/16(金) 22:42〜

さあ、やっと一週目が終わりました。

今週の月曜日に仕事が始まって、
今日で5日。
毎朝5時半起きはやはりキツく、
片道Door to Doorで2時間は疲れますが、
4月頭からは本社のある山奥へ飛びます。

*****

ちょっと敬語は疲れるので、適当に書きます。

というわけで、今日で5日目終了。
流石に2日目くらいまでは、
約5ヶ月仕事をしていなかったのもあり、
また、新しい環境ということもあり、
かなり疲れた。

でも、3日目には大分慣れて来た。


俺は日本に帰国して、
今回のところで三社目になるけれど、
やはり前回まで二社を経験しているので、
今回の会社の仕事や、組織の文化、
全体像を見られる様になるのも、
大分早くなっている。

多分、コンサルタントをしている人って、
こういう風に幾つもの会社を見て行くから、
その会社を俯瞰的に見て、
全体像を捉えるのが上手くなって行くんだろうなと、
数日前に感じた。

*****

今の会社は、まあ言わば、
商社でもあり、メーカーでもある様な立ち位置。
よって、一社目にどちらかと言うと近い。

まず初めに思うのが、
やはり、前職に比べて相当楽。

前職を退職して他の仕事に移って行った先輩や上司は、
みんな口をそろえて、同じことを言っていた。

「前職の◯◯で鍛えられた俺たちからしたら、
次の仕事はどんな会社でも相当楽だぜ」

それぞれ、大手上場企業に行く人もいれば、
小さな中小企業に行く人もいたりと、
まあ色々な人がいるけれど、
やはりみんな、「かなり楽」と言っていた。

それはやはり、俺も同じことを感じた。

やっぱり前の会社では、
とにかく、スピード感を持って仕事をすることを覚えたし、
新規営業もやりつつ、
現存の顧客管理、
新しいプログラム開発、
現地オフィスとの法人営業、
英会話の先生のスケジューリング&管理、
週一で行われる1時間半のセミナーのプレゼン、
数ヶ月に一回ほどで行われる新しいセミナーの為の資料作り、
後輩の指導、

などなどをやりつつ、
毎日、新規数字に追われ、
かつ、現存の顧客管理に追われ、
現地オフィス&学校の問い合わせに終われ、など、
本当に、マジで笑える位忙しかったわけなので、
(で、毎日終電の23時半まで働いていたし、
入社して一年目は、月に2回以上はオールで働いたりしていたので、)
相当、仕事をこなすスピードが付いた思う。


同時に、
俺たちは接客業だったので、
社内の中でのルールも厳しかったり、
電話のかけ方、言葉遣い、電話の切り方、
コールドコーリングの仕方、
新規電話を一日に100本近くかけること、
クレームの対応をすること、
新規でかけた相手に酷いことを言われること、
多々あった。

新規営業でも、
毎日数字を意識しなければ行けなかったし、
社内で怒られつつ、
お客様の前では、如何にそれを出さずに、
自分の気持ちを保つかも、非常に難しかった。

*****

やはり、前職でのスピード対応、
及び、仕事に対するスタンスが「基本」となったので、
今は、非常にラクに感じる。
「こんなにチンタラ、やってていいんですか?」
と思ってしまう。

しかし、これも段々と、
これに慣れて行くんだろうな。

しかしここでこれに慣れてしまっては、
他の企業の人間とやり合うことは出来ないだろうし、
井の中の蛙になってしまうので、
そこは常に、「如何に自分の理想に近く在るか」
を基準にして行くことが重要。

*****


話変わって、
今の会社の人は、非常に親切。

みんな、殆どの人が、本社のある地元の方の出身ということもあり、
のんびりした人も多い。
というか、みんな基本的にいい人たちばかりだよね。

これは数日前に思ったけど、
この世の中って、
本当にすげえ嫌な人って、
あんまりいないんじゃないかと思う。

みんな、基本的に良い人だし、
例え家の中では、家族の前で悪態をついて、嫌なヤツでも、
外に出れば、少しは気を遣うだろうし、

そんなわけで、
日本に住んでいる、日本という文化(他者に気を遣う文化、相手を敬う儒教の文化)
で育った以上、
日本人に、根っから相当嫌なヤツというのは、
余りいないと思う。

(もちろん、満員電車で人のことをグイグイ押しながら、
明らかに迷惑なオッサンたちは、どうかと思うが。
俺はそうならない様に気をつけよう)

*****

ということで、ちょっと話がズレたけど、
うちの会社の人たちも、みんな良い人たち。

それも、前の会社では、
数字のプレッシャーもあり、
社内でのストレスの方が大きかったのに対して、
今はそういうのが無いのもあるのかもしれないけれど。
(もちろん、前職場の方々も、仕事にそれだけ真剣ということで、
根は本当に良い人たちしかいなかった。そこはとても誇れる点だった。)

*****


それと、また話しが変わるけど、
今の仕事を通して、
どんどん新しい知識が付いて行くのが嬉しい。

俺は医薬品・製薬関係の会社に勤めている訳だけれども、
うちで作っている医薬品原薬、中間体、
または生薬、漢方、
そういったものの知識が、どんどん付く。

今までは、デキストロメトルファンなんて聞いたこともなかったけれど、
昨日から2日間くらいは、これを沢山調べたお陰で、
大分詳しくなってしまった。

脳の神経の咳を起こすところに指令を出すので、
咳止めに使われるんだ、とか、
余り飲み過ぎると、要するにドラッグの様にトリップしちゃうんだ、とか、
俺がアメリカで風邪をひくと飲んでいた、
VICKSっていう飲み薬の、あの甘ったるいマズい薬の有効成分だったんだ、とか、
だから、あれを飲むと、眠くなったんだ、とか、

まあ、色々繋がってくるんだよね。


他にも、グリチルリチンは、
甘草っていう漢方生薬の根っこから取れる成分で、
だから、甘草の英語名は「Glycyrrhiza」で、
グリチルリチンの英語名、「Glycyrrhizin」と近いんだ、とか、

グリチルリチン酸二カリウムは、炎症を抑える効能があって、
だから、俺が使っているアイボンに入っているんだ、とか、

そういうのが分かって来ると、
凄く面白いんだよね。

*****


今日、仕事中にふと思ったんだけど、
モノゴトっていうのは、
その分野が最初は分からなくても、
その中の一つを、取りあえずしっかり調べて覚えちゃって、
マスターしちゃうと、
次の二つ目も、以外と簡単でさ。

で、そうやって、
ドラクエの経験値アップみたいな感じで、
「もう一個、もう一個・・・」とやっていくと、
段々と、最初はその分野のことが、一つも分からなかったのが、
気づいたら、結構分かる様になっていて、
分かることが、半分くらいになってくると、
段々と面白くなってきて、
次第に、分かることの方が上回って行くと、
その時には、「結構、俺これ得意じゃん、ていうか、楽しいじゃん」
ってなるんだよね。


俺にとって、最初にそれを感じたのが英語の勉強で。

中三の夏までは、一切英語は分からず、
赤点だったけど、
中三の夏に、塾のタケイ先生のおかげで、
単語を少しずつ覚え出して、
その結果、英語に対するアレルギーが消えたんだよね。

*****

モノゴトは、
そんな意味で、
最初は全く分からなくても、
そのうちの一つをマスターしてしまえば、
後は、勢いがつくと思う。

車のギヤを入れるのも、
最初の1ギヤ目が一番きついわけで、
でも、後は凄く軽くなるし。

言語も、一度一つの外国語をマスターしてしまえば、
次にやる外国語は、もっとラクになるらしいし。
(なので、30歳になる前に、
まずは中国語を基本のビジネスレベルまでマスターしたいと思う。)

*****

後は最後に、
俺は今回、海外営業担当で採用されたから、
やっぱり、海外の企業を相手に、
やり取り出来るのが楽しい。

相手はインドの会社だったり、
イギリスだったり、
アメリカだったり、
ヨーロッパのどっかだったり、と。

更には、うちが扱っているものは、
薬の原薬ということで、
どの国にも入って行ける要素はあるから、
本当に、どこでもビジネスチャンスはあるわけで。

そう考えると、
もっと英語を伸ばそうと思うし、
自分の仕事を通して、
世界中の人とビジネスを通してやり取りができて、
その国の文化を学べるというのが、
非常に楽しい。


俺はやっぱり、
この広い世界の色々な文化を、
肌で感じて、
「世界ってやっぱり広いな」
と肌で感じることが、一番好きだと思うし、
それに、一番喜びと感動、エキサイティングさを感じるから、
それが仕事を通してでできるっていうのは、
幸せ者だと思う。


******


最後に、
最近集中して読んでいる、苫米地英人氏の言っていることからインスパイアされて。


彼は、「もしも〜」の仮定形の自分と比べるな、
ということをよく言う訳だけれど、

たとえば、
「もしも、あのときあの会社に就職していれば〜」とか、
「もしも、あのときあの学校へ行っていれば〜」とか、
そういう風に人は考えて、
過去の、「そうしなかった自分」を想像し、
そして、その自分は、
なぜか今の自分より、「幸せである」という条件の元、
いつも今の自分と比較をされるわけだけれど、

そもそも、過去に、もう一つの選択を取っていたら、
今よりもっと不幸になっていたかもしれないし、
だから、過去の、自分が取らなかった選択を考えて、
その自分と今の自分を比べるなんて、
ナンセンス以外の何ものでもない、と。


そして、人間は本来、
常に、そのとき自分が持ちうる知識、経験、
周りの人の意見、
そういったことを加味した上で、いつも判断を下しているのだから、
常に、自分が今まで下してきた選択が、
ベストだったのだ、と。



そして最後に、
もしも仮に、「もしも過去の自分が、こうしていたら〜」
と考えながら暮らしていると、
それはつまり、
今の自分よりも、
もう一人の自分(つまり、実際には存在しない自分)
を上にみているので、
その時点で、今の自分は、完全に過小評価されていることになるので、
結果、自分のセルフエスティーム(自分への自信)
は下がり、
結果、自分は常に、それ以上大きくなれないし、
自信をもって生きられない、と。

*****

今日、上の文章をまた読んで、
マジでそうだよな、と思った。



過去は、現在の自分の認識が決めるもので、
全く同じ過去でも、
自分が、「今の自分は最高に幸せだ」と思ったら、
「その過去があったおかげだ。その過去を経験して本当によかった」
となるし、
逆に、
「今の自分は本当に不幸だ」と思ったら、
「その過去があったせいだ。その過去は最悪だった」
となる。

つまり、過去を定義(ディファイン)するのは、
未来であり、
つまり、自分の観方次第だ、と。

*****

俺は正直、
今まで、留学を終えて、
日本に帰国してから、約4年間、
余り、自分が日本で取って来た「選択」というものに、
心から、「これで良かったんだ」と思えていなかったんだと思う。
(それは、自分の仕事という進路の選択において。)


一度、前職に転職した後、
一年くらいは、「マジで転職して良かった」と思っていた時期もあったが、
やはり、最後の方は、
「この生き方で良いのか。この進路で良いのか」
と悩むことも多くあった。


もちろん、去年の10月に仕事を辞めてからは、
「俺は28歳で、ニートで、
マジで、何をやってんだか。金も殆どねえし」と、
自分が取って来た選択肢を、疑いたくなることも多々あったが、
やはり、そうやって、
自分が歩んで来た道のりを、
疑ってしまうと、
自分の足下はぐらつき、
結果、自分自身に、
人間として、心から自信を持つことが出来なくなってしまうと思う。




しかし、
「今までの選択は全て自分のベスト。
よって、今の俺が、今までの人生であり得る選択肢の中で、ベスト。
よって、過去は一切悩まない。
『今』からのみ、変えて行けるし、
逆に言うと、『今』から、自分次第で、
更にどうにでも好きな様にして行ける」
と考えると、
全てが、確実になってくる。

地に足がガッツリついた感じがするし、
潔くなるし、
「後悔」の言葉は無くなる。


*****

今日の帰り道、思った。

今まで、一社目に入り、5ヶ月で辞め、
二社目で、やはり2年と11ヶ月で辞め、
日本社会の常識から見ると、
大分「落ちこぼれ」、「常識知らず」、
「間違った選択」をして来たと言われるけれども、

実際は、「俺」という人間に取っては、
今までの選択は、全てベストだったんだな、と。




だから、今の俺があるし、
今の仕事についているし、
今の、「俺」という人間がある。



人は、働いている「会社」で決まるものではないし、
要するに、
「どんな人間であり、
何を思い、毎日をどう過ごしているのか」
が全てだということ。



「俺」という人間が、
「今までの選択」を、「全て、ベストだった」と心から納得して、
「ケアするべきことは、
今日から未来を、どう生きるのかだけだ」、と、
常に、スッキリした気持ちで、
腹をくくっていれば、
自分の人生は、劇的に変わる、ということ。

*****





俺は、18歳でアメリカに行った理由は、
一番の理由は、
「人間として、デカくなりたい」
それだった。

そして、
「自信をつけたい」
それだった。


俺は今、28歳で、
当時の俺よりも、10年経験を積んだが、
やっと、社会人としても、
今の自分に、
自信を持てるだけの、道のりを歩んで来たのかもしれない、
と思う。

******


今日の帰り道に思った。

俺が今まで人生で、
一番、「自分に自信があった」と思ったのは、
いつ頃だったか?と。


まず始めは、
20歳のとき。
留学二年目の終わり、
De AnzaのSpring quarterの学期のとき。

その時は、「自分という人間、そのまんまで勝負をしよう」
と、やっと思えた時だった。

つまり、「腹が据わっていた」。


次は、
2006年の秋以降、
22歳のとき。

そのときは、
当時は結局は、色々と人間関係で悩み、
毎日悩んではいたのだが、
結局は、
「今の俺で勝負するしかねえ」と、
結果、「腹を括っていた」。




それ以外のときは、
何かしら、「もっと、過去にこうできたかも」
と、結局は、
「こうしていたかもしれない」という自分と比べて、
勝手に、自信を無くしていただけなんだと思う。


それは、つまり、
「腹を括っていなかった」ということ。


「腹を括っていない」というのは、
後ろを見て生きていることであり、
結果それは、自分の自信を奪い、
自分の人生を生きるスピードを落とし、
後ろ向きな人間に変える。




結局俺は、
それをずっと、して来たんじゃないか、と。

*****


長くなったが、
そんなわけで、
やっと今の所に立ち、
「今までの日本での選択、及び経験は、
全部必要だった。”間違い”ではなかった」と、
自分で、納得ができたんだと思う。


*****


以上、自己回想と、
自己反省、
及び、自己内省。


2012/3/16 23:33





March 03, 2012 22:00

昨日は久しぶりに、元上司のOさんと、
元先輩のOさんの3人で集まった。

この3人で集まることは初めてだけれど、
二日前にOさんから電話が来て、
「元気?久しぶりに飲もうよ」と。

で、昨日は新宿に集まりました。

*****

先輩のOさんと前回に会ったのは2010年の4月、
約二年前で、
上司のOさんと会ったのは、やはり2010年の7月、
約一年半前でした。

相変らずお二人とも殆ど変わっていなく、
20時に集まり、
23時前に別れるまで、
時間はあっという間に過ぎました。

*****

今回話をしていて思ったことは、
上司のOさんというのは、非常に「心が若い」というか、
ビジョン、野望、自分の理想がある人だな、
ということ。

俺は彼が、自分が社会人になって初めて憧れた社会人なのですが、
彼のそういうところは、
やはり、彼のそういうマインドから来るんだろうなと思いました。


彼は今年33歳になりますが、(俺の4つ上)
見た目はとても若く、それは、
心が若いからなんだろうなと思いました。


そして、いつまでもそういう風に、
「自分はいつもこう在りたい」という理想を持って、
それを疑わずに毎日を生きている人は、
そういないんじゃないかと思うので、

そんなところが、彼の素晴らしいところなのだと思います。

*****

思えば俺は、彼と一緒に働いた時間は、
ほんの半年ほどでしたが、
彼から受けた影響は大きく、
恐らく、俺の「社会人としての働き方」というものに、
大きな思想を与えてくれたと思います。

*****

彼は昨日の別れ際にこう言っていました。

「これから数年後にさ、
それぞれの道で、みんなが、上の方に付いて、
日経の人事面に、
『◯◯ ◯◯、△△会社、取締役に就任。元株式会社□□□□(俺たちの母校、いや、母会社の名前)』」
っていうのが続いてさ、
「なんだ?あの□□□□って会社は!?」
ってなったら、カッコいいよね」

と。
「それが、僕たちができる、あの会社への恩返しじゃない?」と。

相変らず、Oさん、そういう理想がカッコいいなと思いました。

*****

俺が元いた会社は、
それは仕事中はキツかったですが、
(ノルマ的にも、拘束時間的にも)
その代わり、
スピード感、
対ストレス抗力、
社内、社外関わらず、相手のニーズを掴む力、
相手のウォンツを高める力、
煽動する力、
同時に幾つもの仕事をこなすモルタイタスク能力、
人前で2時間近く話すプレゼン能力、
対個人で話をする接客力、
電話をかけまくり、相手の心をつかむ力、
1日に新規電話がけ100本する力、
留守電に残すメッセージの内容を考える力、
新しいプログラムを考えて上に提案する力、
クレーム対応能力、

などなど、
数え上げたらキリがないくらい、本当に多くの力を身につけられたと思います。

*****

昨日会ったOさんとOさんは、
二人とも、かなり大手どころの会社に入っていますが、
二人とも言っていました。
「いや、前の□□□□と比べると、ぬるすぎるよね」と。

それは、俺が知りうる限り、
俺の元会社にいた人たちは、
他の会社に行って、かなりぬるいと感じるらしいです。

それだけ、前職は極端でハードだったわけですが、
その分、どこに行っても恐く無い、
という力がついた訳で。


それに対して、Oさんは、
「いや、そういう意味で、
僕らはあの会社に最初にいけて、
恵まれていたんですよ」と。

*****

これはこの話だけに限らないが、
自分のルーツとなる、自分の過去、
歩んで来た道のりを否定することは、
自分の「今」を否定することに繋がるが、

自分が歩んで来た道を、全面肯定して、
それを糧に、今日の一歩を踏み出すのでは、
これから作られて行く自分の状態に、
天と地の差がでるわけで。


*****

昨日、このお二人に会えたことは、
本当に大きなことだったな、と、
改めて思いました。


お二人、どうもありがとうございました。

2012/3/3 22:00




February 27, 2012 17:26

CIMG2296

昨日は彼女と一緒に婚約指輪を買いに行った。

*****

彼女は、婚約指輪をティファニーで買うというのが、
幼稚園の時からの夢だったので、
婚約指輪はティファニーで買おうねと、
付き合って少ししてから、ずっと話をしていた。


彼女とは付き合って、今年の5月で丁度、5年となる。

彼女は、俺と一緒にいることを不安に思うことも、
随分とあったと思うけれど、
今まで我慢して、待っていてくれました。
今回、俺の仕事も正式に決まり、
これで、晴れて婚約をすることができます。


*****


昨日は、お互いに東京駅で待ち合わせをした。

彼女は朝から横浜の美容院に行くということで、
先に横浜に行っていて、
それから2時頃に東京駅で落ち合った。


今まで付き合って来た中で、
毎回横浜や東京、銀座などに行く際に、
機会があれば、ティファニーに行って、
指輪を見学してきた。

彼女はモノを見る目があるので、
色々と見て行く中で、
自分の中で、「これぐらいのレベルの指輪が欲しい」
というアイディアは大分固まっていた。


昨日も、俺と東京で会う前に、
横浜のティファニーでも、
既に話を聞いて、下見をして来たそうな。
手際がいいですね。

*****

その後、まずは東京駅から少し歩いた、
日本橋三越のティファニーへ。

そこで指輪を見せてもらう。

その後は、歩いて丸の内へ。



丸の内の店舗は、今回行くのが初めてだったが、
前回(去年の夏頃)、この店舗の前を一緒に歩いて通ったときに、
ここの店のオーラが凄く良かったので、
「ここで買いたいな」と彼女は言っていた。

なので、今回も、
昨日の15時に、この店でのコンサルティングを予約しておいた。


この日に、この店舗でベストのものが見つかれば、
いいねと、話をしていた。

*****


ちなみに丸の内の店舗の周りは、
道路と歩道の素材が同じもので作られ、
とても落ち着いた雰囲気。

彼女曰く、
ティファニーの本家があるNYの町並みに
とても似ているそうな。



約束の15時に2分遅れて、
店に入る。

親切そうな女性が、
エレベーターを使って、
二階にある奥の部屋まで通してくれる。

(ちなみに、横浜で彼女が指輪を見た際に、
話を丁寧にして下さった年配の女性は、
とても親切だったそうな。
雰囲気は、今回丸の内の店で、
俺たちを上に通して下さったこの女性と、
似ていたそう。)

*****

上の部屋で、数分待つ。

ああいう、閉じられた空間に入ると、
人は緊張するものですね。

(その後、もう一度外の広い空間に出た時に、
「ああ、人って言うのは、
天井が高かったり、広い空間にいる時の方が、
狭い空間よりも、リラックスできるんだな」
と気づいた。)



暫くすると、予約をしていた担当の女性が出て来る。

彼女に、色々と紹介をしてもらう。

*****

今回彼女は、大分色んな店で指輪を見て来たので、
今回も、希望の指輪の特徴を伝えて、
それに近いものを出してもらう。


そうやって見て行く中で、
一番最初に出してもらったものが、
彼女は一番気に入っていた。


担当の女性がコンピューターを使って他の店の在庫なども調べてくれる中で、
その指輪以外にも、
同じ様な特徴で、もう少し良さそうなものも、
別の店舗にあることが発覚。
しかし、取り寄せとなると、数日かかるらしい。

彼女もそこで見た中では、
決め切る要素も揃っておらず、
しかし、できればその日の内に、
良い指輪を見つけて購入したいと思っていたので、
ちょっと微妙な状態だった。



俺たちはちなみに、
そこの丸の内で見た後に、
銀座の本店にも行く予定だった。

しかし、銀座の本店は、
以前訪れた際に、
あまり対応が良く無かったので、
また、店のオーラがそこまで良く無かったので、
正直な話、
銀座の本店で買いたい、という気持ちはなかった。


彼女も、
「ここの雰囲気は良いね。ここで買いたいな」と、
丸の内のその店舗にいる間に、
ずっと言っていた。

*****

さっきの状態に戻り、
彼女と、その女性との話し合いの中で、
彼女的には、今日中に決めたいが、
他に見てみたい指輪を取り寄せると、
数日かかってしまうということから、
「じゃあ、今日はこの辺で・・・」的な雰囲気になりそうだった。

そのまま、一旦は部屋に戻る。

その時に見ていた指輪は、あるカラット数を上に、
幾つか見ていたのだが、彼女が気にかかっていた指輪は、
自分の指に合うサイズ、という意味でも重視をしていた。
でも、担当の女性はその点を気づいていなかったので、彼女に聞く。
「**では大きすぎますか?」

彼女が答える。
「いえ、**が大きすぎるというわけではなくて、
ただ、今日は元々、今日購入するつもりで来ているので、
指に合うサイズがあった方が嬉しいんです。
他のお店から取り寄せたりすると、数日かかってしまうので・・・
今朝、横浜や日本橋の店舗でも、他にも見て来たんですが」
と言って、それぞれのサイズや特徴を書いた紙を見せると、
その女性も、
「なるほど、それでしたら・・・」と、
更に色々なアイディアを出してくれ、
「それでしたら、お客様の指のサイズに合う条件で、
上限は幾らくらいで、もう一度検索をしてみますね」と、
コンピューターを使って、再検索をして下さった。


どうやら、俺たちが、ただの一見客ではなく、
本気で購入しようとしていることが伝わったらしい。

その後、再度部屋で待つ事、数分。




しばらくすると現れた女性。

そこで彼女が、
「別の店舗で、これらのものがありまして、
実は銀座にあるのですが、
ご希望でしたら、今からその店まで取りに行って来ます」と。

そこで俺たちも、
「実はこれから銀座に行こうと思ってたのですが、
お店の雰囲気はこちらの方が良いので、
できればこちらで購入したいのです」とお伝えして、
向こうも安心。


二つチョイスがあった内、
選んで、より良い条件の方を持って来てもらうように、
お願いをする。


それから、待つ事30分弱。

銀座から、もう一つの指輪が到着。




見比べてみて、結果、
銀座から来た、その指輪がベストととの判断になり、
その指輪を選ぶ事になりました。


窓際の太陽の光にさらして見た指輪は、
彼女の指の上で、
とても綺麗にきらきらと輝いていました。



*****


結果的には、
昨日一日で、足で回れる範囲にある全ての店を見ることができて、
(しかも、基本的には、銀座の本店が、一番品揃えも多い中で、)

最終的に、一番気に入った店舗で、
ゆっくりと時間を取って、
指輪を見る事ができ、
選んだ指輪は、銀座本店から来た、
一番いいもの、という選択をすることができた。


本当に、良かったと思う。


その後は、指輪の中に掘る文字を決めて、
約3週間後に出来上がるとのことで、
完了。
(指輪の文字は、俺たちが付き合い出した記念日にすることにした。)


*****


その後、店の外に出て、
記念にと、店の写真を外から撮っていると、
入り口に立っていた別の女性が出て来て下さって、
わざわざ俺と彼女の写真を撮って下さった。

その後、さきほど対応をして下さった方も出て来て、
また二人で見送ってくれた。

本当に良い時間でした。
彼女もとても嬉しそうでした。


*****


その後は、昨日たまたま東京に出て来ていたトシさんと、
彼の先輩と、
4人で集まる。


彼女の話は、
トシさんには3年前からしていたので、
今回、彼女もやっと、一緒に会えてよかった。

銀座の交差点で待ち合わせをし、
その後近くの喫茶店で、小一時間ほど談笑した。

今回は余り時間が取れなかったけれど、
トシさんとはまたゆっくりと集まり、
彼女より、村上春樹に関して熱く語っていただきたいと思います。

*****

ということで、
昨日は、幸せな一日だった。

何よりも、彼女が本当に幸せそうで、
それを見ていて、俺もすごく幸せだった。




人生の幸せって、色々とあると思うけれど、
自分の大事な人が、幸せそうにしていることほど、
幸せなことは、ないんじゃないかな、と思う。

*****

2012/2/27 17:44






February 17, 2012 21:35

本日、遂に、仕事が決まりました。

去年の10月に本格的に転職活動を始めてから、
約4ヶ月半。
それ以前に動いていたのも加えると、
約8ヶ月以上になります。

長い闘いでしたが、
最終的には、自分が納得の行く仕事に決まって、良かったです。

*****

今回、自分は10月の頭に仕事を辞め、
それから無職、ニートとして、
活動をして来た訳ですが、
精神的に辛い部分も多々ありました。

やはり一番辛いのは、
「先が見えない事」。

今自分が行っている活動の方法は、
これで合っているのか、

自分が本当に望む会社、仕事に、
巡り会えるのか、

そんな事が、不安な時期もありました。

*****

内定を会社からもらう事は出来ますが、
果たして、それが、自分が働きたいと、
心から思える会社である確率は、低いものです。

去年の終わりまでは、
そういった出会いが無く、
唯一、「ここならば行っても良い」と思った会社には、
最後の最後で見送りとなり、
凄まじいショックを受けました。

その時には、久しぶりに、
生きている希望を無くしそうになった瞬間もちらっとありましたが、
それも、「また次への歩みを始めるしか無い」
と開き直り、やって行くのみでした。

*****

今回は、エージェントを使いましたが、
基本的に、エージェントの方は、
一度決まった内定を、自分が蹴って次に行く事の無い様に、
あらゆる手を使って、色々な事を言います。

「ここよりも良い条件は、他にもう出て来ませんよ」とか、
「離職期間が長くなると、不利ですから、今が決め時ですよ」とか、
「年が明けると、求人数は今よりもぐっと減りますから、
今決めておくべきですよ」とか、
まあ、色々な事をおっしゃいます。

しかし、そんなものは、
全く当てになりません。

最初に一番上の台詞を言われたのは去年の9月ですが、
それよりも数倍自分にとっては合っていると思われる案件に巡り会えたし、
二つ目の台詞も、そう思って自分が自分のことを後ろめたく思ったら、
確かにそれは事実になりますが、
「そんなものは関係ない」と自ら信じて、
「自分が納得するまで行動する」と決めれば、
全くそれは関係なくなります。

また、最後の意見も、
それは全くの正反対で、
年が明けると、今までの数倍に至る求人数が
手元に入って来ました。

*****

上の様な意見を言われたり、
また、周りの人から、
無言のプレッシャーを受けると、
どうしても、弱気になってしまうのが人間というものです。

自分も、28歳にもなって、自分は無職で何してるんだろうとか、
貯金も無くなって来て、かなり金銭的に厳しいとか、
色々とありましたが、
そんな時に、励ましてくれたのは、
彼女の存在です。

*****

彼女はいつでも、一番近くで見守ってくれて、
いつも、応援してくれました。

彼女に励まされ、
彼女に温かい言葉をもらい、
色々と的確なアドバイスをくれて、
そのおかげで、何とかやりきってこれました。

本当に彼女には、心から感謝です。

*****

また、同時に、
彼女を始めとして、
自分の周りの方に、本当に助けてもらいました。

前職の時からの付き合いの方々、
いつも気にかけて下さる方々、

彼らのおかげで、とても良い案件を頂いた事も多々ありました。

本当に、人のご縁を感じます。

人間は、自分が困っている時に、
助け船を出してくれる人のことを、
決して、忘れる事はできません。

今回お世話になった方々には、
これからも、ずっと人生を通して、
恩返しをして行きたいと思います。

*****

今回自分は、恐らく300件近くの案件を見て、
その内200件近くに応募をしたと思います。
(正式な数字は分かりませんが)

その内、書類を通る確率は、
恐らく、日本の王道である、
「有名大学→有名大手企業」の道を歩んで来た人に比べれば、
大分低かったと思います。

しかし、その中でも、
書類が通過できた企業に関しては、
面接をする限りでは、
基本的に、最後まで行く事は可能でした。

しかし、そこで、自分が、
本当にここで働きたい、
と思える企業は、決して多くありませんでした。

正直な話、
最後の三件のみが、
唯一、働きたいと思える会社でした。

その内、一社に関しては、
最後にはやはり、違うと思うところがあったので、
最終的に、
二社のみが、仕事をしたい、と思えた会社となります。

その中で、選ぶ事ができて、
自分は非常に恵まれていたと思います。

今回の活動を通して、
本当に多くの企業の方にお会いし、
多くの方とお話をして、
貴重なお時間を頂きましたが、
その事にも、心から感謝をしています。

*****

長くなりましたが、
今回、いつ終わるのか分からなかったこの転職活動に、
遂に自分が納得の行く形で、終わりが来た事に、
まずは感謝です。

そして、
精神的に辛かった自分を、
支えてくれた彼女、
そして、周りの方々に、心から感謝です。

そして、面接を通してお会いした、
多くの方々にも、感謝をしています。


そして、今回学んだ大事な事は、

「先が見えなくて、
本当に辛くなっても、
必ず自分が心から望む結果が出る、と、
自分を心から信じて、
一歩ずつ、歩んで行けば、
必ず、ゴールに辿り着ける」

ということです。


*****


自分がまだ仕事が決まっていない、
去年の終わり、12月の最後の週。

面接に向かう電車の中で、
ネットで見た転職活動者の言葉。

「自分は活動を初めて、数ヶ月間結果が出ずに、
本当に辛かったですが、
そこで耐えて続けた結果、
最後には自分が納得する結果になりました。
ですので、自分を信じて頑張って下さい」と。


その言葉を読んだとき、
正直、
「俺も、そうやって言える日がくるんだろうか」
と、不安に思えたと同時に、
そんな不安な気持ちを認めるのが嫌で、
その心に蓋をしたことを覚えていますが、

その時から更に2ヶ月経ち、
今は、そう言える自分が居て良かったです。


*****

これでやっと、スタートラインに立ったようなものです。

これからが勝負ですが、
しっかりと地に足をつけて、
前へ進んで行こうと思います。

*****

以上、今の心境でした。

ありがとうございました。

2012/2/17 21:35




February 14, 2012 20:40



人間は誰しもが、自分の「価値観」を持って生きている。


時に、親は自分の子供に、
それが良かれと思い、
その価値観に基づいて、「進路」に関するアドバイスを与える。


親が与える、その「進路」。
それに、子供が必ずしも、合意するとは限らない。

そして、その進路とは別の道を取り、
子供が自らの経験を通して、色々と学んだ上で、
元々親が示唆していた、その「進路」に、
戻ろうとするかもしれない。


しかし、その際に、
子供が自らの口で、
「自分はこういう経験をした結果、
やはりこの道に戻ろうと思った」と言う際に、
親は、
「だから私たちは最初からそう言っていたんだ。
しかし、お前はそれを分かっていなかった。
そもそも、あの時点で、お前があの道を取った時点で、
お前は間違いを犯したんだ」
と伝えるのは、いけない。


何故なら、その子供は、
自らのその経験無くしては、
その道が、本当に自分の進みたい道なのかどうかも、
分からなかったのだから。

*****


親は、自らの血を分け与えた子供を、
何よりも可愛がる。

その子供に対して、
自らが「良く無い」と思う道を、
子供に薦めるわけがない。


しかし、子供としては、
親のそういった言葉が、
時として、煩わしく聞こえてしまう時もある。

特に、新春期に至っては。

*****

重要なのは、
その子供が、
「自ら」その道を選んだのかどうかだ。

何故なら、自ら決断を下した選択に関しては、
後に何が起きようが、
その人間は、自らを責めるしか無いから。

しかし、他の人間にその決断をしてもらったり、
他の人間の理由により、
その道を選んだ場合、
その道が困難である場合、
その人間は、その辛さに耐えられない場合が多い。

または、辛い事が起きるたびに、
その決断をした、別の人間を責めることとなってしまう。

よって、如何なる決断をする際にも、
自らがきちんと考え、
自らの意思で、決断を下す事。

******


お金は、幸せの度合いを計るものではない。

給与の高さが、
その人間の幸せ度を計る絶対的な基準となったり、
その人間の、自分の人生に対する満足度を測る絶対的な基準になる訳ではない。



本当に恵まれた仕事とは何か?

それは、その人間が、
心からやりたいと思う仕事。

そこには、色々な要素が含まれる。

それを、親が判断するべきでは無い。

*****

最後に、
その人間の人生が、「間違っていた」という事は、決して無い。

その人間が、その道を歩んで来たのは、
「今」に至る為。



例え、今立っている位置と、
別の道をたどって来て、結果、辿り着いた位置が同じであろうが、
そこまでに通ずる道のりを、
自らの意思で歩んで来た者と、
誰かに言われるがままに、歩んで来た者とでは、
その「位置」に対する、感謝の度合い、
満足の度合いが違うはず。

******


俺は、ある人から見たら、
「失敗」の人生を送って来たと見なされる。

しかし、
別の方向から見たら、
「色々な経験を積んだ、面白い」人生を歩んで来たと見なされる。



自分の人生をどう判断するかは、
自分次第だ。

人に何と言われようが、
自らが、それまでの道のりを、
自分の意思で決めて来たのなら、
その道のりに、悔いはないはず。



*****


俺自身は、
俺の人生に悔いは無い。

もっと上手くやってこれたと思うところ、
もしこうしていたら、
より、良かったかもしれない、
と思える点は、沢山ある。

しかし、全ての点に置いて、
全力で取り組んで来たため、
自分が選んだ選択肢に対する、
「後悔」の念は、一切ない。





人は、俺の今の、
「今現在」の状態だけを見て、
俺がどうだとか、
俺の人生はどうだったとか、
判断するかもしれない。

それを、成功か、失敗かで、
分ける人もいるだろう。

しかし、そんな事は、
俺にとっては、どうでも良い。

自分が、自らの意思で、
それぞれの決断を下して来たのか、

そして、
今自分が立つ位置に、
満足をしているのか。

もしも満足をしていなかったら、
より、更に先へ進もうとすれば良いだけの話。


人生のフェアなところは、
より先へ、
より高い位置へ進もうと思い、
行動を重ねれば、
必ず、その結果は出るということ。

すぐに結果は出ないかもしれない。
しかし、必ず、
一ミリは、
昨日の自分より、進んでいるはず。


*****


全ての人に、
自らの価値観を、分かってもらう必要はない。

むしろ、
この世界にいる人口の数だけ、
別の価値観があると思った方が良い。


家族だから、
親子だからと言って、
その価値観が、同じであるはずはない。


自らが、下した決断に、
自らが、満足出来る様に、
生きて行くだけ。

*****

2012/2/14 20:40





January 30, 2012 18:53



何かを決めるとき、
本来の理由を忘れてはならない。

その道を選ぶ理由が、
「ラクそうだから」などのネガティブな理由では、
後々必ず後悔をする。

*****

人というのは、
自分がその問題に立ち向かう時、
自らの主観が入ってしまうため、
物ごとを客観的に見られなくなってしまう時がある。

そんな時に、
きちんと、自分のことを理解してくれて、
客観的に、ビシッとアドバイスをくれる存在。

そんな人の存在を持っている事は、
本当にありがたい。

(俺の場合、それは彼女なんですが)

*****

2012/1/20 18:53




January 27, 2012 23:43




思うに、

人生というのは、
「より良くなるために努力すること」
を決して辞めなければ、
確実に、どんどん良くなって行く。



次のステップへ進もうとすることは、
「今」を離れることであり、
それは、それまで持っていたものを去ることに値する。

それは、
自分から、それまで持っていたものを「奪い」、
また、自分をそれまでは経験したことの無い状態へ
陥れる。


そこで、今までで一番辛い思い、
不安な思い、
そういったものを、感じることになる。



しかし、そこだけ見て、
あきらめてはいけない。



今、辛いのは、
今まで以上に良くなるために、
思いっきり、膝をかがめているところ。

芋虫が蝶になる前に、
一度、固くなって、死んだ様になるとの同じ。


目の前の花壇に、花が咲いていないからといって、
そこは何もないただの荒れ地と見なしてはいけない。



今の辛い時期を乗り越えた後、
今まで以上により良い状態が待っている。


*****


日本にいると、まるで人生は凄く複雑で、
将来は暗くて、
希望が無い様に見えてしまうことがあるが、
実際は、人生とはシンプルなものである。


生まれて、死ぬまでに、
自分自身を、より良い状態に高めて行くための、
地上での時間。


そして、そのゴールに近づくためには、
日々、自分を以前よりも高める努力を、
止めない。それだけ。



それは、転職でも良い。

今の仕事に、より没頭して、
今の仕事を極めることでも良い。

本を読んで、自分の知識を増やし、
自分の視野を広げることでも良い。

自分の周りを取り囲む人に、
より感謝の気持ちを伝え、
より良い人間関係を築こうとすることでも良い。

運動をして、身体を鍛え、
健康になることでも良い。

趣味を増やして、
自分の余暇の時間を、充実させることでも良い。



方法は、何でも良い。

大事なのは、
自分が、前の自分よりも、
より、「成長している」と感じられること。


人は、そういう状態にあるとき、
「気分が良い」。


気分が良くなるために、
それをすれば良い。


*****



人生は、年齢を重ねれば重ねるほど、
「若い頃の方がよかった」と思うこともあるが、
実際は、そうでは無いはず。

自分の気持ちは、
80歳になろうと、
20歳の若さを保っていられるはず。
自分次第で。


そうすれば、
20歳のときの自分よりも、
60年分、より沢山の経験をして、
人間的に成長した自分でいられるはず。



かっこいい人は、
何歳になっても、カッコいい。

綺麗な女性は、
年齢を重ねれば重ねるほど、
内に秘めた経験と教養より織り成される、
本当の「美しさ」が増す。



*****


人生を楽しむコツは、ただ一つ。


「前よりも、より良い自分になるために、
努力を辞めないこと」。



2012/1/27 23:40





January 21, 2012 23:13

Picture 291


2012/1/21 22:58〜

さっき、テレビで「美の巨人たち」を観た。
その中で、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の、
「最後の審判」が取り上げられていた。

あれを観ながら、「俺も昔観に行ったなあ」と、
20歳の頃を思い出していた。

番組が終わって、当時の日記帳を出してみた。

2004年の夏。俺が20歳のとき。
あれから、7年半が経った。

*****

日記帳を読んでいて思ったのは、
当時の記憶が、大分薄くなっている、ということ。

これは、ここ1、2年で感じ始めたことだが、
当時(23歳くらいまで)は、
昔のことを思い出しても、それがまるで昨日のことかのように、
すぐに思い出せていた。
その時に感じていた思いや、
感情、
雰囲気、
その時の感覚まで。


それが最近、
そうやって、日記帳を見ても、
「あれ?こんなことあったっけ?」とか、
「これ、全然思い出せない」という風に、
そこに書いてあることが、微妙に何となく思い出せるだけで、
そこに書いていないことは、全く思い出せない、
という状態になっている。



俺にとっては、それが凄く勿体無い。

特に、旅の経験なんかは、
初めての旅のヨーロッパ、
次の年のアメリカ、
その次のアジア、
そして最後の中米と、
本当に毎日、色んな経験をして、
色んな人にあったり、色んな面白いことが起きていたから、
それらをビビッドに思い出せなくなる、ということは、
まるで、
自分がせっかく力を込めて描いてきた力作が、
薄れて行くような感じがして、
本当に勿体無いと思う。


だからこそ、今みたく、時間のある時に、
なるべく文字にして残しておかないと、
きっと、これから更に5年とか10年経った頃には、
「え?マジで殆ど思い出せねえ」という風になっちゃうんだろうな、と。

それを考えると、凄く怖い。

*****

でも、俺もあの当時から、
8年近く歳を取ったのか、と思うと、
そりゃあ、忘れて当たり前かもしれないな、とも思う。






とにかく、当時の日記を読み返すと、
何だか、また当時にバックスリップするっていうか、
ある意味、もう一度自分の人生を生きているようで、
凄く不思議な感覚になる。



人間というのものは、ついつい、
『今』だけにフォーカスをしがちで、
自分が普段考えることは、
よくてここ1〜2年の自分の状況を元に作り出した、
「現実」だけに、心も考え方もフォーカスされて生きてしまうから、
ふと、こうして、昔の日記を読んだり、
当時考えていたことを振り返ると、
いかに、今の自分が、視野が狭くなっているのかに気づく。



当時の俺の「常識」は、
大学のクラスで何を取るか、とか、
専攻は何にするか、とか、
後は、クラスで知り合ったあの子がかわいいな、とか、
そんなことばかりだったわけで、

そして今は、
主に、仕事のこととか、
今後の人生プランとか、
そういったことのみを、考えているな、と。



恐らく、自分の年齢、時期に合わせて、
こうして、自分の考えること、
フォーカスすることは変わって行くものなんだろうけれど、
たまに、こうして、
8年前の自分を振り返り、
その当時の自分と話をしてみることで、
今の自分を、別の視点から見ることができる。

その時に、気づくことも、
結構大きい。

*****


いつまでも、20歳の頃の様な、
「俺には何でもできるぜ」という感じの覇気を持ちつつ、
同時に、今の自分の年齢で積み重ねて来た知恵を使い、
賢く、強く生きて行きたい。


2012/1/21 23:12


(写真は、システィーナ礼拝堂があるヴァチカン市国の中の、美術館の中の螺旋階段の写真)

January 11, 2012 22:02


大抵、「物ごとが上手く行っていない」と思う時や、
そう感じる時には、
自分が焦っていて、
この気持ちを忘れていることが多い。

それは、「感謝」という気持ち。



「感謝」するには、
まずは、自分が今の時点で、
何を与えられているかを、
客観的に認識しないと行けない。

「感謝」できてないということは、
自分のいる状況、環境を、
「当たり前」と思い、
それに対する喜びを忘れ、
それ以上を、手当り次第に望んでいる場合が多い。


*****


昨日、彼女と話している際に、
彼女が言っていた。

俺が、彼女に、
「いつもありがとう」など、
感謝の言葉を伝えると、
俺の周りで、物ごとがうまく回り出す、と。

確かに、そうかもな、と思った。

それは結局、
俺が、自分の一番近い彼女に「感謝」をする、
ということは、
俺が、自分の置かれている環境を、
客観的に見て、
一度、「自我」を忘れて、
何か、「自分以外の他のもの」を、
自分より、思いやる、という気持ちを高く持っている、
という証拠なわけで。


そして、その状態でいるとき、
恐らく、そこで初めて、
「俺」という、自分に対するものに、
周りのいいものが、引き寄せられてくるのだと思う。

*****


今は転職活動中だが、
思う様に行かないこともある。

“Rejection is God’s protection”
とは言うが、
その言葉を、普段は他の人に言っていても、
いざ自分がその立場に立つと、
素直に、それをそう捉えられないときもある。



しかし、そんな時にも、
結局は、目の前の状況しか見えていないわけで、
結局は、
目の前の、自分の「利益」しか考えていないわけだから、
(例えば、早く、この無職の状況が終わって欲しい、という欲とか、
早く、仕事が決まったという、安心感が欲しい、という目先の欲。)

そして、その「目先の欲」に左右されてしまうと、
結局、一番肝心である、
今回の転職活動を通して、自分が成し遂げようとした、
一番の目的が成されなくなってしまう。

*****

人は時に、
自分の今いる環境に慣れ、
それが「当たり前」になり、
その状況に感謝をすることを忘れ、
自分を、悲観的に見てしまいがちだが、

そうなるのも、
そうならない様にするのも、
全て自分次第。



不安なことがあれば、
まずはその不安の元を、全て洗い出し、
それを最大まで、解決できる方法を考え、
それを最大まで実行する。

自分が、常に、
全力で、ベストを尽くしている、
という実感さえあれば、
後で後悔をすることも無いし、
後は、「やるべきことはやった。後は結果を待つのみ」
という心境になるはず。




そして次に、
自分の心が弱くなりそうになったら、
身体を鍛えたり、
本を読んだりして、
自分の中身を、自ら変えて行く方法を取る。


基本的に、
ジョギングをしたり、水泳をしたりと、
身体を鍛えれば、
気持ちは、晴れるものだし、
自分の視野が狭くなっているときには、
それを広げるような本を読めば、
自分で変えることはできる。

******


今は、精神的に前向きになっているから、
このように書けるが、
そうじゃない時には、
どうしても、こうやって考えられないときもある。


しかし、そんな時には、
「必ず明日は来る」と信じて、
疑わないこと。

そして、
「今の自分の辛い思いや、悩んだ分は、
必ず、全てが、自分の成長の糧になっている」と、
心から信じること。


*****


世界中の全ての人が、
自分のことを応援してくれようが、
自分自身が、
自分のことを、信じられていなかったら、
その人は、結局は何もうまくいかない。



逆に、その人が、
自分のことを心から信じて行けば、
物ごとは上手く回り出す。


しかし、そんなときにも、
その人のことを信じる人が、
その人だけで、
周りの誰も、他には信じてくれていなかったら、
その人の持つパワーは、
一人分で終わってしまうが、

その人の周りの人も応援してくれて、
その人自身も、
その人のことを信じていれば、
その人の持つパワーは、
何十倍にも、
何百倍にもなる。




だから、
まず、自分が自信をなくしていたり、
どうにも気分がふさぎ込んでしょうがない時には、
一度、「自分」を忘れて、
周りの人や、もの、環境、
それらに、とにかく、「感謝」をすること。



そして、悩みや不安を抱えた、
自分自身を、一度、捨て去ってしまうこと。

Kiss your ass goodbye.


その上で、
自分を、機械を見るかの様に、
客観的に見て、
まずは、やるべきこと、
できるけれど、やっていないことにフォーカスして、
それらを、とにかく、
コツコツとやること。


そうして、
「もう、これだけやってんだから、
後は、結果を待つしかない」
という状態まで持って行けたら、

後は、神様が自然と、
自分に、何かを持って来てくれるから。




******


【(自分の生活)ー(自我)+(周りへの感謝)+(自分が出来る限りの努力をする)】
=ベストの結果



そんな方程式が、書ける気がする。


*****

いつもいつも、
応援して励ましてくれる彼女へ。
本当にいつもありがとう。


2012/1/11 21:11





December 27, 2011 19:16



結局、 毎回同じ結論に至るが、
大事なのは下記の点。

・まずは、自分の気持ち、考えていることを整理すること。
それを紙、またはドキュメント上に打ち出し、
「文字にする」ことで、一度自分の頭の中に巣食う考えを全て洗い出す。
その後、それを客観的に分析し、それに対する解決策を一つずつ出して行く。
それを行っていけば、頭の中に漠然とある「不安」は消え去る。

・「不安」が生まれるのは、
「自分が何に対して不安なのか」がハッキリしていないから。
「自分が不安に感じる」理由を洗い出し、それが明確になれば、
それに対する解決策を考え、実行するのみ。
そうすれば、「不安」は消える。

・自分のことを客観的に評価するには、
今までに自分がして来た事、自分の通って来た軌跡を紙に書き出し、
それを客観的に把握することが大事。
一月の間に、どれだけの仕事量を自分がこなし、
それに対する成果は如何ほどだったのかを明確にする。
「大体これくらい〜」ではなく、
「○件の何をして、それに対して成功が○件、失敗は○件、
それぞれに対する結果の理由は」を明確にして行けば、
ただ、「経験を積んだ」でなく、
「確実に身となる経験を積んだ」という状態へ変わる。
それが自信となる。


・ただ自分に、「自分はできる、大丈夫」と無意識に言い聞かせるのは、
神頼みに近い。
神頼みが心もとないのは、それが確実かどうかが分からないから。
それよりも、実際に自分が今、どれだけの力を持ち、
それに対して、どれだけの結果が、どれだけの割合で出ているのかを、
まずは明確にする。
数字、データにより、自分の「感情」を抜かした、
客観的な絶対的データを導き出す。
それを元に、自信をつけた後は、
そこから、「自分はできる、大丈夫」の「信念」がモノを言って来る。

絶対的な力が無い状態での「信念」は、
体力が無い者が、いきなり空手の試合に出る様なもの。
逆に、絶対的な力があろうが、
自分を信じる「信念」が無ければ、
空手の試合に出ようが、気合い負けする。

両方の要素が必要と成る。


・そして何よりも一番大事なのは、
「自分が何を求めているか」を明確にすること。
大体の場合、
「自分が何を欲しいか」
「自分はどうしてその行動をとったのか」
「自分はなぜそれを嫌と思うのか」
「なぜ自分はそれに惹かれるのか」
などの理由を、明確に分かっていない事が多い。
その状態では、相手にそれを聞かれた時に、
答えることは出来ないし、
それ以上に、相手の心を動かすことは出来ない。

上の質問の内容に答えることは、
「自分は誰か」を知る事。
「自分」という基盤がグラグラしているものは、
すなわち、「自分」が無いのと同じ。

「自分」が無いのでは、
その人間が、絶対的にそこに求められるという理由も生まれない。


「自分」は誰で、
その人間が、「何」を求めて、
その人間が、自分が求める場所にいる為に、
その場所で、自分は「何」が出来るのか。


それを明確にして、それを分かり易く伝えるだけ。
全てはシンプルである。

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心がソワソワし始めたら、
自分の心と対話がきちんと出来ていない証拠。
そんな時は、
本を読むよりも、
人の話を聞くよりも、
まずは、自分ととことん話す事。
自分と話すには、紙を使って、
文字に自分の気持ちを落として、
自分を客観的に見つめることが大事。

そのプロセスに時間を十分使えば、
自分の心は晴れ、
次に何をしたら良いかも明確になる。


2011/12/27 19:13




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