My Life-人生

April 13, 2017

2017/4/13

一昨日は、スティーヴンタイラーに会ってきた。
今回、彼初のソロアルバムによるライブ。
その武道館でのライブの前に、彼と直接会って、写真が撮れるというもの。

去年の11月後半にそのチケットが売り出されることを知って、
通常のライブチケットS席13000円以外に、
VIPチケット(ミート&グリートのみ)用に60000円と、
価格はとても高かったけれど、
中学の頃から20年以上のファンとしては、ちっとも高いものではなかった。少し悩んで、買おうと決めた。

なので、チケット発売当日の12/2金曜日(平日)は、販売開始の12:00前から会社でスタンバイして、自分のiPhoneと会社のパソコン2台の、合計3台で、サイトにアクセスすべくスタンばった。

11:55くらいからサイトがパンクし始め、1時間近くアスセスできず、
かなり焦って、
途中、12:30すぎに昼に出ながらもずっとアクセスし続け、
中華を食べながら一瞬、あきらめそうになったけど、
「いや、必ず取れる!」と信じ続けながら何度も何度もボタンを押し続けた結果、
13:00過ぎに奇跡的に繋がって、そこでVIPチケットを一枚買えました。
その後、こっそり会社を出て、
近くのセブンイレブンに代金を払いに行き、無事完了。


それから4ヶ月。
はっきり言って、あんなにファンだったエアロスミスのスティーヴンタイラーだけど、どうも会えるという実感が湧かないからか、
それとも、エアロスミスとして来ないからか、
または、昨年7月に出したアルバムが、カントリーで、俺の好きなタイプの曲ではなかったからか(もちろん曲自体はどれも良くて好きなんだけど)、
または、最近彼は老けてしまって、髭を生やし出し、見た目も、俺の好きな感じではなくなってしまったからか、

または、きっとこの理由が一番強いけれど、
今の自分の生活にいっぱいいっぱいというか、子供との時間や、妻との時間や、
両親との時間など、
または、普段の自分の趣味などに没頭していたせいか、

正直、あんまり、今回の4/11という日を、指折り数えて待つ、という感じではなかった。

なので、当日何を着ていくかに関しても、普段の自分の格好で別にいいやと、
そんな感じだった。

俺の中で、スティーヴンタイラーという存在は、神のような存在だけれど、
そんな彼に、いつまでもファンとして会っていたくない、
いつか、対等に俺も何かの分野で勝負して、人間としてデカくなって、
彼に、対等に会談か何かで会う、
だから、今回はあくまでもキッカケ、
そんな、生意気な、変なプライドもどこかにずっと会った。
ファンであることは事実だけれど、同時に、
いつまでも、一生ファンの状態で終わりたくないというか。

そんなこんなで、当日着る洋服も、行く1時間前に、あ、そういえばエアロスミスのTシャツ着て行った方がいいのかな?と妻に相談して、格好も出る直前に決めて、
彼に手紙を書くというアイディアも、事前に何度も考えていたにも関わらず、どうも気が乗らなくて、結局当日まで実行せず、
出かける直前に、妻に封筒をもらい、
行きの電車の中と、九段下駅の近くのスタバで、
武道館集合場所の30分前になるまで必死に書いて、
慌ててエアロスミスのロゴと、彼の好きなタイ焼きのマークを手紙と封筒にそれぞれ描いて、
そんな感じで、バタバタして出かけて行った。

前日までは春のように暖かかったのに、
その日だけ、急に大雨と風で、雨が吹き荒び、
冬のように寒い雨空の中を。

*****

スタバで手紙を書き終えた後は、集合時間の30分前の3時に集合場所へ向かった。

集まっている人々は、俺くらいの男性は少なく、男性はいても40代以上。
圧倒的に女性が多く、特に40代以上の方が多かった。

南口玄関に集まり、チケット確認などをして、建物の中に入り、
中の通路でもまた待ち(理由はスティーヴンの車が予定より遅れているという理由)、
その後、スタッフから、事前の最終説明があり、
その後も、彼のいる部屋につながる通路につながる地下階段の踊り場の前で、更に20分ほど待たされ、
最終的に、4:30頃に、ついに彼に会った。

俺たちファンは、列に並ばされ、
手荷物を全て置き、
手紙やプレゼントは事前にスタッフに渡し、
手ぶらの状態で、彼のいる撮影部屋に繋がる通路にて、通路沿いに一列に並んで待った。

部屋の外には、アメリカ人のマネージャーらしき男性、女性、
それから数名の日本人スタッフたち。

俺は、前から12番目だった。後ろには、階段から上の階までにかけて、更に50人近くが並んでいた。

いざ、先頭の人が呼ばれ、「さあどうぞ!」と。
そこからは、順番に1人ずつ呼ばれ、部屋の入り口には黒幕が垂らされ、
黒幕の前に立っている白人金髪長髪アメリカ人の男性が「Okay, common!」 と俺に対して言うと、その幕が開けられ、中に入ると、前の人が撮影が終わったところで、自分が入れ替わりで入って行く。

一番最初の女性が呼ばれたとき、踊り場と部屋をつなぐ通路に通じる鉄のドアが開かれたんだけど、その時、Stevenのあの声で、「Okay, let’s go!!」のような声が聞こえてきた。大きな声で。
そのしゃがれた声を聞いて、「あ、本当にいるんだ!」と急に緊張してきた。

列がどんどん進んでいき、
3人前くらいになったとき、
それまでも緊張していたけど、
その瞬間から、心臓がバクバクして、視線が定まらないというか、何だかよく分からなくなってきた。

前の人が呼ばれ、15秒くらいして、
いざ自分が呼ばれ、黒幕が開けられ、
中に入ると、
部屋の左側の奥に、白の大きなスクリーンの前に、
そこに、スティーヴンタイラーが立っていた。

普段、映像や写真で見る通りの彼で、
思ったより、背が大きかった。
細めで、すらっとしていて、姿勢が良く、真っ直ぐというイメージ。

彼の左側(手前側)に、別の大きな白人スタッフがいて、
彼に手で「さあ近づいて」という感じで合図を受けて、
スティーヴンタイラーの方に近づいて行った。

最初に、Nice to meet you と言えたのか、覚えていない。
ただ、近づいて行って、手を差し出したら、握手をしてくれて、
"I've been big fun of yours for 20 years!"と言ったら、
"Alright!!"と。
そして、カメラはあっちだよという感じで、右手をさしてくれて、そこにはプロのカメラマンが立っており、
2人で写真を撮ってもらった。
そのとき彼は、俺の方によってくれて、少し背をかがめて、俺の頭の高さに合わせてくれた。

そして、フラッシュが一度たかれた後、
彼に、もう一回手を握って、
"Thank you so much!!"と伝えると、
彼も、"oh, thank YOU so much!"と。

そのとき、握手をしながら、彼の顔が、目の前にあったんだけど、
ハッキリ言って、あまり覚えていない。
その、彼がいた空間、どこに誰が立っていたか、
そういう、輪郭のようなものは覚えているんだけれど、
実際の彼の顔、
彼の洋服、
そういうものは、見ていたはずなのに、
驚くほどに、覚えていない。

でも、最初に彼に近づいて行って、感じたのは、
優しいアロマの香りがしたということ。

手が柔らかかったこと。

そして、最後に握手をしてありがとうと伝えた時も、
俺の目をぐっと見て、「いや、俺の方こそ、ありがとうな!」と、
心から言ってくれている、という感じがしたこと。

目の前に、集中して、
まるで、子どものようなピュアな目を持っていて、
真っ直ぐで、目の前のその人間に、正直に向き合ってくれている、という感じ。

それを、感じた。


*****


自分が部屋に入って、彼と会って、握手して、
一言二言会話して、
写真を撮って、
また、ありがとうと握手してもらって、
それで部屋を出るまでは、
きっと、15-20秒くらいだったと思う。

一瞬だったけど、本当に、夢の中のようだった。

その部屋の中は、全部で人が8〜9人近くいたと思うんだけど(全部アメリカ人で、スタッフ)、
その部屋の中も、撮影用にすごく明るかったし、
スティーヴンタイラーも神のように光っていたし(イメージは白)、
周りも全員アメリカ人で、その部屋の中が、外の薄暗い通路とあまりにも違ったので、
本当に、あの部屋の中だけ、夢の中だったんじゃないかと感じる。

俺が彼に別れを言って、
部屋を出るとき、
次の女性が入ってくるときに、
後ろで彼が、
“Hey, how long this Beatles thing will go on!?”
みたいな事を言っていた。
ビートルズ的なこと?
よく意味が分からなかった。

部屋を出ると、待っている人たちは、興奮した顔で、
え、もう会ってきたのという感じで、俺の顔を見ていた。
アメリカ人の白人の綺麗な女性(スタッフの1人)が、列に並ぶファンたちの数を、階段の下から上を見て数えて、あと何人だから、一人あたり何秒で終わらせないと、という感じで、焦った面持ちで客の数をカウントしていた。

俺が列にまだ並んでいるときは、始まってすぐだったにも関わらず、
”Common common!” 「時間が無いから早く早く!」と、日本語と英語で大声が飛び交っていた。

その部屋を出て、上に上がり、
洋服を着替えなおして、
最後に記念の写真立てを受け取り、外へ出た。

*****

そのあと、夜の19:30前からライブが始まり、それまでは、何だか実感が湧かなかったんだけど、
いざライブが始まると、いつもの、あの、スティーヴンタイラーだった。
エアロスミスのコンサートではありえないくらいに、ステージに近く、
前から6列目だった。

Sweet emotionから始まり、Cry'nと続き、
一曲目が始まったときには、感極まって、涙が溢れてきた。
多分、3回くらい、泣いたとおもう。
しかも、頬に後が残るくらいに。
昔はこんなに泣くなんてことはなかったけれど、なぜか、感極まって涙が勝手に出てきてしまった。


約2時間のショウは、
本当に、最高だった。
今までのエアロスミスのショウの中で、
一番良かった。
スティーヴンタイラーを堪能できたという意味で。
彼も、ほんとうに楽しそうに、やりやすそうにやっていた。
きっと、ソロだし、
メンバーも、全員彼より年下だから、やりやすいというのもあるのかもしれない。
エアロスミスの時は、自分と同い年くらいのメンバーが他に4人もいるわけで、男5人は、みんな主張が激しいだろうから、その中でやっている彼はいつもある程度抑えているというか、正直今回のライブを見るまではそう思う事すらなかったけれど、今回のショウを見てみて気づいたのは、初めて彼が、本当に伸び伸びと、自分のペースでやっているなあということだった。

*****

ライブが終わって、当日の夜は、夜中も何度か目が覚めた。多分興奮していたんだと思う。

翌日(昨日)も、ボーっとしていて、
正直午前中は、仕事に身が入らなかった。

昨日の夜、妻と夜中に話をして、自分の気持ちを整理できた。

結局、自分は、1997年から、13歳のときから20年以上、それこそ本当にどんなアーティストよりも聴き続けてきた、しかも、そのエアロスミスというバンドを聴き続けた理由は、スティーヴン・タイラーという、カリスマ的な存在がいたからで、
その人間を、言わば20年間、追いかけてきたようなもので。

そんな彼に、今回自分は、本当に会ってしまった。

たぶん、相当ショックだったんだと思う。
自分の頭の中で、プロセスできなかったんだと思う。

なので、約2日かかって、やっと、こうして書ける。

最初に書いたように、今回のライブは、
直接彼に会えるというにも関わらず、
なんだか、日々の毎日に没頭していたせいか、
あまり、楽しみではなかった。
実感が湧かなかった。
なので、そんなに準備もしていなかった。

でも、今回、彼と会って、
今更になって、その事の重大さに気付いたというか、
今頃、もっと準備をして、楽しみにして、
楽しんでおけばよかった、と思った。事前から。
なぜなら、それは、余りにもビッグイベントだったから。自分にとって。

昨日、会社で、
今頃、
そういえば、自分の両腕に、彼と同じタトゥーをマーカーで描いて行けばよかった(自分は絵が得意だから)とか、
彼のお気に入りの歌詞を、腕に書きまくっていけばよかった、とか、
白いT-シャツに、ロゴとか、歌詞を書きまくって見せればよかった、とか、
彼の絵を描いて、それを持っていけばよかったとか、
もっと、ライブの前に、彼の本をもう一度読み返しておけばよかったとか、
そんなことを、今頃考えている。

つまり、余り期待していなかったにも関わらず、
結局、自分にとっては「神」であった存在に会い、
むしろ、そんなに楽しみじゃないぜ、普通にいつもの俺で会ってくるよ、いつかは対当に会ってやるんだ、くらいの感じでいたにも関わらず、
結局は、彼は自分のスターで、アイコンで、
そんな彼と会えることは、本当に人生の一大イベントだったということ。

そのインパクトのデカさに、今頃気づいている。

******

これ以上書いてもしょうがないので、この辺で終わりにするけど、
とにかく、なんだか、自分の人生の目標の一つ、
Steven Tylerに会う、という事がかなえられてしまって、
しかもそれが一瞬で終わってしまって、
なんだか、ものすごい喪失感というか、
ロスというか、
ショックだったというか、
It totally blows my mind.

*****

2017/4/13 9:39am



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March 04, 2017

「羽田→自宅」

2017/03/04 19:54-

毎回の出張で恒例の、「ルフトハンザ機内にて」の反省会は、今回の帰りの便ではほとんど寝てしまったので出来なかったが、羽田空港から自宅までの残りあと30分ちょっとで、サラッとしてみたいと思う。

******

さて、今回の出張の感想。
・今まで丸4年、今回のも併せて合計14回も海外出張に行き、短いのは1週間弱、長いのは4週間にも及んだ中で、今回の13日間というのはかなり短い方だったが、今までで一番長く感じた。理由は、妻と娘が恋しかったから。
娘は今15ヶ月。明日で16ヶ月になる。毎日成長が著しい娘から2週間も離れるのは、拷問に等しい。自分がいない間に、娘が力強く歩けるようになったり、階段を登れるようになったり、蓋を開けられるようになったりというのを、今はネットや便利なアプリがたくさんあるから映像では見られるものの、その場に自分がいないと言う事実、そして、恐らく娘は自分がいないことすら気づいていないその事実が、何とも出張中に、悲しい思いにさせる。

俺は海外営業がしたくてこの仕事に就いたわけだが、もう4年やってきて、十分味わったし、且つ、娘が生まれた今は、娘の成長を横で見ていたい、ミスしたくないという思いから、たった2週間(今までの感覚からすると“たった”)の出張が、“2週間も”に感じた。本当に長かった。週末を一回しか向こうで迎えず、仕事も今まで一番ラクくらいに大した内容じゃなかったのに。

今回、出張先のNYで、妻の大学時代の友人の方とお会いする機会があった。
俺は彼女に一度だけ、2008年、妻が日本に帰国する前に妻の友人たちが開いてくれたFarewell Partyに彼女がいらしたときにお会いしてるんだけど、正直余り話さなかったし、実際に一対一でお話する事は初めてに等しかった。

でも、今回、妻が元々、新しく自分の家を買ったときには、その方に絵を描いて欲しい(その方はアーティスト)という希望が昔からあり、昨年末に家を購入し、早速彼女に依頼して、仕上げていただいた絵を、今回受取に行くというのが俺の役目だった。

NYで2/28の日曜日、朝10:00に、フェリー乗り場から歩いて10分ほどのカフェ/レストランで待ち合わせした。そこはたまたま、彼女の働く仕事場のすぐ近くでもあった。

俺は9:30くらいには着いたので、かつ外は凍えるように寒かったので、中に入って、バーで温かいアップルサイダーを飲みながら、彼女を待った。

10分ほどすると彼女が現れて、「覚えてます?」との挨拶から、奥のテーブルに移動して、そこで朝食をお互いに取りながら、色々な話をし始めた。

その方は、その日は翻訳の仕事が入ったとのことで、午後には上がらなきゃ行けない予定だったので、俺としては恐らく長くても昼までかな、という頭でいたんだけど、結局、最終的には夕方18時過ぎまで一緒に付き合っていただくことになった。

細かい話等は割愛しますが、とにかく、俺は今回その方に会えて、随分と色々な刺激を受けた。

書き出すと長くなるので、要点だけ言おうとすると、
彼女に会って心を動かされたのは、
・自分の人生に、真の意味で向き合っていること。
・自分を“生かす”為に、毎日の生き方、生きる場所、やること、時間を使う内容、仕事の時間までをも考えてコントロールしていること。
・自分の考えをしっかり持っていること。
・知識が豊富であること。
・”True to herself”であるのに、そして自分の意思をしっかり持っているのに、同時に、礼儀がしっかりしていること。

そして、俺が心を動かされたのは、
彼女は、アーティストであり、絵(鉛筆、水彩画、アクリル、フォトショップ、イラストレーター等何でも)を作る人だということ。

彼女は、その道を真剣に歩んでいる人だから、絵の道を歩んでいない俺が、自分と彼女を比べるのは失礼に当たると思うが、
彼女が元々どうして今までの道を歩んできたか(子供の頃から絵が好き、映画でも自分のアート、“世界”を現せることに気づき映画の道も進んだこと、等)を聞くと、
自分が過去に感じたこととすごく似ていたので、
そして、そもそも「絵が好き」「絵を描くことが好き」という人は、考えてみたら俺の周りには殆どいなかったので(大学時代にアートクラスで一緒になった人々を除いては)、
そんな人が、今は、「絵」をやるために、一人NYに2年前から単身で渡り、毎日その地で奮闘されているというのを垣間見て、ハッキリ言ってショックを受けた。
「これって、俺が、きっと本当は一番子供の頃から好きで、でも、その道で食べていく方法もわからないし、それで失敗したら怖いから、恐らく無意識的に、“俺は絵が好きだけど、やらない”と決めて今までやってきたものじゃないか?」と。

俺は何が好き?
そう聞かれたら、こう答える。
「好きな音楽を聴きながら、絵を描いたり、文章を描いたり(自分の思うことをExpress―表現する)すること」と。

子供の頃から手先を使うのが好きだった。
まだ本当に小さい頃に、ジグソーパズルを根気強く一人で黙々とやり、
絵を書き始め、
工作にハマり、
紙粘土、厚紙で何かを作るのが大好きだった。
欲しいものは、描き、作った。

その頃は、何か模写をするのが好きだったが、
今は、ハッキリ言って、自分をExpressしたい。
その気持が強い。
自分の中にある“何か”を、
絵なり、言葉なり、何らかの媒体を使って、発散させたい。
出したい。

それが、俺が今心につっかえる、何かだと思う。

音楽アーティストは、それを、自分の作る音楽で表すんだと思う。
絵画アーティストは、絵画で。

俺は、ハッキリ言って、自分がやりたいと思っていた「ディズニーで働く(絵を描き、映画を作るサイド)」という夢を、実際に二十歳の頃に勉強して、
この道では、自分のオリジナリティが無いと、上に行けないから、そして俺は、模写ばかりしてきて、自分のオリジナリティ、アイディアを出す事が苦手だから、
その道では生きていけないかも。
そう思い、かつ、その時期にそれらの「アート」を宿題として、課題として、タスクとして「To Do」としてやる中で、ちょっと嫌になっちゃったんだと思う。
それで、本当にそれがしたいかよく分からなくなり、
その後、次にやりたいことは、ということで、イタリアルネサンスの絵画修復師があったから、それを見極める思いで、6週間、一人で初めてイタリアをメインにヨーロッパをバックパックで回ってみたけど、
実際に回る中で、そのときもルネサンス時代の宗教画ばかり見すぎて、
「何か、疲れてきた・・・」「飽きた」となった俺がいた。

で、結局そのときに、「こうして世界を回ることは、自分の見聞が広がっていくようで、自分が人間としてどんどん大きく成長していくようで、楽しい!」となり、
それだけを軸に、俺は、今までの人生をというか、仕事選びをしてきた。


そして今。冒頭に戻るが、子供が生まれ、妻と娘3人で過ごす時間の方が、海外に一人で身を置くよりもずっと大事になった今。
今、俺がやっていることは、今俺がやりたいことではない。
次の俺の道は?となったときに、
今回NYで、その方とお会いして、「絵」というものをやっている、その方に会って、
何だかガツンと、衝撃を受けた。

*******

いきなり、絵で食べられるかは知らない。
今まで絵でやってきた人に、失礼だろう。
でも、俺が出来ることは、絵をまず描くことじゃないか?
そこから、全てが始まるだろう。

グダグダ言ってねえで、とりあえず行動しろよ!と。
今の仕事がとか言ってないで、それもやりつつ、
絵をまず描けよ!と。

行動からしか、何も生まれない。

以上、電車が着くのでここまで。

20:26





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November 05, 2016

2016/11/05 23:02

今日で娘は一歳になりました。
1年前に生まれてから、もう一年。
あっという間の一年でした。

今朝は予防接種で、病院で注射を二本も打ったので、
大泣きでした。
でも、そのあとに、夫婦で部屋を飾りつけして、
誕生日プレゼントの積み木もあげて、
喜んでくれて、本当に良かったです。
今は、疲れたのか、スヤスヤ寝ています。

これから、娘がどう成長していくのか、本当に楽しみです。

元気に育ってほしいな。

2016/11/05 23:05


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July 05, 2016

2016/07/05 22:48-

今日で娘はちょうど8ヶ月になった。
娘が自宅に来てから、約6ヶ月。(11/5に生まれてから約二ヶ月は妻の実家に居た。)

この6ヶ月は、毎日幸せで、
娘の成長とかを残しておくべきだなあ、
その時の気持ちを書いておくべきだろうなあと思いつつも、
なんだか、その時間を取らずに、というか取れずにきた気がする。

でも、今日は8ヶ月目だし、
ちょうど区切りがいいので、少しだけ書いておこう。

*****

娘は、今ではやっと寝返りができるようになった。
数週間前まではできなかったけど、ある日にできるようになってからは、
今では毎日ゴロンゴロン。
夜中も、寝ているとひっくり返って、全然違う方向を向いて寝ている。
先日なんか、朝起きてみたら、娘の布団と妻の布団の間の溝に、頭を下にして寝ていたので、息ができないんじゃないかと思って焦った。

*****

最近は、手足も良く動かすし、握力も強くなった。
足の力も強くなり、お腹をボンボン蹴られるし、
脇の下を持って支えてやると、両足で立つようになった。
まだグラグラしていることもあるけれど、最近はかなりしっかり立てるようになってきた。

*****

離乳食も数ヶ月前から始めて、
全然食べずに、妻が心配する日もあるけれど、
昨日なんかは、バリバリ食べていたらしい。

離乳食を食べる時は、いつもテーブルに手をバンバン勢いよくぶつけている。

そういえば、今は手にするもの、なんでも舐める。
自分の足の指も。

*****

いろいろと書くことはあるけれど、
一つ記しておきたいのは、
毎日の変化は、ほんの少しなんだけど、
長い目(数ヶ月単位)で見ると、かなり変わっているということ。

だから、そういう、『今の状態』というのは、
少しでもいいから、書いて残しておくことが、大事なんだろうなあと思う。

*****

さて、毎日、今は会社を定時の17:30過ぎにさっと出て、
18:30過ぎには家に帰ってきますが、
毎日、家に帰ってくると、妻と娘が迎えてくれて、本当に幸せです。

正直、仕事のやる気が最近全然ないけれど、(夏バテか。気候のせいか。それとも仕事に飽きたか)
家に帰ってくると、妻と娘がいるので、
それだけを励みに、毎日なんとか会社に行っているようなもんです。

とにかく、娘には、健康に、無事に成長してほしいと思います。

2016/7/5 22:58


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December 13, 2015

2015/12/13 15:56

今は妻の実家からの帰り道。
最近は、週末金曜の夜の高速バスか、また土曜に電車に乗って、
妻の実家へ。
週末をお世話になり、子供の面倒を見て、日曜の夕方の電車で、自宅へ帰るという日々を過ごしている。

平日は俺は妻と子供と離れているので、子どもの面倒も見られないが、
その分、週末はなるべく、ミルクとか、オムツ替えとか、お風呂とかするようにしようとしている。
でも、やっぱり真夜中に何回も起きるのは辛いし、中々起きられない。
それでも妻は、すぐに起きて、子どもの世話をしてくれる。

彼女は、娘を産んでから、
もう40日近く、夜中も満足に寝ていない。
疲れもピークのようで、昨日はものもらいができてしまい、かわいそう。
なんとか、夜は俺が代わってあげたり、または、日中は俺が面倒見て、その間は寝てもらうなど、してあげた方が良い。
今は殆ど出来てないから、正月明けに自宅に帰ってくる頃には、俺が率先してやろうと思う。

・・・・

子どもは、あっという間に大きくなっていく。
一週間で、見違えるよう。
顎の周りのお肉も付いて、
頭も、どんどん大きくなっていく。
足や手も長く、身長が大きな子になるのかなと思う。

周りの話を聞くと、
この時期は、あっという間で、
みんな、あの小さな頃にまた帰らないかなーと、声を揃えて言っているよう。
でも、当の親は、それどころじゃなく、忙しいから、
その、小さな頃の可愛い時代を味わう暇もなく、
後で気づくとか。

後で後悔しないように、今のうちになるべく、味わっておこうと思う。
毎日子どもの世話をしている妻からしたら、そんな風に思う余裕もないと思うが。

・・・・・・・


来週末を迎えたら、その後はもう一回週末を迎えて、そうしたら、お正月。
月日はあっという間に流れていくと思うけど、いっときいっときを大事に、過ごして行こう。

2015/12/13. 16:08

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December 06, 2015

2015/12/6 22:56-

昨日で、娘が生まれてから一ヶ月が経った。
今は、妻が里帰り出産のために彼女の実家に戻っているので、
俺は、毎週末しか妻と娘に会えない。

最近は、毎週、土曜日に、電車に乗って妻の実家の最寄り駅まで行き、
駅まで車で迎えに来てもらい、一泊して、日曜日に帰るという日々を送っている。
片道、全部入れると3時間近くかかるので、結構疲れますが、
妻が毎日やっていることに比べたら、全然屁でもありません。

今週末は、金曜に東京駅から出ているバスに乗り、
2時間ちょっとかけて、行った。
なので、今週は、二泊できて、良かった。

*****

娘は、たった一ヶ月で、あっという間に大きくなってしまった。
最初は2500グラムくらいで生まれてきたけど、
10日位まえの一ヶ月検診では、すでに1kg以上増えていた。
今では、頭もすごく重くなって、体も大きくなってきた。
俺は毎週末しか会わないから、成長に気づくけど、
それでも、やっぱり、写真を見比べると、生まれた頃と、全然違うんだな、ということに気づく。

*****

昨日、夜、子どもをあやしながら、考えていた。
今の年齢になったら、俺なんかは、もう、毎日変わることもないし、
一ヶ月や、一年では、そんなに変わらない。
髪の毛が薄くなり、肌が老けていくくらい。

でも、子どもの場合は、特に赤ちゃんは、
たった一週間、一ヶ月で、本当に、あっという間に変わってしまう。

だからこそ、一瞬一瞬を大切にしなきゃいけないんだなって。

そう、感じた。

*****

子どもが、大きくなるということは、
自分も、年齢を重ねて老けていくということ。

自分が、一年でそんなに変わらないからと言って、毎日を適当に過ごしていると、
同じ一年で、子どもは、一年分成長してしまう。

だからこそ、子どもの成長を見過ごさないためにも、
自分の一日、一瞬も、大事に、過ごして行かなきゃ。

そう、思う。

*****

1年後、3年後、5年後、
10年後、20年後は、どんな子になっていくんだろう。


2015/12/6 23:04



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December 02, 2015

今日は久しぶりに、
良太郎と奥さんのまりこちゃんと会った。

本当に良い時間でした。

良太郎と会うと、色々と触発されます。
今日も、
彼の仕事の話とか、
今後の夢の話、
色々話しました。

会って、必ず気持ちの良い人間というのは、そんなにいないものです。

彼は、毎回会うたびに、触発してくれ、色々と気づかせてくれ、
おれのダメなところを気づかせてくれ、
おれももっと頑張らなきゃ、
こんなところで腐ってる場合じゃないな、と気づかせてくれます。

彼の人間性、その人となり、
生き方がそうさせてくれるのでしょうか。

今日も、彼とのお互いの告白タイムばかりで、まりこちゃんの話があまりできず申し訳なかったですが、
次回はまた、うちの奥さんも一緒に、みんなで会えれば嬉しいです。

・・・・

同じ22日生まれの彼。
お互い、大きな夢を持ち続け、
それに向かう努力を日々行い、
上に進んで行きたいと思います。

久々に清々しい気分になった帰り道の日記。

2015/12/2. 22:55



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November 05, 2015

2015/11/5 22:34

今日、10:24に、
ついに、赤ちゃんが生まれました。

今日は、本当は、
妻は帝王切開の予定で、
午後に手術をすることに決まっていましたが、
なんと、夜のうちから、陣痛がこのタイミングで始まり、
結果、午前中に急遽手術をすることになりました。

僕は本来、朝の8時に家を出て、
車で2時間走り、妻の実家に一度行き、
そこから妻の母と、二人で車で
妻のいる病院に向かう予定でしたが、
急遽予定変更。
朝の6時前に、たまたま妻のメールを見て、
すぐに支度をして、家を出ました。

途中、ものすごい渋滞。
家の近くの高速に乗るまでで、1時間近くかかり、
結局、家を出たのは7時前にも関わらず、
病院に着いたのは9時半。

ナースステーションに着いて妻の名前を告げると、
「あと5分ほどで手術室に向かうところですよ!」と。
What??? という感じでしたが、
あとで聞くと、おれが着くほんの少し前に、そう決まったそうな。

結果、妻とは5分ほどだけ会え、
そのまま彼女は手術室へ車椅子で。

それから、彼女の病室で待つこと1時間以上。
お母さんと一緒に待ちながら、
大丈夫ですかねと、不安になっていた11:00頃。
(妻は、9:45には病室に向かった)

急に、部屋に看護師が。
なんと、保育器に入った、小さな赤ちゃんと一緒でした。

あまりにも突然で、
あまりにも、スッキリしていて、
(生まれたての、真っ赤な顔ではなく、すでに顔は白かった)
まるで、その子が自分の子とは、あまり実感が湧かなかった。
ただ、わあ、としか言えなかった。

少しだけ対面して、
あとは、赤ちゃんは、新生児室へ。


そのあと少ししてから、妻も病室に帰ってきました。

妻は、全身麻酔ではないので、
すぐに口もきけ、
色々会話ができました。


結果として、
赤ちゃんも元気、
妻も元気、
母子ともに元気で、本当に、
本当に、良かったです。


・・・・・・・


今日は、赤ちゃんは、モニターを付けられていて、
その担当の先生が夜はいなかったため、
赤ちゃんが病室に来ることはなく、
結果、妻は、赤ちゃんを、抱くことができませんでした。

でも、僕は、窓ガラスの外から赤ちゃんを見に行った時に、
特別に、少しだけ抱っこさせてもらえました。


本当に、小さかった。
軽くて、指なんか、本当に細くて、
さっきまで、お腹の中にいたの、と思うと、
信じられません。


妻は、本当によく頑張りました。

妊娠が分かった三月から、
つまり、妊娠した2月後半から、
今まで、本当によく頑張りました。

不安なことも、たくさんあったと思います。

今まで、妊娠するかなと、
不安になったこともたくさんありました。

でも、無事に妊娠できて、
今日、こうして、無事に元気な赤ちゃんも生まれて、
本当によかったです。


・・・・・・・


また明日の朝から、病院に行きます。
今夜は、妻は一人で、病室で寝ています。
かわいそうですが、
また明日、一緒に過ごしたいと思います。

早く妻が赤ちゃんを抱いて、
笑顔になれるように。


2015/11/5
22:48





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November 03, 2015

2015/11/3(Tue) 21:43-

明後日、ついに初の子供が生まれます。

今年の3月、妻が妊娠したことが分かりました。

妻は誰よりも子供が好きで、昔から、子供を持つことが一番の夢と言っていたので、
最初の頃は、なかなか子供もできず、
お互いに、色々と悩んだ時期もありました。

赤ちゃんができるという噂のある神社にお参りに行ったり、
お守りを買ってきたりもしました。

赤ちゃんができるかなあと、妻が心配して泣くこともよくありました。

でも、必ず大丈夫だよと、それを信じて、今までやってきました。

なので、今年の3月、ついに妊娠したとわかった時は、
とても嬉しかったです。


ここには、そのことを書いてきませんでした。

普段やりとりをしているSNSなどにも、妻の妊娠のことは報告していません。

親しい人に、メールでこっそり教えているだけです。

やはり、赤ちゃんが無事にお腹のなかで育って、生まれてくるまでは、
という気持ちもあるし、

なかなか妊娠しない人のことを考えても、
自分たちの嬉しい気持ちだけを書く、というのも控えたい、という気持ちもありました。


******

今は、僕は一人で家で過ごしています。
妻は、9月の頭から、実家に里帰りしています。

明日は、妻は一人で入院して、
明後日、午後に出産予定です。

僕は、明日は仕事に出て、
明後日、妻の実家へ一度車で行ったあと、
妻の母親と一緒に、病院へ行き、
妻を見守ります。


*****

不安じゃないと言ったら嘘になります。

でも、きっと、元気で可愛い赤ちゃんが生まれてくると思います。


妻も、きっとすごく喜んでくれると思います。


*****

これからは3人になります。

これからは、また人生が、今までと変わりますが、

毎日を大切に、
赤ちゃんを大切に、
妻を大切に、

3人で、仲良く過ごしていきたいと思います。

*****


今の気持ちは、

わくわく、ソワソワ、
落ち着かない気持ち、

そういうものが混ざっています。

自分が父親になるということ。いい父親になれるのか分かりませんが、
できることは、すべて、努力します。


なによりも、今までがんばってきた妻へ。

妊娠してからも、つわりや、色々と大変だった時期がたくさんありました。

でも、妻は8月末まで仕事もがんばって、
家事もやってくれて、
僕のことも、支えてくれました。

今は、一人で暮らして、
いかに妻が、自分のことを、精神的にも、物理的にも、支えていてくれたかを、
ひしひしと感じます。


妻には、本当に、感謝しています。

そして、愛おしい気持ちでいっぱいです。


*****

また、報告します。


2015/11/3 21:59-





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October 18, 2015



2015/10/18 3:45am- (London時間)

今はロンドン→羽田の飛行機の中。
今回もありがたい事にファーストクラスの席。
前回3月と同様、アップグレードポイントが貯まっているので、40ポイントある内20を使ってアップグレードした。

******

毎回出張に来るたびに、飛行機の中で自分を省みて
結局最後には
「俺は最近視野が狭くなっていた。しかし、足りなかったのは感謝の気持ち。
全てに、感謝」で終わると、
妻に今回の出張の最初の方にからかわれていた。
でも、結局そうなる予定。

*****


今回は3週間の出張。23日間。
最初の一週間はNYとニュージャージー。
そのあとはシカゴ、アイオワ一日、インディアナポリス、ワシントンDC、
で、その後、マドリードに1週間、
ロンドンに最後一日。一泊して、今飛行機の中、というわけ。
長い出張でした。


しかし今回は、普段は行かないマドリードとロンドンが入っていたので
最後の方は新鮮で楽しかったです。
一番最初のNY(NJ)一週間は、いつもと同じホテルで、
土曜日の夜にホテルについたんだけど、そのホテルがあまりよくないホテルなので、
「またここかよ」と一人日曜の夜に暗くなっていました。
日曜は一日(11-19時)まで寝ちゃったので、昼夜逆転で思いっきり時差ボケになってしまったし。
やはり、現地に着き次第、その土地の時間に合わせ、夜まで頑張って起きているに限ります。
日中に寝ると、必ず後で後悔します。

*****

今回、ロンドンではTHE BEATLESがABBEY ROADのアルバム撮影で使ったその場所に行ってきた。
行ってみて、「ああ、ただの街中なんだ」と拍子抜けした。
未だに、普通に車がたくさん通る通り。
写真を撮るために、ふた組くらいにお願いして2往復くらいしたけど、
余りにも交通量が多くてびっくりした。
本物と同じアングルとポーズで決めたかったけど、そんな余裕は一切ないのでした。
(写真を撮ってとお願いしたふた組み(同い年くらいの男ふたり、両親と娘)とも、なんとブラジル出身だった。ブラジル人はビートルズ好き?どちらもポルトガル語で話せたので良かった。
ちなみに話が飛ぶけど、スペインもスペイン語だから、かなりポルトガル語が通じたし、やっぱりいいね、言語ができるというのは)

*****

今回はアリアナグランデのライブにも行った。
シカゴで金曜の夜。
その一週間前に着いた土曜、日曜のNYでも同じように彼女のライブがやっていたので、
「俺と同じ場所に行くなんて」と、2年前のブルーノ・マーズと同じ状況でした。

*****

さて、色々と感謝の気持ちとか、書きたかったんだけど、
なんだか乗らないので、今は辞めます。

ちなみに、海外営業で、
最近は6月から9月末まで、4ヶ月日本にいたせいか、
どうも、毎日日々の小さなタスクで頭をいっぱいにして、
すごく仕事が嫌になっていたけど、
今回また出張に来て、特に最後の一週間で、
リフレッシュできた感がありました。
アメリカの最後の二日間は、研究開発部の二人が加わったので、
いつもと違うメンバーが入り、普段とは話せない人と違う話ができたことも大きかったと思う。

そういうこともあり、自分の仕事や、自分のいる立場を、
客観的に見ることができたのも大きかったと思う。

俺は、傍から見ると、
自分が叶えたかった目標=「海外営業職につき、バリバリ海外を飛び回る」を叶えているわけで、
しかも、ビジネスクラス(たまにファーストクラス)で飛び、いいホテルにもたまには泊まらせてもらえて。
お客さんや上司とだけど、美味しい料理も食べさせていただき。
高いお酒も飲ませていただき。

妻からは、それを良く言われるけど、
俺は、性格からして、目の前の事に集中してしまう傾向があるので(猪年)、
自分を客観的に見ることが出来にくくなってしまう。

そして、常に、次の目標がある状態で、
「それに向かって毎日努力している」という実感が無いと、すぐに嫌になってしまう。
コツコツと、毎日、明確な目標があり、
その大きな目標に向かっていること。
その実感を感じていられることが、究極の喜びであり、
一番サイアクなのは、目標が何か分からなくなってしまい、
日々を、惰性で生きてしまうこと。俺にとってそれは、人生の一日いちにちを無駄にしているに等しいから。

俺はあと3日くらいで32歳になる。
今回の出張で気づいた。最近(この1年ほど)がつまらなかったのは、
「もう俺には後がない」という感じで、デッドラインを決めずに、
ダラダラ仕事をしていたからかな、と。
留学中は、「アメリカでの生活はあと○年。そのあとは、どうあがいても、自分の力をそれまでに付けていないと、食っていけない」という危機感を持って日々過ごしていた。
しかし今は、安定した会社に入ったから、ここでやって行けばいいや、という安心感があり、
どこかに、目指すべき方向性を見失っていたと思う。

俺が今の会社に一生いるのか、または、途中で動くかなど、今はわからない。
ただし、今わかっているのは、この業界に入ってまだ3年ほど。
知識も浅いし、理解も浅い。人脈もない。今のポジションは、後輩はいるとはいえ、
部下がいるわけじゃない。俺の同年代は、既にチームリーダーなり、部下を持って回している人間が普通。
従って、市場価値で見ても俺のレベルは低いと思う。
転職ももう2回しているから、履歴書も日本的に言うとボロボロだし。
(転職はリスクがでかいし、正直できればしたくないという気持ちももちろんある)

なので、結局は、少なくとも30代は、今の会社で力を付け、
今後転職を同じ業界でするにも、まずは地盤を固めることが、先決。
その地盤固めには、仮に「1年半」という仮期限を決めても、
正直、それではまだまだ力は低いと思う。

しかし俺が言いたいのは、だからと言って、「じゃあ3年」「5年」とある程度余裕を持って自分のマインドを設定すると、結局、本当に力が付いたと思える日は、どんどん後にずれて行くこと。
大事なのは、「もうあとは無い」と自分の中でだけでも勝手に設定して、
ほかの人間よりも、早く力をつけること。
ほかの人間と比べていたら、その世界から抜け出せない。

だからこそ、数ヶ月前に書いた「世界の前では上司はちっちぇえ」の中にもあったけど、
常に目標にするのは、自分の目指す業界の本物のトップを常に意識すること。
世界レベルで。

日本の中だけ見ていては、絶対に遅い。日本はやっぱり遅れていると思うし。
日本は、未だに閉鎖社会だし、男尊主義が激しいし、バブル時代の仕事のできないおっさんどもが上司にいる年代だから、どの会社も、ダラダラ仕事をする人間が多いと思うし、
残業制度があって、ダラダラ長く会社にいる人間ほど、会社に貢献している的な雰囲気があるし、
出世するには、実力よりも、結局は上司に気に入られることが重要だし、
仕事のできない先輩にも気を遣わなきゃいけないし、
満員電車は最悪だし、周りに気を使わず自分の席の確保だけを考え、
くしゃみをするときに口を抑えず、体臭を気にしない、マナーのない、
加齢臭のただようおっさんどもばかりがいる国・・・・

と凄まじい批判。

日本は、狭いと思う。土地も狭いのもあるが、島国だから、周りの国の人間が入ってこないから、
視野が狭い。というか、周りの世界を知らない。
俺は、そんな日本の腐った方の文化に合わせるのはイヤ。
(日本はいいところもたくさんあるが、ネガティブ面という意味)

しかし、日本社会で生きていく中では、その「ルール、枠」にある程度合わせる必要がある。
または、そんなのカンケーねえ(※俺が今ポルトガル語を習っている語学学校の校長先生は彼の父親)と突き出るか、
または、そういう文化の会社で働くか。
または、自分で仕事をするか。

いずれにしても、俺は今は力がなさすぎる。
だから、早く、一日もはやく、力をつけること。
そして、いつでも、別の会社でもっとレベルの高いキャリアアップ用に転職もできるようにしておくし、
または、発想をかえて、サブで、アメリカや他国で流行っているものを
日本に入れるサイドビジネスをしてもいいかもしれない。
日本にいれればウケそうなものはたくさんある。

*****

ポルトガル語の力を伸ばす。
業界知識を増やす。
日々の仕事の中で、ただの「担当者」の枠を超え、そのあとも仕事以外でも繋がれる人脈にまで持っていくよう意識すること。
自分の会社の中の人間だけのやり取りだけで日々を終わらせないこと。
常に他の会社、業界、友達の話も聞くこと。
アンテナを張り巡らせておくこと。

常に、世界レベルで、「自分」という一人のブランドを作り上げることを意識すること。

その状態にいることに、俺は多分、今は一番「安定感」を覚える。
そうじゃないと、体が拒否する。
人生がつまらないものになってしまう。

*****

以上、自分用のメモ書き。

2015/10/18 4:25am







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August 02, 2015

2015/8/2 20:17-

昨日と今日は、妻の実家へ行ってきた。
昨日の朝10時過ぎに出て、初めて車で行った。
片道、だいたい1時間半くらい。
12時過ぎには着いて、そのあとは、昼食はステーキ、
帰ってきて、14時半から17時半すぎまで俺は3時間ちかく昼寝。
シャワーを浴びて、
そのあと、夜ご飯はお寿司。
ビールとワインを飲みながら、妻のご両親が先日行ってきた、
カンボジア、アンコールワットと、タイ、バンコクの映像を見る。
(2006年の夏に自分がこの二カ国を周ったときのことを思い出し、また旅行に行った気分になれてよかった。)

そのあと、夜まで話し込んで、
またお風呂に入り、24時前に寝た。

*****

今朝は、9時過ぎまでぐっすり寝る。
朝ごはん(トースト、サラダ、などなど)をいただき、
少し話したあと、また眠くなったので、
12時過ぎから、1時間近く寝る。

そして、1時半過ぎに起きて、
昼ごはんのそばと、天ぷら。

で、そのあと、またシャワーを浴びて、寝る・・・
ではなくて、もう帰らないと明日もあるので、
支度をして、15時半過ぎに家を出て、帰ってきた。

*****

この二日間は、本当にリラックスできて楽しかった。

美味しいご飯もたくさんいただけたし
(ステーキにお寿司にお蕎麦に天ぷら!)
お昼寝もたくさんできたし
(合計5時間以上!)
もう、寝て、食べて、風呂に入って、寝て・・・・の繰り返しで、
本当に幸せでした。

ちなみに、夏にこうして妻の実家へ遊びに行ったのは、
考えてみたら初めてのことでした。
いつもは正月にお邪魔するのですが、
夏はどうしてきていなかったのか、よく考えると、
この2年間は、2013年、今の家に移り住んでから、
俺はずーっと、海外出張が夏に入り込んでいたのです。
6月から10月まで、
毎月、数週間おきに、
北米、南米、インド、ヨーロッパ、、、と。
そんな感じなので、
出張に行ってるか、帰って疲れて寝ているか、
のどちらかだったわけです。

しかし今回は、初めて車で運転し、
こんなに近かったのかと、初めて知り、
夏だけど、風がよく入る日本家屋の家で過ごし、
本当に楽しい二日間でした。
こんなことなら、もっと前から頻繁にお邪魔しておけばよかった。
そう思いました。(勝手に)

*****

というわけで、
今回のおやすみでは、普段の生活からも思いっきり離れ、
普段は休みの日も考えている仕事のことも一切忘れ、
人間関係のことなども忘れ、
本当に楽しい日々でした。

最後に。
トイレに置いてあった早稲田学報の中にあった、
ドリアン助川の、悩み相談室にあったコメント。
「世界の前で、上司はちっちぇえ。」

つまり、相談者の、
「上司にいつも厳しい指導を受けて、
今では萎縮してしまう自分がいやだ。
どうしたらいいですか」との問いに、
「その道を歩んできたプロがいう発言は必ず的を得ているはずだから、
まずは、今は学ぶ時期と割り切り、その内容を吸収しましょう。
しかし、毎日の小さな競争に疲弊するのではなく、
自分の目指す世界の本当のトップ、
その存在を常に意識して、
その人間と、自分との差を意識し、そこに焦燥感を感じろ」と。
「日々の、自分の会社の中の人間関係に磨耗するのではなく、
そこを飛び越えた、世界レベルの存在を意識し、
そこを見ることで、自分を客観的に批評できる様にしろ」と。


その通りだと思いました。

俺の目指す世界のトップレベルの人間。

それは誰だ? 
それを見つけること、それが今の目の前の課題です。

2015/8/2 20:29



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June 29, 2015

2015/6/29 23:14-

久しぶりの日記。

さっき妻と話していて、俺のオーラはゴールドだと言われた。
白とゴールドだと。
白のワイシャツを着ていて、
後ろに、金色の太い円が見えると。
そしてその後ろに、人が50人くらいいる、と。
その人たちは、外国人らしい。
どこかの農場だか、
海外で、何か事業を始めて、社長として、
「◯◯さんのおかげで、私たちは仕事ができました」
と言っているような、そんなイメージだと。

*****

妻は、俺が付き合いだした頃から、オーラが見えていて、
人のオーラを見るのが得意だった。
人によって、オーラの色、濃さは違う。
一色の人もいれば、二色以上が混ざっている人もいる。

そんな中、当時の俺は、
オレンジ。でも、夕日の色のような、淡いオレンジだった。

それから、新宿で仕事をしている頃。
オーラは青になったり、赤になったり。
悩んでいる時期は、頭の後ろに、黒いゲジゲジの線が浮かんでいたり。
幸せな時は、ピンクになったり。

そんなこんなで、先日妻に、
「今度◼︎◼︎さんと久々に会うんだけど、彼のオーラは今どう?」と聞いたら、
「私、結婚した頃から、オーラは見えなくなっているよ。前に言ったでしょ」と。

そんなわけで、その会話をしたのが、つい先日、先週だったんだけど、
さっき、妻と話しをしていたら、
「わかった。◯◯のオーラは、金色。ゴールドだ。」と。

今まで、ゴールドのオーラの人間はいなかったらしい。

*****

妻は、人を見る目がある。
今まで、彼女が、「この人は今は人気まだないけど、絶対売れるよ」と言った人は、
ことごとく売れてきた。
John Mayer.
James Franco.
Ed Sheeran.
最近では、綾野剛。

彼女は人を見る目が厳しい。
ダメなものはダメと言うし、いいものは、とことん褒める。
本当に気に入らないものは、決してお世辞を言わない。

そんな彼女は、ずっと俺のことを、
「◯◯は世界で一番だよ」と言ってきてくれた。
何があっても、「◯◯が世界で一番。私が認めた男でしょ」と。
これだけ人のことを見る目があり、その目に狂いのない彼女が、
選んだ男。

そんなその男は、最近、ずっと自信をなくしていた。
去年の今頃からだろうか。
仕事が一気に膨れ上がり、キャパオーバーになり、
なんで俺だけ、こんなに仕事があるんだ、と、
周りを責める考えになっていた。
できの悪い後輩にイライラし、上司にイライラし、
本当に、イライラ毎日を過ごしていた。
または、週末も、会社の仕事や、人間関係を気にして、
何度、週末を、生産性のない話で、妻の時間を取っただろう。
なんど、妻に、話しを聞いてもらい、
励ましてもらっただろう。

そんな男は、最近、引き寄せの法則の本を読みだし、
「いい気分でいること」と、「自己肯定」をしだした。
それは、妻が昔から言い続けていたことだが、
毎朝、仕事のこと、会社のことを考えて嫌になるのではなく、
自分の好きなもの、気持ちいいこと、気分が良くなることを考え、
仕事中も、仕事のいい面だけを見て、
人のいいところだけを見て、
いい気分でいることを、意識してするようになった。
ほんの、ここ二週間の話。

そうすると、色々と変わってきた。
人生は楽しいし、毎日、楽しくなってきた。
以前は、洗面所やシャワーに入ると、
会社の人間関係ばかり考えていたのが、
今では、楽しいことを考えられるようになった。
イヤと思うことがあっても、それに意識を向けずに、
スルーできるようになった。

そして、昨日は妻と一緒に、
恵比寿ガーデンプレイスにある、
ロブションへ、食事に行ってきた。

会社で海外出張が本当に多いので、
俺のステータスはダイアモンド会員になり、
その特典で、ロブションでのディナー二人分のバウチャーが手に入った。
妻は、小学生の頃から、ロブションに行ってみたかったらしい。
そんな彼女の夢の場所へ、一緒に行くことができた。

後で調べると、どうやら昨晩の食事代は、
一人二万円分だったらしい。
お水だけは、エビアンを頼んだが、
瓶一本で、1200円だった。

先日はファーストクラスで飛び、
インターコンチネンタルに特典で泊まり、
今回はロブションで食事。

確実に、方法はともかく、
結果だけ見ると、成り上がっている。

4年前の俺からは、想像ができなかった。

*****

こんな風に書いていると、俗に見えるし、
ただの品がない人間みたいだが、
結局言いたいのは、
俺は、自分の可能性を信じ、
自分のことを信じ、妻の言葉を信じ、
毎日、いい気分でいられるように心がけ、
自分を肯定し、
自分のやりたいことに意識をフォーカスし、
仕事においても、「こんなに自分だけ仕事が回ってくる」じゃなくて、
「俺は仕事ができるから、こんなに任されるんだ」に考えを変え、
「今は、会社という舞台で、色々試させてもらっている。
ここでなんでも試してみて、中小企業診断士の勉強もして、
経営に関しても社長に意見をいい、
なんでも試してみて、予行演習をしたところで、
自分がしてみたいビジネスが見つかった時点で、独立すればいい。
そのために、今、色々なことを会社でやらせてもらっている」と考えて、
毎日仕事を楽しんで、ワクワクしながらするだけ。

この考えに、やっと今、
長い時間を経て、戻ってきた。ということ。

*****

色々と経験して、
自分に自信をなくし、
自分の可能性を信じられなくなり、
自分の人生の進路がわからなくなり、
一度は、自分の夢、やりたいことを叶えたものの、
その先がわからなくなり、
最近は、仕事の人間関係に悩み、
小さなことと思いつつも、そうは実際思えず、
髪の毛が薄くなることばかりを気にして、
週末は、仕事のことで気分が塞がり、
見た目にも自信を持てなくなり、
一体俺は、と、
自分に対して、自信をなくしまくっていた男の、

復活の経歴。


2015/6/29 23:36


PS.
書き終わって。
「いやあ、変な日記になったわ。
これ、読んだ人は、
『コイツ、ただのオカルト野郎じゃねえか』とみんな思うな」
と呟くと、
横で妻が一言。
「書けばいいじゃない。『ただのオカルト日記でした。』って。」


というわけで、
ただのオカルト日記でした。




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March 15, 2015

2015/03/13 12:41am-(Chicago 時間) 14:41(日本時間)

今は飛行機の中。シカゴ→成田。シカゴを17:30に出たので、
7時間くらいが経った。
最初は何も食べずに3時間くらい寝て、
さっき、洋食のコースを食べ終わった。全部食べ終わるまで2時間くらいかかった。

*****

ちなみに今は、人生初のファーストクラス。
会社のお金で乗せてもらっているので、
しかも、普段はビジネスクラスだけど、2013年4月から二年間海外出張に行きまくって貯まったアップグレードポイントというものを使って、
今回初めて、ビジネスクラス→ファーストへのアップグレードを行った。
これが出来ることを知ったのは去年の10月くらいで、
上司がやっていたので、俺もやってみようと。
実際、今回の出張に行く日に、羽田空港のラウンジで、帰りの便の予約をしたら、
「現在お席はいっぱいでして、もしかしたらアップグレードできないかも・・・」と言われた。
なので、当日空港でチェックしてね、と言われて、ちょっと気になっていたけど、
昨晩ホテルでオンラインチェックインの状況を確認したら、
運良くキャンセルが出たみたいで、01Aという一番前の席になった。
31歳で、ファーストクラスに乗らせていただいています。

*****

ちなみに、去年妻が買った「飛行機の乗り方」という本で、
欧米路線の日本行きの便のファーストクラスのみ、
RIMOWAのミニケースが付いてくるということで、
これは、ファーストクラスしか手に入らず、
しかも、ファーストクラスは値引きがされないから、
手に入れるには、99万近くお金を払って乗るか、
または、(今回の自分がとったように)ビジネス→ファーストへのアップグレードをするかで、
どちらにしても、90万近くのお金を払わないとできないことだと。
なので、このポーチを見かけたら、「どこで手に入れたんですか?」と聞いてみましょう、とあり、それから気になっていた。
今回いざ手に入ると、まあ、ただのケースですけど。
ネットオークションなんかでは高値で売られているとか。

*****

こんな事を書く為にPCを開いた訳ではないんだけど、
今の自分の心境を記しておこうと思う。

*****

今回の出張は、3/1〜3/13で、正味二週間弱で、
向こうで迎える週末は一回きりだったので、
今回はとても楽だった。
2013年6月の初めての北米出張の時なんかは、
3週間半くらい回っていたから。
妻にも、毎回それだけの期間を不在にしていると思うと、申し訳ないなと思う。

*****

思えば、2005年の夏、21歳の時に、アメリカをアムトラックを使って一周して、
今回、ちょうど10年後の2015年、31歳で、
また、こうしてアメリカを回っている。
前回は、アムトラックの、一ヶ月500ドルのパスで、最低クラスの列車で。
(寝台列車ではないから、リクライニングも少ししかされず、毎日腰が痛かった。)
今回はこうして、会社のお金とは言えども、
ファーストクラスで世界を回れるようになった。
最終的には、自分のお金で、このレベルで、世界を回れるようになって、
初めて、成功したと言えるのかもしれないけれど、
少なくとも、手段はどうあれ、合法的にこうして、事実上は、
「ファーストクラスで海外出張をしている」となるんだなと。
別に自慢しているわけではなく、むしろ、海外出張をし始めてみて気づいたのは、
これはかなりの肉体労働ということで、
客観的に聞こえるイメージとは結構かけ離れているということ。

でも、ふと客観的に自分の状況を見てみて、
「ああ、俺も(当時から)10年後には、ファーストクラスで回れるようになったんだな」と思うと、
まあ、とりあえずこの時点の自分を認めてもいいのかな、と思った。

*****

今回、最後はシカゴのホテルに一泊した。
今までは空港近くのホテルが多かったけど、
前回から、ダウンタウンに泊まることにした。
今回は前回と場所は違って、Magnificent MileにあるHoliday Inn Express.
場所はかなり良かった。
近くには、Trader Joe’s やAMC Theaters, Chicago Pizza屋のUNOなんかもあり、
とてもいいところだった。
昨日の夜は、ホテルに16時前について、
そこから二時間、レポートを書いて、
18時過ぎには一緒に回っている上司と一緒に近くのレストランでチーズバーガーを食べた。

その後、20時から、ウィルスミス主演の「Focus」っていう映画を観て
(今回は結構期待して見ましたが、やっぱりイマイチだった。Will Smithはニック刑事と同じ路線を行っていますね)
そのあとは、引き続きもう一本、「CHAPPiE」っていうロボット映画を観た。
これも、中々Interestingではあったけど、
登場人物が誰にも感情移入できなくて、
ギャングスタもどきの奴らばかりが出てきて、
シガニー・ウィーバーやヒュージャックマンは出ているものの、
日本では公開するかな?という感じ。

とにかく、その後はホテルに帰ってきて、
今日は、朝また2時間くらい仕事して、
あとは、Trader Joe’sで買い物して、
Shake Shackでハンバーガーとフライズを食べた。
Shake Shackはかなり混んでいたけど(アメリカ人にとっても、まだ珍しいみたいね)
でも、全然美味しくなかった。作ったやヤツが悪かったのか?
でも、それで品質が変わるなんて、全然ダメですね。
値段設定も高いし。
よっぽど、IN N OUTや、FIVE GUYSの方が良いと思う。
In N Outなんか、そもそもめちゃくちゃ安いのにあの美味しさだし。

*****

話は逸れてますが、
ちなみに、今回Indianapolisでは、いつものお客さんと、
夜はInformal Dinnerを一緒にした。
エンドユーザーのその会社からは3人と、
間に入るアメリカの商社から2人、
あとは俺たち2人の計7名。

丸いテーブルに座って、みんなで色々と話をしながら食べて、
すごく楽しかった。
途中から、商社のMが、
「じゃあ、こっちから反時計回りに、
自分の好きなバンドを言っていこうぜ」
「自分のお気に入りの映画は」
なんて感じで話が始まり、みんなバンド名を言っていった。

年齢はみんな、一番上は60歳近いし、
大体若くても30代後半から、
40代〜50代なので、
そして、アメリカ人ばかりなので、
俺が好きなロックの世代とぴったりなので、
話が逆に合って楽しかった。
Pink Floydとか、Bostonとか、Dream Theater(この名前をDが言った時には、思わずYES!!と叫んだ。俺もすごく好きだから。でも、意外とDream Theaterを知っている人って、少なかったりする。本当にロックが好きじゃないと、知らないのかも)
他には、Phil Collinsとか。
で、俺の番になって、
「もちろん、AEROSMITHでしょ」っつったら、
みんな、「俺は10年前に、たまたま夜中に運転してたら、横にピカピカのジャグアーが止まって、なんだこの車は?って横を見たら、なんとSteven Tylerが乗ってて、
俺と他の2人、みんな口を開けてびっくりしたんだよ」みたいな話になって、
すごく楽しかった。
(ちなみにAersomithは、日記に書いたか忘れたけど、
去年2014年9月にこのL社のDがうちに来たとき、
旅館で朝食事をしながら、
Aerosmithの話になった。
彼もAerosmithが大好きで、全アルバムを持っているという。
で、彼は一時期、Indyにある地元のバンドのマネージャーみたいなものをやっていたんだけど、
その時、エアロスミスの前座を彼らがやる予定だったと。
でもそれは2009年のことで、
ちょうどその夏に、エアロスミスは他の地域を回っている時に、
スティーヴンタイラーが舞台で滑って落ちて、
肩の骨を折るという事故に合い、
そのあとバンドは、数年活動休止をしていた。
なので、運悪く、そのバンドはエアロスミスの前座をやることができなかった、というエピソード。)

そんなわけで、俺がエアロスミスと言ったら、
Dもにやっとしていて、
その話をまたみんなの前でしてくれた。
俺が、「ライブには少なくとも7回は行ったよ」と言ったら、
「Oh, you FOLLOW them」と。「お前、ストーカーだな」と。

そんなわけで、普段は日本にいると、音楽の話をしても、
あまり同年代の人とは話が合わないんですが、
こうしてアメリカのそれこそ50代以上の人と話をすると、
すごく話が合うので、こんな時こそ、
「ああ、こういう音楽を聴いてきて、ここで役立つんだな」と思った。

※ちなみに、話はずれますが、
今回の出張は3/13(金)に日本着にしたのは、
3/14(土)にLenny Kravitzのライブが東京であったから。
このチケットは12月に先々行発売でゲットしたにも関わらず、
なんと、出張に行く二日ほど前に、
急遽、オーストラリアとアジア全公演を含む予定は全て中止になったと。
理由は ”Unforeseen schedule ahead”ということ。
おいおい、元々事前に予定を立てていたのに、
「先のスケジュールが見えずに調整不可の為」という理由はないだろうと、
妻と話していると、
彼女が、「もしかしたら今のイスラム国とか、そういう関係で海外にいくのを控えているんじゃない?」と。
かもしれません。
Lenny Kravitz本人は、自分の副業の映画の撮影などで、
そういうのをライブよりも前に持ってくるわけはないと思うから。

それにしても、今回のライブは、アルバム「STRUT」を引っさげてくるやつだったので、
本当に残念。
今回のアルバムは、個人的にすごく好きだからなあ。
でも、今回代わりに、NYのマディソンスクエアガーデンでBilly Joelのライブを生で見れたから、まあいいや。
チケットも探しまくったら、69ドルで買えたし。
Sold Outだったけど、上手くネットで買えて良かった。
後でこれは別途レビューを書きます。

*****

さて、本題に入りますが、
人生というのは、自分が子供の頃に思っていたよりも、
ずっと短い。
そして、人生の「幸せな瞬間」「一生に一度の瞬間」というのは、
何回も来るわけではなく、
いざ、それを経験している時は、それはあっという間で、
その瞬間を本気でマックス味わって楽しまないと、
後ではもう、そこには戻れないし、やり直しは効かない、ということ。
(結婚式が良い例。あっという間に終わってしまう。)

つまり、俺がこうして、世界を回る、
海外出張をバリバリする、したい、という目標を持って、
いつからかやってきたわけだけれど、
いざ、こうしてある会社に入り、
そこで運良く、希望通りの仕事につけて、
本当に、世界を今は回っているということ。
しかも、最初は興味のなかった医薬品の業界だけど、
その世界も、いざ勉強してみると、奥が深いし、
世界中の当局とか、その国の医療制度とか、
色々な世界が見えてきて、面白いもので。

つまり、俺は今、かつて自分が20代前半から思い描いていた
自分の夢の状態に、いるんだということ。

でも、そのことには、実際に普段は気づかない。
普段は、毎日東京のオフィスで、朝から晩まで、
メールや仕事に追われ、
上司とたまには言い合ったり、先輩と衝突したり、
客先とストレスフルな交渉を行い、不満が溜まったり。
週末は、いつも仕事のストレスに追われて、
金曜日にあったことを、土日は引きずって、妻に迷惑をかけたり。

そんな一週間をいつも送って、
いつも疲れて、
「ああ、俺ってこうして60になるまで、東京まで片道1時間以上かけて、通勤するんだろうか」とふと思うと、ちょっと先が見えなくなって、気が重くなったり。

でも、こうして、数ヶ月に一度海外出張に来ると、
自分が、実はやりたい仕事をしているから、
そのために、普段の東京の仕事があるんだということに、気づいたり。

******

重要なのは、
自分が、常に「どうなりたいか」「どういう人生を送りたいか」ということ。
それを明確にし、
その状態に自分を近づける為に、日々自分が努力をして、
その「目標に向かって少しずつ進んでいる」状態を、自ら感じること。
その状態にさえいれば、俺は満足する。
俺が一番満足する状態は、
「夢を叶えた状態」ではなく、
「夢・目標というものが自分に“今”あり、
その状態に向かって、“今”自分は努力をしている。」
ということがはっきりしていて、それを自分で実感している事だから。
その状態にいないと、俺は一気に人生に対して面白さを感じなくなり、
やる気が生まれてこなくなる。

思えば、2012年3月にこの会社に入社して、
2013年3月から、東京オフィスへ移動し、
そこから今までちょうど二年間、海外を回ってきたわけだけれども、
ある意味、そこで俺のそれまでの人生の「目標」に到達してしまって、
それはつまり、「海外営業で世界中を回る」ことだったから、
その後、じゃあその後どうするか?の部分がわからなかったし、
見えなかった。

今も正直、
「更にこの業界に精通し、完全に一人で(上司なしで)、アメリカ/カナダ/ブラジル等の南米を周り、ビジネスをする」
という目標しかなない。
あとは、
「更に英語力、知識、教養、雑学を増やし、人間的幅を広げる」
「ポルトガル語を話せるようになり、そのあとはスペイン語も似ているから一緒に話せるようになる」
(現に、今回の出張先でも、スペイン語のナレーションとかを聞いていると、かなり似ているので結構分かった。スペイン語の方が絶対簡単なんだけどな)

ということくらい。
それ以外が見えていないから、
正直、今の俺は、
自分に自信がないんだと思う。
本当の意味での自信が。
まあ、今まで人生で、いつ自分に自信があったんだ?と問うてみれば、
「俺は自分に自信がある」と信じ込んでいた、
21歳〜23歳くらいの間だけだった気がするが。

*****

俺は、自分の人生をやはり信じたい。
せっかく生まれたんだから、最大限まで、生き抜きたい。
このブログのタイトルのように、
21歳でこのブログを書き出し、もう10年経つが、
当時からタイトルは変わっていないように、
「己の可能性を最大限まで引き出せ」が俺のモットー。

このタイトルが、正直自分の心に響かない日々を、
最近は送っていた。
「当時の、若かりし頃の勢いだな。」と。

ただ、「俺ももう31歳。
60歳まで、あと30年。
もう、人生なんて、あっという間さ」という考えになって、
30代、
40代、
50代、
を、惰性的に生きるのは、本当につまらないことで。

それは、恐らく、ものすごく酷い生き方だと思うし、
俺はやっぱり、なんだかんだいって、
「目標を常に持ち、そこに向かって毎日何かをしている」という実感を
感じていたいんだと思う。

*****

人はいずれ、この世からいなくなる。
それは、以前は、遠い先のことであり、
あまり意識をしなかったけれど、
やはりそれは、歳をとるごとに、それに対するリアリティさは、
強くなる。

自分の髪の毛の生え際が後退していく。
後頭部が、確実に薄くなっている。
たまに鏡で、後ろを見ると、
ぞっとする。
額も、日に日にベジータ化しており、
正直、鏡を観て、悩む。

禿げたら、剃ればいいじゃないかと他人には言ってきたけれど、
いざ自分がそれになると、やっぱり怖い。
それは、恐らく、「老い」を感じるから。
自分が、もう、若くなっていくことはないことを示されるから。

肌も張りも年々なくなっていく。
筋肉も鍛えないと、落ちていく。

つまり、常に体に気を使っていないと、
確実に毎年カッコ悪くなっていく。
(中身を鍛え、教養を付けて、人間としての魅力がどう顔に出るかと話は別。)

*****

何を言いたいのかわからず、そろそろ疲れてきたが、
とにかく、

 〆の自分の現状は、20代前半に描いた「世界を回る人間になる」という夢/目標を一旦叶えた状態にいるという事。

◆ー,蓮⊃靴燭別棲里別槁犬鮖ち、それに向かって自分が日々打ち込んでいる状態に、持っていくこと。また、その状態にいつも自分を置くように心がけること。
それをしないと、俺は日々生きる活力を無くす、という事。

そして、△量槁犬砲いて、
それが、上に書いた、「仕事力」「教養」「語学力」はあるが、
それよりも大きな何かが、欠けているという事。
だから、今は、毎日が正直、「面白い」と思えていないのだ。

ということ。

*****

今は、自分がどの状態にいるか。
それを客観的に把握するだけでも、必要であった。
そして、今回の出張は、
そういう機会を持つという意味でも、意味があった。

2015/03/13 -16:01 (1hr20min)

追記:
ちなみに、一緒に回っている上司とは、
随分この二年を通して仲良くなった。
最初は気が合わないと俺が思い込んでおり、
中々話も合わなかったが、
今では、向こうも俺に気を許しているのが伝わるし、
なんだか、本当に親父みたいになってきた。
毎回、チーズバーガーもおごってもらえるし。(レストランの13ドル以上するやつ。マックじゃなくて)

それだけでも、十分な進歩じゃないか。
仕事も、この二年間で、だいぶ分かるようになったし。
色々と任されるようになってきたし。
後輩にもビシバシ指導してるし。
あとは、日々の仕事の中で、
上司に楯突かないこと。
「素直さ」を忘れないこと。
傲慢にならないこと。
「俺が俺が」にならないこと。
自分の力を過信しないこと。
自分が今あるのは、上司を含め、周りの「皆さんのおかげです」という事実を忘れないこと。

俺から素直さを無くしたら、
多分、すごく細かくてこだわりが強い、
すっげえ嫌な奴、でしかない。
現に俺は、この1年くらいは、そうなっていた気がする。
昨年、2014年の5月に先輩が辞めてからは。

だから、今は、直属の上司とも、よく衝突するんだろう。
俺が、素直さをなくして、
傲慢になっているから。
それが、顔に出ているから。

Yeah man, I think I’m talking to myself too much. That’s it.


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December 30, 2014

2014/12/30 23:15-

さて、今年もあと1日で終わりです。
今年は、「仕事」という年でした。
海外出張は相変わらず沢山行ったし、
(カナダに3回、インドに2回、パリに1回、ブラジルに1回、アメリカは4回)
その他は、国内出張も結構あり、
全部で合計すると、3ヶ月近くは出張で家を出ていた。

その他、先輩が5月頃やめたこともあり、
仕事量も増えて、とてもストレスフルな日々を、
5月末から11月頭まで過ごしました。
この半年間は、本当に頑張ったと思う。

何しろ、日記をここに書こうとすると、
不満と文句しか出てこなかったからね。
そんなこともあって、なかなか日記を書く気にもなれませんでした。

(俺に何か問題がある時は、
決まって、ここに日記を書く回数が一気に減る。)

*****

そんなわけで、
今は、後輩も一人新しく入り、
彼も普通に仕事をこなしてくれるので、
俺に全て回ってきていた仕事も、だいぶ彼が引き継いでくれ、
自分の仕事量も適量になってきて、自分の心の精神状態も
だいぶ良くなりました。

後になって思うと、
あの時は、精神的にも、体力的にも、
本当にギリギリのところでやっていたんだなあ、と思います。

*****

妻には相変わらず、
仕事や人間関係の文句や愚痴を聞いてもらい、
相談に乗ってもらって、感謝しています。
彼女なしでは、乗り越えられない部分も多々あったでしょう。

*****

今年は31歳を迎えました。
来年、2015年は32歳になります。
もう、これくらいの歳になってくると、
あんまり、歳を気にしなくなってくるね。
もう、40歳も、ほぼ同じじゃないか?と。
50歳まで、あとたった20年だもんね。
つくづく、人生は、
10代の頃に思い描いていたほど長いものではなかったんだな、
ということを、良く感じます。
本当に、気を抜いたら、あっという間に60代だと思います。

だからこそ、日々、マンネリ化する毎日を、
いかに、意識して、新しいものを取り入れたり、
新しい考えをしてみたり、
新しい音楽を聞いたり、本を読んだりと、
自分を意識して変えていかなきゃ、つまらない人生になってしまうな、と感じます。

それと、もう30代だから、とか、
結婚したから、とか、
変な縛りを持って、自分の人生を自らつまらないものにしないこと。

大きな夢があれば、それを追いかければいいし、
なければ、少なくとも、自分がそれを達成することで気持ちいいと感じられる目標。
そういったものを作り、日々、それをこなしていくことだと思います。

そういう、日々の「成長」を常に感じていないと、
あっという間に、老けてしまうのでしょう。

*****

来年は32歳の歳。
中途半端になっているポルトガル語を含め、
来年は、今年停滞した分、
一気に成長できるよう、視点を変えて人生にあたっていきたいと思います。

2014/12/30 23:36


追記:
ちなみに、下記は今年頭に立てた2014年の目標。
すっかり忘れていましたが、今日記を見返して知りました。

************
1、健康第一。体をいつも健康に。そして、鍛える。
2、仕事は、毎日無理なく働き、自分の担当分野を極める。上司なしで海外営業中の会議も回せる様になる。
3、ポルトガル語の上達。一般会話はマスター。
4、休みの日は、妻と楽しく過ごす。幸せな家庭を築く。
************

1は、まあまあ。鍛える事ができなかったな。2015年はしっかり鍛えたいと思う。今はちょっと痩せすぎで体力も無いしね。

2は、自分の担当分野は極め、海外営業中の会議を回すことも無理なくできるようになりました。しかし、ちょっと半年間は無理して働きすぎたかな。何度妻に、「そんなに真剣になりすぎないで」と注意されたか。俺の性格は真面目になんでも捉えすぎるので、人よりストレスを溜めすぎることが問題です。でも、そんな自分も受け入れた上で、そんな自分を「課題にする」という事が大事と、先日テレビで見た際に僧侶ある僧侶が言っていました。
2015年は、そんなわけで、真面目になりすぎる自分を受け入れつつ、もう少しバランスよくやることかな。人間関係を含めて。

3は、これは引き続きですね。一般会話もマスターしてないっす。毎週一回はレッスンに通うようにしなくちゃ。

4は、全ては俺次第ですね。俺が普段から仕事のことを引きずって、休みの日もそのことばっかり考えたりしているので、それによって妻も被害を受けたりしています。
先日妻から、「あなたはアメリカにいた頃から性格が変わった」と言われました。
当時は、「堂々として、気持ちのよい青年」だったのが、
今では、「細かい事が気になり、心に余裕のない中年」になったそうです。
仕事をして、責任感を持ち出したのもその理由だそうですが、
それよりも、もともとの性格が、小学校の教師に「重箱の隅を突くような性格」と言われた本来の自分に、ただ戻ってきてしまっているようです。
真面目で、細かい自分も、アメリカにいくことで、
いい意味で適当になり、小さなことを気にしなくなった。
それが、また日本に戻り、「日本人」になってきたようです。

そんなわけで、最近は随分と前にもまして頑固になったというか、
細かいなあ、われながら嫌な奴だなあ、と感じる事が多くなりました。
いやですね、こういうの。

そんなわけで、2015年は、もう少し適当になり、
「気持ちの良い」男性になりたいと思います。

以上。


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April 22, 2014

2014/4/22 19:35-

近況。

先週末、
金曜日と日曜日、
それぞれの夜に妻と色々話した。
基本は、俺の最近の仕事に関して。

どうも最近、目がものすごく痛く、午後になると、目を開けていられないくらい。パソコンが眩しすぎて、眼球の奥の神経が、ジンジンと痛んでる感じ。

夜家に帰ってくると、TVを見るのも辛い。目が乾いて、目をつぶっても、乾いている感じ。
結局、目を開けることすら辛く、食事中も目をつぶって食べる始末。
本も読めないし、テレビも見られない。パソコンもできない。

そんな日が、2月か、それくらいから2ヶ月以上続いている。

さすがにおかしいと思い、二週連続、二つの眼科へ行った。
どちらも、目の検査を色々したが、目には傷もなく、ドライアイでもなく、原因が分からないという。

結局、高い診察代だけ払い、気休めの薬をもらい終わる。

*****

妻と話した結果、結局、俺は色々とストレスがたまり過ぎていたんじゃないかとなった。

最近は、仕事も沢山任され、
一月には、先輩の一人と対立したり、(色々と話し合って解決したが)
後から入ってきた後輩の出来が悪く、彼の指導に毎日時間を費やされたり、
そんなこんなで、毎日、全速力でやってもやっても仕事が全然終わらない日々が続いていた。


一方、隣では仕事を余りせずにブラブラしている先輩がいて、それにイラついたり。

そんなこんなでやっているうちに、俺はどうやら、自らを疲弊させていたらしい。


妻と話して、下記のことが重要だということを自覚した。


・今の会社の中での仕事のみを考えて毎日を送っていると、自分の会社では通用するが、外に出て通用しない、つまりup to dateじゃない人間に成り下がる。
そうなると、本当の意味で仕事ができない人間になり、市場価値が下がり、仮にこの会社が潰れたり、何かの理由で自分が転職しなければいけない場合、他のところで食っていけなくなる。

・俺は、「海外営業でバリバリ世界を周る」自分像に憧れて、今までこの数年を生きてきた。結果、運良く、今の会社に採用され、海外営業に嫌というほど行けるようになった。

しかし、そうなってみて、ある意味、自己達成してしまった。
つまり、次の自分の明確な目標が、見えにくくなった。
今は、ポルトガル語を習ったり、英語のレベルを更に高めたり、世界のどこでも通用するビジネスマンになる、という目標はあるが、それは、どこまで行けば、とれだけ成長したかが明確に見えるものではない。
よって、自分のモチベーションを失いやすい。前向きに、活力的に生きるモチベーションを。


・結局は、今の会社内のみを見過ぎており、この、他人に興味のない俺が、周りの人間の文句を言うようになった。
妻曰く、これは、俺が相当ヤバい状態らしい。
普段の俺は、目の前の自分の目標にだけ集中して、周りのことが全く気にならない、いや、気にかけない人間だから。


妻は、俺のこの、
燃え尽き症候群というか、
生きる灯火が消えかけている状態に、去年の11月くらいから気付いていたらしい。
俺が去年の11月の北米出張から帰ってきて、毎日随分疲れた疲れたと言って、一週間ほどは、時差ぼけが治らずに、毎日早く寝ていた頃から。
俺の様子が変わったという。

いつ、そのことを言おうかと思ったが、それは、俺自身の口から、話が出るまで、待っていたという。
そして、それが四月の半ば、先週末にやっと話すことになった、とのこと。



俺の会社は、田舎が本社の中小企業でしかない。ここでの考え、仕事のスピード、質、人間のレベル、それらが「当たり前」になってしまい、それに俺自身をアジャストさせ、慣れ切ってしまうと、その時点での俺の人間的成長は止まる。

つまり、この半年ほど、
俺はそれをしていたに過ぎない。よって、毎日気力がなくなり、疲れと、ため息と、ストレスと、周りの人間への文句しか出なくなっていた。
これでは、毎日が楽しいわけがない。

・しかしここでおごり高ぶっていけないのは、
まず、俺がこの会社に、28歳の時点で、この業界の知識もなく、ポテンシャル採用されたのには、
そして、俺は、社会の中で見たら、決して仕事がものすごくできる人間ではないと思うが、
そんな俺でも、この会社ではできる人間として見られ、結果、
初年度からいきなり、北米、南米、インド、中東担当を任されていること。
うちの会社でも、中途で入った人間は、通常の本社研修一年のはずが、二、三年に延びたり、
または、営業所に戻ってきても、海外を任されずに、国内営業担当になった先輩や、今だに事務作業しかさせてもらえない後輩や、
または、上司の鞄持ちだけで数年間を過ごした先輩などがいる。
その中で、自分が初年度から数カ国の担当をさせてもらっているのは、そして、一緒に周る上司は、60近いベテランの2人のみというのは、自分が恵まれているとしか言いようがない。

だから、今自分が与えられている仕事、裁量、立場に感謝し、
上司、会社、先輩、社員に感謝し、
おごり高ぶらず、
誰に楯突くことなく、
しかし、自らのみに厳しくあたり、自分を精査して高めていく作業に没頭するのみ。
(もちろん、出来の悪い後輩のことは厳しく指導するが。)


・そして、今ここで基礎力を付け、

(※基礎力とは、
業界知識、
高レベルかつ専門分野の英語力、
第二外国語(ポルトガル語)、
仕事のスピード、
解決力、
誰が相手でも交渉して纏める度胸と機転、
全体を捉える俯瞰力、
そういったものを言う)

今から数年後、ここである程度の役職を付けた後は、
同じ業界で、よりレベルが高く、働きやすく、給与も高く、バランスの良い会社への転職が容易にできるようにしておく。

そういう、常に、
Up to dateの状態に、自分を保っておくこと。
それが重要。

*****

俺という人間は、常に目標を持ち、そしてその目標とは、自分を高めることが前提なわけだが、
それがないと、途端に生きる気力を無くし、目の光が消える。

幸いにも自分には、そんな自分を隣で支えてくれる、世界一の伴侶である妻がいる。
彼女は、俺の、一番のカウンセラーであり、一番の理解者。
こんな人は、世界を他に探してもいない。

そんな彼女が妻で、そんな彼女に応援してもらい、自分は本当に幸せだと思う。



結局、ここ数ヶ月の目の痛みは、
おれの体が示していた「仕事」への拒否反応であり、
その「仕事」とは、おれのこの半年の、仕事への接し方、向かい方、働き方、考え方以外の他にならない。


面白いことに、その話を妻として、日曜の夜に、二時間近く話し合い、
結果、今週は、仕事が楽しくなってきている。
目の痛みも、それほどひどく無い。
任されている仕事も、楽しめる。
もっと、今の立場を生かして、どんどん自分の成長に当ててやろうと思う。



以上、今の近況。
30歳と、ちょうど6ヶ月。

2014/4/22 20:20



*****

追記:

そして、この日の話し合いの結果、
俺は、「会社では犬になる」ことで収まった。

毎日、一人だけ人間ぶって、何でも完璧にやろうとしているから疲れる。
俺の会社の今のオフィスには、動物ばかり。
そんな中で、真面目に一人、人間をやっていては疲れる。
犬で一日すごせば良い。


そして、俺は仕事をどんどんこなす分、
上からは、仕事をどんどん任される。
俺のクセは、ついつい自分の体の事も省みずに頑張ってしまうところ。
しかし、俺のずっと昔から続いている課題は、
「バランスをとること」
「ゆるりゆるり、くらりくらり」であり、
頑張りすぎることは、俺にとって簡単なことであり、
逆に、手を抜かなきゃいけない。

ついつい頑張ってやり過ぎていたら、
極力休む様にしなければ。
そうして、やっと、自分の持っていない力をつけられる。

俺は究極のM。
今までの人生、自分が持っていない力を付ける事に、人生を費やしてきた。
今は、良い意味で「さぼる」「手を抜く」
要は、要領よく、肝心なところだけを抑えて生きる生き方をするべき。

そうしてこそ、俺の次のステージに行く。

*****

そしてもう一つ。
俺は、自分が尊敬できると思える人を手本にして、
今までの青春時代を生きてきた。
俺は、人のマネが上手。
自分を演じる事がうまい。
だからこそ、直接マネができる人間が近くにいると、
成長しやすい。
しかし、この年齢になり、
かつ、今の限られた環境で、
そういう人間が現れるのを待つのは、確率がかなり低い。

よって、俺自身がなりたいと思う理想像を明確にし、
それを自らの中で描くか、
または、今のオフィスで、自分の周りにいる人たちから、
一つずつ、いいところ、そして悪いところを、
教師、反面教師として、学んで、自分の成長に生かしていくこと。


そういった、自分の人間的成長を、常にさせていくことが必要。



俺は、自分の人生をとおして、
基本、つねに「自分の成長」が軸にないと、腐る人間だと思う。

今後、父になったり、
家を買ったり、
車を買ったり、など、
何かしら、自分以外の要素で、自分の人生のステージが変わる事は、
自分に新しい価値観をくれたり、
または、新しい目標をくれたりするだろう。

しかし、俺の中での、
自分の人生の「楽しみ」が、
他人、他のモノに移った瞬間、
俺という人間は、
生きる活力を、一気になくすと思う。
そして一気に、中年の匂いがする、
加齢臭のする、
老けたオヤジに成り下がると思う。

(実際、この半年程は、
かなり老けていたと思う。
若さが消えていたと思う。)



*****

そんなことを、妻と話した。









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February 05, 2014


2014/02/05 0:19-

今はムンバイのホテル。Holiday Inn.
明日の朝は4時半起きで、もう寝ないとやばいんだけど、
なぜか眠れないので、
で、
さっき、色々と上のことを考え出したので、
少しここに書く。

(ちなみに、今はインド出張中。
日曜日の朝に日本を出て、13時間飛行機に乗って、
ムンバイに19時過ぎに着いた。
昨日は一社訪問、車で片道3時間、帰りは4時間、合計7時間以上車に。
今日は、近くで良かったけど、相変わらずムンバイの渋滞は凄まじいので、
少しの距離なのに、結局片道1時間以上車にいる。
もう、インド出張は、アメリカ出張のそれとは大違いで、
マジで疲れるぜ。)

*****


さて、本題だけど、
俺が留学を終えて日本に帰ってきてから、
丁度今年の夏で、6年が終わろうとしている。

俺が留学していたのは、
2002年の7月末から、2008年の5月末まで。丁度ほぼ6年。
で、
日本での生活が始まったのが2008年6月頭、
それから、今年2014年の5月末で、丁度6年となる。

*****

留学中の6年間は、すっと、なんでも思い出せる。
1年目はCollege of the Siskiyous (Weed)
2年目はDe Anza (San Jose)
4年目からは、CSULB (Long Beach)
で、5年目に卒業して、6年目は、
Long Beachに残って、今の妻(当時は彼女)と住んで、
俺はOPTでバイトを掛け持ちしていた。


その後、日本に帰ってきて、
1年目は、3ヶ月弱の就職活動と、5ヶ月間の一社目での勤務。
2年目から3年間は、二社目での仕事。
そして、5年目からは、今の会社での研修を一年行い、
6年目、去年からは、東京に移って、
こうして、海外営業部で働き出した。

*****

日本での生活は、毎日、日本の場合は、
毎日、同じ電車に乗り、
同じオフィスへ出勤し、
同じメンツと顔を合わせて、朝の9時から夕方の6時過ぎまで働き、
また電車に1時間乗って帰って、という毎日。
はっきり言って、単調なので、
だんだんと、飽きてくる。

しかし、こうして海外出張が入ると、
体力的には結構キツいので、正直ツライが、
しかし、違う国に行き、
この国の多様さを感じ、
自分を、というか、
普段、日本の中で暮らしている「自分」という存在を、
客観的に、離れて見ることができる。

そして、「ああ、俺は、日本の生活に慣れようとして、
6年が経ったんだなあ」と、思う。

留学当初、6年間、18歳から24歳までの思春期を過ごしたアメリカのそれから、
日本の文化に急に適合しようとすることは、
やっぱり、自分的にも、結構大変だったんだと思う。

日本は、周りに合わせて、
公共の場では、大きな声を出して騒がずに、
周りと同じ形で動く、
それが、求められる文化だから。

そんな中で過ごしていると、やっぱり、窮屈感を感じる。
その窮屈感は、次第になれていき、
それが「当たり前」となるのだが、
やはり、こうして海外にくると、
いかに、日本は、その「何か」に、みんなが縛られているかに、
気づく。

結局は、日本独自の、「恥を知れ」という文化と、
同時に、島国、というのがそうさせていると思うが。
(インドを始め、他の国と国境が隣接している国であれば、
他の国の人間もガンガン入ってくるので、
そんな風に、「俺たちは日本人だけさ。つまり、自分が「日本人」と意識をすることもなく、みんなが同じ、として、過ごしていけるのさ」
という事になることも、少ないと思う。)

*****

もう疲れたので、終わりにしたいんだけど、
つまり何が書きたかったかというと、
こういうことよりも、
俺が留学をした1年目に、Mt. Shastaで出会ったSandy一家のHannahなんかは、
当時は6歳だったのに、
俺がアメリカを去る頃には、12歳になっていて、
それだけでも、本当に時の流れることの速さにびっくりしていたのに、
今では、彼女も18歳なんだなあ、と。
(何しろ、俺が、日本に帰ってきたときの24歳から、
今では30歳になっちゃったんだから。)


俺が留学をしたのが、18歳で、
で、当時6歳だったHannahは、今では18歳。
12歳から18歳の6年間というのは、
人間としても、まさに思春期を通るので、
考えや人生に対する見方も色々と変わるだろうし、
小学6年生の子供から、
大学1年生の、立派な大人になるわけで。

そんな長い期間を、俺は、
アメリカに帰っていないんだなあ、と。
(去年から出張でアメリカに行くようにはなったが、
自分のいたカリフォルニアには一度も行けていない。)

俺は、この6年間で、
人間としては、24歳の頃から、
そんなに変わっていないと思うけど、
(ただ、落ち着いてきた、それぐらいの変化だと思うけれど)、

6年間会っていないHannahは、
この間に、もう、一人の違う人間へと成長して行ってしまったんだなあ、と。


そんなことを思うと、
なんだか、悲しいというか、
しまった、というか、
時の流れることの早さに、
自分の生活の拠点が、完全に日本にシフトチェンジしてしまい、
最初はそれに慣れなかったのに、
いつの間にか、それに慣れてしまっていることに、

そして、そうやって、いつの間にか、
日本での生活に慣れて、
このまま、40代、50代、60代を迎えて行くんだろうな、
と、毎日、日本での生活の中で漠然と考えている時に、

こうして、ふと、海外に来てみて、
日本以外の国のことに気づき、
(それは、体で気づく、ということ。頭ではなく)

そこで、初めて、
「あ、アメリカを去ってから、もう、6年も経ったのか!」ということを、
その、年月という数字ではなく、
誰かの年齢が変わったことを基に、
その年月の長さに気づくとき、


なんだか、言葉にできない、
人生の早さというか、
儚さというか、

時が過ぎ去っていくことに対する、怖さというか、


そういったものを、ふと、
感じるんだなあ。



******


真夜中は、基本的に、
人間は、感傷的になります。

あと4時間弱で起きなきゃいけないので、
もう寝ます。

そして、今年こそは、
妻と一緒に、アメリカ(もちろんカリフォルニア)に、
古き友人たちを訪ねに、
行きたいと思う。


俺は、昔の友人たちに会った時、
泣くんじゃないか。


2014/02/05 0:43





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January 05, 2014

2014/1/5 11:45-

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

****

さて、年末は12月31日大晦日の日に、
自分の実家に移りまして、
夜は両親と妻と4人で過ごしました。

元日は11時過ぎまで寝て、
ゆっくりとお節と雑煮を食べた後は、
外を少し散歩し、
夕方過ぎから姉夫婦も加わり、成田山新勝寺へ初詣へ。

帰りに、川豊で鰻を食べる。美味しかった。

帰ってきて、結婚式に使った写真を昔のアルバムに戻しつつ、
小さい頃の写真を見て談笑。

夜中に、昔なつかしファミコンがまだ動く事を確認しつつ、
テトリスやスーパーマリオ3を少しする。

*****

1月2日は、朝9時過ぎに家を出て、
今度は妻の実家へ。

途中の駅まで母親に迎えにきてもらい、
そのまま一度家へ帰り、お婆ちゃんに挨拶をした後、
もう一つのお爺ちゃんお婆ちゃんのお家へ。

そこで、妻の母方の親戚一同と集まる。

12時過ぎから、5時半くらいまで、
お酒を飲み、美味しい魚を食べ、
楽しいひとときだった。

その後、帰ってきて、
今度は妻の両親と4人で、晩ご飯。

その夜は、風呂に入った後、
急に具合が悪くなり、寝る。

*****

3日は、具合が未だに優れず、
結局、一日中ほぼ寝ていた。

夕食の席では、父親の書道の事や、
その他、ヨーロッパの事、歴史の事など、
色々と話をしたり聞いたりした。
自分は主に聞いていた。

*****

4日、朝起きて、体調も万全。
お婆ちゃんに挨拶をして、家を11時半頃出る。
本当は電車で自宅まで帰る予定だったが、
両親が送ってくれる事になった。
車で、高速に乗り、家まで送ってもらう。
近くの中華料理屋で、昼食を取る。

そこで妻の両親と別れ、俺たちは家で、
また昼寝をする。

夕食を食べ、少し映画やテレビを見る。
そして、寝る。

******

と、正月は、よく食べて、よく寝る日々を過ごしました。
普段は、「時間を気にせず、ゆっくり寝たいなあ〜!!」と良く叫んでいますが、
それが実現できて、幸せでした。
それと、温かい家族たちに囲まれて、
とても幸せだった。

良い家族、親戚たちに囲まれて、
楽しい時間を過ごす程、幸せな事はないですね。

*****

ちなみに、今年の目標は、

1、健康第一。体をいつも健康に。そして、鍛える。
2、仕事は、毎日無理なく働き、自分の担当分野を極める。上司なしで海外営業中の会議も回せる様になる。
3、ポルトガル語の上達。一般会話はマスター。
4、休みの日は、妻と楽しく過ごす。幸せな家庭を築く。

以上。
2014年は、自分は31歳になる年です。


2014/1/5 11:59AM


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December 27, 2013

2013/12/27. 21:20-

今は、ポルトガル語レッスンの帰り道。
同時に、今年の仕事納め日。
今日は最後にも関わらず、特に大掃除もせずに普通に5時半まで仕事をしていたので、
あまり、「年の暮れ」という感じがしない。

・・・

ポルトガル語は、今日で13回目のレッスンが終わった。
出張が長期で入るせいで、つい先日まで10回しか出ていなかった。こりゃあまずいと思って、週2で先週からやりだした。
結果、覚えも早くなって、俄然レッスンも楽しくなってきた。

・・・

仕事は、大分慣れてきたと思う。
前もここに同じような事を書いたけど、
今年の3月の頭に東京に移ってから、この10ヶ月で、随分仕事にも慣れたと思う。
ただ、慣れると人間はつまらないと感じるもので、
常に工夫しながら、仕事は楽しくやって行きたいと思う。

・・・

今年は、思えば変化の多い年だったと思う。

3月は岐阜から東京への転勤。
4月末にスイスへの出張。
5月は結婚式。
6月から7月にかけてアメリカ・カナダ出張。
帰ってきてすぐにインド出張。
9月はギリシャへ新婚旅行。
10月から11月はドイツ、イギリス、アメリカ出張1ヶ月。

で、今に至る。

その間にも、
3月、8月と11月に国内出張あり。

随分と国内、海外と移動をたくさんした年だった。

・・・

俺は、職場でも結構、
上司、先輩、そして取引先に対しても、理不尽なことはしっかりと言い返してしまう性格である。

その分、後で、
「ありゃ言い過ぎたな」と思うことが結構ある。最近は仕事に慣れてきたせいか、結構しっかりと反論してしまって、後で、「ちょっと言い過ぎたかな」と反省することが多く続いた。
こういう事は、はっきり言って、周りからは段々と煙たがられるだけだと思うから、もう少し賢く振る舞えるようにしないとな、と思う。
その辺は、来年気をつけなければいけないことの一つでしょう。

・・・

ちなみにさっき書こうとしたのは、こうして言語を新しく習うことの楽しさというのは、
「自分が確実に成長している」と感じられることだと思う。

仕事ができるようになった、ならない、というのは、はっきり言って正確に測れるものではなく、感覚とか、そういうものが大きい。

しかし語学の場合は、話せるようになるイコール成長しているわけだから、それが明確に見えることが、嬉しく感じる。
いわば、短期間での成長具合を感じるのが簡単。
そんな意味でも、留学時代の最初の2年くらいは、語学が伸びていくと感じる点でも、大変でありつつも、楽しかったんだろうなと思う。

・・・

上に書いたが、仕事でも、慣れてくると、毎日が繰り返しになり、新しいことを習う、試す、ということが減っていく。それが、マンネリに繋がり、飽きに繋がり、そのまま惰性で行くと、いつの間にか成長の速度は遅くなり、結果、
「なんか最近、毎日あんまり面白くねーな」となる。

でも結局は、仕事もいかに楽しくできるかであり、自分がどうやるか。

極論は、
「仕事は究極のヒマつぶし」なんだから、
自分が楽しく、毎日やる「それ」を楽しんでできる状態にあれば、それでいい。
俺の場合、「それ」の中に、

・外国語を使って、海外と取引をすること
・海外出張に定期的に行くこと
・働く職場の人間関係のストレスがゼロに近いこと
・毎日、余り人と話す必要なく、自分の仕事に没頭できること

が満たされていれば、幸せなわけで。

なので、今の仕事は、とても好き。楽しいと思う。
仕事に行くのが、結構毎日楽しい。
(通勤は嫌いだけど)

・・・

さて、今年は30歳になりました。
10年前、俺がまだ20際くらいの頃に、当時は、将来を超心配してましたが、
今は、素敵な奥さんと結婚して、好きな仕事もできて、
本当に、恵まれていると思います。

そういうことを、忘れないように、当たり前と思わないように、
そして、満足せず、常に成長していけるように、
ここに、記しておこう。

2013/12/27. 21:45






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December 19, 2013

2013/12/19 22:51-

最近は、ずいぶん仕事にも慣れた。
今年の頭、3月に東京営業所に移ってからは、
最初は貿易業務も営業の対応も全然慣れなかったけれど、
今では、どっちも殆ど聞かずに自分で全て対応できるし、
かつ、スピードもついてきた。

英語に関しても、出張に今年は4回くらい行って、
(スイス一回、インド一回、北米二回(そのときドイツとロンドンも一緒に))
大分、ビジネスで使う英語や、
かつ、どんな話をするかにも慣れた。

多分、そういう経験と時間が、自分に自信を与えているのだと思う。

*****

思えば、俺はずいぶんと、悩まなくなったと思う。
今の仕事に移るまでは、
かつ、今の仕事に移ってからも、
最初の頃は、結構悩んでいた。

今の会社に移るまでは、常に、
「俺の人生はこれで良いのか、俺の進路はこれで良いのか」
と悩んでいた。
結局、進路をどうするかが、
俺の、17歳くらいからの悩みだったと思う。

今は、自分の好きなことを仕事にできて、
かつ、人にも恵まれているので、
はっきり言って、仕事においてのストレスが、殆どない。
(そりゃもちろん、日々の中での小さなストレスは多々ありますが。
でも、そんなのは、かつて抱えていた大きな悩みに比べたら、屁でもない。)


そういった中で、以前は、妻に、よく、
俺の話を聞いてもらって、励ましてもらっていたんだけど、
今は、そういった進路の悩みで、
妻に殆ど相談しなくなったなあ、と思う。

今の悩みは、正直、
日々薄くなっていく髪の毛のことくらいですか。
(30代に入って、本気で後頭部と剃り込みが同時に薄くなってきているので、
マジで焦っている。そりゃあ、昔から将来は禿げると覚悟していたけど、
本当に髪の毛が薄くなりだすと、それはもう、死活問題ですよ。
男にとって、やっぱり”髪の毛がなくなる”というのは、
多分、”もう自分は若くは無い”ということを知らされる、
大きな恐怖なんだと思う。
”もう若く無い”というのは、恐い事実です。俺の心は、
まだまだ若いけれど。)

*****

何を書いてるかよく分からなくなったけど、
そんなわけで、こうしてここに、こういう真面目な事を久々に書こうとしても、
やっぱり、最後は髪の毛の薄さに関してで話が終わってしまうので、
結局、今は殆ど悩みっていうのは無いんだと思う。



幸せなことです。


今後は、数年後に、子供をもって、
その子を育てて、というのに、
自分の興味の対象も変わって行くんだろうな、と何となく思う。

30歳にもなると、
自分のことだけを考えている人生というのは、
結構、物足りないね、というのに、気づいてくるのかな。

2013/12/19 23:00





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October 22, 2013

2013/10/22 23:04-

さて、ついに30歳を迎えました。
三十路ジョークを25歳から妻といい続けてきましたが、
ついに30歳になっちゃいました。
しかし、もう、「若い」ということに余りこだわりがなくなってきた自分。
後は、どう今後を生きるかです。

今日は朝から晩まで、結局フランクフルトのメッセで、
超でかい展示会の一部のブースで、
たくさんのお客さんと話し、
夜はチェコ人のお客さんと、上司二人と会食を行ないました。
悪くない誕生日だったと思います。

下は、さっきFacebookにのっけたコメント。
結局、こういう気持ちです。
今までは気を張って生きてきましたが、
これからの人生は、ゆらりゆらり、くらりくらり、ゆるりゆるり、さらりさらりと、
力を抜いて生きて行きたいと思います。
でも、自分の心の声には正直に。

*****

いつも励ましてくれる、妻よ、ありがとう。
あなたのおかげで、今日の僕はいます。
そして、いつも支えてくれる友達、ありがとう。
寂しがりやで、その癖に、一人でいるのが好きで、
わがままで、すぐ不機嫌になり、
いつも自分の子供っぽさに辟易する自分ですが、
これからはもう少し成長して、
もう少し大人になりたいと思います。

とりあえず、30歳の気持ち。

2013/10/22 23:09


***************

Thanks so much everyone who gave me special comments for my birth-day and for those who always have been my special people. I am happy to become 30 years old in this day, in this environment, in this life. I feel like I have gone through very tough road up till today, but now I am happier than anytime of my life today. I love my job, I love my wife, I love my family, and I love where I am in my life today. When I was 20 years old, I read this book which was saying; "When you become 30 years old, how you spend your 30-years-old-birth-day is how you would live your entire life". I also remember my elder friend of mine saying; "When you become 30 years old and if you are not satisfied with your life, you would come back to where you should be belonging to". Those are my motto of how to live my life up to 30 years old, and how I spent today was something I can be satisfied with. I have spent hours doing business with people internationally and had some good time with my colleagues and my bosses, and our clients.
Of course I miss my wife and it is too sad that I couldn’t spend today with her, but still, by fulfilling my work, I can also make my wife and family happy, I believe.

Thank you again everybody who have been helping me and giving me love in my life. Thanks to you, I can be what I am today. I am excited how I will spend my next 10 years. Thanks!
Love, Shun

さて、今日で30歳を迎えました。その昔、二十歳の頃に読んだ本に、「どう30歳の誕生日を過ごしているかは、その人の人生がその後どうなるかを映し出す」的なことが書いてあり、いつの間にかそれが僕の中にずっと残っていました。また、僕の大学時代の大事な先輩は、「もしも男が30歳のときに、その人が一番したいことをしていなかった場合、必ず彼は、本来の道に戻って来るんだよ」と言っていました。30歳はその節目だ、と。
自分はこれまで、特に24歳から28歳までの5年間は、結構辛い道を歩んできたと思っています。決して簡単な道ではありませんでした。いつも、俺の人生は大丈夫なのか、俺の生き方は合っているのかと、自問自答する日々でした。(そしてそのときいつも側では妻が励ましてくれました。)結局、29歳を目前に今の会社に入り、今は希望である海外営業の仕事で、毎日充実した日々を送れています。今日も、朝から晩まで各国の方々とビジネスミーティングを行い、夜は会食をしたりと、同僚、上司、お客様、いい人たちに囲まれ、ドイツという新しい国で、「新しい人生」を感じています。
妻と過ごせないのは残念ですが、そして、妻はやっぱり僕にとって一番大事な人なので、彼女のいない人生はあり得ませんが、しかしながら、こうして仕事として考えたときに、自分が満足できる、少なくとも文句をつける気にはならない状態にいられることは幸せであり、それだからこそ、日本にいるときに、妻と、いずれ増える家族を幸せにしていきたいと思えます。
今までは、自分の人生を、将来を、恐れながら歩むことが多かったと思いますが、今は、すばらしい妻とすばらしい仕事に恵まれ、将来を楽しみに歩むことができます。30歳にして、やっと落ち着いた自信が付いたのだと思います。
これからの10年間、30代を、楽しく、エキサイトしながら、生きて行きたいと思います。
そして、何よりもいつも助けてくれる皆さんのおかげで今日の自分はあります。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

***************








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October 11, 2013

2013/10/11 23:01-

この1週間は長かった。
先週はギリシャに8日近く行っていたので、
今週は1週間のペースに慣れるのが大変だった。

やっぱり、10日近く日本を離れてみて、
帰ってきて一番感じるのは、
通勤電車の辛さ。
毎日駅まで10分歩き、
電車に5分乗り、乗り換えで15分〜20分立って待ち、
その後、電車に30分乗り、
それから駅から会社まで10分歩く。
朝は片道、家を出てから1時間20分。
帰りは1時間。
それを5日連続で行い、
かつ、それらは他人に囲まれ、
体はぶつかり、
パーソナルスペールはほぼ無く、
しかも、気温はまだ高いのに、
10月に入ったからと言って、
電車の中は冷房を切っていて、
密集した暑い空気がこもった車内で過ごすとなると、
そのストレスと疲れは、かなり大きいらしい。

この生活に慣れてしまうと、そこまで辛いと思わなくなるが、
こうして10日以上その生活スタイルから離れていると、
いかにそれが辛いものなのかを、体と心の疲れで感じる。

*****

と、暗いことばかり書いているが、
実際の仕事は楽しい。
3月に東京に移り、
4月にはほぼ全てを任され始めてから、
北米(アメリカ、カナダ)、
インドを受け持っているが、
ほぼ問題なくこなせる様になってきた。
初めの頃は、先輩にいちいちやり方を聞かなければいけなかったり、
メールを書いても、その内容を確かめてもらわねばならなかったが、
今では朝出社して、一晩で10件〜15件近く来ているメールに目を通して、
すぐに即答し、
かつ、日中も国内から来る内容にすぐに対応して、、
というのが出来るようになってきた。

貿易業務も問題なく覚えたし、スピードも付いた。

後は、今度はブラジルを初めとした南米(アルゼンチン、チリなども)と、
北米を引き続き開拓して行くのみ。

来週はまた10月20日から、約4週間の海外出張となる。
今度は、フランクフルトに5日間滞在した後、
ロンドンに1日行き、
その後はNYに飛んで、そこからアメリカを回る。
今回はプエルトリコも行く。

帰ってくるのは、11月14日。
妻には悲しい思いをさせるが、しょうがない。

*****

今日は何を書こうとしたかと言うと、
何でも、毎日少しずつ集中してやって行けば、
その時間は短くても、
確実に成長して行く、ということ。

今は、ポルトガル語の習得と、
ギターにハマっている。

ポルトガル語は、6月から本格的にレッスンに通いだしたが、
週1かつ、レッスンの日以外は勉強をしていなかったのもあり、
全く伸びなかった。
また、途中で6月半ばから7月半ばに4週間の北米出張、
その後はインドに1週間、
そして、今度はギリシャに10日間など、
合間合間にいろいろと入り、結局6月にレッスンを始めてから、
一昨日でまだ7回しかやっていなかった。

しかし、今回ギリシャに行き、
自分が全く分からない言語を聞き、
その後帰ってきて、というか、
今回サントリーニで見た夕日に俺はものすごく感動して、
その景色をまた見る為に、(しかも人生で行きたいときに何回でも行ける様に)
本気で俺は頑張って、お金を稼げる様になろうと誓い、
そのためには、今やっている仕事と言語習得を本気で集中しようと誓ってから、
全てが簡単に思えてきた。
というか、やる気の度合いが俄然違ってきた。

前はどこかに、「やらされてる感」があったけど、
今は、今やっている全ての事は、
将来の俺に全て返って来ると分かるから、
全てが積極的。

そんなわけで、ポルトガル語も、
毎日行きと帰りの電車の中でヘッドフォンで聞きながらテキストをブツブツ言っていたら、
大分”分かって”きた。
前は、ポルトガル語の音や、その単語、言い回しなど、
全てがNEW to meで、ちんぷんかんぷんだったけど、
今は大分慣れた。

逆に、毎日ポルトガル語を聞かないと、
なんかそわそわするし、
聞きたい、と思う。
朝起きても、無意識でポルトガル語のセンテンスが
頭の中を流れている。

*****

そしてもう一個は、ギター。

これまた、2010年の5月頃に買ってから、
今年の2月くらいまでは、殆どさわってなかったけど、
2月にチャゲアスにハマったのをきっかけに、
ギターをさわりだして、
それから、エアロスミス、ジャックジョンソン、
ブルーノマーズの曲などを弾くのにハマってきた。

それも、まだコードを抑える指がなれなかったけど、
今は、毎日10分さわるだけで、
どんどん上達して行く。

ギターを初めて直ぐの頃、
スピッツの『チェリー』にトライしたけど
全然弾けなかった。
でも今は、問題なく弾けるようになって、
かなりビックリした。
最初は、FやB、CにBmなどは全然押えられなかったけど、
今は問題なくできるし、
コードからコードへのシフトチェンジもかなりスムースに出来る。

これも結局は、
指がその動きに慣れるまで、何回もさわって、
次第に、考えずとも、
指が勝手にその形に動くようになるのが基本。


ポルトガル語もそう。
考えずに、
頭が、CDで聞いた音を呼び起こす。
それに、ただ自分は感覚で浸るだけ。


そうやって、何度も何度も、
毎日少しずつやって行くと、
ある瞬間に、今まではそれが全く意味不明だったものが、
「あ!分かる!」となる。
その瞬間を迎えると、
一気に、それは楽しくなる。

*****

俺にとって英語も最初はそうだった。

中学3年の夏休みまでは、本気で英語が大嫌いで、
意味が分からない教科だったが、
塾の先生のおかげで、
英語に対する抵抗がなくなり、
ある時から、それまでは100問あったら、100問分からなかった教科から、
100問あったら、80問は分かる教科になった。

そして、『それ』に慣れた瞬間、
つまり、『それ』に対する抵抗を感じなくなった瞬間、
『それ』は、急に、自分の一部になり、
その瞬間、それは楽しくなる。

そう、考えずとも、
体からそれが自然に出る様になったとき、
つまり、それがクセになったとき、
それは、楽しくなる。

*****


俺は、今月の22日で、30歳を迎える。

昔読んだ本で、
「30歳の誕生日にやっている事を、
人間は、一生やって行く」というような事を言っている対談を読んだ。

その対話は妙に俺の心に残っていたが、
今年の誕生日は、フランクフルトの展示会会場で、
各国のお客さんと会議を何個もする事になる。
多分忙しいからやだけど、でも結局、
そうやって、世界中の色んな国の人種の人たちと
ビジネスを行い、
そういう状態にいられることを、俺は好きだから、
(そしてカッコいいし、自己満足が大きい)
誕生日にその状態にいられて、良いんだと思う。



30歳から、定年の約60歳まで、
残り30年しかない。
20代は、つまり、『若い時期』は、
あっという間に終わってしまった。
日本に24歳で帰ってきて、
毎日懸命に生きていたら、
あっという間に過ぎ去ってしまった。

でも、もう、俺はそれを後悔していない。
過去を後悔していない。
今の状態に、ある程度は満足しているから。

24歳から29歳まで、随分と色々な道を通り、
辛い日々を過ごしてきたが、
(正直言って、24歳から28歳の5年間は、
本当に、辛かった、という感じが大きい)
その分、今、やりたい事を仕事として出来ていて、
扱う製品も、満足のいくもの、業界だし、
その知識は、グローバルにどこでも使えるし、
言語力も、英語以外にも身につけられているし、
会社の人間関係もとても良いし、
海外出張はたくさん行けるし、
素晴らしい妻もいるし、
(彼女には寂しい思いをさせて申し訳ないけれど)

本当に、これまで諦めずに頑張ってきて良かったと思う。


******


50歳を超えると、ある程度体力は落ちるだろうから、
残り10年×2回しか、フルに動けないと思う。
人生は、短いと思う。本当に。
松下幸之助が、
若さをもう一度手に入れられるなら、
今まで手にしてきたものは全て手放してでもしたい、
と言っていた本を、15歳くらいの頃に読んだが、
そういう気持ちを持ち続けてきても、
もう既にそれから15年が経ち、30歳になった。

自分が、60歳を迎える日は、
きっと、自分が想像するものよりも、
ものすごく早いのだろう。


だからこそ、後で悔いの無い様、
生き抜きたい、
自分の人生の可能性を、フルに使って、
最大限まで発揮し、
俺の人生を、使い切りたい、と思う。

久々の、熱い日記。
しかし、その”熱さ”は、
若い頃の表に出るそれとは違い、
今では、内面の丹田の辺りで、
どっしりと構えて、燃えている熱さ。


2013/10/11 23:36






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May 23, 2013

2013/5/23. 21:02

先日観たDoveのCMで、
元アメリカ・サンノゼの警察署で犯人の似顔絵を書いていた男性が、
今では、色んな人の似顔絵を、
その人の顔を見ずに、

1、その人の、自分の顔に対する自分自身の感想を聞いて描く

2、その人と、その場所で初めて会った人に、その人の印象を聞いて描く

という形で二枚の絵を描き、
その二枚を、後で本人に見比べてもらい、その違いの感想を聞く、
というのをやっていた。


まずは、その男性が、すべての人の似顔絵を、
その人の顔を一切見ずに描くことも驚きだったが、(そして、その似顔絵がかなり実物と似ている)

何よりビックリしたのは、
どの似顔絵も、
本人の自分の顔に対する印象よりも、
他人がその人の第一印象を見て言った感想を聞いて描いた絵の方が、
より綺麗に、美しく、素敵に描かれていた、ということ。

その二枚の似顔絵を、
本人たちは最後に二枚比べて見せられ、
隣では、その似顔絵を書いた男性が、
"Don't you think you are more beautiful than you think you are?"
「あなたが思っているよりも、他の人が見ているあなたの方が、綺麗ではないですか?」
と聞くと、
本人たちは、
"Yes, yes" と言いながら、涙を流していた。

、、、、

今日、仕事が終わって帰る間際に、
職場の先輩と、俺の前の会社の仕事について話を少しした。

俺は正直、
前の会社の仕事について、余り良い思い出を抱いていないと、自分では感じる。

しかし、いざ今日、先輩にはなしをしてみると、
自分がそこで、いかに貴重な経験を積んだかを、改めて客観的にみてみて、強く感じた。

人と話す力、
話を聞く力、
物事を早く行う力、
電話対応の方法、
新規顧客にアプローチする力、
人前で堂々と話す力、
根性、スタミナ、等々。

そのおかげで、今では、
今の会社で、高い評価を得ている。

それは、自分の中では、前の会社がスタンダードになっているので、それが当たり前と思うが、
こうして、外から見た印象を聞かないと、自分が実際にどう見られているか、
または、自分の前の会社で得た経験が、どのようなものだったのかは、分からない。



その先輩と話して、
自分が、前職で、
いかに、貴重な経験を積んでいたかを、改めて感じた。

そして、改めて、
自分の過去を、再評価することができた。

、、、、

人は、他人と比べてばかりいては、自分の自信はつかない。

過去の俺は、他人と比べてばかりで、自分の自信がなかった。

今は、他人と比べることはほとんどなくなったが、
その代わり、過去の自分のとった道や、経験を、
過小評価して、
実際のそれよりも、
小さく、それを見ている傾向が、
強すぎるのかもしれないと、
そう思った。

、、、、


人は、いくら経験を積もうが、
その経験をきちんと吟味し、味わい、
自分の糧へと変えていかないと、
その経験を積んだ意味は、ほとんどなくなってしまう。

同じ経験を積んでいても、
その評価と生かし方次第で、
人は、かなり変わってしまう。

いつも自信があるように見えて、
人生を楽しんでいるように見えるやつは、
自分の過去を過小評価せず、
すべて、なるべくしてなったと正当に評価し、
自分の歩みに、自信を持っているやつだと思う。

この前、結婚式に来てくれた、自分の親友たちと一度に出会い、

そいつらのことを考えると、
みんな、胸を張って、
堂々と生きているやつが多いなと思い、
そしてそんなやつは、男として、非常にかっこいいと思う。

そういった人間たちに共通しているところはなんだろうと考えると、
上のことに行き着いた。

つまり、自分の過去、
いわゆる、自分自身を肯定し、
それを糧にして、今日から明日以降を、力強く、足を確実に踏みしめながら生きているのだ、と。

俺は、過去の自分の経験を人に話すと、色んな経験をしていてうらやましい、と言われることもある。

実際、そうであると思う。
なのに、当の本人が、それを認めず、
自分の過去を、「もっとこうすればよかった」と悔やみながら生きるというのは、
俺という人間の可能性を与えられていながら、
その可能性を、最大まで活かさずに、殺して生きるようなもんだろうと。


結局、考え方というのは「癖」で、そのクセを変えるのは、自分次第というだけ。

現役でいられるのは、残り三十年。
自分が「若い」と言われるのは、あと数年しかない。

今のうちに、俺のクセを治し、
過去を肯定し、
自分自身のとって来た道を肯定し、
それらを最大限まで糧にして、
これから、前に力強く進んで行きたいと思う。


堂々と、常に前を向き、
胸を張り、
笑顔を持ちながら。



21:37



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May 22, 2013

2013/5/22. 20:48

結婚式を終えて、三日が経った。

本当に、良い式だった。
昨日妻が、「もう一回結婚式やりたいね」って言ってたけど、本当にそう思う。

何より、自分たちの大事な友達が、一度にみんな集まってくれている、しかも遠くから、っていうのが、本当にありがたかった。

みんな、俺たちのために、正装をして、綺麗なドレスをきて、オシャレをしてきてくれて。

みんなが、その日に、その場所に、自分たちのためだけに集まってくれる、ということは、
本当にありがたいことだと思う。


俺は、最後の謝辞を、ほとんど練習しないまま、本番に任せて行ったけど、やはり少し緊張してしまったので、
前に考えていた、会場の方々へのお礼や、
そして、皆さんへのお礼、
「こうして私たちがここに今立っていられるのも、皆様一人一人のおかげです。本当にありがとうございます。
皆さんからいただいているこのご恩は、少しずつ、しかし、必ず返させて下さい。
そして、これからは私たち二人が、皆様が今日ここにこうして集まって祝福してくださったことをムダにしないよう、幸せな家庭をしっかりと築いて行きたいと思います。」

という言葉を、きちんという事ができなかった。
それを少し悔やんでいます。

すごくシンプルに、「皆様、本当にこの度はありがとうございました!」しか言えなかったと思うので。


、、、、、、


俺の個人的な感傷は置いておいて、

本当に、ありがたいひと時だった。

同時に、自分たちがあそこまで、三時間以上の間、主役であり、
かつ、来ている全員が味方で、祝福してくれていることというのは、

今後の人生で、たぶんもうほとんどないんだろうなと思った。

それはもちろん、とても気持ちの良いもので、
きっと、芸能人ていうのは、これに近いものを普段感じているんだろうな、と思った。

そりゃあ、あれだけ色んな方向から写真を撮られて、みんなにキャーキャー言われてたら、
見た目にも気を使い、「見られかた」を覚えて、かっこよく、またはきれいになっていくよな、と思った。
なぜなら、芸能人は、「見られかた」を極めている職業だから。


、、、、、


自分のエゴは置いておいて、
本当に、ありがたいひと時でした。


皆さんに、きちんとお礼を、十分に伝えきれなかったと思うので、これからしっかりと返して行きたい。

21:00





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May 20, 2013

2013/5/20 (Mon) 23:27-

昨日、2013.05.19 (Sun)は、僕と妻の結婚式&披露宴でした。

ちょうど一年前の2012.05.19に入籍をして、
それからちょうど一年後の昨日、結婚式を挙げました。

この準備には、一年以上をかけて、
(90%の準備は妻が)して来ました。

僕も、披露宴の最中に流すプロフィールムービーを作ったり、
直前ではありましたが、 ウェディングツリーの木の絵を描いたり、
来て下さる皆さんへメッセージを書いたりと、
4月頭辺りからは、毎週末のようにやることがあり、
式の直前には、毎晩やることがあって、
式の前日の夜には、妻と険悪なムードになるくらい喧嘩したりと
(これも俺が悪い)
結構、不安なところもありましたが、

しかし!
昨日は、本当に素晴らしい式となりました。

天候は、予報では数日前まで、ずっと曇りのち雨の予報。
降水確率は50%。
妻はそれを気にして、かなり落ち込んでいましたが、
きっと大丈夫だよ、と個人的には思っており、
更には、今回私たちのプロデューサーをしてくださった鈴木さんという方が、
完全な晴れ女ということで、
式の当日の天候について妻がぽろっとこぼしたところ、
(これは、式の2日前の金曜日)
その鈴木さんは、
「絶対大丈夫です。私がお二人の時間だけは晴れさせます」
と言い切りました。

他の方は、みんな、
「当日は晴れるといいですね」
てな感じで、少し濁すのですが、
そのプロデューサーは、
「絶対晴れます。大丈夫です」
と、こっちが不安になる位言いきるので、
どうかな、と思っていたら、
当日は、完全な快晴!!!

さらには気温も、22℃と、
外でのデザートビュッフェができるのは23℃以下だったので、
本当に最高のコンディションでした。

来て下さった方々も、ゲストへのサプライズだったそのデザートビュッフェには
本当に感激してくれて、
特に女性陣は、大満足の様子でした。

途中で、外のガーデンに出て、
自由に歩いたり、羽を伸ばせるのも、
良かったみたいです。

(披露宴のウェルカムスピーチでは、
俺の方から、
「ここ、新浦安は、条例でも決められているように、
カリフォルニアンのような外観に作られています。
ここの会場もそうで、かつ、ここの会場の名前である
サンタモニカ邸は、僕と妻が出会った場所、カリフォルニアの町です。
よって、今日は皆さんにも、カリフォルニアの雰囲気を少しでも味わっていただきたく思い、
この会場を選ばさせていただきました。」と伝えた。
実際、天気もちょうどよく、
庭でのパーティーみたいな感じも取り入れられて、
本当に良かったと思う。)


ゲストの方々には、
北は岩手から、
南は大分まで、
本当に全国から来ていただきました。
(1人は今は大阪に住んでいますが、カリフォルニア出身のノアも参加。)

今回、自分や妻の親戚の方にも参加いただき、
かつ、それぞれの親友にも参加していただき、
また、新郎の方は、会社の方々や、
前の会社時代にお世話になった方にも参加いただき、
本当にありがたく、感謝の言葉を言っても伝えきれない時間となりました。

当日は、謝辞もあり、
結構緊張していましたが、
妻のメイクをして下さった会場の方も、本当に良い方で、
「皆さん、いざ始まってしまうと、
どんどん進んで行くので、
”次に何しよう”と考える暇もなく終わってしまって、
最後になって、”え?もう終わりなの?”っておっしゃるんですよ。
なので、次のことは考えずに、
もう、今だけを味わって、十分に楽しんだ方がいいですよ」と。

その言葉を聞いて、それまでは謝辞のことを気にしていた自分も、
「ああ、そうだよな。
むしろ、今日で俺の人生は最後と思って、
今日の”瞬間”を味わおう」と心を切り替えることができました。
その結果、本当に全てを楽しむことができました。
その方の言葉にも感謝です。


最初の式の部分では、自分が一人で神父の後ろをついて歩いて行くので、
大きな扉が開く前で待っているときは、とても緊張しましたが、
いざ扉が空いて、中に歩いて行くと、
かつての仕事仲間から、「わあー」「きゃあー」「かっこいいー」などの黄色い声が聞こえ、それで緊張がほどけました。

その後、前に立つところで、
自分の父親の顔を見て、なんか、涙が込み上げてきてしまいました。

その後、新婦が入場。
母親にベールダウンをしてもらい、
その後は、父親と一緒にヴァージンロードを歩いて来ます。

2人が近くなったところで、
彼女のお父さんに敬礼。

そこで、父親の手から、自分の手へ、
手を移す彼女の手を取りながら、
お父さんへ、「ありがとうございます」か「よろしくお願いします」か、
覚えていませんが、何か言ったところ、
お父さんも、「よろしく頼むよ」と言ってくれたのを見て、
さらに、涙がこぼれそうでした。


その後、誓いを立て、
再び、参列者の真ん中を歩いて行きます。

みなさんに一礼をして、
会場を出ました。

もう、その間ずっと、
自分の目には、涙が浮かんでおり、
本当に感無量でした。

*****

その後、階段を降りるところで、
皆さんにフラワーシャワーをしていただき、
みんなで写真を撮ります。


その後は、披露宴会場へ向かい、
皆さんのテーブルの間をかいくぐり、
自分たちの座る場所へと通されました。


今までの人生で、80人近くの人たちを前に、
自分たちが主役になることというのは、
ありませんでしたので、
本当に、不思議な感覚でした。


その後、上に書いたウェルカムスピーチを行い、
その後は、新郎の友人代表で、
高校時代からの付き合いの、R.H.に乾杯のスピーチと音頭をしてもらいました。

Rは、やはり俺が見込んだ男で、
素晴らしいスピーチをしてくれました。
しっかりと、綺麗な日本語で挨拶をしてくれ、
かつ、俺たちの共有のエピソードに触れてくれ、
彼のことを、横から見ながら、
「こいつは、やっぱり、人前に立つ男なんだな」
というのを、ひしひしと感じました。

彼の堂々としている感じと、目の輝きと、
放つオーラは、本物だと思います。

*****

その後、今勤めている会社の理事から主賓のスピーチをいただき、
新婦の中座があり、
(新婦のおばあちゃん2人をサプライズでエスコート。
かつ、おじいちゃんには一輪の花束。
その時の新婦のメッセージでは、妻は既に泣いており、
「おじいちゃん、大好きだよ。いつまでも元気でいてね」と。
みんなそれを見て、号泣していたそうです)

その後、一息ついた時に、
新郎ゲストの方から、みんなが立って来てくれました。

俺は余り友達が多い方ではありませんが、
高校時代、大学時代、英語の予備校時代など、
それぞれに、1人ずつくらい、親友と呼べる存在がいます。
(この日記にも、その3人のことはよく書いています)

その3人が、昨日は、同じ席でみんな一気に仲良くなってくれ、
俺のところへ3人が来てくれ、
みんなで一緒に写真を撮ったりしていると、
何だか、夢の様でした。
「え?なんで、悟空とキン肉マンと桜木花道が一緒にいるの?」みたいな。

カリフォルニアで大学時代に出会った親友たちからは、
ハグと、熱い握手。
“I’m so glad to see you buddy!”みたいな、なぜか日本人同士なのに英語。

その後は、前職での仲間たち。
前職では、同じ会社ではないにも関わらず、
仕事関係が一緒ということで知り合ったSさんも、
(俺のある意味恩人のような人)
今回は来て下さり、
祝って下さいました。
本当に嬉しかったです。

*****

その後、俺は父親と母親をサプライズで指名して、
中座。
もちろんその時のBGMは、エアロスミスの”Walk This Way”。
今回は結婚式ということで、中々ロックは使えなかったのですが、
大好きなエアロスミスは使えて良かったです。

(もちろん、Alicia KeysやBrian McKnightなども使いました。)

その後、新婦がドレスを替えて、
カラードレスでの入場。

その前に、自分が作ったプロフィールムービーを、
ゲストの前で流しました。

その時、俺たちは、ゲストがいる会場の上の二階の奥で、
映像が流れる様子だけを遠くから見守りながら、
ゲストの反応を、声だけで聞いていたのですが、
みんな、歓声を上げてくれたり、
最後は、みんな泣いてくれたそうで、
もう、ここ一ヶ月はほぼ全ての週末を費やした自分にとっては、
有り難い限りです。

同時に、自分はFilm Majorでもあったので、
自分が作った映画が皆の前で流せる、ということは、
初めてだったので、
ある意味、夢がかない、とても嬉しかったです。

*****

映画が終わったところで、階段を降りて再入場。

その後、新婦の親友と、
新郎新婦共有の親友から、スピーチをもらいました。

それぞれ、感動的なスピーチと、
笑いありの和めるスピーチ。
とても良かったです。


そしてその後は、ゲストへのサプライズであった
外の庭での、ビュッフェスタイルデザート。

しまっていたカーテンを開けると、
外ではスタッフがみんな手を大きくふっていてくれていて、
これはこれは、もう本当に嬉しさと感動の嵐でした。

外にみんなで出て、みんなと写真撮影。
俺たちはほとんど食べる時間がなかったけれど、
みんな、会場にいるとなかなか写真が撮れないので、
この時は、みんな外で、明るい日差しの中、
好きな様に動けたので、
とてもよかったみたいです。

(ある意味、ディズニーランドのキャラクターたちになったようでした。
常に、みんなが写真を撮りに並んで待っていてくれる、というか。
でも、俺も昔からミッキーとかプーさんに似ていると言われますが)

そこでも、きちんと近くで挨拶ができていなかった方々にも、
直接歩いて、挨拶をしに行きました。

この時間は、本当によかった。
みんな、楽しそうで、
俺の予備校時代の親友のOさんは、
「よくこんなお城みたいなところ見つけたね!すごいよ!」
と嬉しそうでした。

みんな、楽しそうなのが本当によかった。

*****

その後、会場に戻り、
新婦からのスピーチ。

通常は、新婦が手紙を読むそうですが、
御涙ちょうだい系で、それは絶対に嫌だと、
新婦の母親、かつ新婦本人からの強い希望により、
新婦からの、カンペ無しのスピーチとなりました。
(ここは、さすがコミュニケーション学部かつ生まれた時から喋っていたという妻の良さがガンガン出ていました。)

妻の聞かせるスピーチに、会場は一つに。
会場のマネージャー役の方も、
妻のスピーチを真剣な表情で遠くから聞いて下さり、
終わった途端に、妻の母親のところへ駆け寄って、
「今まで関わって来た方々の中で、一番感動するスピーチでした」
と伝えて下さったそうです。


その後は、妻と私で、
両親へのサプライズのプレゼント贈呈。

その後、会場が真っ暗になった中で、
私たちとそれぞれの両親の合計6名だけにスポットライトが当たり、
そこで、まずは私の父親、
つまり、新郎父親からの挨拶。

親父の顔を横で見ると、
完全に暗記して来たスピーチを、
親父は、一言も間違えずに、言い切りました。


ちなみに、親父は、
先日ここの日記にも書いたが、
病気になったばかりでした。

手術を4月に済ませ、
まだ、体調も万全ではなく、
今日も、参加しているのが難しい状態でもありました。

しかし、親父は、堂々と立ち、
びしっとした言葉で、決めてくれました。

正直、親父が会うたびに、
少しずつ痩せて、細くなって行くのを見ています。

今回も、一番最初、
チャペルに入った際に、
親父の顔を見て、泣きそうになったと書きましたが、
それは、親父の顔を見た時に、
大分弱ったな、というのを感じたからです。


色々な思いがこみ上げ、
そんな親父が、隣で、今、しっかりと気力を出して、
覇気を見せながらスピーチをしているのを見ると、
身震いせずにはいられませんでした。



その後、自分からの最後の謝辞です。


まさか、真っ暗な中、
しかも、父親のその覇気迫るスピーチを聴いた後に、
元々考えていた、最初の笑いの部分を言う気も一切思い出せず、
完全に、その場で感じたことを、
伝える謝辞となりました。

(皆さんへの挨拶と御礼、
新婦の両親への挨拶、
自分の両親への挨拶、
そして、妻への言葉を入れました。
その後、最後に再び、皆さんへの挨拶で、しめました。)


その後、6人で、その場を後にし、
最後、ゲストの皆さん一人一人に感謝の気持ちを御礼を伝えながら、
お見送りをしました。


本当に、あっという間の3時間とちょっとでした。

*****

終わった後は、妻と俺の前職場の仲間たちと最寄り駅の近くの居酒屋で楽しく語らい、
その後、家に帰って来ました。


家に付き、今日きて下さった皆さんと皆に御礼の電話をすると、
みんな、「今日は本当に楽しかったよ。感動したよ。ありがとう」と言ってくれ、
もう、本当に嬉しいばかりでした。

今回乾杯のスピーチをしてくれたRは、
「今まで十何回結婚式出てるけど(彼は仲間が多く、本当に数多くの式に参加している)、お前ほど最後にああやって決めたヤツはいなかったよ」と。

俺も、Rのスピーチに感動したので、それをきちんと伝えました。

ちなみに、新婦中座の後に、
RがOさんと一緒に席まで来てくれた時に、
Rが、「お前のこと尊敬してるよ。ほんと、目を見れば分かるよな」と、
Oさんに言っているのを見て、
やっぱり、本当に嬉しかったです。


他にも、みんな、式に来てくれて、
温かい言葉をくれて、本当に嬉しかったなあ。

俺の両親も、「楽しかった」と言ってくれたし、
妻の両親も、親戚も、友達も、
みーんな、楽しんでくれたみたいです。

本当に良かった。

感謝感激、
悔いは一切なし、というかたちです。

*****

今回使った会場も、
本当に素晴らしいところで、
最後は、その日に働いていてスタッフ全員が、
シャトルバスの通る両サイドで待っていてくれて、
みんなで手を振ってくれ、
最後に、
「せーの、お幸せにー!!」
と叫んでくれて、
もう、本当に感激でした。

すばらしい方々でした。

******

もう長くなりすぎたので辞めますが、
本当に、本当に、
良い式でした。

妻も、本当に満足してくれて、
俺も、心から満足していて、
本当にやってよかった。

一生の思い出となりました。

******

また、一ヶ月後に届く写真と、
当日の様子を撮影したBlue-Rayが届くのが楽しみです。


そして、今回感じたことは、
やっぱり、皆さんへの「感謝」です。

皆さんのおかげで、
僕らの周りの方々のおかげで、
自分たちは、こうして、
幸せな時を過ごせました。

もう、本当に、
感謝の一言に尽きます。

皆さんに、きっちりと、
今回の恩を返して行かなければと思います。

皆さん、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。


2013/5/21 0:36am







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April 30, 2013

2013/04/30 15:20-

今、ルフトハンザの飛行機の中。
ビジネスクラス。
会社のお金で。

このパーテーションの中には、全部で乗客が15人しかいない。
とても余裕があり、良い。

席は、完全フラットになる。さっき、それで13時から14時半まで、1時間半寝た。


************


完全に静かな個室なので、
そして、時間があるので、
自分のことを、見つめてみようと思う。



最近の悩みは、特にない。

先日妻とも話したが、
ほんの少し前までの俺は、
仕事のこと、
進路のこと、
それらで、ずっと悩んでいたが、
今は、新しい会社に入り、
仕事も、やりたい海外営業部、
こうして、数ヶ月に一回は海外出張もでき、
また、英語も使えるので、
毎日のように、英語力を必要とされて、
とても、満足している。

自分が、「求められている」と感じるし、
自分が今まで得てきた力=
「留学によって培った、英語力、コミュニケーション能力」
が、きちんと生かされる、または必要とされる力なので、
その状態に、満足している、と言える。


一社目の時は、
英語力は求められたが、
コミュニケーション能力、人と話す力、
人と接する力、
それを、使い機会がまったくないと感じたため、
毎日やりがいがなく、心は死んだも同然だった。

(今、その会社の同じ仕事についたら、
おそらく、文句はあまり言わずに働いたと思う。
給料も良いし、残業代も15分おきに出るし、
日立の福利厚生だし、
今考えると、今まで経験した3社の中で、
一番良い条件だったと思う。
金銭的にも、外資=英語を使える、または、社内に外国人(しかもアメリカ人、シリコンバレー)がたくさんいる、というのは。
でも、当時は、それは、自分が欲していたものではなかった。)

*****

二社目(前職)では、
自分が欲していた、
または、一社目の反動によって、
「コミュニケーション能力」を使うこと、鍛えることを、
非常に欲していた。

その力は、俺が伸ばしたかった力であり、
「俺はこれがあるんだ。または、伸ばせるんだ」
と証明したかった力だった。

また、一社目の後なので、
「お金なんて関係ない、
大事なのは、やる仕事の内容であって、
お金は、最低限の生活ができれば、それでいい」
と考えていた。


最初の半年間は良かった。
むしろ、入社して、最初の2ヶ月(2009年2月〜3月、横浜支店勤務の時代)は良かったけれど、
2009年4月から新宿に行き、
そこから、体力的にも(通勤の遠さ)
精神的にも(周りで無条件で応援してくれる人がいなくなったこと)
きつい時期が、7月まで続いた。
4ヶ月間。


そしてその後、
7月にT.S.さんが新宿に移ってきて、
8月には、彼の家に泊まったりして、
面倒を見てもらい、
おれ自身の力も伸びてきて、
のびのびと仕事ができるようになった。

8月、9月、
この2ヶ月は、本当に楽しかった。

8月、9月は、
この時期が、
ずっと続けばいい、
毎日、夜、JRから京急に乗り換えるところで、
いつも、
Maroon5を聴きながら、
「これがずっと続けばいい」
と思っていた。


その後、
10月にK.O.さんが辞め、
11月にもう一度、100万ポイントを超えたものの、
12月ごろから、なんとなく、メリハリがなくなり、
1月、2月、3月と、勢いでいっていたものが、
5月のクレームの連続勃発により、
営業部長に、社内メールでひどいことを言われ、
自分のプライドは傷つき、
自尊心が落ちて、
6月、7月と、落ちていった。

確か、7月は、
自転車での事故もあり、
さらに、自分の気持ちは、落ちて行ったと思う。
正直、そのころのことを、
あまり覚えていない。


妻は、4月から留学に行き、
帰ってきたのは、8月だった。
つまり、ちょうど彼女がいなくなっていたときに、
俺の仕事面は、だんだんと下がって行き、
精神的に、頼れるところがなくなっていた。

5月ごろ、(既に退職されて、たまに面倒を見て下さっていた)Jさんに相談すれば、
助けてくれるんじゃないか、

クレームの担当でお世話になった、
あの方(食事に連れて行ってくださった。俺に対してクレームを下さった会員さんの祖父様)
に、会うことで、
救われるんじゃないか、


そう、成田の駅のエスカレーターのところを歩きながら、
思っていたことを、思い出す。

*****

その後、2010年の9月以降、
2011年の頭くらいまでは、あまり記憶がない。
年齢はちょうど、27歳になった。

9月から、K.T.さんが移ってきた。

2010年の年末にオフィスが移り、
2011年の新年から、
新しいオフィスでの仕事が始まった。

そのころはちょうど、2010年末にCHさんが入ってきたり、
2010年の4月には、
Nちゃんや、Kなども入ってきた年だった。
Kとは、一緒に、
セミナーの準備もやったりした。
セミナーの隊長、副隊長とか。

ずいぶんと、それに力を使ったと思う。

******

2011年の2月に、
部長に、札幌オフィスでの支店長の仕事を持ちかけられた。
震災の一ヶ月前。


つまり、二社目に入社して、
2年がちょうど終わったところ。

それを断り、
そのときには、転職の話を部長にしていて、
4月からは、より、居場所が狭くなったと思う。

俺のアテンションは、完全に転職のほうへと移っていた。

オフィスでは、一部の人間の攻撃が、
俺としては、精神的に辛かった。
彼女たちは、好き勝手にやっていたと思う。
ある意味、いじめに近いと思う。(笑)

とても、先輩ではあるが、
「上司」とは呼べない。

2011年の夏には、
彼女と出かけている際に、
電話がかかってきて、
酷いことを言われ、
その後、俺はだいぶ落ち込み、
彼女を悲しませてしまった。

あのころは、
転職と、二社目の仕事と、
両方を両立させて行くことが、
体力的にも本当に辛く(唯一の休みの日を、面接に当てなければならなかった)
きつかったと思う。

*****

これでは踏ん切りがつかないというのもあり、
また、会社側の要請もあり、
10月頭付けで、そこでの仕事を辞めた。

俺の、二社目に対する思いは、
2009年時の入社時のそれと、
2011年時、俺が去るときのそれとは、
まったく違うものだったと思う。


今思うと、
S.I.さん、
T.S.さん、
W.A.さん、
そういった人たちの存在が、
俺がそこで仕事をして行く上では、
大きかったと思う。

先輩として、かわいがってくれる存在。
あきらめずに、目をかけてくれる存在。
見放さずに、見てくれている存在。
そして、俺のことを、
「お前はできる」と無条件で、疑わずに、
信じてくれている存在。



しかし、部長、他数名、
そういった存在は、違った。

俺のことを、最初から疑いの目で見ていた。

だから、俺は、
自信をなくし、自尊心をなくし、
びくびくし、
毎日、おびえて仕事をしていた。

2011年時、
俺があそこを去ったとき、
そういう意味で、
俺にとっての「味方」はいなかったんだと思う。

だから、俺の心は、荒んでいた。

だから、今でも、
二社目のことを、
2009年時はよくても、
2011年時のことは、思い出したくないんだと思う。


俺が思っていた以上に、
あのときのことは、本当に辛かったんだと思う。
2010年の5月から、
2011年の10月まで、
1年半の間は、
本当に、辛かったんだと思う。
俺が、26歳から、
28歳になる直前まで。

******

その後、2011年10月から、
2012年の2月まで、
転職活動という、自分との闘いが始まった。

責める人間は、俺自身しかいない。
なぜなら、毎日、自分との対面であり、
俺が、選んだ道だったから。


果たして、このまま、
自分が本当に行きたいと思える会社が見つからないのではないかと、
どうしようもない絶望感と、
無力感に襲われそうになることもあった。

でも、それを認めてしまうと、
恐怖で動けなくなってしまうので、
その意識を、無意識のまま、
言葉にせず、
頭で認めない、
そんな日々だった。

*****

10月から11月は、
まったく動きもなく、
かなり辛かった。

2007年の9月から2008年の2月まで、
自分の進路がわからないまま、
彼女とロングビーチのアパートで
暮らしていたころの焦燥感に近い。


12月に、一度、
初めて行きたいと思えた会社、
MLに受かるかに思えたが、
そこで落ち、
どん底の気分を味わった。

もう、どうしようと、思った。

そのとき辛かったのは、
・お金が日々日々なくなって行くことの恐怖
・親からのプレッシャーに対する焦り
・28歳で何やってんだ、俺に未来はあるのか、という、自分の道を間違ったんじゃないか、という、自信の消失

だった。

3つ目に関しては、
面接で、または、書類選考で落とされる理由は、
俺が取ってきたまさにその道を、
否定されることだったから。

一社目を、5ヶ月で辞め、
二社目を、2年と10ヶ月で辞めていることが。

日本の有名な大学を出て、
大手企業、または、普通の企業に就職して、
そこで、少なくとも3年勤めたヤツのほうが、
俺よりも、「価値がある」
そう、思わせられることが、
とても、いやだった。


俺が今まで取ってきた選択、
歩んできた道の選択は、間違っていたのかと、

そう、思わせられることが、
本当にいやだった。


俺は、誰よりも芯が強いと思うが、
なのに、
俺が取ってきた道の表面的な見た目のせいで、
「S.S.という人間には、芯がない」
と思われることが、
一番、耐えられなかったんだと思う。

一度、日本の「進路コース」を踏み外すと、
もう、そこには戻れない、という、事実。

それを受け入れること、
俺は、もう、
日本の「できるやつら」のコースで、
一緒に戦うことはできないのか?
そして、その理由は、
一社目を5ヶ月で辞めている。
一社目で3年間勤めなかった。
たとえ、有名海外大学を出ていようと、
たとえ、大学時代に、
どんな日本のやつらよりも、
俺自身を磨いたと自負しても、

たとえ、一社目も、日本社会では負けず劣らずの有名企業であっても。



ただ、一社目を、
「5ヶ月で辞めた」だけで、
もう、日本のそのコースに戻れないことが、
本当に、辛かった。

俺よりも、大学時代にサボっていて、
俺よりも、社会人になってからも、
適当に仕事をしているであろう人間よりも、
俺の方が、たとえ今まで真剣に生きてきていても、

「一社目を、5ヶ月で辞めた」

その事実だけで、
そいつらと同じ土俵に立つこともできず、
かつ、そいつらに、生涯年収が、
一生、追いつけないであろうことに。


******


結局は、男であり、
ステータスと、
お金、
それがある方が、
自尊心も高まるし、
自分が、己の能力を最大限まで使っている、と、
思える。


なのに、それができないこと。

そして、学生時代は、どんな失敗をしようが、
結局は、その学校の中でしか事は影響していないから、
自分の人生の進路に絶対的な過ちはもたらさないものの、
社会人になってからとった行動は、
すべて、社会の目に、
すべて、跳ね返ってくる、ということ。


******

それを知らずに、一社目を辞めるといったときに、
親父と、母親は、
反対したんだと思う。

そして、俺が、彼らにそれを相談せずに決断してしまったことに、
驚きと、悲しみと、
絶望を感じたのだと思う。

*******

思えば、
俺が自分で選んだ道にもかかわらず、
そこでの仕事が辛い、
そこでの毎日がきついと、
親の前で嘆いていたことは、
親にとって、本当に辛かったと思う。
前職の時代。


きっと、彼らは、
俺が今の会社に入った、2012年の2月、
つまり、ほんの1年前までは、
ほとんど、安心することができなかったんじゃないのか。


そう思うと、親不孝ものであると思う。

親孝行をせねば。

******

また、妻という存在は、
本当に大きいと思う。

一社目に入ったころ、
二社目に入ったころ、
二社目できつかったころ、
転職時期に入ったころ、

最後に、今の会社での仕事が決まるまで、

俺を支えてくれたのは、
彼女だった。

彼女が、俺のことを、無条件で信じてくれ、

「あなたなら絶対に大丈夫」
と言い続けて、励まし続けてくれた。


彼女の支えなしでは、
俺は、あの時期を、
乗り切れなかったと思う。

*****


さっき、これを書きながらふと思った。

妻と、親父が、
病気になったのは、
彼女たち二人が、

それまでは、俺のことを心配して、
彼女たちが俺のことを支える必要があったから、
彼女たちは、常に丈夫で、健康でいなければいけなかったのに対して、

今では、俺もすっかり落ち着き、
悩み事が一切なくなったことで、
やっと、肩の荷を降ろした二人が、
病気に、かかったのではないか、と。


だから、今では、
俺自身が、自分に対する悩みがないからこそ、
他人のことを、気にかけられるのであって、
まず、自分にとって一番大事なその二人とは、
家族である、妻と、父親なのだ、と。



******


すべては、結果論かもしれない。

しかし、人生は、

最後に、”All was well.”と言えなければならない。



人生で、過去は、変えられない。

歳は、確実に取っていく。

体は、確実に衰えて行く。

若さは、一生じゃない。

だから、常に、
「後悔」をしないために、
毎日、精一杯、
胸を張って、生きて行かなければ、ならない。



人生は、そうあるべき。


2013/04/30 16:27




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April 06, 2013

2013/4/5 11:42am-

今、結婚式に使う、自分の子供の頃の写真を見ていた。

そこには、若い頃の父親や母親、
姉貴の写真ももちろんあった。


*****

今年の一月、親父に、ある病気が見つかった。

手術を、先日4月2日に行った。

今は、無事に回復している。


*****


妻にも、病気ではないが、
あるものが体の中に見つかり、
その手術を、先日、4月4日に行った。

4月4日と5日は、会社の休みをもらい、
4日は、朝から妻の看病をした。

午後2時30分に手術室に入って、
その後、手術室から、夜の6時5分に出て来た彼女は、
次第に、麻酔が切れてきたせいで、
寒さで体がガタガタ震え、可哀想だった。

普段、体調がおかしくなったり、
または、辛そうにふるまう彼女を、
この6年間、見た事が余りない。

だから、そうやって、衰弱仕切っている彼女を見ると、
可哀想で、いたたまれなかった。


*****

昨日は、彼女の熱も段々下がって来て、
俺は、午後3時半頃にさよならをして、
そのまま実家のある町へ電車で移動し、
そこから、父親の入院する別の病院へ、
向かった。

手術前にも、会いにいけなく、
手術が終わって、初めて顔を合わせたのが、昨日だった。

2日に手術をして、
5日の夜の昨日の時点では、体にはパイプが1つだけ繋がっている状態だったが、
その日の日中までは、
他に、パイプが前に2本、
それと、背中に、麻酔のパイプが1本、
そして、両手に、血液のパイプが2本と、
合計、6本のパイプが繋がっていたそうな。


昨日は、俺が着いたら、
気分転換にと、一緒に少し病室の外をぐるっと歩き、
普通に歩けていたので、安心した。


*****

この数日の間に、
自分の大事な人に、
二人も、手術がおきて、
気分的にも、大変だった。

だが、二人とも手術がうまく行き、
今は順調に回復に向かっているので、
良かったと思う。


*****


俺は、今29歳。
今年の10月で、30歳になる。

さっき、写真を見ていた。

自分が、生まれて間もない頃の写真から、
小学生や、中学生、
高校の頃まで。


中学位からは、反抗期が始まり、
親に反発し、
特に、父親には、反発していた。

その頃は、父親がムカついて、
父親みたいにだけは、将来なりたくない、と思っていた。


妻と付き合いだして、
自分が、父親にそっくりだと、何度も言われる様になった。

最初は、それが嫌だった。

でも、最近は、嫌だとも思わない。

むしろ、俺の原点と言うか、
ルーツに戻った感じで、
それで、全部がOKになる、
落ち着く、という感じがする。



*****


自分が、今いる、この家で生まれて。

写真を見ると、同じ家の中の、部屋の片隅で、
タオルケットの上で、昼寝をしている写真などがあった。


その小さなこどもが、
次第に大きくなって、
反抗して、生意気になって、
高校を出たら、アメリカに行くと言い出して、
そのまま本当に行ってしまって、
6年間帰って来ず、
その後は、今度は日本にいるにも関わらず、
ほとんど家に帰って来ず、
むしろ、アメリカのときよりも帰って来ず、
そのまま、結婚をすると言って、
去年の5月に、入籍をして、
そして、アメリカから帰って来て、5年が経とうとしていて、
今、30歳を手前にしている。



その息子が、自分には、いつからか反抗的で、
いつも機嫌が悪く、
刺々しく、
ほとんど、目も合わせてくれない、
という状態は、親父にとって、苦しいものだったと思う。


その息子は、今、
親父が、病気にかかり、
体も、若い頃に比べると、老いて、
元気のない状態を見ると、
いたたまれなくなり、
悲しくなっている。




今は元気に回復に向かうと思うが、
いつか、この後、
父親が亡くなる瞬間が来たとき、
俺は、相当後悔すると思う。

思春期に入ってから、
親父に、辛く当たって来たからだ。


その、償いというか、
自分が、後悔しないためにも、
親父に、親孝行をしなければいけない、と思う。


*****

人間は、自分の生きてきた道を、
変える事はできない。

自分が選んだ道のりは、
それが、過去になった瞬間に、
もう、変える事はできない。

例えそれが、一分前であろうと、
十年前であろうと。


過去は、変えられない。
いくら悔やんでも、変えられない。

ならば、過去は、「既に起こったもの」として、受け入れ、
後は、これからどうして行くか、
を、自分の意志で、変えて行くしか無い。



今までの人生で、過去の選択を、悔やむ事は、
何度とあった。

俺の人生を、間違えたと、
失敗したと、
悔やむ事は、何度もあった。


しかし、過去を悔やんでもしょうがない、
過去は変えられない、
変えられるのは、過去に対して、自分がどう考えるか、
過去に起こった事を、自分が、どう捉え、
どう、それを生かすか、であること、


それだけであることに、
この、過去一年当たりから、強く、
納得することになった。


*****

時は、過ぎて行く。

時間は、止められない。

歳を、取って行く。

体は、衰えて行く。


だから、今を、感謝して生き、
目の前のことを、味わい、
自分の大事な人を、大切にして、
心を広く、大きくもって、
生きて行かなければ、ならない。


*****

人は、自分の精神面も、肉体面も、
健康な時には、
物事を、プラスの方向に考えられる。

しかし、自分が、肉体的や、精神的に、
病んだ時、

その時に、同じものごとを、
プラスの方向に考えるには、
ものすごい労力がいるし、
かつ、それをするのが、どうしても出来ないときがある。



だからこそ、
このような思いを、記しておかなければならない。

そして、必ず覚えておきたい事は、
人生というのは、全てが、そうなるように動いていて、
全て、ベストの方向に、向かっている、ということ。

過去に起こった、どんなことも、
「それがあったからこそ、今のこの状態になれた」
と思える瞬間が、必ず来る、ということ。


そして、それをするには、
過去を、悔やまず、
過去を、Acceptし(受け入れ)、
過去を、Let it go(解き放つ)こと。



*****


人間は、健康な時には、
目の前のお金、
見栄、
肩書き、
そういうものに、魅力を覚えて、
それらの獲得に、躍起になるが、

健康、体を、壊しては、
それらの何ものも、意味を成さない。



*****

2013/4/6 12:07pm







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April 05, 2013


今日、妻の手術が、無事に終わった。

今は病室で、一人でいると思うと、可哀想で仕方がない。


今日は、三時間半の手術を終えて部屋に戻ってきた彼女は、全身麻酔が切れた状態で寒さでガタガタ可哀想な位に震えており、見ていて余りにも居た堪れなかった。

普段は、例え苦しかろうと、苦しい表情を表に出すことは一切ない。

機嫌が悪くて、とげとげしい態度を取ったり、
不安だからと、不安な表情を表に出すことは、ほぼ一切ない彼女。

そんな彼女が、今日は、ずっと苦しそうな顔をして、
眉間に皺を寄せていた。

相当苦しいんだと思う。


本当に、よく頑張ったと思う。

早く、よくなって、回復して欲しい。

来月に控えた結婚式には、万全の状態で挑めるように、
辛い思いを彼女がしないように、

早く、良くなるように、
神様に祈るしかない。

2013/4/5. 1:23am






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February 28, 2013

最高級のお刺身。富山でとれた新鮮なもの
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2013/2/28 7:52am

昨日は、朝の6時に起きて、ずっと引っ越しの準備。
前日の晩は、Oさんと最後の呑みをした。
いつもは、彼の家で、ワインを飲みながら音楽を聴くが、
今回は、「最後なので、私の同級生がやっているお店で食事をしましょう」
と誘って下さった。

その日の17時にOさん宅の家の前に行くと、
既にそのお店の人が、バンで迎えに来てくれていた。

その店主は、Oさんと小学校時代からの友達しい。
普段は仕出ししかしていないが、予約で、店でも食べられる様にしてくれるとのこと。

また、その料理が凄かった。
二人で、結構大きめの部屋を貸し切りで、
3年前に内装をしたばかりというその店は、
とてもお洒落だった。

トイレもとても綺麗だし、中には、お洒落なお香や、
絵なども飾ってある。

部屋も、大きな屏風があったり、お皿が飾ってあったり。

とても、仕出しが専門の店には見えなかった。

*****

そこで、まるで5人分はあるかと思うほどの料理をいただく。

高級なお刺身に、飛騨牛のすき焼きに、
サバやマグロのカマ(これが本当に大きかった!)に、
茶碗蒸し、菜の花のキッシュ、
白魚の踊り食いに、
白菜とツナのサラダ(創作料理)、
この店の看板料理である、蟹の塩蒸しに、
美味しい炊き込みご飯、お味噌汁、
凝った入れ物の抹茶、
そして最後に、季節のフルールの盛り合わせ。


もう、本当に、
久しぶりに、あんなにお腹が一杯になりました。

いつもは、大体肉などを食べてお腹が一杯になりますが、
この日は、肉は、すき焼きに入っていた3切れくらいの肉ぐらいで、
後は全部、お魚でした。

しかし、魚を食べ過ぎて、腹がはち切れそう、というのは、
何とも贅沢なもんです。
しかも、全て超高級魚。



*****

その日はてっきり、Oさんの友達の店というので、
イメージ的には、町の小さな居酒屋を想像していたので、
今まで通り、半分ずつ払うつもりでいたので、
その日はその待遇にビックリです。

それで、お会計の際にも、
「最後だから、ここは私に払わせて下さい」と、
全てご馳走になりました。


ただの、会社の風呂で出会った仲で、
仕事では一度も関わる前に、定年退職をされたOさんと、
ここまで仲良くなり、
ここまでして頂くなんて。

近いうちに、恩返しをせねばと、
しみじみと思います。


マグロのカマ。「絶対4人前でしょう」位の量が
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蟹の塩蒸し
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*****


さて、その日は、17時半に店に入り、
食事が終わったのは、何と21時前でした。
結局、3時間半ちかく、その店で過ごしていました。
日本料理の、フルコースです。


その後は、またOさんの家まで、店主自らに送って頂き、
Oさんちで、いつもの音響システムで、
音楽を聴きます。


この日は、ジャズ、クラシック、
それと、先日聴いて凄く感動した、
石川さゆりの「天城越え」などを聴きました。

「天城越え」に関しては、
去年の12月に発売されたという、
スタジオマスターレコーディングの一品。

もう一曲、「朝花」という曲と併せて、
二曲しか入っていないのに、
何と、8400円もします。
ぎょえー。

これは、スタジオでの録音のオリジナルのテープから、
そのまま作り起こしているので、
普通のCDとは、音が比べ物にならないそうです。

そして、更に、Oさんの数百万の音響システムで聴くので、
もう、目の前に、バンドのメンバーと、
石川さゆりさんがいらっしゃるようでした。

今までも、この歌は好きだったけど、
もう、今は完全にファンですね。


さゆりさん
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*****

クラシックは、今度5月に、
東京でクラシックの祭典が東京国際フォーラムであり、
それにOさんも来られるので、
その時に聴く予定の、ドビュッシーやラヴェルなどを聴きました。

Oさんは、その数日からなる祭典を、
かなり前から楽しみにされており、
3日間からなるスケジュール表を観ながら、
「これもいいな、でも、これも絶対聴かないとな」
と、色々と教えてくれます。

本当に、音楽に造詣が深い方です。


その日は、最近俺がギターにハマっている話もして、
アコースティックギターのバンドの演奏も聴かせてくれました。

ちなみに、Oさんは高校の頃、
チューバをやっていたそうです。
他にも、クラシックギターや、スペインギターをやっていたそうな。

*****



その夜は23時前にお邪魔して、
夜は引っ越しの準備の続きをやろうと思いつつも、
酒も入っていたので、疲れて全然できす。

気持ちを切り替えて、すぐ寝ました。

そして、次の日、朝の5時に起きてやるはずが、
結局6時過ぎに起きて、
そこから、引っ越し屋が来る11時までに、
超特急で荷物を詰める。

もう、引っ越しっちゅうのは、
本当に疲れますね。
いつも、思った以上の数倍は大変です。


11時少し前に業者が来て、
一緒に荷物を詰めながら、
終わったのが13時前。
その後、残ったゴミを少し処分して、
大家さんに、残りのゴミの処理を相談。

結局、コタツは、今回の引っ越しでは入らず、
余ってしまったので、
同じアパートに住む、後輩のT君の家の前に、
餞別として置かせていただく。

残りのゴミは、気前の良い大家さんが、
今度のゴミ処理の日に捨てておきますねと、
車にゴミ袋5袋分と、
ビンなどのその他のゴミを入れて下さった。

(この町は、ゴミ処理が日本一厳しいんじゃないかというくらい、
ゴミの分別と、出す日が限られている。
なので、皆に聴くと、
大体、「ゴミを捨てられずに、家に半年間置きっぱなし」
と言う人が結構多い。
(ビンや段ボールなどね)

****

その後は、本当は歩いて、
別の荷物をF君ちの前に差し入れし、
その後は会社に作業着を返し、
駅まで歩いて行こうと思っていた所を、
「私が送ってあげますよ」
との大家さんのお言葉に、
「いいんですか?本当にすみません」
と言いながら、全て送って頂いた。

本当に感謝ですな。
こんなに良い大家さんは、多分余りいないんじゃないでしょうか。

ちなみに、娘さんがいらっしゃるそうで、
28歳、税理士、
うちの会社の反対側の通りの会計事務所で働いているそうです。
まだ独身らしく、
「うちの娘は外に中々出て行かないので、
出会いがないんですよ」と言っていました。

うちの会社なんて、独身の男どもがわんさか溢れているので、
それを言うと、「何か出会う機会があればね〜」と困っていました。

(その話を、後でうちの会社の子たちに言うと、
早速飛びついて来ました。)

*****

その後、15時12分の電車に乗るべく、
15時頃に駅に着き、大家さんにお別れをした後、
切符を買おうとしていると、
何と、背広を着た二人の人物が登場。

声を聴くと、何と、さっき荷物を家の前に届けたF君と、
その先輩の、Hさんじゃありませんか。

そう、彼らはこの日、
京都への出張だったのです。
たまたま、同じ電車にはち併せた、というわけ。

*****

ということで、電車に乗り、
そのまま、名古屋まで約3時間、
最高に楽しい時間を過ごしながら、移動しました。

本当は、途中の駅までしか一緒じゃなく、
その後は、俺は自由席、
彼らは指定席だったんだけど、
「どうせなら一緒に座ろうぜ」と、
車掌さんに相談して、
何とか、3人一緒の、席をゲット。

そこで、Hさんが、
「ほら」と、缶ビールを差し出して下さり、
3人で、乾杯。

そのお返しに、俺も、
昨日の店で包んでもらった、
パックに入った、
マグロのカマと、蟹を出す。

すると、「おおお!」と。

結局、新幹線の中は、
俺たちの場所だけ、宴会会場に。

どんなやつが、新幹線の中で、
マグロのカマ食って、蟹を手でほじくり返して、
ビールを飲んでんだ、と。


F君はよく、
「Sさんと一緒にいると、いつも色んなハプニングが起きて、
本当に楽しいんですよ。
色んな人に話しかけたりするし、
普通の人はただスルーする所を、食いついて行くし、
だから、色んな事が起きて面白い」と言いますが、

この日も結局、彼的に言わせると、
ただの出張が、
一気に、楽しい宴会に変わったそうな。
迷惑ばかりですみません。

*****

そんなわけで、普段は余り話す事のないHさんとも、
色んな話をして、
F君とも、最後も一緒に過ごせて、
楽しい3時間は、あっという間に過ぎ去りました。

ちなみに、俺は今まで、
ビールは「美味い!!」と思った事は、
超働いた後の、最初の一口を抜かしてはなかったのですが、
昨日のこのビールは、本当にうまく、
500を呑んだ後、その後、350も買って、
結局、2缶を呑んでしまった。
しかも、最後まで、ずっと美味しかった。

初めてですね、ビールが美味くて、
「もっと飲みたい」と思ったのは。

それをHさんに言うと、
「結局、酒なんてのは、そんなもんなんやさ。
雰囲気で飲むもんやしな。」と。

ちなみに、彼はカラオケがプロ級にうまく、
12月の懇親会の後に一緒に行ったカラオケで、
彼の歌う「ゲットワイルド」を聴いた後は、
頭からその曲がずっと離れないという。

「仕事は、六割」という彼は、
「結局、仕事なんて、
究極を言えば、資金源のためなんだから、
仕事の場で何を言われようと、どう思われようと、
マトモに受け取らず、うまくやり抜けばいいの。
それを、『仕事を全部』にしてしまうと、
それでポシャった時に、人生終わるからな。」と。


正に、正論だと思います。

そんな彼は、背も高く、かなりかっこいいのですが、
いつも余裕があるように振る舞う人で、
後輩の俺たちにも、楽しい話と、ジョークとユーモアで笑わせてくれ、
中々いないタイプの、爽やかなかっこいい先輩です。

そんな人の、その言葉を聞いて、
「ああ、なるほどな」と、何か凄く感心するものがありました。

*****

18時過ぎに、彼ら二人と名古屋駅で別れた後は、
俺は一人、品川行きの新幹線に乗り、
昨日の22時前に、やっと、
実家に帰って来ました。

*****




ということで、
本社研修での11ヶ月間は、
あっという間のようで、
すごく長かったようで、
しかし、やはり、
人に恵まれたので、あっという間でした。

1年前の今頃は、
正直、どんな会社か分からず、
本社のある町も、超田舎だし、
「大丈夫かよ」と、心配じゃなかったといえばウソになりますが、
しかし、本当に良い一年でした。

妻には、5月に入籍したばかりで、
1年近くも、さみしい思いをさせてしまったけれど、
これからは一緒にやっと住めるので、
楽しい生活を送って行きたいと思います。

(結局俺たちは、
2007年の5月に付き合いだし、
その後、半年程は一緒にアメリカで住んだものの、
その後、日本に帰って来てからは、
2008年から、2013年の今まで、
結局、5年以上も、ずーっと、一緒に住めなかった。
一時期は、家が近いこともあり、
少しだけ、一緒に長くいられたけれど、
後は、特に2010年の春からは、
もう3年も、ずーっと遠距離です。

本当に、こんなに長い間一緒にいるのに、
恐らく、一緒に住んだ時間は、1年にも満たないので、
やっと一緒に住めるということで、本当に嬉しいです。)


*****

以上、
今の心境と最近の近況でした。


2013/2/28 8:39am



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February 05, 2013


結局、人がどうのこうの、自分のことを言ったとしても、
それを気にすることは無い。

なぜなら、それは、その人の意見でしか無いから。

自分の行動など、すぐに変えられることで、
且つ、それが必ずベターな方向に自分を向かわせることであれば、
それは考慮した方が良いが、

その意見が、自分の性格なり、
傾向なり、
自分の人間性に関することで、
それを変えた方が良い、と言って来るときは、
気にしない方が良い。


他人から見える自分というのは、
他人が100人いれば、
100通りの見方があり、
100通りの、「もっとこうしたら良い」という意見がある。

だから、それを一々真に受けていては、
体が持たない。

そして、人間というものは、
年齢も30歳近くになると、
かつて若い頃は、
「ああ、もっと俺も変わった方が良いのか」
と思ったとしても、
今となっては、
一日寝てしまえば、
以外と忘れてしまう。

そして、この年齢で、
自分の性格なり、
傾向を変えるのは、ほぼ不可能に近い。
不可能ではないが、
それにかけるパワーを考えると、
既にある、自分の長所に目を向けて、
そこをアクセル全開で伸ばして行った方が、
ずっと効率も良いし、
自分という車の運転も、楽になる。


人からどうのこうの言われて、
自分という車の性格を変えようとすることは、
アクセルを踏みながら、同時に、
ブレーキも踏もうとしているようなもので。


そして、その車が、大人しそうに見えたり、
または、素直そうに見えて、
何でも聴いてくれる、と思える程、
他人は、その車に、
色々と文句をつけて来る。

「もっと、車体の色はこうした方が良い」
「タイヤはこれに変えた方が良い」
「エンジンはこっちにした方が良い」・・・・


****


しかし、最終的には、
その車を運転するのは、自分であり、
その車と一生付き合って行くのは、
他でもない、自分しかいない。

ならば、自分が、
その車を運転し易い様に、
自分が一番良く知っている、その車の良さを伸ばして、
思いっきり毎日、好きな様に飛ばして行ったら良い。


****


そして基本、男というのは、
年下の男に、説教をしたがるもの。

だから、そういう説教が始まったら、
耳半分にして、流して聴いておけば良い。


****


と、久しぶりにフラストレーションを感じたので、
書いてみる。


一々、人の車に、
いちゃもん付けてくんな、っつうの、ね。

2013/2/5 23:41



PS.
しかしながら、
普段、大人しそうに見える、プリウスのような車が、
実はマスタングだった、の様に、
急に牙を剥くと、
相手は、かなりビックリするもので。


だからこそ、本性はマスタングならば、
たまに「僕はプリウスに見えますけれど、
マスタングですよ」とちらちらと見せた方がいい、などと今日は言われたが、


しかしね、それも、俺の生き方だからね。

そういう、人の性格的なところを、いちいち言われると、
面白く無いね。





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February 02, 2013

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2013/2/2 12:19-13:12

先日書いておきたったことが、
もう一つあるので、
簡単に書いておく。

*****

先週の土曜日は、
いつも月一で呑んでいるOさんのご自宅で、
最後の集まりをした。

この時は、俺が今月でこちらも最後というので、
Oさんの同級生の、
TさんとKさんも来て下さる。

Tさんは、俺とOさんが8月に初めて呑んだ際に、
一緒に来て下さっていたが、
この前の12月の飲み会のときは、参加してくれたものの、
他の日は、都合が会わなくてこられなかった。

Kさんは、いつも会社の風呂で話すものの、
一緒に呑める日が中々都合が付かず、
結局、今回が初めてとなった。

*****

ちなみに、Oさんちに集まる時には、
必ず、Oさんが、ローストビーフやサラダなどを用意してくれて、
後は、ワインも1、2本用意して下さる。

俺は、ワインを一本持って行くか、
または、カマンベールチーズやチョコレートを買って持って行く。

そこで、ワインを飲みながら、
Oさんの自慢の高級ステレオと、
超高級アンプで、最高の音質で、
クラシックや、オペラや、
ジャズを、主に聴く。

たまに、俺がこれを聴きたいというCDを持って行き、
エアロスミスや、アリシアキーズ、
ジョンメイヤー、レニークラヴィッツに、
ノラジョーンズなどを流してもらった。



この前の12月の際には、
ここには書かなかったけれど、
Oさんが、クリスマス用にチキンを用意して下さり、
クリスマスの曲を聴きながら、Tさんも一緒に
3人で呑んで、本当に楽しかった。


*****


話を元に戻して。

この前の土曜日は、
そんなわけで、Kさんも加わり、
4人で、最後の飲み会を行った。


ちなみに、俺はKさんとは、
風呂場でよく話をするようになったんだけれど、
彼は、ローリングストーンズを初めとする、
ロックが好きなので、
今回は、彼の好きなアーティストの音源DVDを持って来てもらった。

The Rolling Stonesに、
Miles davis,
Pat Metheny Group,
Jaco Pastorius,
Yes,
Pink Floydに、
ZZ Top,
Rod Stewartなど。



彼にとっては、ストーンズが神様とのことで、
また、Kさんは、20年ほどベーシストをしていたので、
(『お遊び程度』というので、
本当にそうかと思っていたら、
かつて、以前にアーティストがこの町に来た際などには、
後ろでベースを担当して演奏などしていたらしい。
すげえぜ)

上に書いたJaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)などは、
ベーシストで、俺は今まで知らなかったけれど、
色々と教えてもらって良かった。


それから、
Pink Floydは、留学時代に、ルームメイトのRoyが好きで、
よく、彼の持っていたあの古いパソコンの安いスピーカーから、
Pink Floydをかけたり、
または、彼のあの古い青いジープ(すまんね、ロイ)の、
これまた安っぽいスピーカーから、
Pink Floydをたまに流したりしていた。

(ちなみに、ロイは、この古いジープに
ずっと乗っていたのだが、
2005年ごろ彼を訪ねると、
両親からプレゼントされた、赤い新車のカローラか何かに乗っていた。

それを見て、俺が、
"Oh man, Roy, you are spoiled"と冗談まじりに言うと、
"Yes Shun, I know, I'm spoiled"と、
首を振りながら言っていたのを思い出す。

これはもちろん冗談で、
ロイは、本当にアメリカ人でこんな良いヤツいるのか?
という位、本当に良いヤツなので、
彼には、"spoil"ということばが、
全く似合わないんだけれど、
それを敢えて、そんな彼に言うと、
彼もそれにマジな顔をして乗ってくれるという、
そんなジョーク。)


****

話を元に戻して。


そんなわけで、この日、Kさんのおかげで、
今まで聴いたことの無かったPink Floydを、
映像を見ながら聴けて、
とても良かった。

「これが、Pink Floydの世界か」と、
やっと、appreciateできた。



また、ストーンズのライブ映像も、観る。


ストーンズはストーンズで、
俺は、今までなぜか聴いて来なかったんだけれど、

(イギリスのバンドは、
ビートルズやQueenを抜かしては、
殆ど聴いて来ていない。
Radio Head、OasisにCold Playなど、
どうも、イギリスのバンドの作る曲は、
全体的に好きになれない。
あとは、アイルランド出身のU2も、
やっぱり、どうもしっくり来ない。

それよりも俺はやっぱり、
Aerosmithや、Lenny Kravitzなど、
アメリカ的な音の方が、昔から聴いているせいもあると思うけど、
もっとオープンで好き。)

今回は、そんなわけで、ストーンズも聴けて、
「ああ、これがストーンズの世界か」と、
これまた、やっと理解して、Appreciateできた。



俺はてっきり、ストーンズの曲っていうのは、
結構、かなりヘヴィーで、
つかみ所の無い曲を想像していたんだけれど、
聴いてみると、歌詞もとてもクリーンで、
エアロスミスのような、f wordsの多発は全く無いし、
(というか、全然ない)
とても、「お上品なバンドだな」
という印象が、今回観てみて強かった。


(思うに、エアロスミスは、
かなり色んな歌詞で、f wordsを使うので、
もしも彼らが、f wordsを入れないで曲を作っていたら、
もっと、多くの層に、受け入れられていたんじゃないかなと、
そう思う。
f wordsが入って、アルバムが"Explicit"ラベルが貼られたものばかりだから、
結果、かけられる場所も限定されてしまう。
それに対して、ストーンズは、
f wordsがなくクリーンなので、
年代関係なく、どこでもかけられて来たのかな、と。
まあ、余りストーンズは詳しくないので、
まだよく分かりませんが。)



Rolling Stones "Start me up" めちゃくちゃ良いですね


Rolling Stones "Satisfaction" めちゃくちゃ良いですね


*****


それと、今回Kさんとは、
彼がベーシストということもあり、
俺が今回持って行ったエアロスミスの最新アルバムをかけようとすると、
「どれ、ハミルトンさんのベースを聴きますか」と、
そういうことをポロッと言われるので、
それがおかしかった。

基本、エアロスミスのベーシストはトムハミルトンだなんて、
さらっと言える人は余りいないので、
そういうところがとても嬉しい。

「ハミルトンさんのベースはどうですか?」と聴くと、
「彼のベースは、とてもシンプルやな。
シンプルだから、ヴォーカルが歌い易い。
スティーヴンタイラーが歌い易いんだな」と、
バシッと教えてくれました。


*****


そんなわけで、
ストーンズなどのDVDを見た後は、
'69年のWood stockのライブ映像も観る。

url


俺は、今回初めて、
このWood stockの映像を観れたので、
とても嬉しかった。

「ああ、これが、あの有名なWood stockか」と。

そこには、Norah Jonesの父親の、
シタール奏者のラヴィ・シャンカル (रवि शंकर, Ravi Shankar)も出ていた。

俺はこの日まで、この人の娘がNorah Jonesだということを、
全然知らなかった。

*****

そんなわけで、OさんとTさんは、
俺とKさんが、ストーンズのライブに観入っている間に、
二人とも寝てしまったけれど、
そんな二人を横目に、
「OさんとTさんは、こういう音楽は理解できないんやさ」と、
ちょっと微笑みながら言っていた。


*****


今回は、前回Oさんに聴かせていただき、
俺がとても気に入った、
グレン・グールド(Glenn Herbert Gould)の
バッハ「ゴルトベルク変奏曲」BWV988(1981年4月・5月 デジタル録音版)
のアルバムを、Oさんに譲っていただき、
Oさんに御礼をしながら、
彼の家を後にした。


帰り道は、Kさんと一緒に、
雪がかなり積もった道を、
家まで歩いて来た。

俺たちが呑んでた間に、
外は、かなりの量の雪が降っていて、
地面には、さらっさらの新雪が、
絨毯のように広がっていた。

真っ白で、ふわふわの、
どこまでも続く、大きなクッション、という感じ。

(こっちの雪は、
夜は気温がマイナス15℃近くまで落ちることもあるほど寒いので、
雪の質が細かくて、さらさら。
もう少し気温が高いところでの雪は、
水分を含むので、もっとベタベタして、重いらしいが、
ここの雪は、本当にきめ細かく、
さらさらで軽い。)



帰り道は、Kさんは、
今晩は実家に泊まる、とのことで、
俺んちは、かなり遠くになるんだけれど、
そこまで、「酔いさましやさ」と言って、
家の前まで送ってくれた。

「いや、僕が可愛い女の子ならまだしも、
ただの男なんで、いいですよ」と言うと、
「いや、好きでやってるんやさ」と言って。


途中、駅前にある古い町並みの通りで、
「ここがうちの実家さ」と言う。

見ると、そこは旅館なので、
「え?ここですか?旅館が実家なんですか?」と聴くと、
「そう、うちの90になるお袋が、一人でやってるんや」と。

いやあ、この町には、旅館も4つくらいしかないので、
そのうちの一つが、彼のご実家だったとは、
ビックリしました。

(結構こんな感じで、
会社の人の実家は、
お店、という場合が多々ある。

今いる部署でも、「◯◯接骨院はどこですか」
と、Googleマップを見ながら聴いていると、
「ちなみに、このクレーン屋がTさんの実家や」
「え?本当ですか?」などのように。

俺の生まれ育った町は、俺が生まれた頃に出来たニュータウンのため、
そういうことがないので、
そんな意味でも、とても面白い。
「え?この店は◯◯さんの家だったんですか?」みたいな。)


*****


もう長くなりすぎたので、もう辞めますが、
その帰り道、Kさんが言ってくれた。


「いやあ、今までずいぶん長く勤めて来たけど、
ここまで自分の好きな音楽の話ができる人は
おらなかったもんだから、
うれしいな」と。



Oさんも、
やはり同じで、
クラシックやジャズなど、
彼は、そんな高級なオーディオを買うくらい好きなのに、
周りに、そういう音楽の趣味をシェアして話せる人が、
余りいないと言う。

「この辺には、こういうものを聴く人がおらんでな」と。


そういうわけで、
そんな風に、
二人の方が、そんなことを言ってくれる、というのは、
とても嬉しいし、
俺も、自分の好きな音楽の話ができて、
良かったな、と思う。



Kさんに、その帰り道、
「いや、ぼくも、
結構、周りに、エアロスミスなどの話をする人がいないので、
こうしてお話ができて、すごく嬉しいです。
以外と、ロックとかを聴く人って、
周りにいないもんですよね」と。


するとKさんが、
「結局俺らは変わりもんなんやさ。
だって、普通は、その時に流行っている
日本の歌謡曲を聴くのに、
そこで、『俺は周りとは違う』とか言って、
アメリカなんかのロックを聴いているんやから」と言うので、
言われてみれば、そうだな、と思った。



*****


その時の帰り道の、雪が真っ白に積もった道の中を、
すごく静かな中、
Kさんと、そういう、音楽の話をしながら帰って来た情景というのが、
ずいぶんと印象的で、頭に残っている。



2013/2/2 13:12






PS.
簡単に書いておくと言いながら、
Alicia Keysの"songs in A-minor"を丸々聴き終わってしまった。


ちなみに、Alicia Keysといえば、
先日出た"Girl on Fire"に最近はハマっているけれど、
この日、それを持って行ってかけると、
OさんもKさんも、
「これはええなあ」としみじみと言っていた。

ということで、そのアルバムはお貸しして来た。


妻にそれを言うと、
「二人とも趣味がいいね」と言っていた。


本当に、Alicia Keysは、
たとえ歌詞が分からなくても、
「この音楽は、良いな」と感じさせる何かがあるようです。



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January 07, 2013

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

*****

さて、年末は29日に実家へ戻り、
年末は家でゆっくりして、
31日から、妻が家に来て、みんなでゆっくりと紅白を見ながら過ごしました。

年始は、1日には姉夫婦が実家まで来てくれて、
8月以来、大きくなった姪っ子と会いました。
既に以前と顔が変わり、前はごろごろ回るくらいだったのに、
今では10歩くらい歩く様になっていて、
その変貌ぶりにビックリしました。
子供の成長は本当に早いのですね。

*****

2日は妻の家まで電車と車で行き、
昼は美味しい高級ステーキをごちそうになりました。

夜は、ホテルに付いている銭湯に入りに行き、
その後は妻の実家で、お父さんとお母さんと4人で食事をしました。

初めて妻のお父さんと一緒に晩酌をして呑みましたが、
色々とお話ができて、とても嬉しかったです。
お父さんも喜んでくれていたみたいで良かったです。

*****

次の日(3日)は、昼は妻のおばあちゃんが高いお寿司を取ってくれたので、
それを食べました。
その後、バスに乗って東京付近まで行きました。
春から住む予定の場所を見学するためです。

その日は夕方にホテルに入り、
その後、以前食事をしたかなり美味い中華料理屋に再度入り、
その後は20時近くから『レ・ミゼラブル』をみました。
とても良かったです。妻は気に入って、数日後に両親とまた観に行っていました。

夜は、そこの温泉に浸かりに0時頃に下まで行ったのですが、
深夜にも関わらず人がかなりいて、
まるで動物園でした。

*****

次の日(4日)は、昼から物件を見学し、
大体相場を付けてから、千葉辺りで買い物をして、
その後は実家へ戻って来ました。

*****

5日は、朝に家を出て、
父親に付いて来てもらい、昨日見た物件の案内センターが
実家の近くにあったので、そこで話を聞いて来ました。
話がうまく進んで良かったです。

その後は、美味いと評判のラーメン屋へ父親も一緒に行き、
その後、妻と電車に乗り、結婚式の会場へ。

そこで、15時から19時近くまで、第一回目の打ち合わせです。
本当は20時までの予定が、
妻が数年前から式のイメージを膨らませてくれていたため、
あっという間にトントンと決まって行き、
18時過ぎには全部終わりました。
やるな妻よ。

*****

その夜は、実家に戻り、
私の両親と4人で、焼き肉を食べました。
おごってもらいました。
とても美味しかったです。
文字通り腹がはち切れん程食べました。

*****

そして、翌日(6日)、10時過ぎに家を出て、
ここ、今の家へ帰って来ました。
家に着いた時は、夜の18時過ぎでした。

*****

そんなわけで、8日間も休みがあったにも関わらず、
毎日何かしら動いていて、本当に充実した日々を過ごせました。

妻とも一ヶ月半ぶりに会えて良かったです。
今回は僕の両親とも、妻の家族や親戚の方々とも一緒に過ごせて、
本当に良かったです。

*****

『結婚』というのは、
二人が一緒に家族になる以外に、
その二人を囲んだ周りの人たちも、同じ『家族』になるんだな、
ということを強く感じました。

その分、今まではただの『少年』だったのが、
急に、
『夫』『娘の旦那』『孫の旦那』『父親』
の様に、役割が増えて行きます。

しかし、その分、
やはり、人生も濃くなって行くわけです。

*****

相変らず、少年、というか、
赤ちゃんのままの自分ですが、
そんなことを感じ、
「もっと成長せねば」と感じた次第であります。

*****

以上、
今年は遂に三十路になりますので、
がんばりマウス。

2013/1/7 22:38




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December 30, 2012

2012/12/30 22:55-

久しぶりにRと会って来た。
彼と会うのは6月以来で、
今回は、お互い成田に帰って来ていたので、
昨日やつから連絡が会って、今日の夜会いに行く事にした。

駅前の餃子の王将で食べて、
その後、成田山までお参りに行こうぜとなって、
途中に見つけた新しいアメリカ人向けみたいなパブで、
二杯ほど飲んで、
その後、誰も、人っ子一人いない成田山新勝寺で、
一晩早い初詣をして来た。

お賽銭箱の前には、
大きな文字で、「平成25年度初詣」と書いてあったから、良し。
一足早い行動ということで。

生まれて初めて行く成田山の12月30日の夜は、
本当に誰もいなくて、一日後のその込み具合と
雲泥の差で、そのギャップに驚いた。

*****

半年ぶりに会うRは、
相変わらず仕事で疲れていた感じだったけれど、
やつと話していると、とても元気が湧いてくる。

今から11年前、
俺たちが18歳の頃に、初めて会って、
それから、半年ほど一緒に勉強して、
10年前にアメリカにそれぞれ旅立ったわけだけれど、
それから、随分と時間が経った気もするし、
あっという間だったという気もする。

今日、「もう10年か」なんて話をしていたけれど、
Rの方は、
「でも、この10年が余りにも濃すぎて、
まだ10年!?って感じがするよ。
これからの10年は、更に今までの10年よりも濃いのか、
よく分かんねえな」と話をしていた。

まあ、そんだけ、
お互いに、特に彼の場合は、
かなり濃い人生を送って来たということでしょう。

*****

それにしても、久しぶりに、
こうして学生時代の友人と会えるという事は、
そして、色々と酒を呑みながら語り合えるということは、
とても幸せな事だと思います。

彼は、それこそ俺が留学する前から知っている仲間で、
お互いにお互いのルーツを知っているというか、
なので、お互いに、今の状況がどうであれ、
「お前はこういうやつなんだから、
安心して、自分の道を行けよ」
と言い合える仲というか、
そんな感じがします。


今日は、本当に楽しかったな。
昨日あいつが「会おうぜ」と連絡して来てくれて、
本当に良かった。

*****

また会える日を楽しみにしています。

彼には、結婚式で、
乾杯の音頭を取ってもらいます。


2012/12/30 23:06




PS.
結構な量の酒を呑んだので、
トイレが近かった俺たち。

成田山でお参りをした後に、
「トイレに行きてえな」と話していたが、
成田山の前の公衆便所も、
夜なので閉まっているという始末。

さすがにそこの茂みで立ちションをするにも、
新勝寺の不動明王に怒られそうなので、
少し歩いたところの誰もいない場所で、
こっそりと立ちションをしました。

そのときの彼の一言。

「まあ、猫がしたと思えば良いっしょ」

そういうノリと発想が面白いっす。






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November 18, 2012

155


2012/11/18 22:48

すごく眠いですが、
今の気持ちをちょっと記しておきます。

*****

今週は、木曜日から休みをもらって、
実家に一日かけて帰り、
金曜日に、西千葉の神社で、
妻と和装をして、プロのカメラマンに写真をとってもらった。

本当に良い経験、思い出になった。
二人とも満足満足。

*****

金曜日の夜は、千葉のホテルに泊まる。
妻と二人で、夜中の2時過ぎまで、
ずーっと、色々と話をする。

言語の話とか、
(we came to the conclusion that "language is a vehicle". I'll write about this more later.)
その他、色んなこと。

お互い、最近感じたこと、
この3ヶ月間であったこと
(前回妻に会ったのは8月の半ばだった)、
など、色々と話した。
本当に楽しかった。

彼女とは、本当にいろいろな話ができるから、
本当にすばらしいと思う。

お互いに同じ様な留学の経験をして、
同じ様な体験、思いをして来たから、
何の説明もなしで、
ある程度、レベル、段階、ステージの話ができる。
そこは、例えば言語の話で言えば、
「英語が話せる、話せない」のレベルではなく、
実際に、本気の留学生として、
完全なアメリカ人の中に入った際に、
そこで感じる様々なこと、
そこでの状態など、
そういったときに感じる「こと」が話せて、嬉しい。

その「こと」「感覚」「その時に感じること」は、
確実にそこに存在しているのだが、
実際に、そういった同じ様な経験をした人間と、
その「こと」について話すときにしか、
その「こと」、そしてそれにより生まれ出す「感情、感覚、気持ち」は、
思い返すことができない。

それを、その夜、
妻と話をして、
また感じる。

こういう話ができる関係というのは、
本当に恵まれていると思う。
知的好奇心の脳の部分がくすぐられるというか、
そういう、感覚の世界、
脳がムズムズする話ができることは、
中々貴重なことであり、
そういう話が出来る人というのは、
一般的にいっても、中々出会えるものではないから。

(要するに、価値観がそれだけ合う、ということなんだと思う。)

*****


さて、このことはまた、
時間ができたらゆっくり書きたいと思います。

今回の休みは、
妻ともゆっくり過ごせて、
家族ともゆっくり過ごせ、
本当によかった。リラックスできた。


ちなみに、実家のある関東はめちゃくちゃ暖かかったが、
(気温は日中は17℃近くあった)
ここ、俺の家がある場所は、
クソ寒い。
さっき、バスで山の中を通って来たとき、
外の気温計が、マイナス5℃と表示されていた。

家に帰って来ても、部屋の中の気温は5℃だし。
家の中なのに、白い息が出て、
余りにも頭が寒いので、
ビーニーを被っているんですけれど。

*****

同じ日本なのに、
全然違うぜ。

2012/11/18 22:59



追記:
朝起きて、Macのマウスを触ると、
キンキンに冷えていて、その冷え具合にびっくりする毎日。

もう少ししたら、マウスが凍っているんじゃないでしょうか。






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November 11, 2012

2012/11/11 23:02-

昨日の夕方から、
TさんとWさんが訪ねに来てくれた。
Tさんは横浜から、
Wさんは静岡から、
(以下、敬称略)
TがWの家に電車で行き、
そこから車で来てくれた。


昨日は駅前の飲み屋で食事をして、
その後、もう一軒行き、
そこで会社の人(総務の人)と会い、
ワインのデカンタを帰り際におごって頂いた。
感謝。

*****

その後はカラオケに行き、
2時間歌いまくる。
Tさんの歌唱力に脱帽。
俺たちのテーマソング、
"Don't Stop Me Now"と、
あとは、彼がエミネムの"Lose Yourself"を歌う。


夜中の2時過ぎに家に帰って来て、
少しコタツを囲んで話し、
3時過ぎに寝る。

*****

今朝は、10時過ぎに起き、
近くのラーメン屋で食べて、
雨のふる中、
この町の古い町並みを探索。

本当は白川郷に行く予定だったが、
彼らの今晩泊まる予定の宿に電話をすると、
遅くとも17時までに来てちょ、ということで、
もう時間がなくなり、
駅前のコーヒー兼お食事屋で、
色々と話す。

Wの専門の心理学やセラピーの話とか、
日本と海外の違いとか(人や、文化の違い)、
社会のことなど、
色々と話して、面白かった。

最近はそういう知的な話というか、
知的好奇心がくすぐられる話、
専門的な話をしていなかったので、
すごく楽しかった。

TとWは、俺の一個上で、
アメリカの留学生として先輩だけれど、
Tは去年まで世界中で勉強したり働いたりしていたし、
Wも、やはり今年の頭まで、
アメリカでずっと働いていたので、
二人と話すと、
留学生としてのシェアできる部分があり、
共通の視点、共通の経験、
共通の話題がたくさんできるので、
それが楽しい。

(留学生と、そうでない人では、
やはり、何か話をする際に、
どうしても完全にシェアできない価値観などが派生する。
差別的な意味ではなくて、
経験的、文化を観る視点的な意味で。)

よって、俺たちが、
自分たちでは「普通」のつもりでも、
(例えば、町の中で、
隣の人に気軽に話しかけたりすること)、
それがアメリカやヨーロッパでは普通でも、
日本だと、思いきり引かれたり、
「変人」のレッテルを与えられたりすることなど、
そういうことが、ジョークっぽく話し合えて、
そういうのも楽しい。

特に俺たち3人は、
完全に、海外の文化にドップリ浸かったタイプの人間なので。

(ちなみに、妻もやはりそのタイプの人で、
同じ様な経験をして来たので、
普段、妻と価値観を含め、
様々な話が、
『説明』なしでできることは、
本当に大きいことだな、
幸せなことだな、と思った。)

*****

その後、
彼らは宿に向かい、
さよならをした。

また会う日まで。

*****


今日、ふと気づきました。

そうやって、
昔から自分のことを知っていて、
かつ、同じ様な経験をしてきて、
青春をともにし、
苦労をともにした「仲間」がいること、

そして、そういう仲間と時間を共に過ごし、
その仲間が自分にいることを「自覚」すると、
自然と、自分自身にも、
揺るぎない満足感と、
自信があふれてくるものだ、と。

*****

そんなわけで、
遠路はるばる来てくれて、
本当に嬉しかったです。

楽しかった。


今週末はやっと、
3ヶ月ぶりに妻に会えます。
すごく楽しみです。

2012/11/11 23:16





追記:

あともう1つ。

Tさんは、俺のことを10年前、
俺が18歳の頃から知っているわけで、
(俺も彼のことを同じ様に10年前から知っているけれど)
そういう意味で、
お互いに、どれだけ相手が人として変わったか、
成長したかを知っていて、
その成長ぶりを客観的に知らせることができることも、
大きなことだと思う。

彼は、俺がWeedのCOSにいた頃に、
De Anzaを教えてくれた人だし、
彼が俺に与えた影響は、
ずいぶん大きかったと思う。

よって、「先輩」というよりは、
「良き友人、頼れる親友」という感じの方が近い。
彼といると、安心する部分が多い。

****

今回も、昨日の夜、食事の場で、
俺が20歳の夏、(2004年)
ちょうど、フィルムの道を断念した後、
自分の行くべき道が分からなくなっていたときに、
ヨーロッパの旅の際に彼のいたイギリスを訪ねた時の話になって、
その時の俺のことを、
「ちょうど、シュンちゃんが、
それまで夢に描いていた道をあきらめ、
その後、ディレクションを無くして、
どうしたら良いんだという、
その彼の目というか、
その時の様子が、
すごく印象に残っている」と、
Wさんに対して言っていた。

俺からすると、
2004年の俺も、
今の俺も、
同じ「俺」なんだけれど、
彼からしたら、
それは過去の「俺」で、
その時の俺の様子を、客観的に見ていて、
それをどう感じたか、
それを今、俺(自分)が聞くことで、
「ああ、そうか、
その時の俺は、
そういう風に見えていたのか。」と、
客観的に、8年半前の自分を知ることができ、
その結果、その時の自分と、
今の自分の距離を知ることができ、
それにより、成長や、
自分の変化を、知ることができる。


それは、とても貴重なことだと、
思った。

****


俺がかつては、
全て、自分の価値観が正しいと信じ、
「Tさん、イギリスのTESCOの牛乳おいしいっすよ!!!
絶対飲むべきですよ!!」みたいなあの頃。

「いや、それは分かったけど、
牛乳自体、そんなに好きじゃないし」(世間)みたいな。


そういう、かつての自分を客観的に見て、
自分も変わったんだな、と思えることも、
何か、感慨深いとまでは言わずとも、
感じるものがあるわけですよ。

That's something, という感じです。





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October 22, 2012

さあ、いよいよ、
自分も29歳になりました。
なってしまいました。

これで、20代も終わりです。
信じられません。
来年の今日には、30歳です。げええーーー



今日、仕事中に、
「俺って、今が何歳だったら、
しっくり来るかな?」
と思ったら、結果は、
25歳くらいでした。

まあ、26歳でも良いけれど、
27歳だと、なんか、
その年齢に、自分が無理して合わせている、って感じがする。

なので、
精神年齢的にも、背伸びしなくてちょうどいいな、
と思うのは、
25歳くらいです。



*****


まあ、こんなことを言ってるから、
まだ中身は幼いのかもしれないけれど、
でも、それは事実であり、
実際、21歳くらいからあとは、
毎年、自分の中身はまだその年齢に追いついていないのに、
勝手に年齢だけがどんどん歳を重ねていくような、
そんな感覚です。


俺の敬愛するスティーヴンタイラーは、
50歳の誕生日にどう感じるかと聞かれて、
「俺は、30年の経験を得た、20歳のガキだ」
と答えましたが、
自分も、そんな感じではあります。


*****


それは置いておいて。

去年の28歳より、
今日までの一年間を振り返ると、
ずいぶんと色々と「変化」が多かった一年だったな、
と思いました。


まず、10月の頭に前職を辞めて、
その後、2月に仕事が決まるまでは、
ずいぶんと精神的に不安定で、寂しい日々を過ごしたし、
(今でもその当時のことを思い出すと、
心の中を風が吹き荒むというか、
すごくソワソワした、ものすごくイヤな感じになります。
それだけ、イヤだったんだと思う。)

その後、3月に仕事が決まってからは、
4月に、今住んでいるここの山奥の町へ移り住んだ。

その前に、11月に、姉の子ども(自分の姪)が産まれた。

生まれて初めて、
自分の近くの人から、
生命が誕生する瞬間を見た。

それはもう、感激だった。


*****


そして、一番大事なこと。

4月にここに移り住んだあと、
5月に、ついに、
5年間付き合った彼女と入籍をした。


今でも、彼女は関東の実家に住んでおり、
俺がここに単身赴任なので、
中々会えずに寂しい思いをしているけれど、
毎日電話で話をして、
色々と話を聴いてもらったりして、
彼女のおかげで、俺は毎日、がんばることができる。


こんな田舎町で、
親しい友人も周りにいない中で、
それでもがんばれるのは、
彼女という存在がいるから。

だから俺は、
毎日精神的に安定して、
日々を過ごしていくことができる。


素晴らしい女性を妻に持てたことに、
感謝。


*****


そして、仕事も変わった。

前職とは全く正反対のような会社だが、
自分の英語力も使え、
かつ、自分がこの会社で、
力を付けて行っている、
と感じられることが嬉しい。

今頑張って身につけた、というか、
伸ばしたことは、
今後、自分の人生に必ずや実になることが
見えることがいい。


そして何より、
自分が一番好きなこと
(海外の人を相手にしたり、
海外へ仕事で行けること)
が出来ることが良い。


俺にとっての価値観とは、
やはり、上の点に喜びを感じるわけで、
それが仕事でダイレクトに出来ることは、
素晴らしいと思う。


*****


今はこうして、山奥に住んでいるが、
こうしてインターネットがあるおかげで、
みんなともコンタクトが取れるし、
寂しい感じがしない。



今日はちなみに、俺の誕生日だったが、
(というか、だからこの日記を書いているのか)

もちろん、会社の人は俺の誕生日を知る由もないから、
特に何も言われないが、
帰って来て、フェイスブックなどを通して、
色んな人が、「誕生日おめでとう!」のコメントをくれることが嬉しい。

そうやって、言葉をくれる友達がいることも素晴らしいし、
そうやって、距離はどれだけ遠く離れていても、
距離を感じずに、こうしてリアルタイムでコミュニケーションが取れることは、
すごいことだなあ、と思う。


*****


そんなわけで、特にまとまりのない文章となったが、
去年一年間(28歳の一年間)は、
色々と変化が多かった一年でした。
(不思議にも、毎日落ち着いた日々を送っているので、
そんな気が全くしなかったけれど。)


今年は、20代最後の一年。

昔読んだ本で、
30歳の誕生日にしていることを、
その人間は、きっと、
一生して行く、
ということを読んだことがあります。

(糸井重里氏と、科学者の対談の本。)


その対談を読んだのは、
俺が20歳になる直前でしたが、
そんなわけで、
それ以来、俺の中には、
「30歳の自分」というのは、
一つの区切りであり、
同時に、
その時点の自分が、
自分の一生を決めるようなものだと思っています。




そういうわけで、
俺が来年の今日に、何をしているかというと、
恐らく、東京のオフィスで働くか、
もしそれが休日だったら、
妻と一緒に過ごしているわけだけれど、

そのときに、
「うん。いい人生だ。このラインで、
今後も歩んで行こう」

と、心から思える様な、
そんな、ずっしりと構えた、
腰を据えた、状態でいたい、と思います。


*****


いつも励ましてくれる皆さん、
周りで支えてくれている皆さん、
どうもありがとうございます。


これからも私はがんばります。


2012/10/22 23:38




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August 19, 2012

2012/8/19-


今週は、火曜日の朝から、
今日まで、実家の方に帰り、
そこで妻と一緒に、結婚指輪を選んだり、
家族で、姉貴の誕生日祝いと結婚二周年祝い、
及び俺と妻の入籍祝いを兼ねて、
食事をしたりした。


妻とは、5月の入籍日以来、
3ヶ月間、一度も会えなかったので、
今回会えて本当に嬉しかった。


俺は今会社の都合で研修のため、
ここの土地に1年来ているけれど、
やはり可哀想なのは妻だと思う。
せっかくの新婚にも関わらず、
こんなに離れた土地にいて、3ヶ月振りにしか会えないなんて、
やっぱりひどいと思う。

10月には、来年の結婚式に向けて、
ウェディングドレスの試着と決定等もあるので、
次は10月には一度帰りたいと思う。


*****


今回は、ということで、
水曜日から今日(日曜日)まで、
合計4日半、彼女と過ごすことが出来た。

今回は結婚指輪を選びに行った銀座にも二泊したので、
結局、俺が実家に帰り、彼女も実家に帰った昨日以外は、
4日程、ずっと一緒にいた。

こんなことは、留学時代以来か、
または、俺が横浜にいた頃時代以来なかったので、
本当に嬉しかった。






彼女といると、
色んな話ができるから楽しい。

くだらない話、
面白い話、
最近思っていること、
最近気づいたこと、
哲学について、
政治について、
今後の人生について、
人間について、
人生について、
などなど・・・

毎回、俺は彼女に会うと安心して甘えてしまうけど、
そうやって、俺の全部を受け入れてくれる人がいるということは、
そして、そういう、心から信頼できる人と、
これから一生を共にできるということは、
非常に幸せなことだと思う。


*****


今回は、本当にお互いに気に入った結婚指輪も選べてよかった。

9月の末に届く予定。





また、彼女に会える日を楽しみにして。


2012/8/19 23:22





追記:

今回は姉夫婦にも久しぶりに会えて、
姪っ子にも久しぶりに会えた。

前回会ったときより、かなり大きくなっていてビックリした。
すごく可愛かった。

お姉ちゃんも、自分の子供を見る目が本当に幸せそうで、
お姉ちゃんの旦那さんと、3人で本当に幸せそうで、
本当に良かったなと思う。


俺の両親も元気そうでよかった。

お母さんは元気に毎日働いているし、
親父も家で本を読んだりして元気そうにしている。




いずれ、親孝行もしっかりして行きたいと思う。





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August 13, 2012

2012/8/13 18:50-

明日から夏休み。
本当は明日も出社日で、
明後日からお盆休みなんだけど、
俺が色々な部署に顔を出すたびに、
みんなに、
「休みは取らないのか?(会社の休み以外に、有給をくっつけて取らないのか?)」
と聴かれる。

聞くと、どうやら、
俺みたいに遠方から来ている人間は、
お盆休みなどに少し休みを足して、
長期で地元へ帰るとのこと。

最初は、「え?そんなの良いんですか?それができたらいいなあ」
なんて言ってたけど、
余りにも何人にも聴かれるので、
これは取るべきだなと思い、急遽昨日の夕方、
うちの課長に確認する。


すると、「いいよ」とあっさり。

ということで、休みを一日早めて、
明日から6日間の休みです。
嬉しいなあ。



俺は、日本で社会人になってから、
こんなに長い盆休みは初めてだから、
(去年なんか、お盆休み自体が無かった 笑)

そして、彼女と3ヶ月ぶり、
入籍したぶりに会えるので、
もう楽しみでしょうがないです。

今日は帰り際、
色んな先輩から、
「気をつけて帰れよ」
「達者でな」
「もう今からウキウキだろ?楽しんでこいよ」
と、色んな温かい言葉をもらった。


さっきも、
俺がこの前の土曜日に家にお邪魔した先輩に、
明日帰ることを電話で伝えて、
(本来は俺も明日出社で、彼女は最近桃狩りの為に会社を休んでいるので、
でも明日は出社するから、それに合わせて、
俺が実家に帰る用に、別にまた桃を持って来て下さると言っていたので)

「明日帰ることになりましたので、すみません。お気遣いありがとうございました」と伝えると、
「ああ!なら今から家まで行くよ!20分ほど待っとってな」と言って、
わざわざ売り物用の箱に入れた桃を、
車でうちまで届けに来て下さった!!

本当に感激です。


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*****


昨日も、日記にも書いたけど、
祭りに行った際にも、色々な先輩や会社の人に奢ってもらったりして、
みんな優しくて親切な人たちで、
もう本当に、俺は、素晴らしい人たちに囲まれているなあと、
しみじみと思います。





*****


この土地は、田舎で、
周りを山に囲まれていて、
それで、昔ながらの文化が残っていて、
人の繋がりが強い、ってのもあると思うけれど、

やっぱり、彼らが自分自身でも言う様に、
「おせっかい」なほど、親切な人たちなんだと思います。




*****


俺は、昔から、
結構、一人でいることが好きだったけど、
それははっきり言って、人とどう接していいかが分からず、
そのまま、一人でいることに慣れてきた、
っていうところが大きかったと思う。



で、アメリカに行って、
最初の土地で、
田舎の人たちに、すごく親切にしてもらって、
そこで、「人に囲まれる幸せさ」を知って、
それからは、そういうものを、
求める様になってきた。




日本に帰って来て、
この4年間、
やっぱり、日本の文化に馴染めないというか、
俺は、「日本」という文化に入ると、
カチコチに固くなって、
「固いヤツ」と見られる傾向があるけれど、

それでも、この土地の人たちは、
そんな俺でも、
「なんか、言葉遣いがやけに丁寧なヤツが来たなあ」
という感じで、
しかし、色々と気遣ってくれて、
結果、こんなに人に恵まれることとなった。



*****


毎回思うのは、
新しい土地に行った際に、
そこを離れるとき、
そこに行って良かったなあ、と思うのは、
必ず、「人との出会い」なわけで。



それは、初めて自分が生まれた土地を離れ、
高校は少し離れた佐原に行った時も、
そこを離れる際に、そう思ったし、
その後、アメリカに渡り、
一年目のWeed, 
二、三年目のSan Jose,
四〜六年目のLong Beachと、

やっぱり、その土地に行って本当に良かったと思えるのは、
その土地で出会った人々との繋がりが、
自分の人生に残るからだった。


俺の彼女とも、
結局、Long Beachで出会ったわけだし。
お互いに実家は凄く近いにも関わらず。


*****



俺は、アメリカで、
「自分を出す」ということを学び、
しかし、日本に帰って来て、
また、その「型」にハマり、
うまく自分の立ち位置を見つけられない状態に
勝手に陥っていた気がしたが、
今、こうして、
この土地に来て、
この会社に入り、
温かい方々に恵まれ、
28歳にして、
やっと、日本の社会でも、
自分を出すことを、徐々に学んでいる気がする。



*****



とにかく、
自分の周りに今いる、
素晴らしい人々に、心から感謝をしています。



2012/8/13 19:07






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IMG_5517


2012/8/12 23:25-

今日は会社の先輩に誘われて、
近くの町の祭りに行った。
そこでは、同じく同じ課の別の先輩が出身で、
そこで今日は祭りがあるとのことで、
本当は今日は会社は出勤日だったが、
彼は祭りの為に休みを取っていた。



17時ぴったりに仕事を終わらせ、
速攻風呂に入り、
17時半に先輩の車で祭り会場へと向かう。

町と言っても、同じ「町」。
しかし、ここは今から6年程前に、
幾つかの町が統合されたらしいので、
実際は、「区」に近いらしい。





会場に着くと、
完全に、「町」の祭りだった。

俺たちは17時45分には着き、
まだ客も全然いなかったが、
それも19時前にはかなり込み始め、
最後、21時前後には、
大込みだった。


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*****



先輩に焼きそばやぎょうざをおごってもらい、
焼き鳥を焼く先輩には、
パックに入った10本程の焼き鳥をただでもらう。

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生ビールも一杯目は彼のツテでもらってもらい、
その後は、
何と別の会社の人がいて、
その人伝いで、
生ビールをもう一杯と、
熱燗の酒までもらう。

今日は、お金を一銭も使っていないんですけど。
しかし、「これ以上本気で食えません」というくらい、
沢山色々なものを食べさせてもらった。

団子に、飛騨牛の焼き肉に、
えごまクッキーに、
その他もろもろ・・・・

もう、感謝しまくりです。


*****


結局、
うちの会社の品質管理部の部長と、
総務の課長もそこの町の出身者で、
その二人と、
あとは、俺にビールや酒を嫌という程持って来てくれた方と、
俺の先輩と、
他にも友達も読んで、
最後は10人くらいで、
わっはっはと盛り上がっていた。

ビンゴの神様と称する品質管理部の部長は、
途中までぜんぜん当たっていなかったので、
「あれ?ビンゴの神様じゃなかったんですか?」
とちゃちを入れたら、
「ここから集中します。
次は12がくるで」
と言うと、本当に12が来る始末。

その後、一気にリーチとなり、
舞台の方に行ったかと思いきや、
速攻次の数手でビンゴとなり、
デカイ景品をもらって帰って来ていた。

やるな、あれがビンゴの神様か。

*****


しかし、ここの土地に来て5ヶ月目になりますが、
本当に良い人たちに囲まれて幸せです。

昨日は、同じ課の別の先輩の家にお邪魔して、
桃狩りや、きゅうり、とまと、ピーマン、なす、みょうが、枝豆、大葉など、
色々な野菜狩りもさせていただきました。
(一番上の写真は、昨日直接畑から採ってそのまま頂いた桃と野菜たち。)


彼女の家は、俺の家からチャリで走って10分くらいなんだけど、
そこは山の麓にあり、
彼女の家が所有するその畑の広いこと!!

山に、段々に畑があり、
本当にぶったまげるくらいの広さの畑だった。

しかしそれも、
「この辺の人は、こんなもんやで」
と言っている。
俺から見たら、超大富豪なんですけど。


*****


彼女の家では、ご両親(父親)は10年前までサラリーマンだったが、
58歳で退職をして、
それから、このまま何もしねえと体がなまけちまう、
ということで、
「じゃあ、畑もあるし桃でもやっか」と、
桃を苗木から作り始めた所、
今では、全国からわざわざ桃を買いにくる程、
かなり有名な桃の農家となったそうな。



彼女のお父さんとお母さんはとても強烈で、
特にお母さんが強烈だった。
会うなり、
「ほら、こんなに蚊に食われちまった」と、
真っ赤になった足を俺に見せて来る。
そういうノリがいいですね。


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昨日は、その先輩の妹さんも名古屋からたまたま実家に帰郷してくる日で、
俺が昼前に彼女の家にお邪魔し、
桃をいただき、
そのままじゃ申し訳ないので、
段ボールなどを作って手伝っていたら、
妹さんが到着した、という感じ。

よって、いつの間にか、
4人の間に加わって、
完全にホームステイにきた留学生みたいになっていた。

先日6月にRに会った際に、
「お前は山に縁があるな」と言われたが、
やはり、10年前に留学の最初の地に選んだWeed, Californiaにしても、
俺は山に縁があるらしい。

(俺の父親と母親の実家は、
ともに港町なんだが)


*****


それにしても、
田舎の人は、やっぱり親切で、
昨日の俺の様に、
のこのこと桃を頂きに行った人間にも、
「ほら、これも食ってけ。あれも食ってけ」と、
色々とくれる。

そして、ホスピタリティ(おもてなし精神)が
非常に強い。
温かい。

多分、俺の様に、
誘われたら「はーい、いきまーす」というノリで、
素直に遊びに行く人間も少ないのかもしれないけど、
(または、みんなそんなに図々しくないのに、
俺は、ぼーっとしてるから、
普通の人なら、気を遣って遠慮する所を、
それを全面から「ありがとうございます」と受け入れるから、
逆に向こうも受け入れてくれるのかもしれないけれど)

とにかく、
色んな人に可愛がってもらって、
本当に幸せだなあと思います。


*****



昨日は、
彼女のお母さんと二人でソルダムを取りに行き、
(そのソルダムの畑は、
かなり上の方まで坂を上がった、遠い所にあった)
その畑から、
帰りは一人で歩いて下の家の方まで帰って行ったんだけど、

その道の途中で、
周りに広がる、
凄まじい程の量で生える木々によってできる、
緑の色がすごく強い森と、
遠くに見える田んぼと、
近くに流れる水路の水の音と、
遠くに聞こえるかすかな蝉の声と、
向こうから流れて来る、その気持ちの良い風を肌に感じていたら、


そして、
自分が決して食べきれない量の桃をいただき、
更には、
自分が今まで目にしたことの無い程の量の桃が
気になっているのを見て、
そのように、

「自分が生きて行く上に十分すぎる以上の食物が、
自然の中になっている」状態と、

「圧倒される程の自然に囲まれた」状態に身を置いたとき、


ふと、
「豊かさ」とは何だろう、と、

そう思った。



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都会にいると、
まるで、お金が沢山あるほど「豊か」で、
高級な車に乗り、
高級な家に住み、
高級な時計やアクセサリーを付け、
高級な洋服を着て、
人と比べて、
金銭的に、沢山のお金を持っている状態ほど、
「豊か」だと思えるけれども、



こうして、こういう環境にくると、
そういうものは、
余り意味をなさないことに気づく。



こっちの方は、
土地も余る程あるので、
どの家もバカでかいし、
(普通に、
家の中にトイレが三つあるのがスタンダードらしい。
洋風、和風、そして、男用トイレ。)

そしてみんな、
洋服や装飾品などは、
一切気にしない。
まあ、少しは気にするが、
ここではそんなに意味を成さない。


そして、
どの家でも野菜や果物を大抵作っており、
それが穫れたら、
会社に来て、
みんなに分ける。




どこかに旅行に行ったり、
出かけて来たら、
必ずお土産をかって、自分の部署や、
普段お世話になっている他部署に配る。




そういうように、
「分ける」文化が、
浸透している。




なので、
「モノ」は有り余っている、と感じ、
その感覚が、
自分の心を、「豊か」にさせる。


(ここで俺が言う「モノ」とは、
上に書いた時計や装飾品、車などの「モノ」ではなく、
生きて行く上に必要となる、
食べ物などの「モノ」。)




*****




俺は正直、
この会社に入るかどうか迷っているとき、
この町を、Google Mapのサテライトで見て、
周りを山に囲まれ、
何にもなさそうなこの土地に来ることを、
かなり躊躇ったが、
しかし、
その結果、実際に来てみると、
そこには、
Googleマップでは決して見ることのできない、
温かい人々の「生活」が存在していた。



そして、その人々との触れ合いが、
俺に、色々と、
大切なことを、
教えてくれている。




*****




10年前、
2002年の7月28日、
俺は、日本の千葉から、
アメリカのWeedに向けて旅立った。

その時は、
「なんでこんな山奥に来てしまったんだ」
と後悔した時も多々あったが、
やはり、後から思い返すと、
そこで出来た友達、
知り合った家族たちは、
俺の本当の家族の様に、
今でも連絡を一番取り合う仲となり、
そんな、素晴らしい人たちとの「出会い」を、
俺にくれた。









それからちょうど10年。



こうして、また、
今度は日本の中の「山奥」に来て、
またそこで、こうして、
毎日、素晴らしい日々を過ごしている。


温かい人々に囲まれながら。




******



ここでみんなに受けている恩は、
必ず、これからどんどん返していかなきゃなあ、と思う。


こうして、
先に人に分け与えるからこそ、
みんな、
お互いに分け与える、
そんな文化になって行くのだと思う。




****




ちなみに、
俺の最初に行った学校の裏には山があり、
そこには、
"Bear Trail"(クマの道)という名の
山道があったが、
そして、本当にクマが出るとの噂だったが、



昨日桃狩りをさせて頂いた先輩の家では、
家のすぐ近くまで、熊が出たそうな。

ある日、桃が一日に100個くらい夜の間に無くなっており、
タネだけが地面に残っていて、
「何かおかしい」と、
警察に届け出たら、
「奥さん、それは熊ですよ」となり、
カゴをしかけたら、
大きな熊がかかったらしい。
しかも2頭も。






10年前は、
「こんな、ベアトレイルなんて名前の、
熊が出るところは、
他にはないだろうな」と言っていたが、

実際、自分の生まれた国の、
そこの山奥の方が、
もっと凄かった。



ちなみに、猪やカモシカ、
狐に狸も出るんだって。

「サファリパークじゃないですか!」と言ったら、
「いや、人も普通に住んどるし。失礼や!」とツッこまれた。


2012/8/13 0:01am





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August 11, 2012

2012/8/11 0:25-

今日は、うちの会社を先日定年退職した
Oさんの家にいって、
そこでOさんと、もう一人の方と、
3人でお酒を飲みながら、音楽を聴いたりして、
楽しく過ごした。



Oさんは、恐らく62歳か63歳くらい。
元々俺がこの土地に移り、
最初に会社の風呂に入った日に、
浴槽に入って、
「大きい風呂でいいですね」と話しかけたその人が、
Oさんだった。


それから、Oさんは俺の顔を見ると、
笑顔でいつも話しかけてくれて、
お互いに名前の自己紹介もしていなかったが、
風呂場での「顔見知り」になっていた。

*****

それから少しして、
風呂場でいつものように少しずつ話していると、
彼が、音楽が好きで、
特にオペラが好きで、
一年に一回は東京へ行き、
本場オペラ公演を見に行っていることを知る。

それで、「すごいですね!」との話から、
「今度もし興味があったらうちに来て音楽を聴きますか?」
と誘って下さり、
結果、今日、彼の家に行く約束となっていた。


彼は、6月の最終末で退職が決まっており、
(既に2回程定年を迎えたが、退職時期を延ばしていたとのこと)
今回は、本当に退職ということで、
知り合ってほんの少しで、彼とは会社で顔を合わせない仲となってしまった。

*****

彼は、本当に性格の良い人で、
最初は正直、ここの方言が強すぎて、
何を言っているかさっぱりだったけど、
俺も日に日にこの土地の方言を覚え、
今では、殆ど聞き返すことも無くなって来た。




彼はいつも、食堂で休憩中に見ると、
新聞を読んでいて、
休憩終了の時間がくると、
そそくさと早足で工場の現場へ帰って行く。

非常に真面目な方なんだというのが、
彼の表情と、仕草から伝わって来る。


*****


ということで、
6月末の時点で、
今日、つまり8月の2周目の金曜日に飲もうと話をしており、
今日、そういうことで、
彼の家にお邪魔して来た。


*****



彼の家は駅から歩いてすぐの所にあり、
駅で待ち合わせをしていたので、
俺はそこまでワインを一本買ってチャリで行き、
そこから一緒に歩いて彼の家へ向かった。




彼の家は非常に大きく、
ビックリしたが、
どうやら、一人で暮らしているとのこと。

「縁が今までなかったもんで」と、
笑顔を交えながら、ちょっと寂しそうに言っていたのが、
なんか心に残っている。


******



彼の家へ入り、
一階のダイニングにある冷蔵庫に、
俺が買って来たワインを入れる時に、
壁に飾ってある数々の絵画のポスターに気づく。


見ると、フェルメールなど、
西洋のものが多い。


聞くと、絵も好きで、
この前も、今東京でやっている
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を見て来たとか。



音楽以外にも、
絵など、
アート系で趣味が似ていることが知れて嬉しかった。


*****


二階の音楽ルームに上がると、
もう一人の方は既に上がって、
一杯先に始めていた。

(彼は今、品質管理部でまだ現役で働いている方。
俺は余り話したことは無いが、
もの静かで、知的な雰囲気のする方。
俺が研修で来月からそちらに伺うので、
その際にお世話になる。)




3人揃った所で、
Oさんがこの前東京に行った際に買って来たという、
一本2000円以上するチリのワインで乾杯。

これが美味しかった。


それ以外に、
彼が用意してくれた、
ローストビーフや、
近くの朝市で買って来たというキャベツとトマトで作ったサラダ、
骨つきのチキン、
カマンベールチーズ、
ピザ、
アーモンドなどのおつまみを肴に、
お酒を飲みながら、
語った。



*****


主に、Oさんが気を遣って、
色々と話題を振って下さった。


今日彼を見ていて思ったが、
彼は非常に人に気を遣う方で、
かつ、優しすぎるくらいの方なんだと思う。

少しでも話題が途切れると、
俺が興味のありそうな話題を振って下さり、
そこで、音楽の話をしたり、
村上春樹の話をしたり、
(彼はジャズが大好きで、素晴らしい音響を持っていたので、
まるで村上さんみたいだなあと思ったら、
彼の後ろに『1O84』が3冊並べておいてあるのを発見。
それを指摘したら、
やっぱり村上さんが大好きとのこと。
図書館にある村上さんの本は全て読破したらしい。
俺も彼の小説は『ダンスダンスダンス』以外読みましたよと伝えて、
海辺のカフカとかの話をした。)




そんなわけで、
優しすぎるOさんの温かい手料理とともに、
おいしいお酒を飲んだ。


*****




そして何より驚いたのは、
彼がその部屋に持つ、
凄まじい音響システム。


自分の身長くらいある高さの、
大きな大きなスピーカーが、
50インチの大画面HDテレビの左右に、
並ぶ。


そして、そのテレビの下には、
これまた大きなアンプが、
4台並ぶ。



聞くと、
なんと、そのアンプ4台で、
400万円以上、
スピーカー1セットで、200万円以上、

そして、それらの機器を繋ぐコードがあるんだけど、
(一本一本はもの凄く太い。)
それらのコードは、1本7〜8万円するそうな。
そんなコードが、
10本以上群がっていた。



そんなわけで、
その部屋は、
もう、プロの音楽家のような部屋だったわけです。



そして、そこで、
Miles Davisの"My Funny Valentine"を大音量で聴きながら、
その世界に浸る。

(その部屋は完全防音になっているので、
もの凄い音で聴いても、外には漏れない。)



俺が持つスピーカーとは比べ物にならないほど、
その音は、
まるで、目の前に生の演奏者がいるような、
まさに、ライブ会場だった。

観客の小さな声まで聞こえて来る。



アンプの大きさも半端無いので、
音の大きさ自体が、
全然違う。

パワーが違った。


*****



そして、その後は、
ワーグナーのワルキューレのライブ演奏の映像を見る。



これもまた凄かった。




*****




結局、
途中から、
俺がMacが好きという話になった後、
彼らの友達で、前にこの会社で働いていたもの凄いMac好きの友達がいるとのことで、
彼に電話をし、彼も急遽、
21:00前後に来る。

その後Oさんは、ワインを飲み過ぎて完全に寝込む。
その間、俺とその二人の計三人で、
大音量でまたマイルズデイヴィスを聴きながら、
色んな話をした。


(新しく来たその方は、
7年前に結婚したらしいが、
奥さんが中国の方で、
その結婚のエピソードももの凄くて、
そこから、異文化結婚の話、
日本の市役所の酷さの話、
その他色んなことを話した。
彼も非常に面白い人だった。)




そんなわけで、
18時半から飲み出して、
23時前になり、
眠るOさんをおこし、
挨拶をして、
帰って来た。



*****



帰り道、思った。

すごく楽しかったな、と。



俺は、今はこの町に、
1年限定で来ているわけだけど、
その中で、
たまたま会社の風呂で出会った、
全然違う職場の人と友達になり、
その人のうちで、超特大スピーカーでMiles Davisを聴き、
彼らの友達と仲良くなり、
帰り道、
その町を、
自転車を飛ばしながら、
夏の夜風が気持ちいい中、
車は殆ど通らない、人気も殆どない町の中を、
さーっと、駆け抜けて、田んぼの脇道を通って、
家へと帰る。





こういう瞬間ていうのは、
今しかなく、
今から数年後、
はたまた数十年後には、
今日みたいな日のことを、
もの凄く、懐かしく、
「ああ、あんな時があったなあ」と、
懐かしく、思うんだろうな、と。









その土地で、
新しい人々と会い、
その人たちと仲良くなり、
その人たちと食事をともにし、
彼らの家へお邪魔して、
彼らの生活を垣間みる。



そういうことをしたとき、
そういうことができるとき、
俺は、何だか、
この人生の、はかなさというか、
素晴らしさとともに、
その、「諸行無常」的なことを、
強く感じてしまう。



*****



アメリカであれば、
年齢が違えど、
例え、自分の親父と同じような年齢の人とでも、
「友達」になれる。


今回のOさんとの出会いは、
結構、それに近いものがあり、
それを、また嬉しく思う。



彼は今回、
「また今度は、10月頃にやろうや」と、
何回も嬉しそうに話してくれた。


彼が、今日のために、
料理を用意して待っていてくれたことを思うと、
何だか、胸に来るものがある。






俺は来年以降は、東京へ戻るけれど、
たまにこっちに出張で来る際には、
ぜひ、彼とも定期的に会うことができたらいいな、
と思う。


その時は、また、
好きな音楽を聴きながら、
音楽や、アートや、
小説の話をしながら。






*****





Oさんとの出会いに、感謝。





2012/8/11 0:59

















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July 01, 2012


昔、2005年の7月、
アメリカ一周の旅をしているとき。


アムトラックの列車に乗り、
列車の中で、寝泊まりをしていた。


確か、ユタ州か、コロラド州の辺りを走っているとき。


その時、俺の横には、
初老の女性が乗っていて、
その人と、色々と話をしていた。



俺は、日記帳を持っていて、
やる事はそれに自分の気持ちを書くことしかなかったので、
ひたすら書いていると、
大体の人は、
「何を書いているの?」と話しかけてくれた。

彼女も、その内の1人だった。


*****


彼女に、「あなたはところで、何をしているの?」
と聴かれたので、
自分は、日本からの留学生で、
今は留学して3年が終わったところで、
まだカリフォルニアしか見ていないので、
アメリカ全体を見たいと思って、
こうして旅をしている、と告げた。



すると彼女は、こう聞いた。


「ところで、あなたは幾つ?」



21歳です、と答えると、

「このような形の一人旅をするには、
ちょっと若すぎるんじゃないの?」

と言われた。



確かに、一人で、
ただひたすら、
列車の外の景色を眺めて、
自分の過去のことなどに思いを馳せているヤツなんていうのは、
普通、21歳ではいなかった。


俺の周りには、
彼女の様に、
そろそろ定年で、リタイアをしたばかりの人たちばかりしか、
旅をしていなかったから。


*****


その彼女が、ある朝、
俺に何かのフルーツをくれながら、
こう話してくれた。



「若い頃はね、
きらびやかなもの、
豪華なもの、
派手なもの、

そういったものに、
感動したり、心を奪われたりするんだけど、

私のように歳をとると、
自然の中にある、
何でもないような、素朴な景色を、
なによりも綺麗だと、思う様になるのよ。」



そういって彼女が指した窓の外には、
まだ朝もやがかかり、
先ほどやっと出て来た太陽の光に照らされて、
薄緑色に輝く、
何の変哲もない、草が生えた畑が広がっていた。




*****



その時の彼女の台詞と、
その窓の外の光景は、

未だに、ふとした瞬間に、
よく思い出す。





*****



さっき、母親に、誕生日のお祝いの電話をして、
少し話をして、

その後、自分の部屋から見える、
外の景色を眺めていたら、

そして、外に広がる、
山にかかった薄紫の雲、
その切れ目から除く、黄金色に光った夕日、

そして、目の前に広がる田んぼと、
その横を流れる、水路の水の音、
遠くで鳴く、虫の声などを聞き、


7月頭の、この、
涼しい、気持ちいい風を肌に感じていたら、




あの時の、その女性の言葉と、
その光景と、

その、「雰囲気」を、思い出した。




*****




こういう、「瞬間」を味わうとき、

俺は、人生は、
かけがえのないものであると思う。




2012/7/1 18:28











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2012/7/1 0:10am-

先日彼女と話をした際に、
俺の人間としての、レベルの話になった。


曰く、一般の人の人間としてのレベルが、
人生を通して、100まで行くものであるとすれば、
俺の場合は、そのレベルが、
1000くらいまであるらしい。


そして、だからこそ、
俺は常に、「成長したい」という欲が強いし、
だから、常に、
「◯◯さんは若いですね」と言われるのだ、と。


*****


俺は日本に帰って来て、社会人になってからも、
常々、「若い」と言われて来た。

余りにも色々な人に言われるので、
もしかして俺には威厳がないのか、とか、
俺はそんなに弱々しく見えるのかい、
とちょっと嫌に感じた時期もあったが、
どうやら、そうじゃないらしい。

つまり、20代も後半、
(つまり俺の年齢)になると、
社会に幻滅して、
「まあ、どうせこんなもんっしょ」
「どうせ頑張ってもたかが知れてんだから、気楽に行こうぜ〜」
的なノリが、普通は出て来るものだが、
それが俺には無いという事。

正直、自分次第で、いくらでも成長できると思っているし、
日々、進化をしていたいと思う。


先週、神戸でRと会ったが、
ヤツも言っていた。

「未だに、何でもできると思ってるからさ」

俺も、そんなノリに近いものがあると思う。

*****

話を元に戻して。


だから、彼女曰く、
俺の人生を通してのレベルの限界は、
1000まであるからこそ、
他の人が、人生を通して100のレベルなので、
今の時点で50まで行って取りあえず満足していても、
俺の場合は、
「いや、俺的には50だと、全然自分の中で足りねえし」
と、必死になって、焦って、レベルを上げようとしている、と。



そして彼女は言う。

神様が、俺のレベルを1000に設定した理由は、
必ず何かあって、
レベルが1000になる器があるからこそ、
その器で成し遂げる何かがあり、
その目的を知る事が、
俺の人生の真の目的だ、と。



だから間違っても、
レベルを1000まで上げることだけに躍起になっていてはダメで、
それで、目的を見つけずに人生を終わってしまっては、
目的のために手段が存在するのに、
その手段を極めることで終わってしまい、
本末転倒である、と。


*****


俺は、その話を聴いて、
凄く嬉しかった。

ここにこういう事を書くと、
なんか自慢しているみたいでどうかなと思ったけど、
これは俺の日記だし、人生の記録帳であるから、
書く。


*****

俺は人生で何が一番嬉しいかと聞かれれば、
やはり、自分の成長を感じることだと思うし、
それが、自分が生きる、一番の趣味であると思う。



本を読むのも、自分の「知識」「教養」という内面性が磨かれるのが好きだから。

結局は、自分という人間のレベルアップを、
どれだけできるかが、
究極の趣味なんだと思う。


だから、Lenny Kravitzの曲には良く、
"I want to be a better man"とか、
"Got to be strong"とか、
そういう台詞が良く出て来るけれど、
それにも、非常に共感する。


*****


そして、俺がやっぱり、
一番心が震えるのは、
自分の器は、デカい、と自分が思えることだと思うし、
今はその器がデカくなくとも、
デカくする器量があると、感じられることが、
俺が頑張って行ける一番の根拠なんだと思う。


逆に、
俺は大した事無い人間、
俺の器は実は小さい、
と思わされてしまったり、
「そうなのかな?」と感じてしまう時ほど、
恐いものはない。

それは、俺にとって、
自分の希望を壊されるようなものだから。


*****

なので、今まで会って来た人の中でも、
いつか日記に書いた、横浜にある、ある会社の社長との面接で言われた、
「キミは、ザルだ」という話には、
今でも励まされるし、
かつ、そのザルの器を、
自ら小さくすることがないよう、
自分を鍛えて行きたいと思う。


*****


そして俺は、常にそうやって、
自分を心から、一番認めて、励ましてくれる人が、
自分の妻であること。

それは、本当に、
どれだけ感謝してもしきれないくらい、
有り難いことだと思う。



*****

ということで、
俺は、俺のレベルを、
とにかく上げて行く事。


そして、その自分の人生を使い、
自分の目的を、きちんと自覚すること。


それが、俺の人生を通しての課題。


2012/7/1 0:26am








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2012/6/30 23:51-

さっき、2時間くらいかけて、
俺の昔のメールを読んでいた。
友達に送ったり、家族に送ったもの。

殆どは、20歳から、23歳くらいまでのもの。

俺が、COSを終えて、De Anzaに移った直後から、
CSULBを卒業する位の頃のものまで、
ランダムに。

(普段はGmailを使ってるので、留学3年目の途中まで使っていたHotmailは今は殆ど開かないんだけど、ちょっと過去の先輩へのメールで気になるものがあって調べたら、そこから一気に、色々と読み出してしまった。)

*****

自分の過去のメールを見て、
若いなあ、とも感じたし、

何より、一番感じたのは、
それは、確かに昔の俺なんだけど、
今になって、やっと、
その頃の自分を、「客観的に」見れた、ということ。



当時の俺は、やはり、自分のことしか見えておらず、
自分が周りから見てどのように写るのか、
果たして、「俺」という人間は、どんなものだったのか、というのは、
「俺」という主観でしか、見えていなかったと思う。



もちろん今も、それは変わらないと思う。

歳を重ねるに連れて、
より、昨日よりも、もっと賢くいたいと思い、
そういう術は、少しずつ身につけて来ているとは思うが、

それでもやはり、「今」の自分を、
完全に、客観的に見ることは、
難しいと思う。

なぜならそこには、
自分に対する、希望と、
欲が入るから。

(つまり、今の俺は、実際には「こう」だが、
自分としては、「こう」あってほしい、という欲があり、
その「実態」と「希望」の間には、
必ずギャップが存在する、ということ。)




そして、過去のメール、
つまり、今から8年〜5年ほど前のメールを読んで、
既にその頃の俺は、今の俺の状況とは大分かけ離れているから、
やっと、その頃の自分の「主観」をなくして、
「一人の他人」として、
過去の自分を見れる、ということ。


*****


20歳から23歳の自分は、
年齢的にもちろん若くもあり、
かつ、今の自分にない、
精神的な「若さ」を持っていた。

それは、「未熟さ」とも呼べるかもしれないし、
「ナイーブさ」とも呼べると思う。





*****

それらのメールを読み終わって、
当時の記憶、
そして、当時は確かに経験したが、
長い間呼び覚ましていなかった為に、
忘れていた記憶を思い出し、

言わば、俺の歩いて来た道を、
振り返る事もせず、
その道の軌跡を確かめずに、
毎日、先の事か、もしくは、今日のことしか考えない自分に、

自分が通って来た、その軌跡を確かめさせることで、

自分という人間の幹が、また一段、
固まった、というか、
「ああ、俺は、こういう道のりを経て、
これらの経験を経て、
これらの考えと悩みを経て、
今に至ったんだ」というのが分かり、

妙な達成感と充実感があった。


*****


俺は今、28歳であり、
今年の10月に、29歳になる。


俺にとっては、2005年というのは、
何故か自分の今までの人生の中での節目となっている。

(それは、年号的に切りが良いというのもあるだろうし、
その年は、色々と悩んで、
自分の専攻を変えたり、
住む土地と学校を、ガラリとベイエリアから南カリフォルニアに変えたのもあったし、
とにかく、色々な「変化」が自らの中であったからだと思う。)

その時、21歳だった俺から、
今は、確実に7年が経ち、俺は、今28歳となっている。



俺的には、2005年というのは、ついこの前なわけだが、
確実に毎年、年は過ぎ、
その時は、過去となって行く。


*****

なんかカッコ付けて書いていたら、
ポイントが分からなくなってしまったが、

取りあえず、確実に年は過ぎ、
自分も確実に年齢を重ねて行き、

自分の過去の記憶は、
「最近のもの」から、
「古いもの」へと、変わって行く、ということ。


そして、その中で、
自分にとって「新しい記憶」も、
確実に、「古い記憶」となって行き、
その過程の中で、
普段頻繁に思い出さない思い出以外は、
記憶の隅に、置いて行かれるであろう、ということ。



そして、それらの自分の「過去の軌跡」を、
たまに振り返る事は、

自分に、
「ああ、俺が今、「自分」という人間である所以は、
そこにあるのか」
と、客観的に認識することで、

自分という人間を、少しは、
客観的に見て、評価をすることができ、

それが、自分に対する、自信へと、
繋がるであろう、ということ。


*****


まあ、毎回同じ事を感じるんだけどね。
こうして、過去の日記なり、自分の軌跡を見返すと。



とにかく、常に成長して行きたい。


2012/7/1 0:09am




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June 24, 2012

2012/6/24(Sun) 22:57-

昨日と今日は、社員旅行で大阪と神戸に行って来た。
大阪では、ノアと、
神戸では、Rと会った。

大阪の場合は、俺のステイしたホテルはなんばだったけど、
ノアの住む家はそこのすぐ近くで、
神戸の方でも、Rの住む家は俺たちが行動予定だった元町のすぐ近くだったので、
まるで二人に会いに行く為の旅行みたいな感じだった。

*****

ノアとは、4年ぶりの再会だった。
最後に会ったのは、2008年の4月。
サクラメントで会った以来。

奴は、去年から大阪に晴れて来れる様になり、
今は既に約一年間、大阪にいる。
あいつが仕事を終えた21時半頃になんばの近くで会い、
その後、朝の4時半まで、なんばの酒屋なりバーなり、
後はなんばの川沿いを歩いたりして、
色んな話をした。

(あの川はノアが所有しているらしい。川沿いにいたホームレスのおじさんから5000円で買い取ったらしい。そういうジョークがウケる)

*****

ノアとは、本当に久しぶりで、
しかも、俺は2008年頃にあいつと最後に会ってから、
当時は俺も進路が定まらず不安定だったこともあり、
結構あいつに辛く当たってしまったときもあった。
そのために、少し心の引っかかりがあった。

それを奴に謝り、
「I was being such a jerk man, especially when we were at the donut place in Orange County in 2007. I have to appolozie to you」と言うと、
「Gosh, I don' remember you being jerk at all and all I remember is the donut! That's so bad that you had this guily feeling in you for 4 years and I don't even remember it!」と、彼なりのジョークとユーモアでまた笑わせてくれた。


俺はあいつと会ったのが2002年の8月で、
それ以来、奴とは随分一緒に遊んだ。
そんなわけで、友達、というよりも、どっちかというと家族に近い。
近過ぎて、ムカつく兄弟、そんな感じ。
なので、ちょっと仲違いがあった(と俺だけ勝手に思っていた)ヤツと昨日は和解できて、
更にお互いの絆が深まり、
それ意外に、久々に英語を使いながらノア独特のユーモア満載の会話ができて、
本当に楽しかった。

ああいう感覚は、
それを再度経験しないと、
「ああ、俺、こういう感覚をミスしてたなあ」と分からない。

まるで昨日は、夜の10時から朝の5時までは、
またカリフォルニアに留学しているような、そんな感じだった。

(ヤツとはアメリカのジョークなどの話も沢山する。
また、それ以外にも、
母国語以外の言語を学ぶ事、それを使って話す事の楽しさ、
言語の歴史などから、
お互いの人生など、色々な話ができて楽しかった。
彼の良い所は、どんな話題であれ、
必ずそれに対して反応してくれ、それを深く掘り下げて話がして行けるところだと思う。
それが、めちゃくちゃ下らないジョークであろうと、
歴史の話であろうと、
哲学の話であろうと。)

*****

今朝は、神戸でRと会う。

彼と会ったのは、去年の2011年10月、東京駅にて以来。

その時は、俺はまだ転職活動を始めたばかりで、
随分と不安な時期ではあった。

その時はRも、自分の仕事に対して悩む所もあったみたいだけど、
今では、神戸支店に移動し、
そこで、毎日朝の8時から夜中の12時過ぎまで、
頭がショートするほど頭を使って、
仕事をしているそうな。


あいつと会って楽しい事は、
いつも彼は自分の限界を超えるところまでやりきっていて、
常に、自分の「限界」「器量」を広げ続けているところ。

俺が彼を尊敬する点は大きく分けて二つある。
一つは、人間関係の作り方がうまい。
野球部という団体行動の中で培った、
年齢、相手の性格関係なく、
誰とでもニュートラルな関係を作れるところ。
(言い換えると、相手によって自分の態度を変えることがないこと。)

二つ目は、知識。
彼は、今の仕事を通して、
色々な業種や業界に股がって仕事をしているわけだが、
それを通して、俺が持っていない多くの知識を持っている。

俺は結構、彼の話を聴いて、
そこから触発されて、
「もっとこうしよう」と思い、行動に移す事が多い。

そんなわけで、彼はいつも、
俺が伸ばしたい二つの要素、
つまり、「人間関係の構築」と「知識」の二つを鍛えていて、
俺よりも上を行っているので、
そこを、あいつには負けたくねえ、と思うというか、
良い意味でのライバルのように、見てしまう。

*****

ちょっと話は変わるが、
最終的には、
人と比べるのではなく、
「自分と比べてどうなのか。
闘う相手は自分」という状態が、
究極の状態。

彼はいつも、
「自分に負けない様に」
「一番の敵は、自分」
ということを言う。

誰か別の人になろうとしている人生は、
「自分になろうとする人生」と比べて、
はるかに基盤がなく、軸が通らない。

昨日ノアにも話したが、
俺が今までの人生で学んだことの一つは、
「誰かになろうとすることは意味が無く、
いかに、”より自分自身になれるか”が、
一番重要である」ということ。

*****

閑話休題。

そんなわけで、Rはいつも、
俺とは全く逆の状態、環境に身を置く事が多いので、
彼のその多様性から学ぶ事は非常に多い。

*****

ということで、
昨日と今日は、留学時代の親友であり、
かつ、深い話ができる二人と会えたので、
非常に楽しかった。



こういう感情は残しておきたいので書いた。
眠いのでもう寝る。

2012/6/24 23:20


******


追記:2012/6/30 17:11

先日の旅行から一週間が経った。
この新しい土地で基本一人で過ごすことが多い俺にとっては、
上に書いた二人と久々に会えて話せた事は凄く楽しかった。

特に、ノアとの会話は本当に楽しかったな。



上にも書いたけど、
あいつと会って、最初に行ったなんばの近くの小さな居酒屋で、
あいつに二つのことを伝えた。

一つは、上に書いた、俺が何か心に引っかかっていた気持ち。

それを話しているときは、俺も酒が入っているのもあったけど、
ちょっと涙ぐんで話していたら、
ノアも同じ様に涙ぐんでいた。


もう一つは、
ヤツが、基本的に、
"Man of good heart"ということ。

彼は、非常にバカなことばかりするし、
頭に来る事も多いが、
それでも、心は、非常に良いものを持っていて、
人間として、絶対にこいつは大丈夫、
という安心感というものがある。

それを俺は、彼に伝えたかった。
"You are the man with a good heart."と。

すると彼は、俺に言う。

「俺たちが最初に会った頃に、
COSの裏のBear Trailを散歩した時を覚えているかい?」と。

俺たちはキャシーのパーティーで知り合ってから、
たまにノアがグレハンのバスに乗って、
サクラメントからウィードまで来て、
その夜はタケの家に泊まったりしながら、
俺と一緒に遊んだりしていた。



ある日、多分あれは、
初めて一緒にベアトレイルを歩いた時だと思うけど、
その時に、俺は彼に一枚の手紙を書いた。

内容は正直よく覚えていないけれど、
「この2日間、楽しかったよ。
ノアに会えて、本当に嬉しいよ」的な感じの内容だと思う。


彼は、その手紙にえらく感動したらしく、
時たま、それから数年経っても、
その手紙のことを触れることがあった。


そして、この夜。
ノアはまた言っていた。

「あれから10年経つけど、
未だに、俺は落ち込んだ時に、
あの手紙を取り出して、読む事もある。
あの手紙を読むと、
少なくとも、この世の中に一人は、
俺の事を素晴らしい人間だと思ってくれた人がいると思えて、
勇気をもらえるんだ」と。


まあ、ノアは口がうまいので、
ちょっと尾ひれが付いているかもしれませんが、
少なくとも、俺にはとても嬉しいことだった。

*****

当時の俺たちは、本当にナイーヴで、
(世間知らずで、騙され易いくらい純粋、という、"naive"という言葉が、俺たちにはピッタリだった)
今思うと、二人とも、
本当に純粋な若者だったんだと思う。



精神年齢が低かったというのもあると思うが、
そういうわけで、
俺とノアは、何だか似ているところがあって、
(ナイーブという点で)
お互いにムカつきあっているところがあった。

*****

とにかく、先週の夜は、ノアと久々に会えて、長い間話せて、
本当に楽しかった。

時間を忘れて、好き放題、色々とバカをやって話をするというのは、
学生時代殆どしていないから、
しかも、ああやって英語で、アメリカの文化のヤツと話をするというのも、
今では中々ないから、
そういう意味でも、久々に学生時代に戻った様だった。


*****

俺たちのInternational student advisorのキャシーは、
俺たちに早くMt. Shastaに戻って、
リユニオンをしようと言ってくれている。

早く、それを叶えられると良い。


2012/6/30 17:24







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June 03, 2012

2012/6/3 7:59am-


ここにも何度か書いているが、
今は、「留学をしている」という感覚が強い。

いずれ俺は、この土地を1年以内に去るのであり、
今は、テンポラリーでこの土地に滞在している、
という感覚。

よって、留学時代の心持ちに近い。





留学時代は、
常に、住む場所も変わるし、
学校も変わる、
また、進路も決まっておらず、
次はどうするのか、
どの学校に行くのか、
どの土地へ移動するのか、
何の仕事を将来選ぶのか、
という選択肢の中から、
常に、先を「選ぶ」という作業が続いていたので、
そういった意味でも、「安定していなかった」
状態である。



今はその点、
進路は、ある程度固まったので、
今の仕事でしっかりとキャリアを積んで行きながら、
自分自身、何が起こっても、
食って行ける人間として、
この世の中に存在していることが、
自分のミッションである。

キャリア、という観念において。

(プライベートでは、
妻と幸せな家庭を築き、
同時に、
子供を近いうちに持ち、
幸せな家庭生活を作って行く、
というのが目標。
それも安定しているので、
そこにもブレはない。)


*****


このように、
「進路、キャリア」
「プライベート」
という二点に置いては、
学生時代の時には、
どちらも確定していなかった為に、
毎日試行錯誤だったのに対して、
今は逆に安定している。


それとは反対に、
今、留学時代と同じことというのは、
初めに書いた様に、

「いずれ、この土地を去る」
ということが、分かっている、ということ。


*****


俺は、アメリカにいる頃は、
「いずれこの土地を必ず去るのだから、
今でしかできないこと。
アメリカでしかできないことを、
重点的にやろう」と、
いつも意識していた。



その結果が、
ただぼーっと過ごしているよりも、
より多くの友達を作り、
より多くの場所へ行き、
より多くのことを経験することへと、
繋がった。



*****


今も、似ている。

この土地には、少ししか滞在しないことから、
「今」しか出来ない事をしよう、という感覚が強い。


ただ、「より多くの土地へ」という意識は、
余りない。

場所は、はっきり言って、
誰か大切な人と行かない限り、
余り面白いものではないから。

(自分の場合は、それが妻である。)



それよりも、
今、一人でこの広い家に住み、
周りには何もなく、
山奥に籠っているような状態において、

「知識を付けよう」
という欲が、非常に高い。


*****


俺は今まで、
金融のこと、
経済のこと、
歴史のこと、
政治のこと、

そういったものに、
余り興味を覚えずに、
人生を生きて来た。


しかし今、
実際にお金を稼ぐ身となり、
また、
仕事を通して、
別の国の方と交渉をしたり、
または、
部署内での仕事をする上で、
上に挙げた知識の足りなさを、
感じている。


必要だから、勉強する。
それが、自分のスタイル。

*****


話が大分トピックとずれているが、
ここで書きたかった事は、


一体、人間というのは、
いつ、「属している」と感じるのか、
ということ。




俺は、今、「会社」という組織に属している。

よって、この「土地」に属しているという感じはないものの、
(この土地にはもちろん属しているが、あくまでも、
いずれこの土地を去るので、「一時的」という、
「仮」の感覚が強い。)

何かの「組織、グループ」に属している、
という安心感があるので、
そこは、精神的に安定している。

(また、その組織の居心地が良く、
その組織内で行う日々の活動が、
自分の生活、及び人生の目的に直結している、
ということが非常に大事。
それがないと、
例え何かの組織に属せようと、
決して、精神的安定感は生まれない。)



しかし、俺は、
上に書いた様に、
この「土地」に属している、
という感じは持たない。

これは、あくまでも一時的なものだから。


*****


しかしながら、
俺が前職において、
横浜に在住していたころ、

「組織」に対しての、
属する事により生まれる「精神的安定感」は、
ほんの一時しか感じられなかったが、
(それは、前職では一生キャリアをそこで積んで行く事ができない、
ということを、
ある時期から、感じたから。)

「土地」に対する「所属感」は、
少なからずあった。





しかし、その、
横浜の土地に対する「所属感」は、
なぜ、起こったのか?


それを、さっき考えていた。


決して、横浜のその土地は、
自然も多く無く、
居心地は、はっきり言って、
良くも無く、悪くもなく、
という感じだった。


その土地に、仕事以外の特定の友達がいたわけでもない。



ただ、今と違うのは、
「俺はいつか、ここを去る」
という感覚が、殆どなかったことだ。



決して、前職を一生続ける気がないことは、
分かっていた。

しかし、その横浜の土地を移って、
どこかへ移動する、
という実感も湧かなかった。


それは、今書きながら気づいたが、
きっと、
次の進路、
つまり、前職の後に、
一体、自分はどの道に進むのか、
が見えていなかったからなんだと思う。


人は、次のステップが決まっていない時に、
一歩を踏み出す程、勇気を必要とすることはないと思う。



しかし、今俺は、
次のステップが決まっている。

だから、安心して、
「この土地には、近いうちにおさらばだ」
という、安心感を、
感じるのだと思う。


*****


大分話がずれてきてしまったが、

そうやって、何かの「土地」や「組織」に属していない、
という「不安」を感じるとき、

それを紛らわす手段として、
人は色々なものに走る。

(本当は、その「不安」に向き合わなければ、
本当に自分の人生の問題は解決されないのだが、
それは非常にしんどい作業であり、
同時に、
毎日の仕事が辛かったりすると、
唯一、それができるプライベートの時間は、
ただの浪費活動に充てたくなってしまう。
しかし、それを続けることは、
本質の問題から目をそらしていることであるので、
一時的な「逃げ」により、
一時の満足感は得られようと、
心の奥底に眠る「不安感」は、
一生、付きまとって来る。)



その「不安」をかき消す手段として、
「テレビ」というものは、
非常に、有効な手段であると思う。


テレビを付けて、
その内容を見ているだけで、
例え自分は、山奥の誰もいないところに
一人で住んでいようとも、

テレビの中で起こることに、
意識を飛ばす事で、
まるで、「何か」に属している感が、
一気に生まれる。

そして有り難い事に、
テレビを見るに当たって、
「頭を使う」という行為は、必要とされない。





しかし同時に、
俺はテレビを見るということが嫌いなので、
テレビを見ない。

(番組の内容が気に入らない、
CMがうるさい、
そして、テレビによって、
自分の時間をコントロールされることが、
一番嫌い、などがある。)


そこで、何をするかというと、
パソコンでネットをするか、
(こうしてブログを書く、ニュースを見る、
Youtubeを見る、など)

映画を見るか、
本を読むか、
たまに、ギターを触るか、

それくらいしか、主にしない。



そして、今までは、
(つまり前職までは、)
キャリアも決まらず、
プライベートもフィックスしておらず、
その両方において、
「不安定」な状態があったわけだが、

今は、
キャリアに置いても、
プライベートに置いても、
完全に、フィックスしたので、

後は、
今得た、その二つを、
「いかに磨くか」
ということに、集中すればいいわけである。


(今までは、
「キャリア」「プライベート」という点において、
「新しい何かを、見つける」
という作業だったのに対して、
今は、
既に見つけた「それ」を、
じっくりと磨く事に、専念ができる。
ただ、自分の場合は、
プライベートにおいては、
自分の彼女という、
大事な人が、5年前から決まっていたので、
その点は、この5年間は一切心配がなかったけれど。)





そして、俺はきっと、
職人肌なので、
何か新しいものを見つける、
という、狩猟民族的な行為よりも、

既に見つけた武器を、
いかに、もっと切れる様に磨いて行くか、
もっと光るように、磨いて行くか、
という、ジックリした作業の方が、
性に合っているし、
好きなんだと思う。

(狩猟民族的なところは、
元々の俺の性格は、そうではないため、
それを出来ると嬉しい、という、
自己実現的な嬉しさを感じるために、
あえて自らを外に出して行く傾向はある。
しかし、心からそれを好きかというと、
それは違い、
本当は、
農耕民族の様に、
一つの畑を、
じっくりと耕して、
育てて行く事の方に、
より「安心感」を感じるのだと思う。)





そして、上に挙げた様に、
自分の心の中に、
本質的な問題が巣食うことにより生まれる
「不安感」を、取り除かずに、
または、
その「不安感」が、確実に存在するのに、
その存在を無視して、
一時的に、自分の趣味に走ることは、
例え、一時的な安心を覚えようとも、
本当の意味での、
心の「安定」は、
決して生み出さない。




しかし今の俺は、
今までと違い、
自分の人生で重要な二点、
「キャリア」
「プライベート」
の両方が、固まった。


(今までは、
それ(この5年間は「キャリア」)を「探す」作業が必要であり、
それが分からないことが、
心に巣食う、一番の「不安定感」だった。

そして、その答えを見つける為に、
試行錯誤して、悩んでいた。
しかし今は、それが解決された。
つまり、自分の心の奥の「不安」「迷い」が、
無くなった。)






だからこそ、今の俺は、
精神的に、本当に、
「安定」しているのだと思う。


つまり、今までは、
"I don' know what I'm doing"状態に対し、
今は、
"I know what I'm doing"状態。



*****




これは、今の仕事に就けた、
ということも大きいし、
しかしそれ以上に、
自分の妻のおかげ、
というところが大きいと思う。

彼女が、
俺をずっと励ましてくれてきたので、
今自分がいる状態に、
自分が辿り着けた、という感が、
非常に大きい。

なので、妻には非常に感謝している。


*****


同時に、
そもそも、
俺を、高校を出た後に留学させてくれた両親にも、
心から感謝をしている。

自分の両親が、
留学を承諾してくれなかったら、

そして、
バカ高い留学費用を
払ってくれなかったら、
俺は、留学なんて、
することができなかった。



それは、
留学を終えて、
今、
周りに留学をした人が殆どいない状態に陥り、
そこで、
「留学ができることは、
非常に特別な事だ」
ということを、
様々な人の言葉により、
しみじみと感じることからも、

改めて、
感じさせられる。

自分の両親に、
いかに、良い思いをさせてもらったのかを。



*****


だから俺は、
しっかりと稼いで、
自分の妻を幸せにし、
将来自分の子供が、
「留学をしたい」と言うのならば、
必ずさせてあげたいと思う。


そのためには、
今の時代、
いつ、自分の会社が潰れたり、
または、
自分の業界が危うくなるかも分からないので、
そのためにも、
自分自身を、
「会社に属する一人の人間」
として見なすのではなく、
「この社会で、どこでも生きて行ける、
一人の仕事人」
として、見なす事が、大事なわけであって。



そのために今俺は、
自分に足りない知識を増やし、
より、「仕事人」として、
自分のレベルを上げられる様に、
自らを、磨いている。



*****


以上、書きながら、
自己完結。

I needed to let all go and clear up my head.

2012/6/3 8:35am





PS.

あとは、ただ単純に、
「より良い人間になりたい」
「より、賢い人間になりたい」
「もっと、自分が自らを誇れる人間になりたい」
という欲が、強いだけ。


俺が自分を磨く理由は、
それが、究極の趣味だし、
それが、一番面白いから。
人生において。


以上。












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May 21, 2012

2012/5/19 (土)

この日、遂に彼女と入籍しました。

朝は、ゆっくり起きて、
朝ご飯兼昼ご飯を食べ、
ここから歩いて20分ほどの所にある、
市役所に、籍を入れに行きました。

籍を入れたのは、丁度2時50分頃。
土曜日なので、市役所の表玄関は閉まっていましたが、
脇にある非常用玄関から入り、書類を提出しました。



まだ式を挙げていないので、
そして、式は来年を予定していることもあり、

また、彼女とは今はまだ一緒に住めないことから、
正直、
「結婚をした」という実感が、
あまり湧かない、というのが本音です。

彼女と一緒に住み出したら、
きっと、ああ、俺たちは結婚したんだな、
と、しみじみと感じることと思います。


でも、籍を入れた一昨日と、昨日一日は、
彼女と本当にゆっくりと過ごせました。

彼女は俺の住むこの場所まで、
はるばる片道8時間くらいかけて、
電車と長距離バスと飛行機を乗り継いで来てくれましたが、
結局、近くの観光は一切せず、
二人で、いろいろと話をしながら、
料理を作ったり、スーパーに買い物に行くくらいで、
後は、ずっと家にいました。


でも、こういう時間が、とても貴重で、
とても幸せでした。

ロングビーチに一緒に住んでいた、
5年前を思い出しました。



*****


今回、結婚をして、
家族も喜んでくれたり、
友達も喜んでくれたりして、
とても嬉しいですが、
何より一番嬉しいのは、
彼女が、本当に幸せそうにしていることです。



彼女と出会ったのは、約5年と半年前。
それから、5年前の、2007年5月16日から、
ずーっと、付き合って来ました。



前の日記にも書きましたが、
彼女が俺と別れた方がいいのかな、
と思ったことも、沢山あったみたいです。


しかし、それでも、
俺が進路的に不安定な時期でも、
俺が非常に未熟で、ひどい事を言って、
彼女を泣かせたりしていた時期も、
彼女は、ずっと一緒にいてくれました。


今俺は、一人で仕事の関係で、
遠いところに一人で来ていて、
ここで仕事をしているから、まだ気は楽ですが、
辛いのは彼女だと思います。

結婚をしたのに、
それでも、一年近くも、
遠くに住んでいて、
しかも、交通の便が悪いので、
3ヶ月に一回くらいしか会えないというのも、
彼女にとっては、本当に辛いと思います。



今回も、色々と話をしましたが、
やっぱり、彼女も凄く寂しいみたいです。

だからこそ、俺も、
今はしっかりと働いて、
来年、関東に戻れる様になったら、
彼女と一緒に住み出した時に、
しっかりと、良い生活が出来る様に、
今を、頑張らなければ、と思います。

*****


俺は、彼女が嬉しそうにしているとき、
彼女が、幸せそうにしているとき、
俺も、すごく嬉しくなります。

彼女が、これからも嬉しそうに、
幸せそうに暮らして行ける様に、
俺が、努力して行きたいと思います。


*****

今の思い。

2012/5/21 21:28








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May 16, 2012



2012/5/16 21:27


昨日で、彼女と付き合い出して、
丁度5年が経ちました。

今日から、6年目です。

今から3日後、
5月19日には、入籍予定です。




5年。

長い年月です。

自分の年齢の、約5分の1を占めます。

18歳で高校を出てからは、
その10年の期間の内、
半分を、彼女と過ごした事になります。


長い年月です。


*****


彼女には、今まで、本当に助けてもらって来ました。

自分の人生の、数多くの、
深い部分を、一緒に過ごした女性です。





明後日の夜、ここに来てくれて、
次の日に、市役所に婚姻届を届けに行きます。




*****



今は、そわそわしています。



うまい言葉が出て来ませんが、
とにかく、

彼女を幸せにしようと思います。



2012/5/16 21:30




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May 08, 2012

IMG_4557



今日あった嬉しいこと。


*****



仕事が終わって、家に帰って来ると、
ケータイがバッグの中で鳴っている。

見ると、なんと着信が7回以上残っている。。。

全部同期の三人からで、3回残っていたボイスメッセージは全て空。

そのまま一人にかけ直すと、
「今どこですか?」
「家です」
「ちょっと緊急の用件なので、今から家の前に行きますから、
家の外に出て来て下さい」と。

何ごとかと思ったので
「何かあったんですか?」と聞く。

「いや、行けば分かるんで、
とにかく行きます」
「え、何か事件ですか?」
「ええ、そんなもんです」

何で内容を言わへんねん、と、
ちょっと不審に思いながら、
何だろう?と想像を廻らす。

まあ、きっと同期の3人からの着信があったということは、
どっかに急遽食べに行こうとか、
そんなもんかな?と思った。


*****


既に脱いでいたズボンをまた履いて、
靴下も履いて、
下に降りると、
ちょうど三人が車で並んで現れ、
3台の車が、家の前に停まる。



一番前に停めたTさんに、
「どうしたんですか?」と聞くと、
「いや」と行って、後ろを指差す。

見ると、後ろにはFさんと、Sさん。

みんなやけに顔が暗いので、
もしかして、誰か事故に合ったのかと思い、
「え、本当にどうしたんですか?」と聞くと、
そこでFさんが、車から何か取り出す。


そして、「おめでとうございます」と。

見ると、手には、
大きな日本酒の一升瓶が二本。

そこには「同期一同」の文字が。


一瞬、混乱しました。

「え?え?
もしかして、僕にですか?」


そこで、みんな笑顔になって、
「ご結婚、おめでとうございます」と。


いやあ、もう嬉し過ぎて、
ワケが分かりませんでした。


まだ入籍は少しだけ先ですが、
先に皆さん、お祝いをしてくれました。

まさか、ちっとも期待していなかったし、
そんなことが起こるとは、
全く予想もしていなかったので、
本当に、ビックリしました。



「いやあ、◯◯さん、
中々風呂から出て来ないから、
また誰かおっちゃんと話し込んでるんちゃうか?
って言うてたんですよ!」

(俺たちは仕事が終わった後、会社の風呂に入るが、
今日は、たまたま俺が入るのが遅くて、
どうやらその3人は、風呂場で今日あって、
こうすることを、決めたそうな。)


で、会社の真ん前に酒屋があって、
そこでその酒を購入して、
俺が出てくるのを待っていたけれど、
全然来ないから、どうしたことかと、
思っていたそうな。

俺は、それに気づかず、
さらーっと、チャリで脇を通って、
帰って来てしまったそうです。


*****


しかし、本当に良い同期を持ったものです。

人生始まって、
「同期」というものを初めて持ち、
その存在にも感謝をしていますが、
まさか、こんなことまでしてくれるとは
思いもしませんでした。

本当に、本当に嬉しかったです。



******


会社も本当に良い所だし、
幸せです。

皆さん、今日は本当にありがとう。

明日からも、頑張ります。
そして、良い家庭を築きたいと思います。



本当に嬉しい瞬間でした。



2012/5/8 23:33





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May 06, 2012

2012/5/6.  7:25-


あとは、さっき書き忘れたけど、
親への感謝の気持ちは、
なるべく、声に出して、
直接、伝えた方が良いと思う。




今、長友選手の、
「日本男児」を途中まで読んでいるが、
彼は、高校に入るまで、
また、高校に在学中の至る段階で、
母親に、「ありがとう。母ちゃんに感謝をしている」という言葉を、メールや手紙で伝えている。




中々、中学の頃から、
きちんと母親、または父親に、
「ありがとう」という言葉を面と向かって伝えることはできないと思う。


彼の場合、母親と父親が別れて、母親だけの家庭で育ったのもあり、
余計、「自立をしなければ」という気持ちも、若い頃から多かったとは思うが、

それでも、彼のその熱すぎるくらいダイレクトな姿勢をみると、
その時は目を背けたくなるけれど、
後で、
ジワジワと自分の心に効いてくる。



、、、、、


昨日の一日は、
俺の人生の大事な節目の一つだったこともあるが、
やはり、これからは、
親と直接過ごす時間は、
確実に減って行くと思う。



だからこそ、
後で後悔しないように、
感謝の気持ちは、
なるべく、直接伝えなければいけない。


2012/5/6.    7:32am







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2012/5/6.  7:01am-

今、成田から自宅に戻るところ。



昨日は、本当によかった。

彼女はすごく幸せそうだったし、
それ以上に、
彼女のご両親も、
うちの両親も、
みんな、幸せそうだった。



親父も、「うまく行ってよかったな」と。


昨日思った。
結婚とは、
当の本人たちが幸せになるってのもあるけれど、
それ以上に、
親も、幸せになるもんなんだな、と。

親からしたら、
安心するんだと思う。

特に、
俺みたく、男側が結婚する場合よりも、
女性側が、自分の大事な娘が、結婚する場合は、
安心、という気持ちと同時に、
複雑な気持ちも多いと思う。






昨日は、
後日入籍をする時のために、
食事の場で、
両方の父親に、
保証人としてサインを書いて頂いたが、
その際にも、彼女のお父さん、
そしてお母さんは、
やはり、寂しそうだった。



自分の大事に育てて来た娘が、
誰か別の男の元に行ってしまうわけだから。



それを考えると、
そして、昨日の彼女のご両親の寂しそうな顔を思い浮かべると、
本当に、彼女を幸せにしてあげなければいけないな、と思う。



しっかり働いて、俺が稼ぐのは元より、
幸せな家庭が築けるように、

彼女が、「幸せ」と感じる日常を過ごせるように、
俺が、努力しなけりゃならない。




、、、、、




 男は、
結婚して、
子供を持つと、大人になると言うが、
そして、俺もまだ随分と子ども子どもしているところが多いが、

これから、自分自身も、
変わっていく気がする。



、、、、、


Such a new feeling I've never had in my life.


2012/5/6.   7:12







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May 05, 2012

2012/5/5 19:17-

今日は、彼女のご両親と、
うちの両親を交えての、計6人にて、
食事会を行いました。

正式な婚約の食事会です。


12時半から、
成田の参道にある和食のお店で、
会食を行いました。


12時半前に俺たち一家は店に着き、
彼女の家族を迎えました。

そこで、正式な挨拶、
及び、婚約指輪の贈呈を行いました。

緊張しました。
緊張しすぎて声は低くなりまくるし、
(俺は緊張すると声が極端に低くなる傾向がある)
汗をかきまくりでした。

どんな会社の面接よりも緊張したぜ。

*****

その後は、
和の食事を、
4時近くまで、堪能しました。



うちの両親と、彼女のご両親が顔を合わせるのは、
ちょうど5年前の5月、
俺たちの卒業式の時以来です。

そのときは、お互い付き合いだしてまだ間もなく、
お互いの両親にも、きちんと「お付き合いしています」
の様な報告はしていなかったので、
今回が実質、正式な初の顔合わせとなります。


*****


最初は俺が緊張していたせいか、
周りの皆さんも緊張されていたようですが、
次第にお酒が入ると、
彼女のお父さんも、うちの父親も、
お互いに饒舌になり、
二人で、歴史の話題で盛り上がっていました。

彼女も率先して話題を出して、
その場を盛り上げてくれたおかげで、
皆さん楽しく過ごされたようです。
本当に良かった。

*****


最後は、彼女のご家族は、
成田山を参拝して行かれるということで、
店の前で別れました。


*****


今日の様に、
自分の両親が正装をして、
自分も正装をして、
どこかに挑む、というのは、
考えてみたら、
小学校の卒業式以来くらい、
の様な気がします。





やはり、
気が引き締まるものです。

この様にすると。


*****

今日は、5月5日、こどもの日。

天気も素晴らしく良く晴れて、
気温は28度ほど。

湿度もそこまで高くなく、
風もそよかぜくらいが吹いて、
とても良い天候でした。



その様な日に、
こうして、正式にお互いの家族に挨拶ができて、
嬉しく思います。



*****


これからは、自分の人生は一人じゃありません。

家族ができます。


責任も、自分のお嫁さん、
そして、将来生まれる子供たちと、
自分以外の人間を守って行く責任が生まれますが、
その分、もっと頑張ろうと思えます。




先日会社の先輩と話をしていた際に、
その方は、
「子供が生まれるっていうのは、
『親』と『子』って感じよりも、
なんか、自分の分身というか、
『仲間』が増えるようなもんや」
と言っていました。




結婚は、「冒険である」と言います。

奥さんができて、
子供ができることは、
自分にとって、
自分の人生という『冒険』を、
一緒に、探検していく仲間ができるようなもの。




俺と彼女は、
出会った頃から、
『探検隊』といって、
よくアメリカの色んなところを回っていましたが、

そんな感じで、
これからも、
良い『探検隊』を築いて行きたいと思います。


*****



以上、
日中の緊張がほどけて、
ちょっとフラフラしている、
夜のひと時より。



2012/5/5 19:30





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