村上春樹

April 21, 2013

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村上さんの新作、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

さっき、ほんの10分前程に読み終わって、
まだ頭の中が整理できていないけれど、
この感覚というのは、「今」を逃すと、確実になくなってしまうので、
とりあえず、今感じたことを簡単に記しておこう。

*****

ちなみに、こういう感覚、
つまり、子供の頃に何か壮大な映画を観て、
映画館を出た後も、まだその世界観に浸っていて、
頭がぼーっとしているような、

まるで、どこかに旅をしてきたかのような、

そんな感覚は、
やはり、村上さんのように、
彼の作る物語の世界観が確立していて、
自分がその世界の中に確実に入り込んで、
頭は完全にそっちにトリップしているからこそ、
その話が、終わってしまう
=「そこまで完全に入り込んでいたその”世界”が、
その小説の終わりとともに、ぶちっと切られてしまうので、
気づくと、今自分が普段暮らしている現実の世界に戻って来て、
そのビックリさに、しばらくぼーっとしている」
という状態に陥る。

*****

さて、今回の物語は、
かつて、自分が心を完全に一つにしたと感じたグループから、
あるとき、ばたっと切られてしまい、
そこで、死ぬ程の苦しみを覚え、
自らの命を落とすことまで考え、
悩み、苦しんだ20歳前後の日々から、
今の36歳に至り、
そこで、ある女性との出会いをきっかけに、
自分がなぜそのグループから切られたのか、
その意味を追求することで、
自分がかつて感じた、その深い傷に
蓋をしていたものを、次第に剥がし取って行き、
自分が、一度は死ぬまでに傷ついたその心を、
無感動な境地にまで持って行ってしまい、
その状態に慣れきってしまった「今」から、
かつての友人たちに会い、その過去に起きたことの事実を知ることにより、
次第と、自分の心に閉ざしていた蓋を開け、
自分の心を、「無感動」から、「感じる」までに持って行く、

という、一人の男の、心の移り変わりを記す物語だった。





この小説を読み始めて、
最初に感じたのは、
彼が、20歳のときに感じた、
その、グループによって阻害されたことにより、
感じたそのときの絶望感は、
俺(自分)自身も、かつて、
確実に感じた、ということ。




俺はここにも書いたことがあるが、
中学生の頃に、やはり同じ様な経験をして、
その時に感じた心情は、
この物語の中にあったように、
「それまで見えていた景色が見えなくなり、
それまで聞こえていた音が聞こえなくなり、
目の前にあった物事が、歪んで見え出す」
というものだった。

そして、同じ様に、
俺も、彼と同じ様に、
心を麻痺させ、無感動にさせた。

なぜなら、そうすることでしか、
その時に感じていた「悲しさ」を回避する術は無く、
その「悲しさ」「心の痛み」をもろに感じていては、
日々、行きて行くこと、
学校に行くことが、
出来なかったからだ。

そうして、次第に、自分の心は、
「無感動」となり、
顔から表情は奪われ、
それまで持っていた、自分の中の柔らかさは、
確実に、なくなって行く。


*****

俺の場合は、幸いにも、
芯が強かったのか、
高校では立ち直り、
その後、留学をして、
何とかやって行ったが、
しかし、俺が、その経験によって
「傷ついた」
「自分の心に傷を受け、その傷に、蓋をしていた」
「蓋の下では、まだ、血は、その傷から流れていた」
「そして、その傷の血を止めるには、
その蓋を一度剥がし、その傷に真正面から向かい合わなければいけない」

という真実に気づいたのは、
22歳の夏であり、
実に、俺が実際のその経験をした13歳の終わりから14歳の頭にかけての時期から、
9年以上経ってからのことだった。


なので、この物語の主人公が、
20歳のときにそれを経験し、
その後、36歳の今まで、そのまま生きて来た、
または、自分ではその経験から回復したと思っていても、
実際には、実は、その傷をまだ心の中心に負っていた、
と気づくのが、そこまでかかったということは、
不思議ではなかった。

*****

そして彼は、高校時代のそのグループの一人一人に会って行くことで、
確実に、自分が感じていたことと、
彼らに対して自分が思っていたこと、
及び、実際の16年という時の流れに中に起こったこと、
そして、彼らが実際に「何を」感じているか、考えているかを
知ることで、
その全ての間に起こったことのギャップを知り、
次第に、自分と、それらの距離を埋めて行く。



そして、物語の最後には、
それまで、言わば「無感動」で生きて来たからこそ、
彼の人生では、誰にも本気で「愛する」「恋をする」
という経験がなかったにも関わらず、
今では、一人の女性に対して、
夜中の4時に、電話をかけてしまうほど、
自分の「気持ち」というものの存在に気づき、
その「気持ち」をダイレクトに感じ、
それをもろに出して行くことを、
覚えて行く。


それは、一人の男の成長の過程であり、
かつて、そこにあった「こころ」を、
一度は、一つの経験により、
その「こころ」に蓋をしてしまった男が、
再度、その蓋を勇気を出して開け、
また、その「こころ」を感じていく、
ということを覚える、という成長のものがたりである。


*****


ちなみに、村上さんの小説では、
毎回、心の「闇」について描かれるが、
今回もやはり、主人公である多崎つくるが、
自分の中に持っているであろう、
そして、自分でも気づいていないかもしれない、
その「闇」について、語られるシーンが多々ある。


それは、村上さんも、
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
の中のインタビューで話をしているが、
彼の小説が、世界的にここまで読まれる理由の一つとして、
人間、誰しもがもつ、
その、心の中の「闇」を、
彼は、うまく言葉に置き換え、
「ものがたり」という手法で、その存在を描き出すことに成功している。

そして、その「存在」は、
実際には確実にあろうとも、
目には見えないし、完全に、「感覚」の世界であることから、
もしかしたら、「無い」かもしれない。
でもやっぱり、世界中の誰もが、それに共感するというのは、
やはり、それは人々の心の中に存在し、
それを、彼は、ものがたりを通して、
うまく、その存在の「輪郭」を縁取ることで、
中身の存在を、丁寧に、描き出して行く。


*****


なぜ、その「闇」の部分を読んで、「恐い」と感じるか?

それは、人間の(おそらく)一番の恐さ、恐怖というのは、
自分がコントロールを利かせられない範囲で、
または、
自分が全く意識のない状態で、
自分が、何らかの行動を取り、
それを、自分が、知らないこと、
という状態であるだろうから。


そして、多崎つくるは、夢の中で、
何度も、そのグループにいた二人の女の子の夢を見て、
そこで、ある種の経験をしているからこそ、
実際に、彼が、現実に起きた「それ」を、
自分が「していない」と言いきることは、
できない。

なぜなら、彼には、例えそれが夢の中であろうとも、
「夢」は、もしかしたら、自分がその「闇」の世界で実際に行動している
ことを、見ているだけかもしれないし、
その心の闇の世界は、人々の心の中に存在していて、
そこで行われた行為は、
同じ様に、夢の中に出て来ている人の心の中でも、
同時期に、共有されているかもしれないから。

*****

おー、書いていてなんか恐くなって来ましたね。

夜に、こういうことを書くもんじゃないぜ。




ちなみに、小説の最後では、
新宿駅の様子も細かく描写され、
また、人々が通勤電車で味わうその苦痛や、
また、毎日、2時間から3時間を、その「人生の最高に幸福とは呼べない時間」に、
確実に費やして行くことに関する疑問や、
また、その中での時間の過ごし方(「スペイン語を勉強することもできるだろう」などの表記もある)
に関しても書かれていて、
全てが、実際の俺自身も感じていることなので、
(恐らくは、首都圏に勤務をする人間の全員が感じているだろう)
そんな意味でも、共感するところがたくさんあった。


また、水泳をしているときは、
「自動操縦」の状態になり、
ある一定の状態に入れば、
あとは、思考がどんどんと頭の中でくり返され、
考え事に集中出来る、ということ、

また、泳いでいる間は、
心の中の悩みなども、全て忘れられる、というところも、
まさに俺自身も感じることなので、
そんな意味でも、色々と共感出来て嬉しかった。

(村上さんの小説では、
彼自身の考察や体験、生活習慣が、
主人公に反映されるが、
俺自身も、村上さんの生活スタイルに共感する部分が多いので、
必然的に、彼の描く主人公に、共感する面も多くなってくるんだと思う。)


*****

ちなみに、この小説を読み出して、
最初に感じたことは、
この感想文の上にも書いた様に、
主人公が、そのグループから阻害されたことにより感じた、
その心の状態の描写の、生々しさの、
的確さだった。

それは、自分は荒れ果てた世界に置き去りにされ、
どこからか飛んで来た鳥に、自分の体を啄ばまれ、
そして、それはまた、別の何かで埋められるが、
自分は、その自分の新しい体さえ、知らない、
という描写。


俺も、今思ってみれば、
当時感じたそのときの心情(それは、それを感じることは余りにも辛すぎる為、それを感じない様に心に蓋をしたのではあるが、しかしながら、その時に感じた心情)を、今振り返ってみると、確かにそれは、そういったものだった、
ということに、その箇所を読みながら、ある意味でとても感動した。

そして、村上さんも、同じ様な経験をしたことが、
前にあったのか、

それとも、彼がいつもしているように、
そのものがたりの主人公たちを描く時には、
その人物に完全になりきっているので、
例え自分が生身に経験していなくとも、
その人物の心情が、ありありと描ける、ということから、
そうやって描き出したものなのか、


いずれにしても、
そういった心情を描けることは、
そして、60歳を超えた今でも、
20歳の青年、
そして、36歳の大人の男、
また、その他、様々な登場人物の心情を、
男女関係なく、ここまで見事に、細かく描き分けられることに、
読みながら、驚嘆しないわけには行かなかった。


******

以上。

2013/4/21 0:52am








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December 24, 2012

200307-06


2年ぶりに読みました。

初めて読んだのは、
恐らく、高校3年の秋から冬にかけた季節だった気がします。

学校の模擬センター試験か何かの国語の問題で、
この小説の一部が使われていて、
その文章を読んで、
「この本は読んでみたいな」
と思って、図書館で借りたように思います。

当時の自分は、小説を読む事を「負け」と思っていたので、
いや、というよりは、
小説を読む事を、「恥ずかしい」と思っていたので、
この本も、当時通っていた船橋にある英語塾に通う電車の中で、
人に見つからない様に隠れながら、
こっそりと読んでいたような記憶があります。

そして、多分その時は、
障りだけ読んで、完読はしなかったと思います。

当時は、この本が、
「村上春樹」によるものだとも知らず、
また、「村上春樹」が誰かも知りませんでした。


*****


月日は流れ。

高校3年の18歳から5年経ち、
23歳の終わりころ、
彼女に村上さんを教えてもらいました。

そして、彼の作品にはまり、
色々な作品を読み、
そして、この作品を、
2年前の、2010年の12月、
会社への行き帰りの電車の中で、
数日かけて読み終えたことを覚えています。


その時は、読み終わって、
心にすごく残ったものの、
この小説が、何を言わんとしているか、
どうも、うまく、言葉に表せませんでした。


そして、この本の感想と、
この本のテーマについて、
彼女と、横浜のランドマークタワーの一階の、
椅子が置いてある広場で語ったことを覚えています。

二年前の、クリスマスの頃です。


*****


そして、今。
昨日、ふと読みたくなって、
読み出したところ、
昨日で殆ど全てを読んでしまいました。
多分3時間くらいかけて。

残りの1時間分くらいは、
さっき読みました。


*****


この小説は、
一冊ですっきりとまとまって、
村上さんの小説の中では、
割とあっさりとした印象が残ります。


しかし、同時に、
「不思議さ」や「奇妙さ」
「ちょっとした恐さ」は
確実に存在しており、
読んでいる最中、
そして、読み終えた後、
不思議な気持ちになります。


*****


「島本さん」が、
本当に生きていたのか。

主人公のハジメが、
37歳になった今、
自分の経営するバーで会った、
その女性、島本さんは、
本当に存在していたのか。


それとも、彼女は、
12歳の頃を最後に、
ハジメが彼女と会わなくなった25年間の間に、
どこかで亡くなってしまって、
今、37歳のハジメの前に現れた島本さんは、
幻だったのか。



それとも、彼女は本当に存在していて、
しかし、あの夜、
箱根の別荘で、一緒に時を過ごした後、
その場から、姿を消してしまったのか。



答えは、分かりません。

恐らく、村上さん自身も、
明確な答えは持っていないのではないかと思います。


*****


しかし、さっき読んでいて、
ふと思ったのは、

自らの心を他人に開こうとしない、
そして、心の中の「何か」を、
なくしてしまった男の周りに存在する、
または、存在した3人の女性は、
二つの完全なる対局と、
その間に位置する存在である、と。



島本さん=彼の理想。彼が、心の中で妄想した、完全なる理想像。
彼女との恋愛は、自分のコントロールを無くし、
完全に自分の本能へと導く。
「死」の中の「生」。


イズミ=かつては普通の明るい女の子だったが、
彼により、深く傷つけられ、
それを境にしてか、自らの生気を無くす。
「生」の中の「死」。


有紀子=島本さんとイズミの間に位置する存在。
「普通」である。
文句の無い生活。「適当」、adequateな存在。
彼は確かに、彼女との生活は「幸せ」なのだろうが、
そこに、魂の震え、
心の燃え上がりを感じない。
「生」の中の、「普通」。



*****


ハジメは、
一人の女性を、18歳の頃に深く傷つけ、
30歳の時に結婚した女性と、
「幸せ」に見えるかもしれないが、何か足りないと思う日々を過ごし、
そして、
37歳で、
自分が理想としていた、
自らの心の中の理想像と出会う。

そこで、彼は彼女との時間を選ぶが、
それはそこでぶつんと切れ、
彼は無の世界に落とされ、
段々と、色が戻ってくるとき、
「現実」の世界に戻って来る。

そこで、初めて、
「リアル」と向き合うことに、気づく。


*****


確か、先日読んだ村上さんの
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」
か何かで、
「僕は、『国境の南、太陽の西』と、
『ノルウェイの森』では、
全く同じ事を書きました」
と言っていた気がする。



『ノルウェイの森』では、
キズキが死に、
直子が死に、
主人公のワタナベ君は、
一度無の世界に落ちた後、
そこで初めて、
「生」の中に「生」として生きる、
緑の存在に気づく。

その、緑という女性の、
存在の有り難さに気づく。


*****



こうして書いてみると、

ー分自身、何を感じて、何を書きたいのかが分かっていないこと、

△修海乏亮造紡減澆垢襦∨椶鯑匹濬わった後のこの感情を、
自分でも分からずとも、とにかく文字に残して、
それが何かを客観的に知ろうとしているが、
それを書き起こす事は、非常に難しいこと、
つまり、村上さんがこの小説で書いていることは、
そういった、実態の見えない、
目に見えないけれど、確かに感じる、
心の中の、「この」不思議な領域であること、
そして、それをこうして作品として書き起こし、
まとめあげることは、
非常に難しいということ、

に気づく。


*****



この小説の中で、こんな台詞がある。


「形のあるモノは、
やがて、消えてしまうんだ。

しかし、『思い』というものは、
確実に、人の心の中に残るんだ。

思いは、目には見えない。
しかし、それは、
確実に、人の心の中に、
永遠に残る。

キミは、そういうものを、
作り出している。」



*****


この小説はまさに、
「目に見えない、
しかし、そこに存在する、
『思い』」を、
まるで、その存在を直接描くのではなく、
その存在の周りにある空気をなぞることで、
その「存在」の存在を、
浮かび上がらせている。

そんな、作品であると思います。


It is so hard to explain it.


2012/12/24 23:45





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December 07, 2012

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村上さんの「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終わりました。

たしか、2週間くらい前からちびちびと読み出して、
今日に至った気がします。


この2週間くらいは、
そんなわけで、とても楽しませてもらいました。

毎日、すこーしずつ読んで行きました。

*****


正直、この小説は、
2010年の冬に、他の本とまとめて買って、
それから、今までずっと読まずに来ました。

何回か、この本を読もうと試みたのですが、
毎回、最初の数ページを読んだところで、
どうもその世界観に入り込めず、
途中で断念していました。



先月の半ばに実家の方に帰った際にも、
この上下刊を持って移動をしていたのに、
結局全く読まずに終わりました。


****

ということで、
ちょっと、最初の部分をブレイクスルーすれば、
きっと面白くなるさ、と、
少し読み出したところ、
一気にはまってしまいました。


1988年に講談社より発刊。


*****


このお話は、前作の「羊をめぐる冒険」から続いていますが、
中々、素晴らしい世界観を持っています。


今回の方が、一作目の「風の歌を聴け」、
及び二作目の「羊をめぐる冒険」よりも、
読み易くなっている気がします。


*****


まだ読み終わったばかりで頭の中がまとまっていないので、
余り長くは書きませんが、
1つ言えるのは、
物語の出だしから、最後の部分まで、
ずーっと単調な感じで流れてくるのに、
最後の最後で、一気に加速して、
話が展開して行く、という感じ。


そして、最後のシーンでは、
やはり、体の中をアドレナリンが走りました。

好奇心と、恐怖と、ぞわぞわとした感覚が、
一気に来る感じ。



*****


この小説は、やはり「暗闇」や「向こうの世界」をテーマにしていること、
また、登場人物の多くが死んでいくことから、
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「ノルウェイの森」
などと相通じるところがたくさんある気がします。



村上さんはやはり、
自分の書く物語を通して、
「向こうの世界」
「人間が奥底で繋がる、闇の世界」
を、描こうとしているのかもしれません。


*****


そして、その「世界」を、
リアルに描き出すからこそ、
好奇心とともに、恐怖感が、
読む者を襲うのです。


*****


ちなみに、最後は一気に話が加速して、
怖くなって行ったので、
今は、恐怖感と、「いやあ、すごかったな」感しか残っていませんが、
最後に辿り着くまでの、
主人公の僕と、周りの登場順物とのシュールなやり取りは、
とても面白く、読んでいて心地の良いものでした。


一人、登場人物で、
五反田君という、
僕の中学時代の同級生が出て来ます。



彼は学生時代から何をしてもカッコ良く、
周りの女子は、みんな彼に惚れているのですが、
そんな彼のことを、毎回主人公の僕が、
ちょっと皮肉に、表現する部分が多々出て来ます。


そして、そのシュールさは、
村上さんが自分のエッセイ(「村上朝日堂」など)で、
よく出す、あの独特の笑いの感じと似たところがあるので、
読んでいてとても面白かったです。



1つ爆笑したのが、
ある日、五反田君が、
主人公の家を訪ねに来た時か何かに、
彼はごく普通のVネックのセーターと、普通のチノパンと、
普通のテニスシューズか何かを履いているのですが、
そんな適当な格好でも、
やはり彼は誰よりも目立っていて、
「エルトンジョンが、オレンジのシャツと紫のジャケットを着て、
ハイジャンプをしているくらい目立っていた」
という感で言い表している部分があります。

ここは本当に笑いました。

*****

ということで、
夜中に無音の中で、クライマックスを読んだこともあり、
未だにちょっと怖さが残ってはいますが、
全体的には、とても良い意味で、方の力が抜けた感じの小説で、
とてもいい雰囲気を抱えています。



2012/12/7 23:31




追記:
そういえば、これで村上さんの長編小説は
全て読んでしまいました。
ちょっと残念。


これからは、また今までの長編小説を読み返したり、
または、まだ読んでいない短編小説やエッセイなどを
読んで行こうと思います。





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October 14, 2012

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また読みました。
今回で恐らく3回目です。

一回目は、2007年の秋。
二回目は、2010年の秋。
で、今回。

*****

一回目に読んだときは、
ものすごい衝撃を受けて、
かなり、劇的な経験をしましたが、

二回目に読んだときには、
余り感動はしませんでした。

多分、電車の中で、
音楽を聴きながら、
毎日仕事に追われながらの中で、
読んでいたからだと思う。


で、今回は、
2週間くらい前の週末から、
毎日、うちにいるときの隙間時間だけを使って、
読んでみた。


上巻の方は、中々するすると読めるけれども、
下巻の前半から終わりに入るまでは、
なかなか(主人公のワタナベにとっては)精神的にも辛い状況が続くので、
読んでいるこっちも滅入ってしまって、
何かとページを捲るのが億劫になってしまった。

途中で、村上さんの他の小説に移りたい欲にかられた。

(しかし、そうしてしまうと、
今度はそっちの小説の世界に入ってしまって、
こっちの方をそのまま途中で放り投げたまま帰って来なくなってしまうので、
そこは何とかこらえた。
今までに何度かそういう経験あり。

村上さんの小説というのは、
ある特定のシーンや、その情景を無性に読みたくなるときがあって、
そんなときは、その小説に飛びつきたくなる。

そんなとき、その小説のそのパートだけを読むというよりは、
彼のその作品を頭からまた読み出したくなる。

なぜかというと、
彼の作品は、その作品ひとつで、
一つの「流れ」があるから。

だから、ある特定のパートだけを拾い読みしても、
全体の流れに浸かってないので、
彼の小説の持つ、本当の良さに浸れていない気がする。)


*****


さて、今回は、
やはり、最後のシーン、
ワタナベ君が、緑に公衆電話から電話をかけ、

「僕は今どこにいるのだ?」

というシーンでは、
なかなか心を動かされました。



ついつい、先を読みたくて目が先に飛んで行っちゃうけれど、
それを堪えるために、
文章の1行先以外は隠して読む。


それが必要となる、
吸引力のある文章です。


*****


最後に。


この小説は、
「死」を題材にしているところから、
やはり、泥沼というか、
一度入り込むと、ドップリとその世界に引きずり込まれてしまう
力を持っています。



なので、一度読み通すのに、
すごく力がいるし、
(実際、文章自体はすらすらと流れを持って読めるから、
「読み易い」のだが、
同時に、その作品全体が持つ雰囲気が、
自分を完全に、その泥沼へと引きずりこんでいくので、
気づくと、どっぷり浸かって、
精神的に「内に籠っている」自分に気づき出す。)


よって、読み終わった後の感想は、
何か、すごく辛い体験を乗り越えたあとの、
清々しさが残るのだけれど、
当分の間は、もうこの物語は読まなくていいや、

という気になる。




しかし、こうして、
2年に一度くらい、
彼の小説から大分離れたころに、
また読みたくなってしまうんだな、これが。



*****


村上さんの小説は、
主人公は基本は一人が好きなタイプで、
その主人公の内省的なシーンと傾向が多いことから、
その小説を読む読者自身も、
彼らの経験を自分の中に取り込んで、
同時に体験をして行きます。

その傾向が、強くあります。


よって、彼の小説を読んでいる時は、
やはり、自分自身もとても内省的になっているし、
言ってみれば、
「精神的引きこもり」になりがちです。


なので、今朝、
外をジョギングして、
久々に太陽の光を浴びながら、
体を動かして、気持ちよくなった時点で、
初めて、
「あ、俺、
ここ数週間は、
けっこう、この小説の影響を受けていたな」
と気づいた。



*****


村上さんは、数々のインタビューで、

「読者は、自分の作品を通して、
同じ様に物語の登場人物と同じ体験をして、
その中で、自分もその物語の中をくぐり抜けて行く。

そして、その過程を通して、
読者も同じ様に癒され、
また、人間誰もが抱える、
心の奥底の暗闇、
そこの部分で、繋がる」

というようなことを言っていますが、
まさに、この小説は、
それを引き起こす力が強いと思います。



*****


3回目とはいえ、
そして、最初に読んでから5年が経ったとはいえ、
やはり、
一回目とは別の”感動”を引き起こしてくれました。

それは、ただ単に、
心がピュアに”感動”するんじゃなくて、
色々な意味で、心が揺さぶり動かされる、
という意味で。



2012/10/14 15:16








追記:

ちなみに、前回読んだ後は、
すぐに公開された映画版の「ノルウェイの森」を観ましたが、
個人的感想は、「やっぱり映像かは難しいよね」というのと、
あとは、
「直子の役は菊地凛子じゃダメでしょう」
というものだった。

まあ、俺が個人的に、
菊地凛子さんを嫌いなのもありますので、
ファンの皆さんには申し訳ありませんが、
しかし、俺が個人的に描いていた直子のイメージとは、
全然違った。

(ちなみに、レイコ先生も全然違ったし。


ただ、ワタナベ君や、緑、
そして、キズキや永沢さん、そしてハツミさんのイメージや、
それらのシーンは、
小説に忠実に、とても良く描かれていた。
よって、だからこそ、
直子のイメージと役者のそれが大分離れていたことには
ショックを隠せなかった。)



しかし、今回また自分でこの作品を読んで、
映画を観たことで、
この作品に対して持ったイヤな感情が、
また新しく綺麗に上塗りされたので、
そこは良かった。


また、今日ジョギングをしながら考えたけど、
多分、俺が個人的に、この小説を読んで思い浮かべたイメージや情景があるように、
読者が100万人いたら、
100万通りのイメージや捉え方があるんだろうな、と。


だからきっと、
あの映画の監督をやったトラン・アン・ユンさんも、
彼なりに、彼の持った純粋なイメージに基づき、
作ったんだろうな、と。


だから、そうやって冷酷に、
「あの作品はまったくダメだ」と評価を下すのも、
かわいそうかな、と。

上に書いた様に、
直子とレイコ先生を抜かしては、
完璧に近く描かれていたから。



*****


でもやっぱり、
まったくもって、菊地凛子じゃないんだよね。

菊池さんには失礼ですが。







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村上さんの短編小説です。
もともと、どこかの会社の広告用に、
「ちょっと適当に意味のない文章を書いてよ」
と糸井重里氏に頼まれて書いたのが始まりだそうです。


本当に意味のない文章ばかりで、
そのくだらなさに笑えました。

俺のお気に入りだったのは、
海亀が家まで襲ってくるのを撃退するのに、
村上さんが嫌っているフリオ・イグレシアスのレコードをかけたら、
海亀はうめきながら去って行った、
というくだり。


それと、その話の続編で、
既にフリオ・イグレシアスのレコードも擦り切れ、
海亀を撃退する方法も見つからず、
「もう食べられるしかない」と自分の奥さんと一緒に覚悟を決めていたら、
実は海亀の手にはトランプが握られていて、
一緒に今ではゲームをしている、という話。



そのどうでも良さがいいですね。
ゆるいです。


*****


何だか先日は、村上さんがノーベル賞を取るかどうかで
巷では騒がれていたみたいですが、
きっと本人が、一番そういうことに興味がないんじゃないかな、
と思いました。


最近読んだ彼の本、
『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 』
でも言っていました。

読者からの、「賞を取ろうと思うことで、やる気は出ますか?」
みたいな感じの問いに対して、
「僕は別に、賞を取るために文章を書いているのではありません。
書きたいことがあるから、書いているのです」
みたいなやり取りがありました。


*****


ここ最近は、
「ノルウェイの森」をまた読み返しています。

なんだか、秋の夜にもなると、
何となく彼の小説が読みたくなるんですね。



2012/10/14 0:58




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September 29, 2012

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今読んでいます。
私の妻が、「人生のバイブル」と称する本。
彼女は、この本がなかったら、今は生きていないそうです。


彼女と付き合い出した5年前、
村上さんの別のバージョンの、

「「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 」

を持っていました。

これ
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それを彼女に借りて、ロングビーチのアパートでちょっとだけ読んでいましたが、
その頃から、彼女に村上さんの話を聞いて育ったこの5年間。
今では自分も、すっかり彼のとりこです。


朝日新聞社より (2000/08)に発行。


*****


さて、この本を読んでいる中で、
とても感銘するところがありました。

実際は、この言葉は彼女を通して5年程前から聞いており、
それから、自分の人生の教訓となっていますが、


「ウンコ投げ競争の優勝者は、
手がいちばん汚れていない人間だ」by スティーヴン・キング

というもの。

「どれだけ他人にウンコを投げて命中させるかが大事なのではなく、
そんな無意味なことで手を汚さないのが人間の品格なんだ、
それよりは自分がやるべきことをちゃんとやろうよということです。」
(p. 56)


まだまだ未熟な自分ではありますが、
たまにしゃくに障ることがあると、
ついつい、そのウンコ投げに参加してしまいそうになります。

しかしそのときには、この言葉を思い出し、
また、彼女に色々とアドバイスをもらいながら生きております。


*****


また、もう一つ今日読んでて、
ぷっと笑ったのが、
村上さんの友人で、
誰か面倒くさい人や気の合わない人と接しなければいけない中で、
「ああ、やだなあ」
と思う事があるときには、
「鮭になる」というくだり。


一時的に人間をやめて、
さっと鮭になるんだそうです。

そこを読んだとき、
笑うと同時に、
「ああ、なるほど」とすっと腑に落ちました。



*****



まだ若い頃は、人の言葉に簡単に踊らされて、
「うおお、ふざけんなよ!?」とまんまとその人物の思うツボだった自分も、
最近では、
そういう発言をする方々の言葉を聞きつつも、
その人たちの真意を読みながら、
「はい、はい」と、
ただ聞くことが出来る様になって来ました。


というか、いつまでも、
他人との競争とか、
他人が作り上げた価値観に合わせて自分の行動を変えるのも疲れるし、
そんなことをしなくても、自分の核が固まって来た、
という感じです。

若い頃は、自分をなにかと証明しようと思っているから、
すぐに見栄をはったり、
自分の行動や発言を、相手によって変えたりと、
自分の中心がコロコロと変わるんだけれど、
自分ももう、そういう歳でもないし。

それ以上に、自分のセンターであり、
ホームである、
妻という素晴らしい人が、自分の伴侶(僧侶ではなく)であることが、
自分がStableである一番の理由だと思います。


昨日、妻と電話で話していて、
導き出した結論。

"You calibrate me."


そう、彼女は俺の、分銅なわけです。
昨日、会社で研修を受けながら、
毎朝試験室にある全ての秤の校正(Calibration)をしながら、
一生懸命仕事に打ち込む先輩の姿を見て感銘を受け、

その後、うちに帰って来て、
妻と話をする中で、
その日に色々起こった中で、自分の気持ちが乱れつつも、
妻のアドバイスを聞くうちに、
自分がまた、中心に戻って行くのを感じて、
ひらめいた言葉。


*****


ということで、
相変らず、本の感想ではなく、
自分の体験談となりましたが、
私は今日も、妻と村上さんに大きな影響を受けながら、
生きています。



2012/9/29 19:36





追記:

20代前半とか、
若い頃は、
何か頭に来ることがあると、
「うおお?ナメんなよ!?」
といちいち熱くなっていましたが、
村上さんのこの本を読むと、
読者からの「イヤなことがあったらどうしますか?」
との問いに対しても、
「そんなとき僕は、自分がいかに小さな人間であるかをまず熟考します。
するとその内に、自分がその相手に対していちいち腹を立てる権利もないのではないかと、
落ち着いて来ます」
のように、
Stay cool. をモットーにしているのが見えます。


もともとの自分の性分は、村上さんのそれとは大分違うと思いますが、
最近は年齢を重ねたり、
結婚をしたりというのもあり、
段々と、村上さんのような「ステイクール」的な生き方に、
自分が惹かれ、かつ、アジャストしてきたことを感じる日々。



そして、自分の文章には英単語が多いので、
ルー大柴に聞こえる。
















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September 15, 2012

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村上さんの村上ラヂオ第二弾です。
2011年7月に出ました。

(この本は妻が東京駅で実家に帰る前に買っていた。
 俺は先日、図書館で借りて来ました。)


*****


村上さんのエッセイは、
読んでいると、とても幸せな気持ちにさせてくれます。

人生の中に確かに存在する、
目に見えないけれど、
確かにそこにあるもの、

大きな騒音の中や、
イライラした心の状態では気づかないけれど、

心を落ち着かせて、
静かな気持ちで、自分の人生、というか、
生活の中を見つめたとき、
ふと見つかる、
「小さな幸せな瞬間」

それを、うまく言葉におさめることが
できる人だと思います。

または、そういう繊細な感性を持っているからこそ、
そういうことができるのかもしれない。



*****



この本の中では、
アボカドの熟した、まさに食べ時の頃合いを見極めるのが難しいことや、
(この本のタイトルの一部にもなっています)

ギリシャのどこかのホテルで、
確実に幽霊がいたらしいけれど、
その幽霊の行動意義をおもしろおかしく表現するところや、

オレゴンのユージーンにあるナイキの本社にあるという、
特別なトラックで走る取材で、
ニューバランスのシューズをうっかり持って行って、
ナイキの靴とウェアーをもらって走った話とか、

ビートルズ解散後のポールマッカートニーの曲には、
軽快さだけが目立って、ビートルズ時代に持っていた
重量感が失われたのに対して、
ジョンレノンの場合には、
ビートルズ時代にあった手放しのみずみずしさが、
その後にはなくなった話とか、


いろいろな話が書かれています。




でも、一番最後の
「ベネチアの小泉今日子」
という回では、

彼が、ベネチアでその昔、
すごく辛い時を過ごしたときに、
村上龍に日本から持って来てもらった
小泉今日子のテープをくり返し聴いて、
ベネチアの街を歩いたという、
そのときの記憶についての話が書かれています。



そこで彼は、こう書いています。


「人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、
自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。
音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。」




まさに、そのとおりだと思い、
この文章は、3回くらい、
じっくりと読み返してしまいました。



****



村上さんのエッセイは、
99%はくだらないどうでも良い話で笑わせてくれますが、
ときに1%、
ふいに、人生の神髄をついたような、
ずどんとして重みのある考察や、
人が誰も抱える、心のすき間、
寂しさや切なさ、というすき間に入り込むような感性で、
読者の胸を、確実に突きます。






それが、きっと、
ビートルズ時代のポールマッカートニーの音楽の、
一見軽快に見えながらも、
その中に確実に存在していた、
「独特に張りつめたもの」
に当たるものなんだと思います。



*****



村上さんの本は、
毎回、読み終わった後に、
「この本は一生、綺麗に保管して大事にもっておこう」
と思わせられます。


もともとは妻から村上さんのことを教えてもらったので、
来年、俺が東京に帰って一緒に住み始めたら、
二人の「村上春樹コレクション」が、家の本棚に並ぶのが楽しみ。



2012/9/15 11:55












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September 14, 2012

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村上さんのアンアンのエッセイを集めた本。
先日読んだ「村上ラヂオ3」の第一弾です。
2001年6月8日に初版が発行された。
この前のがすごく面白かったので、
近くの図書館で借りて来ました。
嬉しいことに、1も2もありました。
今は、それを交互に読んでいます。
もったいないので、ちびちびと読んでいます。

*****

村上さんのエッセイを読んでいると、
相変らずゆるくて、
適当で、
それでいて、本当におかしい。

会社の食堂で休み時間に一人で読みながら、
何回も笑ってしまった。


この「1」の中では、
「あかいくつー はーいてたー」
の歌に関して、
「いーじんさんにー つーれられーて いーいちゃーったー」
の歌詞に関して、
「異人さんって言葉自体、今ではもう使わないし、
さらに、途中で伸ばしているから、
余計分かりにくいですよね」
との投げかけから、
村上さんがネットで検索をしてみた結果を書いている。

その中で、
「いいじいさんに連れられて」や
「ひいじいさんに連れられて」
が圧倒的に多かったそうな。


そこで、

「しかしひいじいさんともなるとけっこうな齢だろうし、
女の子の手を引いて港を歩くのも大変だったのではと、他人ごとながらつい心配になってしまう」

とか、

「「いいじいさん」だとハッピーエンドっぽくていいんだけど、
でも人間って一皮むいてみないとわからないから、
一夜明けたらいいじいさんが悪いじいさんに豹変して、
「ひひひ、お嬢ちゃんや」なんてダークな展開になるかもしれない」

なんて言っている。



このどうでもよさがいいですね。


*****


ちなみに、この本の中で、
アメリカのエンターテイナーで、
グランドキャニオンをバイクで飛んだ人、
イーブル・ニーブル(本当はイーヴル・カニーヴル: Evel Knievel
についての記述が出てくる。



これに関しては、
昨日観た「アルマゲドン」の中で、
ベンアフレックたちがアルマジロに乗って
隕石の上を渡っているときに、
前は断崖絶壁になって、
「もうこりゃだめだ」と諦めかけたとき、
ベンアフレックがやけくそに投げた石が、
向こう側にひゅーんと飛んで行くのを見て、
彼が他のやつらに向かって聞く。


"Have you ever heard of Evel Knievel?"



昨日見ていた時は、
もちろんそれが人名なのか、
それとも何かのマンガなのか、
全く知らなかったけれど、
その言葉の響き(韻を踏んでいる)から、
何となく頭に残っていた。



そして、
今日村上さんのこのゆるーいエッセイを読んでいたら、
まさにそのEvel Knievelに関する表記が出て来たので、
そこで、
「おおー、これが昨日映画で言っていたなんぞやか」と、
知ると同時に、
すごい偶然だなと、
ちょっとビックリした。



*****



ということで、
ゆるくてとても面白いエッセイ集です。

ぜひおすすめ。


2012/9/14 22:28





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September 03, 2012

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とーっても面白かったです。

久しぶりに読んだ、村上さんの本。

図書館の新書コーナーで見つけて、
恐らく自分が一番最初に借りた人間です。

こういうのは、嬉しいですね。




*****




とても可愛い表紙です。

この挿絵は、
この本の一番最初に載っているエッセイから。


「眠れない夜は僕にとって、サラダ好きのライオンくらい珍しい」という村上さんの言葉に対して、
挿絵の大橋歩さんが作ったもの。






それにしても、村上さんのエッセイは、
いっつもゆるくて、
本当に読んでいて、
とても気分が和みます。




このエッセイでは、
毎回、「今週の村上」という題名とともに、
どうでも良い彼のつぶやきが載っている。



「『高田の馬場』と『はだかのばばあ』ってわりに聞き違えやすいですよね」

とか、

「『フリーダイアル』と『不倫ダイアル』って、とかく聞き違えやすいですね」


とか。

(基本はエロいことが多い。)





こういう、彼のゆるさがとても素敵です。



*****



人生にほのかな幸せを感じたいときに、
彼のエッセイは、最高の役割を担ってくれます。




2012/9/3 21:45





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February 27, 2012

ファッションがカッコいいですね。
雰囲気が何とも渋い。

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February 22, 2012

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遂に読み終わりました。第3部。

この部は、読むのにちょっと時間がかかりました。

まずは、
『1Q84』で登場していた牛河が、
ここで既に登場していたことにビックリ。

ここに出て来る牛河は、
『1Q84』に出て来る牛河とは同一人物じゃないのかもしれませんが、
既にこんな前に、この人物は存在していたんですね。
オラちっとも知らなんだ。

*****

そして、この部では、
赤坂ナツメグや赤坂シナモンが登場したり、
綿谷ノボルが酷い目に会ったり、
「僕」は、クミコを取り返す為に、
井戸の中から、あの怪しい部屋へと再度飛んで行ったりと、
中々、色々な要素が絡み合った部でした。

「僕」が部屋の中、及びホテルのロビーまでの間で経験する物語は、
どこまでも超現実主義であり、

間宮中尉が手紙で語る過去のシベリアでの世界は、
どこまでも血なまぐさく、

赤坂ナツメグ、及び赤坂シナモンがそれぞれ「僕」に語る、
動物園の話、及び獣医の話は、
どこまでも遠い日の様で、

そして、笠原メイが手紙から「僕」に語るカツラ工場の日々は、
どこまでも純粋で、しかし何か痛々しいものを含んでいて、


何とも、読んでいて、
パワーを使う部でした。

******

四年前に一部だけを読んだこの物語ですが、
まさか、二部、三部と続くに従って、
こんな風に展開されて行くとは思いもしませんでした。


最後の方は、その流れに完全にハマって、
あっという間に読み進めてしまいました。
特に、「僕」が、井戸の中から、
再度あの部屋の中へと移動して、
そこで進んで行く物語の描写は、
「見事」としか言いようがありません。




村上さんは、これらの物語を、
頭の中で体験して、文字に起こしているのだと思いますが、
とにかく、凄い人ですね。
彼の頭の中は、一体どうなっているんでしょうか。

*****

というわけで、最近村上春樹ワールドにドップリ浸かりすぎて、
かなり心の奥深くの井戸を掘り下げてしまった感があるので、
しばらくの間は外の光を浴びに、
彼の世界からは離れようと思います。

2012/2/22 15:57




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February 16, 2012

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第二部です。

四日間くらいで読み終わりました。

この部は、非常に面白かったです。

基本的には、妻のクミコが消えて、
「僕」は、井戸の底に入ります。
そこで、三日間ちかく一人になって、
色々と考えます。

そして、井戸から出て来た後、
加納クレタと交わり、
一緒にクレタ島へ行こうと誘われますが、
結局断ります。

顔にはあざが出来て、
笠原メイは、学校へ戻る事を決意します。


そして本の終わりの方では、
僕は、区民プールで泳ぎながら、
井戸の底に浮かんでいる幻想を見て、
そこで、あの顔の無い女が、
クミコであったことに気づきます。

*****

この本は、とにかく、
意識の奥へ奥へ、と入って行く様が見事でした。


村上さんは、
本当に、深い井戸の底で、
三日間、飲まず食わずで、
真っ暗な完全な闇の中で、
過ごした事があるんじゃないでしょうか。


それくらい、そこの描写がリアルでした。


主人公がそこで見る生々しい夢の様子とか、
(まるでダリの絵の様です。超現実主義で、その光景が絵に描けそうなくらいリアルです。)

本の最後に、区民プールで見る幻想の様子とか、
その描写が本当にリアルで、
それはただの本に記された文字の固まりなのに、
まるで、その映像を見て来たかのように、
頭にそのシーンがこびりついています。

*****

途中、本を読みながら思いました。

本当に面白い作家の文章というのは、
先が気になって気になって、
まだ文字は、ページの最初の方を読んでいるにも関わらず、
先が気になってしまうので、
左側(文章の先の方)に、目が行ってしまうのを防ぐ為に、
手でそっちを隠しながら読まないと、
目が勝手に、先に文章をすっ飛ばして読んで行ってしまうものだ、と。



中々そうなる作家はいませんが、
村上さんの場合には、
それが良く起こります。

特に、物語の確信に触れる様な、
夢のシーンとか、
幻想のシーンとか、
または、それまで感情が無いように見える主人公が、
怒りなどを露にするシーンなどでは。

*****

この本の途中で出て来ますが、
主人公が昔出張で行った北海道で寄ったバーにて、
あるミュージシャンが、ろうそくの火で手をジリジリと焼き、
それを手品として見せる話も、不思議です。

あの話はちなみに、
どこかで読んだ様な気がします。
何かの短編にあったんだっけ?
(何の短編だったか思い出せません)

*****

また、本の最後に主人公が見る、
井戸の底に浮かんでいるシーンも、
やはり圧巻ですね。

本当に、その興奮が今でも残っています。

*****

この後、第三部では、
果たして主人公は、奥さんのクミコを取り戻すことが出来るのでしょうか。



それにしても、村上さんの物語では、
『世界の終わり〜』でも出て来たけれど、
完全な真っ暗闇で、
自分の身体が全く見えなくなることで、
自分の精神と、身体は、
全く別の、離れたものである、という描写が、
出て来ますね。


彼(村上さん)は、
そういう思いを、
良くするんでしょうか。


彼は、実際に、本当に、そんな真っ暗闇の中に自分を置くというよりは、
毎回、小説を書きながら、
頭が完全にそっちにトリップして、
そこで自分が感じて、経験をしたことを、
そのまま、目の前の文章に移している、という感じが伝わって来ます。

*****

彼は、本当に、
夢を見る為に毎朝目覚めているんですね。


すごい人です。


2012/2/16 21:54



追記:
ちなみに、本の中で、
主人公のおじが、
家まで会いに来てくれて、
そこで彼に、
複雑に絡み合った様に見える問題について、
どのように解決をしたら良いか、
を話すシーンがあります。


そこで彼は言います。

「誰しもが、複雑に絡み合った様に見える問題を、
上から順に解いて行こうとするからいけないんだ」と。

「物事がAからZまであったら、
誰もがAから解決しようとするわけだけれど、
そんな時に、もっと簡単なZから解決して行けばいいんだ。

みんな、一番肝心な、簡単な問題はすっ飛ばして、
そうやって、難しいところに目を向けがちだけれど、
実際のところは、
誰もが分かる様な、一番簡単な問題から取りかかって、
そこをしっかりと時間をかけてやることで、
結果、うまく行くんだ」ということを言います。


「世の中には、
何とか主義とか、
何とか理論とか、
方法論とか、
色々とあるけれど、
結局、そういったものは、
自分の目で物事を見る事ができない人の為のものであって、
本当に大事な事は、
誰にも分かる様にシンプルで、
それをただ、しっかりと時間をかけて、
観察すればいいだけなんだ」と。



おじが出す例えでは、
彼が新しい店を出す場合に、
候補となる土地が幾つかあったら、
その土地の費用対効果とか、
損益分岐点とか、そういうのを計算するよりも、

そこの土地に行って、
何日も、そこを歩いて行く人の顔を、
ただ、じーっと見ているだけでいいんだ、と。

そうして行くうちに、
あるとき、霧がパッと晴れる、と。

*****

この話は、非常に心に残りました。




自分が抱える問題に対して、
一見複雑そうに見えたとしても、
「本当に大事なことは何なのか」。

それさえ自分が掴んでしまえば、
あとは、そこを考えるだけです。








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February 12, 2012



これは小説の内容そのものとは関係ないんだけれど、
その本の大きさ、
文字のかたち、
カバーの色、
そういったものは、
その小説そのものに、少なからず影響を与える気がする。


例えば、
俺は村上さんの本は、
『1Q84』だけはハードカバーで読んで、
後は全て、文庫本で読んだんだけれど、
その二つのサイズの大きさは、
確実に、その小説に違った雰囲気をもたらす。



まず、文庫本というのは、
サイズが小さい分、
手の中にすっぽりと収まるので、
まるで、その小説の世界全体を、
自分が大きな目で、上から手中に収めている様な感じになる。

それに対して、
ハードカバーの場合には、
文字も大きく、
本のサイズも大きいので、
その分、小説の細部まで拡大されているような気がして、
ディーテイルまですごく細かに分かるんだけれど、
その『大きな世界』を、手中に収める、という感じにはならない。



イメージで言うと、
文庫本は、自分が大きな巨人になって、
その小説の世界を、ミニチュアとして、
上から全て眺めている様な。


それに対してハードカバーの場合には、
拡大鏡で大きくした世界の中に、
自分が小人として、入って行く様な。



文庫本に出て来るマグカップは、
実物大か、またはそれ以下に小さく、
あまり重要なものというわけではなく、
ただの「置物」として捉えられるのに対して、

ハードカバーの場合には、
そのマグカップさえも、重要な登場人物の一人として、
自分はそのマグカップの半分くらいの背丈になって、
そこについた水滴やしみ一つひとつまで、
はっきりと見ている様な。

******


それから、文字の形も影響を及ぼして来る。

例えば村上さんの小説は、
主に新潮社か、講談社な訳ですけれど、

新潮社の場合は、
はっきり言って、文字が「冷たい」というか、
なんか、ツンツンしたイメージがある。

よって、その小説の醸し出す雰囲気も、
何か、良い意味で言うと、大人っぽいというか、
Snobbyというか、
何となく、取っ付きにくい感じがある。



それに対して講談社の方は、
カバーが黄色で統一され、
まず、温かいイメージがある。

また、文字も、
俺の好きな形だからか知らないけれど、
丸みを帯びていて、
非常に読み易い。

よって、何だか、より「親切」というか、
「暖かみを帯びた」雰囲気を醸し出している様な気がする。

*****

と、そんなことを、
よく感じます。

できれば、全ての小説を、
講談社のスタイルで出して頂きたい。

2012/2/12 15:39



追記:ちなみに、
お互いの異なる出版社が、
別の出版社の本の宣伝をすることは無く、
講談社の方には、
後ろの見開きの部分には、
村上さんの、講談社からの作品しかリストアップしない。

それは、新潮社も然り。



しかし、先日図書館で借りた新潮社のハードカバー、
『ねじまき鳥クロニクル』の後ろには、
新潮社、講談社関係なく、
「村上春樹の長編作品」と銘打って、
彼の作品が、年代順に記してあった。

あれ、親切ですよね。
とても良かった。

****

こういうことは、本だけじゃなく、
音楽のアルバムなんかでもそうなんですけれど、
例えばエアロスミスの場合、
ゲフィンとコロムビア時代があるので、
お互いのリストアップを見ると、
そのレコード会社を通したアルバム名しか記載されないわけですね。


まあ、会社同士の問題だから仕方ないですが、
ファンとしては、
「村上春樹作品 リストアップ」
「エアロスミス作品 リストアップ」
と、どこに対しても、全部の作品を載せてほしいですね。





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February 11, 2012

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昨日読みだして、今日読み終わりました。
残り二部作あります。

このクロニクルの一部目は、三年半前の夏(2008年)に、一度読んでいます。
しかし、最後のノモンハンでの皮剥ぎのシーンが余りにも残酷で、その後、二部目を読む気がしなくなって、そのまま放置して、今に至りました。

よって、このシリーズに関しては、どうしても読み始めるのに気が乗りませんでした。

でも、先日、河合さんとの対談の『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を読み、そこでこの作品について沢山語られていたので、
「また読んでみよう」と興味が湧いてきて、読んだ、という次第です。


、、、、、


この後、二部、三部でどう話が進行し、最後は終わるのかが気になります。


この長編作品は、
他の長編作品のどれとも、雰囲気が違う気がします。

村上さんは、上に挙げた河合さんとの対談で、
この作品ではコミットメントに関して書かれていると言っていましたが、
そう言った意味でも、この作品は、主人公の「僕」が、
より、自分を取り巻く他の世界、人々に、
何か繋がりを持とう、という傾向が観られる気がします。

(これより前の他の作品では、
主人公の醸し出す雰囲気は、
『俺は自分の周りのこと、モノ、人には、余り興味を示さない』
という傾向がより強かったのに対して。)

、、、、、


まだ一部しか読んでいないので何とも言えませんが、この後どうなって行くかが楽しみです。

2012/2/11 21:49



追記:
それにしても、村上さんは本当に、まるでその出来事が目の前で起きているかの様に、その登場人物の取った行動、見た景色、感じた心情、そう言ったものをリアルに書きますね。

なので、彼の作品を一度読むと、まるで生の映像を見たかの様に、その小説の細部のシーンまでが、ありありと頭に残るのが特徴的です。










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February 09, 2012

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(ハードカバー版)


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(文庫版)


この本を始めに読んだのは、今から3年半前です。
2008年の夏頃に、彼女の家で読みました。

その頃は、たまにパラパラと捲るくらいで、
余り深く読み込んだり、
または、最初から通して読んだ事がなかったので、
この本の言わんとするメッセージは余り良く分かりませんでした。

*****

今回、頭から終わりまで、
一貫して読んでみました。

昨日は遠い場所で面接もあり、
朝の6時から夜の11時過ぎまで
ずっと移動をしていた様なものなので、
電車の中で、飽きるほど本を読む時間がありました。

きっと一冊では足りないと思い、
4冊も持って行ってしまいましたが、
結局、この本をじっくりと読み解くのに時間がかかって、
この本しか読みませんでした。
(まあ、半分くらいは寝たり、音楽を聴いたりしていたんだけれど)

*****

いやあ、本当に面白かったです。

深い、深い。


僕が最初にこの本に手をつけた時は、
村上さんの小説は、
『ノルウェイの森』と『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
位しか読み終わっていませんでした。

なので、この本の中で話がされている、
村上さんの作品が辿って来た、


.妊織奪船瓮鵐
   ↓
∧語を語る(ストーリー・テリング)
   ↓
コミットメント(イメージとの関係回復、「井戸掘り」)


の流れに沿っている、
他の作品(『風の歌をきけ』『羊めぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』)
は、読んでいませんでした。

(実際、『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』はまだ読んでいませんが)


*****


村上さんの長編小説は、
「謎」な部分が多く、

「あれは何だったんだろう」

「あれは、きっと、『これ』なんだろうけれど、
その『何となく』分かった感覚を、言葉にしてしまうと、
それが崩れる様な気がしてしまうので、
『何となく』分かった感じで、そっと置いておこう」

という感じで、読み終わった後に、
気持ちが落ち着くことが多いです。

前回、『羊めぐる冒険』を読んだ時も、まさに上の様に感じました。

*****

そして、今回、この本を読んで、
村上さんは、ある意味、
「箱庭療法」をやっているようなものだ、と、

河合さんが言うように、
患者が、自分の中に溜まったストレスなり、
世の中の問題を自分で抱えてしまった結果、溜まったストレスを、
箱庭で物語を再現することで、
自らを癒している、と。


また、その「問題」を、
西洋的に、言語化するのではなく、
あくまでも物体や何か別のものを使って、
イメージで、「言語化」せずに、
それを表していくことで、
それを再現する自分も癒されて行くし、
見ているこちらも、癒されるところがある、と。

*****


村上さんは、この本のある箇所で、
この様なことを言っていました。

「読者が僕の作品を読むことによって、
ある意味、その読者も、
読みながら一緒にものがたりを経験して、
自分の体験を振り返り、
癒されて行く」と。

これは、まさに、
僕が初めて『ノルウェイの森』を読んだ時に感じた事でした。

その時は、初めて、こういう「小説」を読んだのですが、
自分がその主人公になったような感じで読み進め、
同時に、自分が今までの人生で一番辛かった中学時代のことを思い返し、
それを一緒に目の前のものがたりと同時進行で振り返ることで、
読み終わったあとには、
何か、癒しのようなものがあったのです。


その時は、「俺の読み方って、どうなのかなあ? でも俺はこう感じたな」
という旨をブログに書いたのですが、
昨日、上の村上さんのコメントを読んで、
「ああ、そういうことだったのか!」と、
腑に落ちました。

******

また、村上さんは、
ものがたりを書く際に、
自分でもその結末が分からないまま、
言わば起きながら夢を見る事で、
そのものがたりを書いて行く、と言っています。
(これは、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』でも触れていました。)


今回、この本を読んで、
ある意味、村上さんにとって、
長編小説を書く事は、
彼が、中に抱える、「問題」(これは、「問題」という言葉で表現するのは語弊があるかもしれませんが、人間誰しもが抱える、胸の中の色々な気持ちや、それまで自分が経験して来て学んで来たもの、社会が現在持っている問題を、自分が請け負う事により生じているストレス、そういったもの)
を、彼は、
自分のものがたりを通して、
表現しているのだ、と。

上に書いた、「箱庭療法」のようなものだ、と。



それをする中で、
彼も実際に癒され、
かつ、その本を読む、
読者たちも、何かを感じるところがある、と。

*****

河合さんは言っています、

「問題を抱えた人ほど、
箱庭でつくりあげる物語には迫力があるし、
胸に迫るものがある」と。

「何も問題を抱えていない人、
健康な人が、箱庭を「あたま」を使って作っても、
何も感動しない」と。

「逆に、自分自身を込めて作り上げた”もの”には、
必ず、心を動かされるところがある」と。

******

村上さんは、『ねじまき鳥』の中で、
壁抜けのシーンのときには、
本当に壁抜けをするくらいの体力を使い、
実際に、それをするために必要な体力が無い時にそれをすることは不可能で、
実際にそれをして、体調を崩してしまうこともある、と言います。

*****

村上さんが、毎回作り上げている、
長編作品。

彼はその中で、
自分がそれまでに経験してきた様々なことをまとめ、
「言葉」というものを使い、
大きなものがたりをこしらえることで、
それを、表現しているのです。

*****

前回俺が、『1Q84』を読み終わった際に、正直言って、よく分からなかった、と書きました。

アマゾンのレビューを先日読んでみましたが、
彼のこの作品を、けなす人もいます。

しかし、それは間違っていると思います。

先日、アメトークの「読書芸人」で又吉さんが言っていた言葉で、
「どんな本も、必ず意味があり、
その本を理解出来ないということは、
まだ自分が、その本を理解できる地点に到達できていないだけ」
という旨を言っていましたが、
(これは彼女に教えてもらって、その後調べました)

まさに、
又吉さんの言う通りだと思います。

俺が当時、『1Q84』を読んだ時に、
それを理解できなかったのは、
村上さんがその作品を通して表そうとした、
オウム真理教の問題など、
そういったものを、
「自分自身に起きた、社会的問題の一つ」として、
きちんと消化していなくて、
その結果、
その作品を通して彼が表そうとした、
「ものがたり」を、
自分が共感できなかった、



それだけじゃないかな、と思います。

******

河合さんはこの本の中で言っていますが、

「作り手がすべてを分かっている芸術作品は、
芸術作品じゃない」と。

芸術作品とは、
それを作る人間を超えるものがないと、
人の心を動かせないし、
それを作った人が、
それが一体なんなのか、分からないのは、
当たり前だ、と。



逆に、「これはこうで、こうなんです」と、
全てが分かって、
作者の頭の中で全てが簡潔に解決されているものは、
推理小説でしかない、と。



今の時代は、科学が第一に考えられた社会であり、
世の中の偶然、
説明のつかない、不思議な話、
そういったものは、
「根拠のない怪しい話」として、
蔑まれてしまう傾向があります。



その流れにより、
全てのものに、明確な、
科学的な『答え』を求める流れが当たり前なので、
村上さんの本にも、
当然、
「あの登場人物はこうで、
あれはこれを意味するのか?」
と、明確な『答え』を求める傾向が出て来ると思います。



しかし、彼はこの本の中でも述べていますが、
「自分の作品は、人に寄って捉え方が変わるものだから、
読者一人一人に答えがあっていい」と。
「僕は、その作品の作者であると同時に、
その作品を別の視点から見て、
こう感じる。
でも、あなたが、違うように感じるのは当然で、
明確な答えはない」と。



これをアメリカ人の学生に言うと、
みんな、
「そんなバカな話があるか。あなたはこの作品を作った張本人なんだから、
答えを知っていて当然だろう」
と言われるらしいですが、
実際には、そうではない、と。


*****

だから、世の中にある、
「村上春樹の本を読み解く」系の本とか、
色々とありますが、
村上さんは、そういうものは余り意味が無いと言っているし、
俺も、そういう本には全く興味が持てないのです。

*****

また、彼の作品を、
端的に捉えて、
ネガティブに感想を下してしまう人もいますが、
それも、勿体無いな、と、感じます。

*****

恐らく、一人一人に答えが違うように、
彼の作品を読んで、
「これはつまらなかった。もう読まない」
となってしまうのも、一つの答えであると思います。

*****


この本のあとがきで、
河合さんは言っていました。

「村上さんとは、『ウマが合う』のです」と。


要するに、
村上さんのスタイルが、好きかどうか、
それだけなんだと思います。

俺は、個人的に、
こういう、精神的なこと、
心の中の、深いこと、
脳の中に、確実にあるけれど、
普段は言葉にできないから、表現はできないけれど、
でも、確実にある、「それ」、

(要するに、感覚の世界ですね)

そういったことに関して、
話をすることが、とても好きです。

彼女とは、そういう話をしょっちゅうするし、
「それ」について語れる人は、
少なくはありますが、
「それ」について語るとき、
非常に喜びを感じます。

(要するに、オタクなんですね)


で、きっと、
村上さんは、
そういう、「感覚」の世界のことを、
書いているから、
好きなんだと思います。

*****

いやあ、長くなっちまったぜ。

ということで、まとめ。

「村上さんは、感覚の世界のことを書いているから、
それに対して、明確な答えはない。
そして、俺はそれが好き。」


はあ、疲れた。

2012/2/9 10:46





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February 06, 2012

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今回で読んだのは二回目です。

一回目は、今から三年半前、
2008年の夏に、アメリカから帰って来て間もない頃、
免許の更新をしながら、免許センターで読みました。


当時読んだ時には、
余り良く意味が分からなくて、
印象も殆ど残っていませんでした。

ただ、デニーズで主人公のマリと高橋が話をするシーンと、
会社員の男が、夜中のオフィスで仕事の後に筋トレをするシーンだけは、
なぜか鮮明に覚えていました。

*****

今回読んでみて、
正直なところ、後半に差し掛かるまでは、
余り面白いと思えませんでしたが、
後半の部分で、
コオロギとマリが、
二人で会話をするシーンを読んで、
「中々深いな」と感じました。

むしろ、あのシーンがあるからこそ、
この小説は、そこまで暗い中をじっと堪えて、
読み進める価値があると思います。

*****

コオロギが、マリに伝えるシーンがあります。

「人間は、記憶を燃料にして、
生きているのではないか」と。

その記憶は、華々しいものだろうが、
日常のちょっとしたことだろうが、
特には関係ない。

火に燃料の紙を入れる時に、
それが哲学書だろうと、
一万円札の束だろうと、
エッチなグラビアだろうと、
火は特に気にしない。

それと同じだよ、と。

*****

コオロギが言います。

「人間の記憶というものは、
不思議なもので、
一生懸命、昔の事を思い返そうとすると、
以外と、色々な事を細かく思い出せるものなんだよね。
人間の記憶というものは、
必ず、脳のどこかにきちんとしまわれているもので。」
と。


その話を聞いて、マリは一生懸命、
姉エリとの近かった頃の思い出を探ります。

そして、エレベーターの中で、
小さい頃に、姉と二人で閉じ込められてしまった時に、
姉が、救助をされるまで、
しっかりと抱きしめていてくれた時の事を思い出すのです。

*****


その後マリは、
それまで姉との間に距離を感じ、
自ら姉との距離を置く様にしていたわけですが、
高橋から聞いた姉の話も併せて、
恐らく姉は、自分が思うほど、
自分に距離を置こうとしていなかったのではないか、

むしろ、
距離を取っていたのは自分ではなかったのか、
と、そんな事を感じるのでしょう。


そして、いつまでも眠り続ける姉のベッドに入り、
姉の横で安心して眠ります。


そして最後、姉が起き出す様な気配が、
少しだけ、読者にほのめかされます。

*****

この小説は、時刻が深夜に差し掛かる夜中の11時50分頃から始まり、
明け方の7時前まで位までに設定されています。

その間に、
主人公であるマリ、
そしてその姉のエリ、
エリの同級生の高橋、
ラブホテルで中国人の女性を殴った白川、
そしてそのホテルで働くカオル、
コオロギ、コムギなどによって、
話は進められます。


また、眠り続けるエリの部屋に置いてあるテレビには、
白川のいたオフィスに似た空間が映し出され、
そこには、薄いマスクを顔にかけられた男性も登場します。

*****

あくまでも話は、第三者の視点から語られ、
その視点は、読者である「私たち」に、
語りかける様に物語は進んで行きます。



この作品は、村上さんに取っては実験的なものであり、
かつ、昔からの村上さんファンからの評価は、二つに別れるみたいですが、
僕は、一つの作品としては、結構好きかな、
と思いました。


まるで、この読者たちと一緒に、
徹夜をして、日が昇るまで、
夜を起き続けた様な感覚にとらわれます。


*****

あの部屋にいた、
顔にマスクをかけられた男性が、
一体誰なのか。

それは、何を意味するのか。

そういったことは、
最後まで明かされませんが、
読者それぞれが、自分自身の答えを持っていいのだと思います。

*****

昨日、彼女とも話をしましたが、
村上さんの長編作品は、
非常にダークな部分を描いているので、
読み終わった後、正直、疲れます。

その『ダークな部分』とは、
人間が必ず誰しも持つもので、
それは、人間が夢の中で見る悪夢のようなもので、
居心地は良いけれど、同時に、
そこにずっといると、出られなくなってしまうような、
そんなところを描いています。


だからこそ、彼の作品を読むと、
また、別の作品を読みたくなると同時に、
余り彼の作品ばかりを読んでいると、
精神的にこもってしまうというか、
外に出るのが、億劫になってしまうのです。
精神的に。

*****

だから、彼の長編作品を読んだ後は、
彼のエッセイを読むなり、
または、全く別のジャンルの小説や、
ノンフィクション、ビジネス本などを読まないと、
バランスが取れなくなってしまいます。

*****


村上さんの本を俺が彼女に紹介されてから、
約5年近くが経ちますが、
彼の文章を俺が読むのが好きなのは、
純粋に、彼の文体が、流れるように、
磨かれた球体の様に、
とても読み易いからです。

ある意味、「村上春樹の文体依存症」みたいなもんです。
それが無いと、生きられない、という。


なので、彼の本を読む訳ですが、
同時に、彼の長編小説は、
ほとんどがそういう風に、暗い部分を描いているので、
読み終わった後、
ずーんと、暗くなっている自分がいるわけです。



まるで、気持ちよさと引き換えに、
自分の身体が、侵される、みたいな。


彼の文体を読む気持ちよさの代償が、
その、ダークさなわけです。

******

ということで、俺の彼女は、
彼の長編小説は余り読みません。

それよりも、彼のエッセイを読みます。
長編小説を読むと、
恐くなってしまうけれど、
エッセイを読むと、
「ああなんだ、ただの性格の良いおじさんだったんだ」
と安心するからです。

*****

というわけで、彼の長編小説は、
最近は立て続けに二本読んでしまったので、
そろそろエッセイにシフトチェンジしようと思います。

2012/2/6 17:02




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February 02, 2012

sputnik

また読みました。
一回目に読んだのは、
2010年の夏、今から一年半ほど前です。

その時は、
丁度家族と温泉旅行へ行った時に読み出したのですが、
二日間くらいで一気に読み終えてしまいました。

この本の最後の方には、
「僕」が担任をしている「にんじん」という生徒が、
スーパーで万引きをして、
その事で呼ばれるシーンがあります。

そこでは、夏の気怠い感じがうまく表されていますが、
丁度この小説を初めて読んだ時にも、
その気怠い夏の感じが実際にあったので、
そのシーンがうまくリンクして、
記憶に強く残っていました。

(当時は横浜に住んでいたので、
家の近くにあった駅前のあるスーパーの地下を、
そのにんじんのシーンは思い起こさせる。
まるで、そこで起こった事かの様に。)

*****

この小説は、不思議な小説です。

イメージとしては、非常に「爽やか」というか、
「すっきり、あっさり」というか、
彼の他の長編小説にあるような、
ダークさ、口の中のできものを噛んでしまうような感じが、
そこまでありません。

だからこそ、「爽やか」という感じがするのでしょうか。


*****

この小説に出て来るミュウは、どこまでもカッコ良く、
すみれは、どこまでも不思議なクセのある存在で、
そして、「僕」は、その二人からちょっと距離を置いたところに、
存在しています。

*****

この小説を今回読んでいて思った事は、
村上さんが他の短編小説などで試した内容が、
もう一度、この小説の中で、
書き起こされているんだな、ということでした。

例えば、人食い猫の話とか。

これも、彼の短編小説「人食い猫」で出てくるものとそっくりです。


先日読んだ「雑文集」の中で読んだかと思いますが、
彼はまず、短編を書いてみる事で、
言わば、長編小説の予行練習をして、
その後、短編で一度書いた内容を、
さらに書き換えたり、
または、もう少し磨きをかけたりして、
最終的に、長編小説に持って行くパターンが多いそうです。



また、彼にとって、
日々の生活で感じることや、
日々の出来事が、
言わば、小説を書くネタとなって行くそうですが、
(ということで、
今は、余りエッセイを書かない様にしているとか。
ネタを守るため)

この小説の中でも、
彼が、カキフライに関して書いたエッセイ(雑文集の中に収められているもの)
と同じ様な部分がありました。

*****

言わば、一人の人間が、
「自分」に関して語るとき、
自分が考える「自分」とは、
余りにも自分勝手な思い込みによるものであることが多く、
「私はバカ正直な人です」と言う様な人が、
簡単に人を騙していたりと、
そういうことが起こる、と。

だからこそ、
逆に、何か特定の別のモノに対して、
自分の考えを語る事で、
結果、「自分」というものが見えてくるのではないか、と。




これは、自分と何か「別のモノ」の距離を測る事によって、
自分自身の位置関係を確かめる、
ということですね。


*****


また、もう一つ感じた事は、
これは確か村上さんの「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
にあった気がしますが、
彼は、小説を書くことによって、
人が通常見る、寝ている時に見る夢を、
起きながら、小説を書きながら見ていて、
その為に、普段は一切、夢を眠りの中で見ないのではないか、と。


そして、実際、
こうして起きながら夢を見ている彼は、
かなり危ないところを渡っているのではないか、と。



彼は「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」で言っていた気がします。

「僕は、家の地下にある普段は存在しない扉を開けることによって、
人々と繋がるその物語を紡ぎ出しているのです」と。

それは、かなり危険な行為であり、
体力も使うし、
精神的気力も使う、と。



彼の小説は、
上に、「口の中に出来たできものを噛んでしまう感じ」と書きましたが、
何だか、人間のダークサイドの部分を描いていて、
非常に引き付けられるものがあります。


それは、普段、自分が夢の中(無意識の状態)
でしか見れない「夢」のイメージであり、
その時に感じている事は、
一度目覚めてしまうと、
その感覚は覚えているものの、
何が起きていたのかは、殆ど思い出せない、という感覚に似ています。

まるで、小さい頃、
熱を出すと必ず見た、
悪夢の、生々しい記憶の様に。



小さい頃に見る夢は、
非常にリアルで、
かつ、悪夢に限っては、
その感触が、目覚めた後も、如実に残っています。



僕個人の話になりますが、
その昔、自分が何かに追われていて、
どこかのシークレットサービスのような所へ逃げ込み、
自分の前と後ろに、大人のボディガードが守ってくれて、
そのまま逃げようとしたものの、
後ろのボディガードの背後から、
その何者かは銃を発射し、
後ろのボディガードの体を突き抜けて、
自分の背中に弾が貫通した、

その瞬間に、目が覚めた、
ということがありました。
恐らく、小学校低学年の頃です。

その時に、自分の体に、弾が入って来た感触を、
生々しく覚えています。

*****

また、これは熱があった時に見た悪夢。

もの凄く難解なパズル(数字の組み合わせ。恐らく何万通りの数字の組み合わせ)
があり、
それを解くまでは、そこから抜け出せない、というような、
そんな夢でした。

そのパスルを解ける確率は、
恐らく、自分の人生が何百万年あっても不可能で、
その、パズルの複雑さに、
恐くなった記憶があります。

それも確か、小学生の頃でした。

******


村上さんの書く小説は、
言わば、そういう時の恐さというか、
恐いけれども、見たくなってしまう奇妙な物語というか、
そういう、ダークな部分が、
確実に、存在しています。



そして、その言葉にはできないけれども、
確実に存在する「不安さ」を、
彼は、一つの小説を通して、
再現しているのです。

*****

この小説の中で、
すみれが、
「夢の様子を、文字にして文章に落とす事が出来る人は、
限られている。ある特定の才能を持った人しかできない」
と、自らの文章の中で述べる部分がありますが、
村上さんも、その一人なのだと思います。




僕は、村上さん以外のフィクションの「小説」というものを、
正直好んで読んだ事がありません。

読書の習慣も、
基本は、エッセイやノンフィクションしか読まずに入ったので、
小説は、時間の無駄使い、みたいな勝手なイメージを
自分の中で持っていました。


そして、それから、彼女の影響で、
村上さんの本を読み出しました。

その後、他の日本人の小説家の文章を読んだことも殆どないので、
果たして、村上さんの小説が、
他の人のそれと比べてどうなのか、
余り比べる事ができません。


しかし、彼の小説は、
世界的にも人気があることから、
やはりきっと、
人々の心をつかむ、「何か」が、
確実に存在しているのでしょう。

*****

最後に。

この小説の中で出て来るミュウの観覧車のシーンは、
非常に奇妙で、
かつ、どこか、心を惹かれるところがあります。

「世にも奇妙な物語」のような、
恐いんだけれども、
どこか、綺麗な印象があり、
心の奥底に確実に印象として残っていて、
またその詳細を忘れた頃に、
読み返したくなってしまうような、



そんな印象を与えます。

*****

彼の小説を読み終わって時間が経つと、
大まかな流れや、ある特定の細部は覚えているものの、
結末や、小説の中の幾つかの部分を思い出せない、
という状態にいつも陥るのは、

もしかしたら、僕の記憶力が低下しているせいでは無く、
「彼の小説を読むこと」=「夢を見ていること」
と同じなので、
読み終わった後は、
その夢を見たことは覚えているけれども、
その夢の詳細は、どうしても思い出せない、


そうなってしまうことと、
関係があるのではないでしょうか。


(それとも、ただ単に本当に俺の記憶力が低下しているせいか。)


2012/2/2 23:46





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January 07, 2012

henkyo


村上さんが、世界の色々な場所を実際に旅して、
それをまとめたものです。

中には、讃岐うどんを食べに、
ど田舎を回るものから、
ノモンハンの戦争跡を見るもの、
メキシコの奥地をバスで移動するもの、
アメリカをただひたすら車で横断するもの、
日本にある『無人島』に、一泊するものなど、
色んなエピソードがあります。


読んでいて、まるで自分も旅をしている様な、
そんな開放感に浸れました。


彼は、文章がうまい。
だから、巷によくある、
ただの『旅行記』とは違い、
しっかりとその場所の描写も細かいため、
イメージも湧くし、
かといって、ただの情報ばかりの文章でもないし、
彼の簡単な感想も入っていて、
ところどころ笑えます。

(彼がメキシコを旅していた時は、
必ずと言っていいほどバスの中は壊れていて、
一度は、歯医者のイスのような格好で
一日座らなければいけなかった、という描写は笑えました。

また、アメリカのモーテルや道路が、
毎日毎日、延々と同じだというところや、
讃岐うどんの店があまりにも凄すぎて、
「すげえところだな」という表記とか。)

*****

中には、彼がノモンハンの戦場を見た後、
ホテルの部屋で寝ている時に、
世界が大きくグラついたかと思ったら、
それは自分の中の『揺れ』だった、
という、不思議な体験も書かれています。
(これは先日読んだ『雑文集』の中にも、
これについて触れた文章がありました。)

*****

彼は、この本の最後のコラムで話していますが、
世界中のどれだけ遠くへ行こうが、
むしろ、遠くへ行けば行くほど、
実際に見つけるものは、『自分自身』なのだ、と。

これは、僕も同じようなことを思った経験があります。

例えば、グアテマラのアティトラン湖という湖の横にある
小さな町の、一泊100円もしない宿に一日泊まったことがありますが、
そこでは、夜は電気が付かず、
夕方の6時には、ベッドに入り、
7時前には寝る事を強制されました。

しかも、そこでは体調も悪く、
震えながら、夜中に電気の付かない外にある便所で、
用を足しながら、「侍の様に乗り切らなきゃ」
と強く心に決めていた思い出があります。


そんなとき、結局思う事は、
言葉も違い、普段の生活も全く違う人々の中に自分を置いて、
彼らとの共通点が殆どない中で、
見つめるのは、自然と『自分自身』になって行く、ということです。

外の世界に出れば出るほど、
『自分とは何か』を考え出す。

旅人は、その新しい街では、
自分の名前を聞く者も、
自分の役目を聞く者もいないことから、
自分の『存在意義=Identity』を、
見失いがちになってしまいます。

その時に嫌な程強く考えることは、
『自分とは何か』であり、
『自分とは、どんな人間なのか』ということです。

*****

彼も、また、
同じ様なことを感じ、
このコラムの中で、述べられていたのかもしれません。

*****

一冊で、色々な所へ行った気分になれる、
オススメの本です。

2012/1/7 23:03



追記:ちなみに今回は
この本の初版本のハードカバーを
古本屋で見つけて買いましたが、
カバーを外すと、綺麗な青で覆われた本のデザインが美しいです。

また、本のページの外側に当たる部分は、
青いインクで塗られていう、という面白い構成です。


また、帯には、

「人間はカンガルー脚だ!
考える葦もいいですが、
ここはひとつ元気に
外に飛び出しましょう。」

との表記があります。

面白いですね。





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January 01, 2012

zatubunshu

彼のこの単行本は、去年の1月末に発売された。
それから、手に入れはしたものの、
殆ど手をつけていなかった。


今、読んでいる。

*****

中に、「違う響きを求めて」というコラムがある。

そこで彼は、
「文章を書く時に、良質の音楽が持つ様な
リズム、メロディ、ハーモニー、
そして、即興を意識している」という。

彼は、「文章の書き方についてのほとんどを音楽から学んできた」という。

*****


以前、村上春樹の文章を読んでいるとき、
それは、まるでなめらかに、綺麗に磨かれた球体の様な、
『流れ』があると思った。

自分が、彼の文章を読むのが好きなのは、
その文章全体が持つ『流れ』を感じるのが好きだから。



その感性を、
彼の、上の言葉を読んで、
「ああ、なるほどな」と思った。


*****

彼の小説などは、
正直、はっきりとした答えが分かるものではないし、
読んでいて、『Uneasy』な気分になることが多い。
(彼はこの本の中のスティーブン・キングについてのコラムで、
良質な怪奇小説(ホラーストーリー)とは、
『uneasy』な気分に読者をさせるものの、
『uncomfortable』にはさせない、と書いているが、
まさに、彼の書く小説作品(特に短編集)は、
読んでいるこちらを『uneasy』にさせることが多いと思う。)


しかし、彼の作品をそれでも中毒的に読んでしまうのは、
内容そのものよりも、
その文章の持つ『流れ』に、身を置きたいと、
そう感じているからなのかもしれない。


******

2012/1/1 21:22





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December 03, 2011

51CRkySpuCL


とても面白かった。

この村上朝日堂は、
一番最初の「村上朝日堂」や、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」のノリとは全然異なっていて、もっと一回一回のコラムの文章も長いし、より、小説家の「村上春樹」っぽい書き方になっている。
上に挙げた二つの場合は、もっと、「村上のおっさん」というか、すっとぼけた感じで書いているんだけれど。

*****

この本を読んでいて思ったのは、
彼というのは、
「ものの見方」「感じ方」に関して、
彼特有のこだわりがある、というか、
「村上春樹オリジナル」のものの見方、捉え方がある。

そして彼は、それを自らのものとして大事に取っておいて、
それが他人に批判されようと、受け入れられようと、
「自分は自分だ」という考え方を、貫き通して、
生きて来たんだ、という感じがある。

(彼の場合は、それを「肩肘はって」ではなく、あくまでも自然体に、「僕はこう思う中で、誰にも注目されず、誰にも迷惑をかけず、ひっそりと自分の生活と奥さんや自分を取り囲む少しの小さな世界の中で、その中で生きています。誰にも自分のことを主張するつもりもない分、逆にそれを浸食されることだけは拒むけれども。」という感じで。)


*****

そして、彼は、きっと、彼特有の考え方、感じ方をキープしているからこそ、
彼の心の中には、そういった、他の人よりも一段と強い、「感受性」の部分があり、
そこを彼が文字を使い、「文章」というツールで表そうとするとき、
そこには、芸術性が生まれるのだ、ということを。

それを、彼の書いた、
「青春と呼ばれる心的状況の終わりについて」のコラムで感じた。

(このコラムでは、彼が、自分の中で「青春」というものが終わった、と感じたときのことを書いてある。ある女性と食事をした際のことが書いてあるのだが、その女性にある言葉を返された時に、彼が感じた心内を表したその文章を読んで、そう強く感じた。)



また、彼は同時に、
感受性が豊かで、人よりもある特定のことに関して感じやすいからこそ、
「『うさぎ亭』主人」の中で、ころっけに関して素晴らしい描写ができ、

かつ、「ON BEING FAMOUS(有名であることについて)」では、
彼が、知りもしない周りの人間に、自分のことを、勝手に言われてしまう、悲しさが、彼の「誰もいない遊園地」の比喩により、余計濃く描き出されている。

(このコラムは、彼がある日、仕事を終えて、奥さんと二人で、いつもの行きつけの居酒屋で、割とリラックスしながら飲んでいたところを、別の人に見かけられ、そのことを悪く言われたことに関しての気持ちが書かれているんだけれど、
その時に彼は、「悲しい」とか「悔しい」とか「頭に来た」とかそういう言葉を一切使わずに、ただ、「誰もいない遊園地に、たまにこうして佇む自分を見つける」という旨を書くことで、彼がいかに傷ついているのかを、自らの心情を表す言葉を一切使わずに、むしろそれらの言葉を使う以上に、うまく言い表している。
この文章を読んだ時には、自分も悲しくなってしまった。)

******

この本には、他にも、
彼が無性にビーフステーキを食べたくなるときのこととか、
貧乏に関してとか、
そういったことも書いてあり、非常に面白い。

******


「村上朝日堂」などのはっちゃけた彼のエッセイと、
「小説家・村上春樹」が書いた、彼の有名な作品たちの中間地点的な感じで、
読める、エッセイです。

2011/12/3 21:38



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November 22, 2011

51Cftldi8ML


今日はお姉ちゃんの赤ちゃんが無事に産まれる、
という良いことがあったが、
同時に、夜は仕事のできない人と
電話で散々話をする、という嫌なことがあって、
久しぶりに興奮してしまったので、
それを抑える為に、村上さんのエッセイを読んだ。
先日、彼女から、
「村上朝日堂」「村上朝日堂の逆襲」「村上朝日堂 はいほー!」
の3作を借りた。
嬉しい。

彼女は、村上さんのこれらのエッセイを読んで、
高校時代の青春を過ごしたらしいです。


*****

村上さんのエッセイは、
力がいい意味で抜けていて、
とても面白い。

水丸さんの描く絵も、
とてもかわいい。

水丸さんの描く村上さんの似顔絵は本当に似ていて、
先日呼んだ「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
にもあったけど、
よく町を歩いていると、
見知らぬ女性に、「あの、村上春樹さんですよね」
と声をかけられて、
「よくわかりましたね」と言うと、
「だって、水丸さんの描く似顔絵とそっくりなんだもん、ウフフ」
と言われる、というくだりがあった。

「そんなに似ているかなあ」という村上さんのおとぼけ感が面白い。


******

何を書こうとしたかというと、
村上さんのこのエッセイの中で、
切符をなくさない為に、
切符を折り畳んで、耳の穴の中に入れる、
というのがあった。
もう爆笑である。

「え?そんなことしたら、
改札のところで自動改札の中を
切符が通らないじゃん」と一瞬思ったが、
考えてみれば、
今のSuicaやPASMOのように、
「ピ!」となったのも、ほんのここ10年くらいだし、
その前に、自動改札になったのも、
俺が小学校後半くらいからだった、
気がする。

よく小さい頃、
母親に手を連れられて、
上野とかまで買い物にいったころは、
恐い駅員のオッサンが改札に立っていて、
その人に切符を渡すと、「パチン」と切符に穴をあけられて、
それを返された。
または、そこが終点だったら、
そこで回収された。

「よくあんな一瞬で、
色々な乗客の切符を見分けられるもんだ」
と子供心に関心していたけど、
そういう人たちの仕事も、今ではなくなってしまった。

先日行った、佐原や小見川の駅でも、
または、全くの無人駅の滑川のような駅でも、
遂に、Suica用の「ピ」が進出していた。

今は、そういう時代なわけです。
今生まれる子たちは、
(今日産まれた俺の姪っ子なんかは)、
ネットがないことや、
パソコンがないこと、
携帯電話がないこと、
テレビがないこと、
ゲームがないこと、
そういう世界を、信じられないんだろうな。

俺たちが、小学生の頃、
社会の教科書を見て、
「え?数十年前まで、
洗濯って、洗濯板を使って、
手でやってたの?
冷蔵庫ってなくて、
夏は、氷を買って来て、
それを入れて、冷やしていたの?」みたいな。

*****

まあ、そんなわけで、
切符を折り曲げて耳に入れる芸当はもうできない時代ですが、
ぜひ、こういう良質なエッセイは世の中に残して行きたい。

心をリラックスさせるには、
とても良い作品です。

2011/11/22 23:53



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November 10, 2011

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村上さんのエッセイです。

このエッセイを読むと、
村上さんが、ただのおっさんなんだということがよくわかります。
というか、
本当は凄い人なのかもしれないけれど、
このエッセイを読んでいると、
「ははは、ただの面白い一般市民だな。俺と同じだな」
と笑いながら読んでいて、
ふと、「あれ?この人が、海辺のカフカとかを書いたんだっけ?」
と、ふと不思議な感覚に陥ってしまいます。

それくらい、ルースで、
気を抜いていて、とても読みやすいエッセイです。

*****

元々は、村上さんのことは、
彼女から教えてもらいました。
彼女が、村上さんの「そうだ村上さんに聞いてみよう」
シリーズなど、彼のエッセイが好きで、
付き合い出した頃、彼のそういった本を、
読ませてもらいました。

で、そこから、「ノルウェイの森」を読んで、
俺は一気に村上さんにハマってしまったわけですが、
なので、俺はどちからというと、
彼の小説ばかりにハマって、
彼のエッセイは、殆ど読んだ事がない、という状態でした。

彼女はむしろ、高校の頃から、
村上さんのエッセイが大好きだったみたいです。

******

この本は、色んなテーマが書いてあるのですが、
まあ、彼が日常生活で考えたり、
思ったりした様な、どうでもいいことが、
「サザエさん」的な、「ああ、それ、あるある」みたいな、
人の日常を覗いて、大してすごくなくて、
読んでる自分もほっとする、
そんな感覚をもたらしてくれる、
緊張しているときに読むと、ふと肩の力が抜ける、
そんなリラックス剤みたいな本です。



俺が好きなところは、
彼が空中浮遊の夢をよく見る、というくだりとか、
(麻原彰晃が、空中浮遊をする、ということをニュースで見たとき、
信じるとか信じないとかよりも、
「だから何なんだ?」と思った。「そんなことは、僕にでもできる」と最初に感じた。というくだりが面白い)

以前住んでた鵠沼海岸の付近で、
筑紫哲也にそっくりのホームレスがいて、
それを、知り合いの編集者に話したら、
次週の週刊誌に、「こらあ、テツヤ!」という見出しで大きく載ってしまった、
とか、

全身裸で、家事をする主婦の事を取り上げたら、
全国から、「そんなことも知らなかったの?」的なレターを沢山いただいた、とか、

全国のラブホテルの名前特集とか、
(彼と、水丸さんと、丁稚のイガラシで話すところなんかは、ただのエロ親父の集まりですね)

まあそんな風に、読んでいて、「うっしっし」と、
思わず笑ってしまう内容ばかりです。

まだ全部読んでないけれど、
さっき読んだ中で面白かったのは、
彼が、横浜にある、皮膚科と性病科が一緒になったという病院にいったとき、
そこで大きな声で、
「ムラカミさん、ムラカミ・ハルキさあああああああああああん!!!」と大きな声で呼ばれた、とか、
その看護婦の様を表す書き方とか、
そういうのが、とてつもなく面白い。

以前ローマで買ったランチア・デルタ1600GTというイタリア車が、
どんな車よりも、表情が良く出る車だったということで、
アクセルを踏み込むと、「ういいいいいいいいいんん!!!」となって、
「おおおおおおお・・・・」とまるでレースカーを走らせている様な感じになるけれど、
メーターをよく見ると、80キロしか出てなくて、
「アホか」と思う、そのくだりとか、
最高ですね。

******

ぜひ、オススメです。
個人的には、オリジナルハードカバーの方が、
文字が大きくて読みやすいし、
本そのものに愛着がわくので、好きです。

2011/11/10 23:12




追記:
昨日書き忘れたけど、
村上さんの作品は、海外では非常に有名だけれど、
こういう、どうでもいいエッセイとか、
彼の、その文脈の面白さ的なところは、
日本語以外に訳してしまうと、
その微妙な面白さが、きっと伝わらなくなってしまうんだと思う。

だからこそ、村上さんが書いたそのままの日本語のニュアンスで、
彼のこういう文章を読めることは、
日本人としての一つの幸せでありますね。



ということが書きたかった。



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May 26, 2011



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確か4月の頭から読み始めて、
今朝読み終わりました。

ラストの終わり方は、
衝撃的でした。

読み終わって、正直、
うまくこの話がつかめていません。

多分、もう一回読み直さないと、
意味が分からないでしょう。

でも、今の状態で、感じている事を、
残しておきたいので、
ここに書いておきます。

*****

最初の出だしの方は、
「1973年のピンポール」と同じ様な雰囲気で、物語が進行して行きますが、
(ちなみに「1973年の〜」はまだ途中までしか読んでいないので、感想は言えません。「ダンスダンスダンス」も然り)
途中から、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の
世界の終わりのような雰囲気が入って来ます。

下巻の途中から、主人公と耳の綺麗な彼女が
一緒に足を運ぶ、
北海道の山奥の、鼠が住んでいるであろう別荘での雰囲気は、
まるで、世界の終わりそのものでした。
「世界の終わり」でも、雪が降ったり、
その世界には誰もいなかったり、
自分だけが、自分の内面と話して行って、
まるで、時間が全て止まっているかの様な世界が描かれています。

この「羊を〜」の中では、
まだその世界は「現代」とは言え、
時間が止まった感が、非常に強く出ていました。


*****

村上さんの小説を読むと、
どうしてこうも、一人の世界に入って行ってしまうのでしょう。

その世界は、彼がインタビューで語っている様に、
2階建ての家の、
地下の、更にそこにたまに出てくる扉の奥の、
真っ暗で、怖い、けれども、
居心地の良い世界です。


だからこそ、
彼の小説だけを読んでいると、
精神的に、籠ってしまって、
外に出て行くのが、億劫になってしまいます。

だからこそ、ビジネス書なり、
何か明るい本なり、
他の本でバランスを取らないと、
彼の本に、「麻薬的に」依存してしまう傾向があります。

*****

「羊をめぐる冒険」では、
「羊」とは、何だったのか。

何となく分かる気がしますが、
言葉にして説明しようとすると、
それが壊れる気がするので、
今は、伏せておきます。

もう一回読んで、
自分の中で、自分なりの解釈ができたら、
またここに、追記で感想を記したいですね。


2011/5/26 2:24am




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March 20, 2011

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村上さんが、スコットランドのアイラ島(Islay)と、
アイルランドで、
ウィスキーを巡りながら、
奥さんと2週間の旅をしたときのエッセイ。



非常にゆるいノリで、
何とも、適当である。



例えば、
彼がロスクレアという、
アイルランドの中の町の、あるバーで、
70歳くらいの老人が、隣に座って、
タラモア・デューというウィスキーを飲んでいるのを、
横目でちらりと見ているとき。

その老人についての考察が書かれているわけだけれど、
その老人が、何をそのとき考えていたのか、
色々な例えが出るんだけれど、
その例えが適当で、面白い。



それから、彼が、
ラフロイグという場所のウィスキーを飲んで、
その10年ものと、15年ものの違いを述べるときも、
「音楽でいうならば、(10年ものは)ジョニー・グリフィンの入ったセロニアス・モンクのカルテット。15年ものは、ジョン・コルトレーンの入ったセロニアス・モンクのカルテットに近いかもしれない。」なんて、全然分かんないよね。笑

その適当さが面白いし、
そのマニアックな例えが、
彼のなんと言うか、人間味を出しているよね。

*****

とにかく、力が抜けて、適当で、
ゆるりと読める、作品でした。

丁度、ウィスキーを飲みながら、読みたいような。
(俺はウィスキー飲まないけど)

*****

村上さん、適当だなあ。


2011/3/20 23:43






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去年の9月頃、ハードカバーで
書店に売り出していた。
その時ちらっと見たが、
挿絵の感じから、海外の小説を
村上さんが訳したものかと思っていた。

実際には、1989年に彼の作品として出版されたもので、
当時は「眠り」という題名だったが、
今回、ドイツ版で挿絵がついて発売されたものを
村上さんが日本で出したい、と思っていたのが
現実化されたのに加えて、
彼がもう一度推敲をしたことで、
元のバージョンと区別化するために、「ねむり」、としたとのこと。

****

今日、成田図書館に行って、
この本があったので、読み出した。
1時間かからず、あっという間に読んでしまった。

****

この本の言わんとすることは、


というか、その前に、どんな話かなんだけど、
(ネタバレありますので、これから読みたい方はこの先読まないで下さい)

30歳になろうとしている女性が、
ある日、急に眠れなくなって、
「今日は眠れなくなってから17日目である」、
という出だしから始まる。

彼女には、そんなにハンサムではないけれど
好感を誰からも持たれる顔立ちの夫がいて、
彼は、歯科医をやっていて、
まずまず儲かっている。

そして、小学生の子供が一人いる。

普段は、何気なく、
その夫の妻として、
また、その小学生の母親として、
難なく過ごしているのだけれど、
ある日、ある夢を見てから、
急に眠れなくなり、
それから、彼女の生活が、
徐々にだんだんと、変わっていく、
というもの。

そんな彼女の心境の変化を、
淡々と語った物語である。

*****

読み終わるまでは、
相変わらず村上春樹特有の、
読みやすい文章で、
あっという間に、先へ先へと
ページが進んでしまう。

彼の文体は、本当に良くできていて、
イメージで言うと、よく磨かれた球体か、
何か、水の流れのような、
「流れ」が非常に良く出来た、
一つの作品になっている。

彼も自分自身で、
「僕の文章は、読者が早くページをめくりたくなるように
面白く書いている」
というような事を言っているけれど、
そんな風に、洗練された流れで、
一つの作品を仕上げる事ができるのは、
素晴らしいと思う。

そう、音楽で例えると、
文章にグルーヴがあるよね。

*****

まあ、それは置いといて、
この作品は、最後まであっという間に読みえてしまう。
余りにも集中して、目が痛くなるのを
途中で何度か休ませる以外には。

イメージで言うと、
どんどんとギヤが上に入って、
加速していって、
トップのギヤまで入って、
長い直線を高速で走っている時に、
急に、次のページをめくったら、
文章がもう無くて、「ええ?もう終わり??」
ってな感じの作品だった。

つまり、
「この後どうなんの?」っていうところで、
ズバッと作品が切られた、
そんな感じ。


最初は、「・・・・で、一体何を言いたかったんだ?」
と呆然としてしまった。

その後、よく考えても分からないので、
図書館を出て、一旦家に帰り、
そこからジョギングに出た。

久しぶりに30分くらい走って、
成田の町を久々に見て、
超汗をかいて、
シャワーを浴びながら、
改めて、この作品の言わんとしている事を考えてみた。


*****


おそらく、
この女性は、
ある日を境に、眠れなくなってしまったわけだけれど、
それはある意味、
彼女がそれまで「幸せ」だと思っていた、
何気ない日々の生活は、
実は、彼女に取っては全然退屈なもので、
それは、他人(ひと)から言われたり、
与えられたりして、
他人からは、「それは幸せだよ」
という価値観を押し付けられて、
当人は、それを押し付けられたとは感じていなかったけど、
ある日、眠れなくなった事を境に、
今までずっと好きだった、「読書」というものに没頭してみたり、
今まで大好きだったけど、夫が嫌いという理由で
食べる事を辞めていたチョコレートを食べだしてみたり、
水泳に没頭することで、
自分が唯一自分の体で好きである、
体のラインをまた保てる様になったりで、

「自分」というものを今まで捨てて、
「誰か=他人」の付随品として、
「自分=自己」というものを捨てて来た生活を、

ふと、客観的に見てみる事で、

「あれ?これは、私が心から求めていたものじゃない」
と、気づいたような。

上に挙げた、読書の例や、
チョコレートの例以外にも、
自分の息子の寝顔が、
自分の夫の寝顔にそっくりな事を発見した時、
自分の夫に対して感じる、
嫌悪感を、
自分の息子にも、感じ取ってしまう。

そしていつか、
自分は、この息子には何も分かってもらえず、
自分も、この息子を、嫌いになってしまう日が来る、
そう感じ取ってしまうところにも出て来ている。

それまでは、その息子を愛していると思っていたけれど、
それは、ただそう、「思っていた」だけかもしれないのだから。
他人や、外的要因による価値観により。

****

彼女は、物語の終わりの方で、
上に書いた、自分の息子に対する愛情の欠陥を
自分の中に発見してしまい、
それが恐くなって、車を深夜に走らせ、
公園の方に行く。

そこで、ふと休んでいる時、
車の外には、二人組の”何か”の陰が寄って来て、
彼女が乗っている車を、
左右から、グラグラと激しく揺さぶる。

彼女はパニックに陥り、
泣くしか、ない。


*****

とまあ、そこで作品は終わる訳ですが、
それも、
彼女が、自らの中に、
「自我」(=それまで自分が、今の生活に入る事により、
眠らせていた、自分の欲求)
に気づき、それを出した事により、
ある意味、自分がそれまで送っていた単調な生活に、
「こころ」を入れるのを辞めて、
自分は、大好きな読書や、
水泳、
それらのことに、没頭していくわけだけど、
(文字通り、”没頭”=心をそれらのことだけに、集中させていく)

それをするってことは、
同時に、
今自分の周りで起きている、リアルな生活に、
蓋をして、自分を、
自分だけの世界に落とし込んでいくことであって、

それは、自分を、外の世界からシャットダウンさせていることと
同じになる。

そうしたとき、
それまで眠らせていた、自分の”自我”を発見したことにより、
出て来た喜びと同時に、
自分がそれまで抑えて来た、
自分の本当の感情=自分の醜い部分
も出て来てしまって、
それを垣間みた自分は、
その自分の心の醜さ=闇の部分
に、直面した瞬間、
そのショックに、耐えられなかった。

だから、その”何か”は、
自分の車の周りによってきて、
彼女の乗っている”車”=”世界”
を、揺さぶった。


ということなのかもしれない。

*****

この後、彼女は、
元の世界(=自分が今までいた退屈だけど、”幸せ”な世界)
に戻るのかもしれないし、
または、自分の闇の部分も受け入れて、
自分の本当の自我を出した世界に、
入っていくのかもしれない。

自分を出すということは、
自分が何かから独立するということであり、
それは同時に、華やかな日の光の部分と同時に、
人には見えない、闇の部分をも
自ら、受け入れる覚悟と強さが必要なのだから。

彼女は丁度、
この作品の最後では、
その選択肢のまっただ中にいる・・・・。


という作品なのかもしれない。

*****


または、
そんな意味は全くなく、
「え?いつものように、
何も考えずに、
ただ、書いただけなんですけど」
という作品かもしれない。

(多分後者の方が正解。笑)

*****

と、書きながら興奮して
ちょっと長くなったレビューでした。

他の人の意見を聞きたいわ。

2011/3/20 19:33




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February 19, 2011


先日、村上さんの小説に関して彼女と話していた際に、彼女から出てきた言葉。

今俺は、彼の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んでいるけど、先月の頭に『海辺のカフカ』を読み終わってから、この本を手にとって、なかなか進まない。
結構、お腹いっぱいって感じ。


村上さんの長編小説は、
世界観が凄いし、一度読み出すと、ハマり込んでしまう。
なので、一度その世界にハマった後で、すぐに別の世界にハマろうとすると、かなりお腹いっぱいになる。

例えば、
昨日までイタリアを満喫していたのに、今日からドイツに行ってしまったような。
イタリア旅行だけで今回は辞めておけば良かったのに、
そのまま欲張ってドイツも行っちゃうから、イタリアの良さも薄れてきちゃうし、ドイツも新鮮に感じない、みたいな。


それよりも、イタリアの長期旅行に行ってきた後は、
近所の銭湯に行ったほうが、
逆に新鮮みもあるし、
また、日本に飽きてきたら、
海外に行けば良いんだよ、と。


村上さんも、同じ事を書いていた。
「長編小説を書いた後は、短編が書きたくなって、ある程度まとめて短編集を書くと、また、長編小説が書きたくなる」と。




多分、ドイツの良さも、ちょっと期間を置いたら、良くなって来るでしょう。

今は近所の銭湯に行こう。


2011/02/19. 23:51

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January 07, 2011

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海辺のカフカを読んだ。
二日前に読み終わった。

上巻は、12月の半ば位から読み出したが、
下巻は、年始に実家に帰り、家で一気に読んでしまった。

この本は、丁度2年半前の2008年夏に
読んだはずだが、
正直、どんな話か、余り覚えていなかった。

今回読んでみて、
不思議な事に、
下巻の頭の方までは覚えていたのだが、
下巻の途中から最後までは、
全く記憶に無かった。

果たして、前回、全部読んだのか?
それとも、途中で止めてしまったのか?

でも、前回読んでいた時は、最初に「ハードボイルドワンダーランド」
を読んで、
その後、海辺のカフカを読んで、
最後に、ネジ巻鳥クロニクルを読んでいたから、
全部読んでいたんだと思う。

何が言いたいかと言うと、
以前に読んだ事のある本でも、
また時間を置いて読むと、全然印象や雰囲気が変わるということ。

そして、前回この本を読んだ時は、
全然面白いと思わなかったけど、
今回は、とても面白いと感じた事。

*******

この本では、15歳の少年、田村カフカと、
文字の読めない60歳の老人、ナカタさんの、
2人の話が交差しながら進んで行く。

初め、2人の物語は、全く別次元の事に感じるけれども、
次第に、その2つの世界が、段々と近づいて来て、
それが気づくと、見事に同じ世界で重なり合う。

しかし、もともとナカタさんがいた世界に、
今度はカフカ少年が入り込み、
同時に、カフカ少年がいた現実の世界には、
ナカタさんが入りだす。



この小説の魅力は、
やはり、その世界観だと思う。

少年カフカのストーリーは、
一人称で描かれる。

しかし、ナカタさんの話は、
三人称で描かれる。

それぞれの世界に出てくる登場人物は、
それぞれキャラクターがあり、
毎回、その登場人物の視点で物語が語られるので、
読んでいる方は、まるで何人もの人生や考え方を味わい、
まるで、自分が色々な人になりきったかのような感覚を味わう。

それは、村上さんの文章力の賜物だと思う。


*******

村上さんの話には、
必ず、「井戸」や「森」が出てくる。

去年の10月頃に、彼のインタビュー集
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
を読んだが、そこには、
彼が考えている、誰しもの中に眠っている、
「井戸」のことが語られていた。

「ノルウェイの森」も、彼の作品は、
必ず、
人の心の奥に潜む、その深い「森」が語られる。

彼は、小説を書く際には、
先に何があるかを、自分でも分からないまま、
夢を見る様に、書いて行くという。

彼の小説の「読解本」のようなものは、
何冊も出ている。

しかし彼曰く、
答えの様なものは無くて、
彼自身も、何が答えなのか、
何が本当なのかは、分からないという。

だから、各読者が、
自分が感じたままに、
その世界に浸ったり、
その小説が言わんとしていることを、
感じてほしい、と言っている。

*******

今回、海辺のカフカを読んで、
非常に面白く、感動して、
その感動を、残して置こうと思って、
筆を取ったが、
正直、今眠すぎて、疲れていて、
うまく言いたい事がかけない。

でも、その「感動」というか、
いい文章を読み終わった後に残る、
その「感動」は、
一生続かないし、
今残しておかないと、それは消えちゃうから、
一度、ここに残しておきたかった。

******

また、頭がスッキリした時に、
続きを書きたい。

2011/1/7 2:13am

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December 12, 2010

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ノルウェイの森。
見て来ました。

感想は、
「やっぱり、映像にするのは難しいな」
ということです。

村上さんの話は、
全体の流れで、一つの大きな概要を
表す、という特徴があります。

一文一文に意味があるのではなく、
その作品、全体の「流れ」として、
一つの綺麗なまとまりとなる。

そんなイメージが、僕にはあります。

ですから、
今日の映画で言うと、
今まで何十枚アルバムを出して来たアーティストの曲を、
一気に、たった1枚のアルバムに収めた様な。

かなり窮屈間のある、ぎこちない、ベストアルバムのような。

そんな印象を受けました。


あの長さのお話を、
2時間に纏めるのは、難しいのかもしれませんが、
しかし、終わった後の感想が、
「やっぱり、映像にするのは、
難しいんだね」
で終わってしまっては、何か悲しいですね。



一人一人の演技に関しては、
ワタナベ君役の松山ケンイチは、
非常に普通っぽくて、うまかったと思います。

緑ちゃん役の子も、
普通っぽくて、まあまあ、
原作のイメージと近くありました。

ハツミさんも、よろしい。


しかし、直子と、レイコ先生。
あれは、合ってないでしょう。

直子は、菊池凛子自体が俺が好きじゃないから、
しょうがないかもしれない。

確かに、見終わった後、彼女と話していたけど、
菊池凛子は、役者としてのキャラクターは嫌いでこそあれ、
その演技は、かなりうまい、と。

まあ、ちょっと精神病的なところというか、
不安定さが出ていたから、いいけれど、
やっぱり、あのちょっとかわいこぶった喋り方が、嫌だわ。

それと、レイコ先生。

全然シワがないじゃないですか。

しかも、彼女のバックグラウンドも全くシェアされないし。

最後に彼女がワタナベのアパートに来るところなんかは、
彼女がどれだけの思いをして、この一般の社会に出るのが大変か、
それに、彼女が、ワタナベと寝るところなんかも、
レイコさんが一方的に誘っては、
あれでは、意味が変わるでしょう。


******


やっぱり、色んな要素を詰めすぎた感があるし、
この映画を、原作を知らずに、観た人に取っては、
意味が分からないと思う。

しょちゅう人が死ぬし、
ワタナベは誰とでも寝るし、
混乱ばかりだし。


違うんだよな。原作の流れは。
そう言ってしまっては、終わりだけど、
でも、もうちょっとなんかこう、
「ああ、見て良かった!」って思いたいものです。



2010/12/12 7:20am



PS、ちなみに今日は、俺が仕事が11時半に終わった後、
携帯を見ると、彼女からのメールが。
終電まで残り3分のところで、彼女に電話をすると、
何と、彼女と高校時代の友達と急遽会っていて、
これから新宿に来るという。

ノルウェイの森は、本来は俺と彼女で、
今日(12月12日の昼)に見る予定だったけど、
11日公開で、きっと昼間は混んでいるよ、とのことから、
勢いで11日の夜に見ちゃおうぜ、となったそうです。

で、俺もそのまま新宿に残り、
彼女と、彼女と高校時代の親友、
ヒラツ君と、タクヤ君と合流。

彼らの話は、彼女と会った3年半前から
よーく聞いていたので、
俺としては、芸能人に会えたみたいで、
すごく嬉しかった。

で、新宿の街で、
映画が始まる1時55分AMまで、
居酒屋で話をして待つ。
すごく楽しかった。

ノルウェイの森は、
よくワタナベ君が、夜の新宿を歩くシーンとかがあるから、
まさにオンタイムで、新宿の夜で、
この映画を見られて、
凄く嬉しかった。

On the place, On the right time.


タクヤ君はちなみに、村上さんの大ファン。
彼が高校時代に、村上さんにはまり、
かつ、彼女もはまっていて、
よく2人は、高校時代に、
村上さんの話をしたそうな。

ダンスダンスダンスとか、
初期作品は俺もまだ読んでないけど、
タクヤ君は、むしろ初期の作品の方が好きみたいなので、
早速今日から読んでみます。





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December 01, 2010

先日、村上春樹の「ノルウェイの森」をまた読んだ。
前回読んだのは、2007年の11月頃。
初めて読んだその時、
衝撃は大きく、
もの凄く感動したのを憶えている。

当時の日記を読んでも、
そんな事を書いていた。

で、今回読み返してみた。
凄く読みやすくて面白かったが、
正直、衝撃は全く無かった。

もう、ストーリーを知ってしまっていたからか。
それにしても、一度読んだ時は、
凄く感動したものでも、
時が経って読むと、
同じ様には感じたり、感動しなくなってしまうということは、
面白い事だな、と感じた。

だからこそ、その時に感じた衝撃とか、
感想とか、
どう感じたか、というのは、
些細な事でもいいから、書き出して、記録に残しておくといい。

ある事に感動した自分がいるのは、
その点に対して、敏感になっている自分がいるから。
だから、その感動したポイントを残しておけば、
後で、自分の成長が見られるというもの。

どんなに小さな事でもいいから、
書き残しておくといいい。

******

最近村上さんにはまり、
一気にずっと読んでいる。

この10月に、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
を読んでから、
「走ることについて語る時に僕の語ること」
「神の子どもたちはみな踊る」
「めくらやなぎと眠る女」(24の短編コレクション)
「ノルウェイの森」
などを読み終わり、
今は、「ねじまき鳥クロニクル」と
「風の歌を聴け」を読んでいる。


彼の作品は、
磨かれた球体のようで、
会社帰り、脳が疲れた時に読んでいると、
気持ちいいセラピーの用で、
とても気持ちよくなる。

内容がどうのこうのではなくて、
その文章というか、
文体全部を通して醸し出す、
その「流れ」に身を任せることが、
気持ちいい。

*****

村上さんは、本当に職人だと思う。


2010/12/1 2:36am



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October 10, 2010

9784163731001

村上春樹の
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
を読んでいる。

すごく面白い。
1ページ1ページを読むのが、愛おしい。

彼の本は、
読めば読むほど、
すごく大事なものに思えて来て、
ちょっと読んでは、
本を眺め返して、
カバーを見たりして、
全体を触って、
幸せな気分になる。

彼の書く文章は、
非常になめらかで、
イメージとしては、
一つの大きな、磨かれた球体を思い起こされる。

それはなぜだろう、と
ずっと思っていたが、
今回彼のこのインタビュー集を読んで、
「なるほど」と分かった。

彼は、一つの作品を仕上げるのに、
何度も何度も推敲して、
無駄な部分を削ぎ落とし、
最終的に、文章の「芸術」を作り上げる。

それは、アーティストで言えば、
レニー・クラヴィッツが、
一つの曲を作るのに、
全ての音を自ら演奏して、歌い上げ、
それを何度も何度もミキシングして、
本当に完成が行くまで、何百時間も
スタジオにこもるのに似ているし、

ミケランジェロが、
彫刻を何度も何度も掘り、
最後は何度も磨き、
一つの大きな石から、
作品を彫り上げる事に、似ている。



言わば、村上さんは、
「言葉」の職人。

俺は、職人ものが好き。
ものが好き。
「モノ」の形を見て、
それがいかに、芸術的に作られているかを、
眺めるのが、好き。

それと一緒で、
村上さんの書く言葉は、
何度も磨かれて、
無駄を無くして、
これ以上無いと言うくらいまでに、
磨かれた言葉の集積。

だから、読んでいて、楽しい。
いや、読んでいて、「気持ちいい」。

だから彼の作品は、
その一文が、どうのというわけではなく、
彼の一つの作品を通して、
大きな一つの作品として見た時に、
その最初から最後までの、文章の流れが、
非常に気持ちいい。

だから、読みたくなる。

******


彼の書くものの中には、
毎回「暗闇」の部分が描かれる。
それに関しても、このインタビュー集では語っているので、
非常に深いが、
今はそれには触れないでおく。

******


文章、言葉というのは、
非常に不思議なものだと思う。

誰もが、生きている中で、
同じ言葉を使う。

しかし、その言葉の並べ方や、
言い回し、
文章の流れ、
全体の雰囲気、

それらの違いだけで、
一個一個の使っている単語は一緒にも関わらず、
一人一人の発する言葉は、
全然違う響きを持たらす。


例えば、今日の帰り、
うちの会社の社内報を読んでいたが、
会長、社長、取締役、
その他のスタッフの言葉、
全ての文章が、雰囲気が違い、
全ての文章が、「その人」を表す。


言葉の使い方に関しては、
その人がいかに、「書くこと」に慣れていて、
いかに、自分が思っているとおりのことを、
表せるか、
という、
技術的な問題もあるだろうが、

しかし、
その人の使う言葉、使う文章、
言葉遣い、
そういったものは全て、
その人自身を、やはり、表すと思う。


自信がないけれども、
勢いをつけようとする人の言葉には、
それが現れるし、

すごくマメで、
よく考える人の文章には、
それが現れるし、

繊細さを持つ人には、
その繊細さが現れるし、

ガサツで、一件荒々しく感じるけれど、
その奥には、深い知識と、優しさを兼ね備える人には、
それが現れるし、

人の心を傷つけたり、
誤解を招くような言い方をしてしまう人には、
やはり、その人が結局は、
そこまで考えられていないんだということが、
現れるし、

全て、
その人が発する言葉、書く文章、
言い回し、
その、単語と単語の集まりの「ことば」には、
「その人自身」が、現れる。



******

そんな中で、村上さんの書く言葉、
発する言葉、
それには、
彼の、素晴らしいまでの、「職人芸」が、現れる。

だから、彼の文章は、
読んでいて、気持ちいい。
美しい。
「磨かれた球体」というイメージが、
作品全体を通して、持たらされる。



******

村上春樹。
「言葉」の、職人。


2010/10/10 1:33am

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October 04, 2010

バイオハザード?-アフターライフ-ポスター

やっと観て来ました。

7月から楽しみにしていましたが、
感想は正直、「内容がねえなあ」でした。

ホラーアクションとは、
こんなものなのでしょうか。

それとも、自分がバイオハザードの
TVゲームもした事が無いし、
今までの作品も見たことが無いから、
こう感じるのでしょうか。

それにしても、内容がないねえ。

でも、映像はかっこ良かったです。
3Dの技術を良く使っていたし、
映像は、とにかく凝っていました。

OPENINGの渋谷で、
雨が上から降っているシーンとか、
雨粒一つ一つが浮き上がって見えて、
「すげえなあ」ととにかく感動しました。

(今回は前回の"Inception"と同様、
川崎のIMAXシアターで見たせいもあるでしょうか。)


それから、ミラ・ジョヴォヴィッチさんは、
本当にかっこいいですね。
見ていて惚れ惚れします。

*****

内容を求める人には、全くおすすめしません。
何も考えずに、
ミラジョヴォヴィッチのアクションを堪能した方のみに、
おすすめです。

(突っ込みどころも満載だったし)


2010/10/4 21:05


PS.
今日は休みだったが、
12時から来店が一件あったのと、
13時からうちの会社の中国オフィスの方が
直接セミナーをして下さるという事だったので、
出社した。

12時からの子は、6月から電話で話して来た
大学4年生の子。
もう個別でカウンセリングを3回ほどして、
しかも彼の母親にも、一度大阪から
こちらに来ていた際に、直接カウンセリングをした。
(それは8月末。その時も休みで出社してカウンセリングをした。)

そんな彼だが、
将来は教師になりたいが、
今は1年間、ワーホリで海外経験を積んで、
実体験を積んでから、先生になりたいとのことで、
やっと海外へ行く事を決心した。

*******

その後は、13時から中国勉強会。
松川さんというその方は、
現在中国オフィスを設けたり、
今は現地にいる中国人スタッフを使っての、
マンツーマンレッスン(Skypeを使ってする)
の経営などもされている。

直接お話が伺えて、非常に勉強になった。

彼曰く、
中国とは、全てが、
「人脈」と、「文化をいかに理解しているか」
だとのこと。

人脈に関しては、今度詳しく書こうと思うが、
ビジネスをしようと思ったら、
中国では、人脈がないと、やっていけない、と。

日本では、契約を取るのに8割のパワーを使い、
残り2割に、お金の回収としてパワーを使うが、
(つまり、日本では、義理や人情の世界であるから、
一度交わした約束は、そう簡単には破らないという、
誰しもが理解する暗黙のルールがあるため、)

しかし中国では、
2割のパワーで契約が簡単に取れてしまうが、
残りの8割のパワーを使って請求金額の回収をしないと、
お金をいくら待っても払ってもらえない、
そんな文化だとのこと。

(面白いエピソードは後日に)


また、文化に関しても、
やはり中国独特の文化があり、
それを理解していないと、
中国でビジネスをやっていくにはダメだと、
強く強調していた。

******

とにかく、中国の生の情報が知れて、
凄く勉強になった。
休日出社だが、
自分への投資となった日だった。

******

帰りは、川崎で降りて、らぞーな川崎で、
バイオハザードを見る。
で、帰りに村上さんの本と、
スティーブ・ジョブズの欲しかった本を買った。


「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
_SL500_


「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」
_SL500_


村上さんのは、1997年からのインタビューをまとめたもの。
スティーブジョブズのは、
彼のプレゼンがいかに計算されているかを、
解読したもの。

帰って来て、彼のIpod発表時のものや、
Iphone発表時のプレゼンを早速Youtubeで見たが、
面白かった。

彼は、笑いを入れるし、
パワーポイントでのタイミングや間が完璧だよね。

しかしそんな彼、
一回のプレゼンをする為に、
毎日何時間もの練習を、
何日間もして、準備するそうな。

だって、そのプレゼン自体で、
その商品の売れ行きが決まるも当然だからね。

CEO自らが商品のプレゼンをするApple。
I-phoneがアメリカで2007年に出た当時は、
これが売れるのか?という疑念もあっただろうし、
日本でも、出た当初は、
バッテリーが持たないだの、
文字が打ちにくいだの、
色々あったけど、
今は誰もが、I-phoneを持っているよね。

俺の彼女も買って、毎日いいよと言っているので、
俺も欲しくなって来てしまった。

(アップルは、製品のデザインがまずかっこいいし、
本当に飽きが来ないし、
何しろ、使っていてスマートで、かっこいいよね。
俺のIMacも、5月に買ってから約半年ですが、
全然飽きません。大好きです。)

*******

スティーブジョブズの凄いところは、
時代の先を読んでいて、
最初はそれが世間に受け入れられなくても
(それは主に、世間の人々が、
その新しいデバイスに、慣れるのに時間がかかる、
という要素が大きいみたいだが)、

世間が追いつく事を確信して、
どんどん先を行く事だよね。

Ipodも、最初に出た2001年から、
たった9年で、ここまで変わってしまった。

Ipod-nanoが出たのは2005年だが、
今のIpod-nanoに比べると、画面も小さいし、
凄く古く見えてしまう。
(最新のものは余りにも小さくなりすぎて、
流行るまで時間がかかりそうですが)

*****

とにかく、今日はそんなんで、
スティーブジョブズと村上さんと、
中国の文化と、ミラオヴォヴィッチにハマった一日でした。

2010/10/5 0:22am




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August 26, 2010

1q84

「1Q84」。

やっと、読み終わった。

2009年の5月にBOOK1を買ってから、
毎日、少ーしずつ、
トイレの中で読んでは、
たまに持ち出して読んだり、
電車の中で読んだり、
家にもって帰って読んだり、
色々していたが、
昨日、
やっと、BOOK3を読み終えた。

正直、この「1Q84」は、
今までの村上さんのように、
するすると読めなかった。

正直、つまらなかった。

なぜ、こんなに売れているのかが
良く分からない。

その良さは、スルメの様に噛み砕きゃ無きゃ
分からないのかもしれないが、
とにかく、読み始めて、3冊読み終わるまでに、
1年半近くかかってしまったのは、
多分、「つまらなかった」から。

「ノルウェイの森」もあっという間に読み終わったし、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」なんて、
超面白くて、ががっと読んでしまったし、
「海辺のカフカ」も、「アフターダーク」も、
それから、先日読んだ「スプートニクの恋人」も、
どれも数日でさらっと読んでしまった。
(「ねじまき鳥クロニクル」は、第一巻の最後の
描写が怖くて、それ以降読んでいない)


が、しかし、
「1Q84」だけは、
長かった。
1年と4ヶ月。

もう、青豆と天吾と、
それから牛河さんを、
ずいぶん長い間知っていた
友人のように感じますよ。

でも、村上さんの凄いところは、
その描写力だよね。

どんな表現も、まるで目の前で
それが起こっている様に描くし、
何かの感覚とか、
情景とか、
そりゃあもう、
全てを繊細に描くから、
まだ一回しか読み終わってなくて、
しかも、すんごい長い文章でも、
なぜか不思議と、
全てのシーンを、目の前で見て来たような、
そんな感覚に陥るんだよね。
後で思い返すと。

だから、今回の1Q84含め、
今まで読んで来た村上さんの本は、
まるでどこかでその映画を観た事があるような、
どこかで、その体験を自分がしたような、
どこかで、その光景を、目の前で見て来たような、

そんな感覚に、
物語を思い返すと、陥るんだよね。

これは、凄い事だよね。

*****

そして、彼の文章は、
さらさらと読めてしまうんだな。

文章全体に流れがあるというか、
何度も推敲したんだろうな、と思うけど、
凄いのは、
物語全部を通して、
まるで、奇麗に、磨いてきたような、
そんなイメージを持たせる、そんな文章を
「書き切る」よね。
こんなに長い物語を通して。


それは、並大抵の文章力と、
集中力と、
想像力と、
経験と、
その他、色んな知識を持ち合わせてないと、
出来ないんだろうね。


だから、やっぱり、村上春樹は、
世界で一番読まれるんだろうね。


******

でも、やっぱり「1Q84」はつまらなかったな。
面白かったけど、
でも、「面白かった!!」ではない。

「ふーーーん、
へーーーーーーーえ」

の面白さですな。


誰か読んだ人と話し合いたいわ。


2010/8/26 2:13am



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May 03, 2010

2010年5月3日(月) 18時12分

今、お姉ちゃんと彼氏さんの家。
昨晩は、ここに泊まらせてもらった。

朝起きると、
普段と全然違う場所で起きる
この感覚が好き。

人生を新しい目で見られるっていうか、
新しい人生が始まる、っていうか、
この、「新しい」って感覚が好き。

だから、旅をするのも好きだし、
いろいろなところに行くことが好き。


******



この家は、天井がめっちゃ高いから、
アメリカにいたころをよく思い出す。

空間が広いと、
人は、心が広くなるというか、
心に余裕が出来ると思う。

この家の広さ。

この広さは、2005年に、
伊吹さんとラスヴェガスの友達の家に
泊まりに行ったときを思い出させ、

この家が、木で出来ているところは、
2005年、
伊吹さんが一時期住んでいた、
ララとカレンのサンタクルーズの
家を思い出させる。


家の中に、木があって、
しかも、広い空間って、
いいよなあ。

********


この5月1日で、
俺がアメリカから帰ってきてから、
丁度2年が経った。

そして、
おばあちゃんが亡くなってからも、
2年が経った。

さっき、おばあちゃんが無くなったころの日記を、
読み返していた。


色々と、思い出した。


********


普段と違う場所に行き、
新しい空間で、時間を過ごすことは、

自分に、普段とは違う空気を吸わせ、
違う風を感じる事で、

普段とは、違うことを感じる。


その「感覚」を、
こうして、書き留めることが好き。

なぜなら、その「感覚」は、
その時しか、感じていられないものだから。


そして、そういう「感覚」を書き残しておくと、
後で読み返したとき、
その当時の感覚を思い出すことができ、
その時に、戻れるから。



今朝、村上春樹の「1Q84」の3巻を読んでいたら、
「人間だけが、『時間』」というものを、
直線で捉えるものなんだ」
というくだりがあった。


俺は、自分の人生、
色々なことを体験したいし、
色々なことを感じ、
人生経験の豊かな、
深い人間になりたい。


そのために、色々なことを感じ、
色々な「感情」を、書き留めて、
覚えておきたい。


年を取れば取るほど、
昔の記憶は、鮮明に、瞬時に、
思い出せなくなって来る。

だから、そうして、
自分が経験したこと、
そして、その「感情」を忘れてしまうことは、
もったいないから、

こうして、自分が感じた、
「感情」を、書き記して、
それをいつまでも、残しておきたい。



********


2010/5/3 18:22



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March 17, 2010

2週間ブログを書いてなかった。
この2週間で、随分色んなことがあった。

まずは、体調を崩すと、やはり良くない。
仕事にも影響するし、
体調を崩してから3日間くらいは、
仕事の成績に影響する。

体調管理も、能力のうち。

********

村上春樹の「1Q84」を読み終わる。
去年の5月に上巻を買ってから、
トイレでちょこちょこ読んでは、
全然進んでなかった。
今の仕事は、人の人生に入り込むから、
正直、村上さんのようなディープな世界に
入り込むのは、仕事以外の時間には疲れすぎた。

しかし、今年の頭ぐらいから、
一気に読みが加速し、
一気に下巻まで読み終わった。

今回の彼の作品の言わんとしていることを
読み解くのは、ちょっと考えないと
分からない気がするが、
とにかく、彼の文章っていうのは、
非常に繊細で、全てが細やかで、
まるで、何かの映画を観終わった後のような、
まるで、その主人公たちの人生を、
自分も味わったような、
まるで、自分がその主人公たちの
した経験、見た情景を、
そのまま見てきたような、

そんな感覚に陥る。

村上さんの本を読み終わった後、
その内容を思い返すと、
全てのシーンが、細かい描写とともに、
まるで見てきたかのように思い出されるから、
それが素晴らしいと思う。

3巻目は4月の半ばに出るから楽しみ。

********

映画を結構観た。

彼女と一緒に、
「New York, I Love You」
「幸せの隠れ場所(Blind Side)」
を劇場で観て、
同時に、DVDでも何本も映画を観た。

感想は後で書こう。

*********

仕事に没頭した。
まあ基本はいつもここに返ってくるけど、
この2週間は、特に仕事に集中したわね。
今月は非常に調子が良い。
全ては、「大丈夫」という自信と、
自分を信じることと、
波に乗っていると、信じきることと、
そして、基本を忠実に、
怠らないこと。

明日は全体会議。
去年の全体会議から一年が経つ。

今夜は、社長と一緒に飲みにいった。
色々話した。

今いる環境を、120%使って、
自分を伸ばすこと。
器量を伸ばすこと。

********

昨日髪を切った。
去年の12月から行っている美容院の
美容師さんが、とても面白くて、気が合う。
昨日は、「気」の話をした。

やっぱり、髪の毛には、
その人の「気」がまとわり付くんだって。
だから、いいオーラの人の髪の毛を切ったときは、
その日はパワーをもらうし、
逆に悪いオーラの人の髪を触ったときは、
その日一日がダルくなるらしい。

彼も、「いや、ちょっと変な話なんですけど・・・」
って言って話してたけど、
俺はそういうの信じるから、
2人で、「やっぱそうなんすね」何て言って
盛り上がってた。

それと、その人に教えてもらった、
一日の疲れを完全にとる方法。

夜、熱いシャワーを頭から浴びて、
深く深呼吸をする。
その際に、全てのその日の汚れ、疲れ、
悪いものが全て、手の先から出て行って、
下に流れていくイメージをする。

それを強くイメージして、深呼吸を続けると、
手があっつくなるらしい。

俺も昨日からそれを試してるけど、
実際、シャワーを頭から浴びて、疲れを全部落とすのと、
仮にシャワーを浴びずに、そのまま寝るのでは、
次の朝に起きたときの疲れの感じが全然違うもんね。

シャワーを浴びた日は、基本次の日も
体が軽いけど、
浴びなかった日は、
起きた瞬間に、頭が突っ張ってて、
まるで寝ていた間もずーっと、
気が張っていて、見ていた夢は全て仕事のこと・・・

そんなことが多々ある。

だから、どんなに疲れていても、
必ずシャワーを浴びて、その日の汚れ、疲れを
落としきったほうがいい。

**********

毎日jack Johnsonを朝聞いている。
「On and On」.

無性にサーフィンがしたくなるんだよね。
サーフィンがしたいっつうよりも、
海に浮かびたい。
海で、体を浄化したい。
疲れを全部出したい。

体がそれを欲しているんだろうね。

***********

そして最後に。

こうやって、自分が今思っていること、
感じていること、
考えていること、

そういったことを、
やっぱり、いくら疲れていても、
毎日書いて、
吐き出したほうがいい。

上に書いたように、
シャワーを浴びて、その日の疲れを出し切るのと一緒で、
自分の考えも、
こうして出さないと、
それが溜まって、
いつの間にか消化不良になって、
で、いつの間にか、「便秘」になる。
気持ちの便秘。

何事も、貯めるのはよくない。
川の流れのように。
何事も、次へ流す。
その流れが大事。
フローが大事。

**********

昨日、松下幸之助の
「道をひらく」を読んだ。

この人の考えは素晴らしい。
日本人の、昔ながらの、よさ。
けじめ、潔さ、
そういったものが、書かれている。

読んでいると、自分が小さい頃習っていた、
習字の先生のこと、
小さい頃大事にしていた規律、
けじめ、
そういった、「きりり」とした潔さ、
気持ちよさを思い出す。

けじめが大事。
けじめが好き。

日本人だから。
根本には、そこが根付いているから。

やっぱり、自分の基礎に帰るのがいい。
Back to Basics.

**********

おし、全部吐き出した。

2010/3/17 2:39am

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November 10, 2007



昨日読んだ小説、村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」の感想を、彼女と話し合った。

昨夜俺が一人で読んだ時点では、この話が何を言わんとしているのか、よく分からなかった。どうもすっきりしない状態だった。
昨晩は彼女が早めに寝て、このことについて話し合えなかったので、今日これについて話し合った。

***

彼女はまだこの話を読んでいなかったので、5分ぐらいかけて彼女は読んでいたが、少しすると、「わかったよ」と。

「どうだった?」と聞くと、「この本のキーワードは、”痛み”だね」と。

それを頼りに、自分で少し、もう一度この話の内容について考えてみた後、彼女に聞いてみた。「俺の読みではこんなことを言ってると思うんだけど・・・」と。

すると彼女。「この本はね・・・」と、彼女がたった5分でささっと読んで、読解してみたというポイントを、次から次へと話してくれた。

いやあ、驚きました。まさかそういうことを言っていたとはね。
俺は、この話の言わんとするところが分からず、「村上さんのこの話は、余りよくなかったな・・・」で片付けるところでしたが、彼女の素晴らしい読解力のおかげで、「やっぱり村上春樹はすげえ」の感想で終わることができました。


この小説のポイントは、
「目に見えないものと、見えるもの」
「見ようとするものと、見ようとしないもの」。

普段目に見えるものは、誰もが気づくが、目に見えないものに関しては、人々はそれに気づきにくく、そんなに大げさに取ったりしない。

この話の主人公は、自分のいとこと病院に行く。いとこは、耳の病気があり、右耳が聞こえなくなってきている。その原因は、今ままでかかったどの医者も解明できない。
その、耳が聞こえなくなる原因は、実際は精神的なものじゃないかと、主人公は何となく思うが、彼がいとこと病院に行き、目に見える「痛み」---つまり、肉体的として、誰もがその存在に対して気づくことのできるもの---を治す、病院という場所へ行くことによって、自分は何も「痛み」を持ち得ないと思う主人公も、自分の心の中に巣食う、目に見えない「痛み」、つまり、「心の病」を自らが持っている可能性に気づき出す。

この主人公は、しかし、自分が、自らの心の中に、傷を持っていることすら、もう気づかなくなっていたし、自分の心が病んでいたことにも、もう気づきもしない。

その痛みとは、自分が気づかない間に、見えないところで、徐々に、徐々に、じわじわと、自らの心を巣食っていたからだ。


***

いとこの病である、「耳が聞こえない」という病気は、その症状に誰もが気づけるが、その原因は、どの医者も分からない。その原因が、「目に見えるもの」ではないからだ。

同時に、主人公である青年が抱える、「心の傷」は、周りの人はもちろん、自分にも見えないため、自分を含む誰もが、その痛みに気づこうとはしない。
そして、いつの間にか、その「痛み」さえ感じないほどに、「麻痺」していき、心は、完全に巣食われてしまう。

***

この小説は、そこのところを、主人公が17歳の頃に友達だった少年の彼女が、入院していたベッドの上で書いていた詩である、「めくらやなぎと眠る女」の話にかけて、うまく説明している。

めくらやなぎという木の花粉を付けた小さな蝿が、女の耳から忍び込んで、徐々に女の脳を腐らせていく。そして、彼女の肉を、体の中から食っていく。
しかし、その蝿は、体が小さいため、誰も目にすることが出来ず、体を食われている本人も気づかない。

女の気づかない間に、蝿は徐々に、しかし確実に、彼女の体を蝕んでいく。

***

小説の初めに、五月の風を体に浴びて、その風がもたらす「痛み」を、主人公が、久しぶりに感じるくだりがある。
彼は、高校生であった頃は、その痛みを感じていたが、東京に出て働き出して、25歳になった今は、そんな「痛み」も、当時は感じていたどころか、そんなものがあったことさえも、忘れていたことに気づく。

***

いとこである少年は、自分の耳が聞こえないということを気にしているため、普段からそれを意識している。

自分が、「それを持っていない」−−−「聴力を失っている」という事を知っている以上、”それがないこと”を、気にしている。

彼は、時計を持っていない。以前、気づかない間に、落としてしまったからだ。
彼は、自分が時計を持っていないことを「知っている」ため、いつも時間が気になる。
主人公である青年は、時計を持っているので、時間を気にしない。
いとこである少年は、病院行きのバスを待つ間、何度も何度も、「今何時?」と聞く。
それを、確かめるように。

***

誰もが、心の中に、闇を持っている。
その闇は、誰も、見ることはできない。

肉体的な傷は、誰もが目に見えるため、その「痛み」と、その傷がもたらす「影響」に敏感になれるが、
精神的な傷は、本人以外、誰も見ることはできない。
だからこそ、その「痛み」すら、本人以外、分からない。

一度、同じ経験をしたものでしか、その「心の傷」は分からない。
その傷が、どんな「痛み」をもたらすかも。

そして、その痛みは、本人さえも、気づかなくなってしまう。

それをいつも感じて、麻痺してしまうと。

***


この小説は、そんなところを、言いたかったみたいだ。
他にも、主人公がバスに乗って、周りの乗客が老人だらけで、一瞬驚くシーンがあるのだが、それも、彼は、普段そういう状況に陥ってないがゆえに、それが「非日常的」−−−「普段は体験しないこと」であるがゆえ、その不思議さに気づく。

これもやはり、最初は、その痛みを感じたとき、それが自分にとっては普通ではないため、その痛みに敏感だが、それも、それが「当たり前」となってしまった瞬間、その「痛み」にすら、気づかない。

そんなことを、この老人たちが出てくるシーンでは、言ってるんじゃないかとか、
そういうことを、色々話し合った。

***


彼女は、国語の能力がずば抜けて高い。小学校とか中学、高校時代も、いつも国語は全校でトップだったとか。
彼女は、「言葉」に敏感で、同時に、想像力が豊かなため、一つの文章や言葉を読んだ瞬間、それだけで、その情景が目に浮かぶそうだ。

「その夜は、雪がしんしんと降っていた」みたいな文章だったら、なぜ著者は、「しんしん」という言葉を使ったか、みたいな。

真っ暗な道。淡い街頭の光。周りは静かで、雪の降ってくる音しか聞こえない。
とても静かな夜。

そんな情景が、すぐに浮かんでくるらしい。


そんなわけで、彼女にかかると、どんな文章も驚くほどのスピード読み解かれ、同時に、その話が伝えんとするポイントまでも、一瞬で読まれてしまう。

その才能を素晴らしいと、俺は尊敬する。


今回の村上さんの話も、俺がもし一人で読み終わって、誰とも話さずに終わっていたら、「なんだか訳のわからない文章を書く人だなあ」で終わっていたところ、
彼女と話し合えたおかげで、「彼はすげえ作家だなあ」という感想で終わることができた。


普段、こうして、自分が読んだ本や、見た映画などの感想を、誰かと話し合って、
ここまで深く話せる人といたことが、あまり無いから、
彼女と色々とこうして話せることは、すごく素晴らしいことです。

彼女とは、どんな内容でも、話題でも、テーマでも、考えでも、哲学でも、社会問題でも、ジョークでも話しあえるので、本当に一緒にいて触発されます。

今回も、「その速読力と読解力には、おみそれいたしました」てな感じでした。

それを彼女に伝えると、「国語の神様ですから」と。

梅干を真剣な顔で選んでいるだけではありません。


いやあ、長くなっちまったぜ。

11・09・07

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October 30, 2007

村上春樹の「ノルウェイの森」を読み終わった。
この小説、読み始めて、すっすっと、あっという間に読んでしまった。

考えたら、こんなに早く、しかも楽しんで読み終わった「小説」は、始めてかもしれない。
実際、「楽しんで」というのは、ワクワクとか、そういう「楽しさ」じゃなくて、
人間の心理の奥底に潜んでいる何かを、突っつかれたような、
ちょっと、恐いもの見たさのような、
そんな、「面白さ、興味深さ」だった。


***

ちょっと前に読み終わったばかりだから、まだちょっと頭の整理がついていないが、
村上春樹は、人が持ちえる考えや、空気、感覚、
そんな、「目に見えない、人しか”感じる”ことのできない、”何か”」
を、文章に表すのがとても上手だと思う。

一見、ただ、淡々と文章が続いていくように見える。
しかし、その文章は、風景や物事、人物の描写意外に、
その登場人物たちの、繊細な感情までもが、
事細かに、ありありと綴られている。

それを読んでいる内に、まるで、
自分が、その小説の主人公の人生を歩んでいるような感覚に陥ってしまう。


***

誰もが、簡単に、その様子を思い描ける文章。

そこに行ったことはなくとも、その情景を、
まるで目の前で見ているかのように、思い描くことのできる、文章。


そんな文章を書ける人こそが、本当に文章のうまい人なのかもしれない。


***


村上春樹のこの作品のテーマは、色々あると思うが、
その中でも、メインであろう、「生」と「死」。

主人公は、自分の中の一部が、完全に「死んでしまう」ことを、
自分の心の中で一番大事にしていた人が死んでしまうことによって、
体験する。

そして、それから、初めて、
主人公は、「生」を知る。


「死」を知って、「生」を知る。


それまで、まるで無感覚であるかのように、
淡々と日々を送っていた、自分からは、
抜け出して。


***

人の「痛み」も、同じかもしれない。

自分が、その「痛み」を知ってこそ、
誰か他人の痛みに共感することができ、
その人を思いやれる、優しさが出る。

その痛みを、自ら「体感」するまでは、
いくら頭で、その「痛み」を分かろうとしようが、
本当の意味では、分からない。



自分は、中学の頃に、その「痛み」を知った。
その痛みを知ったからこそ、他人の痛みに敏感になり、
「人の気持ちが分かる人になりたい」

そう思い、他人に優しくなることができるようになった。


***

この小説を読んでいる間、今までの人生での、色々なことを思い出した。
ある意味、それは、自分の心の中の、もう治ってほとんど無くなりかけていたと思っていた傷の、跡を、確かめていたようなものかもしれない。

その傷は、もう、ないのかもしれない。
いや、まだ少しはあった。
しかし、その傷は、もうほとんど癒えてきた。
ただ、自分で、何故その傷がついたのか、
どれだけ深くついたのか、
どういうプロセスをおって、その傷を、自分は自分なりに癒してきたのか、
そして、その傷を受けたことによって、
自分の思春期時代の考え、性格、
そういったものが、形成され、変わっていったのか。


そこを、今までとは全くちがう角度から、
見直すことができた、
そんな感じだった。


***


人によって、この小説を読んで感じることは、様々だろうが、
自分は、こんなことを、この小説と供に、した。

自分の思春期時代の心を、見なおすことを。


10・29・07

shunsukesekine at 00:42コメント(0)トラックバック(0) 

October 27, 2007

ワラビ

今は村上春樹の「ノルウェイの森」を読んでいる。
彼女が村上さんを大好きなので、その影響で、最近彼の作品を読み始めたが、
いやあ、彼の文章は、非常に面白いですねえ。

完全なツクリモノの世界から、
人間の深い深層心理、
自分の中にも確実にあるが、普段は意識していない、その「ヤワい」部分、

そういうのを、彼はうまく表現していますねえ。

読んでいると、完全に引き込まれてしまいます。

ノルウェイの森の上巻の最後の方に来て、かなり興奮して、
ここに何か書こうとしましたが、
今は考えがまとまってないので、変な文章になると思うので、
やめます。
その代わり、今の仕事から一つ。

****

今働いている職場では、
輸入、輸出物を扱っているとあって、
色々なものを取り扱っている。
靴や、バッグ、洋服、などから、
鍋などの雑貨まで。
社長に聞くと、
「売れるもので、倫理的に間違っていないものなら、
 何でも売る」そうです。

そんなわけで、つい先日入荷した品は、
Clarksという会社の作っている靴。

それぞれの品は、デカい段ボール箱に入れられて、
これまたバカでかいトラックに載せられて、
一度に何十箱も届くわけです。
これを、汗水流しながら、全て一つ一つ手でおろします。
最近運動不足の自分には、いい運動となっているわけであります。

全ての段ボール箱を下ろした後は、今度は検品です。
きちんと数どおり届けられているかどうか、
中身は大丈夫か、
全てチェックしていくわけですな。

実際、一度に何百足の靴が届くわけで、
その全ての箱を開けているわけではありません。
適当に選んだ箱を空け、
中の靴、材料、製造国を調べるわけですが、
ここで、実際にその商品とご対面できるわけです。


もともと僕は「モノ」が好きなんで、
これは楽しいですね。
アディダスとか、コンバースとか、そういう有名ブランドの靴を、
実際に手にとってみれるわけです。

今回扱った靴は、上に書いたように、Clarksという会社の靴。
その、「Desert Trek」という種類の靴でした。

靴をチェックしながら、「これ、ずいぶんいい作りだな」と思ってみると、
どうやら、日本で以前大ブレイクした、ワラビーの靴らしいっすね。
仕入れ値も、かなり高いもので、
今ネットで、その最終的な価格を調べて見たら、23,100円でした。
おおすげえ。

これを僕らは、4分の1ぐらいの値段で仕入れるわけですよ。
でも、これをまた、日本の卸売り業者に売り、
それを、最終的にお客さんに売る会社が、買うわけです。

その靴は、ヴェトナムで人々の手によって、一つずつ作られ、
それを、ニューヨークにあるアメリカの会社がまず輸入し、
それをアメリカのうちの会社が買い入れ、
それを日本の卸売業者が買い、
最後に、靴屋がそれを買い、
それを、消費者が買う、と。

長いプロセスですねえ。


今までは、こんな内部事情を知らなかったので、
靴を店で見ても、そのデザインとか、値段とか、
そんなものしか気にしませんでしたが、
今は、こうして、その品物が、どう出来て、どういう道をたどって、
どうやって、消費者の手に移るかを考えると、
凄く面白いです。

その、「過程」を知るってのは、
本当に楽しいですねえ。


うちの社長が、
「パナマ運河とかで、何千個のコンテナーを運んだ、何十トンクラスのタンカーが通っていくのを見ると、身震いする」と言ってたけど、
その気持ちが、何となく分かりますねえ。

***


自分は、物事の「本質」を見るのが好きです。

「なぜ」、それはそこにあるのか。
「何のため」に、それをするのか。
それをやって、「何の」意味があるのか。
それは、「どう」できたのか。
その人は、「どうして」、そう考えるのか。
これが起きるのは、「なぜ」なのか。


そういうことを、自分の体験と、経験と、考えなどから、
考え、見極めようとする、そのプロセスが、
すごく好きなわけですよ。


だから、こんな風に、
その商品が、「どうやって」出来て、
「どういう」道をたどって、
「どうやって」売られるかを知ることは、
すごく楽しいですね。

今まで気づかなかったところに、気づけるようになって行くっていうかね。

***


それと、こういうの見てるとおもうけど、
モノの値段の基準なんてのは、あるようなもので、ないよね。

だって、最終的に、2万円で売られるモノが、
実際の最初の価格は、たったの200円だったりするんだからね。


10・27・07


*写真は、今回扱ってた商品。
この皮がスウェードバージョンのやつだったわ。
いやあ、いい靴だったねえ。



shunsukesekine at 01:03コメント(0)トラックバック(0) 
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