College Life-大学

July 28, 2012

CSULBがこのAT&Tの広告に使われたみたい。

嬉しいですな、我が母校。

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June 20, 2012

今はiTunesのおかげで、
世界中のラジオがタダで聴ける。

普段はJazz Radioチャンネルで、
ジャズばっかり聴いてるけど、
今日は気分を変えてニュースチャンネルを聴いてみた。

アメリカにいた頃に聴いていたNPR(National Public Radio)も聴ける。
24時間ニュースを流しているので、
英語を勉強したい人は、これをずっと家で流していれば良い。

これを聴いていると、
2005年、自分が21歳の頃、
なるべくNPRを聴いて、Wall street journalを読んでいた頃を思い出す。
ロングビーチに移って、
最初に住んだ家(Liの両親の家)を思い出す。

CSULBから車を運転して帰って来て、
夕暮れから夜にかけての、
空の感じを思い出す。
自分の部屋にいた時の事を思い出す。
Tにもらった、IKEAの黒い机の様子とか、
座っていたピンクのデかいエクササイズボールを思い出す。

10月頃、段々と夜は空気が冷たくなって来た頃の、
あの空気の感じを思い出す。

*****

当時は、正直言って、
いくらWSJを毎朝読もうが、
NPRを毎日聴こうが、
政治や経済などは、何の事を話しているか、
殆ど分かっていなかった。

逆に、それから7年が経った今は、
政治や経済に対する知識も当時より深まっているせいか、
こうしてNPRを聴いても、何を言っているか良く分かる。

逆に、今でも、日本語でも良く知らないニュースは、
やはり何を言っているのか、分からないこともある。

いつか、落合信彦の本で、
「日本語で『白鯨』が読めないヤツは、
英語でも読めない」と言っていたが、
まさにそうだな、と思う。

日本語で、しっかりとしたその知識の基盤があれば、
英語でそれと同じ事を、いくら難しい単語を使っていようが、
必ず分かるもので。

*****

結局は、何かに関して話をしたり、
または、話を聴く時に、
その「言語」というものは、
ある程度の基礎さえ分かっていれば、
後は、言語の問題ではなくて、
「その話」が、そもそも自分の母国語でもできるかどうか、
ということにかかってくると思う。


*****

俺が留学をして1年目、
COSでアートのクラスを取っていたとき、
そのクラスにいたLauraという女性がいた。
その人はNY出身の人で、
年齢は多分27歳前後だったと思う。

よく彼女と授業が終わった後に話をしていたりしたんだけれど、
Lauraとは、色んな話ができた。
アートの話は元より、
そのCOSがある地域に住む人々の話とか、
(やはり田舎であったので、人々の考えも内向的であったことなど)
色んな話をした。


たまに不思議に思うのは、
ローラとその話をした当時、
俺の英語力は大したことなかったはずだけれど、
結局は、俺が言いたかった事は全部相手に伝わっていたし、
かつ、ローラが言っていたことも、
全部俺は分かっていた、ということ。
(もちろん、言い回しが分からないものに関しては、分かり易く言い変えてもらったり、または、ローラも、俺が分かり易い様な簡単な英語を使っていたとは思うが。)



同じく、アートのクラスにいたVentureという女の子もいた。
その子とも、結構色んな話をした。
(女の子なのに坊主にしたりして、非常に好奇心旺盛の、変わった女の子だった。
日本人では決していないタイプ。
アメリカでは、彼女のように、常に笑顔で、かつ、何にでも興味を持ち、すごくそれでいて自然な人たちが沢山いた。)

そのヴェンチャーとも、
学校が始まって最初のクラスで知り合ったんだけど、
ベンチャーに誘ってもらって彼女の友達が集まる、
ヒッピーのような人たちの食事会に行ったり、
そこで、みんなでたき火の前で手をつないで、
夜空に広がる星空を見上げながら、
それぞれが感謝の気持ちを言ったりと、
そんなことをした。
(今思うと、確かにそういうことを経験していたんだけれど、今の生活や人々、文化と余りにもかけ離れているので、まるで何か夢の世界のように感じる。)

*****

大分話がずれてきたけど、
そんな風に、
例え、その言語がうまくなくても、
基本的な単語さえ押さえておけば、
後は、それを「話したい」という心さえあれば、
相手に言いたい事は伝わるし、
かつ、相手の言っている事も、分かるもので。


*****


今から10年前、
俺が18歳の頃には、
日本から離れた、アメリカのマウントシャスタという山奥の町の、
どこかのヒッピーの人たちの家で、
たき火を囲んで、みんなで手をつないで、
感謝の気持ちを表し、
お互いに、"Thank you"と言い合っていた、

そんな自分がいた事を思うと、
人生って、本当に不思議だなあ、と思う。


本当に、色んなAspectsがある。
人生というのは。

だから、素晴らしいと思う。

2012/6/20 20:57






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June 10, 2012

Montana1948


2002年、俺が留学1年目に、
COSのEnglish 52のクラスで読んだ本。

これが、英語で一冊丸ごと読んだ、
初めての本だった。


最初の頃は、一々辞書で一つ一つ単語を調べて読んでいたけど、
最後の方には、それが面倒くさくなって、
そのまま分からない単語もすっ飛ばして、読んでいた。

でも、その方が、
一度文章の全体の流れを掴んでしまえば、
川の流れに乗る様に、
大体の概要を掴んで、読めて行ってしまう。

****

このクラスは、メガネをかけたかっこいい先生のクラスだった。

最近この学校に移って来たばかりで、
どうも、COSには馴染んでいない感じがあった。

このクラスは、言わば大学レベルの英語のクラス(English 1A)
の二つ下に位置するクラスであり、
俺の様な留学生は、みんな大体このクラスか、
または、もう一つ下のクラスから始めていた。


よって、普通に高校で英語(彼らに取っては国語)を勉強をしてきたアメリカ人なら、
こんなクラスは取らないわけで。


しかし、このクラスにも、もちろんアメリカ人は沢山いた。

主に、フットボールやベースボール、バスケットボールの選手たち。
つまり、アスリートたちが多かった。

よって、みんな体つきも良く、ムキムキのやつらが、
(しかし、勉強は余りして来なかった奴らが)
このクラスを一緒に取っていた。


なので、クラスの間も、
そいつらは教室の後ろの方に陣取って、
絶対に授業に参加しない感じ。

それを、このニューティーチャーが、
ちょっと無視されながらも、一生懸命教えているような、
そんなクラスだった。


(一度、クラスが早めに終わった時に、
後ろの方に座っていた生徒の一人が、
しきりに、"Can I be excused?"と先生に聞いていた。

先生は、"No, not yet"
と返していたが、
しばらく経つと、
"Okay, you are excused."と言うと、
みんな一斉に立ち上がって、
教室を出て行った。


その時に初めて、
"Can I be excused?"
"You are excused."
で、
「もう終わりですか?帰って良いですか?」
「もう帰って良いですよ。解散です」
と使うんだな、と知った。

こういうの、日本の英語のクラスでは習わなかったな。)




(Excuseのもう一つの使い方で言うと、
良く映画を観ていると、
相手が明らかに不快な事をしたり、
道を歩いていて、相手が自分にぶつかってきても、
自分に対して何も謝ろうとしなかった場合に、

"Oh, excuse ME!!"

と、"me"にアクセントを置いて、
相手に非難っぽくいう場合が多い。


普通、その状況では、
"Excuse me"と自分は言う必要がなく、
相手が謝らなければならないけれど、
それをしない相手に対して、
逆に皮肉っぽく、
「ごめんなさいね!」
と、自らが謝ることによって、
相手への非難を皮肉っぽく、遠回しに伝える。

こういうのも、日本のクラスでは習いませんね。
よく使うのにね。)



*****



さて、話がずれましたが、

一度、このクラスの中で、
「Be動詞の使い方」に関して学んだ時があった。


その時は、
「I の後は、am が来ます。
You の後は、are が来ます。
HeやSheの後は、be ではありません。isまたはdoesです。doでもありません。」

みたいなことをやっていた。

俺はてっきり、「え?」という感じで、
なんでこんな、中学一年生で日本人が学ぶ様な事を、
大学で教えているの?とビックリした。


そして、更にビックリしたのは、
そのフットボール選手たちは、
結構この問題が解けていなかったこと。



で、クラスが終わった後、
先生のところに行って、
「どうして、こんな内容を、このクラスでやるんですか?」
と聞いたら、
彼はこう答えた。


「多分きみは、英語がネイティブでは無い国で、
英語という言語を、”外国語”として習ったから、
”文法”という点に重点を置いて学んできたと思う。
最初に、"She"の後は"do"ではなく"does"である、
の様に学んだから、決してそういう間違えはしないだろうが、
僕らはアメリカ人で、英語が母国語だから、
余り、文法に拘らずに生活していても大丈夫なんだよ。

逆に言ってみると、
きみが日本語を話す際に、
”わたしは”と”わたしが”の違いを、
文法的に考えながら話すかい?
むしろ、感覚的な部分で話しているんじゃないかな?

彼らにとっても、そういう感覚で英語を話しているから、
いざこうして、文法のクラスになると、
意外とそれができなかったりするんだよ」

と。




それを聞いて、俺は、
「なるほどー!!!」
と思った。


でも、「普通 isとdoesぐらい分かるだろ」
というのが、その時の感想だった。


しかし、次第にアメリカで過ごすに連れて、
黒人英語は、あえてsheやheの後に、doを使うし、
"Don't trust nobody"の様に、
ダブルネガティブ(二重否定)を文法的に間違って使うし、

そうやって、「文法的には間違えているけれど、
そう話した方がカッコいいぜ」的なキッズが多い事に気づく。


日本と同じですね。


*****


以上、全然本のレビューになっていませんでした。

本自体は、モンタナの田舎で起こる、
殺人事件です。

閉じられた世界で起こる、
めっちゃ暗い内容です。

なぜこの本を、彼が参考図書にピックアップしたのか
今でも分かりません。

2012/6/10 9:48am












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December 21, 2011

De-Anza-College-9115D3CE
先日、このブログにコメントを下さった
ナオキさんという方から、メールをもらった。

彼に、ディアンザカレッジのアドバイスなどを
簡単に書かせて頂いたのだが、
それを書きながら、
当時の事を思い出した。

******

思えば、
当時は、色々と悩んでいたとはいえ、
すごく楽しかったなあ、と思う。

色んなクラスも取ったし、
そのクラスの度に、色々な友達ができた。


学期の最後に取った、
適当に選んだ環境生物学のクラスで、
De Anza時代では一番仲が良くなったと言っても良いくらいの、
友達も二人できたし、
(PriyaとDavid)、
ナオキさんにお勧めしたAstronomyのクラスでは、
毎回、爆睡をしていたなあ、と。

(このクラスは、毎回プラネタリウムでやるんだけれど、
そして、毎回プラネタリウムに映し出される映像を見るんだけど、
クラスが始まって10分後には、
必ず爆睡をしていた。笑
そして、気づくと、部屋が明るくなって、
みんな、歩き出している、という。
このクラスでは、一体何を学んだのでしょう?

俺の友達のマットは、
毎回、先生の目を盗んでは、
友達たちと、一番後ろの平らな床のところに行き、
そこに寝転がって、
本当に爆睡していたとか。笑
そういうのを思い出すと、おかしくなる。)

******

上に書いた生物のクラスでは、
フィールドトリップがやたらと多くて、
ある日は、一晩泊まりがけで、
学校からある程度走った山の奥で、
グループごとにテントを張って、
その中で寝た。

その時の俺のグループは、
上に書いたDavid, Priyaと、
カンフーの達人のJackだった。
(Jackは台湾人で、
父親が、カンフーのマスターで、
ディアンザの近くに、道場を持っていた。
彼の父親は、なんとジェット・リーに教えていたとか。
そして、Jack本人も、
“i robot”や”last samurai”などの映画に、
スタントとして出ていた。)

その泊まりのとき、
本当は朝早く起きて、朝の野鳥観察だかなんかを
しなければいけなかったんだけれど、
俺たちの班だけ、なんと、
寝坊をした、という。笑



朝、Priyaが起きて、
「Shit!! We overslept!!!」と叫んだ。

で、俺たちが外に出ると、
全員、出かけた後だった。笑

******

そのメンバーとは本当に仲良くなって、
よくその二人をうちに呼んで、
冷やし中華を作って、ご馳走したりもした。


Davidとも、Priyaとも、
その後、俺がLong Beachに行ってからも、
ずっと連絡を取っていて、よく会いに行っていた。

******

思えば、ディアンザにいたのは、
たったの二年間だったけれど、
本当に色んな経験をしたなあ、と思う。

親友のJoelとも良くつるんでいたし、
本当に、色んな友達ができて、
色んな出会いがあり、
色んな思いをしたと思う。

******

日本に帰って来て、
3年半以上が経ち、
あまり、アメリカの頃の事を思い出すことも、
無いけれど、
こうして思い返す機会があると、
本当に、色んな経験をさせてもらったんだなあ、と思う。


で、そんな経験をさせてくれた、親に、
本当に感謝だな、と思う。


父親がしっかりと稼いでくれて、
母親が、家計をキープしてくれて、
仕送りをしてくれたから、
アメリカ留学が出来たわけで。



「留学をさせてくれた」ということが、
如何に自分にとって大きいかを、
しみじみと感じる。

******

俺は将来、
自分の子供には、彼らが留学をしたいと言ったら、
絶対にさせてあげたいし、
その為に、ファイナンシャル的にも、
余裕があるように、しっかりと稼いでおきたい。


若い頃に、海外で生活ができること、
勉強ができることは、
親が子供に与えられる、最高のプレゼントの一つだと思うから。

******


当時の事を思い出すと、
自然と、にやけ笑いが出てきて、
心が温かくなる。


そんな経験をさせてくれたことを、
感謝するし、
そういう経験が積めた事を、
非常に嬉しく思う。

2011/12/21 18:44




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September 26, 2011


今朝、日記帳が心配になって、段ボールを開けた。

その日記帳とは、
俺が留学してたころ、
ほぼ毎日付けていた、6年間分の日記。
アメリカの大学ノートに、
数えてみたら、丁度20冊あった。

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当時は、中々回りに日本人もいなく、
且つ、自分の辛い気持ちを吐く人もいなかったから、
自分を慰めるためや、
元気づけるため、
不安な気持ちをそこに吐いて、
気持ちを安定させるため、
そんな為に書いていた。

もちろん、楽しい事があったら、
それをそこに記しておきたかったし、
留学中は、毎日色んなことが起きて、
本当に、それを忘れちゃ勿体無い事が
たくさんあったから、
それを、一つ一つ、
1日の終わりに、20分くらいかけて、
書いていた。

アンネフランクが、隠れ家で書いていた日記帳。
あれが、彼女に取っては、
心のよりどころで、
何よりの友達だったわけだけど、
俺にとっても、日記帳は、
何でも話せる場所、のようなものだった。


*****


カビが生えていないかチェックするために、
適当に取り出した日記帳の一冊は、
2003年の11月から、
2004年の7月末までのものだった。

当時は、De Anza Collegeで、
1年目で、
中々辛い時期だった。

1月からは、自分の取りたかったFilm Animationの
クラスも取り出せたけど、
色々と現実と理想のギャップに悩んだり、
当時始めた、日本食レストランでのバイトでの
人間関係に、影響を受けたり、
同じクラスで出会った友達との関係だったり、
その時受けた、ハリウッドの映画会社での
インターンの面接の話だったり、
(この会社は、キャスティングをする、
結構有名なところだったんだけど、
結局最後は流れてしまった。
でも、その代わりに、夏が空いたので、
ヨーロッパへ旅行へ行けた。)

色んな事を思い出した。
当時はまっていた、空手のクラスとか、
毎週日曜日に通っていた、カンフーのくらすとか。

日記帳には、
「カンフーのクラスのマイケルがむかつく」とか、
「空手の試合で腹を蹴られて、超痛む」とか書いてあったけど、
マイケルって誰だっけ?って感じだった。笑



それから、そこに入っていた、
ライフガードのクラスのテキストと、
シラバスも見つけた。

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それらを見ていて、胸に出てくるのは、
吐きそうな、胸が重くなる様な感じ。
実際、そのクラスを最初に受けたのは、
30人近くがいたんだけれど、
余りにもきつすぎて、
最後に残っていたのは、俺を含めて、7人くらいだった。


(クラスは、月、水、金にあり、
朝早くから、知識テストがあったり、
勉強もめっちゃしなきゃ行けなかったし、
同時に、体力テストなり、
実技の演習なり、
RifeAidのクラスなり、
やり方を間違えると、そこでアウト!的なテストが
余りにも多かった。
大抵のアメリカ人は、そういうモノが苦手だから、
直ぐにギブアップして辞めて行く。
俺のように、留学生で、
このクラスを取ったヤツは、一人もいなかった。
唯一、アジア人で、
アフリカで育ったチェンってヤツがいて、
そいつは、英語はネイティブなんだけど、
ちょっとアジア系訛りが入っていたから、
で、そいつも俺が唯一のアジア人だったから、
随分仲良くしてくれた。
よく、彼と俺は、同じアジア人ってだけで間違われて、
「チョン」とか、「シェン」とか、
言われていた。
(俺の名前がシュンで、ヤツの名前がチェンだから、
失礼な白人の友達たちは、人の名前を混合していた。笑)



初日、クラスで体力テストがあった日の写真。
Lifuguard 2004 Spring




そのクラスは、毎回予習復習が大変で、
実技も、あるときは、
土曜日を4時間くらい使って、
学校のプールで、救助の実技試験をしたりと、
中々体力的にハードだった。


IMG_1586

こういうテストもあった。



一回、首が折れていると想定される人を、
プールから、台を使って引き上げる演習があり、
俺が上に上がって、下から別のヤツが押し上げるんだけど、
そのテストの前に、立ち泳ぎで何十分も泳いだ後だったので、
足がかなり疲れていて、
いざ「Okay, 1, 2, 3!」で引き上げたとき、
俺の両方の太ももを同時につるという、
快挙を成し遂げた。笑

その後、その周りにいた4人くらいに、
介護をしてもらったという思い出つき。


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この右下の写真の時


*****


その先生は、白人の女性だったんだけど、
多分、P.E.(Physical Education=体育)のメジャーの中で、
男の先生を含めて、一番恐かったと思う。
あだ名は「シャーク」だった。


「もしも、怪しい男が、
夜中の駐車場で近づいて来たら、
"May I help you?"と言いながら、
クルマのキーや家のキーがついたキーチェンンを、
指の間に全部入れて、
それを顔の前に出して、睨みつければ、
私は絶対にレイプされないわ」という、
あなたのことは誰も襲わないと思います、
という感じの凄まじい女性だった。


かなり彼女は厳しくて、
それまで筆記の試験が全て好成績でも、
実技の試験で、例えば、
ビル4階の高さのジャンピングビードから、
下に飛び込まなきゃいけないとき、
それが出来ない生徒を、冷酷に落としたり、
または、一回でも遅刻をしたりすると、
警告、
2回遅刻すると、完全にドロップアウトという、
厳しい先生だった。

(実際、本当にクラスを退学させられる。
しかし、それくらい厳しくするから、
このDe Anzaで取れるライフガードのクラスで
資格を取った生徒は、
周りのどの場所でも働けるという、
評判の高いものだった。)


*****

そんな、クラス。
4月から6月末までだったんだけど、
本当にきつかったから、
で、他にも、アニメーションのクラスをやったり、
普通に歴史とかのクラスも取って、バイトもしてたから、
かなり辛くて、
日記帳には、
「早くこの状態から抜け出してえ」と書いてあった。笑


だからこそ、さっき、このライフガードのテキストを
見たとき、
吐き気がしたんだろうね。


でも、そんな状態でやってたから、
今、どんな状態にあっても、
そんなに辛いとは思えないんだろうね。


日本はさ、日本語も通じるし、
日本食だって簡単に食べられるし、
周りには便利なお店もたくさんあるし、
本当にヤバくなったら、誰かが必ず助けてくれるし、
家族にも電車に乗ればすぐに会いにいけるし、
本当に、「完全に孤独になる」ってことが
中々無い環境だから、
ラクに感じるんだろうね。




俺は仕事上、
色んな学生さんを始め、
多くの方に、お会いして、
海外へ行く事を薦めたり、
その手続きをするわけだけど、

みんな、海外に行くのが不安、
と言う訳だけれど、
行きたかったら、不安な気持ちを押し切って、
行くしか無いよね。

で、辛い思いはたくさんするだろうし、
孤独になる事も多いだろうけど、
そこで、それに耐えて、
それでも、完全に日本語が使えない環境で
自分なりに努力して行くから、
成長するわけで。

そこで、日本語を使っちゃったり、
日本語が使える環境に入ると、
やっぱり、ラクな訳ですよ。


****

俺は、落合信彦の留学の話を読んだり、
自分にストイックにするのが趣味だったから、
一歩を踏み出せずに、躊躇している人を見ると、
「そんなの、やるしかねーだろ!!」と思ってしまうのかもしれない。

****

ま、話はズレましたが、
そんなわけで、ちょっと日記帳がカビていないかチェックする為に、
中を開けてみたら、
6年間の思い出の一部が出て来て、
かなり、懐かしくなってしまったので、
日記を書きました。




自分の過去を振り返り、
自分が、どういう軌道を歩んで来たのか。
それをたまに見直して、
自分のしたこと、成し遂げた事を、
客観的に再確認して、
そこから自信を付ける事は、凄く大事。

特に、今後、
自分がどういう道に歩んで行ったら良いのか、
ハッキリしていないときは、特に。



迷ったら、基本に戻る事。
自分の過去を振り返り、
そこから、自分のことを、
再確認すること。


その繰り返しが、
自分を、確固たる、
地に足の着いた人間へと作り上げる。


2011/9/26 10:35am








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July 17, 2011

MT


今、電車内の広告に、
クリスタルガイザーの宣伝がある。

「マウント・シャスタに恵まれること、6800年。
今も、自然保護区の大自然にわき出る水。」と。


「Power of Nature
ここ、シャスタの山から。」


この写真をみると、
何か誇らしくなる。

俺は、ここにいたんだぜ、と。

この広告を見て、
マウントシャスタに行く人もいるんだろうな、と。

そんな中で、
俺はここに住んでいる人たちと友達だと思うと、
何かすげえ、誇らしくなる。


、、、、、


留学先(College of the Siskiyous)が決まって、
「Weed」という町の名前に、
「何だこれ、"クサ"って」、
と思っていた横で、
隣にいたハッチー(俺たちトフルゼミナールの留学仲間)が自販機で買った水。

「せっきー、ここに水源、Weedって書いてあるぜ!」と言われて見たボトルが、クリスタルガイザーだった。

そんな偶然に笑った、18歳の俺たち。


あれから十年か。
懐かしいな。


、、、、、

そんなわけで、
皆さん、マウントシャスタをよろしく。

あのダライ・ラマも来た、
聖なる山です。


懐かしいなあ、
マウントシャスタ。


2011/7/17. 0:22



追記;


ウェブ限定バージョン、120秒間のCMが見られます。

見ていたら、何か凄く感動して、
泣きそうになってきました。




追記の追記:

このバーニーフォールズの注意書きにある、
「マッカーサー・バーニー・フォールズ」
の、マッカーサーは、俺の元ルームメイトのロイの住んでいる場所。

何か、こうやって大々的に宣伝されてると、
超嬉しいよね。



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June 04, 2010

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2005年の映画。
サンノぜからロングビーチに移る夏に公開された。
一回目を劇場で見て、
凄く気にいって、
もう一回、劇場で見た。

あんまり劇場で2回見る映画は無いけれど、
これは2回見た。
そのくらい好き。


この映画で、ブラピとアンジェリーナジョリーが
くっついたから、
それで嫌悪感を持って、見ずに嫌い、って言う人もいるけど、
これは良い映画ですよ。

アクションも入っているし、
センスもいいし、
愛情についても語っているし、

何より、かっこいいよね。



何度見ても飽きないっす。

今日また見ました。

よかったです。




追伸:

俺は、19歳から21歳をサンノゼで過ごして、
De Anza Collegeに通ったけど、
すごく幸せだったなと思う。

当時、Pixarとかに入りたいと思って、
CGの勉強をして、
全米では、短大の中でも、
CGの技術、アニメーションの技術が
一番のDe Anzaで勉強できて、
本当に恵まれていたと思う。

同時に、
Google, Apple, Yahoo, e-Bayとか、
俗にいう有名なIT系企業の
本社は、みんなサンノゼにあったから、
De Anazのすぐ横にも、Appleの本社があったし、
CGのクラスで、直接Dream Works(シュレックとかを作っている会社)
にも見学にいけたし、
本当に、恵まれていたと思う。


そして何より恵まれていたのは、
そんな環境で、
20歳という若い頃に、
自分が好きな映画を勉強できて、
それが、自分に本当に合っているかを、
そのタイミングで、見極められたこと。


まだGmailが全然普及していなかった
頃に、Gmailを紹介してくれた、
同じ3DCGクラスのJohn.

彼は、確か当時40歳代で、
もともとシリコンヴァレーのIT系会社で
エンジニアとして働いていたけど、
中国人、インド人に
仕事が移った影響で、
レイオフされた(首になった)人だった。


そんな彼に、「どうして今CGの勉強をしているの?」
と聞くと、
「僕はもともとCGの勉強をしたかったんだけど、
両親がやっぱりちゃんとした会社につけって言うのもあって、
こうしてIT系の会社にエンジニアとして入ったんだけど、
今になって、レイオフされて、
やっとフリーになって、
じゃあ、昔から勉強をしてみたかった
3Gの勉強をしてみようと、今に至るわけさ。


だから、君は凄くラッキーなんだよ。
こんなに若い時期に、
自分が勉強したいことを、
今、勉強できているんだから」と。




同じクラスには、
実際、
俺と同い年の20歳前後の学生はほとんどいなく、
皆、一度大学を他の専攻で卒業して、
でも、就職する前に、
やっぱり映画の勉強がしたい、と思って、
De Anzaに戻ってきた学生とか、

もしくは、30代、40台の学生が、
本当に多かった。


だから、そんな方々と話をするたびに、
「シュン、お前はラッキーだよ。
両親に感謝しろよ」

といわれた。


今、実家に帰ってきている。

さっき、"Mr&Ms Smith"を
両親と見ながら、それを思い出した。


本当に、両親に感謝。



そんな機会を、与えてくれて。


だからこそ、今の自分がある。




2010/6/4 20:22

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November 08, 2008


自分がまだディアンザカレッジにいた頃。
確か、2004年の秋学期。
English 1Aの教授で、マーティネスってやつがいた。

彼は、生徒に大人気で、彼のクラスはいつもフルだった。
なぜか?

彼の授業は、絶対に「A」が取れるとの評判だったから。


俺もどんな先生なのか知らず、
どんなクラス内容なのか知らず、
とりあえず興味本位で取ってみた。


クラスの初日。彼は、黒いマントをひるがえして現れた。
何だこのオッサンは。
それが最初の印象。

髭をもっさり生やして、
見た目はジョージ・ハリスンのアーミッシュスタイルみたいな感じ。
全身黒尽くめ。
背は高く、やけに頬がこけてて、
変なカリスマ性がある。

オンラインでクラスに登録ができず、何とかアドしてもらおうと
生徒が部屋中に、それ以上に教室の外まで
あふれ出していた。

そんな大勢の生徒たちの前で、奴は言った。

「私のクラスを受講したら、
 キミたちには必ずAを与えよう」

どんな教師やねん。

しかし、彼は付け加えた。

「このクラスは大学レベルの基礎英語クラスだが、
 私が君たちに与えたことは何でもせねばならない。
 それに従う者のみが、このクラスに残ることができ、
 その者にはAを与える」


俺が前もって聞いていた他の生徒のうわさによると、

「彼はクラス内でダンスを躍らせて、
 それでグレイドを付けるらしいわよ」

実際にはどんなことをするのかと思いきや、
本当に奴は踊りだした。

「私の踊りに従うんだ」

奴が、クラスの前で踊る変な踊りを、
俺たちは無言でしたがって、一緒に踊った。

何人かの生徒がクスクス笑うと、
奴は、
「Guys! This is not funny. This is serious」
(君たち!笑うんじゃない。これは真面目なことなんだ)


実際に、それだけの大人数がクラスに入れるわけもないので、
クラスには、週に3回授業がある内、
生徒たちは10人ほどのグループごとに分けられ、
1日グループ何組、という形で出席した。



また、別の機会には、
「明日の授業には、自分たちのグループだけのスタイルで登場しろ」
だの、
「自分たちのグループで創作ダンスを考え、
 それを録画し、クラスに持って来い」
だの、
これって英語のクラス?というか、
英語の勉強は一切しなかった。


結局、クラス当日に集まった100人近くの生徒は、
全ての生徒が、クラスに入れることに。
しかし、実際には、30人ほどの枠。
本来なら、あと70人もアドできるはずがない。

しかし彼はそれをやろうとしたので、
学校のアドミニストレーション側が怒った。

「それはルールに反する」と。

しかし彼は学校に対して逆ギレした。

「私のクラスに入りたいという生徒がいる限り、
 その生徒たち全員を受講させるのは、
 私の持つ権限だ」と。

そして、彼は学校のアドミニストレーションを相手に
裁判を起こした。

その裁判のときに、彼が相手側に殴られたとか何とかで、
もめていた時期もあった。

決着がどうなったかはよく覚えてないけど、
結局、そんなわけで、クラスには100人ほどの生徒がいた。

最初のクラスルームでは到底入りきれないので、
一時期は「青空教室」と銘打って、
学校のガーデンで授業をした。

その後は、何とか大講堂を借りて、そこで授業をした。

*****

奴の授業の中では、
「これは前の学期のときに、あるグループが作った、
 私の一番のお気に入りのビデオだ」と。

見ると、マーティネス主演の、
ミュージッククリップみたくなってる。

CGとかを使って、奴の持ってる傘が七色に変化したりしてる。

どう見ても、やつがカッコつけたいだけだった。

そのときに流れていた、プリンスだかの曲は、
それ以来、大嫌いになった。


*****

授業の中では、本当に、英語という英語は、
一切教わらなかった。
本当は、誰もが卒業するのに必修である
文法やリーディング力、エッセイを書く力をつける、
一番大事な授業なのに。

そんなオッサンの要求にも、生徒たちは理不尽だと思いながらも、
「奴が言ったことを守りさえすれば、俺たちはAを取れるんだから」
と、文句一つ言わず、従った。
完全に、割り切っていた。

「こんなアホらしいダンス誰もやりたくねーけど、
 この授業の間だけは、何も考えず、ただ奴の課題をこなすんだ」と。


*****

そんな変な教師が、ディアンザにいた。
そして、そいつがある日、クラスの中で言っていたセリフが、
このブログの題名にある、
"inevitably incomplete".

直訳すると、「必然的に不完全」。


奴は、そのセリフを口にして、
「この世の全てのものは、"inevitably incomplete"だ」。

そして、俺たちは、奴の言うそのセリフを、
何度も繰り返した。

「イネヴィダブリィ、インコンプリート、
 イネヴィダブリィ、インコンプリート、
 イネヴィダブリィ、インコンプリート」


そのときの奴の発音が、今でも耳に残っている。

 「イネヴィダブリィ、インコンプリート」


******

さっき、映画を観ていたら、
"Inevitably"っていう単語がセリフに出てきて、
「ああ、そういえばあんな変な教師もいたんだなあ」と、
ふと思い出した。


何だか、ほんの3,4年前のことなのに、
はるか昔の、しかも全然違う世界のことのように感じる。


11.08.08


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March 28, 2008

3月28日金曜日

今日は、ディアンザ・カレッジに行って来た。
ディアンザは、俺が留学2,3年目の2年間を過ごしたところ。
自分が19歳から、21歳までを過ごしたところ。

1










いつも北の方に旅に来る際は、
サンノゼでは一泊だけして、後は、更に北のレディングや、マウントシャスタ、マッカーサーなどに行ってたから、
サンノゼでゆっくりするってことは余りなかった。
そのせいで、ディアンザ・カレッジに戻って、学校をゆっくり見て周るなんてこともなかった。

今日、久しぶりに学校に行き、
本当に久しぶりに、ゆっくりと中を見て周った。

俺の中で、ディアンザでの思い出は、その場に戻らなかったせいもあるのか、
中々思い出すことが余りなかったけど、
今日、足を踏み入れてみて、実際に歩いてみて、
当時の鮮明な感情を思い出した。

サンノゼに移って、最初に住んだ家がある場所に車で行き、
そこから、当時自転車に乗って通っていたルートを、車でその通り、走ってみた。
当時、自転車に乗っていた間、よく聞いていた音楽を聴きながら。
エアロスミスとか、レニークラヴィッツとか。

それらの曲を聴きながら、当時バイクで通っていた情景を目にすると、
今はすっかり忘れていた、しかし、
当時、その頃、俺が感じていた感情、
そういったものが、色々と溢れてきた。


学校に着き、車を停め、
中を歩いてみた。
一つ一つの光景を目にするたび、
もう思い出しもしていなかった、様々な思い出が、
一つひとつ、蘇ってきた。


自分が19歳のとき、感じていたこと。
20歳のとき、感じていたこと。
21歳のとき、感じていたこと。


今では、自分は24歳となり、
自分が19歳から21歳のときのことを考えると、
「まだまだ若くて、何でもできたな」と、
その歳の持つ、数字が、「若さ」=「アドバンテッジ」としか頭に入ってこなかったけど、
今日、キャンパスを歩いてみて、
その頃の俺は、やはり、毎日将来のことが心配で、
色々悩みながら、毎日生きてたんだな、と。

しかし、今となっては、当時の心配などは、もう関係ない。
その当時を思い出すとき、
蘇ってくるのは、
当時の、楽しい思い出ばかり。

そして、その「時」しか、経験できなかったことばかり。


2










*****


過去を思い返す度に気付くこと。

それは、その当時を、思いっきり味わったか。
その「時」を、最大まで楽しんだのか。

肝心なのは、それだけだということ。


その時を、最大まで味わい、楽しんでいたのなら、
悔いは残らない。

その時に頭に抱えていた不安や心配などは、
数年後になってみれば、思い出すことすらない。

思い出すのは、当時の楽しかった記憶ばかり。

そして、気づくのは、
その時には、もう、戻れないということ。



*****



どの瞬間にいようが、
その瞬間を、最大まで楽しむこと。
味わうこと。

いずれ、その「時」は終わり、過去となる日が、必ず来るのだから。
そして、その「時」には、もう戻れないのだから。

その「時」は、今しかないのだから。



3.28.08


ディアンザのカフェテリアの下の場所。
ここで良く、フレンチフライを食べながら、
ジョエルと話をしていた。
DSCF0437



アニメーションや映画のクラスを取っていたATCビルディングの中。
AppleのMacの初期バージョンが置いてある。
DSCF0442


DSCF0444







PS.ディアンザの帰り道、聞いていた曲。
Lenny Kravitzの、"This Moment Is All There Is".

まさに、この時感じていたことは、
この曲の通りだった。


Will there be tomorrow
Tell me, how can you be sure
There ain't always next season
There ain't always an open door

Life is dear, don't you waste it
The future no one can see
So step aside and let it be
Tomorrow may wash away
Don't put off what you do today
Take advantage while you are here
`Cause this moment is all there is

Do you smell the flowers
While they are still here in bloom
Does there have to be a reason
If you don't think we'll be gone real soon

Life is here can you taste it
The future no one can see
So step aside and let it be
Tomorrow may wash away
Don't put off what you do today
Take advantage while you are here
‘Cause this moment is all there is

Don't live in fear and weakness
Don't live and hide it all, does your
Your ability to taste the sweetness...sweetness
And that is what we are here for

Life is real, don't you fake it....oh
The future no one can see
So step aside and let it be
Tomorrow may wash away
Don't put off what you do today
Take advantage while you are here
Cause this moment is all there is...there is

This moment...the future no one can see
So step aside and just let it be
Don't wait for tomorrow







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June 05, 2007

最近ブログを書く時間がなかったので、書きたい事が溜まっていました。
記憶からそれらの日々が吹っ飛ぶ前に、ここに記しておきます。

2007年5月24日 木曜日

この日は、自分が通う4年制大学でのアテンディングが最後の日。
この日のテストを受けて、もう全ては終わりです。

elevator
学校の図書館のエレベーター前。
いつもは階段を使ってたけど、
ファイナル中はしんどいので、これを使います。
学校へ行く時は、いっつもこんな感じの格好です。


この日は、午前中にテストが一個あり、
それが終わった後、家にソッコウ帰ってペーパーを終わらせた後、
(Keyに手伝ってもらう、マジで感謝)
締め切りギリギリの中、学校へすっ飛び、先生のオフィスまで届けに行く。
エンプロイヤー様のパーキングに車を停めて、オフィスまで走るとき、
なんかメチャクチャ楽しかった。

それが終わり、家に帰って、またシャトルに乗って学校へ行き、
今度は午後5時からのテスト用の勉強。
図書館へ行き、いつものように、テスト前の詰め込み。

librray 1
こんな風にファイナル前は、
生徒で席が埋まります。
結構友達と勉強すると、
その連帯感が楽しんだな、これが。
ファイナル時は、夜中の2時まで居残ったりしてね


この週は、もう毎日テストがあり、
かなり精神的にも肉体的にも疲れていたため、
もう最後のテストのためか、全然集中力が沸かない。
しかも、どうこのファイナルでどう転んでも、
必ずAが取れる確信があったこのクラス。
そんなせいもあって、全然集中できません。

しかし、「これで、こうして図書館にこもって勉強するのも、人生で最後か」と思うと、とても寂しくなり、その瞬間を、じっくり味わっていました。

library gate outside

図書館の門を出たところ。
この景色は、絶対に忘れませんな。
図書館で根気詰めた後に吸う新鮮な空気は格別です。


全てが、もう最後です。
こうしてシャトルに乗って通っていた学校も、
いつも行っていたトイレも、
昼を食べていたCarls’ JrやSubwayがあるカフェテリアも、
もう全て最後です。

それぞれの場所に行くたびに、「もうこれが最後か」と思うと、
かなり物悲しくなりました。
しかし、全てに終わりは付き物です。
せめてものその最後の瞬間を、じっくりと味わいました。

note
Comm.309のクラスのテキストと、
ノート。
いやあ、こんなにつまんねー授業と教科書は始めてだったぜ。
つまらなすぎて、この俺がノートに落書きを書く始末。
いつもはこんな事しませんよ


いざ、勉強が終わり、テストへ。
クラスがある建物の前で、最後の悪あがきの詰め込みです。
こうするのももう最後なんだな〜と思うと、
やはり物悲しくなりました。

study before test

いつも通り、テスト前の悪あがき。
詰め込みまくります。



人生で恐らく最後になるスキャントロンと鉛筆で、
Multiple ChoiceとTrue/Falseのテストを受けました。

テストが終わり、友達何人かに声をかけた後クラスを出て、
シャトルに乗り、家へ。
これも最後かと思うと、またまた寂しくなりました。

*****

こうして5年間続けてきたアメリカでの大学生活が終るのは、
ちょっと寂しいと同時に、
自分の生活スタイルが、これからグンと変わるのに少し不安を覚えもしますが、
新しいスタート。
これからが、自分の本当の力を試すときです。

今まで培ってきた土台を使い、
しっかりと一歩ずつ前に進んで行こうと思います。

6・04・07
beachhut

Beach Hut.
よくここでカップメンを買ったぜ



bookstore

Book Storeの前。
ファイナル期間には、必ずテキストのBuy Back.


in fron of the beach hut


図書館を出たところ
この石のベンチに、よく座ったぜ


librray gate

図書館の門。
必ず後ろから来る人を待って、
ドアを開けておいてあげましょう。



pc lab

図書館一階の,Computer Lab.
最近、最新のコンピューターが、一気に何百台も入りました。
俺が卒業する直前に入っても、遅いっちゅーの


shibahu

学校の芝生。
ここでもよく昼寝したぜ!!





jazz

よく寝ていた芝生の横の、
ジャズが聞こえるところ。
ここでもよく昼寝したぜ
(寝てばっかりやな)



starbucks

図書館一階にできた、スタバ。
どこまで進出するんだい、スタバ君?
いい雰囲気の店だったな。




shuttle

シャトルバスの中からの眺め。
朝は、もう生徒でギュウギュウ詰めです。
ドライバーによって運転が違ってね。
インド人のおっちゃんが大好きだったな。
降りるときに"Thank you"って言うと、
"OKay"ってね。笑


tree

キャンパスを帰るときに見る木。
いやあ〜、思い出深いね〜。




shunsukesekine at 06:24コメント(0)トラックバック(0) 

May 31, 2007

grad 1
みなさんこんにちは。
今回やっと、卒業することができました。
途中で映画を勉強した1年間を挟んでの、5年間のアメリカでの学生生活。

この5年間で初めて、ペーパーやテストから開放され、
この妙な開放感が信じられません。


式は、5月31日の朝9時から。
この式のために、家族もわざわざ日本から来てくれました。
他にも、友達も集まってくれました。

式の始まる10分ほど前。
本当はこの日に来れない予定だった、
ロングビーチに来てから仲良くなったリーも、
仕事を休んで来てくれる事になりました。

前日の晩に電話すると、当日来てくれるというので、
仕事があるんでしょというと、
「You only have one graduation in your life!!」と。
本当に嬉しかったですね。


式が始まる直前に現れた彼が渡してくれたのは、
なんとハワイから取り寄せたという、花の首飾り!!
前日にアメリカに届いたそうです。
学校で売っていたそれよりも、2倍以上の花がついていて、
その重さはズッシリとしていました。
もうめっちゃ感激です。

li shun mariko
俺とまりこちゃんの分までプレゼントしてくれました。
何ていいヤツなんでしょう 涙
式前から気分はもう最高でした




9時。
いざ式が始まりました。
真ん中の門から、紙吹雪をこれでもかという位投げかけられての、入場。
皆の頭には、紙吹雪が“載っかって”います。
女の子の綺麗にメイクしたまつ毛にも、
紙吹雪が引っ掛かる始末。

式会場は、クラスの合間にいつも僕が昼寝をしていた、
学校のキャンパスの芝生の上に特別設置された、舞台の上でやります。


同じメジャーの友達の顔も、ちらほらと目につきます。

kristine

政治のクラスで仲が良かった、
クリスティーンと




いざ式が始まり。
学校長や、教授からの感動的なスピーチ。

「ここまで皆さんがこれたのは、あなた達をサポートしてくれた、
家族や周りの人たちのおかげです・・・」


まさにその通りだと、感慨深く思いました。

*****


式の途中で、この卒業にたどり着くまでに、
特に努力をした人たちの表彰が始まりました。

まずは、学校に通うと同時に、
パートタイム・ジョブなどをしながら、
仕事と勉強の両方を両立させた生徒を立たせての、拍手。

席を立ち、皆から拍手喝さいを受ける彼らの姿を見て、
「いいな俺も立ちたいな」と思っていました。

1







次。
同じ教授が、何か別のことを言いました。
今度はさっきよりも少ない、数人の生徒が立ち上がりました。

チャンスは今しかねえ!!
いいや、俺も立っちゃえ。

どさくさに紛れて、僕もそこで席を立ち、
後ろの方にいた家族に向かって振り返り、
日本の天皇のように、優雅に手をふりました。

周りからは、盛大な拍手の嵐です。


いざ満足して着席すると、
2席横に座っていたクリスティーナが、
笑いをこらえながら僕の膝に手をかけてきました。

「What’s wrong?」と聞くと、
彼女が必死に笑いをこらえながら僕に聞きました。

「シュン、今の表彰は誰のためのものだったか知ってた?」

僕は答えました。
「いや、よく分かんなかったけど立っちゃった」

彼女は言いました。

「今の表彰は、家庭と子供を持ちながらも、
卒業までたどり着いた人たちを表彰したものだったのよ」

そう言いながら、彼女は笑いで肩を震わせています。

「Oh, I didn’t know I had a wife and kids until this moment!」

まさか僕に奥さんと子供がいるとは、
この瞬間まで、自分でも知りませんでした。

kaijou






式は進み。

ヒストリーメジャーの生徒の表彰が終ると、
次はやっと、自分たちのコミュニケーション・メジャーの番です。
僕はちなみに、このメジャーの、
一番最後に名前を呼ばれるところに位置していました。

段々と自分の番が来ます。


さて、ここで今回の目玉の紹介です。

今回の式典、僕は自分のガウンの下に、
“ある”コスチュームを来ていきました。
理由は、一つ。


フツウに終っては、つまらないからです。


去年、今のルームメイトのヒロポンの式に出ましたが、
その時彼は、なんと普通の帽子のかわりに、
魔女のハットと、ホウキを持って、
式典に参加しました。

遠くからでもよく目立つ、その魔女の帽子とホウキ姿の彼は、
まさにヘンタイそのものでした。


遠くからでも、その三角帽子とホウキのおかげで、
嫌なほど目立つその彼の姿を見て、感動しやすい僕は、触発されました。


「・・・すげえ! ・・・俺もなんかやりてえ!!」


その時ヒロポンに、来年の自分の卒業式は、
必ず何かやるからと約束して、一年。

僕の式に出るために、わざわざ帰国の日にちをずらしてくれた彼のためにも、
ここでがっかりさせるわけにはいきません。

式当日に何を着ようか、ずっと頭をひねらせて来ましたが、
式の二日前までは、浴衣にゲタ姿で行こうと決めていました。
しかし、どうもインパクトが・・・・

そのアイディアに、何となくしっくり来ない自分でした。

2






式の2日前。
電話で我らがサーフィン仲間、総長と話をしているとき、
彼が去年のハロウィーンで着ていた、“例”のコスチュームを思い出し、
ピーンと来ました。

「・・・・・これしかねえ!!!」


ソッコウ、総長に、“それ”を借りてもいいか聞きました。
彼は、「ほんとにやるの!?」と、電話の向こうで大爆笑です。

そんなわけで、その足で、彼の家までそのブツを取りに行ったというわけです。

*****

自分が座っていた席を立ち、段々と自分の番が近づいてきました。
最初にカメラを向けられ、写真を撮られた後、
式の舞台に上がる手前で、ガウンの前のジッパーを開けました。

その姿を見て、そこに整列していた、
コミュニケーション・メジャーの先生方は、大爆笑です。

「Oh my god!! You did it!!」
「You are the man!!」

Comm Majorの特権。
なぜか、金髪の典型的な白人美人の教授たちが多いのですが、
その先生たちに、
笑顔でハグと握手をもらいました。

しかし僕は、彼女たちのそのビッグ・スマイルの後ろに、
みんな内心、「ちょっと信じられないわ」という感じで顔がひきつっていたのを、見逃しはしませんでした。



そして、いざ、舞台の上へ。

to the






舞台の上では、声のいい二人のオッサンが、
卒業生の名前を、マイクで呼んでくれます。
その読み方は、まるでプロレスの選手紹介です。

「赤コーナー、マァーーーイク・タァーーイソォォーーーーゥンンンン!!!」
そんな感じです。


前に並んでいた生徒の名前が一人ずつ呼ばれ、
遂に、僕の番が来ました。
あらかじめ、どうやって自分の名前を発音して欲しいかを書いた紙を渡すと同時に、
自分の名前がしっかりと発音されるように、そのおじ様に口で説明できます。

ここで敢えて僕は、お気に入りのアメリカ式の呼び方を選びました。


僕の注文に、その彼は、ちょっと戸惑って聞き返しました。

「それでいいのかい?」

それで頼みますというと、前に出ました。

彼が、その渋い声で叫びます。


「シュンスゥーーキィーー、セッカァーーイィィーーーーンン!!」
(僕の名前の英語発音)

その声とともに、僕は舞台の上で、そのガウンをはらいながら、
思いっ切り叫びました。

「Yeahhhhhhh!!!!!」


s with girl












そう、僕が着たコスチュームとは、
スーパーマンでした。
(写真は、式の後、僕のファンの子と)


会場が一気にドワッと揺れ、
明らかに空気が変わりました。
観衆からは、女の子たちの黄色い声。

「ウッキャアァァァァ〜〜〜〜!!!!」

それまでで最高の大歓声をもらいました。
(ちょっとだけ脚色してます)


その後、壇上の学長たち二人と握手して、
下へ降りました。

on the






その学長たちも、さすがにスーパーマンの格好で卒業式に出たヤツは、
1949年の学校が始まって以来、僕が初めてだったのでしょうか。
その顔は、笑顔とともに、やはり少しひきつっていました。
戸惑う彼らなど気にせず、
彼らとも、ガッチリと握手を交わします。

壇上の上でも、カメラをもう一回向けられました。
カメラマンは、とても嬉しそうです。
「You did it man!!」

me at grads

(Photo officially taken
by Bob Knight Photo)









舞台の下へ降りてからも、観客から大人気です。

「よくやった!」
「目立ってたぞ!!」

そんな歓声ばっかりです。
さすがアメリカ人はノリがいいですね。
ここで皆にひかれてしまうと、こっちの立場がないんですが、
みんな温かい声をかけてくれて良かったです。

実際にここまでのバカを、自らやるだけの思い切りはない彼らですが、
誰かがバカをやっていると、心から喝采を浴びせてくれる彼らです。
Thank you all!!

s 4











生徒たちからニヤニヤされながら皆の合間を歩き、
自分の席に着き、やっとほっとしました。

これでオレも、悔いなく卒業できるぜ・・・


*****

実は、式の一日前、スーパーマンで壇上に上がる事を考えると、
緊張のあまり胸が少し痛む自分でした。(そうです小心者なんです)

しかも、これは権威ある4年生大学の卒業式。
アメリカ人のみんなは、誰一人、こんなバカはやりません。
本当にこんな格好で出ていいものか、
ちょっと心配でした。

しかし、ここで皆に合わせていてはつまらない!!

こんなバカ、俺がやらなきゃ誰がやると、
勝手に自ら決心すると同時に、
たしかパッチ・アダムスの映画で、ロビン・ウィリアムズは、
半ケツで卒業式に出ていたなと思い出しながら、
「あれに比べればかわいいもんじゃん」と、
自らを安心させ、いざ式に挑みました。


見事、観客に受けてくれてよかったです。
I love you American!!

*****

式が終った後は、わざわざ集まってくれたみんなと話して、記念写真。

nipple hurts


もうニップル・ハーツも解散ですな




ai

アイちゃんも朝早くから来てくれました





途中、まったく知らない女の子にも、
「May I take a picture with you, Mr. Superman?」と聞かれる始末。

もう大人気です。
思い残すことはもうありませんな。

hiropon

去年の夏から随分とお世話になったヒロポン君。
短髪協会なり、色々とバカをやりましたな



*****

そんなわけで、無事に終った卒業式。

ここまでたどり着けたのは、
金銭的、精神的な面において、
全ての点でサポートしてくれた家族を初め、
親戚の方々、日本での友達、知り合いの方、
そしてアメリカに移ってからできた、多くの友達。
全ての方々のサポートのおかげです。

特に、両親には本当に感謝しています。
中学の3年生くらいから留学を考え出し、
初めて親父にその話をしたとき、頑なに拒否された事。
それから、ほぼ3年間、
少しずつ留学の話を出しては、自分の気持ちを伝えた事。

母親は、「あんたに留学なんてできるわけ無い」と、
親父に関しては、「もしもそんなにアメリカに行きたいなら、
日本の大学を出て、それから行け」と説得されたこともありました。



高校3年の6月、進路決めの時期に、
ある日の夜、自分の部屋に、酒を飲んで、酔った親父が来て、

「父さんずっと考えてたんだけどな、
 もしもそんなに留学したかったなら、行って来い。
 ただし、責任を持って、最後までやり遂げるんだぞ。
 父さんは俊輔がそんなに本気なら、応援するからな」

と、言いに来てくれたこと。どんなに嬉しかったか。

それまで、ずっと留学することに賛成してくれなかった親父が、
初めてそう言いに来てくれたこと。
水泳の最後の大会が近づいていた、6月初期の夜だった。

*****

僕はこの5年間を通して、
人間が自分ひとりで成し遂げられることは、本当に小さいこと。
自分の周りの人たちの助けと支えがあるからこそ、
自分ひとりでは不可能なことが達成できること。

そして、自分の人生の全ては、
自分を取り囲む周りの人たちから教わったことで成り立っていること。
それを、心から感じ取り、感謝し、
人間として学ぶ事ができました。


ここまで自分を支えてくださった皆さん、
本当にありがとうございました。

俊輔
6・04・07

with family


家族と。
真面目なはずの卒業写真が、
どう見ても仮装パーティーにしか見えません



s 1

式の前。シャツの上にコスチュームを着ながら。
ネクタイをして来た意味がありません。





s 2

式の始まる前にも、何人もの生徒に聞かれました。
「下に何着てるの?」と。

ちらっと見せると、
「You are awesome!! You got to fly from there!!」と。


s 3

母親にマントを持ってもらいながら。
まるでお遊戯会の準備をする、
幼稚園生ですね。




おまけ
(もうここまで来ると、ただのヘンタイですな)






shunsukesekine at 23:15コメント(14)トラックバック(0) 
superme

ご無沙汰しております。俊輔です。
先週末にファイナルが終ってから、色々とあって、
今日、遂に両親と姉が、ロングビーチに到着しました。

姉貴と親父は、前に一回ずつ僕を尋ねにアメリカに来ましたが、
母親に関しては、今回が初めてです。
朝3人が空港に着いてから、ホテルに案内したり、
食事へ行ったり、買い物へ行ったりと。
今日の夕食はコリアンのスンドゥブ(とうふスープ)です。
あまりアメリカに来る事に乗り気ではなかった母親も、
その美味しさに感動して、「アメリカ来てよかったわ」と笑顔で言っていました。
僕としてはかなり嬉しかったです。笑


明日の朝9時から式が始まります。
正直、「もう俺が卒業するのか」と信じられないというのが本音です。
今まで5年間続けてきた「学生」という状態が終るのかと思うと、
新たなスタートの始まりなんだなという気にもさせられます。


この5年間、色々ありましたが、
こうしてアメリカの大学を卒業できる結果に至ったのは、
改めて考えると、凄いことなのかもなと思います。

今から7年前。高校2年の夏に、
初めてアメリカのフィラデルフィアに足を踏み入れて。
その、日本とは全然違った土地に住む人々の生活や考え、生き方に魅了され。
その大きなハートに感動し、
必ず俺はこの土地に帰ってきて、世界中から人の集まる、
この国の大学に行ってやると決心して。
あれから、7年かと。

今日、空港で家族を待っているとき、
自分がまるで、初めてアメリカに来たときの感覚に陥りました。
全てが新しく見える。
全てが、今までの自分の生活とは違って、新鮮で、
そして、ワクワクと不安が入り混じっている。

そんな感覚で来たこの国での生活も、
今じゃ、母国日本のそれよりも居心地のよいものとなってしまいました。


そうやって、今の自分がいる状況を、
いつの間にか何とも思わなくなっていましたが、
こうして初心に帰って見てみると、
こうして卒業に至った事は、素晴らしいことなんだなと。

そして、ここまで来れたのは、皆さんのサポート、助け、
励まし、友情、愛情、
それらがあったからです。


僕はこのアメリカでの5年間。
何を本当に学んだかと言えば、
「人と一緒に生きていくこと」、それを学んで来たんだと思います。

人に、頼ること。
人を信頼し、その人に心を委ねること。
自らの心を開け、その人に自分を見せ、
相手のことを、受け入れること。

今まで、ずっと一人の力で何とかしようと、
頑固に生きてきたタイプの自分でしたが、
こっちに来て、
「人に助けを求めること」
「人に頼ること」
「人を信頼し、自分を出すこと」

それを、友達や、大切な人、
多くの人々と一緒に過ごした時間によって、徐々に徐々に、
学んで来たんだと思います。

*****

長くなりましたが、明日は、
今までの5年を振り返り、
今までの自分の人生の中で、
お世話になってきた人、
支えてきてくれた人、

その人たちに感謝をしながら、
卒業というものを迎えたいと思います。

5・30・07
深夜12時45分



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May 13, 2007

歌舞伎ポスター






2007年5月10日木曜日

この日、California State University Long Beachのキャンパス内の、
シアターアーツの建物の中の、ある一部屋で、
「歌舞伎の世界」が繰り広げられた。


この劇の監督は、
Sayaka Miyatani、
宮谷彩耶香さんである。

彼女は、日本からの留学生。
5年前に日本を出て、
ここアメリカに渡った。

元々はサクラメントにある二年生大学に通っていた彼女。
今から2年前の、2005年夏から、
ここ、南カリフォルニアのCSUロングビーチ校に編入した。


もともと演劇に興味があった彼女。
留学もしたいし、
演劇もしたい。

そんな時、高校時代の先生に、
「両方やっちゃえば?」と言われ、
今の過程に至るそうだ。

*****

木曜の夜の11時。
シアターの建物の中の、
地下のこの小さな一室に、
多くの観客が集まった。

初めにサヤカさん本人が出てきて、
皆さんへの、ご挨拶。
「Thank you everyone for coming!!」と、
その持ち前の明るさと、大きくてよく通る、その元気な声で、
サヤカさんプロデュースの、その劇は始まった。

歌舞伎2






*****

部屋が暗くなった。
日本舞踊の音楽とともに、
部屋の後ろの扉が開き、
そこから、一人の歌舞伎役者が現れた。

一歩一歩、
腰を落とし、
シコを踏むように、
体重を落として、
舞台の真ん中に近づいてくる。

そして、繰り広げられた、
彼の、真剣そのもののパフォーマンス。


彼の醸し出す雰囲気は、正に“真剣”そのもので、
目の前で床に腰を下ろして見ていた自分には、
その彼の気迫からの、
“恐さ”さえ感じられた。


彼一人によるパフォーマンスが終わり、
部屋の後ろからまた出て行った後、
今度は、日本の着物に身を包んだ、綺麗な女性が出てきた。

その女性が、「歌舞伎」についての、
簡単な説明を施す。

歌舞伎がなぜ生まれたか、
「歌舞伎」とは、本来どういう意味を表すのか、
歌舞伎の歴史などを話した後は、

「女形」など、様々な種類の役を説明。
彼女の簡単な説明の後、
実際に役者が出てきて、
迫真の演技を披露する。


実際新しい役者が舞台に出て演技を披露する間、
この着物姿の女性は、その後ろで、
扇子を仰ぎながら、その役者の演技に目を凝らす。

そんな洒落た演出にも、
「うまいなあ」と関心させられた。



女形の役者さんの、動き、目線。
細かい表情。
どれ一つとっても、
歌舞伎とは本来縁がないはずのアメリカ人の役者でありながら、
見事に演じきっていた。

その役を演じきっている役者も凄いが、
その、細かい演技指導をした、
サヤカさんの見えない労力に、感激した。


歌舞伎1






****

話は進み、
日本語だけでの、役者の立ち回り。
歌舞伎者5人が出てきての、
警官たちとの物語など、
劇は、

強烈なインパクトあり、
笑いあり、
コメディっぽさあり、
気迫一杯の真剣さあり、

初めから終わりまで観客を飽きさることのない、
見事な構成となっていた。


*****

この劇を見て感動したのは、
役者一人一人の、真に迫る演技だ。

見ているものを恐がらせるほどの見事な気迫で、
その瞬間を、最大の力で演じきる人たち。

その、熱いエネルギーに、
こちらまで熱くならずにはいられなかった。

歌舞伎3






*****

そして何より凄いのは、
この劇を、ゼロから作り上げ、
台本を役者に渡してから、
たった3週間で、今回の公演に漕ぎ付けた、サヤカさん本人だ。

まずは、日本人の真髄である、歌舞伎の世界。
今の時代、日本人である俺たち自信も馴染みのない、
この世界。

これを、いかにアメリカの観客に見せるか。

日本風だけにしては、アメリカ人には受けない。
かと言って、完璧にアメリカナイズしては、
歌舞伎の本物さが、失われてしまう。

アメリカ人の客にも、
日本人の客にも、
“歌舞伎”を知る人にも、
知らない人にも、

観客全員に訴えかける劇を構成するには、
相当頭をひねらせたことであろう。

歌舞伎4






現に、劇を見ていて、
アメリカ人の観客にもバカ受けしていたし、
日本人の俺が見ても、本当に面白かった。

次は何が起きるんだろう、
どうなるんだろう、という期待感。

ただ、真面目なだけではなく、
笑いもあり、
アクションもある。

そんな、見事な構成を作り上げ、
そして、役者のみんなをまとめあげ、
衣装から、
日本語の正しい発音の指導から、
舞台の空気作りから、
全てをやり遂げたサヤカさん。

本当に凄いと思った。


これが、日本にいる日本人がやったり、
アメリカにいるアメリカ人がやった劇だったなら、
サヤカさんの劇ほどの感動は無かっただろう。

アメリカという、全く違う文化の環境の中で、
日本人さえ馴染みのほとんど無い、歌舞伎の世界を、
見事に二つの文化にまたがるようにアレンジし、
観客の感動を勝ち取った。

これは、中々できるもんじゃないと思う。

歌舞伎5






****

この日は、実は本番の日の、前日公演だった。
本当の“本番”は、翌日の金曜日、正午から。

ここで、シアターメジャーの学生全員と、
先生方を呼んで、
200人ほどの観衆の前で、
本番を、乗り切った。


この日、俺はシアターメジャーではないので、
もちろんこの回には見に行けなかったのだが、
なんとこの日の午後、
町のポストオフィスで手紙を書いていたら、
サヤカさんと、鉢合わせした。
何たる偶然!!

聞くと、丁度劇が終った後だと言う。
しかも凄いのは、
劇が終った後、観客みんなが、スタンディング・オベーション。

本当は、カーテンの陰に隠れ、
みんなの最後の声を合わせるために、
表には出てこないはずだったが、
かけ声を出そうとしても、
その凄まじい拍手の渦のため、
自分の声が、舞台の上の役者たちに届かない。

全然止まない拍手を聞きながら、
「中々止まないなあ」と困っていると、笑
なんと、その観客からの拍手は、
監督であるサヤカさん本人を舞台の上に誘うためのものだったそうである。

「自分は監督だからいいわよ!」と言うサヤカさんの手を引っ張りながら、
舞台上に彼女を連れ出した役者のみんな。

舞台上にいざ姿を現したサヤカさんには、
その観客からの、ますます大きくなった一斉の拍手が、
一気に浴びせられた。

kabuki 6






****

俺はその時の状況を話すサヤカさんの話を聞いてるだけで、
こっちまで泣きたくなってしまった。

その時の感激は、相当のものだったに違いない。

****

そしてもっと凄いのは、
この劇を気に入った先生からの提案で、

本当は日本に帰るはずだった来学期、
学校内の日本庭園や、
ロングビーチの中の高校などで、
更なる公演をやってくれないかとの、誘い。

いやあ、凄いね、本当に。
人生“本気”で生き抜いている人には、
必ず、それなりの結果が生まれるってもんだ。


****

そんな訳で、何週間も睡眠時間ほとんどない状態を乗り切って、
見事に今回の劇を作り上げたサヤカさんの、

「歌舞伎の世界 “The World of Kabuki”」

来学期、もしもロングビーチ内で見る機会があった人は、
ぜひ、ご覧あれ。

心を揺さぶられること、間違いなし。

kabuki with sayaka


舞台後、
サヤカさんと



5・13・07



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March 07, 2007

You know what feels like on Friday when you finish the school, right? When you accomplished something and you feel good about it, or at least you have “done” something.

Today I had a speech for my comm. class. I talked about how it is awful the way they deal with the trash at every store in the U.S. That was a proposal speech so I pretended as if I am a CEO of Starbucks coffee, and the listener was the leaders of each branch at Starbucks.

I made a proposal of changing the way we throw away the garbage, making recycle garbage box in the store, just like Starbucks in Japan are doing. What I suggested was to make 4 different garbage boxes for;
1. a leftover of drinks or ice,
2. a plastic,
3. a paper, and
4. a bottle/ a can.

After my speech, everyone was curious about what I suggested, because they started to talk about the issue after I finish my speech.
Our teacher said that it would be better if we try to make more efforts for recycling and thinking about the way of dealing with the garbage. She said she was curious about it even before Al Gore made a movie, “Inconvenient Truth”.

I was always wondering why there is only one type of garbage box at the apartment where I live, and they just put everything together, without segregating them from the paper, plastic, bottle or aluminum cans, irons, food, waters, and even the peace of electric devices like a computer!!
I was kind of glad to hear that one student in our class mentioned the same thing, wondering it is not good to throw away all kinds of garbage to the landfill, as if everything will be settled down after we send the garbage to there.

Anyway, that was great that the whole class became interested in the subject of thinking about the way we deal with the garbage. I realized that people are not just ignorant, but sometimes they don't know what kind of problems are going on outside, just becasue they are not aware of it, or they just don't have any opportunities to think about it. Now all the class is ready to think how we should start protecting our environment.

There was one girl who’s speech and the delivery was really good, so I walked up to her and said, “Good speech!”.
She smiled and said to me, “Your speech was good too. I never thought about that.”

That’s a great feeling when you can do something for making a change, a good change for the people and the world.
It was a "Good Friday afternoon" feeling.

Shun
3/7/07


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December 24, 2006

今学期(8月の終わりから12月の末まで)は、流れるように過ぎ去った。
夏休み、まだ日差しの強い時期に、ここロングビーチに帰ってきてから、
夜はめっきり冷え込むようになった今日の日まで。

今日、友達7人と、Manzanar(マンザナー)というところにある、
日本人強制収容所跡に行ってきた。
アメリカ今年最後の日だ。朝の8時に集合して、片道約4時間半。
夜の10時過ぎに帰ってきた。
道中、砂漠の真ん中を突っ切っていくという事もあり、
色々と考える時間も取れた。
今学期を、振り返ってみて。

今学期は、色々なことがあった。
学校の勉強から始まり、
学校での学生団体活動。
会社でのインターン。
週末を使っての旅。
サーフィン。
新しい人たちとの出会い。
数々の場所への赴き。
そこで感じたこと。
就職活動。
会社の人たちとの出会い。
自分の将来について、
人間性について、
そして、自分という、人間について、
考えたこと。


もしも、行動をして、経験を積む事が、
“土を掘っていくこと”だと例えたなら。
その「経験」という土は、
掘れば掘るほど、溜まってはいくが、
その土から何が取れたのかを、
一度止まって、じっくりと見ていく作業。
これが無いと、その「経験」という土から、
何を学べるかには気付かないし、自分の身にもつかない。
自分で、その土を、“自ら”吟味してこそ、
その体験、経験から何が学べたのか、
その掘った土は何を意味したのか、
そして、何が大事だったのか。
それを、自ら確かめ、納得し、自分のものとすることが出来る。

今学期の自分は、
土を掘りまくりはしたこそ、
その土を、一度立ち止まって、じっくりと吟味していく時間を、
十分に取らなかった。
「取れなかった」と言った方がいいかもしれない。
それほど、土を掘ることに一生懸命で、
そして、目の前にドンドン現れてくる土を掘ることに、
飲まれていた。

経験はドンドン積むが、
それを、自分が、消化し切れていない。
頭は、次から次へと起こる、新しい出来事に混乱し、
一日の終わりに、疲れて帰ってきて、
次の日には、考える間もなく、家を出る。
それが続く。
一ヶ月後に、この一ヶ月間を思い返すと、
「何があったっけ?」と、覚えていない。

様々なことが起こって、それを全部書くつもりはないが、
今学期は、本当に考えさせられる出来事が沢山起こった。

今学期学んだこと。
それは、

「人生において、
人からの信頼を失くすことが、一番辛い」ということ。

そして、

「勝負は、諦めた時に終るもの」だということ。

学生団体。
俺はこれに所属していたが、色々な葛藤があり、
途中で辞めることとなった。
自分の理由、言い分がどうにしろ、
途中で辞めたことは事実であって、
そこから生まれる、誤解、批判、失望には、
反論する気はない。

俺はここで、「自分」というものを、見つめ直す機会を与えられた。
「組織」の中で、どう動くのか。
「自分」というアイデンティティと、「組織」の持つ、色。
それが合わない場合、どうするのか。

自分の心の葛藤と、周りの声との葛藤。
周りの批判を買ってでも、自分の信念を貫き通すのか。
それとも、その批判を抑えるために、自分を押し殺して働くのか。

後者の選択を取ったとき、周りの批判こそは消えはするが、
自分の心は死ぬこと。叫び続けること。

そして、前者を取ったとき。
自分の道を進んだことに対する、潔さは生まれこそはするが、
その自分の決断に対して生まれる、批判。
そして、それらの批判から生まれる、自分の決断への罪悪感。
それと、どう向き合うか。
そこから逃げるのか。それとも、向き合うのか。
そこには、精神面の強さが求められること。


この世は、自分ひとりでは成り立っていない。
「人」が集まり、社会は成り立つ。
同時に、その社会の中で生きていく場合。
「自分」というものを、どう表現していくのか。
自分勝手では、ただのわがままになり、
自分を常に押し殺していては、自分の心は死んでいく。


また、人からの信頼を失くしたとき。
その信頼を失くした理由が、どういうものであったにしろ、
その出来事は、自分への自尊心を下げる。
自分に自信が持てなくなったとき。
自分に、“疑い”を持ち始めたとき。
その時、その弱い自分と、どう立ち向かうのか。
そして、そこに求められる、心の強さ。


自分ひとりではどうしようもなくなったとき。
そんなとき、「人は一人で生きていけない」、という事を思い知らされる。
自分は、周りの人のサポート、応援があってこそ、
生きられること。
人から感謝されること、励まされることが、
いかに自分を強くするかということ。
そして、人に何かをしてあげたとき、
その喜び、そしてそれが自分を強くする強さは、
自分ひとりのためだけに頑張って得たそれとは、
比べ物にならないほど、確実で、大きいこと。


今学期は、不安定な時期だった。
「自分」というものが分からなくなったとき、
その中で、自分が信じる“自分”を貫き通すこと。
自らが、己に疑いを抱いては、
自分というものは、崩れ落ちてしまう。
そこで踏ん張るために、
己が信じる、「自分」を貫き通す。
それに徹する必要があったゆえ、
今学期の俺は、頑固すぎたかもしれない。
素直ではなくなり、人の話も聞かなくなっただろう。
ガチガチの自分がいた。
しかし、それを通り越して、
そんな、居心地の悪い時期を通り越して、
気付いたことも多くある。

今学期は、自らがこれから社会に出る前に、
どうやって自分を表現するのか、
そして、己が信じる、「自分」とは。
それを考えさせられる時期だったのかも知れない。

この4ヶ月を、無駄にはしない。

12・23・06


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December 22, 2006

Yeah, it's finally over...
I don't want to study anymore, I mean,
I don't wannna stay in my room or at school forever and just study...

Anyway, it's over.
The thing is, if you spend enough time for your study,
you can get a good grade for sure.
It is whether you "do it" or "don't do it".

Finally I can spend some time for myself,
writing blogs, go watch movie, etc... and surf!! Haha!!

12/21/06 10:58AM


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December 21, 2006


ファイナル3日目。
先週末からずっと学校や部屋に閉じこもって勉強してたので、
精神的に不健康になってきた。
これ以上は、もういくら詰め込もうが、頭が受け付けねーよという感じ。
こんな時は、思いっきり体を動かすに限る。
土曜日以来、またサーフィンに行ってきた。
今日もファイナルはあったが、勉強はすべて昨日に終わらせた。
そして今日の朝、今までのストレスを、一気に開放!!
いやあ!本当に気持ちよかった!!
天気も良かったし、何より、
ずっとこらえて溜めてたストレスが一気に爆発する感じで、
波に乗るたびに叫んでたよ。
「Yeah-----!!!!!!!」
今日は時間がないので、一時間くらいしかいれなかったけど、
その分その少ない時間を、”超!”集中してサーフィンした。
どんな波も逃さない。
その集中力。最近の勉強への集中力で鍛えたせいで、
波乗りにも、しっかり使えました。


やっぱり、何かを思いっきりやろうと思ったら、
同時に、他のことも思いっきりやらないと、バランスが取れなくてアカンですね。
いつもより思いっきり勉強するなら、
いつもより思いっきり遊ぶ。
そのメリハリが大事ですな。


さて、今日も海で思いっきり発散したので、
今日の夜も、思いっきり勉強します!!
あと一日や!!

12・20・06

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December 19, 2006


ファイナルの勉強に向けて、学校で一日の大半を過ごす日々が続く。
今日は、夜7時からのExam。
政治のクラスで、ショートエッセイが6つのテスト。
テスト時間は2時間で、先生は、
「2時間もあるけど、そんなに時間を使う人はいないでしょう」なんて言ってたけど、俺は最後の30秒カウントまでされるまで残ってやった。
エッセイクエスチョンだから、自分が書きたいだけ、書いていい。
最後、指に力が入らなくなるまで書いてた。
終わった後、頭はガンガンだし、体もフラフラだが、
何か、最後まで力を出し切るってのはいいもんだね。
久しぶりに、水泳のレースで、力を振り絞って泳ぎきる感覚を思い出すよ。

サーフィンやってる時なんかもそうだが、
体や、頭がフラフラになるまで、
自分の限界に挑戦して、何かに必死に向かうってのは、
楽しいもんだね。
自分が、今持ち得ない力。
それ以上のものを求められるから、何とか気力と根性だけで、
前に進もうとする。
途中、一瞬でも気を抜くと、もうダメになっちゃうかもしんない。
そんぐらいの瀬戸際で、必死にこらえる。
その、ギリギリチョップな感じ。
これを続けて、見事、自分の求めていたゴールに到達したとき。
そん時の快感は、こりゃもうデカいっすね、先生。

♪ギリギリじゃないとボクだめなんだよ
 生ぬるい温泉はまだちょっとでいい
 キワどい快感に侵されて 
 楽しめなきゃマズいんじゃないの?♪

今夜は完全に頭がイっちゃってるわ。
しかし、まだ3つテストがあるので、気を抜くわけにはいきまへん。
ガンバります。

12・18・06


PS。テスト中。
テスト開始して、約20分後。
先生 「Okay, you guys have 5 more minutes left」
みんな「What!?!?」
先生 「Just kidding」

******

テスト開始、1時間後。
先生  「Okay, you have one more hour left. If you are working on the first question, you should really move to the next one」
みんな「Haha!」

******

テスト時間残り30分。
先生「Okay, you have half an hour left. If you are still working on the
first question, now you REALLY have to move to the second one」

お茶目な先生で面白かったです。


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December 15, 2006


いやあ〜、、、またやっちまったぜ
時間ギリギリにペーパー終らせるクセ。
いつからかこれがクセとなり、
本当に切羽詰らないと、やる気が全然起きない様になってしまった。

昨日なんか、本当にやる気が出ないから、
時計の時間を早めて、「あと1時間で授業だ!」と自分に言い聞かせたり笑
何とか早く終らせようとするんだが、
全く、何でいつも、こうして時間ギリギリまでやってんだかね。
今日もルーミーのヒロポンに、車でクラス前まで送ってもらい、
無事セーフ!!
プレゼンも本当は準備が出来てなかったが、
余裕振って勝手に終わらし、
「結果よければ全てよし」の図がまた出来上がってしまった。
こうやって、毎回ギリギリのラインを歩きながら何とかうまく行っちまうから、
また体が調子にのって覚えちゃうんだろうね。
「今度は、もっと極限まで自分を追い詰めてみよう」なんて。
その内本当にヤバい目に合うぞ、俺。


******

話変わって、プレゼンについて。
人前で何かを発表するというのは、
遣り甲斐のあることです。
元々人前で話すなんて出来ないほどシャイなヤツでしたが、
こっちに来て、そういう機会が増えていくに従って、
それが段々好きになって来ました。

毎回プレゼンをやる度に色々と「こうしたらもっといい」と気付きますが、
毎回気付く、プレゼンの「核」について。

.話し手に分かりやすく、シンプルに。誰もが分かる様に話す事がコツ。
.聞き手の注意を引くこと。
(内容によっては面白おかしく話したり、真剣な内容だったら、相手の感情をがっちり掴むように話すこと)
.相手は「人間」だ。相手(観衆)の反応を見て、自分が話す内容、テンポ、ペースを変えられること。
.ダラダラ長く話すより、バッと短く話すほうが、ずっと難しいということ。(10分なんてあっと言う間にすぎるぞ)
.観客の目を見て、自分の感情を、語りかけること。
“Not talk to the crowds, talk to the people”

4.に関しては、最近よく感じます。
余りに自分のプレゼンが長いと、「はあ〜」と溜め息が出る、クラスメートから。
全く、アメリカ人は正直すぎるぜ笑 でもその方が、彼らの思ってる事が素直に分かっていいんだけどね。自分のプレゼンが本当によかったのか、悪かったのか。

*******

ほんじゃ、息抜きして、次やることに入ります。

12・14・06


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November 30, 2006


Damn… Today’s class presentation was pretty intense so I’m going to write about it here.

今日のGender and Communicationのクラスはとても印象的だった。
今回のトピックは、”Sexual Assaults”――直訳すると、性的暴行について。
前回のクラスで、教科書の内容に触れ、今回は、学校で性的暴行の問題について、演劇を通して、その問題性を訴えかける、コミュニケーション・デパートメントの団体が参加。
男性3人、女性3人、司会者が一人、そして教授が1人の計8人のグループが自分たちのクラスに来て、目の前で観客も参加型の演劇兼デモンストレーションをやってくれた。

劇の内容に触れる前に、前回のクラスと教科書の内容で、何に触れたかについて。
基本的には、いかにこの社会で、女性が性的に、暴行、嫌がらせ、そして虐待を受けてきているか、そして、今も受け続けているか、ということ。
自分の通うCSULBの学校のキャンパスでは、つい数週間前、夜に図書館から車の駐車場まで帰る途中の女生徒が、二人の男に性的虐待を受けた。
それ以来、夜になると、駐車場まで車で護衛して送ってくれる、キャンパス・エスコートサービスが始まった。
しかし、それでも夜中に一人で歩く事を嫌がる女性は多い。

自分は男なので、夜のキャンパスを歩く事を恐いと思ったことは今まで無かったが、先生が、クラス内の女生徒に、「夜のキャンパスを一人で歩く事が恐い人は?」と聞いたら、ほぼ全員が手を挙げた。(クラス内の女生徒は大体20人近くいる)

他にも、「車に乗る前に、車体の下をいつも確かめる」「鍵を開ける前に、バックシートに誰も忍んでいないか確かめる」「車の鍵を指の先に握り締めて、用心して歩く」など、いかに女の子の生徒が危険を感じて、夜のキャンパスを歩いているか、そしてその事の重大さを、今回のクラスの反応を見て初めて知った。

女性であるが故に、男性よりも不安を多くして、生活を送らなければならない・・・この実態を、教科書は深く掘り下げていた。

また、実際に性的虐待を受けた被害者のほとんどが、実際には親や家族、警察、ましてや親友にさえ打ち明けられないこと。
それは、被害者のほとんどが、その事が起きた理由は、「自分にある」と、自分自身を責めてしまうからだ。

今回、クラスの前で行われた劇は、その模様を映し出す一例となった。続きを読む

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October 18, 2006


Gender and Communicationのクラスを終えて。

毎回このクラスが終わるたびに、何か書きたくなるのだが、
それは、このクラスが面白いから。
いろいろな話題について触れ、それをクラスで先生と生徒を交えて、ディスカッションする。
多分、俺自身が興味のある内容だし、それをみんなの意見や体験も交えて聞け、話せるから、いろいろ触発されて、アイディアが浮かび上がってくるんだろう。


今日は、 "Gendered Nonverbal Communication" について学んだ。
基本的に、 "性による違いの、言葉では見せない意思の疎通について " 。
日本語で書くと難しいけど、いわゆる、ジェスチャーってやつです。
男と女で、ジェスチャーの使い方が、いかに違うか。

教科書のデータによると、普段人々が日常で行う、人とのコミュニケーションの内、65%〜93%が、言葉によらない、ジェスチャー(体の動きや、アイコンタクト、表情、間の取り方、そして話すときのお互いの位置関係など)によるものらしい。30%も開きがあってなんか怪しいが、少なくとも俺たちが取るコミュニケーションの内の半分以上は、 " 言葉 "ではなく、それ以外のものが意味を含んでいるということ。続きを読む

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October 17, 2006


月曜の夜。コミュニケーションのクラスで、政治のクラスを取っているが、
この授業の後、クラスメイトの子とずっと話していた。
彼女、クラスの最後に、先生に何か質問していたので、何を聞いていたのか聞くと、
実際に政治の世界に入るには、そして、実際に彼女が興味のある、「書く」と言うことを実際に使える、政治の分野とは、どんなものがあるのか、先生に聞いたらしい。
先生の答えは、「Do some volunteer(ボランティアをやりなさい)」、
That’s it.

実際に彼女が聞きたかったのは、もっと詳しいアドバイスだったのでがっかりしていたっぽいけど、彼女が俺に話す様子は、とてもエキサイトしていて、本当に政治の分野が好きなんだなというのが手に取るように分かった。

彼女の話を聞きながら、彼女の話している様子を見ていると、本当にその子が、その分野に興味があって、そして、それを、毎回クラスに来る度に、そして先生の講義を聞くたびに、それを自分自身が実感していること、
そして、今日はそこから行動に結びついて、実際に、今自分の持っている仕事を変えてまでも、政治の世界に“また”戻りたい、それだけのパッション(情熱)があるんだってことが、彼女の話す姿と、きらきら輝く目から、手に取るように伝わってきた。続きを読む

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September 23, 2006


Gender Communicationのクラスを受けながら、感じたこと。

今日は、アメリカ社会の、男性の人権についての話だった。
先週は、女性の人権についての話。
いかに女性が、1900年代初頭から、
努力の結果、今に至るまでの、女性の人権を勝ち取ってきたか。
今週は、それとは逆で、男の人権を守る人たちの話。
今までどおり、「男は男らしく!」を叫ぶ団体もいれば、
「女性がそんなに社会進出を果たしたいんだったら、今度は男性にも、子供を家でこもりする権限を与えてくれ」と叫ぶ団体。
「男だって、素直に感情を出したいんだ!感動して泣いて、それで"女みたい!"と非難されるのはもうコリゴリだ!」と主張する団体。
「何で男がこんなに稼いでいるのに、いざ離婚すると、妻が資産の半分以上を持っていくんだ!」と訴える団体。

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March 29, 2006


今日はIBA (International Business Association)の日。

これは、自分が行っている学校の、クラブみたいなもの。
基本的に、国際ビジネス専攻の学生が集まる。
俺は、ビジネスメジャーにはできなかったけど、
ビジネスになんとか触れていたいので、
こういうのを利用する。

毎週、色んな会社から、ゲストスピーカーが来る。
今日は、どこかの会社の、マネージャー。

彼は、51歳。
10個以上の会社での経験があるらしく、
彼の話は、実戦に基づいていて、面白かった。

だが、所詮、人の話は、人の話。
特に、ビジネスに関しては、
いくら多くの人の話を聞こうが、
実際に自分でやって、経験を積むまでは、
何も分からない。

そう、自転車に乗る前に、
必死に「乗り方マニュアル」を読んでいるようなもの。

今日も、いつも通り、
「早く自分でやらせてくれよ」という感じになった。
だが、こうして、実際にビジネスシーンにいる人たちから
話を聞けることは、
刺激となっていい。


このオジさん、
1時間半ほど色々と話し終わったあと、
最後に言った。

「結局は、お前は何ができるのか、
それをいかに会社に売れるのか、
          それが核心だ」と。

どの人も、同じことを言う。

結局は、どんな世界に行こうが、
どの国に行こうが、
どの時代に行こうが、

自分が「何ができるのか」、
そして、
それがどう世界に通用するのか。

そこに尽きる。


最近色んな場所で、就職活動のアドバイスや話を聞くが、
どこに行っても教えられる事は、
履歴書の書き方、
面接の受け方、
仕事の探し方など、

「仕事を得るまでの、細かいマニュアル」のみ。

どんな人に話を聞こうが、
「一度仕事に就いてから、そこからどうするか」
は教えてくれない。
もちろん、彼らも教えられない。

唯一言えることは、

「経験を増やせ。
どの世界に行っても、通用できる奴になれ」

それだけだ。


マニュアルなんて、たかがマニュアル。
いくら読もうが、聞こうが、
自分で本当に体験して感じるまでは、
何にも役に立たない。
分かったつもりになってるだけ。


だから、自分で動く事だ。
どんなに小さくてもいい。
どんなに、ヘタクソでもいい。
最初からうまく行くわけない。
失敗して当然だ。
とにかく、動くこと、
自分で体験をすることだ。

経験を積んだ後のみに、
それらの先人たちの意味する事が、
初めて分かってくる。


とにかく、
動く事だ。


3.28.06


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December 18, 2005

Inoe

I’m just back from Ione, my friend’s farewell party. She is from Basque, and she is going back to her country. After she visits her country and Europe, she will come to Japan to study. I met her through Take, my friend from old school in Weed, and today was the last time get-together for her. There were so many people from everywhere, because her friends were all international. I don’t know how many nationalities of people were there, but it was so international anyway…

Every one was having good time, and it was such a nice atmosphere. I really felt that I was in “US”, where all kinds of people from all over the world get together.
It’s kind of funny, because even I’m in this area, Long Beach, for like three and a half months so far, I really didn’t put myself into international place like tonight. I mean, I have friends from my classes and organizations that I am in, but most of the time, they tend to be one nationality, like only Whites, Hispanics, Blacks, Japanese, Chinese, etc… It’s kind of hard to find a place, where “all” kinds of people get together, and everyone knows each other well, and everyone feels like they are family. Yeah, they feel at home when they get together. It’s such a nice atmosphere.

I only know Ione through Take, and we met, what? like 4 times only at most? And we just met on campus, just saying “hi” and stuff. But she treated me like a best friend from the beginning, and I was invited to today’s farewell party for her.
I went there, and of course I didn’t know anybody, but everyone was so nice, introducing themselves from them to me, and at the end of party, I got bunch of new friends, nice friends, hahaha.

I realized, that I was missing something very important, something which you can get only when you are in US. It’s so easy to hang out with people from same nationality where you are from. For example, because I am Japanese, it’s easy to hang out with Japanese people. Yeah, it’s easy, and it’s easy to make Japanese friends, because we are from same culture and we don’t have to talk about our customs when we meet at first time, because we are from same culture! But, when you meet someone from other cultures, you have to know their cultures too, because there are lots of differences between your culture and their cultures. One of the reasons why it’s so easy to get along with Asian people is because their cultures are so similar to ours, so that we don’t talk about it that much, in another words, we can get along without any further ado because we are almost from the same culture. But it’s a totally different story when you talk to someone from totally different countries, like from Middle East. Well, actually they have lots of similarities and it was easy to get along with them though, haha. I guess maybe it more depends on their background and personalities.

Anyway, what I’m trying to say is, that it is so easy to stay in one same community, where you feel comfortable to be with, because you don’t have to explore yourself in there. You don’t need to challenge yourself, trying to talk to them from you, try to find a same topic that you can talk with them, and trying to break a boundary between you and them.
Now, I got used to do this, because I’ve been putting myself in this kind of situation a lot, where you have to explore yourself otherwise you get no one to talk to. This is kind of off the topic, but most important thing when you try to get along with somebody is, not to “talk”, but to “feel”
it. Hahaha, like some kind of movie, huh? But actually it is true. Because we try to “talk”, we don’t realize the same “atmosphere” that we have between us and them, so that we tend to talk something stupid or something doesn’t make sense, and we lose the flow in our conversation. But if we try to “feel” something between us and them, there are always something between us which is similar or common to both of us, and you realize it and you can get along with them. In extreme, you don’t have to say a word. You just look into their eyes, and you can tell them what you want to say, and they feel it.

Wait a minute! I just came up with one idea! Probably, the reason why Japanese people are not good at communicating with people from other cultures is because we don’t look at their eyes, maybe? We are taught to not gaze at person’s eyes you are talking to, because doing so means disrespectful to them, but actually it is against the common sense in universe. Without looking into their eyes, we cannot fully understand what they are really feeling. Maybe because of our culture, we are not good at reading someone’s mind, and that’s why we are not good at getting along with people from other cultures. Well, there are always exceptions, and I basically tend to look into their eyes, so I don’t have any problem with that though.

Anyway, the most important thing is, to “feel” the person, and that’s the best way to become good friends with anybody. Ione, she is so good at these. Like I said, even though we have met only few times, she just exposes herself so open, and because of her self disclosure, I feel it’s easy to disclose myself too. That’s why we become good friend already, and now she is going to stay at my place in Japan because I found out that she is coming to Narita on January 20 and I will be there, so she can stay one night at my place with my family! Great!

Anyway, she was such a nice person, and that was such a great time that I had, and what I was missing was to put myself into more dynamic, international place everyday as much as possible, because I am staying in US only for 1 and a half more year, and then I have to go back to Japan. Once I go back to Japan, it’s so hard to find a place like this, where everybody from all over the world gets together and they get along with. I’
m sure I’ll miss this environment a lot.
That’s why I try to give myself more opportunities to meet more people, from all kinds of nationalities, to explore myself more. I want to broaden my perspective as much as possible, and I want to use my life to the fullest, feeling that I am using my life in this planet to the fullest, using every opportunities.

I’m going to have my own sushi and Japanese calligraphy school from next semester, and I’ll teach them how to make sushi and how to write their name in Kanji. I’m sure I’ll get to see more people each week, and that's one of the way that I can do now to explore myself more. I’m doing this to practice how to make company in my future, because making organization and managing that stuff is the basic work of managing company, so it will be a good practice for me. But above all, it’s going to be a great place to “meet” more people, which I need right now, while I am in US.

Anyway, that was a good night.


12/18/2005


shunsukesekine at 02:47コメント(0)トラックバック(0) 

December 13, 2005

今、学校の図書館にて。自分の持っているパソコンには日本語機能が入っていないので、日本語で打つには、ここに来るしかない。

今週はファイナルウィークということもあり、学校の図書館は、夜中の2時まで開いている。
自分が前までいたコミュニティカレッジに比べたら、凄いことだ。
前の学校は、いくらファイナルの週でも、夜の8時にはしっかり閉まっていた。土日は、もちろん開いていない。
前は開いていたときもあったそうだが、ここの州知事がシュワちゃんに変わってからは、州の予算カットで、図書館の開館時間も短くなった。
学生の授業料は上がるし、憎きアーノルドである。

今回書こうと思ったのは、人間の精神面の鋭さについて。
今回、ファイナルということもあり、久しぶりにこんなに真剣に勉強していたが、 図書館の机に座りながら、思った。
こうして勉強することの大事な理由は、もちろん勉強していることの中身の大事さもあるが、
それよりも、こうして、自分を辛い状況に持ち込み、逃げ出したい中でも、そこでじっと堪えてそれをやり遂げること、
それ自体に、意義があるのではないか、と。
そうする中で、己の精神力は伸びる。
これは、勉強に限ったことではない。
例えば、自分が高校の頃、水泳部だったとき、大会前に備え、学校の練習以外に、別のスイミングクラブでも、
独自で練習していたときがあった。
そこの練習は、学校のそれよりもきつかったが、自分の力を上げたい理由、それよりも、自分の弱さに負けたくない理由で、
何とかこらえて、毎日頑張った。
最低でも、一日4時間、時には、6時間以上泳いだ日もあった。
水泳は、水の中に常に顔を入れているもの。
苦しかろうが、こらえて泳ぐしかない。
泳いでいる最中、誰とも話はできないから、自分を叱咤激励するのは、自分のみ。
そんな中で、いかに自分を、辛い状況の中でも、ポジティブに保つか、
いかに気の遠くなるようなタスクをこなすか、
それを学んだ気がする。

そんな時も、やはり、精神的に、自分を伸ばしていたことになる。
その時の己の精神の「鋭さ」は、最近の自分の精神的な面に比べて、確実に勝っていた。
逆に言えば、最近の自分は、自分を精神的に「磨く」ことを、本気でやっていなかった、そう感じた。
水泳は、スポーツ。肉体を使う。
勉強から来る精神的な苦しみなんて、その時の肉体的な苦しみに比べたら、何でもない。
それでも、こうして、机にじっと座り、逃げたい自分を抑え、何とかやり遂げようとすることは、水泳の練習の時、
自分が己を精神的に磨いていた状況と、同じ事と言える。
肉体的な苦しみがないだけ、ずっと楽だけどな。

今自分は、22歳。
その水泳の練習時代から、5年経った。
5年経ったが、精神的な鋭さは、その時のほうが勝っていたことに気づいた。
そして、このままいるのは嫌である。
5年経ったなら、5年分、精神的に鋭くなっていなきゃいけないはずだ。
つまり、毎日の、己の磨き様が、「本気」ではなかったいうこと。
前のメールでも書いたが、自分を甘やかすも、厳しくするも、己自身。
22歳の俺よ、毎日「本気」で自分を磨け。

shunsukesekine at 02:11コメント(0)トラックバック(0) 

December 12, 2005

今週はファイナルウィーク。今週が終われば、CSULBでの初セメも、終わりである。

さっき、今年のスケジュール帳を見ていた。このスケジュール帳は、去年の終わりに日本で買ったもの。
毎日の予定や、その日に起こったこと、これからの予定など、色々書き込んでいるが、
大体のことは書き込んであるため、それを見直せば、今年一年何が起こったか、思い出せる。
いわば、自分の人生の、引き出しの様なものである。

この一年は、とにかく濃かった。多分、今までの人生で、一番濃かった。
というより、今までの人生の中で、一番、「日々を意識して生きた一年」となっただろう。
だからこそ、一日一日、何が起こったか思い出せるし、「濃く生きてよかった」と感じられる。
無駄にした日は、一日もないと言い切れるから。
今年1月の頭から、今、12月の半ばまでを、毎週ごとに見て感じたが、
人の一生なんて、長く見えるが、結局は、日々の積み重ねであるということ。
一日一日を大事に生きない奴は、自分の一生を大事にしていないのと同じである。

人生は、毎日の積み重ね。
行き当たりばったりでも、どうにでもなる。
その日にその日の予定を決めて・・・・とやっていても、日々は経っていく。
だが、そうしていたら、日々だけが過ぎ去り、何も残るものはないだろう。

だからこそ、己の人生の中での目標をつくり、そのDue Date、期限を決め、
日々を、それに向かって走っている状態にすることが大事だ。
もちろん、休憩は大事。「ここまで走ったから、俺はこれだけ休む」と決めることも、
自分の精神状態と体を管理する大事な方法。
自分の体なんて、消耗品だからな。
しっかりテイクケアしていなければ、すぐにガタが来る。
それは、病気、怪我など。
しっかり食べ、体を休め、・・・・その健康管理ができていないと、すぐに体は悲鳴を上げる。
もしくは、精神的に、まいってくるだろう。
それをきちんとこなして、初めて、自分の目標に向かい、日々走り続けることができる。
そして大事なのは、その目標を達成したら、次なる目標を、すでに用意しておくこと。
目標がないまま、ただ日々を過ごすことは、簡単。だが、そうやって過ごした日々からは、何も生まれない。

人間、堕ちるのは簡単。特に、自分に甘くすることは、本当に簡単である。
なぜなら、自分を本当に見ている奴は、自分しかいないから。
頭、体、心は、日々鍛えないと、伸びないばかりか、すぐに堕ちる。
人生も、それと一緒。日々、目標に向かって進まないと、今の状態から前に行かないばかりか、
後退しているのと一緒だ。
だから、とにかく、毎日続けることが大事である。
一日一日で進む距離なんて、無に等しい。
一見、ちっとも進んでいないように感じる。
だが、そのすぐの結果に騙されて、続けることを止めると、
あっという間に後退していく。
逆に、毎日、あきらめずに続けていけば、
必ず、前に進んでいく。
その結果は、半年、一年の、ロングスパンで見てみて、初めてわかる。
「お、俺はこれだけ成長したのか」と・・。

今の自分には目標がある。
今日本にいる知り合いの人と、レストランビジネスを展開することだ。
彼は、今大阪で、第一号店の取り掛かり準備をしている。
自分は、二件目のレストランを、彼と作り、運営する予定だ。
オープンは、今から約7年後、2013年の予定。東京に作る。
自分は、ここCSULBにて、あと一年半の学生生活がある。
一年半といっても、あっという間に過ぎ去るだろうけどな。
この一年が、あっという間に過ぎ去ったように。
ここを卒業した後は、日本に帰り、2年、もしくは3年、日本の社会で働く予定だ。

その短期間で、金を稼ぎ、自分のことを今まで面倒見てくれた両親に、お金を返す。

そして、その後は、俺の進みたい道に向かって、進む。
その知り合いの人と、一緒に行動開始だ。

7年後。俺が29歳となる時。
その時に、そのレストランの顔としてふさわしい人間になるため、
日々、ここで、自分を磨く。

7年後。大分先のことの様に感じる。
だが、そんなの、あっという間に来る。
この一年が、あっという間に過ぎ去ったように。
日々を、大事にしていても、だ。
この一年を、あと7回繰り返したとき、その日が来る。
しかも、人は、年をとるごとに、時が経つのが早く感じるからな。
今の目標は、その7年後に向け、毎日を生き抜くことだ。

「言うは易く、行なうは難し」。
こうして宣言している以上は、とにかく日々、生き抜くのみ。


12・12・2005

shunsukesekine at 02:08コメント(0)トラックバック(0) 
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