おばあちゃん

May 10, 2009

2009年5月9日(日)

去年おばあちゃんが亡くなってから、一年。
8日の朝に東京を出て、岩手に着き、
9日、今日の朝11時から、おばあちゃんの一周忌として
お寺に親戚一同で集まった。

去年、あの時から一年。
あっという間に、時が経った気がする。

おばあちゃんには、去年の9月に就職が決まって、
次の転職先が見つかるまでも、
よく、見守っていて、応援していてもらった。

今回、去年の7月の終わりの、納骨の時以来の
再会となった。

******

昨日の昼は、岩手に着いてからすぐに、
近くの温泉へ家族で浸かりに行った。
山の上にある温泉で、ほぼ貸し切り。
客は、俺たちと、あと2組ぐらいしかいなかった。
かなり大きいリゾート地だが、大型休暇や週末以外は、
大抵あんな感じで空いているらしい。
久しぶりに温泉に浸かり、一人で色々と考え、
頭の中の整理ができた。

夜は、おじちゃんちに集まり、
皆で豪華なご馳走を食べながら、
夜の12時まで、ゆっくり話した。
おばあちゃんはずうっと、
北上水産で働いていたから、
高級な魚介類をいつもお祝いの時には食べていた。

昨夜は、おじちゃんの、教育についての
熱き思いと、その教員としての人生観、仕事観について
話を聞き、熱いものを覚える。
(おじちゃん、おばちゃんともに学校の先生であり、
今はおばちゃんは去年の3月で校長を終え、
今は教育委員会で働いている。
おじちゃんは、今も校長で、
今年度で退職。)

おじちゃんの話で、
彼の教員としての仕事ぶりは、とても感心するものがあった。
彼は、体力と気力が持つまで現場に立ちたいと考え、
53歳まで担任を受け持った。
そして、その教員時代、
6年生のクラスを受け持っているとき、
切り絵のプロジェクトをクラス全体で行い、
それが発展して、終いには市の劇場で
公演するまでになった。

彼は、今度の14日、
自分の今までの教員として得たものを、
他の教員の方々にも何か伝えたいと思い、
1時間半の講演をするらしい。

******

おじちゃんというのは、やはり教育に心から携わって来た
人のせいか、
話をしていて、とても素晴らしい方だなと思うところが
本当に沢山ある。

例えば、今回の講演の話にしても、
「自分が話をして、全員の人に伝わらなくてもいいのさ。
 その中で、一人でも若い先生に何かが響いて、
 その先生が岩手の教育を担ってくれれば、
 それで、私が今度話す意義が十分にあるのさ。」

他にも、例えば、誰か一人の先生が、
思うように仕事をしてくれていないとき。

そんな時は、その人に、
「もっとこうしてもらわないと」
と頭ごなしに言うのではなく、
その先生を呼んで、
「いやあ、いつも本当に頑張ってくれていて、
 本当にどうもありがとう。
 ところでさ、今度こんな事を考えているんだけど、
 それを先生の力で、何とかまとめてみることは出来ないかな?」
と、その人の今の努力、頑張りをまず褒め、認め、
その後に、彼がやる気を起こすような話の持って行き方をする。


おじちゃんの話を聞いていると、
全てに「常識」があるというか、
とにかく、「ああ、やっぱり人間って素晴らしいものだよな」
と、感じさせてくれるものがある。

それは、おばちゃんと話していても然り。

やっぱり、教育に、真に携わっている人っていうのは、
「人」を教えるわけだから、
その「人」自身も、素晴らしい人格を兼ね備えている
ケースが、多い。
そういう先生ばかりではないと思うし、
むしろ、そんな先生は少ないのかもしれないが、
うちのおじちゃんとおばちゃんは、そんな先生たちだから、
非常に誇りに思う。

********

また、おじちゃんが、常に教育に関して
真剣に取り組み、
教育委員会のマニュアルなどには一切ないようなことでも、
自分で色々と考え、工夫して、
それを現場に生かして来たこと。

彼は冗談ぽく言っていた。
「俺は、常にその時にできることを全力でやり、
その結果を残すようにして来たから、
定年退職した後も、また教育に携わることはないよ。
もう、今年度で、
私は燃え尽きますよ」と。

彼の、目標を持って、
それに全力で投球して、
その目標、壁を打ち破っていく生き方。
それが俺も好きだから、その生き方に凄く共感した。
おじちゃんにそれを言うと、
「結局、それが「仕事」ってもんじゃない?」と。

自分で工夫して、好きな仕事を全力でやっていたら、
一日はあっという間に過ぎるし、
逆に、嫌いなことを嫌々やっていたら、
一日は中々時間が過ぎないよね、と。

やっぱり、仕事っていうのは、人生だと思うし、
自分が何の分野で一番秀でているか、
それを知り、それを作り、
全力で打ち込むこと。
その生き方こそ、俺は、好きだなと思う。


この夜は、最近おじちゃんが気に入っている言葉、
「惻隠の心」
の話しなどについて熱く語り、
夜の11時ごろにいとこのあきら君が帰ってきた後は、
彼の最近の仕事に関して話をし、
次の日を迎える。

********

今日。
朝からお寺に皆で集まり、
その後は、お寺の上のお座敷で、食事を取る。

自分の隣には、親戚のおばあちゃんに当たる人が
座っていた。
桃子お姉さんという方だが、その人と良く話をした。
彼女は今80歳近いが、
彼女の生まれ育った時代からすれば、
今の日本は何でも揃っていて、
非常に恵まれていること。

若者は甘やかされ、
ものが「ない」ことを味わったことがないから、
そのものが「ある」ことの本当の有難さを知らない。

仕事に対する態度も、
昔は、上に立つ者が、仕事を「与えてやり」、
働くものは、仕事を「与えてもらい」、
だからこそ、誰もが必死に働いたが、
今は、仕事に行って、ただお金をもらう、
そんな考えで仕事に当たっている人が増えてきた、と。

他にも、色々な話を聞き、
今の時代で、いくら「辛い」と言っても、
昔の時代に比べれば、その「辛さ」は、
「辛い」にも及ばないんじゃないか、
そんなことを感じる。

*******

今回、おばあちゃんの一周忌を通して、
また多くの方々と会い、
色々な話を聞いたり、色々な人生を
垣間見てきた。

おばあちゃんは、俺の母親の家系に当たるが、
母親方の親戚は、
自営業をやっている人が多い。
仕出し屋だったり、花屋だったり、
職人だったり、パティシエだったり、
または、教育者だったり。

普段、そういう人たちと話をする機会が中々ないから、
そういう方々の考え、ものの見方、
そういう事を聞けることは、非常に有難いし、
自分の勉強になる。


昨日も、おじちゃんと教育関係の話をしている時、
こんな話ができて、凄く嬉しいと言ったら、
おじちゃんが言った。

「これも、ハルおばあちゃんの縁なのさ。
 おばあちゃんの一周忌じゃなかったら、
 今こうして、俺と俊輔が話をしていることも無かったわけだよ。
 やっぱり、おばあちゃんは色々考えていてくれたんだな。」
と。


*******

おばあちゃんの一周忌。
多くのことを、また、感じさせられ、
学ばされた。

おばあちゃん、いつもどうもありがとう。

2009/5/09


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May 29, 2008


5月12日、午後4時50分。
おばあちゃんは、天へ向けて旅立たれました。

その後、どうですか?

もう、おばちゃんがこの世からいなくなってから、2週間以上が過ぎました。


おばあちゃんのお葬式では、本当にたくさんの人が来てくれましたね。
160個ほどあった席が、満席となっていました。

式では、僕が、お別れの言葉を告げさせてもらいました。
おばあちゃんに、無事に届いているといいなと思います。


岩手県北上市では、おばあちゃんは、「伝説の高橋ハルさん」として、
誰もが知っていましたね。

その働きぶりは、凄まじく、
朝早くに出て行って、帰って来るのは、夜遅くでした。
一年の中で休みを取るのは、元旦だけで、
後の日は、全て、会社で過ごしていました。

産休のときも、
2日後には、働きに行っていたそうですね。
僕が中学3年のときの夏休みに、
おばあちゃんとお昼を食べながらその話を聞いた時にびっくりしたことを、
今でも昨日のように覚えています。

おばちゃんから聞いた話では、
会社にパソコンが入ってからも、
常にソロバンを使って、パソコンに打ち込んだデータをもう一度チェックしていたとか。

ある日なんか、会社の人全員が帰った後に、
既にパソコンで計算してあるデータを、もう一度ソロバンを使って計算し、
100万円の打ち間違いがあったことを、見つけたそうですね。

次の日に、「そんな風に、喋りながら仕事しているから、間違えることになるんだ!」と、
会社の人を叱ったそうですね。


そんな、仕事に厳しく、仕事一筋のおばあちゃんでしたが、
人の面倒見が本当に良くて、多くの人が、おばあちゃんのお世話になったことを、
今回、改めて感じさせられました。


おばあちゃんが亡くなった次の日にも、
多くの人が、おばあちゃんの元に詰めかけ、
「ハルさんには、本当にお世話になった」と、
涙を流していました。

お葬式の前にも、
何人もの人が、涙を流していました。
誰もが、「ハルさんには、本当にお世話になった」と。



70歳過ぎまで、働き続けたおばあちゃんでしたが、
引退した後も、今度は、地域のゴミ捨て場の清掃活動に、精を出していました。

それまでは汚かったゴミ捨て場も、おばあちゃんが、
全てボランティアで掃除し、
分別されずに出されたゴミも、一袋ずつ、おばあちゃんが開けて、
中身を分別していたそうですね。

弔辞の言葉を読まれた、近所の女性は、

「ハルさんは、雨の日も雪の日も、
 朝早くからゴミ捨て場に出かけ、
 ゴミの整理をしていました」

と仰っていました。

ハルおばあちゃんのおかげで、
以前は誰も整理しなかったゴミ捨て場も、
今では、地域の人が交代で、
整理をするようになったそうですね。



おばあちゃんは、毎年、
成田の家まで筋子やリンゴを送ってくれましたが、
筋子に関しても、毎年その時期になると、
おばあちゃんが沢山の筋子を買い入れ、
それを自宅で、自らの手でカットし、
袋に入れて、発泡スチロールの箱に入れて、
宅急便で、全国の親戚や、お友達に送られていたそうですね。


何よりも、お風呂が好きだったおばあちゃん。
今から3年半前の冬には、一緒に温泉にも行きました。

僕が、アメリカに行ってからは、
中々会う機会が取れませんでしたが、
それでも、毎回日本に帰るたびに、
おばあちゃんに会いにいくのを、楽しみにしていました。


僕は、小さい頃から成田に住んでいて、
おばあちゃんは、岩手でしたので、
中々会う機会がありませんでしたが、
それでも、小さい頃からの記憶を辿ると、
いつも、「ハルおばあちゃんは本当に優しくて、面倒見がいい」というのが、
おばあちゃんの印象です。

僕は、孫として、おばあちゃんを見ていましたが、
今回、お葬式の際に、本当に多くの方に会い、
多くの人の話を聞いて、
おばあちゃんが、生涯の間で、
本当に多くの人の面倒を見ていたこと。

それを、強く実感させられました。




おばあちゃんと会った最後の日、
5月5日。
ちょうど、おばあちゃんがあの世へ行く、一週間前でしたね。

おばあちゃんの手をさすりながら、
「おばあちゃんのおかげで、留学も出来て、
 自分は、本当にいい経験をすることが出来た。
 これも全て、支えてくれた、おばあちゃんのおかげだからね。
 本当に、どうもありがとう」
と言ったら、
おばあちゃん、声を出すのも大変だったのに、
「こっちこそありがとう」と言ってくれました。


僕が、この日の前日、おばあちゃんの元に着いた時も、
僕の顔を見るなり、腕を挙げて、僕の頭を、ぎゅーっと強く、抱きかかえてくれました。

力が入らないのに、
僕の手を、何度も、強く、
握ってくれました。





おばあちゃんが、この世からいなくなったということは、
今も、正直実感が湧きませんが、
今は、痛みなどなく、
幸せな気持ちで、いてくれたらいいなと思います。


おばあちゃんに送ってきた手紙は、
ボックスに入れて、大事に保管していてくれたんですね。
今回、おばあちゃんの形見として、
僕が持って帰って来ました。


最後、おばあちゃんと思ったように会話が出来なかったので、
おばあちゃんの思いが、よく分からなかったというのもあったのですが、
先週、おばあちゃんのお葬式が終わった次の日、
いとこのふーちゃんが、教えてくれました。

「この前行ったお蕎麦屋さんのね、天ぷらそばの天ぷらがすごく大きくて、
 これはすごいっておばあちゃん感動しててね。
 『俊輔にも食わしてやりてえな』って言ってたよ。」と。

それから、おばあちゃんの残していったものを整理していたとき、
おばあちゃんの財布から、僕の卒業式の時の写真が出てきたそうですね。

おばあちゃんも、俺のこと思っていてくれたんだなと分かって、
すごく嬉しかったです。



この2週間、
おばあちゃんのこと、書こうと思ったんですが、
なかなか書けませんでした。

今回、手紙のようにしましたが、
こうすれば、おばあちゃんに、直接思いが伝わると思いました。

おばあちゃんに、僕のメッセージが届いているといいです。


おばあちゃん、今までどうもありがとう。
俺も、精一杯、頑張るからね。
応援しててね。


05.29.2008

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May 05, 2008

5月5日 朝2時41分

昨日、5月4日の午前中に、家族と岩手へ、おばあちゃんに会いに来た。


おばあちゃん、3月から、急に容態が悪くなって、
家族は、3月から、最低一月に一回の割合で、お見舞いに来ていたのだけれど、
今回、会ったおばあちゃんは、すっかりやせ細ってしまって、
骨と皮だけになってしまっていた。


そして、話が、ほとんどできなかった。
声が、出ないらしく、
本当に小さくて細い声で、
何とか、何かを言ってるのが、分かるくらいだった。


おじちゃんに聞くと、
おばあちゃんの容態が、ここまで悪くなったのは、
ここ2,3日のことらしい。
2,3日前までは、まだ、話せたし、自分で起きられたと。

母親と姉は、4月の頭に来たが、
その時は、玄関まで、立って迎えに来てくれて、
キッチンのダイニングテーブルでも、みんなと一緒に、食事をしていたそう。


親父が最後に来た、3月の半ばでも、
おばあちゃんは、普通に、小さな缶のビールを、飲んでいたそうだ。

それが、今日では、
飲み物どころか、もうほとんど、何も、口に出来なくなってしまった。


少し食べても、すぐに吐いてしまうらしい。

おばあちゃんの目は、うつろで、
顔は、やせ細りすぎてしまって、
おばあちゃん独特の、
気の強い、意思の強さを表す、あの表情は、
まったく見えなくなってしまった。

まるで、誰か別の人と、一緒にいるみたいだった。



俺が、アメリカでの友達の写真だよ、と。
何枚か現像してきた写真を見せ、
一枚一枚、解説してあげた。

サンノゼに住む、友達とその子供の写真を見たとき、
じーっと止まって見ていて、「かわいい」と言ってくれた。

それから、俺と彼女の写真も、じーっと見ていた。


体が、むくむらしく、
手や足を、さすってあげると、ずいぶん楽になるらしい。

あの、お風呂好きなおばあちゃんが、
今では、お風呂も入れなくなってしまった。
お風呂に入れると、体力を使いすぎるので、
もう、人に入れてもらうことも、控えた方がいいらしい。


ヘルパーの人が書いてくれた、
おばあちゃんの、健康日誌のようなものを見ると、
そこには、今から一ヶ月前、4月の半ばごろには、
まだ、「座って、テレビを見ておられた」とか、「新聞を読んでおられた」と書いてあった。
体を拭いてあげる度にも、「本当に優しいなあ、ありがとう」と、
声を一々かけてくれていたらしい。

受け答えも、いたって普通で、
つい、本当に数週間前までは、
体は弱っていたというものの、しっかりとやり取りが出来たとか。



俺が、親父からメールで、
「おばあちゃんの体調が良くない」というのを聞いたのは、3月の半ばだった。
それから、約2ヶ月。
俺が帰ってくる間に、一気に、おばあちゃんの容態は、
悪くなってしまったみたいだ。

もしも、あと1週間、早く会いに来てれば、
まだ、会話はしっかりと出来たのに。

あと、1ヶ月早く会いに来てれば、
立って歩くおばあちゃんと、会話が出来た。





ベッドサイドで、おばあちゃんの足をさすってあげながら、
ただ無言で、おばあちゃんの方を見ながら、
黙っている、お母さんの姿が、
いたたまれなかった。

夜、疲れて、
おばあちゃんのベッドの横の床で、
座布団の上で、小さくなって寝ている、お母さんの姿を見ると、
何とも、切なくなった。


今、お母さんは、おばあちゃんの横に、布団を敷いて寝ている。

俺と親父、姉貴は、
駅前のホテルに、移った。
4人も泊まっては、
おじちゃん、おばちゃんたちにも、悪いだろうという意味で。



********


明日、また、おばあちゃんに会いに行く。
明日の、3時の新幹線で、成田に帰るが、
その前に、おばあちゃんが、元気になるといい。

今日は、手と足を、さすることしか出来なかったが、
アロマのラベンダーのオイルで、
手と足を、さすってあげられたらいい。


05・05・08 2・58AM


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January 22, 2007

2007年1月7日、8日

7日の朝に家を出て、家族で、岩手へと向かった。
岩手には、俺のただ一人のおばあちゃんがいる。
そのおばあちゃん以外には、おじいちゃんも、もう一人のおばあちゃんもいない。
俺にとっては、大事なおばあちゃんだ。

今回日本に帰ってきた理由として、
日本の会社との面接っていうのもあったが、
それ以上に、おばあちゃんに会いに来たというのが大きかった。
俺がアメリカに行くまでは、おばあちゃんは夏の度に、わざわざ遠いところを、
新幹線を乗って、岩手から成田まで来てくれていたが、
1年前に体を壊し、去年、入院することになってしまった。
去年の夏は、岩手の病院にお見舞いに行った時には、そんなに元気ではなかったが、
今回は、無事退院もし、おばあちゃんは、徐々に元気になっていっているみたいだ。

今回も、おばあちゃんを訪ねに行くのが、楽しみだった。
行って、この前の夏もやってあげた、手と足のマッサージをしてあげる。
アロマのセラピーオイルを使って。
前回は、病院の病室の中ということもあり、最初は遠慮していたが、
いざやってみると、気持ちよかったらしく、
「おばあちゃん幸せだ〜」と言ってくれた。
今回も、それをするために、岩手に向かう。


岩手は、今年は雪も降らず、暖かった。
毎年、確実に、暖かくなっている。
地球の気候は、確実におかしくなってきている。

岩手に着き、おばあちゃんの家へ向かった。
おじちゃん、おばちゃん、そしておばあちゃんが迎えてくれた。
おじちゃんとおばちゃんは、地元の小学校の、校長先生をやっている。
二人とも教育関係の道で進んできて、
担任を受け持つ先生から、教頭になり、
数年前、二人とも校長になった。
自分のおじさんおばさんとは言え、
やはり、なんか緊張するな 笑
でも、話し始めると、やっぱり俺のおじさんとおばさんだった。^−^
色々な話を、お茶を飲みながら、していく。

今回、12月の26日から、30日の朝まで、
俺は、ある会社に拘束されていた。
ま、「拘束」というのも変だが、
その会社からの圧しが強く、4日間の飲み会と忘年会に付き合わされた。
その話は、また別の機会に。
かなり強烈的だったので、聴きたい人は、個人的に聞いて下さいな。

そんなこともあって、年末の俺は、自分の進路を一体どうしたらいいのか、
迷いや、他の人の意見や、
いろいろなものが混じって、
頭は整理されていなかった。

しかし、この日、おじちゃんとおばちゃん、そして俺の父親も混じり、
4人で、徹底的に話し合った。
今の自分の進路の状況。
この会社の、スタイル。やっていること。
今のところ内定をもらっている会社。
アメリカでの道。

色々なことを話あった結果、
一つの結論が出た。
俺は、その“道”に行くことにした。
アメリカに残る。
今までの4年半のアメリカ生活で得たものを使い、
自分の力を試す。
アメリカの企業を相手に自分のことを売っていくのは、
日本の企業に自分を売り込むよりも困難だが、
自分の力を更に上げるためにも、試し甲斐がある。

4年半前、日本を発つときの、先が見えない不安。
同時に、先が見えないからこそ、自分の未来を期待する、ワクワク感。
そんなものが、また生まれてきた。
1月末、日本に戻ってからは、またアメリカ企業を相手に、動き出す。

******

話はずれたが、そんな風に、自分の納得いくまで、
自分のことについて、3人が真剣に話し合ってくれたこと。
時間を取ってくれたこと。
凄く有難かった。

その後は、夜になり、夕食。
岩手・北上の名物。
魚介類を、ふんだんに食べる。
普段アメリカじゃ、刺身なんて中々食べられないから、
嬉しかったな。^−^

刺身








そして、ひと段落してから、おばあちゃんのマッサージを始めた。
始める前に、おばあちゃんが自ら言ってくれた。
「俊輔、マッサージやってけろ」
嬉しかったな、そう言ってくれて。

おばあちゃんの部屋に入り、そこでゆっくりと、
手を片方ずつ、アロマのオイルをたらし、
指の先から、ゆっくりと、確実に、揉んでいく。
手が終わったら、今度は足。
足も同じように。
血行が良くなるように、しっかりと、揉みほぐす。

最初は、血行が悪く、そして肌もガサガサしていたおばあちゃんの手と足だったが、
40分ほどマッサージをした後は、肌の色も、
綺麗なピンクになり、
血行がよくなって、温かくなっていた。

見ると、おばあちゃんは寝ていた。
相当気持ちよかったようだ。
起こすと、「気持ちよくて寝ちゃったよ」と。
そうか。
よかった。


その後は、いとこのアキラ君が帰ってくるまで、皆で待っていた。

彼は今、岩手の北上にある、
BOULE DE NEIGE(ブール ドゥ ネージュ)というフランス菓子店で、
修行を含め、働いている。

「BOULE DE NEIGE」
ナプキン











彼は、地元の大学に進み、卒業したものの、
フランス菓子職人になりたいとの夢を通し、
東京に修行に出て、
そこで下積みをして、
今は、彼の地元にできた、この店で働いているというわけだ。
この店、この前、「料理王国」という雑誌でも、大々的に報道されたらしく、
その以前も人気だったのに、
今は青森や秋田など、他の県からもわざわざ人が買いに来るほどになってしまったらしい。

料理王国





「料理王国」







雑誌全部雑誌全体












雑誌上雑誌下









「フード・パッケージ・デザイン特集」
(いかにその商品をうまく表現しているか、という特集で、
 サントリーの”伊右衛門”と共に選ばれた)

雑誌11雑誌12













雑誌13雑誌14












2年前の冬、岩手を役10年ぶりに訪ねたとき、
まだアキラ君は下積み時代で、
毎朝家を出るのは6時前。
そして帰ってくるのは夜中の1時ごろという生活を送っていた。
休みは、年始に2日取れたらいい方。
あとは、一切なし。
睡眠時間もなく、
自分の時間も一切取れず、
しかし、自分の夢のために、ただひたすら、その道を走っていた。

その彼も、今では大分経験を積み、
今では、夜の10時ごろには帰ってこれるようになった。
朝も、7時ごろまでに行けばいいらしい。
この日も、10時前に帰ってきてくれた。
いつものように、お土産のケーキを、10個ほど持って。^−^

俺がおばあちゃんのマッサージを終えたとき、
すでにみんなでアミダくじでどのケーキを食べるか決めていたらしく、
俺のは、2種類からのチョイスしかなかったが、泣
でもおいしかったぜ!!

ケーキ1ケーキ2







彼ともみんなで話し、
色々な話に話題は飛んだ。
これからのそれぞれの人生の生き方。
結論は、やはり、「自分のやりたいことをやった方がいい」という結論に達した。
そしてそのためには、絶対に途中であきらめないこと。
やり遂げること。
結果を出すこと。
おじちゃんもおばちゃんも、教育関係でずっと進んできたから、
筋が通っている。
そんな有意義な話ができて、
いい時間だったぜ。


その日は、夜の12時前に、彼らの家を後にし、ホテルへと戻った。

******

次の日、朝起きて、また彼らの家へ向かう。
用意してもらった朝食を頂いた後、
みんなで、アキラ君の働く、ブール・ドゥ・ネージュへ。
その詳細は、次の内容で。

******

店から帰り、新幹線の時間までの最後、
おばあちゃんにもう一回、マッサージをしてあげた。
また、気持ちいいと言ってくれた。
おばあちゃんが言ってくれた。

「またこうして、年に一回、
 みんなで会えるといいな。
 おばあちゃんも楽しみにしてるからよ」

その言葉が聞けて、本当に嬉しかった。
必ず、また会いにくるよ。
それまで、元気でいてね。


また、必ず会いに来ることを誓って、
北上の家を去った。




写真・みんなと
みんなと




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August 18, 2006


岩手へ、おばあちゃんのお見舞いに行ってきた。
今年の夏、6月半ばに日本へ帰ってきて、すぐにおばあちゃんのお見舞いへ行ったが、
「また来なきゃ」
そう思いつつも、実際にまたアメリカへ帰る前にもう一度行くのは難しいかななどと、勝手に頭の中で言い訳を作っていた。
そして、アジアへの旅へ行って来て、向こうに着いて三日目。
タイのど田舎、チェンマイの山奥でのトレッキングツアーの最中、山を登りながら、一人で悶々と考えていた。
「俺が今日、今日の終わりにもし死んだら、どうなるんだろう。
 誰に一番、今会いたいだろう」
まず最初に浮かんできた顔は、やはり家族だった。
親父の顔、母親の顔、姉貴の顔。
そして、次に浮かんだのが、おばあちゃんの顔。
お婆ちゃん、今入院してる。俺がアメリカへ帰ったら、今度帰ってくるのは、来年?それも、もしかしたら帰ってこないかも?
あれ?だとしたら、今のチャンスを逃したら、もう当分会えないじゃねーか?
そう気づいたら、「日本へ帰ったら、アメリカへ帰る前に、何としてでもおばあちゃんに真っ先に会いに行こう」
そう決心した。
「もう時間がないから会いにいくのはムリかも」そんな浅はかな考えをしていた自分は、何も見えていなかったこと。そして、本当に大事な人、本当に時間を割いて会いに行く人が誰なのか、全然分かっていなかったことに気づいた。

いざ、日本へ帰って来て、おばあちゃんに会いに、姉貴と岩手へ行ってきた。
お婆ちゃん、病室で迎えてくれた。
抗がん剤の影響で、本当に痩せちゃって、髪の毛も大分薄くなってしまったけど、姉貴と俺の顔を見て、ムリに元気なところを見せてくれた。
本当に気を遣う人だ。血の繋がる家族にも。
おばあちゃんになるべく喜んでもらえる様、また、俺の元気なパワーが少しでもおばあちゃんに移るよう、旅の話をざっとして、見てきたところを本を見せて解説した。
そして、今回は、アロマセラピー用の、ラベンダーの香りのオイルを使って、おばあちゃんの手と足を揉んであげた。
最初は遠慮してたけど、やってあげたら、凄く喜んでくれた。
「気持ち良いな〜。ほんと、気持ち良いな〜」って。
周りの病室の人も、「あらお婆ちゃん、幸せね〜」って。
「いい香りね〜」って。
おばあちゃんも元気になったし、周りの人にも、少しいい影響を与えられたようだ。
俺の手から、おばあちゃんの手を伝って、
俺の元気な若いパワーが、どんど移るように、念じてマッサージした。
「元気になりますように」って。

時間の関係で、1時間ちょっとしかいられなかったけど、お婆ちゃん大分喜んでくれたようだ。俺も、何か少しでもできたみたいで、凄く暖かい気分だった。
帰り際、「おばあちゃん、元気になってね」と、何回も両手で握手した。
「また会いにくるからね」と。

次に会いに来れるのはいつだろう。それまで、お婆ちゃん、元気でいてほしい。
いや、元気でいる。必ず。


皆さん。毎日、仕事や、学校や、私生活、家族のことなど、
色々なことで忙しいと思いますが、
ふと落ち着いて、静かなところで、
「今、あなたにとって、本当に大事な人は誰なのか。
 本当に、今会いに行くべき人は誰なのか。」
もう一度、ゆっくりと考えてみて下さい。
そして、今いるあなたの大事な人を、
大事にしてあげてください。

お願いします。

俊輔

8/17/06




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June 20, 2006


岩手へ、おばあちゃんのお見舞いに行ってきた。
今年の頭まで元気だったが、前々から体の調子が悪いと訴えていて、
今年の4月、入院することになった。
入院して、約3ヶ月。
遅くなったが、今回やっと、お見舞いに行けた。

家族からは聞いていたが、
手術を終えたおばあちゃんの体は、大分細くなり、小さくなっていた。
最初病室に足を踏み入れた時は、横になっていたおばあちゃんの顔は、
大分元気がなさそうに見えたが、
自分と母親が顔を見せると、元気そうにしてくれた。
気を凄く使う人。
俺らに、気を使って、疲れて欲しくない。
おばあちゃんには、お見舞いに、桃と、花を買っていった。
そして、元気が出るようにと、体をマッサージしてあげた。
今回俺ができること。何なのか。
知り合いの先生に相談したところ、体をよくマッサージしてあげるといいと。
俺の元気なパワーをおばあちゃんの体に移す感じで、
念入りにマッサージしてあげた。
「ありがたいな」と、おばあちゃん嬉しがってくれた。


おばあちゃんのおかげで、母親がいる。
母親のおかげで、今の自分がいる。
今の俺が留学できているのは、おばあちゃん、そして母親、そして父親の支えがあるからこそ。
それを、忘れてはいけない。

今、元気のなくなっているおばあちゃんにできること。
それは、マッサージをして、そして、俺の今までのアメリカでの生活ぶりを話すくらいだ。
でも、それで随分とおばあちゃん、嬉しそうにしてくれた。
マッサージを始める前に冷たかった手と足も、
揉んだ後には、暖かくなり、確実に少し元気になったことが分かった。
8月、アメリカへ帰る前に、もう一度おばあちゃんのお見舞いに行くつもりだ。
少しでも元気になってくれるといい。
そして必ず、将来俺の店へ呼んで、最高の食事をしてもらうまでは、
元気でいてもらわなければならない。
必ず、な。


6.20.06

shunsukesekine at 23:58コメント(0)トラックバック(0) 
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