2008 Trip to Ohio

April 20, 2008

Heidi & Katlin
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4月6日 日曜日 夜10時過ぎ

フランクとエスターと別れた後、バスは1時間遅れて出発し、予定ではColumbusに9時10分に着くところを、10時10分ごろ着いた。

今までバスが遅れてどこかに着くことはなかったのに、この日に限って、バスが遅れるなんて。
子供たちはもう寝ているかもしれない。

コロンバスに着いて、バスを降り、すぐにハイディに電話をした。
ハイディが出て、「今からそこへ迎えに行くわ」と。
「10分ほどで着くから待っていてね」と。

*****

この数日前。
俺がエスターとフランクの家について、間もないとき。

エスターは、俺が彼らの家に着いたことを、ハイディに電話し、
「シュンスケは、コロンバスにバスで少し停まるらしいわよ」と彼女に伝えた。

たまたま、俺の乗ったバスが、帰りのルートでは、
コロンバスという町で、夜の9時から1時まで、4時間乗り換え時間がある予定だった。

それをエスターに言うと、
「あら、コロンバスにはハイディがすぐ近くに住んでいるわ。電話してみて、その事を知らせてみましょう。もしかしたら、彼女たちに少し会えるかもしれないわよ」と。

俺は、「そんな、彼女たちに時間を取ってもらうのも悪いし、わざわざいいですよ」と言っていたのだが、エスターがハイディに電話をすると、「そのグレハンの駅の周辺は危ないけど、そこまで車で10分だから、少しなら自分たちの家に彼を招いて、時間を一緒に過ごせるわ」と言ってくれたらしい。

それで、その日は、ハイディの家族に、夜の9時以降、少しだけ会うこととなっていた。

******

俺がハイディに電話してから10分後。

東側のドアから出て、外で待っていると、
ハイディらしき女性が乗った車が、俺の目の前の道路を通り過ぎて、向こう側に回っていった。
やべえ!反対側のドアだった!!

急いで建物の中に入り、別のドアへ歩くと、
ちょうどハイディも中に入ってきたところだった。

「Hi Heidi!」と言って、ハグをする。
「Hi Shunsuke!」と。

ハイディは相変わらずとても素敵な笑顔をしていた。

(ちなみにエスターとフランクの娘さんは3人とも、とても美人である)

ハイディは、「さあ、こっちよ」と言って、車の方へ案内してくれた。

このグレイハウンドの駅がある地域は、夜中は治安がよくないとのことで、
ハイディはわざわざ、ここから10分ほどのところにある家から、車で俺のことを迎えにきてくれた。

車のトランクに荷物を入れると、「それで全部なの?」と。
「そうです」と言うと、「よくもそんなに少しの荷物で旅行が出来るのか、いつも感心するわ」と言うので、「いや、今回はいつもよりも多いぐらいなんですよ。普段はバック一個ですから」と言うと、笑っていた。

ハイディの車の助手席に乗ると、彼女はすぐに車を走らせた。


*****


ハイディは相変わらず、とても綺麗だった。
前に会ったときよりも、更に綺麗になっていた気がする。

ハイディの頭には、3年前よりも白髪が増えていたが、それが綺麗なメッシュのようになって、とてもよく似合っていた。

ハイディは、「また今回も旅をしてるのね」と。
「これまで一体いくつの州を回ったの?」というので、
「ただ通過した州も合わせると、ほとんど全ての州を回ったと思いますよ」と言うと、
「私なんか、アメリカに住んでいて、ほんの2,3個の州しか回ってないのに、すごいわね」と。

「あなたに3年前に会ったとき以来、どこか他の国にも旅に行ったの?」と聞かれたので、
「あの後、タイ、カンボジア、中国などのアジアと、グアテマラやエルサルバドルなどのセントラルアメリカにも行きましたよ」と言うと、
「その、あなたの旅の経験を聞く度に、いつも驚くわ」と。

そんな風に言われて、俺としてはただ旅をしているだけで、何も特別なことではないと思っていたので、そのこと自体を褒められて、とてもいい気分になった。

そんなハイディと話していて思ったが、運転をしながら、俺の話に耳を傾けている彼女の姿を見て、とても綺麗な人だなと感じた。

思うに、彼女自身が、彼女のことを「綺麗だな」と相手に思わせる要素は、彼女の内面にあると思う。


彼女の話し方はとても素敵で、俺が何か喋ると、微笑みながら、「Uh-huh」と言って、とてもよく話を聞いてくれる。話をしていると、「ええ、とてもよく分かるわよ」というのが良く伝わってくるので、話しているこっちも、安心して、心から言いたいことを言える気がする。なので、こっちも、相手のことを尊重して、自分のペースで、落ち着いて、とても気持ちがよく会話ができるのだ。


ハイディは、俺の話を聞きながら、「コロンバスの町のクイック・ツアーをしてあげるわ」と、少し遠回りのルートを通り、「あの建物はあれで、この建物はこれで」と、詳しく解説してくれた。

途中、リアの通っている学校や、元銀行だったと言う、ものすごく立派な建物のスタバなどを通り、その後、ハイディの住む、Bexleyという地域に入った。

その地域に入った最初のところに並ぶ家々を指しながら、「これらの住宅は、とても高級なの。一軒、$200,000~$300,000くらいよ。まあ、カリフォルニアに比べたら、それでもずいぶんと安いんでしょうけどね」

ハイディは、その後、「私が住む家は、大体$100,000台ぐらいのものよ」と言いながら、その高級な家々と比べて、ちょっと小さめの家が並ぶ通りに入った。

その通りは、前に俺が住んでいたロングビーチアパートのすぐ近くにあった、Belmont Shoreという通りにそっくりだった。

その一体に並ぶ一個の家の前に、車を停めた。
家の中は、カーテンがしてなかったので丸見えだったが、そこにはKatlin(ケイトゥリン)が毛布に包まって座っていた。

ハイディは、「リアはもう寝ちゃったけど、ケイトゥリンは何とか頑張って起きててくれたわ」と。

中に入ると、いきなり犬が寄ってきて、俺に向かって吠え出した。
ハイディが、「こら!やめなさい!お菓子をあげるから」と言い、
「ごめんなさいね」と言いながら、犬を連れて中に行った。

カウチから立ち上がって、俺と挨拶しようと待っていてくれたケイトゥリンと、「It’s so nice to seeing you again!」と言って、ハグをした。

「こんなに遅くまで起きていてくれてどうもありがとう」と言うと、
「リアは9時ごろまで何とか起きてたんだけど、もうダメだって言って寝ちゃったわ」と。

3年前に会ったときには、ケイトゥリンも11歳だったのに、
今では14歳となった。
3年前にはしていなかった眼鏡をかけるようになり、歯の矯正もしていた。

見ると、漢字がプリントされているT−シャツを着ている。

「それ漢字が書いてあるね」と言うと、「これ、私が入っているヴァイオリンのチームのT−シャツなのよ」と。

聞くと、前にそのチームは、中国まで、演奏をしに行ったとか。
ケイトゥリンがそのチームに入ったのは、その中国遠征の後だったので、中国には行けなかったが、今度はワシントンDCに行くらしい。

「ヴァイオリンの調子はどう?」と言うと、
「何か弾いてあげようか?」と。

「うん、ぜひお願いします」と言うと、
「じゃあ、自分のリサイタルでの発表曲を弾くね」と。

そう言ってKatlinは、奥から自分のヴァイオリンが入ったBOXを持ってきてくれた。

彼女がヴァイオリンをセットアップしている間に、さっきの犬が、俺のところに寄ってきて、骨の形をしたおもちゃをポトンと前に落としていった。

「何かな?」と思っていると、
ハイディが、「あら、ムーンがあなたにそのおもちゃをあげるなんて、相当あの子、あなたのこと気に入ってるみたいね。あれは彼女のお気に入りだから、普通はそんなことしないのよ」と。

相変わらず、イヌ科の俺は、この犬にも好かれてしまったようだ。

****

ちなみに、俺は今まで、会ってきた犬という犬、全ての犬に好かれてきた。
どんな犬でも、最初は俺に対して吼えていても、すぐにお腹を見せてねっころがってしまう。

俺の高校時代の友達が言った言葉。

「○○、お前犬に似てるよな。特にゴールデンレトリバー系」


その日、やつは俺のケータイにメールをして来た。

「今日からお前のあだ名、『セキヌ』な」 (○○+イヌ=セキヌ)


ずいぶんうまいなと思い、それ以来俺も気に入って使っている。

****

話はそれたが、そんな犬を前にしながら、アイスティーを持ってきてくれたハイディと一緒に、Katlinの演奏を聞いた。

Katlinは、俺と会って喋っていたときは、普通の14歳の小さな女の子の表情だったのに、
ヴァイオリンを持って、セットアップしている時から、表情が次第に真剣になって行って、
いざ、最初の音を弾き出した時、一気に表情が変わった。

彼女の弾く様を見ていて、天才肌かなと思った。
見ていて、鳥肌が立つくらいだった。
弾いている最中、彼女は、ずっと斜め下の一つ箇所を、じーっと見ていた。

曲の方もすごかった。
俺はヴァイオリン、よく分からないけど、指と、弦をうまく動かして、繊細な音までもを奏でる。
本当に凄いと思った。


7分ほどの曲が終わった後、拍手。
完全に聞き惚れてしまった。

その後、Katlinに「普段はどれくらい練習するの?」と聞くと、「本当は毎日最低1時間は練習するべきなんだけど、毎日はそこまで時間が取れないわ」と。
「他にも、色々やっていて忙しいから」と。

彼女の弾いた曲の楽譜を見せてもらった。
見ると、曲名の下に、日本語のカタカナで文字が書いてある。

「あ、日本語だ」と言うと、「私がやっている練習方式は、スズキ方式(Suzuki Method)と言って、スズキさんが開発したものなのよ」と。

楽譜を見てみたが、全くチンプンカンプンだった。

ハイディは、「リアが起きるかどうか、起こしに行って来るわ。明日になって、『なんで起こしてくれなかったの?』って、怒るはずだから」と。

しかし、リアを起こしに2階に行ったハイディは、階段から降りてきながら、「ダメだったわ」と。

その後、お互いの写真を撮ったり、ハイディのお姉さんである、Gale(ゲイル)の娘である、Kimberly(キンバリー)の話をしたりした。

(俺はゲイルの家族とも、3年前に会っている。今回は、ゲイルの家族が住む家は、同じオハイオでも大分遠いところに位置していたので、さすがに会うことはできなかった。ハイディが住む家の近くに、俺の乗るグレハンのバスがたまたまとまり、しかも4時間の休憩がそこであることは、本当にラッキーだった。)

キンバリーは、今はオーストラリアで、英語の教師をしているらしい。
キンバリーと俺は同い年。
彼女は、その前には、ロンドンで、ツアーガイド兼、英語の教師をしていたとか。

彼女が今まで行って来た国から送ってきたという、ポストカードを、
Katlinが見せてくれた。
中には、アフリカからなんてのもあった。
「アフリカかあ、すげえなあ」と思った。


その後、俺は今までの旅の話をし、
その後はハイディが、自分の仕事の話などをしてくれた。

Katlinは、もう大分眠いらしく、途中で眠い目をこすり、半ば寝かけていた。
それを見てハイディが、「もう寝たら」と。
Katlinは、「もう起きていられないわ」と言いながら、「おやすみ」と言って2階に上がっていった。

*****

その後、ハイディと話をしていながら、思っていた。
上にも書いたけど、話をしている彼女を見ると、「本当に綺麗な人だなあ」と、感心させられてしまう。
見た目が綺麗だとか、そんなんじゃない。
もちろんハイディは、美人な人だけど、それよりも、
彼女の持っている知識の多さ、教養、
人間としての品性、洗練されているところ、
そして、その言葉遣いと、話し方。

いつも笑顔のまま、色々な話を、嬉しそうに、面白おかしく話してくれる。

そんな風に話をする彼女を見ていながら、
もし俺が画家だったら、
彼女が今目の前で話している、
この「瞬間」を、絵にしたいなと思った。

決して、その人の見た目や出で立ちだけでなく、
その人が作り出す、その空間の雰囲気、オーラ。

そういったものを、全て絵に入れ込んで、その「瞬間」を、絵にしたい。
そう思った。

*****

ハイディは、自分が今働いている、プリスクール(幼稚園)の先生としての話。
その学校で行っている、バハマの子供たちとの交流の話などをしてくれた。

それから、俺が、前にどんな仕事をしていたのかと聞くと、
「前は自分は、ソーシャルワーカーだったのよ」と、
当時の話をしてくれた。

*****

前にハイディは、フィラデルフィアで、ドラッグとアルコール依存に陥っている子供たちのカウンセリングをしていたらしい。

当時彼女が相手にしていた子供たちは、ほとんどの子が、元ドラッグのディーラーなど。

自分が、仕事場まで、ポンコツの中古車で駆けつけるのに、
その子供たちは、16歳ほどにして、高級メルセデス・ベンツに乗っていたという。
そのギャップに驚いていたとか。


ある日、一人の少女がずうっと泣いていたので、
ハイディが彼女に、
“How many people have you ever lost in your life?”
(今まで一体、何人の人を亡くしたことがあるの?)と聞くと、
その子は、両手を使って数えだした、と。

“They are straight to the death”
(その子たちの人生は、墓場に向かって一直線なのよ)と。


そこでの仕事を辞め、今は、このオハイオのコロンバスに住んでいるらしい。


******

話をしていると、ハイディがさっきセットしたアラームが鳴った。

(俺が家に来て、1時間ほどした後、「12時に鳴るようにこれをセットしておくわ」と、ハイディはキッチンにあったセルフタイマーをセットしてくれていた)

「もう12時ね。そろそろあなたを送っていかなければならないわね」と。

俺のバスは、午前1時に出る予定だった。

家を出る前に、トイレを貸してもらって、その後、キッチンに飾ってある絵や工作などの説明をしてくれた。「それらは、あの子たちがまだ小さい頃に、学校で作ってきてくれたものなのよ」と。

ハイディの家は、エスターやフランク、それからエスターたちの息子のクレイグなどの家に比べると、確かに小さかったが、
とても綺麗に装飾されていて、凄くお洒落な家だと思った。


ハイディが出かけ際に、
“Your recipe is still one of the best”
「あなたの書いてくれたレシピは、いまだに私のお気に入りの一つよ」と。

何のことかと言えば、俺が3年前に、エスターの家を訪ねた際、そこでみんなのために、親子丼を作ったときのレシピのこと。

一気に11人分の親子丼を作り、まるでオムレツみたいになってしまったものの、
エスターとゲイル、そしてハイディの3人の女性方は、とても気に入ってくれた。

ハイディなんて、「I can even drink the soup with the straw !」(このスープだけでも、ストローで飲みたいぐらいよ)なんて、言ってくれた。

その時のハイディの笑顔は、3年たった今でも、まるで昨日のことだったかのように、鮮明に覚えている。

あまり親子丼の出来具合に自信が無かった俺は、彼女の笑顔にずいぶんとほっとさせられた。


そんな3年前の出来事のことを、未だに覚えていて、口にしてくれるハイディ。
とても優しいなと思った。

******

彼女の車に乗り、また、コロンバスの街中に向けて、車を走らせた。

途中で、俺が、「あなたが高校の頃に、スウェーデンから、交換留学生として女の子が一年来ていたんですよね?エスターに聞いたんですけど」と言うと、
ハイディは、

「あの頃の年頃はね、どんなに相手がよくても、さすがに一年間、ずっと同じ相手と時を共に過ごすってのは、ちょっときついものがあったみたいね。
私のママと彼女は、彼女がスウェーデンに帰ってからも、ずっと連絡を取っていたけど、私は取っていなかったのよ・・・。
でも、この前彼女がアメリカに来て、それで彼女と数十年ぶりに話をして、高校時代にはケンカをしたような内容のことを話して、『何であの時はあんなことでケンカなんてしたんだろう』って、お互いに打ち解けてね・・・・。
古い友達と、ああやって仲をまた取り戻すことは、とてもいい経験だったわ」と。

「今度、また彼女が私たちの高校の同窓会に合わせて、スウェーデンから来るらしいわ。ええとね、、、、、あら!もう卒業30年以来の同窓会よ!信じられないわ・・・」と、相変わらずニコニコしながら、昔を思い出して、話をしてくれた。



次第に車は、グレハンの駅に近づいていた。

俺は、ハイディにこの夜の初めに迎えに来てもらったときから、この瞬間まで、

こうして、自分の全く知らない町、オハイオ州のコロンバスという町に、たまたまバスが停まって、
そこで、たまたまその駅から10分のところに住んでいた、3年前に会ったハイディが住んでいて、
今晩こうして、迎えにきてもらって、また3年ぶりに会えて、2時間ほどを一緒に過ごせたなんて、
彼女たちの家に招いてもらって、3年ぶりに成長したKatlinにあって、彼女のヴァイオリンを弾く姿を見れたなんて、
そして、こうして、とても素敵な女性に、今もこうして出会えて、3年前にただちょっとあっただけの俺のことを、まるでとても特別かのように、会うのを楽しみにしていてくれたなんて、

本当に嬉しかった。そして、本当に、不思議だった。
こうして、自分が、人生で、一度も来ないような町に、たまたま降り立ち、
そこで、こうして、素晴らしい人たちに、また『再会』できたということが。



俺が、「I just can’t believe I am here now and I could see you guys again」(ここに今自分がいて、あなた達にまた会うことができたってことが、本当に信じられません)と言うと、
ハイディは、
「Well, everything has got a reason」(全てのことには、意味があるのよ)と、
頷きながら言ってくれた。


*******

車は駅前に着き、「Here comes the Greyhound bus station again」と。

車から降りて、自分の荷物をもらう。

ハイディにハグをして、今晩、忙しい中、こんなに遅くまで付き合ってくれて、本当にありがとうございましたと、お礼を言う。

ハイディは、「Now you’ve met all of my family. Now you are one of our families!! You can’t run away from us!!」(あなたはもう、私たちの全ての家族に会ったのね。もうあなたも、私たちの家族の一員よ。もう逃げられないわよ!)と。

そんなハイディに、さよならをして、
彼女は、車に乗って、去っていった。

彼女がいなくなるまで、手を振っていた。

******

グレハンの駅に着き、2時間前に降り立ったこの駅で、また日記を書き始めた。

本当に、ハイディたちに会えて、よかった、と・・・・。



2009年1月にKatlinが送ってきてくれた写真
左がLeah, 右がKatlin
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*****


この後、俺はまた、バスに3日間カンヅメになった。

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ミズーリの、セントルーイス
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3日後の朝である水曜日の早朝、
カリフォルニアのフレズノに着いた。


今回の持ち物
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移動の間はかなりしんどい旅だったが、
アメリカを去る前、もう一度、オハイオまで彼らに会いに行き、
本当によかったと、心から感じた。

本当に、本当に、
行ってよかったと。


*****

今まで、アメリカはでかいと思っていたけど、
バスに3日間乗れば、確実に反対側まで着くんだなと。

また、アメリカが小さくなったように感じた。


(終わり)







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April 19, 2008

オズの魔法使いドロシーの格好をして、歌うGracie
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4月6日 日曜日

朝、6:40amに起きる。
シャワーを浴びて、用意。
朝から、教会へ。
8時ちょっと前に入る。
エスターの友達、全員に会う。

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9時半ごろ終わり、Pancake Town(パンケーキの町)へ。
車で30〜40分ほど。
10:30am頃着き、体育館のような建物の中へ。
一人$7払い、中へ。

中は、大食堂のようなつくり。
昔の人たちは、こういうところで食べたのかと、思った。

列に並び、皿を受け取り、
Milk, Apple sauce, Pancake3枚、Sausage3本をもらう。
テーブルへ。本物のメープルシロップをかけて食べる。


食べ終わった後は外へ出て、
メープルシロップを77年近く作っている、古い木の小屋の中へ。

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そこで、メープルシロップを作る機械を見る。
フランクが、メープルシロップを固めてできた、飴を買ってくれる。

1ガロンのシロップを作るのに、50ガロンの樹液が必要らしい。

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すごく古い新聞の記事。この店が載っていた
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次は、その横(さっきパンケーキを食べたところの横)の、
昔の町並みを再現したところへ。
エスターが詳しく教えてくれる。

昔のストア。
木を切るバカでかいマシーン。
Black Smith(鍛冶屋)。

建物の中を覗いて見る。

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昔のスーパーマーケット
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鍛冶屋の中
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古い駅を再現した建物のの中
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昔の留置所
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ここに保安官が座って、牢屋の中の者を見張った
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エスターは好奇心が旺盛で、ほぼ全ての建物の中を覗いて見ていた。
フランクが、“そろそろ行くよ”と言っても、
“もうちょっと”と。

なんか、自分の本当のおばあちゃんといるみたいだった。

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全てを見終わった後は、
車に乗り、Craig&Amyの家へ。
今日は、GracieのB-day pary. 
(本当の誕生日は、4月4日金曜日だった。)

俺たちは一番乗りだった。
直に、みんな来る。
Gracieが、“Somewhere Over the Rainbow”(『オズの魔法使い』からの歌)を歌ってくれる。
その横で、Justinが、ギターを弾く。
Justinはまるで芸能人のように、パフォーマンスする。


グレイシー本人は、ドロシーに成り立てて。
CDから流れてくる曲に合わせて歌っていた。
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家には、Amy(Craigの奥さんの方)の姉、その家族、親戚、
Amy(Estherの娘の方)の家族、いろんな人が来る。
全部で20人近くいたのかな?物すごい人だった。

ランチ(チキンなど)を食べ、子供たちは外で、Yellow Brickをしたり、裏の庭で遊んだり。

Yellow Brickの様子
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こういう特別な時しかやらせてもらえないらしく、
子供たちは大はしゃぎ


家の裏の庭で、みんなで遊ぶ
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庭のPlay groundは、Craigが造ったもの。
よくできていた。
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しばらくして、プレゼントタイム。
Gracieに送られた何十ものプレゼントを、Gracie本人が一つずつ空ける。

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グレイシーのママ「これはちょっともらい過ぎだわ!!」
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明らかに多すぎる数のプレゼント。
Gracieは、それだけ多くのプレゼントをもらって、当たり前と思っているっぽい。

プレゼントを空け終わる度に、
母親のAmyに、「何て言うの?」と聞かれ、
「Thank you~~」と、笑顔もなしで言うグレイシー。

隣にいたエスターに、
「アメリカの子供って、毎年こんなにプレゼントもらうんですか?」
と聞くと、
「これはちょっともらい過ぎね」とのこと。

甘やかされ過ぎないといいけどな、と、
彼女の将来が心配になる。


Gracieの誕生日ケーキ
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******


4pm頃、みんなに挨拶して、その場を去る。
挨拶する人が多すぎて大変。

4:30pm, 家に着く。荷物をまとめる。
エスターが、ファニー・ケイクのレシピを書いてくれる。

5pm、出発。
Cleveland, Bus Stationへ。


駅の中へ入ると、その雰囲気に気付く。
殺伐として、“安全”“安心”という言葉がない雰囲気に。
いかに、エスターとフランク、そして彼らの家族たちの環境が、
心地良かったかを、知る。

チケットカウンターに並び、予約してあったチケットを受け取り、
バスを待つ。
エスター、フランクと、最後のひと時。

二人に言った。
「今回、こうして会いに来れて、本当によかったです。またぜひ、いつの日か会いに来たいです」

エスターとフランクも、「あなたが来てくれて、本当によかったわ。また必ず、遊びに来てね」と。


自分のバスの乗車口がアナウンスされ、列に並んだ。
乗客が一人ひとり、バスに乗り込んでいく。

自分の番が来る前に、もう一度、エスターにハグを、フランクに握手をした。
エスターは、目を赤くして涙ぐんでいた。
「また、必ず会いに来るのよ」と。

二人に、「さようなら」と言って、バスに乗り込んだ。


*******

バスに乗り込んで、すぐに書いた日記より。

******

エスターとフランクにさよならを言った。
さっき、二人の乗った車は、去っていった。
別れ際、エスターは少し涙ぐんでいた。

本当にいい人たちだと思う。
特にエスター。素晴らしい人だ。
彼女に会えて、彼女の家族に会わせてもらえて、
本当に幸せだ。

4泊もさせてもらって。
色々なところに連れて行ってもらえて。

本当に幸せだった。
心が、落ち着いていた。
居心地が、よかった。
自分の、昔からの、家みたいだった。

また、必ず、会いに来よう。
必ず、
必ず、
必ず、会いに来よう。

******


「バスの不調」という理由で、
発車時刻になっても中々出発しなかったバスは、
俺たちを散々待たせたあげく、
1時間後、やっと出発した。

これから、Estherの2番目の娘である、
Heidiとその娘、
KatlinとLeahが住む、Columbusへ向けて・・・。


(続く)





shunsukesekine at 04:53コメント(0)トラックバック(0) 

April 18, 2008

4月5日 土曜日

朝9時に起き、シャワーを浴びて、シリアルを食べる。
久しぶりに天気がすごく良かった。
エスターは、朝8時半に、チャーチに行って、9時過ぎに帰ってきた。

10時、出発。
Tuscarawas County、ここ(Hudson, OH)から車で約1時間のところへ。

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CAに比べて、ガスが安い。
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同じ時期、カリフォルニアでは、ガスは1ガロン当たり、$3,75ほどだった。
オハイオの人々に、「カリフォルニアでは今ガソリンはいくらくらい?」と聞かれて、値段を言うと、みんな驚いていた。

******

11時過ぎ、一つ目の目的地、
Warther Carvings (Dover, OH)へ。

ここは、Ivory, Ebony, Fine wood等を使って作られた、Train ModelのMuseum。

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********

ここには、Mooney(ムーニー、彼のあだ名。本名は、Ernest Warther)という人が、彼の生涯をかけて作り続けた、列車の模型が展示してあった。

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象牙、石、木を使って、
とても精巧に作られた列車たち。

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全ての部品が、それらの材料で作られ、
ウィールなどは、きちんと動いている。
しかも、今から50年以上前に作られたのに、
一度も故障がなく、オイルをさす必要もないらしい。

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それは、ちょうど動く部品が絡み合う部分には、
オイルが天然に含まれた、ある特別な石を使い、
その石から、ほぼ永久的にオイルが出て、滑りがあるため、
人の手で、オイルを塗ってやる必要がないため、らしい。

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館内は、ムーニーの実際の息子と、その孫の二人によって、管理され、
その二人が、館内のツアーもする。

俺たちは、運よく二人ともの解説を聞くことが出来たが、
二人とも、とても話が上手だった。

息子は、ゆっくりと、分かりやすく、大きな声で。
孫のほうは、ユーモアを交え、早口で。

息子の写真
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ムーニーの生涯をまとめたビデオを見た後、
そこで、息子が、ムーニーが少年の頃に魅せられたという、ある木のおもちゃを、目の前で作ってくれた。

そのおもちゃに関しては、下で説明します。

**********


ムーニーは、1885年10月30日、
Dover, OHの小さな農場で生まれた。

自分がまだ3歳の時、父親を亡くし、彼の家族に残されたのは、
農場と、牛が一匹だった。

そこで、小学校もろくに行けず、農場で働いて生活をする中、
ある日、町で出会った一人のおじさんが、
一本の小さな木のピースを使って、マジックを見せてくれる。

そのおじさんは、その小さな木のかけらに、
ナイフを使って、10回、切込みをいれると、
見事、木はパカッと開いた。
洗濯ばさみのように。


ただの木に、切込みを10回入れるだけで・・・・
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見事に、パカッと割れた!!
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その手品に驚き、感心したムーニー。
同時に、その頃、農場の地面に落ちていた、古いナイフを見つけ、
それを使って、暇があっては、木を削りだした。

そのおじさんのマジックから、
自分も何かを作ることに憧れた少年。

彼は、次第に、
その一個の木のピースから、洗濯ばさみを作ることに熱中する。

別れる口が、1つから、3つ、5つと、増えて行き、
最終的には、物凄いものを作り出してしまった!

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これは、一つの木のピースに、合計で3万1千カットを入れ、
ムーニーが作り上げた、恐ろしい『洗濯ばさみ』。

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この木のような、恐ろしい物体を彼が作り上げた、数十年後、
ある数学者が見に来て、その構造を調べた後、
その数学者は言ったらしい。

「この模型を作るには、高度の数学の知識がなければならない」と。


しかしムーニーは、高校はおろか、小学校さえ、卒業していなかった。

数学どころか、算数さえ出来なかったムーニー。


その数学者のコメントを聞いた彼は、こう答えた。


「なに? これを作るのに、高度の数学の知識が必要だって? 
 ああよかったぜ、それを知ったのが、この作品を作り終わった後で」



後に彼は、この模型をどう作ったかについて聞かれて、こう答えたらしい。


「俺の頭の中には、この完璧なイメージ像が、作る前から、常にあったんだ」と。


**********

その後ムーニーは、工場で働きだしたが、
ある日、列車の模型を作ることを始め、工場での仕事を辞めた。

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彼の工場時代の様子を、形にした模型。
もちろん、全ての細かいパーツまでが、
下に隠されているモーターとベルトにより、動く。


彼がまだ若い頃、ある日、自分の母親のために、キッチンナイフを作ってあげたとき、
それを母親が、近所の人たちに見せると、
「私にも作って欲しい」と、注文が殺到したらしい。

一時期、そうやってキッチンナイフを作ることを、小遣い稼ぎとしていたムーニーは、
工場での仕事を辞めた後は、それを本業とする。

本業はあくまで、列車作りで、
お金が無くなったら、ナイフを作って売る、と。


彼の作る列車は、次第に人々の注目を浴び、
新聞記者がつめかけるようになった。

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一時期、オハイオの列車の駅で、彼の作った列車の展示会をし、
駅側は、「あなたを雇うから、ぜひ列車を作り続けて欲しい」と頼んだが、
「私は自分の好きなものを作りたい」と、その誘いを断ったムーニー。

その後も、Fordの創始者、ヘンリー・フォードも、彼の技巧に魅せられ、
「ぜひ、私のためにも、模型を作って欲しい」と頼まれたが、
これもまた、断ったらしい。

高いお金をあげるから、うちのために働いていくれと言われても、
「私は別に、空腹なわけでもないし、自分の家には、屋根もある」と、
そういった類の全ての誘いを断ったというムーニー。


そんな彼は、毎朝2時に起き、
人々が生活を始める前の、その静かな時間帯に、
毎日、列車の模型を作る仕事をしていたらしい。

そして、朝の7時まで、5時間働いたあと、
朝食を食べ、
それからは、ゆっくりする。

そんな生活を、死ぬまで送ったとか。

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ムーニーの作ったナイフたち
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これらのナイフは、ムーニーが、自分の列車を作るために、
自ら開発したもの。
何百個もの種類の形の刃があり、
全て、一つの柄に収まるらしい。

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********

彼の奥さんは、同時に、庭の手入れと、ボタン集めが好きな人で、
彼女の集めた数々のボタンは、今も、ムーニーの館の横に、
展示されている。

そして、彼女が当時世話をしていた庭も、
今でも、人々が受け継ぎ、
毎年、綺麗な花が咲くらしい。


***********


そんな、ムーニーの人生を決定することとなった、一本の木の洗濯ばさみ。
ちょうど10回、ナイフを入れると作ることができる、この小さなおもちゃを、
ムーニーの孫である彼は、俺たちの前で、ささっと作ってくれた。

観客の一人が、彼に聞いた。

「それが作れるようになるまで、どれぐらいかかったの?」

彼は答えた。

「Well, maybe the 3 boxes of band-aid?(大体、バンドエイド3箱分くらいですかね)」と。

*********

そんな、ユーモアたっぷりの孫と息子によって、案内された館内に展示してあった、
ムーニーの作った模型たち。

本当に凄かった。感動した。
俺も、何か作りたい、
職人になりたい。そう思った。
やはり、手で何かを作る人には、というか、
つくる“こと”に、憧れる。

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ムーニーが読んで勉強したという、列車の構造についてかかれた本。
彼は、列車に関して、プロ並の知識を持っていたらしい。

*********

この館内では、こうして、模型の展示もすると同時に、
今でも、キッチンナイフを、ここで働いている10人ほどの職人が、一本一本手づくりで作っている。


結局、ここには、1時半頃までいた。

**********

この後は、ランチ。
Sugarcreekという場所にあった、『Dutch Valley』という、
アーミッシュ・スタイルのレストランに入る。

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ちなみにアーミッシュとは、オハイオ、ニュージャージ地方に住む、
昔ながらの生活を続ける人たち。

彼らは、男性は黒い帽子を被り、黒いスーツを着ている。
女性は、白の布巾を頭に被り、エプロンのようなものを付けている。

そして、彼らの有名なところは、
電気を使わないこと。

今でも、移動には馬車を使う。
この日、車で走っているときでも、
横を、馬車にのったアーミッシュの人たちが、移動していた。


車の横を通っていく馬車
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まあ、実際には、
電気を絶対に使わない、ってわけでもないらしいが。

他には、彼らは農場を経営して、
チーズを作ったりして、それを売ったりしている。

********

このレストランで、チキン、ビーフ、マッシュドポテト、サラダ等が盛られた料理を食べる。
基本的には、アメリカのサンクスギヴィングで出されるような食事の内容と、ほぼ一緒だった。
チキンはとても美味しかった。

*****

(チキンと言えば、黒人はチキンをよく食べるが、
この旅の途中、オハイオに向かう途中のバスの中で、
隣に座っていた黒人のあんちゃんが、その隣の黒人のおばちゃんと、話を咲かせていた中、
話題がチキンの話になり、
このあんちゃんが、しきりに、
「Man!! That was the “best” chicken I’ve ever had!! (俺があのレストランで食べたチキンは、今までで最高の味だったぜ!!)」と叫んでいた。

おばちゃんの方も、「Wow, you better give me the name of the restaurant!!(ちょっとアンタ、その店の名前、アタシに教えなさいよ!)」と、負けじと叫び返す。


何をチキンごときでそんなに騒いでいるんだと、ちょっと滑稽に思っていたが、
なるほど、黒人にとってチキンとは、
日本人にとっての、米や魚みたいなもんなのかもしれないっすね。)

***********


話がずれたが、とにかく、美味しいチキンを食べた後は、
チーズ工場へ見学に。
ここも、アーミッシュの人々が作り、運営している。
様々な種類のチーズが、試食できた。

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ちなみに、アーミッシュの男性たちは、ヒゲがもじゃもじゃ凄いため、きちんとひげ用のマスクもするらしい。

ひげマスク。マサルさんが好きそうっすね。

******

その後は、アルミニウムの鉄板で、彫り物を作るところを見た。
どうやって彼らが作っているかも、見せてくれた。

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そこに、50年ほど前の、古い電話があった。

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それを見て、人々の生活は、
このたった50年ほどで、すごく変わったことに驚く。

テレビ、ケータイ、車、インターネット、電気、ガス、ラジオ、CD, DVD, etc……

これらのものは、50年前は無かったのだから。

******

車に乗り、最後、Lehman’sへ。
色んな種類の雑用品やらおもちゃが売っている店。

この日は一日中、フランクがずっと運転してくれた。

******

家に着き、軽いディナー。(9時ごろから)
サラダ、ゆでたコーン等を、エスターが用意してくれた。

食べ終わり、エスターとフランクの、50周年記念の記念式のときの写真、プログラム、小冊子を見せてもらう。


エスターに、二人が結婚してから、今までの経歴を、
全て読んでもらった。
(その小冊子は、娘のゲイルが編集して、写真月のものにした、年表形式になっていた)

すごく、感動した。
エスターは、目を輝かせながら、ニコニコ微笑んで、当時何があったかを、
一生懸命語ってくれた。

まだ若いころ、二人が飼っていた犬のシッポが、
エスターのミシンにはさまり、
どうしようか迷ったエスターが、警察を呼んだところ、
警察は消防車を呼んで、
彼らの家の前には、パトカーと消防車が、何台も止まったらしい。

それを見て、近所の人が、「なんだなんだ」と駆けつけ、
人ごみができる。

結局警察は、
「こりゃあ、尻尾を切らなきゃダメですね」と、
結局、この犬のシッポは無くなってしまった。


そんな当時の模様を、目を輝かせながら、
「あの頃は、そういえばこんなことがあったわね・・・」と、
熱心に語ってくれるエスター。
すごく、微笑ましかった。

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50年式典のときに、孫のKatlinとLeahが描いてくれたという、
ポスター。
エスターとフランクの家のガレージに、張ってある。



家族のFamily Treeのコピーの絵ももらう。
フランクのおじさんの、本の写真も撮らせてもらった。

******

12時。日記より。

オレは、EstherとFrankに、たまたま列車の中で会って、
今こうして、彼らの家族みんなに会い、
オハイオの田舎で、時を供に過ごしている。
人生ってすげえな。
人生の不思議。
人との出会いとの不思議。

(続く)




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April 17, 2008

4月4日 金曜日

この日は、朝起きて、フランクにもう一度列車の模型たちを見せてもらった後、
昼は外に出て、ハドソン(Hudson)の町のダウンタウンに行った。

ハドソンとは、フランクとエスターが住んでいる町の名前。

小さなカフェで、ランチを食べた後、
ダウンタウンを少し歩いて見た。

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家に帰ってきた後は、エスターとまた外へ。
スーパーマーケットへ今夜の食事の買出しに。

この日、エスターとフランクの娘のAmy(エイミー)と、
息子のCraig(クレイグ)が、彼らのパートナーと子供たちを連れて、
家に遊びに来ることとなっていた。


*****


フランクとエスターには、子供が4人いる。
一番上から、Gale, Heidi, Amy, そして唯一の男性の、Craig。

このうち、上から2人のGaleとHeidiの家族には、
3年前にフランクとエスターの家を訪ねた際、会っていた。
しかし、下の二人、AmyとCraigの家族には、会っていなかった。


今回、俺がフランクとエスターの家を訪ねるということで、
彼らの家の近くに住んでいる、下の二人の子供たちとその家族を、
わざわざ呼んでくれたらしい。

エスターは、「これであなたは、私たちの子供と孫たち、全員と会うことになるわね」と。


エスターとフランクには、孫が全部で11人いる。
俺は結局、この子供たち全員とも会うこととなった。

本当に感謝。

******

俺とエスターがスーパーマーケットから帰ってきて、
色々とディナーを作り、
そろそろ完了、というところへ、まずはCraigの家族が現れた。

Craigの奥さんも、名前がAmyと言う。
そして、その子供たちの、Jonathan(ジョナサン)とGracie(グレイシー)。

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二人とも、すごく可愛かった。


そして、次に現れたのは、フランクとエスターの3人目の娘の、Amy。
同時にエイミーが二人いた(フランクたちの娘のエイミーと、クレイグの奥さんのエイミー)ので、ちょっと不思議な感じがした。

Amyの旦那さんは、この日は仕事が忙しいとのことで来れなかったが、
子供たちは4人全員が来た。

上から、Bethany(べサニー), Nathan(ネイサン), Adam(アダム),そしてTimmy(ティミー)。

Bethany以外は、みんな男の子である。

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男の子3人とも、同じような顔をしていて、特に下の2人は 、印象がほとんど同じだったので、俺は名前がこんがらがっていた。

*******


皆で、一つのテーブルで食事を戴き、
食べ終わった後は、エスターの作ってくれた、
Funny Cake(ファニー・ケイク)がデザート。

ファニー・ケイクとは、下にチョコレートが入った、パイ。
とてもシンプルなのに、すごく美味しかった。
昔から伝わる、この家伝統のデザートらしい。

エスターは、最後の日の別れ際に、このファニー・ケイクのレシピを書いてくれた。
時間がないのに、わざわざ書いてくれたエスター。
本当に優しい人だった。

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*****

子供たちは食べ終わると、すぐに席を立って、遊びだした。
子供も6人もいると、大変。

べサニーがピアノを弾き始めたかと思えば、
タミー、アダム、ジョナサンにグレイシーは、追いかけっこをしたり。

子供たちは、おじいちゃんに、「列車の模型を見せてよ!!」とせがんでいた。
フランクは、「どれどれ、じゃあ私の列車たちを走らせるかな」と。

下に降りると、子供たちは大はしゃぎ。
ジョナサンは、機関車トーマスが好きらしく、
トーマスが走っているのを、とても嬉しそうに見ていた。

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お母さんたち二人(どっちも名前はエイミー)は、
そんな子供たちを嬉しそうに見ている。

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*****

上に上がると、べサニーが、フルートの練習をし出した。
明日、コンクールがあるらしい。

練習がひと段落すると、
べサニーのお母さんのエイミーが、ピアノを弾き、
それにべサニーがフルートで合わせ、
合奏を始めた。

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その二人の後姿を見ながら、そのメロディーを聴いていると、
なんか、自分がまだ小さかったころ、
よく外から帰ってくると、お姉ちゃんがピアノの演奏をしていたなあ、と。

その頃を思い出し、一人ノスタルジックになっていた。

*****

居間の横の部屋では、今度は、やんちゃ4人組みが、
「Duck&Goose」をして遊んでいる。

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一人が鬼となり、
「Duck, duck, duck….」と言いながら、他の3人の周りを歩いて回って、
一人の後ろで、「Goose!!」と叫んだら、逃げる。

Gooseと言われたものは、鬼の後を走って追いかけて、
鬼が家を一周して、また皆がいる陣地まで戻るまでに、
鬼にタッチして捕まえれば、勝ち。
鬼が逃げ切ったら、今度はそいつが、鬼となる。

いわば、ハンカチ落としみたいなゲーム。

子供たちはすごく楽しそうに、ウキャウキャ言って遊んでた。

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*****

フランクたちの一番下の息子のクレイグは、
大工さん。

背は、なんとフランクよりも大きく、
いわば巨人だった。
でも、体がスマートなので、とてもかっこよく見える。
そして、姿勢がやたらによかった。

とても気さくで、いい人だった。
いつも、ニコニコ笑っていた。


姿勢が非常にいいクレイグ

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その奥さんのエイミーは、American Greetingという、グリーティング・カード会社で働く女性。
マネージャーをやっているらしく、とても明るくて、話が上手で、
一緒にいて、何か落ち着く人だった。

この日初めて会ったのに、会って少し話した後、
まるでもう何年もこの女性を知っているような感覚に陥った。



そして、フランクたちの3番目の娘の、エイミー。
この人は、とても美人な人だった。
フランクたちの上の二人の娘、ゲイルとハイディも、美人だったので、
この家族の女性たちは、みんな綺麗なんだなあと、
感心していた。

エイミーは、楽器も弾くし、絵も描くらしい。
アートの才能がとてもある人で、
フランクたちの家の居間には、彼女が描いたという、ペインティングが飾ってあった。

エスターいわく、エイミーの家のデコレーションも素晴らしいらしい。
エスターは、
「I wish I could decollate my house like that too!!」と。

また、フランクとエスターの結婚50周年式典の際には、
フランクとエスターの子供たちと、孫たち全員の名前が入った、
ファミリー・ツリーの絵を描いたらしい。

後で見せてもらったが、本当にすごかった。

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******

家族と言えば、フランクとエスターの家族は、
子供も、孫も、家族とのつながりがすごく強い。

俺は全員と会ったからよく分かったけど、
フランクとエスターの子供たち4人は、
全員が、本当にいい人たちで、
その子供たち、つまりフランクとエスターの孫たちも、
本当に愛されて育っていた。

この日、皆とさよならをして、彼らが帰った後、
フランクたちの家の冷蔵庫に貼ってある、家族の写真を見ていて、
「この家族のつながりの強さは、本当に素晴らしいな」と、感動していた。

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フランクとエスターの子供たち4人が、
あんなに素敵に育ったのは、
二人の育て方が、とてもよかったからなのかもしれない。

そして、それ以上に、
フランクとエスターの二人が、素晴らしい人たちだからなんだろうなと、
本当に感心していた。

フランクも、エスターも、
そして、その子供たち4人も、
みんな心が綺麗で、優しくて、いつもニコニコしている。

素晴らしい人たちだなと、心から思った。


フランクとエスターの孫たちの写真
上から、年齢順になっている

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*****

ちなみに、冷蔵庫の写真には、
俺の写真も貼ってあった。
友達と写っているやつと、家族と写っているやつの2枚。

それを見て、「ああ!僕の写真じゃないっすか!!」と叫ぶと、
エスターは、「このセクションは、特に繋がりの深い友達たちの写真を貼ってあるのよ」と。

他には、エスターとフランクが行くチャーチで知り合った家族たちの写真とか、
エスターの娘のハイディが、高校生の頃に、
交換留学生として、スウェーデンから来ていたという女性と、
その家族の写真。


それらの写真の中に、自分の写真も入っていて、
とても嬉しかった。

*****

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この日は、エスターとフランク、
そして、その子供たちの素晴らしさに感心しながら、
眠りについた。


(続く)




shunsukesekine at 06:30コメント(0) 

April 16, 2008

4月3日 木曜日

朝は、8時には起きようとしたが、疲れが溜まりすぎて9時半ごろまで起きられなかった。
下に降りていき、フランクの出してくれたシリアルとバナナを食べる。


支度して、11時ごろ外へ。

フランクが運転してくれ、エスターは助手席に

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フランクとエスターと一緒に、まずは近くの図書館まで行った。

最近リニューアルしたという図書館。
とても大きくて綺麗だった。


道路の横に広がる風景
庭が広い、典型的なアメリカの住宅が並ぶ

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その後は、二人の通うチャーチへ。

中へ入る前に、エスターが、「They are expecting you」(あなたに会うのを、私の友達たちは楽しみにしているのよ)と。

聞くと、俺がオハイオまでエスターたちを訪ねに来るということを、数週間前から言っていたらしい。

中に入ると、色んな人に紹介された。

人に会う度に、
「あら、あなたが例のエスターのスペシャル・フレンドね」みたいな感じで言われた。

教会の中には、子供用の部屋もあって、
その壁のペイントが、とても綺麗だった。
一人の女性がすべてやったらしい。

地下の部屋でも、壁を全て水色にに塗った後、
そこに白のスプレーで、雲をつけると、
まるで外にいるような感じになっていいんだなと。

中をぐるっと見せてもらった後は、二人の家から近い場所にある公園を見たり、
さらに大きな州立公園に中にいる、Blue Heronsという鳥を見たり。

ものすごく大きな鳥で、木の上に巨大な巣を作っていた。

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その後は、その公園の中にあった、昔の船を飾ったミュージアムを見た。

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1900年代初頭までは、この地域では、物品を運ぶのに、船を使って運河を移動していたらしいが、1900年代半ば、列車が発明され、船を使う文化は、一気に衰えてしまったらしい。
このミュージアムでは、その古い船の作り方や、それがどう使われたかを、展示してあった。

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全て、人の手で精巧に作られた、船たち。
その仕組みを見て、よくできてるなあと、感心した。


一度帰ってきて、サンドイッチを昼食に食べた後は、また外に出て、
今度は、近くにあるBrandy Wine Fallsを見に行ったりもした。

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家に帰ってきて、夕方、
少し休憩。


******


俺は、2005年に自分がエスターとフランクの、ニュージャージーの家を訪ねたときの写真を見ていた。
その年に撮った写真が、全て入ったアルバム。
毎年、写真をそうやって、アルバムに閉じているらしい。

写真を見ていて、3年前を思い出した。

エスターいわく、ある夏は、合計で41人ものお客さんが来たらしい。
(もちろん、彼女たちの子供や、その孫も含めてだが)

毎回、自分の子供や孫たちが、その友達も連れて、家に遊びに来るらしい。

エスターとフランクの、ビーチに歩いて1分の位置にある、ニュージャージの別荘は、
いわば、みんなのリゾート地となっている。


******


その後、少し昼寝をして、
6時ちょっと前に、また家を出た。

今度は、Akronという町にある、University of Akronの劇場へ、
River danceを見に。

リヴァー・ダンスとは、アイルランドに伝わる伝統のダンスを、
現代風にアレンジして、それをミュージカル風に仕上げたものである。

俺のために、わざわざこの日のチケットを調べて、買っておいてくれたらしい。

「自分のためにわざわざチケットを買ってくれたなんて、本当にどうもありがとうございます」と言うと、
「ちょうど私たちも、リヴァーダンスを前に見たことがなかったし、この日が最後の公演日だって知ってたから、電話をしたら、たまたまチケットが取れたのよ。ぜひ楽しんでほしいわ」と。


俺たちは劇所に余裕を持って早く着いたため、
7時半のショウが始まるまで、1時間ほど待たなければならなかった。

7時に会場のドアーがオープンするまで、
その前で、3人で待っていた。

俺たちの座席は、一番上の「Flying Seat」(本当に高すぎて、飛んでいるような気分になる)と呼ばれるところで、その位置も、建物の一番上の、3階だった。

待っている間、下の除くと、一階にいる人々の頭が見える。

ちょうど真下には、カフェがあり、人々がショウの前に、デザートを食べていた。


それを見て、「ここから彼らのお皿の中にツバを吐いてみようかな」というフランクを、
「NO!!!」としかるエスター。

いつまでもやんちゃなフランクだなと思った。


7時、ドアが開き、中に入り、
その狭い椅子に座って、ショウが始まるのを待った。


ショウの前、席は満席となった
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7時半、ついに開演。

中々よかった。足の動きは、みんな揃っていて、かなり圧巻。
しかし、遠くなので、動きがよく見えないのが残念だったが。


夜、10時ごろ車に乗り、家に着いたのは10時半過ぎ。

それから、かなり遅いディナーを。
トマトスープとクラッカーを、軽く食べる。

食べ終わった後、キッチンテーブルの横にあった、別のテーブルに装飾されている品々を見ていると、
エスターが、
「そこに乗っているのは、とても古くて、特別な本なの」と、
一冊の本を俺に手渡してくれた。

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見ると、手づくりのように見える。
聞くと、「そう、それはね、フランクのおじさんの、その父親が作ったものなの。全て、その人が詩を書いて、絵も描いてあるのよ」と。

中を見ると、詩と絵が、ぎっしりと描いてある。

それらの詩は、とても読みやすく、
全ての文章が、最後でライムして(韻を踏んで)いて、
とても心に残るような詩ばかりだった。

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このおじいさんは、自分の孫娘である女の子のために、多くの詩を書き、
この本は、その子にプレゼントしたらしい。


その子がまだ小さい頃の写真
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しかし、その子、つまり、フランクの従兄弟も亡くなり、
その本が、フランクの手元に回って来たとか。

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一枚一枚のページをめくるごとに、
その人が心を込めてかいた、その時の情景や、雰囲気が、目に浮かんできた。


この写真の、右側に立っている男の人が、
この本の作者である
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******

夜、寝る前に、日記を書きながら、
当時、高校2年の頃、フィラデルフィアの家族の家にホームステイをしていた時によく聞いていた、Jon Bon Joviの“Destination Anywhere”を聞きながら、
その当時の気持ちを、鮮明に思い出していた。

いかにも、古きよきアメリカの家、というこの家の部屋で、その曲を聴くと、
まさに当時に帰ったような錯覚に陥った。


考えてみたら、あれから、8年か・・・と。

どの土地に行っても、その土地の人との出会いが、そこのVisitを、価値のあるものにするんだなと、強く感じた。

(続く)


*************


おまけ:

孫娘のリアが、おばあちゃんであるエスターのために作ってくれたという、

「フキン絞り機」

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ある日、手をくじいて、フキンが絞れないエスターを見て、リアは、
「おばあちゃんが力を使わなくても、フキンが絞れるように、これを作ったのよ」と、
この発明品をプレゼントしてくれたらしい。

この缶の中には、一枚のフタが入っていて、
ハンドル(ちなみにこれはカミソリ)を回すと、
中のフタが下に下がって行き、
そのフタと、缶の中に入れてあったフキンが、
絞れるようになっているらしい。

缶のそこには、穴がいくつも空いていて、
そこから水が出る。

こんなものを作ってくれて、おばあちゃんにプレゼントしてあげるなんて、
本当に可愛くていい子だなあと思った。
エスターも、とても喜んでいた。





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April 15, 2008

Frank & Esther
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4月2日 水曜日 4:30pm

バスはついに、OhioのCleveland(クリーヴランド)に着き、あと10分で、駅にバスが着くこととなった。

既に三夜をバスの中で過ごしていた俺は、もうそろそろ限界だった。
しかし、エスターとフランクにもうすぐ会える!!

この日の一日前、そして、この日の昼ごろにも、
バスが順調に走っていることを電話で彼らに伝え、
クリーヴランドの駅まで、迎えに来てもらうこととなっていた。

Clevelandの街中
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4時40分。
バスが着く前に、乗客の一人が、バスの運転手に向かって大声で叫んだ。

「あんた方はもう、バスの中で映画を流すサービスをやめたのかい!?」

すると運転手は、更にバカでかい声で、その声に向かって怒鳴り返した。

「前に、ディズニーの『シンデレラ』を流したら、“あれは人種差別の映画だ”なんて俺にケンかをふっかけてきた客がいてね、それ以来、もう映画は流さないことにしなんだよ!」

例の乗客が言う。

「なら、PIXARの『Cars』はどうなんだ?あれはいい映画だぜ」

他の乗客も何人か、「そうだそうだ」と頷いた。

運転手は怒鳴り返す。

「あれだって、立派な人種差別の映画だ!『古きよきアメリカ』のルート66しか流さねえし、結局は、白人の人種差別的な映画なんだよ!!」


他の乗客「・・・・・・」




すげえ運転手だなと思っている間に、バスは駅に滑り込んだ。

*****

バスから降りて、下に預けてあった荷物を受け取った後、
駅の中に入っていった。

エスターとフランクの姿を探す。

グレハンの駅にしては、結構大きくて綺麗な駅だった。
中を見渡し、奥に進んでいくと、
別のドアが並んであったところの前に、エスターらしき白髪の女性の後姿が見えた。

エスターかなと思い、ろくに確かめないまま、
「Esther!?」
と叫んだ。

すると、その女性は振り返って、こっちを見ると、「Oh, hi Shunsuke!」と言って叫んでくれた。

まさに、エスターだった。
前と変わらない、素敵な笑顔。
3年前に会ったときと、見た目はほとんど変わってなかった。
今年74歳になるのに、相変わらず肌はツルツルで、とても綺麗な肌をしている。血色もとてもよい。

エスターとハグをして、「It’s so good seeing you again!!」と言った。
「フランクは?」と聞くと、
「フランクはそこのドアの外に、あなたの乗っていたバスが着いたと思って、外に出てあなたを探しに行っちゃったわ」という。

すると、ドアの向こうから、背のものすごく高いおじいさんが、とことこと入ってきた。

俺が、「Hi Frank!!」と言うと、彼は、俺の声に気付いてこっちを見て、
「Oh, hi Shunsuke!」と。
彼も相変わらずの笑顔で、しかも背はやはり大きかった。

エスターが、「彼の乗ってきたバスは、反対側の扉についたみたいね」とフランクに説明し、「それでは家に行きましょうか」と、俺の荷物を少し持ってくれた。

俺は、相変わらずトイレに行くのを我慢していたので、「ちょっと失礼」といい、速攻トイレに行ってきて、それから、また二人と改めて挨拶をして、「さあ行きましょう」となった。

******

外に出て、グレハンの駅の横についていた駐車場まで歩く。
外は、風が肌寒かった。

「カリフォルニアに比べてここは寒いでしょう」とエスターが聞くので、
「確かに、カリフォルニアでは冬でも、ここまで空気が冷たくはなりませんね」と言うと、
「これでも、ここ数日は暖かくなって、いい天気が続いているのよ。2週間前までは雪が降っていたからね」と。


そんな話をしながら、駐車場の中に足を入れると、そこにはフランクの車がとめてあった。
相変わらず、3年前と同じ、赤のクライスラーをフランクは運転していた。

「3年前と同じ車よ」と笑うエスター。
トランクを開けて、俺の荷物を、そこに入れさせてくれた。

二人は前に乗り、
俺はエスターの後ろに座った。

「それでは、Hudsonまで帰りましょう」と。


Hudson(ハドソン)は、エスターとフランクの住む家があるところ。
クリーヴランドからは、車で約40分くらい。

クリーヴランドのダウンタウンを走りながら、エスターとフランクが、「あの建物はあれで、この建物はあれで」と説明してくれる。

それと同時に、「バスの旅はどうだった?」と。

「いやあ、狭いバスに三日三晩は、さすがにきつかったですね」と言うと、
エスターは、
「それじゃあ、うちでゆっくりしていってちょうだいね」と言ってくれた。

*****

二人と会話をしながら、二人の車の後部座席に乗って、
3年間に、彼らに初めて、New JerseyのOcean Cityの駅でピックアップしてもらってから、
彼らの家に連れて行ってもらったことを思い出し、
すごく不思議な感じがした。

ああ、俺は、この二人と出会って、本当に3年前、彼らの家に招いてもらったんだなあ、と。

もう3年も前のことで、当時の写真とかもあまりなかったから、
まるであのことが、夢のように思えてたけど、
こうして、今こうして、また彼らに会えてるんだなあ、と。


そう思っている中も、フランクの運転してくれる車は、南に向けて、グングンと進んでいった。

****

40分ほどして、車は二人の家の前に着いた。
典型的なアメリカの家、という感じで、庭が広い。
家はとても大きく、玄関の前には、ポーチがある。
「The Note Book」で、主人公の男の子と父親が、ポーチの椅子に座って、二人で話しているシーンを思い出した。

い













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中に入り、荷物を入れた。
エスターが、「この3日間は、食事もロクにできなかったんじゃない?」

「そうですね、あまり食べていませんでした」と俺が答えると、
「あら!それでは、相当お腹が空いていることでしょう。たくさん作らなきゃ!!」と、ニコニコと笑っていた。

ちなみに、いつもエスターはニコニコしている。
彼女が、怒っている顔は、一度も見たことが無い。
何もない普段でも、いつも微笑んでいる。


とても素敵な女性だなと思う。

*****

この後、食事を食べる前に、フランクが昔、25歳の頃に、日本にいた頃の写真を見せてもらった。


彼が日本にいたのは、1955年あたりの1年半。
彼はアーミーにいて、日本で、地形を測量して、地図を作る仕事に携わっていた。

3年前は、そのときの話を聞いただけだったけど、今回は、実際にその頃の写真を見せてもらった。

彼が下に降りていき、古くて大きなアルバムを持ってきた。

中を開けると、当時の写真が入っている。
全ての写真は白黒で、でも、、画質はかなり良かった。

当時のフランクは、体つきもスマートで、とてもかっこよかった。
かなりハンサムな男性だった。

彼が働いていたという、事務所の中の様子。
日本人の女性も、何人か写っている。
最初に目についた日本人女性をさして、「この人は日本人ですね」と言うと、
「Oh, she is Shimizu-san!!」と。
全ての人の名前を覚えているらしい。

写真の横には、そこに移っている人たちの名前が、全て丁寧に書き添えられていた。

仕事場の風景の写真から、
みんなでどこかの川へ遊びに行った写真。
当時アメリカでフランクの帰りを待っていたエスターが作り、日本まで送ってくれたと言う、ちょっと大き目のセーターを着ている、フランクの写真。

そのセーターをさして、フランクが言う。
「これは妻が作って、私に送ってくれたんだ」
エスターは、
「彼が横にいないから、果たしてどれくらいの大きさか分からなかったのよ。ちょっと大きめに作りすぎちゃったみたいね」

フランクは、「まだそのセーターはとってあるよ。今でも着ているんだ。大分縮んできちゃったけどね」
エスター「違うわよ、あなたが太ったんでしょ」

フランクは「おお、そうだった」と言って、がっはっはと笑っている。


そんな二人のやり取りの光景は、とても微笑ましかった。

*****

俺は、1950年代の日本の様子を移した写真なんて、あまり見たことがなかったので、まるで博物館に行って、昔の日本を見ているようだった。

当時の、東京の地図なども、フランクは大事に保管していた。
それから、映画館でのチラシなども。

*****

それらの写真を見て、余韻に浸った後、
エスターが、「ディナーの支度が出来ましたよ」と。

3人でテーブルに着いて、食事を頂いた。

ビーフの小さなステーキと、ポテト、コーン、パンにサラダ。

バスに乗っている間、自分はものを余り食べていなかったせいか、胃が小さくなっていて、すぐにお腹いっぱいになってしまった。

デザートには、すごく甘いイチゴと、エスターが作ったブラウニー。

食べ終わって、満足した後、フランクが、
「私のトレインたちを見るかい?」と。

「ええ、ぜひ」と言うと、彼は居間にあった一つの扉を開けた。
すると、そこは地下室に繋がっていて、彼について降りていくと、下には、とても大きな空間が広がっていた。
そこは、彼の書斎やオフィスらしい。

「うおお、すげえ!」と思い、色々と飾ってあるおもちゃや絵などを見ていると、
彼が「こっちだよ」と。

更に奥へ行くと、なんと、そこには、
ものすごい大きさの、列車のジオラマが広がっていた!!

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聞くと、全て自分で作ったらしい。
そのジオラマは、建物や、小さな人、そして馬や牛、それから、草や土まで、全て精巧に作ってある。

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「そこで作るんだ」とフランクが指した場所を見ると、
そこには彼の仕事場が。

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「これ全部作るのにどれくらいかかったんですか?と聞くと、
「2年前くらいに始めたんだよ」と。

それらを見て驚いていると、「これで驚くのはまだ早いよ」と言いながら、彼は更に奥へ入っていった。

するとそこには、更に大きなジオラマが!!
(この写真は撮りませんでした)


「あのもう一つのジオラマでは、小さくなっちゃったんでね。これを新しく作り始めたんだよ」と。

そう言いながら、目を輝かせてニコニコしているフランクは、本当に嬉しそうだった。

その姿はまさに、自分の大好きなおもちゃを目の前にして、嬉しそうにしている少年そのものだった。

そのフランクの姿を見て、彼が、この歳になっても、いつまでも元気でいる理由が分かった気がした。
いくつになっても、自分の好きなことをする。
それが、若く、健康でいられる秘訣なのかと。


列車を走らせてみせてくれているフランク
目がキラキラ輝いていた
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これで何台もの列車を一度に操縦する
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****

列車をたっぷりと時間をかけて見た後、フランクと一緒に一階に上がってきて、カウチに座った。

エスターが聞く。「彼の列車はどうだった?」

俺が、「いやあ、もう本当に感激しましたよ!あんな大きいの見たことないです!フランクがいつまでも若くいられる理由が分かった気がしましたよ」と言うと、
エスターは、「彼はそのうち、このリビングルームまでも、列車たちで多い尽くそうとしているくらいよ」と、ニコニコしている。

そのとき、まるでこの家全部が遊び場に思えた。
大きな遊び場で、いくつになっても、自分の好きなことをして楽しんでいるフランクと、
その姿を微笑みながら、「しょうがないわね」と言って、支えているエスター。

小さい頃、自分が、自分の家全部を遊び場としていた頃。
おもちゃを使って、ずうっと遊んでいた頃。
そして、そんな自分の面倒を見てくれる母親が、いつも横にいた頃。

そんな、小さな頃の感情を思い出した。


そして「人生は、楽しんで生きるためにあるんだ」、
フランクとエスターの姿を見ながら、そう感じた。

*****

その後、二人に、100年ほど前に作られたという、古いMusic Boxを見せてもらった。

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一つ目は、円盤を中に入れて、横についているねじを巻き、離すと、
円盤がくるくると回って、綺麗な音色が流れるもの。
とても複雑なつくりの、オルゴールといった感じ。

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そして二つ目は、これもはやり横についているねじを回すと、
中に入っている丸い筒が回転して、音色が流れるというもの。

どちらも、とても古いが、とても綺麗な音色を醸し出していた。

*****

夜9時ごろになると、旅の疲れが溜まっていたのと、二人にあって安心したので、もうフラフラしていた。そのため、早めに寝させてもらうことにした。

その前に、3日ぶりのシャワーを浴びさせてもらう。

バスタブに入って、蛇口をひねって、温かいお湯が出てきたとき、
「神様、ありがとうございます」と心から思った。

シャワーから上がって、足を見ると、
ずっとはき続けていた靴下と、その上から更にはいていたモモヒキのせいで、足首が押さえつけられていたらしく、足が思いっきりむくんでいた。
(俺はお腹がすぐに冷えるので、ズボンの下にモモヒキを、ずっとはいていた)

そのむくんだ足を見ながら、
「エコノミー症候群にならなくて、本当によかったぜ」と、心から思った。


エスターは、俺のために、とても綺麗で素晴らしい部屋を用意していてくれた。

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ベッドの横にある椅子に座り、日記を書いた。

日記の一部より:

「さっき、カウチに座りながら、
“アメリカに初めて来たとき”を思い出してた。
高2のとき。

オレがOHに来てたら、
この6年間は、また変わっていたんだろうな。
どうなってたんだろう。

同じアメリカなのにな。

不思議なもんだ。

行くところによって、人生が変わっちまう。


とにかく、俺はここにまたこうして、彼らに会いに来れて、
本当に幸せだ。

感謝。」


書き終わった後、3日ぶりに、ベッドの中に入った。

3日ぶりのベッド。
またしても、「Thank you God」と心から感謝しながら。

恐らく、布団に入って、10秒以内には寝ていたと思う・・・・。

(続く)








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April 14, 2008

4月2日 水曜日 

グレハンのバスに乗って、三日目。
日曜日の夜に乗り、月曜日、火曜日、そしてこの日まで、
ずーーーーっと、バスに乗ったまま。

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途中で、休憩があるとはいえ、
前の休憩から次の休憩まで、短いときは30分、長いときは、3時間後とか。
その間、ずっとバスから降りることはできなかった。

何が辛いかと言えば、トイレだった。
一応バスの後部に、トイレは付いているものの、
そのトイレは恐ろしく汚い。
なので、俺は一度も使わなかった。

しかし自分は、腹が非常に弱く、
バスの冷房を浴びていると、すぐにお腹がゴロゴロ言ってくる。
もしくは、食べ物を食べると、本当にすぐに、トイレに行きたくなる。
(汚い話ですみません)
なので、バスに乗っている間中、常に、「次のトイレストップはいつだ!?」と、
予定表を頭に叩き込んでいた。

それで、バスが停留場にとまると、
速攻降りて、トイレに駆け込んでた。
休憩時間が10分の時とかは、
「やべえ、あと3分でバスが出る!」みたいな感じで・・・

(実際、バスの運転手は、『ここでの休憩は15分』と言っても、
実際は20分そこにいたりと、時間ピッタリに出るわけではなかった。
それでも、バスは予定時刻ほぼピッタリに、いつも次の停留所に着いていた)


そのため、「今食べると、すぐにトイレに行きたくなるから、今は食べられねえ」とか、いつもそんな風に計算していた。
そんなわけで、結局、この3日間は、ほとんど食べ物を食べなかった。

もちろん、一日目に、咲子さんに作ってもらったおにぎりやポテトサラダは、有難くいただきましたが。

卵焼き
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****

また、夜も1,2時間に一回、バスはどこかの停留所でとまるため、
夜に寝ていても、急にバスの中に電気が付く。
バスの運転手のアナウンスと共に。

中々眠るのに時間がかかっていて、やっと眠れたと思えば、
またバスストップで起こされる。
そんなのの繰り返しだった。


しかも、数ある休憩の中、一日に3,4回は、バスから全員が降りて、外で1時間近く待たなければいけなかった。理由は、バスの掃除と、メインテナンス。その間、乗客は全員、バスのターミナル内で待つ。

朝の3時に起こされ、4時半まで待つなんてこともしばしば。


毎食の食事休憩は、なぜか必ず、マクドナルド
乗客は毎回、マックでハンバーガーとフレンチフライを買う

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途中、TexasのAmarilloという駅で停まったとき。そこでは1時間半近く待たなければならなかったのだが、そこのトイレが、もう本当にひどかった。

「I've never seen such a filthy restroom!!」(こんなに汚ねえトイレは見たことがねえぜ!!)と思わず叫びたくなるぐらいの汚さ。

大をする方のトイレのドアが付いていない、紙がない、水が流れず、前のやつのが溜まっている、etc...(うう気持ち悪い、ここに書いてたらまた思い出してしまった)

トイレに人が入ってくる度に、「This is filthy, man!!」(超きったねえトイレだぜ!!)と全員が叫んでいた。

俺は、このバスストップの前の休憩が、3時間前だったため、バスの中ですでにウ○コがしたくてしょうがなかった。それで、この休憩所でウ○コをしようと思ったのに、見てみたらこの有様!! 
トイレに行きたくてどうしようもなかった俺も、このトイレではさすがに出来ず、次の休憩まで青い顔をしながら、冷や汗を垂らして待つことに・・・・

(今まで、あれほどウ○コがしたかったのに、そこでトイレを我慢したのは、初めてでした。それほどここのトイレは汚かったわけです。話が汚くてすみませんね。)


********



また、バスの中では、自分のパーソナルスペースが、ほとんど無いというのが辛かった。
席はすごく狭いし、隣に人が座っていると、体はほとんど動かせない。
夜も、席を倒しても、ほとんど腰を曲げたままなので、
休憩の度に外に出て体を動かさないと、エコノミー症候群になりかねなかった。
俺は一人で、休憩の度に外に出て、ストレッチをしていた。

「グレハンのバスに乗って、エコノミー症候群で死にました、なんてカッコ悪すぎるぜ」なんて思いながら。


アリゾナ、ニューメキシコ辺りは、砂漠地帯
こんな景色が、永遠に続く
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*****

今回のバスの旅で気付いたのは、
自分のスペースがない→体が自由に動かせない→好きなときにしたいことが出来ない、
というのが一番辛いということ。

シャワーが数日浴びられないのは、そうでもなかった。
暑くないので、汗をかかないから。

また、旅は、人との出会いが無いと、価値が深くならないことも実感した。
人との出会いが、一番の財産だ、と。


毎回旅をしていて、辛くなるときは唯一、
孤独さを感じたとき。
旅をしていると、自分はその土地の人にとって、ただの旅人の一人に過ぎないから、
誰も気にしない。

誰も、自分の存在を意識せず、自分のことを必要としなくなったとき、
人は、「自分って誰なんだろう?」となり、孤独を感じる。

自分に名前があろうが、それは、自分を認識する人がいなければ、
その名前は意味を成さない。

自分の住んでいる土地では、自分の職業や、家族内での役割などがあろうが、
全然違う土地にいけば、誰も自分を必要としない。

そんなときに、「俺って、誰なんだろう?」となる。

*****

今回の旅では、ここまでは感じなかったが、
3年前のアメリカ一周の旅では、それを強く感じた。
そして、孤独を感じたときが、旅をしていて、一番辛いときだということに気付いた。

今回の旅でも、少し孤独を感じたときもあったが、
3日経てば、自分の友達に会えるというのと、
後は、本を読みまくっていたので、
そこまで精神的に辛くはならなかった。



本といえば、本を読む時間がたっぷりあった。
今回は、パウロ・コエーリョの小説、「11分間」と「ベロニカは死ぬことにした」、
そして、世界史と日本史の資料集、
それから、新渡戸稲造の、「武士道」を持っていった。

7























**********


自分がアメリカという、自分の生まれ故郷ではない土地を旅しているとき、
また、自分を知る人が、周りにいないとき、
そして、「日本人」という同じルーツを持った人間が、周りにいないとき、
言い換えてみれば、
自分とはルーツが全く違う人間だけに、長い間、囲まれているとき。

自分の母国語や、自分の生まれ育った文化、常識など、
全てのものが、そこでは、『まったく関係のない』場所に、長い間一人でいるとき。

「自分とは一体誰なのか」ということを、強く考えるようになる。


そんなとき、「武士道」は、自分の内面にある強い問いへの、答えをくれる助けとなる。



自分は日本人として生まれ、
その「日本」という文化が根本に持つもの。

仏教、儒教、神道の考えを根底に持ち、
そこから派生した、日本ならではの、「武士」としての価値観。

それが、自分を司るものなんだということを知ったとき、
自分のルーツを知り、誇らしくなる。
日本人として生まれてよかった、そう思える。

自分は、日本という、世界に一つしかない、唯一の道徳観を持った国に、生まれたこと。
そこで育ち、その文化を背骨として、育ったこと。
自分には、そのルーツがあるんだということ。

そういうことを噛み締めると、日本人でよかった、
心からそう思える。
日本人であることに、誇らしさを感じる。



そんなわけで、今回の旅では、
新渡戸さんの「武士道」と、そして、日本史、世界史の教科書に、
ずいぶんと助けられました。


日本史に関しては、やはり自分の国の歴史を知ること。
そして、世界史に関しては、
今から何年前に、どの国では、何が起こっていて、
何が人々の生活の中での常識だったのか。

そんなことを、今の世界と比べて、考えていくと、
非常に視野が広くなる気がする。

****

ちなみに、前に「ショーシャンクの空に」の映画を見て、
刑務所の中で、主人公が本を読んだりしているのを見て、
「本を読む時間がたくさんあっていいじゃない」なんて思ってましたが、
いざ、自分がバスの中に監禁されて、
そんな思いは全く甘かったことに気付きました。

自分が普段持っているものがなくなって、初めて、
その有難さに気付くわけです。


自由に動ける時間、
自分だけのスペース、
予定を自分で決められること、
好きなものが好きなときに食べられること、
トイレに好きなときにいけること(これは特に重要)・・・


それらの自由さを無くしてみて、初めて、それらの有難さに気付くわけです。

「刑務所の中の人は、本を読む時間がたっぷりあっていいじゃん」なんていうのは、全く持って甘い考えでした。


Arizonaの、Phoenix付近
背の高いサボテンがゴロゴロと姿を現す
4













****


また、グレハンのバスは、お勧めできないと言われるが、
グレハンの評判を下げる理由が、そのサービスの悪さではなく、
そのバスを使う客のせいだということに気付いた。

基本的に、バスを利用する客は、飛行機などを利用できない低所得者が多い。

決して「低所得者全体」とくくるわけではないが、
基本的に、それらの人々は、社会的な常識も踏まえていないことが多い。


・「その席は空いていますか?」と聞かずに、どかっと座る者。

・隣に人が座っているのに、足を広げたまま、閉じようとしない者。

・バスが込んできているのに、自分の席の横に荷物を置き、あえて動こうとしない者。

・大声で喋り続け、周りの人の迷惑になるかどうかなと、全く気にしない者。

・「Fuck」「Shit」「Dude」の3つの単語しか、自分の会話に使わない(というか使えない)若者。
(そんな若者の会話例:”This is fuckin’ shit, dude!” )

・常に文句ばかり言っている者。

・隣に座った瞬間、風呂に長い間入っていないと一瞬で分かるほど、体が臭い者。

・話をしていて、その人が笑ったとき、前歯がぞろっと無い者。
(これはあんまり関係ないけど、歯の矯正や治療ができない=お金がないということ。話していてかなりブキミだったぜ)


とにかく、そんな人たちしかいない。
そして、それらの民は、基本的に、他人のことを考えないため、自分勝手な行動を取る。
そして、それらの民に囲まれ、旅を続けた後、まず第一に思うこと。

「グレハンは使わないほうがいい」



グレハンのバスのサービスに至っては、しっかりしていたと思いますよ。
時間通りにバスはきちんと来るし、ドライバーは、みんなちゃんと運転するし、
時間の遅れもないしね。


それに、第一、めっちゃ安いしね。
そんなリーズナブルなバスに乗りつつ、それでもそのサービスに文句を言い続けるようなやつらが使うから、グレハンの評判が落ちるわけですよ。

ほいhじょい













客層は、レッドネックの白人、ゲトーからの黒人、メキシカンの親子連れ、ヒッピー風の若者、
そしてたまーーーに、バックパックを背負った若者がいるくらい。
白人の女の子なんかは、1%ぐらいしかいなかった。


また、ドラッグを持っている者も多いらしく、
ミズーリのセントルイスでは、そこのグレハンの停留所で、
麻薬捜査犬を連れた女性警官が、バスに乗るもの全員のバッグを、犬に嗅がせて周っていた。

俺が乗ったバスに、全ての客が乗り込んだ頃、
警官が一人バスに乗ってきて、
「****(そいつの名前)、外に出なさい!」と叫んだ。

その名前を呼ばれたドレッド頭の黒人若者が出て行くと、
下には警官が何人もいて、
「あなたのバッグを開けて調査しますが、いいですか?」と聞いていた。
彼が頷くと、一人の警官が、彼のボストンバックを調査し始めた。

俺は窓側に座っていたので、たまたまその現場が見えたけど、
そのドレッドのやつとは、前の駅のトイレですれ違った際、マリファナの匂いがした。
そいつは、トイレに長い間こもっていたので、そこで吸っていたのかもしれない。
そいつの名前が呼ばれて、「なるほど」という感じだったが、
そういうことも、日常茶飯事らしい。


***********

ま、そんな中で、バスは東に向けて、ぐんぐん進んでいった。

エスターとフランクに会えることだけを、楽しみにしながら・・・・。


2














(続く)





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April 12, 2008

今回、カリフォルニアからオハイオ州まで、バスで片道3日、合計6日間、バスにカンヅメになって行って来た。

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走行距離は、片道2800マイル。
往復、5600マイル(8960キロ)。

日本列島にすると、4,5往復分。


今回通ったルート
(ちょっと見た目が気持ち悪いが、それぞれのポイントは、今回バスがとまった停留所がある場所)

下の「+」をクリックすると、地図が拡大できます。


View Larger Map


旅の理由は、今から3年前、2005年の夏に、アメリカをアムトラック(大陸横断鉄道)を使って一周していた際に出会った家族に、また会いに行くため。


今年77歳になる旦那さんのフランクと、74歳になる奥さんのエスターとは、コロラド山脈を列車が通っていたときに、たまたま車両の中で出会い、その後、実際にニュージャージーに住む彼らの家まで遊びに行き、とても仲良くなった。


その二人と出会ったいきさつについては、こちらをどうぞ


*****


そんなわけで、この夫婦に会いに、アメリカ大陸をほぼ全部、バスで横断してきた。


前回は列車だったので、移動に非常に時間がかかったとは言え、自分のパーソナルスペースが広くあったので、まだ良かった。

列車の中はとても開放的で、中には、「展望室」みたいのがあって、壁のほとんどがガラス張りで、列車から見える素晴らしい大自然の景色を眺められることも出来た。

夜も、一番安い席のチケットを買っていたため、シートは真っ直ぐには倒れないものの、リクライニングしたので、まあまあよかった。



・・・しかし!! 

今回のバスの旅は、前回の列車の旅とは、打って変わって大違い。
そのキツさは、想像範囲を確実に超えていた。


前々から、グレイハウンド(このバス会社の名称・通称『グレハン』)を使ったことがある友達に聞くと、


「グレハンは絶対にやめたほうがいい」


それしか答えが返ってこなかった。百発百中。

しかし、オハイオまでの飛行機チケットは、一番安くても、タックスとかを全部含めると、400ドル近くもする。

今の自分にそんなお金はないので、一番安い、グレハンを選ぶしかなかった。

出発日の1週間前までにオンラインで買うと、かなり安くなる割引を見つけ、
往復225ドルで、チケットを手に入れた。


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しかし、旅に出る前から、みんなにこの旅の話をする度に、気が重かった。

「バスに片道3日間か・・・・ やだなあ・・・」

全然乗り気がしなかった 笑

それでも、今まで手紙でずっとやり取りをして来たエスターとフランクには、
自分がまた日本に帰る前に、必ず会いに行きますと約束していたので、
今しかチャンスはないと、行くことにした。

それに、バスでアメリカ大陸を横断するなんて、今しか出来ないってのもあったし、
いい経験になると思った。

「また、旅の経験が一つ増えるぜ」なんて。

*****


俺のそんな軽い意思の決断は甘く、
バスに乗ったその瞬間、一気に、自分の読みの甘さに気付いた。


*****

03/31/08 日曜深夜 

Fresno(フレズノ)のグレハン・バスステーションに、咲子さんに車で送ってきてもらっていた。

咲子さんは、フレズノ・ステイトで、アスレチック・トレイナーをしている大学院生。

こんな深夜のスケジュールにも関わらず、わざわざ出発の数時間前には、
お米2合半分の、バカでかいおにぎりを5つ、
卵焼き、
ポテトサラダ、
そして梅干を小さな容器に入れて、紙袋に入れて用意してくれました。

この日の昼間に、俺も自分で、スーパーマーケットに行って、
ベーグルやバナナチップス、水など、
ある程度の食料を買い込んでいたため、
彼女が作ってくれた食べ物も合わせると、紙袋2つ分のものすごい量の荷物に・・・・。

「こんなに食えんのかな」と思いながらも、咲子さんに大変感謝いたしました。

料理をしてくれている咲子さん
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夜の11時半ごろ、フレズノのダウンタウン内にある、非常に治安の悪い駅に着き、
そこのカウンターでチケットを受け取り、席に座って待った。

咲子さんは、12時ごろ、家に帰っていった。

その後、本を読みながらバスを待ち、
12時45分ごろ、ついに自分の乗るバスが呼ばれた。

荷物を抱えながら中に入ると、どの席も既に埋まっている。
大半の客は、黒人、白人、メキシカンの男たち。
それから、メキシカンの家族連れもいる。

ほとんどの席は、体のでかい男どもが占領し、
片方のサイドに2つずつシートがあるとはいえ、
やつらの丸々と太ったデカい体は、席の1,5個分を占めている。

その中で、唯一俺が座れそうな席を見つけ、
隣の男に席が空いてるか聞き、
そこに腰掛けた。

俺が席に着いた瞬間、
車内の電気は一気に消え、
真っ暗な中、バスが走り始めた。

席を倒そうと思ったが、
壊れているのか、どう頑張っても全く動かない。

がびーんと思いながら、ほぼ直立のまま、
寝ることとなった。

心の中では、「完全にグレハンをなめていた・・・」という声が聞こえたものの、
今さら嘆いてももう遅く、
その心の叫びが聞こえない振りをしながら、平常心を装って、寝ようとした。

しかし、心の中では、「こんなんで俺は3日間も持つのかよ・・・?」と、
叫びがとまらない。

「いや大丈夫ダイジョウブ、こんなのすぐに慣れるぜ」と自分に言い聞かせながらも、
やはりその向こう側では、
「お前こんなの3日も耐えられんのかよ・・・!?」と、声がする。



今思うと、完全に動揺していたが、
そんな自分の気持ちは押し殺して、とにかく寝に入った。

最近、サバイバル精神を忘れ、甘い生活に浸りきっていたなと思いながら・・・


(続く)







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April 09, 2008

4月9日水曜日 昼12時12分

カリフォルニアに帰ってきた。
日曜の夜にオハイオを出て、バスに2日半乗って、やっとカリフォルニアに着いた。

グレハンでのバスの旅はなかなかキツいものがあるけど、
今回、道路を実際に走り、この国を横断できてよかった。

3年前の列車での旅もよかったけど、
今回の旅で、また更に、アメリカの土地を体感できた。

****

今回、オハイオまで、エスターとフランクを訪ねに行って、本当によかった。
3年前に列車で会っただけで、こうして友達になれて、
また、こうして会いに行けて、
本当に、幸せだと思う。

本当にいい人たちに出会った。


カリフォルニアにずっといると、ここが「アメリカ」って感じがしてしまうけど、
実際アメリカは非常に広く、西海岸、中西部、東海岸、
全部、雰囲気が全然違うってこと。

それぞれの土地には、それぞれの人が住み、
みんな、それぞれの生活を送っていること。

そして、そんな中で、
オハイオ州に住む、素敵な人たちと知り合えて、
本当に自分は恵まれていた。


今は疲れているので、また後でゆっくり書こう。



shunsukesekine at 12:17コメント(0)トラックバック(0) 

April 03, 2008

今、オハイオにいる。
カリフォルニアからバスに乗って、約2日半かけて、オハイオ州まで来た。
3年前の夏に、アムトラックの列車でアメリカを旅した際、
その時に出会った夫婦、エスターとフランクに会いに、ここまで来た。

昨日、バスの駅まで二人が迎えに来てくれて、
3年ぶりに感動の再会。
二人とも、もう77歳と74歳になるのに、相変わらず若いエネルギーでいっぱいだった。

昨日は3日ぶりのシャワーとベッドで、神とエスター、フランクに感謝しながら寝た。
心から感謝。
そして、こうしてまた再会できたことに感謝。
アメリカを、こうして回れることに感謝。


今は二日目。
朝、町の図書館に連れてきてもらって、そこのパソコンを使って、これを書いている。
次に書くのは、多分カリフォルニアに帰ってからとなると思う。
今週の日曜日までここにいて、日曜の晩のバスで、水曜の朝にカリフォルニアに着く。

****

同じアメリカでも、ぜんぜん雰囲気が違う。
もし俺が、6年前、ここに留学してたら、
またぜんぜん違う6年間を過ごしていたのかなと思うと、
不思議に思う。

また、機会があったら書きます。

4・03・08 11:16AM

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