My Work-仕事

August 04, 2014 15:30


ロイの運転する車で、1時前にMt. ShastaのBlack Bear Dinerに着いて、
そこで、Fort Jonesから来るZakとLeannを待った。

ザックはもう20歳。
俺が最初に彼に会った2003年は、彼はまだ9歳だった。
そして、当時13歳だったMeganは、今は25歳になった。
(今回はMeganは仕事で来られなかった。
ここ数日、Siskiyou Countyを含め西海岸の多くが、連日の日照りと稲妻による火事で、いたるところで消防車が走っている。
常に灰が振り続けていて、車のボンネットには灰が積もる始末。
外にいると、口の中が炭の味がして、服も、BBQをしてるわけじゃないのに、煙臭かった。)

*****

Leannは、今何歳か知らないけど、相変わらず元気そうだった。

Zakは、見違える程大きくなった。
前回会ったのは6年前、14歳の頃だったけど、
当時も既に俺より少し大きかったけど、
今では、あっという間に大人になってしまった。
アバクロのモデルとしても通用するくらいかっこいいと思う。

*****

当時は殆ど話をしなかったザックが、
今ではかなりおしゃべりになった。

今はCOSの2年目で、
このあとは、Sac Stateに編入を考えているらしい。

高校時代は、サッカーに夢中になったり、
高校から一人しか選ばれないプロジェクトに選ばれたり
(サクラメントに行って、郡や州の知事になってその町を回す、という体験プロジェクトをやったそうな。彼のオーディションの日は、そのことを知らされてなくて、電話に残されたメッセージも聞かず、ただ私服で高校に行ったら、
「はい、これから試験です」と言われて、急いで音楽室にあったドラマーの服に着替えて、そのまま試験を受けたそうな。
急いで自分の私服をそこで脱いで、更衣室で服を着替えていたので、
その様子を外から見た音楽担当の教師が、
奥の更衣室でいけないことをしていると勘違いして、ドアを開けたら、
そこで裸で必死に着替えているザックがいて、
そのことを、後でリエンに謝ったそうな。
「私はそういうことだと思って開けたんですけど、実際はそうじゃなくて、
別に私はお宅の息子さんの裸を見ようとしたのではないですよ」と。

その試験は口頭試験だったんだけど、
その内容をザックは事前に良く調べていたので、
結局、テストに受かったらしい。
他の高校から来る生徒は、みんなGPAが5.8 (out of 4.0. どういうこと?と聞いたら、普通の授業以外に大学のクラスも飛び級でとっていると、そうなるらしい。)だったとか。
で、みんな生徒会長とかで、
そんな中で、ザックはみんなに、「で、お前は生徒会長?」「違うよ。サッカーチームにいるだけ」「じゃあサッカーチームのキャプテン?」「いや、ただのディフェンダーだけど」「へえ・・・」てな感じで、みんな超優秀なおぼっちゃまだったけど、自分だけただナチュラルに勉強と運動をしてきた人間だったそうな。

やっぱり、あの環境で、常に自然や動物とふれあいながら、
タフな環境で育ってきたから、本当にスマートで愛情にあふれた素晴らしい人間に育ったんだと思う。ザックも、メーガンも。

*****

1時から3時までKFCで話をしたあと、
Reddingから車で迎えに来てくれる予定のHannahに連絡をして、
彼女がBlack Bear Dinerに着いたというのでそっちへ向かった

入口に入ると、中にハナがいた。
すごく大きくなっていた。
前回会ったのは、2008年、彼女が12歳のとき。

いまでは、18歳になった。
丁度、俺がアメリカに来て、彼らに会った時の年齢。

大きくなったハナを見て、すごく不思議な感じがした。

*****

ザックとリエンは、このあと映画を見に行くということだった。
隣にあるシアターで。
Guardian of the galaxyを見るということで、
聞くと、ブラッドリー・クーパーは、なんとリエンの姪の友達らしい。
「本当に?彼、今ではすごく有名じゃないっすか」というと、
「そうみたいね、でも私は彼の映画を見たことないし、どんな人かも知らないのよ」と。
(ちなみに今回彼は、変な狐の声だけやっています。笑)

ちなみにリエンは生まれはイギリス。
2008年の夏、イギリスにみんなで、リエンの家族を訪ねに行った際に、
色々とビザの問題で大変だったそうな。
イギリス生まれなのに、市民ではない。なんちゃらかんちゃら、、、と。

*****

ちなみに、今回不思議だったのは、
まずは、俺を送ってくれたロイが、リエンとザックに会って、話をして、
そのあとは、リエンとザックが、ハナに会ってそれぞれ自己紹介をしていたこと。
俺にとっては、ロイの家族も、リエンの家族も、サンディ(ハナ)の家族も、
みんな2002年から親しくしてもらってきた家族だから、
逆にそれぞれの家族はお互いを知らなかったというのは、
変な感じであり、それぞれが”Hi, I’m Zak” “Hi, I’m Hannah, nice to meet you”とやっているのは不思議だった。

*****

また、もう一つびっくりしたのは、
丁度ハナとリエン、ザックが自己紹介をしているときに、
同じく隣の映画館に映画をたまたま見に来た、ハナのお父さんが車で通りかかったこと。

彼はずいぶんと俺に良くしてくれてたので、びっくりしたけど、
向こうは急いでいたらしくて、ちょっとリエンに俺が引き止められている間に行ってしまった。でも、少しでも遭遇できただけで嬉しかった。

*****

その後、ハナと再び久しぶりだねと言葉を交わす。
本当に大きくなって、しかも、綺麗になったなあと思った。
お母さんと同じで、金髪と綺麗な瞳の色をしていた。
ちなみに、ザックも青の綺麗な目をしていたな。

ハナとRey’s(スーパーマーケット)に入って、
ジュースを買った。

その後、ハナの車で、Mt. ShastaからReddingへ向かった。

*****

本当は1時間ちょっとで着く道のりなんだけど、
初めての渋滞に遭遇して、
結局、3時半前に出て、ハナの家に着いたのは6時前だった。
俺が空港に行かなきゃいけないのが7時半だったので、
本当は4時過ぎから3時間半くらいいられる予定だったけど、
1時間半ほどしかいられなかった。
でも、その代わりレディング空港にハナとサンディが見送りに来てくれたあと、
レディング空港の人たちはいい人たちばかりで、
「友達がいるならギリギリまで会ってていいわよ」と、実際の時間より更に30分くらい一緒にいさせてくれた。

*****

ハナたちは、俺が彼らにあった頃から、家を2回変えた。
今は、3つ目の家で、Reddingの静かな住宅地にあった。

ドアを開けると、まずは、大きくなったマイカが目に入った。
そして、サンディ。

サンディは殆ど変わってなかった。
“You haven’t changed at all”というと、”Really?”とすごく嬉しそうにしていた。

マイカは、これはもう、めちゃくちゃでかくなっていた。
自ら、”I’m giant, right?”と言っていた。

マイカは、俺が会ったのは彼が8歳の時だったけど、
当時は兄弟の中でも一番小さくて、サンディが良く心配していた。
とてもシャイな子で、「あの子は大きくなるかしら。みんなと仲良くやっていけるかしら」と。
すごく小さかったマイカ。

そんなマイカが、今ではもう、ものすごく大きくなってしまった。

今は、プロとして、ビデオの編集をしたり、
カメラマンとして、自然を写して編集したりしているそうな。
実際の作品を見せてもらったけど、ものすごかった。
しかも、日本の太鼓を演奏する日本人3人のミュージックビデオもやったりしているんだって。
日本では結構有名とか言ってたから、後で調べてみよう。

*****

簡単にみんなと話をして、
サンディが作ってくれた串焼き(チキン、野菜)と、茹でトウモロコシ、
サラダを食べた。
デザートは、「少しでいいよ」と言ったけど、ハナがめちゃくちゃよそってくれたアイスクリームとクッキー。

お腹いっぱいになったところで、もう行く時間。
最後に、マイカと少し話をして、
彼のプロの仕事用カメラで、写真を撮ってもらった。

マイカにさよならを言って、ハナとサンディに空港まで送ってもらった。

*****

ちなみに、家を出る間際、
ハナが、「これ、シュンにもらったものよ」と。
見ると、まりのキーホルダー。
それを見てなんとなく思い出したけど、
いつか、確か俺のお母さんか、おやじか、おばあちゃんが用意してくれたキーホルダーだった気がする。
それを、まだ大事に、綺麗に取って持っておいてくれた。
嬉しかった。

ザックも、「まだ、シュンにもらったCSLUBのキャップと、トレーナー、
それと、ドラゴンボールZのフィギュアも持ってるよ」と。
ドラゴンボールのフィギュアなんて、俺がたまたま日本で買ったのを持ってきてて、
200円くらいのしかもラディッツのやつだったと思うから、
「え!あれまだ持ってるの!?」とびっくりした。

メーガンも、妻がメーガンにと譲ってくれた着物をまだ大事に持ってくれているらしく、
そういうのを聞くと、本当に嬉しい。

子供たちは、彼らがまだ幼稚園や小学生のころから俺は知っているけど、
今では、みんな二十歳以上かそれくらいになってしまって、
みんな、見違える程大きく、大人になってしまった。

俺からすると、6年もの間、彼らから離れていて、
彼らは小さかった子供から、一気に大人になってしまって、
見た目が変わってしまった彼らに会うことは、正直少し怖くもあった。

俺は、彼らからもう忘れられていないかと。
もう、彼らの記憶からなくなってしまっていないかど。

でも、今回みんなに会ってみて、
みんな俺のことを覚えていてくれて、
「もう俺のことを覚えてないかと思ってたよ」というと、
“No way! You were the big part of our lives and we remember you so much!”と。
そうみんなが言ってくれたのが嬉しかった。

*****

サンディは、俺があった頃は、まだCOSにパートタイムで通いながらTutorの仕事をして(彼女とはそこで初めて知り合った)、
少しすると、Chico stateに通いだしたりして、
マスターを取って、カウンセラーになりたいと言ってたんだけど、
遂に彼女はその夢を叶え、
今では、自分のクリニックを開けるほんの手前にいる。

12年間で、ずっと頑張ってきたサンディを見て、
俺も嬉しかった。

*****

二人が空港まで送りに来てくれて、
本当に最後のLast minuteまで話をして、
その後、二人にさよならを言い、レディングを去った。
別れ際、彼らがどれだけ俺にとって重要だったか、
12年たった今でも、どれだけ俺の人生にとって重要だったかを伝えた。
ハナには、「いつもM(妻)と話をしているんだけど、
ハナの写真をフェイスブックで見るたびに、大きくなったね、すごく綺麗になったねと話をしているんだよ」とサンディに伝えると、
横で聞いていたハナは、真っ赤になっていた。

*****

レディング空港を去る時、思った。

なんて、幸せな瞬間だったんだろうと。

金曜日にここに帰ってきて、金、土、日と、
3家族と過ごして。

ジーンとロイに迎えに来てもらって。

笑顔で手を振って、涙を目に溜めているジーンを見て。

今でも元気なジーンとランディ、ロイに会って。

大きくなったザックと、リエンに会えて。

成長したハナと、マイカ、
元気なサンディに会えて。

みんなに、Welcomeをしてもらって。


俺は、2002年の夏から、2003年の夏まで、
経った一年しか、この土地で過ごさなかったけど、
そして、それから12年が経ったけど。

そして、彼らに、俺がUSにいた2003年から2008年までは、
ちょくちょく会いに行っていたけど、
それ以降は、2008年から2014年の今回までは、
一度も会いにいけなくて。

俺は、その自分にとって特別だった日々が、
もう、前々違う環境の日本で過ごすことで、
あれは、遠い記憶であり、もう、戻れないんじゃないかと、

余りにも毎日、仕事に忙殺されていて、自分は、どんどん嫌なやつになっていって、
笑うことを殆どしなくなって、気難しい、いつも怒っている嫌なやつになって、

余りにも、彼らとの生活が違いすぎて、

そんな意味で、彼らとの距離はもうこのまま縮まらないんじゃないかと勝手に思っていたけど、
今回会ってみて、一気にそれが縮まって、
みんな、ウェルカムしてくれて、
本当に、嬉しかった。

感謝。その言葉しかなかった。

*****


このあと、レディングからSFOに飛び、
10時過ぎに着いたあとは、
エアポートシャトル、電車、地下鉄を乗り継いで、
サンノゼのDe Anza College時代に良く遊んだ、Davidの住むサンフランシスコの家を訪ねた。

続きはまた後で・・・。

2014/8/4 16:06


2014/8/4(Mon) 14:10-

この4日間くらいは、本当に濃かった。
本当に、来てよかった。

*****

簡単に下記に日程を記す。
水曜日の夕方にLAXに着いて、
その夜はLiの家族と食事をして、
木曜日の昼にLiのオフィスを訪ねて、その夜もLiの家族と食事をした。
夜の11時前にモーテルに戻り、11時過ぎにNorth Hollywoodでアクティングクラスを終えたさやかさんと、彼女を迎えに行ったスティーブの二人が車で迎えに来てくれて、
Long beach downtownのバーと、深夜のデニーズへ行った。

朝の3時過ぎにモーテルに戻り、4時から1時間だけ寝て、
5時から支度をして、6時にLiのお父さんに迎えに来てもらった。
(Liのお父さんは空港からのピックアップをしている会社で働いている。今回Liの家に行って、そういえばLiのお父さんに頼めばいいじゃないかということで、この日は来ていただいた。)

モーテルを出てからちょっと無理を言って、以前妻と一緒に半年ほど住んでいたOcean blvd沿いの海が見えるPCHを走ってもらった。
感激。
PCHから710に乗り、そこから405に乗り換えて、
LAXへ着いた。

*****

空港で時間を潰して、LAXからSFOへ飛び、
また2時間ほど待って、
SFOからReddingへ向かった。

昨日は1時間しか寝ていなかったので、
LAX→SFOも、SFO→Redidngも、爆睡。

Redding空港へ1時半につくと、
その小さな空港で、
少人数乗りの小さなプロペラ機を降りるなり、
フェンスの外で手を振っているジーンとロイが見えた。

ジーンは、俺に会うなり、ハグをしてくれて、
ちょっと涙で目が潤んでいた。
ロイも、かなり禿げ上がったけど(笑)、
元気そうだった。

その後、荷物を車に入れて、
途中で水を買って、McArthurの家に向かった。

2002年の夏も同じように降り立ったReddingは、
当時も日差しが本当に強かったけど、
今回も同じように強かった。

******

金曜の夜と土曜の夜、二日間をゆっくりジーンとランディの家で過ごした。

この二日間は、本当にゆっくりできた。
今までにないくらい。

*****

Reddingからは、1時間半ほどジーンが車を運転してくれて、
途中では、山火事が3つほど起きていた。
ここ最近は、山火事ばかりらしい。

いつもの山道を超えて行き、
途中で煙がもくもくと上がる山を見下ろした。

Burneyを超えて、
やっとMcArthurに着く。

かつて彼らが5年ほど住んでいた家をがある通りをとおり過ぎて、
新し家のある方に行く。

大きなゲートの前に着くと、
ポーチに座っているランディが見えた。
いつものちょっと気難しい顔をしている。
実際は、別にただそういう顔をしているだけなんだけど。

*****

初めて入る家は、すごく大きかった。

1階には、リビングと、ロイの部屋。
2階には、ジーンとランディの部屋。

天井は2階まで吹き抜けになっていて、
天井が本当に高い。
俺がかつて夜中にぶつかった鹿の剥製の顔3体と、
猪の剥製1体は、
それぞれ、かなり高い位置に取り付けられていたので、
「もう俺が夜中にぶつかる心配はないね」と言ったら笑っていた。

昼ごはん、というか、いつもどおりの早い夜ご飯は、
ものすごくパテが熱いハンバーガー。
肉は、外のBBGグリルで、スモークにして焼いたので、
ものすごく美味しかった。
でも、でかすぎて、流石に残した。

残したのは、全てリサ(2006年くらいから飼いだした犬。ラブラドール)が食べる。
流石に、朝食に出るパンケーキや、ベーコンまで、
シロップをめちゃくちゃかけたのを、リサに食べさせていて、
いいの?と聞いたけど、
「いいのよ」と。

その夜は、食べ終わったあと、
外のポーチに4人で座って、
やることは、道行く車を眺めるだけ。

本当に、何もしない。

テレビも見ない。

音楽も聞かない。

ただ、ポーチに座って、ぼーっと、道を見るだけ。

でも、それが、贅沢なんだなあ。

*****

その日は、流石に俺も疲れていたらしく、
ポーチに座るやいなや、6時から8時半くらいまで、
知らぬ間に寝込んでいた。

汗をかいて起きると、もうジーンだけしかいなくて、
「ランディもロイももう寝たわよ」と。
俺もシャワーを浴びて、10時前には寝た。

*****

翌朝、6時過ぎに自然と目が覚めた。

7時過ぎまでベッドで、色々ものを書いたり、メールチェックをしていた。

7時過ぎにリビングへ行くと、みんな揃って、TVを見ていた。

お茶を飲んで、少しすると、
朝食の始まり。
その朝は、大きなパンケーキと(シュンは何枚食べるんだ?と聞かれて、
1枚でいいよというと、
そんなに痩せてちゃダメだ。と、大きなのを2枚もよそってくれる。
それと、カリカリに焼いたベーコン。
うまかった。でも、絶対体に悪い。)

朝食を終えて、
そこからは、みんなそれぞれ好きに過ごす。

俺は、レポートを書いてなかったので、それだけ速攻終わらせた。

1時間半くらいかけて終わらせ、11時半くらいには終わった。
その後、ポーチにランディとロイと座って、
ウトウトと昼寝をした。

また、4時過ぎに夕食の支度をして、
今度は、1時過ぎからBBQで燻していたというビーフと、
馬鹿でかいナス。これは、庭で育てたやつらしい。
ナスは、ランディがスライスしたのを、
ジーンが衣につけて、揚げる。
小麦粉と、天ぷら粉を使った。
ミックスには、水じゃなくてビール。バドライト。

あとは、バナナを揚げたやつ。

5時頃には食べだして、みんなすぐにお腹いっぱい。

ロイとランディは、その日5杯目くらいのバドライトを飲む。

俺は、金曜も土曜も、1,2缶だけ飲んで、
あとは、ロイの持ってきた緑茶を5杯くらい飲んだ。
美味しかった。

夜は、また8時半過ぎまで、ポーチに座って、
ボーっと、何もしなかった。

ここ最近、出張中も、普段の平日も、
朝から晩まで、汗をかきながら、各国の担当を死にそうになりながらやっていたので、
そして、家では、妻にいつも愚痴を聞いてもらって、なんとかやっていたので、

普段の生活と余りにも違う、アメリカの、しかもど田舎の、
誰も知る人のいないところで、幸せな3人に囲まれて、
俺は、ほとんど何も喋らずに、ぼーっとしていて、
本当に、ゆっくりできた。

*****

その日の夜は、ランディもロイも寝たあと、
ジーンと今で少し話をした。

色々と写真を見せてくれた。

ジーンには、
「この6年間で、俺の両親ももちろん年を取ったし、
俺も年をとって、
ランディは、2年前に肝臓に石が見つかったし、
みんな、大丈夫かなと心配していたけど、
みんな、全く変わってなくて、元気そうで本当に良かったよ。

ロイは、やっぱりどんな人間よりも親切でいい人だし、
こうして、ロイと、ジーンと、ランディに迎えてもらって、
本当に幸せです」と伝えた。

その夜は、11時前に寝た。

*****

日曜日の朝は6時過ぎに起きて、
ご飯を9時ごろ食べ、
11時過ぎに、ロイの車でランディとジーンにさよならを言った。

その後、ロイの運転する車で、Mt. Shastaへ向かった。

*****

ジーンたちの家を出る前、
朝から、ジーンが寂しそうにしているのがわかった。
ロイも支度をするし、
俺もロイと一緒に去るので、
息子が二人一気にいなくなるようなもんで、
彼らにとっては、すごく嫌なんだと思う。
特にジーンにとっては。

家を出る前、
庭をジーンに見せてもらって、
色々話を聞かせてもらって、
みんなで、写真を撮った。

ロイの車に荷物を積む前に、
ジーンがロイに、”Are you angry with me?”と。
なんかあったらしい。
ロイの態度がそっけなかったのか。

それに対してロイは、
“No. Annoyed. But not angry.”と。
それを聞いて面白かったので。
あとで車の中でロイにいうと、
ロイも笑っていた。
“At least I’m being honest.”と。
ロイの、ああいうユーモアのセンスが好きだな。
というか、この家は、いつも全て笑いに変えている。
俺はいつも真面目なので、よくからかわれるけど、
そんな、この家族が好き。

ジーンにキスをしたあと、
ロイは、車に荷物をつめ、
そして、俺も車に荷物を詰めた。

その後、少しして、出発の時間。
今度は、M(妻)も一緒に連れてくるのよ。と。

必ずすぐ帰ってくるのよ、と。

二人に手を振って、ロイと一緒に、彼の赤いカローラで出た。

*****

道の途中でガスを入れ、
その後、灰が雪のように振り続ける道を走った。
俺の服は、今朝下ろしたにも関わらず、もうすでに、炭臭かった。

途中、COSにいた頃にヘザーやロイたちと、雪すべりに来た、Snow Hillでロイが用を足すというころで止まった。
まさかここにまた来るとは思いもしなかった。
あの記憶を探ると、遥か昔で、本当にあったっけ?といつも思うから。

*****

道の途中、すでにジーンとランディが恋しかった。
ロイに言った。

「いつも、ロイの家を訪ねて、
そこにいる時間はもちろん楽しいんだけど、
それよりも、そこを出たあと、例えば、前々違うときに、
ロイの家でのことを思い出すと、それをもっとエンジョイできるんだよ。
あとで考えると、いかにそこでの時間が特別だったかに気づくんだ」と伝えた。

ロイは、”Huh”と言っていた。
余り伝わってないかもしれない。

COS時代を思い出しながら、Mt.Shastaへ向かった。

(続く)


August 03, 2014 06:30

2014/8/3 6:46am-


昨日の続き。
さやかさんとスティーブに、モーテルまで迎えに来てもらった。
部屋を出ると、すぐ下にスティーブの運転するキューブが停まっていて、手を振ってくれた。
俺と同じNISSANキューブ。スティーブたちの方がだいぶ新しい型だけど。

6年ぶりの再会を祝って、車に乗り込み、
さやかさんが聞いてくれた。
行く場所を色々と考えてくれていたという。
超ロングビーチ感バリバリのバーか、
二ヶ月ほど前にできた新しいちょっとクールなバーか、
または、24時間空いているダイナー。

バーが良いと伝えて、
新しくできたロングビーチダウンタウンにあるバーに連れて行ってもらった。

*****

車を停めて、中に入る。
写真付きIDは、既に期限がとうの昔に切れたカリフォルニアドライバーズライセンスしか無かったけど、セキュリティのお兄ちゃんも余り見てなくて、普通に入れた。

中はかなりかっこいい作りだった。
そこで、ウィスキーを二杯、スティーブとさやかさんに奢ってもらった。
かなり高級なものだったのに、すみませんでした。ありがとうございました。
次回おふたりが日本に来た時には、必ず全部僕もちということで。

*****

音楽がガンガンかかるそのバーで、お酒を飲みながら、
色々な話をした。

さやかさんが今ノースハリウッドで取っているアクティングのクラスのこと。
その先生は、さやかさんの持っている良さを引き出してくれるアドバイスをくれる人で、
かつ、自分で色々と考えてやらないといけなくて、
毎週3分間のショートフィルムを撮らなきゃいけなかったりと、
すごく大変なんだけど、
その中で、さやかさんに対して、
「あなたは僕が今まで会った中で一番面白い人たちの一人だよ」と言われて、
そんな先生に認めてもらったコメディという路線で、
今はそれを突き進む事を決めたこと。

ちなみにその先生は、ビヨンセのお母さんと長い間付き合っているらしくて、
ビヨンセのお母さんの個人ジェットで、東海外に飛んだり、
ビヨンセやオバマ大統領にも色々とアドバイスをしたりしているらしい。
すごいですね。そのときは余りにもロングビーチという雰囲気だけで、普段の日本と違うので話を聞いていたけど、
こうしてよく考えると、かなりすごいですね。

そして、そんな演劇のクラスを取るには、
やっぱりその前のオーディションというか、テストをパスする必要があって、
それ自体も、かなり大変だったそうです。
それをきちんとパスして、今はそのクラスを取っているさやかさんですが、
この日は、俺と会うために、わざわざ大事なクラスを1時間早めて終わらせてくれて、
10時に切り上げて、そのまま会いに来てくれました。
「6年ぶりに大事な友達と会うから、これは絶対に帰らなきゃいけないの」と先生たちに言ってく、切り上げてくれたそうです。
ありがたい限りです。

*****

今回さやかさんに会って、話を聞いていて思ったのは、
すごくパッショネイトだったということ。
俺は、学生時代の最初の頃は多分、自分が何かに向かってすごく情熱的になって、その夢を突き詰める、というのがあったと思うけど、
(恐らくそれは、自分にとっては、映画の道を目指す、ということだった)
その道を諦めてからは、そのあとは進路に迷った感じになり、
そのあとは、ずっと、自分が何をしたいのかが分からずに、とりあえず、いろいろな国を、回るのが好き、というのを基に、海外営業に付く、というのだけを目標にやってきたけど、
今は特に、「これをしたい!」という夢があるわけではない。

だけど、さやかさんは、今でも自分の夢を明確に描いていて、
それに対して毎日精一杯頑張っている、というのが伝わってきて、
その、情熱的であることに、すごく刺激を受けた。

もしかしたらそれは、日本にいると、人は30歳近くになると、
夢に向かってかけ続ける、という熱さを持つ人は少なくなり、
「人生、こんなもんさ」「この辺でうまく妥協をしよう」という状態になる人が増えてくると思う。
それはもしかしたら、俺は会社で働いていて、周りには会社員がいることが当たり前の環境だから、そうなるのかもしれない。
ただ、どっちにしても、さやかさんのその、情熱的な姿勢に、すごく刺激をされた。

*****

ちなみにスティーブは、いつの間にかものすごい潔癖症になっていたらしく、
この日も、何かパブリックなところを触るたびに、サニタライザーを手につけて、
その後、ハンドクリームを毎回つけるという始末。
いつから?と聞いたら、数年前だという。
今では、飛行機の乗ると、
トイレに入ったあと、まずは綺麗に掃除して、
使ったあとも、また綺麗に掃除して出てくるので、
次に入る人は、「Wow!!」とびっくりするという。
その話がすごく面白かった。

ちなみにスティーブは、飛行機が好きらしい。
なぜかと聞くと、ただ自分は座って、
Some ladyがdrinkやらfoodやらsome shitsを持ってきてくれて、
映画を見てればいいなんて、なんて最高なんだと。
だから、12時間フライトなんて、短過ぎるという。
できれば、40時間くらい欲しいというから、笑ってしまった。

*****

ちなみにスティーブは俺が知る限りかなりナイスな人の一人だと思うけど、
今回も会ってみて、やっぱりそれを実感した。
こういう、スイートな人というのは、
日本人ではなかなかいないと思う。
基本日本人がスティーブくらいスイートになると、それは多分ゲイの人だし、
あとは、やっぱり日本人は、日本人独特のおっさんくささなり、
あれだけスイートで、しかし、男性、という人間は、なかなかいないと思う。
そんなわけで、特別な人だと思います。

*****

そこのバーで、ビリヤードをやり(俺は人生二回目だったけど、結構この日はビギナーズラックか楽しく出来た)、
そのあとは、カラテカみたいな変なゲームをやったけど、それが超サックスで、
酔っ払ってたのもあり、爆笑しながらプレイした。
ああいうの、楽しいなあ。

そこは2時に閉まってしまったので、そのあとは街で一番綺麗なデニーズに連れて行ってもらった。
そこで、客が俺たち以外にはもうひと組ぐらいしかいないところで、
俺はフレンチトーストを食べた。
はっきり言って美味しいとは言えないけど、
でも、真夜中にこうして友達と言ってデニーズで食べるフレンチトーストは、
うまいんだな、これが。

*****

その後、二人にモーテルまで送ってもらった。
また今度は、M(妻)も一緒に会いましょう、と。
今度は、早めに知らせてくれれば、一緒にディズニーランドも行こうねと。

二人とは、妻が元々さやかさんと友達で、
その関係で、俺も一緒に遊ぶことになったけど、
すごく良くしてくれて、本当に嬉しかった。

ちなみに、さやかさんの英語はすごいですね。
そりゃあ、ネイティブの中で、バリバリ言語のバリアなんか関係なく、昔からやっているわけですから、
英語がうまいヘタのレベルではないわけですが、
でもやっぱり、今回もさやかさんがスティーブに話をしたり、
または、俺がさやかさんに話をしたのを、スティーブに説明してくれるのを聞いて、
言い回しとか、イントネーションとか、速さとか、
こりゃあすげえなあと思った。

さやかさんが日本に来たら、まず英語の先生は絶対OKですね。
こんなに喋れる日本人(しかもノンネイティブ)って、中々いないと思う。

あとは何よりも、やっぱり、さやかさんは、ネイティブのアメリカ人の世界に一人でガンガン入って、
そこで誰よりも情熱的に活動していることだよね。
俺は、決してそういうタイプではないし、やりたくてもそこまで入り込めないので
(俺は黙って、とりあえず分からなければニコニコしているタイプ)
そんなさやかさんを見ると、「この人は本物だぜ!」とやっぱり感心してしまう。

****

そんなお二人と会えて、本当に楽しかったです。

また近いうちに会えることを楽しみにしています。

2014/08/04 23:51 (サンパウロ行きの飛行機の中で。今は地図によるとグアテマラの上あたり)



PS.
ちなみに、さやかさんが言ってくれたんだけど、
いつも俺のブログに刺激を受けると。
さやかさんがアクティングのプロジェクトなどで、
今日はどうしても寝ていたい!という日でも、
俺のブログを見て、その仕事のスケジュールとかを見ると、
「私もやらなくちゃ!」と思ってくれるそうで。
これは嬉しいと同時に、俺としては、全然そんなことはないですよ、という感じだった。
むしろ、さやかさんとスティーブにも話したけど、
俺のやっている仕事はどちらかというと、上司や会社にあれをしなさいこれをしなさいと指示を受けて、
それを、決まった時間内で黙々とやるものなので、
とても日本人的というか、何かを自分で生み出す、というわけではない。
決して、クリエイティブではない。
そして俺は、水泳や陸上で鍛えたように、
黙々と黙って、一人で何かを今詰めてやるのに昔から慣れているだけで。

逆にさやかさんの話をきいて、
さやかさんの場合は、答えがない世界で、
先生に少しアドバイスをもらい、あとは自分の中から生み出すことをやっているので、
これは本当にすごいなと思った。
恐らく俺が一番苦手な分野。
なので、俺の方こそ、さやかさんの話を聞いてすごいなと感心していたので、
俺のブログが刺激になるという話を伺って、照れると同時に、いや、さやかさんの方がすごいっすよ、という感じだった。

*****

とにかく、今回は色々な刺激をいただきました。



August 02, 2014 22:30

2014/08/02 22:38-

今はロイの両親の家。
もう寝たいけど、今しか書けないこの気持ちをここに書いとこう。

*****

今週の水曜日の夕方に出て、
LAXへ飛んだ。
6年ぶりのカリフォルニア。
もう、LAXについて、少しリモデルされて変わったLAXの到着ゲートを出て、
外に出た瞬間から、
「これがカリフォルニアの空気だよ!」と興奮した。
6年ぶり。
俺が、留学時代を過ごした期間と全く同じだけ、ここに帰ってきてなかった。
色々と忙しいとかあったけど、やっぱり、今回ここにこうして来られることは、
本当に幸せだと思った。

****

タクシーに乗って、ホテルのクイーンメアリーに向かう。
ここは、近くに1年ほど住んでいたけど、
学生時代にここを借り切ってのパーティーみたいのがあって、
その時一度来ただけだった。
チェックインまで少し時間があったので、幽霊が出るという噂の部屋や場所を回るツアーに参加した。
かなり気持ち悪くて、ツアーに参加したことを後悔。
その後部屋に通されるが、かなりここも気味が悪くて、しかも床が濡れてたりしたので、
フロントに行って、部屋を交換してもらった。
翌日もここに泊まる予定だったけど、翌日はやめますと言って、結局ロングビーチのCSULBの近くのモーテルに翌日は泊まった。
部屋は、翌日をキャンセルしたために、その分当日の分を無料でアップグレードしてくれた。
窓付きの一番上のランクにしてもらった。

*****

夕方6時すぎに、Huntington Beachに住むリーに迎えに来てもらった。
彼とは2011年の頭に行われた、彼の台湾での結婚式以来。
実に、3年半振り以上経ってるけど、たまに電話で話をしていたせいか、余りそんな風に感じなかった。

彼の家に行き、彼の奥さんのジェニファー、
それから、彼のお母さんに会う。
ここには、俺は1年近く住んでいた。2005年の8月から、2006年の3月まで。
お母さんは余り変わってなくて、ジェニファーも相変わらず綺麗だった。
彼らには子供が産まれ、Ethanという名の男の子は、それは可愛かった!!
最初はシャイになっていて俺になつかなかったけど、
その後すぐになついてくれて、
色々とおもちゃを持ってきたり、ちょこちょこと歩いてきて、
すごく可愛かった。
俺もこの子を見て、子供を持つっていいなあ、と思った。

その日は、ジェニファーやお母さんが外で買ってきてくれた中華料理と、
作ってくれたスープなどを一緒に食べた。
9時近くに、リーのお父さんのMr.Loも帰ってきて、挨拶をした。
彼も、6年前と変わらないどころか、なんだか少し若く見えた。

夜は、10時過ぎまで話をして、その後ホテルに帰った。
(ホテルにつくと、部屋がものすごく寒くて、もう風邪をひきそうだった。冷房しか聞かなくて、窓も空かないので、結構きつかったな。雰囲気はあるけど、ちょっと不便なホテルではあります。)

*****

翌日は朝の10時過ぎに出て、(それまでは簡単に船の中を15分ほど散歩して、)
タクシーでリーの働くオフィスへ向かった。La Miradaに位置する。
今回LAに来た理由は、彼の働く会社に行くため。新規訪問の目的。

30分ほど簡単なミーティングと倉庫見学を行ったあとは、
またタクシーでロングビーチに戻り、
帰りにIn N Outに寄り、6年ぶりのIn N Outバーガーを食べた。
もちろん、Animal Style, Extra Everythingで。 (Tomato, Lettuce, Onionの量が2倍以上になる。で、値段は変わらず)
感激しました。日本に来ればいいのに。

*****

そのあとは、かなり疲れていたので、1時間半ほど昼寝した。

5時過ぎに起きて、歩いてCSULBまで行った。
15分くらい。
ラルフズとかの横の、メディカルセンターの道を歩いて。
ここは、妻と付き合い出した頃、
ファイナルを受ける時とかに、ここの道を一緒に歩いたのを思い出した。

6年ぶりのCSULBは、これまた感激だった。
図書館に行き、
かつて勉強を少しだけした部屋を見たり、
よく行ったトイレに行ったり、
外の、よく寝た芝生に行ったり、
色々と見て回った。

その後、そこまでまたリーに迎えに来てもらって、
そこからHuntington Beachのショッピングコンプレックスに行って、California Pizza Kitchenで、
テイクアウトを買った。
ピザができるまでの15分は、近くのアウドドアショップを見て回った。
こういう雰囲気の店も、意外と日本ってないから、懐かしかった。

その後は、またリーの家に行って、
ご飯を食べ、夜中の10時過ぎまで話し、みんなにさよならを言って、
一度モーテルに戻った。

その後、23時過ぎに、ロングビーチに住むさやかさんとスティーブに迎えに来てもらった。

*****

ちょっとここまで書いたけど、
とにかく、今の気持ち。

6年ぶりに、ロイとジーンとランディに会いに来られて良かった。

6年。長かった。
俺は、24歳から、30歳になってしまった。
次にいつ来られるかは、やっぱりわからないけれど、
なるべくたくさん、来たいと思う。

やっぱり、ここは俺の第二のホームで、
なんだか、この6年間、日本で、毎日仕事に、目の前のことに一生懸命になって、
なんとか生き抜いてきた日々を、
ここに来ると、なんというか、それは、6年ではあったけれど、
同時にほんの一瞬であり、
そして、それは、全て、ここから始まったということ。

そんなことを、感じた。
なんとも言葉にできないけれど。

*****

続きはまた明日書きます。

2014/8/2 23:02


July 30, 2014 18:00

2014/7/30 Wed 18:02-

今、飛行機の中。
さっき17:05の便が、少し遅れて出発した。
今はLAXに向かっている。

*****

LA行きは実に6年ぶりとなる。
前回LAにいたのは、留学を終えるとき。
2008年の4月30日に帰ってきた。

それから、6年が経った。

今回は、仕事の一環で行くわけだけど、
週末が挟まれるように予定を立てたので、6年ぶりに、
McArthurに住むロイの家族や、今はReddingに住むサンディやハナにも会いに行ける。
LAでは二泊するので、一日目はLiとその家族に会って、
二日目はさやかさんやスティーブに会う予定。
本当に楽しみ。

*****

今朝、朝食を取りながら思ってたけど、
丁度、俺が留学をする最初の年は、
2002年の夏で、7月28日辺りに日本を経ったはず。
そのときはSFO経由のRedding行きの便に乗ったんだけど、
今回は、LAX行きとは言えど、
それから12年後のほぼ同じ日付である、7月30日に、
こうして、LA行きの便で、今度はビジネスとして行くなんて、
18歳の時の俺は、自分が30歳でこうするなんて、
想像もつかなかったなあ、と、少し不思議に感じた。

*****

最近は日記を書いていなかった。
前回の出張は、6月半ばに出て、北米(東海岸)とカナダ、
プエルトリコを回った二週間の出張だった。
6月30日に帰ってきて、それから丁度一ヶ月。
前回の出張に行くときも飛行機の中でこうして日記を書いていたけど、
その時は、心の洗濯ができればなあ、なんて書いていた。
その出張を通して。

ところがどっこい。
何回かここにも書いたけど、5月末で急遽辞めていった先輩の仕事が、
どさっと自分に回ってきたもんで、
出張中は、朝は4時に起きて、
メールチェックを1時間して、
国内線の便に乗り、
そのあとは顧客を訪問、協議を1時間行い、
それからホテルへ向かい、
やっと夕方から夜にかけてホテルに付き、
食事を取る暇もほぼなく、溜まったメール対応を深夜までする・・・

土日も、NYにいるにも関わらず、
朝の5時半に起きて、6時から12時まで、6時間ずつ、
夜も2時間ずつメール対応をして、
それでも、色々と日本にいる上司や先輩から依頼がきて・・・
という日々で、もう本当に、発狂した。
夜中にシャワーを浴びながら、「うわあああーー!!」ってでかい声で叫んでいた。
そして、上司にメールを打った。
「自分が恵まれた環境に置かれているのは重々承知しておりますが、
この仕事量は、一般的なものでしょうか。
自分の力量が足りていないせいも多々あるかと思いますが、
正直言ってキャパオーバーです」と。

それでも、現在本社で研修を受けている後輩が10月に帰って来たら、
そのタイミングで人事を再度考える予定なので、
それまで待ってくれと、軽く流される。
つまり今は、元々3人で分けていた世界の海外顧客を、
今は課長と俺の二人で分けているということ。
つい1年半前までは、台湾だけで一人が担当し、
アメリカも一人、
インドはまた別に一人(その人は韓国と国内も持っていたが)でやっていたのに、
何故か今は、俺が一人でアメリカ、インド、そして台湾に加え、
南米の開拓まで任されている。

どんだけ期待してんですか、という話だが、
まあ、さすがの俺も、ずっと黙ってやってきたけど、
流石にこの5月くらいから余りにも仕事が多くて、
5月、6月、7月の3ヶ月は、
本当に、ギリギリのところでやって来たと思う。
(その度に、家に帰ってから妻に話をして、
妻は色々と話を聞いてくれ、アドバイスをくれ、励まされた。
本当に、彼女なくしては、俺は正気を保ちながら仕事ができなかったと思う。
感謝しております。)

そして、今日からまた出張なわけで、
今日に合わせて、昨日まで、かなり今詰めて仕事をしてきたけれども、
この数ヶ月で、俺も随分と、耐久性と仕事のスピード、
その他諸々が上がった気がする。

先日妻に聞かれたけれど、これでも、前の仕事(前職)とどっちが大変?と聞かれて、
迷わず、「前職」と答えた。

それほど、前の仕事は、そりゃあ喜びも大きかったけれど、
やっぱり、日々のストレスや、長時間労働の大変さは大きかった気がする。
今は正直、B to Bだし、
B to Cに比べたら、B to Bは本当に楽だと思う。
どう転んだって、自分の失敗が、
自分だけの責任になることはないからね。
でも、前の会社では、自分の失敗=上司の責任ではなくて、
全て自分の責任であり、
そのせいで、随分と詰められた事が多かった。

よって、その時と比べるとまだ今の方が楽であり、
かつ、今の仕事は、一日絶対一件を取ってくる、というものではなく、
あくまでも顧客とのレスポンスがメインで、
俺がする内容は、見積もりを聞かれたら答えたり、
品質関係の質問を受けたら、社内の責任部署に流したり、
数ヶ月に一回出張に行き、顧客と話してそれを本社へ流したり、
たまに日本に来る顧客の接待をしたりと、
はっきり言って、ものすごく頭を使う仕事でもないし、
適当にヘラヘラやっていても、なんとか回るような仕事である。

(そんなわけで、俺の先輩には、
あまり仕事をせず、日中から業界新聞をじーっくり時間をかけて読んだり、
やたらと休憩に立って、15分ほど帰ってこなかったり、
無意識に鼻くそや耳くそをほじったり、
午後になると「睡魔が襲ってきた」と言って伸びをしたり(ちなみに俺は一度も眠くなったことがない。眠くなってる暇なんてマジでないほどメールがガンガン来るから)、
そんな風にしてるのに、
もう5時前になると、「今日のルーム#は?」とお互いに確認しあって、
6時にはきっかり出て、麻雀をしに行くという始末。
これはちなみに国内営業の先輩たち。)

横目で見ながら、
どう考えても、仕事量に差があるのでは?と思えて仕方がなく、
そこにイラついたり、
それの前に、まずは引き継ぎを全くせずに去っていき、
そのしわ寄せが全て残された俺に来ている状態を見て、
その先輩に腹が立ったり、
なかなか仕事ができるようにならない後輩に頭にきたり、と。。。
つまり、この数ヶ月は、
誰か、周りの誰かにいつも腹を立てて仕事をしているような日々だった。
本当に。

******

でも、先週くらいに、
やっと、その状態から頭が抜け出た。

それまでは、妻には、
今の状態をどう考えるべきか、
どうするべきかを何回も言われてたけど、
でも、なかなかそれができなかったんだけど、
今は、やっとそれができるようになった。

それは、もう、そういうレベルでは物事を考えないということ。
明らかにどう見ても相手の方が仕事量が少なかったら、
その人にはそれしか仕事が回ってこないんだ、というのを知って、
可哀想に思う。
逆に、それだけ周りから期待されて仕事を回してもらっている自分の状態に感謝する。

妻も言ってたけど、一番悲惨なのは、
誰にも仕事を回してもらえず、
やることがない事だから。
そりゃあ、暇だったら、午後になったら誰だって眠くなりますよ。
本当はもう仕事がないけれど、
上司が残っているから、
とりあえず6時半まではいようと決めて、
やる事がないから、業界新聞を読んだり、
後輩にいちいち口出ししたりしますよ。

でも俺は幸いなことに、そんなことを考える暇もないほど、
マジで嬉しいほどに、日中は台湾、インドなどからメールと電話がじゃんじゃん来て、
夜中の間に、北米や南米からメールがガンガンくるもんで、
そして、常に横からは後輩が質問してくるし、
上司も二人ほど、いつも聞いてくるもんで、
最初は本当に、全く自分の仕事が進まずに、マジでどうしようもなかったけど、
今は、短時間で集中して仕事をスパッと終わらせられるようになった。

*****

そして、一番大事なのは、
先週末にアナザースカイに出ていた少女時代のメンバーの一人が言ってたけど、
大事なのは、
「謝ること。感謝すること。」

どちらも、「謝」という字が入っていることにその時気づいたが、
大事なのは、決して、おごり高ぶらず、
自分の今いる環境を当たり前と思わず、
自分を偉いと思わず、
他人と自分を比べて、他人を馬鹿にせず、
常に、謙遜する気持ちを持つこと。


上に、最近の俺の状況を書いていて思ったが、
そして、最近は自分のことを客観的に考えておもっていたが、
最近の俺は、なんて嫌なやつだったんだろう、と感じていた。

いくら忙しいからと言って、
常にピリピリして、
決して口には出さずとも、俺はすぐに顔に出るから、
いつも眉間にシワを寄せて、嫌な顔をして、
キーボードをガチガチ叩いていたと思う。

5月から、6月、7月と、
我ながら、嫌だなあ、と思いつつも、
どうしてもその状況から抜け出せなかった。

抜け出すには、ぽわーんとしている皆さんと同じくらい、
俺も、日中から仕事もせずにブラブラしていればよかったのかもしれないが、
そんなことすると、一気に仕事は溜まるわけで、
そこのバランスが本当に難しかった。

でも今は、上に書いたとおり、
そんな状態が続いていたので、
どうにかして、短い時間でスパッと全てを行う事ができるようになった。
(それは、全てのやり方を覚えた、ということになると思う)

******


とにかく、
この3ヶ月ほどは、本当に辛かったが、
やっと、一線を超えられた気がする。

そして、確実に自分は成長をしていると思う。

*****

今日もこうして、ビジネスクラスでANAに乗れることを、当たり前と思わず。

色々な美味しい食事を頂けて、
良いサービスを受けられる事を、当たり前と思わず。

海外営業をあれほどしたくて、
やっとこの仕事につけて、
今では、かつて夢にまで見た、世界中を回る、という夢を叶えているのに、
この状態を当たり前と思い、「出張ばかり」なんて、不満ばかり言わないように。


人は、自分の「今」を当たり前と思うと、
すぐに傲慢になり、
人への感謝の気持ちを忘れ、
自分が、少しでも他人より偉いと思うと、
すぐに、「嫌な奴」に成り下がる。

最近の俺は、忙しさを理由に、
すげえ、「嫌な奴」になっていたと思う。

だから、俺自身が、自分を好きになれなかったから、
ブログも書けなかったと思う。

ここに言葉を書く事は、
自分の心と向き合うことだから。

自分の心と向き合うのが嫌な時は、
自分の今の状態を、客観的に見るのが嫌なときだから。

*****

謝ること。
感謝すること。

この二つを、忘れないようにしていこうと思う。

2014/7/30 18:47



June 16, 2014 14:30

2014/6/16 14:15-

今は飛行機の中。
成田からシカゴへ行く便の中。
既に、出発して11時間が経った。
あと1時間程で着く。

日本時間は17日朝の4時15分。

*****

最近は、随分と余裕が無かったんだなあ、と、さっき、日本時間の21時頃に寝ながら思った。

最近は、日記にも、仕事のことばっかり書いていた。

確か、4月22日に、丁度30歳と半年になって、
その時に、仕事をもっとこうしていこう、みたいなことを日記に書いたと思うけど、
それから、もう2ヶ月近くたったのか、と。

毎日、朝起きて、会社に行って、
9時から19時くらいまで、ほとんど気を抜く暇もなく働き、
週に2回は、最近は遅くまで残り、
金曜日は大抵、21時過ぎまで残っていた。

なので、土曜の朝も疲れが抜けきらず、
結構、土曜日も寝ていたりと、そんな日が続いていた。

******

自分が目指す場所、
こうなりたいと思う姿。
そういったものを明確に、いつも心に強く描かず、
取り敢えず、毎日、仕事で降りかかってくる目の前の事務処理、
タスク、
そういったものに追われていると、
いつも時間との戦いになり、
言ってみれば、「自我」が抜けている状態となる。

そうしていると、気づいたら、
もう1年経っていた、
3年経っていた、
5年経っていた、
10年経っていた・・・という状態になる。

*****

俺は、ここ1ヶ月は、(特に5月末からは)、
海外営業部の先輩が抜けたのもあり、
仕事量が2倍になり、
もう本当に、気が狂うかと思った。

横には、なかなか成長しない後輩もいて、
彼への指導、そして、先輩の開けた穴を埋めることに、目の前の緊急時間を取られ、
自分がすべき仕事、それらを、腰を据えてじっくりとやる時間もなく、
己の状況を、落ち着いて見つめる余裕もなく・・・・

しかし、これで2週間、これから北米出張が入るので、
ある程度は、日常から抜け出して、自分のペースを気づき、
かつ、自分を一歩引いて、見ることもできると思う。

*****

仕事の事は置いておいて。

最近は、妻と色々なレストランに行ったりした。

近くのフレンチレストランに行ったり(2軒ほど)、
美味しい海鮮丼を食べに行ったり、
家には、妻と俺の共通の親友も泊まりに来たり、
色々と、楽しんだ。

週末は、5月末には車も運転できるようになったのもあり、
車で、近くのショッピングモールに行くのが、恒例のイベントみたいにもなった。

妻は、こういう、車に乗って、
買い物に行く、みたいなことを、将来、好きな人と結婚して、
するのが、夢だったという。

そんなことを言って、改めてその状況に感動して、
たまに少し泣いたりしている。

そんな風に、純粋で、心が綺麗で、素敵な女性を奥さんにもらって、
自分は、恵まれているなあと思う。

*****

何が書きたいかというと、
そんな風に、自分は、素敵な妻に恵まれていたり、
自分のしたかった海外営業の仕事にもつけて、今こうして出張に来ていたり、
色々と、感謝すべき、そんな事は多いはずなのに、

目の前の仕事に追われて、本当に余裕がなくなると、
毎日、周りの嫌なところばかりが目について、
(同じ職場の人間の嫌なところ、
自分の置かれている状況の悪さ、など)

「感謝」という概念を忘れて、
足りないところ、ダメなところばかりに心が向かい、
結果、いつもイライラして、恐い顔になり、
「幸せ」と思えるような、そんな、一歩引いた、素直な心を、
忘れていた、ということ。

*****

この出張は、2週間と短めだが、
自分を見つめるには、いい機会だと思う。

心の洗い出しをしたい。


2014/06/17 14:35





June 14, 2014 01:56

2014/6/14 0:34-

今、帰り道です。

この一ヶ月くらいは、本当に頑張った。

来週から北米出張が始まる。

とにかく、よく頑張ったと思う。

2014/6/14. 0:36


追記:

出来の悪い後輩が横にいて、
5分に一回は、必ず話しかけて来る。
彼に仕事を任せても、一人で完遂させる事が出来ない。
顧客へのメールも、社内へのメールも、彼が書いたものを、俺が全て確認して、手直しをしてやらないと、必ず間違いがある。間違いの内容は、タイポなり、言葉遣いの間違いなり、英語の間違いなり、など。
(ちなみに彼は俺の1個下で、今29歳。新卒ならまだしも、中途採用でこれだから、残念である)


本当に、朝出社してから、夜、全員が七時以降に帰るまで、
驚くほど、自分の仕事が全く進まない。
俺は今、アメリカ、カナダ、プエルトリコ等の北米、
ブラジルなどの南米に加え、
他に、インド、ヨルダンなどを担当していたが、
(この中では、インドの顧客の対応が一番要求が多くて大変。時差も余りないので電話も結構来る。北米は、基本アメリカ人、カナダ人はビジネスライクで要点しか言って来ないので、また、時差もあって電話も来ないので、とてもラク。)

それに加えて、
台湾、シンガポール、オーストラリアなどのアジア圏や、
ロシア、シリア、イスラエルなどの中東などの地域も担当になった。
(これは、一ヵ月程前にこれらを担当していた先輩が急に辞めたから。)

もう、自分の元々の担当のインド、北米系に手をつけようとしつつも、
アジア圏(彼らは時差が無いので、引っ切り無しに電話とメールが飛んでくる)の対応と、
それから、新規でかかってくる電話の対応(一日に平均3件くらい、一件の対応に15分は取られる)、
そして、そういえば、国内も担当してたな、
(国内のお客さんもやっぱり要求が多い。日本人ですから)
それらの対応で、
驚くほどに、北米とインド、つまり、俺の元々の担当が進まない状態。

来週から北米出張で、資料を用意したり、ホテル予約や、車の予約、飛行機の予約、等々色々あるのに、
プラス、本社に監査に来るお客さんのホテルや迎えの予約、食事の予約、電車スケジュールの連絡、
(有り難い事に今の時期に限って、自分の担当顧客の3件の監査がここ1ヵ月で3件も入った。内2件は本社出張をして、通訳や同行を行った。来週はインドから2日間の監査が来るが、俺は出張なので当日はアテンドせず。)

そして、社内では今、上層部が暇なのか、異様なほどに4S活動なるものに力を入れており、
オフィスのレイアウト変更、共有フォルダの整理など、
そんなところまで、なぜか俺が担当でやっている。

もうマジで、この状況に、笑えてくる。
スーパーマンかよ、と。



しかし、来週からは、北米出張で、横にいる後輩の質問攻撃や、
上司からのひっきりなしの質問攻撃も減るので、
大分自分のペースが出来ると思う。ありがたい。

*****

それにしても、ここ一ヵ月くらいは、
本当に仕事量が一気に増えて、マジで、気が狂うかと思った。

毎日、朝9時から仕事を開始して、
昼の30分を抜かして(本当はランチ1時間だけど、勿体無いので自分は12時半まで仕事を大抵やっていた)、
夜の7時くらいまで、
マジで、本当に息を抜く暇もなく、集中して仕事をやりまくっていたんだけれど、
それでも、終わらない。

逆に、こんなにこん詰めてやってもしょうがないなと、
気を抜いてやろうかと思えば、
やはり、そんなことしたら仕事は余計溜まるし、
かつ、電話なり後輩の質問が飛んでくるので、
結局気づくと、気を張っている自分がいる。

(後輩といっても、俺もまだ営業2年目なんだけどな。)

******

でも、最初のうちは、この状況を嘆いたり、
嘆くというか、周りに腹を立てていたけれど、
(出来の悪い後輩、引き継ぎも無く急に辞めた責任感のない先輩、等)、

結局は、この状況は、裏を返せば、
ものすごく自分にとって有利な状況だということ。

俺は入社して一年本社で研修をやって、まだ営業部は2年目だけど、
もう、いきなりものすごい範疇を任されて、後輩の指導も同時にやって、
何だか、しかもそれをなんだかんだ言ってこなしている自分がいる。

結局は、上司に信頼されている証拠であり、
俺が頑張りすぎて、ぷっつんして気が狂ったらそれはマズいけど、
そうならない程度に、自分でコントロールして、
うまくやっていけば、
色々任される分、自分の仕事の力も付く訳で。



上司に信頼されなかったり、
仕事を全然任されなかったり、
自分の範疇で色々と決めさえてもらえなかったり、

そんな状態にいるよりは、ずっと良い。

はっきり言って、全部自分の思い通りに、やろうと思えば出来る環境だし。

上司も、みんな物わかりはいいから、
きちんと主張すれば、聴いてくれるし。

嫌な人は、基本いないし。



なので、周りにどうのこうの思うよりも、
自分の環境を客観的に見て、
今の状況に「感謝」し、
ありがたい、と思って、今の仕事を楽しむ事。

それが、俺を、成長させる。


*****

いいじゃないか、成長しているんだから。
自分が付けたい力をダイレクトに付けられる環境を与えてもらっているんだから。

こんなにラッキーなことは無いじゃないか。


そういう「事実」に気づかずに、
「”自分だけ”なんでこんなに忙しいんだ」
「何でヤツはこんな事もできないんだ」
「全く、何で俺だけこんなに仕事が多いんだ」

そんな事を考えだしたら、
その瞬間に、俺の人間的魅力は無くなり、
周りの人間も、「あいつは傲慢になった。自分の力だけで仕事をしていると思っている」と感じだし、
それこそ、嫌なヤツになり、
誰もが煙たがり、誰も寄って来なくなる。



そんな人間は、ちっとも魅力的じゃないし、
本当、ゾッとするね。


そんな人間に、なりかけているところでしたよ、最近は。

ゴーマニズム宣言でしたよ。


*****


そして、いつもうちに帰ってきたら、
何でも話を聞いてくれ、励ましてくれ、
心からサポートしてくれる、

そんな素敵な、尊敬出来る、素晴らしい妻がいるおかげで、
この俺は、毎日を頑張れている。

本当にありがとう。


新婚なのに、こんなに毎日残業で、
昨日も今日も、まともに話も出来ていない。

来週からは出張で、2週間も会えなくなる。

本当に、可哀想だなと思う。

なので、もっと、バランスとって、スマートに、
こんなものにヒイヒイ言ってないで、
サラッと、ゆるりと、ひらりと、こなしてやんなきゃね。

それでこそ、カッコいい男だね。


2014/6/14 1:55am




June 01, 2014 23:12

2014/6/1 22:44-

さて、先週は日記に結構愚痴を書いていましたが、
そして、水曜の夜くらいの疲れがピークで、本当に精神的にも体力的にも限界に来ていましたが、
木、金の2日間は、本社へ出張に行って、
東京から本社のある方まで、
お客さんの同行をして、
その方と結構長い間話をして、学ぶ事が多かった日々でした。

*****

木の朝は、10時頃に東京駅の横のメトロポリタン丸の内ホテルに滞在するお客さんを迎えに。
彼は今回の出張のメインリーズン、
うちの本社工場の監査に、アメリカから来た。
普段は俺が彼の働くペンシルヴァニアの方に行っているが、
今回は彼がQAの担当者として監査に来た。

東京駅から本社のある場所まで、
片道5時間半、ほぼ一緒に過ごした。

彼はアメリカ在住のインド人。年齢は今年43歳。
29歳の時にアメリカに移住して、今に至る。

とても賢い人だった。色々な話が出来た。

感覚の話から、歴史の話、
文化の話、仕事の話、
物事の捉え方、考え方の話、
面白いジョークまで。

久々に会った、「こんな人になりたいな」と思える人だった。

*****

彼とは、木曜日の夜は、一緒に和食の食事をした。
完全なベジタリアンなので、予めレストランに伝え、
そばやナベ用の出汁も、すべて、鰹ではなく、野菜からのものに変えてらった。

そこで、野菜天ぷら、野菜ナベ、そばを食べながら、
色々な話をした。

彼は、世の中の物事に対して、
「なぜそうなるか」その背景、理由を、
自分の頭で考え、理論として説明できる人だった。

彼と話をしながら、
彼に伝えた。

「あなたは、普段余り会う事のできない人間の一人で、
実際に目に見えることだけではなく、
感覚の世界の事や、
色々な物事を、Down to earthで、物事の本質まで深く追求して考える方で、
そんな人とこうして会って、話が出来る事はとても嬉しい。
中々無いことです」と。

すると、彼も同じ様にこう返してくれた。

「僕も、普段はこんな話を、誰にでもするわけではない。
ただ、こういうと変に聞こえるかもしれないが、
人間というのは、会った瞬間、会話を少しするだけで、
その人のことがある程度分かってしまうもので、
僕はあなたに、Vibeを感じたんだ。この人なら、色々な話ができそうだ、と。
僕が今までの人生であって来た中で、
こうして、色々な物事を、その真髄の深いところまで突き詰めて考え、
そこの部分を話し合える人間は、そうはいない。
言って見れば、95%の人間は、そういう話ができない。
あなたは、その残りの5%の人間だと、今朝感じたんだよ」と。

そんな会話をしました。
俺はとても嬉しかった。
こういう、本当に深いところまで話ができる人と会える事ができて。

*****

結局金曜日は、18時半の電車で本社を出て、
東京駅に23時過ぎに着くまで、新幹線の中で、
彼と隣同士で色々な話をした。
Steve Jobsの話から、
仕事の話(最近は、アメリカでもやはり仕事は9-5、という概念は無くなってきて、
専門職の人間ほど、
固定給で、残業代は無しで、
しかし、1.5〜2人分の仕事をこなす事を会社に求められる状況が増えている、と。
彼も、最近彼の同僚が急に辞め、
上司と2人で、
一人抜けた分を補って仕事をしているという。
俺と状況がそっくりで、「奇遇だね」と話をしていた。
彼は、今までは朝の9時から夜の8時まで働くパターンをしていたが、
家に着く頃には、子供は2人とも寝て、
一週間のうちで、実際に子供と一緒に過ごす時間が殆どないことに気づき、
これは良く無いと思い、
今は、朝の6時過ぎにはオフィスに着く様にして、
6時から8時の2時間は、誰にも邪魔されない静かなオフィスで、
ある程度の集中と時間を要する、溜まっているプロジェクトに集中するようにしたそうな。
すると、大分仕事が進む様になったらしい。
午後はやはり、色々な人からの電話やメールが飛び交うし、
みんな仕事を午後に溜めるので、午後は絶対に忙しくなり、
結果、そういう大きな仕事(しかし、纏まった時間と集中を要するので、途中で中断されると全く進まない仕事)を午後にやろうとスケジュールを立てると、
全くと言っていい程、その仕事は進まない。

そしてもう一つ、彼いわく、
「そのスケジューリングをやってみて気づいたんだけど、
朝の6時から働こうが、
9時から働こうが、
どっちにしても、
午後はランチを取った1時過ぎからは、必ず眠くなるし、
疲れが出てきて、仕事ははかどらないものなんだ」と。
だから結局、朝の6時に来た方が、
午前中で6時間集中出来るから、
絶対にそっちの方が良い、と。

そして今彼は、夕方は4時過ぎにはオフィスを出るらしい。

結果、朝の6時から4時まで、10時間。
今までも、9時から7時まで10時間オフィスにいたけど、
今の方が、疲れも違うし、子供にも会えるし、
すべてベターになったという。

*****

そんな、仕事の時間をどうするか、そんな具体的な話もした。

彼とはそんなわけで、色々な話を、本当に色々な視点から話せて、学ぶ事も大きかったし、楽しかった。

*****

昨日(土曜)は、妻は仕事だったので、
昼間はジムに泳ぎに行き、
3時過ぎから昼寝して、3時間、本当にぐっすり寝た。
金曜の夜は0時半過ぎに家に着き、寝たのは2時前だったので、
そして、2日間の出張中は、お客さんのアテンドと、
車の運転、会議中、監査中の通訳など、
随分と気を遣ったので、
疲れはかなりピークに達していた。
でも、土曜日の運動と、集中した昼寝で、
随分疲れが取れた。

土曜の夜は、妻の親友(俺も友達でもある)の子がうちに泊まりにきて、
近くのしゃぶしゃぶ屋でご飯をゆっくり食べ、
今朝は9時頃起きて、10時過ぎに出て、
近くのベイタウンを見たり、海鮮丼を食べたり、
近くのイオンに行ったりして、
彼女を2時に駅で送った後は、
ちょっと買い物して、帰ってきて、
3時過ぎから、また3時間くらい昼寝した。

そんなわけで、随分と、昼寝、遊びと、
仕事と全く関係ない2日間を過ごして、
体力的にも、精神的にも、
本当に久しぶりに、リラックスできたなあ、と思う。

*****

明日からは、夜は18時半には絶対にオフィスを出ようと思う。
無理して20時、21時までオフィスに残ろうが、
自分が心と体を壊しては、意味が全くない。
楽しい、面白いと思っていた仕事を、
「嫌なもの」と捉え始めたら、それは危険信号。
はっきり言って、仕事のしすぎ。

そして、新婚にも関わらず、
妻と時間を殆ど一緒に過ごせないというのは、
全く持って、家庭環境にも影響を及ぼす。

*****

仕事は、究極的には、最大のヒマつぶしである。
自らが選んだ仕事は、自らがコントロールし、
自分の人生は、自らが責任をもって、コントロールしなければならない。
その逆になって、体と心と家庭がぶっ壊れては、
本当に、何の意味も無い。


2014/6/1 23:12




May 28, 2014 22:00

2014/5/28 21:03-

いま帰り道です。
今週は毎日、これくらいまで残業してます。
マジで、海外営業部3人の内1人が抜けるというのは、キツイです。
というか、その先輩がまったく引継ぎをせずにそのまま去って行ったので、しわ寄せがでかすぎます。

昨日、過労死防止策の可決が国会でされましたが、そのニュースを見て、ああ、俺も結構ヤバイなと思いました。

先日、ゴールデンウイークのときに、うちに、俺と妻の共通の友達のアメリカ人(マット)が泊まりに来たんだけど、
そのとき、夜遅くに、彼と2人で、仕事に関して話しをしました。
そのとき彼が、
「日本は、仕事ができる人間ほど、たくさん仕事が回って来て、結果、そういう人間ほど仕事量が増え、勤務時間も増え、1人で抱え込み、精神を病む人が増える。この傾向はおかしい」と言っていました。

果たして俺は、世界で見たら、決して仕事がものすごくできるわけではないだろうし、中の上くらいだと思います。中の中かも。
しかし、より上を目指せるように努力はしてます。

そんな自分ですが、今の会社では、やはり、できる方に入っているのです。そして、どんどん仕事が回って来ます。

仕事を任せられるのはありがたいことです。自分の存在価値が認められ、周りに認められているわけだから。

しかし、それを1人で抱え込み、完全容量オーバーになり、帰り道もフラフラして、夜家に着くのが10時過ぎで、それからご飯を食べ、、
という生活が続いたら、多分ぶっ倒れますな。

朝9時に出社してから、昼の一時間の休み以外は、ほぼ気を抜くことなく、常にスピードを意識してやっているはずが、
仕事量が多すぎて、
プラス、後輩ができなすぎて、
彼の指導に時間を取られるは、彼の作った書類の確認、指摘に時間を取られるは、
そんなこんなで、精神的ストレスが溜まるのと、仕事が溜まることのストレスで、
今日を限界に、かなり体力的にも気分的にも来てます。


普段こんなところに、こんな愚痴や弱みを書くのは好きませんが、
もう、結構限界なので、書いてます。

しかし、同じオフィスに、常に文句を言ってる先輩がいるんだが、
彼は、基本、「感謝」、そういった概念が無い気がする。
彼は表面では悪口を言っているが、実はいい奴かもしれない。

しかし、それでも、常に周りの人間、物事、会社の仕組み、上司の態度、
そう言ったものに、何かしらケチをつけて、上司がいないところで、後輩の前では、常に文句を言っている人間というのは、
今後決して伸びないと思う。

俺は、以前は、彼のそんな態度にいちいちイライラして、彼の常にブツブツ文句を言っているところや、物にバンバンと当たって、1人だけ騒がしいところや、仕事がそんなに無いのに、忙しく見せて、そういうアピールが多いところや、

そういうことに、イライラしていたが、
今は、自分の反面教師として、感情を切り離して、彼を見るようにしている。

(実際彼は、残念ながら社内での評価も低いし、上司に嫌われている。残念なことだ。)

*****

とにかく、今の俺は、相当溜まっているらしい。

そういう先輩の態度と、
出来の悪い後輩の指導と、
半端ない仕事量に。

しかし、俺はこれを、素晴らしい環境と思う。
そんな出来ない先輩を、反面教師に。彼のようにはならずに。

出来の悪い後輩を鍛えれば、彼より少しでも出来のいい、つまり普通の人間の指導は、とても簡単になる。

この半端ないと思われる仕事量(多分、世の中の本当に忙しい人から見れば、お前の仕事量なんて屁だよと言われると思う。実際俺も、今の俺には一杯一杯だが、社会で見たら、多分対したこと無いんだと思う。俺が勝手に、これ半端なさすぎと思い込んでいるところも多いと思う)は、
この仕事量をささっとこなせる様になれば、俺のレベルは、もっと上がるだろう。

仕事が少なすぎて、やることがなさすぎて、時間を持て余しているよりも、ずっと良い。そして、少なくとも、俺が今やっている仕事の全ては、俺が興味が持てること、好きなこと。これが大事。

*****

ということで、これで随分スッキリしました。
あとは、多分、昼に飯食ってから、8時間以上、何も食べずに仕事をしているから、ただ腹が減って、フラフラしてんだろうな。

以上。もっと成長しなさい、俺よ。

2014/5/28. 21:30


PS.
多分俺は、周りの人間にストレスを大きく受けているんだろう。
その先輩と、その後輩。

先輩の方は、同じ課ではないので、余り絡みはないが、
とにかく、いつも眉間にシワを寄せて、ブツブツ文句を言い、
モノにバンバンと当たって、周りの空気を苛立たせる。

こうして書いてみると、俺と似たところが、強調されたような人間だな。ということは、俺も、彼の様な所があり、だからこそ、俺は嫌悪感を抱くのだと思う。


同時に、その後輩。
彼は、理解力が残念ながら弱く、頭は悪くはないと思うが、ミスが余りにも多すぎて、
また、応用が効かないので、
仕事を安心して任せられない。
「取り敢えずこれやってみて」が言えない。

これもやっぱり、俺の中に、
相手にも、自分と同じ以上のレベルを求める、という癖があるからだと思う。イライラするのは。

良い修行の場と思えば良い。
常に、世界を大きく見れば良い。
今自分に与えられているのは、俺にぴったりの環境であるはずなのだから。

その先輩は、何かの話しを始めても、驚くことに、全て、最後は誰かの文句に行きつく。
その場にいない人間の文句に。

彼を今日、横で見ていて、
今まではやだなあと思っていたが、今日は、逆に感心してしまった。その思考回路に。
そうやって、全て文句、ない物への不満に変えられるのは、有る意味才能だなと。

多分、俺も、彼と同じ様に、こうして、文句を言っている時点で、
周りの人間のせいにしてるんだろうね。

だから、こんなに文句を書いて、自分だけが何でこんなに…、と、心の奥底で思っているんだろうね。
決して、それを認めようとせず、
かつ、そういう先輩と自分は、まったく違う人間だと、思う様にしていても。


きっと、この日記を読んだ人間は、
「お前も、その先輩と一緒じゃねえかよ」と思ってるだろうし、
少し後で、今よりも成長した俺が、この日記を読んで、
「ああ、まだまだだったな」と思ってるんだろうな、と思います。

はい、溜まっていた愚痴でした。

2014/5/28 21:42




May 26, 2014 21:30

2014/5/26  20:40-

昨日は夜、妻と一緒に近くのモスバーガーで夕食を取った。

ちなみに先週末は盛り沢山だった。
土曜日は、近所のフレンチレストランでランチ。結婚二周年のお祝い。
先日俺は父親から車を譲ってもらったので、それでレストランへ行った。今までは、何処かに行くときは、最初は歩きとバス、次は、妻の自転車を買ってからは、2人で自転車で移動。真夏も、真冬も。

でも一昨日は、初めての車でのお出かけ。チャリでも近い距離だと思ってたけど、やっぱり車はものすごくラクだった。何しろ、目的地に着いたときに、疲れていない。これは凄い。

結局この日は、ランチ後は近くの小学校で運動会をやっていたので、見学に行った。
組み体操やリレーをやっているのをみて、何だかものすごく感動して、二人とも涙を流して泣いてしまった。

*****

日曜日は、朝は近くのイオンへ車で。これまた、今までは片道20分くらいかけて、自転車で走ってたんだけど、今回は車で。
買い物をしても、荷物を気にしなくていい。これはすごい。

結局、買い物後は妻を二駅程先の美容院へ送って行き、俺は家へ戻り、妻に家の鍵を預けたままなのに気づき、車の中で二時間程待ち、それから妻を駅まで迎えに行き、
俺はそれから近くのジムへ泳ぎに。平泳ぎて今回も500くらい泳いだ。無心で泳ぐと、凄く、体も心も軽くなる。

*****

昨日はそのあと、モスバーガーへ。
そこで、妻が俺の仕事について、というか、俺が今するべきことについて、アドバイスをくれた。

俺はこの1年間、営業のイロハを身につけるので、または、目の前の対応に精一杯で、結局は、自分の扱う商品知識、または、業界知識を身につけるのをしてこなかった。

俺は英語力は相変わらずコツコツと勉強しているが、これは、最も伸ばしやすく、また、勉強の仕方を知っているから。つまり、ラクだから。

しかし、製品知識や業界知識は、有る程度腰を据えてやらないと、なかなか身につかない。

でも、これを付けないと、結局は、日本語でもそれを話せない状態。
俺の今年の目標の一つは、海外出張において、顧客先で、上司を差し置いて、自分で商談できるようになることだが、
何しろ、日本語でもきちんと話せない内容を、いくら英語力を磨こうが話せるわけが無い。

ということで、今は、
製品知識、
業界知識、
そういったものを身につけるとき。

妻曰く、
俺は本を読むのが好き、
形から入るのが好き、
(例えば電車の中で、英文の雑誌を周りに見せびらかすように読むのは好き。学生時代、教室で皆がみてるところで、勉強する(実際は勉強してるところをアピールする)のが好き。なので、人に見られると調子に乗って頑張れる。)

なので、今も、会社の中で手に入る資料だけじゃなくで、
本屋で売ってる本など、そういうのを使って勉強すれば、もっと更に楽しくなるんじゃないかと。
そして、俺のことだから、一度やり方を知ってしまえば、一気に知識がつくだろうと。

既に一定のレベルまで来ている英語力をこれ以上伸ばすことに集中するよりも、
もちろん英語力は続けて付けつつ、
もっと集中するべきは、
その、自分のいる業界の
知識じゃないかと。

それが俺について、今はスカスカで自信がない中身にバックボーンができ、日本人だろうが外国人だろうが、誰が相手でも、自信を持ってデカイ声で話ができる。

有る意味、今まで、それらの知識がほぼなしてでやってこれた事も不思議だが、俺はそういう傾向がある。
中身は何も無いのに、表面のスキルだけで、何とかやり切ってしまうという。
(前の仕事も、ほぼそんな感じで切り抜けていた。でもさ、そういう中身が無い状態でいると、相手はすぐに見抜いてしまうんだよね。「あ、こいつは外見だけで、中はスカスカだ」と。
いくら教養を付けようと色んな本を読んでも、自分のいる業界、している仕事の知識をしっかり身につけていなかったら、堂々と戦って行くことはできない。)


ということで、今は毎日、今日も相変わらず、目の前の既存顧客対応で1日が終わりましたが、
行き帰りの電車の中や、隙間時間を使って、しっかり勉強して行きたい。


それと、勉強することは、
結局は、自分を精神的にも、
人間的にも、
磨くことになる。
そして、それは気持ちいいことだ。

2014/5/26 21:05





May 24, 2014 01:18

2014/05/24 0:59am-

遅いので、短く。

*****

今日は金曜の夜。今日も仕事で夜の10時までオフィスに残っていた。
最近は帰りが遅い日が続いている。
理由は、

1)同じ課の先輩が一人急遽辞めることになり、きちんとした引き継ぎも無く、今日去って行ってしまったので、彼の分の担当していたアジア圏、中東、南アフリカ等の顧客の半分が俺のところに回された。
2)人が少ないので、仕事量が増えている。かつ、新たな分野の仕事も沢山任されているので、それもあり仕事量が多くなった。

1)に関しては、今年の10月に、今本社で研修をしている後輩が帰ってくるまで、俺と上司(課長)の2人で、その辞めて行った先輩の担当をする必要がある。

2)は、先日の上司との面談で、昨年の仕事ぶりが評価され、階級が一つ上がった。
それに伴い、今までは海外営業だけだったのが、マーケティング(需要等のデータによる調査)や、後輩の指導も増えてきた。


今は俺には後輩が一人いる。しかし、彼の出来が余りにも悪い為、同じ課の俺を筆頭に、同じオフィスの人間が被害を被っている。彼は俺と同じ課なので、俺が彼の指導係となっている。
彼の事はここでは省くが、そんな事もあり、そこに費やされる時間、というよりも、彼の指導によって派生する自分へのストレスの方が大きい。

(しかし、それも先週末に、今の自分の悩みをすべて書き出し整理し、上司にもきちんと相談したので、段々と吹っ切れてきた。しかし、この事を家に帰って妻に相談すると、俺以上に妻がストレスを受けており、それが申し訳ないと思う。)

*****

とにかく、仕事の話はここで辞めます。

上司に認められている事は確かです。
今の自分の仕事、それに恵まれていることも確か。
自分の伸ばしたい力を伸ばすに当たって、こんなに恵まれた環境は無いと思う。

ここで、自分の力を、今は磨くのみ。

*****

ちなみに、先日5月19日は、結婚記念日、2周年記念。
妻とは、その日は美味しい海鮮丼を食べに行き、(その数日前に、俺は体調を壊してお腹の調子が悪く、2日間仕事を休んだ。今は胃の調子は戻ってきた。なので、本当はその日はフレンチを食べに行こうと言っていたが、急遽海鮮丼にした)

ただ、その後彼女の体調がおかしくなり、すぐに家に帰ってきた。

よって、結婚記念日らしきお祝いを出来ていない。

明日は、その代わりに、本番として、
お昼は近くのフレンチレストランで、贅沢なランチを食べに行く。

*****

今週は月から木の昼まで、出張で本社の方に行っていたが、
昨日、新幹線の中で、横浜から東京に着く間辺りで、
ノートに、俺の今の状況を書き出していた。

30歳と半年の今から、50歳までを。
横軸を書いて、年齢を書き、
何歳で、どういう力を付け、どのように自分のキャリアを切り開いて行くか、
という進路について。

これに関しては、21歳から23歳くらいまでは、毎日の様にやっていた。
しかし、25歳当りからは、それも見えなくなり、殆ど書いた事はなかった。
(27歳〜28歳の頃、転職に当り、真剣にまた書いたが、当時の俺は、それをワクワクして書けなかった。それは、将来が不安で仕方なかったから。)

しかし、今回書いたとき、
それは、凄く楽しい行為だった。

俺の人生を、切り開いて行く。
どんどん前に進んで行く。

この感覚が、久々にまた戻ってきた気がした。
John Mayerの”Born and Raised”を聴きながら。

*****

しかし、ふと、そんな、自分との対話を30分程した後、
携帯の写真を開いて、妻と先日、桜を見に行った際に一緒に取った写真を見たとき、
彼女のその可愛い顔を見たとき、

彼女がいるから、俺は、「幸せ」なんだなあ、と改めて気づいた。


キャリアを積んで行く事は、それは楽しいが、
それがもし、結婚もせず、愛する人もおらず、
1人だったら。

その人生は、きっと、「わくわく」などの楽しさ、爽快感、達成感、征服感はあるにしても、
「幸せ」という感情は、余り無いだろうなと思った。

なぜなら、「幸せ」というのは、
自分の喜びを、誰かとシェアできることだから。

そんな人がいなかったら、
帰る家がなかったら、
自分を支えてくれる、励ましてくれる、そんな大事な人がいなかったら、
俺の人生は、きっと、バリバリのビジネスパーソンにはなれども、
幸せな、幸福なオーラを持つ人間にはなってないだろうな、と。


******

なので、今は妻に、仕事の話を家でよくして、
結果、彼女がストレスを溜めていたりしたら、申し訳ないなと思う。

妻がいるから、自分が頑張れること。
それを、忘れない様にしよう。

そして、彼女をもっと大事にしよう。そう思う。

2014/5/24 1:18am






May 21, 2014 00:30

2014/5/21 0:25am

遅いので手短に。

*****

今日は本社の人達と一緒に夜食事をして呑んだ。

昨日の夜にここに着いて、2泊している。

本社へは、去年の11月以来に来た気がする。もっと最近に来たっけ?

普段は東京オフィスへ通っているが、やはりここ本社に来ると、
人の温かさに気づく。
とにかく、人が温かい。

田舎というのが大きいと思う。山に囲まれているし、人を大事にする。
ずっと住むには、人が構いすぎてToo muchに思うところもあるみたいだけれど、
でも、客人としては、これほど心地よい場所はない。

今日は、QAの元上司、俺がここに2012年10月から2013年2月末までその部署にいた際にお世話になった方と、あとは、今は研修でこっちに来ている後輩と、
同じくQAで、英語力や通訳、そして仕事の速さを尊敬する後輩の計4人で呑んだ。

いい集まりだった。
普通は、こういう飲み会は、大抵人の悪口で終わるが、
今日は、生産性のある、とてもいい話し合いの場だった。

お互いに、良いところを言い合った。本人が気づいていないが、他人は気づく。
そんな良さが、人には必ずある。
それを、言ってやらないと、当の本人は気づかない。

それを、言い合う場だった。

******

最近は、東京営業部で、狭い空間で、
狭い人間関係で、俺も大分精神的にギスギスしていただろう。
しかし、先週末から心の掃除を仕出し、
上司にも相談して、
そして、昨日からこうして本社に来て、
いわば、2012年4月からの初心に戻り、
また、フレッシュアップできた。

本当によかった。

******

自分を、心から信頼してくれている人がいるということは、
本当にありがたいことだ。
彼/彼女のために、がんばろうと思える。

人は、信頼から成り立つ。

人は、ストレスの元にもなるが、
同時に、幸福の一番の要素にもなる。



俺は、この会社に入って、
本当によかったと思う。
恵まれていると思う。

これからも、初心を忘れず、がんばろう。

2014/5/21 0:33am






April 22, 2014 20:20

2014/4/22 19:35-

近況。

先週末、
金曜日と日曜日、
それぞれの夜に妻と色々話した。
基本は、俺の最近の仕事に関して。

どうも最近、目がものすごく痛く、午後になると、目を開けていられないくらい。パソコンが眩しすぎて、眼球の奥の神経が、ジンジンと痛んでる感じ。

夜家に帰ってくると、TVを見るのも辛い。目が乾いて、目をつぶっても、乾いている感じ。
結局、目を開けることすら辛く、食事中も目をつぶって食べる始末。
本も読めないし、テレビも見られない。パソコンもできない。

そんな日が、2月か、それくらいから2ヶ月以上続いている。

さすがにおかしいと思い、二週連続、二つの眼科へ行った。
どちらも、目の検査を色々したが、目には傷もなく、ドライアイでもなく、原因が分からないという。

結局、高い診察代だけ払い、気休めの薬をもらい終わる。

*****

妻と話した結果、結局、俺は色々とストレスがたまり過ぎていたんじゃないかとなった。

最近は、仕事も沢山任され、
一月には、先輩の一人と対立したり、(色々と話し合って解決したが)
後から入ってきた後輩の出来が悪く、彼の指導に毎日時間を費やされたり、
そんなこんなで、毎日、全速力でやってもやっても仕事が全然終わらない日々が続いていた。


一方、隣では仕事を余りせずにブラブラしている先輩がいて、それにイラついたり。

そんなこんなでやっているうちに、俺はどうやら、自らを疲弊させていたらしい。


妻と話して、下記のことが重要だということを自覚した。


・今の会社の中での仕事のみを考えて毎日を送っていると、自分の会社では通用するが、外に出て通用しない、つまりup to dateじゃない人間に成り下がる。
そうなると、本当の意味で仕事ができない人間になり、市場価値が下がり、仮にこの会社が潰れたり、何かの理由で自分が転職しなければいけない場合、他のところで食っていけなくなる。

・俺は、「海外営業でバリバリ世界を周る」自分像に憧れて、今までこの数年を生きてきた。結果、運良く、今の会社に採用され、海外営業に嫌というほど行けるようになった。

しかし、そうなってみて、ある意味、自己達成してしまった。
つまり、次の自分の明確な目標が、見えにくくなった。
今は、ポルトガル語を習ったり、英語のレベルを更に高めたり、世界のどこでも通用するビジネスマンになる、という目標はあるが、それは、どこまで行けば、とれだけ成長したかが明確に見えるものではない。
よって、自分のモチベーションを失いやすい。前向きに、活力的に生きるモチベーションを。


・結局は、今の会社内のみを見過ぎており、この、他人に興味のない俺が、周りの人間の文句を言うようになった。
妻曰く、これは、俺が相当ヤバい状態らしい。
普段の俺は、目の前の自分の目標にだけ集中して、周りのことが全く気にならない、いや、気にかけない人間だから。


妻は、俺のこの、
燃え尽き症候群というか、
生きる灯火が消えかけている状態に、去年の11月くらいから気付いていたらしい。
俺が去年の11月の北米出張から帰ってきて、毎日随分疲れた疲れたと言って、一週間ほどは、時差ぼけが治らずに、毎日早く寝ていた頃から。
俺の様子が変わったという。

いつ、そのことを言おうかと思ったが、それは、俺自身の口から、話が出るまで、待っていたという。
そして、それが四月の半ば、先週末にやっと話すことになった、とのこと。



俺の会社は、田舎が本社の中小企業でしかない。ここでの考え、仕事のスピード、質、人間のレベル、それらが「当たり前」になってしまい、それに俺自身をアジャストさせ、慣れ切ってしまうと、その時点での俺の人間的成長は止まる。

つまり、この半年ほど、
俺はそれをしていたに過ぎない。よって、毎日気力がなくなり、疲れと、ため息と、ストレスと、周りの人間への文句しか出なくなっていた。
これでは、毎日が楽しいわけがない。

・しかしここでおごり高ぶっていけないのは、
まず、俺がこの会社に、28歳の時点で、この業界の知識もなく、ポテンシャル採用されたのには、
そして、俺は、社会の中で見たら、決して仕事がものすごくできる人間ではないと思うが、
そんな俺でも、この会社ではできる人間として見られ、結果、
初年度からいきなり、北米、南米、インド、中東担当を任されていること。
うちの会社でも、中途で入った人間は、通常の本社研修一年のはずが、二、三年に延びたり、
または、営業所に戻ってきても、海外を任されずに、国内営業担当になった先輩や、今だに事務作業しかさせてもらえない後輩や、
または、上司の鞄持ちだけで数年間を過ごした先輩などがいる。
その中で、自分が初年度から数カ国の担当をさせてもらっているのは、そして、一緒に周る上司は、60近いベテランの2人のみというのは、自分が恵まれているとしか言いようがない。

だから、今自分が与えられている仕事、裁量、立場に感謝し、
上司、会社、先輩、社員に感謝し、
おごり高ぶらず、
誰に楯突くことなく、
しかし、自らのみに厳しくあたり、自分を精査して高めていく作業に没頭するのみ。
(もちろん、出来の悪い後輩のことは厳しく指導するが。)


・そして、今ここで基礎力を付け、

(※基礎力とは、
業界知識、
高レベルかつ専門分野の英語力、
第二外国語(ポルトガル語)、
仕事のスピード、
解決力、
誰が相手でも交渉して纏める度胸と機転、
全体を捉える俯瞰力、
そういったものを言う)

今から数年後、ここである程度の役職を付けた後は、
同じ業界で、よりレベルが高く、働きやすく、給与も高く、バランスの良い会社への転職が容易にできるようにしておく。

そういう、常に、
Up to dateの状態に、自分を保っておくこと。
それが重要。

*****

俺という人間は、常に目標を持ち、そしてその目標とは、自分を高めることが前提なわけだが、
それがないと、途端に生きる気力を無くし、目の光が消える。

幸いにも自分には、そんな自分を隣で支えてくれる、世界一の伴侶である妻がいる。
彼女は、俺の、一番のカウンセラーであり、一番の理解者。
こんな人は、世界を他に探してもいない。

そんな彼女が妻で、そんな彼女に応援してもらい、自分は本当に幸せだと思う。



結局、ここ数ヶ月の目の痛みは、
おれの体が示していた「仕事」への拒否反応であり、
その「仕事」とは、おれのこの半年の、仕事への接し方、向かい方、働き方、考え方以外の他にならない。


面白いことに、その話を妻として、日曜の夜に、二時間近く話し合い、
結果、今週は、仕事が楽しくなってきている。
目の痛みも、それほどひどく無い。
任されている仕事も、楽しめる。
もっと、今の立場を生かして、どんどん自分の成長に当ててやろうと思う。



以上、今の近況。
30歳と、ちょうど6ヶ月。

2014/4/22 20:20



*****

追記:

そして、この日の話し合いの結果、
俺は、「会社では犬になる」ことで収まった。

毎日、一人だけ人間ぶって、何でも完璧にやろうとしているから疲れる。
俺の会社の今のオフィスには、動物ばかり。
そんな中で、真面目に一人、人間をやっていては疲れる。
犬で一日すごせば良い。


そして、俺は仕事をどんどんこなす分、
上からは、仕事をどんどん任される。
俺のクセは、ついつい自分の体の事も省みずに頑張ってしまうところ。
しかし、俺のずっと昔から続いている課題は、
「バランスをとること」
「ゆるりゆるり、くらりくらり」であり、
頑張りすぎることは、俺にとって簡単なことであり、
逆に、手を抜かなきゃいけない。

ついつい頑張ってやり過ぎていたら、
極力休む様にしなければ。
そうして、やっと、自分の持っていない力をつけられる。

俺は究極のM。
今までの人生、自分が持っていない力を付ける事に、人生を費やしてきた。
今は、良い意味で「さぼる」「手を抜く」
要は、要領よく、肝心なところだけを抑えて生きる生き方をするべき。

そうしてこそ、俺の次のステージに行く。

*****

そしてもう一つ。
俺は、自分が尊敬できると思える人を手本にして、
今までの青春時代を生きてきた。
俺は、人のマネが上手。
自分を演じる事がうまい。
だからこそ、直接マネができる人間が近くにいると、
成長しやすい。
しかし、この年齢になり、
かつ、今の限られた環境で、
そういう人間が現れるのを待つのは、確率がかなり低い。

よって、俺自身がなりたいと思う理想像を明確にし、
それを自らの中で描くか、
または、今のオフィスで、自分の周りにいる人たちから、
一つずつ、いいところ、そして悪いところを、
教師、反面教師として、学んで、自分の成長に生かしていくこと。


そういった、自分の人間的成長を、常にさせていくことが必要。



俺は、自分の人生をとおして、
基本、つねに「自分の成長」が軸にないと、腐る人間だと思う。

今後、父になったり、
家を買ったり、
車を買ったり、など、
何かしら、自分以外の要素で、自分の人生のステージが変わる事は、
自分に新しい価値観をくれたり、
または、新しい目標をくれたりするだろう。

しかし、俺の中での、
自分の人生の「楽しみ」が、
他人、他のモノに移った瞬間、
俺という人間は、
生きる活力を、一気になくすと思う。
そして一気に、中年の匂いがする、
加齢臭のする、
老けたオヤジに成り下がると思う。

(実際、この半年程は、
かなり老けていたと思う。
若さが消えていたと思う。)



*****

そんなことを、妻と話した。









February 27, 2014 10:47

2014/02/27 10:35 AM

今はJFKのラウンジ。ここはスペースが広くて中々好き。
ANAとブリティッシュエアウェイズが共同でやってるんだけど、
あさげ(味噌汁)とか、メロンパンとか、おにぎりとか、
そういうものも置いてあるので、嬉しい。

*****

さて、さっき友人のFacebookでいいコメントを読み、
とても感動した。

彼は、「バランスが大事」と言っていた。

バランスが取れているときは、ミスもしないし、
大事なポイントはしっかり抑えている。

逆に、完璧主義を目指すと、
意外とうまくいかない。

最近の俺は、まさに後者だったな、と思った。

完璧主義を目指すから、
英語も完璧に話そう、
仕事もミスなく完璧にやろう(スピードと正確さを常に求めて)、
そんな風に、肩肘張っていた気がします。

いつからかな、去年の後半くらいからだろうか。
冬に入ってからかな。

会社の中でも、仕事量が増えてくるもんだから、
それらのメールや案件や雑用やプロジェクトなり、
そんなものに、全部きっちり正確に、素早く、答えようとしていた。
なので、隣の席でゆっくりゆっくりと、手を抜きながら仕事をしている先輩を疎んだり、
これまた、一緒に回る中で、毎晩酒を飲みながら、
手を抜いて仕事をしている上司を内心バカにしたりしていた。

しかし、こういう人たちは、意外と、
肝心なところはしっかりと抑えているんだよね。

なので、逆に効率がよかったりする。

俺は、全部一人でこなそうとして、
勝手に、重荷を背負っていたのかもしれない。


そんな中で、その友人の日記を読んで、
ああ、そうだなあ、
バランスが何よりだいじなんだなあ、ということに気づいた。

これは、よく妻に言われることで、
おもえば、昔から、ずーっと言われてきている気がする。

ゆらりゆらり、くらりくらり、
するりするり、

そんな感覚が大事で。

俺は、天秤座だし、
バランスを重要視する性質だと思う。

でも同時に、良い子でいたいから、
全てを期待通りに、全てこなそうとしてしまうんだろう。

そして同時に、人に自分のことを批判されるのが嫌だから、
色々と口出しをしてくる上司に対して、何も言われないように、
完璧を目指して動こうとしている。

でも、そういうのは、疲れるんだよね。
そして、そういう時の自分って、
心に余裕がなく、遊びがないので、
言葉通り、硬くなって、ジョークをいう余裕もなく、
かなりつまらない奴に、つまらない人間になっている気がする。



感覚が大事。

目で見ようとするのではなく、
体で感じ、肌で感じ、
その“モノ”を見ようとするのではなく、
その“モノ”の周りの空間を見る。

そうすることで、
一番大事なその“モノ”が見えてくる。


*****


COS時代の友人のY君は、
そんな大事なことを思い出させてくれました。ありがとう。


2014/02/27
10:45am at JFK





2014/02/27 5:47 AM-

さて、今日でやっと北米出張も終わり。
数日前から体がだるくて、先週の終わりは、土曜日は一日中部屋で寝ていた。
一昨日はモントリオールに入ったんだけど、
気温が−10度くらいで寒くて、
夕方、上司と一緒に食事をしたあと、急に鼻水が止まらなくなってきた。
薬を飲んで、夜の8時から朝の6時まで寝たけど、
それでも治らず、結局その日のアポは、上司一人に行ってもらい、
俺は部屋で休んでいた。
鼻水を垂らしながら会うのも、相手に失礼だしね。

そして、そのまま昼の1時にモントリオール空港に向かい、
3時25分の便で、一日ぶりのNYに戻ってきた。
何しにモントリオールに行ったんだ、という感じだった。
(行きと帰りの飛行機のフライトアテンダントの女性が同じ人で、
帰りの便で彼女の顔を見て、「あ、同じ人だ」と思い
「How are you?」と言うと、
彼女も、「Wow, that was a quick turnaround!」と。
飛行機を去る時に、向こうが「Maybe I’ll see you tomorrow?」みたいな事を行ってくるので、「Probably」みたいなことを言いながら出てきた。)

昨日は夕方5時前にNYのLaGuardia空港に着き、
予約していたリモに迎えに来てもらう。
そのまま、今回初のステイとなる、
マンハッタンのホテルに泊まった。

ここは10thと57thの交差点にあるところで、
すぐ近くにはセントラルパークの南西の入口がある。
5番街にも数ブロックで歩いていけるけど、
昨日は気温がやはり−6度かなんかで、
恐らく体感温度は−10度くらいは行っていたと思う。
ビーニーを被り、かなり着込んで少し歩いたけど、
もうたまらなかった。
NYの人たちって、タフだなあと思う。
夏は湿度があってかなり暑いのに、冬は冬で、ものすごく寒くなる。
カリフォルニアとは大違いですね。

*****

それにしても、今回の出張は、結局半分は体調がすぐれなかったので、
とても体力的にきつかった。
もしかしたら熱がある気がする。体温計がないのでわからないけれど。

体調管理は本当に大事だと思う。
俺の場合、先日インド出張に1週間行ったあと、
1週置いて、すぐにこの北米出張だったから、
疲れも溜まってたと思う。
結局出張は、日曜日に出て、土曜日に帰ってくる、ということが多いから、
休みもその分、削られてるし。

結局は、一緒に同行する上司がそれぞれ別になるので、
彼らはいいけれど、俺はタイトなスケジュールになっているので、
今後はうまく手回しをして、こういうことが無いようにしようと思う。
全く、体がボロボロになりますよ。

*****

昨日回って思ったけど、
NYというのは、本当にDiversityな街だなと思う。
人種も色々と混ざっているし、本当にいろんな人たちが働いている。
街も、色々な建物が所狭しと建っているから、
人口も凄い密集している。
昨日、近くにあるTime Warner Centerまで歩いて行ったら、
地下にWholefoodsがあったので、ああ懐かしいなと思って見に行った。
水だけ買おうとして、レジの方に向かうと、
ものすごい列。
恐らく、100人以上並んでいたと思う。
レジも10レーンくらいあるのに、
そのレジまでたどり着くまでに、更に列が、
食料品売り場まで伸びている。
あんな光景は、留学時代の西海岸では見たことがなかったので、
「え?これがアメリカ?」とびっくりした。

あとはちょっと話が戻るけど、
モントリオールを出る前に、前回(2013年の夏)の出張でも食べに行った
ヴェトナミーズのフォーのお店に行った。
ちょうど昼の12時過ぎに入ったんだけど、
ものすごい人で、店はもう満杯だった。

その中に、普通に、白人がたくさんいる。
みんなフランス語でボソボソ話しながら、
フォーをすすっていた。

店員はヴェトナミーズ、
お客は、白人、黒人、アジア人、ヒスパニックが混じっている。
それこそカリフォルニアでは、アジア系のお店に、
あんなに白人が大半を占めて占領する、という光景もないので、
その有様に、やっぱりビックリした。

そんな風に、カナダは、人種が混ざっている分、
それらの人種が、本当に溶け込んで、
余り、その文化の背景を気にせずに、
どの人種も、どんな文化にもすんなりと溶け込み、
お互いに受け入れている気がするけれど、
アメリカの場合には、やっぱり、人種同士のバリアが強いと思う。
だって、アジア系のお店に、ほぼ白人なんて、
余り見ないもんね。

それと、カナダは(モントリオールなどのケベック州は)、
フランス語も供用語なので、
大体みんな、フランス語を第一に話している。
でも、英語も普通に訛りなく話すし、
プラス、自分のバックグラウンドの言語も話すから、
バイリンガルは当たり前、
トリリンガルも普通、という感じである。
その辺も、カナダとアメリカの違いなんだろうなと思う。

*****

さて、そろそろ支度をする時間なので、出ます。
今日は昼の11時15分から、JFK→成田間、14時間のフライトである。
気が重いけど何とか乗り切ります。

2014/02/27 6:11AM





February 21, 2014 21:50

142121a


2014/02/21 21:39-

今日は金曜日。やっと1週間が終わった。
今朝6時頃起きて、「そういえばNYで何かライブやってないのかな」と調べると、
なんと、昨日と今日の夜に、Madison Square Gardenで
ジャスティン・ティンバーレイクのライブがやっているじゃありませんか!
昨日の分は遅いので、今日の分を調べると、
もうほとんどの席は埋まっていて、あっても、
「2席から」とかで、1枚200ドル近くする。
こりゃあダメだな、と諦めて、結局今日は行かなかったのですが、
さっき仕事が終わって、今は夜の9時半頃なんだけど、
諦めの悪い俺は、もう一度色々なサイトで調べてみたら、
なんと、一番後ろの方の席で、108ドルくらいのがあった。しかも1枚から買えた。
がびーん。

まあ、いつかは彼も日本に来ると信じて、
待つしかないでしょう。
しかも、今日は外は雨が降っていて寒かったし、
しかも、よく考えると、NYで8時からコンサートを見たあと、
NJのホテルに帰ってくる手段がなかったし。
(タクシーだと、めちゃくちゃかかる)

仕方ない、仕方ない。
そう思いつつ、「見たかったなー」と悔しく思う自分がいる。

2014/02/21 21:46

ちなみに、ジャスティンさんのライブのレビューを見ると、
普通に4000件以上のコメントが出てくるんだけど、
みんなめっちゃ褒めている。
ああー、一度見に行ってみたいね。





February 20, 2014 23:45

2014/02/20 23:29-

さて、今日もやっと仕事が終わりました。
今はNJのホテル。今、日本海の呼び名で話題になっているFort Leeの近く。

今日は、朝6時に起きて、
8時半にホテルを出て、片道2時間半の、
NJの顧客の工場へ。
そこで、1時間商談を行い、
帰ってきたのは16時頃。
その後、今日はすごく疲れていたので、ちょっと20分寝るかと思って目覚ましをかけて寝たら、全く気づかず、
結局18時半前に上司からの携帯の電話の音で目が覚めた。
そこから今日のレポートを急ぎで書いたり、
あとは、日本や海外からのメールのやり取りをやりだして、
終わったのがさっき、23時半。
実に、メールのやり取りや資料作成で5時間近くやってました。

*****

うちの会社の扱っているものは医薬品関係なので、
お客さんに一つ出す資料にしても、内容をしっかりと確認し、
かつ、俺の場合は担当が北米、インドなので、
それらの顧客のR&Dに対して、うちの会社のR&Dが日本語で答えた内容を、
一つ一つ英語に訳して出さなければならない。
それも、適当にさらっと訳すと専門用語なので間違っている可能性もあるから、
一つ一つ確認したりすると、かなり時間がかかる。
まあ、今は結構大変ですが、その内この分野も極めてエキスパートになってやる、
と考えてやれば、自分への投資と思って割り切れます。
しかしね、疲れるね。目が痛いぜ。

*****

昨日は、朝はIndianapolisで顧客と商談+ランチで、
そのあとは夕方の便でIndianapolisからNYのNewark空港へ飛んできた。

その前の日は、シカゴを昼の便で出て、
そこからIndianapolisへ飛んだ。

(日本を出たのは日曜日の昼。
同じ日の夕方にフランクフルトに着いて、
そのまま頭痛がしてたのですぐに寝て、夜中に一回起きて、
で、朝、街を1時間ほど散歩して、
昼にまた空港を出て、シカゴへ飛んだ(月曜日)。
そこで一泊して、翌日(火曜日)がシカゴ→Indianapolisというわけ。)


IndianapolisではJW Marriottに、その取引先の特別レートで泊まれたんだけど、
今まで泊まった中でもOne of the bestでした。
それを破格の値段で泊まれたんだから、よかった。
でも、夜ご飯を食べに、ホテルからスカイウォークで繋がっている通路を使って、
近くのモールまで歩いていったら、
片道20分以上かかった。遠すぎ。
途中にコンヴェンションセンターを通り抜けて行くんだけど、
その廊下がとにかく長すぎる。
あのサイズとか、日本じゃ有り得ないよね。
有楽町の東京国際フォーラムとか目じゃないです。
とにかく、アメリカは土地が余っているんだなあ、と感心する。
シカゴで泊まったintercontinentalも、
とにかく広い部屋だった。
ドアを開けてから、ベッドまでが広すぎ。
最初は感動するけれど、次第に、
「これって、ただ単に部屋の移動距離が増えるだけじゃん」ということに気づく。

そして、こういう部屋のサイズに完全に慣れて、
たまに日本のビジネスホテルに泊まると、その広さと狭さのギャップにたまげる。

*****

海外営業は、体力勝負です。
朝から晩まで、基本、移動か、メールか、資料作成か。
そして、時差ボケと戦わなければいけない。

時差はないものとして、もう時計をその現地についたら合わせて、
あとは何も考えないに越したことはない。

そして、英語なんてものは、「俺はうまいんだ」と信じきってでかい声で話せば、
いくらでもうまく話せるもので。

ネットを開いていると、英語のサイトの宣伝で、
「突き抜けた英語力をつけよう」とか言ってますけど、
結局は、思い込みと実践だと思います。あとは、
実際、発音とか余り関係ない。
英語力は別に突き抜けてなくてもいいから、
話す内容を熟知していれば、いいんですよ。
(それにしても、「突き抜けた英語力」って、変な表現だと思う。
語学に、突き抜けるも何もない気がする。)

****

随分皮肉っぽくなってるのは、疲れているからです。
もう寝ます。

2014/02/20 23:44



February 16, 2014 23:00

2014/02/16 21:43-

今日は、2014/02/16。
今は、出張でフランクフルトへ向かう飛行機の中。

飛行機に乗ってからもう10時間近くが経った。
残り2時間ちょっとでフランクフルトへ着く。
そこで一泊したあとは、また翌日の昼過ぎの飛行機に乗り、
今度はアメリカのシカゴへ。
そこから、北米出張が始まる。

*****

飛行機の中にいると、どうも暗くなる。
映画を観るのも、途中で何回もアナウンスでインターラプトされるのもあり、
余り好きではない。

何を書いているかわからない、というか、
書くテーマもないので、
去年の9月に行ったギリシャへの新婚旅行のことを書こうと思います。

2014/02/16 21:45

*********

2014/02/16 22:49〜

さて、ギリシャの1日目の日記を書き終えました。

たった5ヶ月前のこととはいえ、既に細かいところの記憶が薄れてきている。
多分、撮った写真を見たり、あとは、
彼女と何があったっけ、と話しながら思い出せば、色々と蘇ってくるんだろうけど、
細かいところを忘れているというのは、やっぱり年齢のせいでしょうか。やですね。

*****

こうして日記を書いていると、彼女が愛おしく思えてくる。
普段は、毎日俺は仕事に行き、
夜の8時頃に帰ってきて、
それから、彼女の作ってくれたご飯を食べて、
ちょっとテレビを一本見たりして、
で、10時半頃には、疲れて、
シャワーを浴びて、11時過ぎには布団に入って寝る。

で、また朝の6時半に起きて、
シャワーを浴びて、ご飯のシリアルを食べて、
7時20分には家を出て、
電車に乗り、8時半に会社の最寄りの駅に着き、
8時40分に会社に着き、そこから働き出して、
夕方の6時半頃まで働く、という日々が続く。

平日は、基本的にこの繰り返しで、
今は出張前で忙しいから、入ってなかったけれど、
普段は、水・金に、ポルトガル語のレッスンが入る。
これは、夜の6時半から8時半までの2時間、
御茶ノ水の学校に通っている。
この日は、家に着くのが10時頃となる。

******

週末は、土日が完全に二人とも休み、というのはほとんどない。

最近は、俺が日曜から出張だったり、
土曜に帰ってきたり、
または、彼女が土曜日は仕事で夕方4時頃まで働いていたり、という感じ。


*****

俺は、いつの間にか、
彼女がいることに慣れてしまって、
彼女がいることが、「当たり前」になっちゃっているのかなあ、と、
そう思う。

だから、彼女に対して、感謝すべきほど、感謝をしていないと思うし、
夜にご飯を作ってくれたり、朝、洗濯物を干していってくれたりすることを、
当たり前のように思っていると思う。
食器洗いもしてくれたり、ご飯を作ったり、
家の掃除をするのは、彼女も同じように働いているのに、
全部を任せてしまっていて、申し訳ないなと思う。

しかも、それに対して、俺が当たり前、と思ってしまっていることに、
最大の問題点があると思う。

*****

そういうことを、普段は忙しいとかを理由に、
俺自身は、自分を省みずにやっているけれど、
こうして、出張で日本を遠く離れて、
飛行機の中に、何時間も閉じ込められて、
そこで、一人になってみて、初めて、
彼女のありがたさに気づくんだと思う。

でも、それでは、
彼女が本当にいなくなってしまったりしたときに、
俺はものすごく後悔するんだろうな。

だから、こうして、毎回出張に来るたびに、
彼女に対して、申し訳ないな、という気持ちが起きるんだと思う。

*****

俺の今座っている座席の斜め前には、
若い夫婦と、1歳未満の小さな赤ちゃんが乗っている。
その赤ちゃんが、すごく可愛い。
飛行機に乗って、最初の方に、
座席の前にあるテーブルを抑えているストッパーをはずしてしまって、
テーブルが前からスライドしてきて、頭にゴチンとぶつかって、
それで、「わああああん」と泣いていた。
でも、その仕草がすごく可愛くて、同時にかわいそうで、
(赤ちゃんは、自分に対して起こることに、すぐに反応できないし、
何かが起きても、ただなすがままにするしかない。力がないから。
で、それが起きたあと、泣く。かわいそうに。)

普段の俺なら、赤ちゃんが泣いているのを見ると、
うるせえなあ、としかおもわないけれど、
今回は、その若い夫婦、とくにお父さんのほうが、
一生懸命赤ちゃんをあやしていて、
一緒に、虫のシールがたくさん貼ってある絵本を一緒に見ていて、
自分はハリウッド映画を見ているのに、
赤ちゃんが起き出すと、マンガに代えてあげて、
一生懸命ヘッドフォンをかけてあげたりしていて、
その様子を後ろから見ていたら、すごく愛おしいというか、
なんだか非常に、胸がキュンとしてしまった。


彼女も、いつかは、
子供を産んで、二人で、ああやって、
小さな子を、育てて行くのかなあ、と思う。

なんだかそう考えると、すごく愛おしい気分になる。


今朝、彼女は、昨日から具合が悪かったんだけど、
今朝も、具合の悪そうな顔で寝ていた。
彼女のああいう寝顔を見ると、すごく愛おしいとともに、
なんだかかわいそうになってしまう。

そんな風に、毎日頑張っているのに、
俺は、そんな彼女のやってくれていることを当たり前と勝手に思い出し、
なんだか、とても傲慢だったなと、
感謝、という気持ちを、
謙虚な気持ちを忘れていたかなあ、と思う。

*****

いくつになっても、感謝する気持ち、
謙虚になる気持ち、
誠実な気持ち、
そういうものを、忘れてはいけないな、と思う。

思うに、人は、
傲慢になり、
謙虚さをなくし、
勝手な自尊心を持ち、
自分に自信がないために、逆に、相手を蔑むような態度を取ることで、
自分の小さな存在を、大きく見せようと、振舞う時点で、
「おっさん」に成り下がるんだと思う。
加齢臭を放つ、臭いおっさんに。


俺は、今30歳。
まだおっさんから見たら若いかもしれないが、
もう、若者ではない。

はっきり言って、自分のこれからの人生に対して、
不安な要素が一切ないか?と聞かれれば、嘘になる。

今の自分の生き方(仕事など)に対してよりも、
自分が、確実に、毎年、「歳を取っていく」という事実が、
何よりも、怖いんだと思う。


歳を取るということは、
死に近づくということである。

若さがなくなるということは、
若い頃に持っていたみなぎるパワーが、
だんだんと、消滅していく、ということである。


俺が、日々、確実に薄くなっていっているであろう髪の毛を気にするのは、
見た目の問題もあるが、
それ以上に、それが、確実に、
「お前は、歳を取っている」という証拠になるからである。

幸い俺は童顔なので、顔のシワなどもまだほとんどないが、
しかし、髪の毛がなくなるのは怖い。
こんなことを書いていると、読んでいる第三者は、
「あはは」と可笑しいことでしかないと思うが、
ハゲに近づく本人は、やはり、恐ろしいもので。

*****

結局ハゲになるのが怖いんです、ということだけではなく、
話を元に戻すと、
俺は、今年31歳になるわけで、
そうやって、毎年、歳をとっていくと、
そして、毎年の一年が余りにも早いので、
そうしていくと、あっという間に、40代に突入して、
50代になって、
60代になって、、、
となっていくと、人生が終わってしまうようで、怖い。

*****

だから、時は止められないから、
今のこの瞬間を、後で悔いが残らないように、
しっかりと生きるしかない。

それは、自分の大事な人に、感謝をきちんとして、
その人を、しっかりと大事にする、ということも、
大きく含む。

自分の大事な人を、蔑ろに扱って、
あとで、心の底から後悔するのは、自分でしかないから。

*****

俺はもっと、大人になりたい。

本当にまだまだ、ガキでしかない。

2014/02/16 23:15






February 08, 2014 13:24

2014/2/8 13:05-

今朝の8時半くらいに、成田空港に着きました。
今は、家です。
ムンバイは30℃くらいあったのに、
ここ千葉は雪が降っています。気温0℃。
マジで、海外営業というのは、
やる前はかっこいいな、と思っていたけど、
はっきり言って、ただの体力勝負ですね。
肉体労働です。
インド出張中も、本当に毎日忙しかった。
ろくにブログを書く時間もなかった。
毎日、朝早く起きて、飛行機に乗るか、車に乗るかで、
かなりの長い時間を乗り物の中か、空港の待ち時間に使い、
後は、顧客のところへ着いたら、
毎回必ずインディアンコーヒー(カフェラテのこと)かお茶を薦められ、
そこで、交渉術の長けたインド人と、やり合います。

インド人は、全ての場所がそういうわけではなく、
中には、友好的なお客さんもいますが、
大きい会社になればなるほど、結構態度が傲慢になったりもします。
(というか、今気づいたけど、商社を通しているエンドユーザーは、
大体どこも態度がデカいけど、
直接やり取りをしているところは、そうでもないな。)

インド人というのは、とにかく単刀直入に物事を言う。
そして、めちゃくちゃ早口です。
奴らはとにかく頭が良い。切れる。
頭の悪いインド人は、余り見た事がありません。

そして、英語が共通語であるから、英語を使うけれども、
訛りが酷いので、結構何言ってるか分かりません。
何回か聞き返して、「ああ、OK」という感じも多い。
まあ、慣れですけど。

*****

今回はちなみに、また9社くらいと商談をしたんだけど、
その内、バンガロールにあるB社と、
ムンバイにあるU社は、とても対応が良くて良かった。

B社は、かなりデカい会社。
ここは前回の出張の時にも日記に書いたけれど、
ボスを始めとして、チームのみんなが頭がよく、
利発的な感じが表れている。
こんな人間たちの中だったら、一緒に働いても悪く無いかな、と思える。

しかし、上に書いた様な、
態度が悪い会社は、本当にヒドい。

一つ、世界的に有名な大きい会社があるけれど、
ここの購買部門の人間なんかは、そりゃあ酷いもんです。
インド人は基本的に、商談中でも、
自分の携帯に電話がかかってきたら、目の前のお客さんをそっちのけにして、
電話に出るのが当たり前。(これは前回目の当たりにしてマジでビックリした)

それでも、モラルがある人たちなら、
「Excuse me」とすまなさそうに言って電話に出るけれど、
そうじゃない人は、本当になめとんのかお前、と言いたくなるような態度で出る。

話がずれましたが、
もう一つのU社も、とても対応がよく、素晴らしい。
ここは、そんなに大きくはないけれど、
実際は、売り上げは300億、純利益は50〜60億くらいある会社。
ここが作るAPIや製薬を、実際に日本の大手企業が購入していたりする。

そんなわけで、この会社はとても売り上げもあり、潤っているのですが、
社員も余裕があるというか、マナーが行き届いている。

色々な会社を訪問して思うのは、
やっぱり、会社によって人のカラーは出るということ。

洗練された人がいる会社は、みんなやっぱり、態度もきちんとしているし、
マナーがなっている。

しかし、適当な担当者がいる会社は、
他の社員の態度もぞんざいだったりする。

結局は、会社とは、人の集まりであり、
その会社の上の人間、周りの人間が、
お互いにどう、周りを影響していくか、
周りにどう影響されるか。
そこなんだと思う。

*****

さて、今回は日曜日の夜にムンバイに着き、
月曜日はムンバイで一社(片道車で3〜4時間、合計7時間の車移動)
火曜もムンバイで二社(この日は片道1〜2時間なので悪くない)
水曜は4時起きで移動し、ハイデラバード、
ここで三社と商談。
この日の夜10時のフライトでバンガロールへ飛び、
ホテルに着いたのは夜中の1時前。

木曜日は朝からバンガロールで一社と商談、
その後一緒にお客さんとランチを食べ、
夕方のフライトでムンバイへ。

金曜日は11時から一社、
そして、午後にもう一社と商談。

そして、6時前にホテルを出て、
9時の便で、成田へ。

今回は本当に疲れた。
毎日、スキマ時間を見つけてレポートを書き、
かつ、通常の顧客とのレスボンスも行う。

海外出張中は、朝から夜寝るまで、
ほぼ、仕事に縛られているようなもんです。

まあ、段々と分かってきたから、あとは自分の裁量で回せる様になって来ると、
もうちょっとラクに、かつ楽しくできるんだろうけどね。

*****

来週の日曜からはフランクフルト経由でアメリカ、カナダへ行きます。
シカゴはマイナス15度らしいですが、
マイナス30度にだけはなりませんように。

2014/2/8 13:23





February 05, 2014 00:44


2014/02/05 0:19-

今はムンバイのホテル。Holiday Inn.
明日の朝は4時半起きで、もう寝ないとやばいんだけど、
なぜか眠れないので、
で、
さっき、色々と上のことを考え出したので、
少しここに書く。

(ちなみに、今はインド出張中。
日曜日の朝に日本を出て、13時間飛行機に乗って、
ムンバイに19時過ぎに着いた。
昨日は一社訪問、車で片道3時間、帰りは4時間、合計7時間以上車に。
今日は、近くで良かったけど、相変わらずムンバイの渋滞は凄まじいので、
少しの距離なのに、結局片道1時間以上車にいる。
もう、インド出張は、アメリカ出張のそれとは大違いで、
マジで疲れるぜ。)

*****


さて、本題だけど、
俺が留学を終えて日本に帰ってきてから、
丁度今年の夏で、6年が終わろうとしている。

俺が留学していたのは、
2002年の7月末から、2008年の5月末まで。丁度ほぼ6年。
で、
日本での生活が始まったのが2008年6月頭、
それから、今年2014年の5月末で、丁度6年となる。

*****

留学中の6年間は、すっと、なんでも思い出せる。
1年目はCollege of the Siskiyous (Weed)
2年目はDe Anza (San Jose)
4年目からは、CSULB (Long Beach)
で、5年目に卒業して、6年目は、
Long Beachに残って、今の妻(当時は彼女)と住んで、
俺はOPTでバイトを掛け持ちしていた。


その後、日本に帰ってきて、
1年目は、3ヶ月弱の就職活動と、5ヶ月間の一社目での勤務。
2年目から3年間は、二社目での仕事。
そして、5年目からは、今の会社での研修を一年行い、
6年目、去年からは、東京に移って、
こうして、海外営業部で働き出した。

*****

日本での生活は、毎日、日本の場合は、
毎日、同じ電車に乗り、
同じオフィスへ出勤し、
同じメンツと顔を合わせて、朝の9時から夕方の6時過ぎまで働き、
また電車に1時間乗って帰って、という毎日。
はっきり言って、単調なので、
だんだんと、飽きてくる。

しかし、こうして海外出張が入ると、
体力的には結構キツいので、正直ツライが、
しかし、違う国に行き、
この国の多様さを感じ、
自分を、というか、
普段、日本の中で暮らしている「自分」という存在を、
客観的に、離れて見ることができる。

そして、「ああ、俺は、日本の生活に慣れようとして、
6年が経ったんだなあ」と、思う。

留学当初、6年間、18歳から24歳までの思春期を過ごしたアメリカのそれから、
日本の文化に急に適合しようとすることは、
やっぱり、自分的にも、結構大変だったんだと思う。

日本は、周りに合わせて、
公共の場では、大きな声を出して騒がずに、
周りと同じ形で動く、
それが、求められる文化だから。

そんな中で過ごしていると、やっぱり、窮屈感を感じる。
その窮屈感は、次第になれていき、
それが「当たり前」となるのだが、
やはり、こうして海外にくると、
いかに、日本は、その「何か」に、みんなが縛られているかに、
気づく。

結局は、日本独自の、「恥を知れ」という文化と、
同時に、島国、というのがそうさせていると思うが。
(インドを始め、他の国と国境が隣接している国であれば、
他の国の人間もガンガン入ってくるので、
そんな風に、「俺たちは日本人だけさ。つまり、自分が「日本人」と意識をすることもなく、みんなが同じ、として、過ごしていけるのさ」
という事になることも、少ないと思う。)

*****

もう疲れたので、終わりにしたいんだけど、
つまり何が書きたかったかというと、
こういうことよりも、
俺が留学をした1年目に、Mt. Shastaで出会ったSandy一家のHannahなんかは、
当時は6歳だったのに、
俺がアメリカを去る頃には、12歳になっていて、
それだけでも、本当に時の流れることの速さにびっくりしていたのに、
今では、彼女も18歳なんだなあ、と。
(何しろ、俺が、日本に帰ってきたときの24歳から、
今では30歳になっちゃったんだから。)


俺が留学をしたのが、18歳で、
で、当時6歳だったHannahは、今では18歳。
12歳から18歳の6年間というのは、
人間としても、まさに思春期を通るので、
考えや人生に対する見方も色々と変わるだろうし、
小学6年生の子供から、
大学1年生の、立派な大人になるわけで。

そんな長い期間を、俺は、
アメリカに帰っていないんだなあ、と。
(去年から出張でアメリカに行くようにはなったが、
自分のいたカリフォルニアには一度も行けていない。)

俺は、この6年間で、
人間としては、24歳の頃から、
そんなに変わっていないと思うけど、
(ただ、落ち着いてきた、それぐらいの変化だと思うけれど)、

6年間会っていないHannahは、
この間に、もう、一人の違う人間へと成長して行ってしまったんだなあ、と。


そんなことを思うと、
なんだか、悲しいというか、
しまった、というか、
時の流れることの早さに、
自分の生活の拠点が、完全に日本にシフトチェンジしてしまい、
最初はそれに慣れなかったのに、
いつの間にか、それに慣れてしまっていることに、

そして、そうやって、いつの間にか、
日本での生活に慣れて、
このまま、40代、50代、60代を迎えて行くんだろうな、
と、毎日、日本での生活の中で漠然と考えている時に、

こうして、ふと、海外に来てみて、
日本以外の国のことに気づき、
(それは、体で気づく、ということ。頭ではなく)

そこで、初めて、
「あ、アメリカを去ってから、もう、6年も経ったのか!」ということを、
その、年月という数字ではなく、
誰かの年齢が変わったことを基に、
その年月の長さに気づくとき、


なんだか、言葉にできない、
人生の早さというか、
儚さというか、

時が過ぎ去っていくことに対する、怖さというか、


そういったものを、ふと、
感じるんだなあ。



******


真夜中は、基本的に、
人間は、感傷的になります。

あと4時間弱で起きなきゃいけないので、
もう寝ます。

そして、今年こそは、
妻と一緒に、アメリカ(もちろんカリフォルニア)に、
古き友人たちを訪ねに、
行きたいと思う。


俺は、昔の友人たちに会った時、
泣くんじゃないか。


2014/02/05 0:43





December 27, 2013 22:02

2013/12/27. 21:20-

今は、ポルトガル語レッスンの帰り道。
同時に、今年の仕事納め日。
今日は最後にも関わらず、特に大掃除もせずに普通に5時半まで仕事をしていたので、
あまり、「年の暮れ」という感じがしない。

・・・

ポルトガル語は、今日で13回目のレッスンが終わった。
出張が長期で入るせいで、つい先日まで10回しか出ていなかった。こりゃあまずいと思って、週2で先週からやりだした。
結果、覚えも早くなって、俄然レッスンも楽しくなってきた。

・・・

仕事は、大分慣れてきたと思う。
前もここに同じような事を書いたけど、
今年の3月の頭に東京に移ってから、この10ヶ月で、随分仕事にも慣れたと思う。
ただ、慣れると人間はつまらないと感じるもので、
常に工夫しながら、仕事は楽しくやって行きたいと思う。

・・・

今年は、思えば変化の多い年だったと思う。

3月は岐阜から東京への転勤。
4月末にスイスへの出張。
5月は結婚式。
6月から7月にかけてアメリカ・カナダ出張。
帰ってきてすぐにインド出張。
9月はギリシャへ新婚旅行。
10月から11月はドイツ、イギリス、アメリカ出張1ヶ月。

で、今に至る。

その間にも、
3月、8月と11月に国内出張あり。

随分と国内、海外と移動をたくさんした年だった。

・・・

俺は、職場でも結構、
上司、先輩、そして取引先に対しても、理不尽なことはしっかりと言い返してしまう性格である。

その分、後で、
「ありゃ言い過ぎたな」と思うことが結構ある。最近は仕事に慣れてきたせいか、結構しっかりと反論してしまって、後で、「ちょっと言い過ぎたかな」と反省することが多く続いた。
こういう事は、はっきり言って、周りからは段々と煙たがられるだけだと思うから、もう少し賢く振る舞えるようにしないとな、と思う。
その辺は、来年気をつけなければいけないことの一つでしょう。

・・・

ちなみにさっき書こうとしたのは、こうして言語を新しく習うことの楽しさというのは、
「自分が確実に成長している」と感じられることだと思う。

仕事ができるようになった、ならない、というのは、はっきり言って正確に測れるものではなく、感覚とか、そういうものが大きい。

しかし語学の場合は、話せるようになるイコール成長しているわけだから、それが明確に見えることが、嬉しく感じる。
いわば、短期間での成長具合を感じるのが簡単。
そんな意味でも、留学時代の最初の2年くらいは、語学が伸びていくと感じる点でも、大変でありつつも、楽しかったんだろうなと思う。

・・・

上に書いたが、仕事でも、慣れてくると、毎日が繰り返しになり、新しいことを習う、試す、ということが減っていく。それが、マンネリに繋がり、飽きに繋がり、そのまま惰性で行くと、いつの間にか成長の速度は遅くなり、結果、
「なんか最近、毎日あんまり面白くねーな」となる。

でも結局は、仕事もいかに楽しくできるかであり、自分がどうやるか。

極論は、
「仕事は究極のヒマつぶし」なんだから、
自分が楽しく、毎日やる「それ」を楽しんでできる状態にあれば、それでいい。
俺の場合、「それ」の中に、

・外国語を使って、海外と取引をすること
・海外出張に定期的に行くこと
・働く職場の人間関係のストレスがゼロに近いこと
・毎日、余り人と話す必要なく、自分の仕事に没頭できること

が満たされていれば、幸せなわけで。

なので、今の仕事は、とても好き。楽しいと思う。
仕事に行くのが、結構毎日楽しい。
(通勤は嫌いだけど)

・・・

さて、今年は30歳になりました。
10年前、俺がまだ20際くらいの頃に、当時は、将来を超心配してましたが、
今は、素敵な奥さんと結婚して、好きな仕事もできて、
本当に、恵まれていると思います。

そういうことを、忘れないように、当たり前と思わないように、
そして、満足せず、常に成長していけるように、
ここに、記しておこう。

2013/12/27. 21:45






December 19, 2013 23:00

2013/12/19 22:51-

最近は、ずいぶん仕事にも慣れた。
今年の頭、3月に東京営業所に移ってからは、
最初は貿易業務も営業の対応も全然慣れなかったけれど、
今では、どっちも殆ど聞かずに自分で全て対応できるし、
かつ、スピードもついてきた。

英語に関しても、出張に今年は4回くらい行って、
(スイス一回、インド一回、北米二回(そのときドイツとロンドンも一緒に))
大分、ビジネスで使う英語や、
かつ、どんな話をするかにも慣れた。

多分、そういう経験と時間が、自分に自信を与えているのだと思う。

*****

思えば、俺はずいぶんと、悩まなくなったと思う。
今の仕事に移るまでは、
かつ、今の仕事に移ってからも、
最初の頃は、結構悩んでいた。

今の会社に移るまでは、常に、
「俺の人生はこれで良いのか、俺の進路はこれで良いのか」
と悩んでいた。
結局、進路をどうするかが、
俺の、17歳くらいからの悩みだったと思う。

今は、自分の好きなことを仕事にできて、
かつ、人にも恵まれているので、
はっきり言って、仕事においてのストレスが、殆どない。
(そりゃもちろん、日々の中での小さなストレスは多々ありますが。
でも、そんなのは、かつて抱えていた大きな悩みに比べたら、屁でもない。)


そういった中で、以前は、妻に、よく、
俺の話を聞いてもらって、励ましてもらっていたんだけど、
今は、そういった進路の悩みで、
妻に殆ど相談しなくなったなあ、と思う。

今の悩みは、正直、
日々薄くなっていく髪の毛のことくらいですか。
(30代に入って、本気で後頭部と剃り込みが同時に薄くなってきているので、
マジで焦っている。そりゃあ、昔から将来は禿げると覚悟していたけど、
本当に髪の毛が薄くなりだすと、それはもう、死活問題ですよ。
男にとって、やっぱり”髪の毛がなくなる”というのは、
多分、”もう自分は若くは無い”ということを知らされる、
大きな恐怖なんだと思う。
”もう若く無い”というのは、恐い事実です。俺の心は、
まだまだ若いけれど。)

*****

何を書いてるかよく分からなくなったけど、
そんなわけで、こうしてここに、こういう真面目な事を久々に書こうとしても、
やっぱり、最後は髪の毛の薄さに関してで話が終わってしまうので、
結局、今は殆ど悩みっていうのは無いんだと思う。



幸せなことです。


今後は、数年後に、子供をもって、
その子を育てて、というのに、
自分の興味の対象も変わって行くんだろうな、と何となく思う。

30歳にもなると、
自分のことだけを考えている人生というのは、
結構、物足りないね、というのに、気づいてくるのかな。

2013/12/19 23:00





November 13, 2013 15:30

2013/11/13 14:47-

今は飛行機の中。
NYのJFK空港から、成田へ向かっているところ。
11:15AM出発の便で、
全部で14時間10分かかるそうな。
気流が向かい風、という為らしい。
こんなに長いフライトは初めてです。

*****

ANAのビジネスクラスだが、
サービスの質の高さと、食事の美味しさ、
そして、機体の性能の高さに感動する。

食事は、日本食か洋食を選べるけれど、
フライトアテンダントの方も、両方を説明して下さった後、
「個人的にはアメリカ発の便ですと、洋食のステーキの方をお勧めします」と。(洋食も、ステーキかシーフードを選べる。)
そういう事まで言ってくれるのは、海外のエアラインだと絶対にないので、
そのきめ細かい対応、というか、
「相手のことを考えて動く」という姿勢にとにかく感動する。

(海外、特にアメリカのエアライン(ユナイテッドやUSエアウェイズなど)は、
フライトアテンダントが、
1)基本的にデブ(物凄い太り方をしている。どのアテンダントも、男も女も太っているので、通路をふさぐ以上に、通路を通るときに、彼らのおしりが通路側の人間の腕にぶつかっていくという現実。あれどうにかして欲しいです。)
2)態度が酷い。「カスタマーサービス」という概念を知らない。
3)笑顔がない。愛想笑いさえすらしない。「もしかして昨日肉親のお葬式があったんですか?」と聞きたくなるくらい、みんなむっつりして、むっとして、偉そう。(でも、たまに素晴らしい人がいる。そういう人は、常に笑顔で、逆に日本やEUなど他の国では見られないような、素晴らしい愛情とユーモアにあふれた接客をしてくれる。そういうときに「アメリカという国はやっぱり凄いな」と思う。)

*****

話を日本人に戻すと、
日本人は、言葉に出さない気持ちを、
自ら察して、相手のために動く、ということを義務付けられているし、
それができてこそ一人前、という文化があるけれど、
西洋、特にアメリカではそんなものは存在しない。
(まあ、存在はすると思うけど、ハイクラスのホテルや店でのサービスを受けない限りは、そういうものはExpectできない。)

“西洋”と上に書いたが、今回フランクフルトに5泊、
ロンドンに1泊してみて、
ヨーロッパのサービスを少し受け、
ヨーロッパは、結構、Common Sense(常識)というか、
日本でも通じるそういった「おもてなしの心」があるなあ、と思った。
問題はアメリカですね。
野蛮で、適当で、余り、というか何も気にしていなくて、
自分勝手で、自己中心的。

今回の出張で感じたけれど、
アメリカという国は、歴史が200年ちょっとしかない、
まだ「国」として成り立っていない、ただの「集団」でしか無いと思う。
会社で言ってみればベンチャー企業。
新しいから勢いもあるし、決断も早く、
諦めも早く、行動も早いが、
とにかく、「文化」というものが出来上がっていないので、
「落ち着き」というものが存在しない。
(東海岸の歴史ある地域に行けば、それなりの落ち着きはあるけれど。)

国も、土地自体が広すぎるので、
本当に、50の国が集まったようなものだと思う。
それを、大統領一人でまとめようとしているんだから、
結構大変だと思う。

(大統領の仕事に関して言えば、
この国は広いから、まず自然災害が常に起きるし(ハリケーン、ストーム等)、
次に、銃世界だから、銃撃による一般人の事件が耐えないし(実際、俺が今回の出張でアメリカに3週間弱滞在している際にも、銃撃の事件が大きく2件もあった。1件はロサンゼルスLAXの空港。TSA職員が一人殺害され、他数名が撃たれる。もう一つは、NJプリマスのモールで、発砲事件が夜あったあと、その男と思われる少年が、自殺する)、
戦争に関しては、この国は戦争をしないと生きていけない国だから、常に戦争状態にあるし、
国民保険に関していえば、オバマは史上初の国民皆保険制度オバマケアを作り上げているけれど、今はそのオバマケアのサイトがうまく動かずに、ニュースでは常にオバマが責められているし、
政治に関しても、人種が日本の様に一つの単一国家なら良いけれど、
この国はそれこそ全世界から人種が集まっている上に、
黒人を初めとしたそれぞれの人種に対する人種差別にも対応していなきゃいけないし
(Saturday Night Liveでは、今は黒人の女性コメディアンが数年連続でいないということで、2週間ほど前には、そのことがニュースで槍玉に挙げられていた。
それに対して番組側は、
黒人女性をゲストに迎えた挙句、
最初にオバマ婦人の役をやらせてた後、
彼女に向かって、「すみません、この後オプラが出る予定なんですけれども、その為にはあなたに下がっていただかないと、彼女が出られないんです」と言って、
その女性が一度舞台裏に下がっている間に、
「サタデーナイトライブは、現在黒人女性コメディアンが一人もいないがゆえに、このような対応をしなければいけない事を残念に思っております。
我々はまた今後も黒人女性を迎えるつもりでおります。もちろん、別の白人男性でもっと良い人がいれば、そっちに行く可能性も大ですが。」
というアナウンスメントをショーの中でやって、そのアナウンスメントが終わった頃に、
さっきオバマ婦人をやっていた女性が、オプラとして出てくる、というコントが行なわれた。
(これに対して、CNNは朝からニュースをやって、「今批判されている問題に対して、笑いを交えつつも、うまく対応しましたね」と報道していた。)

ちょとわき道に逸れたが、
そんなわけで、この国は対応すべき問題が山ほどある。
それに対して、毎回大統領が責任を取らされるんだから、
そりゃあ、オバマも老けるし、
みんな老けていきますよ。

でも、個人的にはオバマはよくやっていると思う。
がんばって欲しい。)

*****

何を書こうとしたか忘れたけれど、
そんなわけで、ヨーロッパ、アメリカ、日本と、
色々な国を見ていくと、
それぞれの国の違いを感じ、同時に、
その国の人たちの行動、態度、そういったものの違いにも気づいていく。
そして、そんな中で、
日本人というのは、やはり「相手の心を察して先に動く」という文化、
つまり、「お・も・て・な・し」の文化の国だと思う。

日本にずっといると、それが当たり前になっちゃうんだけどね。
だから、日本のおっさんは、偉そうなんだよ。
(日本の中では、基本的に、アメリカほど目に見える人種差別は存在しない。単一国家に近いから。言語も一つしかないし。
そんな中で、男尊女卑はまだ確実に存在し、その結果、
日本にいると、「日本人で男」であれば、ある程度の待遇は受けられる。
(それが、たとえばアメリカになると、完全に白人が一番だから、
白人はその「目に見えないが存在する差別」の存在を批判するが、
非白人は、それを毎日感じるわけで。
よって、アメリカでは、「白人の男」がピラミッドの一番上に立ち、
その下に、他の人種が連なっていく。
アジア人は、もちろん下になる。)

そんな差別も、日本にいる以上は、
「アジア人だから」
「英語が母国語の人間じゃないから」
という理由で、差別されることなんて、全く無い。

(今回出張中に、別の部署の上司と話していたが(ちなみにその人はアメリカに10年以上住んで仕事をしていた人)、
アメリカ人って、「英語を話せない人を下に見るよね」と。
確かに言われて、そうだなと思った。
英語を母国語として話さない人間をバカにしてみる傾向は結構強いと思う。
もちろん人によるが。)


ということで日本人のおっさんに話を戻すと、
日本で、男で、おっさんで、ある程度の仕事をしている以上、
店でも、どこでも、それなりのサービスを受けられるから、
日本人のおっさんは、無頓着で、周りを省みない人間になっていくわけで。
(くしゃみをするときに手で押さえない、
周りがびっくるする音でくしゃみや咳をする、
タンをかーーっぺっと言ってその辺にはく、など。)

かなりサブジェクトがずれ込んできましたが、
要するに、ANAのサービスは素晴らしいですね、という事が書きたかったのです。

今回から、アイマスクや歯ブラシなどが入ったポーチは、
白を基調にしたロキシタンとコラボのものに変わったようです。
ロキシタンブランドのリップクリームまで入っています。
素晴らしいですね。

2013/11/13 15:18






November 10, 2013 23:10

2013/11/10 22:45-

今はNJ、Edgewaterのホテルの中。
今日は、11時にChattanoogaのホテルを出て、
フライトを二つ経由して、18時ごろにここに着いた。

朝、Chattanoogaのホテルから空港に行くまでで、
前回金曜日に使ったタクシーの運転手に再度来てもらうように話をしていた。

彼は、前回(金曜日)に別れる際に、
「この辺はみんな、嘘をついて勝手に人の予約を横取りする運転手がいるから、
ちゃんと俺の車の番号を見てくれ。
I’m an educated man and I would like to promise.(俺は教育をしっかりと受けた人間だから、約束するよ。)」

自分のことを「I’m an educated man」という時点で、胡散臭いな、と思っていたが、
いざ今日再度あって話をすると、面白いことが分かった。

まず彼は、元々NY出身だが、
プリマスのCommunity Collegeに行った後、
UCバークレーに編入したそうな。
そして、今はベイエリアをメインにTaxiドライバーとして働いているらしい。

また、元々卒業した後、
15年〜20年は、Junior CollegeでEnglishを教えていたそうな。
その後、一つ仕事を経て、
今のTaxiドライバーをしているらしい。

教師をやった後に、Taxiドライバーっていうのも変だなと思っていたが、
彼が俺に、「How old are you?」というので、「30」と答えると、
「You are still young. I am 62」と。
それを聞いてびっくりした。彼はどう見ても、
40代にしか見えなかったから。

俺がびっくりして、「え?62歳?」と聞くと、
「若くいる秘訣は、
肉を余り食べないこと、
たくさんの野菜とフルーツを食べること、
ビタミンDをたくさんとること、
運動を適宜にすること(彼は一日5マイル必ず歩くらしい)、
そして、適宜、自分の頭を使って考えることだ(Think properly)」と。

確かに、別れる間際に彼のことをよーくみると、
肌の感じとか、手の感じが、
確かに、言われてみればそうだな、という感じはしたけれど、
それでもどう見ても、50歳以上には見えなかった。

今タクシードライバーをやっているのも、定年退職後の趣味みたいなもんなのかもしれない。

そして今は、友人を訪ねにテネシーまで来て、
そのついでに、ここでタクシーの仕事もしているそうな。
「普通の仕事は、一つの場所にずっといなきゃいけないけど、
この仕事は、ある意味そういうバウンダリーがなくなっていいんだよ」と。

そして、上にも書いたように、
彼が行った学校はバークレーだったわけで、
俺が昨日の朝食時にたまたま出会った夫婦も、
バークレー出身だったので、
そのことを言うと、
「It’s a small world」と。
確かにそうだと思う。

*****

そんなわけで、テネシー州のチャタヌーガという町に、
俺は2泊しかしなかったわけだが、
たまたまそこで出会って、話をするまでに至った人たちは、
みんなたまたまバークレー出身で、
一人(夫婦の奥さんの方)は、祖先が日本人の日系人だったし、
もう一人(今日のタクシードライバー)は、
日本の歴史にずいぶん詳しかったし、
(彼は、金曜日に俺が別れる際に、
「Where are you from?」と聞かれて「Japan」と答えると、
「Japan has a long history. Over 2000 years. On the other hand, US got only 200 years of history. We have to learn from Japan」と。

今日も、「日本は長年の歴史があって、素晴らしい国だけれど、
アメリカは歴史も短いし、みんな、きちんと“考える”ことをしない。
この国はスポイルされた国だよ。」と。

彼と話して気づいたのは、
カリフォルニアには、やっぱり西海岸だからか、
それとも、ヒッピーが多く集まるからか、
結構彼の様に、
アメリカという国を客観的に見て、
それがどういう国なのか、どういう人たちの集まりなのかを冷静に見て、
的確なコメントをする人が多いということ。

こういう人は、それこそテネシー出身で、
一生をテネシーで過ごしているような人の口からは聞けないし、
そういうマインドも持っていない。

いわば、そんなリベラルな人というのは、
NYや、カリフォルニアなど、海岸沿いにやっぱり多いと思う。
(彼のように、アメリカを客観的に見て、適切なコメントをする人で初めて会ったのは、
College of the Siskiyousのアートクラスで一緒だった、
Lauraという女性だった。
彼女もやっぱりNY出身で、カリフォルニアのその学校に通っている人だった。)

*****

この国はとても広いが、
いざ隣に座った人や、
たまたま拾ったタクシーの運転手が、
反対側の州出身で、
彼らが、自分と似たような共通点を持っていたりする。

そんなことが、人生では良く起こる。
It’s a small world.
そんなとき、人生は面白いな、と思う。


2013/11/10 23:06







DSC_1975


2013/11/10 (Sun) 10:01am-

今はテネシー州、Chattanooga(チャタヌーガ)のホテル。
ここには昨晩とその前の2泊して、
あと1時間したら出発する。
ノースカロライナ州のシャーロット空港経由で、
2本の飛行機に乗る。
一本はそれぞれ2時間弱くらいのフライト。

*****

この町は、南部の田舎、ということもあり、
基本的に白人が多い。
昨日はダウンタウンを少し歩いたけれど、
黒人のホームレスをたくさん見かける。
Public Libraryがあって中に入ってみたけど、
黒人のホームレスが、自分の荷物を入れたスーツケースを横におき、
本を適当に読んだり、時間を潰している様子が見えた。
はっきり言って治安が良いとはいえない。
危険な感じはぜんぜんしないけれど(基本的に人が余り歩いていないから)、
かといって、落ち着く町ではない。

田舎なので、物価が安い。
昨日はアメリカに今回来て2回目の映画だったけど、
最近はどこも大人12ドル〜14ドルはするのに、
ここは7.75ドルだった。
しかも、毎日16時から17時半の間に入ると、
5ドルで見れるらしい。

にも関わらず、映画館はしっかりしていて、
映像も音も立派で、大満足だった。
260人近く収容の大劇場には、
おばさんの二人連れが2組と、
車椅子の女性が一人と、
あとは俺だけだった。
(つまり、俺以外は全員女性。内容が”About Time”ということもあるけれど。
そして、にも関わらず、
俺が一番最初に劇場に入って真ん中の席に座っていたら、
案の定おばさん二人組みは俺の真後ろに座るので、
あんなに広い劇場に、たった6人しかいない客が、
真ん中に集まってみてるのがなんか面白かった。
映画は12:10スタートにも関わらず、
12;25になっても始まらず、
「本当にここで合ってるのか?」と思ったけど、やっと始まった。
それまでに、ローカルのCMや、
「I hope you have your pop-corn and coke」というコカコーラのCMを何回も見せられて、
結局ポップコーンを途中で買いにいった自分。)

*****

昨日の朝は、ここでフリーのビュッフェスタイルのご飯を食べていると、
隣に座った夫婦の奥さんのほうが話しかけてきて、
彼女たちは、カリフォルニア州のバークレーから来たということだった。
俺と上司の二人が日本語で話しているのを見て、
日本人と気づいたらしい。
彼女の祖先は日本人で、
たまに日本にも行くという。
その人は完全なアメリカ生まれの日系アメリカ人。
旦那さんは白人だった。

彼女が、「なかなかここではアジア人を見ないから、
つい気になっちゃって」と。
確かに、ホテルのロビーには白人と黒人しかいない。
ラティーノなんかもいない。
どこにでもいる中国人も、ここにはさすがにいない。

「僕もカリフォルニアに6年間いたんですよ」と話して、
「ここは全然カリフォルニアとは違うね」と。

TVを見ても、地元の教会が宣伝をしてるけど、
来ている人たちはみんな白人。
そしてみんな見事に太っている。
(アメリカ人は、本当に、ハンバーガーとピザとステーキしか食事を知らないんじゃないかと思う。味覚音痴なのか?)

ある意味、俺が一番最初の年に留学したSiskiyou Countyに似ているけれど、
(ちなみにその旦那さんの方は、College of the Siskiyousを知っていた。
サンフランシスコ空港の税関の人たちでも知らないくらいなのに、
彼が知っていたので驚いた。)
ここは、Siskiyou Countyは、田舎とはいえ西海岸だから、
もっとリベラルなのに対して、
チャタヌーガは、本当に内陸部、というか、
人はいいけれど、もっと保守的で、
「ザ・アメリカの田舎」という感じがする。

でも、田舎なので、人は良い。

*****

アメリカを3週間も出張で滞在していると、
さすがに飽きてくる。
ホテルの周りには基本的に何もないので、
(アメリカは車がないとどこにも行けない)
やっぱり、暇になる。
TVはずいぶん見たけれど、CMの多さにはうんざりする。

英語というのは、日本にずっといて使わないと、
リスニングもスピーキングも落ちるけれど、
やっぱり2週間以上いると、それはまた上がってくる。
自分がメインで使う言語になるから。

*****

大して書くことはないけれど、
とりあえず、今の気持ちを記しておいた。

2013/11/10 10:17am

PS. 昨日の夜はどうしようと思って、
宅配のピザを初めて頼んだ。
一番小さいサイズを頼んだけれど、
タックス込みで14.5ドル。
チップを含めて17ドル渡す。
まあまあおいしかったけれど、
こっちの材料は何を使ってるのかと思う。
とにかくのどが渇いてしょうがない。
ここで、俺は水しか飲まないけれど、
アメリカ人は大抵コークを飲むんだろうね。

だから太るんですよ。




November 01, 2013 22:26

2013/11/01 22:00-

今は、New Jerseyのホテル。
今朝は4時半に起きて、(昨晩は12時に寝て、今朝は7時に起きればよかったんだけど、最近ずっと4時半おきなので、今朝も目が覚めてしまってその後眠れなかった)
そこから筋トレしたり、荷物のパッキングをしたり、仕事をしたりして、
9時に部屋を出て、
シャトルバスでシカゴオヘア空港に向かい、
10時には中に入ったが、
今朝はシアトルからNYまで、低気圧が3つも来ていて、
強風が吹いていた為に、
飛行機が遅れる。
11時発のはずが、
結局14時発までずれ込んだ。

おかげで、本当はNYのラガーディア空港に14時過ぎに着くはずが、
着いたのは17時ごろ。
そこから呼んでいたリモタクシーでホテルに向かうが、
丁度夕方の渋滞時間につかまり、
ハーレム、アッパーマンハッタン辺りを通り過ぎて、
ジョージワシントンブリッジを通って、
今いるエッジウォーターのホテルまで来た。

それにしても、びっくりしたのは、
今朝現地時間9時ごろに、
LAXであった銃撃事件。
23歳の男が、空港のターミナル3にて、
TSA(米運輸保安庁)の職員一人を撃って殺し、
他にも何人かが怪我をした。
空港は今、他の便の飛行をかんぜん半分近く停止しているので、
既に600便以上が遅延になったそうな。

LAXはかなり大きい空港で、アジアやヨーロッパ、
アメリカの東海岸から西海岸に来る場合は、
大抵LAXを使う。
なので、これから数日間はLAXが動かなくなるだろうということで、
大きな混乱を招いている。
犯人の動機はまだ分かっていない。

*****

やはり、俺も毎日空港を使っているので、
これは本当に恐いなと思った。
空港で誰かが撮影したシーンが報道されていたけど、
それを見て、初めてこういうニュースを見てゾッとした。
自分に近いことだから。

今でもアメリカの空港のセキュリティチェックは厳しく、
時間が本当にかかるが、
今後はもっと厳しくなってしまうだろう。

CNNでは、現在も空港から別のルートを見つけるために、
スーツケースを持って道路を歩く人たちの姿が
上空から映し出されている。

*****

とにかく、アメリカは色んな事件が毎日のように起きる。
土地もそれだけ広いが、
様々な人種が混ざってこの土地で生活し、
文化、人種、様々な違いの中で、
まだ短い歴史しかないこの新しい国で、本当に様々なことが起きる。

*****

今日は、ただシカゴからNYまで移動しただけだったが、
なぜか本当に疲れた。

2013/11/01 22:23




October 31, 2013 23:33

2013/10/31 23:01-

さて、今はシカゴのインターコンチネンタルのホテル。
ここには昨晩と今晩の二泊することになる。
明日の朝は、11時のフライトでNYへ向かう。
今週は、先週末土曜にメリーランドへ移り、
日曜だけ休んだ後は、
月曜にメリーランドで2つ訪問、
火曜はインディアナポリスへ移動、
朝4時に起き、インディアナポリスに着いたと途端にディーラーと一緒に顧客を訪問、
夜は10時過ぎまで会食、
水曜はまた朝4時半に起き、飛行機で今度はシカゴへ。
空港に着き、ホテルにチェックイン後、
リモタクシーで45分走り、顧客を訪問。
2時前にホテルへ帰宅。
その後は、報告書の記入やメールなど仕事をする。
夜は少しだけ、夕方から2時間ほど
このホテルの横に8月一週目にOPENしたCHICAGO OUTLETを見る。

そして今朝は4時半に起き、
8時の飛行機で、オハイオ州コロンバスへ。
ここは今回はじめての訪問。
空港からタクシーで20分ほどの顧客を訪ねる。
空港には1時には着き、バーでビール一杯とナチョスやウィングスなどを食べる。
(バッファローウイングスを想定して頼んだら、骨なしの、色が凄まじい蛍光色のオレンジ色のチキンが出てきた。ものすごくしょっぱくて不味かった。どうやったらあんなものを作って、10ドル近くで売れるんだろう?)
その後、空港で報告書を完成させ、
4時過ぎのフライトでまだ1時間弱飛行機に乗り、
シカゴへ戻る。
部屋へ戻ってきて、メールなどを行い、
6時半過ぎに、昨日行ったアウトレットモールへもう一回行って、
ずーっと欲しかった、BOSEのノイズキャンセリングヘッドフォンを、
日本で買うよりも6000円近く安く買えた。
今使ってるけど、めちゃくちゃ良い。
これは結構高い買い物だから、どうかなあ、とずっと春くらいから迷ってたけど、
やっぱり、海外出張が年に大きいのが3回(北米)、
インドが2回、
そして、更に夏はブラジルなども入ると、
飛行機に乗る回数がかなり多いので、
そういうときに、ただ音楽を聴かずに、ノイズキャンセリングをするだけでもだいぶ疲れが違う。
そして、普段聴いていた音楽が、
細部の、今まで聞こえなかったところまで聞こえるのが、感動。
「ああ、ここにこんな音が隠されていたのか」と嬉しくなる。
やっぱり、好きな音楽を、楽しめる、というのは
最高の楽しみの一つだと思います。

*****

明日は、朝の9時過ぎにホテルを出て、
11時の飛行機でNYに向かう予定。(上に書いたっけ?)
明日は、午後は顧客訪問が無いので、まだましです。

それにしても、北米出張というのは、
日中は顧客訪問、
そして早朝と夜は、日本とのメールが溜まっているのをひたすら行なっていくので、
結構、一日中仕事づけというか、
ある程度ラインを引いてやらないと、結構仕事付けの24時間になってしまいます。
(と言いつつも、大事なメールにすぐに返さないと、
後で上司から「海外勤務中は24/7 on dutyです」なんて言われてしまうので、
どこまでをやっとくべきで、何を後に回すかをきちんと見極めるのが大事。)


海外営業は、やってみるまではかっこいいと思っていたけど、
いざやってみると、やっぱり、
大変なことが多いですね。

まず、体力的にきつい。
時差はころころ変わるし、
1時間早まったかと思えば、また1時間遅まって、
ヨーロッパで時差になれたかと思えば、
次はアメリカの時差になれる順番。

飛行機にはしょっちゅう乗るので、セキュリティ検査を毎回通って、
ベルトをはずし、靴を脱ぎ・・・
などとやって、
鬼のように広い空港を歩き、
飛行機を待ち、
気圧の変わる上空に上がり・・・
などとやって、
ホテルに帰ってきても、メールが溜まっていたりすると、
鬱憤が溜まってきたりする。

要は、いかに早く仕事をして、
後は、遊ぶことを優先するか、
それが大事なわけです。
いつまでも仕事をダラダラしていたら、
それこそ、一日中メールと顧客とのやり取りだけで、
あんまりアメリカにいる気がしないもんね。

*****

なんか愚痴みたくなっていますが、
要するに、
「いかに遊びの時間を作るか」
「いかに仕事の時間を短くするか」
という精神でいて、やっとちょうど良いくらいになる、
ということです。
上のようにやっても、実際ほとんど遊べねえし。

しかしながら同時に、今は自分の製品知識や、
この業界のバックグラウンド、
また、法律関係、レギュレーション(規制)関係など、
アメリカ、ヨーロッパ、インドなどの国の規制にも関わってくるので、
それらを勉強するのが第一です。
じゃないと、全然協議中も話が分からないし。

誰かが親切に、「これはこうだよ」と教えてくれるわけじゃないし、
とにかく、自分で一つ一つピックアップして、
覚えて、勉強していかなきゃならない。
今は、自分がいる業界の仕事の「ルール」を学んでいるときです。

しかし、いったんその「ルール」が身につけば、
「なーんだ、こういうことを話していたのか」
となり、
そうすると、話が全部分かってくるし、
自分の裁量で仕事をコントロールできるようになるから、
楽しくなるわけで。

*****

俺は、今年の3月に東京営業所に移動して、
6月の出張までは、とにかくどうメールにリスポンスするかを
先輩に教わって、
ただ、1に対して1を返すだけで、
6月〜7月の出張で、実際に普段取引をしている顧客に実際に会い、
実感がわき、
7月はまた、インドも行き、
そして、8月、9月とやって、
今に至る。

既に会社は、俺に結構色々な仕事を任せてくれているので、
大事なのは、
1)毎日の小さな仕事(顧客へのメールの返事、事務など、すぐにやらなきゃいけない事)
2)もっと大きな視点で見て、核となる大事なことの理解、知識習得、勉強(業界、製品知識、法律、規制等)
の二つがあった場合、
日本にいると、毎日9時から17時半まで、
1)の対応であっという間に終わってしまうので、中々自分の知識がつかない中で、
本当は真っ先に2)を習得するべきで、
そうしたら、1)ももっと早く、簡単に、いちいち上に教わらずに出来るようになるので、
2)をやるべきで、
それをやる時間をうまく取ることができるのが、
この海外出張中、ということ。
実際に、北米担当の上司と、研究開発部の上司と一緒にいられるわけだから。
(普段二人は本社にいるので、
中々直接話せず、その点もやりにくい。)

*****

といいつつ、
結局海外にいても、
1)のやり取りだけで数時間がどんどん過ぎていって、
今日なんかも気づけば、
朝の4時半に起きてずっと仕事してんのに、
夜の10時まで仕事してるじゃねーかよ!と気づく自分がいる。

*****

まあ、うまくバランスを取って、
この世界のルールを習得してしまおう。


それから、今朝CNNでやっていたが、
アメリカでは今、外国語を話せること、
それも、その言語で何かの分野をマスターしている場合、
平均年収が230,000ドル(約2300万円)まで上がる、と言うことをやっていた。

特に高いのは、法律、医療系だと。

そんなわけでも、今自分は、後者に近い分野にいるわけだし、
自分の今の仕事の2)をマスターすることは、
上のCNNの内容にも繋がるし、
同時に、ポルトガル語もやっているから、
よし、もっとやったるか、
と良いモチベーションになった。

*****

以上。
若い日記でした。

2013/10/31 23:31



PS.
で、何を書こうと思ったかというと、
「毎日、常に移動ばかりしているので、
今朝どこにいたのか、
昨日はどこにいたのか、
思い出すのにすごく苦労する」
ということを書きたかったのです。





October 28, 2013 05:30

2013/10/28 4:55am-

・アメリカは土地がとにかく広い。土地が有り余っている、という印象を受ける。
一昨日ワシントン空港に降り立ったが、その後メリーランドのホテルに車での道中、とにかく土地が広いことが目に付く、
空港の周りは、駐車場などがあったが、その駐車場もばかでかい。
高速を走ると、両サイドには延々と森林が続く。
(この光景は、自分が学生時代をすごした南カリフォルニアの方になると、砂漠地帯なので、延々と砂漠が広がる。森林は余り見ない。)

ホテルの中も、本当に広い。
部屋の中も広いし、ホテル内の廊下も無意味に広い。
街中も、1ブロックの距離が半端ない。
信号が余りないので、信号から信号までは車だと一気に50マイル以上出して(80キロ以上)突っ走るから、車に乗っているときには近いイメージがあるが、いざ歩くと、それはもう遠い。


・昨日は日曜だったが、先週の日曜に日本を出て依頼、ずーっと移動なり、毎日仕事が入っていたので、久々の何もない休みだった。(実質9日ぶりの休みくらいになる)
日中は昼寝を少しするはずが、一気に5時間近く寝てしまって、
その後起きてシャトルバス近くのショッピングセンターに行こうとするが、
シャトルバスが不調のため動いていないという。
歩くと25分くらいの距離だが、寒いのと、
もう夕方近くて暗くなってくるのもあり、昨日はそのままホテルに残った。
おかげさまで、一日ホテルに缶詰。
昨日の朝は4時にはおきて、いくら昼寝をしたと言えども、
朝の4時から夜中の11時までずーっとホテルだから、
さっき起きたら、もうこの空間に飽きていた。
この感覚は、留学時代の2年目、サンノゼの(サラトガに住んでいた)頃に近い。
当時は車もなく、移動手段は自転車かバス。
アメリカの特徴は、上に書いたように、
すべてが広く、遠いこと。
車なしでは簡単にはどこへもいけない。
だからこそ、友達がいなかったりすると、孤独に陥る。

俺は結構、2年目の休みは、家で一日過ごすことも多かったと思う。
誰ともコミュニケーションなしに。
(一時期は余りに誰とも話さないので、気分がふさがってしょうがなかった)

その当時の感覚を、さっき思い出した。
こういう、
「近くに遊びに行く場所も無い、人もいない、何も無い」
状態にずーっといることって、中々、日本の学生やヨーロッパの学生には起こり得ないんだろうな、と。アメリカほど、全てが遠いわけじゃないだろうから。


******

・先日、ロンドンのホテルのレストランで、別部署の上司と話している際に、
「あなたには、今のうちに色々な国を実際に見て、その国がどんな国であるかを感じて、その上で、日本も見て、自分たちの会社がある町も見て、その良さを、外も比べた上で客観的に分かった上で知った上で、世界に売っていって欲しい」、と言われた。

その国で走っている車は、やはり特徴がある。
その国の車は、その国の人をある程度表す。
その国の食べ物も、文化も、政治の仕方も、
全ては、その国の「一般的な」平均値の人間の様子、なり、性格を表し、
それを、誰かの書いた本などで知るのではなく、
自分の目で見て、肌で感じて、「知る」ことは、
自らの視野を広げ、大きな肥やしとなる。

俺は、別に人と話すことが好きでない。
ただ、自分を他人に認めてもらい、ほめられることが好きなだけ。
本当は家にこもって、一人で黙々と何かをいじっているほうが好き。
人と話すと、それだけで気を遣い、究極的に言うと、「疲れる」から。
でも、そんな自分は、素のままの自分で、
3歳の頃から変わってないから、
同時に、本来の自分が持っていない自分、
つまり、外交的で、アウトゴーイングな自分になりたいと思って、
今まで人生を生きてきた。

この事実には、妻に指摘をされて、
ああなるほどと、気づいた。ついここ数年のこと。

今は30歳になり、妻とも結婚し、
人間的な自信がやっと付いたのか、
これ以上自分を「変えたい」という気持ちは起きない。
今あるのは、
もっと自分の知識を増やし、
頭を鍛えること。
世界でのビジネス界に入っていくと、
結局は、いかに多くのことを精通して「知っている」かが鍵となる。
素の頭の良さよりも、その道のエキスパートとなりうるだけの
知識を持っているかどうかが、社会で認められる鍵である。
俺の場合、それがまだ無い。
英語が話せるだけでは、「こんにちは、どうもありがとう。よろしくね」と言っているに過ぎない。
俺に必要なのは、

・その分野ではエキスパートと呼べるだけの専門知識
・絶対的な英語力(どんな分野のことでも、言い方が分からないなど無く、確実にコミュニケーションが取れる語学力)
・更なる第三言語(今はポルトガル語をまず習得すること)
・世界の様々な国を自分の目で見て、肌で感じた上で、その国の文化、歴史、経済を頭にいれ、その国を、自分の経験と知識の両方から、きちんと「知る」こと。

***********

・その上司と話したが、
うちの会社に近いある人(Aさん)は、
今では社会的には成功して、何台もの車を持つ。
しかし、その上司いわく、Aさんは、
決して、「車」が好きなのではなくて、
「高級な車を何台も所有したり、それをいじっている自分」が好きだと思う、とのこと。

それを聞いて、よく分かった。
結局は俺も、「海外を回ること」が本当に好きなんじゃなくて、
「海外を回っている自分」のステータスが好きなだけだから。
それを言うと、「あなたの上司も一緒だと思うよ」と言われた。


結局、男というのは、
何歳になっても、子供なんだと思う。
その人間が、小さい男の子の頃に好きだったもの、
生きていく途中であこがれたもの、
執念をもったもの、
それを、いかに叶えて、手に入れていくか。

男はそれを、ずっとやっていく。

だから、女性から見たら、男はこどもに移るんだと思う。
かわいいね、と。

ただ、その「執念」がどれだけ強いか否かで、
その男の仕事の質も決まってくるし、
それで手に入れるお金やモノの数も違ってくる。

Aさんは、結局、車を何台も持っているが、
フェラーリに、BMW,ベンツ、アウディ、ポルシェなど、
様々な種類の車を持っているらしい。
その上司いわく、「それは本当に“車”という機械が好きなのではなくて、
やっぱりそれらを持っている自分が好きなだけだ」と。
逆にその上司の場合は、彼は生物や化学など、モノの仕組みを解明していくのが好きな人だから、
車も、機械としてやっぱり好きで、
そんな機械好きの人間だったら、一つの車のタイプにはまって、その同じ種類の車を集めていくという(金銭的余裕があれば)。

その上司は、以前はそのAさんと同じ会社であり、
彼の部下であったが、
二人とも会社を代えたりしてきた結果、
Aさんは独立し、
彼はうちの会社で働いている。

「別にAさんをばかにしているわけではないけどね」と。

結局その話で言いたかったことは、
男は、
1)「本当に“それ”が好きで、だから“それ”を仕事にしているのか」
それとも、
2)「本当は“それ”は好きじゃないけど、“それ”をしている“自分”が好きだから、“それ”をしているのか」
という二つに別れると思う、ということ。
(上の二つは、あくまでも、「自分が好きなことを仕事にしている」と言える人間の場合)


いくら、「私は自分の好きなことを仕事でやっています」と言えても、
そこから更に深く掘り下げていくと、
またそこには種類が別れるわけで。

俺は完全に後者であり、
前者をやるには、まだ早すぎると思う。
前者をやると、結局は、
「中にずっとこもって、何かを作り上げていく仕事」ということになるから。
そして、それは、
他人とのコミュニケーションが余り無いから、
それでは俺の自尊心は満たされないし(結局は、「わあ、○○君の描いた絵は上手だね!○○君の作った作品は上手だね!」と褒められたい。)
その状態にいることは、
3歳のとき、ひたすら一人で黙々と絵を描いたり、
工作をしていた自分と変わりが無いから。
つまり、それでは、俺は素のままの自分であり、
「成長していない」と思う自分がどこかにいる。


結局は、コンプレックスの塊なんだと思う。


*****

と、自己分析をしだすと、
前なら、まだ良かったけど、
今は、「ああ、そう」と、自分のことなのに面倒くさくなってしまう。
「俺がどんな人間か」より、
「俺という人間を、どう今後変えていくか」の方が
重要じゃないか?と思ってしまうから。

それと、前はものすごく頑固だったのが、
ある程度は適当になったんだと思う。

頑固っていうのも、結局は自分に自信が無いことの表れでもあるだろうから。
「他人の考えや、批判を受け入れられるだけの器量のでかさが無い」ということ。

******

これは、30歳になったばかりの今の自分の考えであり、
また今後もどんどん変わっていくものと思われる。
以上。

ああ疲れた。

2013/10/28 5:29am







October 27, 2013 05:17

2013/10/27 (Sun)
4:36am-

さて、今はアメリカ、メリーランド州のホテルの中。
ここへは昨日の夜6時過ぎに着きました。

10/20(Sun)から10/25(Fri)の朝まではフランクフルトで過ごし、
その後、早朝の便でロンドンへ飛び、
ロンドンではコンサルタントの2社を訪れ、
その後、上司二人はフランクフルトへ帰り、
自分と別の部署の上司一人の計2人は、
ロンドンで一泊。

2004年の夏以来のロンドン。
町が見れたらよかったんですが、ホテルは空港の超近くのHoliday Innで、
町までタクシーで60ポンドとか言ってるので、
諦めて、ホテルの中のレストランで、
その方と一緒に食事をしました。(Fish and Chipsを食べた。ぜんぜん美味しくなかった。)
彼はウイスキーに詳しいので、
色々教えてもらい、
2種類飲みました。
(ストレートで飲んで、その後に水を口に加える。
うまいウイスキーほど、逆説のようだが、水が美味しく感じられるという。)

10/26(Sat)の朝にホテルを出て、
12:00発の便で、ロンドン⇒ワシントンD.C.へ。
フライトは8時間。
でも、時差があるから、
土曜の12時に出ても、着いたのは現地時間、土曜の15時。
飛行機の中では4時間半爆睡したので、時差ぼけはなし。
(と言いつつ、昨晩は夜の11時過ぎに寝て、朝の4時に目が覚めてしまった。)

今年の7月以来のアメリカだが、
やはりヨーロッパと比べてみると、ダサい。
アメリカ人は、声が大きい。
空港でも、レストランでも、ホテルのロビーでも、
みんなデカイ声で、がっはっはとやっている。
格好もださい。
お洒落をしているつもりの人は、ちょっとずれてるし、
後はみんな、白いソックスにスニーカーのおっさんばっか。
よく分からない文字が書かれたTシャツかパーカーを着て、
下はジーンズ。そして冬なのにビーサン。

そして、みんなユーモアが好き。
誰もがいつも笑いを狙っている。
完全に関西人と一緒です。
ユーモアの質も、ブラックユーモアや皮肉が好きなので、
だからうちの妻は、アメリカ人に人気なわけです。

*****

ヨーロッパは、俺は今年の4月末にスイスとフランスに4泊くらいした以外は、
2004年夏のバックパックの旅行以来初めてだったけど、
そして、今回はドイツを初めて見たけれど、
やっぱり、おしゃれな国だと思う。(ドイツだけとは言え)
ロンドンは余り見たとはいえないけれど、
ドイツは、(今回はフランクフルトに5泊した)
とてもお洒落だった。

町並みは、茶色などを基調として、
ブロック、石畳、そうした町並みなので、
色は落ち着いている。
昼間見るとなかなかシックだけど、
夜見ると、結構治安が悪く見える。
はっきり言って、「暗いなあ」という印象を受ける。

ドイツ人は真面目、という印象を受ける。
タクシーの運転手も、ちょっと聞いただけで、
色々教えてくれる。
展示会2日目の夜、先輩と一緒にフランクフルトの町に繰り出し、
ドイツ料理が食べられる店を探しに行ったが、
タクシーの運転手(インド系)に「ドイツ料理が食べられるおすすめの店しらない?」と聞くと、
「そうだなあ」と考えた後、
無線でコントロールセンターに連絡し、
数分しゃべった後、
そのコントロールセンターの女性が、
今走っている全ドライバーに無線で、
「二人の観光客のために、
フランクフルト内周辺でおススメのレストランを知っている人は連絡してちょうだい」
と聞いてくれて、
そこまでして、色々と情報を教えてくれた。
かなり感動した。

(でも結局、色々と見た結果、
おいしそうなタイレストランに入ったんですけど。笑 ごめんね)

***********

ということで、
ヨーロッパはやっぱりお洒落だな、と感じた。
歩いている人もスリムな人が多いし、
みんなCommon Sense(常識)があるというか、
話していて落ち着く。

しかし、アメリカはですね、
やっぱり田舎もんですね。
United航空で飛んできたけど、
フライトアテンダントの質が一気に落ちる。
ビジネスクラスにも関わらず、
アテンダント誰一人として、
気の利く人がいない。

笑顔は無い、
一度頼んでもその内容をしてくれない、
料理はまずい(量だけやたら多い。なんですかあのステーキの量とアイスクリームの多さは)、
スチュワーデスがおばさんだらけで、俺の担当者は耳の遠いおばあさん、
何度言っても、聞き返される。
女性は太りすぎでケツが大きすぎで、
一度、俺が食べている際に、隣で物を落としたスチュワーデスが拾おうとして、
彼女の丸いおしりが俺のテーブルにガツンと当たり、
食事が落ちそうになった。
(しかし、彼女はそれすら謝らないし、こっちも見ない。あれは、おしりがあたったこと事態に気づいてないのか?)

ブラッディマリーを頼んでも、
ウォッカが強すぎる。
もう一回作ってと頼んだけど、やっぱり強い。
スーツを預けて、降りるときに一つしか持ってこないから、
「もう一個、ケースに入ったのがあるからそれもお願い」と言っても、
「後で持っていくわね」と言ってからぜんぜん来ない。
結局俺が自分で言いに行って取りに行く。

と、キリがないが、
ヨーロッパ線でも、日本でも、
これほど酷い対応を受けることはないと思う。
そりゃあ、アメリカのエアラインは取り残されますよ、と思う。

(昨日はRomano's Macaroni Grillにイタリアンを上司と食べに行ったが、
そこのウェイトレス(恐らく22歳くらい)も、ギリシャ系で綺麗な顔をしているのに、
既に腰周りがおばさん。ぼてぼて歩くのでもったいない。
もう少し気をつければ、かなりの美人になるのに、と二人で惜しがっていた。
(ヨーロッパだと、女性はもっとみんなスリムで、美に気を使っている感じ)
会計のときも、チップを受け取りながら、
”Thanks you guys, I loved your union.”と言いつつも、
顔はぜんぜん笑っていない。もう疲れてます、帰りたいっす、
という顔をしている。
あれなんかも、ヨーロッパはみんな笑顔が凄いし、
接客業は、みんな愛想がいい。
日本は笑顔はないですけど、まあ、一応教育はされているけど。
でも、アメリカ人は、口がうまいから、
そういう、愛想のいいことはベラベラと瞬時に言うくせに、
顔は超正直でぜんぜん笑っていない。
その辺が、「自分に正直な人たちなんだね」という結果となる。

(その上司は、
今は年齢は50歳。
子供が今は3歳と5歳。
子供の保育園に迎えに行くと、
子供はみんな、「○○くんのお父さん?? おじいちゃんかと思った!」
とニコニコしながら言うそうな。
つまり、日本でも子供は正直、と。
でももちろん、日本人の大人は、
遠くで自分たちをみつつも、
内輪で「あれは父親かね、それとも祖父かね」とひそひそ噂話はすれども、
決して面と向かって聞いてこない。

でも、アメリカにいるときには、
誰もが面と向かって、
「Are you his dad or grandpa?」
(お前はその子の父親か?それとも祖父か?)
と聞いてきたそうな。
もちろん悪気も無く。

その辺が、アメリカ人なんです。
自分に正直。
不思議に思ったら、すぐに聞く。
他人に自分がどう思われるかなど、気にしない。

子供か!

2013/10/27 5:05am





October 20, 2013 18:19

2013/10/20 18:04

現在日本時間は10月21日の1:05AM。
昨日10月20日の朝5時半に起きて、
6時過ぎに家を出て、
京成に乗り、成田空港へ7時半に着き、
9時45分発のルフトハンザで、フランクフルトへ飛んできた。
フライト時間は11時間45分。
朝の9時15分に機内に入り、
現地に着いたのは現地時間3時過ぎ。
いくらシートがフラットになるとはいえ、
12時間近く機内にいるのは、やっぱりしんどいです。
一度、ANAのビジネスクラスになれてしまうと、
(ANAは完全フルフラットになる。更には、隣に人がいないつくりになるので、
通路側か窓側、などと気にしなくて良い)
ルフトハンザの場合は、ちょっとがっかりしてしまう自分がいる。
今年の4月、初めてルフトハンザのビジネスクラスに乗ったときには、
その凄さに感激していたくせに、
なんとも人間は楽なものにすぐなれるものです。

*****

さっき、空港からタクシーでホテルまで来た。
約20分くらい。
片道チップも入れて32ユーロ。
堅気なおっちゃんだった。

初めてのドイツ。
空港には何回か来たけれど、
国の中に入るのは初です。
ソーセージとビールが飲みたい。
今はオクトーバーフェストということで、
機内では期間限定のドイツ料理がディナーであったので、
楽しみにしていたのに、
いざ頼むと、「すでに品切れになってしまって、
ウインナーがないんです」と申し訳なさそうに言われた。
ウインナーのないオクトーバーフェストって、・・・・
という感じだったけど、他の品はおいしかった。

*****

ということで、今日から約4週間の出張が始まります。
昨日は荷物詰めがなかなか終わらなくて、
妻に手伝ってもらったのに、夜中の1時過ぎまで結局かかって、
最後は妻にひどい態度をとってしまった。
彼女に申し訳ないことをしたと反省しています。
飛行機の中で、今回の持ち物リストを数も含めてつくったので、
次回はこれを見て、すぐに荷物詰めが一人でできるようにします。

以上。

2013/10/20 18:13






October 11, 2013 23:39

2013/10/11 23:01-

この1週間は長かった。
先週はギリシャに8日近く行っていたので、
今週は1週間のペースに慣れるのが大変だった。

やっぱり、10日近く日本を離れてみて、
帰ってきて一番感じるのは、
通勤電車の辛さ。
毎日駅まで10分歩き、
電車に5分乗り、乗り換えで15分〜20分立って待ち、
その後、電車に30分乗り、
それから駅から会社まで10分歩く。
朝は片道、家を出てから1時間20分。
帰りは1時間。
それを5日連続で行い、
かつ、それらは他人に囲まれ、
体はぶつかり、
パーソナルスペールはほぼ無く、
しかも、気温はまだ高いのに、
10月に入ったからと言って、
電車の中は冷房を切っていて、
密集した暑い空気がこもった車内で過ごすとなると、
そのストレスと疲れは、かなり大きいらしい。

この生活に慣れてしまうと、そこまで辛いと思わなくなるが、
こうして10日以上その生活スタイルから離れていると、
いかにそれが辛いものなのかを、体と心の疲れで感じる。

*****

と、暗いことばかり書いているが、
実際の仕事は楽しい。
3月に東京に移り、
4月にはほぼ全てを任され始めてから、
北米(アメリカ、カナダ)、
インドを受け持っているが、
ほぼ問題なくこなせる様になってきた。
初めの頃は、先輩にいちいちやり方を聞かなければいけなかったり、
メールを書いても、その内容を確かめてもらわねばならなかったが、
今では朝出社して、一晩で10件〜15件近く来ているメールに目を通して、
すぐに即答し、
かつ、日中も国内から来る内容にすぐに対応して、、
というのが出来るようになってきた。

貿易業務も問題なく覚えたし、スピードも付いた。

後は、今度はブラジルを初めとした南米(アルゼンチン、チリなども)と、
北米を引き続き開拓して行くのみ。

来週はまた10月20日から、約4週間の海外出張となる。
今度は、フランクフルトに5日間滞在した後、
ロンドンに1日行き、
その後はNYに飛んで、そこからアメリカを回る。
今回はプエルトリコも行く。

帰ってくるのは、11月14日。
妻には悲しい思いをさせるが、しょうがない。

*****

今日は何を書こうとしたかと言うと、
何でも、毎日少しずつ集中してやって行けば、
その時間は短くても、
確実に成長して行く、ということ。

今は、ポルトガル語の習得と、
ギターにハマっている。

ポルトガル語は、6月から本格的にレッスンに通いだしたが、
週1かつ、レッスンの日以外は勉強をしていなかったのもあり、
全く伸びなかった。
また、途中で6月半ばから7月半ばに4週間の北米出張、
その後はインドに1週間、
そして、今度はギリシャに10日間など、
合間合間にいろいろと入り、結局6月にレッスンを始めてから、
一昨日でまだ7回しかやっていなかった。

しかし、今回ギリシャに行き、
自分が全く分からない言語を聞き、
その後帰ってきて、というか、
今回サントリーニで見た夕日に俺はものすごく感動して、
その景色をまた見る為に、(しかも人生で行きたいときに何回でも行ける様に)
本気で俺は頑張って、お金を稼げる様になろうと誓い、
そのためには、今やっている仕事と言語習得を本気で集中しようと誓ってから、
全てが簡単に思えてきた。
というか、やる気の度合いが俄然違ってきた。

前はどこかに、「やらされてる感」があったけど、
今は、今やっている全ての事は、
将来の俺に全て返って来ると分かるから、
全てが積極的。

そんなわけで、ポルトガル語も、
毎日行きと帰りの電車の中でヘッドフォンで聞きながらテキストをブツブツ言っていたら、
大分”分かって”きた。
前は、ポルトガル語の音や、その単語、言い回しなど、
全てがNEW to meで、ちんぷんかんぷんだったけど、
今は大分慣れた。

逆に、毎日ポルトガル語を聞かないと、
なんかそわそわするし、
聞きたい、と思う。
朝起きても、無意識でポルトガル語のセンテンスが
頭の中を流れている。

*****

そしてもう一個は、ギター。

これまた、2010年の5月頃に買ってから、
今年の2月くらいまでは、殆どさわってなかったけど、
2月にチャゲアスにハマったのをきっかけに、
ギターをさわりだして、
それから、エアロスミス、ジャックジョンソン、
ブルーノマーズの曲などを弾くのにハマってきた。

それも、まだコードを抑える指がなれなかったけど、
今は、毎日10分さわるだけで、
どんどん上達して行く。

ギターを初めて直ぐの頃、
スピッツの『チェリー』にトライしたけど
全然弾けなかった。
でも今は、問題なく弾けるようになって、
かなりビックリした。
最初は、FやB、CにBmなどは全然押えられなかったけど、
今は問題なくできるし、
コードからコードへのシフトチェンジもかなりスムースに出来る。

これも結局は、
指がその動きに慣れるまで、何回もさわって、
次第に、考えずとも、
指が勝手にその形に動くようになるのが基本。


ポルトガル語もそう。
考えずに、
頭が、CDで聞いた音を呼び起こす。
それに、ただ自分は感覚で浸るだけ。


そうやって、何度も何度も、
毎日少しずつやって行くと、
ある瞬間に、今まではそれが全く意味不明だったものが、
「あ!分かる!」となる。
その瞬間を迎えると、
一気に、それは楽しくなる。

*****

俺にとって英語も最初はそうだった。

中学3年の夏休みまでは、本気で英語が大嫌いで、
意味が分からない教科だったが、
塾の先生のおかげで、
英語に対する抵抗がなくなり、
ある時から、それまでは100問あったら、100問分からなかった教科から、
100問あったら、80問は分かる教科になった。

そして、『それ』に慣れた瞬間、
つまり、『それ』に対する抵抗を感じなくなった瞬間、
『それ』は、急に、自分の一部になり、
その瞬間、それは楽しくなる。

そう、考えずとも、
体からそれが自然に出る様になったとき、
つまり、それがクセになったとき、
それは、楽しくなる。

*****


俺は、今月の22日で、30歳を迎える。

昔読んだ本で、
「30歳の誕生日にやっている事を、
人間は、一生やって行く」というような事を言っている対談を読んだ。

その対話は妙に俺の心に残っていたが、
今年の誕生日は、フランクフルトの展示会会場で、
各国のお客さんと会議を何個もする事になる。
多分忙しいからやだけど、でも結局、
そうやって、世界中の色んな国の人種の人たちと
ビジネスを行い、
そういう状態にいられることを、俺は好きだから、
(そしてカッコいいし、自己満足が大きい)
誕生日にその状態にいられて、良いんだと思う。



30歳から、定年の約60歳まで、
残り30年しかない。
20代は、つまり、『若い時期』は、
あっという間に終わってしまった。
日本に24歳で帰ってきて、
毎日懸命に生きていたら、
あっという間に過ぎ去ってしまった。

でも、もう、俺はそれを後悔していない。
過去を後悔していない。
今の状態に、ある程度は満足しているから。

24歳から29歳まで、随分と色々な道を通り、
辛い日々を過ごしてきたが、
(正直言って、24歳から28歳の5年間は、
本当に、辛かった、という感じが大きい)
その分、今、やりたい事を仕事として出来ていて、
扱う製品も、満足のいくもの、業界だし、
その知識は、グローバルにどこでも使えるし、
言語力も、英語以外にも身につけられているし、
会社の人間関係もとても良いし、
海外出張はたくさん行けるし、
素晴らしい妻もいるし、
(彼女には寂しい思いをさせて申し訳ないけれど)

本当に、これまで諦めずに頑張ってきて良かったと思う。


******


50歳を超えると、ある程度体力は落ちるだろうから、
残り10年×2回しか、フルに動けないと思う。
人生は、短いと思う。本当に。
松下幸之助が、
若さをもう一度手に入れられるなら、
今まで手にしてきたものは全て手放してでもしたい、
と言っていた本を、15歳くらいの頃に読んだが、
そういう気持ちを持ち続けてきても、
もう既にそれから15年が経ち、30歳になった。

自分が、60歳を迎える日は、
きっと、自分が想像するものよりも、
ものすごく早いのだろう。


だからこそ、後で悔いの無い様、
生き抜きたい、
自分の人生の可能性を、フルに使って、
最大限まで発揮し、
俺の人生を、使い切りたい、と思う。

久々の、熱い日記。
しかし、その”熱さ”は、
若い頃の表に出るそれとは違い、
今では、内面の丹田の辺りで、
どっしりと構えて、燃えている熱さ。


2013/10/11 23:36






July 27, 2013 04:23

2013/07/27 0:07am-

さて、すごく眠いので少しだけ。

******

昨日はインドのことをぼろくそ言いましたが、
インド人の皆さんとインド在住のみなさん、ごめんなさい。
今日は、日中は顧客を3つ訪問し、相変わらずでこぼこ道を車で合計3時間以上走って大分疲れましたが、
夜は、19時頃から当社の取引先の商社の方々と一緒に、
ムンバイの新興商業地域にある中華料理屋で食事をして来ました。

ここのつくりがすごかった!!
すごくおしゃれで、日本のどんなレストランよりもおしゃれなんじゃないかと思う。
(たぶん、日本にはもっとおしゃれなレストランも五万とあると思うけど、俺はそれらのレストランに行ったことがないので分からない。)
トイレの入り口と中にはボーイが一人ずついて、
個室のドアはものすごく重くて(石のような素材でできている)、なかなか開かないくらい。
ボーイがわざわざあけてくれる。
手を洗うと、さっとボーイが、大きなトングみたいなのでハンドタオルをつかんで、それを渡してくれる。素晴らしい笑顔とともに。
そして、みんな小奇麗にして清潔感がある。

店内はとてもお洒落で、明かりは最小限。
ウェイターも教育が行き届いていて、素晴らしいサービスだった。
もちろん、値段設定は高い。一品(例えば一皿)が、500Rsくらい。これは普通のレストランに比べたらかなり高い。
しかし、こんなレストランでも、普通に金持ちそうなインド人のカップルがデートしたりしている。

そして、このレストランがある一帯は、元々はスラム街だったらしいけれど、
今では金融系が集まるところだとか。
証券会社、銀行のビルが所狭しと並んでいる。
日本にもないような立派で近代的なつくりの建物が、いくつも建っており、
さらには、その横に何個も新しいビルを建てている。

しかし、そこから1分も車で走ると、
一気にスラム街が広がる。
『スラムドッグ・ミリオネア』の主人公の男の子の出身地の設定はこの辺らしく、
実際に撮影もこの近くで行われたそうな。

道端には、10Rsでチャイを売る店があり、
しかし、それでも高いので、5Rsでチャイを買う人たちが沢山いる。

しかし、そこから一分車で走ると、
一食に5000Rsをかけて食事をする人たちがいる。

この差は何か。
その中に身をおいて、色々なものを感じる。

世界は広いと思う。
俺は今まで、自分が生まれた日本を含め、
アメリカなど、既に発展した国でしか長年を過ごしてこなかった。
唯一学生時代に訪れたアジア地区(カンボジア、タイ、中国のシンセンなど)や、
中米(グアテマラ、エルサルバドル)は、
発展途上国ということが分かったけど、そして、それらの国が既に発展した国々とは違うパワーや雰囲気、人を持つことは感じていたけれど、
ここまで、インドのように、
上から下までの格差が激しく見せられる国はなかった。

それに関して話をすると、
中国などは、必死に政府が貧しいところを隠し、
良いところだけを外国人に見せようとするけれど、
インドは全てをあけっぴろげに見せるらしい。
要するに、全てがシースルー。
汚いところは隠す、ということをしない。
それにより、本当は、どの世界にも表と裏、光と闇はあるだろうが、
この国は、その両方が同時に見え、むしろ、見えすぎるので、
その対比を一度に見ることで、
脳がついていけず、
ただひとこと、
「世界は本当に広いんだ」ということを感じざるをえない。

日本は既に発展しきっている。
これ以上、何かが飛躍的によくなる、伸びる、変わる、
ということはほぼないだろう。
人々の生活レベルは発展仕切り、
誰もが同じような生活レベルである。
なので、「人生こんなもんか」という概念が生まれる。
みんな、生まれて、家庭で育ち、
学校に行き、卒業したら、どこかの会社に入って、
そこで定年まで働き、定年後は老後を静かに楽しむ。
そんな生き方が、「人生である」というマインドが、
勝手に出来上がる。

しかし、それは、他の国から見たら、
すごく生活レベルが高いし、恵まれていること、
また、ある意味は、
変化が余りにもなく、エキサイティングではない、
と言えるかもしれない。

インドで、階級の下の方に生まれたら、そこから億万長者に上がっていくことは多分相当難しいだろう。
しかし、生まれたときから超金持ちの人間と、
ものすごく貧乏な人間が、
同時に、同じ空間に共存している。目と鼻の先に。
その実態が、自分の今まで生きてきた環境には無かったので、
そこに、感じたことのない感情を感じる。

*****

「インド」とはどういう国か?
一言では決してあらわせない。
だから、少しの体験をして、
「これがインドか」と決め付けてしまうことは、
余りにもったいないし、インドに対して失礼である。

******

ちなみに、その商社の方々いわく、
インドにビジネスで一度来た人たちは、
2度目も来る、ということがほぼないらしい。
みんな、インドで経験するマイナスの点に目を向けて、
「もういいです」と遠ざかっていくそうな。

でも、俺の場合は、
昨日の偏頭痛が凄かった車のライド中は、
「もう嫌だな」と結構思ったけど、
今日のような場所に行ってみて、
そこにいる人たちも見てみると、
「インドはかなり面白いんじゃないか」と思ってしまう。
要するに、開拓しがいがある。
難しいと思うけど。

*****

そして、寄寓にも、
今日食事をしたその商社の人たちは、
みんな同じような経験をしていた。

41歳のインド支店社長は、
大学時代はバックパッカーで、専攻はスワヒリ語。
初めて行った外国はケニアで、そこで3ヶ月過ごしたそうな。
10年前から5年間中国で過ごし、中国語が話せ、
今はインドに駐在して4ヶ月目。
ちなみに新婚で、この3月にインドに来る直前に入籍したばかりで、
奥さんは来年にならないとインドに来れないとか。
大変ですね。

33歳のマネージャーは、
高校時代にブラジル、サンパウロの郊外に一年の留学経験あり。
よって、ポルトガル語が話せる。
大学ではデンマーク語を専攻。
1年半をシンガポールで駐在した後、
今はそのまま、インドに来て3年目。
奥さんはシンガポールから一緒に付き合ってくれているそうな。

そんな人たちなので、俺も気が合った。
やっぱり、若い頃から海外に行っていたり、
バックパッカーで回っていたり、
または、新興国を回っている人たちは、
好奇心旺盛というか、物好きな感じの人が多いね。

それと、これからは、やっぱりブラジル、
それからドバイ、中東、アフリカも開拓外があるそうな。

インドからドバイは飛行機で2時間。
俺が今一緒に出張している営業本部長は、やっぱり社員の安全を第一に考えなきゃいけないから、ブラジルも今はちょっと危ないと聞くし、
中東やアフリカはまだ送れないけど、
ドバイは良いんじゃないかと。
だから今度インドに来るときは、
ドバイも一緒にちらっと行くかもしれない。

*****

そんな風に、世界を回れる仕事に就けて、本当にラッキーだと思う。
妻は長期間俺が日本を離れると悲しむし、寂しい思いをさせてかわいそうだけれど、
同時にやっぱり、こういう状態にいられることを、嬉しいと思う。

商社マンと一緒に仕事をしてみて、
商社の社員はやっぱり、
世界中の色々な国に出張でいく、というよりは、
一つの国に、数年間駐在させられる、という形が強い。
それに、自分がこれから数年住む国は、自分の意思で選べない。
数年そこに住むから、パートナーとの事も考えなきゃいけないし、
子供をどのタイミングで生むかも考える必要がある。
(インドに今住むその2人は、やはりインドで産むかどうかは考えさせられるという。)

そして、メーカーと比べて、
色々な製品を扱えるから、制限がないけれど、
その代わり、その会社が持つ絶対的な強み、みたいのは、
要するにネットワークだけになってしまうし、
そこで身につける知識は、広く、浅く、になる。
一つの分野を、とことん極める、ということができないので、
そこがもどかしいと言う。
そんなとき、「メーカーがうらやましい」と時々思うという。
メーカーの持つ、社員の一体感もうらやましいと。


その点、俺が今勤める会社は、
メーカーということもあり、
一つの分野を極められる。
そして幸いにも、その分野は、
今後決して無くならないし、そこで身につける知識は、
世界中どこに行っても共通なので、どこでも使える。
また、究極的には人の役に立つものを作っているので、
使命感も持ちやすい。

そして何より、これが大事だが、
海外営業担当者が少ないのもあるし、
海外営業の本部長は、「海外にどんどん行け」という考えなのに、
うちの会社はみんな余り海外に行きたがらないので、
俺のように、喜んで行きたいやつが、真っ先にいける。
そして、国も、一つの国担当、というわけではなくて、
俺の今の場合、北米(アメリカ、カナダ)、南米(ブラジルなど)、
インドを任されている。
(いずれは、国内営業もローテーションで回ってくるらしいけれど。)

また、海外営業内でもローテーションがあるので、
他にも、アジア地域や、ヨーロッパも回れるだろう。

要するに、文字通り、
「世界中を回る」ことができる。

*****

学生時代、面接で、
「世界を飛び回るビジネスマンになりたい」というと、
「そんな漠然な答えは聞き飽きたよ」とか、
「そんな風に、いくつもの国を回れる仕事なんて余り無いよ」
なんて、会社の面接担当者から言われたけど、
実際、俺がやりたいことは、
「海外を回る」ことだし、
もっと掘り下げて、と言われても、
それ以上は、実際にやってみないと、分からない。
それが、答えであったと思うし、
だから、それ以上は答えられなかった。

実際、今この仕事について、
それだけの動機で、良かったんだと思う。
「世界を飛び回るビジネスマンになりたい」なんていうのは、
大雑把すぎて、
イメージが先行しすぎて・・・
なんてからかわれたけれど、
実際には、そんな仕事だって、あった。
そして、俺はたまたま、そんなポジションに付けた。

ラッキーだと思う。

自分が興味の持てる製品を扱い、
また、会社の人たちも、良い人たちだし。

本当に、恵まれていると思う。
ポルトガル語も、会社のお金で習わせてもらっているし。
ビジネスクラスで出張に行かせてもらえるし。

*****


というわけで、
29歳、
今の自分の人生に、感謝をします。

2013/07/27 00:51am




July 26, 2013 04:08

2013/07/26 12:08-

さて、今日も疲れたけど日記を書く。

*****

インド出張はかなり辛い。
体力的にきつい。
そして、車に乗る時間がすごく長いんだけど、
道路状況が余りにも悪いので、今日はこめかみの辺りの偏頭痛が止まらず、上司に薬をもらって横になって寝たらやっと治まったが、本当に死ぬかと思った。

昨日の日記にも書いたけど、こっちの人たちは、とりあえずクラクションを鳴らせば良いと思っている。
本当にうるさい。マジで、ビックリする。アホかと思う。
でも、車の運転と、その国の人の歩き方って、
本当にそっくりだなと思う。
日本は、歩くときも、まあみんな普通に歩くし、車の運転もまあまあ。丁寧な人間もいれば、後ろからあおるように飛ばしてくるアホもいる。
アメリカは、歩くときには絶対に人にぶつからないように歩くし、少しでも体が触れそうになると、Excuse meと言って相手に自分がいることを知らせる。
車の運転もそう。歩行者に優しい。

そしてインドは、絶対に待たない。
飛行機に乗る際にも、どうせ飛行機に乗ったら同じだけ待つのに、
みんな搭乗するときから並んで、すごい距離を縮めて立つ。
そして車の運転もひどい。少しでも前で車が止まると、とりあえずクラクションを鳴らす。クラクションが鳴らない瞬間は絶対にない。少なくとも3台は同時に鳴らしている。
この国では、車の部品の中でクラクションが真っ先に壊れるらしい。
後ろから自分が前の車の間を行くときに、相手に「後ろから行くからぶつかるなよ」という意味で鳴らすのはまだ良いにしても、
空港とかで、前の車に人が乗り込むために一瞬止まるだけでも、とにかく鳴らす。
鳴らして、3車線しかないところを、6車線くらいで前に進む。
そんなに隙間を急いでいっても数分もかわらないのに、
とにかく、少しでも隙間があればそこから前に行こうとする。
飛行機に乗り込んだり、または列に並ぶ人間と一緒。
列に並んでいても、知らぬ顔をして前に割り込む。
(そういうやつには「おいお前」という感じで荷物でつついたり、手で向こうにいけよという仕草をすると、素直に下がる。その辺は中国人と違う。)

とにかく、インド人というのは、
よく分からない。

今日は5時におきて、
ホテルを6時半に出て、
ムンバイ空港を9時に出発して、
2時間飛行機に乗り、
11時から2時間、車に乗り(この道がひどかった。とにかく、2時間車体が上下に揺れるは、タクシーの運転手の運転がへたくそだったので、急ブレーキをかけまくるは、常にのろい速度でも5ギヤで無理に速度を出そうとするから、車体が不用意に揺れて、それらのせいで帰り道は偏頭痛がとまらなかった。)

13時から顧客とランチを食べ(やっぱりカレー)
その後は30分ほどMTGを行い、
15時に出て、2時間車に揺られ、
17時から19時まで空港で待ち、
19時から2時間飛行機に乗り、
それからまた車に20分乗り、
やっとホテルに着いたのは、22時半。

もう、今日、頭痛がとまらなかったときは、初めて、
「海外出張やだな」と思った。
アメリカのそれはずいぶんと快適だけど、インドのそれは本当にひどい。
とにかく道が悪いし、これで腰を悪くする人も多いそうな。
絶対に体に悪いと思う。
そして、牛と野良犬と人と3人のりのバイクとチャリと車とリキシャの全てが、縦横無尽にあらゆる方向から突っ込んでくる。
この国にモラルは無いのかと思う。というか、「警察」という存在を見たことが無い。
空港では、荷物のチェックと身体チェックは必ずするくせに、
荷物に水のボトルがはいっていても、何も注意されなかったりする。
結構インドではテロも起きているくせに、あの、「とりあえず形だけやっとけばいいだろう」という感じの適当さを見ると、本当にどうなってんのかと思う。

でも、こういう新興国って、
日本ももしかしたら戦後はそうだったのかもしれないけれど、
ルールがあるように見せかけて全然ないし、
人々のモラルが低すぎると思う。
で、その「モラルの低さ」を見ていると、
一言で表すと「アホ」といいたくなる。
アメリカは、全てが大雑把で、大味で、
とにかく、みんなが好き放題に生きていて、
みんな、子供のような自由な国なので、
一言で表すと「バカ」だけど、
インドは、一言で表すと「アホ」。
「バカ」は、子供のようで、何も考えずに行動を取る人をいう。
「アホ」は、本当はよく考えたら分かる頭の良さを持っているくせに、
みんながそうしているから、自分も特に考えずにモラルに沿わずに行動する人間を言う。
俺の勝手な感覚による定義だけど。

*****

さて、何を書いているんでしょうか。

でも、上にアホとかバカとか書いたけど、
出来るインド人は、やっぱり頭の良い顔をしている。
今日はるばるバンガロールの奥地まで会いに行った顧客の上司は、
本当に賢い顔をしていた。
というか、その会社の人たち(全部で5人くらい出てきた)は、
みんな賢い顔をしていた。
製薬会社というのもあるかもしれないし、
研究開発部や、または、マーケティングのトップが出てきたからかもしれないけれど、
とにかく、その上司は賢い顔をしていて、
実際の商談でも、非常に頭が良いなと思わせる発言、話の持って行きかたをしていた。
インドに来て初めて、「あ、こんな人になりたいな」と思える人だった。

今日は、インド内でうちのビジネスを任せている商社の担当者と一緒に回ったんだけど、
その彼に、帰りの空港で色々聞いた。
なぜインドでは、かたや少数のお金持ちは、家賃50万円のアパートに住む人もいれば、
一日に1ドルも使えない貧困の人もいるのか。
(この質問はナイーヴすぎると思ったけど、やはり聞かずにはいられなかった。)
答えは、それらのお金持ちにしても、貧困層にしても、
階級のために、生まれが大きいという。
そして、生まれたときからお金を持っている人間は、
それをうまく生かして自分の代でもビジネスを発展させられるか。
しかし、多くの人間がその間のミドルクラスにいるという。

インドは今、この5年でずいぶんと変わってきたという。
車の数も一気に増え(去年一年だけで、新しい車の種類は70種類増えたとか)、
そしてここムンバイは、イギリスやオーストラリアなど、
海外の人間が土地を買いあさっていく為に、
土地代がバブル状態にあるという。
殆どの企業は、インドのここムンバイに、本社を置こうとする。
それもあり、土地代の上がりようはハンパない。
数年前までは、チップは10Rsでよかったのに、
今では100Rs渡さないと満足しないボーイもいる。
(100Rsといったら、USD2ドルである。アメリカのチップより高いし。)

昨日の晩に、また別の顧客と食事をしたレストランは、
ITC Marathaというホテルの中にある中華・日本食・タイ料理などのアジア系レストラン。
えびのてんぷら5本で、1500円(750Rs)という、ものすごい値段設定の店だった。
しかし、その店で普通に食事ができるインド人も多いという。
(昨夜の場合、殆どの客は日本人やアメリカ人などのビジネスマンだった。)

そして、そのホテルの中は、本当に綺麗なつくりで、目を見張る飾りが多かったけど、
一歩外に出ると、道はボコボコで、ごみが道路に溜まり、
野良犬が走り回っている。


大分話がずれたが、今日、そのディーラーから聞いた話では、
インド人がこれだけ成長している強みは、
1)「世界中どこにでもすぐに行く。国を変えることを厭わない」
2)「同時にいくつもの仕事を同時に行うマインドとタフさを持つ」
3)「英語を公用語として使うので、言語のバリアが最初からない」
などが挙げられるという。

本当に、「貪欲」という言葉が似合うと思う。
戦後の日本も、こうだったのかと、感じる。

*****

そして、話は変わるが、
一歩外に出ると、道には人が溢れているが、
不思議と、殆ど男しかいない。
女性は、やはり差別が強いらしく、殆ど外に出ていない。
牛が、普通に道を歩いている。
乳牛から、茶色の牛まで、
車がバンバン走る道にのっそりと歩いて突っ込んでくる。

野良犬が多い。
みんな顔がしゅっとした同じ顔をしているけれど、
その昔、イギリス統治時代に、イギリスからつれられてきた高貴な犬が祖先らしい。

インド人は頭を濡らさなければ風邪は引かないと信じているらしく、
バイクを運転しながら、
頭にスーパーの袋をリアルに被ってドヤ顔でバイクを走らせている男たちが結構いる。
あれはかなりツボにはまった。
アメリカで、黒人が頭にくしを差しているのを見たときと同じ衝撃。

******

などなど。
まとまらない日記でした。

2013/07/26 12:42





July 25, 2013 04:08

2013/07/25 12:18am-

さて、もう夜中の12時過ぎで、明日は5時起きなので寝るべきですが、ちょっとだけ日記を書きます。

*****

インドに来て4日目。
今日は水曜日。
日曜日の夜に着いて、月、火、水と3日経った。
インド出張はアメリカ出張と比べてかなりきつい。予定が入りまくり。
昨日は朝の4時におきて、5時半にホテルを出て、日帰りでハイデラバッドに飛び、
帰りの便は飛行機が2時間以上遅れたので、ホテルに着いたのは夜中の2時前だった。
実に起きてから22時間行動。「24時間働けますか」のフレーズを思い出した。

昨日は3社+うちの取引先の商社と食事をしたのもあって忙しかったけど、今日は一社しかアポが無かったので楽だった。しかし、片道車で1時間。
インドは本当に道が悪い。ものすごい。ボコボコだし、道路工事中のところばかり。聞いた話によると、雨季(6月〜9月)であるこの時期をあえて選んで工事をするらしい。理由は、雨の為に工事が遅れているといえば、仕事が遅いのを紛らわせるから、と。

なので、普通に飛ばせばすぐの距離も、ものすごく時間がかかる。
いちいちスピードを落として、それらのバンプをゆっくりとわたるから。
しかも、信号はあっても関係ない。本当に文字通り、四方八方から車、人、リキシャ、野良犬、牛が歩いてくる。これはすごいですよ。普通に高速道路を人が歩いてわたるからね。
しかもみんな、車の超ギリギリまで近づいてくる。
車も、決して待たない。真横から車がギリギリまで近づいてくる。
そしてインド人のすごいところは、クラクションを鳴らしまくる。
クラクションをならせば良いと思っている。
クラクションをならすことで、後ろから来ているよというのを知らせる。
クラクションを鳴らして、3車線の道路を6列くらいで走る。
そもそも、車線という概念がないらしい。

そして、それらのものすごい運転を、なんと殆どの車がマニュアル車で行う。
つまり、みんな片手(右手)でハンドルをさばいて、左手でシフトを操作する。
あの運転技術はすごいね。
バンプをよけながら、車の合間をぬい、クラクションを鳴らして、いかに目的地に早く着くかを競う。インド人ってかなり運転が上手いんじゃないかと思う。
そして不思議に、こんな状態でも、事故はほとんど起きないらしい。
なんでも、こっちの車保険は、ぶつかった場合、相手がわるくても、自分の車の修理用しか保険が降りないので、「ぶつける=自分の保険料が上がる」ということで、みんな絶対に自分の車をぶつけないらしい。すごいっすね。

*****

それと、格差が激しい。これはまた後で書くけど、
高速道路の真横にテントを張って暮らす家族もいれば、
高級ホテル(Hyattとか)のレストランに行くと、一食一人1万円くらいかかったりする。そして、日本人でも高いと思うそんな高級レストランで普通に食事ができるインド人が沢山いる。(普通の食事は、例えばマクドナルドのバーガー一つは25RS、要するに50円くらい。それでも高級な方ですが)

ここムンバイの家賃は、高いところは一月50万円とか。そして、それに住めるインド人がいる。
今夜会った会社の社長いわく、日本に彼は最近オフィスを開けたが(俺たちの会社の近く)、「日本の家賃は安いね」という。ええ?という感じだった。

*****

とにかく、インドはDiversityがハンパない。
俺がバックパッカーをしていた頃、インドに一度でも行ったことのある人間はみんな口をそろえて、「インドは絶対いったほうがいい。世界観が変わる」と言っていたが、
その意味が少しだけ分かった気がする。
でも、彼らバックパッカーが主に行く場所と、俺が今いる場所(ムンバイ、ハイデラバッドなどの大都市)は、それらの場所と違うと思う。見るもの、体験することも違うと思う。
なので、彼らが行っていた「インド」は、俺はまだ見ていないし、理解できていないと思う。

インドと一口に言っても、本当に幅が広すぎて、一言では表せない。


そして、食事は必ずカレーが出てくる。
韓国人が必ずキムチを食べるように、そして日本食には必ず味噌汁がつくように、
インド料理には必ずカレーがつく。
スパイスの種類と量がハンパない。
数日それらの食事をするだけで、体から加齢臭ならぬカレー臭が漂ってくる気がする。
加齢臭は幸いにもまだだと思うけど。

**********

以上。

2013/07/25 12:36am


July 21, 2013 20:00

2013/07/21 18:54-

今は飛行機の中。
インドのムンバイへ向かう途中。
日本時間は上に書いた時間だが、
現地時間は日本より3時間半遅い15:24.
あと2時間半近くで着く予定。

インド行きのANAの便は、ビジネスクラスといえども、
アメリカ行きやヨーロッパ行きのそれとは大分違う。
機体も小さいし、席も、フルフラットにはならない。
まあ、俺にとっては十分なんだけど。

今年に入ってから、5月頭にスイス/フランスへ。
6月末から7月頭にかけて、アメリカ/カナダへ。
そして、今、7月末に、インドへ出張。
本来はインドから帰ってきて1週間後にブラジルが入る予定だったけど、
これはビザが間に合わないという理由で無くなった。
体力的にきつかったので、ほっとした。
8月8日のエアロスミス&B’zのライブもいけるようになったし。


さっき、落合信彦の『男たちの伝説』を読み始めた。
たぶん、この小説を読むのは、
6回目くらいだと思う。
初めて読んだのは、中二の9月ころだった。
当時お世話になっていた元水泳のSコーチから買ってもらった。

俺は、彼をすごく尊敬していて、
当時の俺にとっては憧れの的だった。
彼のようになりたく、彼を手本にして生きていた。

そんな彼が、俺に、「この男の生き様は、本物の男だよな」
と言って紹介してくれたのが、落合信彦だった。
そして、夏祭りに一緒に行ったその夜に、
俺と姉貴を、食事に連れて行ってくれて、
その前に、本屋によって、
この本と、もう一冊、『2039年の真実』
の2冊を買って、プレゼントしてくれた。

俺にとって、こういう小説を読むのは初めてで、
13歳の俺にとっては知らない漢字や単語も多いし、
全然馴染みの無い世界だったので、
最初は読みにくかったけど、
次第に読み進めていくうちにはまっていって、
その後は、落合の別の小説も読むようになって行った。

*****

今、こうして、その当時(1997年の夏)から、
16年経ってみて、またこうして読み返すと、
この本の面白さをまた一段と感じる。
当時は分からなかった内容も、
今では前よりも分かるようになったりして、
その内容にリアルさが増す。

さっき、プロローグを読んでいたんだけど、
中には、主人公の仁科が、
NYのJFKに降り立って、
そこから、キャデラックのリムジンでマンハッタンのレストランへ行く様子が描かれていた。
奇しくも、俺が先日行ったアメリカ出張では、
NYのJFKに降り立ち、
そこから、リムジンに乗ってマンハッタンを越えてホテルへ向かったり、
マンハッタンのレストランで食事をしたりしていたので、
この登場人物の行動に近いことをしていたんだなと、
ふと思った。

前にも日記に書いたことがあるかもしれないけれど、
俺は、この水泳のコーチ、
そして、彼に紹介してもらった落合信彦の小説に登場する主人公たちの生き様に、
近づきたい、という願望が、
無意識に脳の中に、埋まっているんじゃないか、と思う。

俺は少し前まで、貿易に関わる仕事をしたいと思っていたけれど、
それも、このコーチのやっていることだし(貿易で自分の小さなオフィスを持って経営すること)、
世界中を飛び回るビジネスマンになりたいというのも、
この小説に登場する仁科の生き様そのもの。
日本人ながら、どの人種にも負けない肉体的強靭さと、
切れる頭脳、
そして、数ヶ国語を操ること。


当時13歳の自分にとって、
Sコーチは、完全に憧れの存在だった。
そして、彼の様に生きること、
彼が、「これこそ男の生き方だ」という、落合信彦の描く世界の主人公たちのように生きること、
それを、手本にしていたことは、
俺の脳裏に、自分が思う以上に、
深く刻み込まれ、
その後、自分の進路や生き方を考える際に、
無意識ながらも、強くそれらが影響していたんだろうと、思う。

*******

ちなみに、最近は、昔と違って、
「自信を持ちたい」と思うことがなくなった。
前はしょっちゅう、「もっと自信を持ちたい」
「もっと自分に自信を持ちたい」
と思っていた。

しかし今では、そう思うことは皆無に等しい。
去年、本社で研修を受けているころ、
自分が、ほんの数年前の自分と違い、
何かを経験しても、そんなにそれによって、
自分の心が揺さぶられないことに気付いた。

それまでは、何かあると、
すぐに影響を受けて、
俺の心は揺さぶられ、
それによって、ショックを受けたり、影響を受けたり、
ということが日常茶飯事だった。

しかし、去年(28歳ころ)、
そういうことは、もう殆ど無いことに気付き、
ある意味、俺の成長は止まってしまったのかと、
少なからずショックでもあった。

そしてそれから更に1年ほど経った今では、
そういうことにも不思議さを覚えず、
むしろ、今の自分よりもっとこう変わりたい、
と思うことがほぼ無くなったことに気付いた。

もちろん、
もっと英語を上手く話せるようになりたいとか、
もっと別の言語を使えるようになりたいとか、
教養をもっと身に付けたい、
もっと貫禄を付けたいとか、
そういう願望はある。

しかし、そういう、スキル的なものではなく、
自分の核心的な、
「もっと、人間としての視野を広めたい」
的な願望は、もう殆ど抱かないことに気付く。

ほんの数年前までは、それだけが、
俺の一番の興味対象だった、と言っても過言ではないのに。

しかしそれも、
もう俺もあと3ヶ月で30歳になるし、
やっと、自分のコアが固まってきたのかと、
そうとも思う。

*********

俺は、見た目が童顔ということもあるが、
他人に実年齢よりも若く見られる。
決して、29歳には見られない。
せいぜい、27歳くらいにしか見られない。
20代前半は逆に、
25歳くらいにいつも見られていたのに。

*********

素直さ、正直さ、
だけを武器にする年齢は、もう終わった。
30歳にもなって、
ただ自分が感じたままに正直に言葉を発していては、
「若い」「経験が浅い」「深みが無い」
と見られてしまう。
先日の出張中、一緒に回った営業部長に、
「君は意外と教養がないんだね」と言われた。
俺がそれまでの第三者との会話で持ち出す質問の内容に、
「知らないことが多いんだな」と感じたという。
彼の言う教養とは、広く浅い知識。
どんな方面にも、一般常識からもう少し深く掘り下げたくらいまでは、
知っていること。

たまたま、そのとき話題になった内容で、俺の知らないことが出てきて、
それを素直に、話の腰をさえぎって、
「すいません、○○って何ですか?」
と聞くことは、時に、相手に、「そんなことも知らないのか」と思わせる。

俺はこれまで、素直に知らないことは「それって何ですか」
と聞く姿勢を通してきたが、
それも、そろそろ止めたほうが良いことを、
先日、その営業部長の言葉を妻に言ったときに、
話した。
知ったかぶりを余りするのも良くないが、
ある程度のことまでは話をあわせておいて、後で自分で調べるのも必要。
一番悔しいことは、100のジャンルがあったときに、
たとえ80のジャンルに関してはかなり深い知識を持ち合わせていても、
残り20のジャンルの話になったときに、一つも知らないようでは、
それだけで、「何だお前は、そんなことも知らないとは、
きっと、他の80も知らないんだろう」と思われること。
それが、相手に、会話の中でなめられると、
そう、その営業部長は注意をしてくれた。

男は、良い父親であると同時に、
できるビジネスマンであるべきだ、と。
そして、できるビジネスマンは、
経験、教養を持ち合わせることだと。

使う英語に関しても、注意をされた。
俺は、会話の中に”you know”を多用しすぎる、と。
それを言われるまで全く意識をしたことがなかったが、
確かに、その後自分が英語を話す際に、
何か言葉に詰まったり、考えるときに、
You knowをやけに連発することに気付いた。
彼曰く、you knowは、黒人が”You know what I’m saying?”のノリで使うように、
教養レベルの低い人間の使う言い回しだと。
よって、それよりは、
“I mean”や”well”を使ったほうが良い、と。

そのように、
「教養がない」
と会話の中で見られると、相手になめられるぞ、と。
しかし、こういうのも、
あなたに、できるビジネスマンになって欲しいから言うんだと。
きちんとした名の通るビジネスマンになれば、
他の会社から引き抜きもかかるし、
年収数千万もかなう、と。

彼は、その日、
出張で最後に一緒となる夜に、
俺にチーズバーガーとワインをおごってくれ、
その話をしてくれて、
しかし最後に、「ごちゃごちゃ言ってすみませんでした」
と言葉をつけ添えてくださった。
自分も若いころは、上司によく食事に誘われたけど、
やっぱりこうして若いものと一緒に食事に行くと、
ついつい色々言っちゃうんだ、と。
そして、自分は当時、そいう飯はまずかったから、
自分は若いやつに同じことはしたくない、と。
でも、今日こうして言っちゃったね、と。

俺は浅はかにも、そうやってその部長に言われて、
自分が「教養が無い」と言われたこと、
そして、自分の英語に関して指摘されたこと(考えてみたらこれまで、自分の英語に関して誰かに指摘されたことはほぼ無かった)に関して、
腹が立っていたので、その部長に感謝というよりは、
「ちきしょう」という悔しさしかなかった。
(案の定、いつもどおり、その悔しさは数日続いた。
それから5日くらいたって、久しぶりに妻に会い、
そのことを話して、
そこで妻に、「あなたはその部長に感謝しなきゃだめだよ。
その人は、そうやって言ってくれることで、
あなたに、もっと出来る人になってほしいと思ってくれているんだから」
といわれ、そこで初めて、
その部長の言動のありがたさを知った。

*****

上に書いたことは、最近自分におきたこと。
そして、自分が今感じていること。

人は、相手の忠告を素直に受け入れられなくなると、
そこから成長はしないと思う。

同時に、「素直さ」と「バカ正直さ」は違う。
自分を成長させるために素直さをいつまでも持ち合わすことは大事だが、
その「素直さ」を、バカ正直にいつでも出して、
尻尾を振った犬の様にいつも振舞っていると、
相手に確実になめられる。

男は、ある程度の年齢になったとき、
自分の顔に責任を持てという。

いつまでも、成長し続けたい。
自分が納得いくまで、成長を止めたくない。

結局は、自分が納得の行く人間になるまで、
自分をレベルアップさせることの願望が強く、

そして、先日妻に言われたように、
俺は、究極的な、「負けず嫌い」なんだと思う。
相手になめられなくない、という。

結局は、小学校のころに、
いつも、「○○君はすごいね。なんでもできて」
と言われた、優等生的な状態、
ちやほやされた状態に、いたいんだろうな。
結局、末っ子ということか。

******

以上、まとまらない自己回想。

2013/07/21 19:48


July 16, 2013 08:30

2013/07/16 7:58-

今、羽田空港から自宅への電車の中。
やっと日本につきました。

シカゴの空港を13時半に出て、
15:45の飛行に乗り、8時間飛ぶ。

その後、フランクフルト空港で5時間近く待つ。
6:20ごろ飛行機が着いて、12:00発まで待つ。
ビジネスクラスのラウンジでシャワーを浴びて、仮眠室で寝たら、
なかなか寝付けなかったんだけど、アラームが鳴って、
ふっと気を抜いて、はっと気付いたら、
登場時間の1分前だった。

急いでカウンターへ行った。あぶなかった。

****

そこから、12時間のフライト。
飛行機の中では、
シカゴ→フランクフルトで、”Admission” Tina Feyの主演のコメディドラマ、
それと、”GI Joe Retaliation”を見る。

フランクフルト→羽田は、Matt Damonの”Promised land”と、
“Safe Heaven”を見た。
前者は、舞台がアメリカの田舎(農場)。
後者も、この前行ったNorth Calorinaだったので、
なんだか親近感が沸いた。

やっぱり、ああいうアメリカの田舎を舞台にした映画は、
そういうところに行ったことがあると、より現実感が沸いて面白いですね。

*****

日本についてまず感じること。

空港がすごく綺麗。
フロアにごみ一つ落ちていない。

暑い。
湿度の高さもあるけど、
それ以上に、建物内に必要以上にエアコンをかけない。
アメリカは、凍えるくらいにエアコンをガンガンかけるから、
それもどうかと思うけど、
日本のように、根拠の無い冷房設定28℃を遵守しているのもどうかと思う。

静か。
電車の中は、通勤時間で人がものすごいいるのに、
すごく静か。
もう慣れてきたけど、
最初の数分は、目をつぶると、
「あれ?この列車の中には俺を含めて3人くらいしかいなかったっけ?」
という感じになる。
それくらい、アメリカはうるさい。
日本は、みんなひそひそ声で話す。

電車の仕組みが複雑で、
方向を示す案内の文字が小さい+複雑すぎて、
全然分からない。
日本人の俺でも、
どの国よりも複雑に感じる。
スーツケースをもって困っている外国人が4人くらいいたので、
“Do you need a help?”と聞くと、
みんな”Yes, actually I do!”と言って聞いてきた。
教えてあげると、すごく感謝された。

あとは、
列車から見える外の景色が、
建物がすごく込み入って建っている。
数日前はシカゴのダウンタウンに行く途中で見た景色を、
「建物が込み入っていた」と書いたけど、
そんなの比にならない。

電車のつり革広告の文字が小さい。
文字が複雑。
漢字が読めないと普通に読めない難解なポスターが多い。
それだけ、日本人の識字率と教育が行き届いてる証拠だと思う。
海外(今回行ったアメリカ、カナダとフランクフルト)は、
どこも、最小限の文字の数で、
なるべく大きく広告を書く。

もう一つ。
つり革広告の英語塾の書いてある宣伝フレーズのレベルが低い。
「英語を、習い始めた。
 商談が、進みだした。」
なんて書いてある。
英語をちょっと習って商談が進むくらいなら、
どれだけレベルの低い商談だと思う。
もしくは、いまどき、そんなに英語が話せなくても、
その会社に英語が自分よりできる人間(上司や先輩)はいるだろうし、
その自分の仕事で話す英語を使う商談のある仕事なら・・・・
と、その広告フレーズの甘さに目が行く。
(別に、英語が話せないことを否定しているわけじゃない。
ただ、少し学びだしただけで商談が進む、というシチュエーションは、
そんなに今の企業ではないんじゃないか、と。)

*****

なんか、急に批判を書いて、いやですが、
それは置いておいて、
日本は、やっぱり自分が生まれた国なので、
落ち着くなあ、と思う。

妻とも、3週間ぶりにやっと会える。

2013/07/16  8:14




July 14, 2013 01:16

2013/07/14  0:12am-

もう遅いので簡単に。

今日は休み。
シカゴのダウンタウンに行って来た。
11時前に部屋を出て、ホテルのシャトルバスで近くのBlue Lineの電車の駅(Rosemont)まで。
そこから、大体30分電車に乗ると、
今日の目的地、The Art Institute of Chicagoのある最寄り駅のMonroeに着く。

最初は、チケットの買い方が分からなかった。
(前回、メリーランド州からワシントンDCに行く際にも、やっぱりメトロのやり方がわからなかった。)

今回も前回と同様、隣にいた切符を買っている人に聞く。

大体、駅員に聞くよりも、
一般人に聞いたほうが、みんな親切に教えてくれる。
今回は、黒人のカップルに聞いたら、女の子が丁寧に教えてくれた。

片道は2.25ドルなんだけど、最初に買ったときに2ドルしか入れてなくて、
ゲートを通れず、もう一回1ドル足して、それからゲートをくぐろうとしたら、
なぜかそのとき、駅員が、車イスの乗客を通す為に、
ゲートを大きく開けていたんだけど、
そのまま、「ほらほら、お前らもいいぞ」という感じで、
その場にいた関係のないおれたち数人も一緒に入れてくれた。

俺が、「え?カードを通さなくていいの?」と聞いたら、
「いいから、ほら入った入った」という感じで流されたので、
「ああ、きっと向こうに着いたらまたカードを通すから、そこで引かれるのか」と思っていたら、
結局、目的地に着いたら、そこではゲートをただ押してくぐるだけだったので、
実質、片道無料で乗れた。ラッキー。
ああいう、よく分からない駅員のいい加減さがいいですね。
そのときの気分で、関係ない乗客何人かを無料で乗せるという。

*****

電車から見える景色は、なかなか面白かった。
最初は、高速道路の脇を列車が一緒に走っていたが、
次第に町の中に入ると、
いかにもシカゴという感じの町の中を走っていった。
土地がないので、みんな、2階建てから3階建てくらいの狭い家に住んでいる。

俺は、2005年の夏に、アメリカ一周旅行をした際に、
たまたまNYで出会ったデイヴの息子のサムの家に泊まりにいったとき、
そのルームメイトの弟が、シカゴにいるというので、
シカゴに朝着いたときに、いきなりその弟の番号にかけてみたら、
それから20分くらいで、その弟と、友達のジャイアンみたいな
ギャングスターもどきの二人組みが車で迎えに来てくれて、
それから、確か2泊か3泊お世話になった。

そのとき、その弟(名前なんだっけ)に、
自転車を借りて、片手でリンゴを食べながら、
シカゴの町を疾走したわけだけど、
(そのとき、ウィッカーパークの映画の舞台になった場所も通った)
そのときの町の様子を覚えていたので、
「ああ、あの時と同じような町の感じだ」
と今日思い出して、すごく懐かしい感じがした。

あのときに、実際に俺が泊まらせてもらった彼の家や、
夜に車で行った、やつらの仲間の家(その黒人の仲間は音楽家で、家にあったパソコンのセットで、音楽を作曲していた)や、
その後に行った、50人くらいが集まっていた、
あのパーティーをやっていた家は、どこにあったんだろうと、
(そのパーティーでは、みんな即興でラップを一人2分くらい歌って競うというゲームをやっていた。俺もも薦められたけど、できるわけないので断った)
そういうことを思い出すと、
あの記憶が、はるか遠いことに思えて、
不思議な感じがした。
俺はかつて、そういう経験をこの町でしたんだな、と。

*****

その後、電車が駅につき、
歩いて、ちょっと腹ごしらえのために、
またサブウェイでBLTフットロングを5ドルで頼んだ後、
歩いて、目的地のThe Art Institute of Chicagoに入った。

建物の外には、チケットを買う列ができていた。

今まで、アメリカで行ったことのある美術館で、
入るのに並んだことなんてなかったので、
ビックリした。

入場料は、なんと大人23ドル!!高い!!
ワシントンDCなんて無料だったし、
取られてもせいぜい10ドル前後が普通だから、
ここの入場料は特別に高いと思う。


中に入って、まずはいつもどおり、
一枚の絵を余り見入らずに、さっさと歩いて、全体像を把握する為に
館内を回った。
しかしそのはずが、そうやって余り一枚の絵にパワーを費やさずに回っているのに、
余りにも中が広いので、
結局、全部見終わったのは、4時間後の4時半くらいだった。
(入ったのは12時半ころ。)

最後の方は、見ていない建物を見つけると、
「げええ」という感じで、まだあんの?という感じで、
最小限の足幅と動線を意識して回った。

まあ、そんなことをするなら、
一部はまた次回に回せばいいんですが、
俺はやっぱり、どうしても、
そのときに全部味わってしまおうとしてしまうんですね。
こうして、ヨーロッパ旅行のときも、
美術館をとにかく毎日回りすぎて、
ルネサンス美術が嫌いになったという。

*****

しかし、なかなか素晴らしいコレクションでした。
特に印象派のコレクションがすごくて、
モネ、マネ、
ルノワールなどは、
絶対にこれだけの数を一度に見ることは日本ではできないだろう、
というくらいの作品数が揃っていた。

それ以外にも、
ゴッホ、
ゴーギャン、
モジリアーニなども結構あった。

ピカソも沢山あって、
後は、俺の好きなダリとマグリットなどの作品もいくつかあったので、
期待していなかったから嬉しかった。
やっぱり俺は、ダリとかマグリットの描きだす世界観が好きですね。
あの、ちょっと不思議な感じというか、
子供のころに夢でみたような世界の感じが、どうも惹かれる。
小説でいうと、村上さんの描き出す世界に似ていると思う。


個人的には、マネは絵のタッチと色のタッチが好きだけど、
モネは好きではないので、
今日はたくさん見れたけど、
「へーえ、これだけ、教科書に載っているやつが一度に見れるなんてすごいな」という感じだったけど、余り嬉しくはなかった。

あと、一番感動したのはやっぱり、
スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」ですね。

400px-A_Sunday_on_La_Grande_Jatte,_Georges_Seurat,_1884


これを、初めて19歳のとき、アートヒストリーのクラスで習ったときは、
「これのどこがすごいの?」という感じだったけど、
先生(Sean Kenny)が、
「これは、全部点で描かれていて、ものすごい大きさなんだ。実際に見るとぶったまげるぜ」と言っていたので、
ほお、と思って気になっていた。

で、それからちょうど10年後の今日、
こうして本物を見れました。

これは、マジですごかった。
近づいてみると、色々な色が、ちりばめられているんだけど、
遠くから見ると、一色の色になる。

スーラは、どうやって、どこに何の色を打つのか決めるのか?
とインタビュアーに聞かれたときに、
「理屈ではなく、僕には、どこに何の色を置くかが分かるんだ」
と答えていたんだけれど、
これは、神業だなと思った。

そして不思議なのは、
実際、この世の中のものは、一つの色に見えても、
実際は色々な色が混じっているように、
こうして作られたこの絵も、
遠くから見ると、その絵が作り出すその立体感というか、
質感というか、
温かさは、
一色で塗られた絵よりも、より本物に近いというか、
浮き上がってみえるというか、
ぼんやりと、丸みをおびて膨らんで見えるというか、
これは、不思議な体験だった。

いわば、平面(2D)の上に、
2Dのドットを打っただけなのに、
それを遠くから見ると、
なんと、3Dになるという、
そんな、すさまじい技術のようだった。

こればっかりは、プリントの絵を見ても絶対分かりませんね。
本物を見ないと、そのよさは絶対に感じられないと思います。

なので、今日はじっくり見れて良かった。

*****

4時間後、完全に頭も体も消耗しきった俺は、
歩いて、シカゴスタイルのピザを食べに。

美術館の入り口にいた受付の黒人のあんちゃんに、
「シカゴスタイルのピザでおいしいところは?」と聞くと、
「Giordano'sがいいぜ」と教えてくれた。
聞き返すと、
「ジオディーノだ。ジオのGが、でかく看板で出てるから、絶対分かるぜ。
絶対気に入ると思うよ。これで決まりだぜ」と言われたので、
じゃあと、歩いて言ってみた。

時間は、4時45分くらい。
まだ早いけど、もう腹も減ったし、
中には並んでいる人がいたけど、「一人で」というと、
バーでいい?と聞かれてYESというと、
バーにすぐ通してくれた。
俺は普段、レストランに一人で行ったことはなかったけど、
一人で行くと、いくら混んでいても、
こうやってすぐに通してくれたりするところが良いんだろうなと、
今日気付いた。

そこで、とりあえずサラダを一番小さいのを頼んで、
(といっても、超でかかった。おいしかった)
その後、30分くらいして、超でかいピザが出てきた。
(スモールを頼んだのに、完全にラージだった。
俺はバーにいたから、後ろからいろんな客が、
まだテーブルに案内される前に、アルコールだけ買いにくるんだけど、
そこで、「それ、何サイズ?」と3回くらい聞かれて、
「スモールだよ」というと、みんな、
「Oh man!」とぶったまげていた。
アメリカ人の白人で体のデカイ3人組が、
「じゃあ、俺たちは3人でスモールでいいな」なんて言ってるから、
意外と気が小さいんだな、という感じだった。

結局、中にトッピングを、シーズニングが聞いたミートボールを入れて頼んだピザを、
ふた切れだけ食べて、もう腹いっぱい。
とにかく、あのチーズの量はやばいっすよ。
一枚のピザに、どれだけのチーズを使っているんだ、という感じです。
あれは、完全に太るね。
5時に食べ終わったのに、1時前の今でも、まだ腹がいっぱいだからね。

*****

結局、6切れ中2切れだけ食べて、4切れは持って帰ってきた。
隣に途中から座った一人の男の客も、俺のピザを見て、
何か聞きたそうにしてたから、
「これはスモールで、1トッピングで、ミートボールだぜ」と伝えると、
「ああ、ちょうど知りたがってんだ。ありがとう」と言われて、
そいつも、スモールのミートボールとサラミを頼んでいた。

6時前に店を出るときには、段々と店も騒がしくなってきていて、
支払いをして店を出るときに入り口を通ってビックリした。
もう、凄い数の客が中で待っている。

そして、外に出て更にビックリした。

外には、少なくとも30人くらいが、色々なところに座って待っている。

しかも、中に入ってからも、
さっき横に座った男も頼んだ際に、「45分できるまでかかります」とバーテンダーに言われてたから、きっと俺は、混む前に入れて、ピザもすぐに出てきて、ラッキーだったんだね。

*****

その後、ちょっと休んでから、
歩いて、せっかくだからミシガン湖を見て帰るか、
と、歩いていくと、
何やら、黒人が向こうの公園に、めちゃくちゃ集まっていた。
さっき、美術館を出たときに、ちょっとそっちを歩いた際にも、
やけに黒人ばかりが歩いて、その公園の方に向かっていくので、
何だろうと思っていたんだけど、
(そのときは4時半ころ)
今歩いている6時半ころも、すごい数の人が向かっていく。

人ごみは嫌いなので、しばらく上から眺めていたけど、
ちょっと、何がやっているかだけ確かめに行くか、と下に降りたら、
ポスターが張ってあって、見たら、Jill Scottという女性歌手が
コンサートをやるということだった。
しかも、普通の席はSOLD OUTだけど、
芝無で見るには無料だぜ、と。

じゃあ、と言ってみると、
ものすごい人の数。そして95%は完全に黒人。
余りにも、周りに黒人しかいないので、
ちょっと大丈夫かいと思ったけど、
ポリスもいるし、治安は大丈夫だろうと、
その中へ入っていった。

そして、少しすると、
「会場のみんな、元気かい?」の声とともに、
Jill Scottが出てきて、めっちゃ上手く歌っていた。
俺は全然知らなかったんだけど、
後で妻に言われたけど、SoulのQueenらしいですね。
道理で、ものすごくうまかったはずだ。



黒人は、ベビーカーから、白髪の入ったドレッドのおばあちゃんまで、
家族連れでみんな来ていたけど、
一番ノッていたのは、50代以上のおばちゃんたちだった。
脂肪がものすごくついた二の腕の肉をぶんぶん振りまわして、
「キェイ!!」という声とともに、
目をつぶって、手をグルグル振り回して、
すごく嬉しそうにミュージックにのっていた。

あれを見て、
「ああ、きっと日本では、演歌なんだろうな」
と思った。

観客は、でも見事に、
本当に黒人しかいなかった。
たまーに、白人やヒスパニックを見かけたけど、
アジア人はほぼ皆無。
日本人は独りもいなかった。
シカゴって、日本人は少ないんでしょうか。
NYも少なかったけどね。
そう考えると、やっぱり東海岸って、まだアジア人が少ないなと思う。
カリフォルニアなんて、アジア人だらけだからね。

******

俺の好きなMaxi Priest(マキシプリースト)の名前も出てたけど、
よく調べると、Jill Scottの前に、5時半からやったらしかった。
つまり、俺がピザを食べてたころですね。
残念。



*****

そんなわけで、Jill Scottを3曲楽しんだ後は、
歩いて、ステーションへ。
そして、また30分乗って、
やっと、9時前にホテルに着きました。

*****

最後にもう一つ。

カリフォルニアに住むLiに、久々に電話したら、
息子のEthanも順調に育って、元気にやってるみたい。
奥さんのJenniferとも話したけど、すごく幸せそうだった。

Liは、2ヶ月前に新しい仕事に移ったそうだけど、
その内容を聞いてビックリした。
なんと、今の俺と同じ業界で働いていた。

うちは、製造会社だけど、
彼は、要するに商社ね。

話をこんつめてしていくと、
どうやら、彼の会社と俺の会社でビジネスを組めそうな可能性があることに気付く。

うまく行けば、次回のアメリカ出張、
11月には、彼の会社を訪問できるかもしれない。
そうすれば、東海岸だけではなく、西海岸にも行ける。
お互いに、”Let’s make this happen”といいながら、
電話を切りました。

****

以上。
ものすごく長くなりました。

2013/07/14 1:09am






July 12, 2013 23:30

2013/07/12  23:00-

さあ、あとアメリカ出張も数日となりました。
今日は金曜日ですが、明日は休み。
シカゴダウンタウンを見てくる予定です。

その後、月曜日の午後にシカゴのO’Hare空港を出て、
日本時間の火曜の朝に羽田に着きます。
しかし、その後、水〜金まで出社した後、
また日曜日から、今度はインドに1週間出張です。

行く前までは、結構楽しみにしていたけど、
さすがに、もう疲れてきました。

そして、インドの後は、約一週間後にブラジル出張が一週間・・・
体を壊さないように気をつけます。

*****

今日は、朝はある機関と30分のTel-conを行い、
後は午後は2時間くらい昼寝して(大分疲れていた)、
6時過ぎから、数日前に出張に途中参加された研究開発部の方と一緒に、
ホテルの前のシーフード専門のレストランへ食事に行ってきました。

それにしても、アメリカは物価が上がりました。
彼ともレストランを出てから、ホテルの前で、
8時半から9時半くらいまで約50分ほど、
アメリカの物価の上昇の話から、
二酸化炭素と地球温暖化には関係性が実はないことなど、
そんなことを色々と話していましたが、
現在、アメリカはずいぶんとインフレにあると思います。

日本はデフレで、微妙に物価が上がっているとはいえ
(食料の値段は同じでも、内容量が減ったりしている)
アメリカのそれとは費になりません。

その方は、以前アメリカに13年いらしたらしく、
ボストンとワシントンDCにいらしたのですが、
その頃は、よくスコッチなどのハードリッカーを呑んでいたそうなので、
お酒の物価が大体頭に入っているそうです。
そんな中、昨日リカーショップに入ったら、
特にウイスキーが値上がりしているのに驚いたとか。
10年前と比べて、1.5倍ほどになったそうです。

自分は、お酒は呑みませんが、
映画が好きでよく見に行くので、
映画の値段が一つの基準です。

11年前、自分が留学した年の2002年は、
映画は大人が6.5ドルから7ドルだった気がしますが、
2005年ころにかけて、段々とあがってきて、
高いところでは、8ドルから9ドルくらいだった気がします。
それでも「たけえなあ」と思っていましたが、
この前、こっちに来て初めて見に行った「The Heat」を見たNYの映画館は、
10ドルちょうどでした。

「たかいなあ」と思いながら、
その後、メリーランド州で「This is the End」を見たときは、
なんと、11.5ドルでした。
今は1ドルが大体100円としても、これでは1150円です。
日本でレイトショーを見るのと全然変わらないじゃないかと、
大分ショックです。

今日も、本当は今日から公開の「Grown Up 2」(俺の好きなアダム・サンドラー主演)が公開しているので、見に行こうかと思いましたが、
近くにある映画館の値段を調べたら、やっぱり11.5ドル。
1150円出してみるような映画かな、と、ちょっと躊躇してしまいます。

7ドルくらいなら、もっと気楽にいけるのにね。
本当に、アメリカの良いところは、映画が安いくらいだったのに、
それも駄目になったなんて、どうしたらいいんでしょうか。

*****

ちなみに、今日、シカゴのダウンタウンには、Bon Joviがライブに来ています。
さっき夕方のニュースを見ていたら、
「Bon Jovi is in the town」と言っていて、それで気付きました。
結構なんだかんだいって、彼らって人気があるね。


ちなみに、その開発のYさんと話をしていたんだけど、
こうやって、アメリカの物価が上がっているのも、
そのモノの値段自体があがっているのではなくて、
結局は、裏でつり上げたり、市場操作しているのが大きいんだろうね、と。

ガスプライス(ガソリンの値段)も、今はアメリカでの平均値はガロン3.5ドルくらいらしいですが、
2002年くらいまでは、ガロン1ドルに満たないくらいでした。
それが、俺が運転しだした2004年ころから、2ドルを越したくらいになってきて、
どんどん上がり、
俺がアメリカを去る2008年春には、高いところはガロン4.5ドルに達していました。

原油価格(Crude Oil)が、1バレルあたり、2005年ごろは、40ドル台だったのが、
今では、100ドルを超えています。

しかしこれも、原油がなくなってきている、というよりは、
エタノールなどのバイオ燃料の需要を上げることで、
コーンなどの穀物の値段を吊り上げて、
そうすると、アメリカは穀物を大量に輸出しているわけで、
一般市民はガソリン代が上がってひいひい言うものの、
アメリカ全体で考えると、ガソリン代を上げて、その代わりにバイオ燃料の需要を上げて穀物の値段を吊り上げた方が、アメリカとしては儲かる、ということで、
これらも行われているわけです。

そして、二酸化炭素の問題にしてもそう。
地球が温暖化しているかどうかは置いておいても、
それが、二酸化炭素のせいで無いことは、色々なデータを調べれば分かる。
しかし、地球温暖化を正当化する際に、
その理由付けとして、いくつか考えられる理由の中で一番そのとき妥当であった「二酸化炭素の排出量の増加」というものを理由にして、
今はそれがまかり通っている。

Yさんは元々、光合成をテーマに大学で学んでいらしたので、
植物や生物についてもかなり詳しいのですが(今は博士号を持っている)、
実際、植物にとっては、今の地球には二酸化炭素の量は少ないそうです。
むしろ、植物は二酸化炭素を取り入れて、それを原油として蓄えていくわけで、
そして、今は二酸化炭素の量が少なくなってきているから、
少ない二酸化炭素でもやっていけるように進化したC4植物(その代表がコーン=トウモロコシ)などがある。
しかし、植物全体にとっては、二酸化炭素がもっと増えた方が良い。

日本を含めた、世界の半分ほどの数の国は、
京都プロトコルで二酸化炭素排出量の減少にサインをして、
何年までに何%カットするとやっているわけですが、
それも、二酸化炭素排出量の売買権が絡んできて、
結局は、それがビジネスになるからこそ、
金融機関が裏で動き、それらの取り決めをした。

日本の25倍の土地があるアメリカは、京都には参加せず、
今でも、冷房を必要以上にかけまくっています。
いくら日本で、「冷房は28℃設定」とやっていても、それで職場が暑すぎるなどの理由から、企業全体の仕事の効率が落ちたら、意味が無い。
そもそも、「28℃設定」の根拠もなく、
もともと、誰かがたまたま「28℃」と言ったのが、きっかけになったに過ぎない。
(そして、仮に現在京都プロトコルにサインをした国が全て目標を達成しても、それは、地球の気温の上昇を食い止めることにはほぼならない。)

結局は、金融社会の天辺を支配する少数の白人社会が裏でこの世界を牛耳っていて、
全ては、「エコロジー」といいながら、結局は、「エコノミー」のために、
全ては回っているということ。
そして、その「エコノミー=ビジネス」のために、
今は、「エコロジー」というのを題目にして、
人々の購入意欲をそそっている、ということ。
新しく購買意欲を促して、人々がお金を使うことで、
世の中のお金回りを良くするために、それをしている、と言うなら良いが、
「全ては地球環境のために」などの理由をつけながら、
本当の目的は、購買意欲を促すこと。
その手法が、いかんだろうと、そういう結論に達しました。

今から数年後〜数十年後には必ず、
「2010年代前後というのは、二酸化炭素が地球温暖化を促すという理論のもとに、誰もが二酸化炭素排出量を減らそうとしていたんだよ。そして、それを理由に一般市民が、マスコミや企業に踊らされていた時代があったんだ」
と言われる日が必ずくるわけで。

********

ということなどを、食後、
気温と風の吹き加減がちょうどいい、ホテルの前で、
立ちながら話をしていました。

空港の近くなので、数分に一回は頭上を飛行機が飛び、
あとは、シャトルバスがホテルの前にとまったり、
車が前につけてきたり、
後は、アメリカ人がでかい声で話をしていて、
とにかく騒々しかった。
(思うけど、アメリカというのは、日本に比べて、格段に全ての音がでかいと思う。
人の話し声なんて、ものすごくでかい。
でも、恐らく、日本が静か過ぎるんだと思う。他国に比べて。)

*****

こういうことを書くと、色んな方向から、批判の意見が飛んできそうですね。

2013/07/12  23:33



July 11, 2013 12:24

2013/07/10 23:15-

さあ、今日はインディアナポリスです。
今朝は5時おきで、8時半くらいの飛行機で、
ワシントンDCのレーガンナショナルエアポートから、
ここ、インディアナポリスへ飛んできました。
その後、ホテルへ移動し、
20分後の11時半にうちが取引をしているアメリカの商社とホテルで会い、
そこからインディアナポリスの顧客先へ移動しました。
12時半に着き、
そこから5時まで、簡単なランチを含めてのMTGです。

相手は、世界でも有名な大手製薬会社ですが、
本社はここにあります。
中はめちゃくちゃ広く、
今日自分たちが行ったのは、この町にあるキャンパスの中の一つだそうです。
(たしか、全部で3つキャンパスがあるとか?)

中に入ってその広さにたまげました。
まるで、大学のようでした。
銀行はあるし、プール台(ビリヤード)はあるし、
フィットネスはあるし、カフェテリアはもちろんあるし、
完全に大学でした。

そして、相手はとても皆フレンドリーで、
「良い雰囲気だなあ」と強く感じました。
相手側のリーダーは、今まであってきた中で一番好感が持てる人でした。
俺もこんな人になりたいなと思える人でした。

5時に終わった後は、いったんホテルに戻り、
5時45分に再度ホテルロビーで待ち合わせ、
ダウンタウンへ車で出て、
そこで、待ち合わせのモロッコ料理の店の向かい側のバーでいっぱいやり、
そこから6時半にモロッコ料理屋へ集合し、
9時前まで食べました。
自分たちを入れて、全部で8人。
とても楽しい席でした。


ちなみに、生まれて初めてのモロッコ料理はなかなかおいしかったですが、
ボリュームがありすぎ。
ラム肉のハニー和えを食べましたが、
もう、お腹がはちきれそうです。
これは思いっきり筋トレと運動をしないと、
マジで腰周りが太るね。
でも、アメリカの料理はプロテインを取りまくるので、
筋トレをすると一気に筋肉へと変わります。


ということで、
帰ってきて、9時から11時前までメールチェックを行い、
もうヘロヘロです。
明日はまた5時に起きて、今度は8時20分の便でシカゴへ飛びます。
明日も午前と午後に2社と会うので、
ちょっと辛いですが、
明日を乗り越えたら、その後は楽なので、体調を崩さないようにがんばります。

以上。

2013/07/10 23:23



July 07, 2013 23:30

2013/07/07 22:41-

今日はワシントンDCに行ってきた。
今泊まっているホテルはメリーランド。
このホテルから車で10分くらい行ったところにMetroの駅があり(Shady Grove)
そこから30分ほど乗ると、ワシントンDCの真ん中に着く。

Metro Centerで降りて、
その近くのSUBWAYで5ドルでBLTフットロングを食べ(安くていいですね)、
その後歩いて、今日の目的地、
National Garally of Artに行って来た。

ここは、数年前に日本にワシントンナショナルギャラリー展の名で作品がいくつか来ていたけれど、その本拠地。

たぶん、俺は初めて行ったと思うんだけど、
ものすごい数の作品数と、広さで、
3時間近くいたけれど、頭が痛くなって足が疲れた。

もちろん、パリのルーヴル美術館とかに比べたら小さいけれど、
それでも、ものすごい広さです。
そして、建物が良く出来ている。
建築が素晴らしく、建物の中に入って、思わず
「Wow…!! すごいな・・・!!」と声が出てしまった。

そして何より素晴らしいのは、入場料が無料なこと。

今まで行って来た美術館で、作品数の素晴らしさにも関わらず入場料が無料だったのは、
イギリス・ロンドンの美術館と、
LAのGetty Museumくらいだったけれど、
ここも素晴らしかった。

作品は、ボッティチェリに、ダヴィンチに、
ティツィアーノに、デガ、モネ、ピカソ、モジリアーニ、
ゴッホにカンディンスキーと、クラシックから近代まで何でもあった。

そして、あまりこんでいないのがいいですね。
日本でそのワシントンナショナルギャラリー展を見たときは、
少しの作品数で、ものすごく込んでいたけれど、
今日は、たとえゴッホの肖像画の前でも、
ほとんど人はおらず、
貸切みたいな感じでよかった。
(でも、アメリカ人はあまり絵画をAppreciateしている人は少ない気がする。
もちろん、ものすごく詳しい人もいるけれど、
ただの観光で来て、あまり興味なさそうに、ふらふらと見ている人も多い。
でも、このアメリカの国が持っているコレクションの数と、そのGenerosityには感謝です。)

*********

帰りは、16歳高校二年生の夏以来、
13年ぶりに、ホワイトハウスを見てきた。
(前回、2005年21歳の夏に来たときは、
ワシントンDCはあまりにも暑くて、ホワイトハウスをちっとも見に行く気が起きなかった。
確かそのときは、ナショナルミュージアムかどこかで、
3Dの映像を見ただけだった気がする。
ちなみに、今日の気温は、実質の気温が33℃、
体感温度は37℃だったらしい。
もう、太陽の光は日本の日にはならない。
頭が焼けるよう。
そして、空気が本当に熱い。
あれは、帽子を被らずに太陽の光の下を15分歩くと、
体力がどんどん飛んでいってしまうのが分かる。)

前回、16歳のときにここを見たことはあまり覚えていないんだけど、
今回ホワイトハウスを真正面から見てみて、
ああ、ここにバラク・オバマとミシェル・オバマと娘二人が住んでいるのか、
という感じだった。

つい先週末には、「ホワイトハウス・ブレイクダウン」という映画も公開されているので、
せっかくここにいる間に、見てみたいですね。
チャニングテイタムとジェイミーフォックス、として監督はローランドエメリッヒ。

******

前置きはどうでも良いんですが、
何を書こうとしていたかというと、
今朝、NBCで、司会者の男性一人と、
色々な新聞社のコラムニストや評論家、BBCのアンカーなどが集まり、
最近のアメリカについて話し合っていたんだけれど、
それが凄く面白かった。

要するに、この10年間で、
アメリカはかなり変わってしまったということ。
(俺が昨日の日記の最後で触れたことをそのまま話していた。)

きっかけはやはり2001年9月11日のテロ。
それが起きたとき、ここワシントンDC(この番組はDCで撮影されていた)では、
誰もが恐怖を覚え、次に何が起こるかを怖がっていた。
そして、すぐに、当時の大統領であるブッシュは、
イラク戦争に突入することを決めた。

しかし、必ずしも、アメリカ全土が、ここワシントンDCと同じように感じていたわけではなかった、ということ。
ワシントンDCおよびNYでは、攻撃を直接されたからこそ、
誰もが怖がり、そこに位置する大統領も、やはりその中での考えで動いていたが、
アメリカの他の土地では、
そもそも、イラク戦争に突入することに疑問を感じている人も多かったのではないか、と。

BBCのアンカーである女性が面白いことを言っていた。
2001年9月12日の新聞では、
「アメリカは攻撃をしかけた国に反撃をする」と銘打ち、
それが称えられていたが、
その1年後、
2002年9月11日の新聞では、
「Why world don’t like us?」(なぜ私たちは世界に嫌われているのか?)だった、と。

つまり、テロの直後にブッシュが決めた行動は、
それが正しいと思えたものの、
実際には、攻撃をくらったことに対して、
戦争に突入して反撃するしかない、という考えと行動自体に、
世界が反対をしていたのだ、と。

そして、アメリカ人である私たちは、それを疑うことなく、
というよりも、そのときには誰もの心に恐怖しかなかったから、
NYCのワールドトレードセンターの残骸の横で消防士と一緒にメガホンを使ってみんなに話しかけたブッシュの姿は、ヒーローにしか見えなかったものの、
その一年後には、「本当にブッシュの行動は合っていたのか?」と。

(先日の新聞では、
今はオバマと前大統領のジョージ・ブッシュがたまたま同時期にアフリカを訪れているわけだけれど、
ブッシュのことを、「自分の国では評価されていない人間が、ここアフリカでは、非常に評価されている」と書いてあった。その記事を見て、「え?あんなに戦争に入るころには、その決断をしたブッシュをみんなサポートしていたくせに、今となっては、戦争が長引いて全ての不況が起きた理由をブッシュに擦り付けて、彼は悪者になってしまったの?都合がいいなあ」という感じだった。アメリカの新聞が、前大統領を「今は自国では嫌われている人間」と書いてあることにビックリした。)


「We didn’t think. There was just an action.」
(我々は考えるということをする前に、ただ行動を取ってしまった)と。

そして、それをきっかけに、
アメリカ人は、自分の国を走らせている政府を心から「信用」できなくなってしまった。

また、アメリカ人の中には、
やはり常に、「恐怖」という文字が浮かび上がり、
それがトラウマとなり、
それが、誰もの心に巣食うようになってしまった。

その後の、2008年のリーマンショック。
今度は、経済がうまく行かない。
アメリカが仕掛けた仕組みにより、
世界が大恐慌に陥った。

その後も、テロはどんどん続く。

先日は、ボストンで爆弾事件があった。

2005年の8月は、ハリケーンカトリーナがニューオーリーンズを襲ったが、
政府の行動は遅く、沢山の住民が死んだ。

それらの事件が積み重なり、
「アメリカの人民は、アメリカの政府を心から信用できない」
「常に何か危険なことが起きる」
「経済的にも、安全面でも、安心できることはない」
そういった恐怖が、人々の心に巣食った。

それが、10年。

その10年は、非常に大きい。

実際、この番組で発言していた参加者の大半は、
50代から60代の人が多かったが、
それらの人々はみんな、
「もう今は、50年前の古きよきアメリカではない。
もう、あのアメリカは存在しない」と言っていた。

確かに、ほんの20年前のアメリカであれば、
まだ、人々は自信を持ち、アメリカは自分の国に誇りを持っていたのかもしれない。
揺ぎ無い自信と誇りを。

俺が影響された落合信彦は、1960年代にアメリカへ留学したが、
ジョンFケネディが大統領だったころのアメリカは、
誰もが自分たちに揺ぎ無い自信を持ち、
心に余裕があったという。

それも、JFKが殺され、
その後は、次第にその「絶対的な自信」は崩れ去っていったという。

それでも、2000年に入るまでは、
まだ、今よりもまだ、Optimisticだったんじゃないかと思う。

それが、2001年9月11日を境に、
一気に崩れ去っていった。

今のアメリカには、
疑心暗鬼、
疑い、
恐怖、
そういった言葉が、最初に出てくる気がする。

もちろん、ど田舎の平和な町に行けば、
そういうのもあまりなく、今でも幸せにやっていると思うけれど、
やっぱり、大都市に行けば行くほど(これは、別にアメリカじゃなくても、世界中どこでも大都市は他人を疑いギスギスしているけれど)
この、「他人を疑う」という雰囲気は、
やはり、今のアメリカ人の根本に、存在しているような気がする。

*****

2008年の4月以来、
今回5年ぶりにアメリカに来てみて、
物価が大分上がったなあとか、
ずいぶんとインド人やヒスパニックが増えたなあ、とか、
前は日本の携帯の方が大分上を行っていたのに、今ではアメリカ発のiPhoneや、Samsungの製品ばかり見るなあ、とか、
テレビもHDになって、かなり映像が綺麗になったなあ、とか、
もう、日本の製品を持っているからといっても、それが凄いことには全然ならないなあ、とか、
CD屋がもうほとんど無くなったな、とか、

ずいぶんと色々と感じますが、

やはり、アメリカという国が、
だんだんと、疑心暗鬼の雰囲気を強くしているんじゃないか?という俺が感じたことは、
見事に、朝の番組で代弁していたので、
「ああ、やっぱりそう感じるのか」という感じでした。

***********


2013/07/07  23:28




July 06, 2013 22:30

2013/07/06 22:13

今は、Gaithersburg(ゲイザースバーグ)のホテル。
メリーランド州モンゴメリー郡の中心部に位置する都市。

この州は、たぶん初めてきた。
2005年の夏の旅の際に、ワシントンDCも列車で着て降りたけど、
たぶんこの州には降りてはいないと思う。


ホテルは、町の端っこというか、
高速を降りたところのちょっと走ったところにあり、
「いかにも東部のアメリカ」という感じで、
周りは、車で走らないと何にもない。

さっきも、歩いて近くのモールまで行き、
中を見て、
その後、その近くにある小さなコンプレックスにあるTrader Joe’sで5年ぶりに懐かしいなあと喜んで買い物をしてきたけど、
そこまで行くのに、かなり遠かった。

帰り道は、ひたすら歩いたが、
結構早く歩いてるのに、25分くらいかかった。
(今道のりをマップで調べたら、どうやら最短距離でちょうど1マイル=1.6キロだから、たぶん遠回りして歩いてきたから、片道2キロは歩いたと思う。歩きすぎ)

こっちは、本当に土地が広くて、
モールの駐車場も、まるで何かの特別な場所ですか、というくらい、
本当にバカでかい。
バカなんじゃないかと思う。
歩いても歩いても、ぜんぜん着かない。
そして、景色が同じように続き、信号から信号までがかなり長いので、
一瞬見た目は結構近そうに見えつつも、実は、ものすごく遠かったりする。

(今、日本の実家から最寄り駅までを調べたら、距離が2.8キロになっていたけど、
要するに、今日は往復で絶対に4キロは歩いているから、
自宅から駅まで行って、またちょっと歩いたくらいを歩いたわけだからね。
信じられないね)

こっちは、みんな車に乗っている。
だーれも、歩いてなんかいやしない。

思えば、2005年の夏に、アメリカを野宿で一周して回ったなんて。
よくやったなといまさらながら思う。
結構東部は暑いし(西部と違って湿度が高いので汗をかく)、これだけ広いアメリカを、足で歩き回ったなんて、よくやったなと思う。
言ってみれば、日本の25倍近くの面積がある国を、回ったわけで、
そりゃあ、途中で嫌になるよなと思った。
ホテルにも泊まらず、赤の他人に話しかけて、家に泊まらせてもらうなんて、
よくやったよね。
(自画自賛というより、向こう見ずだったなと思う)

*****

過去のことはどうでも良いんですが、
それにしても、アメリカはでかいね。

そして、この町(というか、俺が今日行ってきたモールとコンプレックス)には、
インディアン、ヒスパニックばかりだった。
アジア人も少々見たけど、あまりいない。
白人もそんなにいなかった。
きっと、この周辺が、そういう人種が集まる傾向があるのかもしれないけれど、
こうやってアメリカの色々な場所に足を踏み入れていると、
ずいぶんと、白人だけがいる町というのは少なくて、
インディアンやヒスパニック系が、増えているなと感じる。

モールを歩いていても、見事に、目にする人種が全員違った。

そして、みんな見事に太っている。

ヒスパニック系(要するにメキシカン)、黒人、ネイティブアメリカンは、
太り方が半端ないですね。
そして、もちろん白人も。

俺がこの前4月末にドイツ・フランクフルトの空港と、
フランス、スイスに行った際には、
同じ白人でも、みんな綺麗に痩せていて、
男はシェイプアップしてかっこよく、
女は細くてとても綺麗だった。

生まれて初めて、あれだけ多くの白人が集まっている中で、
誰もがきちんと痩せていて、
「あ、痩せている白人って存在したんだ」と思った。

それくらい、アメリカの人民はひどい。

どこに行っても、ハンバーガー、ピザ、ステーキしか選択肢がないし、
飲み物のチョイスは、8種類あっても、
6種類がコークで、残りは甘味料いりのアイスティーと、甘味料+ソーダ入りのオレンジジュースという。

ばかじゃないかと思う。


アメリカっていう国は、
というか、アメリカ人というのは、
みんな周りが太っているから、
自分のお腹が出てきていることに気付いているようで気付いていないんだろうけれど、
本当に、すごい民族だなと思う。

2013/07/06 22:31


追記;
ちなみに、今朝までモントリオールにいて、
その前は二日間、トロントにいたんだけど、
やっぱり、カナダは人が親切でよかった。
まず、結構みんなフレンドリーで、笑顔がすぐに出る。

思うけど、アメリカ人って、目があったら、一応習慣でにこりとするけれど、
決して目は笑っていない。
そして、固い顔をしている人が多い。

でも、カナダ人は、けっこうみんな、気楽な感じで、
笑顔も自然な人が多かった。

どちらの国も、同じように人種が混ざっているのに、
アメリカでは、人種同士で固まり、
「人種は関係なく仲良くしている」という光景をあまりみない。

でもカナダは、
普通にアジア人と白人の子たちが一緒に遊んでいたり、
黒人だろうが、白人だろうが、ヒスパニックだろうが、パキスタン人だろうが、
まったく関係なくみんな仲良くやっていた。

トロントであったお客さんのパキスタン系カナダ人の女性は、
「こういう文化なのは、
カナダが大変な歴史を乗り越えてきたからこそなのよ」
と言っていたけれど、
本当に、すごいなと思った。

アメリカはもしかしたら、
2001年のテロ以降、
テロ事件が相次ぎ、やはり心のどこかでは、
他の人種を警戒するマインドが働くのかもしれない。
何しろ、みんな心のどこかに、
他人を警戒するバリヤーを張っている気がするから。

**********

以上。





2013/07/03 9:33am

今はNYのNewark空港。
これからトロントへ向かう。

NYCには、結局最初の一晩+6泊で、合計7泊した。
NYを拠点に、NC(Charlotte)、TN(Chatanooga)、NJのオフィスなどを回った。

昨日は、NYCのPenn Clubという場所で、顧客の一人と会った。
ここは、University of Pennsylvaniaの卒業生が使える場所らしく、Annual feeはかかるものの(そして、卒業したての頃は安いが、毎年年齢を重ねるごとに使用料が上がるとの事)、中にはホテルやレストラン、会議室にDeskもあり、何名もの人間がここを使っていた。
この近くには、Stanfordや他の学校の卒業生用のこういった場所があるらしい。
かっこいいなと思った。

*****

昨日会ったその顧客は、上に書いたようにUniversity of Pennsylvania卒業。

・・・と、上まで書いて、今日は2013/07/06 12:14pm. 今はカナダのモントリオールの空港でワシントンDC行きの飛行機を待っている。

上で書こうと思ったのは、その顧客の男性は、今は35歳、父親は彼の今やっている会社の社長であって、既にリタイア済み。彼は元々JPモルガンでトレーダーを数年やっていたが、今は父親の仕事を引き継いでこの会社の社長をやっているということ。

聞くと、リーマンショックの2008年、一気に土地代が下がり、銀行がアメリカ中の土地や家を一度に売っている時に、ユタの方の山奥の土地と家を、元々の70%OFFの値段で買ったらしい。(そして今は値段が元に戻ったとか)
よって、夏休みは家族とそこでいつも過ごすそうな。No Humid、Coolで、とてもすごしやすいと言っていた。

彼の立ち居振る舞いを見ていて感じたのは、典型的なアメリカのエリート白人だな、ということ。
University Of Pennsylvaniaがどれ位のレベルかは知らないけれど、NYCのど真ん中に卒業生専用の場所を作るくらいだから、優秀な大学なんだろうと思う。
そして、一流証券会社でトレーダーを数年やり、今は社長。

今回、東海岸を主に回っているが、やはり、東と西は全然違うなと思った。
西海岸は、やっぱりカリフォルニアに代表されるように、「遊び」というイメージ、要素が大きい。
俺は、Cal State Long Beach卒業だが、「どこの大学?」と聞かれて「ロングビーチ、カリフォルニア」と答えると、「Oh, that’s a nice place!」とは言われるけれど、「Oh, that’s a good school!」とは言われない。
やっぱり、西にずっといると、東のほうは遠いから、あまりそっちでのスタンダードや人々が西をどう考えるかは分からないけれど、東に来ると、
なんとなくだが、東の方が西よりももっと歴史があるし、More Prestigeだぜ、という感じがする。

俺は落合信彦にかなり学生時代に影響されてアメリカに飛び立ったわけだけれど、彼もPensylvaniaのオルブライト大学で、やはり東の学生。
そのままアメリカに残らず、すぐに日本に帰って就職するなら、アメリカのどこの大学を卒業しているかはあまり影響しないけれど(そして、日本の企業の人事担当者は、アメリカの大学のレベルや知名度をほぼ知らない)、こうしてアメリカに残り、企業で働くなり、そこでキャリアアップをしていくとなると、東の大学(もちろんレベルの高い大学であることが前提)に行っている学生のほうが、よりビジネスマインドを持っているし、キャリア志向が強い気がする。
要するに、俺が落合の本を読んでいて感じていた、「アメリカ社会でビジネスをバリバリやっていくエリートアメリカ人」というのは、こういうところに集まり、そこで学び、社会に出て行くだろうな、というのを感じた。

******

大学は、そこで何を学ぶかよりも、
そこでどんな人間と交流を持ち、ネットワークを作るかであるという人もいる。

自分がいくら勉学に励み、上流に入り込みたいと思っても、
自分の属する世界が、そういうレベルの世界ではない場合には、
その中で自分の希望とする道にフォーカスするのは難しい。

しかし、最初から自分の欲する世界に自分を入れてしまえば、
後は、その流れに乗っていけば、うまく行ける、ということがこの世の中では起きる。

海と一緒で、海に入る前に、
どのスポットに入るかをきちんと見極めないと、
たとえ技術があっても、沖に出る前に波に飲まれまくって、体力を消耗してしまう。

しかし、たとえそんなに技術がなくても、
最初から良いスポットを選べば、簡単に沖に出られて、
良い波をつかまえられるもので。

******

俺は、今までの人生で、
例えばそこに二択の選択肢があった場合、
大きいものよりも小さいもの、
上流のものよりも下流のもの、
大衆が好むものよりも少数の人間が好むもの、

そういったものを、選んできたと思う。

メイジャーを選ぶよりは、
マイナーを選んできたと思う。

しかし、やはり、メイジャー、でかいものを選んだほうが、
そこから選べる選択肢は広がり、
仮に、自分がマイナーに最初に足を踏み入れた後に、
「あ、やっぱりメイジャーの道に行きたい」と思っても、
マイナー→メイジャーは、無理な場合が多い。

しかし、メイジャー→マイナーは、簡単に出来る。

*****

俺は、今まで転職を二回行い、
日本の社会では、決して、評価されない道をたどって来た。

アメリカもそれが強いだろうが、
日本も、社会が評するステータス、学歴、
そういったものを評価する傾向が強いと思う。

それは、どこの国でも同じかもしれない。

そして、その国の評価基準、人々の考え方が、
そこの国で過ごす時間が長ければ長いほど、
自分の中には、浸透していく。

俺は、18歳から24歳を、アメリカで過ごして、
その間は、アメリカの考え方が基準となった。
日本の考え方は「遠いもの」となり、
日本の大学生がやるような就職活動はしなかった。
よって、企業面接を受ける際にも、
日本で言えば誰もが知るような企業の名前を、全く知らなかった。
(先週末、NYCで留学一年目の同期の友達と会ったが、その子は今、NYCにある、日本国内の広告を全て牛耳っているような大企業のNY支店で働いていますが、彼女も、学生時代、そこの会社でインターンをはじめる前に面接を受けにいったとき、その企業が何の会社なのか、全く知らなかったという。俺も、その会社がLAの企業フォーラムに来ていたんだけど、ぜんぜん知らなかった。むしろ、ダサい名前だなあなんて思っていた。)

そうやって、日本に帰ってきて、
大企業よりもベンチャーのほうが良い、というアメリカのマインドで働き出して、
じきに、大企業の持つ特権の大きさに気づいていく。

はっきり言って、大企業で働く方が、
福利厚生も、給与も、全て、条件はずっと良い。
(大企業といっても、きちんとした優良企業で、かつ、その業界が儲かっているところ。)

俺も、若いころ(要するに25歳〜27歳くらい)は、ベンチャーのような低給与でもやっていけたけど、
ある程度年を取り、結婚するようになったり、
数年日本社会で働いて、ある程度、仕事の「やりがい」というものだけでは、やっていけないことに気づいたときに、
はっと、「やっぱり、大企業の方がずっと生活しやすいじゃないか」ということに気づいたわけで。

**********

完全な起業マインドを持つ人は、そういう、ベンチャーだからとか大企業だからとかは関係ないんだろうが、
俺は、別に起業をするタイプではない。
やっぱり、ビジネスにも、そんなに興味があるとは思えないし。
それよりは、自分をどのように成長させて、
どれだけ、自分が望む人生に持っていくか、
そのことにしか興味がないような気がする。
(そして、趣味としてアートに触れられていれば良い。)


*****

長くなってきて何を言いたいのか分からなくなってきたけど、
要するに、

・その自分の属する社会が支持する評価基準に自分の人生を合わせていては、そこの社会を飛び出したときに、「あ、自分って、その道を本当に進みたいと思っていたんじゃなく、その道に行くことによって、みんなからすごいねと賞賛されることを求めていたんだ」ということに気づき、虚しくなるということ。

・周りと比べてばかりいると、(自分の価値基準の中で)自分より下と思える人と比べていれば、優越感は得られるかもしれなけれど、そうやって得られる満足感というものは非常に虚しいし、すぐに消えるし、第一、自分の心が貧しくなり、人間として惨めな人間になる。
逆に、上のレベルの人間と比べると、それは上はいくらでもいるもので、給料で比べると、800万よりも1000万、1000万よりも1500万・・・となるし、
アメリカのNYCでの一流エリートたちの価値観で言えば、どこに家を持っているか、世界に何件家を持っているか、家+ジェット機を持っているか、そのジェット機はどれ位のサイズか・・・・と、いくらでもきりが無い(そのことは、NYCで会ったその友達に聞いた。アメリカも日本に負けずどころか、日本以上にステータスに拘る社会だよと。)

**********

よって、自分の人生を、自分が今属する社会の価値観に合わせていては、
結局、それに振り回される人生を送ることになり、
その社会を出たときに、自分の軸がなかったことに気付く、ということ。

人は、周りの目を気にして生きる動物であり、
周りの目を全く気にせずに生きていくには、相当の精神力が必要とされる。

そして、自分の人生は、一度しかない。
歳は毎年必ずとっていく。
「あとでやればいいや」と思っていては、結局気付いたときには、それをできずに終わってしまう。

そして、「まだ若いからいいや」という考えは、
20代前半から、26歳くらいまでで終わってしまうことに、
27歳を迎えたころに、はっと気付く。


10代の頃は、「若い」といわれることに抵抗を覚え、
はやく年をとりたい、
はやく、一人前の大人として扱われたいと思っていたのに、

25歳を過ぎたあたりから、
急に、21歳くらいの子を見て、
「まだ若くていいなあ」と感じている自分がいることに気付くこと。

******


長い回想でした。

2013/07/06 13:00pm @ Montreal Pierre Elliott Airport




July 05, 2013 11:59

Macys-Fourth-of-July-Fireworks-Spectacular-350x235


2013/07/04 22:35

今日はアメリカは独立記念日。
TVでは、NYでのMacy’s 主催の花火と、アーティストたちのライブの様子を生中継していた(一度終わった後、そのすぐ後にまた、短く編集したものが再放送されている)。

マライア・キャリーが出てましたが、彼女は本当に歌がうまいですね。
Heroを歌っていましたが、音程をほぼ全て低く変えて歌っているので、
はたして、高い音程を出すのが辛いからそうやって歌うのか、
それとも、CDと同じように歌ってつまらないからそうするのか分かりませんが、
どちらにしても、音程が全て変わったバージョンでも、すばらしくうまかったです。
さすが歌姫ですね。

"Hero"


"#Beautiful"

なんでマライアキャリーはソファに寝転がっているのか謎ですが、寝ながらでも歌が最高にうまい。
この人ほど”セレブ感”を演出するのがうまい人はこの世の中にはいないと思います。



そして、Cherは今は何歳なのか不明ですが
(俺が15歳のころに、確か60歳くらいだった気がしたのに、それから15年経った今でも見た目が60歳くらいというのは、どういうことだろう)
元気に踊って歌っていました。

そして、テイラー・スウィフトは、なんだかんだいって、やっぱりいい歌を作りますね。
BGMに流すには耳につきすぎてしまう声をしていますが、
でも、いい雰囲気の曲を作ります。

"Everything Has Changed" ft Ed Sheeran


Tim McGrawは、あれ、人気なんですね。アメリカ人の白人女性には。
ピチピチの白いTシャツを着ているくせに、それにカウボーイハットを被って、かっこつけて歌うのはやめて欲しいですね。超レッドネックという感じです。
(ファンに怒られそう)

そして、最後はUsherが監修した音楽と花火が延々と続きますが、
あまりにも長かったので、あきれてしまった。
あれ、20分くらいやってたんじゃないでしょうか。
音楽に合わせているようで、全然合っていなかった気がするけれど(その辺のアバウトさがアメリカ)
でも、観客はわけもわからずキャーと騒いでいました。

*****

何を書こうとしたかというと、
一度目の生中継の際には、CMに入るたびに、色々な人たちにインタビューして、
どれだけ彼らがアメリカを誇りに思うかを延々と語っていたんだけど、
で、その後に、マライア・キャリーのHeroとともに、
ハリケーンSandyの被害の様子や、Bostonの爆破事件の様子の写真などが流されたんだけど、
アメリカというのは、常に、敵をつくって、それに立ち向かう姿を描くことで、
自分たちを正義にして、ヒーローとなり、
そういう状態にいつも自分たちが、そして自分の国がいることを、
誇りに思う、もしくは、思おうとしてる国なんだなあというのを、
見ていて、感じました。

日本でいうなら、
日本は、決して、
災害が起きたり、何か重大な事件がおきても、
その様子を、NHKなどで、感傷的に流すだけだけど、
そして、それが二度とおきないように、どうするかを考える文化だけれど、
(そして、その被害にあったことを、決してポジティブに捉えようとしない)、

アメリカは逆に、
何か事件が起きれば、それを嘆き悲しんだ後、
それを題材にして、それに立ち向かう自分たちの姿を讃え、
それに誇りを持り、前に進んでいこう、とする。
(よく捉えればそうだけど、上に書いたように、
「敵」をつくることで、自分たちが「攻めて行く」姿勢にいつもあることを、肯定する動きがある。)

そこが、日本のような農耕民族と、
アメリカのような肉食民族の違いだと思う。

*****

そして、やはりアメリカという国は、
できてから200年ちょっとしか経っていないわけで、
今回、この数ヶ月で、ヨーロッパ、アメリカ、カナダを訪れたけれど、
やはりアメリカというのは、
できて新しい国だからこそ、
元気もあるが、ケイオス(混乱、混沌)も多々あり、
言ってみれば、一つの国のように見せた、実は、
ただ、色々な人々が好きに集まってできた、一つの巨大なグループのようなものでしかないんじゃないか、と、
そう感じた。

それはなぜかというと、
国というのは、ある程度の歴史を持つと、
その国の文化を形成し、ある程度成熟するので、
決して、その国の中の国民が、「危なっかしい」「モラルがない」という行動を取ることが少ないと思う。
その国がドイツのようにまじめだったり、イタリアのように陽気だったり、
日本のように融通が利かなかったり、中国のようにいい加減であろうと、
ある程度は、その国の中に、一定の「コモンセンス(共通観念)」というものが存在する。


しかし、アメリカの場合には、
その「コモンセンス」が通用しない。
人が100人いたら、100人とも、見事に違う考えを持っているし、
そうやって、人は違うものだ、ということを、
美徳としている。

それはやはり、色々な人間が集まってくるからこそ、
その多様性を認め、「ここに集まってきた人間の尊厳は、必ず認める。だからこそ、全員が違うことを、根底に置こう」という無言の了解の下に、
この国は成り立っている気がする。

******

今から100年後、200年後のアメリカはどうなっているのか。



きっと、あまり変わっていない気がする。

2013/07/04 22:53


追記;
ちなみに、Wikipediaで調べたら、
Cherさんは現在67歳だそうです。
すごいですね。スティーヴンタイラーより年上ですが、
もっと元気に見えます。





June 28, 2013 09:45

2013/06/27 8:28pm-

手短に。

今日は海外出張4日目。
もう3泊したけれど、「まだ3泊しかしてないの?もっと時間が経ってんじゃないっけ?」という感じ。
時差ぼけのせいか、一日に何度も飛行機に乗るせいか、
時間の感覚がどんどん狂っていく。
これは、きちんと自分で体の調整をしていかないと、大変ですね。
体の負担は結構大きいと思う。

*****

昨日は、TNのChattanoogaというところに泊まったけれど、
今朝は5時に起き、8時の便で、
ChattanoogaからCharlotte, NCへ。
その後、2時間後の便で、
NCからNYのNewark Airportへ。
そこから、車でNJまで行き、お客さんと3時から1時間近く会って、
さっき帰ってきて、2時間ほどメール(社内のやり取り)をしていた。
さっきシャワーを浴びましたが、もうヘロヘロです。早く寝ないと。

*****

この3日間で、NY→NJ→NC→TN→NC→NY→NJみたいなことをやっているので、
記憶が変になって行く。
昨日の朝と思ったことが、実は一昨日の朝のことだったりする。

それと、国内線の小さな飛行機は、ゆれが激しいので、
ジェットコースターが嫌いな俺にとっては、結構厳しいですね。
はっきり言って毎回酔います。
急に機体がガクンと落ちたりするので、落ちるのが苦手な自分にとってはもう最悪。
気にしないように目をつぶっていますが、
今もあるこの酔いのようなものは、
果たして疲れなのか、飛行機酔いなのか、
時差ぼけなのか、はたまた、アメリカの気候(温度が高い)のせいなのか、
よう分からん。とにかく睡眠が一番。早く寝ましょう。

*****

ちなみに、アメリカで三日も過ごすと、
英語が自分の体の中に染み込んでいきわたったのが感じられる。
テレビを見ていても、英語は結局リズムの言語なんだな、と思う。
そして、新聞を毎日ホテルでもらって読んでいるけれど(USA Today)、ずっと読んでいると、ずいぶんと英語のリズムにも慣れてくる。

留学中は、Wall Street Journalのみを背伸びして読んだり、
後は、学校のテキストというか、いつも宿題に追われていたから、
学校の中以外の読み物(本や他の新聞など)は余りしなかったし、
TVもケーブルを入れていなかったので見ていなかったけれど、
テレビもこうしてみてみると、なかなか面白いね。
何より、英語力を上げるには、まずはTVを見続けることも一つの手だと思う。

それにしても、アメリカもリアリティTV的なのを良くやっていますね。
面白いから良いけれど、いちいち個別に別の部屋でインタビューをする際に、
その個人の自己主張が半端なくて、それが逆に本物っぽく見えなかったりする。

*****

それと、昨日はTVをつけたらTNTがたまたまついて、Castleというドラマがやっていましたが、この主役の女性(Stana Katic)はとても綺麗ですね。タイプです。

stana-katic-castle


以上、どうでもいい日記でした。
もう寝ます。

2013/06/27 8:43pm




June 25, 2013 19:14

2013/6/25 6:08am-

旅をすること、
どこか、別の国に行くことは、

自分を、普段の日常の時間の流れから、ぶつんと切り、
次元、空間を、別のところへ持って行くこと。

それは、パソコンで例えるなら、
今までは「日本」というフォルダの中で、すべてを管理していたところから、
「A」(その国)のフォルダを作り、
そこに、まっさらな状態で、自分の軌跡を描いて行くようなもの。


だから、一度、今までのフォルダとは別のフォルダを作ることにより、
今までのフォルダのことを、総体的に見ることができ、
それを、それまでの自分の人生を振り返るための節目とすることができる。

*****

また、その「A」というフォルダに移動した時点で、
過去に、そのAの国にいたことがあるならば、
そのときの記憶は、(それまで忘れていた記憶が)ありありとよみがえる、
ということも起きる。

それは、不思議な感覚である。

当時、その記憶が作られたころに、一瞬にして頭が飛ぶことで、
そのときと、今の自分に至るまでの年月を考えると、
不思議な気持ちに陥る。

「あれから、もう、13年も経ったのか」と。

(自分が初めて東海岸、およびアメリカを訪れたのは、
2000年、16歳の夏だった。)

*****

2013/06/25 6:14am





CIMG4000

2013/6/24 10:51pm-

会社の出張で、アメリカに来た。
2008年の4月30日から、実に5年ぶり。

もう、5年もアメリカに来ていなかったのかと、
びっくりする。


今回は滞在がほとんど東海岸なので(NY,Chicago,Washington DC+カナダなど)、
自分が6年間を過ごした西海岸の雰囲気は余り感じられないけれど、
テレビとかを見ると、黒人の主張が激しすぎるリアリティTVとか、

(アメリカにいたころはこれが普通だったけど、5年も日本で過ごして、
久々に客観的にこういうのを見ると、
その文化の違いが面白すぎる。)

とにかく、「アメリカ!」という感じがして楽しい。

CIMG4023


さっきも、ホテルのロビーで歯ブラシと歯磨き粉をもらうのに、
10分近く待たされたんだけど、
そのホテルのロビーの男たちの手際の悪さとか、
日本ではありえねえな、さすがアメリカだなと、
そういう点でもアメリカを感じた。

(歯ブラシをくれと一度言って、部屋に戻り、
「10分以内にそちらへ行きます」といっておきながら、
ぜんぜんこないので、
しびれをきらして再度下に行き、
同じ事を言って、待つこと5分。
ぜんぜん向こうの動きも分からないし、俺が頼んだ担当者は別の電話を長々とインド語でしているので、頭に来て、もう一人のやつに”How long are you gonna make me wait for that? What’s going on man? Are you working on that or what?”とちょっと切れたら、やっと「今用意してますので、すぐに部屋に届けに行きます」と返事が返ってきた。この辺がアメリカだなあと思う。

*****

しかし、俺も今はこうして、「日本人」としての意見を書いているけれど、
自分が学生時代だったころ、
日本のビジネスマンがアメリカに来て、
「日本じゃありえないよね」と全てのことに対して文句を垂れているのを聞いて、
「そういう、何でも日本を基準にして比べるから、すぐにイライラするんだよ。
アメリカはこういうものとして捉えて、何でも日本の基準で物事を考えないことが大事なのに」
と思っていたのを思い出すと、
俺も、一端の「日本人」になったんだなあ、と感じる。

*****

それと、もう一つ思ったのは、
ホテルのロビーにしても、誰もがデカイ声でわあわあとしゃべっていること。

昨日、成田空港に向かう電車の中で、
途中で乗ってきたアメリカ人(発音がカリフォルニアだなあと思ったら、LA出身らしかった。彼の声がでかすぎて全部聞こえた)
が、二人で話をしていたんだけれど、
その一人の声が余りにも大きくて、寝ていたのに目が覚めたくらいだった。
でも、アメリカ人って、これぐらいの大きな声で話すよなあ、と。
留学中に、日本に一時帰国して、
電車の中で普通にしゃべっていると、
自分の家族に、「声が大きすぎるからもっと小さくしゃべって」
のように注意をされて、「え?普通じゃない?」とびっくりしたことがあったけど、
きっと、そんな感じなんだろうなと思う。

******

白人だから、黒人だから、ヒスパニックだから、エイジアンだから、インディアンだから、
というわけではなくて、
みんな、アメリカに住むアメリカ人だから、
声もでかいし、回りを気にしないし、
自己主張が半端ないし(むしろ自己主張をいつもしていないと、相手にされない)、
表情とか、ジェスチャーとか、
何もかもが大げさで、
「すげえ」んだろうな、と思う。

2013/6/24 11:08pm








June 07, 2013 23:37

2013/6/7. 22:57

今日は、MBAで有名なG校のビジネスパーティーに行って来た。

参加したのは、うちの会社の上司が、「時間があればこれに参加してください」と勧めてくださったため。

本当は19時開始で、その前に入ろうと思ってたんだけど、案の定仕事が溜まり、19時過ぎにオフィスを出て、20時前に着いた。
場所は六本木。


ちなみに、自分は生まれて初めて六本木にいったけど、
なんか、洒落たバーが通りに多くて、「へーえ、こんなところが日本にはあるのかー」と、完全に観光客気分でした。
歩いてる人は、みんな、どこか表情が気取っています。
そこで、負けじと気取る俺。


・・・・・

会場に着き、ものすごい混みようにビックリする。

こういうパーティーは、考えたら大学以来だった。

当時は、結構毎週末のように、
こういうパーティーというか、バーで開かれるパーティーに行った時期があったなあ、と。
まだ、21とか22の、落ち着かない時代ですね。


でも、今回参加して思ったけど、
こういうパーティーは、社会人になってから参加しても、
学生時代に参加しても、
あんまり、変わらないものですね。

ただ、話す内容が、
「どこの学校に行ってるの?専攻はなに?」から、
「なんの仕事をしてるの?専門はなに?」に変わるだけ。

基本、俺はこういう社交的な場が好きではないので、今回も、
そのギラギラした世界に、「どうすっかな」と一瞬考えたけど、
以外と、他の人から積極的に話しかけて来てくれたので、
七、八人と結構長く話ができました。


その中で、うちの会社の顧客である会社で働いているドイツ人と会いました。

彼女は、日本に来て八年なんだって。
お互い、サーフィンをやるということが分かったので、今度、総長を紹介してあげようと思った。

・・・・

でも、自分が英語を話していて、
中々発音が悪いことと、
言いたい単語がすっと出ないことを感じた。

日本にいると、ビジネス上で会話してても、話す内容はかたいから、
そんなに、自分の好きなように、好きなことをペラペラと喋ることはしないけど、
やっぱり、こういう場に行くと、
結局は、自分の趣味とか、共通点を話すわけで、
そんな時に、学生時代の感覚を思い出すと同時に、
「ああ、俺はこういう内容の会話を、五年以上してなかったんだなあ」と、
しみじみと感じた。

・・・・・

結局、英語で話したのは、
そのドイツ人の女性と、
あとは、この学校のスタッフのベルギー人、日本人くらいで、
あとは、みんな日本語で話した。日本人の人たちと。

行く前は、
「どうせ、バブリーなギラギラした奴らばかりなんだろう」と勝手に見込んでいましたが、
実際は、転職を何回かしたり(キャリアアップのために)、
または、仕事をしながら、学校に通う人たちが多く、
へえー、がんばってるんだなー、と思いました。
俺はあんまり、興味ないけど。

・・・・・

でも、今日行って一つ良かったのは、
普段自分が仕事や生活をしている環境とは、全く違う世界の人たちと、少しだけ触れ合えたことです。

果たして、今日会った人たちと、
また会って話をしようとは思わないけれど、
自分が普段全く縁のない会社で働いていて、そこで仕事をしている、
つまり、自分とは全く違う仕事環境、生活環境で生きている人たちと出会うというのは、
確実に、自分に刺激をくれるなあ、と思いました。

刺激というか、
自分を、客観的にみられる、という点で、
こういうのもたまには大事だな、と思った。

でも、参加している方々は、恐らく若くても20代後半から、
大抵は30代前半が多かったけど、
みんな、若いなあ、と思いました。ノリがね。

・・・・・


そして最後に、
通常は、今日のようなイベントに参加する人は、
かつてこの学校に通っているか、
または、今も通っている生徒が多かったんだけど、
俺の場合は、全くこの学校とは関係ない中、上司に勧められて来たので、
それを言うと、みんなに珍しがられたし、
そういう風に、会社の上司が、
新しい言語の習得や、こういうグローバル系イベントへの参加を賞賛してくれるのは、
なんともありがたい話だな、と思った。

本当に、感謝ですね。

・・・・


以上。

2013/6/7. 23:25

追記・
ちなみに、そのベルギー人に、
「なんでカリフォルニアを大学に選んだの?」と聞かれたので、
もともと、ピクサーに入りたかったんだよ、と答えたら、
彼の友達は、ルーカススタジオで働いていた経歴の子と、
あとは、今もマーベルで働いていて、アイアンマン3や、スパイダーマン関係、
あとは、マトリックスに関わった友達がいることを聞いて、
ちょっと興奮した。



あと、スペイン人で、
胸に貼っている名札に、
「Jesus」って書いてあったので、
「おお、ジーザスがいるよ」と思って話しかけたら、
呼び名は、イーススだった。

でも、"now you can actually tell your friend that you've met Jesus"だって。

色んな名前がこの世の中にはありますね。


May 05, 2013 07:00

2013/05/05 7:07am-

今は、ルフトハンザAIRの飛行機の中。
飛行時間は11時間。あと40分足らずで東京(NRT)に着く。


今回、4日間のスイス/フランス出張を通して感じたことは、
「英語/その文化 に浸ることの重要さ」。

英語に関しては、とにかく、英語に「触れる」のではなく、
浸ること。

英語力を日本で勉強してもなかなか伸びないのは、
日本ではメインの言語が日本語であり、
英語を使うことがほぼないのに加え、
英語を“感じる”ことがほぼないから。
しかし、一度海外に出て、英語を使う環境に自分をおいてしまえば、
英語の中に“浸る”ので、水が体にしみこんでくるように、
あっという間に自分の中に、“英語”を使うこと、英語の環境が、
しみこんで来る。


それは、二つ目のポイント、
“文化に浸ること”でも同じ。

日本にいれば、知らずの内に英語

******

上のところまで書いて、着陸態勢に入ったのでPCを閉じましたが、
その後、何を書くか忘れました。
(今は成田駅から電車に乗ったところ @8:45am)

とにかく、二つ目のポイントは、
文化に浸ることの大事さ。

その文化に身を完全に浸して、
初めて、その国の“空気”がわかる。

その感覚は、やはり、物理的に自分の身を海外において、
その国にabsorbしないと分からない。

ただ、日本で海外の本を読んだり、テレビを見たりするだけでは、
完全には分からない。
だから、定期的に海外に身をもっていくことは大事。

そして、俺はさっき思ったけど、
自分はやっぱり、そういう状態、
つまり、海外、他の国、他の文化に身を沈めて、
それを体全体で感じ、
その状態にいることが、大好きだって事。

そうすると、この世界にある国の数ほど、
様々な種類の世界が広がっていることを感じるし、
そうやって、“この世界の広さ”“Diversity”を感じることが大好き。
だって、この地球には、それだけ広い世界があるのだから、
それを知らずに、そのまま死んで行くのは、
本当にもったいないことだと思う。

*****

それと、最後に。

英語だけ話せるっていうのは、
ぜんぜん武器にはならないこと。
日本国内の日本の会社で働くのであれば、
「英語をただ話せる」ことは、
武器にはなるかもしれない。

しかし、海外に出ると、
特にヨーロッパなんかは、
3ヶ国語を話せるのは当たり前で、
7,8ヶ国語、
中には、11ヶ国語話す人も普通にいる。

そして、そういう環境に入ったとき、
ただ英語が話せるのは、「私は息ができますよ、文字が読めますよ」
といっているのとほとんど変わりない。

それよりも、英語を使って、「何が話せるか」。
何の専門知識を持っているのか。
他の人にはない、何の特別な能力を持っているのか。

ビジネスの交渉に長けていて、
商談では絶対に負けない頭の回転の速さでもいい。
でも、それは対外、中身がないと、長くは続かないし、
半永久的なビジネスパートナーシップを相手の会社とは築けないから、
それよりも、Genuineな、
「専門知識」を持ったほうがいい。

サイエンスの知識、
ケミストリーの知識、
政治、人、何でもいい。

自分が仕事をしていくその分野で、
完全に他の人よりも有利にたつ、「知識」。
それが、必要。

その上で、英語以外に、自分の母国語と、
あと、その相手の母国語もしゃべれたら、
結構強いと思う。

(今回のように、スイスでの会議なら、
英語、日本語、そして、相手の言語のフランス語かドイツ語。)

******

以上を、今回の滞在で感じました。

不思議と、こういう感覚は、
つい1時間前まで感じていても、
いざ日本についてしまうと、体がそれを感じなくなってしまうので、
書きたい!という気持ちもなえてしまうし、
結構、さっき書きたかったことが、
体から書けていない気がする。

以上。



May 04, 2013 00:30

2013/5/3 23:43-

今はこっち、スイスの時間ではこの時間ですが、
日本は5月4日の朝6時半過ぎです。

3日前か4日前からスイスとフランスに来ています。

スイスのジュネーブ空港に降り立ち、そこから車で高速をかっ飛ばして20分ほど、
フランスのDivonne-les-Bains
という町にある、Chateau de Divonne
というホテルに泊まっています。今日で4日目です。

明日の朝7時にここを出て、9時半過ぎのフライトで、
フランクフルト経由で日本へ帰ります。

******

敬語使いは疲れるので、ここから普通にかく。

今回は会社の出張でここへ来た。

入社して初めての海外出張。というか、日本の会社に入ってから、
初めての海外出張ですね。

今回はスイスにある、ある大手製薬会社との商談のために
ここへきた。

俺は、まだ入って2年目のペーペーですが、
ある部署の部長と、うちの会社が雇っているコンサルタントの方と、
後は、別の会社(うちの顧客でもあり、競合他社でもある)のCEOと、
その3名が、今回の訪問先の企業との商談をするに当たり、
通訳および議事録とり係りで今回は呼ばれた。

結婚式の2週間前でもあり、
しかも、その顧客の都合のせいで、
出張が本来の日にちから1週間ずれ、
ちょうどGWにかかったこともあり、
色々と思うところはありましたが、
まあ、こうしてスイスとフランスに出張に来ました。

聞こえはいいですね。

*****

この4日間は、ほとんどこのホテルに滞在して、
そこの図書室やロビー、およびバーでの会議などが主なので、
あまり、「フランスに来たぜ!スイスに来たぜ!」という感じはしなけれど、
その代わり、おいしいフランス料理と、これはこれは最高級の、
ここには書けないようなワインを何本も戴いています。

(今回一緒に商談に参加しているその会社のCEOが、
これはものすごい実業家で、
億万長者ということで、ワインのコレクションを8万本持っているそうな。
その彼が持つワインを、家からゴロゴロ持ってきてくれて、
一本それこそ数万円から数十万円するもの、
なかには、買おうと思っても買えないものまで、
そういうワインを、幸運にも飲ませていただいています。

この歳で、こんなに沢山の高級ワインを、
一度に飲ませてもらっていいのか、と、
ずいぶんいい思いをさせていただいておりますが、
ラッキーだったとしかいいようがないでしょう。
この特権を十分噛み締めたいと思います。)

*****

こう書いていると、まるで食事とワインのためだけに来たようですが、
そいういうわけではなく、きちんと仕事もちょこっとだけしています。

とにかく、自分が英語がしゃべれるというだけで、
この会社に雇ってもらい、
今回の製品、およびこの国の担当でもないのに、
こうして呼ばれてもらったことは、光栄だったとしか言いようがないでしょう。

それから、そのCEO(以下T)と実際にお会いして、
「こんな人間もこの世には存在するのか」と思える人と、
2日以上一緒にすごさせてもらえるというのは、
すばらしい経験だなと思いました。

うちのコンサルタントでもあるOさんも、
これまたすごい人で、色々な会社の社長や副社長をやったり、
後は、ハーバード大学で客室教員をしたりしているそうです。

この方とも、今回の出張は結構時間に余裕があったし、
周りに何もないので、
1対1で色々とお話を聞かせて戴いたりして、
大変ありがたいです。
(普段は、うちの会社では課長以上の人間しか、彼の講演を聞けなかったりする)

ということで、
I'm enjoying the advantage of being here.

******

こうして4日間、丸々英語だけの世界に浸っていると、
なかなか、英語力というか、英語の「感覚」は戻ってくるものですね。

しかし、5年前、留学していたころに比べると、ずいぶんとスラスラとしゃべれなくなったな、
というか、
口のまわりが悪い気がしますが、
ずっと使っていると、慣れてくるもんですね。


それにしても、俺はこの5年間で、
完全に日本のカルチャーに慣れきってしまったんだなあと思った。

フランスなんかでは、他人と目が合っても、
「ボンジュー♪」とかいって微笑んだり、

ホテルのフロントやレストランの従業員と何か言葉を交わすときも、
笑顔とちょっとのユーモアがこもった会話をするわけですが、

日本人てそういうのがないから、
俺も、最初は完全に、「他人」という意識をして、顔がこわばっていたというか、
なんか、ぎこちないなあ、という感じだった。

俺は、その国の文化に慣れるスピードが速いと思うけれど、
それも、日本に帰ってきたときも同じで、
今は完全に、「THE日本人」になってたんだなあと、
しみじみと1日目に思った。

今はだいぶこっちのノリに慣れたけど。

******

ちなみに、ビリオネアというのは、
完全に一般人と違うなと思った。

はっきり言って、「超わがまま」。

自分の意思をどんなところでも必ず通すし、
それがうまくいかないと、やたらと不機嫌になるし、
その場に何人人間がいようと、全部自分のペースで空気を支配することを絶対的に求めるし、
急にデカイ声で歌を歌いだしたり(in the restaurant)
その場にいる女性に必ずフラーティングしたり(口説く)
話す内容は、下ネタのジョークか、自分の妻と家族の自慢か、
いかに自分がお金を持っているかだったり、

こうかくと、まあ嫌な人そうですが、

その生き様というか、「生き方」を見ていると、
「こんな生き方をしている人がいるんだな」と、
びっくりせざるを得ない。

やっぱり、この世の中というのは、
同じ人間でも、その人によって、
考え方も、生き方も、きるものも、お金に対する考え方も、
もの、食事に関する考え方も、
すべて変わってくる。

だから、普段は自分が決して接することのない世界の人間と、
こうして時間をともにして、彼を観察できたというのは、
非常に貴重だな、と思った。

自分の生き様も、
彼を少し見習い、後はほとんど反面教師にして、
色々と学べたから。

*****

しかし、昔落合信彦が言っていたけど、
「この世で、自分の金や女の話しか出来ない金持ちのやつほど、つまらない人間はいない」
と言っていたが(ex. ドナルド・トランプ)
今回あったこの人も、結構それに近いな、と、表面的には感じるところあった。

でも、彼の場合は、
芯が通っているし、
きちんとこっちが丁寧に真摯に接すれば、
それをきちんと返してくれるので、
Totally assholeではなく、
He's just a big kid who's grown up but still a kid. And totally a control freak.

という感じの人です。
Very interesting.

(でも、彼も自分で自分のことをPervertと言っていたけど、
やっぱり、ヘンタイであればあるほど、
それだけ色々なことに拘りがあるということだし、
自分の世界を持っている、という意味では、
ヘンタイほど面白い人間はいないと思う。)

でも、同時に、すげえコンプレックスも抱えてるんだろうな、と、
そう思えるところもある。

*****

今の気持ちを記すつもりが、
だいぶ長くなりました。

この4日間はワインの呑みすぎで気持ち悪いので、
もう寝ます。

2013/5/4  0:17am




April 30, 2013 16:30

2013/04/30 15:20-

今、ルフトハンザの飛行機の中。
ビジネスクラス。
会社のお金で。

このパーテーションの中には、全部で乗客が15人しかいない。
とても余裕があり、良い。

席は、完全フラットになる。さっき、それで13時から14時半まで、1時間半寝た。


************


完全に静かな個室なので、
そして、時間があるので、
自分のことを、見つめてみようと思う。



最近の悩みは、特にない。

先日妻とも話したが、
ほんの少し前までの俺は、
仕事のこと、
進路のこと、
それらで、ずっと悩んでいたが、
今は、新しい会社に入り、
仕事も、やりたい海外営業部、
こうして、数ヶ月に一回は海外出張もでき、
また、英語も使えるので、
毎日のように、英語力を必要とされて、
とても、満足している。

自分が、「求められている」と感じるし、
自分が今まで得てきた力=
「留学によって培った、英語力、コミュニケーション能力」
が、きちんと生かされる、または必要とされる力なので、
その状態に、満足している、と言える。


一社目の時は、
英語力は求められたが、
コミュニケーション能力、人と話す力、
人と接する力、
それを、使い機会がまったくないと感じたため、
毎日やりがいがなく、心は死んだも同然だった。

(今、その会社の同じ仕事についたら、
おそらく、文句はあまり言わずに働いたと思う。
給料も良いし、残業代も15分おきに出るし、
日立の福利厚生だし、
今考えると、今まで経験した3社の中で、
一番良い条件だったと思う。
金銭的にも、外資=英語を使える、または、社内に外国人(しかもアメリカ人、シリコンバレー)がたくさんいる、というのは。
でも、当時は、それは、自分が欲していたものではなかった。)

*****

二社目(前職)では、
自分が欲していた、
または、一社目の反動によって、
「コミュニケーション能力」を使うこと、鍛えることを、
非常に欲していた。

その力は、俺が伸ばしたかった力であり、
「俺はこれがあるんだ。または、伸ばせるんだ」
と証明したかった力だった。

また、一社目の後なので、
「お金なんて関係ない、
大事なのは、やる仕事の内容であって、
お金は、最低限の生活ができれば、それでいい」
と考えていた。


最初の半年間は良かった。
むしろ、入社して、最初の2ヶ月(2009年2月〜3月、横浜支店勤務の時代)は良かったけれど、
2009年4月から新宿に行き、
そこから、体力的にも(通勤の遠さ)
精神的にも(周りで無条件で応援してくれる人がいなくなったこと)
きつい時期が、7月まで続いた。
4ヶ月間。


そしてその後、
7月にT.S.さんが新宿に移ってきて、
8月には、彼の家に泊まったりして、
面倒を見てもらい、
おれ自身の力も伸びてきて、
のびのびと仕事ができるようになった。

8月、9月、
この2ヶ月は、本当に楽しかった。

8月、9月は、
この時期が、
ずっと続けばいい、
毎日、夜、JRから京急に乗り換えるところで、
いつも、
Maroon5を聴きながら、
「これがずっと続けばいい」
と思っていた。


その後、
10月にK.O.さんが辞め、
11月にもう一度、100万ポイントを超えたものの、
12月ごろから、なんとなく、メリハリがなくなり、
1月、2月、3月と、勢いでいっていたものが、
5月のクレームの連続勃発により、
営業部長に、社内メールでひどいことを言われ、
自分のプライドは傷つき、
自尊心が落ちて、
6月、7月と、落ちていった。

確か、7月は、
自転車での事故もあり、
さらに、自分の気持ちは、落ちて行ったと思う。
正直、そのころのことを、
あまり覚えていない。


妻は、4月から留学に行き、
帰ってきたのは、8月だった。
つまり、ちょうど彼女がいなくなっていたときに、
俺の仕事面は、だんだんと下がって行き、
精神的に、頼れるところがなくなっていた。

5月ごろ、(既に退職されて、たまに面倒を見て下さっていた)Jさんに相談すれば、
助けてくれるんじゃないか、

クレームの担当でお世話になった、
あの方(食事に連れて行ってくださった。俺に対してクレームを下さった会員さんの祖父様)
に、会うことで、
救われるんじゃないか、


そう、成田の駅のエスカレーターのところを歩きながら、
思っていたことを、思い出す。

*****

その後、2010年の9月以降、
2011年の頭くらいまでは、あまり記憶がない。
年齢はちょうど、27歳になった。

9月から、K.T.さんが移ってきた。

2010年の年末にオフィスが移り、
2011年の新年から、
新しいオフィスでの仕事が始まった。

そのころはちょうど、2010年末にCHさんが入ってきたり、
2010年の4月には、
Nちゃんや、Kなども入ってきた年だった。
Kとは、一緒に、
セミナーの準備もやったりした。
セミナーの隊長、副隊長とか。

ずいぶんと、それに力を使ったと思う。

******

2011年の2月に、
部長に、札幌オフィスでの支店長の仕事を持ちかけられた。
震災の一ヶ月前。


つまり、二社目に入社して、
2年がちょうど終わったところ。

それを断り、
そのときには、転職の話を部長にしていて、
4月からは、より、居場所が狭くなったと思う。

俺のアテンションは、完全に転職のほうへと移っていた。

オフィスでは、一部の人間の攻撃が、
俺としては、精神的に辛かった。
彼女たちは、好き勝手にやっていたと思う。
ある意味、いじめに近いと思う。(笑)

とても、先輩ではあるが、
「上司」とは呼べない。

2011年の夏には、
彼女と出かけている際に、
電話がかかってきて、
酷いことを言われ、
その後、俺はだいぶ落ち込み、
彼女を悲しませてしまった。

あのころは、
転職と、二社目の仕事と、
両方を両立させて行くことが、
体力的にも本当に辛く(唯一の休みの日を、面接に当てなければならなかった)
きつかったと思う。

*****

これでは踏ん切りがつかないというのもあり、
また、会社側の要請もあり、
10月頭付けで、そこでの仕事を辞めた。

俺の、二社目に対する思いは、
2009年時の入社時のそれと、
2011年時、俺が去るときのそれとは、
まったく違うものだったと思う。


今思うと、
S.I.さん、
T.S.さん、
W.A.さん、
そういった人たちの存在が、
俺がそこで仕事をして行く上では、
大きかったと思う。

先輩として、かわいがってくれる存在。
あきらめずに、目をかけてくれる存在。
見放さずに、見てくれている存在。
そして、俺のことを、
「お前はできる」と無条件で、疑わずに、
信じてくれている存在。



しかし、部長、他数名、
そういった存在は、違った。

俺のことを、最初から疑いの目で見ていた。

だから、俺は、
自信をなくし、自尊心をなくし、
びくびくし、
毎日、おびえて仕事をしていた。

2011年時、
俺があそこを去ったとき、
そういう意味で、
俺にとっての「味方」はいなかったんだと思う。

だから、俺の心は、荒んでいた。

だから、今でも、
二社目のことを、
2009年時はよくても、
2011年時のことは、思い出したくないんだと思う。


俺が思っていた以上に、
あのときのことは、本当に辛かったんだと思う。
2010年の5月から、
2011年の10月まで、
1年半の間は、
本当に、辛かったんだと思う。
俺が、26歳から、
28歳になる直前まで。

******

その後、2011年10月から、
2012年の2月まで、
転職活動という、自分との闘いが始まった。

責める人間は、俺自身しかいない。
なぜなら、毎日、自分との対面であり、
俺が、選んだ道だったから。


果たして、このまま、
自分が本当に行きたいと思える会社が見つからないのではないかと、
どうしようもない絶望感と、
無力感に襲われそうになることもあった。

でも、それを認めてしまうと、
恐怖で動けなくなってしまうので、
その意識を、無意識のまま、
言葉にせず、
頭で認めない、
そんな日々だった。

*****

10月から11月は、
まったく動きもなく、
かなり辛かった。

2007年の9月から2008年の2月まで、
自分の進路がわからないまま、
彼女とロングビーチのアパートで
暮らしていたころの焦燥感に近い。


12月に、一度、
初めて行きたいと思えた会社、
MLに受かるかに思えたが、
そこで落ち、
どん底の気分を味わった。

もう、どうしようと、思った。

そのとき辛かったのは、
・お金が日々日々なくなって行くことの恐怖
・親からのプレッシャーに対する焦り
・28歳で何やってんだ、俺に未来はあるのか、という、自分の道を間違ったんじゃないか、という、自信の消失

だった。

3つ目に関しては、
面接で、または、書類選考で落とされる理由は、
俺が取ってきたまさにその道を、
否定されることだったから。

一社目を、5ヶ月で辞め、
二社目を、2年と10ヶ月で辞めていることが。

日本の有名な大学を出て、
大手企業、または、普通の企業に就職して、
そこで、少なくとも3年勤めたヤツのほうが、
俺よりも、「価値がある」
そう、思わせられることが、
とても、いやだった。


俺が今まで取ってきた選択、
歩んできた道の選択は、間違っていたのかと、

そう、思わせられることが、
本当にいやだった。


俺は、誰よりも芯が強いと思うが、
なのに、
俺が取ってきた道の表面的な見た目のせいで、
「S.S.という人間には、芯がない」
と思われることが、
一番、耐えられなかったんだと思う。

一度、日本の「進路コース」を踏み外すと、
もう、そこには戻れない、という、事実。

それを受け入れること、
俺は、もう、
日本の「できるやつら」のコースで、
一緒に戦うことはできないのか?
そして、その理由は、
一社目を5ヶ月で辞めている。
一社目で3年間勤めなかった。
たとえ、有名海外大学を出ていようと、
たとえ、大学時代に、
どんな日本のやつらよりも、
俺自身を磨いたと自負しても、

たとえ、一社目も、日本社会では負けず劣らずの有名企業であっても。



ただ、一社目を、
「5ヶ月で辞めた」だけで、
もう、日本のそのコースに戻れないことが、
本当に、辛かった。

俺よりも、大学時代にサボっていて、
俺よりも、社会人になってからも、
適当に仕事をしているであろう人間よりも、
俺の方が、たとえ今まで真剣に生きてきていても、

「一社目を、5ヶ月で辞めた」

その事実だけで、
そいつらと同じ土俵に立つこともできず、
かつ、そいつらに、生涯年収が、
一生、追いつけないであろうことに。


******


結局は、男であり、
ステータスと、
お金、
それがある方が、
自尊心も高まるし、
自分が、己の能力を最大限まで使っている、と、
思える。


なのに、それができないこと。

そして、学生時代は、どんな失敗をしようが、
結局は、その学校の中でしか事は影響していないから、
自分の人生の進路に絶対的な過ちはもたらさないものの、
社会人になってからとった行動は、
すべて、社会の目に、
すべて、跳ね返ってくる、ということ。


******

それを知らずに、一社目を辞めるといったときに、
親父と、母親は、
反対したんだと思う。

そして、俺が、彼らにそれを相談せずに決断してしまったことに、
驚きと、悲しみと、
絶望を感じたのだと思う。

*******

思えば、
俺が自分で選んだ道にもかかわらず、
そこでの仕事が辛い、
そこでの毎日がきついと、
親の前で嘆いていたことは、
親にとって、本当に辛かったと思う。
前職の時代。


きっと、彼らは、
俺が今の会社に入った、2012年の2月、
つまり、ほんの1年前までは、
ほとんど、安心することができなかったんじゃないのか。


そう思うと、親不孝ものであると思う。

親孝行をせねば。

******

また、妻という存在は、
本当に大きいと思う。

一社目に入ったころ、
二社目に入ったころ、
二社目できつかったころ、
転職時期に入ったころ、

最後に、今の会社での仕事が決まるまで、

俺を支えてくれたのは、
彼女だった。

彼女が、俺のことを、無条件で信じてくれ、

「あなたなら絶対に大丈夫」
と言い続けて、励まし続けてくれた。


彼女の支えなしでは、
俺は、あの時期を、
乗り切れなかったと思う。

*****


さっき、これを書きながらふと思った。

妻と、親父が、
病気になったのは、
彼女たち二人が、

それまでは、俺のことを心配して、
彼女たちが俺のことを支える必要があったから、
彼女たちは、常に丈夫で、健康でいなければいけなかったのに対して、

今では、俺もすっかり落ち着き、
悩み事が一切なくなったことで、
やっと、肩の荷を降ろした二人が、
病気に、かかったのではないか、と。


だから、今では、
俺自身が、自分に対する悩みがないからこそ、
他人のことを、気にかけられるのであって、
まず、自分にとって一番大事なその二人とは、
家族である、妻と、父親なのだ、と。



******


すべては、結果論かもしれない。

しかし、人生は、

最後に、”All was well.”と言えなければならない。



人生で、過去は、変えられない。

歳は、確実に取っていく。

体は、確実に衰えて行く。

若さは、一生じゃない。

だから、常に、
「後悔」をしないために、
毎日、精一杯、
胸を張って、生きて行かなければ、ならない。



人生は、そうあるべき。


2013/04/30 16:27




Archives
記事検索