Thoughts-思ったこと

June 02, 2015

2015/6/2 8:32-

今、会社のオフィス。
今朝は時差ボケがまだあり、
朝5時すぎに目が覚めた。
そのまま6時前に起きて、支度して、7時に出た。
それでも、結局途中駅の乗り換えで、電車の乗り換えがうまくいかないと、
15分から20分近く待つことになり、
結局オフィスにつくのは、8時15分頃。
しかも、家を出てから、ずーっと蒸し暑く、電車の中も冷房が全然効いていないので、
何だかすごく疲れる。
日本って、先進国にも関わらず、
冷房を本当に使わないというか、自然の摂理に敢えて逆らわないところがあり、
何だか、他の欧米諸国や、または、
南米やアジア等の国と比べても、
日本に帰ってくると、「ここは発展途上国か?」と思ってしまう。
それぐらい、技術が進歩しているのに、敢えてそれを使わず、
逆に人々は暑すぎたりして疲れ、みんなだるい顔で電車の中でぼーっとしてて、
生産性が落ちるというのは、一体どうなんだろうと、いつも思ってしまう。
こう思ってしまう自分が、ピッキーすぎるのか。

*****

さて、今回は5/9-5/29まで、丁度3週間出張に行っていた。
ブラジル1週間と、アメリカ2週間。
出張中に日記を書こうと思ったんだけど、結局書けなかった。
その時の思いというのは、その場にいて、そこでしか感じられない空気や雰囲気を感じながら書くからこそ、そのときの「何か」が残るのであり、
だからそうしたいと思うんだけど、
今回はそれができなかったので、まあ、今残るそれを書こうと思う。

******

今回の出張は、すごく楽しい方だった。
季節が初夏というのもあり、気候的に開放的で、
服装も軽て良かったのも大きいと思うけど、
あとは、結局週末もホテルにいて、結構つまらない思いをした日も多かったけど、
それでも、楽しいと感じることが多かったのは、
ブラジルへ最初に行ったことも大きかったと思う。

ブラジル、今回は二回目。
前回は去年。去年は、ポルトガル語もほとんど使えず、
“Meu nome e Shunsuke”くらいし言えないことも多かったけど、
今回は、展示会で「あなたの会社は何をしている会社ですか?”O que voce faz?”」とか、
タクシーで“Boa tarde, Poderia usar esta cartao de credito, porfavor?とか”
本当にちょっとの内容だけど、そういうことはスラスラ言えるようになって、
そんな意味でも、現地の人と少しコミュニケーションが取れて、楽しかった。

今回の出張中で感じた一番大きいことは、
結局は全ては自信だということ。

俺は普段の生活の中で、会社の中での人間関係とか、
そういうものに随分と影響を受け、ストレスを受け、
随分と小さく縮こまっていたと思う。この数ヶ月は。
今思うと、随分と自信をなくしていたと思う。
または、以上にイライラし、いつもストレスフルに感じていた。いろんな事を。
それには、「日本なんだからもっとこうあるべきだろう」
「日本人なんだから、もっとこうあるべきだろう」
そういう、「●●なんだから〜」的な、固定観念が大きかったんだと思う。

でも、海外に行くと、
「ま、どうでアメリカだからしょうがないか」
「ブラジルはこんなものか」
「ドイツってこんなんなんだ」
的に、何か自分の気に入らないものがあったり、ひどいと思えるものがあっても、
「まあ、この国はこれが普通なのね」と構えられるところがあり、
結果、それが、「こんなもんでしょ」と全てを受け流せる心の広さにつながって行ったんだと思う。

それを要するに、日本でもすればいいだけの話。
俺は、日本人だから、そして日本という国にやけに期待感を持っているのか、
日本だからこそ、丁寧であって当たり前、
日本だからこそ、全て整っていて当たり前、
日本だからこそ、約束の時間5分前に集まっていて当たり前。
そんな固定観念が強かったと思う。
それが、全てに対してストレスフルに感じていた理由だと思う。

*****

そしてもう一つ。自信とは、
なくても、あるように演じることで、振舞うことで、
だんだんとそれが付いて来る、というもの。

俺は、留学時代、20代前半は、自分に自信があったと思う。
今は、最近は、身体も細くなったせいか、
髪の毛が薄くなってきたとか、いつもメガネをかけているせいで、自分の外見に自信がなくなったとか、
そんな理由で、勝手に、「自信」というものを、なくしていた。
むしろ、自信のない自分がコンフォートゾーンになっていたと思う。

だけど、出張に行き、ブラジルに行き、
治安もよくわからないところへ行き、
サヴァイヴしなきゃと意気込んで、
言葉も必死に使う中で、
そんな、自分の外見なんかはどうでも良くなり、
そのうち、そうやって必死に生きている自分自身に、自信を持ち出してくる。
または、海外でなめられないように、ハッタリでも、
自分に自信があるように胸を張る。

そうしていくうちに、まるで自分は本当に自信がある人間に思えてくる。

出張中に妻とも話していたが、
人間の脳は単純なもので、
「自分は自信がある」と自分の脳に錯覚させること。
自分はできるやヤツだと。

そうしていくうちに、脳は本当にそう思い出す。

それを、ただすればいいだけ。
日々の小さな人間関係なんかに、勝手にストレスを受け、自信をなくしているのは、
「お前の勝手だろ」という話。

*****

そんなことを、書いておきたかった。

日本で生活を続けるうちに、また、日々の小さなことで、
小さくまとまることのない様に。

2015/06/02 8:53




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February 19, 2015

21:11-

今、ポルトガル語の帰り道。

今日はものすごく疲れてたけど、
レッスンに行ったら、やっぱり楽しかった。
まあ、最後の方は、脳みそも働かなくて、フラフラでしたけど。

今日でちなみに35回が終わった。
一回二時間の授業なので、合計70時間が終わったことになる。
2013/6から始めたものの、出張が入ると当分来れなくなったりするので、本来は週一で通い、50回で一年、100回通って二年間分終わるところを、
まだ35回なので、あと65回も残ってます。
今のペースで行くと、あと四年かかるわ。

・・・・・

それにしても、つい先月くらいまでは、中々ポルトガル語は面白いな、と思えなかったんだけど、
今では大分慣れてきて、分かるようになって来て、やっと楽しいと感じるようになって来た。

最初は、それこそちんぷんかんぷんで、何が何だか、さっぱり分からなかった。普段全く聞きなれない音ばかりだし。

でも今は分かるので、楽しいです。言語って、そんなもんだと思います。

・・・・・

ちなみに大学一年の時にスペイン語を一学期とったけど、
その時は、やっぱり全然慣れず、
授業が終わって、普通に英語で友達と会話すると、本当に英語が簡単に思えたのを思い出す。
もちろん当時は、留学して半年くらいだったし、英語もままならなかったんだけど、それでも、スペイン語に比べたら、本当に簡単に思えた。

そんなわけで、今もポルトガル語のレッスンが終わって、英語の音楽を聴くと、何だかすごく贅沢に感じる。ああ、沁みるぜ。という感じ。
分からない言語の世界から放たれた開放感というか。頭を使わなくて良いから。

留学時代も、そんなわけで、
たまに日本人と日本語で思いっきり話すと、すごくラクで開放感があるんだけど、同時に、「ああ、こんなにラクしてていいのかな」と感じる罪悪感もあったり。

・・・・・

そんな訳で、この歳になって、頭を極限まで使ってヘロヘロになる事はもう殆ど無くなってくるけど、
言語の勉強は、それを可能にさせてくれるので、中々やりがいがあって楽しい。

2015/2/19. 21:28

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January 22, 2015

22:49-

今日は、高校時代の親友と久しぶりに会った。

彼は、来月に結婚式を挙げる。
今日は、奥さんとなる方と初めてお会いしたが、
話を聞くと、昨年末に既に入籍していたそうな。

彼が、結婚をすると聞いたのは、
去年の3月頃だったと思う。
仕事帰りに、神田の居酒屋で会って、実はさあ、と話を聞いた。

まさか、彼の場合は結婚なんて当分しないと思っていたから、
その時は驚いた。

そのあと、また7月頃に再度神田で会い、馬刺しを食べながら、
色々と話をした。

そのあと、ぜひ俺の奥さんも交えて四人で会おうぜ、と話はしていものの、中々会う機会が作れず、
結果的に、今日、うちの奥さんは交えず、彼と、彼の奥さんと、俺の三人で会った。


話には少しだけ聞いていたが、とてもいい方だった。
まあ、彼と俺の奥さんはB型同士なのに対して、
俺と彼の奥さんは、O型同士というのでも合うのかもね。


そんなわけで、来月は彼の結婚式。

俺は、披露宴での簡単なスピーチと、
二次会での司会進行をする事になった。


今は電車で帰り道。

遂にあいつも、結婚するんだなあ、と思うと、
なんだか、何とも言葉にできない気持ちになりますなあ。

高校三年の頃から、
よく遊んでいたあいつが、結婚するんだなあ、とね。


22:58




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May 15, 2014

人生というのは結局、

他人の行動に文句を付けたり、
他人が自分の思うように動かないことを気にしたり、

そういうことをしていると、

自分が不幸になるし、
自分の心が狭くなるし、
自分という人間の器量がものすごく小さくなる。

自分を他人とばかり比べたり、
自分に対する他人からの評価ばかりを気にしていたり、
そうやって生きている人間ほど、
器量が小さく、結局は大した仕事をしていない、または出来ていない場合が多い。


他人が自分の思うように動かないことは当たり前で、
そこにストレスを感じたり、イライラしたりするのは、
目の前にある大きな木に向かって、なんでこんなところに立ってんだよと怒鳴ってるようなもんである。

それよりは、
自分にベクトルを向けて、
自分の成長、
自分の心の内面、

そして、
自分は、目の前の出来事に対して、どう捉え、どう反応するか、

そこを、冷静に、客観的に分析して、自分の考え、気持ちのコントロールをする方が、
生き方は断然楽になるし、
自分の気持ちも清くもてるし、
何より、気持ちがいい。


・・・・・


こういう、基本的なことを、
つい、忘れてしまう。

普段自分が何かにストレスを感じて、イライラしているとき、
ため息が多いなと感じるときは、
一度、一歩引いて、
自分を、素直な目で見てみるといい。

2014/5/15. 21:43






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December 19, 2013

22:26-

ポルトガル語を習っていて気づくのは、
全ては、アクセントをどこにおくか、ということ。

「元気?」の”Tudo bem?”は、
トゥドゥベン?と聞くけど、
その時、最初の”Tu”にアクセントが置かれるので、
その後の”do”は、doにも関わらず、実際はduの発音になる。
その様に、ポルトガル語の場合、
アクセントを置かれない母音の音の発音が、
実際のアルファベットの音とちがう事が起きる。


それを昨日習ってて、そういう言葉の習性って面白いなあと思ってたけど、
英語もやっぱり、通じるか通じないかは、
一つ一つの単語の発音が合っているかどうかよりも、
その文章全体の中で、どこにアクセントを強く置くか、
それが、ネイティブと同じようにアクセントを置けば、
単語の発音は汚くても通じるし、
逆に、一つ一つの発音が良くても、アクセントの置き方が間違っていると、
全然通じない。

(よく、成田空港でアナウンスされる英語は、
一つ一つの単語の発音は綺麗だが、イントネーションが変なので、
「ああ、日本人英語だ」と気づく)


俺は、そんな事実に、留学中は余り気づかずに来てしまって、
結局、日本に帰ってきて、それを強く意識している。


日本語って、はっきり言って、余りアクセント、というか強弱を置かない言語だから、
一つの文章を言う時でも、そんなに音程が上がったり下がったりしない。

でも、英語や、ポルトガル語など、
強弱がしっかりしている言語は、
そこを恥ずかしがらずに、ちょっと大げさだろう、くらいに言った方が、
「あなたお上手ですね」となるわけで。


*****

そんなことを、よく感じる。

うちの奥さんは、言語のセンスが半端ないので、
英語、韓国語を始め、
どんな言語も簡単にペラペラと話せてしまい、
かつ、発音も超綺麗なので、
英語のネイティヴや韓国語のネイティヴに、
「あなた英語(韓国語)お上手ですね」と言われるのを通り越して、
普通にネイティヴだと思われてスルーされる事が多いけど、
俺は、そういうタイプではないので、
(先日、”Pronunciation”を普通に言っていたつもりが、
”ポロナンシエイション”と言っていたらしく、大爆笑された)
一つ一つの発音を極めるのは捨てて、
イントネーションをネイティヴに近づけたいと思いまする。


2013/12/19 23:37



http://www.americanaccent.com/intonation.html

面白いサイトを見つけた。
英語のイントネーションが聞ける。文法に合わせて。
一番下のボックスの文章を押すと、発音される。



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July 06, 2013

2013/07/06 22:13

今は、Gaithersburg(ゲイザースバーグ)のホテル。
メリーランド州モンゴメリー郡の中心部に位置する都市。

この州は、たぶん初めてきた。
2005年の夏の旅の際に、ワシントンDCも列車で着て降りたけど、
たぶんこの州には降りてはいないと思う。


ホテルは、町の端っこというか、
高速を降りたところのちょっと走ったところにあり、
「いかにも東部のアメリカ」という感じで、
周りは、車で走らないと何にもない。

さっきも、歩いて近くのモールまで行き、
中を見て、
その後、その近くにある小さなコンプレックスにあるTrader Joe’sで5年ぶりに懐かしいなあと喜んで買い物をしてきたけど、
そこまで行くのに、かなり遠かった。

帰り道は、ひたすら歩いたが、
結構早く歩いてるのに、25分くらいかかった。
(今道のりをマップで調べたら、どうやら最短距離でちょうど1マイル=1.6キロだから、たぶん遠回りして歩いてきたから、片道2キロは歩いたと思う。歩きすぎ)

こっちは、本当に土地が広くて、
モールの駐車場も、まるで何かの特別な場所ですか、というくらい、
本当にバカでかい。
バカなんじゃないかと思う。
歩いても歩いても、ぜんぜん着かない。
そして、景色が同じように続き、信号から信号までがかなり長いので、
一瞬見た目は結構近そうに見えつつも、実は、ものすごく遠かったりする。

(今、日本の実家から最寄り駅までを調べたら、距離が2.8キロになっていたけど、
要するに、今日は往復で絶対に4キロは歩いているから、
自宅から駅まで行って、またちょっと歩いたくらいを歩いたわけだからね。
信じられないね)

こっちは、みんな車に乗っている。
だーれも、歩いてなんかいやしない。

思えば、2005年の夏に、アメリカを野宿で一周して回ったなんて。
よくやったなといまさらながら思う。
結構東部は暑いし(西部と違って湿度が高いので汗をかく)、これだけ広いアメリカを、足で歩き回ったなんて、よくやったなと思う。
言ってみれば、日本の25倍近くの面積がある国を、回ったわけで、
そりゃあ、途中で嫌になるよなと思った。
ホテルにも泊まらず、赤の他人に話しかけて、家に泊まらせてもらうなんて、
よくやったよね。
(自画自賛というより、向こう見ずだったなと思う)

*****

過去のことはどうでも良いんですが、
それにしても、アメリカはでかいね。

そして、この町(というか、俺が今日行ってきたモールとコンプレックス)には、
インディアン、ヒスパニックばかりだった。
アジア人も少々見たけど、あまりいない。
白人もそんなにいなかった。
きっと、この周辺が、そういう人種が集まる傾向があるのかもしれないけれど、
こうやってアメリカの色々な場所に足を踏み入れていると、
ずいぶんと、白人だけがいる町というのは少なくて、
インディアンやヒスパニック系が、増えているなと感じる。

モールを歩いていても、見事に、目にする人種が全員違った。

そして、みんな見事に太っている。

ヒスパニック系(要するにメキシカン)、黒人、ネイティブアメリカンは、
太り方が半端ないですね。
そして、もちろん白人も。

俺がこの前4月末にドイツ・フランクフルトの空港と、
フランス、スイスに行った際には、
同じ白人でも、みんな綺麗に痩せていて、
男はシェイプアップしてかっこよく、
女は細くてとても綺麗だった。

生まれて初めて、あれだけ多くの白人が集まっている中で、
誰もがきちんと痩せていて、
「あ、痩せている白人って存在したんだ」と思った。

それくらい、アメリカの人民はひどい。

どこに行っても、ハンバーガー、ピザ、ステーキしか選択肢がないし、
飲み物のチョイスは、8種類あっても、
6種類がコークで、残りは甘味料いりのアイスティーと、甘味料+ソーダ入りのオレンジジュースという。

ばかじゃないかと思う。


アメリカっていう国は、
というか、アメリカ人というのは、
みんな周りが太っているから、
自分のお腹が出てきていることに気付いているようで気付いていないんだろうけれど、
本当に、すごい民族だなと思う。

2013/07/06 22:31


追記;
ちなみに、今朝までモントリオールにいて、
その前は二日間、トロントにいたんだけど、
やっぱり、カナダは人が親切でよかった。
まず、結構みんなフレンドリーで、笑顔がすぐに出る。

思うけど、アメリカ人って、目があったら、一応習慣でにこりとするけれど、
決して目は笑っていない。
そして、固い顔をしている人が多い。

でも、カナダ人は、けっこうみんな、気楽な感じで、
笑顔も自然な人が多かった。

どちらの国も、同じように人種が混ざっているのに、
アメリカでは、人種同士で固まり、
「人種は関係なく仲良くしている」という光景をあまりみない。

でもカナダは、
普通にアジア人と白人の子たちが一緒に遊んでいたり、
黒人だろうが、白人だろうが、ヒスパニックだろうが、パキスタン人だろうが、
まったく関係なくみんな仲良くやっていた。

トロントであったお客さんのパキスタン系カナダ人の女性は、
「こういう文化なのは、
カナダが大変な歴史を乗り越えてきたからこそなのよ」
と言っていたけれど、
本当に、すごいなと思った。

アメリカはもしかしたら、
2001年のテロ以降、
テロ事件が相次ぎ、やはり心のどこかでは、
他の人種を警戒するマインドが働くのかもしれない。
何しろ、みんな心のどこかに、
他人を警戒するバリヤーを張っている気がするから。

**********

以上。





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2013/07/03 9:33am

今はNYのNewark空港。
これからトロントへ向かう。

NYCには、結局最初の一晩+6泊で、合計7泊した。
NYを拠点に、NC(Charlotte)、TN(Chatanooga)、NJのオフィスなどを回った。

昨日は、NYCのPenn Clubという場所で、顧客の一人と会った。
ここは、University of Pennsylvaniaの卒業生が使える場所らしく、Annual feeはかかるものの(そして、卒業したての頃は安いが、毎年年齢を重ねるごとに使用料が上がるとの事)、中にはホテルやレストラン、会議室にDeskもあり、何名もの人間がここを使っていた。
この近くには、Stanfordや他の学校の卒業生用のこういった場所があるらしい。
かっこいいなと思った。

*****

昨日会ったその顧客は、上に書いたようにUniversity of Pennsylvania卒業。

・・・と、上まで書いて、今日は2013/07/06 12:14pm. 今はカナダのモントリオールの空港でワシントンDC行きの飛行機を待っている。

上で書こうと思ったのは、その顧客の男性は、今は35歳、父親は彼の今やっている会社の社長であって、既にリタイア済み。彼は元々JPモルガンでトレーダーを数年やっていたが、今は父親の仕事を引き継いでこの会社の社長をやっているということ。

聞くと、リーマンショックの2008年、一気に土地代が下がり、銀行がアメリカ中の土地や家を一度に売っている時に、ユタの方の山奥の土地と家を、元々の70%OFFの値段で買ったらしい。(そして今は値段が元に戻ったとか)
よって、夏休みは家族とそこでいつも過ごすそうな。No Humid、Coolで、とてもすごしやすいと言っていた。

彼の立ち居振る舞いを見ていて感じたのは、典型的なアメリカのエリート白人だな、ということ。
University Of Pennsylvaniaがどれ位のレベルかは知らないけれど、NYCのど真ん中に卒業生専用の場所を作るくらいだから、優秀な大学なんだろうと思う。
そして、一流証券会社でトレーダーを数年やり、今は社長。

今回、東海岸を主に回っているが、やはり、東と西は全然違うなと思った。
西海岸は、やっぱりカリフォルニアに代表されるように、「遊び」というイメージ、要素が大きい。
俺は、Cal State Long Beach卒業だが、「どこの大学?」と聞かれて「ロングビーチ、カリフォルニア」と答えると、「Oh, that’s a nice place!」とは言われるけれど、「Oh, that’s a good school!」とは言われない。
やっぱり、西にずっといると、東のほうは遠いから、あまりそっちでのスタンダードや人々が西をどう考えるかは分からないけれど、東に来ると、
なんとなくだが、東の方が西よりももっと歴史があるし、More Prestigeだぜ、という感じがする。

俺は落合信彦にかなり学生時代に影響されてアメリカに飛び立ったわけだけれど、彼もPensylvaniaのオルブライト大学で、やはり東の学生。
そのままアメリカに残らず、すぐに日本に帰って就職するなら、アメリカのどこの大学を卒業しているかはあまり影響しないけれど(そして、日本の企業の人事担当者は、アメリカの大学のレベルや知名度をほぼ知らない)、こうしてアメリカに残り、企業で働くなり、そこでキャリアアップをしていくとなると、東の大学(もちろんレベルの高い大学であることが前提)に行っている学生のほうが、よりビジネスマインドを持っているし、キャリア志向が強い気がする。
要するに、俺が落合の本を読んでいて感じていた、「アメリカ社会でビジネスをバリバリやっていくエリートアメリカ人」というのは、こういうところに集まり、そこで学び、社会に出て行くだろうな、というのを感じた。

******

大学は、そこで何を学ぶかよりも、
そこでどんな人間と交流を持ち、ネットワークを作るかであるという人もいる。

自分がいくら勉学に励み、上流に入り込みたいと思っても、
自分の属する世界が、そういうレベルの世界ではない場合には、
その中で自分の希望とする道にフォーカスするのは難しい。

しかし、最初から自分の欲する世界に自分を入れてしまえば、
後は、その流れに乗っていけば、うまく行ける、ということがこの世の中では起きる。

海と一緒で、海に入る前に、
どのスポットに入るかをきちんと見極めないと、
たとえ技術があっても、沖に出る前に波に飲まれまくって、体力を消耗してしまう。

しかし、たとえそんなに技術がなくても、
最初から良いスポットを選べば、簡単に沖に出られて、
良い波をつかまえられるもので。

******

俺は、今までの人生で、
例えばそこに二択の選択肢があった場合、
大きいものよりも小さいもの、
上流のものよりも下流のもの、
大衆が好むものよりも少数の人間が好むもの、

そういったものを、選んできたと思う。

メイジャーを選ぶよりは、
マイナーを選んできたと思う。

しかし、やはり、メイジャー、でかいものを選んだほうが、
そこから選べる選択肢は広がり、
仮に、自分がマイナーに最初に足を踏み入れた後に、
「あ、やっぱりメイジャーの道に行きたい」と思っても、
マイナー→メイジャーは、無理な場合が多い。

しかし、メイジャー→マイナーは、簡単に出来る。

*****

俺は、今まで転職を二回行い、
日本の社会では、決して、評価されない道をたどって来た。

アメリカもそれが強いだろうが、
日本も、社会が評するステータス、学歴、
そういったものを評価する傾向が強いと思う。

それは、どこの国でも同じかもしれない。

そして、その国の評価基準、人々の考え方が、
そこの国で過ごす時間が長ければ長いほど、
自分の中には、浸透していく。

俺は、18歳から24歳を、アメリカで過ごして、
その間は、アメリカの考え方が基準となった。
日本の考え方は「遠いもの」となり、
日本の大学生がやるような就職活動はしなかった。
よって、企業面接を受ける際にも、
日本で言えば誰もが知るような企業の名前を、全く知らなかった。
(先週末、NYCで留学一年目の同期の友達と会ったが、その子は今、NYCにある、日本国内の広告を全て牛耳っているような大企業のNY支店で働いていますが、彼女も、学生時代、そこの会社でインターンをはじめる前に面接を受けにいったとき、その企業が何の会社なのか、全く知らなかったという。俺も、その会社がLAの企業フォーラムに来ていたんだけど、ぜんぜん知らなかった。むしろ、ダサい名前だなあなんて思っていた。)

そうやって、日本に帰ってきて、
大企業よりもベンチャーのほうが良い、というアメリカのマインドで働き出して、
じきに、大企業の持つ特権の大きさに気づいていく。

はっきり言って、大企業で働く方が、
福利厚生も、給与も、全て、条件はずっと良い。
(大企業といっても、きちんとした優良企業で、かつ、その業界が儲かっているところ。)

俺も、若いころ(要するに25歳〜27歳くらい)は、ベンチャーのような低給与でもやっていけたけど、
ある程度年を取り、結婚するようになったり、
数年日本社会で働いて、ある程度、仕事の「やりがい」というものだけでは、やっていけないことに気づいたときに、
はっと、「やっぱり、大企業の方がずっと生活しやすいじゃないか」ということに気づいたわけで。

**********

完全な起業マインドを持つ人は、そういう、ベンチャーだからとか大企業だからとかは関係ないんだろうが、
俺は、別に起業をするタイプではない。
やっぱり、ビジネスにも、そんなに興味があるとは思えないし。
それよりは、自分をどのように成長させて、
どれだけ、自分が望む人生に持っていくか、
そのことにしか興味がないような気がする。
(そして、趣味としてアートに触れられていれば良い。)


*****

長くなってきて何を言いたいのか分からなくなってきたけど、
要するに、

・その自分の属する社会が支持する評価基準に自分の人生を合わせていては、そこの社会を飛び出したときに、「あ、自分って、その道を本当に進みたいと思っていたんじゃなく、その道に行くことによって、みんなからすごいねと賞賛されることを求めていたんだ」ということに気づき、虚しくなるということ。

・周りと比べてばかりいると、(自分の価値基準の中で)自分より下と思える人と比べていれば、優越感は得られるかもしれなけれど、そうやって得られる満足感というものは非常に虚しいし、すぐに消えるし、第一、自分の心が貧しくなり、人間として惨めな人間になる。
逆に、上のレベルの人間と比べると、それは上はいくらでもいるもので、給料で比べると、800万よりも1000万、1000万よりも1500万・・・となるし、
アメリカのNYCでの一流エリートたちの価値観で言えば、どこに家を持っているか、世界に何件家を持っているか、家+ジェット機を持っているか、そのジェット機はどれ位のサイズか・・・・と、いくらでもきりが無い(そのことは、NYCで会ったその友達に聞いた。アメリカも日本に負けずどころか、日本以上にステータスに拘る社会だよと。)

**********

よって、自分の人生を、自分が今属する社会の価値観に合わせていては、
結局、それに振り回される人生を送ることになり、
その社会を出たときに、自分の軸がなかったことに気付く、ということ。

人は、周りの目を気にして生きる動物であり、
周りの目を全く気にせずに生きていくには、相当の精神力が必要とされる。

そして、自分の人生は、一度しかない。
歳は毎年必ずとっていく。
「あとでやればいいや」と思っていては、結局気付いたときには、それをできずに終わってしまう。

そして、「まだ若いからいいや」という考えは、
20代前半から、26歳くらいまでで終わってしまうことに、
27歳を迎えたころに、はっと気付く。


10代の頃は、「若い」といわれることに抵抗を覚え、
はやく年をとりたい、
はやく、一人前の大人として扱われたいと思っていたのに、

25歳を過ぎたあたりから、
急に、21歳くらいの子を見て、
「まだ若くていいなあ」と感じている自分がいることに気付くこと。

******


長い回想でした。

2013/07/06 13:00pm @ Montreal Pierre Elliott Airport




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July 05, 2013

Macys-Fourth-of-July-Fireworks-Spectacular-350x235


2013/07/04 22:35

今日はアメリカは独立記念日。
TVでは、NYでのMacy’s 主催の花火と、アーティストたちのライブの様子を生中継していた(一度終わった後、そのすぐ後にまた、短く編集したものが再放送されている)。

マライア・キャリーが出てましたが、彼女は本当に歌がうまいですね。
Heroを歌っていましたが、音程をほぼ全て低く変えて歌っているので、
はたして、高い音程を出すのが辛いからそうやって歌うのか、
それとも、CDと同じように歌ってつまらないからそうするのか分かりませんが、
どちらにしても、音程が全て変わったバージョンでも、すばらしくうまかったです。
さすが歌姫ですね。

"Hero"


"#Beautiful"

なんでマライアキャリーはソファに寝転がっているのか謎ですが、寝ながらでも歌が最高にうまい。
この人ほど”セレブ感”を演出するのがうまい人はこの世の中にはいないと思います。



そして、Cherは今は何歳なのか不明ですが
(俺が15歳のころに、確か60歳くらいだった気がしたのに、それから15年経った今でも見た目が60歳くらいというのは、どういうことだろう)
元気に踊って歌っていました。

そして、テイラー・スウィフトは、なんだかんだいって、やっぱりいい歌を作りますね。
BGMに流すには耳につきすぎてしまう声をしていますが、
でも、いい雰囲気の曲を作ります。

"Everything Has Changed" ft Ed Sheeran


Tim McGrawは、あれ、人気なんですね。アメリカ人の白人女性には。
ピチピチの白いTシャツを着ているくせに、それにカウボーイハットを被って、かっこつけて歌うのはやめて欲しいですね。超レッドネックという感じです。
(ファンに怒られそう)

そして、最後はUsherが監修した音楽と花火が延々と続きますが、
あまりにも長かったので、あきれてしまった。
あれ、20分くらいやってたんじゃないでしょうか。
音楽に合わせているようで、全然合っていなかった気がするけれど(その辺のアバウトさがアメリカ)
でも、観客はわけもわからずキャーと騒いでいました。

*****

何を書こうとしたかというと、
一度目の生中継の際には、CMに入るたびに、色々な人たちにインタビューして、
どれだけ彼らがアメリカを誇りに思うかを延々と語っていたんだけど、
で、その後に、マライア・キャリーのHeroとともに、
ハリケーンSandyの被害の様子や、Bostonの爆破事件の様子の写真などが流されたんだけど、
アメリカというのは、常に、敵をつくって、それに立ち向かう姿を描くことで、
自分たちを正義にして、ヒーローとなり、
そういう状態にいつも自分たちが、そして自分の国がいることを、
誇りに思う、もしくは、思おうとしてる国なんだなあというのを、
見ていて、感じました。

日本でいうなら、
日本は、決して、
災害が起きたり、何か重大な事件がおきても、
その様子を、NHKなどで、感傷的に流すだけだけど、
そして、それが二度とおきないように、どうするかを考える文化だけれど、
(そして、その被害にあったことを、決してポジティブに捉えようとしない)、

アメリカは逆に、
何か事件が起きれば、それを嘆き悲しんだ後、
それを題材にして、それに立ち向かう自分たちの姿を讃え、
それに誇りを持り、前に進んでいこう、とする。
(よく捉えればそうだけど、上に書いたように、
「敵」をつくることで、自分たちが「攻めて行く」姿勢にいつもあることを、肯定する動きがある。)

そこが、日本のような農耕民族と、
アメリカのような肉食民族の違いだと思う。

*****

そして、やはりアメリカという国は、
できてから200年ちょっとしか経っていないわけで、
今回、この数ヶ月で、ヨーロッパ、アメリカ、カナダを訪れたけれど、
やはりアメリカというのは、
できて新しい国だからこそ、
元気もあるが、ケイオス(混乱、混沌)も多々あり、
言ってみれば、一つの国のように見せた、実は、
ただ、色々な人々が好きに集まってできた、一つの巨大なグループのようなものでしかないんじゃないか、と、
そう感じた。

それはなぜかというと、
国というのは、ある程度の歴史を持つと、
その国の文化を形成し、ある程度成熟するので、
決して、その国の中の国民が、「危なっかしい」「モラルがない」という行動を取ることが少ないと思う。
その国がドイツのようにまじめだったり、イタリアのように陽気だったり、
日本のように融通が利かなかったり、中国のようにいい加減であろうと、
ある程度は、その国の中に、一定の「コモンセンス(共通観念)」というものが存在する。


しかし、アメリカの場合には、
その「コモンセンス」が通用しない。
人が100人いたら、100人とも、見事に違う考えを持っているし、
そうやって、人は違うものだ、ということを、
美徳としている。

それはやはり、色々な人間が集まってくるからこそ、
その多様性を認め、「ここに集まってきた人間の尊厳は、必ず認める。だからこそ、全員が違うことを、根底に置こう」という無言の了解の下に、
この国は成り立っている気がする。

******

今から100年後、200年後のアメリカはどうなっているのか。



きっと、あまり変わっていない気がする。

2013/07/04 22:53


追記;
ちなみに、Wikipediaで調べたら、
Cherさんは現在67歳だそうです。
すごいですね。スティーヴンタイラーより年上ですが、
もっと元気に見えます。





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June 25, 2013

2013/6/25 6:08am-

旅をすること、
どこか、別の国に行くことは、

自分を、普段の日常の時間の流れから、ぶつんと切り、
次元、空間を、別のところへ持って行くこと。

それは、パソコンで例えるなら、
今までは「日本」というフォルダの中で、すべてを管理していたところから、
「A」(その国)のフォルダを作り、
そこに、まっさらな状態で、自分の軌跡を描いて行くようなもの。


だから、一度、今までのフォルダとは別のフォルダを作ることにより、
今までのフォルダのことを、総体的に見ることができ、
それを、それまでの自分の人生を振り返るための節目とすることができる。

*****

また、その「A」というフォルダに移動した時点で、
過去に、そのAの国にいたことがあるならば、
そのときの記憶は、(それまで忘れていた記憶が)ありありとよみがえる、
ということも起きる。

それは、不思議な感覚である。

当時、その記憶が作られたころに、一瞬にして頭が飛ぶことで、
そのときと、今の自分に至るまでの年月を考えると、
不思議な気持ちに陥る。

「あれから、もう、13年も経ったのか」と。

(自分が初めて東海岸、およびアメリカを訪れたのは、
2000年、16歳の夏だった。)

*****

2013/06/25 6:14am





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May 30, 2013

2013/5/30

ポルトガル語の語学学校の見学のために、
久しぶりに、船橋に降り立った。

船橋の町を歩くのは、約十年ぶり。

今から十一年前、
英語の語学学校に通っていた。
約十年ぶりに、その近くを歩き、
なんだか、今まで十年の間眠っていた細胞が目覚め、
記憶がだんだんと甦ってくるようで、
正直、体がゾワゾワした。


今まで、思い出すことはなかったが、
確実に、俺の体の中に眠っていた記憶。
もう、その記憶や、体験があったことすら、わすれていたが、
それらの記憶が、自然と、甦ってくる。

不思議な感覚だった。



思った。
実際に、物理的に体をその場所に持ってこないと、
決して思い出せない、思い出がある。

そして、それらの記憶を思い出すことは、
自分を、一瞬にして、
その記憶が作られた当時に飛ばすことであり、
それをすることによって、
今の自分と、
そのときの自分の間の「時間」を、
一瞬にして、体感することができる。

そして、それは、
自分に、その期間の自分の人生を、
総レビューさせること。
一瞬にして。


その、感覚により、
頭ではなく、感覚で、
一瞬にして、
自分の、当時から今までの成長、変化を、
体が理解することができる。


これは、すごいことだと思った。
そして、こういった、人生の節目となる経験を、
定期的にするべき、

そう思った。


人は、それまで習ったことのまとめや、復習をすることで、
それまでの自分を客観的に見ることができ、
より、自分のことを、客観的に見られるように。


2013/5/30 20:50





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May 29, 2013

今日は、ポルトガル語のレッスンの体験授業、三校目。

とてもいい先生でよかった。

今日はレッスンで、先生に最後に、
今日習ったことで会話をさせられ、
そこで、「あなたは東京出身ですか?」との問いに、
「いいえ」と答えるところで、
"Nao, sou nao." と言ったら、
"nao"(ノウン)は最初に来ると言うことを教わった。
(正しくは、"Nao, nao sou." "Yes"の場合は、"Sim, eu sou.")

この時、先生に色々と聞かれて、
ちょっと分からなくて、かつ、なんとこたえたらいいか分からず、
ちょっと恐かった。

この感覚、俺は、もうだいぶ忘れていたけど、
よく考えたら、初めて英語をまなんだ頃、
そして、英語を初めて話そうとしだした高校一年の頃は、
俺は、英語の先生を前に、三分くらい何も言えなくで、
汗ダラダラで、かなりはずかしい思いをしたんだよな。と。

そのときの感覚を、約十五年ぶりに思い出した。


英語に不自由しなくなって、十年近くがたつけど、
この感覚を再び味わえ、なんだか、自分が、十三才くらいに戻った感じがする。

すごく、新鮮。
そして、この感覚は、忘れちゃいけないなと、
そう思った。


ある程度その言葉が話せる様になってくると、
その言葉を話せない人の気持ちがわからなくなってくる。

英語だったら、俺の場合は、英語を話せるから、
英語を話せない、または、話したがらない、
という人をみると、
もっと気軽に話してみればいいのに、
なんて思ってしまうこともある。

しかし、その言葉を習いたてだったり、
まだ一回も使ったことが無い場合は、
間違えるのも恐いし、
なんて言ったらいいのかも自信がないし、
まちがって笑われたり、恥をかいたらやだし、
色々な恐怖がつきまとう。


その気持ちを、まったく忘れてしまうと、
新しくその言語を学ぼうとしている人がもつ、
その語学に対する恐怖みたいなものを、すっかり忘れてしまう。


そういう、感覚は、
覚えておかないといけないなあ、と、
そう思った。




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May 28, 2013

先日、妻と話をしていて、
いかに男は、他人の年収と自分のそれを比べるか、
の話題になった。

男は、高校くらいまでは、
あいつの方が俺よりも見た目がいいとか、
そんなことで比較をするが、
社会人にもなると、
見た目なんてのはどうでもよくなって、
そいつの年収や稼ぎと自分のそれを比べ、優劣を決めたがる。

そうはしていないといっても、
絶対に無意識のどこかでは、そうしている。
ジャックジョンソンくらい、浮世離れしていない限りは。


逆に、女の子の場合は、
その子が自分よりかわいいかどうかで、
比べている、と。


しかし、それらの比較対象というのは、
年を取ると変わってきて、
六十代では、
自分よりも相手の方が健康かどうか、
それが関心ごととなる。

相手の年収なんてのは、ほぼ関係なくなる。


それよりも、
「俺は仕事ばかりにうつつを抜かして、おかげで妻と子どもに逃げられて今は一人だけど、あいつは家族にめぐまれていいな」とか、
「あいつは友達がたくさんいていいな」とか、
「趣味があっていいな」とか、
そういうことに対象が変わっていく。

さらに、七十代にもなると、
もうほとんど、人と比べることはないんじゃないか。
ほとんど、気にしなくなるんじゃないか、と。


そして、七十代で、どうせ何も気にしなくなるのなら、
そして、人生は生きられても百歳までなら、
最初から、七十代の時には気にしていないことは、
今の時点で、気にしなければいい、と。

そう考えると、すごく視野が広くなります。



その考えを妻から聞いて、
「なに?いつから。その考えを持ってるわけ?」ときくと、
「たぶん、小学生くらいじゃない?」と。



さすがですね。





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April 19, 2013

今、毎朝、
NHKの語学ラジオ講座の内容を聴いている。

主に、英語関係は、

実践ビジネス英語、
入門ビジネス英語、
ABCニュースシャワー、
攻略!英語リスニング、
英語で読む村上春樹、

の5つ。
たまに基礎英語3とかを聴くと、
アメリカでの家族の中で話される子供たちの英語をやっているので、
アメリカの情景が頭に蘇る。

それ以外に、
ポルトガル語入門、
まいにちスペイン語
を聴いている。

ポルトガル語は、まだ耳がその音に慣れないけれど、
ずっと聴いていると、
次第に慣れそう。
スペイン語は、10年前に少しやったので、
結構入り易い。
この言語は二つセットで、
今年のうちに覚えてしまいたい。


英語の番組は、
ABCニュースシャワーが結構好き。
アメリカでのニュースを短く纏めたものを、
全部で4回流す。
その間に、「今日のフレイズ」の単語を一つ挙げ、
それ以外にも、肝心となるキーフレイズを幾つか挙げてくれるので、
何度も同じセンテンスを聴くことで、
自分が普段、いかにニュースを聴いていても、
知らない単語が多かったか、
また、知っているつもりでも、
その単語の本当に意味を知らなかったり、
または、自分が全然興味の無いニュースは、
何回聴いても聴き取れないところを、
この番組では、何度も細かく分解してくれるので、
それが聴き取れる様になると、
同じ様な内容の他のニュースも聴ける様になってきて、
それが、嬉しい。

この番組は5分構成だし、
全然飽きないので、
何回もリピートして聴いていると、
新しいフレイズがあった場合には、それを暗記出来るので、
それが良いと思う。

*****

以上、
最近の言語状況。

2013/4/19 23:55




PS. ちなみに、全然関係ないけれど写真は少女時代。
今週の頭に、彼女たちの日本向けアルバム2枚目を借りました。
最高に可愛いですね。


news_1352780421_gallery_1 のコピー





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2013/4/19 Fri 22:53-

最近、日記を書いていない。

*****

さっきふと思ったけど、
大人になって、日々が早く過ぎると思うのは、
多分、
毎日が、「同じ様に流れて行く」と思っているか、
または、
毎日違うことを経験していても、
それを、日記を書くなりして、しみじみと味わう、
ということを、
子供のころに比べてしなくなるから、

子供の頃は、
毎日、何か経験すると、
それを、じっくりと、
良くも悪くも噛み締めて味わうけれど、
大人になると、全てに「慣れて」しまって、
流れるままに、日々を過ごして行くから、

だから、ふと気づいた時に、
「え?もうあれから10年経ったの?」
「え?もう俺って40手前?」
みたいになってしまうんだと思う。


俺は、留学時代は、
ほぼ毎日、日記を書いていた。
しかも、紙のノートに手描きで書いていたので、
一日分書くのに、大体20分はかかっていた。

多い日や、何かに悩んでいるころは、
1時間以上書いていた日も多い。

だから、その時の気持ちは、
今でも自分の心に強く残っているし、
その当時の日記を読み返すと、
その時に感じていた気持ちを、
瞬時に思い出すことができる。

(それでも、数年前に比べると、
その時のことを思い出す「鮮明さ」が、
大分薄れて来たことに、
かなり悲しみを感じるが。)

*****

俺は最近、
3月から東京に戻って来たせいもあり、
仕事の量が多くて、それに慣れなくて、
毎日疲れて遅く帰って来たり、
通勤電車に疲れたり、
色々とあったりして、
中々、腰を据えて、
静かな中で、
じっくりと、自分の心と向かい合う、
という時間を取っていなかったけれど、

そして同時に、
今では、そうやって、
自分の心と向き合う必要性が、
若い頃に比べて、なくなってきたから、
敢えて、その行為を取らなくても、
自分の心が叫ばないので、
それをする必要がない、ということもあるけれど、
(それだけ、若い頃の俺は、
悩みが多かった。
だから、日記帳に自分の想いを記し、
それを客観的に見て、自分の心の中を整理したり、
または、自分を励ます必要性があった。)

今では、たとえ、当時に比べて、
日記を書く=自分の心を内省する
必要性がなくなったとはいえ、
やはり、たまにこうして、筆をとらないと、
まるで、自分の心の中に、
何かがつっかえているような、
掃除を長い間していなかったような、
そんな、ちょっと、「つっかえた」感じになる。


きっとそれは、
自分の心の中に溜まった、
「気持ち」「経験したことに対して自分が感じた思い」
「日々の気づき」「日々の考え」
そういったことを、少しずつ吐き出さないと、
自分の心の中が、ほこりが溜まる様に、
段々と散らかって行くんだと思う。


それを、こうして、文字にして、
感じるままに、流れるままに、
こうして文字に書き起こることで、
一度、自分の心と言う部屋の中に散らかっているモノを外に出し、
それを、終わった後に、読み返すことで、
客観的に自分の心という部屋を見返し、
「ああ、俺の最近の部屋の中には、
こんなものが落ちていたのか。
こんなものが、転がっていたのか」
と、気づくことが出来るんだと思う。


そして、そうやって、自分の部屋=心を客観的に見ることで、
自分のこの「最近の日々」、というスパンの生き方を見直し、
それを、自分の頭の中に、
客観的に、まるで映画の1フレームを観るように
落し入れることで、
やっと、俺という存在は、
ほっと出来るんだと思う。


*****


と、こういうことを書く為に、
今日は日記を書き出したんじゃないけれど、
いつも、こうして何か、
ふと気づいたことを少しだけ書こうとすると、
ついつい筆が止まらなくなり、
書き終えた後に、
「ああ、俺はこんなことを無意識的に考えていたのか」
と気づくことになる。

結構、その気づきが、
楽しかったりする。

*****


さて、本題に入るが、
最近は、色んなことがあった。



やはり大きかったのは、
妻と、自分の父親が、
4月の頭に、手術を受けたことだと思う。



今は二人とも、病院から退院し、
無事に回復段階に入っているが、
やはり、二人の症状が分かった1月頃は、
とても心配で、
夢では、無意識的に、
妻のことを誰かに泣きながら話している夢とか、
親父のことを心配に思う夢などを、
何回か見た。


*****

今は、妻とはまだ一緒に暮らせていないけれど、
5月の頭には、うまくいけば、一緒に住める。

彼女とは付き合いだして、もう既に6年が終わり、
5月で7年目に入るけれど、
今まで一緒に住んだことがあるのは、
付き合いだした直後の半年くらいで、
後は、ずーっと、
別々だった。

やっぱり、これからは、一緒に住むことで、
今まであった、
どこかに遊びに行った後、
別れを惜しまなきゃいけない、
というのがなくなるので、
それが嬉しいな、と思う。

*****

親父に至っては、
色々とあるが、
今週の水曜日に退院し、
今では家にいるので、
良かったと思う。



今日俺は、ポルトガル語の体験レッスンを上智大学のある町で受けた後、
(帰り道に、そこの駅を信号待ちをしながら見て、
「あれ?どっかで見た風景だな?今回が初めてじゃないな」
と考えていたら、その昔、多分2003年頃に、
親友のSがここの大学に通っているときに、
この駅で奴と待ち合わせをした時のことを思い出した。
「ああ、ここか」と。
この町は、とても「上品」という感じがする。
エリート、いいとこのぼっちゃん、お嬢ちゃんの町、
という感じの雰囲気が漂っている気がする。勝手な意見)

一度自分の勤務地の町に帰って来て、
そこで、余りにも腹が減っていたので、
すき屋でご飯を食べたんだけど、
そこに、一人の年配の女性が入って来た。

とても上品で丁寧な方で、
席について、
中国人の店員のおねえさんが、
「何にしますか」と訛った日本語で話しかけても、
普通の人はみんな、ぶっきらぼうに
「並と、たまごにお新香」
みたいな感じで、愛想悪く返すオッサンばかりなんだけど、
その女性は、
「そうね、◯◯をお願いします」
の様に頼んで、
すぐに料理が運ばれて来たら、
「あら、もう来たの?ありがとうね」
と返していたので、
丁度反対側に座っていた俺はそれを見て、
何だか、心が洗われる思いとともに、
何だか、物悲しくなってしまった。

何かというと、
そういう女性が、一人ですき屋で食べるという行為が、
俺にとっては、何だかとてもその女性には
勿体無いことのように思えて、
昔から、
すき屋に、老夫婦が一緒に入って来たりするのを観ると、
何だか、いたたまれなくなってしまう。
(勝手に)


そして、丁度そのとき、
そういえば、俺の両親も、
俺たち(俺と姉貴)が家を出てからは、
料理を殆ど作らなくなって、
昼は結構外で食べる、ということで、
すき屋にもよく行くと聞いていたので、
なんだか、自分の両親が、
すき屋で昼に食べているのを思い浮かべると、
何だか、悲しくなってしまう。

そして、今、親父は、
体が弱っているんだな、と思ったら、
とても悲しくなってしまった。

(すき屋をけなしているようで悪いけれど、
俺にとっては、すき屋はファーストフードでしかなく、
かつ、カウンター席は特に、
キッチンや、反対側のカウンターの中側の壁など、
汚い部分、掃除をされていない部分が必ず見えてしまうので、
とても、「落ち着いて食べられる」環境ではないと思う。
近い横に人が座るし、
まるで、満員電車の中で、急ぎながら飯を食っているみたいで、
そんな環境には、
俺の様な男が、一人で行くか、
または、若いカップルがテーブル席に座るか、
男同士で行くかで、
とても、年配の夫婦だけ、とか、
年配の女性だけで、
そこに入って欲しくない、という勝手な考えが
いつの間にか、ある。)

******

何を書いているのか良く分からなくなって来たけれど、
とにかく、
自分が歳を取って行くのと同じ様に、
その分だけ、両親も確実に歳を取って行く。

自分だけが、歳を取るわけではない。

自分が30歳近くなったときには、
両親も、
同じ30歳分歳を取り、
60歳を超える。

そして、自分の生活だけに忙しく没頭し、
忙しさに身をゆだねて、
両親の元に殆ど帰らず、
親孝行をしないでいると、
あるとき、ふと気づくと、
両親はかなり老けてしまって、
自分の記憶の中の彼らのイメージとは
かけ離れて来てしまい、
そこで、親が病気になったり、
倒れたりしてしまうと、
もう、親孝行を、彼らの若い元気なうちにして、
喜んでもらえる、
ということは、なくなってしまう。


そして、そうなったときに、
きっと、自分は、一番後悔をする。

「なんで、俺は、
自分の生活だけに没頭していて、
あんなに大事に自分を育ててくれた両親を、
もっと、労ってあげなかったのだろう」と。


******

結局人生は、
後悔しても何も意味ないし、
過去は変えられない。

よって、今から未来をどう生きるかであり、
自分の未来に後悔しないためには、
とにかく、常に、
今ベストだと思える行動を常に取り、
後で昔を振り返ったとき、
「あのときの俺は、なぜあの行動を取らなかったのだろう?
でも、常に俺は、その時のベストを尽くして来たのだから、
自分の歩んでいた道に後悔はしない。
その時に気づかなかったのだから、
しょうがない」
と思える境地まで達せられる様に、
生きること。


一番嫌なのは、
何かに気づきつつも、
それを行動に起こさず、
そして、実際にそれがもう出来なくなった時に、
「なぜ、あのとき気づいていながら、
やらなかったのだろう」
と自らを責めることだから。


******


Man, I guess I wrote too much. My fingers hurt now.
Got to go to sleep now.

2013/4/19 23:23





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April 12, 2013

2013/4/12 0:38-

眠いですが、少しだけ。

*****

今月に入り、NHKの英会話講座など、
幾つかを聞き出した。

今のところは、
ビジネス英語の実践編と入門編、
及び、英会話タイムトライアル、攻略英語リスニング、
を英語関係では聞いている。
ビジネス英語の実践編と入門編は、テキストを買って見ている。

それと、まいにちスペイン語と、ポルトガル語も、
テキストを買って始めた。

ポルトガル語は、会社の命令で、
今年から学ぶことになった。
会社のお金で、
一年間の語学学校に通うこともできる。何と有り難きことか。
しかし、週一回、1時間半だけの授業では、
絶対に喋れる様になれないので、
自分でなるべく沢山の音を聴く様に心がける。
語学は、何と言っても
「耳から浴びる程聴いて、その音に慣れること」
が一番大事なことだから。


*****

ポルトガル語は、今回初めて習いだしたが、
スペイン語と似ている。
スペイン語は、今から10年程前、
2003年の1月から5月のSpring semester中に、
COSで取った。
ロドリゲス先生?のクラス。名前はちょっと忘れた。
その時は、コロンビア出身のSusanaという可愛い女の子が
同じ留学生にいて、
その子と母国語で話したい一心でスペイン語を取ったけれど、
その1学期だけで、後はもう勉強しなくなってしまった。

それから丁度10年経ったが、
今でも、当時習ったことは、「ああそうそう、これ習ったね」
と覚えているので、
やっぱり、若いうちに語学を学んでおくことは凄く良いことだと思う。

個人的な話をすると、
ここ最近、2年くらいは、
25、26歳より前に比べて、
物事の記憶力が落ちて来ていることを感じる。

また、音楽にしても、
23、24歳くらいまでに聴いていた音楽は、
Heartで覚えているというか、
いつ聴いても、歌詞が歌えるのに、
ここ数年で聴いて来た曲は、
あんなに何百回も聴いたのに、
久しぶりに聴くと、ちょっと歌詞が歌えなかったりする。
これが、昔親が言っていたことかと、
ちょっと焦りだした今日この頃。


なので、言語にしても、
30歳を手前にした今、
果たして今からゼロの状態で覚えられるのかしらと、
ちょっと不安が残るのも否めない。
まあ、体にしみ込ませるしかないね。
後は、
「◯◯さんって、
日本語に、英語に、スペイン語に、ポルトガル語も話せるらしいのよ。
すごいわね」
と言われることによって得られる優越感を目標に、
頑張ることが、多分一番の励みでしょう。


*****


それにしても、NHKの語学の教材は、
本当によく出来ていると思う。

スペイン語やポルトガル語のそれは、
俺はまだ全くの初心者なので、
どうか分からないが、
少なくとも英語に関しては、
授業もたくさんあるし、
そして、その内容が濃く、
かつ、先生が良心的。

テキストの値段は一ヶ月分で450円だし、
(10年前は360円くらいだった気がする。100円近く値上がりしたのね)
かつ、今の時代、
ラジオは、その日に聴けなくても、
ネットでいつでもストリーミングで聴ける。
ラジオのときは、それをテープに録ったりして、
雑音が入って、凄く聴き取りにくかったけど、
今では、ネットを通してなので、
音声もクリアで、すごく素晴らしい。
(俺は10年前、余りにもNHKの実践ビジネス英語にはまり、
CDをお金を出して買っていた。)

そして肝心の内容だが、
まず、どの講師も、解説、及び発音が、とても上手。
実践ビジネス英語の杉田敏(すぎた さとし)さんは、
10年前から変わらず、今でも健在。

この方の発音は素晴らしく、かつ、説明も上手。
聴いていて落ち着く。
そして、このテキストの内容は、
とても濃いので、
今聴いても、知らない単語が幾つか出て来て、
それを新しく勉強したり、
または、既に知っていたものを、
改めて再度、漆塗りをするような感じで、
自分の語学のスキルを磨きながら
学んでいけるので、とても良い。


そして、今回新しく聴き始めた、
入門ビジネス英語。これも素晴らしい。
講師の関谷英里子(せきや えりこ)さんは、
今回初めて知ったけど、
同時通訳などで有名なそうな。

この人の発音は、イギリス英語の発音で、
俺は女性のBritishアクセントが色っぽくて好きなので、
聴いていて聞き惚れてしまう。

そして、解説がこれまた上手い。
ちょっと少しダルそうに話す感じが、何とも言えない。
(完全にコメントがヘンタイの粋に入っていますね)

これは、実際のビジネス現場で
ちょっと一言、使えそうなフレーズをピックアップし、
それについて、
一つの単語を掘り下げて行くので、
ここで取り上げた単語は、頭にがつんと残るので、
次から実際に使えることになる。


また、今日その良さに気づいた、
攻略!英語リスニング。
この講師の、柴原智幸(しばはらともゆき)さんも、
とても落ち着いた喋りをしていて、上品でとても良い。

そして、この内容に関しては、
同じスキットを、何度も何度も聴きながら、
典型的なネイティブの発音の仕方、
その抑揚などに関して掘り下げて行くので、
普段自分が聴き取れていると思っていた英語でも、
その更に細かい部分までは、感覚で流していたであろうところまで、
まるで、重箱の隅をつつくように攻めて行くので、
今まで以上に、自分のリスニング力が上がるのを感じる。

(これに関しては、
去年の一番最後の授業を聴いてみた時に、
一番難しい内容の文章でも、今ではほぼ全部分かっていたので、
リスニング力は、やっぱり10年前に比べると、
随分ついたんだなと思う。
つかなきゃ逆におかしいけれど)

*****

ということで、
今までは、「英語」というのは、
自分の中では、もう既にマスターした言語で、
その粋から超えようとすることは無かったんだけれど、
今では、仕事で毎日使うし、
かつ、話したり、通訳をしたり、
書記になったりする機会も多いので、
本格的なビジネス英語を知らないと、
こりゃまずいぞ、と思い、こうして勉強を再開してみて、
今まで感覚で適当に乗っていた自転車の乗り方を、
再度、基礎からプロに習って教わり、
今では、本当に「正しい」自転車の乗り方を教わり、
更には、今までほったらかしにしていた
自転車自体のメンテナンスも、自分で出来る様になっている、
という感じがして、
自分の「語学レベル」というものを、
更に磨いて行く感じがして、
それが、嬉しい。

俺は基本的に、何かを磨いたり、
光らせたり、
少しずつ、「昨日までよりもさらにベターな状態へ」
持って行くのが好きだから、
それを、実際に「感じられる」ということは、
手応えがあり、やりがいがある。


*****


さて、もう長くなって来たので寝ますが、
そんなわけで、
新しく色んなことを始めて、
すごく楽しい。

最終的には、英語はもう完全に、問題なく、
どんなレベルでも話せ、どんな状況でも
問題なく会話が運べること。
(これは、ビジネスレベルで。
今の俺は、日常会話や、
アメリカ人の若者のノリはOKだが、
形式張った『ビジネス英語』や『ソーシャルの場でのフォーマルな英語』
は、まだまだ全然だから。)

そして、同時に、
スペイン語と、ポルトガル語も、
日常会話には不自由無く、
「私は、スペイン語とポルトガル語ができます」
と言えるレベルまでになること。

それが、今の目標と、これらを勉強するモチベーションです。

2013/4/12 1:07am





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December 26, 2012







前にも同じ様なことを書きましたが、
今の時代は、
インターネットでYoutubeなどを通して、
海外の映像が何でも見られるので、
本当に良い時代だと思います。

英語を勉強するにも、
俺が留学をする前の10年前、
2002年前後は、
インターネットも各家庭には普及していなかったし、
Youtubeなんてありませんでした。
(Youtubeが有名になって来たのは、2005年前後だと思う。)

さっきは、スティーヴン・タイラーのラジオショウの映像や、
レターマンのショウなどを幾つか見ましたが、
色々な人の英語を聴くことはよいことです。
日本にいても、
こうしてYoutubeを見るなり、
iTunesで海外のラジオを聴くなりして、
常に24時間、英語がずっと流れて来る環境にしていれば、
かなりリスニング能力は伸びると思います。

*****

本当に、2000年前後は、
DVDもやっと出だして来た頃で、
それまでは、ビデオテープに、カセットテープの時代だった。
(MDは、俺が高校に入ってから流行りだした。
中学時代からあったけど、かなり高かった。)

その頃は、海外の映像を手に入れるなんて、
何千円もするビデオテープを買うしかなかったから、
本当に、今はほぼどんな映像でも、
無料で見られるわけだから、
本当に良い時代だと思います。

子供が生まれたら、
こうして、色々な言語の映像を聴かせたり見せてあげておけば、
様々な国の言葉に対する耳ができあがるんだろうな。


2012/12/26 22:02




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October 07, 2012

近所を走っているさおだけやの歌の声が、
かなり気合いが入っていて面白かった。

俺の地元の「たーけやー さおだけー」
は気合いがなくて、くらーい声なんだけど、
それよりも1オクターブ高かった。
勢いもあった。
「たーけやーっ さーおだけーーーっ!!」くらいに。



2012/10/7 11:16




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September 15, 2012

音楽にしても、
英語のニュースにしても、
何か「音」を聴く際には、
その音を聴こう、として聴くのではなく、
何か別のことをしながら
(できれば、ジョギングをしたり、何か手作業をしたりと、
体を動かしながらがベスト)
その音を聴くと、
その「音」が、より感覚的に
自分の体の中にしみ込んで入って来て、
その音の細部まで聞き分けることができる。



例えば、今朝ジョギングをしていたとき、
そこで聴く音楽は、
いつも部屋にいながら聴くそれとは、
全く聴こえ方が違う。


普段は聴こえない音も聞こえるし、
音と音の間の「間」が聞こえる。

なので、よりベースの音が体にしみたり、
ドラムとドラムの間の間、
そこに挟まるギターの音の間など、
全ての音が、まるで立体的に浮かび上がるイメージで、
全てが見通せる様になる。

(例えでいうと、
普段はその音楽は、平面の二次元でしか聞こえていない、
つまり、奥行きや高さは感じられないが、
体を動かしながら聴くと、
それが3次元になるので、
全ての音の位置関係が見えて来る。)


*****


それと、英語のニュースも同じ。

さっきは、家に溜まった牛乳パックをハサミで切りながら
BBCを聴いていたが、
普段は聞こえない子音の音や、
細かい部分まで、
まるでその音が伸びた様に、
ゆっくりと、細かく、よりリアルに聞こえる。

そして、それが普段よりも
よりヴィヴィッドに、頭に入って来る。


この感覚は、アルコールが入って酔っ払ったときの
感覚にも似ている。




誰もがこうなるのかは分からないけれど、
俺は少なくとも、そうなる。

絵を描いている時が、
多分、一番その傾向は強くなると思うけれど。



多分、体を動かしながら聴くと、
より右脳で聴くというか、
「感覚」の部分で、
その音を体に馴染ませて聴くんだろうね。


*****


だから、英語がよりうまくなりたい時は、
何か作業をしながら聴いたり、
または、酔っ払ってハイの状態で、
感覚でその英語に体をしみ込ませることが、
一番の早道だと思います。


2012/9/15 19:30










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August 09, 2012

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昨日、レスリング女子で、
63キロ級の伊調馨(いちょうかおり)選手(28)が、
日本の女子で全競技を通じて初の五輪3連覇を達成、
48キロ級で小原日登美(おばらひとみ)選手(31)が、
「人生最初で最後」のオリンピックで金メダルを獲得。


生では見ませんでしたが、
とても感動しました。

特に、小原選手の、勝った後の涙の様子を見て、
自分もぐっと熱くなりました。

試合終了の合図が鳴るなり、
両手で顔をかくし、
床をばんばんと叩く小原選手。

その後も、表彰台でも、
ずっと泣いていました。


さっき観たNHKの特集によると、
彼女は今までずっと、
吉田沙保里選手などのライバルに行く手を阻まれ、
オリンピックへの出場を阻止されて来たとのこと。

一時期は、吉田選手との試合で25秒でコールド負けをした後に、
戦意を無くし、うつ病にもなり、
引きこもった時期もあった。
しかしそれを見ていた父親が、
「このままでいては、取り返しのつかない人生になる。
このまま一生引きずっていてはいけない。
必ずあの子は復活する」
と彼女に激を入れ、
自分は夜通しの工場での仕事を終えた後に、
帰って来て、吉田選手に神社でのランニングを命じた、とのこと。


そんな彼女は、
自分の級を落として、
今回のオリンピックに出場。
そして、見事の金。



その背景を知り、
また彼女の試合の様子を見て、さらに感動しました。



*****



伊調選手もすごい。

ロンドンに移ってからの練習で、
左足の靭帯を痛めていたが、
それに痛み止めを打っての試合だったとのこと。



素晴らしい笑顔です。

試合後のインタビューも、
凛としていて、
筋が通っていて、
本当にかっこよかった。


インタビューで、
「(姉の)千春の声は、
ちょうどいいタイミングで必ず聞こえて来る。
周りが静まった時に、
天の声のように聞こえるんです。

なぜか、千春の声は届くんです。」と。



彼女はそれを、インタビュアーの質問に対して、
正直に、話をしていたけれど、
そうやってさらっと答えていたその言葉の中に、
素晴らしい何かを言っていた気がする。





*****



本当に、素晴らしい感動を与えてくれます。

ありがとう。


2012/8/9 20:50










追記:
それに対して、
日本の政治家は何をやっているのか。

野田総理の、解散総選挙を「近いうちに」やるとの発言に対して、
様々な人物が、
「近いうちはどうのこうの」と、
どうでもいいやり取りをしている。




今のニュースは、
完全に、
「オリンピック」と「その他のニュース(主に政治)」
になっているが、
オリンピックのニュースになると、
見ていてとても元気になるし、
明るくなる。


そして、ニュースが変わって、
野田や輿石幹事長などの脂ぎった醜い顔などが出て来ると、
一気に気分が暗くなる。




日本の政治家は、自分の仕事ぶりに誇りを持っているんだろうか。
いや、持っていないだろう。

むしろ、彼らは「仕事」をしているんだろうか。

国民に選ばれたはずの彼らは、
国に対して、
何か、一つでも「利となること」をしているんだろうか。




と、考えてしまう。




******




ちなみに、こうやって、
毎日オリンピックのニュースを見て、
日本を含めた世界が興奮するのを見ると、
「いっそのこと、毎日オリンピックをやってればいいのになあ」
と思ってしまう。









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August 06, 2012

2012/8/6 21:32-

2日程前から家のテレビで番組が観れる様になり、
昨日辺りからやっとオリンピックが観れる様になりました。


自分が幼稚園から高校まで続けて来た種目であり、
一番期待をしていた水泳が生で観られなかったことは残念ですが、
それでも、
昨日の体操の内村といい、
フェンシングの太田といい、
ハンマー投げの室伏といい、
また、再度金に輝いたボルトといい、
感動しまくりです。




フェンシングの太田に至っては、
残り2秒で、逆転するという快挙。
さっきテレビで、そのルールと、
彼のプレーの凄さを解説していましたが、
それを観て、更に感動しました。



ボルトも、数週間前にNHKでボルト特集を観て、
彼が曲がった背骨による走り方を駆使しながら、
「今回も伝説を作る」と気張っていたのを観ていたので、
本当に金が取れてよかったと思います。



*****


個人的には、
一番応援していた北島康介がメダルを逃して悔しい。

俺は丁度彼と同じブレストで、
かつ、彼の学年が俺の一つ上であり、
県大会では、彼も実際に同じ時期に泳いでいたので、
そんな意味でも、凄く思い入れがある。



今回は、北京で金を二制覇して、
それからどうするか迷ったと、
前に読んだ本に書いてあったけど、
その後、アメリカで楽しく練習を積み、
ここまで来たことを考えると、
彼自身が、今回の結果に対して、
スッキリしない部分もあるのではないかと思う。


(普通は、スポーツ選手の活躍や失敗を観ても、
それっきりでそれ以上深く考えることは俺はしないが、
北島の今回の結果に至っては、
余りにもショックで、
その後もしばしば、
「北京の後の進路に対する悩みから、
その後、オリンピックに対して気持ちを固めるのが遅かったのか」
とか、
「どこかに中途半端な気持ちがあり、それが表れたのか」
とか、自分のことの様に考えているのを、
客観的に気づいて驚いたことが多々あった。)


*****


とにかく、
4年に一回というオリンピックの舞台に向けて、
世界中の選手が、
その日の為だけにきつい練習を積み重ねて、
それを、その場で、
たった一瞬の演技や勝負により、
勝ち負けがズバッと決まるのは、
残酷であり、
はかないからこそ、
そこに、オリンピックの意味があるんだろうなと、
そんなことを感じる。

*****


とにかく、
文字通りの「真剣勝負」で、
全力で戦っている人々を観るのは、
感激を自分に与えてくれます。

心が震えます。


2012/8/6 21:42




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August 05, 2012



なぜ人は、
ぞれぞれ、「違う性格」に育つのか?



大きい要因は、
やはり、その人間の育った環境だと思う。


親の影響は大きいだろう。

その親が、その子供に、
しっかりとした愛情を与えてやったか。

「私は、お前のことをちゃんと見てるよ」と、
「自分は愛されているんだ」と思えるような、
安心感を、与えてやったか。



親は、子供に、
「わたしは、お前のことをちゃんと見てるよ」
と、思わせるだけでいい。

子供が、いざとなったときに、
必ず安心して帰れる、
「ホーム」を、
いつも、用意してあげてればいい。

両手を大きく広げて。



それを親がしてあげないと、
子供は、
「親に自分は見られていない」
=「自分の一番大事な人、好きな人に、みられていない」
=「自分の存在を、一番、無条件に受け入れてほしい人に、愛されていない」
と感じてしまう。


そして、その子供は、
それからの人生を、
結局は、
「親に認められようとして」
生きて行こうとしてしまう。



そういう子供は、
無理が生じる。



やけに、強がったり、
やけに、素直になれなかったり、
やけに、カッコ付けたり、
やけに、怯えたりと、


ようするに、
不自然なやつ、
変わったやつに、なってしまう。








*****





人間は、素直な状態が、一番だと思う。


素直というのは、
「その人らしさを、
無理なく、
自分らしさを出して、
自然に、生きている」
ということ。


(日本でよく言う、
「上から言われたことを、何も考えずに、
ただやる、という”素直”」とは違う。)



しかし、
上に書いた様な、
何かしら、
自分に、コンプレックスを持つやつというのは、


結局は、
「自然」じゃない。

「素直」じゃない。



だから、
変わったやつになるし、
それを、「個性的」と呼ぶかもしれないが、


ようするに、
「変わったヤツ」になる。



*****



「自分を出す」

「ありのままの自分を出す」

ということは、

自分は、
「ありのままの自分でいいんだ」
という、安心感がないと、
出せないと思う。



そしてその安心感とは、
結局、
「自分が一番愛して欲しい人に、
愛されているかどうか」

だと思う。


*****


俺の場合は、
このことを、
妻と付き合い出した、
5年前、
2007年の9月前後に気づいたと思う。



俺は、彼女が、
自分のことを、全部受け入れてくれるから、

「あ、俺は、
素直なままでいいんだ。
”自分”のままでいいんだ」

と、自らを、
受け入れることができた。


それから、
素直になること、
自然でいることが、
できるようになってきたんだと思う。


*****



たまに、
「変わったヤツ」、
「素直じゃないヤツ」、
「自然じゃないヤツ」

と付き合うと、
こういうことに、ふと、気づく。



そのときは、
「なんでコイツは、こんなに素直じゃねえんだ」
と、頭に来るが、

ふと、
そういうヤツが、
大人しく寝ているのを横目で見たりすると、

「きっとコイツも、
色々と、あったんだろうな」と、

親の視点になって、
見てしまう。


すると、上のようなことを、思う。



*****


以上。


2012/8/5 0:21am






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August 02, 2012

0,9263,7601120813,00

さっきCNNを観ていて、
最新の"TIME"マガジンの内容に関して触れていた。

今回のオバマとロムニーの選挙は、
今までのキャンペーン上、史上最高のお金がかかっていると。

2012年の選挙キャンベーン中には、$6 billion(= 470.219436 billion Japanese yen)=約4700億円がかかるらしい。


そして、多分これはロムニーが献金により
集めた金額に関してだと思うけど
(ちょっと不確か。調べたが分からなかった)
$235Mだとか。
(=18.3938635 billion Japanese yen
=約184億円)

そしてその内の半分の金額は、
47人の人間によって、援助が成されているとか。

たった47人ですよ。



CNNのコメンテーターは、
「要するに、この世の中の、超超超リッチな人たちは、
ロムニーに勝って欲しいんだよ」
「いや、でも、ただ単にオバマのことを嫌いなだけかもしれないよ」
などと言い合っていた。



それから、オリンピックの金メダルにも、
しっかりと税金がかかるらしいですね。

ビートルズの"Taxman"が頭に流れます。



*****


ちなみに、一昨日もCNNのことに関して書いたけど、
今日もふと思った。

日本のキャスター、コメンテーターは、
例えフリーの人でも、
完全に自分の思うがままに、
楽しそうにペラペラ話す人はいないけど、
アメリカ人のCNNのアンカーって、
自分の好きな様にオリンピック選手とインタビューしたりして、
その後に、
「オリンピック選手と話すのって、すごく楽しいわ!」
みたいなことを言っている。
(さっき観てたのはSoledad O'brien. 彼女に対する批判は多いが。)
11cnn-name


One of her interviews



まああれは、国民性の違いもあるだろうし、
また、完全にフリーに見えつつも、
しっかりとシナリオは組まれているだろうけど、
その振る舞いと話し方、雰囲気からして、
「ただ原稿を読んでいます」
的な日本のそれとは、全然違うなあと、
そう思った。

(それと、アメリカの場合は、
女性のアンカーが結構勢いにのってべらべらと話すし、
そうやって、「元気に喋れる女性」が
人気があったりするけど、
日本の場合は、
女性のキャスターには、おしとやかさが好まれるし、
完全に民放の最近の女性アナウンサーの様に、
「可愛い格好をして、可愛い顔をしていればそれでOK」
みたいなノリとは、全然違うなあ、と思った。


*****


僕は、前にもここに書きましたが、
NHKの国谷 裕子氏が好きです。


2012/8/2 21:44



Does big money spell big trouble in campaigns?
By Halimah Abdullah, CNN
July 18, 2012 -- Updated 2109 GMT (0509 HKT)


STORY HIGHLIGHTS

-Roughly $6 billion will be spent on presidential election -- much through anonymous donors
-The Supreme Court has ruled that this practice qualifies as free speech
-Lawmakers can't agree on requiring big donors to disclose their identities
-Some say they're less likely to vote because big donors have so much influence


Washington (CNN) -- When Senate Majority Leader Harry Reid, D-Nevada, pronounced this week that "17 angry old white men will wake up and realize they've just bought the country," after the elections, he echoed the distaste many Americans feel at the secrecy surrounding the flood of money pouring into campaigns.
Political experts estimate $6 billion will be spent during the 2012 presidential elections — a large chunk of it via anonymous donors thanks to a Supreme Court ruling which allows unlimited corporate campaign donations. That's enough money to give 6/7ths of the world's population $1 each. Politicos and even comedians have made much ado about the influence of anonymous super rich donors and well heeled super PACs, groups that can raise money from a number of sources and spend unlimited amounts independent of and in support of political campaigns.
Democrats on Capitol Hill bemoaned failed efforts this week at forcing out of the shadows political campaign donors who give more than $10,000 to independent groups. Republicans called Democratic efforts a disingenuous attempt to silence critics by going "after the microphone instead, by trying to scare off the funders," said Senate Minority Leader Mitch McConnell, R-Kentucky, long an advocate of campaign donations as a form of free speech.
Senate Republicans block DISCLOSE Act for second straight day
Obama: Big money no match for Americans Lee on Disclose Act failure in Senate
"We are determined to prove that transparency is not a radical concept," Sen. Tom Udall, D-New Mexico, said of the bill to force groups to reveal big donors' identities. "Our bill is as simple and straightforward as it gets -- if you are making large donations to influence an election, the voters in that election should know who you are. The American people are blessed with common sense. They know that when someone will not admit to something, it is usually because there is something to hide."
It's an issue that's chock-ful of sermonizing and spin.
"Every election we have a lot of hand-wringing... but this issue has been with us a long time," said Michael Toner, a former Federal Election Commission chairman and a veteran campaign finance attorney.
The fact is the Supreme Court has found that this practice qualifies as free speech.
The fact is lawmakers on both sides of the aisle have punted -- repeatedly -- on forcing big donors to disclose their identities. Lawmakers such as McConnell once supported transparency for these types of donations but later vociferously advocated anonymity to protect donors from harassment.
The fact is both major political parties and conservative and liberal groups alike have benefited for decades from money donated from the shadows.
"Yes, there are some pretty rich people who support super PACs because they have some strong ideas. The super PACS are not the evil so many people portray them to be," said Joel Gora, a Brooklyn Law School professor who worked on Buckley v. Valeo, the landmark 1970s Supreme Court case that determined spending money to influence elections is a form of free speech.
Pro-Obama super PAC raises $6.1 million in June
"Just because some people can speak more than other people, the solution is not to prevent them to speaking," Gora said. "It's to help...level up free speech for everybody."
Still, something about it, for many folks, just feels, well, wrong.
A poll conducted in April of roughly 1,000 likely voters by the the Brennan Center for Justice at New York University School of Law found that "one in four Americans — 26% — say they are less likely to vote because big donors to super PACs have so much more influence over elected officials than average Americans."
Pro-Romney super PAC brings in $20 million in June
For some voters, big dollars means big trouble for the electoral process.
"Of course that kind of money spells trouble! If nothing else, it leaves the suspicion that the office is for sale to the highest bidder," Phil Clouser said on CNN Politics' Facebook page. "Campaign spending should be limited to whatever the office will pay for that term."
Others feel the bluster over anonymous donors is a red herring.
President Barack Obama and Republican presidential candidate Mitt Romney "will each spend a lot on advertising as is usually done. This election is much more important to conservatives so they are making a lot of contributions to Romney," Judi Purcell said on CNN Politics' Facebook page. "Obama has gone to a lot of fundraisers so he has a lot of money too. That's the way is it and those who don't like it don't have to like it."





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July 31, 2012

CNNなどのアメリカの番組を観ていると、
日本のニュース番組との大きな違いに気づく。

まずは、CMに関して。

アメリカのCMは、
例えば、NY Cityの宣伝ならば、
Alicia Keysの"Empire State of Mind"の曲をBGMに、
「私たちは世界で一番最初の鉄道を造った。
世界一高いビルをを作った。
いつも、世界のトレンドを作り続けて来た」
みたいなことをナレーションが言い、
観ている人間に、
「NYに住んでいる俺たちは素晴らしいんだ」
と自信を持たせる作りになっている。


オバマの選挙キャンペーン用CMでは、
ロムニーのことを思い切り批判する。
(彼のビジネスプランは、どうのこうのであると、
思いっきりネガティブなことばかり言いまくる。)

こういうスタンスは、日本のそれには無い。



オリンピックのニュースを見れば、
日本は、例え勝った選手でも、
素直に、「超嬉しい!最高だぜ!」
みたいに選手は言わずに、
「日本の皆さんの期待に応えられて良かったです。
皆さんに感謝致します。」
と、あくまでも
「いかに国に、周りの人に、
自分を取り巻く社会の人に感謝をしているか」
を示し、
自分が純粋に嬉しいと思う感想は、
余り言わないし、言わせない。

(唯一水泳の北島は、
今までのインタビューで、
チョー気持ちいい!のような感想は言っていたが、
それはアメリカのノリでは全然OKだが、
日本で観ると、
「なんだあいつは、常識がないのか」
と観られてしまうし、観ている俺たちもなぜかそう感じてしまう。)


しかし、例えば今回アメリカの100M背泳ぎで
金メダルを取ったMissy Franklinの場合は、
記事からの質問に、
「金メダルはどこにあるの?」
「ポケットの中よ。見る?
ほら、凄く綺麗じゃない?」
の様なノリで、答えたり、
それを記者も喜んで流したりしている。

そしてCNNでは、
彼女が両親と抱き合って喜ぶ姿を映したりしている。

これが日本の場合は、
例え抱き合っても、
どっちかというと、
「感動の涙を誘う」系の作りにさせられるよね。
アメリカは、完全に、
「超嬉しい!やったー!Awesome!!」
というノリですけど。


imageDisplay

Missy Franklin was all smiles after capturing her first gold medal. She won the 100 backstroke final in 58.33 on Monday in London.


******


ということを、
ふと、
日本の社会で4年過ごしながら、
アメリカの番組を「外国人」の目で見て、
気づいた。


日本に帰って来てからは、
「アメリカはどうだった?」
なんて聞かれても、
以外と、アメリカの生活が当たり前になっちゃうと、
日本人の感覚でそれを見ずに、
それにとけ込んじゃうから、
どうも、日本の常識を通してみたときの
アメリカに対する「違った点」
「驚き」「変な点(日本から見て)」
というのが分からなくなってしまう。


でも、こうして日本にずっといると、
やっぱり、気づかない間に、
日本の「常識」に考え方も生き方も染まっているんだなあ、
と思う。

******


でも、さっき思ったけど、
今はこうして、ネットを通してCNNが観れたりする時代なわけだから、
例え「日本」に住んでいようが、
こうして家でアメリカの番組を観て、
アメリカの感覚で過ごしていれば、

「アメリカ大陸の外に位置する、
”日本”という離れ小島にちょっと来ているけど、
アラスカに来ているのと、同じ感覚」

的な感覚で生きられるよなあ、と思った。


つまりは、
日本に住んでいるから、もう、
この「世界」は、日本しかない、
とかではなくて、

日本に住んでいようが、
アメリカに住んでいようが、
上海に住んでいようが、

それぞれの国に住むことがどんなことか、
そこに住む人々はどんな人々か、
そこの人々はどんな考えをして、どんな話を毎日して、
どんな生き方をしているか、

さえ、リアルに自分が、
自分の体験を通して「知って」いれば、

あとは、どこにいようが、
(例えば、俺が今日本にいようが、)

「俺はアメリカにいる」
(俺は○○にいる)

と、自分の好きな様に、マインドを持って行けるよなあ、と
そう思った。

*****


でも結局は、自分の周りを囲む人が、
全員日本人だったら、
日本に住んでいても、アメリカに住んでいても、
そこでの自分の『生活』は、
やっぱり『日本んでの生活』になるし、

日本に住んでいようが、
毎日仕事場で会う人、
働く人が、
みんなアメリカ人だったら、
そこでのその人の『生活』は、
『アメリカでの生活』になるだろうし、


結局は、
その人を取り囲む、
半径5m以内の人間関係なんだろうな、と、

そう思った。

******


だから、
留学をしても、
日本人同士で固まって、
日本語ばかり話して、
日本のテレビばかり観ている奴らは、
結局、
英語も話せないばかりか、
「アメリカでの生活」
をしていない、と同然になるんだろうね。

だから、留学をすることの一番の理由は、
その国の言語が話せる様になる、
ということよりも、
その国の文化を知り、
その国の人々が、
どんな人々で、
どんな考えをしていて、
どんなマインドで、毎日を生きているかを、
リアルに感じ、
それにドップリ浸かって、
そこの住人になること、
なんだろうね。




2012/7/31 23:12



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July 26, 2012

20100628104953_img1_16

今日、1年ぶりに揖保乃糸を食べました。

今年は、
そうめんの季節が始まったときに、
最初に買ったそうめんが、
1キロ入って300円とかのやつをついつい買ってしまい、
それを、今まで2ヶ月くらい、
コツコツと食べていました。


(本当は揖保乃糸が食べたかったんだけど、
最初にそれを買ってしまったので、
終わるまで待っていた。)



そして今日、
やっと揖保乃糸を買い、
さっき食べました。


いやあ、やっぱり違うね!
去年の日記にも書きましたが、
やはり麺一本いっぽんが光っていました。

茹で終わった後、水で冷やす時も、
こしが全然違う。
絹のよう。
まとまっている。


そして、口にいれたその瞬間。

そのつるつるとした、
まさに絹のような、
コーティングされたかのようなその舌触りに、
感動します。


****


去年、ちなみに彼女が、
去年書いた俺の日記を読んで、
こっそりそれを揖保乃糸の会社に送りましたが、
何も返事は来ませんでした。

しかし、僕は相変らずあなた方を応援しています。

本当に良い仕事をしています。


2012/7/26 20:11





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July 08, 2012

絵を描いているとき、
音楽を聴くと、
音楽の細部までが聴こえる。


普段は聴こえない、
音のすき間、
間が聴こえる。

まるで、顕微鏡で、
音を細かく見て、分割しているみたいな感じ。

スローになって、音と音の間が伸ばされて、
そこに隠されていた音が、
完全に聴こえる。
そんな状態になる。

絵を描きながら、音楽を聴くと。

*****

多分、
絵を描く時は、
右脳のアーティストの部分を使ってるから、
きっと、
その時に音楽を聴くと、
そのアートの部分をフルに使って、
普段よりも、もっと音に対する感覚が鋭くなって、
それで、そう聴こえるのかな?と思う。


とにかくその感覚は、
とても気持ちよく、
完全にトリップしている状態になる。

俺が好きなことは、
音楽を聴くこと、
絵を描くこと、
感覚の世界に浸ること、
の三つだから、
それが3つ同時に出来るので、
だから、絵を描きながら、
自分の大好きなバンドの音楽を大音量で流しながら聴くことは、
かなり幸せ。


*****

あと、純粋に、
気分が良くなるよね。
そうすると。




せっかく生きてるんだから、
「これをやってどうなるの?」的な効率ばっかり求めてないで、
自分が気持ちよく、心地よく、
幸せに、楽しく生きられる方法を探した方が、
ずっといい。と思う。



2012/7/8 19:19



上に書き忘れたけど、
絵を描きながら音楽を聴くと、
文字通り、体に音楽が「しみ込む」。


完全に、体にしみ込んでくるんですよ。
音が。



追記:

あと、もう一個。


普段、本を読んだり、映画を観たり、
誰かが作り出したものや作品ばかりを
「受ける」状態にばかりいると、
頭がパンクしそうになるよね。

特に、本ばっかり読んでると、
頭がカチンコチンになった気がする。


そんな時、
無性に、絵でも書いて、
頭がバランスを取りたがっている気がする。


運動をして体を動かしても、気持ちはよくなるけど、
それは、一時の発散、という感じで、
絵を描くことのように、
自らが何か、「カタチ」を作り出す、
というのとは、ちょっと違う。



本を読んで、知識を詰め込んだら、
その分、
絵を描いたりして、
自ら、何かを「作り出す」状態になって、
自分のアウトプットの量も、バランス良くしたくなる。

無性に。








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July 01, 2012


2012/7/1 0:10am-

先日彼女と話をした際に、
俺の人間としての、レベルの話になった。


曰く、一般の人の人間としてのレベルが、
人生を通して、100まで行くものであるとすれば、
俺の場合は、そのレベルが、
1000くらいまであるらしい。


そして、だからこそ、
俺は常に、「成長したい」という欲が強いし、
だから、常に、
「◯◯さんは若いですね」と言われるのだ、と。


*****


俺は日本に帰って来て、社会人になってからも、
常々、「若い」と言われて来た。

余りにも色々な人に言われるので、
もしかして俺には威厳がないのか、とか、
俺はそんなに弱々しく見えるのかい、
とちょっと嫌に感じた時期もあったが、
どうやら、そうじゃないらしい。

つまり、20代も後半、
(つまり俺の年齢)になると、
社会に幻滅して、
「まあ、どうせこんなもんっしょ」
「どうせ頑張ってもたかが知れてんだから、気楽に行こうぜ〜」
的なノリが、普通は出て来るものだが、
それが俺には無いという事。

正直、自分次第で、いくらでも成長できると思っているし、
日々、進化をしていたいと思う。


先週、神戸でRと会ったが、
ヤツも言っていた。

「未だに、何でもできると思ってるからさ」

俺も、そんなノリに近いものがあると思う。

*****

話を元に戻して。


だから、彼女曰く、
俺の人生を通してのレベルの限界は、
1000まであるからこそ、
他の人が、人生を通して100のレベルなので、
今の時点で50まで行って取りあえず満足していても、
俺の場合は、
「いや、俺的には50だと、全然自分の中で足りねえし」
と、必死になって、焦って、レベルを上げようとしている、と。



そして彼女は言う。

神様が、俺のレベルを1000に設定した理由は、
必ず何かあって、
レベルが1000になる器があるからこそ、
その器で成し遂げる何かがあり、
その目的を知る事が、
俺の人生の真の目的だ、と。



だから間違っても、
レベルを1000まで上げることだけに躍起になっていてはダメで、
それで、目的を見つけずに人生を終わってしまっては、
目的のために手段が存在するのに、
その手段を極めることで終わってしまい、
本末転倒である、と。


*****


俺は、その話を聴いて、
凄く嬉しかった。

ここにこういう事を書くと、
なんか自慢しているみたいでどうかなと思ったけど、
これは俺の日記だし、人生の記録帳であるから、
書く。


*****

俺は人生で何が一番嬉しいかと聞かれれば、
やはり、自分の成長を感じることだと思うし、
それが、自分が生きる、一番の趣味であると思う。



本を読むのも、自分の「知識」「教養」という内面性が磨かれるのが好きだから。

結局は、自分という人間のレベルアップを、
どれだけできるかが、
究極の趣味なんだと思う。


だから、Lenny Kravitzの曲には良く、
"I want to be a better man"とか、
"Got to be strong"とか、
そういう台詞が良く出て来るけれど、
それにも、非常に共感する。


*****


そして、俺がやっぱり、
一番心が震えるのは、
自分の器は、デカい、と自分が思えることだと思うし、
今はその器がデカくなくとも、
デカくする器量があると、感じられることが、
俺が頑張って行ける一番の根拠なんだと思う。


逆に、
俺は大した事無い人間、
俺の器は実は小さい、
と思わされてしまったり、
「そうなのかな?」と感じてしまう時ほど、
恐いものはない。

それは、俺にとって、
自分の希望を壊されるようなものだから。


*****

なので、今まで会って来た人の中でも、
いつか日記に書いた、横浜にある、ある会社の社長との面接で言われた、
「キミは、ザルだ」という話には、
今でも励まされるし、
かつ、そのザルの器を、
自ら小さくすることがないよう、
自分を鍛えて行きたいと思う。


*****


そして俺は、常にそうやって、
自分を心から、一番認めて、励ましてくれる人が、
自分の妻であること。

それは、本当に、
どれだけ感謝してもしきれないくらい、
有り難いことだと思う。



*****

ということで、
俺は、俺のレベルを、
とにかく上げて行く事。


そして、その自分の人生を使い、
自分の目的を、きちんと自覚すること。


それが、俺の人生を通しての課題。


2012/7/1 0:26am








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2012/6/30 23:51-

さっき、2時間くらいかけて、
俺の昔のメールを読んでいた。
友達に送ったり、家族に送ったもの。

殆どは、20歳から、23歳くらいまでのもの。

俺が、COSを終えて、De Anzaに移った直後から、
CSULBを卒業する位の頃のものまで、
ランダムに。

(普段はGmailを使ってるので、留学3年目の途中まで使っていたHotmailは今は殆ど開かないんだけど、ちょっと過去の先輩へのメールで気になるものがあって調べたら、そこから一気に、色々と読み出してしまった。)

*****

自分の過去のメールを見て、
若いなあ、とも感じたし、

何より、一番感じたのは、
それは、確かに昔の俺なんだけど、
今になって、やっと、
その頃の自分を、「客観的に」見れた、ということ。



当時の俺は、やはり、自分のことしか見えておらず、
自分が周りから見てどのように写るのか、
果たして、「俺」という人間は、どんなものだったのか、というのは、
「俺」という主観でしか、見えていなかったと思う。



もちろん今も、それは変わらないと思う。

歳を重ねるに連れて、
より、昨日よりも、もっと賢くいたいと思い、
そういう術は、少しずつ身につけて来ているとは思うが、

それでもやはり、「今」の自分を、
完全に、客観的に見ることは、
難しいと思う。

なぜならそこには、
自分に対する、希望と、
欲が入るから。

(つまり、今の俺は、実際には「こう」だが、
自分としては、「こう」あってほしい、という欲があり、
その「実態」と「希望」の間には、
必ずギャップが存在する、ということ。)




そして、過去のメール、
つまり、今から8年〜5年ほど前のメールを読んで、
既にその頃の俺は、今の俺の状況とは大分かけ離れているから、
やっと、その頃の自分の「主観」をなくして、
「一人の他人」として、
過去の自分を見れる、ということ。


*****


20歳から23歳の自分は、
年齢的にもちろん若くもあり、
かつ、今の自分にない、
精神的な「若さ」を持っていた。

それは、「未熟さ」とも呼べるかもしれないし、
「ナイーブさ」とも呼べると思う。





*****

それらのメールを読み終わって、
当時の記憶、
そして、当時は確かに経験したが、
長い間呼び覚ましていなかった為に、
忘れていた記憶を思い出し、

言わば、俺の歩いて来た道を、
振り返る事もせず、
その道の軌跡を確かめずに、
毎日、先の事か、もしくは、今日のことしか考えない自分に、

自分が通って来た、その軌跡を確かめさせることで、

自分という人間の幹が、また一段、
固まった、というか、
「ああ、俺は、こういう道のりを経て、
これらの経験を経て、
これらの考えと悩みを経て、
今に至ったんだ」というのが分かり、

妙な達成感と充実感があった。


*****


俺は今、28歳であり、
今年の10月に、29歳になる。


俺にとっては、2005年というのは、
何故か自分の今までの人生の中での節目となっている。

(それは、年号的に切りが良いというのもあるだろうし、
その年は、色々と悩んで、
自分の専攻を変えたり、
住む土地と学校を、ガラリとベイエリアから南カリフォルニアに変えたのもあったし、
とにかく、色々な「変化」が自らの中であったからだと思う。)

その時、21歳だった俺から、
今は、確実に7年が経ち、俺は、今28歳となっている。



俺的には、2005年というのは、ついこの前なわけだが、
確実に毎年、年は過ぎ、
その時は、過去となって行く。


*****

なんかカッコ付けて書いていたら、
ポイントが分からなくなってしまったが、

取りあえず、確実に年は過ぎ、
自分も確実に年齢を重ねて行き、

自分の過去の記憶は、
「最近のもの」から、
「古いもの」へと、変わって行く、ということ。


そして、その中で、
自分にとって「新しい記憶」も、
確実に、「古い記憶」となって行き、
その過程の中で、
普段頻繁に思い出さない思い出以外は、
記憶の隅に、置いて行かれるであろう、ということ。



そして、それらの自分の「過去の軌跡」を、
たまに振り返る事は、

自分に、
「ああ、俺が今、「自分」という人間である所以は、
そこにあるのか」
と、客観的に認識することで、

自分という人間を、少しは、
客観的に見て、評価をすることができ、

それが、自分に対する、自信へと、
繋がるであろう、ということ。


*****


まあ、毎回同じ事を感じるんだけどね。
こうして、過去の日記なり、自分の軌跡を見返すと。



とにかく、常に成長して行きたい。


2012/7/1 0:09am




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June 20, 2012

今はiTunesのおかげで、
世界中のラジオがタダで聴ける。

普段はJazz Radioチャンネルで、
ジャズばっかり聴いてるけど、
今日は気分を変えてニュースチャンネルを聴いてみた。

アメリカにいた頃に聴いていたNPR(National Public Radio)も聴ける。
24時間ニュースを流しているので、
英語を勉強したい人は、これをずっと家で流していれば良い。

これを聴いていると、
2005年、自分が21歳の頃、
なるべくNPRを聴いて、Wall street journalを読んでいた頃を思い出す。
ロングビーチに移って、
最初に住んだ家(Liの両親の家)を思い出す。

CSULBから車を運転して帰って来て、
夕暮れから夜にかけての、
空の感じを思い出す。
自分の部屋にいた時の事を思い出す。
Tにもらった、IKEAの黒い机の様子とか、
座っていたピンクのデかいエクササイズボールを思い出す。

10月頃、段々と夜は空気が冷たくなって来た頃の、
あの空気の感じを思い出す。

*****

当時は、正直言って、
いくらWSJを毎朝読もうが、
NPRを毎日聴こうが、
政治や経済などは、何の事を話しているか、
殆ど分かっていなかった。

逆に、それから7年が経った今は、
政治や経済に対する知識も当時より深まっているせいか、
こうしてNPRを聴いても、何を言っているか良く分かる。

逆に、今でも、日本語でも良く知らないニュースは、
やはり何を言っているのか、分からないこともある。

いつか、落合信彦の本で、
「日本語で『白鯨』が読めないヤツは、
英語でも読めない」と言っていたが、
まさにそうだな、と思う。

日本語で、しっかりとしたその知識の基盤があれば、
英語でそれと同じ事を、いくら難しい単語を使っていようが、
必ず分かるもので。

*****

結局は、何かに関して話をしたり、
または、話を聴く時に、
その「言語」というものは、
ある程度の基礎さえ分かっていれば、
後は、言語の問題ではなくて、
「その話」が、そもそも自分の母国語でもできるかどうか、
ということにかかってくると思う。


*****

俺が留学をして1年目、
COSでアートのクラスを取っていたとき、
そのクラスにいたLauraという女性がいた。
その人はNY出身の人で、
年齢は多分27歳前後だったと思う。

よく彼女と授業が終わった後に話をしていたりしたんだけれど、
Lauraとは、色んな話ができた。
アートの話は元より、
そのCOSがある地域に住む人々の話とか、
(やはり田舎であったので、人々の考えも内向的であったことなど)
色んな話をした。


たまに不思議に思うのは、
ローラとその話をした当時、
俺の英語力は大したことなかったはずだけれど、
結局は、俺が言いたかった事は全部相手に伝わっていたし、
かつ、ローラが言っていたことも、
全部俺は分かっていた、ということ。
(もちろん、言い回しが分からないものに関しては、分かり易く言い変えてもらったり、または、ローラも、俺が分かり易い様な簡単な英語を使っていたとは思うが。)



同じく、アートのクラスにいたVentureという女の子もいた。
その子とも、結構色んな話をした。
(女の子なのに坊主にしたりして、非常に好奇心旺盛の、変わった女の子だった。
日本人では決していないタイプ。
アメリカでは、彼女のように、常に笑顔で、かつ、何にでも興味を持ち、すごくそれでいて自然な人たちが沢山いた。)

そのヴェンチャーとも、
学校が始まって最初のクラスで知り合ったんだけど、
ベンチャーに誘ってもらって彼女の友達が集まる、
ヒッピーのような人たちの食事会に行ったり、
そこで、みんなでたき火の前で手をつないで、
夜空に広がる星空を見上げながら、
それぞれが感謝の気持ちを言ったりと、
そんなことをした。
(今思うと、確かにそういうことを経験していたんだけれど、今の生活や人々、文化と余りにもかけ離れているので、まるで何か夢の世界のように感じる。)

*****

大分話がずれてきたけど、
そんな風に、
例え、その言語がうまくなくても、
基本的な単語さえ押さえておけば、
後は、それを「話したい」という心さえあれば、
相手に言いたい事は伝わるし、
かつ、相手の言っている事も、分かるもので。


*****


今から10年前、
俺が18歳の頃には、
日本から離れた、アメリカのマウントシャスタという山奥の町の、
どこかのヒッピーの人たちの家で、
たき火を囲んで、みんなで手をつないで、
感謝の気持ちを表し、
お互いに、"Thank you"と言い合っていた、

そんな自分がいた事を思うと、
人生って、本当に不思議だなあ、と思う。


本当に、色んなAspectsがある。
人生というのは。

だから、素晴らしいと思う。

2012/6/20 20:57






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June 09, 2012

IMG_4902


さっき、スーパーに買い物に行った帰り、
家の下でチャリをとめていたら、
子供たち3人の声が向こうから聴こえた。

その子たちが丁度俺の事を見えるところ辺りまで来て、
3人は、そこでそれぞれの方向に別れたらしかった。


俺は特に気にもせず、そのままチャリのカギをかけていたら、
子供たちから、
「こんにちはー」と声をかけてくれた。


それで、俺も慌てて、
「こんにちはー」と返したら、
その内の一人の女の子(男の子二人と女の子一人だった)が、
俺の方に歩いて来て、
「カエル捕まえたんだよー、めっちゃ大きかったよー」と。

それで、「マジで?」と返すと、
「うん、そこの田んぼに、めっちゃおったよ」と。

それで、俺が「見せて」と言って、
その子の持っていた虫かごに入ったカエルを見ようとしていたら、
さっき別の方向にそこで別れて帰って行った男のがこっちに来て、
「それ、俺がとったんやでー。めっちゃカエルおったでー!」と。

その女の子も、「うん、めっちゃおったでー」と。


それで、「さよならー」と言って、
二人とも別の方向に帰って行った。

****

こっちの子は、みんな、
自転車に乗っていても、
「こんにちはー」と挨拶をしてくれる。


例えば、俺がチャリに乗っていて、
彼らがチャリに乗っているときでも、
俺が歩いていて、
彼らがチャリに乗っている時でも、
必ず、小学生から、中学生まで、
「こんにちはー」と。



最初は、俺もこの土地に来たばかりの時は、
それにビックリしたが、
次第に、それにも慣れて行った。


でも、今日のように、
まさか、全然知らない子供たちが、
「カエルめっちゃおったでー」と、
近くに寄って来て話をしてくれるとは、
思いもよらなかった。





こっちの地域は、
山に周りを囲まれているのもあり、
非常に町も小さく、
まるで、昔から時が止まった様で、

その分、閉ざされたところもあると思うけれど、
その代わり、「町全体」が繋がっているというか、
「他人だから」とか関係なく、
むしろ、「他人」という概念がない、という感覚に陥る。




みんな、親切だし、
声を掛け合って、生きている気がする。


****


俺はずっと、日本に帰って来てから、
4年近くは、東京や横浜で時を過ごして、
いわゆる「大都会」で、
他人とは一切関わらない、という雰囲気の町で時を過ごして来たから、
こちらから他人に声をかけることもなく、
むしろ、新宿などでは、
肩が思いっきりぶつかっても、謝らないどころか、
すれ違い様に、わざとぶつかって行く様な人もいたりして、

そういう人たちとの関係の中で、
次第に、「他人とは一切関わらない。存在も無視する」
的な感覚が身に付いていたけれど、

この土地に来て、それが覆されて、
なんだか、とても嬉しい。

そして同時に、
今日のように、そうやって、
素直に話しかけてくれる子供たちを前にして、
いかに俺が、周りに対して閉ざしていたのかを、
気づかされた。

(普通、大人になると、
俺が挨拶をしなかったら、向こうからも挨拶はしないだろうし、
ましてや、「カエルとったよー」なんて、
話しかけてくれることはほぼないだろうから。)


*****


そんなわけで、
良い意味でのカルチャーショックを受けている、
今日このごろ。



この後、来年東京に戻ったら、
また、カルチャーショックを受けるんだろうな。

「都会の人は、冷てえなあ」なんて。

2012/6/9 15:08





*写真は、その子たちがカエルをとったという、
俺んちの前の田んぼ。

段々と稲が伸びて来た。







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June 06, 2012


さっき、同期の子たちの家で飲み会があり、
20時から22時過ぎまでその子たちの家にいた。

そこで、テレビがついていて、
A◯◯4◯の総選挙が行われていた。
(リアルネームを出すと、一気にブログのアクセスが増えそうなので止めておく。)


俺んちはテレビが無いから、
そうやって、テレビが付いているだけで、
「おおー、テレビだー。なんか、別の世界に来たみたい」
と思うわけですが、

そこで、彼女たちの「総選挙」とやらが行われていて、
なんかよく分からんけれど、
異様に見えてしまった。



あれは一体なんですか?

なんで、あんなものを、
19時から21時のゴールデンタイムで流しているんですか?


で、なんであの番組に、
茂◯健◯郎とかが出て、
神妙な顔をして、彼女たちの、わざとらしい涙ながらのコメントを聞いているんですか?



司会は徳◯だし。



本当に、日本のテレビは、レベルが低いなと思う。

まあ、全世界のテレビのレベルは低いのかもしれないが、

なんか、日本というのは、
ああやって、そのときの流行にみんな飛びついて、
(というか、マスコミが、その時の流行に飛びついて、
それしか流さない。
その時売れているお笑い芸人を出し、
その時に売れる内容のニュース報道しかせず、
どの局も、後ろでみんな踊らされているし、
その下らない番組により、
日本国民を踊らせている。)

非常に、異質なことをやっている。


(俺の様に、
留学中は、一年に一回くらいしか日本に帰って来なかったりして、
要するに、一年ぶりに日本のテレビを見たり、
または、今の様に、
やはり、普段はテレビを見ずに、
たまにこうして、テレビを見ると、
久しぶりに会う子供の身長が思いっきり伸びている事に気づく様に、
(そして、毎日その子供を見ている大人は、その変化ぶりに気づかない様に、)
日本のテレビが、いかにその時の”流行り”ばかりを追いかけているかに、
余計、顕著に気づくし、
同時に、その余りの一貫性の無さに、
驚いてしまう。
”下らなさ”という点では、
日本のテレビとマスコミは、恐ろしい程に一貫しているが。)


*****


同じ選挙は選挙でも、
実際の日本の政治の選挙よりも、
今日の彼女たちの選挙の方が、
注目を集めているんだろうな、と思う。


それも悲しい。

(野田総理は野田総理で、最近は消費税増税に向けて、
バカの一つ覚えの様な発言しかしていない。
彼も完全に後ろの官僚に踊らされているんだろうが、
最近の新聞やニュースを見ていると、
この日本の政治の仕方に、
頭に来てしょうがない。
朝から新聞を読むと、
その偏った意見や報道内容に、無性に腹が立ってしまう。)


*****


何とかならないんでしょうか、
日本国は。


というか、
実際の「日本人」一人ひとりは、
決して愚かではないと思うんだけれど、
その「日本」という国で流されている、
テレビ、ニュース、新聞等を操る、
マスコミの流す内容と、
その方向性が、
本当に、悲惨なんだと思う。




どうして日本人は、それに怒って、
この国の下らないマスコミ内容、
及び、報道の仕方に、
反対をしないのか?




それは、恐らく、
みんなが、「それ」を、
物心の付いた小さい頃から見ていて、
「その」おかしさに、
既に気づかなくなっているから。



2012/6/6/ 22:48







追記:
上の日記を書いてから、
彼女に、反対の視点の意見を教えてもらいました。

もちろん、俺が上に書いた様に、
テレビの2時間枠を使って、
まるまるとあの様子を放送するのはどうかと思う部分もあるけれど、

彼女たち自身に関しては、
日本の誰よりも頑張っている、と。

100名以上の女の子たちが、
一位の座を狙うために、
一年間、必死に頑張る、と。

そのために、テレビに出たり、
雑誌のインタビューに答えたり、
ブログを書いたり、
慈善活動をしたり、と。


同時に、10万人に、自分への投票をもらう反面、
それと同じ以上の数の人間からも、
批判を受ける、と。

そんな中、
相当の精神力で、頑張っているんだよ、と。



彼女たちは、実際にビジネスの手段にされていて、
お金を稼げるからこそ、ああやって、
ゴールデンタイムに、もの凄い金額の広告を出したりして、
放映をされるけれど、
その分、それだけの利益を作り出している、と。

また同時に、
完全なオタク文化でありながら、
彼女たちの影響で、
日本が海外から注目され、
彼女たちを見る為に、わざわざ海外から日本へ来るツアリスともいるだろう、と。



その辺でぼーっとしている子は、
彼女たちのグループに絶対に入れないし、
あの中で、一位を狙うのは、
相当の精神力の強さ(これはもう書きましたね)
を持っているはずだよ、と。


なので、彼女は、
同じ女の子として、
彼女たちの心境とか、がんばり様とか、
そういうことを想像して、感動してしまうし、
現に、あの日のメンバーのスピーチを見ても、
何回か泣いていしまった、と。


*****


それらの意見を、
15分近く、熱く語ってもらいました。



確かに、
僕も、あの日のテレビの内容にはビックリしましたが、
彼女たち自身に関しては、
また、別の視点から見る必要がありそうです。


*****


と、
こうして、偏った意見を持ちがちな俺を、
180℃別の方向から、
「もっとこういう見方もあるのよ。
もっと視野を広げなさい」
と、
諭してくれる、私の妻でした。


いつもありがとうございます。

2012/6/8 20:35




PS.でもさあ、
CDを買わないと投票が出来ないとか、
その効果により、ミリオンセールとか、
なんか、そういうのは、
好きじゃないね。

金儲けの方法としてはうまいんだろうけれど、
真剣に音楽の質だけで勝負しているミュージシャンたちが、
アルバムの売り上げの数を並べられて比較されるのは、
多分、変な気持ちなんじゃないかと思う。



まあ、それも今の、「日本文化」なんでしょうが。












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May 27, 2012

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2012/5/27 21:33-

昨日と今日は、高校時代の友人二人が、
わざわざ俺の住むど田舎まで訪ねに来てくれた。

彼らは、俺の高校3年時代の同じクラスの奴らで、
良く遊んだ、一番仲が良い奴らだった。

昨日の午後1時半に、隣町まで、新宿から出たバスが着く。
彼らをそこまで電車に乗って迎えに行き、
そこから、その町を散策。

バスから俺に届いていたメールに、
「山道で酔ってきついよ」と書いてあったので、
ジョークかと思いきや、
二人ともバスを降りて来た時には、
本当に青白い顔をしていたので、
マジでウケた。
相当あの山道にやられたらしい。

近くのコンビニのベンチに座り、
ちょっと空気を吸った後は、
町の中心街に向けて歩き、
途中にあったそば屋でそばを食べる。
客は俺たち以外に誰もいなかった。
心配したが、中々美味いそばだった。


その後、更に町の中心へ向かい、
古い町並みの通りで、日本酒の試飲などをしたり、
昔、織田信長の時代に、
この町を治めたという人物が立てた城跡のある山を登たり、
色んなものをたらふく食べて大分満喫した後は、
電車で俺の住む町へ。

ここで、Gが、手料理でもてなしてくれる。
ヤツの作る肉団子スープはとてもおいしかった。

この町の名酒である日本酒の一升瓶も空けて、
3人で飲む。

12時過ぎには、二人も疲れていたのもあり、就寝。

*****

今朝は、Gだけが7時過ぎに一人起き、
台所の片付けと、料理を作っていた。
その、まな板に包丁が当たる音で目覚める、俺とS。
彼の作る肉団子スープ(またかい)を食べ、
巨大な目玉焼きとともに、朝ご飯をガッツリ食べる。

その後、9時半前に家を出て、
昨日飲んだ地元酒の酒蔵へ行く。
そこで試飲をして、また日本酒を買うG。
彼は、昨日も一人で試飲も含め、
ぐびぐび飲んでいたのに、
今日も、朝からいきなり、
ワイングラスで日本酒をガッツリ飲んでいた。
強過ぎます。

その後、10時過ぎの電車に乗り、
ここから電車で1時間半ほどの所にある、
下呂温泉へ。

ここに降り立ち、まず温泉まんじゅうを食べた後、
歩いて少しのところにあった、
露天風呂の温泉に入る。
お湯が熱くて、完全に疲れる俺たち3人。

そこについている食事処で昼食をとり、
その後は、歩いてその町を散策。

まるで、昭和の時代から時が止まっている様。
昔ジャンプに連載されていた、
『アウターゾーン』に出てくる様な、
昔の感じが漂っていた。

その後は、「川の水を飲みてえ」と、
相川らずGがバカな事を言い出し、
どうみても人のうちの下の狭い路地をくぐり抜け、
虫が密集する細道を抜けたりして、
川に降りる。

ノリは完全に高校3年生。
あれから10年経っても、
中身は変わりません。


その河原で、
石投げをしたりして、
何だか、ぼーっと過ごす。

思えば、10年前は、
「今日、なにする?」みたいな感じで、
高校が終わったら、
このメンバーでたむろってたりしてたのに、
今では、すっかり3人の生活も変わった。

それぞれが別の職に付き、
歳をそれなりに取り、
それぞれが別々の経験をして、
全然違う人生を送っている。


しかし、中身は余り変わっていない。
そんなもんなんだな、と思う。


そうやって、
ひと時の「18歳」に返り、
そういうひと時を、貴重に思う。

(多分、G辺りはそこまで深く考えていないと思いますが)

*****

その後は、また電車に1時間半揺られ、
山奥を列車で突き抜け、
彼らは、今夜泊まる予定のホテルがある、
俺の隣町で、電車を降りて行った。
そこで、さよなら。
また、会う日まで。

*****



こうして、
こんな山奥まで、
まあ、観光を兼ねてとはいえども、
二人が会いに来てくれた事は、
とても嬉しかった。

俺は、友達はそんなに多くないので、
こういう友達がいることは、
とても有り難く思う。

こうして、同じ高校に行き、
同じ時間を、1年ほど過ごした仲間がいることは、

そして、二人とも、頭も良く、
俺よりも凄い所も沢山持っているし、
それぞれが、その道のエキスパート位の知識とスキル、経験を兼ね備えているので、
そういう奴らが、友達でいて、
彼らから、色んな事を、教えてもらえる事は、
俺に取って、とても有り難い。

特に、こういう、田舎の町に、
一人で住んでいる身に取っては。

*****

どうしても、自分の会社のことだけに集中すると、
その業界のこと、その業種のことしか考えない、
狭い視野の人間になってしまう。

井の中の蛙になってしまい、
後で、大海に入ったときに、
そこでやって行く事ができない人間には、なりたくない。

よって、こういう、
それぞれの道で、
それなりに頑張って、
しっかりとした話ができ、
かつ、俺が尊敬できる所を沢山持つ友達がいて、
彼らから刺激をもらえる事は、
とても、とても、
とても、有り難いことです。

*****

と言っても、
こうしてたまに会うと、
深い話もせずに、
バカな話しか、していないんだけど。

3人で、「単車の虎」をやったりしてね。


Thanks guys, for coming to see me.
I hope to see you guys soon again.

2012/5/27 21:49




(写真は、下呂にて。
石投げをして遊んだ橋の下にて。)







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May 10, 2012

相変らず、改めて、
今の俺は幸せだなと思う。

仕事は本当に良い。

会社も、とても良い会社だし、
人が良い。

非常に、心地よい。

俺は、組織が嫌いだと思っていたけれど、
今の会社の様に、
全員が、規律をしっかり守って、
「何が正しく、何が間違っているか」
が、社員全員に、きちんと共有され、
規律を破る人間がいない環境では、
「組織」というものは、
非常に気持ちがいい。


今日、ふと思った。
「何だか、小学校1年生くらいの時を思い出すな」と。


みんなが、新しい「学校」という組織に入り、
先生に色々教わりながら、
毎日、規則正しく生活をする。

今の俺は、研修中ということもあり、
会社に全く貢献はできていないが、
毎日新しい事を学ばせてもらっており、
そして、
毎日、長期マラソンの様に、
少しずつ、少しずつ、
無理なく、学んで行くことは、
非常に心地が良い。

恵まれていると思う。
こういう環境に置かせてもらって。

*****

前職は、本当に「超・短距離走」の様な職場だった。

その分、「1年で3年分の経験をする」ことは出来たが、
同時に、もの凄く体力を使い、
精神的ストレスを伴う日々だった。


それに比べると、
今は、ゆっくりの長距離走で、
これから長いマラソン(人生)を走って行く為に、
少しずつ、自分の体の様子を見ながら、
走る距離を伸ばして行く様な仕事のスタイルである。

*****


まさか、俺がこのような企業に入るとは、
そして、そこで心地よさを感じるとは、
数年前は思わなかったが、
前職で、そのような経験をして来たからこそ、
今の環境の有り難さが分かる。

人生の全ては、
繋がっている。

*****



話は変わるけれど、
今、体幹を意識的に鍛える様にしている。

腹筋、背筋、脇腹の筋肉は元より、
内蔵の筋肉を鍛える様にする。

一日しっかり筋トレをするだけで、
次の日、腰の周りに、
まるで、補強のテープを巻いた様で、
今まですぐに腰が痛くなっていたのが、
無くなって来る。

その安定感と、
体の変化から、
もっと鍛えようと、やる気も上がる。



体幹は見えないが、
そこを鍛えているのと、いないのとでは、
毎日の体のコンディション、
及び、仕事に対する効率というのは、
ガラリと変わって来る。



体幹は見えない。
しかし、自分の体、
そして、人生を確実に強化して、サポートする。



読書をしたり、
自分が必要とすることを勉強して行くことは、
体幹を鍛えることと似ている。

その努力は、外からは見えないが、
確実に、その人間の中身を鍛える。


と、ふと思った。

*****

話を元に戻して。




ということで、
今は、非常に心が幸せで、
安定した日々を過ごしている。


今までの社会人経験3年弱で、自分が鍛えて来れなかった部分、
また、
自分が、出来なかったことを、
今、しっかりと取り返したい。


以上、今の気持ち。

2012/5/10 19:17





追伸:
ちなみに、昨日はある事情により、
工場に行って、うちの会社が作っている製品の原料に、
異物が混入していないかを、調べる作業に取りかかった。

俺と一緒に研修中のもう一人が、
その作業に呼ばれた。

工場で、男7人+女性1人の計8人くらいで、
朝の9時から昼の12時まで3時間きっかり、
休み無しで、大きな原料の袋の中身を前の作業場に開け、
一斉に、中身を確認した。



気の遠くなる様な作業ではあったが、
実際に、うちが使っている原料を、
何種類も間近で見られたことは、ラッキーだった。


それは、世間でも有名なある薬に使われている
生薬(漢方の元)たちだったが、
その一つの匂いが強烈すぎて、
昨日、午後にオフィスに帰って来たら、
みんなに突っ込まれた。
「いい匂いが漂ってるな」と。

(まあ、それはシナモンの匂いがするので、
悪い匂いではないのだが。)



その後、仕事後に風呂場で体をしっかり洗い、
(風呂場で会った先輩に、「お前が横に来ただけでも少し匂いがしたよ」
と言われる。それだけ強力らしい)

帰って来て、作業着と下着を洗ったが、
さっき、その下着を嗅いだら、
まだ匂いが強烈に残っていた。
なので今、洗濯機を「がんこ洗い」にして、
再度回している。

すごい匂いだぜ。

*****


また、これも話が変わるけれど、
その風呂場でも、色々な先輩や上司に会う。

俺は普段面識の無い工場で働く方々にもそこで会うことができ、
俺は人懐っこく彼らに声をかけるせいか、
結構、顔見知りになって、
みんな、話しかけてくれる。

一人の方は、
毎回会うたびに、
「今度の週末はどこかに行くの?」
など聞いてくれる。
(これ、前に書いたっけ?)

その人はオペラが趣味らしく、
東京には毎年一回、
オペラを見に行くそうな。

「今度、うちに来て聴きに来たらいいよ」
と誘ってくれたりして、凄く嬉しい。



昼間の休憩中にも、
先輩が話しかけてくれて、
色々話をしたりと、
そういう、
全然違う年齢の方々と、
仲良く話ができることが嬉しい。



一つの大きな、
家族みたいな会社だと思う。



本当に、良い会社だと思う。


19:27pm









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May 06, 2012

2012/5/6.  12:20-


自分の若い頃の日記(例えば、21歳、七年前のもの)を読んだりすると、
少なからず、
「若いな」と感じる。



21歳の頃の俺と、
28歳の俺とでは、
確実に、違っているわけで。




思う。
いつ、人間として、
自分の中身は、
変わって行くのだろう、と。


例えば、今日の俺と、
昨日の俺とは、
そんなに、変わらない。



しかし、その積み重ねの結果、
今から七年後の俺と、
今の俺とでは、
大きな差があるだろう。





多分、
人間の「成長」、「変化」というのは、
日々の生活の中での、
他人との関わり合いの中で、
何かを感じて、

それに対して、
自分で、
何かを思い、

それの結果、
「もっとこうなろう、
もっとこうしよう」

と考えて、そうなるように、
意識づけることで、

それが、結果として、
徐々の微々たる小さな変化から、

その積み重ねが、
やがて、大きな変化へと、

変わって行くのだろう。




、、、、、




俺は、今までの人生で、
人から大きく影響を受けて来た。


常に、
「こうなりたい」
と思う人を側に置き、

そのイメージに近づけるように、
努力してきた。



しかしそれは、
若いが故に、
自分に自信がないからこそ、
やっていた場合も多い。



そして、歳を取るに連れ、
「誰か」になるのではなく、
より、
「自分自身になろう」
というように、
地盤が、固まってくる。




、、、、、




話が少しずれたが、
とにかく、
人間の成長、変化というものは、
普段の何気ない、他人との関わり合い、
そこで感じたこと、
その、ちょっとした感動、

それらが、大きなきっかけとなって、
「自分」という人間を変える、
布石となっている場合が多い。


そう、さっき思った。



、、、、、



だから、
若い頃に、
人と余り付き合わずに、
自分の世界だけにこもっていると、
あまり、「自分」というものは、
変わらない気がする。



(といっても、
人によって、
他人から影響を受ける人もいれば、そうでない人もいるだろうし、

すごく小さな子供の頃に、
自分の人格が出来上がってしまう、精神的に成熟した人もいるだろうし、

一概にそうとは言えないと思うが。)




なので、
少なくとも、俺のように、
他人から大きな影響を受けるタイプの人間の場合、

若い頃(思春期の頃)に、
なるべく、自分の『常識』をひっくり返すような、
色んな体験をしておいた方が良いと思う。



繰り返しになるが、
俺の様なタイプで、
かつ、
人間的に、
より、視野を広げたい、
と思っているヤツに関しては。




、、、、、




だから俺は、
留学ができて、良かったと思う。


アメリカという、
本当に色んな人間、
色々な価値観を持った人々が集まる大地で、
自分の青年期を過ごせて。





俺はもともと、頑固なタイプだし、
自分の考えに当てはまらない人間は、
除外してしまう傾向が強かったから(特に高校までは)、

そうした若い時期に、
自分の価値観を180°覆す様な、
そんな体験を、
沢山できて、
本当に良かったと思う。




、、、、、



よく、
「留学をして、良かったと思いますか?」と、
面接で聞かれたりするけれども、

答えは、
「良かったに決まってるじゃないですか」
の一言だと思う。

(もちろん、そうは言いませんが)



、、、、、


そして、その質問に附随してくる、
「留学をして一番良かったと思うことは何ですか?」の質問に対しての答えは、

「日本では経験できないような、
自分の価値観をひっくり返す様な、様々な経験ができたこと」


だと思う。




、、、、、



久々に、
こうして、長距離バスに乗って、

山々などの自然を見ながら、

ノラジョーンズの最新アルバムでも聴いて、
外の景色を眺めていると、

21歳の頃に、
アメリカ一周の旅をした頃の、
その、列車の中での、
自分を省みまくった日々を、
自然と思い出す。




そこから、
このThoughts(考えのかたまり)は生まれた。


2012/5/6.   12:34








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May 03, 2012


・うるさい。ヨドバシカメラ、色んな音が混ざりすぎ。
→アニメのソングに、店員のダミ声での呼びかけ(別々の三方向から)に、槇原敬之のカン高い高音の歌声に、ヨドバシの録音の店内放送と、意味が分からない。
あそこで働いている人は、気づかない内に相当のストレスを受けているはず。
俺も、今までは気づかなかったけれど、今回岐阜から来て、初めて気づいた。


・湿度が高いから、ジメジメして過ごしにくい。不快すぎる。

・みんな、他人を「人」として認識しない。傘がブツかっても謝らない。電車で肩がブツかっても謝らない。

・パーソナルスペースが無いから、他人を「人」として認識せずに、シャットダウンするしかない。


・成田や岐阜が良いのではなくて、ただ単に、俺は「都会」が嫌いなだけじゃないか?
LAもやっぱりそこまで好きになれない。
Weed,San Joseの方が良い。

都会の良さは、
人が集まる→人と会うチャンスが多い。
田舎は、
人が少ない→人が優しい。

俺は高校も佐原、それまでも成田と、
田舎で過ごしたから、都会が好きじゃないのかもしれない。


*****

ということを、
久しぶりに新宿に来て思いました。


2012/5/3 15:17




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April 24, 2012



仕事を5時過ぎに終えて、
5時半には会社のお風呂に入り、
そこで一日の疲れと汚れを落とし、
6時過ぎには、風呂場で会った人たちと言葉を交わしながら、
帰路に着く。


家は歩いて3分の距離にあり、
外は、まだ明るく、
空気も春の空気で、温かく、
気温も湿度も丁度良い。


外には、高い山々が見え、
綺麗な景色と、
綺麗な空気と、
静かな町が広がっている。


家に着くと、
先日頼んだアマゾンの本が、
丁度届く。

家に入った瞬間に、
ドアをコンコン。
出ると、宅急便のオジさんが言う。
「いやあ、正にベストタイミング!!」


*****

会社も良い人たちばかりで、
仕事も、自分が目指すゴールと、
やりたい事が目の前に見えている。


そういう生活を、
幸せだなあと、
しみじみと感じる。

2012/4/24 18:40




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April 14, 2012

2012/4/13(Fri) 23:55〜

さて、かなり眠いですが、
本日もとても良いことが沢山あったので、
忘れない様に書いておきます。

*****

改めて、自分は今の会社に、
本当に良い思いをさせてもらっているなと、
つくづく思います。
しっかり貢献しないとな、と思います。


今日は、午前中は、
今研修中の課にて、
原価計算の研修。
課長が自ら、
2時間くらいかけて、講義をして下さいました。

いきなりピンポイントの原価計算の話をしても、
全体像が見えないので、
最初に、うちの会社の売り上げの仕組みや、
損益計算書、
貸借対照表などの話をして下さり、
俺はこの内容を、数ヶ月前に自分で勉強していたので、
「おお!実践で学べる!」と、
勝手に興奮していました。

キャッシュフローの話とか、
減価償却費の話とか、
本で読んでいただけじゃなく、
こうして実践で、自分の会社の状況を当てはめて調べられると、
かなり嬉しいです。

ちなみに課長曰く、
実際に、営業の人は、
こういうことが分かる人が少ない、
もしくはいないと言います。

俺の友達のSも、
彼はこう言う事を前職でやっていたり、自ら勉強したりしていましたが、
「実際に、40代とかになって、
こういう事が分かっていない営業マンや上司ってダサイじゃん?」
という話から、彼も学び始めたそうですが、
俺も、やはり会社の動きや、全体像、
そういったものを常に掴んで、
経営者の視点で仕事をしていたいので、
こうしたことが、実際に実践で仕事を通して学べる環境にいることは、
とても嬉しい限りです。

*****

その後午後は、
13時から、近くにある、
この地元では有名な旅館の大部屋や広間を借りて、
この町がある市の職員からの、
激励会がありました。

これは、今日初めて知りましたが、
どうやら、この市は7年前に合併してから、
過疎化が激しいとのことで、
人口が減少しているのもあり、
それも含めて、こうして地元に就職をしてくれる人たちには
本当に感謝をしている、ということで、
こういう「地元就職者の為の激励会」
というものを、実行して下さるそうです。

俺は正直、
一年近くだけこの町に滞在して、
来年には東京に戻るのですが、
それでも、こうした場に参加をさせてもらっているので、

また、対象はこの町に就職をした「新入社員」であるので、
みんな、若い子は18歳から、
上でも大学院卒の25歳の中、
俺は中途で28歳と、
大変申し訳ないのですが、こうして参加をさせてもらっています。

もう、感謝する以外ありません。

*****

ここでは、
ゲストスピーカーとして招かれた、
富山県議会議員の奥野詠子さんに、
1時間ほどのお話を聞かせて頂きました。

とてもお話の上手な方で、
その会場にいた70人以上を完全に飲み込んで、
場の雰囲気を自らのペースに作り上げて、
お話を堂々とされていらっしゃいました。

あの辺りが、
29歳で出馬表明、
30歳で当選、
現在若干31歳という、経歴の証拠でしょう。


彼女のお話には大変感激させられたので、
質疑応答では真っ先に手を挙げて、
「実際に議員になられる前と、なられた後で、
気づかれた事、
または、日本国民はもっとこうしたら良いのにと、
感じることなどはありますか?」との問いにも、
「かなり難しい質問ですね」との言葉を先頭に、
彼女が大阪の橋本氏の政策に対してどう思うか、
また、震災後のがれき処理の政府の指針に関してどう思うかなど、
彼女が持つ本音の意見を、
ズバッと言ってもらいました。

なので、聞いていて、
とても芯が強く、自分の意見を通される方なんだなと、
感心しました。

*****

彼女が言っていた事で、心に残った事。

「人生は、どんな決断をしようが、
必ず自分の責任になるのだから、
自分が本当にしたい事を、追求した方が良い」

「日本人は、
国が安定してから、
考える事を辞めてしまった。
そして、今国がギリギリの所に来て、
初めて、『これじゃまずい』と気づき始めた」

「一番大事な事は、自分のアタマで考えられる人間を作る事であり、
その人間を作るのが教育なので、
教育が一番大事。
今の日本は、結果を直ぐに早い段階で求めがち。
教育は、20年から30年、ジックリと政策を行ってみて、
結果が分かるもの」


など。

*****

上にも書きましたが、俺は現在28歳で、
彼女は31歳。たった3つ違いで(生まれた歳は2年違い)、
こうして議員として力強く活動されている方の姿を見て、
「俺、このままじゃやべえな」と、
とても触発されました。

もっと勉強して、もっと視野を広くする為に、
もっと頑張らねえとと、強く思いました。
さもなくば、井の中の蛙で終わってしまいます。

(ちなみに奥野さんは、講演が終わった後に御礼を伝えに行き、
「ぜひ今日お話をお伺いして感じた事を後でお送りさせて頂きたいのですが」
と伝えると、名刺を交換して下さいました。
ちなみにとても綺麗で美人な方です。)

*****

その後は、15時過ぎから、
その旅館の二階に上がり、
大広間で、和の作法の研修。

立ち方から、お辞儀の仕方。
(「真」、「行」、「草」の3種類がある。)

立った場合のお辞儀と、
座布団に正座をした座った場合のお辞儀の仕方。

手の置き方、背骨の角度など。

また、その後は、
お茶とお菓子を出されて、
その召し上がり方、作法など。

その後は、何とその旅館のフルコースが出されて、
お酌の仕方から、
召し上がり方など。


まさか、昼食をがっつり会社で食べた後に、
16時過ぎから、
そんな、フルコースが実際に出るとも誰も知らず、
みんな、かなりお腹いっぱいになっている中、
嬉しい悲鳴を上げて、食事を頂きました。

お刺身に、茶碗蒸しに、おそばに、
和菓子に、お吸い物、お味噌汁、
などなど・・・。

それも、フランス料理の様に、
時間差で出してこられるので、
これが最後と思い、お腹が一杯の中、
何とか食べきったおそば。

腹がはち切れそうなその後に、
なんと、お味噌汁とお新香と、
炊き込みご飯(大きなお茶碗一杯分)、
及び、デザートのフルーツが運ばれて来た時には、
ショックを受けている自分がいて、
そのショックを受けた自分を客観的に考えると、
可笑しさのあまり笑いが止まりませんでした。

*****


28歳にもなって、
新入社員と一緒に研修を受けさせて頂き、
和食の食べ方のマナーを教えて頂き、
素晴らしい議員のお話を聞かせて頂き、
更には、フルコースまで食べさせて頂いて、
これでお給料を頂いているなんて、
マジで、この後、
ガッツリと会社に貢献しなきゃいけません。

*****

私の会社、
及び、神様、
毎日ありがとうございます。

明日は土曜ですが、出社なので、
頑張ります。


2012/4/14 0:22



追記:
ちなみに、先日のLenny Kravitzもそうですが、「この人はすげえ!人間としてかっこ良い!」と思える人と、直接お会いして、その人とお話をしたり、または近くで実際に触れ合えたりできることは、
自分に、「もっと頑張って、もっと大きな人間になろう」と心から思える刺激をくれます。


こうして、そんな方々とお会いして、
実際に刺激をもらえることは、
非常に幸せだと思います。








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April 07, 2012



2012/4/7 7:33am-

今、新宿駅行きのバスを待っている。
ここは、グレイハウンドのバス停にそっくり。
というか、どこも、長距離用の大型のバス停は似ているのかもしれない。

、、、、、、


ここにいると、
2008年の四月に、
オハイオのエスターとフランクの家に遊びにいった時のことを思い出す。

その時は、片道三日間、
グレハンのバスに閉じ込められていた。

よく、バス停でこうして、
待たされたものでした。

、、、、、


その時も、Lenny Kravitzを聴いていた。
二月にアルバムが出たばかりで、
その時に聴いていた曲を聴くと、
余計、当時の感情が蘇ってくる。


、、、、、、


その時は、iPodもまだ持ってなくて、
CDプレイヤーとバカでかいCDケースを持ち歩いていた。

一緒のバスに乗っていた変なヤツに、
「お前、今どきそんな大型のプレイヤーを持ち歩いてんのか?
今だったら、こんなに小さなMP3プレイヤーも、50ドル位で買えるぞ。
お前が持っているCDケースの全部の量が入るくらい、容量かあるヤツな。」
と、アドバイスをもらった。

それでも俺は、
「いや、これでいいんだ」と強がっていた。

当時は超貧乏だったし、
そんなものを買うお金すら惜しかったので。




その後、その年の秋に、
初めてiPodを手にして、
その素晴らしさに、
感動した。

、、、、、、


この、バスを待つ時間って、
結構、独特だよね。


2012/4/7. 7:45



追記:

今、バスに乗ったんだけど、
後ろの席に、子供たち三人と、
お母さん?が乗っている。

その子供たち(小さな女の子2人、四歳から五歳くらい)と、男の子(十歳くらい)がいるわけだけれど、
その子たちが、見送りに来てくれたお婆ちゃんと、おばさんらしい2人に、
バスの中から、その2人が立って待っている外に向かって、

「ばいばーい、
サダワキコー!」とずっと言っている。

バスが出る十分前から、
「さだわきこー、
サダワキコー」と何回も、
三人で呼んでいる。

その様子がすごくかわいくて、
しかも、「うるさいから辞めなさい!」というお母さんとのやり取りがコミカルで、マジで面白い。
ずっと笑いが止まらなかった。


しかも、そのおばあちゃんかおばさんが「サダワキコ」なのかと思いきや、
途中でお兄ちゃんが一言、
「ところで、サダワキコって誰や?」
お母さん「ホントウや、誰やねん?」と。

、、、、、


子供たちのサダワキココールに、
思いっきり朝から笑わせていただきました。




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April 01, 2012

10:05am〜

旅をしたり、移動をしたりすると、気分が良くなるのは、
多分、一つの場所から次の場所へ移動している時というのは、
その土地や国を、高い視点から見れるからだと思う。


それが、新幹線の様に早速い乗り物の方が、鈍行列車よりもより視点は高くなるし、

列車より、飛行機の方が、
もっと、より高い視点でものごとを見れる。


普段目にしている家や車は、
ただの小さな固まりになり、
更に上に上がると、
ただの大地になってしまう。




人は、日々の生活に没頭すると、
自分が生活する環境が、
この世界の全て、と思ってしまうけれど、
実際には、
日本だけでも、これだけたくさんの家があり、それぞれの家に、
それぞれの家庭、エピソード、生活がある。


それを、更に視点を上げると、
様々な国があり、
それぞれの国で、
それぞれの生活、常識が存在している。






余り普段、
自分の生活範囲から出ない生活をし過ぎると、
それが心地よくなり、
それが『全て』と思ってしまうが、
実際には、世界はこんなにも広い。



この感覚ばかりは、
実際に自分が身体を使って、
その土地へ移動したり、
そこの空気の匂いを嗅いだり、
そこの土地の人々の雰囲気を感じてみないと、
それがリアルには、理解出来ない。



、、、、、


そんな意味でも、
常に、視野を広くするためにも、
定期的に、「移動する」という状態に、自分を置きたい。


と、思うんだなあ。



10:15am






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8:05〜
今、名古屋に向かう新幹線の中。

毎回思うけど、
JRのアナウンスって、本当にうるさいですね。

まず、録音済みの日本語で、
丁寧に全ての停車駅を言った後、
次は録音済みの英語で、
また全ての停車駅を言う。

で、やっと終わったよと思ったら、
今度は、車掌自ら、
ご丁寧にまた全ての停車駅の名前と、
停まる時間まで解説すんのね。

全部で、三分間ぐらい喋ってんじゃないでしょうか。

で、やっと静かになったよと思ったら、
すぐに次の停車駅が来て、
また上の1〜3の繰り返し。



昔、高校の英語の先生の北Tが、
「日本の電車のアナウンスほどうるさいものはないよね。
海外に行ったら、
どの国もほとんどアナウンスなんかしないよ」って言ってたけど、
それは俺も、他の国にいってみて、初めて気づいた。

アメリカなんか、列車のアムトラックなんか、アナウンスをしないばかりか、三時間くらい遅れて来るしね。笑

それに、ヨーロッパを回った時も、
中米を回ったときも、
全然アナウンスなんかないから、
その場で運転手や周りの人に聴いて、たしかめるしかない。

でも、結局は、
殆どの客が普段乗る客なんだし、
それにそもそも、
車内の掲示板とか色んなところに書いてあるだろう、っていう。


少なくとも、日本のJRの場合、
過剰包装ならぬ、
過剰放送だよね。
日本のお菓子みたいにさ。

せめてそれぞれの国の言葉で一回ずつ言ってるんだから、
最後の車掌挨拶はいらねえだろう、っていう。

もうこれが習慣化して、
そのおかしさにきづかないんだろうね。

もしくは、一回きりにすると、
「一回じゃ聞き取れないじゃない!」っていう客からのクレームが入るか。

こんな事なら、大分国際化した今の時代なんだから、
韓国語、中国語、スペイン語、フランス語…みたいな感じで、
主要8カ国ぐらいの言語でアナウンスをしてほしいよね。

で、次の駅に着くまでに全てのアナウンスが終わらない、みたいな。

、、、、、


と、どうでも良いことを朝から書いてしまいました。

2012/4/1.  8:17


追記・
合わせて言わせてもらうと、
新幹線とか、電車とか、
トイレの中とか、
公共の場所にある英語の訳が、間違っていることが多い。
言い回しとか、a, theの使い方とか。

以前、前職の英会話の先生で、そういうのにうるさいヤツがいたんですが、彼は良く俺に言っていた。

「このプリンターに書かれている英語は間違っている」
「なんでここでtheを使ってるんだ。aだろうが」
「なんでこんな日本の大企業が、間違った英語を使うんだ。一人くらいネイティブを雇って、チェックさせればいいだろう」

本当ですよね。


でも、海外に行ったら行ったで、
そこのパンフレットとかに書いてある日本語も、凄まじいけれどね。

よくあるのが、カタカナのシとツが逆に使われているとか。
あと、ソとン。


どうでもいいですね。








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March 28, 2012



さて、4月から住む場所への引っ越し手続きも終わり、
明日から数日休んだ後は、
4月から本社のある山奥で、頑張る次第です。

*****

ちなみに、先日、会社の先輩に紹介されて、
印西市の水泳協会に入りました。
(実際は、彼がそこの役員をやっているというのを聴いて、
「いいなあ、僕もどうにかしてなれますかね?」とちょっと冗談半分で聞いてみたら、
色々と調べて下さって、結果そうなった。)

別に僕は印西市在住でもなんでも無いんですが、
彼がそこに入っているので、そこに入りました。
入ると、マスターズへの登録が出来るようになったり、
色んな大会の情報が入ったりと、
色々とベネフィットがありそうです。

それよりも、一番の理由は、
そこに入ることで、新しい人脈というか、
人との繋がりができることでしょう。

彼は、多分現在55歳前後だと思うのですが、
今でも毎週末、土日は一日1500メーターずつ、
30分で泳ぎ切るそうです。
すごいですね。

社会人になると、
普段自分が行く会社の人間関係だけで
友好関係が終わりがちですが、
こんな風に、自分の趣味を通して、
他のサークルやグループ、団体に所属すると、
それだけ会える人の交友関係が広がっていき、
そこが嬉しいです。
(まだ参加はしていませんが)



それと、そこに入ることで、
「じゃあ、俺も鍛えなきゃ」と、
モチベーションが上がるのもあります。

ちなみに今年の目標は、
トライアスロンのショートディスタンスに参加することなので、
ランとスイム、バイクを鍛えたいと思います。

*****

ちなみにちょっと話変わるけど、
先日読んだ本に、
マズローの人間の根本的欲求の話がちらっと出て来ました。

それを初めて知ったのは恐らく大学の心理学のクラスが最初ですが、
その時には、「団体に属する欲求」が、
結構下の方にあることに気づきませんでした。

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先日本を読んだときに初めて、
その欲求が、人間が求める最初の欲求である、
「衣食住」や「睡眠欲、性欲、食欲」、「安全の欲求」
などの次にくる、ということに気づいたのです。

(今までは、「生理的欲求」「安全の欲求」の後、
集団帰属の「調和の欲求」の存在はすっ飛ばして、
次の「自我の欲求」や、「自己実現」の欲求にだけ、
目が行っていました。
恐らく今思うに、
当時は、大学生として、
「学生」として既にどこかに属していることから、
既に満たされている「調和の欲求」は、
余り重要視されなかったのでしょう。

当時は休みの時に旅をして、
それで、「生理的欲求」「安全の欲求」
が満たされないことを良く経験していたので、
その必要性には実感として気づいていたし、
更に、上の方の「自我の欲求」や、「自己実現」の欲求は、
常にそれが必要だと感じていたことから、
やはり、その必要性を意識していたのでしょう。

つまり、当時は、
「調和の欲求」は常にある程度満たされていたので、
その必要性に、気づかなかったけど、
今になって、それを失った期間を長く過ごして、
改めてそれに、強く気づいた、ということ。)


*****


また、昨日ネットで読んだ、
自分の前職の会社の監査を務めている方のブログの中で、
「人間の一番大きなストレスの一つは、
長期間、仕事がないことである」
というくだりを読みました。
(ちなみにそれはアメリカ人の誰かからの引用)


その二つのことを最近読んで、
「まさにそうだよな」と感じたわけです。

*****

自分が去年の10月から、今年の2月まで、
転職中に一番キツかったのはやはり、
「どこにも属していない」ということでした。

人間は、生まれてから、
学校に行く「学生」というものをしている以上、
必ずどこかに属していることになるわけで。


その後も、普通の人はすぐに会社に入ったりして、
やはり、「社員」という、
その会社のグループに属します。


一人というのは、
ある意味、キツいものです。

誰にも頼れないし、
自分を定義するものが、
自分以外の何者にもないわけです。

しかし、何かしらの団体やグループに属していると、
その「一員」であるということから、
何かしらの安心感を抱きます。

その団体の中で、一定以上の自分の責任や仕事をこなしていれば、
後は、そのグループの恩恵を被ることができます。

*****


そして、上に挙げた二つ目の例に関しては、
人間、やはり「仕事」がないと、
毎日、ぶっちゃけつまんない、ということです。

その仕事は、会社に勤めている場合もあれば、
フリーでやる場合、
または、自分が社長となってやる場合もあるでしょうが、
いずれにせよ、
毎日、「自分が目標をもってやることがあり、
それが、周りの人とのコネクションの役目となり、
結果、それが世の中に繋がって、
自分の存在意義を確かめられて、
そして、お金も入る」
ってのが、一番、安心できる状態なんじゃないでしょうか。

*****

というわけで、
水泳協会に入ったのも、
もちろん、入ることで、
自分のモチベーションが上がったり、
色々と個人的にベネフィットがあったのもあると思いますが、
一番の理由は、
「どこかに属する」ことに、
自分が今、非常に飢えていたから、

かもしれないなと、さっき思いました。

*****

疲れているので、纏まらない文章になっちゃった。

2012/3/28 22:18




PS.
ちなみに、今回引っ越しに使った業者は、
中々対応が良かったです。
前回はレッドハットを使いましたが、
まあ、安かったけど、
一緒に荷物の出し入れを手伝わなきゃいけないし、
結構雑だったりと、
ちょっと、満足度は低かったのが事実。
「安かろう悪かろう」が適用されてしまった状態でした。

今回はということで、
勉強しまっせのテーマでおなじみのところに見積もりを依頼しましたが、
ぶっちゃっけ対応が丁寧すぎるのが理由で、
料金が大分高く、
会社の経理に「もっと安くできませんか」と言われたので、
色々試した結果、今回の個々となりました。

今日は三人で来てくれて、
対応もテキパキ、
とても良かったです。

ちなみにここに決めた理由は、
値段が安かったのもありますが、
何としても、電話での対応もとてもよかったし、
それと、最後の決めては、
CMの担当が上戸彩さんということでした。

最後にここのHPを見ていた際に、
「あ、上戸彩が宣伝してるから、ここにしよう」
となりました。



今までは、そのCMをしている人によって、
消費者の行動がどれだけ変わるかなんて、
余り気にしていなかったけれど、
今回の様に、自分がそれによって決定を少なからず促されたので、
「へえ、やっぱりCMのイメージキャラって大事なんだな」
とちょっと驚いた瞬間でした。



ちなみに今回使った日通の単身パックのL×3箱+自転車というのは、
下記のプラン。
Lパック一つでも、かなりの量が実際には入るので、
結構いいと思います。

http://www.nittsu.co.jp/hikkoshi/moving-s/tanshinpack/tanshinpack-s-l.html

nittsua


(日通の回し者みたいですが違います。)



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March 03, 2012

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今日は池袋サンシャインシティの中のゾフに行った。

俺のメガネは、横浜のゾフで作ったんだけど、
メガネのフレームが当たって耳がどうも痛くて、
今月頭に一度、恵比寿の駅のゾフで直してもらった。

でも、それもどうも上手く調整できていなくて、
昨日は、新宿で用事があったから、
新宿のマルイのゾフに行って、直してもらった。


でも、それもやっぱりきちんと直ってなくて、
今日は、泊まっていた友達の家の近くの、
池袋のゾフに行った、というわけ。
(どんだけ色んな店舗に行ってんですか)

*****

今日行った池袋の店舗は、
最初に口を聞いた男性は、
俺が話しかけるなり、
「うん」とタメ語で返事をしてきたので、
その瞬間に、一気にこの店に対する評価は落ちた。

(ご存知の通り、俺はビジネスマンや店側の人間が、
「うん」とタメ語で相づちを打つのを心から嫌う。)

しかし、その後待たされること10分。
メガネの状態を聞きに来てくれて、
実際に直してくれた女性は、とてもとても、
本当に対応が素晴らしかった。


とても素晴らしい笑顔で、しかも、
俺はこういうとき、注文が多いんだけど、
(このラインを微妙に直してくださいとか、
ここがほんの気持ち曲がっているんで、こうして下さいとか。
それを2、3回言ってやり直してもらう。
面倒くさい客ですね)

そして、大抵の店では、
皆さん、笑顔を作りつつも、
目は笑っていないんですが、
(「てめえ、どんだけ注文の多い料理店やねん」という彼らの心の声がはっきりと聞こえる)

今回の女性は、しっかりと自分でも直す度に様子を見て、
俺がメガネをかけても、俺が何かを言う前に、
「きっとここの隙間がまだ少しあいているので、
もう少し直した方がいいですね」と、
何度も職人のように直してくれて、

もう僕は感激でしたよ。


少しずつ注文を出すたびに、
「何度もすみません」と伝えると、
「いえいえ、とんでもないです」と笑顔で返してくれて。


中々こういう店員さんはいらっしゃらないので、
一気にこの店に対する評価は上がりました。

*****

池袋サンシャインシティの中のゾフの皆さん。
今日対応して下さった女性を、
表彰するべきです。

2012/3/3 21:26



**写真はゾフのモデル、 水原希子さん。
彼女はとてもいいですね。




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February 29, 2012

前の日記にもう一個付け加えると、
トシさんていう人は、本当に面白い。

よく、アメリカ人のこととか、イタリア人とか、
色んな人のことをテーマにして話をしたり、
または、自分の体験談を、面白おかしく話する時に、
目を見開いて、面白い顔をして、話をするんですが、
その様子が、本当に面白い。

彼は、アメリカにいるときには、
黒人なんかにやけに好かれていたんだけれど、
どうやら、インド人やイタリア人にも大分好かれるらしい。

面白い人ですね。


昨日電車で、ワコさんとトシさんと3人で乗っていたとき。

電車に乗る前に、壁に貼ってある広告に、
"Great Britain. You're invited."って書いてあって、
「"You're invited"って言い方って、カッコいいっすよね。
何か、カチっとしてますよね。
アメリカじゃ、"Welcome!!"とかですよね」みたいな話から、

イギリス英語とアメリカ英語の違いにちょっと話が及んだ。

そこで、イギリスでは、
日本の教科書に載っている様な、"How are you?"をマジで使う、
ということになり、
「マジっすか?」と。

アメリカじゃ、"How are you?"なんて絶対言わないから。
(言っても、"How are you doing?" "What's up?" "How's it going?"当りが口語的には恐らくポピュラー)

そこで、そのバリエーションでイギリス人は、
"Are you alright?"も使うとの事。
(発音の仕方は、下に下げて言う。)

それって、「何か言っちゃいけない事でもあったんですか??」
的なニュアンスが、アメリカ英語では派生するので、
それも、最初トシさんは、イギリスに移った時にビビったそうな。

で、その返しに対して、
"Okay."の一言の返しもポピュラーだとか。

「そ、それも、何か言えない様なことが実はあって、本当は全然オーケーじゃないんじゃ・・・!?」的なニュアンスが、アメリカ英語ではなってしまう。もしもそう言うと。



そこでトシさんが、

「むしろそんな時にアメリカ人は、
"グレイト!!" "オーサム!!"とか、
やたら大げさに返すやんか」と。


その時のトシさんの”オーサム!”と言っている顔と、
(目を見開いて言う)
電車の中で周りはシーンとしているのに、
結構デカい声で、何回も言う、みたいな。

そういうところが、面白いんですよね。

*****

以上、トシPのファンでした。

2012/2/29 21:55





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February 27, 2012


今回、彼女と婚約したことを、Facebook上のステータスで変えると、たくさんの人から、「おめでとう!」って言葉を頂いたり、likeを押してもらったりする。

その数を見ると、「あれ?俺って、50人以上も友達いたの!?」みたいに思うんだけど、
実際にlikeを押してくれたり、メッセージをくれた人の顔を見て行くと、確かに、みんな自分の友達なわけで。

そうやって、いろんな人に、一緒に喜んでもらえるっていうのは、すごくありがたいことだなと思った。


で、更には、
自分のFacebookの友達の数を見ると、190人近くもいる。
「俺、本当にこんなに多くの人と知り合いなの!?」って思うんだけど、
で、さっき実際に一人ずつの顔を見て行ったら、確かにみんな知っていた。


もちろん、Facebook上にはいないけど、すごく中の良い友達とか、今は連絡が取れなくなっているけど、かつてすごく親しかったり、
近かった人、
ましてや、今までの人生で、少しでも会話をしたりして、巡り会った人を数えて行くと、
きっと、とんでもない数になるわけで。


そう考えると、
人生ってすごいな、と思う。


多くの人に出会って、
その人たちと、少なからず沢山の時間を共にして、
彼らと話し、考え、何かしら影響されて、
今の俺という人間ができあがってきたわけであって。



*****


明日は、留学時代に仲の良かったギャレットと会う。
彼ともずっと音信不通だったが、先日俺が彼をFacebookで見つけて、連絡が取れて、
結果、明日会うことになった。


こう考えると、
Facebookに感謝。

Facebookは元より、
Eメールとか、
今から二十年前には無かった技術のおかげて、こうして、
一度音信不通になって、今はどこに住んでいて、何をしているかわからない人と、また会えるわけで。

それを考えると、
今の時代って、素晴らしいと思う。



先日の新聞でも、
Facebookの悪用に注意とか、
mixiに私的なものを投稿した芸能人が問題になったりとかして、
「やっぱりインターネットは怖いですね」なんて言う人もいるわけだけど、
俺は、それはその人が使い方を間違っているだけで、
うまく使えば、
こんなに便利なモノはないと思う。


*****


昔から人類は、
今よりももっと、
「こんなのがあったらいいな」と思うモノを、開発して、生きてきたと思うし、


「今よりも、昔の方が良かった」というのは、
まるで、今までずっと馬しか無かった社会に、車が登場して、その車で引き起こされるネガティブサイドばかりを見て、
「やはり、車なんてモノがでて来るよりも、
馬だけの時代の方が幸せだった」と嘆いているようなものだと思う。

車があれば、馬だけでは行けなかった様な場所に、一瞬で行くことができるわけであって。


*****


今の世の中は、
昔に比べて、オプションが増えているだけ。

それは、「選べる」という、
幸福があること。
(それはあくまでも、「現代の日本」という、囲まれた国にいる自分の場合だが)

その恩恵を最大まで生かして、
より良く生きたい。


*****


友達のありがたさの話から、
何か話題がズレましたね。

2012/2/27. 23:54




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February 12, 2012



これは小説の内容そのものとは関係ないんだけれど、
その本の大きさ、
文字のかたち、
カバーの色、
そういったものは、
その小説そのものに、少なからず影響を与える気がする。


例えば、
俺は村上さんの本は、
『1Q84』だけはハードカバーで読んで、
後は全て、文庫本で読んだんだけれど、
その二つのサイズの大きさは、
確実に、その小説に違った雰囲気をもたらす。



まず、文庫本というのは、
サイズが小さい分、
手の中にすっぽりと収まるので、
まるで、その小説の世界全体を、
自分が大きな目で、上から手中に収めている様な感じになる。

それに対して、
ハードカバーの場合には、
文字も大きく、
本のサイズも大きいので、
その分、小説の細部まで拡大されているような気がして、
ディーテイルまですごく細かに分かるんだけれど、
その『大きな世界』を、手中に収める、という感じにはならない。



イメージで言うと、
文庫本は、自分が大きな巨人になって、
その小説の世界を、ミニチュアとして、
上から全て眺めている様な。


それに対してハードカバーの場合には、
拡大鏡で大きくした世界の中に、
自分が小人として、入って行く様な。



文庫本に出て来るマグカップは、
実物大か、またはそれ以下に小さく、
あまり重要なものというわけではなく、
ただの「置物」として捉えられるのに対して、

ハードカバーの場合には、
そのマグカップさえも、重要な登場人物の一人として、
自分はそのマグカップの半分くらいの背丈になって、
そこについた水滴やしみ一つひとつまで、
はっきりと見ている様な。

******


それから、文字の形も影響を及ぼして来る。

例えば村上さんの小説は、
主に新潮社か、講談社な訳ですけれど、

新潮社の場合は、
はっきり言って、文字が「冷たい」というか、
なんか、ツンツンしたイメージがある。

よって、その小説の醸し出す雰囲気も、
何か、良い意味で言うと、大人っぽいというか、
Snobbyというか、
何となく、取っ付きにくい感じがある。



それに対して講談社の方は、
カバーが黄色で統一され、
まず、温かいイメージがある。

また、文字も、
俺の好きな形だからか知らないけれど、
丸みを帯びていて、
非常に読み易い。

よって、何だか、より「親切」というか、
「暖かみを帯びた」雰囲気を醸し出している様な気がする。

*****

と、そんなことを、
よく感じます。

できれば、全ての小説を、
講談社のスタイルで出して頂きたい。

2012/2/12 15:39



追記:ちなみに、
お互いの異なる出版社が、
別の出版社の本の宣伝をすることは無く、
講談社の方には、
後ろの見開きの部分には、
村上さんの、講談社からの作品しかリストアップしない。

それは、新潮社も然り。



しかし、先日図書館で借りた新潮社のハードカバー、
『ねじまき鳥クロニクル』の後ろには、
新潮社、講談社関係なく、
「村上春樹の長編作品」と銘打って、
彼の作品が、年代順に記してあった。

あれ、親切ですよね。
とても良かった。

****

こういうことは、本だけじゃなく、
音楽のアルバムなんかでもそうなんですけれど、
例えばエアロスミスの場合、
ゲフィンとコロムビア時代があるので、
お互いのリストアップを見ると、
そのレコード会社を通したアルバム名しか記載されないわけですね。


まあ、会社同士の問題だから仕方ないですが、
ファンとしては、
「村上春樹作品 リストアップ」
「エアロスミス作品 リストアップ」
と、どこに対しても、全部の作品を載せてほしいですね。





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February 08, 2012




普段と全く違う場所へ足を運ぶことは、自分に新しいことを気づかせてくれる。

それは、新しい土地には、
自分がそれまでに体験した「記憶」が、そこに存在しないから。


自分がある程度暮らした土地では、少なからずその土地に基づく「記憶」が存在するため、
その土地で新しい日々を送っていても、
少しは、昔の「記憶」にとらわれている自分がいる。



しかし、完全に新しい土地には、
今までそこに自分がいなかったため、
全てが、新しい。

そこで、「過去の自分」が存在しない状態で、全く新しい「自分」と向き合うことになる。


、、、


だから、新しい土地へ足を運ぶことは、自分の心を新しくしてくれるのかもしれない。


、、、


新しい土地に足を運ぶことは、
まるで、
心の洗濯のよう。


それまで自分に溜まっていた垢をこそぎ落とし、
心の大掃除をしてくれる。


2012/2/8.   9:55







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February 05, 2012

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いやあ、子供の成長は早いですね。


前回に僕の姪に会ったのは1月の頭でしたが、
今回約一ヶ月ぶりに会いました。

随分と大きくなっていました。

前回よりも一回りは大きくなっていたと思います。

ほっぺのまわりが、一気に大きくなりました。
前回は肌も柔らかくて、「生まれたての赤ちゃん」という感じで、
肌もフカフカだったのに、
今は、少し固くなって、パーンとしています。



また、前回までは目がきちんと見えていなかったらしく、
声をかけても、あまり反応せず、
こっちも見なかったのが、
今では、しっかりと目が見えるらしく、
目できょろきょろと追いかけます。


子供の成長は、本当に早いですね。


******


さっき、ふと思ったけれど、
やっぱり、「いのち」が生まれるっていうのは、
すごいことだなあ、と思った。

お母さんのお腹の中で、最初はただの細胞だったものから、
生命がつくり始められ、
そこから、数ヶ月後に、きちんとお腹の中から、
赤ちゃんが生まれて来る。


で、その赤ちゃんは、
最初は、目も見えず、
言葉も喋れず、
本当に小さな、ただの生命なのに、
日に日にそれが大きくなっていって、
数年もすると、普通の子供になって、
それが30年近くすると、今の俺みたくなって、
更に30年近くすると、高齢者になるわけですから。



すごいですねえ。


*****

お腹の中でできた、
細胞からできた物体が、
そこまで大きく成長して行く。

そして、意思を持ち、
学び、
仕事をする様になり、
考え、お金を稼ぎ、
後世に何かを残す様な人間になるかもしれない。



いや、マジですごいよね。

*****

赤ちゃんをしみじみと見て、
そうして、ゼロの気持ちになって、
物ごとを考えるということは、
自分を、忘れていたけれど、
大事な「何か」に、戻してくれる気がします。

2012/2/5 23:18



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February 03, 2012


先ほど、テレビのニュースで、
「グローバル化する企業の採用方法」という形で、
幾つかの企業が取り上げられていました。


まず、ユニクロのファーストリテイリング。
来年度より、
「新卒、中途、国籍」、一切関係なく、
通年採用を開始するそうです。
そして、社内では英語を公用語に。

また、味の素は、
国籍関係なく、
誰もが管理職に就ける仕組みを。

ローソンは、
海外の現地拠点で成績を上げた人は、
国籍関係なく、
日本のトップに立つ事ができる、と。


この動きは、
日本に来ている他の国からの留学生にとっては、
非常に良いことだと思います。

******

インタビューの中で、ある人物が言っていました。
「日本の中で、日本人と話をして、
日本で生きて行く事は、ある意味ラクなんです。
日本人よ、安住を抜け出せ」と。

ユニクロの柳井社長も、
「”日本の体たらく”とよく言われますが、
それは、日本国内だけを基準として考えて来たから、
”日本の体たらく”たるものが生まれたのであって、
まずは、そういう考えや習慣自体を壊していかなきゃいけない。」と。

*****


よく思います。

日本が島国ではなかったら、
どうだったのだろう、と。


日本という国は、世界から見ると、非常に特殊な国です。

国民のほぼ全てが日本人。
(最近は外国人の割合も徐々に増えてはいますが。)

日本語で全てが通じ、
”日本の常識”が日本国内を占める。

他の国と陸地で繋がっていないから、
他の国の人々や、文化、言語、考え方の違いと、
日々の生活で、触れる機会も殆どない。

そんな中で、日本国内にずっといると、
これが当たり前、となり、
このある意味『閉じられた世界』が、
心地よくなって行くのです。


しかし、ここで「心地よい」と感じる理由は、
同時に、(誤解を招く訳ではないですが、)
自分が、日本国内では、
優位に立つ存在に、『たまたま』あるからかもしれません。

その条件は、
・日本人
・男性
・大学卒
であるということ。

上の条件が欠けている場合、
恐らく自分は、日本国内での居心地の悪さを、
今より感じる事でしょう。
(あくまでも、ビジネスの世界で、出世をして行く、という場合に置いてですが。)



しかし、それが例えば自分が留学した国であるアメリカの場合。

やはり、男女の差別は存在しますが、
日本ほど顕著ではない。
性別関係なく、
上にどんどん登って行ける土台がしっかりと用意されています。

人種問題に対する取り組みも、日本のそれとは天と地の差があります。
日本国内では、「外国人」というだけで、
そもそも採用されず、
「日本人」であることが、当たり前という感覚がありますが、
もしもアメリカで、人種の問題なんかで採用を見合わせたりしたら、
その企業は訴えられます。

学歴に関しても、実力さえあればOK、
という土壌がより多くアメリカにはあると思います。



つまり、日本は、
社会的弱者に対しては、
非常に住みづらい国であると言えると思います。



*****

それが、今後は、「グローバル化」すると言う。
ある意味、それは、
「今まで閉じられて来たガラパゴス化した日本国内の仕組みを、
やっと、世界の基準に合わせる」
という事だと思います。



しかしながら、恐らく今日のニュースを見て、
その「変化」に対して、
居心地の悪さを感じる人の方が多いと思います。


キャスター本人も言っていました。

「先日発表された、東大の9月への入学時期変更のニュース然り、
日本国内は、海外への遅れを取らない様に、
必死に変化をしようとしています。

ええ、”大変”だとは思いますが、
ある意味、これを飛躍のチャンスにして欲しいですね。」


ここで”大変”という言葉を使う時点で、
今までの日本の常識である、

 「レベルの高い、名前の有名な大学を出る」
→「”新卒”で有名企業に入る」
→「出世の道を歩む」

というカタチが、”普通”であり、
それが、ある意味”ラク”である、と言っているわけです。

そして、”新卒”や、”国籍”や、”言語”の差が無い状態で、
日本以外の国から留学をしてくる優秀な人材と競争することを、
”大変”だと感じているのだと思います。


*****


上に挙げたカタチが、
有利に働くのは、
日本に住む、日本生まれの日本人である必要がある。

そこに、日本という島国を、
更にメンタルの部分でも島国化する、
”常識”が潜んでいる。


(簡単に言うと、
日本の中で闘うには、
”日本人である事”が大前提なので、
外国人が入って来る余地が今まで無かった。
だから、日本人も、日本国内で働いている限り、
外国人を相手に競争する必要が無かった。
しかし、今後はグローバル化が進み、
日本国内で働く外国人も増えてくる事から、
日本国内に居ながらも、外国人と競争をしたり、
日本語以外を職場で使わなければいけない機会が増えて来る。
それは、日本人にとって、大きな環境の変化であり、
その『変化』に適応することが、大変である、ということ。

その流れは、日本が今後生き残って行く為には、
必然的であるにも関わらず、
日本は余りにも、
日本人が、日本国内で暮らし易い環境を作り上げて来たので、
その”心地よい家”の中に、
他の人たちがごそごそと入って来る事に、
拒否反応を示している、ということ。)


*****


長くなりましたが、
「日本国民のメンタリティを、島国からグローバルへ変える」
必要があるわけですが、

逆に言うと、
日本国民のメンタリティが、島国化している理由は、
ただ単純に、
日本が、周りを海に囲まれた”島国である”という物理的な理由が、
一番強いのだと思います。



だって、根本的に、
日本人は世界と比べても、
真面目で、勤勉で、
誇り高く、
独自の文化を築き上げて来たから。

そうじゃないと、戦後の焼け野原から、
一気に、世界第二位の位置まで、
上り詰められたはずがありません。



*****


今は、『グローバル化していない日本』を責める余り、
『日本人そのもの』、『日本人のありかた』を短絡的に責める傾向もあるかと思いますが、
元々、『日本人』というものは、
優秀な人材であると思います。



もしも日本が、他の大陸のど真ん中に位置していたら、
どうなっていたのか。

周りを、他の国と隣接していて、
他の国から、違う言語、文化を持った人々が、
頻繁に入って来る環境にあったら、
どうなっていたのか。


それを考えると、面白い。



日本人は、必ず今後も飛躍して行きます。

そして、その一人として、
俺は、頑張ります。

2012/2/3 21:51



補足:
今日、この内容について彼女と語った。

彼女曰く、「アメリカの格差社会に関して、モノ申す」と。

俺はここで、
「アメリカは、人種や、学歴関係なく、
自分の努力次第で、上に上がって行ける」
と書いたけれど、
実際には、アメリカはそんなシンプルでも無い、と。

恐らく、日本に「上、中、下」の格差があるとした場合、
アメリカには、その更に三倍以上の格差がある、と。

で、その格差の下の方で闘う場合には、
確かに、人種や学歴はある程度までは関係ないかもしれないけれど、
アメリカでも、本当に上の方のレベルで闘う場合には、
人種、学歴、親の仕事、
全てがモノを言って来る、と。




また、アメリカでは、
人種や性別によって、
何か差別が起きた場合、
それに対して、声を上げて反対をする人が沢山いるから、
それだけ、「アメリカは問題が改善されているんだ」と、
一見、外見的にはそう感じ易いけれど、
実際のところは、
そうやって昔から叫ばれているけれども、
一向に改善されないで残り続けている問題も多々あるし、
また、
そのように、多くの人が声をわざわざ上げなければいけないほど、
アメリカには、多数の問題が存在している、と。




逆に、日本では、
ある程度のレベルの中で人々が生きて行ける様に、
社会的にも保証されている。
だから、ホームレスの数も、そこまで多く無いし、
(アメリカはやたらとホームレスが多い。しかも皆、物乞いをしてくる)
貧困で餓死する人なんかも、いない、と。


だからこそ、日本の場合には、
アメリカほど、声を上げなければいけないくらいに、
問題自体が元々多くはない、と。

*****

確かにな、と思いました。

まあ、今回の俺のこの日記の論点は、

「日本が島国であるが故に、
この国が日本人にとってだけの居心地の良い『家』になっていて、
そこに、最近は外から寒い風が入ってくる様になってきた。
本当にこれからの時代で生き残って行くには、
寒い外に出て行き、そこに適応できるようになることであり、
同時に、日本という家の窓も、一度大きく開け放し、
外の寒い空気を一気に家の中にいれて、
換気をしなければいけないけれど、
その気温の変化に、人々が抵抗を感じている」
ということだったので、
そこは彼女も分かった上で、
しかし敢えて言うと、アメリカはね・・・
という感じで教えてくれました。

確かに、そうだよね。
実際、アメリカに住んでいて、
「白人優越主義」的なものも、
沢山感じることはあったしね。
それは、白人は感じることが無いものなんですが。
「見えないバイアス(差別)」ってヤツです。

*****

俺は、日本にいる以上は、
日本人で、男で、大学卒なので、
社会的に、差別をされる様なことは滅多に無い。

しかし、俺がもしも上の条件を満たしていない場合には、
今の俺が感じていない「差別」を、
感じることがあると思う。

それが、「見えない差別」であり、
その差別を受けた事の無い者は、
その差別が存在していることすら、
気づかない、というものである。

*****

こういうことを、僕はコミュニケーション・スタディーズ専攻にて、
勉強してきました。

よく、ビジネス専攻の学生とかには、
"What's your major?"
"Communication studies."
"Oh, really? What are you gonna do with that?"
(『お前の専攻なに?』
 『コミュニケーションだけど』
 『マジで?それ勉強して何になんの??』)
とバカにされましたけれど、
(コミュニケーションスタディーズ専攻というのは、
言わば、目に見えない、『教養』的な勉強であり、
ビジネスや、会計など、
物理的に実践的な専攻ではないので、
ビジネス専攻の輩からは、良くバカにされる対象にされる)

俺はある意味、
そういう、目に見えないものを勉強することで、
自分の内面的な人格、深みをつけていたんだな、
と勝手に感じました。

2012/2/5 23:41



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January 27, 2012




思うに、

人生というのは、
「より良くなるために努力すること」
を決して辞めなければ、
確実に、どんどん良くなって行く。



次のステップへ進もうとすることは、
「今」を離れることであり、
それは、それまで持っていたものを去ることに値する。

それは、
自分から、それまで持っていたものを「奪い」、
また、自分をそれまでは経験したことの無い状態へ
陥れる。


そこで、今までで一番辛い思い、
不安な思い、
そういったものを、感じることになる。



しかし、そこだけ見て、
あきらめてはいけない。



今、辛いのは、
今まで以上に良くなるために、
思いっきり、膝をかがめているところ。

芋虫が蝶になる前に、
一度、固くなって、死んだ様になるとの同じ。


目の前の花壇に、花が咲いていないからといって、
そこは何もないただの荒れ地と見なしてはいけない。



今の辛い時期を乗り越えた後、
今まで以上により良い状態が待っている。


*****


日本にいると、まるで人生は凄く複雑で、
将来は暗くて、
希望が無い様に見えてしまうことがあるが、
実際は、人生とはシンプルなものである。


生まれて、死ぬまでに、
自分自身を、より良い状態に高めて行くための、
地上での時間。


そして、そのゴールに近づくためには、
日々、自分を以前よりも高める努力を、
止めない。それだけ。



それは、転職でも良い。

今の仕事に、より没頭して、
今の仕事を極めることでも良い。

本を読んで、自分の知識を増やし、
自分の視野を広げることでも良い。

自分の周りを取り囲む人に、
より感謝の気持ちを伝え、
より良い人間関係を築こうとすることでも良い。

運動をして、身体を鍛え、
健康になることでも良い。

趣味を増やして、
自分の余暇の時間を、充実させることでも良い。



方法は、何でも良い。

大事なのは、
自分が、前の自分よりも、
より、「成長している」と感じられること。


人は、そういう状態にあるとき、
「気分が良い」。


気分が良くなるために、
それをすれば良い。


*****



人生は、年齢を重ねれば重ねるほど、
「若い頃の方がよかった」と思うこともあるが、
実際は、そうでは無いはず。

自分の気持ちは、
80歳になろうと、
20歳の若さを保っていられるはず。
自分次第で。


そうすれば、
20歳のときの自分よりも、
60年分、より沢山の経験をして、
人間的に成長した自分でいられるはず。



かっこいい人は、
何歳になっても、カッコいい。

綺麗な女性は、
年齢を重ねれば重ねるほど、
内に秘めた経験と教養より織り成される、
本当の「美しさ」が増す。



*****


人生を楽しむコツは、ただ一つ。


「前よりも、より良い自分になるために、
努力を辞めないこと」。



2012/1/27 23:40





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January 25, 2012



人と話す時は、
それが面接の場であろうが、
ビジネスの場であろうが、
「本音」で話さなきゃ、
伝わらない。

人とコミュニケーションを取る以上、
そこには、
「本音」と「建前」が存在するが、
そのバランスをうまく見ながら、
短時間で、
ガッと、
相手のこころに届く、言葉。

それを、伝えられなきゃいけない。


逆に言うと、
それをするには、
リスクを覚悟の上で、
「本音」で相手と話さないと、
通じないってこと。



自分が信じてもいない言葉を、
相手が信じるわけがない。

逆に、
自分がリスクを犯して発した本音の言葉が、
相手にきちんと伝わることで、
今まで以上に、
相手との関係がぐっと深くなることがある。



そんな瞬間に立ち会えたときというのは、
心が感動するもの。



、、、、、、、、



また、「今」がキツいからと言って、
そこだけで自分をジャッジして、
悲観的になってはいけない。

勝利の女神は必ずいて、
自分が、諦めずに、
前へ進む努力をしている限り、
必ず、
それまでの思いは、
全て報われる瞬間がくる、

かならず。


その時は、
それまでに耐えていた思いが、
辛ければ辛かった分、
その瞬間に、
泣き崩れるだろう。



、、、、、、、、



そんな瞬間が来ると、
確信できる瞬間というのは、
そういう過程にいて、
行動をし続けた場合のみ。



、、、、、、、、


己の運命を信じろ。
己の可能性を信じろ。


今が辛くても、
必ずその分、
報われるときが来る。


2012/1/24. 18:30


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January 11, 2012


大抵、「物ごとが上手く行っていない」と思う時や、
そう感じる時には、
自分が焦っていて、
この気持ちを忘れていることが多い。

それは、「感謝」という気持ち。



「感謝」するには、
まずは、自分が今の時点で、
何を与えられているかを、
客観的に認識しないと行けない。

「感謝」できてないということは、
自分のいる状況、環境を、
「当たり前」と思い、
それに対する喜びを忘れ、
それ以上を、手当り次第に望んでいる場合が多い。


*****


昨日、彼女と話している際に、
彼女が言っていた。

俺が、彼女に、
「いつもありがとう」など、
感謝の言葉を伝えると、
俺の周りで、物ごとがうまく回り出す、と。

確かに、そうかもな、と思った。

それは結局、
俺が、自分の一番近い彼女に「感謝」をする、
ということは、
俺が、自分の置かれている環境を、
客観的に見て、
一度、「自我」を忘れて、
何か、「自分以外の他のもの」を、
自分より、思いやる、という気持ちを高く持っている、
という証拠なわけで。


そして、その状態でいるとき、
恐らく、そこで初めて、
「俺」という、自分に対するものに、
周りのいいものが、引き寄せられてくるのだと思う。

*****


今は転職活動中だが、
思う様に行かないこともある。

“Rejection is God’s protection”
とは言うが、
その言葉を、普段は他の人に言っていても、
いざ自分がその立場に立つと、
素直に、それをそう捉えられないときもある。



しかし、そんな時にも、
結局は、目の前の状況しか見えていないわけで、
結局は、
目の前の、自分の「利益」しか考えていないわけだから、
(例えば、早く、この無職の状況が終わって欲しい、という欲とか、
早く、仕事が決まったという、安心感が欲しい、という目先の欲。)

そして、その「目先の欲」に左右されてしまうと、
結局、一番肝心である、
今回の転職活動を通して、自分が成し遂げようとした、
一番の目的が成されなくなってしまう。

*****

人は時に、
自分の今いる環境に慣れ、
それが「当たり前」になり、
その状況に感謝をすることを忘れ、
自分を、悲観的に見てしまいがちだが、

そうなるのも、
そうならない様にするのも、
全て自分次第。



不安なことがあれば、
まずはその不安の元を、全て洗い出し、
それを最大まで、解決できる方法を考え、
それを最大まで実行する。

自分が、常に、
全力で、ベストを尽くしている、
という実感さえあれば、
後で後悔をすることも無いし、
後は、「やるべきことはやった。後は結果を待つのみ」
という心境になるはず。




そして次に、
自分の心が弱くなりそうになったら、
身体を鍛えたり、
本を読んだりして、
自分の中身を、自ら変えて行く方法を取る。


基本的に、
ジョギングをしたり、水泳をしたりと、
身体を鍛えれば、
気持ちは、晴れるものだし、
自分の視野が狭くなっているときには、
それを広げるような本を読めば、
自分で変えることはできる。

******


今は、精神的に前向きになっているから、
このように書けるが、
そうじゃない時には、
どうしても、こうやって考えられないときもある。


しかし、そんな時には、
「必ず明日は来る」と信じて、
疑わないこと。

そして、
「今の自分の辛い思いや、悩んだ分は、
必ず、全てが、自分の成長の糧になっている」と、
心から信じること。


*****


世界中の全ての人が、
自分のことを応援してくれようが、
自分自身が、
自分のことを、信じられていなかったら、
その人は、結局は何もうまくいかない。



逆に、その人が、
自分のことを心から信じて行けば、
物ごとは上手く回り出す。


しかし、そんなときにも、
その人のことを信じる人が、
その人だけで、
周りの誰も、他には信じてくれていなかったら、
その人の持つパワーは、
一人分で終わってしまうが、

その人の周りの人も応援してくれて、
その人自身も、
その人のことを信じていれば、
その人の持つパワーは、
何十倍にも、
何百倍にもなる。




だから、
まず、自分が自信をなくしていたり、
どうにも気分がふさぎ込んでしょうがない時には、
一度、「自分」を忘れて、
周りの人や、もの、環境、
それらに、とにかく、「感謝」をすること。



そして、悩みや不安を抱えた、
自分自身を、一度、捨て去ってしまうこと。

Kiss your ass goodbye.


その上で、
自分を、機械を見るかの様に、
客観的に見て、
まずは、やるべきこと、
できるけれど、やっていないことにフォーカスして、
それらを、とにかく、
コツコツとやること。


そうして、
「もう、これだけやってんだから、
後は、結果を待つしかない」
という状態まで持って行けたら、

後は、神様が自然と、
自分に、何かを持って来てくれるから。




******


【(自分の生活)ー(自我)+(周りへの感謝)+(自分が出来る限りの努力をする)】
=ベストの結果



そんな方程式が、書ける気がする。


*****

いつもいつも、
応援して励ましてくれる彼女へ。
本当にいつもありがとう。


2012/1/11 21:11





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