Special People-特別な人たち

January 22, 2007 04:00

2007年1月7日、8日

7日の朝に家を出て、家族で、岩手へと向かった。
岩手には、俺のただ一人のおばあちゃんがいる。
そのおばあちゃん以外には、おじいちゃんも、もう一人のおばあちゃんもいない。
俺にとっては、大事なおばあちゃんだ。

今回日本に帰ってきた理由として、
日本の会社との面接っていうのもあったが、
それ以上に、おばあちゃんに会いに来たというのが大きかった。
俺がアメリカに行くまでは、おばあちゃんは夏の度に、わざわざ遠いところを、
新幹線を乗って、岩手から成田まで来てくれていたが、
1年前に体を壊し、去年、入院することになってしまった。
去年の夏は、岩手の病院にお見舞いに行った時には、そんなに元気ではなかったが、
今回は、無事退院もし、おばあちゃんは、徐々に元気になっていっているみたいだ。

今回も、おばあちゃんを訪ねに行くのが、楽しみだった。
行って、この前の夏もやってあげた、手と足のマッサージをしてあげる。
アロマのセラピーオイルを使って。
前回は、病院の病室の中ということもあり、最初は遠慮していたが、
いざやってみると、気持ちよかったらしく、
「おばあちゃん幸せだ〜」と言ってくれた。
今回も、それをするために、岩手に向かう。


岩手は、今年は雪も降らず、暖かった。
毎年、確実に、暖かくなっている。
地球の気候は、確実におかしくなってきている。

岩手に着き、おばあちゃんの家へ向かった。
おじちゃん、おばちゃん、そしておばあちゃんが迎えてくれた。
おじちゃんとおばちゃんは、地元の小学校の、校長先生をやっている。
二人とも教育関係の道で進んできて、
担任を受け持つ先生から、教頭になり、
数年前、二人とも校長になった。
自分のおじさんおばさんとは言え、
やはり、なんか緊張するな 笑
でも、話し始めると、やっぱり俺のおじさんとおばさんだった。^−^
色々な話を、お茶を飲みながら、していく。

今回、12月の26日から、30日の朝まで、
俺は、ある会社に拘束されていた。
ま、「拘束」というのも変だが、
その会社からの圧しが強く、4日間の飲み会と忘年会に付き合わされた。
その話は、また別の機会に。
かなり強烈的だったので、聴きたい人は、個人的に聞いて下さいな。

そんなこともあって、年末の俺は、自分の進路を一体どうしたらいいのか、
迷いや、他の人の意見や、
いろいろなものが混じって、
頭は整理されていなかった。

しかし、この日、おじちゃんとおばちゃん、そして俺の父親も混じり、
4人で、徹底的に話し合った。
今の自分の進路の状況。
この会社の、スタイル。やっていること。
今のところ内定をもらっている会社。
アメリカでの道。

色々なことを話あった結果、
一つの結論が出た。
俺は、その“道”に行くことにした。
アメリカに残る。
今までの4年半のアメリカ生活で得たものを使い、
自分の力を試す。
アメリカの企業を相手に自分のことを売っていくのは、
日本の企業に自分を売り込むよりも困難だが、
自分の力を更に上げるためにも、試し甲斐がある。

4年半前、日本を発つときの、先が見えない不安。
同時に、先が見えないからこそ、自分の未来を期待する、ワクワク感。
そんなものが、また生まれてきた。
1月末、日本に戻ってからは、またアメリカ企業を相手に、動き出す。

******

話はずれたが、そんな風に、自分の納得いくまで、
自分のことについて、3人が真剣に話し合ってくれたこと。
時間を取ってくれたこと。
凄く有難かった。

その後は、夜になり、夕食。
岩手・北上の名物。
魚介類を、ふんだんに食べる。
普段アメリカじゃ、刺身なんて中々食べられないから、
嬉しかったな。^−^

刺身








そして、ひと段落してから、おばあちゃんのマッサージを始めた。
始める前に、おばあちゃんが自ら言ってくれた。
「俊輔、マッサージやってけろ」
嬉しかったな、そう言ってくれて。

おばあちゃんの部屋に入り、そこでゆっくりと、
手を片方ずつ、アロマのオイルをたらし、
指の先から、ゆっくりと、確実に、揉んでいく。
手が終わったら、今度は足。
足も同じように。
血行が良くなるように、しっかりと、揉みほぐす。

最初は、血行が悪く、そして肌もガサガサしていたおばあちゃんの手と足だったが、
40分ほどマッサージをした後は、肌の色も、
綺麗なピンクになり、
血行がよくなって、温かくなっていた。

見ると、おばあちゃんは寝ていた。
相当気持ちよかったようだ。
起こすと、「気持ちよくて寝ちゃったよ」と。
そうか。
よかった。


その後は、いとこのアキラ君が帰ってくるまで、皆で待っていた。

彼は今、岩手の北上にある、
BOULE DE NEIGE(ブール ドゥ ネージュ)というフランス菓子店で、
修行を含め、働いている。

「BOULE DE NEIGE」
ナプキン











彼は、地元の大学に進み、卒業したものの、
フランス菓子職人になりたいとの夢を通し、
東京に修行に出て、
そこで下積みをして、
今は、彼の地元にできた、この店で働いているというわけだ。
この店、この前、「料理王国」という雑誌でも、大々的に報道されたらしく、
その以前も人気だったのに、
今は青森や秋田など、他の県からもわざわざ人が買いに来るほどになってしまったらしい。

料理王国





「料理王国」







雑誌全部雑誌全体












雑誌上雑誌下









「フード・パッケージ・デザイン特集」
(いかにその商品をうまく表現しているか、という特集で、
 サントリーの”伊右衛門”と共に選ばれた)

雑誌11雑誌12













雑誌13雑誌14












2年前の冬、岩手を役10年ぶりに訪ねたとき、
まだアキラ君は下積み時代で、
毎朝家を出るのは6時前。
そして帰ってくるのは夜中の1時ごろという生活を送っていた。
休みは、年始に2日取れたらいい方。
あとは、一切なし。
睡眠時間もなく、
自分の時間も一切取れず、
しかし、自分の夢のために、ただひたすら、その道を走っていた。

その彼も、今では大分経験を積み、
今では、夜の10時ごろには帰ってこれるようになった。
朝も、7時ごろまでに行けばいいらしい。
この日も、10時前に帰ってきてくれた。
いつものように、お土産のケーキを、10個ほど持って。^−^

俺がおばあちゃんのマッサージを終えたとき、
すでにみんなでアミダくじでどのケーキを食べるか決めていたらしく、
俺のは、2種類からのチョイスしかなかったが、泣
でもおいしかったぜ!!

ケーキ1ケーキ2







彼ともみんなで話し、
色々な話に話題は飛んだ。
これからのそれぞれの人生の生き方。
結論は、やはり、「自分のやりたいことをやった方がいい」という結論に達した。
そしてそのためには、絶対に途中であきらめないこと。
やり遂げること。
結果を出すこと。
おじちゃんもおばちゃんも、教育関係でずっと進んできたから、
筋が通っている。
そんな有意義な話ができて、
いい時間だったぜ。


その日は、夜の12時前に、彼らの家を後にし、ホテルへと戻った。

******

次の日、朝起きて、また彼らの家へ向かう。
用意してもらった朝食を頂いた後、
みんなで、アキラ君の働く、ブール・ドゥ・ネージュへ。
その詳細は、次の内容で。

******

店から帰り、新幹線の時間までの最後、
おばあちゃんにもう一回、マッサージをしてあげた。
また、気持ちいいと言ってくれた。
おばあちゃんが言ってくれた。

「またこうして、年に一回、
 みんなで会えるといいな。
 おばあちゃんも楽しみにしてるからよ」

その言葉が聞けて、本当に嬉しかった。
必ず、また会いにくるよ。
それまで、元気でいてね。


また、必ず会いに来ることを誓って、
北上の家を去った。




写真・みんなと
みんなと




December 10, 2006 20:33

2006年11月24日金曜日

road 1road 2






昼の12時。
ノアの家を後にし、ロイの家へと向かっていた。
ここ、Redding(レディング)から、
ロイの両親の住むMcArthur(マッカーサー)へは、車で2時間ほど。
I-299を使い、山道をただひたすら行く。

road 3view from car






俺は、ここを走っているとき、そして、
ロイの家から、ウィードへ向かうとき。
つまり、“ロイの家へ”と走っているときが、一番好きだ。
なぜか? ロイの家は、俺にとって、“隠れ家”のようなものだから。

roy family

Roy Family






********

ロイとは、アメリカに来て一年目に通った学校、
College of the Siskiyous(COS)にて会った。
クラスが始まる前に、学校寮が開いたBBQパーティーがあり、
そこで出会ったのが、きっかけだ。
続きを読む

December 04, 2006 20:45

2006年11月25日@2:30pm〜

Weedから車を走らせていた。
Weedから更に北に30分ほど走ると、Yreka(ワイリカ)という町に出る。
この町のExitで高速を降りて、右に折れ、
更に走ると、山が見え出す。
この山を越えると、出てくるのが、
Scott Valley(スコット・ヴァリー)。
Fort Jones(フォート・ジョーンズ)がある、小さな町だ。

me






ここに住むのは、Leann, Megan, Zak.
彼らとは、4年前、俺がCOSにいた頃に出会った。
ある日、学校の留学生を集めたグループで、町のアイススケートに行ったとき、
彼らも参加していたのだ。
その時、メーガンは13歳。ザックは、9歳だった。

Zak and Megan in April 2005(1年半前)
Zack Spring 2004
メーガン











二人とも本当に小さくて、まるで人形のようだった。
ザックは、その頃は全然喋らす、とてもシャイな子だった。
彼らの住んでいる場所の関係上、周りに遊ぶ子もそんなにおらず、
上のお兄ちゃん二人は、もう二十歳を超えていたので、
町からは出ていた。
彼にはお父さんもいない。
自分の尊敬する兄貴、父親も近くにいない環境で、
明らかにこの子は、“男友達”に飢えていた。
俺と初めて知り合ったとき、最初は少し人見知りをして避けていたものの、
すぐに打ち解けて、その日、仲良くなった。

Leann Family 2003

2003年6月当時の写真(3年半前)



続きを読む

September 10, 2006 22:37

「その場所の良さは、そこを出てみるまでは、本当に分からない。」

これは真実だと思うが、その“良さ”を、そこに住んでいる間でも、もっと分かり、そして感謝できる様になる方法があることに気付いた。
それは、自分の今住んでいる地域以外の人と時間を過ごして、その人の視点で、ものごとを見てみること。

今、サンノゼから友達(David)が訪ねに来ている。
彼は前の学校からの友人だ。ここロングビーチには、来たことが今までなかった。
南カリフォルニアも初めてなので、今日は一日、彼と行動を供にした。
彼はベジタリアンなので、肉、魚などは一切食べない。その代わり野菜や果物、そしてナッツ、豆類を沢山取る様にしている。また、基本的に自然のままの素材で作られたものを口にし、自分が何を食べるかには、非常に気を使っている。
とても健康的なやつだ。

その彼が、ファーマーズマーケットに行きたいと言った。日本でいう、朝市みたいなものだ。アメリカではどこでも大抵、週末ならやっている。
調べてみると、ロングビーチ近辺にはそのファーマーズマーケットが沢山あることに気付いた。そこで、一番近い、ロングビーチのダウンタウンでやっているやつに行ってみた。

ここの地域に移って一年。気付いたら、今までファーマーズマーケットは元より、ロングビーチのダウンタウンさえ回ったことが無かった事に気付いた。唯一そこを通ったと言えば、車でさっと通ったくらい。降りて、実際に歩いたことは無かった。
ダウンタウンに着き、車を停めて町を歩く。そこに広がる朝市の光景。
それぞれの店の人たちが、自分の畑から取れてきた果物や野菜、花を、自慢げに売っている。そこを行き交う人たち。みんな、ゆっくりと歩き、果物を試食し、よく見極め、店の人と話し、笑顔で買っていく。笑い声が飛び交う。
そこを一周して歩き終わる頃には、自分が、心からリラックスして、まるで自然の中にいるかのように感じていることに気付いた。そう、ここは車が行き交うロングビーチの町の中なのに。
友達が言った。「どんなに人が多くて忙しい街に行こうが、ファーマーズマーケットにいる人たちってのは、みんな良い人たちが多いんだ。」
確かにそう思った。ここは、人がみんな、「人間らしい」。そう思った。
みんなが、幸せな気分でいる。ゆったりした空気。焦らせられるものは何もない。

そこで果物を買った後、ダウンタウンの周りも、少し歩いてみた。
街というのは、歩いてみて、初めて見えてくる景色というものがある。
車で通り過ぎているだけでは、そこを何百回通り過ぎていようが、見えていないものがあるのだ。
初めて歩く街。色々なものが見えてくる。
こんな店がこんなところにあったのか。お、いい感じのカフェじゃん。
色々なものが、目に飛び込んでくる。
そして、その地域の人たちの生活も見えてくる。
少し歩くと、劇場があることに気付いた。その横には、水族館もある。友達が言う。「都会は人も多い分、嫌なことも多いだろうけど、その代わり、それだけ色んなチャンスがあるってことでもあるよね。都会は、幸せな生活、忙しい生活、ゆったりした生活、イライラした生活、どんな生活スタイルでも自分の考え次第で選べるところだよね。それだけチャンスがあるわけだ。」
その通りだと思った。同時に、最近の俺は、今住んでいる場所の、悪いところ、マイナスのところしか見ていなかったことに気付いた。
車が多すぎ。人が多すぎ。排気ガスで空気は汚い。夜、星は見えない。焦らせられる要素ばかり。
どうやら、この地域の“悪口”ばかり言って、それに自ら不満を持ち、自ら不幸に生きる奴となっていたようだ。
それを、友人の言葉で気付かされた。「おお、実際この地域は、いいところが沢山あるじゃないか」と。
そうやって彼のように、その場所を感謝しながら過ごしだすと、全てが良い方向に見えてくる。同じことが起こっても、その人の考え方、捉え方次第で、それに対する感情や感想といったものは、全て変わってくるのだ。

ダウンタウンを出た後は、海にサーフィンに行く。
彼が住んでいるサンノゼには、海はない。しかしここは、海まで車で20分。着替えて、砂浜に立ち、ストレッチする。海から吹く風を体いっぱいに浴びながら。
彼が言う。「最高だな、この気分」と。その通り。俺もこの瞬間は大好きだ。
海に入る。また、自然に帰る。
日常のことを一切忘れ、自らを自然のパワーの中に突っ込む瞬間。
襲ってくる波を相手にしている内に、頭の中のモヤモヤやイライラは、全て吹っ飛んでいく。
自然のその偉大なパワーを相手にして、その大きさを相手にしていると、
今まで自分が考えていた心配事や悩みが、いかに小さいものかに嫌でも気付かされ、それが何でも無かったように思えてくるのだ。そうやってウジウジ考えていた自分が、もの凄く小さかったことを思い知らされる。
そして、そうなった後、もう一度その“悩み事”を考えてみると、いたってシンプルなことに気付く。その時には答えはもう見えているのだ。後は、自分が出した答えにそって行動するのみ。

流れが以上に強かった今日は、かなりの距離を流されたが、友達も自分も、めちゃくちゃ楽しんだ。太陽が落ちて、暗くなった中、灯されて綺麗に光るオレンジの電柱の光。その中でうねる、黒い波。その光景は、いつ見ても、綺麗すぎて、ただそこにぼーっと佇まされる。

(途中、俺たちはピアの桟橋の下まで流され、危うく、桟橋に波の勢いで叩きつけられそうになった。「これはマジで死ぬ!」と思い、必死の形相で波を避けていると、やはり、少し離れたところで、同じように、必死の面持ちで波と格闘しているDavidを発見。
その時は笑う暇もなかったけれど、後でビーチに上がってから、二人でお互いの必死の形相を思い返して、原を抱えて笑った。)

海から上がったときには、俺の頭の中はすっきりして、今目の前にある全てのものを感謝するような、幸せな気持ちになっていた。上にも書いたが、その“現実”をどう捉えるかは、その人しだい。同じ状況を、幸せと取るか、不幸と取るか。自分に起こった出来事を、“いいこと”と取るか、“悪いこと”と取るか。
全ては、自分しだいだ。なら、なるべくいい方向に取った方がいいに決まってる。
いかに屁理屈と言われようが、バカにされようが、その状況をプラスと取れば、何か学べるものは必ずあるのだ。逆に、その状況を楽しんでしまう事だってできる。いかに最悪な状況でも。

海から上がって、ハンティントンビーチのダウンタウンを歩く。行き交う人々。かわいい女の子たち。友達が悔しそうに言う。「サンノゼにはこんなにかわいい子達は多くねーよ!」と。確かにその通りだった。それも忘れてたな。
街の角で演奏する、ストリートパフォーマーたち。そのヴァイオリンとエレキギターと、ドラムが作り出す音色に、沢山の人が聞き惚れている。確かに彼らはうまかった。チップを渡しながら、CDは出していないのかと聞くと、「前々から話はしてるんだけど、俺たちはただここで演奏するのが好きなんだよね」と。
彼らは、一時間ほどたった後、俺らが食事を済ませて帰ってきたときにも、まだ弾いていた。自分の心から好きなことをやってるから、お客さんがいようがいまいが、お金が入ろうが入らなかろうが、関係ないんだな。そう感じた。彼らの顔は、本当に楽しそうで、幸せそうだった。彼らの作る音もまた、彼らの心境をそのまま出していて、道行く人みんなが、笑顔になっていた。途中でドラムを持ったホームレスの人も、演奏に加わってくる。みんなが寄ってくる。彼らは演奏しながら、みんなを受け入れる。すごくいい光景だった。

街を歩き、友達と話す。彼が言う。「ロングビーチ、これはあるし、あれもあるし、人は親切だし、女の子はかわいいし、なんていいとこなんだ!」と。
その通り。今日は俺もそう感じた。今まで一年近くも住んでいたのに、俺は一回も、ダウンタウンや町の中を、歩いて回ったことがなかった。いつも、学校とか、同じ友達とか、“同じ生活パターン”しか送っていなかったのだ。同じところへ毎日行き、同じ光景を見る。自分の生活行動範囲内を、“ロングビーチの生活”と思い込んでいた。
実際そんなことは全然なかった。俺が開拓していない場所、行っていなかった場所、知らなかった光景、たーくさんあることに気付いた。
そして、もっとローカル(地元)の人と付き合うこと。ロングビーチならではの空気を感じること。その大事さに気付いた。日本人の友達だけと付き合い、日本語だけ話し、日本食屋に通う日々を繰り返していては、何をしにアメリカに来ているのか全く分からない。
ただ、毎日車で移動していたところを、少し歩いてみるだけで、どんなに違うものが見えてくるか。多くのことに気付かされた。

今日は俺は、ここでの生活を、「この街以外の人」の視点で見た。
全てが新鮮に見えた。彼はあと1日でここを去るから、今の内に、できるだけ、ここのいい所を見ておきたいのだ。そうやって見出すと。どんどん行ってみたい所が出てくる。“ここ”にしかないものが見えてくる。それを、どんどん体験していく。そして、感謝する。なぜなら、それは“ここ”にしかないからだ。

俺が旅が好きなことに気付いた。それは、その場所をその数日なり、“決まった時間”しかいないと知ってるから、そこをなるべく楽しもうとして過ごせるからだ。どんなものも、新しい。そして、どんなものも、新鮮に移る。そうやって見るものごとは、心に凄く残る。“その時だけ”と知っているから。
自分のアメリカ生活は、あと9ヶ月を切った。それが終われば、社会に出る。日本で働こうが、アメリカで働こうが、今の生活スタイルは、もう二度と帰ってこない。いわば、あと9ヶ月の寿命、みたいなもの。
だからこそ、今の内にやっておかなきゃならないこと、また、今しかできないこと、沢山あるのだ。
旅に行くときは、その場所でいられる時間がはっきり分かってる。だから、一瞬一瞬がもったいない。全てを、楽しもう、使いきろうとするのだ。
例えハプニングが起きようが、それだって楽しい。思い出として残るからだ。逆に、その状況がやばければやばいほど、後で思い返したときに面白かったりする。
今の俺のアメリカ生活も同じだ。あと9ヶ月しかないって知ってる。もうこの時は帰ってこないのだ。だからこそ、一瞬一瞬を楽しいと感じたいし、全てを、使い切りたいと思うのだ。


ものごとをそうやって、“今の現実”や“常識”から離れて、改めて見てみたとき、全ては全く違って見えてくる。それが新鮮に見え、それが“あるがまま”、が見えてくる。
俺はこの感覚を大事にしたい。自分の人生だってそうだ。今、自分を取り巻く常識や、自分を取り巻く人の考え、この時代の常識、それらの、“そうあるべき”ってものから一回自分を切り離し、改めて見てみたとき、自分の人生は全く違って見えてくる。全く今までとは違った視点から、この自分がこの世に授かった“命”ってものを見れる。この一回しかない命を、どうやって使ったら、一番、楽しめるんだろう、一番使い切れるんだろう、と。
必ずや、俺らの“旅”―――“人生”は、いずれ終わりが来るのである。


旅をすることは、自分を振り出しに戻し、初心に帰らせてくれる。
そして同時に、今自分がやっていることの、“核心”に気付かせてくれるのだ。

彼も、今は同じことをしている。そして、このロングビーチを、“旅人”からの目で見させてくれた。その彼のおかげで、今日自分は、この街を今までとは全く違う視点から見ることができて、この街に今いられることを、すごく感謝できる様になった。今は、この街のいいところが、沢山見れる。

全ては自分の捉え方なんだな。そして、その捉え方をどう選ぶかは、個人しだい。
良く取ろうと、悪く取ろうと、全て、自分しだい。
俺は、“ここに住むこと”を良く取るように、やっとなれた様だ。


9.9.06


August 18, 2006 02:35


岩手へ、おばあちゃんのお見舞いに行ってきた。
今年の夏、6月半ばに日本へ帰ってきて、すぐにおばあちゃんのお見舞いへ行ったが、
「また来なきゃ」
そう思いつつも、実際にまたアメリカへ帰る前にもう一度行くのは難しいかななどと、勝手に頭の中で言い訳を作っていた。
そして、アジアへの旅へ行って来て、向こうに着いて三日目。
タイのど田舎、チェンマイの山奥でのトレッキングツアーの最中、山を登りながら、一人で悶々と考えていた。
「俺が今日、今日の終わりにもし死んだら、どうなるんだろう。
 誰に一番、今会いたいだろう」
まず最初に浮かんできた顔は、やはり家族だった。
親父の顔、母親の顔、姉貴の顔。
そして、次に浮かんだのが、おばあちゃんの顔。
お婆ちゃん、今入院してる。俺がアメリカへ帰ったら、今度帰ってくるのは、来年?それも、もしかしたら帰ってこないかも?
あれ?だとしたら、今のチャンスを逃したら、もう当分会えないじゃねーか?
そう気づいたら、「日本へ帰ったら、アメリカへ帰る前に、何としてでもおばあちゃんに真っ先に会いに行こう」
そう決心した。
「もう時間がないから会いにいくのはムリかも」そんな浅はかな考えをしていた自分は、何も見えていなかったこと。そして、本当に大事な人、本当に時間を割いて会いに行く人が誰なのか、全然分かっていなかったことに気づいた。

いざ、日本へ帰って来て、おばあちゃんに会いに、姉貴と岩手へ行ってきた。
お婆ちゃん、病室で迎えてくれた。
抗がん剤の影響で、本当に痩せちゃって、髪の毛も大分薄くなってしまったけど、姉貴と俺の顔を見て、ムリに元気なところを見せてくれた。
本当に気を遣う人だ。血の繋がる家族にも。
おばあちゃんになるべく喜んでもらえる様、また、俺の元気なパワーが少しでもおばあちゃんに移るよう、旅の話をざっとして、見てきたところを本を見せて解説した。
そして、今回は、アロマセラピー用の、ラベンダーの香りのオイルを使って、おばあちゃんの手と足を揉んであげた。
最初は遠慮してたけど、やってあげたら、凄く喜んでくれた。
「気持ち良いな〜。ほんと、気持ち良いな〜」って。
周りの病室の人も、「あらお婆ちゃん、幸せね〜」って。
「いい香りね〜」って。
おばあちゃんも元気になったし、周りの人にも、少しいい影響を与えられたようだ。
俺の手から、おばあちゃんの手を伝って、
俺の元気な若いパワーが、どんど移るように、念じてマッサージした。
「元気になりますように」って。

時間の関係で、1時間ちょっとしかいられなかったけど、お婆ちゃん大分喜んでくれたようだ。俺も、何か少しでもできたみたいで、凄く暖かい気分だった。
帰り際、「おばあちゃん、元気になってね」と、何回も両手で握手した。
「また会いにくるからね」と。

次に会いに来れるのはいつだろう。それまで、お婆ちゃん、元気でいてほしい。
いや、元気でいる。必ず。


皆さん。毎日、仕事や、学校や、私生活、家族のことなど、
色々なことで忙しいと思いますが、
ふと落ち着いて、静かなところで、
「今、あなたにとって、本当に大事な人は誰なのか。
 本当に、今会いに行くべき人は誰なのか。」
もう一度、ゆっくりと考えてみて下さい。
そして、今いるあなたの大事な人を、
大事にしてあげてください。

お願いします。

俊輔

8/17/06




June 20, 2006 23:58


岩手へ、おばあちゃんのお見舞いに行ってきた。
今年の頭まで元気だったが、前々から体の調子が悪いと訴えていて、
今年の4月、入院することになった。
入院して、約3ヶ月。
遅くなったが、今回やっと、お見舞いに行けた。

家族からは聞いていたが、
手術を終えたおばあちゃんの体は、大分細くなり、小さくなっていた。
最初病室に足を踏み入れた時は、横になっていたおばあちゃんの顔は、
大分元気がなさそうに見えたが、
自分と母親が顔を見せると、元気そうにしてくれた。
気を凄く使う人。
俺らに、気を使って、疲れて欲しくない。
おばあちゃんには、お見舞いに、桃と、花を買っていった。
そして、元気が出るようにと、体をマッサージしてあげた。
今回俺ができること。何なのか。
知り合いの先生に相談したところ、体をよくマッサージしてあげるといいと。
俺の元気なパワーをおばあちゃんの体に移す感じで、
念入りにマッサージしてあげた。
「ありがたいな」と、おばあちゃん嬉しがってくれた。


おばあちゃんのおかげで、母親がいる。
母親のおかげで、今の自分がいる。
今の俺が留学できているのは、おばあちゃん、そして母親、そして父親の支えがあるからこそ。
それを、忘れてはいけない。

今、元気のなくなっているおばあちゃんにできること。
それは、マッサージをして、そして、俺の今までのアメリカでの生活ぶりを話すくらいだ。
でも、それで随分とおばあちゃん、嬉しそうにしてくれた。
マッサージを始める前に冷たかった手と足も、
揉んだ後には、暖かくなり、確実に少し元気になったことが分かった。
8月、アメリカへ帰る前に、もう一度おばあちゃんのお見舞いに行くつもりだ。
少しでも元気になってくれるといい。
そして必ず、将来俺の店へ呼んで、最高の食事をしてもらうまでは、
元気でいてもらわなければならない。
必ず、な。


6.20.06

March 27, 2006 18:30


久しぶりの友との再会。
4年ぶりの再会。彼は、高校時代の親友。

本当に楽しかった。
時間がぶっ飛んだ。
かなりの時間を話したのに、全然話しきっていない、
そんな感じだ。
それが、本当に気の会う友というものかも知れない。

彼は、高校時代からやっているギターの道を目指し、アメリカに来た。
4年以来会っていなかったので、実際彼のギターの道が、
どんなものかは、全然知らなかったのだが、
今回会って、色々と彼のジャムの様子や、
学校での卒業式での演奏、
彼の使っている楽譜などを見せてもらって、
かなり感心した。

彼の使っている楽譜なんかは、俺が見ると、
チンプンカンプン。
まるで、宇宙の公式を解けと言われているようなもの。
でも、それが彼の進んでいる道で、
彼はその道で、ひたすら頑張っている。

彼がこっちにある学校に行っていた頃の話。
朝9時から授業。午後に少し帰ってきて、1時間ほど仮眠。
また、学校に出かけて行って、仲間と夜中の3時までジャムセッション。
家に帰り、4時間ほど寝て、また朝からクラス。
その繰り返しだったそうだ。
正に、飯と睡眠以外は、音楽尽くし。
しかも、自分の好きな道。
きついけど楽しい。
その、充実感。
彼は、それを一年続けた。

凄く濃く、中身のある、
貴重な時間を送っていたんだな、
そう話を聞いていて感じた。

俺も、実際にそういう状態の気持ちは分かる。
きついけど、楽しい。
寝る時間も無いくらいだけど、自分の好きな道を進んでいて、
毎日、凄まじいほどの充実感がある。
だから、やっていける。
何よりも、楽しい。
自分の力を、120%に出し切る、毎日。
その、充実感。


丁度一年半前ほど、そう、
丁度、彼がこっちに来て、その学校生活を始めた頃、
俺たちは久しぶりに電話で話をした。
彼が電話をかけてきてくれて、お互いの近況について話した。
そのとき彼は言っていた。
「毎日、もうめちゃくちゃ充実してるよ!」と。
その言葉を聞いて、俺は、もの凄くうらやましかったと同時に、
もの凄く、悔しかったのも覚えている。
何故なら、その頃の自分は、自分の行きたい道を、模索していたから。
頑張りたいのに、頑張れない。
力を出し切りたいのに、出し方が分からない。
出す方向が、分からない。

丁度その頃は、小学校高学年から憧れていた、
映画会社に入って特撮映像を作る夢をあきらめた直後だった。
その後、自分の次に目指す道を見つけるため、
自分が持っている、ありとあらゆる可能性を、全て試した。
自分は、何をするのが好きなのか、
何をしていて、一番幸せを感じるのか、
何を、一生かけてやり遂げたいのか。
それを見つけるべく、
自分が好きな事、興味のあること、
やってみたい事を、片っ端から紙に書いて、
一から全て試していった。
憧れていた、ルネサンスの絵画の修復の仕事も、
イタリアに行って、見に行った。
でも、その道も違う。
試せば試すほど、自分がそれらの道に向いていない事、
それらの道に、情熱を心から感じない事に気づき、
焦りと、不安だけが残っていた。

その頃の日記。
読み返すと、書いてある事は、毎日同じ。
「自分の行きたい道は何なのか」
「俺が、本当に人生でやりたい事はなんなのか」
「全力疾走をしたいのに、行くべき方向が分からない」
「何か、明確な目標が欲しい」

書いてある言葉は、完全燃焼不良の自分に焦りを感じる言葉ばかり。
丁度そのとき、彼と電話で話をして、
自分のやるべき事がはっきり分かり、
毎日をその道に向かって完全燃焼している彼を、
本当にうらやましいと思った。
当時のルームメイトに、
「高校時代の友達と話したんだけど、彼は今これこれしかじかで、
そういう状態にいる彼が、めちゃくちゃ羨ましいよ!!!」
と言っていたのを覚えている。


そして、時は経ち、
俺も、遂に次の目標を見つけた。
今は、やるのみ。
やるか、やられるか。
結果を出すか、出さないか。
その世界だ。

彼も、同じ。
俺はまた、彼と同じフィールドに立つことができた。
ここまで来たからには、後は、やるのみ。
やらなかったら、言い訳と、自分への甘さだけが残る。
とにかく、やるか、やられるか。


彼の、その学校時代の話を聞いていて、
今の俺、まだまだ、甘いと思った。
今までは、今の自分、
結構なレベルで頑張っている、そう思っていた。
だが、彼の話を聞いて、
彼の演奏を聞いて、
今までの自分が、まだまだ、甘い事に気づいた。
今の俺、絶対に、毎日120%まで燃焼してない。
まだ、力を持て余している。
そして、何がムカついたかって、
そんな状態なのに、それを、100%だと思っていた自分だ。
いつの間にか、自分に、低いハードルをかけていた。
それに、感覚で気づいた。


もしかしたら、前の俺にとっての限界が、
今は、簡単な段階に下がったのかも知れない。
ということは、俺のレベルがアップしたということ。
でも、アップしたのに、前と同じ頑張りでやっていたのでは、
何も伸びない。
せっかくレベルアップしたのに、同じフィールドで、
今まで通りの同じ敵と、ラクしながら戦っているようなものだ。
そりゃ、簡単さ。
自分のレベルが上がったんだからな。
でも、そこで、次のステージに進まなきゃ、
いつまで経っても、強くはなれない。
そして、今は、次のステージに行くべき事に気づいた。


彼とは、他にも色んな話をした。
日本の社会から、音楽、
人の考え、本の話など、様々。
時は過ぎ去ったが、俺たち全然話しきれてない。
また、次の再会が楽しみだ。


3.26.06


Archives
記事検索