August 05, 2014 08:30

「デイヴィッド」

2014/8/5 8:15am-

今はサンパウロに向かう飛行機の中。
あと1時間弱で着く。

*****

日曜日の夜は、夜の8:46発の飛行機で、レディングからSFOへ飛んだ。
サンディとハナに見送ってもらいながら。

レディングを去る時、すごく寂しかった。
色々と感慨深かった。
今日のこの一日で、ロイの家族と、リエンの家族と、サンディの家族の3家族に一度に会ったんだなあ、と。
一年しかいなかったこのSiskiyou Countyで、俺はすごく人に恵まれた生活をしたんだなあ、と。

*****

飛行機は1時間ほど飛んで、
10時過ぎにSFOへ到着。
荷物をピックアップして、
そこから、デイヴィッドの住むサンフランシスコの街中へ向かった。

事前にメールで、どうやっていくかを教えてもらっていた。
タクシーで行けば多分30分もかからなかったんだけど、
結構距離がありそうだったので、
パブリックトランスポーテーションを使った。

エアポートシャトルと、電車と、地下鉄及び路面電車に乗った。
路面電車に乗る時は、どれに乗ればいいかわからなかったけど、
同じく待っていた女の子の一人に聞いたら、すごく親切に教えてくれた。
こういうのを体験すると、やっぱりアメリカ人って親切だなあと思う。

結局、10時半過ぎに空港を出て、
デイヴィッドの住む最寄り駅を降りたのは、12時半すぎだった。
途中、「こりゃあ、ちょっと失敗したな」と思ったけど、
でも、無事に彼に会ったら、その思いも吹っ飛びました。

久々に会う彼は、とても元気そうだった。
フェイスブックで見る彼は、たまに髪を伸ばしたり、なんだか随分変わってしまった感じがしていたけど、
実際に会うと、余り変わってなかった。
彼からは、「I see youth in your face」と。
若く見えたらしい。
ちなみに今回は、会う人みんなに、
元気そうだねと言われてよかった。
とても30歳には見えないわよと。
「まあ、アジア人は実年齢より若く見えるんだよ」というと、みんな「いいなあ」と言っていた。笑

デイビッドは、路面電車(MUNI)を降りて、
Judahと46th streetの7-11のコンビニがあるところから、
少しだけ歩いたところのArt Studioの上に住んでいた。

中に入ると、NYを旅していた頃に、
泊めてもらったサムのルームメイトたちの家を思いだした。
つまり、汚いということ。
俺の嫌いな虫が出るんじゃないかと心配したが、大丈夫だった。

彼の部屋に通されると、ガールフレンドがベッドで寝ているのに気づいた。
あれ?と。まさか一緒に住んでいるとは思わなかったから、
邪魔しちゃった?と聞くと、いや、彼女は今日たまたま泊まりに来ていて、
元々シュンが来るのは話していたから大丈夫だよと。

その後、彼女はすぐに寝てたけど、
俺とデイビッドは、1時過ぎから、3時過ぎまで、
2時間ほど話をした。

主に、彼のこの6年間でのアートワークを見せてもらった。

彼は、俺がDe Anzaを2005年の夏に卒業して、ロングビーチに移ったあとも、
しばらくの間はDe Anzaに通っていた。
その後、CSU Monterey Bayに移り、
そこでアートのクラスを取っていたそうな。

彼の部屋には、一面にかかるペインティングや、
壁一面に描かれた砂漠の絵。
全て、彼がやったそうな。
素晴らしかった。

ほかにも、Life Drawingのクラスでやったスケッチや、
(俺もこのクラスは、COSとDe Anzaの両方で取った)
彼が授業中や、仕事の合間、
または、かつてのガールフレンドとお互いにしていた交換日記のアートバージョン(お互いにダイアリーの一枚や二枚を使って、
絵を書いたり、詩を書いたり、していく)
を見せてくれたりした。
すごくパーソナルなものだったけど、
“I want to share it with you”と、色々と見せてくれた。

*****

今回彼と会って最初に思ったのは、
随分とアートの世界に行ってしまったな、というか、
ヒッピーというか、完全に感覚の世界に住んでいるな、という感じだった。
なので、De Anza時代の彼とはちょっと違って見えて、
少し、違う人の様な気がした。

でも、話をするうちに、色々、お互いの価値観とか、
人生に対する考えや、
そういったものを、深いところまで話ができて、
彼と話すことは、すごくInspiringで、毎回、色々と、
自分の中のDeep withinのことを気付かされること。
それをまた感じた。
ある意味、彼と話すことは、一種のメディテーションでもある。

*****

彼は今、自分のアートの才能を、引き出そうとしている。
人物(Figure)を描くのが、今までは怖かったらしいけど、
今は、Life Drawingをやって、随分と変わったそうな。
Confidentになってきたって。

他にも、ダンスにはまっているらしく、
ハウスミュージックに合わせて踊ることを追求しているとか。

先日も電車を待ちながら、
音楽に身を任せて、踊っていたと。

そんな彼の話を聞いていて、
「大体、俺の6年間はこんな感じかな。
アートの世界を追求してきたよ。How about you?」と。
そこで俺は、考えたけど、
俺の場合は、結婚をしたり、人生に変化はいくつかあったけど、
自分自身という意味では、
とにかく、仕事に一生懸命になってきた6年間だったかな、と。
ある意味、仕事しかしてこなかったようなもので、
まあ、それが日本人としては普通なんだろうけど、
余りにも彼と、追求してきた道が違ったので、
うまく、最初は話せなかった。

でも、彼は、人の目をじっくりと見て、
透き通った目で、じっくり話を聞いてくれるので、
ある意味、嘘が付けなくなる。

俺は。自分は日本にすぐに帰国した2008年夏は、
最初は世界一周の旅に出ようと思っていて、日本で定職に着く予定はなくて、
でも、両親の意見と反発して、
まずはとりあえず、「正社員」になる、という名目で、2008年の夏のジョブフェアで面接を受け出して、
そのまま、自分の気持ち的には整理ができていないまま、
2008年9月から働き出して、
そのまま、その仕事に馴染めず、
5ヶ月で辞めて、
そのまま、インターバルなくして、
2009年2月から、次の仕事について、
そこで2011年10月一杯まで、約3年働き、
そのまま転職をして、
2012年3月から、今の会社に移ったこと。

今は、「海外を回る」という自分の、ある意味唯一の夢を叶えて、
よって、今の自分の仕事には満足をしているけれど、
俺のどこかには、アートの世界を追求したい、という欲もやはりどこかにあり、
よって、そうやってアートの世界を追求している彼のような人間に会うと、
どこか、羨ましく感じること。

そんなことを話した。

すると彼も、実は自分も、
こうしてアートの世界を追求しているけれど、
実際は、お金もほとんど入らないし、
自分のルームメイトは、ITエンジニアで、
毎年800万、更に少しプロジェクトをすれば、追加で200万、
年に1000万近くすぐに稼げてしまって、
そんな彼の収入と自分のそれを比べると、俺のこの小さな稼ぎで、
金銭的自由もほぼない状態で、こうしてアートの追求をしていることは、
正しいことなんだろうかと、
そう、自信がなくなることがよくあると。

Unsecureになると。

そんな彼は、よく、Asking for a sign,
啓示を求めるそうな。

先日もそんなわけで、駅で電車を待っているとき、
ダンスをしながら、
「何か、自分の人生を導いてくれるサインがほしい」と祈っていたら、
それから30秒以内に、
隣にいた女性が話しかけてきて、
「あなたダンスするの?」
「うん、まあね」
「I can tell you are really into it, and I like it. 私以前はダンスのインストラクターをしていたのよ。そのまま頑張ってね」と声をかけてくれたそうな。

ある意味それは、自分がそれを求めたすぐ後に、
見ず知らずの人が、そうやって声をかけてくれて、すごくびっくりしたと。


そんな風に、やっぱり、自分自身の道を追求したい、と思う反面、
世間一般がいう、「定職に付き、お金を稼ぎ、結婚して、子供を持ち・・」という意見に逆らっていることを、不安に思うことも多い、と。

*****

人生には、正解、不正解はないと思う。

その自分が住む文化での、「こうするべき」という考えはある。
でも、それに反対して進むとき、人は、不安になる。
なぜなら、マジョリティーではないから。

そして同時に、やはりお金というのは、
絶対的に必要になってくる。生きる上で。

なので、お金を稼ぐか。
稼ぐには、自分の嫌いな仕事を耐えてやるか。
自分の好きなことを仕事にするには、それで満足できるお金を稼ぐには、どうしたら良いのか。
そんなことに、人は悩む。

*****

別れ際彼が俺に言った。
「You can always start drawing. When you are waiting for your airplane, trains.」
絵を描くのに、別に、どこか決まった場所にいる必要なないよ、と。
飛行機待ちのときでも、いつでも、
スケッチブック一つさえあれば、できるよ。と。
そうだな、俺も、この6年間は絵を一回も描かなかったけど、
ちょっとやってみようかな、と。

それは、ハナにも、サンディにも、
みんな、俺の絵を見ていた人たちには、みんなに言われた。
せっかく絵が上手なのに、それをやらないのはもったいないよと。

*****

その夜は、他には、彼と一緒にかつてDe Anzaで遊んだこと、
一緒に彼がロングビーチに来て、
Huntington Beachでサーフィンをやって、彼がほぼピアのポールにぶつかりそうになって、
死ぬかと思って、”Oh no! Shun!!”みたいになっていたこと。
その時の彼の顔がマジで恐怖に満ち溢れていて、
でも、後で海から上がったあとに、それを思い返して、爆笑したこと。

デイヴィッドが、
「そういえば、俺もこの前、
友達と一緒に海に行ったら、
気づかぬ間に、急に下に足がつかないところまで来ちゃっててさ」と。

最初はその友達と二人で、あはははなんて言いながら
下を蹴って、何度もジャンプをしてはしゃいでいたらしい。

でも、気づくと急に足がつかないところに来て、
え?と思って後ろを振り返ると、
思ったより流されていて、
「こりゃやばくないか?」と二人で顔を見合わせて、
一気に浅瀬に向かってパドルしだしたと。

しかし、そこでデイヴィッドが俺に、
「You know “INSANITY” training, right?」と。
つまり、デイヴィッドの友達は、INSANITYプログラムっていうアメリカのビデオトレーニングPGMがあるんだけど(俺はたまたま前回の出張でプエルトリコに行った時にテレビでやっていて見入っていたので知っていた)、
それをその友達はやっていたので、めちゃくちゃIn Shapeで、
一気に浅瀬に向かって泳ぎ出して、あっという間に見えなくなってしまったと。
自分を置いて。

なのに自分は、ワークアウトをその頃全然していなくて、
筋肉も落ちきっていて、
全然こげなかったと。

それで、波に飲まれるは、
一向に浅瀬に近づくばかりか、むしろ遠ざかってばかりいて、
その時命の危険を感じたと。

波を避けるために、何回の周期で大きい波が来るか数えたけど、
3回で来る時もあれば5回の時もあるし、
全部不定期で、それもうまくいかず。

結局、そこで彼は、
あるだけの知識を振り絞って、
「川の中に入ったら、川の流れに身を任せろ」という言葉を思いついたらしい。
で、そのまま体の力を抜いたら、

さらに流されて、ますます死にそうになったと。笑
(その時のデイヴィッドの話し方が面白すぎた)

で、最後、「本当に俺はこれで人生終わりかも」と思って諦めかけていたら、
向こうの方から、ライフセーバーがサーフボードに乗ってパドルをして近づいてきたと。

「Hey! You alright?」と。
で彼は、「NO!!! I’m not alight!」と、
必死に訴えたそうな。
で、そのライフセーバーのボードに必死に捕まって、
何とか砂浜まで戻ってこられて、
そのまま、砂浜に倒れ込んだと。
で、そのまま、海に入る前に食べたばかりだったデルタコを全部吐き出したと。

で、もう顔を上げる気力もなくて、
その時視界に何とか入ったライフセーバーの足首を見るなり、
それをガッと掴んで、
「Hey man!! You saved me! You, save me, man! Thank you! THANK YOU!!!」と何回も必死に叫んだそうな。ぜえぜえ言いながら。

ライフセーバーは、「It’s alright man.」と言いながら去って言ったそうな。
(結局その彼の顔は一度も見れなかったらしい)

そこで俺が、「ところでデイヴィッドの友達はどうしたの?結局彼はデイヴィッドのことを置いて先に行っちゃったの?」と聞くと、
「うん、そいつは一人で浅瀬に上がって、俺のことは知りもしないで、
俺がライフセーバーに助けられてしばらくしてからフラフラになってそいつのところへ行ったら、“おい、どこにいってたんだよ?”ってさ」と。

とにかく、そのデイヴィッドの話し方がすごく面白かった。

彼は昔からそうだけど、素晴らしいストーリーテラーというか、
その時の様子を表情を交えて色々と話すので、
本当に面白い。
久しぶりにそんな楽しい経験ができてよかった。

*****

結局その日は3時過ぎに二人ともPassed outして、
翌朝俺は本当は8時半に起きて支度をして、9時半には出て
また列車とかで帰ろうと思っていたんだけど、
全然起きれなくて、気づいたら10時前で、
こりゃあやべえなと思っていたら、
デイヴィッドの彼女のシンディが、「私の小さな車でよければ送ってあげるわよ」と言ってくれて、ありがたくもそのまま空港まで送ってくれた。
トヨタの赤いコンバーチブルに、俺のスーツケースを後ろに載せてくれて、
その横にはデイヴィッドが小さくなって入って、
俺を助手席に乗せてくれて。

行きの車の中で、シンディの話も聞いた。
彼女とデイヴィッドは今、同じデイケアセンターで働いていて、
そこで知り合ったのは2年前くらいになるんだけど、
最近ここ数ヶ月前に付き合いだしたらしい。

子供も色々な子がいて、
中には病気の子もいるんだけど、
色んな子と接しながら。自分も色々と教わるよと。

ちなみに、デイヴィッドとは、サンノゼを俺が出たあとも、
よくこうして、俺が運転する車で一緒にロングビーチに行ったり、
ロングビーチからサンディエゴまで行ったりと、
色々とその車の中で話を良くしたなあ、と。
LAのゲティミュージアムにも彼と一緒に行ったな。
いろいろ話したのを覚えている。

*****

そんなわけで、また人に助けられながら、
空港まで時間通りに着き、
二人にガソリン代と称してお礼を渡して、
そのまま、また近いうちに会おうぜと言ってさよならをした。

*****

そうやって、また色々な人に助けられて(はっきり言って俺がみんなに甘えているだけかもしれないけど)、本当に感謝だなあ、としみじみと感じた。

*****

その後、SFOから4時間ほど飛行機に乗って、テキサスのヒューストンにつき、
そのまま1時間ちょっとだけ待って、すぐに乗り換えて、
また10時間以上飛んで、やっと着いたのが。ブラジルのサンパウロでした。
時間は朝の9時すぎでした。
サンパウロの空港は、なんだか随分と簡易なつくりで(グアルーリョス空港)、
でも、入国審査のお姉ちゃんなんかはとてもフレンドリーで、
お堅い日本とも違うし、無愛想なアメリカとも全然違うなあと思った。

ヨーロッパの諸国のように、適当なところもあるが、
でも、もっとフレンドリー。

そんなわけで、その日は朝に着き、
そのままほぼ休まず、フェアの一日目に行ったのでした。

*****

続く。


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