May 29, 2013 21:30

「新しい語学を学ぶこと」

今日は、ポルトガル語のレッスンの体験授業、三校目。

とてもいい先生でよかった。

今日はレッスンで、先生に最後に、
今日習ったことで会話をさせられ、
そこで、「あなたは東京出身ですか?」との問いに、
「いいえ」と答えるところで、
"Nao, sou nao." と言ったら、
"nao"(ノウン)は最初に来ると言うことを教わった。
(正しくは、"Nao, nao sou." "Yes"の場合は、"Sim, eu sou.")

この時、先生に色々と聞かれて、
ちょっと分からなくて、かつ、なんとこたえたらいいか分からず、
ちょっと恐かった。

この感覚、俺は、もうだいぶ忘れていたけど、
よく考えたら、初めて英語をまなんだ頃、
そして、英語を初めて話そうとしだした高校一年の頃は、
俺は、英語の先生を前に、三分くらい何も言えなくで、
汗ダラダラで、かなりはずかしい思いをしたんだよな。と。

そのときの感覚を、約十五年ぶりに思い出した。


英語に不自由しなくなって、十年近くがたつけど、
この感覚を再び味わえ、なんだか、自分が、十三才くらいに戻った感じがする。

すごく、新鮮。
そして、この感覚は、忘れちゃいけないなと、
そう思った。


ある程度その言葉が話せる様になってくると、
その言葉を話せない人の気持ちがわからなくなってくる。

英語だったら、俺の場合は、英語を話せるから、
英語を話せない、または、話したがらない、
という人をみると、
もっと気軽に話してみればいいのに、
なんて思ってしまうこともある。

しかし、その言葉を習いたてだったり、
まだ一回も使ったことが無い場合は、
間違えるのも恐いし、
なんて言ったらいいのかも自信がないし、
まちがって笑われたり、恥をかいたらやだし、
色々な恐怖がつきまとう。


その気持ちを、まったく忘れてしまうと、
新しくその言語を学ぼうとしている人がもつ、
その語学に対する恐怖みたいなものを、すっかり忘れてしまう。


そういう、感覚は、
覚えておかないといけないなあ、と、
そう思った。




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