April 30, 2013 16:30

今、ルフトハンザの飛行機の中。

2013/04/30 15:20-

今、ルフトハンザの飛行機の中。
ビジネスクラス。
会社のお金で。

このパーテーションの中には、全部で乗客が15人しかいない。
とても余裕があり、良い。

席は、完全フラットになる。さっき、それで13時から14時半まで、1時間半寝た。


************


完全に静かな個室なので、
そして、時間があるので、
自分のことを、見つめてみようと思う。



最近の悩みは、特にない。

先日妻とも話したが、
ほんの少し前までの俺は、
仕事のこと、
進路のこと、
それらで、ずっと悩んでいたが、
今は、新しい会社に入り、
仕事も、やりたい海外営業部、
こうして、数ヶ月に一回は海外出張もでき、
また、英語も使えるので、
毎日のように、英語力を必要とされて、
とても、満足している。

自分が、「求められている」と感じるし、
自分が今まで得てきた力=
「留学によって培った、英語力、コミュニケーション能力」
が、きちんと生かされる、または必要とされる力なので、
その状態に、満足している、と言える。


一社目の時は、
英語力は求められたが、
コミュニケーション能力、人と話す力、
人と接する力、
それを、使い機会がまったくないと感じたため、
毎日やりがいがなく、心は死んだも同然だった。

(今、その会社の同じ仕事についたら、
おそらく、文句はあまり言わずに働いたと思う。
給料も良いし、残業代も15分おきに出るし、
日立の福利厚生だし、
今考えると、今まで経験した3社の中で、
一番良い条件だったと思う。
金銭的にも、外資=英語を使える、または、社内に外国人(しかもアメリカ人、シリコンバレー)がたくさんいる、というのは。
でも、当時は、それは、自分が欲していたものではなかった。)

*****

二社目(前職)では、
自分が欲していた、
または、一社目の反動によって、
「コミュニケーション能力」を使うこと、鍛えることを、
非常に欲していた。

その力は、俺が伸ばしたかった力であり、
「俺はこれがあるんだ。または、伸ばせるんだ」
と証明したかった力だった。

また、一社目の後なので、
「お金なんて関係ない、
大事なのは、やる仕事の内容であって、
お金は、最低限の生活ができれば、それでいい」
と考えていた。


最初の半年間は良かった。
むしろ、入社して、最初の2ヶ月(2009年2月〜3月、横浜支店勤務の時代)は良かったけれど、
2009年4月から新宿に行き、
そこから、体力的にも(通勤の遠さ)
精神的にも(周りで無条件で応援してくれる人がいなくなったこと)
きつい時期が、7月まで続いた。
4ヶ月間。


そしてその後、
7月にT.S.さんが新宿に移ってきて、
8月には、彼の家に泊まったりして、
面倒を見てもらい、
おれ自身の力も伸びてきて、
のびのびと仕事ができるようになった。

8月、9月、
この2ヶ月は、本当に楽しかった。

8月、9月は、
この時期が、
ずっと続けばいい、
毎日、夜、JRから京急に乗り換えるところで、
いつも、
Maroon5を聴きながら、
「これがずっと続けばいい」
と思っていた。


その後、
10月にK.O.さんが辞め、
11月にもう一度、100万ポイントを超えたものの、
12月ごろから、なんとなく、メリハリがなくなり、
1月、2月、3月と、勢いでいっていたものが、
5月のクレームの連続勃発により、
営業部長に、社内メールでひどいことを言われ、
自分のプライドは傷つき、
自尊心が落ちて、
6月、7月と、落ちていった。

確か、7月は、
自転車での事故もあり、
さらに、自分の気持ちは、落ちて行ったと思う。
正直、そのころのことを、
あまり覚えていない。


妻は、4月から留学に行き、
帰ってきたのは、8月だった。
つまり、ちょうど彼女がいなくなっていたときに、
俺の仕事面は、だんだんと下がって行き、
精神的に、頼れるところがなくなっていた。

5月ごろ、(既に退職されて、たまに面倒を見て下さっていた)Jさんに相談すれば、
助けてくれるんじゃないか、

クレームの担当でお世話になった、
あの方(食事に連れて行ってくださった。俺に対してクレームを下さった会員さんの祖父様)
に、会うことで、
救われるんじゃないか、


そう、成田の駅のエスカレーターのところを歩きながら、
思っていたことを、思い出す。

*****

その後、2010年の9月以降、
2011年の頭くらいまでは、あまり記憶がない。
年齢はちょうど、27歳になった。

9月から、K.T.さんが移ってきた。

2010年の年末にオフィスが移り、
2011年の新年から、
新しいオフィスでの仕事が始まった。

そのころはちょうど、2010年末にCHさんが入ってきたり、
2010年の4月には、
Nちゃんや、Kなども入ってきた年だった。
Kとは、一緒に、
セミナーの準備もやったりした。
セミナーの隊長、副隊長とか。

ずいぶんと、それに力を使ったと思う。

******

2011年の2月に、
部長に、札幌オフィスでの支店長の仕事を持ちかけられた。
震災の一ヶ月前。


つまり、二社目に入社して、
2年がちょうど終わったところ。

それを断り、
そのときには、転職の話を部長にしていて、
4月からは、より、居場所が狭くなったと思う。

俺のアテンションは、完全に転職のほうへと移っていた。

オフィスでは、一部の人間の攻撃が、
俺としては、精神的に辛かった。
彼女たちは、好き勝手にやっていたと思う。
ある意味、いじめに近いと思う。(笑)

とても、先輩ではあるが、
「上司」とは呼べない。

2011年の夏には、
彼女と出かけている際に、
電話がかかってきて、
酷いことを言われ、
その後、俺はだいぶ落ち込み、
彼女を悲しませてしまった。

あのころは、
転職と、二社目の仕事と、
両方を両立させて行くことが、
体力的にも本当に辛く(唯一の休みの日を、面接に当てなければならなかった)
きつかったと思う。

*****

これでは踏ん切りがつかないというのもあり、
また、会社側の要請もあり、
10月頭付けで、そこでの仕事を辞めた。

俺の、二社目に対する思いは、
2009年時の入社時のそれと、
2011年時、俺が去るときのそれとは、
まったく違うものだったと思う。


今思うと、
S.I.さん、
T.S.さん、
W.A.さん、
そういった人たちの存在が、
俺がそこで仕事をして行く上では、
大きかったと思う。

先輩として、かわいがってくれる存在。
あきらめずに、目をかけてくれる存在。
見放さずに、見てくれている存在。
そして、俺のことを、
「お前はできる」と無条件で、疑わずに、
信じてくれている存在。



しかし、部長、他数名、
そういった存在は、違った。

俺のことを、最初から疑いの目で見ていた。

だから、俺は、
自信をなくし、自尊心をなくし、
びくびくし、
毎日、おびえて仕事をしていた。

2011年時、
俺があそこを去ったとき、
そういう意味で、
俺にとっての「味方」はいなかったんだと思う。

だから、俺の心は、荒んでいた。

だから、今でも、
二社目のことを、
2009年時はよくても、
2011年時のことは、思い出したくないんだと思う。


俺が思っていた以上に、
あのときのことは、本当に辛かったんだと思う。
2010年の5月から、
2011年の10月まで、
1年半の間は、
本当に、辛かったんだと思う。
俺が、26歳から、
28歳になる直前まで。

******

その後、2011年10月から、
2012年の2月まで、
転職活動という、自分との闘いが始まった。

責める人間は、俺自身しかいない。
なぜなら、毎日、自分との対面であり、
俺が、選んだ道だったから。


果たして、このまま、
自分が本当に行きたいと思える会社が見つからないのではないかと、
どうしようもない絶望感と、
無力感に襲われそうになることもあった。

でも、それを認めてしまうと、
恐怖で動けなくなってしまうので、
その意識を、無意識のまま、
言葉にせず、
頭で認めない、
そんな日々だった。

*****

10月から11月は、
まったく動きもなく、
かなり辛かった。

2007年の9月から2008年の2月まで、
自分の進路がわからないまま、
彼女とロングビーチのアパートで
暮らしていたころの焦燥感に近い。


12月に、一度、
初めて行きたいと思えた会社、
MLに受かるかに思えたが、
そこで落ち、
どん底の気分を味わった。

もう、どうしようと、思った。

そのとき辛かったのは、
・お金が日々日々なくなって行くことの恐怖
・親からのプレッシャーに対する焦り
・28歳で何やってんだ、俺に未来はあるのか、という、自分の道を間違ったんじゃないか、という、自信の消失

だった。

3つ目に関しては、
面接で、または、書類選考で落とされる理由は、
俺が取ってきたまさにその道を、
否定されることだったから。

一社目を、5ヶ月で辞め、
二社目を、2年と10ヶ月で辞めていることが。

日本の有名な大学を出て、
大手企業、または、普通の企業に就職して、
そこで、少なくとも3年勤めたヤツのほうが、
俺よりも、「価値がある」
そう、思わせられることが、
とても、いやだった。


俺が今まで取ってきた選択、
歩んできた道の選択は、間違っていたのかと、

そう、思わせられることが、
本当にいやだった。


俺は、誰よりも芯が強いと思うが、
なのに、
俺が取ってきた道の表面的な見た目のせいで、
「S.S.という人間には、芯がない」
と思われることが、
一番、耐えられなかったんだと思う。

一度、日本の「進路コース」を踏み外すと、
もう、そこには戻れない、という、事実。

それを受け入れること、
俺は、もう、
日本の「できるやつら」のコースで、
一緒に戦うことはできないのか?
そして、その理由は、
一社目を5ヶ月で辞めている。
一社目で3年間勤めなかった。
たとえ、有名海外大学を出ていようと、
たとえ、大学時代に、
どんな日本のやつらよりも、
俺自身を磨いたと自負しても、

たとえ、一社目も、日本社会では負けず劣らずの有名企業であっても。



ただ、一社目を、
「5ヶ月で辞めた」だけで、
もう、日本のそのコースに戻れないことが、
本当に、辛かった。

俺よりも、大学時代にサボっていて、
俺よりも、社会人になってからも、
適当に仕事をしているであろう人間よりも、
俺の方が、たとえ今まで真剣に生きてきていても、

「一社目を、5ヶ月で辞めた」

その事実だけで、
そいつらと同じ土俵に立つこともできず、
かつ、そいつらに、生涯年収が、
一生、追いつけないであろうことに。


******


結局は、男であり、
ステータスと、
お金、
それがある方が、
自尊心も高まるし、
自分が、己の能力を最大限まで使っている、と、
思える。


なのに、それができないこと。

そして、学生時代は、どんな失敗をしようが、
結局は、その学校の中でしか事は影響していないから、
自分の人生の進路に絶対的な過ちはもたらさないものの、
社会人になってからとった行動は、
すべて、社会の目に、
すべて、跳ね返ってくる、ということ。


******

それを知らずに、一社目を辞めるといったときに、
親父と、母親は、
反対したんだと思う。

そして、俺が、彼らにそれを相談せずに決断してしまったことに、
驚きと、悲しみと、
絶望を感じたのだと思う。

*******

思えば、
俺が自分で選んだ道にもかかわらず、
そこでの仕事が辛い、
そこでの毎日がきついと、
親の前で嘆いていたことは、
親にとって、本当に辛かったと思う。
前職の時代。


きっと、彼らは、
俺が今の会社に入った、2012年の2月、
つまり、ほんの1年前までは、
ほとんど、安心することができなかったんじゃないのか。


そう思うと、親不孝ものであると思う。

親孝行をせねば。

******

また、妻という存在は、
本当に大きいと思う。

一社目に入ったころ、
二社目に入ったころ、
二社目できつかったころ、
転職時期に入ったころ、

最後に、今の会社での仕事が決まるまで、

俺を支えてくれたのは、
彼女だった。

彼女が、俺のことを、無条件で信じてくれ、

「あなたなら絶対に大丈夫」
と言い続けて、励まし続けてくれた。


彼女の支えなしでは、
俺は、あの時期を、
乗り切れなかったと思う。

*****


さっき、これを書きながらふと思った。

妻と、親父が、
病気になったのは、
彼女たち二人が、

それまでは、俺のことを心配して、
彼女たちが俺のことを支える必要があったから、
彼女たちは、常に丈夫で、健康でいなければいけなかったのに対して、

今では、俺もすっかり落ち着き、
悩み事が一切なくなったことで、
やっと、肩の荷を降ろした二人が、
病気に、かかったのではないか、と。


だから、今では、
俺自身が、自分に対する悩みがないからこそ、
他人のことを、気にかけられるのであって、
まず、自分にとって一番大事なその二人とは、
家族である、妻と、父親なのだ、と。



******


すべては、結果論かもしれない。

しかし、人生は、

最後に、”All was well.”と言えなければならない。



人生で、過去は、変えられない。

歳は、確実に取っていく。

体は、確実に衰えて行く。

若さは、一生じゃない。

だから、常に、
「後悔」をしないために、
毎日、精一杯、
胸を張って、生きて行かなければ、ならない。



人生は、そうあるべき。


2013/04/30 16:27




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