April 21, 2013 00:53

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」by 村上春樹

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村上さんの新作、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

さっき、ほんの10分前程に読み終わって、
まだ頭の中が整理できていないけれど、
この感覚というのは、「今」を逃すと、確実になくなってしまうので、
とりあえず、今感じたことを簡単に記しておこう。

*****

ちなみに、こういう感覚、
つまり、子供の頃に何か壮大な映画を観て、
映画館を出た後も、まだその世界観に浸っていて、
頭がぼーっとしているような、

まるで、どこかに旅をしてきたかのような、

そんな感覚は、
やはり、村上さんのように、
彼の作る物語の世界観が確立していて、
自分がその世界の中に確実に入り込んで、
頭は完全にそっちにトリップしているからこそ、
その話が、終わってしまう
=「そこまで完全に入り込んでいたその”世界”が、
その小説の終わりとともに、ぶちっと切られてしまうので、
気づくと、今自分が普段暮らしている現実の世界に戻って来て、
そのビックリさに、しばらくぼーっとしている」
という状態に陥る。

*****

さて、今回の物語は、
かつて、自分が心を完全に一つにしたと感じたグループから、
あるとき、ばたっと切られてしまい、
そこで、死ぬ程の苦しみを覚え、
自らの命を落とすことまで考え、
悩み、苦しんだ20歳前後の日々から、
今の36歳に至り、
そこで、ある女性との出会いをきっかけに、
自分がなぜそのグループから切られたのか、
その意味を追求することで、
自分がかつて感じた、その深い傷に
蓋をしていたものを、次第に剥がし取って行き、
自分が、一度は死ぬまでに傷ついたその心を、
無感動な境地にまで持って行ってしまい、
その状態に慣れきってしまった「今」から、
かつての友人たちに会い、その過去に起きたことの事実を知ることにより、
次第と、自分の心に閉ざしていた蓋を開け、
自分の心を、「無感動」から、「感じる」までに持って行く、

という、一人の男の、心の移り変わりを記す物語だった。





この小説を読み始めて、
最初に感じたのは、
彼が、20歳のときに感じた、
その、グループによって阻害されたことにより、
感じたそのときの絶望感は、
俺(自分)自身も、かつて、
確実に感じた、ということ。




俺はここにも書いたことがあるが、
中学生の頃に、やはり同じ様な経験をして、
その時に感じた心情は、
この物語の中にあったように、
「それまで見えていた景色が見えなくなり、
それまで聞こえていた音が聞こえなくなり、
目の前にあった物事が、歪んで見え出す」
というものだった。

そして、同じ様に、
俺も、彼と同じ様に、
心を麻痺させ、無感動にさせた。

なぜなら、そうすることでしか、
その時に感じていた「悲しさ」を回避する術は無く、
その「悲しさ」「心の痛み」をもろに感じていては、
日々、行きて行くこと、
学校に行くことが、
出来なかったからだ。

そうして、次第に、自分の心は、
「無感動」となり、
顔から表情は奪われ、
それまで持っていた、自分の中の柔らかさは、
確実に、なくなって行く。


*****

俺の場合は、幸いにも、
芯が強かったのか、
高校では立ち直り、
その後、留学をして、
何とかやって行ったが、
しかし、俺が、その経験によって
「傷ついた」
「自分の心に傷を受け、その傷に、蓋をしていた」
「蓋の下では、まだ、血は、その傷から流れていた」
「そして、その傷の血を止めるには、
その蓋を一度剥がし、その傷に真正面から向かい合わなければいけない」

という真実に気づいたのは、
22歳の夏であり、
実に、俺が実際のその経験をした13歳の終わりから14歳の頭にかけての時期から、
9年以上経ってからのことだった。


なので、この物語の主人公が、
20歳のときにそれを経験し、
その後、36歳の今まで、そのまま生きて来た、
または、自分ではその経験から回復したと思っていても、
実際には、実は、その傷をまだ心の中心に負っていた、
と気づくのが、そこまでかかったということは、
不思議ではなかった。

*****

そして彼は、高校時代のそのグループの一人一人に会って行くことで、
確実に、自分が感じていたことと、
彼らに対して自分が思っていたこと、
及び、実際の16年という時の流れに中に起こったこと、
そして、彼らが実際に「何を」感じているか、考えているかを
知ることで、
その全ての間に起こったことのギャップを知り、
次第に、自分と、それらの距離を埋めて行く。



そして、物語の最後には、
それまで、言わば「無感動」で生きて来たからこそ、
彼の人生では、誰にも本気で「愛する」「恋をする」
という経験がなかったにも関わらず、
今では、一人の女性に対して、
夜中の4時に、電話をかけてしまうほど、
自分の「気持ち」というものの存在に気づき、
その「気持ち」をダイレクトに感じ、
それをもろに出して行くことを、
覚えて行く。


それは、一人の男の成長の過程であり、
かつて、そこにあった「こころ」を、
一度は、一つの経験により、
その「こころ」に蓋をしてしまった男が、
再度、その蓋を勇気を出して開け、
また、その「こころ」を感じていく、
ということを覚える、という成長のものがたりである。


*****


ちなみに、村上さんの小説では、
毎回、心の「闇」について描かれるが、
今回もやはり、主人公である多崎つくるが、
自分の中に持っているであろう、
そして、自分でも気づいていないかもしれない、
その「闇」について、語られるシーンが多々ある。


それは、村上さんも、
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
の中のインタビューで話をしているが、
彼の小説が、世界的にここまで読まれる理由の一つとして、
人間、誰しもがもつ、
その、心の中の「闇」を、
彼は、うまく言葉に置き換え、
「ものがたり」という手法で、その存在を描き出すことに成功している。

そして、その「存在」は、
実際には確実にあろうとも、
目には見えないし、完全に、「感覚」の世界であることから、
もしかしたら、「無い」かもしれない。
でもやっぱり、世界中の誰もが、それに共感するというのは、
やはり、それは人々の心の中に存在し、
それを、彼は、ものがたりを通して、
うまく、その存在の「輪郭」を縁取ることで、
中身の存在を、丁寧に、描き出して行く。


*****


なぜ、その「闇」の部分を読んで、「恐い」と感じるか?

それは、人間の(おそらく)一番の恐さ、恐怖というのは、
自分がコントロールを利かせられない範囲で、
または、
自分が全く意識のない状態で、
自分が、何らかの行動を取り、
それを、自分が、知らないこと、
という状態であるだろうから。


そして、多崎つくるは、夢の中で、
何度も、そのグループにいた二人の女の子の夢を見て、
そこで、ある種の経験をしているからこそ、
実際に、彼が、現実に起きた「それ」を、
自分が「していない」と言いきることは、
できない。

なぜなら、彼には、例えそれが夢の中であろうとも、
「夢」は、もしかしたら、自分がその「闇」の世界で実際に行動している
ことを、見ているだけかもしれないし、
その心の闇の世界は、人々の心の中に存在していて、
そこで行われた行為は、
同じ様に、夢の中に出て来ている人の心の中でも、
同時期に、共有されているかもしれないから。

*****

おー、書いていてなんか恐くなって来ましたね。

夜に、こういうことを書くもんじゃないぜ。




ちなみに、小説の最後では、
新宿駅の様子も細かく描写され、
また、人々が通勤電車で味わうその苦痛や、
また、毎日、2時間から3時間を、その「人生の最高に幸福とは呼べない時間」に、
確実に費やして行くことに関する疑問や、
また、その中での時間の過ごし方(「スペイン語を勉強することもできるだろう」などの表記もある)
に関しても書かれていて、
全てが、実際の俺自身も感じていることなので、
(恐らくは、首都圏に勤務をする人間の全員が感じているだろう)
そんな意味でも、共感するところがたくさんあった。


また、水泳をしているときは、
「自動操縦」の状態になり、
ある一定の状態に入れば、
あとは、思考がどんどんと頭の中でくり返され、
考え事に集中出来る、ということ、

また、泳いでいる間は、
心の中の悩みなども、全て忘れられる、というところも、
まさに俺自身も感じることなので、
そんな意味でも、色々と共感出来て嬉しかった。

(村上さんの小説では、
彼自身の考察や体験、生活習慣が、
主人公に反映されるが、
俺自身も、村上さんの生活スタイルに共感する部分が多いので、
必然的に、彼の描く主人公に、共感する面も多くなってくるんだと思う。)


*****

ちなみに、この小説を読み出して、
最初に感じたことは、
この感想文の上にも書いた様に、
主人公が、そのグループから阻害されたことにより感じた、
その心の状態の描写の、生々しさの、
的確さだった。

それは、自分は荒れ果てた世界に置き去りにされ、
どこからか飛んで来た鳥に、自分の体を啄ばまれ、
そして、それはまた、別の何かで埋められるが、
自分は、その自分の新しい体さえ、知らない、
という描写。


俺も、今思ってみれば、
当時感じたそのときの心情(それは、それを感じることは余りにも辛すぎる為、それを感じない様に心に蓋をしたのではあるが、しかしながら、その時に感じた心情)を、今振り返ってみると、確かにそれは、そういったものだった、
ということに、その箇所を読みながら、ある意味でとても感動した。

そして、村上さんも、同じ様な経験をしたことが、
前にあったのか、

それとも、彼がいつもしているように、
そのものがたりの主人公たちを描く時には、
その人物に完全になりきっているので、
例え自分が生身に経験していなくとも、
その人物の心情が、ありありと描ける、ということから、
そうやって描き出したものなのか、


いずれにしても、
そういった心情を描けることは、
そして、60歳を超えた今でも、
20歳の青年、
そして、36歳の大人の男、
また、その他、様々な登場人物の心情を、
男女関係なく、ここまで見事に、細かく描き分けられることに、
読みながら、驚嘆しないわけには行かなかった。


******

以上。

2013/4/21 0:52am








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