April 19, 2013 23:28

My feelings on 2013.4.19 Fri

2013/4/19 Fri 22:53-

最近、日記を書いていない。

*****

さっきふと思ったけど、
大人になって、日々が早く過ぎると思うのは、
多分、
毎日が、「同じ様に流れて行く」と思っているか、
または、
毎日違うことを経験していても、
それを、日記を書くなりして、しみじみと味わう、
ということを、
子供のころに比べてしなくなるから、

子供の頃は、
毎日、何か経験すると、
それを、じっくりと、
良くも悪くも噛み締めて味わうけれど、
大人になると、全てに「慣れて」しまって、
流れるままに、日々を過ごして行くから、

だから、ふと気づいた時に、
「え?もうあれから10年経ったの?」
「え?もう俺って40手前?」
みたいになってしまうんだと思う。


俺は、留学時代は、
ほぼ毎日、日記を書いていた。
しかも、紙のノートに手描きで書いていたので、
一日分書くのに、大体20分はかかっていた。

多い日や、何かに悩んでいるころは、
1時間以上書いていた日も多い。

だから、その時の気持ちは、
今でも自分の心に強く残っているし、
その当時の日記を読み返すと、
その時に感じていた気持ちを、
瞬時に思い出すことができる。

(それでも、数年前に比べると、
その時のことを思い出す「鮮明さ」が、
大分薄れて来たことに、
かなり悲しみを感じるが。)

*****

俺は最近、
3月から東京に戻って来たせいもあり、
仕事の量が多くて、それに慣れなくて、
毎日疲れて遅く帰って来たり、
通勤電車に疲れたり、
色々とあったりして、
中々、腰を据えて、
静かな中で、
じっくりと、自分の心と向かい合う、
という時間を取っていなかったけれど、

そして同時に、
今では、そうやって、
自分の心と向き合う必要性が、
若い頃に比べて、なくなってきたから、
敢えて、その行為を取らなくても、
自分の心が叫ばないので、
それをする必要がない、ということもあるけれど、
(それだけ、若い頃の俺は、
悩みが多かった。
だから、日記帳に自分の想いを記し、
それを客観的に見て、自分の心の中を整理したり、
または、自分を励ます必要性があった。)

今では、たとえ、当時に比べて、
日記を書く=自分の心を内省する
必要性がなくなったとはいえ、
やはり、たまにこうして、筆をとらないと、
まるで、自分の心の中に、
何かがつっかえているような、
掃除を長い間していなかったような、
そんな、ちょっと、「つっかえた」感じになる。


きっとそれは、
自分の心の中に溜まった、
「気持ち」「経験したことに対して自分が感じた思い」
「日々の気づき」「日々の考え」
そういったことを、少しずつ吐き出さないと、
自分の心の中が、ほこりが溜まる様に、
段々と散らかって行くんだと思う。


それを、こうして、文字にして、
感じるままに、流れるままに、
こうして文字に書き起こることで、
一度、自分の心と言う部屋の中に散らかっているモノを外に出し、
それを、終わった後に、読み返すことで、
客観的に自分の心という部屋を見返し、
「ああ、俺の最近の部屋の中には、
こんなものが落ちていたのか。
こんなものが、転がっていたのか」
と、気づくことが出来るんだと思う。


そして、そうやって、自分の部屋=心を客観的に見ることで、
自分のこの「最近の日々」、というスパンの生き方を見直し、
それを、自分の頭の中に、
客観的に、まるで映画の1フレームを観るように
落し入れることで、
やっと、俺という存在は、
ほっと出来るんだと思う。


*****


と、こういうことを書く為に、
今日は日記を書き出したんじゃないけれど、
いつも、こうして何か、
ふと気づいたことを少しだけ書こうとすると、
ついつい筆が止まらなくなり、
書き終えた後に、
「ああ、俺はこんなことを無意識的に考えていたのか」
と気づくことになる。

結構、その気づきが、
楽しかったりする。

*****


さて、本題に入るが、
最近は、色んなことがあった。



やはり大きかったのは、
妻と、自分の父親が、
4月の頭に、手術を受けたことだと思う。



今は二人とも、病院から退院し、
無事に回復段階に入っているが、
やはり、二人の症状が分かった1月頃は、
とても心配で、
夢では、無意識的に、
妻のことを誰かに泣きながら話している夢とか、
親父のことを心配に思う夢などを、
何回か見た。


*****

今は、妻とはまだ一緒に暮らせていないけれど、
5月の頭には、うまくいけば、一緒に住める。

彼女とは付き合いだして、もう既に6年が終わり、
5月で7年目に入るけれど、
今まで一緒に住んだことがあるのは、
付き合いだした直後の半年くらいで、
後は、ずーっと、
別々だった。

やっぱり、これからは、一緒に住むことで、
今まであった、
どこかに遊びに行った後、
別れを惜しまなきゃいけない、
というのがなくなるので、
それが嬉しいな、と思う。

*****

親父に至っては、
色々とあるが、
今週の水曜日に退院し、
今では家にいるので、
良かったと思う。



今日俺は、ポルトガル語の体験レッスンを上智大学のある町で受けた後、
(帰り道に、そこの駅を信号待ちをしながら見て、
「あれ?どっかで見た風景だな?今回が初めてじゃないな」
と考えていたら、その昔、多分2003年頃に、
親友のSがここの大学に通っているときに、
この駅で奴と待ち合わせをした時のことを思い出した。
「ああ、ここか」と。
この町は、とても「上品」という感じがする。
エリート、いいとこのぼっちゃん、お嬢ちゃんの町、
という感じの雰囲気が漂っている気がする。勝手な意見)

一度自分の勤務地の町に帰って来て、
そこで、余りにも腹が減っていたので、
すき屋でご飯を食べたんだけど、
そこに、一人の年配の女性が入って来た。

とても上品で丁寧な方で、
席について、
中国人の店員のおねえさんが、
「何にしますか」と訛った日本語で話しかけても、
普通の人はみんな、ぶっきらぼうに
「並と、たまごにお新香」
みたいな感じで、愛想悪く返すオッサンばかりなんだけど、
その女性は、
「そうね、◯◯をお願いします」
の様に頼んで、
すぐに料理が運ばれて来たら、
「あら、もう来たの?ありがとうね」
と返していたので、
丁度反対側に座っていた俺はそれを見て、
何だか、心が洗われる思いとともに、
何だか、物悲しくなってしまった。

何かというと、
そういう女性が、一人ですき屋で食べるという行為が、
俺にとっては、何だかとてもその女性には
勿体無いことのように思えて、
昔から、
すき屋に、老夫婦が一緒に入って来たりするのを観ると、
何だか、いたたまれなくなってしまう。
(勝手に)


そして、丁度そのとき、
そういえば、俺の両親も、
俺たち(俺と姉貴)が家を出てからは、
料理を殆ど作らなくなって、
昼は結構外で食べる、ということで、
すき屋にもよく行くと聞いていたので、
なんだか、自分の両親が、
すき屋で昼に食べているのを思い浮かべると、
何だか、悲しくなってしまう。

そして、今、親父は、
体が弱っているんだな、と思ったら、
とても悲しくなってしまった。

(すき屋をけなしているようで悪いけれど、
俺にとっては、すき屋はファーストフードでしかなく、
かつ、カウンター席は特に、
キッチンや、反対側のカウンターの中側の壁など、
汚い部分、掃除をされていない部分が必ず見えてしまうので、
とても、「落ち着いて食べられる」環境ではないと思う。
近い横に人が座るし、
まるで、満員電車の中で、急ぎながら飯を食っているみたいで、
そんな環境には、
俺の様な男が、一人で行くか、
または、若いカップルがテーブル席に座るか、
男同士で行くかで、
とても、年配の夫婦だけ、とか、
年配の女性だけで、
そこに入って欲しくない、という勝手な考えが
いつの間にか、ある。)

******

何を書いているのか良く分からなくなって来たけれど、
とにかく、
自分が歳を取って行くのと同じ様に、
その分だけ、両親も確実に歳を取って行く。

自分だけが、歳を取るわけではない。

自分が30歳近くなったときには、
両親も、
同じ30歳分歳を取り、
60歳を超える。

そして、自分の生活だけに忙しく没頭し、
忙しさに身をゆだねて、
両親の元に殆ど帰らず、
親孝行をしないでいると、
あるとき、ふと気づくと、
両親はかなり老けてしまって、
自分の記憶の中の彼らのイメージとは
かけ離れて来てしまい、
そこで、親が病気になったり、
倒れたりしてしまうと、
もう、親孝行を、彼らの若い元気なうちにして、
喜んでもらえる、
ということは、なくなってしまう。


そして、そうなったときに、
きっと、自分は、一番後悔をする。

「なんで、俺は、
自分の生活だけに没頭していて、
あんなに大事に自分を育ててくれた両親を、
もっと、労ってあげなかったのだろう」と。


******

結局人生は、
後悔しても何も意味ないし、
過去は変えられない。

よって、今から未来をどう生きるかであり、
自分の未来に後悔しないためには、
とにかく、常に、
今ベストだと思える行動を常に取り、
後で昔を振り返ったとき、
「あのときの俺は、なぜあの行動を取らなかったのだろう?
でも、常に俺は、その時のベストを尽くして来たのだから、
自分の歩んでいた道に後悔はしない。
その時に気づかなかったのだから、
しょうがない」
と思える境地まで達せられる様に、
生きること。


一番嫌なのは、
何かに気づきつつも、
それを行動に起こさず、
そして、実際にそれがもう出来なくなった時に、
「なぜ、あのとき気づいていながら、
やらなかったのだろう」
と自らを責めることだから。


******


Man, I guess I wrote too much. My fingers hurt now.
Got to go to sleep now.

2013/4/19 23:23





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