December 25, 2012 22:24
"Vicky Cristina Barcelona"
邦題『それでも恋するバルセロナ』。
2008年8月15日アメリカ公開。
2009年6月27日日本公開。
前職で当時仕事をしていた際に、
スペイン留学希望のお客さんが、
「私、明日この映画を観に行くんです」
と公開当時に言っていたのを覚えている。
その後、ビデオが出てから借りて来て、
彼女と二人で家で観た。
にも関わらず、内容を殆ど覚えていなかった。
微妙に、
それぞれのシーンを、
微かに覚えている程度だった。
一番覚えていたのは、
彼女がこの映画の題名を、
よくあるCMのナレーターの声で真似していたこと。
記憶なんてのは、そんなもんですね。
*****
今日は何となくこの映画を観始めたんだけど、
観てみたら、すごく面白かった。
前回は字幕を付けてみたけれど、
今回は字幕無しで見てみた。
すると、まるで自分もスペインに短期の旅行に行っているみたいで、
完全にその世界に入り込めた。
映像がとても綺麗で、
ガウディの建築物(サグラダ・ファミリアや、グエル公園など)
などのスペインの美しい建物や町の様子が出てくるのもあるけれど、
それ以上に、
英語と、スペイン語が入り交じって、
良く分からないスペイン語がガガーッと話された後に、
その後、分かる英語を聴くので、
より、英語の理解度は強くなるし、
スペイン語だと何を言っているのか分からないから、
人の表情やその時のシチュエーションで、
その場を掴もうと必死になる。
それがまさに、海外に留学すること、
日本語を離れて、その文化にドップリ浸かる事の醍醐味で、
それをしてこそ、その国の言語を始めとして、
その国の文化にどっぷり、
文字通り、頭から足までしっかりと浸ることができる。
それをしたとき、自分の細胞は全て、
その国の文化を吸収し、
結果、その国の人の表情や考え方、
ジェスチャー、
パッション(情熱)、
空気、
そういったものを、吸収して、自分の「一部」として
自分のものにすることが出来る。
それを、今日は映画をしながらしていた様なもので、
だから、それがきっと、面白かった。
*****
後で、スペイン語で何を言っているか分からなかった部分を
確かめる為に、字幕を付けて観たら、
スペイン語の方は、[ ]がついて字幕が出て、
英語はもちろん、字幕が普通に出る。
そうやって見てしまうと、
英語は、意味が「日本語で」入って来るから、
どうしても、日本語脳で見てしまうし、
だから、目の前のやり取りを、
日本語の文化でフィルターを通してみてしまう。
そのまま、英語の音を聴いて、
英語の発想で、
その台詞とやり取りを「感じる」こと、
英語の文化にドップリ浸かることができなくなってしまう。
また、スペイン語の方は、
字幕が出るので、
この映画の登場人物の一人、クリスティーナを演じた
スカーレット・ヨハンソンが、
目の前で、ハビエル・バルデムと
ペネロペ・クルスがやり取りをスペイン語でしているのを、
良く分からないわという顔で見ている気持ちを、
字幕が付くことで共感できなくなり、
結果、文字として全ては「分かる」けれど、
結局、目の前の人たちの心情に入り込めず、
共感できず、
結果、「何も分からない」状態になってしまう。
すると、字幕なしで観た時には、
主演のプレイボーイなハビエル・バルデムの行動や台詞を見て、
「すげえなこいつ、
でも、こういうやつ、きっとスペインにはいるんだろうな」
と、すんなり受け入れてしまうところを、
日本語の字幕つきで観ると、
「おいおい、そんなのありえねえだろ。
それはないでしょ」
と、日本語や日本の「文化」「常識」で見てしまうから、
結局、その「世界」を、
すんなりと素直に楽しめなくなってしまう。
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思うに、言語なんてものは、
その場にいる人間と人間たちが、
自分たちの「気持ち」を伝えるためのツールであって、
気持ちさえ通じれば、
つまり、大まかな「何を伝えたいか」だけ掴めれば、
細かい部分は、分からずとも、
良いということ。
昔の俺は、「英語」という言語を、
完璧にマスターすることを目的としていたから、
敢えて、その「言葉」だけに集中してしまい、
肝心な目の前での「気持ちのやり取り」を無視してしまう、
または、「言語」に集中するばかり、
「気持ち」の方に鈍くなり、
結果、大事なものを見過ごしていたこともあったと思うけれど、
今では、そんな風に考える様に変わって来た。
*****
結局は、
留学してほんの数ヶ月目、
まだ、英語もほとんどままならない頃に、
「話したい」という気持ちだけで、
アメリカ人と、何でも話し合えた、
分かり合えた、
そんな感動と経験が、
物語っていたんだろうね。
その真実を。
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と、自分の回想記になりましたが、
そんなわけで、
字幕無しで、この映画の持つ世界にドップリ浸かる事をお勧めします。
そして、当時ペネロペ・クルスは34歳とかですが、
とても綺麗です。
やっぱり色気がありますね。
スカーレット・ヨハンソンは当時24歳で、
もちろん彼女も綺麗ですが、
色気ではペネロペ・クルスに勝てません。
そして、スカーレット・ヨハンソンは、
いつも、こういう感じの、
「その場のノリで動いて、
直感に従って、
自分探しをしている、
ちょっと地に足が着いていない女の子」
を演じています。
*****
この映画を見た、3年前の26歳のときは、
果たして、自分が人間的に未熟だったから面白くなかったのか、
それとも、当時は字幕を付けて観たから、
今日観たときに感じた面白さに気づかなかったのか、
それとも、今日は、字幕無しで見て、
その世界にどっぷり浸かることを楽しんだのか、
それとも、歳を3年ばかり取って、
この映画の話自体を楽しめたのか。
迷うところですが、
楽しかったんだから、
それもどうでもいいじゃん、という感じです。
まあ、前よりも適当になったんだろうね。
2012/12/25 22:24
PS.
ちなみに、ハビエル・バルデム演じる
フアン・アントニオは、ものすごくストレートなプレイボーイなわけですが、
アメリカ的なプレイボーイというよりも、
自分の情熱を、そのまま女性に
ストレートな言葉で伝える、という感じです。
それは、決して、
アメリカ人のそれとは違うし、
また、英語がネイティブの人間が選ぶ言葉とも違います。
会うなり、いきなり"What colors are your eyes?"
なんて聴かないし、
それを、真顔でストレートに言うから、
女性の方も、真剣に呆れるか、
または、それに惹かれるかのどちらかなんだと思います。
そんな風に、
「英語のノンネイティブが使う、
ストレートなExpression」を、
楽しむのも、この映画の1つの楽しみ方だと思います。
時に、人間は、
その言葉がネイティブ・タング(母国語)じゃないからこそ、
その台詞の恥ずかしさを感じることなく、
普通なら、自分の母国語では言えない様なことを、
外国語では、真顔で言えたりするもので。
そして、それが案外、
その言葉のネイティブの人に、
ウケたりするもので。
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昔、留学中、
Tさんによく言われました。
「Shunちゃんは、
真顔で、"You are beautiful in your dress"なんて言うから、
聴いているこっちがビックリするわ。
私なんて、恥ずかしくてそんなこと言えん」と。
確かに、
「あなた、そのドレスがとても似合っていて美しいですね」
なんて、日本語では真顔で言えませんね。