December 24, 2012 23:46

「国境の南、太陽の西」by 村上春樹

200307-06


2年ぶりに読みました。

初めて読んだのは、
恐らく、高校3年の秋から冬にかけた季節だった気がします。

学校の模擬センター試験か何かの国語の問題で、
この小説の一部が使われていて、
その文章を読んで、
「この本は読んでみたいな」
と思って、図書館で借りたように思います。

当時の自分は、小説を読む事を「負け」と思っていたので、
いや、というよりは、
小説を読む事を、「恥ずかしい」と思っていたので、
この本も、当時通っていた船橋にある英語塾に通う電車の中で、
人に見つからない様に隠れながら、
こっそりと読んでいたような記憶があります。

そして、多分その時は、
障りだけ読んで、完読はしなかったと思います。

当時は、この本が、
「村上春樹」によるものだとも知らず、
また、「村上春樹」が誰かも知りませんでした。


*****


月日は流れ。

高校3年の18歳から5年経ち、
23歳の終わりころ、
彼女に村上さんを教えてもらいました。

そして、彼の作品にはまり、
色々な作品を読み、
そして、この作品を、
2年前の、2010年の12月、
会社への行き帰りの電車の中で、
数日かけて読み終えたことを覚えています。


その時は、読み終わって、
心にすごく残ったものの、
この小説が、何を言わんとしているか、
どうも、うまく、言葉に表せませんでした。


そして、この本の感想と、
この本のテーマについて、
彼女と、横浜のランドマークタワーの一階の、
椅子が置いてある広場で語ったことを覚えています。

二年前の、クリスマスの頃です。


*****


そして、今。
昨日、ふと読みたくなって、
読み出したところ、
昨日で殆ど全てを読んでしまいました。
多分3時間くらいかけて。

残りの1時間分くらいは、
さっき読みました。


*****


この小説は、
一冊ですっきりとまとまって、
村上さんの小説の中では、
割とあっさりとした印象が残ります。


しかし、同時に、
「不思議さ」や「奇妙さ」
「ちょっとした恐さ」は
確実に存在しており、
読んでいる最中、
そして、読み終えた後、
不思議な気持ちになります。


*****


「島本さん」が、
本当に生きていたのか。

主人公のハジメが、
37歳になった今、
自分の経営するバーで会った、
その女性、島本さんは、
本当に存在していたのか。


それとも、彼女は、
12歳の頃を最後に、
ハジメが彼女と会わなくなった25年間の間に、
どこかで亡くなってしまって、
今、37歳のハジメの前に現れた島本さんは、
幻だったのか。



それとも、彼女は本当に存在していて、
しかし、あの夜、
箱根の別荘で、一緒に時を過ごした後、
その場から、姿を消してしまったのか。



答えは、分かりません。

恐らく、村上さん自身も、
明確な答えは持っていないのではないかと思います。


*****


しかし、さっき読んでいて、
ふと思ったのは、

自らの心を他人に開こうとしない、
そして、心の中の「何か」を、
なくしてしまった男の周りに存在する、
または、存在した3人の女性は、
二つの完全なる対局と、
その間に位置する存在である、と。



島本さん=彼の理想。彼が、心の中で妄想した、完全なる理想像。
彼女との恋愛は、自分のコントロールを無くし、
完全に自分の本能へと導く。
「死」の中の「生」。


イズミ=かつては普通の明るい女の子だったが、
彼により、深く傷つけられ、
それを境にしてか、自らの生気を無くす。
「生」の中の「死」。


有紀子=島本さんとイズミの間に位置する存在。
「普通」である。
文句の無い生活。「適当」、adequateな存在。
彼は確かに、彼女との生活は「幸せ」なのだろうが、
そこに、魂の震え、
心の燃え上がりを感じない。
「生」の中の、「普通」。



*****


ハジメは、
一人の女性を、18歳の頃に深く傷つけ、
30歳の時に結婚した女性と、
「幸せ」に見えるかもしれないが、何か足りないと思う日々を過ごし、
そして、
37歳で、
自分が理想としていた、
自らの心の中の理想像と出会う。

そこで、彼は彼女との時間を選ぶが、
それはそこでぶつんと切れ、
彼は無の世界に落とされ、
段々と、色が戻ってくるとき、
「現実」の世界に戻って来る。

そこで、初めて、
「リアル」と向き合うことに、気づく。


*****


確か、先日読んだ村上さんの
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」
か何かで、
「僕は、『国境の南、太陽の西』と、
『ノルウェイの森』では、
全く同じ事を書きました」
と言っていた気がする。



『ノルウェイの森』では、
キズキが死に、
直子が死に、
主人公のワタナベ君は、
一度無の世界に落ちた後、
そこで初めて、
「生」の中に「生」として生きる、
緑の存在に気づく。

その、緑という女性の、
存在の有り難さに気づく。


*****



こうして書いてみると、

ー分自身、何を感じて、何を書きたいのかが分かっていないこと、

△修海乏亮造紡減澆垢襦∨椶鯑匹濬わった後のこの感情を、
自分でも分からずとも、とにかく文字に残して、
それが何かを客観的に知ろうとしているが、
それを書き起こす事は、非常に難しいこと、
つまり、村上さんがこの小説で書いていることは、
そういった、実態の見えない、
目に見えないけれど、確かに感じる、
心の中の、「この」不思議な領域であること、
そして、それをこうして作品として書き起こし、
まとめあげることは、
非常に難しいということ、

に気づく。


*****



この小説の中で、こんな台詞がある。


「形のあるモノは、
やがて、消えてしまうんだ。

しかし、『思い』というものは、
確実に、人の心の中に残るんだ。

思いは、目には見えない。
しかし、それは、
確実に、人の心の中に、
永遠に残る。

キミは、そういうものを、
作り出している。」



*****


この小説はまさに、
「目に見えない、
しかし、そこに存在する、
『思い』」を、
まるで、その存在を直接描くのではなく、
その存在の周りにある空気をなぞることで、
その「存在」の存在を、
浮かび上がらせている。

そんな、作品であると思います。


It is so hard to explain it.


2012/12/24 23:45





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