September 15, 2012 13:22

「おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2」by 村上春樹

bo596078


村上さんの村上ラヂオ第二弾です。
2011年7月に出ました。

(この本は妻が東京駅で実家に帰る前に買っていた。
 俺は先日、図書館で借りて来ました。)


*****


村上さんのエッセイは、
読んでいると、とても幸せな気持ちにさせてくれます。

人生の中に確かに存在する、
目に見えないけれど、
確かにそこにあるもの、

大きな騒音の中や、
イライラした心の状態では気づかないけれど、

心を落ち着かせて、
静かな気持ちで、自分の人生、というか、
生活の中を見つめたとき、
ふと見つかる、
「小さな幸せな瞬間」

それを、うまく言葉におさめることが
できる人だと思います。

または、そういう繊細な感性を持っているからこそ、
そういうことができるのかもしれない。



*****



この本の中では、
アボカドの熟した、まさに食べ時の頃合いを見極めるのが難しいことや、
(この本のタイトルの一部にもなっています)

ギリシャのどこかのホテルで、
確実に幽霊がいたらしいけれど、
その幽霊の行動意義をおもしろおかしく表現するところや、

オレゴンのユージーンにあるナイキの本社にあるという、
特別なトラックで走る取材で、
ニューバランスのシューズをうっかり持って行って、
ナイキの靴とウェアーをもらって走った話とか、

ビートルズ解散後のポールマッカートニーの曲には、
軽快さだけが目立って、ビートルズ時代に持っていた
重量感が失われたのに対して、
ジョンレノンの場合には、
ビートルズ時代にあった手放しのみずみずしさが、
その後にはなくなった話とか、


いろいろな話が書かれています。




でも、一番最後の
「ベネチアの小泉今日子」
という回では、

彼が、ベネチアでその昔、
すごく辛い時を過ごしたときに、
村上龍に日本から持って来てもらった
小泉今日子のテープをくり返し聴いて、
ベネチアの街を歩いたという、
そのときの記憶についての話が書かれています。



そこで彼は、こう書いています。


「人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、
自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。
音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。」




まさに、そのとおりだと思い、
この文章は、3回くらい、
じっくりと読み返してしまいました。



****



村上さんのエッセイは、
99%はくだらないどうでも良い話で笑わせてくれますが、
ときに1%、
ふいに、人生の神髄をついたような、
ずどんとして重みのある考察や、
人が誰も抱える、心のすき間、
寂しさや切なさ、というすき間に入り込むような感性で、
読者の胸を、確実に突きます。






それが、きっと、
ビートルズ時代のポールマッカートニーの音楽の、
一見軽快に見えながらも、
その中に確実に存在していた、
「独特に張りつめたもの」
に当たるものなんだと思います。



*****



村上さんの本は、
毎回、読み終わった後に、
「この本は一生、綺麗に保管して大事にもっておこう」
と思わせられます。


もともとは妻から村上さんのことを教えてもらったので、
来年、俺が東京に帰って一緒に住み始めたら、
二人の「村上春樹コレクション」が、家の本棚に並ぶのが楽しみ。



2012/9/15 11:55












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