August 22, 2012 21:05

「名もなき詩」by Mr. Children

r8tp8z


彼女と話していると、
よく、Mr. Childrenの話になる。

彼女はミスチルが大好きで、
高校時代は、ミスチル無しでは語れないほどだそうな。

また、彼女の高校時代からの親友が、
やはりミスチルが大好きだったということで、
良く、彼女の昔話になると、
必ずと言っていい程ミスチル話が出る。



俺は、中学から洋楽を聴き出したのもあり、
思春期に、ミスチルをガッツリ聴いた、
という思い出はない。

だから、彼らの曲が、
ヒットチャートに上がって来て、
それを聴いて、彼らの歌を知っている、
という方が近い。

(しかし、彼らの凄い所は、
その音楽とメロディが余りにもキャッチーで、
かつ、心に残る歌なので、
余りその歌を聴き込んでいなかった自分でも、
ほとんど知っている、ということ。


ちなみに俺が彼らの曲を凄く聴き込んだのは、
『シーソーゲーム』や、
『everybody goes』など、
俺が小4位の頃の歌だった。)


*****


先日、彼女と会った際に、
また彼らの話をしたせいもあり、
昨日辺り、ふと、彼らの曲をかけてみた。


そして、心にずどんと来たのが、
この表題の曲。


この曲を改めて、
彼女に解説してもらって、
初めてジックリと聴いたのは、
俺が23歳の頃だった。
彼女と会ってまだ間もなかった、
2007年の夏、
サンフランシスコのスーパーマーケットの駐車場でだった。



そこで、

「知らぬ間に築いていた
 自分らしさの檻の中で
 もがいているなら誰だってそう
 僕だってそうなんだ」


という歌詞を聴いたとき、
それが、その時の自分に余りにも当てはまっていて、
心の奥底をさされたというか、
それが余りにも当たっていると同時に、
それをどうしようもない、自分の状態に、
切なさというか、
何か、どうしようもない焦りみたいなものを感じたことを、
はっきり覚えている。



*****




その後、
それから月日は5年ほど経ち。




今では、俺も当時の23歳から、28歳になった。





先日、彼女と久しぶりに会い、
結婚指輪も買い、
自分の両親、そして彼女の家族にも会い、
彼女の高校時代の友達とも会い、
凄く幸せな5日感を過ごした。



そうして帰って来た俺は、
なにか、揺るぎない自信のようなものが、
自分についていることを感じた。


それは、よく若い頃に持ちたいと思う、
強がっている「自信」
みたいなものではない。




それは、
「自分には、大事な人がいて、
その人の周りと、自分の周りには、
大事な家族がいて、
自分は、そうやって、
大事な人たちに囲まれながら、
しっかりとした基盤をもって、
毎日の人生を生きている」

ということを、
再確認した、という感じ。



それにより、
今までは、仕事(今後の人生プラン)も固まらず、
不安定だったことに対して、
今では、仕事も安定してきて、
将来のプランも固まって来て、

そして、自分の大切な家族もできて、
将来に、希望を持って、
毎日生きて行ける、
という、無理のない、確固とした、
「地盤」、
そういうものが、できたのだと思う。




それが、俺が今回、
「揺るぎない自信」を持った、
と感じた所以だと思う。



*****




なので、
今回、上に書いた同じ台詞を聴いたとき、
前回なら、
このメロディと歌によって呼び起こされる、
どうしようもない焦燥感、
不安感、
というものがあったのに対して、

今では、
「そういえば、俺も、
こんな感情を抱えていたときがあったんだ。
しかし、今では、
俺もそこを乗り越えられたんだ」

と感じる様になった。






自信がないときは、
人は、背伸びをして、
自分以外の誰かになろうとして、
結果、
落ち着きがなくなる。





しかし俺は、
彼女という大切な人と出会い、
その人に、自分のあるがままを受け入れてもらい、
「自分のままでいいんだ」
ということに、自信を持てたのだと思う。



それが、
今では、
以前に感じていた、
「自分勝手に作り上げた檻にハマっている自分」
から、
「自然で、肩の力を抜いた、自然体の自分」
で、普段からいられる様になったのだと思う。





*****





この変化が起きたのは、
先日帰って来てから、
ほんの数日のことなのだが、
俺の心の何処かに、
「自分自身でいいんだ。
自然のままでいいんだ」
という、一歩引いて自分を観ることのできる、
落ち着いた目線が、
自分自身に持てる様になった、

そんな気がする。



だから、仕事の場でも、
会社でも、
以前は少しのことで、
頭に来たり、
人にムカついていたことが、
今では、
一歩引いて、
自然と、対処ができるようになった、

そんな気がする。




*****




「知らぬ間に築いていた
 自分らしさの檻」



それを脱ぐことに、
この数年感、随分もがいて来た気がするが、

やっと、それを脱ぐことが出来た気がする。




2012/8/22 21:05






追記:
それにしても、
桜井さんの唄い方というのは、
どうしてこうも、
心に迫るものがあるのでしょう。




この歌でも、

「成り行きまかせの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心いためる様な時代じゃない
誰かを想いやりゃあだになり
自分の胸につきささる」


の後の、
「だけど あるが〜」

の部分で、トーンが上がりますが、
そういうところの唄い方と、
曲の雰囲気が、
聴いているこちらを、
泣かせそうにさせる。




先日、彼女も言っていたが、
桜井さんの唄い方というのは、
晩年を通して、変化をしているそうな。


彼女はそれを最近じっくり聴いて気づき、
以前は、決して「歌のうまい」歌手とは観ていなかったけれど、
やはり、
聴き手の心に語りかける、
その唄い方は、
非常に「歌のうまい」歌手であると、
再認識したそうな。




彼の声と、
その唄い方と、
メロディのラインと、

そして、
彼らが作り出すその「雰囲気」は、
One and Onlyだと思います。


もの凄い才能だと思います。













**************






「名もなき詩」

作詞・作曲 桜井和寿



ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰
真実を握りしめる

君が僕を疑っているのなら
この喉を切ってくれてやる
Oh darlin 僕はノータリン
大切な物をあげる oh

苛立つような街並みに立ってたって
感情さえもリアルに持てなくなりそうだけど

こんな不調和な生活の中で
たまに情緒不安定になるんだろう?
でも darlin 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ

どれほど分かり合える同志でも
孤独な夜はやってくるんだよ
Oh darlin このわだかまり
きっと消せはしないだろう oh

いろんな事を踏み台にしてきたけど
失くしちゃいけない物がやっと見つかった気がする

君の仕草が滑稽なほど
優しい気持ちになれるんだよ
Oh darlin 夢物語
逢う度に聞かせてくれ

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにある物
街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ

絶望、失望( Down )
何をくすぶってんだ
愛、自由、希望、夢
足元をごらんよきっと転がってるさ

成り行きまかせの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心いためる様な時代じゃない
誰かを想いやりゃあだになり
自分の胸につきささる

だけど
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ

愛情ってゆう形のないもの
伝えるのはいつも困難だね
だから darlin この「名もなき詩」を
いつまでも君に捧ぐ











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