July 14, 2012 17:59

「個性を捨てろ!型にはまれ! 」by 三田紀房

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前回読んだ
「汗をかかずにトップを奪え!『ドラゴン桜』流ビジネス突破塾」の著者、
三田紀房による著作第一作目。
2006/11/17の初版発行。

読み物としては、上の「汗をかかずに〜」の方が、
ドラゴン桜の主人公に自分を置いて、
割り切って書いているので、
読み易いし、面白い。

こっちの本は、初の著作というのもあるせいか、
まだ中途半端な感じが残り、
ちょっと煮え切らない。
よって、「汗をかかずに〜」の方がおお薦め。
この本では、メッセージが弱く、
ダラダラした感じも否めない。


*****


この本では、
「型にはまる」ことの重要性を説いている。


要するに、

この「日本」という社会は、
昔からの伝統が残る、
ガチガチなタテ社会であり、
かつ、
学歴の高いヤツほど、将来選べる道の選択肢も広がるし、
給料も変わるのだから、
変に「個性を出せ」なんて考えずに、
日本が持つ「型」に思いっきりハマってみろ。
そうすれば、全てがラクにうまく行く。


というメッセージ。

*****

彼はこの本の中で言う。

良く、数学が苦手な中学生ほど、
「方程式が何の役に立つの?」と理論じみて言うが、
そんな問いには、
「数学ができれば、よりレベルの高い高校に入り、
東大に入ることができる。
そうすればどんな職業も選べるし、
給料も高くなる」とありのままを言っておけ、と。

それを、「それも大事なんだよ」
と教師が濁していうから、
けっきょく感受性の鋭い子供は、
親のその理論に含まれるウソを見抜き、
よけい反抗して、勉強をしなくなるのだ、と。


*****

また、彼は大相撲のタテ社会に見られる、
日本独特の社会構成を説明する。

大相撲の世界では、「関取」以上の力士にならないと、
給料も出ない。

しかし、先輩力士の世話をして、
料理、掃除などの仕事をしておけば、
衣食住の分は面倒を見てもらえる、と。

結局、日本の団体スポーツに見られる体育会系の社会も、
それができており、
日本の会社もそうだ、と。

仕事のできる上司が、全く仕事のできない新人の部下の分の給与も稼ぐ。
その代わりに、部下は上司の言ったことに一切楯突かず、
言われたことは全て素直に行う。

そこに師弟関係が生まれる。


それを、欧米化した変な成果主義を入れてしまうと、
その日本独自の居心地の良さも無くなり、
下の者は、本当に食って行けなくなるし、
上の者も、いつ給料が下がるか分からず、
安心して仕事ができない。

その結果、その「会社」という組織に対する愛着心が芽生えない、と。

*****

彼は、2006年甲子園のハンカチ王子の例を出して言う。

大人は、子供たちに個性を出せと言うが、
結局は、彼の様に、
頭を丸坊主にして、素直で、
「高校野球」という独自の「型」にハマった若者を見ると、
安心するのだ、と。

上の人間は、決して下の人間に「自主性や自由」は求めていない。
必要なのは、言うことを素直に聞く、
従順な若者なのだ、と。


*****

ということで、まとめとして、
また最初に書いたことに戻るけど、

「日本」という社会は、
・タテ社会
・完全学歴主義
で、それらの中でうまくやって行けるかによって
自分の人生の選択肢、及び給料も変わるのだから、
ヘタな個性を伸ばすゆとり教育などに手を染めず、
とにかくその「型」にはまれ、と。

そして、以外とその「型」は、
中にいると居心地が良いものだ。

なぜなら、日本人のDNAには、
結局は「型にハマりたい」
「型にハマると気持ちいい」
という本能が眠っているのだから、と。

(だから、社会に反発して
不良になる若者も、
結局は「族」「不良グループ」という
タテ社会バリバリの「型」にガッツリはまって行く、と。)


*****


ここからは俺の意見になるが、
この本の著者である三田紀房の考えは、

「日本という社会の中で生きる以上、
その仕組み(型)に反抗しようが、
結局はそれは覆せないのだから、
その仕組みにドップリ染まって、
その中でうまくやって行ったほうが、
人生は全く持ってラクだし、楽しいぜ」

という主張。
言わば、
「(日本という)郷に入れば郷に従え」
というメッセージ。




それに対して、
俺が中学生の頃から高校までハマっていた
落合信彦は、

「日本は、もっとアメリカっぽくなれ」

という主張。

これは、落合は1960年代にアメリカに渡り、
そこで20歳前後から30代半ばまでを過ごしたことで、
完全にアメリカナイズされた考えによる。

つまり、
「日本の型よりも、
アメリカのそれの方が、クールだぜ」

という考え。


そして、俺がここ数ヶ月でハマっている
苫米地英人の場合。


彼も、落合信彦に近い。

「アメリカでは、こう考える。
でも、日本はこうだ。
でも、アメリカの方が、もっと良い。
だから、日本はアメリカナイズしろ」と。


*****


超極端に言うと、
こんな感じ。

三田紀房=「日本社会で生きるなら、つべこべ言わずに日本の『型』にハマれ」

落合信彦、苫米地英人=「日本はもっとアメリカナイズしろ」



三田氏は、
この本の最後の方でこう言う。

「日本人は結局、
本音と建前ばかりの社会で、
その文化を悪いと言う人も最近はいるが、
本音ばかりの会話ほど、労力を使うものもない。
日本というこんなに狭い土地に、これだけの人間が収まっているからこそ、
お互いに建前を駆使しないと、
このわずらわしい人間関係の中でやっていけないし、
だからこそ、日本の「建前」の文化は生まれた」と。


また、上のハンカチ王子の話にも戻るが、

「結局は、高校球児がロン毛でピアスをして、
間違った判断を下した審判に楯突いていたら、
大人は見ていて面白く無い。
例え間に合わなくても必ずヘッドスライディングをして、
誤審を下した審判にも素直に従い、
負けたら泣いて、甲子園の土を持って帰れ。

そこで、型にハマらないヤツが何を言おうと、
それが正論であろうと、
大人は耳を貸さないのだ。

最近騒がれる『品格』とは、
要するに、上のものが決めた『型』を
踏まえているかどうかなのだ」と。


*****


以前、苫米地氏の本では、

「全世界に存在する『伝統』や『マナー』は、
結局はその国が作った『洗脳』(苫米地氏が良く使うこの言葉を、
三田氏の言葉で置き換えると、『型』となる)であり、
そんなものは、上の人間が下の人間に強要しているだけであり、
捨ててしまえ」

とあった。
「テレビは見てはいけない」より。)



しかし、苫米地氏の意見は、論理的にはあっているものの、
それをいざ実行すると、
多くの反対意見を喰らうし、
また、非常に「生きにくい」。

そして、周りの人間は、
「あいつは何を考えているか分からないし、
一々楯突いてくるから、
面倒くさいから放っておこう」
となり、結果、孤立することとなる。



それが、苫米地や落合が、
結局は、
バリバリの日本社会からは煙たがられる所以である。

(彼らは、理論的には正しいことを言っているが、
結局は、上のものに取っては、
「面倒くさい」存在でしかない。)



そして、この本と前回の本で三田氏は、

「若者よ。
アメリカナイズ、欧米化などせずに、
日本社会で生きて行く以上は、
つべこべ言わずに日本の型にはまっておけ。
それが、一番ラクにトップを狙える生き方だ」と。



*****


以前の(20代前半までの)自分、
特に、留学中、または留学から帰って来た直後の自分であれば、
三田氏のこの本での主張は、
素直に受け入れられなかったと思う。

しかし、実際に日本社会で働いてみると、
いかに彼の意見が正しいかを実感する。

結局は、「川の流れに乗った方が、人生はラクだぜ」
ということ。

ここでいう「ラク」とは、
「効率が良い」ということ。



落合は、日本という川の流れを批判し、
その流れを、よりアメリカの流れに近づけよう、とするタイプ。

なので、もの凄いパワーを使うし、
相当我が強くないと、
やってられない。


そして、苫米地は、
一人、
川の外に立って、
どんな国の川の流れも、
”その川”の流れという”洗脳”があるので、
一度、全ての川から完全に出てみて、
その”流れ”がない状態の「水」というものを観察してみなさい、
という主張。

なので、
常に彼の視点は、宇宙からこの世の中を見ている。
なので、現実味がない。


****


若い頃は、
目の前にある「川」というものの流れに逆らうことが、
カッコいいと思う。

なので、とりあえずそれに反抗してみる。

そして、
大人になるにつれて、
つまり、社会に出て、お金を稼ぎゃなきゃならない状態になるに従い、
その「流れ」が「世の中」なのだから、
その流れの中で、いかにうまくやるかが、
結局は大事なんだ、

そうじゃないと、
お金が稼げない、
食って行けない、
ということに気づく。


*****


ちなみに、
俺の妻は、
どちからというと、三田氏の考えに近い。

「人生は、いかに効率よく、
ムダな労力を使わずに、
楽しく生きていけるか」

であると考えている。

彼女は、「面倒くさいこと」が一番嫌い。

だから、どうしたら効率がいいかを考えるし、
その為に、頭を使うので、
結果、非常に頭が良い。賢い。
なので俺は彼女を尊敬する。



また、俺の高校時代の親友のSも、
その考えに近い。

高校時代の口ぐせは、
「ま、いいんじゃない。俺じゃねーし」笑

つまり、
自分がちゃんと利益を得られていれば、
あとは、周りがどうであろうと、特に関係ないよ、
というスタンス。

(こう書くと冷酷に聴こえますが、
彼はとても友達思いで、
その上で、上のことをユーモアを交えて言います。
自分の欲が満たされることがまず大事、
というスタンスをきちんと表に出すので、
非常に付き合い易い。)



そして俺はずっと、
暑苦しい落合節で生きてきた。

しかし、20代後半になり、
日本社会に出て4年が経ち、
自分の考えも変わったのでしょう。


要するに、一つの考え方しかできなかった状態に、
幅が加わったのだと思います。


「結局、何を言おうが、
現実的にいかに賢く生きて行けるかが
一番大事だろ」

ということ。


これを社会では、
「お前も世の中というものを分かる様になったな」
と言います。


*****


さて、ダラダラと取り留めの無い文章となりましたが、

結局は、この世の中は、
既に決められた「型」がバリバリ存在する世界なので
(それはどこの国に行こうと)、
その「型」にハマって、
「賢く」生きた方が、
ラクだし、楽しめますよ、

ということ。





ちなみに、三田氏の経歴を見ると、
大学を出た後、
親の家業を継いだ跡、
父親が亡くなり、借金にも追われ、
苦しい生活をした結果、
30歳のときに、賞金稼ぎのために、
マンガを描き始めたらしい。


要するに、彼はお金で苦労をして、
「この世の中は、どんなに綺麗ごとを言おうと、
食って行けなかったら意味が無いし、
結局は、この世の中の給料は、
学歴で全部決まってるじゃねーか。」
ということに気づいたのでしょう。


その結果が、
彼がドラゴン桜を生み出すきっかけとなり、
このような本を書くに至ったであるかだと思います。


苫米地氏は、
親が財閥系であり、
お金に苦労をしたことがないから、
常に宇宙からものごとを見ていられるのだと思います。
フェラーリに乗りながら。



そして、落合氏は、
小学生の頃から、
夜逃げを13回も経験し、
お金に困って来たからこそ、
そして、その後にアメリカに渡り、
そこで日本のそれとは全く違う生活を送ったことから、
「戦後の日本」=「貧乏な上に腐ってる」
「ジョン・F・ケネディ時代のアメリカ」=「裕福で素晴らしい」
となり、
「まずは、日本人よ、目を覚ませ!!」となったのでしょう。





少なくともこの3人に共通しているのは、
「日本という社会を外の視点から一度見て、
その上で、それに対して意見を言っていること」です。


*****

長過ぎて疲れた。

2012/7/14 18:15











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