June 16, 2012 14:49

「バイリンガルは二重人格」by 苫米地英人

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非常に面白い本だった。

「英語」というものを話す際において、本質となることを、うまく指摘している。

2010年12月発行の本。
本が出てすぐに買っておいたが、読まずに今まで置いていた。
昨日読み出して、一気に読み終えた。


*****

この本の中で、
「長期記憶に関しては、それが英語だったか日本語だったかは関係ない」というくだりが出て来る。

これは非常に言えている事で、
実際に、留学中にも、「あれ?昔誰かと話したあのアイディアは、日本語で考えてたんだっけ?英語で話してたんだっけ?」と、混乱することが結構あった。

英語を話す際には、英語モードに、
日本語を話す際には、日本語モードになるのだが、
その状態が書かれていたので、「そうそう」と頷けた。

*****

上の話は、この本のテーマとは余り関係がないけれど、
ちなみにこの本のテーマというのは、

「『英語』を話す際には、一番大事なのは、
その『英語』というものに含まれる『文化』を理解することですよ。
決して、発音の綺麗さや流暢さが、英語を話す際に必要なことではありません。
ヘタクソな発音や訛りのある発音でも、その人の話している文章の内容に、知識と教養が見えるものであれば、英語ネイティブの相手は、あなたに一目置きます。

その『英語文化』にドップリ浸かる方法は、完全に英語だけの世界に浸かる事を繰り返す事により、『英語を使う状況に対して、いかにリアルな臨場感を持てるかどうか』ということです。

最終的には、英語を話す際には、『英語を話す文化』を理解した自分が存在し、その『自分』と、『日本語を話す自分=日本語文化の中の自分』とは、異なる別の『自分』が存在する事になり、それが、『バイリンガルは二重人格』という所以です。」

ということ。

*****

p.89に、この様な記述がある。

「英語で十分なコミュニケーションをとるためには、英語圏の文化の根本を理解することが必要。そもそも、日本人の主張はこうだ、アメリカ人の考えはこうだと言い合うだけでは、いつまで経っても相互理解は生まれない。
互いに理解し合う為に、何が必要か。まずは、互いの文化を知ること。その上で、互いに主張する論点よりも抽象度の高いところに立って、問題を話し合う必要がある。」

これは正に、俺が大学のコミュニケーション・スタディーズ(Comm Studies: Interpersonal and Organizational Communication)の授業で学んできたことの本質だった。
なので、それがずばり指摘されていて嬉しい。


p.90:
「交渉ごとというのはおしなべて、相手に対する理解が深い人の方が、有利に事を運べるものです。
なぜかと言えば、そういう人は高い抽象度で物事を考えることができるからです。その結果、相手が信頼を寄せて来るからです。相手と簡単に、ラポールを生み出す事ができるということです。」
(*「ラポール」とは、「相手と打ち解けて、お互いに信頼し合い、安心して自由な感情の交流が生まれる関係」のこと。)


この点も、実際に普段仕事をしていて感じる。

先日、仕事の関係で通訳を行った際に、
自分は会議室の真ん中の席に座り、
左サイドにはイギリス人2人、
右サイドには、日本人4人が座り、
その中間で、自分がお互いの意見を訳して、話し合いを進めて行った。

その際に感じた事は、
自分は、双方(英語と日本語)の言う事が理解できるが、
それぞれの人たちは、相手の言語(英語、または日本語)が理解できない為に、
相手の言っていることへの理解に時間を要したり、

(これは、俺が訳しているのを待つ時間然り、
又は、純粋に、文化の違いによる相手の話し方による、お互いのリアクションにもよる。
英語文化人は、日本人に比べて、一方的にわあっと喋るように見られる。逆に、日本人は相手が良い終えるのをジックリ待つので、相手には押しが弱い、と取られる事もある。)

または、自分の言語での考え方しか分からなく、
相手の言語の文化を知らない為に、
その状況でその人が言った事を、そのままダイレクトに訳してしまうと、
実際にもう一方の相手にその言葉が伝わる時点で、
その人が本当に伝えようとしていることと、
実際に伝わった内容に、
少なからず差が生じてしまう、ということを感じた。


実際の例を挙げると、

話の最後の部分で、ある話題の取り決めが行われるクロージングの部分で、
右サイドの日本人側が、相手に対して、ある条件を持ち出した。

しかし、彼が言った通り、
何のクッションもなく、その条件だけをそのまま伝えては、
相手には、「押しが強い」と見られ、余りいい印象を持たれないことが目に見えていた。
(実際は、日本サイドの方が、相手サイドよりモノを買う方なので、日本サイドの方が立場が強いからこそ、それだけの強い主張をしていた、ということも背景にはあるのだが。)

そこで俺がしたことは、
一度、相手サイド(イギリス側)に伝える際に、
「まずあなたたちに知っておいて頂きたい事は、私たちは、あなたたちをベストパートナーとして考えたいということです。私たちは、あなたたちの努力を高く感謝します。私たちの真の目的は、お互いがWin-win situationになることです。その上で、この条件を持ち出します・・・」

と、切り出したこと。

それにより、それまで緊張していた相手側も、雰囲気が和み、
「私たちも、そのように考えます。それならば、このような条件を足しては如何でしょう?」と、日本側の条件を飲むと同時に、更に日本側にとってベターになる他の条件も付け加えてくれた。

*****


これが起きたのは、
下の二つの理由が挙げられると思う。

1、自分が、第三者として、双方の話を一歩引いたところで聞いていたので、お互いの感情を通り越したところで話を捉え、全体像を見渡すことがでいた。結果、お互いにとってプラスになるように話を持って行く事ができた。

2、自分が、お互いの文化(日本語文化、英語文化)を理解していたので、日本語文化から発されたメッセージを、英語文化へ伝える前に、英語文化の交渉において重要とされる、「私たちはあなたたちを理解していますよ。あなたたちの気持ちがよく分かります。その上で、お互いにとって有益となる話をしようじゃありませんか。私たちの究極の目的は、私たち全員がハッピーになることです」というメッセージを頭に入れる事で、物事がうまく進んだ。



上に挙げた著者の主張で、
「英語で十分なコミュニケーションをとるためには、英語圏の文化の根本を理解することが必要」ということと、
「交渉ごとというのは、相手に対する理解が深い人の方が、有利に事を運べるもの」
ということがあったが、

それは正に、
俺がアメリカ留学時代に学校で習った事と、
かつ、俺が留学時代の生活の中や、今の仕事の中で体験していることだったので、その箇所を読んで、「まさにそうだな」と頷けた。


*****


ちなみに、一つ前のエントリーでも書いた日本政府に対する怒りだけれども、これもすべて、

「政府が日本という島国の中で、日本語でしか物事を考えないから」(p.151)であり、
「日本人が日本という村社会の中で、日本語だけを使って、世界を眺めているから」(p.148)

こそ、感じること。

「日本語でしか物事を考えない」ということは、「日本文化の考え方でしか、世界を見れないこと」であり、
日本はそれに更に追い打ちをかけるように、「島国」という、物理的に周りを他の国と隔離された状態に陥らされている。

だからこそ、日本の政治、及びマスコミは、「日本的村社会」の、狭い視野でしか、物事を考えないし、それが変わって行かないのである。

(これはちなみに、アメリカに対しても言えること。アメリカは、色々な人種が混じり合い、他の国からも移民がどんどん増えている点では、日本とは違って、視野がその分広くなる状況にある、と言えるが、
しかしその「アメリカ」も大きな島国の様なものなので、やはり「アメリカ人」は、ヨーロッパなどに行くと、「世界の田舎もの」とバカにされる傾向にある。

その点、ヨーロッパは、様々な国がいくつも同時に隣接しているため、そういった、「物理的環境によりもたらされる視野の狭さ」というものは感じなかった。俺が2004年に実際に訪れた際には。

ちなみに日本は、世界から見ると、「一人、世界の最東端に、日本独自の世界を築き上げているミステリアスな国」という、変なイメージが一部の人からはある。
まあ、日本の外交のやり方は、「田舎者」とバカにされるか、または、相手にもされていないかもしれないけれど。)

*****


本のまとめとして、
苫米地氏はこう書いている。

「国連の会議では、英語の他にフランス語、スペイン語などが使われているが、それでも世界が英語を事実上の世界標準語として認める時代になっている。
それは、英語が理解できた瞬間に、世界192ヵ国のことがすべて分かる時代になったということ。
その証拠に、いまやイラクやイスラエルの新聞が、iPadで英語で読めるようになっている。
英語が分かれば、世界192カ国が今何を考え、何を問題にし、どのような議論に沸き、どのように手段を尽くそうとしているのか、リアルタイムかつ臨場感を保って理解可能な時代になり始めている。

日本人だけに通じる、堂々巡りの思考回路から、そろそろ自分を解放する事を考えるべきである。
それが出来た人は、たとえ日本の経済も政治も三流になったとしても、外国人から頼りにされ、尊敬もされ、海外のどこに行っても通用する存在になれるだろう」と。


結局、大前研一氏や柳井正氏が「この国を出よ」で言っていることも、落合信彦氏が幾つもの著作で言っている事も、これと同じ事なのである。
チャンチャン。


2012/6/16 10:08am




追記:

彼はこの本の中で、「英語文化」「英語脳」「ネイティブで英語を使う人間の考え方」を学ぶ最適の方法は、英語の古典を読む事だ、と言う。
これは、まさに俺も賛成。



また、もう一つ付け加えると、
苫米地氏は、
「その人の話し方、つまり、その人の言語現象は、本人の前頭葉(前頭前野)の情報の質がどれほどのものか、包み隠さず表してしまう」という。


コミュニケーションにおいて一番重要なことは、
ラポール(相手と打ち解け、お互いに信頼し合い、安心して自由な感情の交流を生まれる関係)を作り出すことであり、

その最も簡単な方法は、
「自分が信頼に足る人間か、相手にとっていかにメリットのあるいい人間か」を伝えることである、と。

その場合、相手にとって「いい人」であるかどうかは、「よりよい機能を果たしてくれるかどうか」にかかっている。

そしてそれは、その人の言語運用能力によって、相手にすぐに伝わってしまう。
なぜなら、言語能力は、その人の前頭前野の質をものの見事に表すから、と。



そんなわけで、日本人ビジネスマンが、アメリカの本社を訪れた際に、
例え発音が流暢でネイティブ並みでも、
相手に向かって”What’s up?”と言った時点で、
「こいつはバカか」となるわけで。

それよりも、いかにへたくそな日本語訛りの英語でも、
“Hello, how are you?”と言った方が、相手は、
「この人は、きちんと話の出来る人だ」となる。

そんな風に、
常に、時と場所と相手により、
きちんと話の中身を変えられる、
いかなり状況でも、応用の効く人間でありたいと思う。






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