March 05, 2012 10:57

「夢が勝手にかなう脳」by 苫米地英人

abc

相変らずこの人はぶっ飛んでいますね。
面白いです。

先日、前職の先輩のOさんと会った際に、
何と彼が、食事の場で、苫米地氏の名前を持ち出すじゃありませんか。
「(もう一人の元上司Oさんに対して、)Oさん、苫米地英人って知ってますか・・・?」と。

俺は、周りに彼の本を読んでいる知り合いがいなかったので、
「おお、知ってますよ!」と嬉しくなってしまいました。

O先輩も曰く、
「苫米地っていうのがいて、こいつがかなり頭が良くて天才なんですが、かなりぶっ飛んでるんですよ」と。
O先輩も、苫米地氏のことを以前Youtubeで観たらしく(水道橋博士との対談)、
それ以来、彼の本を読んでいるそうです。

ということで、その夜は、
「この社会に存在するお金とは何か」
「金融資本主義社会の実態像」
などを少し話したのですが、楽しかったです。

*****

さて、本題に入ります。

この本では、彼が言う「A次元」(=抽象次元:Abstract次元の略)
の詳しい解説が出て来ます。

この本を手にしたとき、
「おいおい、また怪しいA次元なんて言ってるぜ」
と内心からかいながら読み出したのですが、
これが、完全に目を見開かされました。

昨晩読んでいたのですが、
久しぶりに、衝撃を受けました。

恐らく、小学4年生の頃に入っていた科学クラブで、
担当の先生が、
「どうして飛行機は飛ぶのか」
の原理を、飛行機の翼を横から見た図を黒板に描いてくれて、
そこを風が流れる原理を示してくれたときぐらいに、
大きな、科学的感激を覚えました。

*****

苫米地氏曰く、
この世の中は、4次元(縦・横・高さの3次元+時間の4次元)
で表されますが、
これを、「物理次元」と呼びます。

そして、この物理次元の上にあるのが、
「A次元」。

現代の物理学では、自然に存在するもののみを、
その研究の対象としているわけですが、
そこには、「心」の存在は、対象になりません。
物理学的にいうと、「心」は見えないからです。

しかし、物理学の定義が、
「”自然に存在するもの”を研究する」のならば、
「心」は、確実に、そこに自然に存在している、と。

そして、物理学者が「ない」とする「心の存在=A次元の存在」
を扱う学問が、心理学、哲学、情報科学である中で、
それらのA次元の学問を物理学と統合して考えようというのが、
苫米地氏の発明した、「脳と心」を一つに捉えた、
「機能脳科学」である、と。

*****

そこで、彼は分かり易い例を出します。

例えば、私たちが、メルカトル図法で描かれた世界地図を見るとき、
その2次元(平面)の絵を見ながら、
頭の中では完全に、3次元(立体)のイメージを描くことができます。

また、別の例えで言うと、
私たちが肉眼で見ると平面に見える物体(例えば、皮膚など)も、
顕微鏡で見ると、小さな細胞が幾つも繋がっているのが分かる、と。

そして、その小さな細胞は、
実際には別々の立体的な物体なわけで、
その立体的な小さな細胞がくっついてできた物体も、
私たちの肉眼で見ると、ただの平面にしか見えない。


ということは、
次元を落とすと、上の次元からは平面にしか見えないものが、
実際には、立体的な込み入った世界であることから、
私たちが生活をしている物理次元(4次元)の上には、
更にもう一つ、私たちがいる物理次元を操る別の次元(A次元)が存在するはずです、と。


よって、私たちが普段目にしている4次元世界(3次元+時間)で見るものは、
更に上の次元の写像かもしれない、と。


すると、この世に生きる人類の一人ひとりは、
4次元的には別々の人間であっても、
A次元から見れば、同じ一つの物体の別の側面でしかない、と。

すごいですね。ぶっ飛んでますね。

*****

また、別の例えも出て来ます。

ある3次元の物体(例えば球体)が、
2次元の世界(例えば一枚の紙)を通過するとき、
2次元的に見ると、
その球体の先端が紙に触れた時には、一つの小さな点から始まり、
それが段々と、球体の中心部が紙に近づくに連れて、
その点は、どんどん大きな円となって行きます。

やがて、球体の中心部を過ぎてしまうと、
紙の上に投射された円は、
半径が最大値の状態を過ぎ、
また、小さな点へと戻って行きます。

そして最後は消える。


これを、人間の人生と捉えることもできます。

つまり、突然生まれて、突然死んで行く人類という存在は、
A次元から、4次元空間を通り抜けて旅をしている真っ最中である、と。



すごいですね、かなりぶっ飛んでいますね。
ここを読んだ時は、
ちょっと鳥肌が立ちそうでした。


これを、宇宙の始まりから終わりに適応することもできるので、
ある意味、この宇宙(4次元の世界)を作っている上の次元がA次元だとすれば、
そのA次元へと心を運ばせることができる人類は、
ある意味、
『A次元という自分の「脳と心」の中を、
宇宙のビッグバンが通り過ぎている』と定義することもできる、と。


ぶっ飛び過ぎですね。

*****

しかしこれは、
簡単に言えば、

「私たちの心は、一瞬で宇宙の彼方をも想像できることから、
宇宙より大きいのは、人間の心である」

という誰かの言葉にも当てはまります。
(よく小学校でこういう質問を先生からされましたね。)

そして苫米地氏は、恐らく、
人類が昔から感覚的に知ってはいたが、
現代(19世紀以降〜)の「科学が全てを凌駕する常識」の世界へと変わった今では、
俗にいう目に見えないもの、
または、科学的に証明できないもの(又は、まだ証明が出来ていないもの)
を、否定する傾向があるこの世界において、

「いえ、それは科学的に証明できますよ」と、
言っているだけなのかもしれません。
それが彼の作った、「機能脳科学」なのでしょう。

*****

他にもこの本で彼は、色々なことを説明しています。

例えば、

「恐怖とは、人間が作った幻想にすぎない。恐怖は自分次第で、全く感じなくなる」と説いたり、
(かなり極端です。)

「人間は、好きなモノだけを食べていても、健康になれる。運動もしなくて良い。」と説いたり、

(この理由として、
現代の食生活は、十分な栄養素が入っているから、
昔、栄養がきちんと取れなかった時代の常識に基づいて、
一日に何項目を〜、と考えてカロリーや栄養素の摂取をする必要はない、と。

また、運動をしなくても良い理由に関しては、
『元々酸素とは、地球上の生命にとって毒であったものを、
酸素をエネルギーに変えるミトコンドリアと生命体が合体して進化したのが、
この世の中に存在する生命、そして人類であり、
酸素は本来、人類にとって有害である。
よって、過度の有酸素運動をするアスリートが早死にするのはその為であり、
逆に、ヨガなど、身体の心肺機能を極限まで抑えて、
酸素を余り取らない生活をしている人間が、長生きする、と。
よって、有酸素運動を極限にする運動をしない方が、長生き出来る』と説きます。)

など。

しかし一番の根本は、
彼が、自分がこの世の中(四次元)の世界での使命を心から分かりきっているからこそ
いつも元気でいられるし、どれだけ働いても疲れない、と。

よって、たまに人が、
「ある瞬間に、自分の運命、使命が直感で分かる瞬間がある」
と言いますが、
これは、神のお告げではなくて、
A次元にいる自分からのメッセージが、
物理次元に存在する「言葉」を通して、
物理次元に存在する自分へと、伝わってきたためだ、と説きます。

そこで、このA次元の存在を、
「神」や「サムシング・グレート」と人は言いますが、
そこでその「神」が絶対的だと言ってしまうと、
それは一神教の絶対神になってしまうから、危ない、と。

*****


なんだか説明ばかりになりましたが、
彼が伝えたいメッセージはシンプルです。

「この世の中に生きている瞬間である人生を、
心から楽しんで生きないともったいない。
だから、みんなが自分の本当にやりたいことを追求して、
それを仕事にして、人生を楽しく生きるべきだ」と。

さっき上で解説した、
「この世の中(物理次元)は、A次元の射影である」という理論ですが、
私たちが生まれてから死ぬまでの瞬間を、
ある劇場に入って、映画を観て、出て行くまでと捉えたら、
その映画を楽しまなかったり、
または、映画の上映中に、外に出てそこで飲み食いばかりしていては、
映画館に足を運んだ意味がないですよね、と。

なので、私たちが生きている目的とは、
その目の前の映画を楽しむことであり、
それが、人生を生きる意義だ、と。

よって、この世の中を支配している「金融資本主義社会」に洗脳された、
「競争を勝ち抜くのが美徳」
「より沢山のお金を稼いだ人が勝ち」
などの「常識」から早く抜け出て、
もっと大きな観点の夢を持ち、
それに全力を尽くせば、
あなたが生まれて来た本当の意味が分かりますよ、
富などはは後から付いて来るものですよ、
ということを言っています。

*****

ちなみに彼は、霊の存在を完全に否定していますが、
俺はある意味、霊とは、
彼がいうA次元の世界に存在するであろう、
私たちの「心・マインド」が、
私たちが現在暮らす物理次元の中に、
「体」という物体を持たずに、存在しているものじゃないかな、
と、昨日本を読んでいて思いました。

以前ある人から聞いたことがあります。
「霊の存在する世界からしたら、
物理的な(この)世界では、
全てを余りにも簡単に、思い通りに操ることができる」と。

また、以前読んだ本、「人生逆戻りツアー」(by 泉ウタマロ)
によると、
私たちが夜眠る際に、
魂は、私たちが元々来た天へと登って行き、
そこで天使たちを話をしたり、
自分の心の本当の世界に戻り、
自分の地上での意義を確かめる、
と書いてありましたが、
それとも繋がっているんじゃないかな、と思いました。

*****

人は夢を見ます。
夢を見る目的は、
「起きている間に実生活で経験したことを、
頭の中で整理して、長期的な記憶の棚に保管するため」
であると、
以前科学者がNHKで説明をしているのを見ましたが、

夢ももしかしたら、
私たちの意識の中、
つまり、A次元へと戻っているのかもしれません。

*****

と、こんな風に、
読みながら、色々と考えさせられる本でした。

最後に、彼が伝えているメッセージで大事なこと。

いかに、「抽象度を高く考えられるかが大事」と。

2009年のWBCで優勝した原辰徳監督の場合も、
どうやら苫米地氏の『心の操縦術』という本を読んで参考にしたようですが、
原監督の場合も、
「日本チームの監督という抽象度よりも、
自分のチームと相手チームの戦術の両方を俯瞰できる、
もう一つ上の抽象度に上がって、試合を動かした」と。

そういう高い抽象度に立てば、
相手の監督がどんな采配をするか、
それによって選手がどんな動きをするか、
手に取る様に分かると。

そして更には、苫米地氏が想像するに、
原監督の場合は、「日本チームの優勝」という目標以上に、
「世界に日本の野球の素晴らしさを伝え、野球人気を世界レベルに上げたい」
「WBCで素晴らしいゲームをすることで、世界の人々に感動と勇気を与えたい」と、
もっと高いところにゴールを置いていたのではないか、と。



苫米地氏は本の中で言います。

「よく、
『あなたには自信がありますか?』
『私には自信があります』
などの質問をされたり、答えたりするのを見かけますが、
そもそも、『自信がある』と言っている内は青いのです。
自信があるというのは、
自分が、それが出来るかどうか、不確かな要素がある場合において、
自分の心の持ちようを言うだけであり、
自分が明らかに、それが出来ると分かりきっている場合には、
そもそも『自信がある』などという概念すら生まれないのです。

よって、普段の生活の中でも、
自分のこの世の中での役割を心から知っている人は、
そもそも『競争する』などという概念もなく、
自分の役割を、ただまっとうするだけなのです。
よって、A次元から見た、自分のこの世界での役割を、
誰もが知るべきである」と言います。

*****

それともう一つ、
これは前に読んだ本でも書いてありましたが、
「過去にこうしていたら、こうなっていたであろう自分」や、
「他人の人生」などと、「今の自分を比べること」は、
全く持って意味がない、と。

成功して、今が幸せな人は、
過去が例えどれだけ貧しかろうが、辛かろうが、
その過去を笑い話にして愛おしく話す。
なぜなら、その人は、「今」を「幸せ」と思って生きているから。

ということは、
過去の自分をどうのこうの言うことは、
今の自分を「幸せ」と思っていないことであり、
同時に、
未来は、今思う状態に繋がるものであるから、
「今を幸せ」と思うことが一番大事です、と。

*****

長くなりましたが、
色々と考えさせられました。

2012/3/5 14:54



水道橋博士との対談:

対談_麑棔О賚談


対談回目:一話目


対談2麑棔О賚談







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