March 20, 2011 19:34

「ねむり」by 村上春樹

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去年の9月頃、ハードカバーで
書店に売り出していた。
その時ちらっと見たが、
挿絵の感じから、海外の小説を
村上さんが訳したものかと思っていた。

実際には、1989年に彼の作品として出版されたもので、
当時は「眠り」という題名だったが、
今回、ドイツ版で挿絵がついて発売されたものを
村上さんが日本で出したい、と思っていたのが
現実化されたのに加えて、
彼がもう一度推敲をしたことで、
元のバージョンと区別化するために、「ねむり」、としたとのこと。

****

今日、成田図書館に行って、
この本があったので、読み出した。
1時間かからず、あっという間に読んでしまった。

****

この本の言わんとすることは、


というか、その前に、どんな話かなんだけど、
(ネタバレありますので、これから読みたい方はこの先読まないで下さい)

30歳になろうとしている女性が、
ある日、急に眠れなくなって、
「今日は眠れなくなってから17日目である」、
という出だしから始まる。

彼女には、そんなにハンサムではないけれど
好感を誰からも持たれる顔立ちの夫がいて、
彼は、歯科医をやっていて、
まずまず儲かっている。

そして、小学生の子供が一人いる。

普段は、何気なく、
その夫の妻として、
また、その小学生の母親として、
難なく過ごしているのだけれど、
ある日、ある夢を見てから、
急に眠れなくなり、
それから、彼女の生活が、
徐々にだんだんと、変わっていく、
というもの。

そんな彼女の心境の変化を、
淡々と語った物語である。

*****

読み終わるまでは、
相変わらず村上春樹特有の、
読みやすい文章で、
あっという間に、先へ先へと
ページが進んでしまう。

彼の文体は、本当に良くできていて、
イメージで言うと、よく磨かれた球体か、
何か、水の流れのような、
「流れ」が非常に良く出来た、
一つの作品になっている。

彼も自分自身で、
「僕の文章は、読者が早くページをめくりたくなるように
面白く書いている」
というような事を言っているけれど、
そんな風に、洗練された流れで、
一つの作品を仕上げる事ができるのは、
素晴らしいと思う。

そう、音楽で例えると、
文章にグルーヴがあるよね。

*****

まあ、それは置いといて、
この作品は、最後まであっという間に読みえてしまう。
余りにも集中して、目が痛くなるのを
途中で何度か休ませる以外には。

イメージで言うと、
どんどんとギヤが上に入って、
加速していって、
トップのギヤまで入って、
長い直線を高速で走っている時に、
急に、次のページをめくったら、
文章がもう無くて、「ええ?もう終わり??」
ってな感じの作品だった。

つまり、
「この後どうなんの?」っていうところで、
ズバッと作品が切られた、
そんな感じ。


最初は、「・・・・で、一体何を言いたかったんだ?」
と呆然としてしまった。

その後、よく考えても分からないので、
図書館を出て、一旦家に帰り、
そこからジョギングに出た。

久しぶりに30分くらい走って、
成田の町を久々に見て、
超汗をかいて、
シャワーを浴びながら、
改めて、この作品の言わんとしている事を考えてみた。


*****


おそらく、
この女性は、
ある日を境に、眠れなくなってしまったわけだけれど、
それはある意味、
彼女がそれまで「幸せ」だと思っていた、
何気ない日々の生活は、
実は、彼女に取っては全然退屈なもので、
それは、他人(ひと)から言われたり、
与えられたりして、
他人からは、「それは幸せだよ」
という価値観を押し付けられて、
当人は、それを押し付けられたとは感じていなかったけど、
ある日、眠れなくなった事を境に、
今までずっと好きだった、「読書」というものに没頭してみたり、
今まで大好きだったけど、夫が嫌いという理由で
食べる事を辞めていたチョコレートを食べだしてみたり、
水泳に没頭することで、
自分が唯一自分の体で好きである、
体のラインをまた保てる様になったりで、

「自分」というものを今まで捨てて、
「誰か=他人」の付随品として、
「自分=自己」というものを捨てて来た生活を、

ふと、客観的に見てみる事で、

「あれ?これは、私が心から求めていたものじゃない」
と、気づいたような。

上に挙げた、読書の例や、
チョコレートの例以外にも、
自分の息子の寝顔が、
自分の夫の寝顔にそっくりな事を発見した時、
自分の夫に対して感じる、
嫌悪感を、
自分の息子にも、感じ取ってしまう。

そしていつか、
自分は、この息子には何も分かってもらえず、
自分も、この息子を、嫌いになってしまう日が来る、
そう感じ取ってしまうところにも出て来ている。

それまでは、その息子を愛していると思っていたけれど、
それは、ただそう、「思っていた」だけかもしれないのだから。
他人や、外的要因による価値観により。

****

彼女は、物語の終わりの方で、
上に書いた、自分の息子に対する愛情の欠陥を
自分の中に発見してしまい、
それが恐くなって、車を深夜に走らせ、
公園の方に行く。

そこで、ふと休んでいる時、
車の外には、二人組の”何か”の陰が寄って来て、
彼女が乗っている車を、
左右から、グラグラと激しく揺さぶる。

彼女はパニックに陥り、
泣くしか、ない。


*****

とまあ、そこで作品は終わる訳ですが、
それも、
彼女が、自らの中に、
「自我」(=それまで自分が、今の生活に入る事により、
眠らせていた、自分の欲求)
に気づき、それを出した事により、
ある意味、自分がそれまで送っていた単調な生活に、
「こころ」を入れるのを辞めて、
自分は、大好きな読書や、
水泳、
それらのことに、没頭していくわけだけど、
(文字通り、”没頭”=心をそれらのことだけに、集中させていく)

それをするってことは、
同時に、
今自分の周りで起きている、リアルな生活に、
蓋をして、自分を、
自分だけの世界に落とし込んでいくことであって、

それは、自分を、外の世界からシャットダウンさせていることと
同じになる。

そうしたとき、
それまで眠らせていた、自分の”自我”を発見したことにより、
出て来た喜びと同時に、
自分がそれまで抑えて来た、
自分の本当の感情=自分の醜い部分
も出て来てしまって、
それを垣間みた自分は、
その自分の心の醜さ=闇の部分
に、直面した瞬間、
そのショックに、耐えられなかった。

だから、その”何か”は、
自分の車の周りによってきて、
彼女の乗っている”車”=”世界”
を、揺さぶった。


ということなのかもしれない。

*****

この後、彼女は、
元の世界(=自分が今までいた退屈だけど、”幸せ”な世界)
に戻るのかもしれないし、
または、自分の闇の部分も受け入れて、
自分の本当の自我を出した世界に、
入っていくのかもしれない。

自分を出すということは、
自分が何かから独立するということであり、
それは同時に、華やかな日の光の部分と同時に、
人には見えない、闇の部分をも
自ら、受け入れる覚悟と強さが必要なのだから。

彼女は丁度、
この作品の最後では、
その選択肢のまっただ中にいる・・・・。


という作品なのかもしれない。

*****


または、
そんな意味は全くなく、
「え?いつものように、
何も考えずに、
ただ、書いただけなんですけど」
という作品かもしれない。

(多分後者の方が正解。笑)

*****

と、書きながら興奮して
ちょっと長くなったレビューでした。

他の人の意見を聞きたいわ。

2011/3/20 19:33




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