March 16, 2011 23:47

"Days after the quake"

現在、2011年3月16日(水)、
3月11日(金)に地震が起きてから、
6日目となる。

この6日間に何が起こったかを書いておく。

****

2011年3月11日(金)

午後2時45分頃、地震が起きる。
俺は、お客様のカウンセリング中で、一旦席を外して、バックオフィスに居て、
他のお客様と電話で話をし終わる所だった。
最終は少し揺れ出した程度だったが、
急に揺れが強くなったので、急いでお客様のいるブースに戻った。

その後、揺れはかなり強くなり、俺の接客していたお客様以外にも、英会話に来ていた別のお客様にも、声をかけて周る。
揺れが激しく、スライド式のドアがバタンバタンと音を立てて、つがいが外れて動いていた。
イスを用いてドアを急いで止めたが、19階の揺れは余りにも凄まじく、まともに立って居られなかった。
本当に『メリーゴーラウンド』の上で立っているようなもので、その後、目が回り、非常に気持ち悪かった。

*****

その後、お客様を非常階段から下まで誘導して、
住友ビルの外で待機する。
夕方17時頃、上司より、
帰宅命令が出る。
しかし、列車が全てストップしているので、
帰るにも帰れない。
ここから横浜の自宅まで仮にTAXIで帰ると、
軽く5〜6万は超えるというので、
それは止めて、先輩と後輩の3人で、
一度新宿駅を見に行く。

新宿駅に着くと、
凄まじい人の数。
TAXI乗り場には、もの凄い数の人が並んでいるが、
TAXI自体が無い。

凄い列なので何かを見てみると、
公衆電話の前に、何列もの列。
そう、電話回線が壊れたかパンクしたかで、
一切電話は繋がらなかった。
俺はiPhoneを持っていたので、
ViberやPingchat!などのアプリのおかげで、
彼女とも連絡が取れた。

彼女は、地震が起きてから一人で近くの公園に避難していたとの事。
今も、公園に居るらしいが、
暗くなって来て寒くなって来たので、
一旦家に帰ると言う。

*****

新宿駅JRの前まで来ると、
「本日は前線運行中止の予定」との張り紙。
これは取り敢えず場所を見つけねばと、
どこか入れる店を探しに行く。

新宿駅東口に出て、
橋の下を潜り、
ヤマダ電機の上の大きな画面のテレビを見たとき、
その事の重大さに気づき、唖然とする。

そこに映っていたのは、
燃え盛るコンビナートだった。
千葉県市原市の石油コンビナートが爆破したらしい。

そして、数々の東北地方の津波の映像。
行方不明者の数。
単位は、数百人だった。
その事の重大さに、ビックリした。
俺は、ずっと会社にいて、
その瞬間までテレビを見ていなかったから、
その事実を知るすべが無かった。

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*****

後輩の携帯の充電が切れだしたので、
近くのコンビニを幾つか周り、
やっとAUのチャージャーを発見。

その後、近くの居酒屋に取り敢えず入る。

そこで、酒はもちろん飲まず、
取り敢えず、今後の状況がどうなるかを
見守る。
途中で後輩は、お姉さんが車で迎えに来てくれたとの事で、
帰る。

21時頃、一旦外に出て、
JRの様子を見に行く。

相変わらずJRは動き出す様子なし。
残された選択肢は二つ。
一、漫画喫茶に泊まる。
二、駅のホームで寝る。

一を試そうと、新宿駅周辺の漫画喫茶を回るが、
どこも一杯。
「15人待ちで...」
「何時頃空きますか?」
「明け方になるかと...」

どこもそんな感じなので、
取り敢えずプラン二を決行。
コンビニで軽く食事を買って、
新宿駅の地下街に、ホームレスと一緒に座り、
夜を明かす決意をする。

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しかし一時間後。
まだ時間は朝の1時だったが、
既に寒いし、何しろ気分が重い。
完全に寝きった人のバッグを漁ろうと、
ホームレスのおっちゃんが集ってくる様子を見て、
「こりゃまずい」とそこを離れる。

そこで、大学が避難場所としてOPENしている事をもう一度考え、
一番近い大学は?と考え、
工学院大学に直ぐに向かう。

俺の親父がかつて通っていた工学院大学。
そこに行くと、噂通り、
避難場所として、多くの方がマットレスの上に寝ている!
神のご加護と思い、
中に入る。
温かい。
それだけで、嬉しい。
既に切れかけたiPhoneの充電をする。
20分で100円。
20分後見ると、20%が36%に。
それだけかよと突っ込み、
今後は如何なる時も、
メガネとiPhoneの充電器は持ち歩く事を固く決意。

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その後、6階は男性用に
4階は女性用に、
教室が公開しているというので、
階段を上がって上に行くが、
教室の中を見ると、ただの教室で、
科学質の実験器具のような変な匂いがしたので、
辞めて、下に降りる。

できれば横になって寝たかったが、
既に一回の大広間の
雑魚寝スペースは埋まっていた。
よって、地下一階の、
テーブルと椅子のあるスペースで、
学生時代の様に、突っ伏して寝た。
こうして最後に寝たのはDe Aanza Collegeの図書館以来だなと
思い出し、
その頃の事を思い出しながら、眠りに入る。
途中、何度も目が覚める。
寒いし、アナウンスは入るが、
とにかく、寝た。

*****

2011年3月12日(土)

朝、工学院大学の地下一階の避難所で目を覚ます。
机に突っぷせて寝たので、首がマジで痛い。
こんな風に寝たのは、上にも書いた様に大学以来だった。

朝の8時に山手線が動き出すというので、
それに合わせて新宿駅の山手線品川行きに乗り込むが、
20分経っても、一向に動く気配が無い。
このまま乗っていても拉致があかないので、
一度電車を出て、漫画喫茶に向かう。
そこで電車が動き出すまで、時間を潰す事にする。
8時半頃に漫画喫茶の一室に入る。
そこで、一つ前の日記を書く。
(俺たちは二人だったので、カップルシートで宜しければと
直ぐに入れる。
普通だったら、やはり10人待ちほどだった。)

アメリカの友達から、
大丈夫か?とのメールが沢山入っていた。
Facebookやメールで返信をして、
ニュースをチェックする。

1時間ほどした後は、
漫画を読もうと何冊か持ってくるが、
そんな気も起きず、
寝る事にする。
久しぶりに横になり、
30分ほど寝る。
非常にスッキリする。

*****

11:30頃、漫画喫茶を出て、山手線に乗り込む。
昨夜を共に明かした先輩と川崎で別れ、
俺は横浜に帰る。
電車を乗り継ぎ、午後二時前に家に着く。

駅前のスーパーで、彼女と待ち合わせる。
彼女は昨日、地震が起きてから、俺に会うこの時間まで約24時間、
1人で怖い思いをしながら、ずっと怯えたまま、待っていた。

スーパーの前で、後ろにバックパックを背負いながら、
不安そうな顔で待っていた彼女の顔を見たら、とても悪い事をしたなと思った。
凄く気の毒でかわいそうだった。
彼女はかなり疲れた顔をしていた。
聞くと、昨日は1時間も寝ていないらしい。

スーパーで買い物を簡単にして、一旦家に戻り、
そのまま近くのすき家に、昼ご飯を食べに行く。
お腹が落ち着いたら、そこから家に戻って、簡単に昼寝をした。
彼女は、昨日は30分を二回位しか寝ていなく、かなり疲れていた。
俺が戻ったら、安心したのか、落ち着いて寝ていた。
その寝顔を見たら、本当に昨日は恐い思いをさせてかわいそうになった。

その後、少ししてから俺も寝る。

*****

夕方18時過ぎに、
S先輩からの電話で目が覚める。
電話を取るなり、
「原発が爆発した」と言われる。
正直寝ぼけていて、最初は事態が分からなかったが、
良く聞くと、原発が爆発して、
放射能が漏れだして、
やばいので、逃げる必要があるかも知れないという。
彼は、両親の薦めで、
実家のある静岡に急遽避難をした。
(結局この日は、
テレビの報道で東電は、
原発の1号機が、爆発したかどうかは
まだ分からない、と伏せていた。
しかし、それから数日後には、
3号機も爆発、
4号機も炎上した。)

その後俺と彼女は起きて、
近くの薬局でマスクと水を買い、近くのスーパーで食料を買う。

夜は、彼女が余りにも怖がっているので、
Youtubeで音楽アーティストの映像を観たりしていたら、
彼女もやっと気が紛れて元気が出たみたいだった。


******


2011年3月13日(日)

朝は仕事だったので、朝の7時頃起きる。
ニュースをチェックする。
朝、姉貴から連絡が入る。

このタイミングで、何と福島の温泉に旅行に行っていた両親が、
成田まで帰ってこれなくなっているという。
しかも、親父が唯一持っていた携帯の充電が切れているとのこと。
福島からの新幹線は全て止まり、交通手段が無い。
福島の原発は一号機が爆発し、放射線が漏れ出していた。
かつ、直径20キロ以内は危ないと言われていたが、両親達が居たところは50キロ程のところだった。

両親の安否が一番大事なので、俺と彼女であらゆる手段を使って、
どうにかして両親が帰れる方法は無いかどうか調べまくる。

会社には事情を説明して、午前休をもらうか、又は最悪の場合、
お休みを頂く必要があると、相談をする。

*****

昼前に姉貴からの連絡で、福島の旅館の方が、
マイクロバスで、栃木県宇都宮市まで両親を車で届けてくれるとの事。
途中で親父が、公衆電話から姉貴に連絡をして来たらしい。

次は、宇都宮から成田までの交通手段で有効なものを調べまくる。
JRは電話が一向に繋がらないので、湘南新宿ラインが動いているのかを、東京にいる友達に聞いたり、
または、両親が栃木出身の友達に電話をしたりして、調べる。
友達の有り難さを身に染みて感じる。

結局、
16時頃には、再度父親から姉に連絡が入り、
何とか宇都宮まで車で着き、
そこから、浅草を経由して、成田に着けそうとの連絡が来る。
ほっと胸を撫で下ろして一安心。
(結果、夜の21時前には、成田に両親が着いたとの連絡が来る。
後で両親から聞いたが、二人は丁度、
温泉から出て、ほっと一息していた所だったそうな。
その後、もの凄い揺れが来て、
建物から避難し、
夜は全て停電。
外の薪でご飯やみそ汁を作ってもらい、
その翌々日に帰って来た。)

*****

俺は、昼の13時過ぎに会社からの連絡があり、
今日は休みを取って良い事となる。
よって、俺と彼女で、蒲田にいる友達(M子)に会いにいく事にする。
この子も、昨日から一人で地震に怯えていた。

15時頃、蒲田駅に着き、
その子と、その子の隣の家のIさん(70代の女性)
が二人で駅ビルのカフェで避難している所に遭遇。
Iさんを交え、1時間ほど話をして、
その後は、その日の夜の食事の為に買い物をして、
M子の家に彼女と3人で行く。

夜は鱈の鍋と、豆乳の鶏肉鍋を作って、
3人で久々に落ち着きながら、食事を一緒にする。
(俺は二人が食事を作ってくれている間、
隣の部屋で寝ていた。
ここ数日、きちんと寝ていなかったので、
かなり疲れていた。)

夜は、23時頃まで話をして、
明日は仕事なので、帰る。

*****


2011年3月14日(月)

仕事の日。
地震が起きてから初の週明けとなる。
俺の会社は、土日休日関係無いが、
殆どの会社は月曜日からなので、
混雑が予想される。
且つ、計画停電の予定だったので、
朝の6時半に起きて、ニュースを見る。

この日、彼女を家に置いていくと危ないので、
彼女は、元々浅草にいる親戚の方の家に行く予定になっていたが、
急遽この日の朝に連絡が入り、
M子の大学がキャンセルになったので、
浅草の親戚の方には連絡を取り、
昨日会っていた、M子の家に行く事になる。

8時前には俺と彼女で家を出て、
電車に乗ろうと、最寄りの京急の南太田駅に着く。
しかし、もの凄い人の数。

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全然電車に乗れない。
来る電車が既に満員。
そこで、電車に乗ったのが、なんと8時40分頃。
そこから、まずは横浜まで行き、
そのままの電車で、品川まで行く事にする。

しかし、列車が全然進まないし、
途中で何度も止まる。
(ダイヤが大幅に乱れていたり、
または、信号のせいで、
ホームに前の列車がまだ停まっていて、
それを待つ為に自分の列車停まったりと、
列車は一向に進まない。)

結局、途中の蒲田駅に着くまでに、
2時間以上かかる。
蒲田駅で彼女はM子と合流する。
俺はそのまま、列車に乗る。

列車は全く進まず、
11時半頃、やっと品川に着き、
そこから山手線に乗り換える。

最終的に、新宿駅に山手線が着いたのは、
12時過ぎ。
南太田駅を8時過ぎに出て、
新宿駅に着いたのが12時。
通常40分から50分でかかる道程を、
4時間。
あり得ない。

そのまま歩いて、住友ビルへ。

オフィスに着き、節電の為にオフィス内の電気を全て消して
スタッフが忙しなく動いている。

自分のお客様に連絡を取り、と、
仕事をしている最中、
14時半頃彼女より携帯に連絡が入る。
見ると、「京急が15時半に止まる」との事。

逆算しても、今すぐにオフィスを出ないと、
帰れない。

上司に報告して、すぐにオフィスを出る。

新宿駅まで猛ダッシュ。
同じ方向のS先輩と列車に乗り込む。
電車に乗り込む前に、
原発がもう一台爆発した(3号機の事)
との連絡が入る。
山手線で品川まで着き、
そこから京急の横浜方面に乗る。

アナウンスを聞くと、そっち方面のその日最後の電車だった。
本当にギリギリセーフ。

俺は、彼女が待っている蒲田で降りる。
その日、彼女がくれた連絡にたまたま気づいたから良かったものの、
もしもそれに気づいていなかったら、
新宿にスタックだった。

京急、1時間前に「本日の運行は1時間後にストップする事に決めました」
なんて、いい加減にしろよと思う。

*****

その日は、また昨日と同じ様に、
駅前のビルのスーパーで、M子と彼女と3人で買い物をして、
夜に備える。

夜は、カレーを作って食べる。
(再度俺は、疲れて別の部屋で寝ていた。)

*****

夜は、3人で、
久しぶりに大学時代を思い出しながら、
朝の1時頃に、近くのスーパーに詮索をしに行ったりしたが、
スーパーの商品は、殆ど売り切れていた。
(文字通り、”売り切れて”いる。)

帰ってきて、少し話をして、
夜は3時頃寝る。

*****

2011年3月15日(火)

上の朝3時に寝てから、
明け方の5時頃、大きな揺れがあり、
M子の声と戸棚のガシャンという音で目が覚める。
テレビを付けると、結構大きな地震があった模様。
2時間ほどだったがグッスリ寝ていたが、
また30分ほどテレビを見て、状況が落ち着いてから、
再度眠りに入る。

10時頃、目が覚める。
電車が止まる前に、一度横浜に帰る。
朝ご飯をM子が作ってくれる。
パンを食べて、彼女と11時過ぎに蒲田の家を出る。

12時頃、横浜の南太田に着く。
彼女が茨城の家族と話をした結果、
まだ茨城側も状況が危ないとの事から、
今日は横浜にステイする事にする。
俺も、今日は成田に帰るのを止める。

二人で横浜のアパートに戻り、
昨夜は余り寝れなかったので、
ちょっと昼寝する。

しかし、今は会社より自宅待機命令。
直ぐに会社より電話がかかってくるので、
寝ている訳にもいかない。
この日も連絡が入り、
結局、夜までずっと起きていた。

*****

夜は、22時半頃、
静岡にM6.0以上の地震が起こる。
俺はその時トイレに居たが、
急に大きく揺れだした。

彼女が、「早く外に逃げよう!」と叫ぶ。
11日、地震が来たとき、
彼女は何度も、地震警報が来るたびに、
大きなバックパックを背負って、
アパートの8階から下の公園までを、
一人で行き来していた。
昼夜関係なく。

その時の恐怖が激しく、
トラウマになってしまったらしい。
この時も、本当に怖そうにしていて、
本当に可哀想だった。

一緒に下の公園まで避難するが、
公園には3、4人が避難をしていただけで、
殆どの人は、家の中に籠っていた。

どうやら、俺の住んでいるアパートは、
8階にあるという事もあり、
かなり揺れる様に出来ているらしい。
一番端の部屋にあるという事も関係あるのか。

この日は、12時頃には彼女も落ち着いてきていたが、
俺も色々と重なり、一杯いっぱいになって、
不機嫌になってしまった。
彼女は一人で恐い思いをしていたのに、
更に俺も不機嫌になり、
悪い思いをさせてしまった。申し訳ない。

*****

2011年3月16日(水)

今日。

朝9時半頃に起きる。
朝も何度か、大きな地震があったらしい。
彼女はその度に飛び起きていたらしいが、
俺は殆ど気づいていなかった。
悪い事をした。

ちょっとゆっくりして、
11時過ぎには家を出る。
これから、一緒に東京駅まで行って、
そこから彼女は高速バスで地元の茨城まで戻り、
俺はJRで成田まで戻る。

南太田駅のスーパーで昼ご飯を買って、
電車に乗る。

東京駅に着いたら、彼女をバスに乗り込む彼女を見送る。

俺は、そこから総武線に乗り、
成田へ向かうが、
電車に乗る10分前に、本八幡で人身事故が派生したとの事で、
電車が45分送れて発車する。

結局、13時半に電車に乗り込み、
成田に着いたのは、16時15分頃。
2時間半以上かかった。

成田駅まで、姉と母親に車で迎えに来てもらう。
家に着き、すぐに姉は、
明日仕事があるとの事で、家に帰る。

俺は、仕事の件で何本か電話とメールを会社にして、
その後は、18時過ぎから、両親と過ごす。

成田は今日、計画停電が18時20分から
22時までの間に3時間あると言われていて、
警報も2回流れたが、
結局、停電にはならなかった。
良くわからない。

*****

両親と、久々に話し込む。
俺の今の状況とか、
今後の事とか、
色々と話した。

で、今の時間。(22:47)

****

さっき、これを書いている時にも、
大きな地震が起きた。
今速報で調べたら、
茨城県沖で派生した地震で、
震度3らしい。
めっちゃ揺れたけどな。

もう、毎日地震が来る事が日常茶飯事になっている。
マグニチュード9.0を体験してからは、
全てが小さく感じる。
しかし、そんな”慣れ”は良くない。
明日にでも、もしかしたら
今日の夜にでも、大きな地震が来るかもしれない。

*****

今、横にあるテレビでも、
日本全国の被災地の状況、
及び、被災者の方の報道をしている。

被災地で、食料も無く、
避難場所にも、暖房すら無く、
雪の降る氷点下の中、
寝たきりの老人が、介護をされている姿が映っている。

福島の方々は、原発の状況に脅かされ、
行く所が無い。
給与物資も、原発から30キロ以内は給与車が
入れなくなり、
食べ物が届かなくなっている。

都心では、
朝から電車が止まり、会社に行けない人が続発。
スーパーに行くと、
水を始め、米、カップ麺、パン、
全てのものが売り切れている。

駅や店の中は、
普段の半分以下の電灯しかついておらず、
暗い。(実は普段からこれくらいの電気量で良いのではないかと思った。)

町中の人通りも少ない。

今日、横浜駅を通った時も、
普段はもの凄い人が行き交うこの場所に、
殆ど人が歩いていなかった。

列車の中も、空いている。

計画停電が実施され、
普段は夜中の22時まで空いている本屋も、
17時で閉まる。

人々は、テレビを見ながら、
今後の動きに怯えているが、
何となく、慣れて来ている。
この状況に。

しかし、いつ何が起こるか分からない。
そして、日本の政府は、のらりくらりと
事を見守っているが、
果たして、この程度のリスクマネジメントで良いのか。
本当に、原発問題は、危険性がこれ以上大きくならないのか?
大きな余震が、この後東京や大阪に直撃したら?
この後、計画停電は何ヶ月続くのか?
企業は今後、どうやって行き残っていくのか?
被災地の方の生活は、いつ回復するのか?

一度は去ったが、
再度来る、嵐の前の静けさ。


そんな、状態。
2011年3月16日(水)、
地震発生より、5日目の夜。


2011/3/16 23:47



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