April 20, 2008 17:59
「Heidi, Katlinとの再会」
Heidi & Katlin
4月6日 日曜日 夜10時過ぎ
フランクとエスターと別れた後、バスは1時間遅れて出発し、予定ではColumbusに9時10分に着くところを、10時10分ごろ着いた。
今までバスが遅れてどこかに着くことはなかったのに、この日に限って、バスが遅れるなんて。
子供たちはもう寝ているかもしれない。
コロンバスに着いて、バスを降り、すぐにハイディに電話をした。
ハイディが出て、「今からそこへ迎えに行くわ」と。
「10分ほどで着くから待っていてね」と。
*****
この数日前。
俺がエスターとフランクの家について、間もないとき。
エスターは、俺が彼らの家に着いたことを、ハイディに電話し、
「シュンスケは、コロンバスにバスで少し停まるらしいわよ」と彼女に伝えた。
たまたま、俺の乗ったバスが、帰りのルートでは、
コロンバスという町で、夜の9時から1時まで、4時間乗り換え時間がある予定だった。
それをエスターに言うと、
「あら、コロンバスにはハイディがすぐ近くに住んでいるわ。電話してみて、その事を知らせてみましょう。もしかしたら、彼女たちに少し会えるかもしれないわよ」と。
俺は、「そんな、彼女たちに時間を取ってもらうのも悪いし、わざわざいいですよ」と言っていたのだが、エスターがハイディに電話をすると、「そのグレハンの駅の周辺は危ないけど、そこまで車で10分だから、少しなら自分たちの家に彼を招いて、時間を一緒に過ごせるわ」と言ってくれたらしい。
それで、その日は、ハイディの家族に、夜の9時以降、少しだけ会うこととなっていた。
******
俺がハイディに電話してから10分後。
東側のドアから出て、外で待っていると、
ハイディらしき女性が乗った車が、俺の目の前の道路を通り過ぎて、向こう側に回っていった。
やべえ!反対側のドアだった!!
急いで建物の中に入り、別のドアへ歩くと、
ちょうどハイディも中に入ってきたところだった。
「Hi Heidi!」と言って、ハグをする。
「Hi Shunsuke!」と。
ハイディは相変わらずとても素敵な笑顔をしていた。
(ちなみにエスターとフランクの娘さんは3人とも、とても美人である)
ハイディは、「さあ、こっちよ」と言って、車の方へ案内してくれた。
このグレイハウンドの駅がある地域は、夜中は治安がよくないとのことで、
ハイディはわざわざ、ここから10分ほどのところにある家から、車で俺のことを迎えにきてくれた。
車のトランクに荷物を入れると、「それで全部なの?」と。
「そうです」と言うと、「よくもそんなに少しの荷物で旅行が出来るのか、いつも感心するわ」と言うので、「いや、今回はいつもよりも多いぐらいなんですよ。普段はバック一個ですから」と言うと、笑っていた。
ハイディの車の助手席に乗ると、彼女はすぐに車を走らせた。
*****
ハイディは相変わらず、とても綺麗だった。
前に会ったときよりも、更に綺麗になっていた気がする。
ハイディの頭には、3年前よりも白髪が増えていたが、それが綺麗なメッシュのようになって、とてもよく似合っていた。
ハイディは、「また今回も旅をしてるのね」と。
「これまで一体いくつの州を回ったの?」というので、
「ただ通過した州も合わせると、ほとんど全ての州を回ったと思いますよ」と言うと、
「私なんか、アメリカに住んでいて、ほんの2,3個の州しか回ってないのに、すごいわね」と。
「あなたに3年前に会ったとき以来、どこか他の国にも旅に行ったの?」と聞かれたので、
「あの後、タイ、カンボジア、中国などのアジアと、グアテマラやエルサルバドルなどのセントラルアメリカにも行きましたよ」と言うと、
「その、あなたの旅の経験を聞く度に、いつも驚くわ」と。
そんな風に言われて、俺としてはただ旅をしているだけで、何も特別なことではないと思っていたので、そのこと自体を褒められて、とてもいい気分になった。
そんなハイディと話していて思ったが、運転をしながら、俺の話に耳を傾けている彼女の姿を見て、とても綺麗な人だなと感じた。
思うに、彼女自身が、彼女のことを「綺麗だな」と相手に思わせる要素は、彼女の内面にあると思う。
彼女の話し方はとても素敵で、俺が何か喋ると、微笑みながら、「Uh-huh」と言って、とてもよく話を聞いてくれる。話をしていると、「ええ、とてもよく分かるわよ」というのが良く伝わってくるので、話しているこっちも、安心して、心から言いたいことを言える気がする。なので、こっちも、相手のことを尊重して、自分のペースで、落ち着いて、とても気持ちがよく会話ができるのだ。
ハイディは、俺の話を聞きながら、「コロンバスの町のクイック・ツアーをしてあげるわ」と、少し遠回りのルートを通り、「あの建物はあれで、この建物はこれで」と、詳しく解説してくれた。
途中、リアの通っている学校や、元銀行だったと言う、ものすごく立派な建物のスタバなどを通り、その後、ハイディの住む、Bexleyという地域に入った。
その地域に入った最初のところに並ぶ家々を指しながら、「これらの住宅は、とても高級なの。一軒、$200,000~$300,000くらいよ。まあ、カリフォルニアに比べたら、それでもずいぶんと安いんでしょうけどね」
ハイディは、その後、「私が住む家は、大体$100,000台ぐらいのものよ」と言いながら、その高級な家々と比べて、ちょっと小さめの家が並ぶ通りに入った。
その通りは、前に俺が住んでいたロングビーチアパートのすぐ近くにあった、Belmont Shoreという通りにそっくりだった。
その一体に並ぶ一個の家の前に、車を停めた。
家の中は、カーテンがしてなかったので丸見えだったが、そこにはKatlin(ケイトゥリン)が毛布に包まって座っていた。
ハイディは、「リアはもう寝ちゃったけど、ケイトゥリンは何とか頑張って起きててくれたわ」と。
中に入ると、いきなり犬が寄ってきて、俺に向かって吠え出した。
ハイディが、「こら!やめなさい!お菓子をあげるから」と言い、
「ごめんなさいね」と言いながら、犬を連れて中に行った。
カウチから立ち上がって、俺と挨拶しようと待っていてくれたケイトゥリンと、「It’s so nice to seeing you again!」と言って、ハグをした。
「こんなに遅くまで起きていてくれてどうもありがとう」と言うと、
「リアは9時ごろまで何とか起きてたんだけど、もうダメだって言って寝ちゃったわ」と。
3年前に会ったときには、ケイトゥリンも11歳だったのに、
今では14歳となった。
3年前にはしていなかった眼鏡をかけるようになり、歯の矯正もしていた。
見ると、漢字がプリントされているT−シャツを着ている。
「それ漢字が書いてあるね」と言うと、「これ、私が入っているヴァイオリンのチームのT−シャツなのよ」と。
聞くと、前にそのチームは、中国まで、演奏をしに行ったとか。
ケイトゥリンがそのチームに入ったのは、その中国遠征の後だったので、中国には行けなかったが、今度はワシントンDCに行くらしい。
「ヴァイオリンの調子はどう?」と言うと、
「何か弾いてあげようか?」と。
「うん、ぜひお願いします」と言うと、
「じゃあ、自分のリサイタルでの発表曲を弾くね」と。
そう言ってKatlinは、奥から自分のヴァイオリンが入ったBOXを持ってきてくれた。
彼女がヴァイオリンをセットアップしている間に、さっきの犬が、俺のところに寄ってきて、骨の形をしたおもちゃをポトンと前に落としていった。
「何かな?」と思っていると、
ハイディが、「あら、ムーンがあなたにそのおもちゃをあげるなんて、相当あの子、あなたのこと気に入ってるみたいね。あれは彼女のお気に入りだから、普通はそんなことしないのよ」と。
相変わらず、イヌ科の俺は、この犬にも好かれてしまったようだ。
****
ちなみに、俺は今まで、会ってきた犬という犬、全ての犬に好かれてきた。
どんな犬でも、最初は俺に対して吼えていても、すぐにお腹を見せてねっころがってしまう。
俺の高校時代の友達が言った言葉。
「○○、お前犬に似てるよな。特にゴールデンレトリバー系」
その日、やつは俺のケータイにメールをして来た。
「今日からお前のあだ名、『セキヌ』な」 (○○+イヌ=セキヌ)
ずいぶんうまいなと思い、それ以来俺も気に入って使っている。
****
話はそれたが、そんな犬を前にしながら、アイスティーを持ってきてくれたハイディと一緒に、Katlinの演奏を聞いた。
Katlinは、俺と会って喋っていたときは、普通の14歳の小さな女の子の表情だったのに、
ヴァイオリンを持って、セットアップしている時から、表情が次第に真剣になって行って、
いざ、最初の音を弾き出した時、一気に表情が変わった。
彼女の弾く様を見ていて、天才肌かなと思った。
見ていて、鳥肌が立つくらいだった。
弾いている最中、彼女は、ずっと斜め下の一つ箇所を、じーっと見ていた。
曲の方もすごかった。
俺はヴァイオリン、よく分からないけど、指と、弦をうまく動かして、繊細な音までもを奏でる。
本当に凄いと思った。
7分ほどの曲が終わった後、拍手。
完全に聞き惚れてしまった。
その後、Katlinに「普段はどれくらい練習するの?」と聞くと、「本当は毎日最低1時間は練習するべきなんだけど、毎日はそこまで時間が取れないわ」と。
「他にも、色々やっていて忙しいから」と。
彼女の弾いた曲の楽譜を見せてもらった。
見ると、曲名の下に、日本語のカタカナで文字が書いてある。
「あ、日本語だ」と言うと、「私がやっている練習方式は、スズキ方式(Suzuki Method)と言って、スズキさんが開発したものなのよ」と。
楽譜を見てみたが、全くチンプンカンプンだった。
ハイディは、「リアが起きるかどうか、起こしに行って来るわ。明日になって、『なんで起こしてくれなかったの?』って、怒るはずだから」と。
しかし、リアを起こしに2階に行ったハイディは、階段から降りてきながら、「ダメだったわ」と。
その後、お互いの写真を撮ったり、ハイディのお姉さんである、Gale(ゲイル)の娘である、Kimberly(キンバリー)の話をしたりした。
(俺はゲイルの家族とも、3年前に会っている。今回は、ゲイルの家族が住む家は、同じオハイオでも大分遠いところに位置していたので、さすがに会うことはできなかった。ハイディが住む家の近くに、俺の乗るグレハンのバスがたまたまとまり、しかも4時間の休憩がそこであることは、本当にラッキーだった。)
キンバリーは、今はオーストラリアで、英語の教師をしているらしい。
キンバリーと俺は同い年。
彼女は、その前には、ロンドンで、ツアーガイド兼、英語の教師をしていたとか。
彼女が今まで行って来た国から送ってきたという、ポストカードを、
Katlinが見せてくれた。
中には、アフリカからなんてのもあった。
「アフリカかあ、すげえなあ」と思った。
その後、俺は今までの旅の話をし、
その後はハイディが、自分の仕事の話などをしてくれた。
Katlinは、もう大分眠いらしく、途中で眠い目をこすり、半ば寝かけていた。
それを見てハイディが、「もう寝たら」と。
Katlinは、「もう起きていられないわ」と言いながら、「おやすみ」と言って2階に上がっていった。
*****
その後、ハイディと話をしていながら、思っていた。
上にも書いたけど、話をしている彼女を見ると、「本当に綺麗な人だなあ」と、感心させられてしまう。
見た目が綺麗だとか、そんなんじゃない。
もちろんハイディは、美人な人だけど、それよりも、
彼女の持っている知識の多さ、教養、
人間としての品性、洗練されているところ、
そして、その言葉遣いと、話し方。
いつも笑顔のまま、色々な話を、嬉しそうに、面白おかしく話してくれる。
そんな風に話をする彼女を見ていながら、
もし俺が画家だったら、
彼女が今目の前で話している、
この「瞬間」を、絵にしたいなと思った。
決して、その人の見た目や出で立ちだけでなく、
その人が作り出す、その空間の雰囲気、オーラ。
そういったものを、全て絵に入れ込んで、その「瞬間」を、絵にしたい。
そう思った。
*****
ハイディは、自分が今働いている、プリスクール(幼稚園)の先生としての話。
その学校で行っている、バハマの子供たちとの交流の話などをしてくれた。
それから、俺が、前にどんな仕事をしていたのかと聞くと、
「前は自分は、ソーシャルワーカーだったのよ」と、
当時の話をしてくれた。
*****
前にハイディは、フィラデルフィアで、ドラッグとアルコール依存に陥っている子供たちのカウンセリングをしていたらしい。
当時彼女が相手にしていた子供たちは、ほとんどの子が、元ドラッグのディーラーなど。
自分が、仕事場まで、ポンコツの中古車で駆けつけるのに、
その子供たちは、16歳ほどにして、高級メルセデス・ベンツに乗っていたという。
そのギャップに驚いていたとか。
ある日、一人の少女がずうっと泣いていたので、
ハイディが彼女に、
“How many people have you ever lost in your life?”
(今まで一体、何人の人を亡くしたことがあるの?)と聞くと、
その子は、両手を使って数えだした、と。
“They are straight to the death”
(その子たちの人生は、墓場に向かって一直線なのよ)と。
そこでの仕事を辞め、今は、このオハイオのコロンバスに住んでいるらしい。
******
話をしていると、ハイディがさっきセットしたアラームが鳴った。
(俺が家に来て、1時間ほどした後、「12時に鳴るようにこれをセットしておくわ」と、ハイディはキッチンにあったセルフタイマーをセットしてくれていた)
「もう12時ね。そろそろあなたを送っていかなければならないわね」と。
俺のバスは、午前1時に出る予定だった。
家を出る前に、トイレを貸してもらって、その後、キッチンに飾ってある絵や工作などの説明をしてくれた。「それらは、あの子たちがまだ小さい頃に、学校で作ってきてくれたものなのよ」と。
ハイディの家は、エスターやフランク、それからエスターたちの息子のクレイグなどの家に比べると、確かに小さかったが、
とても綺麗に装飾されていて、凄くお洒落な家だと思った。
ハイディが出かけ際に、
“Your recipe is still one of the best”
「あなたの書いてくれたレシピは、いまだに私のお気に入りの一つよ」と。
何のことかと言えば、俺が3年前に、エスターの家を訪ねた際、そこでみんなのために、親子丼を作ったときのレシピのこと。
一気に11人分の親子丼を作り、まるでオムレツみたいになってしまったものの、
エスターとゲイル、そしてハイディの3人の女性方は、とても気に入ってくれた。
ハイディなんて、「I can even drink the soup with the straw !」(このスープだけでも、ストローで飲みたいぐらいよ)なんて、言ってくれた。
その時のハイディの笑顔は、3年たった今でも、まるで昨日のことだったかのように、鮮明に覚えている。
あまり親子丼の出来具合に自信が無かった俺は、彼女の笑顔にずいぶんとほっとさせられた。
そんな3年前の出来事のことを、未だに覚えていて、口にしてくれるハイディ。
とても優しいなと思った。
******
彼女の車に乗り、また、コロンバスの街中に向けて、車を走らせた。
途中で、俺が、「あなたが高校の頃に、スウェーデンから、交換留学生として女の子が一年来ていたんですよね?エスターに聞いたんですけど」と言うと、
ハイディは、
「あの頃の年頃はね、どんなに相手がよくても、さすがに一年間、ずっと同じ相手と時を共に過ごすってのは、ちょっときついものがあったみたいね。
私のママと彼女は、彼女がスウェーデンに帰ってからも、ずっと連絡を取っていたけど、私は取っていなかったのよ・・・。
でも、この前彼女がアメリカに来て、それで彼女と数十年ぶりに話をして、高校時代にはケンカをしたような内容のことを話して、『何であの時はあんなことでケンカなんてしたんだろう』って、お互いに打ち解けてね・・・・。
古い友達と、ああやって仲をまた取り戻すことは、とてもいい経験だったわ」と。
「今度、また彼女が私たちの高校の同窓会に合わせて、スウェーデンから来るらしいわ。ええとね、、、、、あら!もう卒業30年以来の同窓会よ!信じられないわ・・・」と、相変わらずニコニコしながら、昔を思い出して、話をしてくれた。
次第に車は、グレハンの駅に近づいていた。
俺は、ハイディにこの夜の初めに迎えに来てもらったときから、この瞬間まで、
こうして、自分の全く知らない町、オハイオ州のコロンバスという町に、たまたまバスが停まって、
そこで、たまたまその駅から10分のところに住んでいた、3年前に会ったハイディが住んでいて、
今晩こうして、迎えにきてもらって、また3年ぶりに会えて、2時間ほどを一緒に過ごせたなんて、
彼女たちの家に招いてもらって、3年ぶりに成長したKatlinにあって、彼女のヴァイオリンを弾く姿を見れたなんて、
そして、こうして、とても素敵な女性に、今もこうして出会えて、3年前にただちょっとあっただけの俺のことを、まるでとても特別かのように、会うのを楽しみにしていてくれたなんて、
本当に嬉しかった。そして、本当に、不思議だった。
こうして、自分が、人生で、一度も来ないような町に、たまたま降り立ち、
そこで、こうして、素晴らしい人たちに、また『再会』できたということが。
俺が、「I just can’t believe I am here now and I could see you guys again」(ここに今自分がいて、あなた達にまた会うことができたってことが、本当に信じられません)と言うと、
ハイディは、
「Well, everything has got a reason」(全てのことには、意味があるのよ)と、
頷きながら言ってくれた。
*******
車は駅前に着き、「Here comes the Greyhound bus station again」と。
車から降りて、自分の荷物をもらう。
ハイディにハグをして、今晩、忙しい中、こんなに遅くまで付き合ってくれて、本当にありがとうございましたと、お礼を言う。
ハイディは、「Now you’ve met all of my family. Now you are one of our families!! You can’t run away from us!!」(あなたはもう、私たちの全ての家族に会ったのね。もうあなたも、私たちの家族の一員よ。もう逃げられないわよ!)と。
そんなハイディに、さよならをして、
彼女は、車に乗って、去っていった。
彼女がいなくなるまで、手を振っていた。
******
グレハンの駅に着き、2時間前に降り立ったこの駅で、また日記を書き始めた。
本当に、ハイディたちに会えて、よかった、と・・・・。
2009年1月にKatlinが送ってきてくれた写真
左がLeah, 右がKatlin
*****
この後、俺はまた、バスに3日間カンヅメになった。
ミズーリの、セントルーイス
3日後の朝である水曜日の早朝、
カリフォルニアのフレズノに着いた。
今回の持ち物
移動の間はかなりしんどい旅だったが、
アメリカを去る前、もう一度、オハイオまで彼らに会いに行き、
本当によかったと、心から感じた。
本当に、本当に、
行ってよかったと。
*****
今まで、アメリカはでかいと思っていたけど、
バスに3日間乗れば、確実に反対側まで着くんだなと。
また、アメリカが小さくなったように感じた。
(終わり)
4月6日 日曜日 夜10時過ぎ
フランクとエスターと別れた後、バスは1時間遅れて出発し、予定ではColumbusに9時10分に着くところを、10時10分ごろ着いた。
今までバスが遅れてどこかに着くことはなかったのに、この日に限って、バスが遅れるなんて。
子供たちはもう寝ているかもしれない。
コロンバスに着いて、バスを降り、すぐにハイディに電話をした。
ハイディが出て、「今からそこへ迎えに行くわ」と。
「10分ほどで着くから待っていてね」と。
*****
この数日前。
俺がエスターとフランクの家について、間もないとき。
エスターは、俺が彼らの家に着いたことを、ハイディに電話し、
「シュンスケは、コロンバスにバスで少し停まるらしいわよ」と彼女に伝えた。
たまたま、俺の乗ったバスが、帰りのルートでは、
コロンバスという町で、夜の9時から1時まで、4時間乗り換え時間がある予定だった。
それをエスターに言うと、
「あら、コロンバスにはハイディがすぐ近くに住んでいるわ。電話してみて、その事を知らせてみましょう。もしかしたら、彼女たちに少し会えるかもしれないわよ」と。
俺は、「そんな、彼女たちに時間を取ってもらうのも悪いし、わざわざいいですよ」と言っていたのだが、エスターがハイディに電話をすると、「そのグレハンの駅の周辺は危ないけど、そこまで車で10分だから、少しなら自分たちの家に彼を招いて、時間を一緒に過ごせるわ」と言ってくれたらしい。
それで、その日は、ハイディの家族に、夜の9時以降、少しだけ会うこととなっていた。
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俺がハイディに電話してから10分後。
東側のドアから出て、外で待っていると、
ハイディらしき女性が乗った車が、俺の目の前の道路を通り過ぎて、向こう側に回っていった。
やべえ!反対側のドアだった!!
急いで建物の中に入り、別のドアへ歩くと、
ちょうどハイディも中に入ってきたところだった。
「Hi Heidi!」と言って、ハグをする。
「Hi Shunsuke!」と。
ハイディは相変わらずとても素敵な笑顔をしていた。
(ちなみにエスターとフランクの娘さんは3人とも、とても美人である)
ハイディは、「さあ、こっちよ」と言って、車の方へ案内してくれた。
このグレイハウンドの駅がある地域は、夜中は治安がよくないとのことで、
ハイディはわざわざ、ここから10分ほどのところにある家から、車で俺のことを迎えにきてくれた。
車のトランクに荷物を入れると、「それで全部なの?」と。
「そうです」と言うと、「よくもそんなに少しの荷物で旅行が出来るのか、いつも感心するわ」と言うので、「いや、今回はいつもよりも多いぐらいなんですよ。普段はバック一個ですから」と言うと、笑っていた。
ハイディの車の助手席に乗ると、彼女はすぐに車を走らせた。
*****
ハイディは相変わらず、とても綺麗だった。
前に会ったときよりも、更に綺麗になっていた気がする。
ハイディの頭には、3年前よりも白髪が増えていたが、それが綺麗なメッシュのようになって、とてもよく似合っていた。
ハイディは、「また今回も旅をしてるのね」と。
「これまで一体いくつの州を回ったの?」というので、
「ただ通過した州も合わせると、ほとんど全ての州を回ったと思いますよ」と言うと、
「私なんか、アメリカに住んでいて、ほんの2,3個の州しか回ってないのに、すごいわね」と。
「あなたに3年前に会ったとき以来、どこか他の国にも旅に行ったの?」と聞かれたので、
「あの後、タイ、カンボジア、中国などのアジアと、グアテマラやエルサルバドルなどのセントラルアメリカにも行きましたよ」と言うと、
「その、あなたの旅の経験を聞く度に、いつも驚くわ」と。
そんな風に言われて、俺としてはただ旅をしているだけで、何も特別なことではないと思っていたので、そのこと自体を褒められて、とてもいい気分になった。
そんなハイディと話していて思ったが、運転をしながら、俺の話に耳を傾けている彼女の姿を見て、とても綺麗な人だなと感じた。
思うに、彼女自身が、彼女のことを「綺麗だな」と相手に思わせる要素は、彼女の内面にあると思う。
彼女の話し方はとても素敵で、俺が何か喋ると、微笑みながら、「Uh-huh」と言って、とてもよく話を聞いてくれる。話をしていると、「ええ、とてもよく分かるわよ」というのが良く伝わってくるので、話しているこっちも、安心して、心から言いたいことを言える気がする。なので、こっちも、相手のことを尊重して、自分のペースで、落ち着いて、とても気持ちがよく会話ができるのだ。
ハイディは、俺の話を聞きながら、「コロンバスの町のクイック・ツアーをしてあげるわ」と、少し遠回りのルートを通り、「あの建物はあれで、この建物はこれで」と、詳しく解説してくれた。
途中、リアの通っている学校や、元銀行だったと言う、ものすごく立派な建物のスタバなどを通り、その後、ハイディの住む、Bexleyという地域に入った。
その地域に入った最初のところに並ぶ家々を指しながら、「これらの住宅は、とても高級なの。一軒、$200,000~$300,000くらいよ。まあ、カリフォルニアに比べたら、それでもずいぶんと安いんでしょうけどね」
ハイディは、その後、「私が住む家は、大体$100,000台ぐらいのものよ」と言いながら、その高級な家々と比べて、ちょっと小さめの家が並ぶ通りに入った。
その通りは、前に俺が住んでいたロングビーチアパートのすぐ近くにあった、Belmont Shoreという通りにそっくりだった。
その一体に並ぶ一個の家の前に、車を停めた。
家の中は、カーテンがしてなかったので丸見えだったが、そこにはKatlin(ケイトゥリン)が毛布に包まって座っていた。
ハイディは、「リアはもう寝ちゃったけど、ケイトゥリンは何とか頑張って起きててくれたわ」と。
中に入ると、いきなり犬が寄ってきて、俺に向かって吠え出した。
ハイディが、「こら!やめなさい!お菓子をあげるから」と言い、
「ごめんなさいね」と言いながら、犬を連れて中に行った。
カウチから立ち上がって、俺と挨拶しようと待っていてくれたケイトゥリンと、「It’s so nice to seeing you again!」と言って、ハグをした。
「こんなに遅くまで起きていてくれてどうもありがとう」と言うと、
「リアは9時ごろまで何とか起きてたんだけど、もうダメだって言って寝ちゃったわ」と。
3年前に会ったときには、ケイトゥリンも11歳だったのに、
今では14歳となった。
3年前にはしていなかった眼鏡をかけるようになり、歯の矯正もしていた。
見ると、漢字がプリントされているT−シャツを着ている。
「それ漢字が書いてあるね」と言うと、「これ、私が入っているヴァイオリンのチームのT−シャツなのよ」と。
聞くと、前にそのチームは、中国まで、演奏をしに行ったとか。
ケイトゥリンがそのチームに入ったのは、その中国遠征の後だったので、中国には行けなかったが、今度はワシントンDCに行くらしい。
「ヴァイオリンの調子はどう?」と言うと、
「何か弾いてあげようか?」と。
「うん、ぜひお願いします」と言うと、
「じゃあ、自分のリサイタルでの発表曲を弾くね」と。
そう言ってKatlinは、奥から自分のヴァイオリンが入ったBOXを持ってきてくれた。
彼女がヴァイオリンをセットアップしている間に、さっきの犬が、俺のところに寄ってきて、骨の形をしたおもちゃをポトンと前に落としていった。
「何かな?」と思っていると、
ハイディが、「あら、ムーンがあなたにそのおもちゃをあげるなんて、相当あの子、あなたのこと気に入ってるみたいね。あれは彼女のお気に入りだから、普通はそんなことしないのよ」と。
相変わらず、イヌ科の俺は、この犬にも好かれてしまったようだ。
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ちなみに、俺は今まで、会ってきた犬という犬、全ての犬に好かれてきた。
どんな犬でも、最初は俺に対して吼えていても、すぐにお腹を見せてねっころがってしまう。
俺の高校時代の友達が言った言葉。
「○○、お前犬に似てるよな。特にゴールデンレトリバー系」
その日、やつは俺のケータイにメールをして来た。
「今日からお前のあだ名、『セキヌ』な」 (○○+イヌ=セキヌ)
ずいぶんうまいなと思い、それ以来俺も気に入って使っている。
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話はそれたが、そんな犬を前にしながら、アイスティーを持ってきてくれたハイディと一緒に、Katlinの演奏を聞いた。
Katlinは、俺と会って喋っていたときは、普通の14歳の小さな女の子の表情だったのに、
ヴァイオリンを持って、セットアップしている時から、表情が次第に真剣になって行って、
いざ、最初の音を弾き出した時、一気に表情が変わった。
彼女の弾く様を見ていて、天才肌かなと思った。
見ていて、鳥肌が立つくらいだった。
弾いている最中、彼女は、ずっと斜め下の一つ箇所を、じーっと見ていた。
曲の方もすごかった。
俺はヴァイオリン、よく分からないけど、指と、弦をうまく動かして、繊細な音までもを奏でる。
本当に凄いと思った。
7分ほどの曲が終わった後、拍手。
完全に聞き惚れてしまった。
その後、Katlinに「普段はどれくらい練習するの?」と聞くと、「本当は毎日最低1時間は練習するべきなんだけど、毎日はそこまで時間が取れないわ」と。
「他にも、色々やっていて忙しいから」と。
彼女の弾いた曲の楽譜を見せてもらった。
見ると、曲名の下に、日本語のカタカナで文字が書いてある。
「あ、日本語だ」と言うと、「私がやっている練習方式は、スズキ方式(Suzuki Method)と言って、スズキさんが開発したものなのよ」と。
楽譜を見てみたが、全くチンプンカンプンだった。
ハイディは、「リアが起きるかどうか、起こしに行って来るわ。明日になって、『なんで起こしてくれなかったの?』って、怒るはずだから」と。
しかし、リアを起こしに2階に行ったハイディは、階段から降りてきながら、「ダメだったわ」と。
その後、お互いの写真を撮ったり、ハイディのお姉さんである、Gale(ゲイル)の娘である、Kimberly(キンバリー)の話をしたりした。
(俺はゲイルの家族とも、3年前に会っている。今回は、ゲイルの家族が住む家は、同じオハイオでも大分遠いところに位置していたので、さすがに会うことはできなかった。ハイディが住む家の近くに、俺の乗るグレハンのバスがたまたまとまり、しかも4時間の休憩がそこであることは、本当にラッキーだった。)
キンバリーは、今はオーストラリアで、英語の教師をしているらしい。
キンバリーと俺は同い年。
彼女は、その前には、ロンドンで、ツアーガイド兼、英語の教師をしていたとか。
彼女が今まで行って来た国から送ってきたという、ポストカードを、
Katlinが見せてくれた。
中には、アフリカからなんてのもあった。
「アフリカかあ、すげえなあ」と思った。
その後、俺は今までの旅の話をし、
その後はハイディが、自分の仕事の話などをしてくれた。
Katlinは、もう大分眠いらしく、途中で眠い目をこすり、半ば寝かけていた。
それを見てハイディが、「もう寝たら」と。
Katlinは、「もう起きていられないわ」と言いながら、「おやすみ」と言って2階に上がっていった。
*****
その後、ハイディと話をしていながら、思っていた。
上にも書いたけど、話をしている彼女を見ると、「本当に綺麗な人だなあ」と、感心させられてしまう。
見た目が綺麗だとか、そんなんじゃない。
もちろんハイディは、美人な人だけど、それよりも、
彼女の持っている知識の多さ、教養、
人間としての品性、洗練されているところ、
そして、その言葉遣いと、話し方。
いつも笑顔のまま、色々な話を、嬉しそうに、面白おかしく話してくれる。
そんな風に話をする彼女を見ていながら、
もし俺が画家だったら、
彼女が今目の前で話している、
この「瞬間」を、絵にしたいなと思った。
決して、その人の見た目や出で立ちだけでなく、
その人が作り出す、その空間の雰囲気、オーラ。
そういったものを、全て絵に入れ込んで、その「瞬間」を、絵にしたい。
そう思った。
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ハイディは、自分が今働いている、プリスクール(幼稚園)の先生としての話。
その学校で行っている、バハマの子供たちとの交流の話などをしてくれた。
それから、俺が、前にどんな仕事をしていたのかと聞くと、
「前は自分は、ソーシャルワーカーだったのよ」と、
当時の話をしてくれた。
*****
前にハイディは、フィラデルフィアで、ドラッグとアルコール依存に陥っている子供たちのカウンセリングをしていたらしい。
当時彼女が相手にしていた子供たちは、ほとんどの子が、元ドラッグのディーラーなど。
自分が、仕事場まで、ポンコツの中古車で駆けつけるのに、
その子供たちは、16歳ほどにして、高級メルセデス・ベンツに乗っていたという。
そのギャップに驚いていたとか。
ある日、一人の少女がずうっと泣いていたので、
ハイディが彼女に、
“How many people have you ever lost in your life?”
(今まで一体、何人の人を亡くしたことがあるの?)と聞くと、
その子は、両手を使って数えだした、と。
“They are straight to the death”
(その子たちの人生は、墓場に向かって一直線なのよ)と。
そこでの仕事を辞め、今は、このオハイオのコロンバスに住んでいるらしい。
******
話をしていると、ハイディがさっきセットしたアラームが鳴った。
(俺が家に来て、1時間ほどした後、「12時に鳴るようにこれをセットしておくわ」と、ハイディはキッチンにあったセルフタイマーをセットしてくれていた)
「もう12時ね。そろそろあなたを送っていかなければならないわね」と。
俺のバスは、午前1時に出る予定だった。
家を出る前に、トイレを貸してもらって、その後、キッチンに飾ってある絵や工作などの説明をしてくれた。「それらは、あの子たちがまだ小さい頃に、学校で作ってきてくれたものなのよ」と。
ハイディの家は、エスターやフランク、それからエスターたちの息子のクレイグなどの家に比べると、確かに小さかったが、
とても綺麗に装飾されていて、凄くお洒落な家だと思った。
ハイディが出かけ際に、
“Your recipe is still one of the best”
「あなたの書いてくれたレシピは、いまだに私のお気に入りの一つよ」と。
何のことかと言えば、俺が3年前に、エスターの家を訪ねた際、そこでみんなのために、親子丼を作ったときのレシピのこと。
一気に11人分の親子丼を作り、まるでオムレツみたいになってしまったものの、
エスターとゲイル、そしてハイディの3人の女性方は、とても気に入ってくれた。
ハイディなんて、「I can even drink the soup with the straw !」(このスープだけでも、ストローで飲みたいぐらいよ)なんて、言ってくれた。
その時のハイディの笑顔は、3年たった今でも、まるで昨日のことだったかのように、鮮明に覚えている。
あまり親子丼の出来具合に自信が無かった俺は、彼女の笑顔にずいぶんとほっとさせられた。
そんな3年前の出来事のことを、未だに覚えていて、口にしてくれるハイディ。
とても優しいなと思った。
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彼女の車に乗り、また、コロンバスの街中に向けて、車を走らせた。
途中で、俺が、「あなたが高校の頃に、スウェーデンから、交換留学生として女の子が一年来ていたんですよね?エスターに聞いたんですけど」と言うと、
ハイディは、
「あの頃の年頃はね、どんなに相手がよくても、さすがに一年間、ずっと同じ相手と時を共に過ごすってのは、ちょっときついものがあったみたいね。
私のママと彼女は、彼女がスウェーデンに帰ってからも、ずっと連絡を取っていたけど、私は取っていなかったのよ・・・。
でも、この前彼女がアメリカに来て、それで彼女と数十年ぶりに話をして、高校時代にはケンカをしたような内容のことを話して、『何であの時はあんなことでケンカなんてしたんだろう』って、お互いに打ち解けてね・・・・。
古い友達と、ああやって仲をまた取り戻すことは、とてもいい経験だったわ」と。
「今度、また彼女が私たちの高校の同窓会に合わせて、スウェーデンから来るらしいわ。ええとね、、、、、あら!もう卒業30年以来の同窓会よ!信じられないわ・・・」と、相変わらずニコニコしながら、昔を思い出して、話をしてくれた。
次第に車は、グレハンの駅に近づいていた。
俺は、ハイディにこの夜の初めに迎えに来てもらったときから、この瞬間まで、
こうして、自分の全く知らない町、オハイオ州のコロンバスという町に、たまたまバスが停まって、
そこで、たまたまその駅から10分のところに住んでいた、3年前に会ったハイディが住んでいて、
今晩こうして、迎えにきてもらって、また3年ぶりに会えて、2時間ほどを一緒に過ごせたなんて、
彼女たちの家に招いてもらって、3年ぶりに成長したKatlinにあって、彼女のヴァイオリンを弾く姿を見れたなんて、
そして、こうして、とても素敵な女性に、今もこうして出会えて、3年前にただちょっとあっただけの俺のことを、まるでとても特別かのように、会うのを楽しみにしていてくれたなんて、
本当に嬉しかった。そして、本当に、不思議だった。
こうして、自分が、人生で、一度も来ないような町に、たまたま降り立ち、
そこで、こうして、素晴らしい人たちに、また『再会』できたということが。
俺が、「I just can’t believe I am here now and I could see you guys again」(ここに今自分がいて、あなた達にまた会うことができたってことが、本当に信じられません)と言うと、
ハイディは、
「Well, everything has got a reason」(全てのことには、意味があるのよ)と、
頷きながら言ってくれた。
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車は駅前に着き、「Here comes the Greyhound bus station again」と。
車から降りて、自分の荷物をもらう。
ハイディにハグをして、今晩、忙しい中、こんなに遅くまで付き合ってくれて、本当にありがとうございましたと、お礼を言う。
ハイディは、「Now you’ve met all of my family. Now you are one of our families!! You can’t run away from us!!」(あなたはもう、私たちの全ての家族に会ったのね。もうあなたも、私たちの家族の一員よ。もう逃げられないわよ!)と。
そんなハイディに、さよならをして、
彼女は、車に乗って、去っていった。
彼女がいなくなるまで、手を振っていた。
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グレハンの駅に着き、2時間前に降り立ったこの駅で、また日記を書き始めた。
本当に、ハイディたちに会えて、よかった、と・・・・。
2009年1月にKatlinが送ってきてくれた写真
左がLeah, 右がKatlin
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この後、俺はまた、バスに3日間カンヅメになった。
ミズーリの、セントルーイス
3日後の朝である水曜日の早朝、
カリフォルニアのフレズノに着いた。
今回の持ち物
移動の間はかなりしんどい旅だったが、
アメリカを去る前、もう一度、オハイオまで彼らに会いに行き、
本当によかったと、心から感じた。
本当に、本当に、
行ってよかったと。
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今まで、アメリカはでかいと思っていたけど、
バスに3日間乗れば、確実に反対側まで着くんだなと。
また、アメリカが小さくなったように感じた。
(終わり)