April 15, 2008 16:59
「Esther & Frankとの再会」
Frank & Esther
4月2日 水曜日 4:30pm
バスはついに、OhioのCleveland(クリーヴランド)に着き、あと10分で、駅にバスが着くこととなった。
既に三夜をバスの中で過ごしていた俺は、もうそろそろ限界だった。
しかし、エスターとフランクにもうすぐ会える!!
この日の一日前、そして、この日の昼ごろにも、
バスが順調に走っていることを電話で彼らに伝え、
クリーヴランドの駅まで、迎えに来てもらうこととなっていた。
Clevelandの街中
4時40分。
バスが着く前に、乗客の一人が、バスの運転手に向かって大声で叫んだ。
「あんた方はもう、バスの中で映画を流すサービスをやめたのかい!?」
すると運転手は、更にバカでかい声で、その声に向かって怒鳴り返した。
「前に、ディズニーの『シンデレラ』を流したら、“あれは人種差別の映画だ”なんて俺にケンかをふっかけてきた客がいてね、それ以来、もう映画は流さないことにしなんだよ!」
例の乗客が言う。
「なら、PIXARの『Cars』はどうなんだ?あれはいい映画だぜ」
他の乗客も何人か、「そうだそうだ」と頷いた。
運転手は怒鳴り返す。
「あれだって、立派な人種差別の映画だ!『古きよきアメリカ』のルート66しか流さねえし、結局は、白人の人種差別的な映画なんだよ!!」
他の乗客「・・・・・・」
すげえ運転手だなと思っている間に、バスは駅に滑り込んだ。
*****
バスから降りて、下に預けてあった荷物を受け取った後、
駅の中に入っていった。
エスターとフランクの姿を探す。
グレハンの駅にしては、結構大きくて綺麗な駅だった。
中を見渡し、奥に進んでいくと、
別のドアが並んであったところの前に、エスターらしき白髪の女性の後姿が見えた。
エスターかなと思い、ろくに確かめないまま、
「Esther!?」
と叫んだ。
すると、その女性は振り返って、こっちを見ると、「Oh, hi Shunsuke!」と言って叫んでくれた。
まさに、エスターだった。
前と変わらない、素敵な笑顔。
3年前に会ったときと、見た目はほとんど変わってなかった。
今年74歳になるのに、相変わらず肌はツルツルで、とても綺麗な肌をしている。血色もとてもよい。
エスターとハグをして、「It’s so good seeing you again!!」と言った。
「フランクは?」と聞くと、
「フランクはそこのドアの外に、あなたの乗っていたバスが着いたと思って、外に出てあなたを探しに行っちゃったわ」という。
すると、ドアの向こうから、背のものすごく高いおじいさんが、とことこと入ってきた。
俺が、「Hi Frank!!」と言うと、彼は、俺の声に気付いてこっちを見て、
「Oh, hi Shunsuke!」と。
彼も相変わらずの笑顔で、しかも背はやはり大きかった。
エスターが、「彼の乗ってきたバスは、反対側の扉についたみたいね」とフランクに説明し、「それでは家に行きましょうか」と、俺の荷物を少し持ってくれた。
俺は、相変わらずトイレに行くのを我慢していたので、「ちょっと失礼」といい、速攻トイレに行ってきて、それから、また二人と改めて挨拶をして、「さあ行きましょう」となった。
******
外に出て、グレハンの駅の横についていた駐車場まで歩く。
外は、風が肌寒かった。
「カリフォルニアに比べてここは寒いでしょう」とエスターが聞くので、
「確かに、カリフォルニアでは冬でも、ここまで空気が冷たくはなりませんね」と言うと、
「これでも、ここ数日は暖かくなって、いい天気が続いているのよ。2週間前までは雪が降っていたからね」と。
そんな話をしながら、駐車場の中に足を入れると、そこにはフランクの車がとめてあった。
相変わらず、3年前と同じ、赤のクライスラーをフランクは運転していた。
「3年前と同じ車よ」と笑うエスター。
トランクを開けて、俺の荷物を、そこに入れさせてくれた。
二人は前に乗り、
俺はエスターの後ろに座った。
「それでは、Hudsonまで帰りましょう」と。
Hudson(ハドソン)は、エスターとフランクの住む家があるところ。
クリーヴランドからは、車で約40分くらい。
クリーヴランドのダウンタウンを走りながら、エスターとフランクが、「あの建物はあれで、この建物はあれで」と説明してくれる。
それと同時に、「バスの旅はどうだった?」と。
「いやあ、狭いバスに三日三晩は、さすがにきつかったですね」と言うと、
エスターは、
「それじゃあ、うちでゆっくりしていってちょうだいね」と言ってくれた。
*****
二人と会話をしながら、二人の車の後部座席に乗って、
3年間に、彼らに初めて、New JerseyのOcean Cityの駅でピックアップしてもらってから、
彼らの家に連れて行ってもらったことを思い出し、
すごく不思議な感じがした。
ああ、俺は、この二人と出会って、本当に3年前、彼らの家に招いてもらったんだなあ、と。
もう3年も前のことで、当時の写真とかもあまりなかったから、
まるであのことが、夢のように思えてたけど、
こうして、今こうして、また彼らに会えてるんだなあ、と。
そう思っている中も、フランクの運転してくれる車は、南に向けて、グングンと進んでいった。
****
40分ほどして、車は二人の家の前に着いた。
典型的なアメリカの家、という感じで、庭が広い。
家はとても大きく、玄関の前には、ポーチがある。
「The Note Book」で、主人公の男の子と父親が、ポーチの椅子に座って、二人で話しているシーンを思い出した。
中に入り、荷物を入れた。
エスターが、「この3日間は、食事もロクにできなかったんじゃない?」
「そうですね、あまり食べていませんでした」と俺が答えると、
「あら!それでは、相当お腹が空いていることでしょう。たくさん作らなきゃ!!」と、ニコニコと笑っていた。
ちなみに、いつもエスターはニコニコしている。
彼女が、怒っている顔は、一度も見たことが無い。
何もない普段でも、いつも微笑んでいる。
とても素敵な女性だなと思う。
*****
この後、食事を食べる前に、フランクが昔、25歳の頃に、日本にいた頃の写真を見せてもらった。
彼が日本にいたのは、1955年あたりの1年半。
彼はアーミーにいて、日本で、地形を測量して、地図を作る仕事に携わっていた。
3年前は、そのときの話を聞いただけだったけど、今回は、実際にその頃の写真を見せてもらった。
彼が下に降りていき、古くて大きなアルバムを持ってきた。
中を開けると、当時の写真が入っている。
全ての写真は白黒で、でも、、画質はかなり良かった。
当時のフランクは、体つきもスマートで、とてもかっこよかった。
かなりハンサムな男性だった。
彼が働いていたという、事務所の中の様子。
日本人の女性も、何人か写っている。
最初に目についた日本人女性をさして、「この人は日本人ですね」と言うと、
「Oh, she is Shimizu-san!!」と。
全ての人の名前を覚えているらしい。
写真の横には、そこに移っている人たちの名前が、全て丁寧に書き添えられていた。
仕事場の風景の写真から、
みんなでどこかの川へ遊びに行った写真。
当時アメリカでフランクの帰りを待っていたエスターが作り、日本まで送ってくれたと言う、ちょっと大き目のセーターを着ている、フランクの写真。
そのセーターをさして、フランクが言う。
「これは妻が作って、私に送ってくれたんだ」
エスターは、
「彼が横にいないから、果たしてどれくらいの大きさか分からなかったのよ。ちょっと大きめに作りすぎちゃったみたいね」
フランクは、「まだそのセーターはとってあるよ。今でも着ているんだ。大分縮んできちゃったけどね」
エスター「違うわよ、あなたが太ったんでしょ」
フランクは「おお、そうだった」と言って、がっはっはと笑っている。
そんな二人のやり取りの光景は、とても微笑ましかった。
*****
俺は、1950年代の日本の様子を移した写真なんて、あまり見たことがなかったので、まるで博物館に行って、昔の日本を見ているようだった。
当時の、東京の地図なども、フランクは大事に保管していた。
それから、映画館でのチラシなども。
*****
それらの写真を見て、余韻に浸った後、
エスターが、「ディナーの支度が出来ましたよ」と。
3人でテーブルに着いて、食事を頂いた。
ビーフの小さなステーキと、ポテト、コーン、パンにサラダ。
バスに乗っている間、自分はものを余り食べていなかったせいか、胃が小さくなっていて、すぐにお腹いっぱいになってしまった。
デザートには、すごく甘いイチゴと、エスターが作ったブラウニー。
食べ終わって、満足した後、フランクが、
「私のトレインたちを見るかい?」と。
「ええ、ぜひ」と言うと、彼は居間にあった一つの扉を開けた。
すると、そこは地下室に繋がっていて、彼について降りていくと、下には、とても大きな空間が広がっていた。
そこは、彼の書斎やオフィスらしい。
「うおお、すげえ!」と思い、色々と飾ってあるおもちゃや絵などを見ていると、
彼が「こっちだよ」と。
更に奥へ行くと、なんと、そこには、
ものすごい大きさの、列車のジオラマが広がっていた!!
聞くと、全て自分で作ったらしい。
そのジオラマは、建物や、小さな人、そして馬や牛、それから、草や土まで、全て精巧に作ってある。
「そこで作るんだ」とフランクが指した場所を見ると、
そこには彼の仕事場が。
「これ全部作るのにどれくらいかかったんですか?と聞くと、
「2年前くらいに始めたんだよ」と。
それらを見て驚いていると、「これで驚くのはまだ早いよ」と言いながら、彼は更に奥へ入っていった。
するとそこには、更に大きなジオラマが!!
(この写真は撮りませんでした)
「あのもう一つのジオラマでは、小さくなっちゃったんでね。これを新しく作り始めたんだよ」と。
そう言いながら、目を輝かせてニコニコしているフランクは、本当に嬉しそうだった。
その姿はまさに、自分の大好きなおもちゃを目の前にして、嬉しそうにしている少年そのものだった。
そのフランクの姿を見て、彼が、この歳になっても、いつまでも元気でいる理由が分かった気がした。
いくつになっても、自分の好きなことをする。
それが、若く、健康でいられる秘訣なのかと。
列車を走らせてみせてくれているフランク
目がキラキラ輝いていた
これで何台もの列車を一度に操縦する
****
列車をたっぷりと時間をかけて見た後、フランクと一緒に一階に上がってきて、カウチに座った。
エスターが聞く。「彼の列車はどうだった?」
俺が、「いやあ、もう本当に感激しましたよ!あんな大きいの見たことないです!フランクがいつまでも若くいられる理由が分かった気がしましたよ」と言うと、
エスターは、「彼はそのうち、このリビングルームまでも、列車たちで多い尽くそうとしているくらいよ」と、ニコニコしている。
そのとき、まるでこの家全部が遊び場に思えた。
大きな遊び場で、いくつになっても、自分の好きなことをして楽しんでいるフランクと、
その姿を微笑みながら、「しょうがないわね」と言って、支えているエスター。
小さい頃、自分が、自分の家全部を遊び場としていた頃。
おもちゃを使って、ずうっと遊んでいた頃。
そして、そんな自分の面倒を見てくれる母親が、いつも横にいた頃。
そんな、小さな頃の感情を思い出した。
そして「人生は、楽しんで生きるためにあるんだ」、
フランクとエスターの姿を見ながら、そう感じた。
*****
その後、二人に、100年ほど前に作られたという、古いMusic Boxを見せてもらった。
一つ目は、円盤を中に入れて、横についているねじを巻き、離すと、
円盤がくるくると回って、綺麗な音色が流れるもの。
とても複雑なつくりの、オルゴールといった感じ。
そして二つ目は、これもはやり横についているねじを回すと、
中に入っている丸い筒が回転して、音色が流れるというもの。
どちらも、とても古いが、とても綺麗な音色を醸し出していた。
*****
夜9時ごろになると、旅の疲れが溜まっていたのと、二人にあって安心したので、もうフラフラしていた。そのため、早めに寝させてもらうことにした。
その前に、3日ぶりのシャワーを浴びさせてもらう。
バスタブに入って、蛇口をひねって、温かいお湯が出てきたとき、
「神様、ありがとうございます」と心から思った。
シャワーから上がって、足を見ると、
ずっとはき続けていた靴下と、その上から更にはいていたモモヒキのせいで、足首が押さえつけられていたらしく、足が思いっきりむくんでいた。
(俺はお腹がすぐに冷えるので、ズボンの下にモモヒキを、ずっとはいていた)
そのむくんだ足を見ながら、
「エコノミー症候群にならなくて、本当によかったぜ」と、心から思った。
エスターは、俺のために、とても綺麗で素晴らしい部屋を用意していてくれた。
ベッドの横にある椅子に座り、日記を書いた。
日記の一部より:
「さっき、カウチに座りながら、
“アメリカに初めて来たとき”を思い出してた。
高2のとき。
オレがOHに来てたら、
この6年間は、また変わっていたんだろうな。
どうなってたんだろう。
同じアメリカなのにな。
不思議なもんだ。
行くところによって、人生が変わっちまう。
とにかく、俺はここにまたこうして、彼らに会いに来れて、
本当に幸せだ。
感謝。」
書き終わった後、3日ぶりに、ベッドの中に入った。
3日ぶりのベッド。
またしても、「Thank you God」と心から感謝しながら。
恐らく、布団に入って、10秒以内には寝ていたと思う・・・・。
(続く)
4月2日 水曜日 4:30pm
バスはついに、OhioのCleveland(クリーヴランド)に着き、あと10分で、駅にバスが着くこととなった。
既に三夜をバスの中で過ごしていた俺は、もうそろそろ限界だった。
しかし、エスターとフランクにもうすぐ会える!!
この日の一日前、そして、この日の昼ごろにも、
バスが順調に走っていることを電話で彼らに伝え、
クリーヴランドの駅まで、迎えに来てもらうこととなっていた。
Clevelandの街中
4時40分。
バスが着く前に、乗客の一人が、バスの運転手に向かって大声で叫んだ。
「あんた方はもう、バスの中で映画を流すサービスをやめたのかい!?」
すると運転手は、更にバカでかい声で、その声に向かって怒鳴り返した。
「前に、ディズニーの『シンデレラ』を流したら、“あれは人種差別の映画だ”なんて俺にケンかをふっかけてきた客がいてね、それ以来、もう映画は流さないことにしなんだよ!」
例の乗客が言う。
「なら、PIXARの『Cars』はどうなんだ?あれはいい映画だぜ」
他の乗客も何人か、「そうだそうだ」と頷いた。
運転手は怒鳴り返す。
「あれだって、立派な人種差別の映画だ!『古きよきアメリカ』のルート66しか流さねえし、結局は、白人の人種差別的な映画なんだよ!!」
他の乗客「・・・・・・」
すげえ運転手だなと思っている間に、バスは駅に滑り込んだ。
*****
バスから降りて、下に預けてあった荷物を受け取った後、
駅の中に入っていった。
エスターとフランクの姿を探す。
グレハンの駅にしては、結構大きくて綺麗な駅だった。
中を見渡し、奥に進んでいくと、
別のドアが並んであったところの前に、エスターらしき白髪の女性の後姿が見えた。
エスターかなと思い、ろくに確かめないまま、
「Esther!?」
と叫んだ。
すると、その女性は振り返って、こっちを見ると、「Oh, hi Shunsuke!」と言って叫んでくれた。
まさに、エスターだった。
前と変わらない、素敵な笑顔。
3年前に会ったときと、見た目はほとんど変わってなかった。
今年74歳になるのに、相変わらず肌はツルツルで、とても綺麗な肌をしている。血色もとてもよい。
エスターとハグをして、「It’s so good seeing you again!!」と言った。
「フランクは?」と聞くと、
「フランクはそこのドアの外に、あなたの乗っていたバスが着いたと思って、外に出てあなたを探しに行っちゃったわ」という。
すると、ドアの向こうから、背のものすごく高いおじいさんが、とことこと入ってきた。
俺が、「Hi Frank!!」と言うと、彼は、俺の声に気付いてこっちを見て、
「Oh, hi Shunsuke!」と。
彼も相変わらずの笑顔で、しかも背はやはり大きかった。
エスターが、「彼の乗ってきたバスは、反対側の扉についたみたいね」とフランクに説明し、「それでは家に行きましょうか」と、俺の荷物を少し持ってくれた。
俺は、相変わらずトイレに行くのを我慢していたので、「ちょっと失礼」といい、速攻トイレに行ってきて、それから、また二人と改めて挨拶をして、「さあ行きましょう」となった。
******
外に出て、グレハンの駅の横についていた駐車場まで歩く。
外は、風が肌寒かった。
「カリフォルニアに比べてここは寒いでしょう」とエスターが聞くので、
「確かに、カリフォルニアでは冬でも、ここまで空気が冷たくはなりませんね」と言うと、
「これでも、ここ数日は暖かくなって、いい天気が続いているのよ。2週間前までは雪が降っていたからね」と。
そんな話をしながら、駐車場の中に足を入れると、そこにはフランクの車がとめてあった。
相変わらず、3年前と同じ、赤のクライスラーをフランクは運転していた。
「3年前と同じ車よ」と笑うエスター。
トランクを開けて、俺の荷物を、そこに入れさせてくれた。
二人は前に乗り、
俺はエスターの後ろに座った。
「それでは、Hudsonまで帰りましょう」と。
Hudson(ハドソン)は、エスターとフランクの住む家があるところ。
クリーヴランドからは、車で約40分くらい。
クリーヴランドのダウンタウンを走りながら、エスターとフランクが、「あの建物はあれで、この建物はあれで」と説明してくれる。
それと同時に、「バスの旅はどうだった?」と。
「いやあ、狭いバスに三日三晩は、さすがにきつかったですね」と言うと、
エスターは、
「それじゃあ、うちでゆっくりしていってちょうだいね」と言ってくれた。
*****
二人と会話をしながら、二人の車の後部座席に乗って、
3年間に、彼らに初めて、New JerseyのOcean Cityの駅でピックアップしてもらってから、
彼らの家に連れて行ってもらったことを思い出し、
すごく不思議な感じがした。
ああ、俺は、この二人と出会って、本当に3年前、彼らの家に招いてもらったんだなあ、と。
もう3年も前のことで、当時の写真とかもあまりなかったから、
まるであのことが、夢のように思えてたけど、
こうして、今こうして、また彼らに会えてるんだなあ、と。
そう思っている中も、フランクの運転してくれる車は、南に向けて、グングンと進んでいった。
****
40分ほどして、車は二人の家の前に着いた。
典型的なアメリカの家、という感じで、庭が広い。
家はとても大きく、玄関の前には、ポーチがある。
「The Note Book」で、主人公の男の子と父親が、ポーチの椅子に座って、二人で話しているシーンを思い出した。
中に入り、荷物を入れた。
エスターが、「この3日間は、食事もロクにできなかったんじゃない?」
「そうですね、あまり食べていませんでした」と俺が答えると、
「あら!それでは、相当お腹が空いていることでしょう。たくさん作らなきゃ!!」と、ニコニコと笑っていた。
ちなみに、いつもエスターはニコニコしている。
彼女が、怒っている顔は、一度も見たことが無い。
何もない普段でも、いつも微笑んでいる。
とても素敵な女性だなと思う。
*****
この後、食事を食べる前に、フランクが昔、25歳の頃に、日本にいた頃の写真を見せてもらった。
彼が日本にいたのは、1955年あたりの1年半。
彼はアーミーにいて、日本で、地形を測量して、地図を作る仕事に携わっていた。
3年前は、そのときの話を聞いただけだったけど、今回は、実際にその頃の写真を見せてもらった。
彼が下に降りていき、古くて大きなアルバムを持ってきた。
中を開けると、当時の写真が入っている。
全ての写真は白黒で、でも、、画質はかなり良かった。
当時のフランクは、体つきもスマートで、とてもかっこよかった。
かなりハンサムな男性だった。
彼が働いていたという、事務所の中の様子。
日本人の女性も、何人か写っている。
最初に目についた日本人女性をさして、「この人は日本人ですね」と言うと、
「Oh, she is Shimizu-san!!」と。
全ての人の名前を覚えているらしい。
写真の横には、そこに移っている人たちの名前が、全て丁寧に書き添えられていた。
仕事場の風景の写真から、
みんなでどこかの川へ遊びに行った写真。
当時アメリカでフランクの帰りを待っていたエスターが作り、日本まで送ってくれたと言う、ちょっと大き目のセーターを着ている、フランクの写真。
そのセーターをさして、フランクが言う。
「これは妻が作って、私に送ってくれたんだ」
エスターは、
「彼が横にいないから、果たしてどれくらいの大きさか分からなかったのよ。ちょっと大きめに作りすぎちゃったみたいね」
フランクは、「まだそのセーターはとってあるよ。今でも着ているんだ。大分縮んできちゃったけどね」
エスター「違うわよ、あなたが太ったんでしょ」
フランクは「おお、そうだった」と言って、がっはっはと笑っている。
そんな二人のやり取りの光景は、とても微笑ましかった。
*****
俺は、1950年代の日本の様子を移した写真なんて、あまり見たことがなかったので、まるで博物館に行って、昔の日本を見ているようだった。
当時の、東京の地図なども、フランクは大事に保管していた。
それから、映画館でのチラシなども。
*****
それらの写真を見て、余韻に浸った後、
エスターが、「ディナーの支度が出来ましたよ」と。
3人でテーブルに着いて、食事を頂いた。
ビーフの小さなステーキと、ポテト、コーン、パンにサラダ。
バスに乗っている間、自分はものを余り食べていなかったせいか、胃が小さくなっていて、すぐにお腹いっぱいになってしまった。
デザートには、すごく甘いイチゴと、エスターが作ったブラウニー。
食べ終わって、満足した後、フランクが、
「私のトレインたちを見るかい?」と。
「ええ、ぜひ」と言うと、彼は居間にあった一つの扉を開けた。
すると、そこは地下室に繋がっていて、彼について降りていくと、下には、とても大きな空間が広がっていた。
そこは、彼の書斎やオフィスらしい。
「うおお、すげえ!」と思い、色々と飾ってあるおもちゃや絵などを見ていると、
彼が「こっちだよ」と。
更に奥へ行くと、なんと、そこには、
ものすごい大きさの、列車のジオラマが広がっていた!!
聞くと、全て自分で作ったらしい。
そのジオラマは、建物や、小さな人、そして馬や牛、それから、草や土まで、全て精巧に作ってある。
「そこで作るんだ」とフランクが指した場所を見ると、
そこには彼の仕事場が。
「これ全部作るのにどれくらいかかったんですか?と聞くと、
「2年前くらいに始めたんだよ」と。
それらを見て驚いていると、「これで驚くのはまだ早いよ」と言いながら、彼は更に奥へ入っていった。
するとそこには、更に大きなジオラマが!!
(この写真は撮りませんでした)
「あのもう一つのジオラマでは、小さくなっちゃったんでね。これを新しく作り始めたんだよ」と。
そう言いながら、目を輝かせてニコニコしているフランクは、本当に嬉しそうだった。
その姿はまさに、自分の大好きなおもちゃを目の前にして、嬉しそうにしている少年そのものだった。
そのフランクの姿を見て、彼が、この歳になっても、いつまでも元気でいる理由が分かった気がした。
いくつになっても、自分の好きなことをする。
それが、若く、健康でいられる秘訣なのかと。
列車を走らせてみせてくれているフランク
目がキラキラ輝いていた
これで何台もの列車を一度に操縦する
****
列車をたっぷりと時間をかけて見た後、フランクと一緒に一階に上がってきて、カウチに座った。
エスターが聞く。「彼の列車はどうだった?」
俺が、「いやあ、もう本当に感激しましたよ!あんな大きいの見たことないです!フランクがいつまでも若くいられる理由が分かった気がしましたよ」と言うと、
エスターは、「彼はそのうち、このリビングルームまでも、列車たちで多い尽くそうとしているくらいよ」と、ニコニコしている。
そのとき、まるでこの家全部が遊び場に思えた。
大きな遊び場で、いくつになっても、自分の好きなことをして楽しんでいるフランクと、
その姿を微笑みながら、「しょうがないわね」と言って、支えているエスター。
小さい頃、自分が、自分の家全部を遊び場としていた頃。
おもちゃを使って、ずうっと遊んでいた頃。
そして、そんな自分の面倒を見てくれる母親が、いつも横にいた頃。
そんな、小さな頃の感情を思い出した。
そして「人生は、楽しんで生きるためにあるんだ」、
フランクとエスターの姿を見ながら、そう感じた。
*****
その後、二人に、100年ほど前に作られたという、古いMusic Boxを見せてもらった。
一つ目は、円盤を中に入れて、横についているねじを巻き、離すと、
円盤がくるくると回って、綺麗な音色が流れるもの。
とても複雑なつくりの、オルゴールといった感じ。
そして二つ目は、これもはやり横についているねじを回すと、
中に入っている丸い筒が回転して、音色が流れるというもの。
どちらも、とても古いが、とても綺麗な音色を醸し出していた。
*****
夜9時ごろになると、旅の疲れが溜まっていたのと、二人にあって安心したので、もうフラフラしていた。そのため、早めに寝させてもらうことにした。
その前に、3日ぶりのシャワーを浴びさせてもらう。
バスタブに入って、蛇口をひねって、温かいお湯が出てきたとき、
「神様、ありがとうございます」と心から思った。
シャワーから上がって、足を見ると、
ずっとはき続けていた靴下と、その上から更にはいていたモモヒキのせいで、足首が押さえつけられていたらしく、足が思いっきりむくんでいた。
(俺はお腹がすぐに冷えるので、ズボンの下にモモヒキを、ずっとはいていた)
そのむくんだ足を見ながら、
「エコノミー症候群にならなくて、本当によかったぜ」と、心から思った。
エスターは、俺のために、とても綺麗で素晴らしい部屋を用意していてくれた。
ベッドの横にある椅子に座り、日記を書いた。
日記の一部より:
「さっき、カウチに座りながら、
“アメリカに初めて来たとき”を思い出してた。
高2のとき。
オレがOHに来てたら、
この6年間は、また変わっていたんだろうな。
どうなってたんだろう。
同じアメリカなのにな。
不思議なもんだ。
行くところによって、人生が変わっちまう。
とにかく、俺はここにまたこうして、彼らに会いに来れて、
本当に幸せだ。
感謝。」
書き終わった後、3日ぶりに、ベッドの中に入った。
3日ぶりのベッド。
またしても、「Thank you God」と心から感謝しながら。
恐らく、布団に入って、10秒以内には寝ていたと思う・・・・。
(続く)