January 14, 2008 23:20

「The Great Debaters」

ぐ

久しぶりのブログです。

昨日はこの映画を見に行ってきました。
日曜の午前中に行ったので、また5ドルで見れました。

*****

いやあ〜、めっちゃよかったわ!!
久しぶりに、映画中一度も飽きずに、その世界の中に引き込まれっ放しでした。

舞台は1930年代。
テキサスのマーシャルにて、Wiley College(ワイリー・カレッジ)という黒人の大学にあった討論チームを率いるデンゼルワシントンと、その大学生のメンバーたちの話です。
実話に基づいています。


映画は時代背景を忠実に再現するため、もちろんCGなどはなく、セットもしっかりと作って撮られていました。
しかし何より話がいい!映画の途中、目に涙が溜まるシーンが何度もありました。


デンゼルワシントンの演技もこれまたよかったです。
彼は本当に迫力があります。本当に教師をしても、相当うまいと思います。

また、主役である討論チームのメンバーたちも、若いながらいい演技をしていました。

*****

しかし、映画を見ていてやはり心に残ったのは、その当時の時代における黒人への差別。
黒人が、いかに白人によって差別されていたのか。

映画のワンシーンでは、バス停のベンチに「White Only(白人専用)」と書かれていたり、白人警官の黒人に対する扱いも酷かったり。

町では有名な牧師でも、彼が黒人というだけで、田舎町に入った途端に、白人の農家に酷い扱いを受けたりと。


今この映画を客観的に見ると、「白人の黒人に対する差別は何て酷いんだ」何て思ったりするけれど、それも、今の時代となっては、そこまで酷くもない。
しかし、表面的には見えずとも、やはり社会の裏には、そういうものが流れている。
つまり、「白人超越主義」が深く根付いている。

*****

自分はアメリカに住むアジア人であって、やはりこの社会で生きていく中で、マイノリティーということで差別を受けることもある。
こうして生きている中、「白人超越主義を全く感じない」と言い切ることはできない。

今から70年前、黒人があれだけの差別を受けていて(映画の中には黒人が白人の集団にリンチを受けて木に吊るされ、燃やされているシーンもある)、
それが今は、”表面的”になくなった、とは言える。

表面的になくなるのでも、これだけの年月がかかる中で、
人々の心の奥底と習慣に、深く根強く存在する「差別」が、
本当に人々の間からなくなるのは、一体いつになるのかと。


*****

映画は登場人物がほとんど黒人のため、黒人の視点から描かれている。

討論チームの一人が、食事中に白人のことを、「White」と言ったとき、教師であるデンゼルワシントンが、「アングロサクソンだ」と訂正させるシーンがある。

そのとき思った。
「ホワイト」も「ブラック」も、ただの肌の色で判断しているだけで、どっちも「アングロサクソン」「アフリカンアメリカン」という別の呼び名があるということ。

そして、どちらも、人種的にどっちが「優れている」なんて、ないということを。


結局、人は見た目だけで判断し、差別をしているってことを。


*****

そしてまた、最終的にワイリーカレッジのメンバーがハーバード大学に討論をしに行くとき、そこでは彼らが、黒人であるということで、白人である相手方から差別されることは、一度もない。

むしろ、教養のあるハーバードの学生たち(白人)は、黒人である彼らをそんなところでは判断せず、同じ人間として敬意を持って対応する。


映画の途中で、ワイリーカレッジの彼らがハーバード大学とやり合う前に、初めて白人だけの学校を相手に討論する場面があるが、そこでは、黒人である彼らは、白人の討論相手や、ましてや観客、ジャッジからも、差別を受けていた。

「黒人である」というだけで。


映画だから本当のところは分からないが、それでも、テキサスのど田舎では黒人が白人に吊るし上げられてリンチをくらっている中で、同じ年代でも、ハーバード大学があるマサチューセッツ州では、そんな差別も全くないということを知って、安心した。


やはり、「差別」という醜い偏見も、教養の無さから来るものかと、
考えさせられた。


1・14・08

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