September 27, 2007 23:10
久しぶりに一人になって、気づいたこと
今日は、仕事がなく、朝から一日中休みだった。
朝7時半に起きて、2時間くらい絵を描いた。
その後、歩いてアパートの前に広がる海を見に、散歩に行った。
この海、夕方に彼女と歩いて来たり、一人で来たりということはあったが、
朝の時間帯に一人で来るのは、初めてだった。
そこにはピアがあり、海の上に突き出したその道を、
沖の方まで歩くことが出来る。
朝早くから釣りをしている人たちが、沢山いた。
みんな、自分の釣竿をかけて、
ただじっと海を見て、座っている人もいれば、
仲間と楽しそうに話している人もいる。
この朝の時間帯に、こうして海に来て、
海をじっと眺めて、
自分はこんなにいい所に住んでいたのかと、今頃気づいた。
いつも朝、仕事に行くために急いで車に乗り込んで、
帰ってきたら、もう疲れてあんまり動く気力もなくて、
全然海に来てなかったけど、
歩いてほんの数分の距離に、こんなにいいところがあったのかと。
今頃気づいた。
***
海を見ながら、色々考えていた。
俺の人生、何を望んでいるんだろうと。
海の近くの家。
サーフィン。
好きな絵を描く。
大切な彼女がいる。
自分が望むもの。
自分が人生で望むものの一部は、今すでに、持っていた。
しかし、それらに気づかず、毎日の仕事だけに目が行っていた自分がいた事に気づいた。
毎日生きていくために、お金が必要となる。
そのお金を手に入れるために、働く。
しかし、働くことだけに頭が行っていて、それにほとんどのパワーを使い、
帰って来て、自分の人生の他の要素を余り感謝せずに、毎日を過ごす。
他のことを、「あって当たり前」と思い、
仕事だけに、気が行く。
そして、お金が残る。
気づいたとき、
仕事以外の、自分の人生にとって大事な要素が、
もう無いことに気づき、唖然とする。
俺は今まで何のために働いてきたのかと。
そうなっては遅い。
今日、一人でじっくり時間を過ごしてみて、
こうして絵が描けること。
本が読めること。
好きな音楽が聴け、
好きな映画が見れること。
好きなものを食べられること。
それが全て出来ても、それを一緒に楽しむ人がいなければ、
一緒に、自分の「楽しいね」「幸せだね」という感情をシェアできる人がいなければ、
人生はずい分、寂しいだろうことに気づいた。
****
毎日を生きていくのは、よりよい生活を送るため。
よりよい生活を送るために必要なのは、自分にとって大切なライフパートナー。
友情。
ライフワーク。
それらを楽しむため、日々を過ごす。
そして、それらを手に入れるため、仕事をする。
そこのところを忘れて、仕事だけに頭が行って、
自分の人生の中の他の大事な要素である、
パートナーとの愛情、
友達との友情、
それらを忘れてはいけない。
****
結局、今日、一日をゆっくりと過ごして見て気づいたのは、
「自分が人生で求めているものは何か」を、常にはっきりクリアにし、
それが自分の人生の、常に真ん中に来るように生きること。
「自分が何を望んでいるのか」を忘れ、
日々の”習慣”だけに流されて生きていては、
次第に、もともと何かを得るために始めたそれが、自分の人生の「目的」となってしまって、
それによって何かを得ようとしていたことを、忘れてしまう。
そして、元々自分が得ようとしていた、その「何か」が、
すでに自分の手に入っていたことにも気づかず、
日々を、今までの習慣に合わせて生きる。
そして、気づいたとき、その、自分が求めていた「何か」は、
もう無くなっている。
そうなっては、遅い。
****
要は、自分が今いる状況を、常に客観的に判断すること。
自分が今持っているものに、気づき、それを感謝すること。
自分が求めている「何か」とは、
実はすでに自分が持っていて、
ただ、それに気づき、感謝する心さえあれば、
いいだけのものなのかもしれない。
「自由」を求めるのであれば、
「自由な心」さえ手にいれれば、
世界中どこにいようが、どんな状況にいようが、
その人は「自由」だ。
「幸せ」を求めるのであれば、
「幸せだと感じる心」さえもっていれば、
自分が今持っているものに気づき、感謝し、それを「幸せ」だと思えるだろう。
逆に、「自由な心」がなければ、
いくら経済的、社会的、精神的に自由になろうが、
その人は、一生、「自由」にはなれない。
「幸せだと感じる心」がなければ、
いくら大金をもっていようが、
自分にとって最高のパートナーがいようが、
素晴らしい家庭があろうが、
恵まれた友情があろうが、
自分が望むものが全て手に入ろうが、
その人は一生、その自分の人生を、「幸せだ」と感じられないだろう。
そして、幸せに関しては一つ。
自分がどんな状態にいるとき、
何をしているとき、
「幸せ」だと思うのか。
それを、自らはっきりさせないと、
自分の周りの人や、社会、世間一般が俗に認めるものを手にいれれば、自分もきっと「幸せ」になれると、
それを手に入れることを求めて、さまよい歩くことになってしまう。
***
何か、簡単に書くつもりが、超長くなっちまった。
ややこしいね。もっとスッキリ書きたかったんだけど。
俺が今日言いたかったのは、
「自分がすでに持っているものを、今一度よく見直して、
それに感謝する心を持つこと。
自分が求めているものは何なのかを、自分に常に問いかけて、
それをハッキリさせておくこと。
自分の心を、常に自由にしておくこと。
何かに心を囚われた状態にしておかないこと。
つまり、全ては、心のあり方だってこと。
そして、自分の人生において一番大事なのは、
自分と一緒に生きていくパートナー、家族、友人であり、
その人たちとの愛情、友情を常に一番に持ってくること。
そして、その人たちが、自分の人生の中にいてくれることに、
感謝する心を忘れないこと。」
それが言いたかったんです。
ふう。
9・27・07
朝7時半に起きて、2時間くらい絵を描いた。
その後、歩いてアパートの前に広がる海を見に、散歩に行った。
この海、夕方に彼女と歩いて来たり、一人で来たりということはあったが、
朝の時間帯に一人で来るのは、初めてだった。
そこにはピアがあり、海の上に突き出したその道を、
沖の方まで歩くことが出来る。
朝早くから釣りをしている人たちが、沢山いた。
みんな、自分の釣竿をかけて、
ただじっと海を見て、座っている人もいれば、
仲間と楽しそうに話している人もいる。
この朝の時間帯に、こうして海に来て、
海をじっと眺めて、
自分はこんなにいい所に住んでいたのかと、今頃気づいた。
いつも朝、仕事に行くために急いで車に乗り込んで、
帰ってきたら、もう疲れてあんまり動く気力もなくて、
全然海に来てなかったけど、
歩いてほんの数分の距離に、こんなにいいところがあったのかと。
今頃気づいた。
***
海を見ながら、色々考えていた。
俺の人生、何を望んでいるんだろうと。
海の近くの家。
サーフィン。
好きな絵を描く。
大切な彼女がいる。
自分が望むもの。
自分が人生で望むものの一部は、今すでに、持っていた。
しかし、それらに気づかず、毎日の仕事だけに目が行っていた自分がいた事に気づいた。
毎日生きていくために、お金が必要となる。
そのお金を手に入れるために、働く。
しかし、働くことだけに頭が行っていて、それにほとんどのパワーを使い、
帰って来て、自分の人生の他の要素を余り感謝せずに、毎日を過ごす。
他のことを、「あって当たり前」と思い、
仕事だけに、気が行く。
そして、お金が残る。
気づいたとき、
仕事以外の、自分の人生にとって大事な要素が、
もう無いことに気づき、唖然とする。
俺は今まで何のために働いてきたのかと。
そうなっては遅い。
今日、一人でじっくり時間を過ごしてみて、
こうして絵が描けること。
本が読めること。
好きな音楽が聴け、
好きな映画が見れること。
好きなものを食べられること。
それが全て出来ても、それを一緒に楽しむ人がいなければ、
一緒に、自分の「楽しいね」「幸せだね」という感情をシェアできる人がいなければ、
人生はずい分、寂しいだろうことに気づいた。
****
毎日を生きていくのは、よりよい生活を送るため。
よりよい生活を送るために必要なのは、自分にとって大切なライフパートナー。
友情。
ライフワーク。
それらを楽しむため、日々を過ごす。
そして、それらを手に入れるため、仕事をする。
そこのところを忘れて、仕事だけに頭が行って、
自分の人生の中の他の大事な要素である、
パートナーとの愛情、
友達との友情、
それらを忘れてはいけない。
****
結局、今日、一日をゆっくりと過ごして見て気づいたのは、
「自分が人生で求めているものは何か」を、常にはっきりクリアにし、
それが自分の人生の、常に真ん中に来るように生きること。
「自分が何を望んでいるのか」を忘れ、
日々の”習慣”だけに流されて生きていては、
次第に、もともと何かを得るために始めたそれが、自分の人生の「目的」となってしまって、
それによって何かを得ようとしていたことを、忘れてしまう。
そして、元々自分が得ようとしていた、その「何か」が、
すでに自分の手に入っていたことにも気づかず、
日々を、今までの習慣に合わせて生きる。
そして、気づいたとき、その、自分が求めていた「何か」は、
もう無くなっている。
そうなっては、遅い。
****
要は、自分が今いる状況を、常に客観的に判断すること。
自分が今持っているものに、気づき、それを感謝すること。
自分が求めている「何か」とは、
実はすでに自分が持っていて、
ただ、それに気づき、感謝する心さえあれば、
いいだけのものなのかもしれない。
「自由」を求めるのであれば、
「自由な心」さえ手にいれれば、
世界中どこにいようが、どんな状況にいようが、
その人は「自由」だ。
「幸せ」を求めるのであれば、
「幸せだと感じる心」さえもっていれば、
自分が今持っているものに気づき、感謝し、それを「幸せ」だと思えるだろう。
逆に、「自由な心」がなければ、
いくら経済的、社会的、精神的に自由になろうが、
その人は、一生、「自由」にはなれない。
「幸せだと感じる心」がなければ、
いくら大金をもっていようが、
自分にとって最高のパートナーがいようが、
素晴らしい家庭があろうが、
恵まれた友情があろうが、
自分が望むものが全て手に入ろうが、
その人は一生、その自分の人生を、「幸せだ」と感じられないだろう。
そして、幸せに関しては一つ。
自分がどんな状態にいるとき、
何をしているとき、
「幸せ」だと思うのか。
それを、自らはっきりさせないと、
自分の周りの人や、社会、世間一般が俗に認めるものを手にいれれば、自分もきっと「幸せ」になれると、
それを手に入れることを求めて、さまよい歩くことになってしまう。
***
何か、簡単に書くつもりが、超長くなっちまった。
ややこしいね。もっとスッキリ書きたかったんだけど。
俺が今日言いたかったのは、
「自分がすでに持っているものを、今一度よく見直して、
それに感謝する心を持つこと。
自分が求めているものは何なのかを、自分に常に問いかけて、
それをハッキリさせておくこと。
自分の心を、常に自由にしておくこと。
何かに心を囚われた状態にしておかないこと。
つまり、全ては、心のあり方だってこと。
そして、自分の人生において一番大事なのは、
自分と一緒に生きていくパートナー、家族、友人であり、
その人たちとの愛情、友情を常に一番に持ってくること。
そして、その人たちが、自分の人生の中にいてくれることに、
感謝する心を忘れないこと。」
それが言いたかったんです。
ふう。
9・27・07