September 12, 2007 11:20

昨晩の日記に関して

今朝メールをチェックしたら、父親と姉からメールが来てた。
昨日自分が書いた、日記の内容に関して。

姉は、「仕事とは嫌でも続けるもの」と言い、
父親は、「好きなことを仕事にしている人は、世の中にはほとんどいない」と言う。

そして二人とも、「一人でやっていくために、お金を得るために、働いていく」と言う。

二人の言っている事はその通り。
俺も初めからそう思っている。

しかし、昨日俺が書いた日記の内容を読んで、
二人は、どうも俺が、
「自由=仕事をしないこと」のように思っている、と思われた感がある。

誰もそんなことは書いていない。
俺は日記に書いた。
「自分にとっての”檻”とは、”仕事”ではなく、 
 自らが持った、”常識”に入り続けることだ」と。

だから、自分にどれだけあった仕事を見つけようが、
どれだけその仕事を愛していようが、
自分が、心の中の”常識”に縛られていては、
一生、本当の意味で心は”自由”になれない、と書いたのだ。

これは、俺の場合、
自分が持つ”常識”とは、

「自分が嫌な環境の中で、嫌々生きていく」ということ。

そうするのが、「すべきこと」「して当たり前」と思い、
「自分が好きな環境で、伸び伸びと生きていくこと」は、
「ずるい」「怠けている」「”頑張って”いない」
という風に思う、自分がいるってことだ。


しかしこれは、世界万人の”常識”ではなくて、
あくまでも、俺が持ち、育った”常識”だってこと。


だから、俺がもし、本当に自分に合った仕事を見つけ、
金銭的にも何一つ不自由なく自立して、
もう、「仕事もある、お金も入る、そして、自分は自分の仕事を心から愛している」という状態になったとしても、
もしも俺が、上に書いたように、
「自分が嫌な環境の中で、嫌々生きていく」ことを、
「自分がすべきこと」と思う”常識”を、ずっと持ち続けるのであれば、
そんな俺は、そこまで恵まれた状況に自分がなっても、
心のどこかで、”罪悪感”を感じながら、生きていく、
潔く、生きていけない、と思うだろうってこと。

つまりそれは、いかに社会的に何一つ不自由なくなろうが、
心は、一生、罪悪感、「これでいいのかな」と思う心を持ち続けるだろうってこと。

それは、そんな風に、「嫌々な環境で”頑張って”いない」って思う自分に、
”絶えられない”からだ。

そんな、幸せな環境で生きている自分を、
「怠けている、いけない」と思うからだ。


結局、「心は自由になっていないだろう」ってこと。

それを言いたかった。


俺が昨日の題名にした、
「自分の心の中の檻」とは、
自分が持ちうる、「自分はこうすべき〜」と、
無意識的に信じ込んでいる、自分が気づかない”常識”に気づき、
そこを、直していくということ。

その”常識”に気づくのに、
俺は、この夏の経験を持って気づいた、と書いた。

つまり、この”常識”ってのは、
自分がいつの間にか持っている、「信念」ってやつだってこと。


***

だからこそ俺は、今の自分の状況である、
「自分の信じ込む”常識”の中にいる事に、安心感を覚える自分」
でいつまでもいることは、
「”本当の”甘え」だと言っているわけであって。

だって、今の自分の状況に不満を持ち、
毎日文句を言って、仕事に行くより、
自らの状況を変えるために、今の仕事を変え、
新しい環境へと自分を移していく「作業」の方が、
「大変」だからだ。


一度、自分がその環境に慣れた時、
そこからまた抜け出して、新しい環境を見つけ、
またそこに馴染む努力をすることっていうのは、
しんどいってこと。

しかし、それをする事が面倒だからといって、
今の環境に文句を言いつつも、そこにステイすることは、
甘えだってこと。

自分に、今の環境にいることの利点を言い聞かせながら。

***

今の仕事よりも自分にあった仕事がある。
そして、その仕事が何なのかは見えてきた。

昨日書いたように、自分は、「何かを作ること」が好きだと、
今回の二つの仕事をして、分かったわけで。

だからこそ、今の仕事に安定せず、
次の仕事に移ると言っているだけのこと。

何も、仕事を全て辞めて、
何もしない状態になると言っているのではない。

そして、親父が言うように、
バイトと正社員の仕事は全然違う。

今の、「バイトで何とか食っていける」状態に甘んじるのではなくて、
次の段階の仕事に移ることをする、と言っているだけ。

****

俺が言ってるのは、
「今、自分が作り出した環境から、また抜け出して、また新たに一から新しい環境を作ることは面倒だから、今の環境にステイする」ことこそ、”甘え”であって、
常に、自分をよりよい方向へと向けていく、
常に、成長することを忘れない、
そういう状態でいるために、それを実際に行動に移す、
その「勇気」と「腰を上げる力」を、
いつまでも忘れちゃいけない、ってこと。



誰も、「仕事をしないことが自由」だなんて言ってませんよ。

昨日の日記は、自分の心の中の、その「無意識の常識」
に囚われていた俺がいたってことに気づいたよ、
っていう日記であって、
「仕事とは何か」
「働くとは何か」
を書いた日記ではなかったんだけどね。

9・12・07



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