October 01, 2006 16:06

心の中の葛藤

人は、自分の心の中に、葛藤があればあるほど、
多くのことを考え、悩み、吐き出す。

その時は、辛くても、
後で見返せば、その時の葛藤があるからこそ、
成長できた、ということが多い。


今日、パソコンの中を整理していたら、
下の文章が出てきた。
当時は、この内容を表に出すのが嫌だった。
でも、今見ると、一歩引いて、余裕をもって見られる。
約一年前の自分を。

*****


ものごとというのは、自分のそれに対する思い、先入観、感情で、いくらでも変わって見えてきてしまう。
たとえ同じものでも、人によっては、それが受け入れがたいものに見えもするし、逆にそれをいいなと思う人もいる。
全ては、その人の捉え方。そして、捉えるときの考え方。

アメリカに帰って来て約3週間。
ここに着いた頃は、この国の嫌な点ばかり見ていた。
それは「♪アメリカ生活♪」の内容にも書いたが、
この国のマイナス点ばかりに気を取られていたのだ。
なぜそれが起こったか?
それは、他の国と「比べて」いたから。
そして、その国の良さを見て、「アメリカにはそれがない」なんて比較していた。
バカなことだ。

先々週末はマウントシャスタの方に友達に会いに行って、
先週末は、サンノゼからの友達が訪ねに来ていた。
みんな、この国、アメリカで育った人たち。
もちろん、みんないい人たちだ。
彼らと楽しくて幸せな時間を過ごすうちに、俺の中のアメリカに対するネガティブなイメージは段々減って行き、今度はポジティブなサイドを見出す様になりだした。
自分の目の前に広がる光景、状況、人々、そして今自分がいる国は全く変わらないのだ。
変わったのは、自分の考え方だけ。
「何てひどい国なんだ」
「こんなにひどいことばかりだ」
「他の国の方がよかった」

そんな風に考えていては、見るもの、接するもの、全てを、ネガティブに捉えてしまう自分が生まれてしまうだろう。
しかし、今は違う。この国で生まれた人たちと時間を供に過ごし、彼らに、この国の良さを教えてもらう。
彼らしか知らない、この国での「過ごし方」を教えてもらうのだ。
今は、この国のいいところがドンドン見えてくる。
変わったのは、俺の考え方だけだ。


悪口、批判、文句ばかり言う人がいる。
彼らは、その状況、人、現状を批判することは好きだ。
彼らの「批判」の内容に、真実味が含まれていて、そしてその批判が建設的ならばいい。
大抵は真実は含まれている。
だが同時に、その人がもつ、「ネガティブなサイドから見た故の、その人自身の考え」が含まれていることも多い。
批判を受けたら、まずは、拒絶をせずに、その人が本当に何を言わんとしているのかを、見極めることだ。
その批判の対象が、自分以外に対するものごとなら、それを真に受けることはない。それは、その人がそれに対して“どう”感じるかであって、あなたが必ずしもそう感じるとは限らないからだ。
そして、その批判の対象が、あなた自身であったなら、まずゆっくりと、じっくりと、その人の言葉を聴いてみよう。
批判を真に受けることはきつい。心に痛いから。
しかし、落ち着いて、よく考えて見よう。その批判に対する恐れを乗り越えた後に、そこに残るもの。そう、その「批判」の言葉に含まれていた、「真実」とは、どれだけのものだったのか。
それは、世界万国、誰もがみても、「そうだな」と取る、「絶対的な真実」だろうか。
それとも、ただ単に、その批判をしている人だけの、「その人だけ」、または「その人を取り巻く、ある一定のグループ、組織、社会だけの考え」だろうか。

そこを見極めきれず、その自分が受けた批判に、屈することはない。
時間をかけて、自分が受けた批判と立ち向かい、そのメッセージの内容を何度も吟味してみよう。
そして、どう考えても、自分の考えは間違っていないと確信できるのなら、自分の道に誇りを持って、再度歩み始めればいい。
彼らは言うかもしれない。「お前の道は間違ってる。俺たちの道の方が正しい」と。

彼らにとってはそうかもしれない。しかし、自分にとってそうではないのなら、
自分は、己が正しいと思う道を行くしかない。
たとえ、彼らに同意して、その道を歩もうが、自分の心がそれに納得していない限りは、自分が苦しくなるだけだ。



もしその人が、「みんなそう言ってるよ」と言ってきたなら、聞いてみよう。
「“みんな”って誰?」と。
大抵、多くても2,3人の名前しか答えられないはずだ。
そして、その人が思う“みんな”も、もしかしたらその人が発するメッセージには賛成はしていなくて、ただその人の話を「聞いていただけ」、「頷いていただけ」かもしれない。
うわさは、大抵そうやって起こるだろう。一人の人間が、その人間に恨みや、ねたみ、嫉妬、絶望、それらのネガティブな感情を抱いてしまって、その自分が見た「その人像」を、周りの人に言い出す。
周りの人は、もしその話の対象の相手に特に何の意見も持っていなかったら、その考えに知らずとなびいて行ってしまうのでは?


*****


ここまで書いて、この文章は止まっていた。

今日は2007年6月20日。
これを書いたのは、2006年、9月のこと。
約9ヶ月前、俺は、これらの心の葛藤があった。
その時の記し。


06・20・07

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