October 28, 2006 22:59

相手の話を、”聞く”


土曜の午後。ジムへ行った。
泳いだ後、ジャグジーに浸かっていた。
そこにいた、3人の男性たち。
3人とも、歳は65歳〜70歳以上か。
その内の一人が、もう一人のオヤジに、説教をたれている。
聞くと、保険に対するお金の使い方について。
耳に入ってくるので、しばらくただ聞いていたが、
途中、そのオヤジが面白いことを言った。
「My philosophy is , every year you get older,
you will live another twice more size of your age.
Now I’m 72 years old, so I will live another 72 years!
Next March, I will be 73, and I will live another 73 years!!」
(私の哲学としてはね、毎年歳を重ねる度に、その自分の歳の2倍の年月を、まだ生きられると考えるんだよ。例えばね、今私は72歳だが、私は今から更に72年生きるんだ! 今度の3月で73歳になるがね、そしたら、あと73年も生きることになるんだよ!!)

その考え、面白い!と思い、
彼に声をかけた。
「That’s an interesting philosophy!」
(その考え、興味深いですね!)
そう言うと彼は、得意そうな顔をして、新たに私の話を聞こうとしている人間が増えたと、ギラギラした目で話し始めた。
そうやって得意げに話す彼を見て、ああこのオヤジは、少なくとも90歳代までは生きるなと、何か確信に似たものを感じた。笑
見ると、さっきまで話を聞いていた二人は、いつの間にかいない。
きっといいタイミングだと、逃げてしまったのだろう。

彼は俺に向かって話し始めた。

話は、彼の考えから、「人々は“Conversation=会話”と“Argument=言い合い”を混合している」、政治の話、日本とアメリカの態度(俺が日本人とは気付かなかったようだが)、などなど、色々な方面に及んだ。
およそ20分ほど彼は話していたが、その中でいい事を彼が言った。

「あのね、こうして私のように長い間生きていると、色々分かってくるんだが、
結局、人生ていうのは、他人の意見なんてのは関係ないんだよ。
他人が何て言おうが、要は、大事なのは、自分自身なんだ。
そう、本当に問題なのは、“他人の批判や意見”じゃない。
真の問題は、“自分自身”なんだ。

I think life is like a salesman.
First, you have to sell “yourself” to “yourself” for “yourself”.
(私は、人生では誰もが、セールスマンだと思う。
まずは自分自身を、自分のために、自分自身に売る事から始まるんだ。)

みんな、自分を誰か他の人に売る事に必死だが、
まず最初に、自分が自分自身を自分に売れていなきゃね。
そうじゃないと何もできないよ。」

的を得ていると思った。
自分というものを、まずは自分自身に売る・・・
つまり、自分がまずは、「自分」という“商品”を、
初めに買わなきゃいけないこと。
そのためには、自分と言う“商品”の価値を、
自分がまず最初に、一番理解して、認めるということ。

いいこと言うなあと思った。

他にも彼が言ったいい言葉。
「I think everyday is the first day and the last day of my life,
and I live like that. 」
(私は、毎日が、自分の人生で最初の日であり、また最後の日であるように生きてるよ)
色々な人が同じような事を言ってるが、実際にそうやって本気で毎日思って生きられている人がどれだけいるだろうか。
このおじさんは、これを確信を持って言っていた。


彼は自分の喋りたい事を話すだけ話した後、
「じゃあまた泳いでくるよ」と言って去っていった。

人間誰しも、自分の思っている事を聞いてもらいたい。
話を聞いてもらいたい。誰かに聞いてもらいたい。
私の意見はこうなんだ。オレの考えはこうなんだ。
みんな、ただ相手に黙って、自分が心行くまで、
話を聞いてもらいたい。
今日俺は、彼の話しを遮ることなく、全部聞いてあげた。
途中、戦争の話になり、日本人の行動をバカにされたこともあって
ちょっとムッとしたが、
それも彼のサイドから見た意見。日本人だって、散々他の国の悪口を言っている。
とにかく耐えて、ただ頷きながら、彼の話を聞いてみた。

途中結構きつかったが、全部彼は話し終わると、
「I don’t know….」と言って、黙った。
そう、みんな、自分の考えや意見を全部心いくまで話したあとは、
それはあくまでも自分の“意見、考え”であったことに気付き、
それが果たして“真実”なのかどうかは、自分さえも分からない、
分かっていない、ということに気付くのだろう。
だからみんな言う。
自分の意見を、考えを、遮りも、何の批判もなく、
全て聞いてもらった後に。
「I don’t know….」
「どうなんだかね・・・・わかんねーや・・・」

誰もが、自分の意見を言おうとしている時に、
相手が、
「No no no no.....!」
「いやちょっと待って、それは違う・・・」
と遮りを入れてしまうものだから、
話している本人は、自分の考えをただ”聞いてほしい”というところから、
”相手を自分の考えに頷かせなければ”
となってしまい、そこで口論、討論になってしまうのだろう。
みんなただ、自分の事を理解してもらいたいだけなのに。
別に、相手を自分の考えに賛成させようとは、
初めは思っていないのに。
なのに、余りにも誰もが、相手の話を最後まで聞かずに、
自分の意見を言おうとしてしまうから、
相手も躍起になって、そこで、
いざこざが生まれる。

相手の話に口を挟まず、最後まで聞くことが、
いかに大事か、そして、いかに難しいことか。
それを感じた。



誰だって、その人なりの意見、考え、哲学を持っているのだ。
その一つ一つがみんな違う事だって、皆誰もが分かっている。
ただ、「自分はこう思うんだよ」
それを分かってほしいから、
相手に、話を聞いてもらいたい。
それだけ。





ただ、誰もが、自分なりの考えを持って、
自分なりに一生懸命考えて、
誰もが、自分の人生をその人の生き方で、
精一杯生きているということ。


プールで泳いだり、ジャグジーに浸かる人たち。
その人たち一人ずつの顔を見て、
そんな事を思った。


10・28・06

PS:帰り際、プールのサイドで、足を上にかけて、腹筋を鍛えるさっきのおじさん。確実に彼は、100歳まで生きるな。間違いなく。

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