October 19, 2006 16:33

「生」


今日は、俺の大事な先輩たちの、師匠であった人が、亡くなった日だ。
その日から、ちょうど一年。
俺自身は、その人に会ったことはないが、彼らから、その人にまつわる話を聞かせてもらっていたおかげで、まるでその人の事を、俺も実際に知っているような感じがする。

ちょうど一年前のその日。
その日から数日、俺の先輩は、悲しみに打ちひしがれた。
しかし、普段、超プラス思考である彼がそこまで落ち込んだことにより、
そして、彼のその悲しみの大きさより、
俺もまた、彼を通して、大事なことを教わった。




俺たちは、今、“生きてる”ということ。
そして、この、今持ちえる“生”は、特別なものであること。


今自分の人生で起こっている事が、例えどんな事であろうと、
この事実を思い返したとき、そして、それを噛みしめたとき、
自分が直面している“問題”など、
何でもなかったことに気付かされるだろう。
そして、今、「生きてる」という事実に、
敬服したくなる。




生と死は、隣り合わせである。
今日、“生きている”ということ。

この事実を、噛みしめて、
今日も、濃く、強く、生きていこう。


10・19・06


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コメント一覧

4. Posted by Shun   October 20, 2006 17:03
馬場先生へ、

コメントありがとうございます。
「人というのは、どのように生きたのか?
その生き様が問われる」。正にそうですね。
人は、自分が果たしていなくなった時に、
その「生き様」が一番問われるんでしょうね。
そして同時に、
「ただ単純に呼吸をして、一日を過ごす。
 これは本当はすごいことです。」
これも事実ですね。
こんな「当たり前」な事が、実は素晴らしいことであること、しかし、それが当たり前であること。
それを「当たり前」と普段取ってしまう事を知った上で、一日一日を、その貴重さを噛みしめながら、生きていく。
大事ですね。

お互い、精進していきましょうね。
俊輔
3. Posted by 乾竹   October 19, 2006 20:13
俊輔君へ

ありがとう。

すごく気持ちが伝わりました。

僕達の恩師は、俊輔君のことを知らないままに世を去りました。

でも、彼の気持ちを受け継いでくれている俊輔君がいる。

人というのは、どのように生きたのか?
その生き様が問われるということを、彼は自分自身で体現してくれています。

僕にとっても、この日は特別な日です。

この日には、様々な大切なことを思い出さされます。

死してなお、周りの人に影響を与える。

僕たちもそのような生を生きる必要がありますね。

ただ単純に呼吸をして、一日を過ごす。

これは本当はすごいことです。

ですので、その一日一日を無駄に過ごさないように心する必要があります。

それを忘れてしまわないように、お互い心に刻みましょう。

 乾竹
2. Posted by shun   October 19, 2006 19:10
伊吹さんへ、

本当ですね、こうして、メールを通して、やり取りができること。人と話しができること。朝起きて、太陽を体一杯に浴びられること。食べ物が食べられること。学校に行けること。何かを感じられること。楽しい事、悲しい事、全て、”生きてる”から、できるんですよね。
それを思うと、全てがとても貴重に感じられます。

俺たちの命、大切にして行きましょうね。
俊輔
1. Posted by 龍のシェフ   October 19, 2006 18:39
よく覚えていたな。俺と乾竹は2人で、恩師の元に行く。彼は、今日息を引き取った。そして、生まれ変わった。彼の命日であり、新たな誕生の日でもある。年を重ねる度に、忘れて行く人達がいる。そして、また、忘れられない人達もいる。俺はこの日だけは、世界の何処にいても、恩師の前に行くだろう。また、行かねばならない。恩師はもういない。会う事も、話す事も出来ない。でも、未だに、教えられている気がする。俊輔が言うように。”生きている事”命があると言うだけで、どれほど幸せな事なのか。息を吸い、水を飲み、何かを食べる事が出来る。それがどれほど、幸せな事なのか。人と会い、話しができ、こうして、メールでもやり取りができる。意思を通じ合える事。生きている事は、それだけで、幸せな事なんだ。それを忘れてはならない。命の保証は無い。”生と死は、隣り合わせ”その通りだ。命がある限り、その命、大切にして行こうな。
龍のシェフより

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