September 23, 2006 00:27

"Norm"って??


Gender Communicationのクラスを受けながら、感じたこと。

今日は、アメリカ社会の、男性の人権についての話だった。
先週は、女性の人権についての話。
いかに女性が、1900年代初頭から、
努力の結果、今に至るまでの、女性の人権を勝ち取ってきたか。
今週は、それとは逆で、男の人権を守る人たちの話。
今までどおり、「男は男らしく!」を叫ぶ団体もいれば、
「女性がそんなに社会進出を果たしたいんだったら、今度は男性にも、子供を家でこもりする権限を与えてくれ」と叫ぶ団体。
「男だって、素直に感情を出したいんだ!感動して泣いて、それで"女みたい!"と非難されるのはもうコリゴリだ!」と主張する団体。
「何で男がこんなに稼いでいるのに、いざ離婚すると、妻が資産の半分以上を持っていくんだ!」と訴える団体。



それらの団体は、とても極端であり、なんか滑稽で可笑しかった。
しかし、今回の授業を受けていて思ったのは、このクラス全体が、今回のサブジェクトの内容を、内心どこかで"馬鹿にしている"という感があったことである。
逆に、先週の、女性の権利について考えているときは、クラス全体は、とても親身になっていて、みんな真剣だった。
なぜか?
答えは、このクラスの先生が、もと女性学でディプロマを取った先生であり、彼女の教え方が、この男性たちの主張を、内心どこか、からかいながら教えていたからだ。
そして先週の女性の権利を守る団体については、先生も感情を込めて話していた。
そして、このクラスの生徒も、その先生の言葉に、頷いていた。


先生が、いかにみんなに公平に教えようと思っても、
その先生のPreference(好み)というものは必ずあり、それが、その人の発する一つ一つの言葉、そしてメッセージから少なからずは出てくるものである。
俺は彼女の言葉に、いつもFeminisitよりの偏りを感じる。
それは、彼女の信じているものが、彼女の全ての言動から出るからである。
そして、それとは反対側に立つ考えを取り上げたとき、
その考えは、否定こそされはしないが、
決して、心から共感されることはない。
その考えを全く受け入れないか、
もしくは、受け入れても、「ああ、そう思うのね」と軽く流されるだけである。
決して、「そうなのね、あたしもそう強く思うわ。今日からあたしも、あなたの考えに賛成よ!」とは中々なりえない。笑
なぜなら、その考えは、自分が信じるものの、「外の考え」であり、
それは、自分たちにとっては、「異質」とみなされるからだ。

このクラスの状況、そして雰囲気を感じ取って、
下のように思った。

********

その社会の"Norm"(常識)にはまらない考えは、
"異質"と見なされ、非難される。
自分がその"Norm"にはまっていればいるほど、
それは心地良いし、(周りから非難されないから)
そういう、自分たちの常識からはみ出た奴のことをウザく思う。
「うっせ〜な、ダマってろよ!
なにゴタゴタ言ってんだよ!!」と。

しかし一旦、自分がその常識を客観的に見始めて、
何かがおかしいと感じ始めたとき、
今度は、自分がその"常識"の、外側に立つ人間となる。

そして、それでただ黙っている分には、批判はされない。
周りの人間は、自分の考えが、その"常識"とは少し違うことに、気づかないからだ。
みんな、相手を、自分と同じように思ってると思うし、
それを決して疑わない。

しかし、一度その考えを外に出し始めると、
人々は3種類の反応をする。

その自分の意見を聞いて、考え出す人たち。
また、
その自分の意見に共感して、同意してくる人たち。
そして、
自分の意見に、頭ごなしで反対してくる人たちだ。

この、反対してくる人たちは、
その自分の属する"常識"にバリバリはまっていて、
その"常識"を外側から見ることをしないし、したこともないから、
自分たちが、"正しい"と信じきっている。
彼らがすることはただ一つ-----頭ごなしの批判だ。
何故か?

それはまず、
1、自分の信じている"Norm=常識"を否定されることに腹が立つし、
2、自分たちが絶対的に”正しい”と信じきっている
 (=相手の言い分が、絶対的に間違っていると信じている)
そして、
3、自分の今まで信じてきた考えが、「それは違う」と言われて、もしもそれが証明されたとき、-----つまり今まで信じきって来たものに、自分が疑いを持ってしまうことが、怖いからだ。

 だからこそ、自分を守るために、
 頭ごなしで、否定する。
 相手の意見、考えを。

そしてここで、お互いがお互いの違いを認めず、
自分の考えを相手に押し付けようとした瞬間、
争いが始まる。

「なんで俺の考えがわかんねーんだ!ちょっと考えれば分かるだろ!」
「あんたこそあたしの話聞きなさいよ!あたしの方が正しいのよ!」
「いや!俺の方が絶対に正しい!」
「違うわよ!!間違ってるのはあんたよ!!」
・・・・



この世の中の争いは、全てここから来るものではないか。
宗教の違いも、男女の権利争いも、文化間の違いも・・・


1920年代、アメリカで女性の権利を守るために、あるグループが街中でパレードをした時、
それを見かねた男性軍は、そのパレードの主催者の女性たちに、直接殴りかかった。
そう、女性に暴行を振るったのだ。
今だったら、そういう男を見て、「なんて視野が狭いんだろう」「女性に手を出すなんてひどい」と大半の人が思うだろうが、当時、それは”常識”であり、”当たり前”だった。
そうやって、女性に手を出した男たちも、世間からは、「しょうがない、そうするしかなかっただろう。そんな、女性が権利を主張するなんて、ありえんからな」と見なされたのだ。


今現在、この時代”だけ”に存在する常識。
その常識にハマらない者は、必ず、批判され、追い出される。
その社会のルール、そして和を、壊すかもしれないからだ。
しかし果たして、その”常識”が、本当に正しいのだろうか?
世界中、そこに人々の集まり=社会が存在する限り、
そこには必ず、その社会の中の、”常識”たるものが存在する。
その常識は、その中にいればこそ、心地は良いが、
一度外に出てみて、客観的に見てみると、その偏った考えに、気づきだすものだ。
それは、どの国の、どの社会の、”常識”を見てみても、そう思うだろう。
そう、この世の中に、絶対的に"正しい"、常識なんてないのだ。
しかし、その社会の中で暮らすと決めた以上は、その社会が持つ常識を、認識した上で、それと一緒に生きて行かなければならない。


今回言いたかった事は、
この世の中に、絶対的に正しい”常識”なんてないこと。

その”常識”に、自分の人生の選択を支配されてしまうのか。
それとも、その常識を踏まえた上で、うまくそれと共存し、
自分の本当に生きたい道を見つけ出し、その中で本物の人生を生きていくのか。

そして、
人によって、”正しい””間違ってる”は別々であり、
相手の考えを無理やり覆そうとすることは、
ほぼ、意味がないという事である。
それを無理にするから、争いが起きる。
まずは、相手の言い分を聞き、相手の立場に立ってみて、
相手の視点からものごとを見ることを覚える事である。
そうすれば、この世の中の争いは、
少しは減るのではないか。


9.21.06

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