September 11, 2006 16:22

「9/11から五年」


あの衝撃的な日から、五年が経った。高校3年生の9月。自分の部屋で英語の勉強をしている時だった。母親に、「ちょっと俊輔来なさい!」と呼ばれ、何だなんだと居間のテレビを見に行ったところ、あの衝撃的な映像が流れていた。
煙を上げながら、そびえ立つタワー。何が起こっているのか全く分からず、NHKのアナウンサーも、混乱していた。それから数分後。飛行機が突然左側から現れ、そのビルに吸い込まれていった。まるで、映画そのものだった。
そして数分後、二つのビルは崩れ落ちた。アナウンサーも、家族も、俺も、みんなショックだった。

あの日から五年が経った。思えば、この五年で自分の生活も、そして人間としても、ずいぶんと変わったものだ。17歳の高校生から、22歳のアメリカでの学生となっている。五年か。


今日、そのメモリアルの様子の写真が載った新聞を見ながら、友達とその話題になった。CNNのニュースでブッシュ大統領が、「イラクでの失敗がいかなるものであれ、われわれが(イラクを)撤退した場合、テロリストがわれわれを放置すると考えることが最大の過ちだ。テロリストはわれわれを放置せず、追ってくる。米国の安全は、バグダッドの路上で発生する戦闘の結果にかかっている」と言っていたことを彼に伝えた。その記事には、“大統領はさらに、対テロ戦争が従来の戦争とは異なるものの、米国人が第二次世界大戦や冷戦当時と同様の犠牲を払うことが現在必要だと強調。”とも書いてあった。

その言葉を聞いた彼は、イラつきを見せて言う。「この国も、そろそろ人の問題に首を突っ込むことを止めて、“世界の救世主”として力を見せ付けることをやめるべきだ」と。
今のイラク戦争が起きてから、約3年半が経つ。アメリカ生活一年目の冬、学校のクラスで、「そろそろ戦争が始まる。あなた達ももしかしたら、傭兵として戦場に行かなければいけないかもしれない」と先生に言われたときは、本当に恐かった。
あれから、3年半以上が経つのだ。今回の戦争が始まった理由も、そして、未だに戦争が続いている理由も、全てアメリカ政府の口から、「理にかなった正しい選択」として説明されている。しかし、理由はどうであれ、相手を力で打ち負かそうとしているに過ぎない。

友達が言う。「いくらその国が、ひどい政治形態だからといえ、“その国の民の自由、人権を守る”という理由で、その国のトップを力ずくで変えようとするこの国の方法は好きになれない」と。
「そんなのはただのおせっかいであり、余計なお世話である。残るのは、戦争で命を犠牲にさせられた傭兵たちと、その国で犠牲になった人たち、そして残った人たちの恨みと悲しみだけだ」と。
「俺は今戦争に送られている、“傭兵たち”は応援する。彼らはただ自分の意思ではなく、送られているのだから。しかし、この国の決断はサポートしない。」と。
「この国は、もしもこうして人のビジネスに首を突っ込むことをいつまでもやめないのだったら、せめて建設的な方法で人を送るべきだ」と。
「お前も、日本の傭兵がどんどん送られ、今命を亡くしていたら、嫌だろう? でも、もし彼らがその国に行き、傷ついた人たちや建物の復興を手伝っていたのなら、感じ方は全然違うだろう?」と。

彼の話を聞いていて思った。今このアメリカが取っている方法は、まさに日常生活の中で見られる、私たち人間同士の中に見られる、コミュニケーションの方法パターンとなんら変わりはないと。

英語では、かまって欲しくないとき、放っておいて欲しいとき、そして余計なお世話だと言いたいとき、”It’s none of your business.”(あなたのビジネスではない)と言う。
自分がいいと思うが故、そして、そうした方が相手にとってもきっと良いと思い込んでいるが故、余計なお世話をやいてしまう。
自分に取っては正しくても、相手にとっては、それはいいものではないかもしれないのだ。相手にそれをやってほしいと頼まれて、それでやってあげているのなら話は別だが、相手に頼まれもせず、自分の価値観を押し付け、それをベースにして、相手に対して行動を起こす。これはしばしば、ただの“余計なお世話”と成り得る。

この世の中に、自分の価値観を押し付ける人がいかに多いか。
“自分はそれが正しいと思うから、お前もやるべきだ”
“俺にとっていいんだから、お前もした方がいい”
“そして俺は絶対的に正しい”

人によって、“良い”、“正しい”は違うのだ。
そして、相手が望んでいないのに、自分の価値観を押し付け、その人の生活スタイル、考え、環境を、無理やり自分の力で変えてしまおうとするのは、いかがなものか。
その人はそれで心地よいのかもしれない。もしかしたらそれがその人にとって、ベストなのかもしれない。
もしもその人のことを本当に大切に思い、考えるのなら、その人をただ信頼してあげて、その人が自ら変わろうとするまで、見守ってあげるべきではないだろうか。そして、その人が助けを求めたときに、それでやっと、力を貸してあげればいいのだ。

これは、一対一の人間関係にも言えるし、国レベルの関係に関しても言えると思う。
俺が今年の夏、カンボジアの子供たちの生活環境を見て、思ったこと。「この子達に何とか、何かをしてあげたい」。
しかし、この子たちが本当に望む状況を理解してあげて、そして彼らが本当に助けを求めたときに力を貸してあげずに、こっちが良かれと思うことをこっちの都合でやってしまう形となってしまっては、ただの“余計なお世話”と成り得る。
その結果、彼らはちっとも幸せにはならず、逆に問題ばかりが増えてしまうかもしれないのだ。
こっちはあくまでも、その人にとって良かれと思ってやっただけなのに。

人間関係でも同じである。その人に良かれと思っても、相手は本当にそれを望んでいないのかもしれない。
相手が本当に何を欲しがっているのか。そして、相手の立場に立ってみたら、何が見えてくるのか。

本当の“助け”とは、まず相手のことを本当に理解することから始まるのではないだろうか。


9・11・06

http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200609120004.html
(上で触れた、CNNの記事)


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コメント一覧

2. Posted by Shun   September 22, 2006 15:50
達朗、
ごもっともですね。早速達朗のブログも、チェケラさせてもらいました。
俺は今起こってる戦争についての、真相背景、全て調べずに、よく分かっていないまま、上の事を感情的に書いた訳であります。達朗のように、ちゃんと裏の裏の真実まで調べて、それでいて本当の意見を持つ事、すごく大事なことに気付きました。色々教えてくれてありがとう。
しかし、お主の意見に納得。アメリカ、いかに自分が元々悪かろうが、相手を手玉に取って、全て相手のせいと周りをも、そして自分たちをも信じ込ませるのは、持って来いですからね。
1. Posted by Z-ton   September 14, 2006 11:51
ごもっともな意見です。俺の日記とはまた違った角度からの9.11の話だね。
ただこのことに関してのアメリカが戦争を続ける、やめないホントの理由はそんな世界平和のためだ、テロ滅亡だ、なんていうキレイな大義名文じゃない。実際マスターが言うようにホントにこいつら世界平和のためだなんていうただの“おせっかい”だったらまだカワイイほう。
でも実際は奴らが正義ヅラして言うキレイ言の奥と裏には石油確保と経済効果ていう国益という利益を目的とし、そのために緻密に組み込まれたシナリオがある。
つまりは俺がここで一番思う、言いたい彼らのホントの脅威、怖さは自分らの利益のためならテロだろうが国だろうがその対象を“悪”とし自分らを“正義”と偽り国民に言い聞かせるとこ。そしてウソの表の大義名分にあわせて自分らの侵略行為を肯定し偽って行うコトにあると思う。世界に映る表のアメリカに惑わされたらいけない。と、いう俺の意見。

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