September 10, 2006 22:37

“Outsider’s View”

「その場所の良さは、そこを出てみるまでは、本当に分からない。」

これは真実だと思うが、その“良さ”を、そこに住んでいる間でも、もっと分かり、そして感謝できる様になる方法があることに気付いた。
それは、自分の今住んでいる地域以外の人と時間を過ごして、その人の視点で、ものごとを見てみること。

今、サンノゼから友達(David)が訪ねに来ている。
彼は前の学校からの友人だ。ここロングビーチには、来たことが今までなかった。
南カリフォルニアも初めてなので、今日は一日、彼と行動を供にした。
彼はベジタリアンなので、肉、魚などは一切食べない。その代わり野菜や果物、そしてナッツ、豆類を沢山取る様にしている。また、基本的に自然のままの素材で作られたものを口にし、自分が何を食べるかには、非常に気を使っている。
とても健康的なやつだ。

その彼が、ファーマーズマーケットに行きたいと言った。日本でいう、朝市みたいなものだ。アメリカではどこでも大抵、週末ならやっている。
調べてみると、ロングビーチ近辺にはそのファーマーズマーケットが沢山あることに気付いた。そこで、一番近い、ロングビーチのダウンタウンでやっているやつに行ってみた。

ここの地域に移って一年。気付いたら、今までファーマーズマーケットは元より、ロングビーチのダウンタウンさえ回ったことが無かった事に気付いた。唯一そこを通ったと言えば、車でさっと通ったくらい。降りて、実際に歩いたことは無かった。
ダウンタウンに着き、車を停めて町を歩く。そこに広がる朝市の光景。
それぞれの店の人たちが、自分の畑から取れてきた果物や野菜、花を、自慢げに売っている。そこを行き交う人たち。みんな、ゆっくりと歩き、果物を試食し、よく見極め、店の人と話し、笑顔で買っていく。笑い声が飛び交う。
そこを一周して歩き終わる頃には、自分が、心からリラックスして、まるで自然の中にいるかのように感じていることに気付いた。そう、ここは車が行き交うロングビーチの町の中なのに。
友達が言った。「どんなに人が多くて忙しい街に行こうが、ファーマーズマーケットにいる人たちってのは、みんな良い人たちが多いんだ。」
確かにそう思った。ここは、人がみんな、「人間らしい」。そう思った。
みんなが、幸せな気分でいる。ゆったりした空気。焦らせられるものは何もない。

そこで果物を買った後、ダウンタウンの周りも、少し歩いてみた。
街というのは、歩いてみて、初めて見えてくる景色というものがある。
車で通り過ぎているだけでは、そこを何百回通り過ぎていようが、見えていないものがあるのだ。
初めて歩く街。色々なものが見えてくる。
こんな店がこんなところにあったのか。お、いい感じのカフェじゃん。
色々なものが、目に飛び込んでくる。
そして、その地域の人たちの生活も見えてくる。
少し歩くと、劇場があることに気付いた。その横には、水族館もある。友達が言う。「都会は人も多い分、嫌なことも多いだろうけど、その代わり、それだけ色んなチャンスがあるってことでもあるよね。都会は、幸せな生活、忙しい生活、ゆったりした生活、イライラした生活、どんな生活スタイルでも自分の考え次第で選べるところだよね。それだけチャンスがあるわけだ。」
その通りだと思った。同時に、最近の俺は、今住んでいる場所の、悪いところ、マイナスのところしか見ていなかったことに気付いた。
車が多すぎ。人が多すぎ。排気ガスで空気は汚い。夜、星は見えない。焦らせられる要素ばかり。
どうやら、この地域の“悪口”ばかり言って、それに自ら不満を持ち、自ら不幸に生きる奴となっていたようだ。
それを、友人の言葉で気付かされた。「おお、実際この地域は、いいところが沢山あるじゃないか」と。
そうやって彼のように、その場所を感謝しながら過ごしだすと、全てが良い方向に見えてくる。同じことが起こっても、その人の考え方、捉え方次第で、それに対する感情や感想といったものは、全て変わってくるのだ。

ダウンタウンを出た後は、海にサーフィンに行く。
彼が住んでいるサンノゼには、海はない。しかしここは、海まで車で20分。着替えて、砂浜に立ち、ストレッチする。海から吹く風を体いっぱいに浴びながら。
彼が言う。「最高だな、この気分」と。その通り。俺もこの瞬間は大好きだ。
海に入る。また、自然に帰る。
日常のことを一切忘れ、自らを自然のパワーの中に突っ込む瞬間。
襲ってくる波を相手にしている内に、頭の中のモヤモヤやイライラは、全て吹っ飛んでいく。
自然のその偉大なパワーを相手にして、その大きさを相手にしていると、
今まで自分が考えていた心配事や悩みが、いかに小さいものかに嫌でも気付かされ、それが何でも無かったように思えてくるのだ。そうやってウジウジ考えていた自分が、もの凄く小さかったことを思い知らされる。
そして、そうなった後、もう一度その“悩み事”を考えてみると、いたってシンプルなことに気付く。その時には答えはもう見えているのだ。後は、自分が出した答えにそって行動するのみ。

流れが以上に強かった今日は、かなりの距離を流されたが、友達も自分も、めちゃくちゃ楽しんだ。太陽が落ちて、暗くなった中、灯されて綺麗に光るオレンジの電柱の光。その中でうねる、黒い波。その光景は、いつ見ても、綺麗すぎて、ただそこにぼーっと佇まされる。

(途中、俺たちはピアの桟橋の下まで流され、危うく、桟橋に波の勢いで叩きつけられそうになった。「これはマジで死ぬ!」と思い、必死の形相で波を避けていると、やはり、少し離れたところで、同じように、必死の面持ちで波と格闘しているDavidを発見。
その時は笑う暇もなかったけれど、後でビーチに上がってから、二人でお互いの必死の形相を思い返して、原を抱えて笑った。)

海から上がったときには、俺の頭の中はすっきりして、今目の前にある全てのものを感謝するような、幸せな気持ちになっていた。上にも書いたが、その“現実”をどう捉えるかは、その人しだい。同じ状況を、幸せと取るか、不幸と取るか。自分に起こった出来事を、“いいこと”と取るか、“悪いこと”と取るか。
全ては、自分しだいだ。なら、なるべくいい方向に取った方がいいに決まってる。
いかに屁理屈と言われようが、バカにされようが、その状況をプラスと取れば、何か学べるものは必ずあるのだ。逆に、その状況を楽しんでしまう事だってできる。いかに最悪な状況でも。

海から上がって、ハンティントンビーチのダウンタウンを歩く。行き交う人々。かわいい女の子たち。友達が悔しそうに言う。「サンノゼにはこんなにかわいい子達は多くねーよ!」と。確かにその通りだった。それも忘れてたな。
街の角で演奏する、ストリートパフォーマーたち。そのヴァイオリンとエレキギターと、ドラムが作り出す音色に、沢山の人が聞き惚れている。確かに彼らはうまかった。チップを渡しながら、CDは出していないのかと聞くと、「前々から話はしてるんだけど、俺たちはただここで演奏するのが好きなんだよね」と。
彼らは、一時間ほどたった後、俺らが食事を済ませて帰ってきたときにも、まだ弾いていた。自分の心から好きなことをやってるから、お客さんがいようがいまいが、お金が入ろうが入らなかろうが、関係ないんだな。そう感じた。彼らの顔は、本当に楽しそうで、幸せそうだった。彼らの作る音もまた、彼らの心境をそのまま出していて、道行く人みんなが、笑顔になっていた。途中でドラムを持ったホームレスの人も、演奏に加わってくる。みんなが寄ってくる。彼らは演奏しながら、みんなを受け入れる。すごくいい光景だった。

街を歩き、友達と話す。彼が言う。「ロングビーチ、これはあるし、あれもあるし、人は親切だし、女の子はかわいいし、なんていいとこなんだ!」と。
その通り。今日は俺もそう感じた。今まで一年近くも住んでいたのに、俺は一回も、ダウンタウンや町の中を、歩いて回ったことがなかった。いつも、学校とか、同じ友達とか、“同じ生活パターン”しか送っていなかったのだ。同じところへ毎日行き、同じ光景を見る。自分の生活行動範囲内を、“ロングビーチの生活”と思い込んでいた。
実際そんなことは全然なかった。俺が開拓していない場所、行っていなかった場所、知らなかった光景、たーくさんあることに気付いた。
そして、もっとローカル(地元)の人と付き合うこと。ロングビーチならではの空気を感じること。その大事さに気付いた。日本人の友達だけと付き合い、日本語だけ話し、日本食屋に通う日々を繰り返していては、何をしにアメリカに来ているのか全く分からない。
ただ、毎日車で移動していたところを、少し歩いてみるだけで、どんなに違うものが見えてくるか。多くのことに気付かされた。

今日は俺は、ここでの生活を、「この街以外の人」の視点で見た。
全てが新鮮に見えた。彼はあと1日でここを去るから、今の内に、できるだけ、ここのいい所を見ておきたいのだ。そうやって見出すと。どんどん行ってみたい所が出てくる。“ここ”にしかないものが見えてくる。それを、どんどん体験していく。そして、感謝する。なぜなら、それは“ここ”にしかないからだ。

俺が旅が好きなことに気付いた。それは、その場所をその数日なり、“決まった時間”しかいないと知ってるから、そこをなるべく楽しもうとして過ごせるからだ。どんなものも、新しい。そして、どんなものも、新鮮に移る。そうやって見るものごとは、心に凄く残る。“その時だけ”と知っているから。
自分のアメリカ生活は、あと9ヶ月を切った。それが終われば、社会に出る。日本で働こうが、アメリカで働こうが、今の生活スタイルは、もう二度と帰ってこない。いわば、あと9ヶ月の寿命、みたいなもの。
だからこそ、今の内にやっておかなきゃならないこと、また、今しかできないこと、沢山あるのだ。
旅に行くときは、その場所でいられる時間がはっきり分かってる。だから、一瞬一瞬がもったいない。全てを、楽しもう、使いきろうとするのだ。
例えハプニングが起きようが、それだって楽しい。思い出として残るからだ。逆に、その状況がやばければやばいほど、後で思い返したときに面白かったりする。
今の俺のアメリカ生活も同じだ。あと9ヶ月しかないって知ってる。もうこの時は帰ってこないのだ。だからこそ、一瞬一瞬を楽しいと感じたいし、全てを、使い切りたいと思うのだ。


ものごとをそうやって、“今の現実”や“常識”から離れて、改めて見てみたとき、全ては全く違って見えてくる。それが新鮮に見え、それが“あるがまま”、が見えてくる。
俺はこの感覚を大事にしたい。自分の人生だってそうだ。今、自分を取り巻く常識や、自分を取り巻く人の考え、この時代の常識、それらの、“そうあるべき”ってものから一回自分を切り離し、改めて見てみたとき、自分の人生は全く違って見えてくる。全く今までとは違った視点から、この自分がこの世に授かった“命”ってものを見れる。この一回しかない命を、どうやって使ったら、一番、楽しめるんだろう、一番使い切れるんだろう、と。
必ずや、俺らの“旅”―――“人生”は、いずれ終わりが来るのである。


旅をすることは、自分を振り出しに戻し、初心に帰らせてくれる。
そして同時に、今自分がやっていることの、“核心”に気付かせてくれるのだ。

彼も、今は同じことをしている。そして、このロングビーチを、“旅人”からの目で見させてくれた。その彼のおかげで、今日自分は、この街を今までとは全く違う視点から見ることができて、この街に今いられることを、すごく感謝できる様になった。今は、この街のいいところが、沢山見れる。

全ては自分の捉え方なんだな。そして、その捉え方をどう選ぶかは、個人しだい。
良く取ろうと、悪く取ろうと、全て、自分しだい。
俺は、“ここに住むこと”を良く取るように、やっとなれた様だ。


9.9.06


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コメント一覧

2. Posted by Shun   September 22, 2006 15:55
巣鷹、
ありがとうな、読んでくれて。今度は英語で書くわ。
1. Posted by 巣鷹   September 13, 2006 07:35
ぎょうさん書いたな〜。読めた部分は確かにおもろかったけど、半分しか読めへんかった。すまん、後で一所懸命頑張って全部読むで。

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