September 09, 2006 22:02

JCキャリア担当を辞めるに当たって


JCキャリアを辞めることにした。
理由は、自分の興味の対象が他のことに移ったこと。
そして、今の俺の状態でキャリアを引き受けては、
自分が伝えられるメッセージも、中途半端になってしまうということだ。
キャリアとは、あくまで、会社に入ることを前提とした上で、履歴書の書き方、面接の受け方などのアドバイスを与えるところ。そして、“会社で働くとはなんぞや”を説くところである。
社会経験のない自分に、この立場はまっとうできない。
「この夏ちょこっとだけ見聞きして来ました」のレベルで終わってしまう。
そして俺が与えられる情報は、俺個人の“印象”レベルで終わってしまう。
偏った情報は教えたくないし、やはり全員に、自分の目で、肌で確かめてもらいたい。

この前のブログで書いた。
「会社は、“牢獄”だ」と。
この表現、かなり極端だったため、反感をくらった。
当たり前だ。くらうに決まってる。
会社で実際に働いている人に対して、失礼だからな。
そして、これは、俺個人の「考え」、そして「印象」でしかない。
もちろん、会社はもっと違ったところだろう。
自分を伸ばせる可能性が一杯の、とてもエキサイティングなところにだってなる。
人に会えて、新しい世界を知れて、自分の可能性を探し出せるところでもある。
逆に、何かの組織に属することを嫌い、自分の才能を使って、この世を生きていこうとする人にとっては、早く抜け出したい場所ともなりえるだろう。
人によって捉え方は、違う。
自分の力で生きていこうとする場合、一生を会社に捧げる人生は、如何なるものか。そういった視点から見た場合、会社とは、牢獄ともなりえる。
俺は、極端にそう言っただけ。
自分がそこに「雇われている」と思ってる限りは、
そうだと。

今回俺のブログに対して、意見をくれた友達。
彼は、言う。
「お前は視野がもの凄く狭い」と。
「お前は今、夏に会社訪問を少ししただけで、“社会”“企業”と言うものを分かったような気になって、そして今、旅をすることに“逃げている”」と。
「“落ちたな”」と。

「お前は感性が鋭い分、
一を見ただけで、十を感じて分かってしまおうとする傾向がある」と。
「いつもそうやって、少しだけ見て、それで全て分かった様な気になって、
それで全てを決め付けてしまっている。それは“危険”だ」と。

そうかもしれない。
俺は、いつも、頭より、“感覚”で物事を見る。
だから、今年の夏の会社見学も、自分の“感覚”を使って見てきたし、
アジアの旅も、“感覚”を鋭くして感じてきた。
彼は言う。
「そうやっていつも感覚で全て見ようとするから、全てが“歪んで”見えてしまう」と。
「本当は、もっとその“事実”を勉強して、それで、全体像を見て、
それでやっと、その物事を言えるはずだ」と。
そうかもしれない。
感覚を使って見ることが、物事を“歪ませてる”かどうかは、俺は疑問だが。

でも、俺は、自分の感覚で物事を見て、感じて、
それで、“自分で”何かを発見したり、気付いたり、分かったりすることが好きだ。
もしそれで“分かった”と思っていても、それは世間一般から見たら、“分かっていない”かもしれない。
でも、だからと言って、簡単に周りから情報を得たり、本に書いてあることを鵜呑みにしたり、先輩の話を聞いて、それで“分かった”つもりになるよりも、実際に自分の肌で感じて、それで得た答えの方が、自分にとっては大事である。
もしかしたら、世界の人全員が、「お前は間違ってる、それは“正しい”答えじゃない」と言うかもしれない。
でも、俺が自分で体験してみて、そう感じたなら、俺はその自分の感覚を大事にしたい。


「お前は視野が狭い」「旅に逃げたな」「落ちたな」
本当だろうか。
見ているところが、感覚の付け所が違うだけではないだろうか。
今自分たちが、人生で一番、“価値”を置いているものの違いだけじゃないのだろうか。
お互いの価値を置くものに、上も下もない。

俺にとって旅をすることは、自分の人生の中で今まで気付かなかったことに沢山気付かせてくれる大事な時間であり、貴重な機会である。
今年の夏のアジアの旅のおかげで、日常から離れ、一人きりになり、今までの全ての“常識”たるものを振り払い、自分が一回きりの人生で本当に何ができるのか、できうるのか、それをじっくりと考える時間が取れたからこそ、気付いたことがあった。
彼に、旅に行くことを、“逃げ”と取られたのは、正直拍子抜けだった。自分にとって、会社で働くことと、旅をすることは、全く別のことであり、どちらに対しても俺はプラスの印象を持っている。それぞれは全く分野が違うことであり、測ること、比べることはできないと思う。
俺は学校を卒業した後、20代は会社に入り、そこで自分を鍛え抜こうと思っている。9ヵ月後に卒業をした後は、会社に入ることは、確実なのだ。
 この夏を日本で過ごしたからこそ、後のアメリカ生活にもう残りがないことを知り、それを満喫したいがため、もっとアメリカでの生活に自分を突っ込もう、そう決めたのだ。


価値観の違いならば、仕方がない。
相手の価値観は尊重したいし、
自分の価値観を、押し付けるつもりもない。
お互いが、自分の信じる道を進めばいい。

それぞれの人が、自分に合った生き方を見つけ、
その分野で、人に愛、そして感謝を与えられながら、
自分の人生を思いっきり生き切ることができればいいのでは。
そう思う。



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コメント一覧

2. Posted by Shun   September 22, 2006 16:01
綾乃ちゃん、
コメントありがとう。そうだね、どんな道へ行こうが、自分の気持ちに正直に、自分の心に答えて、生きて行きたいね。
俺は、「自由人」の生き方を、選択するよ。反発は多いだろうけどね。でも、それでも、そうやって生きるのが、自分の心に沿った生き方だと思う。
お互い自分に合った、いい進路を見つけようね。
1. Posted by ayano   September 13, 2006 17:01
俊輔くんの指摘する通り、私自身も最近分かった気になっていて、この社会がある限り私は社会のパーツになってしまうのではないかと思い不安だった。この社会は私という個人にとっては絶望的だと思った。けれど確かだと思うのは自分らしく行きぬく人は、どんな会社であっても自分を売り込んでいける人間だ、と。会社が採ろうが採らまいが、女であっても、日本人であっても、大学の肩書きや就職先のネームバリュー、簡単に克服することを許す社会ではなくとも、実際「見て」自分に正直に生きたい。今話してきた先生にそういわれて、正直に生きることは間違ってないんだ、と確信を持ったよ。人に自分の思うような評価は受けないかもしれない。でも「自由人」であろうよ。

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