August 16, 2006 01:39

「話し合える仲間」


今日は久しぶりに、高校時代の先輩であり親友、
恩田さんと会ってきた。
彼と、彼の彼女のヒロミさん、
そして、二人の友達の、アヤノさん。
この4人で、東京に集合し、
夕方から、夜まで、レストランで話した。

今日感じたこと。
「刺激し合える人と、その関係を続け、
 そして、その人たちと、同じトピックについて話し合うこと、
 話し合えることの、大事さ。」

僕らは今日、色んなことを話したが、
途中から話が、「発展途上国の人助け」に移り、
そこから、
「人助けとは?」
「何が本当の"助け"となるか?」
「その人たちに取っての、本当の"幸せ"とは?」
「先進国が、発展途上国の人に、本当にすべきことは?」
「本当の教育とは?」
「自分にできることとは?」
「なぜ、人助けをするか?」
「己の存在価値とは?」
など、話題がどんどん発展していった。

今回、アジアを旅し、自分より経済的に貧しい国の人たちの暮らしを見てきた自分。
22歳にして、やっと、その現実を、垣間見ることができた。
恩田さん、ヒロミさん、アヤノさんは、3人とも、教育関係に進んでいる人たち。
基本的に、人に対しての「教育」の道に進むことを、
目標としている。
また、恩田さんも、ヒロミさんも、
若いうちに、アジアの諸国を旅をしていて、
すでに彼らの中には、「経済的に自分たちより貧しい国に暮らす人たちに何かをしてあげたい」という思いが、ずっと前からあった。
そして、あるがゆえ、そういう視点で物事を見て、生きてきた。
そう、その物の見方とは、
「他人のことを考えよう」とする、視点。
自分の利益のためだけではなく、
他の人のことも考えてあげられる、また、あげようとする、
その、心の広さ。

俺には今まで、正直、それだけの心の広さは、
本当の意味ではなかったと思う。
今回、アジア旅行をするまでは。
して、その国の人たち、子供たちの暮らしを、この目で見て、
肌で、その状況を感じ取って、
やっと、
自分が置かれていた状況に気づき、
「何かをしなければ」
そう感じた。

今までの俺は、ボランティアとか、人助けとか、
基本的に、「人によく思われたいから」とか、
偽善的な理由でやっていたところも、少なくなかったと思う。
本当に、自分の心から、
「将来は自分のお金で、世界の子供たちを救いたい」などと思ったことは、
正直、一度もなかった。
サンドラブロックが、東南アジアで起きた津波の後、
すぐに寄付金を送った。
その後、何も行動を起こしておらず、皆に抗議されたビルゲイツは、
サンドラブロックが出した寄付金のほんの少しの額を、
寄付した。
彼には、「人を助けたい」という思いは、本心からは無い。
だから、周りから言われて、やっと、
しかも、少量のお金を、
「寄付金」として、出すのだ。
それは、
「周りによく思われるため」
「とりあえずやっておこう」
そんな、偽善的な動機でしかない。
彼には、自分が稼いだ、「自分の」お金で、
「誰か他の人を助けてあげよう」などという気は、一切ない。
結局は、自分のことしか考えていないのだ。
だから、そういう行動に出てしまう。

俺も、おそらく、そういう人間だった。
この夏までは。
表面上は、「自分が金持ちになったら、世界の貢献に役立ちたい」
そうは言っていたかも知れない。
でも、「心から」は、
俺の「肌」は、そうは言っていなかった。
そう、感じていなかったからだ。
その必要性を、感じていなかった。

しかし、今回の旅をして、実際に自分の目で現状を見て、
やっと、気づいた。やっと、肌が気づいた。
その、大事さ。大切さ。
自分が何かをしてあげること、
また、してあげられるだけの力を持つことの大切さ。
そして、やっと、
「他人のことを考える視野」が、身についた。
偽善ではない、本物の視野が。

だからこそ、やっと、今日の夜話したような話題に、
本当に、「心から」、ついて行くことが出来るようになった。
しかし、問題は続く。
次のステップは、そこから今度は、
「何を自分ができるのか」知ること。
そして、
「何を本当に、彼らにすべきなのか」。

彼らにとっての、「幸せ」とは、何なのか。
テレビがないから、快適な家がないから、「不幸」なのか?
いい家に住み、いい車に乗り、
いい服を着ているから、「幸せ」なのか?
毎日、水牛と田んぼの中で、稲を植えなければいけないから、
「不幸」なのか?いや、全然違う。
毎日、いいもの食べて、シャワートイレがあって、
快適な家で虫もいない空間で安心して寝られるから、
「幸せ」なのか?
その代わり、毎朝毎晩、満員電車に詰め込まれて?
上司に、怒鳴られて?
自分の人生を、60歳まで計画されて?
いや、違う。

今日、自分の生活に、
電気が入った。テレビが入った。「車」を手に入れた。
もう、田んぼを耕さなくていい。
これからは、ビーチサンダルを蹴って、遊ばなくていい。
テレビゲームが手に入ったから、これで遊べる?
テレビも毎日見れる?
そんな生活の変化が、そこの子供たちにとって、「幸せ」となるのか?
そうとは、限らない。


先進国の人が、発展途上国の人たちに、
何か「助け」となることをする場合、
その内容、また、その「助け方」が、
本当にその人たちにとって、「幸せ」となるのか、
もう一度考えてみたい。

彼らにとっての、「幸せ」とは?
そして、俺らが考える、「幸せ」とは?
そこを履き違えたまま、何か「助け」を続ける限り、
その「助け」とは、ただの、おせっかいとなってしまう。
「それをやってもらっても、幸せになるどころか、
不幸になってくばかりなんだけど」
そうなってしまうかもしれない。

だから、本当に、その人にとって何かをすることとは、
「その人の幸せとは何かをまず知り、
 その"幸せ”度を上げてあげること」
そこから始まるのかもしれない。

しかし、また別のステップが出る。
彼らは、別に人の助けは、必要ないかもしれない。
マジで、「勝手なお世話」かも知れない。
全ての人には、自分の人生の流れがある。
「助け」を求めていない限り、その人に対して、
何かをして「あげる」ことは、
余計なお世話となるかもしれない。

そして、ここから更に話は続いた。
「なぜ、人助けをするのか?」
「結局は、自己満足のためなのか?」
「それをやることによって、自分の存在価値を知るためなのか?」

俺は、それが、ただの「自己満足」でもいいと思う。
もし、それが、良い方向に繋がってさえすれば。
自分の心が、その行動に、納得すれば。
今回、カンボジアのある遺跡で、
俺は決心した。
将来、自分が大金を稼ぐようになった時、
そのお金を、この国の子供たち、
そして、世界中の子供たちにとって、
「よい方向」となることのために、
そのお金を使おう、と。

今まで、俺には、「大金を将来稼ぎたい」という野望は無かった。
俺には、大した物欲はないからだ。
それは、去年のアメリカ一週旅の後に、自分に起こった現象。
物欲が、ほとんど無くなってしまったのだ。
使えればいい、動けばいい。
必要なものさえあればいい。
今回の旅で、その考えは、更に増した。
物は、その機能さえ果たせばいい。
ブランド名はいらない。
高価な車はいらない。
だから、将来も、自分と、自分の家族が、
無理なく食べて行けるほどの稼ぎさえあれば、
いいと思っていた。
「自分たちだけで十分な量」
それさえ稼げば、いいと思っていた。

しかし、今回旅をして、
その子供たちの生活を見て、
学校に行くために、物売りをしなければいけない子供たちを見て、
「何かこの子達のためにしてあげたい」
「自分と、自分の家族の人生だけ満足させているだけでは、だめだ」
そう感じ出した。

それだけ、周りの人のこと、
更に多くの人のことのテイクケアも、し出すには、
それだけのパワーもいる。
お金もいる。
器量がいる。
そして、今やっと、将来、「大金」を作り出す、
目的が、がっちりと定まったのだ。
「自分だけのため」に、金を「儲ける」のではない。
ホリエモンになるのではない。
「自分以外の人をも幸せにするため」に、金を「作り出す」。
そして、そのお金を、
いい方向に使っていく。
「生き金(いきがね)」を作りだし、使っていく。
しかし、その決心、相当強いものでない限りは、
簡単に目の前にした大金に、翻弄されてしまうだろう。
だからこそ、「強い意志」が必要なのだ。
その「意志」、今の俺に完璧にあるとは思えない。
だから、これから鍛えていく。
そして同時に、自分がそれだけの大金を作れるほどの器量になれるよう、
自分の人生を設計し、
そして、「実行」していく。


そして最後の問題。
「何が本当の助けとなるか」。
ここに帰ってくる。
基本は、「いかに多くの人を幸せにできるか」。
ここだと思う。
金をただ寄付したから、幸せになるとは限らない。
テレビゲームを与えたから、幸せになるとは思わない。
その子が、学校に行くために、お金を稼がなくて良くなったからと言って、
それが確実にその子にとって、「幸せ」となるとは限らない。
もしかしたら、その子は、そうやって小さい頃から物売りをすることで、
「人と話すこと」、「物を売ること」、「人の心をどう掴むか」を肌で学び、
「世界中の国の言葉で物売りが出来るスキル」を確実に身につけていることで、
もしかしたら、一人立ちするための立派な要素を、
若いながらにして、身に付ける、いい機会となっているかもしれない。
これは俺が今回の旅で感じたことだ。
最初は、その子供たちを見て、
「学校に行くために休日に働かなきゃいけないなんて、なんて可哀想なんだろう」
そう思っていた。
しかし、よく考えてみた。
「本当に、この子達にとって、ここで物を売ることが、"不幸"なのかな?」
実際、その子供たちは、楽しそうに物を売ってたし、
目は、とても輝いていた。
かわいかった。俺に話しかけてくれたとき。
かわいい目で、「これ一個一ドル。買ってくれない??」って。
決して、押し付けじゃなかった。「買ってくれなくてもいいよ」って。
そんな雰囲気を持ってた。
そんな子だっているんだ。
もちろん、こっちの「同情」を誘って、売りつけようとする子供たちの方が断然多い。そう親に仕付けられているからだ。
しかし、そうやって、俺に笛を売ってくれた子のように、
貧しいながら、堂々と、自分の「人生」を生きている、
たくましい子供もいた。
俺は、その子を見て、とても清清しかった。
彼女は、確実に、「自立」していたからだ。
たった、12歳ながら。
世界中観光客相手に、その人の顔を見ただけで、どこの国の人か判断し、
その国の言葉で、「買いませんか?」と話しかける言語力と、
立派な交渉術と、判断力を兼ね備えながら。
その若い年で。
それは、その子にとって、もの凄い「強み」となっているんじゃないだろうか?
家でテレビゲームして、一日を過ごす子供より、
よっぽどいい時間のすごし方をしているのでは?
大自然の中で。
1千年以上も前からそびえたつ遺跡を、自分の遊び場としながら。


だから、本当の「助け」とは、
そして、何かしてあげたほうが、その子にとって「良い」場合、
本当にしてあげる「べき」ことは、

その子が、本当に「幸せ」と思える環境に、
その子を置いてあげる。
そういう環境に、多くの子がいられるように、
環境を整えていく。
それをするには、全てを、全体像を考えて行かないといけない。
その子が、そこで物売りをするのが好きなら、
ずっとさせてあげる。
もししたくない、
家でお母さんとずっと過ごしていられる日々を送りたいなら、
そうなる様に、その家族の生活を少し支えてあげる。
支えてあげることが、「良いこと」ならば。
その人たちにとって、本当の意味で、「良いこと」となるのならば。

ヒロミさんが言った。
「先進国ができる、本当に"すべきこと"とは、今その国たちがしている、森林伐採などをストップして、その国に入り込むことをまず止めることじゃないか。その森林伐採によって与えたダメージを回復させることをやる前に」
恩田さんが言った。
「でも、その森林伐採のプロセスにより、その国の人たちに仕事が与えられ、食っていける人がいる。森林伐採を止めたら、その国の人たちの職が失われ、マイナスとなるかも」
すでに与えてしまったダメージ。先進国が、発展途上国に。
すでに、その国々に介入してしまった時点で、
すでに、「余計なお世話」は、始まっていたのかもしれない。
そして、その国々は、
自分たちがしてしまったことの償いとして、
「お返し」をしている?
「援助」をして?

もともと、各国が、それぞれの国を尊重し、それぞれが、どこにも頼らず、
生きていけたならいい。
しかし、それは無理な話。人々は、昔から、
戦争を繰り返してきた。
そして、人は、助け合いながらでないと、生きていけないもの。
一人一人が、精神的に自立しつつも、
その中で、「和」を大事にし、助け合って生きていくこと。
それは、一人一人が意識しない限り、難しい。
「頼りあって」生きていくのではない。
「助け合って」生きていくこと。
発展途上国が、先進国に、「頼りながら」生きていくのでなく、
お互いの国が、「助け合って」生きていくこと。

それは、可能なのか?

そして、話は振り出しに戻る。
じゃあ、自分が出来ることとは?
自分が、自分の人生で、どこまでできるのか?


答えの探求は、続く。



この様な話ができたこと。
俺は、光栄だった。
この場にいられて、この3人と話し合えて、
本当に光栄だった。
なかなか、こういう話をする機会は無い。
しかも、その場にいる全員が、そのトピックに興味を持って、
お互いがお互いの考えを言い合い、
お互いが刺激され、
お互いが、新しいアイディアを思いつき、
考え、
頭をグルグル回転させることは。

これをやっていて気づいた。
この様な話題を、話せる仲間を、持つことの大事さ。
こういう問題は、自分ひとりで考えていても、なかなか新しい解決策は思いつかない。
独りよがりになってしまうからだ。
しかし、4人も集まると、ドンドンと刺激され、
お互いが新しい考え、そしてアイディアを思いついていく。
そして、これができる環境。
この仲間。
その大事さを、めっちゃ実感してた。


今日は、ありがとう。
この4人で話し合えて、ほんと楽しかった。
これからもよろしく。

俊輔
8/14/06

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コメント一覧

6. Posted by まゆみ   September 08, 2006 23:34
現実ってズルイよね。救われない皆を助けたいって思えるけど全人助けられないもん。他のまずしい国の人達を助けたいのは分るけど私達の国の問題を解決しなければ他の国の人達をチャント助けられないのでは?自分を愛してなければ他の人を愛せないのように。私が日本で初め救ってあげたいのは若い子達にまず希望をあげる事です。毎日だらだら生きないで。。。そしたらもっと自分を大切にしているでしょう。
5. Posted by shun   August 18, 2006 01:48
ひろさん、青瑛さん、コメントありがとうございます。
返事がかなり長くなったので、ブログに新しい題で載せます。題は、”「話し合える仲間」へのコメントへのお返事。”です。 
 俊輔
4. Posted by 青瑛   August 16, 2006 23:09
待ってました! というテーマですね。

私も20年ほど前初めて行ったインドで、両足にまとわりつく物乞いの子どもたちの目を見て、なんとかせな! と決意したものです。でも、その子たちに持ってるだけの小銭を渡したとて、どうせ元締めに全部吸い取られるだけなんですよね。

私も教育だと思います。もちろん、お受験なんかと関係なく、“生きる力”となる教育。物乞い以外の道を選択できるかどうか、であるし、将来への希望をもてるかどうか、ですね。

そして、いわゆる先進国にたまたたま生まれた人たちの意識を変革することも、また大事だと思うのですが、いかがでしょう。
3. Posted by ひろ   August 16, 2006 17:12
SHUNさんの日記を読んで、一昨日4人で話し合ったことが、まるでさっき話したような感覚に戻りました。「支援」という言葉は、あまり好きではないので、ここでは、SHUNさんの言う「助け合い」で言いたいのですが、途上国の貧困が先進国との構造の中で起こっていることに、私達は気づき、向き合っていく必要があると思います。何が一番いいのか、今後の人生の中で長期的に追求していくことと感じますが、このようなモチベーションは1人ではなかなか維持できないのが、現状です。今回SHUNさん、なり、あやのさんと一緒に様々な考えを共有できて、本当に感謝したいと思います。素敵な仲間に出会えて私は幸せです。
ぜひ、これからも真剣に話し合える仲間、共に成長し合える仲間を大事にしたいです。
また、皆で集まりましょうね
今後ともよろしくです
2. Posted by shun   August 16, 2006 09:55
あにき、
その通りですな・・・ その通り・・
コメントありがとう。

僕ももっとよく、「彼らが何を学びたいのか、そして我々が何を教えてあげられるのか」を、考えて見ます。
ありがとう。
 俊輔
1. Posted by あにき   August 16, 2006 05:50
 僕が思うには本当の意味で援助や助けるという事は「その人自身で問題解決できる力をつけるという自立を促す事」だと思う。

故に金だけではこの問題は解決出来ない。

彼らが何を学びたいのか、そして我々が何を教えてあげられるのかが重要だと思う。

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