August 15, 2006 00:14

獣としての感覚を残せ


人間は、生活が都会に近づくにつれて、
「獣」としての感覚は、確実に鈍っていく。
なぜか?使わなくても、生き残れるからだ。
特に、日本のような国は、絶対に飢え死にすることはない。
コンビニの裏に行けば、賞味期限切れの、立派に食べられるお弁当がもらえるし、
ゴミ箱をあされば、必ず大丈夫なものが食べていける。
そう、
安心して寝られる場所だって、町の至る所にあるし、
正直、日本で「殺される」とか心配する必要は、ほとんどない。
自分を相当危険な場所に置かない限りは。

俺の、「獣としての感覚」は、
タイから香港に入り、そして中国に入った時点で、
かなり、落ちていた。
鈍くなっていた。
それを、感覚で感じていた。
自分が、「落ち着いたサル」となっていくのを感じる。
周りに気を配らなくても、
財布をスリ取られる心配もほとんどない。
物売りに詰め寄られる心配もない。
そして、豪華なホテルで、四泊し、
昨日日本に帰ってきて、
"全て"を手に入れた俺は、
(CDが聞ける生活、ネットに繋がる生活、温水シャワーが浴びられる生活、好きなものを好きなだけ食べられる生活、夜安心して寝られる生活、そして、家族に守られている生活)、
「獣」としての感覚は、最低限まで落ちていた。

何かが、おかしい。
何か、「マヒ」している。
全てが「ラク」なのに、
何なんだ、この、「生きている感じのしなさ」は?
そう、それは、全てを「与えられて」、
それに安心してしまったものに付きまとう、
変な「安心感」。
「己の力で生きていこう」とする研ぎ澄まされた感覚は鈍り、
どんどん、凄まじい勢いで、安心しきった豚と成り下がっていく。
そして、「生きている」という、喜び、充実感、感覚は、
どんどん感じられなくなっていく。

いざ、こうした、全てを与えられる生活に入ったとき。
そこで、自分の、「獣としての感覚」を保ち続けられるかどうかは、
全て、己次第。
自分を甘やかせば、すぐに、安心しきったヤツとなってしまうだろう。
そして、感覚は鈍り、
もう、自分の「アタマ」で考えることは、無くなってしまう。
本当の意味でな。

いつまでも、自然の中に、身を置いていくことは不可能だ。
この現代社会で戦って、生き残って行きたかったら。
後は、いかに、「獣としての感覚」を、
自分次第で、残して行くか。


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