July 20, 2006 15:04

俺の気持ち


人の縁。
最近、それを強く感じる。
それに感謝、そして、感動することが多いこの頃。

皆さん知っての通り、先々週の終わりから、11日間、
大阪にいる伊吹さんと茜さんのところにお世話になってきた。
そこで、また新たにあった出会い。
伊吹さんの開いてくれた「晩餐会」を通して、
また、彼が連れて行ってくれた商店街、大阪の町を通して、
自分に、また新たな魅力ある人たちとの出会い、そして、「縁」が作られた。

今回、晩餐会に呼ばれたメンバーの一人、沙織里さん。
彼女は、俺がアメリカにいたとき、UCLAのセミナーで一度だけ会って、
そのまた後、もう一度だけお会いする機会があった人だ。
その彼女。俺は、すごく魅力的な人だと思った。
俺の慕う伊吹さんに会わせたい。そう思える人物はなかなかいない。
だが、そのとき沙織里さんと会い、話をして、
「この人は絶対に、伊吹さんに会わせたい」、
そう思った。
普段から非常に忙しい伊吹さん。
そんな彼の時間を割いてまで会ってもらうには、
俺自身が、心から納得した人じゃないと、会わせたいと思わない。
だが、沙織里さんは、違った。
彼女と二度目に会って、そう感じたときの思いは、
6月9日のブログ、「今日感じたこと」に書いてある。

その彼女が、アメリカから今年の夏引き上げ、
ちょうどいい時期に大阪に帰ってくることとなった。
晩餐会にも、アメリカから帰ってきた次の日に、疲れているだろうに、
来てくれた。
二度目も来てくれ、彼女自身も、また、
新たな人たちとの、出会い、そして縁が増えたようだ。

今日、自分は会社訪問のため東京に来ていたが、
たまたま彼女もまた東京に、彼女が入社する会社訪問のために来ていた。
夜、二人の都合が合ったので、食事をした。

彼女と話しながら、また、この出会いが本当によかったこと。
人の「縁」たるものを、不思議に、そして、本当に感謝するべきものだと感じた。
彼女は、セミナーの時、前で話をしていた。
観客は200〜300人はいた。
その中で、話した生徒から、名詞もいくつかもらったらしいが、
なぜか俺にだけ、メールをくれた。
「あんなに大勢いた中で、こうして連絡をすることになったのも、
何かの縁だと思います。
この縁、大事にしたいと思っています」
その言葉を読んだとき、本当に嬉しかった。
午後からの授業が眠くて、行くのが嫌だったのに、
それを読んだあと、嬉しくて、モチベーションがすごく上がって、
いつもは寝ている授業中も、ガンガンアイディアが浮かんでいたのを覚えている。
そうして、彼女にもう一度だけ、アメリカにいる間に会いに行って、
そして、今回、大阪でまた会い、
そして、東京で会うこととなった。
お互いが、特に、沙織里さんの場合は、もっと忙しいはず。
自分のビジネスを持ったりもしてるし、多忙な人だからな。
でも、なぜか、こうして何回も会ってる。
毎回違う場所で。
そして、その出会いが、自分たちの「行動」から生まれていること。
俺があのセミナーの日、彼女のところに行って、話しかけなかったら、
彼女と俺は会えなかった。
会えても、俺の渡した名刺に、彼女がメールを送ってくれなかったら、
また会うことはなかった。
そして、最後、お互いに都合が付かない中、
何とか時間を見つけて、会いに行った。
たった30分でもいい。お茶だけでもいい。
それが、たまたま彼女の都合が空き、2時間となった。
そして、彼女を大阪に呼び、
彼女は来た。
だから、また会えた。

全ては、二人の人間が、
出会い、連絡を取り、そこから、お互いが、「会おうか」とすること。
片一方が会いたがっても、
もう一方の人間が、それに答えなければ、
その「出会い」はもう起こらない。
お互いが「行動」したときのみ、
その「出会い」は発生する。

全ての人間関係においてそれは言える。
その「お互いの行動」を起こすものとは、
お互いが「会いたい」と思えるかどうか。
要は、お互いのパワーが合うかどうか。

彼女、この前聞いた話によると、
あのセミナーでも、俺にしかメールをくれなかったという。
なぜかと今日聞いたら、
何だかパワーが合う気がしたという。
「普通は就職活動についてのアドバイスを受けにくるのに、
俊君は自分のビジネスプランをいきなり見せたからね!
しかも人生表まで持ち出して。
誰もそんな話聞いてないっちゅ〜の! 笑」
その勢いが、彼女に響いたらしい。

もしあの日、俺が他の人のやることを見習って、
自分の話したいことも話さず、ビジネスプランを見せたりもしなかったら、
彼女は俺のことを覚えていなかったかもしれない。
メールも、くれなかったかも。
そのインパクトが良かれ悪かれ、
俺は、彼女の印象に残ったということだ。
人は、周りの目を気にしやすい。
どこの国でもあるだろうが、日本は特にそうだ。
周りと一緒じゃないと恥ずかしいから、
目立つから、だから、止める。
自分の心がそう思っていても、やめる。
それが、美徳とされることもあるかもしれない。
だけど、そこで自分の思いを素直に出したからこそ、
認められたり、誰かの印象に残ることだって、たくさんある。
そうやって俺の出会いが増えてきたことは、多い。

出会いは、いくらでも増やせる。
そして、そこから、それを「縁」につなげるかどうかは、
全て自分次第。
連絡をこまめに取ったり、その人のことを気にかけてあげる。
その人に素直に自分の気持ちを伝え、
自分の思いを伝える。
それで、相性が合わなければ、それでその縁は切れるだろう。
それもありだと思う。
だが、そこで、相性の合う人間、
お互いのエネルギーが合う人間とは、
必ずその縁は、強くなり、太くなる。

この夏、会社をいろいろと訪問してきたが、
相手が会社であれ、組織であれ、店員であれ、お客さんであれ、
全ては、「人」だということだ。
そして、その「人」に、自分のそのままをぶつけること。
その自分が、通じないときもあるだろう。
「アメリカ帰りで、何気取ってんだ」と言われたこともある。
逆に、「全て素直に話して、気持ちいい」と言われることもある。
全ては、その人の捕らえ方だ。
俺は、変わらない。
俺は、自分をそのまま出し、それを相手がどう捕らえるかは、
相手にゆだねる。
その人に好かれようと、自分を偽っても、
やがて、その演じている自分に疲れ、違和感を感じ、
その中で作った関係は、壊れてしまうだろう。
「自分自身」ではないからだ。
それが、相手が恋人であれ、会社であれ、友人であれ、
同じことである。

俺は今まで、少なからず、自分を「演じてきた」ところはあった。
いいカッコしたい。よく思われたい。
その人に好かれたい。
その人に、嫌われたくない。
それらの思いが、自分を、「演じ」させ、いい子ぶらせ、
自分を、自分ではない、誰か他の者とさせてしまう。
周りが好む、自分の「イメージ」を演じてしまうのだ。
しかし、そんな自分では、やがて、苦しくなり、
壊れてしまう。
自分の心に逆らって生きているからだ。

これを、会社面接でも感じた。
自分を偽って、その会社に好かれて入社しようが、
そんな状態で入った会社は、いずれ苦しくなり、辞めることとなるだろう。
それよりは、今のありのままの自分を、そのまま見せ、
後は、そこの会社と自分が合うのかどうか、
そこを見るだけだ。


人間は、自分が好きなことをやっているとき、
初めてその人が一番、「自分らしく」なると思う。
「好きなこと」と、「得意なこと」、
この二つは明らかに違う。
「好きなこと」は、自分が心から好きで、没頭してしまうこと。
また、それをしているとき、自分自身でいられること。
「得意なこと」は、
それをやるのは得意かもしれないが、
それをしている時に得られる高揚感や、わくわく感、
そういったものに惑わされているだけで、本当の、「好き」は存在しない。
言わば、俺は、人と話しているとき、
それも、誰かに自分の感動を伝えているとき、
または、その人から何かを学んでいるとき、
そんなときに、一番の幸せを感じる。
その時間は、吹っ飛んでしまうのだ。
こうして、自分の考えや、その日あったこと、
その日感動したことを、ブログに書くのもそうだ。
これは、俺が好きでやってること。
誰に何かを言われたくてやってるわけでもない。
何の見返りも求めてない。
ただ、自分の感動を、また、思いを、誰かに伝えるのが好きだから、
やっているだけだ。

逆に、得意だけど、心から「好き」じゃないこと。
例えば、今入ってる、JAPANCLUB。あれは、あの活動、つまり、
何かテーマを決め、みんなで作り上げていくこと、
それは、「得意」だが、「好き」ではない。
俺は、人との関係、心のつながり合い。
そういったものに、価値を覚える。
だから、JAPANCLUBも、そのためにやっている様なものだ。
人と会えるチャンスが多いから。
だが、その組織の中でやる仕事自体を、「好きだから」やっているわけではない。
なぜやっているのか?
その、タスクをこなしたとき、また、こなしている途中の、やりがい、ワクワク感に魅了されているからだ。
だが、それは、その「ワクワク感」に楽しみを覚えているだけであり、
自分が「好き」でやっているわけではない。
そんな時、その活動が続くと、
自分の心が、モヤモヤし出し、
何か、やっていくのがきつくなる。
それは、自分が「好き」なことをしているからじゃない。
自分が、ただ「得意なこと」をしているからだ。
一度そうなると、自分のモチベーションを上げるのが、きつくなる。
唯一作れるモチベーションは、
「その組織を助けたい」、「みんなの役に立ちたい」。
そういったものから来る。
結局は、自分にムチを打っているのだ。

自分の好きなことをやるとき、ムチはいらない。
俺がこのブログを書くとき、ムチはいらない。
この時間は、俺の「好きな」時間だ。
自分の考えを、言葉で表現する。
読み直す。客観的に、自分の考えを、見直す。
そして、感動したときのことを書けば、それを読んだ誰かが、
もしかしたら感動してくれる。
それほどの喜びはない。
自分が何か好きなことをして、
それが、他の人に影響を与えているのだから。
いい影響を。

なぜ、今回、「好きなこと」と、「得意なこと」について書いたか?
それは、今回、大阪でお会いした、馬場先生に、ある本を紹介されたから。
「ユダヤ人大富豪の教え」
それを読んで、俺の考えは、一気に改革した。
今までなんとなく思ったいた事が、明らかにされ、
そして、新しい良い考えも一気に自分の中に入った。
不思議なことに、その本を馬場先生がくださった当日、
彼とは初めて会う沙織里さんが、俺に何か良い本を紹介している際、
その本を真っ先に薦めたのだ。
「え!?その本、さっき馬場先生にプレゼントされたばかりですよ!」
全くの偶然。
その日、お互いに知らなかった二人が、
俺に合う本を紹介してくれたとき、
二人とも、同じ本を指した。
その不思議。
俺は、速攻読み終えた。
そして、めちゃくちゃ感動した。
今回書いた、「好きなこと」と「得意なこと」も、
その本に書いてあったことだ。
その本を読んだとき、俺の頭で今年の頭からモヤモヤしていたものが、
一瞬にして、スッキリとしたのだ。
自分が「好きなこと」と「得意なこと」の違い。
本当に幸せになるためには、自分の「好きなこと」をやること。
「得意なこと」は、誰かに気に入られるためとか、
よく思われるため、
名声がほしいとか、
有名になりたい。
そういった不純な動機から生まれる。
それを続けても、続くはずがない。
残るのは、疲労感と、「何で俺はこれをやっているんだっけ」という自問自答と、
後は、それに何とか理由付けて、それを終わらそうと、
自分にムチを打つ日々のみ。


俺は、会社に「いい顔」をするのは、「得意」かもしれない。
何かの組織で、チームを纏め上げるために、自分が心から魅力を感じていないことを引き受けるのも、「得意」だろう。責任感があるからだ。
その社会が好む、「優秀なやつ」を演じるのも、得意だろう。

しかし、それは、もう終わった。
俺は、自分の好きなことをする。
俺が好きなこととは、
俺自身でいること。
誰に対しても、俺のありのままを見せること。
俺が、心から好きだと思うことをすること。
感動したら、「感動した」と素直にいうこと。
その日何かに感動したなら、その気持ちを、ブログに書くこと。
ここまで時間を使って、自分の考えを、感動を、文字にすること。
それを、俺は、無駄とは思わない。
俺は、これが「好き」だからしているだけだ。


話がずいぶん長くなってしまったが、
今日の話の要点に戻ると、
自分が、「好きなこと」をするということ。
それは、俺にとっては、「自分らしく」いることであり、
そうして自分を、自分らしく出したときのみ、
俺の本当の魅力は出る。
そして、そこから、人は何かを受け、
そこで共鳴した人とのみ、「出会い」が生まれる。
そして、その「出会い」を、「縁」と変えるのは、自分次第。
その「縁」が、また更に新たなる「出会い」を生み出し、
そこから発生したプラスなパワーが、自分を更にでかくする。
その循環ができるのだ。


自分を偽って会社に入ろうが、先は見えている。
自分を偽って人間関係を築こうが、その先も見えている。
大事なのは、常に、
「自分らしくある」ことだ。
その結果がどうであろうと、それは、素直に受け入れられる。
少なくとも、自分は自分らしく、全てを真っ直ぐに通したのであり、
その結果がうまく行かなくても、それは、自分とは合わなかったということだからだ。
俺が一番嫌なのは、
自分を偽り、自分に正直に生きないことである。
つまり、中途半端に生きること。
そうして得た結果は、例え表面上はいいものでも、
自分は、絶対に納得はしない。
「自分」が得たものではないからだ。
それを得た人間は、「自分自身」ではない。
誰か、「他の者」なのだ。


自分の気持ちに、真っ直ぐに、生きることだ。

7.20.06

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