December 13, 2005 02:11

精神面の鋭さ

今、学校の図書館にて。自分の持っているパソコンには日本語機能が入っていないので、日本語で打つには、ここに来るしかない。

今週はファイナルウィークということもあり、学校の図書館は、夜中の2時まで開いている。
自分が前までいたコミュニティカレッジに比べたら、凄いことだ。
前の学校は、いくらファイナルの週でも、夜の8時にはしっかり閉まっていた。土日は、もちろん開いていない。
前は開いていたときもあったそうだが、ここの州知事がシュワちゃんに変わってからは、州の予算カットで、図書館の開館時間も短くなった。
学生の授業料は上がるし、憎きアーノルドである。

今回書こうと思ったのは、人間の精神面の鋭さについて。
今回、ファイナルということもあり、久しぶりにこんなに真剣に勉強していたが、 図書館の机に座りながら、思った。
こうして勉強することの大事な理由は、もちろん勉強していることの中身の大事さもあるが、
それよりも、こうして、自分を辛い状況に持ち込み、逃げ出したい中でも、そこでじっと堪えてそれをやり遂げること、
それ自体に、意義があるのではないか、と。
そうする中で、己の精神力は伸びる。
これは、勉強に限ったことではない。
例えば、自分が高校の頃、水泳部だったとき、大会前に備え、学校の練習以外に、別のスイミングクラブでも、
独自で練習していたときがあった。
そこの練習は、学校のそれよりもきつかったが、自分の力を上げたい理由、それよりも、自分の弱さに負けたくない理由で、
何とかこらえて、毎日頑張った。
最低でも、一日4時間、時には、6時間以上泳いだ日もあった。
水泳は、水の中に常に顔を入れているもの。
苦しかろうが、こらえて泳ぐしかない。
泳いでいる最中、誰とも話はできないから、自分を叱咤激励するのは、自分のみ。
そんな中で、いかに自分を、辛い状況の中でも、ポジティブに保つか、
いかに気の遠くなるようなタスクをこなすか、
それを学んだ気がする。

そんな時も、やはり、精神的に、自分を伸ばしていたことになる。
その時の己の精神の「鋭さ」は、最近の自分の精神的な面に比べて、確実に勝っていた。
逆に言えば、最近の自分は、自分を精神的に「磨く」ことを、本気でやっていなかった、そう感じた。
水泳は、スポーツ。肉体を使う。
勉強から来る精神的な苦しみなんて、その時の肉体的な苦しみに比べたら、何でもない。
それでも、こうして、机にじっと座り、逃げたい自分を抑え、何とかやり遂げようとすることは、水泳の練習の時、
自分が己を精神的に磨いていた状況と、同じ事と言える。
肉体的な苦しみがないだけ、ずっと楽だけどな。

今自分は、22歳。
その水泳の練習時代から、5年経った。
5年経ったが、精神的な鋭さは、その時のほうが勝っていたことに気づいた。
そして、このままいるのは嫌である。
5年経ったなら、5年分、精神的に鋭くなっていなきゃいけないはずだ。
つまり、毎日の、己の磨き様が、「本気」ではなかったいうこと。
前のメールでも書いたが、自分を甘やかすも、厳しくするも、己自身。
22歳の俺よ、毎日「本気」で自分を磨け。

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