June 2012

June 30, 2012

20110616G195


題名と装飾からして、怪しそうな雰囲気満載です。
なぜこうも、彼は怪しい雰囲気の本を作り出すのでしょうか。
図書館でリクエストする際に、何かいけない本をリクエストしている様に感じるのは、僕だけでしょうか。

2011/6/29の初版発行。
フォレスト出版より。

*****

内容は、前半半分が、かつて中世ヨーロッパで出版された、
「魔女に与える鉄槌」という本と、
「魔女狩り」がなぜ、17世紀末まで続いたかに関して。

後半は、フェイスブックやツイッターが世界に与える影響、
及び、それを扱い、権力者がどのように世界を変えらるかに関して。

*****

前半の部分では、1486年に出版された、「魔女に与える鉄槌」という本の内容と、その背景に関して触れます。
主に、キリスト教の派生と、それを権力者がどのように扱ったかの、歴史とその裏の解説です。

キリスト教に関する書物で、キリスト教の教祖はイエスキリストであったものの、
それを開祖した人物は、パウロであると言われている。
(実際、キリストが死んでから、パウロがキリストの教えを、「イエスの教えはユダヤ教とは異なるものだ」と、まとめたため。)

しかし、更に奥を調べると、
本当の意味で聖書を編纂したのは、
コンスタンティヌス大帝(一世)である、と。

彼は、当時のローマ大国を纏めるために、
313年にミラノ勅令を発布し、
キリスト教という宗教を使い、
人々を統治することに力を注いだ。

その後、14世紀の半ば、
教会や聖職者が乱れ、
かつ、「教会ありき」としてきた教えに反対する人々も生まれ、
「教会」という形で政治力を持って来た上のものが脅かされるようになったとき、

そして、同時にペストが大流行したとき、
(当時のヨーロッパの人口の1/3から1/2に当たる2000万〜3000万の人々が死亡したと言われている)、

人々の混乱と恐怖をうまく使い、完全な敵となる、
「何か」の存在を作り上げることが必要だった。

それが、「魔女」であり、
同時に、その頃初めてグーテンベルクの印刷の技術が生まれ、
それによって出版された「魔女に与える鉄槌」(それまでは印刷された書物は存在しなかった)により、
人々に強い影響を与えた。

著者は言う。
人間というのは、印刷された文字を見ると、
その内容の情報元が正確か否かは別にして、
それを信じてしまう傾向がある、と。


そうして、「魔女」という、もちろん当時の権力者が作り上げた、
分かりやすい「敵」像をでっち上げ、
それに人々の怒りや憎しみ、混乱を向け、
世界をコントロールした、と。

******


(ちなみに著者は、
「宗教」とは、いかに、常に政治と権力に取って都合の良いものに作り変えられるかを説きます。
キリスト教も、パウロという、大人しく控えめな考えを持つ人間の考えが色濃く反映されており、それがコンスタンティヌス大帝が、ローマを治めるのに役立ったし、
アジアを占める儒教に置いても、やはり上の権力者にとって都合の良い宗教である、と。

例として、儒教の最も代表的な存在、孔子の弟子たちがまとめた「論語」だが、

『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』 

の内容も、「奴隷の教え」であると説きます。
(これは読んでいて笑った。)

「四十にして惑わず」では、
色々な可能性を考えることなく、一つの価値観のみで生きることであると。
つまり、惑わずに奴隷の道を歩め、と。

「五十にして天命を知る」では、
当時の「天」は皇帝を間接的にさす事から、
天命を知るとは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動することである、と。

そして、「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」は極めつけだと。
つまり、奴隷の人生を70年間続ければ、
何をやっても、奴隷の粋を外れなくなる、ということだと。

この教えによって出来上がった、聡明、勤勉、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者に都合の良いものだったか、私たちはその天に注意を傾けなくてはいけない、と。

これは読んでいて最初は笑いましたが、
落ち着いて良く考えてみると、「なるほど」という感じです。

儒教国では未だに、親よりも良い会社に入ってはいけないし、
親が死ぬまで親よりも良い暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っていると。
日本は明治維新以降に西欧の民主主義が輸入されたので、
今の日本人はそういう考えを強く持ってはいないものの、
江戸時代の日本人にとっては、それを守ることが真っ当な生き方であった、と。)


******


さて、著者は本の前半を使ってその歴史を解説した後、
では、今の時代において、当時における「魔女に与える鉄槌」に当たる、
その「道具」とは何かを解説します。

それは、フェイスブックやツイッターであり、
これにより、権力者は世界を支配することができる、と。


彼曰く、チュニジアで起きた暴動で、
最初は一人の若者のフェイスブック上のつぶやきが、
全ての改革を起こした、と言われていますが、
その「若者」とは、
現地のドメインを使用したCIAの工作員であった、と述べます。

中東の現地人の多くは未だにパソコンとは縁のない生活をしており、一部の裕福層知識人はパソコンを持っている者の、それらの人間は体制側の人が殆どである、と。
例えそうでなかったとしても、フェイスブックなどを使って堂々と独裁妥当を表明すれば、自らの身が危なく、やらないだろうと。


また、以前アメリカがイラクに侵攻し、フセイン大統領を捕縛したころのCIAも、”演技”を行う事が大変の仕事であった、と。
当時流された、イラクの民衆がフセイン大統領の銅像を倒す写真を見ると、そこに写っているイラク人は、違う日に別の場所で撮影された写真にも写り込んでいた、と。
その様に、イラク戦争の写真の中に見つけられる、そのような同一人物は、一人や二人ではないとのこと。これが、CIAの工作員でなく誰であろうか、と。

また、1989年のベルリンの壁崩壊の際にも、
やはりCIAが工作をして、西の情報を東に流し、
壁を崩壊させるシーンでも、その人々の中の数名は、
CIAの関係のものであった、と主張します。

*****

また、彼は他の本でも述べていましたが、
ツイッターやフェイスブックで人々が話題にするオバマの統計と、
実際のオバマの支持率は一致する、と。

よって、フェイスブックやツイッターの中身をいじってしまえば、
誰を大統領にするかも、簡単に操れる、と。

*****

彼は、ツイッターの持つ力の強さを注意します。

言わば、ツイッターは140文字以内で意見を述べることから、
自分の主張に対する、事実(データ)と、根拠(ワラント)を示さずに、
ただ、自分の主張(クレーム)だけを通す形になります。

通常何かを主張する際には、
 屏◯の情報により」、
◆屏◯なので」、
「私は◯◯と思う」
という構成が必要なのに、

ツイッターでは、
,鉢△鬚垢暖瑤个靴董↓だけをただひたすら主張する、と。

そして、人というのは、より多くの回数、
それに触れたり、その人の顔を見かけたりすれば、
それやその人を好きになる傾向があることから、
例え根拠のない間違った主張でも、
それを何度もリツイートで見るたびに、
段々と「それはそうなのかな」と信じて来てしまう、と。

*****

また、最近のテレビやニュースの解説番組で見られる様に、
二人の人間が討論なり解説なりをしている横で、
何も意見を求められていないタレントが一言、
急に言葉を挟むスタイルが増えて来ている、と。

例えば、
管さんの政治の仕方に関して、いかに肯定的な内容を主張していようとも、
「管さんにはやっぱりできなーい」とタレントが一言横から挟むだけで、
それまで論じて来た内容がいかに管さんを支持するものであったとしても、
管さんに対するイメージがその一言で一気に崩されてしまうし、

何かの食べ物に関して二人が解説をしているところに、
「すっごくおいしそーう」と挟むだけで、
見ているこちらは、「うん、確かにおいしそう」と思ってしまう、と。

その様に、「第三者」=「テレビの視聴者、私たち」に近い立場に見せかけて、
根拠の無い主張を入れるだけで、
それがあたかも本当かの様に見えて来てしまう、と。

これは、ツイッターに見られる性質であり、
最近のテレビでも確かに良く見かける。


*****

著者はここまで解説して何が言いたいかというと、
今の時代は、目に見えない場所で、
権力者が、自分たちの都合の良いように、「敵」を設定し、
それが、いとも簡単にそれらのソーシャルネットワークによって動かされてしまう、と。
そして、それらの権力者の意図に反し、それを阻止しようとする良識派は、必ずその的にされ、消されて行く、と。

また、今までは、自分が、物事を「こう思う」理由は根拠は、
必ず、自分の育った環境、自分の今までの先生、親の意見など、
自分に身近な人々からの影響であったことがハッキリしていたので、
その自分の意見や考え方の元を辿るときは、
その「元」が見えていたのに対し、

今では、自分の周りに溢れる「意見」の出所が、
一体どこから来たものなのか、見えなくなって来ている、と。
(それはもちろん、ツイッターやフェイスブックなどのSNSや、インターネット内の情報など、情報源が不定の情報が増え続けているから。)

だからこそ、それに踊らされない様にすることが大事、という。

しかしながら、権力者が「敵」を設定する場合、
その「敵」とは、彼らにとって不都合になる存在である場合であり、
その権力者たちが究極的に欲するものは、
「権力」であり、「金」である、と。


よって、普段テレビを見たり、何かに触れる際にも、
「お金儲け」というこちらの欲をそそる様な内容には、
一切反応しないようにすれば、
逆に、それに引っかかることも殆どないので、
安全な時代でもある、と言う。

つまり、「この内容は、結局は金儲けに繋がっているな」
と気づき、それに対して無反応になればいい、と。

*****


と、言いつつも、
苫米地さんも、しっかりと自分の他のソースを使って、
「無限の富を得る方法」とか唄って、
色々と売っているから、そこの矛盾が突っ込みどころ満載です。



ただ、彼の著作は、
書き方が非常に理路整然としていて読み易いし、
かつ、話題にされる内容が、
経済、金融、歴史、哲学、数学、物理、宗教、言語など、
多義に渡り、
かつ、その背景に関して、彼の想像が入っている所も多いが、
中々興味をそそる様に書いてあるので、

彼の本を読むと、自然と色々な事に興味が湧くから、
それが好き。

彼女には、「彼の本ばっかり読みすぎないようにね。洗脳されないでね」と大分心配されていますが。

2012/6/30 18:18




*****



追記:

彼はこの本の中で、
2009年6月にイタリアとスイスの国境で、
1345億ドルの米国債を詰め込んだ鞄を所持する日本人二人が、
イタリア当局に拘束された事件について触れます。

これはずばり、天皇家のお金で、これを自民党の選挙資金に使う為に運んでいて、
それが捕まり、自民党の選挙資金がイタリアで止められたのだろう、と。

(拘束された二人のうち一人は、自民党政権時代のある財務大臣の弟であり、
また、13兆もの米国債を所有している日本人がいるとすれば、それは天皇しかいない、と。
天皇家の銀行口座は、戦前からスイスのバーゼルに本部があるBIS(Bank of International Settelements)に設けられているとされている、とのこと。)

また、上のニュースが流れたと同時に、
それまで、
「空中戦(マスメディアでの露出をガンガン増やして、選挙に向けた運動をすること)はやらない」と言明してきた自民党の幹事長が、突然に宗旨変えを行い、空中戦を始めた、と。

元々自民党はメディアを使わずに、選挙区にお金をバラまいて票田を刈り取り、選挙戦に買って来た。
それに対して、野党時代の民主党は、選挙資金が十分に無いことから、バラエティ番組などのメディアに頻繁に露出して、マスコミをうまく使い選挙活動をしてきた、と。
そして、イタリアで選挙資金を止められた自民党は仕方なく、選挙活動の方法を変えた、と。


そして、このニュースは、一度だけ放送された後(日本では殆ど触れられなかった後)、
全世界でこのニュースに関する報道は、その後一切されなかった、と。


彼曰く、この様に不可解なニュースが流される時には、
必ず裏にメッセージが隠されており、
この場合には、このニュースは世界に向けたメッセージであり、
「ヨーロッパの銀行家たちは、今後、民主党政権が誕生する事を選択する」
という内容だったに違いない、と。
そして、民主党政権誕生の流れは、
この不可解な国債ニュースが配信された時点で決定していた、と。

*****

さて、これが真実か否かは分かりませんが、
下がその時のニュースに関する映像。


一番最後のNHKのニュースでは、「押収された、額面5億ドルの債権。これほど高額なアメリカ国債は、過去に発行されたことが無く、偽造と見られます」と言い切り、画面のテロップでも、「発行なし 偽造か」と出しているが、これは完全な嘘。



海外の番組。





******


追記:(2012/7/1)

この本の中で、「臨場感」に対する説明がある。

「より強い臨場感を持てば、その世界に対する理解はより深くなります。
それに対し、より弱い臨場感を持つ人は、それが比較的に浅くなります。」

「勉強ができる、できないという問題は、
すぐれてその世界により強い臨場感を感じることができるかどうかという問題なのです。
人並みの臨場感を感じている人と、
非常に弱い臨場感を感じている人との間に、雲泥の差が生じるわけです。」(p148-149)


これは、正に言えていると思う。
要は、自分に取ってそれが、いかに重要か。
そして、その世界をいかにリアルに感じられるか。
それにのめり込めるか。

それで全てが変わって来る。







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 社会・政治 |  苫米地英人

June 29, 2012

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さあ、またしてもエクストリームな題名です。
この本を持って外で読んでいたら、
周りにいる人に必ず突っ込まれそうな題名です。

2009/9/16の初版発行。
PHP新書。

*****

本の内容は、後半半分は、全て他の本で彼が述べていることです。
そして、前半半分に関しても、彼の最近の著作、
「電通 洗脳広告代理店」で触れていることを、軽く触れている程度です。
つまり彼は、この本で2009年にさらっと触れていた内容を、
更に深く、「電通〜」で掘り下げたのでしょう。

(後半部分の最後の方で言えば、「君は1万円札を破れるか?」「経済大国なのになぜ貧しいのか?」で述べていることに関して、やはりサラッと触れています。)




彼が、この本の題名で「テレビは見てはいけない」という言い分は、こうです。

「テレビとは、番組を作る一部の権力者、または放送作家によって内容が全て決められているから、見ている内に無意識の間に、脳がそれしか考えなくなる。
よって、テレビを見る際には、『その番組の作り手(ディレクター)は誰なのか』、『その作り手(ディレクター)の今までの作品はどんなものがあるのか』、『それによりその作り手(プロデューサー)たちは、どんな利益を得るのか』、『逆に、この番組によってダメージを受ける人は誰か』等を考えながら見ないと、知らぬ間に思考の内容を操られて終わってしまう」。



また、彼は日本のテレビ内容が、日本国内に向けてしか視野が置かれていない事を嘆きます。

日本のテレビ番組を作るのは、放送作家と呼ばれる数百人の人間たち。
しかもその内の20〜30人しか、日本のテレビ界の中心で活躍をしないので、
その数十人が、日本国内に流れる流行、お茶の間の話題、世論などを作り上げている、と。

しかもその放送作家たちは、英語を苦手とするため、彼らが次の放送で流す内容を拾って来る先は、国内のニュース、雑誌、新聞でしかない。
それも合重なって、益々日本のテレビ内容は、国内のことしか対象にされない、と。

(ちなみに2012年6月29日現在、日本国内のニュースは、消費税増税案に対して反対する小沢氏の動向と、それに対する「けしからん」的な趣旨の世論しか流されていない。日々、そのニュースばかり。国内の他のニュースは元より、国外のニュースは殆どと行って言い程報道されない。

福島の原発事故のその後のことも、エジプトでムバラク政権が崩壊してイスラム勢力のモルシ氏が大統領に選ばれたことも、シリアで難民が増えていることも、そんなのはどうでもいいらしい。結局、国内のニュースは、全てが操作され、国民が「今」「何」に意識を向けるかも、他人によって決められている。)


******


彼はこの本の中で、日本国内の閉じられたメディアによる視野の狭さを壊す為にも、海外のメディアで英語で流されているニュースを見て、それにより、「外国のメディアが何を今話題にしているか、また、海外のメディアが、日本のことをどのように報道しているか」を見る事を薦めている。

これは俺も実際にやっており、海外のニュースを見た後に国内のニュースを見ると、いかにその対象の幅が狭いかが分かる。

(これは、留学中にも良く経験した。1年〜2年に1回の頻度で日本に帰って来ると、日本国内で流れているニュース、及び番組の内容に、違和感を感じていた。いつも、日本ではその時の「流行り」があり、どの局もその「話題の内容」しか流さない。しかも質が悪いのは、日本国内には、チャンネルがほんの数個しかないこと。その数個の局が、よってたかって同じ内容ばかり流しているのだから、見ているこっちは、「日本のテレビはアホなんじゃねえか」と真顔で突っ込むしかなかった。

また、今もCNNなどを通して海外のニュースを見ているが、たまに報道される日本に対する報道では、日本国内での報道とは全く別の視点から話されている。
大体は、日本国内でいかにも重要かの様に話される政治劇は、国外から見たらどうでも良く、むしろ、肝心の問題の論点が、日本国内では一切話されないのに、海外の報道では、ずばっと話されている場合が多い。


上に挙げた、「いかに日本のテレビの内容は閉じられた世界か」に関しては、日々、幾つかの新聞に目を通す事でも、その傾向を垣間見ることができる。
日経新聞は、主に上場している大企業の動向しか報道しないし、読売新聞は政治のことしか話さない。俺が今住んでいる県が発行するローカル新聞では、上場企業や政治の事は置いておいて、この土地で収穫されたメロンのことがトップ記事になる。
これは、別の国にいてもそう。その国の、その土地で一番重要な事が、その地域のトップニュースになる。

しかしながら、
全世界の人々が持つ、「結局は自分の土地のことが一番のニュースになる」というその性質と、
日本のテレビ内容が「日本国内のことのみ」しか流さないという現状が、昔から一切変わって行かない、ということは、別問題である。

現代はますます国際化しており、これだけ、「日本人はグローバル化しなければならない」「グローバル人材がどうのこうの」と騒がれているのに、それでも、日本のテレビ局が流す番組は、殆どが日本国内のネタと、お笑いばかり。見終わった後、「だから何なの?」と言いたくなるものばかりである。)


*****


ということで、俺の個人的な意見が勝手に入ってしまったが、
この本で著者が言いたい事は、
別に、「テレビは絶対に見てはいけない」という意味ではない。

要するに、「この世に存在する全てのテレビ、ラジオ、新聞、本、それらのものには、それを作る人間の意図が隠されているのだから、それを理解した上で、それらに接する様にすることが賢明ですよ」ということ。そうすれば、世の中の物事がより立体的、複眼的に見えますよ、ということ。


この意見に反対する人もいれば、賛成する人もいるでしょう。

俺はただ個人的に、テレビが嫌いだから見ないだけだけど。


2012/6/29 20:56



*****


PS. この本の後半は、上にも述べた様に、彼の他の本で話している内容ばかりで、題名とは殆ど関係がない内容となっている。
その中で、「コンフォートゾーンから外れるとIQが下がる」という内容がある。

人は、自分のコンフォートゾーンから外れると、
言わば、昔の原始人の時代に、獲物を追いかけて狩りをしている状態、
つまり、交感神経が活発になり、緊張している状態に戻るので、
脳の一番動物に近い部分である、扁桃体や中脳が反応して、「動物」に近くなる、と。

そのとき人は、より攻撃的になるか、防衛的になるかのどちらかである、と。

そのために、客観的に俯瞰して状況を捉えることができなくなり、IQが下がる、と。


これは、正に言えてるなあ、と思った。
(だからこそ、アメリカ人やイギリス人などは、よく討論の世界で、相手を怒らせ、コントロールが利かなくなった状態で、その人の本質の言い分を導き出そうとする。
例えば、イギリスの"Piers Morgan Tonight"では、ゲストで呼んだ政治家などにわざと意地悪な質問をして、相手を怒らせて話をさせたりする。アメリカの"Jimmy Kimmel Live"では、呼ばれたゲストにやはり意地悪な質問をする。後者の方は個人的に好きじゃないけれど。)


*****


それから、もう一つ、
プログラミングなどをする人たちは、
脳内で巨大な情報空間を築き、それを整合的に維持して行かないと仕事ができないので、
自分の内側(脳内)の世界が、外側の物理空間よりはるかに巨大で、はるかに豊かであり、その臨場感に強く浸る事ができる、と。

だからこそ、そういう人たちはオタクであり、外側の物理的世界には興味が無い人が多い、と。
(スティーブジョブズやビルゲイツもこれに当たる。)

これも、読んでいてなるほどなあ、と思った。


*****


それから、これはまた著者の自慢が入っているが、
「カリスマ」という言葉は、彼が世論を操って広めたらしい。

元々美容師の仕事は、「3K」ということで人気がなく、若い人で美容師志望の者が減って来たと、彼がコンサルをする美容師が嘆いていたとのこと。

それに対して彼が、芸能人がヘアスタイルチェンジをする際に指名するある美容師の店を筆頭に、彼らをテレビや雑誌などのマスメディアに頻繁に出したり、または青山や表参道界隈に敢えて美容院を多く作らせることで、美容師に対するイメージを変え出したとの事。

そして、「カリスマ美容師」という言葉を使い、あたかも美容師がとてもカッコいいもの、というイメージを作り出したそうな。


へええ。











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 苫米地英人 | 本 Review

June 27, 2012

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2012/3/24初版発行。
池上さんが2011年の夏に、大学生を相手に解説した講義が元になっている。
全二巻の内の一冊目。

*****

とても分かり易く、丁寧に解説がされてある。
俺も、大学でマクロとマイクロの経済を専攻したが、
その際に良く分からなかった事も、
この本を読んでスッキリと分かった。

経済学とは、自分の普段の生活の全ての根本になっていることを感じる。

*****

アダム・スミス、
マルクス、
ケインズ、
フリードマンなどの、「経済学の基礎」から、
TPPまで、
あくまでも、教科書的に、
池上さんの個人的意見は全く入れずに解説がしてある。

善くも悪くも、非常に「教科書的」で、
「その裏に隠された本当の真相」は書かれていない。
しかし、その前に、自分の中で、その考えの「基礎」を学ぶのが大事であり、
それを丁寧に教えてくれる書。
おすすめ。


2012/6/27 22:01




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 経済学 | 本 Review


少女時代のパリでの公演の様子です。

すごいですね、
ファンのみんな、韓国語で唄ってます。

日本では、外国語の曲が絶対売れないのに、
海外では、そういうのは関係ないと、以前彼女と話をしました。
(日本人は、「外国語」というものにアレルギーがあるそうです。)

フランス語と全く違う韓国語を、
フランス人のファンの子たち(一部オッサンを含む)が、
一生懸命唄っているんだから、
日本人なんか、日本語と韓国語は文法的にもすごく近いんだから、
その気になればみんな韓国語で唄えるだろうに。

でも、日本はそういう文化じゃないんですね。


どちらにせよ、フランスのファンの皆様の熱心ぶりに感動しました。

2012/6/27 20:12





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音楽 Review 

June 24, 2012

2012/6/24(Sun) 22:57-

昨日と今日は、社員旅行で大阪と神戸に行って来た。
大阪では、ノアと、
神戸では、Rと会った。

大阪の場合は、俺のステイしたホテルはなんばだったけど、
ノアの住む家はそこのすぐ近くで、
神戸の方でも、Rの住む家は俺たちが行動予定だった元町のすぐ近くだったので、
まるで二人に会いに行く為の旅行みたいな感じだった。

*****

ノアとは、4年ぶりの再会だった。
最後に会ったのは、2008年の4月。
サクラメントで会った以来。

奴は、去年から大阪に晴れて来れる様になり、
今は既に約一年間、大阪にいる。
あいつが仕事を終えた21時半頃になんばの近くで会い、
その後、朝の4時半まで、なんばの酒屋なりバーなり、
後はなんばの川沿いを歩いたりして、
色んな話をした。

(あの川はノアが所有しているらしい。川沿いにいたホームレスのおじさんから5000円で買い取ったらしい。そういうジョークがウケる)

*****

ノアとは、本当に久しぶりで、
しかも、俺は2008年頃にあいつと最後に会ってから、
当時は俺も進路が定まらず不安定だったこともあり、
結構あいつに辛く当たってしまったときもあった。
そのために、少し心の引っかかりがあった。

それを奴に謝り、
「I was being such a jerk man, especially when we were at the donut place in Orange County in 2007. I have to appolozie to you」と言うと、
「Gosh, I don' remember you being jerk at all and all I remember is the donut! That's so bad that you had this guily feeling in you for 4 years and I don't even remember it!」と、彼なりのジョークとユーモアでまた笑わせてくれた。


俺はあいつと会ったのが2002年の8月で、
それ以来、奴とは随分一緒に遊んだ。
そんなわけで、友達、というよりも、どっちかというと家族に近い。
近過ぎて、ムカつく兄弟、そんな感じ。
なので、ちょっと仲違いがあった(と俺だけ勝手に思っていた)ヤツと昨日は和解できて、
更にお互いの絆が深まり、
それ意外に、久々に英語を使いながらノア独特のユーモア満載の会話ができて、
本当に楽しかった。

ああいう感覚は、
それを再度経験しないと、
「ああ、俺、こういう感覚をミスしてたなあ」と分からない。

まるで昨日は、夜の10時から朝の5時までは、
またカリフォルニアに留学しているような、そんな感じだった。

(ヤツとはアメリカのジョークなどの話も沢山する。
また、それ以外にも、
母国語以外の言語を学ぶ事、それを使って話す事の楽しさ、
言語の歴史などから、
お互いの人生など、色々な話ができて楽しかった。
彼の良い所は、どんな話題であれ、
必ずそれに対して反応してくれ、それを深く掘り下げて話がして行けるところだと思う。
それが、めちゃくちゃ下らないジョークであろうと、
歴史の話であろうと、
哲学の話であろうと。)

*****

今朝は、神戸でRと会う。

彼と会ったのは、去年の2011年10月、東京駅にて以来。

その時は、俺はまだ転職活動を始めたばかりで、
随分と不安な時期ではあった。

その時はRも、自分の仕事に対して悩む所もあったみたいだけど、
今では、神戸支店に移動し、
そこで、毎日朝の8時から夜中の12時過ぎまで、
頭がショートするほど頭を使って、
仕事をしているそうな。


あいつと会って楽しい事は、
いつも彼は自分の限界を超えるところまでやりきっていて、
常に、自分の「限界」「器量」を広げ続けているところ。

俺が彼を尊敬する点は大きく分けて二つある。
一つは、人間関係の作り方がうまい。
野球部という団体行動の中で培った、
年齢、相手の性格関係なく、
誰とでもニュートラルな関係を作れるところ。
(言い換えると、相手によって自分の態度を変えることがないこと。)

二つ目は、知識。
彼は、今の仕事を通して、
色々な業種や業界に股がって仕事をしているわけだが、
それを通して、俺が持っていない多くの知識を持っている。

俺は結構、彼の話を聴いて、
そこから触発されて、
「もっとこうしよう」と思い、行動に移す事が多い。

そんなわけで、彼はいつも、
俺が伸ばしたい二つの要素、
つまり、「人間関係の構築」と「知識」の二つを鍛えていて、
俺よりも上を行っているので、
そこを、あいつには負けたくねえ、と思うというか、
良い意味でのライバルのように、見てしまう。

*****

ちょっと話は変わるが、
最終的には、
人と比べるのではなく、
「自分と比べてどうなのか。
闘う相手は自分」という状態が、
究極の状態。

彼はいつも、
「自分に負けない様に」
「一番の敵は、自分」
ということを言う。

誰か別の人になろうとしている人生は、
「自分になろうとする人生」と比べて、
はるかに基盤がなく、軸が通らない。

昨日ノアにも話したが、
俺が今までの人生で学んだことの一つは、
「誰かになろうとすることは意味が無く、
いかに、”より自分自身になれるか”が、
一番重要である」ということ。

*****

閑話休題。

そんなわけで、Rはいつも、
俺とは全く逆の状態、環境に身を置く事が多いので、
彼のその多様性から学ぶ事は非常に多い。

*****

ということで、
昨日と今日は、留学時代の親友であり、
かつ、深い話ができる二人と会えたので、
非常に楽しかった。



こういう感情は残しておきたいので書いた。
眠いのでもう寝る。

2012/6/24 23:20


******


追記:2012/6/30 17:11

先日の旅行から一週間が経った。
この新しい土地で基本一人で過ごすことが多い俺にとっては、
上に書いた二人と久々に会えて話せた事は凄く楽しかった。

特に、ノアとの会話は本当に楽しかったな。



上にも書いたけど、
あいつと会って、最初に行ったなんばの近くの小さな居酒屋で、
あいつに二つのことを伝えた。

一つは、上に書いた、俺が何か心に引っかかっていた気持ち。

それを話しているときは、俺も酒が入っているのもあったけど、
ちょっと涙ぐんで話していたら、
ノアも同じ様に涙ぐんでいた。


もう一つは、
ヤツが、基本的に、
"Man of good heart"ということ。

彼は、非常にバカなことばかりするし、
頭に来る事も多いが、
それでも、心は、非常に良いものを持っていて、
人間として、絶対にこいつは大丈夫、
という安心感というものがある。

それを俺は、彼に伝えたかった。
"You are the man with a good heart."と。

すると彼は、俺に言う。

「俺たちが最初に会った頃に、
COSの裏のBear Trailを散歩した時を覚えているかい?」と。

俺たちはキャシーのパーティーで知り合ってから、
たまにノアがグレハンのバスに乗って、
サクラメントからウィードまで来て、
その夜はタケの家に泊まったりしながら、
俺と一緒に遊んだりしていた。



ある日、多分あれは、
初めて一緒にベアトレイルを歩いた時だと思うけど、
その時に、俺は彼に一枚の手紙を書いた。

内容は正直よく覚えていないけれど、
「この2日間、楽しかったよ。
ノアに会えて、本当に嬉しいよ」的な感じの内容だと思う。


彼は、その手紙にえらく感動したらしく、
時たま、それから数年経っても、
その手紙のことを触れることがあった。


そして、この夜。
ノアはまた言っていた。

「あれから10年経つけど、
未だに、俺は落ち込んだ時に、
あの手紙を取り出して、読む事もある。
あの手紙を読むと、
少なくとも、この世の中に一人は、
俺の事を素晴らしい人間だと思ってくれた人がいると思えて、
勇気をもらえるんだ」と。


まあ、ノアは口がうまいので、
ちょっと尾ひれが付いているかもしれませんが、
少なくとも、俺にはとても嬉しいことだった。

*****

当時の俺たちは、本当にナイーヴで、
(世間知らずで、騙され易いくらい純粋、という、"naive"という言葉が、俺たちにはピッタリだった)
今思うと、二人とも、
本当に純粋な若者だったんだと思う。



精神年齢が低かったというのもあると思うが、
そういうわけで、
俺とノアは、何だか似ているところがあって、
(ナイーブという点で)
お互いにムカつきあっているところがあった。

*****

とにかく、先週の夜は、ノアと久々に会えて、長い間話せて、
本当に楽しかった。

時間を忘れて、好き放題、色々とバカをやって話をするというのは、
学生時代殆どしていないから、
しかも、ああやって英語で、アメリカの文化のヤツと話をするというのも、
今では中々ないから、
そういう意味でも、久々に学生時代に戻った様だった。


*****

俺たちのInternational student advisorのキャシーは、
俺たちに早くMt. Shastaに戻って、
リユニオンをしようと言ってくれている。

早く、それを叶えられると良い。


2012/6/30 17:24







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My Life-人生 

June 22, 2012

Maroon_5-Overexposed-Frontal

さあ、やっと出ました。
先日(2日前)の6月20日に、日本では先行発売です。

俺はこのアルバムを、大分長い間楽しみにしていました。
そして、Amazonで前から予約をしておりました。

(今自分が住んでいる所には、近くにCD屋もなく、
かつ、iTunesで買うと、実際のモノが手に入らないので、
どうしてもアルバム自体が欲しかった。)

しかし、Amazonからは、いつまで経っても、
出荷の目処が付きません。
発売日であった一昨日、そして昨日と、
「まだかなあ、早く来ないかなあ」と、
ソワソワしながら、iTunesのプレビューだけを聴いて我慢していました。

自分の好きなアーティストのアルバムが売り出されているのに、
それが買えない、手に入らない、
というのは、イヤな心境です。

発売日から3日目の今朝、
6時頃メールをチェックすると、
「在庫の目処が付かないため、配達予想日は6日後から8日後」と、
当初の予定より一週間近く遅れるとのことです。

その場で、すぐにキャンセルをしました。

そして、今日、一番近いCD屋まで、
何とか行って来ました。

*****

さて、前置きはどうでもいいんですが、
彼らの4枚目のスタジオアルバムです。

Amazonのレビューなどを見ると、
結構、評価は高いみたいですね。

僕は正直、今回のアルバムはかなりポップなのですが、
まだ耳に馴染みません。

個人的には、3枚目の前作、
"Hands All Over"は大好きだったのに、
Amazonのレビューを見る限り、
凄く良いという人も多い反面、
ちっとも良く無い、なり、
一枚目と二枚目に比べると劣る、という人なり、
色々な意見があることに驚きました。

俺的には、三枚目のアルバムの完成度はかなり高いと思っており、
発売された2年後の今でも、
結構毎日の様に聴いても、全く飽きないアルバムだと思っています。

(1曲目の"Misery"から、5曲目の"Never Gonna Leave This Bed"までの流れは完璧だと思うし、
その後6曲目、7曲目と、全体のアルバムのシフトチェンジをして、
8曲目の"How"で聴かせた後に、
9曲目の"Get Back in My Life"から、11曲目の"Runaway"までちょっと捻って、
それで、12、13と来て、
14曲目の"No Curtail Call"で締めるところなんて、
最高だと思いますが。)

この曲がアルバムの中で一番好き。
"Never Gonna Leave This Bed"


*****

アーティストというのは、
必ずや、変化をして行くものです。

「私は前回のアルバムが好きだった。
今回のアルバムは、彼らの色と違う」

そう言って、そのバンドの新しいアルバムを卑下する人も多いですが、
そこは、アーティストの変化を、
如何に好きになれるか、
自分も受け入れて行けるかどうか、だと思います。

(まあ、自分もここ数年のBon Joviさんたちの変化には付いて行けないので、
人の事は言えませんが。)

*****

また、
新しいアルバムというのは、
全く聞き慣れない曲が15曲近く入っているものなので、
最初は、聴いていても、
全く変な感じがするというか、
違和感があります。

言ってみれば、
確実にそこに音楽は流れているんだけれど、
耳がその音に慣れていない為に、
記憶に残らない。

そんな感じです。

*****

今回のマルーン5のアルバムも、
そんな印象が非常に強く、
ポップで、音の作りも、
非常に軽くなっているので、
BGMとして聞き流せてしまうというか、
一回通して聴いただけでは、
余り、印象に残りませんでした。

唯一、一回だけ聴いて、
「あ、この曲の雰囲気好きだな」と感じたのは、
12曲目の、"Beautiful Goodbye"と、
14曲目の、"Wasted Years"でした。

(ウィキペディアによると、
"Wasted Years"は、元々一枚目の"Songs About Jane"のアルバムの中に、
入る予定だったものらしいです。
だから、一枚目のアルバムに近い雰囲気があるのね。
また、俺的にはこういう曲も沢山作って欲しいんだけどね。

Wikipediaより引用;
""Wasted Years", a song that was originally planned for their debut album, Songs About Jane, is featured as one of the bonus tracks on the deluxe edition. The song also features writing credits by Jesse Carmichael, who is currently on hiatus, and former drummer Ryan Dusick. The only previously available version of this song was a live performance at the Santa Barbara Bowl, released on the 2005 album Live – Friday the 13th.")

"Beautiful Goodbye"


"Wasted Years"



*****

ということで、
アルバム全体の雰囲気としては、
「2枚目のアルバムに近いなあ」という感じです。

2枚目は、個人的に音が綺麗に纏まりすぎていたので、
あまり好きではありませんが、
それと、ちょっと似ている感じもします。
(音の作りが纏まっていて非常にスッキリとした印象、という点では2枚目と似ていますが、メロディなどは、また、今までの3枚とも全く違う感じがします。)

でも、なんかちょっとひねった感じもあるというか、
なんか、エキゾティックな匂いもしつつ、
ウィスキーみたいな、クセもある、
そんなアルバムです。

1曲目の"One More Night"の始まり方は、
Alicia Keysの"The Element of Freedom"の一曲目、
"Love is Blind"に何となく雰囲気が似ています。
あの、うねった感じというか、
ちょっと、エキゾティックな感じが。)


*****


今夜を通して3回程聴いた感じでは、
余り印象に残らないこの曲たち。

さて、この「印象」も、
このまま聴き続けて行くと、
必ず変わってくるので、
自分の、その音楽に対する「変化」を観察することも、
音楽の楽しみ方の一つでもあります。




さあ、今から数日後、
数週間後には、
どうなって行くのでしょうか。

ただ一つ言えるのは、
一回目に聴いた印象が、余り良くなかったので、
きっと慣れれば、
凄くハマるんでしょうが。

(基本的に、最初に「なんかイヤだな」と思ったり、
「ちょっと変な曲ばっかだぜ」と思うアルバムほど、
聴き込んであるポイントを過ぎると、
もうそこから逃れられなくなる。)

Just for a note.

2012/6/22 22:36


******


追記:2012/6/26

既にかなりハマって来ました。
このアルバム。

一回目に聴いた時は、余り良いと思わなかったけど、
そういう曲こそ、一度ハマると、抜け出せなくなります。

アルバム一曲目のこれ。
かなり良いです。

"One More Night"


やはりアダムレヴィーンは、才能がありますな。




******


追記:2012/7/20

最近は、このアルバムの中の3曲目、
"Daylight"が好き。

歌詞は、

「朝が来たら、僕はここを去らなきゃいけない。
もう夜も遅いけど、眠らない様にしている。
この日が来ることは分かっていたけれど、
こんなに早く来るなんて。
君をこうして眺めることが、
いずれ思い出になってしまうことが、嫌なんだ」

という感じの内容。
要するに、シャ乱Qの
「君が先に眠るまで もったいなから起きてる」
系の歌ですな。
ちょっと違うけど。



この歌詞は、
2008年の2月の頭、
彼女が、アメリカから日本に帰る日の前の晩の自分の心情に凄く似ているので、
(自分が去らなければいけない、というこの曲とは、立場がちがうけれど)
この歌詞の状況と心情を頭で理解しながら聴くと、
非常に切なくて悲しい曲なんだなあ、
と胸に来るものがある。











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 Maroon 5 | 音楽 Review

June 20, 2012

今はiTunesのおかげで、
世界中のラジオがタダで聴ける。

普段はJazz Radioチャンネルで、
ジャズばっかり聴いてるけど、
今日は気分を変えてニュースチャンネルを聴いてみた。

アメリカにいた頃に聴いていたNPR(National Public Radio)も聴ける。
24時間ニュースを流しているので、
英語を勉強したい人は、これをずっと家で流していれば良い。

これを聴いていると、
2005年、自分が21歳の頃、
なるべくNPRを聴いて、Wall street journalを読んでいた頃を思い出す。
ロングビーチに移って、
最初に住んだ家(Liの両親の家)を思い出す。

CSULBから車を運転して帰って来て、
夕暮れから夜にかけての、
空の感じを思い出す。
自分の部屋にいた時の事を思い出す。
Tにもらった、IKEAの黒い机の様子とか、
座っていたピンクのデかいエクササイズボールを思い出す。

10月頃、段々と夜は空気が冷たくなって来た頃の、
あの空気の感じを思い出す。

*****

当時は、正直言って、
いくらWSJを毎朝読もうが、
NPRを毎日聴こうが、
政治や経済などは、何の事を話しているか、
殆ど分かっていなかった。

逆に、それから7年が経った今は、
政治や経済に対する知識も当時より深まっているせいか、
こうしてNPRを聴いても、何を言っているか良く分かる。

逆に、今でも、日本語でも良く知らないニュースは、
やはり何を言っているのか、分からないこともある。

いつか、落合信彦の本で、
「日本語で『白鯨』が読めないヤツは、
英語でも読めない」と言っていたが、
まさにそうだな、と思う。

日本語で、しっかりとしたその知識の基盤があれば、
英語でそれと同じ事を、いくら難しい単語を使っていようが、
必ず分かるもので。

*****

結局は、何かに関して話をしたり、
または、話を聴く時に、
その「言語」というものは、
ある程度の基礎さえ分かっていれば、
後は、言語の問題ではなくて、
「その話」が、そもそも自分の母国語でもできるかどうか、
ということにかかってくると思う。


*****

俺が留学をして1年目、
COSでアートのクラスを取っていたとき、
そのクラスにいたLauraという女性がいた。
その人はNY出身の人で、
年齢は多分27歳前後だったと思う。

よく彼女と授業が終わった後に話をしていたりしたんだけれど、
Lauraとは、色んな話ができた。
アートの話は元より、
そのCOSがある地域に住む人々の話とか、
(やはり田舎であったので、人々の考えも内向的であったことなど)
色んな話をした。


たまに不思議に思うのは、
ローラとその話をした当時、
俺の英語力は大したことなかったはずだけれど、
結局は、俺が言いたかった事は全部相手に伝わっていたし、
かつ、ローラが言っていたことも、
全部俺は分かっていた、ということ。
(もちろん、言い回しが分からないものに関しては、分かり易く言い変えてもらったり、または、ローラも、俺が分かり易い様な簡単な英語を使っていたとは思うが。)



同じく、アートのクラスにいたVentureという女の子もいた。
その子とも、結構色んな話をした。
(女の子なのに坊主にしたりして、非常に好奇心旺盛の、変わった女の子だった。
日本人では決していないタイプ。
アメリカでは、彼女のように、常に笑顔で、かつ、何にでも興味を持ち、すごくそれでいて自然な人たちが沢山いた。)

そのヴェンチャーとも、
学校が始まって最初のクラスで知り合ったんだけど、
ベンチャーに誘ってもらって彼女の友達が集まる、
ヒッピーのような人たちの食事会に行ったり、
そこで、みんなでたき火の前で手をつないで、
夜空に広がる星空を見上げながら、
それぞれが感謝の気持ちを言ったりと、
そんなことをした。
(今思うと、確かにそういうことを経験していたんだけれど、今の生活や人々、文化と余りにもかけ離れているので、まるで何か夢の世界のように感じる。)

*****

大分話がずれてきたけど、
そんな風に、
例え、その言語がうまくなくても、
基本的な単語さえ押さえておけば、
後は、それを「話したい」という心さえあれば、
相手に言いたい事は伝わるし、
かつ、相手の言っている事も、分かるもので。


*****


今から10年前、
俺が18歳の頃には、
日本から離れた、アメリカのマウントシャスタという山奥の町の、
どこかのヒッピーの人たちの家で、
たき火を囲んで、みんなで手をつないで、
感謝の気持ちを表し、
お互いに、"Thank you"と言い合っていた、

そんな自分がいた事を思うと、
人生って、本当に不思議だなあ、と思う。


本当に、色んなAspectsがある。
人生というのは。

だから、素晴らしいと思う。

2012/6/20 20:57






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College Life-大学 | Thoughts-思ったこと

June 17, 2012























Aerosmithの「Behind The Music」.
留学一年目に、
COSの寮の部屋で、
隣でコークとピッザを食べるロイの横で、
少しだけ見た記憶がある。

なぜか完全な英語版はないので、
このスパニッシュ版を見る。
(どこかに英語版があったら誰か教えて下さい。)
バンドメンバーのインタビュー以外はすべてスパニッシュなので、
スペイン語圏に留学しているような気分になってくるが、
ようく集中していると、大体何を言っているかが分かる。
(スペイン語の字幕も付いているし、一つ一つの単語は結構英語と似ていたりするので。)

俺はエアロスミスが好きだから、
こういう番組は何回見ても飽きないし、
この番組の内容を理解するために、スパニッシュを勉強してやろうかとも思う。
結局、語学を勉強する動機なんていうのは、そんなもんなんです。

*****

このビデオを全部見ると、彼らがどれだけの歴史を歩んで来たかが良く分かる。
今までもエアロスミスの大ファンだったけれど、
ますますファンになってしまいました。

(途中で、ジョーペリーが抜けた後、
バンドがメチャクチャになった様や、
スティーブンタイラーがドラッグにハマりすぎて、
ショーの間に倒れたことや、
もう、死ぬ直前だった事なんかも、
そこまでは知らなかったので、衝撃を受けた。
それを全部理解した上で、
彼の書いた"Amazing"を聴くと、
本当に心に迫るものがあります。)

*****

本当に、あと15年は元気に活動して欲しいです。
今はもうみんな64歳とかなので、
15年後は79歳ですが、
それまで、頑張って欲しい。
(ちなみに、今でもバンドの中で一番若いスティーブンタイラーが、実は一番年長の64歳。
最近痩けすぎて、先が怖いトム・ハミルトンは、まだ一番若い60歳。そんな意味でもスティーブンタイラーは本当に凄いと思う。)

彼らの存在は、俺の生きるエネルギーの一つです。


2012/6/17 23:23









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 Aerosmith | 音楽 Review








This is very interesting speech. He talks about not only how we start to use certain words, but also how mass media affects what we talk about and what we focus on in our daily lives. (How his son start to say a word "water" properly from "gaga" was something.) BTW, this was in TED conference and was held in Long Beach, CA. You got to pay $7500 to get in, so thank God we can see it online.

非常に興味深いスピーチ。彼の息子がどのように『水』という単語を話し出すか、また、どうやって私たちが、ある「単語」を話し出すかの分析も興味深いが、更には、マスメディアがどのように私たちの興味の方向性を決め、何を話題にするかに大きく影響するかに関しても、ビジュアル化している。ロングビーチで開かれたTEDの様子。会費は7500ドル。

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TV Review 

June 16, 2012

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2009年2月初版発行の本。

題名は「お金の授業」と銘打たれているが、
中身は、決算書(損益計算書、P/L)の読み方を、
超分かり易く書いたもの。

ブロックの図を書くことで、
自分個人の収入と支出、貯金、投資のバランスから、
会社の経営、
国の財政までもが、
一目で分かりますよ、というもの。

*****

彼がこの本を通して言いたいこと、
そして、俺が会計や金融、経済を学ぶ欲の最大の理由が、
とても的確に書かれていた。


「個人の眼だけでなく「会社」「日本」「世の中」「世界」という眼も持っていなければ、僕たちの人生は翻弄される。
でも、僕たちは、今までの人生の中で、それを教えてもらう機会はなかった。
だからこそ、僕はこの授業を通して、あなたに「”お金の流れ”全体を俯瞰する力」を身につけてもらいたいと思っているのです。」


彼は言う。
「全体像を掴んでいる人が、世の中のルールを作る」と。

他人が作った仕組みに乗ることは、一番簡単だが、
逆に、一番自分に取ってメリットが少ない場合が少なく無い。
(例えば、フランチャイズ系列のビジネスに参加することなど。)

だからこそ、自ら仕組みを作り出さなくとも、
その仕組みを作った者が、どのような考えでそれを行っているのか、
その絡繰りを知って、その人の視点で物事が見れる様になっておけば、
いざという時に、予め備えておけますよ、と。

*****

また彼は、
「ミクロとマクロの視点」
「時間軸の視点」
の二つの視点を同時に操り、
自らの人生を俯瞰して眺めることを推奨する。


「ミクロとマクロの視点」に関しては、
自分の給料のことだけではなく、
自分の会社のこと、
自分が所属する日本のこと、
日本が所属する世界のこと、と、
より大きな視点で物事を見ることもできれば、
きちんと自分の仕事の細部にまでも目が行き届いて、
実行が伴っている人になれる。

(ミクロばかりだと、視野が狭く、
自分のことしか考えられない人間になるし、
また、マクロばかりで実行が伴わないと、
ただの理想論者に成り下がり、
社会から必要とされなくなり、孤立してしまう。)


また、「時間軸の視点」に関しては、
常に先を読み、逆算をして行く事で、
確実に、自分の遂行したい物事を、
こなして行ける人間となることができる。


(彼はここで、「もうダメだ!」「自分にはムリ!」と思う時は、
大抵、長いスパンで考える事を忘れてしまっている、と説く。

また、「自分の脳に”不可能”という栓を自らハメてしまっている」ことも、
自分の能力を下げる原因の一つである、とも説く。

そういう時には、
長期のスパンで物事を考えたり、
視野が狭くなっていないか、自らを客観的に見直したり、

または、「何とかなるさ」「これはどうしたらうまく行くんだろう。分からなければ、上司や先輩に聞いてみよう」と試す事で、その栓が取れることを薦めている。


*****


彼は言う。
「豊かで充実した人生を送るには、人のマネをすることが一番の近道だ」と。

果たしてそれは、
その人の定義する「豊かで充実した人生」によるだろうが、
しかし、
「人のマネをする」ということに関しては、
真実が大きい。

道は人に聞くのが一番早いし、
知識だって、人に聞いたり、
または、本を読んで、先人の知恵を借りる方が、
確実に早い。


*****


以上、こういう精神論は本の最後にあるだけで、
基本は損益計算書の読み方の本。

非常にシンプルに書いてあるので、
初心者にお勧め。


2012/6/16 20:46


この人が著者のワニさん。




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本 Review |  金融・会計・投資
M03402255-01

非常に怪しいタイトルです。
表紙も怪しいし、副題も怪し過ぎます。

(副題は「禁断の自己改造プログラム」。
実際に本の中で話している内容は、全然禁断じゃないし、至って普通のことなんだけど。)

余りに怪し過ぎて、何かいけない本を借りて来てしまったのではと、図書館の帰り道に思いました。
会社の食堂で読んでいる際にも、周りの人に表紙を見られない様に無意識に行動している自分がいました。


この人の本は、本当に面白いのに、
毎回、本の表紙が最悪だったり、
帯のフレーズが変だったり、
彼自身の怪しいプロフィール写真を出して来たりと、
わざと、世間から「怪しい人」として見られる様な事を、楽しんでやっているとしか思えません。

そして、俺はこの人の本ばかり最近読んでいるので、妻に非常に心配されています。

*****

さて、とても面白い本でした。
初版は2007年7月。
彼が毎回、色々な本で言っていることと、ほぼ同じ事が書いてあります。
それでも、こうして彼の本を読み続ける自分も、完全に彼にハマっているわけですが。

*****

この本での大きなテーマは二つ。

 峪詭遒鮃げる事」
◆崟茲鯑匹犹」

それだけです。


,痢峪詭遒鮃げる事」に関しては、
彼がいつも使う、「抽象度を上げる」の方法で説明が成されます。

この本の中では、「2次元人から5次元人へ」との表記がありました。

いわく、
普段、目の前のことしか考えていない人を、「2次元人」とするならば、

視点を、空の高さまで持って行き、
自分のことを、空の上の方から見下ろす様な形で、物事を見られる人、
つまり、2次元に高さを加えた状態を、「3次元人」とします。

(これを応用すると、普段俺が仕事をしているオフィスの中でも、
そのフロアにいる全員の行動を考え、また、同じ会社にいる社員全員の仕事ぶりを考え、
同時に、日本の別の場所では、自分の妻が別の場所で働き、友達が別の場所で働き、自分の家族が別の場所で暮らしている様子を、イメージで考える。
そうすると、自然と、「目の前のことしか見えていなかった、視野の狭い自分」から、「全体像が見渡せる、視野の広い自分」へと変われる。
これは、自分の心理的部分にもよると思うが、そう、「自分は視野を広く、物事が見える」と考える事で、常に自分自身をも、客観的に見れることへと繋がる。
その結果、仕事の効率がアップする。最近はこれを試して、実際に効果を感じられる。)

3次元の次は、4次元。
これは、3次元の考えに、更に、「時間の概念」を足したもの。
「今」だけではなく、「50年前」「100年後」など、
自分がそれをリアルに感じられる範囲で、時間も前後に考える。
それで更に視野が広まる。

そして最後は、その概念を宇宙まで広げて行き、時間の感覚をも超越すること。
それが、5次元人だという。
(俺はまだ、3次元までしか応用できていません。)

*****

この本の中で苫米地氏は、
「内部表現を書き換える事が、自分を変える一番の手段」と言う。

「内部表現を書き換える」と言うと、
なんか怪しく聴こえるが、
要するに、「引き寄せの法則」と同じこと。

「こうありたい」
「こんな自分でいたい」
と考える事で、それが引き寄せられる。

「思考は現実化する」
それと一緒。

自分の中にある、「自分はこういう人間」という書き込みを、
自らが望む状態に書き換えるだけで、
自分は、その通りに変化して行く。

例えば仕事をする中で、
上に挙げた様に、「自分は周りの事も見渡せ、自分の会社を経営者の視点で見られる、視野が広い人間」と考えて行動すれば、
そうなって行くし、
逆に、「俺は全然仕事ができない。ミスばっかりする。話もへたくそだし、全然だめだ」なんて考えていたら、
本当にそういうパフォーマンスしか出来なくなるわけで。

(これは、一つ前に書いた「バイリンガルは二重人格」の本にもあったけど、
「自分は英語が喋れる人間である」と自ら強く思うだけで、ある程度の基礎さえあれば、普通にバリバリと英語が喋れる様になる。
逆に、いくら英語が喋れても、「俺はダメだ、全然英語が話せない」と思うだけで、全く話せなくなる。
これは、俺もよく経験した。)

*****


そして、二つ目のテーマ。
◆崟茲鯑匹犹」。

これに関しては、「自由意志」(Free will)の話になってくる。

自分がこうなりたい、と思う自分像、
または、こうしたい、と思う結果を考える。

そしてその時に、
それが失敗して、なりたい自分になれなかった自分、
また、
したいように出来なかった自分の姿も、
リアルに、臨場感を持って頭の中に描く。

そうすることで、
「実際に起こりうるであろう、二極の面」、
つまり、起こりうるすべての状態を自分で把握したところで、

そこで最初に戻り、自分が本当に望む方の自分、
及び、選択肢を選び、
実際にそれを行っていく。

すると、「すべての選択肢の中から自分で”それ”を選んでいる」、
つまり、「自らの自由意志により、自分でそれを選んでいる」
という実感が持て、
それにより、何よりも幸せを感じる事ができる、というもの。

また、これが習慣化すると、
自分が本当にやりたいことや、気持ちいい事がどんどん分かって来る、と。
「Winner takes all」の概念。
そこにあり得る選択肢をすべて理解しながら、その上で、
自分が一番望む道を、自らの意思で選んで進んで行くので、
そこには、よりリアルな「生きる喜び」が感じられる、とのこと。

これは、俺も感覚的に良く分かる。

*****

本の後半では、
ゲーデルの不完全性定理が出てきたり、
経済学の話が出て来たりと、
どんどんぶっ飛んで行き、
収集が付かない様な状況に陥るが、
最後はいつもの様にうまく纏めている。

*****

彼が大好きな、自分の学歴を随所随所でちらりと自慢する傾向も多々見られ、
そういうところが突っ込みどころ満載だが、
とても面白い本だと思います。

2012/6/16 15:44

shunsukesekine at 15:46コメント(0)トラックバック(0) 
 苫米地英人 | 本 Review
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非常に面白い本だった。

「英語」というものを話す際において、本質となることを、うまく指摘している。

2010年12月発行の本。
本が出てすぐに買っておいたが、読まずに今まで置いていた。
昨日読み出して、一気に読み終えた。


*****

この本の中で、
「長期記憶に関しては、それが英語だったか日本語だったかは関係ない」というくだりが出て来る。

これは非常に言えている事で、
実際に、留学中にも、「あれ?昔誰かと話したあのアイディアは、日本語で考えてたんだっけ?英語で話してたんだっけ?」と、混乱することが結構あった。

英語を話す際には、英語モードに、
日本語を話す際には、日本語モードになるのだが、
その状態が書かれていたので、「そうそう」と頷けた。

*****

上の話は、この本のテーマとは余り関係がないけれど、
ちなみにこの本のテーマというのは、

「『英語』を話す際には、一番大事なのは、
その『英語』というものに含まれる『文化』を理解することですよ。
決して、発音の綺麗さや流暢さが、英語を話す際に必要なことではありません。
ヘタクソな発音や訛りのある発音でも、その人の話している文章の内容に、知識と教養が見えるものであれば、英語ネイティブの相手は、あなたに一目置きます。

その『英語文化』にドップリ浸かる方法は、完全に英語だけの世界に浸かる事を繰り返す事により、『英語を使う状況に対して、いかにリアルな臨場感を持てるかどうか』ということです。

最終的には、英語を話す際には、『英語を話す文化』を理解した自分が存在し、その『自分』と、『日本語を話す自分=日本語文化の中の自分』とは、異なる別の『自分』が存在する事になり、それが、『バイリンガルは二重人格』という所以です。」

ということ。

*****

p.89に、この様な記述がある。

「英語で十分なコミュニケーションをとるためには、英語圏の文化の根本を理解することが必要。そもそも、日本人の主張はこうだ、アメリカ人の考えはこうだと言い合うだけでは、いつまで経っても相互理解は生まれない。
互いに理解し合う為に、何が必要か。まずは、互いの文化を知ること。その上で、互いに主張する論点よりも抽象度の高いところに立って、問題を話し合う必要がある。」

これは正に、俺が大学のコミュニケーション・スタディーズ(Comm Studies: Interpersonal and Organizational Communication)の授業で学んできたことの本質だった。
なので、それがずばり指摘されていて嬉しい。


p.90:
「交渉ごとというのはおしなべて、相手に対する理解が深い人の方が、有利に事を運べるものです。
なぜかと言えば、そういう人は高い抽象度で物事を考えることができるからです。その結果、相手が信頼を寄せて来るからです。相手と簡単に、ラポールを生み出す事ができるということです。」
(*「ラポール」とは、「相手と打ち解けて、お互いに信頼し合い、安心して自由な感情の交流が生まれる関係」のこと。)


この点も、実際に普段仕事をしていて感じる。

先日、仕事の関係で通訳を行った際に、
自分は会議室の真ん中の席に座り、
左サイドにはイギリス人2人、
右サイドには、日本人4人が座り、
その中間で、自分がお互いの意見を訳して、話し合いを進めて行った。

その際に感じた事は、
自分は、双方(英語と日本語)の言う事が理解できるが、
それぞれの人たちは、相手の言語(英語、または日本語)が理解できない為に、
相手の言っていることへの理解に時間を要したり、

(これは、俺が訳しているのを待つ時間然り、
又は、純粋に、文化の違いによる相手の話し方による、お互いのリアクションにもよる。
英語文化人は、日本人に比べて、一方的にわあっと喋るように見られる。逆に、日本人は相手が良い終えるのをジックリ待つので、相手には押しが弱い、と取られる事もある。)

または、自分の言語での考え方しか分からなく、
相手の言語の文化を知らない為に、
その状況でその人が言った事を、そのままダイレクトに訳してしまうと、
実際にもう一方の相手にその言葉が伝わる時点で、
その人が本当に伝えようとしていることと、
実際に伝わった内容に、
少なからず差が生じてしまう、ということを感じた。


実際の例を挙げると、

話の最後の部分で、ある話題の取り決めが行われるクロージングの部分で、
右サイドの日本人側が、相手に対して、ある条件を持ち出した。

しかし、彼が言った通り、
何のクッションもなく、その条件だけをそのまま伝えては、
相手には、「押しが強い」と見られ、余りいい印象を持たれないことが目に見えていた。
(実際は、日本サイドの方が、相手サイドよりモノを買う方なので、日本サイドの方が立場が強いからこそ、それだけの強い主張をしていた、ということも背景にはあるのだが。)

そこで俺がしたことは、
一度、相手サイド(イギリス側)に伝える際に、
「まずあなたたちに知っておいて頂きたい事は、私たちは、あなたたちをベストパートナーとして考えたいということです。私たちは、あなたたちの努力を高く感謝します。私たちの真の目的は、お互いがWin-win situationになることです。その上で、この条件を持ち出します・・・」

と、切り出したこと。

それにより、それまで緊張していた相手側も、雰囲気が和み、
「私たちも、そのように考えます。それならば、このような条件を足しては如何でしょう?」と、日本側の条件を飲むと同時に、更に日本側にとってベターになる他の条件も付け加えてくれた。

*****


これが起きたのは、
下の二つの理由が挙げられると思う。

1、自分が、第三者として、双方の話を一歩引いたところで聞いていたので、お互いの感情を通り越したところで話を捉え、全体像を見渡すことがでいた。結果、お互いにとってプラスになるように話を持って行く事ができた。

2、自分が、お互いの文化(日本語文化、英語文化)を理解していたので、日本語文化から発されたメッセージを、英語文化へ伝える前に、英語文化の交渉において重要とされる、「私たちはあなたたちを理解していますよ。あなたたちの気持ちがよく分かります。その上で、お互いにとって有益となる話をしようじゃありませんか。私たちの究極の目的は、私たち全員がハッピーになることです」というメッセージを頭に入れる事で、物事がうまく進んだ。



上に挙げた著者の主張で、
「英語で十分なコミュニケーションをとるためには、英語圏の文化の根本を理解することが必要」ということと、
「交渉ごとというのは、相手に対する理解が深い人の方が、有利に事を運べるもの」
ということがあったが、

それは正に、
俺がアメリカ留学時代に学校で習った事と、
かつ、俺が留学時代の生活の中や、今の仕事の中で体験していることだったので、その箇所を読んで、「まさにそうだな」と頷けた。


*****


ちなみに、一つ前のエントリーでも書いた日本政府に対する怒りだけれども、これもすべて、

「政府が日本という島国の中で、日本語でしか物事を考えないから」(p.151)であり、
「日本人が日本という村社会の中で、日本語だけを使って、世界を眺めているから」(p.148)

こそ、感じること。

「日本語でしか物事を考えない」ということは、「日本文化の考え方でしか、世界を見れないこと」であり、
日本はそれに更に追い打ちをかけるように、「島国」という、物理的に周りを他の国と隔離された状態に陥らされている。

だからこそ、日本の政治、及びマスコミは、「日本的村社会」の、狭い視野でしか、物事を考えないし、それが変わって行かないのである。

(これはちなみに、アメリカに対しても言えること。アメリカは、色々な人種が混じり合い、他の国からも移民がどんどん増えている点では、日本とは違って、視野がその分広くなる状況にある、と言えるが、
しかしその「アメリカ」も大きな島国の様なものなので、やはり「アメリカ人」は、ヨーロッパなどに行くと、「世界の田舎もの」とバカにされる傾向にある。

その点、ヨーロッパは、様々な国がいくつも同時に隣接しているため、そういった、「物理的環境によりもたらされる視野の狭さ」というものは感じなかった。俺が2004年に実際に訪れた際には。

ちなみに日本は、世界から見ると、「一人、世界の最東端に、日本独自の世界を築き上げているミステリアスな国」という、変なイメージが一部の人からはある。
まあ、日本の外交のやり方は、「田舎者」とバカにされるか、または、相手にもされていないかもしれないけれど。)

*****


本のまとめとして、
苫米地氏はこう書いている。

「国連の会議では、英語の他にフランス語、スペイン語などが使われているが、それでも世界が英語を事実上の世界標準語として認める時代になっている。
それは、英語が理解できた瞬間に、世界192ヵ国のことがすべて分かる時代になったということ。
その証拠に、いまやイラクやイスラエルの新聞が、iPadで英語で読めるようになっている。
英語が分かれば、世界192カ国が今何を考え、何を問題にし、どのような議論に沸き、どのように手段を尽くそうとしているのか、リアルタイムかつ臨場感を保って理解可能な時代になり始めている。

日本人だけに通じる、堂々巡りの思考回路から、そろそろ自分を解放する事を考えるべきである。
それが出来た人は、たとえ日本の経済も政治も三流になったとしても、外国人から頼りにされ、尊敬もされ、海外のどこに行っても通用する存在になれるだろう」と。


結局、大前研一氏や柳井正氏が「この国を出よ」で言っていることも、落合信彦氏が幾つもの著作で言っている事も、これと同じ事なのである。
チャンチャン。


2012/6/16 10:08am




追記:

彼はこの本の中で、「英語文化」「英語脳」「ネイティブで英語を使う人間の考え方」を学ぶ最適の方法は、英語の古典を読む事だ、と言う。
これは、まさに俺も賛成。



また、もう一つ付け加えると、
苫米地氏は、
「その人の話し方、つまり、その人の言語現象は、本人の前頭葉(前頭前野)の情報の質がどれほどのものか、包み隠さず表してしまう」という。


コミュニケーションにおいて一番重要なことは、
ラポール(相手と打ち解け、お互いに信頼し合い、安心して自由な感情の交流を生まれる関係)を作り出すことであり、

その最も簡単な方法は、
「自分が信頼に足る人間か、相手にとっていかにメリットのあるいい人間か」を伝えることである、と。

その場合、相手にとって「いい人」であるかどうかは、「よりよい機能を果たしてくれるかどうか」にかかっている。

そしてそれは、その人の言語運用能力によって、相手にすぐに伝わってしまう。
なぜなら、言語能力は、その人の前頭前野の質をものの見事に表すから、と。



そんなわけで、日本人ビジネスマンが、アメリカの本社を訪れた際に、
例え発音が流暢でネイティブ並みでも、
相手に向かって”What’s up?”と言った時点で、
「こいつはバカか」となるわけで。

それよりも、いかにへたくそな日本語訛りの英語でも、
“Hello, how are you?”と言った方が、相手は、
「この人は、きちんと話の出来る人だ」となる。

そんな風に、
常に、時と場所と相手により、
きちんと話の中身を変えられる、
いかなり状況でも、応用の効く人間でありたいと思う。






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 苫米地英人 | 本 Review
本のレビューを書こうとしてパソコンを立ち上げたが、
ニュースで、昨夜遅く、消費増税の法案に、民主、自民、公明三党の実務者が署名したニュースを見て、行き場のない怒りを感じてしょうがない。

内容は以下の通り。

「民主、自民、公明三党による社会保障と税の一体改革の修正協議は十五日深夜、決着した。三党の実務者が確認書に署名した。関連法案が成立すれば、消費税率は二〇一四年四月に8%、一五年十月に10%に二段階で引き上げられ、民、自、公の増税容認三党による消費税増税が現実のものとなった。低所得の高齢者への年金加算案は撤回して、代わりに月額五千円を基準に給付金を支給し、消費税率を8%に引き上げるまでに法制化することで合意した。」(東京新聞 2012年6月16日 07時15分の記事。)


そもそも、今回消費税を上げて、そこで得たお金をどのように使うのか、その細部の説明が一切無く、
勝手に、「消費税を上げる事」だけを政府は発表し、マスコミもそれに加担するかの様に、その報道だけをしている。

そもそも、「国の借金は1000億を超えた」「日本のGDPの2倍だ」「これをどうにかしなければ、日本は潰れる」「その為には、消費税を上げて、何とかしよう」との論理で物事が話されているが、
その「国の借金」の殆どは国債であり、国債は日本国民が買っている。
日本国民に日本政府が借金をしているのに、更にその国民から増税により更なるお金を吸い上げ、それを国民から借りている借金に充てる、という矛盾した理論で話がされている。

野田総理は、「自らの政治生命をかけて増税案を通す」と、バカの一つ覚えの様にしか発言をしないが、そもそも貴方の政治生命自体大した価値は無いし、自らの利権しか考えていないだろう、と言いたいし、そのような姿勢が、どの議員にも見え見えである。


俺が何より憤りを感じるのは、

・日本の政治は、主役である国民が、その動きに全く介入できない状態にあること。
・「日本の国民」の代表として、この国を良くする為に存在する政治家が、自分たちの存在意義を勘違いして、自分たちの利益ばかりだけを考え、日本の国民のお金を勝手に使っている事。
・日本のマスコミも、結局は政府に踊らされて、ただ単に政府の発表したことを「ただ伝える」だけに終わっていること。


何か、明らかに間違っている事が目の前で起こっているのに、
それに対して自分がなす術が無く、
勝手に、一部の人間だけの、自分勝手な考えにより、その人間だけの利益の追求に(つまり、”正しい事”が行われずに)、物事が進められて行く事。
これほど、行き場の無い怒りを感じる事は無い。


それと、日経新聞の記事では、
「首相は消費増税の実現へひるむな」(2012/6/16付)というタイトルと共に、
「社会保障と税の一体改革の関連法案の修正を巡り、民主、自民、公明3党が基本合意した。財政の健全化へ踏み出す第一歩として歓迎したい。あとは野田佳彦首相が民主党内の反対にひるむことなく採決へ突き進む気概があるかどうかだ。」
との記事が堂々と記載されていますが、
そもそも、

・誰が書いた記事なのか?(記者名の名前が記されていない)
・日経新聞の発行者たちは、全員この意見なのか?
・「社説」のスペースを、まるで国民全員が「増税に賛成している」かの様に使っていないか?

と、色々と疑問点が出て来る。


2012/6/16 8:50am



shunsukesekine at 14:30コメント(0)トラックバック(0) 
News Review 
2002, MTV Iconの際のエアロスミスの授賞式と、
何名ものアーティストによるトリビュートの演奏の様子。












(シャキーラのパフォーマンスが最高)






パート4の中で、メタリカが出て来るんだけれど、
その中で、3人とも、
嬉しそうにスピーチをする。

1人(ドラムのラーズ・ウルリッヒ)は、
自分の親友が病院でエイズの為に命を落とす前に、
その友達の大ファンであったスティーブンタイラーに、彼に電話をしてやってくれないかと話したら、
すぐに電話をかけて励ましてくれ、
それから、彼が亡くなるまでの2週間の間、
頻繁に電話を彼にかけてくれた、という話をする。
(彼は、緊張しているからと言って、
予め書いて来たメモを取り出す。"It's all from the heart."と言いながら。
彼はメモを読みながら、泣きそうになっていて、
何度も彼らに、「人間として尊敬しています」と伝えて、
お辞儀をする。その様子がとても胸を打つ。)

バンドの真ん中の彼(ジェイムズ・ヘットフィールド)は、
自分が小さい頃、
部屋の中でエアロスミスのアルバムを聴いて、
周りの住民みんなに聴こえる様に、
ボリュームを最大まで上げていたときの事が、
眼をつぶると昨日のことのように思い出せるよ、
と話す。
(彼がヴォーカルとギターの両方をやる様になったのは、
スティーブンタイラーとジョーペリーが二人で唄うポスターを部屋に飾っていて、
どっちがよりカッコいいか決めかねて、
結果、両方やるようになったんだ、と言う。)

その彼は、
アルバムのある曲の中で、
誰かがドアを開けてスタジオに入って来るところの音が残されているんだよ、
と嬉しそうに話したり、と、

みんな凄いファンなんだなあ、と思うと同時に、
メタリカって、みんなピュアで良い人たちなんだな、
と初めて気づいた。
(ヘヴィメタをやっているので、悪い奴らかと思っていた。完全に勝手な偏見。笑)

*****

インタビューの中で、ブラッドウィットフォードが言っています。

「その昔、自分が子供の頃、
ローリングストーンズとか、レッドツェッペリンとか、
凄いバンドになりたい、って憧れていたけど、
やっと、その「凄いバンド」の一つに入れたのかな、と思うと、
感動する」と。

ジョーペリーも、
「2001年のスーパーボウルのハーフタイムのショーの際に、
そこにいる何十万人の観客を見て、
その昔、自分たちがボストンの汚いアパートで活動をしていた時の事を思い出すと、
不思議な感じがする」と。



俺は、自分が物心ついた頃には、
既に彼らはかなり有名になっていて、
俺が彼らの曲を聞き出したのも、
1998年と、今から14年くらい前、
つまり彼らは既に40代後半だったので、
「エアロスミス=有名なバンド」
というイメージがあったけど、

このドキュメンタリーを見ると、
色々とトラブルを抱えながらも、
今までやって来たんだな、と感慨深くなる。

同時に、この時点で、
「30年やって来れて、凄いと思う」と言っていたが、
それから更に10年がたった今、
まだ彼らは活動をしていて、
まさに40年のバンド人生を送っていて、
本当に凄いなと思う。


2012/6/16 12:42



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 Aerosmith | 音楽 Review

June 15, 2012

Aerosmith-The_Making_Of_Pump


Aerosmithのアルバム、
"Pump"のメイキングとドキュメンタリー映像。

殆ど、彼らの有りのままの姿を描いている。


俺がこのDVDを買ったのは、2002年の6月、
留学する一ヶ月前くらいだった。
その時は、正直、5人が何を言っているのか、
全く分からなかった。
(輸入版を買ったので、日本語字幕が付いていない。)

でも、その時は雰囲気で見ていた。

*****

それから10年が経ち、
久しぶりにまた観てみた。
今ではもちろん、彼らの言っていることは全部分かるが、
たまにスラングが飛び交いまくり、
何の話をしているかは分かるものの、
「へえ、そんな言い回しするんだ」というのも沢山出て来る。
特にSteven Tylerの口は相当悪い。

*****

俺の思い出は置いておいて、

非常に良いドキュメンタリーだと思う。

彼らが42歳前後の頃の様子、
1989年、バンクーバーのスタジオに籠り、
5人で喧嘩をし合いながら、丹念に作り込んだ汗と結晶の様子が、
ありありと伝わって来る。

*****

この映像を観ていて思うのは、
エアロスミスという5人は、
一つのアルバムを作るにも、相当のエネルギーを必要とするだろう、
ということ。

俺が好きなもう一つのアーティスト、
レニークラヴィッツの場合は、
彼は基本的に一人で音楽を作っているから、
そういう、「他人との葛藤、やり合い」は、
アルバムを作るにおいて無いと思う。
あくまで、「自分の日記」というか、
パーソナルな世界なんだと思う。


しかしエアロスミスの場合には、
5人がスタジオに入り、
デモテープを回しながら、適当に楽器を鳴らして、
そこから生まれて来た音をインスピレーションにして、
曲を一つずつ作って行くらしいから、
相当のエネルギーと労力がいる。

(言わば、アウトラインも何も決まっていないモノを、
5人でああでもないこうでもないと言いながら作り上げ、
それが、最終的には、プロデューサーの一言、
「良い曲だけど、売れないだろうからアルバムに入れない」
で、自分たちが作り上げた曲がおじゃんにされる。
そのことを考えると、居た堪れなくなる。)

実際に、このビデオの中で、
トムハミルトンやジョーペリーなどは言っている。

「それまで5人で何時間もかけて作った、
言わば自分たちの子供の様な一曲が、
プロデューサーの『ダメだ』の一言で、
没にされる。
その瞬間は、胸が引き裂かれる様な思いだよ。
大体、アルバムを作り終える頃には、
俺はブルース・フェアバーン(プロデューサーの名前)を憎んでいるんだ。
でも、アルバムが出てから3、4ヶ月もすると、
その怒りもどこかに消えて、
また彼に会いたいと思うんだよ」と。

*****

このビデオを見ると、また、
彼らの人間関係も見えてくる。


5人の内、
「ジョーイクレイマー←スティーブンタイラー←ジョーペリー」
の順で、力関係がある。

ジョーイが一番力が無く、
(スティーブンにいつも言い負かされ、煽てられ、コントロールされる)
そのスティーブンにも、
ジョーペリーは、自分勝手に文句を言う。
「Don't tell me what to do, I'm having fun!」と。

よって、スティーブンに言い負かされたジョーイは、
ちょっと泣きそうな顔でドラムを叩き、
完全にふてくされている。
その後、スティーブンは、「ジョーイ、すげえよ!俺と結婚してくれ!素晴らしいプレイだ!」
とおだてる。


そのスティーブンにジョーペリーが自分勝手な発言をし、
スティーブンタイラーがふてくされて、面白くなさそうな顔をして、
すねている。


そういう様子が、この映像にはありありと出ている。

(実際、その3人の関わり合いに対して、
ベースのトム・ハミルトンとギターのブラッド・ウィットフォードは、
その中に参加せずに、遠い所にいる。

トムハミルトンは、恐らくバンドの中で一番アタマが良いと思う。
常に他の4人のことを客観的に観ていて、
彼の発言も、非常に論理的で、
頭のいい喋り方をする。

ブラッドは、一人、
ちょっと違うところにいる。
とても良いギターのプレイをするけれど、
ジョーペリーの自分勝手なギターにかき消されるので、
世間からは余り注目されない。
でも、実は素晴らしいプレイをしている。

こういうのを観ると、
その人間の性格と、
人間関係の立ち位置というのは、
彼らが演奏する楽器にも、
しっかりと出るもんだな、と、
何だか感心させられる。)

*****

スティーブンタイラーは、
この中で言っているが、
16歳でドラッグを初めて、
このビデオが撮影された42歳の3年前、
つまり、39歳まで、ずっとドラッグ中毒だったらしい。

このインタビューの中で、彼のこの発言がウケる。

「人は、ドラッグをしていると、
精神年齢が成長しないらしい。
なぜって、脳が発達しないからな。

俺は、16歳でドラッグを始めて、
ついこの間、3年前に辞めたばかりだから、
俺の精神年齢は、
ええと、19歳か!?」


*****


正直、
この5人の発言や振る舞い、
そして、その音楽の内容と、
雰囲気を見ると、
決して、42歳には見えない。
正直、20代前半か、良くても後半くらいにしか見えない。
(肌はしっかりと、40代の肌をしているけれど。)


なので、正直、
変な感じに陥る。
見た目と、中身が、合っていない、という状態。


そして、それから23年が経った今、
2012年。

彼らは、64歳になった。

*****

思うに、エアロスミスというのは、
この10年くらいで、やっと、
精神年齢と、彼らのスタイルが、
世間が、「かっこいい」と認知出来る基準に
合って来たのではないかな、と思う。


つまり、彼らはそれまでは、
余りにもハチャメチャすぎて、
世間自体が、ちょっと腫れ物を触る様な感じで、
「一部のロック好き」しか、
聴こうとしなかった、ということ。
(現に、彼らの、特にスティーブンタイラーの昔のファッションセンスは、
酷いものがある。カッコいいんだけど、一人だけブッとんでいる。
それが、10年くらい前から、一般的に見られる格好をするようになってきた。)



エアロスミスが、世間の一般的な人にも認知される様になったのは、
アルマゲドンの主題歌に彼らの曲が使われたのが大きいと思うけれど、
それまで彼らは、あまり、
「世間にウケよう」としてこなかったんだろうな、と思う。

そして、やっと50歳過ぎ辺りで、
世間にも、「あいつら、カッコいいな」と認められつつ、
しかし、もう年齢は、50過ぎ、という。


それから約10年。
既に65歳手前になった彼ら。

エネルギーは溢れんばかりなのに、
体が、確実に衰えて行くという、
そのジレンマが、
何か、非常に悲しくなる。

*****

だからこそ、このアルバム(Pump)を聴くと、
42歳前後で作ったものにも関わらず、
非常に「若い」というか、
凄いパワーだな、と改めて、驚かされる。


*****

ちなみに、俺が最初に聴き出した彼らのアルバムは、
"Nine Lives"だった。
中学2年の頃。

その後、この"Pump"を聴き出した。
中学3年の時。

なので、このアルバムを聴くと、
中3の頃、14歳くらいの頃を思い出す。
(自分の通った高校へ、試験を受けに行ったときの帰りの電車の中の様子を良く思い出す。)

*****



とりとめの無い文章になったけど、
とにかく、非常に良く出来たアルバムで、
そのアルバムを作った彼らの様子が、
良く見えるドキュメンタリー。



最後に。

スティーブンタイラーを見ていて思うけど、
人間というのは、本当に、
年齢と中身は、関係ないんだな、と思う。

彼の場合は、いわゆる50歳手前までは、
本当に落ち着きの無い、「悪ガキ」だったんだと思う。

それが、50歳辺りを境に、
そこに、年齢から来るマチュアーさが入った。
それが今では、もの凄い人間的魅力になっている。



彼は、本当に子供のようというか、
自分の本能の感じるままに、
それを出して、生きて来たんだと思う。

でも同時に、それをするということは、
相当スニーキーにならないと出来ないし、
かつ、周りの人間の動向も読んだ上で(つまり、周りをよく観察した上で)、
自分を出していかなきゃいけないから(そうしないと、むしろ、自分をどんな場所でも出すことは出来ないはず)、
同時に、
凄く頭がいい人なんだと思う。


よって、彼の発言は、
常にストレートというか、
本質を突きまくっている。

その点は、論理的に話すトムハミルトンと、
対局にいる様で、似ている。

どちらも、本質を突いた話し方をするが、
トムハミルトンは、一歩置いて、
自分自身をも客観的において、
少し含み笑いをしながら、あくまでも知的に話すのに対して、

スティーブンタイラーは、
周りを一度良く見回した後に、
自分を客観的に見つつも、
その中で、一番首を突っ込んで、
一番注意を引きながら、
敢えて、言葉遣いが悪く、
本能的に、話をする、という感じである。



補足として、
そんな中で、ジョーペリーはいつも、
自分の世界と周りの人間との間に、
境界線を張っている。
特に、年齢を重ねれば重ねる程、
彼は、自分の殻に閉じこもって行く傾向がある。

で、ブラッドウィットフォードは、
ちょっと焦点の合わない視線で、
職人的な発言をしている、という感じ。

そういうそれぞれの人間模様も面白い。

******


ちなみに、上に書いた、
「ジョーイ、スティーブン、ペリー」の人間関係だけど、
ジョーペリーは、スティーブンタイラーには鋭い口を聞くが、
同時に、彼は、スティーブンタイラーに対して、
大きなコンプレックスを持っている。

ジョーペリーは、誰よりもプライドが高く、
常に一番になりたいが、
彼のカリスマでは、一番にはなれない。
彼はあくまでも「月」「ダークサイド」の魅力であり、
その点、スティーブンタイラーは、
「太陽」「ライトサイド」なので、
二人が並ぶと、
どうしても太陽側にフォーカスが当たってしまう。


この、「スティーブンとジョー」の二人にも、
面白い人間関係が存在する。

ジョーペリー一人でソロ活動をしても、
やはり、世間からは認知されない。

よって、彼は、
「エアロスミスの中のギタリスト」
として、一番脚光を浴びる。

でも、そこにはいつも、
隣に、自分の正反対のスティーブンタイラーがいる。



また、スティーブンタイラーもやはり、
一人でソロをしても、
太陽だけでは、ただ眩しいだけで、
どうも、その良さが出ない。

そこで、エアロスミスに戻り、
隣に、ダークな光を放つジョーペリーが存在するだけで、
彼自身も、輝く事ができる、


なので、結局は、
この5人が揃って、ベストの状態になる、と言える。

(このビデオの中で、スティーブンが最初の方に、
ジョーを指してこう話す。

「俺は、彼が子供時代にどんな経験をしたのか知らないけれど、
とにかく、ヤツは、俺とは正反対なんだ。
俺が持っていない者を、彼は持っているし、
俺が彼の様にしようとしても、それは無理だ。

だから、俺は彼が必要なんだ。」



*****


以上、エアロスミスは、
音楽も良いし、
ステージパフォーマンスも最高だけれど、
それがどうしてかというと、
各5人が、それぞれ非常に個性が強く、
かつ、みんな、相手に気を遣わずに、
自分を出しまくっているからなのです。



彼らのドキュメンタリーやインタビューを見ると、
彼らの近年の映像の中では、
必ずこういう事を言っている。

「俺たちはやっと、
『何に本当に注意を向けなければいけないか』
に気づいたんだよ。
今までは、他のヤツの事ばかり気にして、
お互いにムカつき合っていたところをな。

今、こうしてまだバンドがあるのも、
やっと、『お互いの存在を、認める』
っていうことを、学んだからだと思う」と。

*****


一つのバンドで、
特に、彼らの様な凄まじいバンドで、
何十年も一緒にやって行くというのは、
もの凄いパワーを使うものなんだろうなと、
彼らを尊敬してしまう。


2012/6/15 23:00






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 Aerosmith | 音楽 Review

June 10, 2012

SA-samples-p001


こんな可愛い子にこんな台詞を言われたら、
「はい」と躊躇無く言ってしまいそうですが、
あくまでも、プロフィール写真がただのエロ親父に見える(失礼)小宮氏が書いているので、
「目の前の可愛い女の子を見たい」気持ちと、
「でも、これを書いているのはただのオッサンか」
という気持ちが、ページを捲りながら複雑に絡み合う一冊。



シリーズ第二弾。
2011年2月初版。



読んでいて思ったが、
小宮氏は日経新聞の回し者なのでは?と思ってしまう箇所が多々あった。
それほど、「日経」という字が頻繁に出て来る。

彼は、別の著作
「日経新聞の数字がわかる本」
「日経新聞の「本当の読み方」がわかる本」
等でも、日経のことをバリバリ書いているが、
この本では、殆ど、上に挙げた著作の内容を、
そのままマンガに落とし込んだという感じ。

よって、最後の方には、
「なんか、胡散臭えな」と思いながら読んでいたが、
そこで自分の様な読者の気持ちを察したのか、
「数字眼(世の中の現象を数字に落とし込んで具体的に把握する眼)を付けるには、
もちろん色々な要素が大切ですが、
一番大事なのは、「素直さ」ですよ。
素直さがなくて、私がここに書いている内容も、
「本当かよ」と疑っていると、
結局は頭に入りませんよ」と、
イヤらしい文章も載っていた。
まあ、その通りなんですが。

*****

上に挙げた日経シリーズ本を読むのはちょっと気が引けるな、
という人にお勧め。
内容はほぼ同じで、それがマンガになっています。
タメになります。

2012/6/10 21:51






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 金融・会計・投資 | 本 Review
1102826783

前回読んだ「キャッシュフロー パーフェクトレッスン」のシリーズ一作目。
2010年1月初版。
完全なマンガと、小宮氏のエッセイがちょこちょこ入る。

内容は主に、
貸借対照表、
損益計算書、
キャッシュフロー計算書
の3つの基本的な読み方から、応用編までが書いてある。

*****

可愛い女子高生コンサルタントの主人公の女の子の絵を見たさに、
ページを捲りたくなる仕組み。

一度読んだだけでは頭に入らないので、
自ら実用で使って落とし込む必要あり。

会計の世界への「取っ掛かり」として読むには最適の本。


2012/6/10 21:39



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 金融・会計・投資 | 本 Review
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非常に面白い本だった。
2012/3/15に出版された本。
本はPHP新書で薄いので、2時間程でさらっと読める。

*****

この本では、苫米地氏は大きく分けて、以下の4点を述べている。

‘本人はなぜ立ち上がらないのか?
 ー日本人は権力者に都合良く飼いならされた奴隷であること。その奴隷システムがどのようにうまれたのか?

日本人はなぜ幸福を感じられないのか?
 ー未だに世界随一の経済大国でありながら、なぜ日本人はどことなく不幸なのか?
その原因となっている社会構造を分析。

そもそも、「日本人」「日本」とは何か?
 ー日本人の政治批判はどうして空虚なのか?そして、「日本人」との定義とは?

ぁ崙本」という枠組みを無くすにはどうするべきか?


*****


第一章で述べられていた,瞭睛董
この中では、日本はそもそも、どうしてここまで人の目を気にする国民性になってしまったのかが解説されていた。
その中の理由の一つで非常に面白かったのが、日本人の「村八分」が生まれた背景。

あるコンピューターシステムによる分析において、
一つの同じ言語を話す人々が、二つのグループに分けられ、
それぞれ別の集落で暮らすよう設定された。

その場合、メンバーのうち30%の人口が同じ集落に留まり続けると、「方言」が派生するらしい。
つまりは、その集落の中で、70%以上の人口が常に移動を繰り返している(その集落に出たり入ったりしている)状態にならないと、必ず方言が生まれるとのこと。

日本は、山が多く、また、川も多いため、老人や子供の力では、その村を出る事が難しい地形である。よって、実際にその村を出て他の土地へ移動が出来る若者以外は、その村に留まる傾向となる。
その結果、上の条件である30%以上の人口が同じ村に留まる可能性は非常に高くなる。
それが、日本が単一国家であり、同じ人種の人口でほぼ埋め尽くされているにも関わらず、世界的に見て非常に珍しい、「同一民族にも関わらず、幾つもの方言が存在している国」である証拠。

方言が生まれるということは、一つの「文化」を持ったコミュニティが形成されるということ。
そして同時に、それだけ沢山の方言が生まれるということは、その数だけ沢山のコミュニティが出来上がることであり、
その様な日本の状況においては、そのコミュニティ内を出た時に、他のコミュニティでやって行くのが難しくなる。(何故なら方言という「言葉」も違い、文化自体も違う為、全く別の国に行く様なものだから。)

よって日本の人々は、昔から、その自分が住むコミュニティ(恐らく自分が一生を過ごすであろう集落)で、いかに「心地よく過ごすか」、言い換えると、「いかに仲間外れにされないか」に神経を尖らせて生きて来た。

「村八分」の文化が生み出されたのも、これで頷ける。


*****


実際、現在自分は、仕事の関係であるところに来ているが、ここは、周りを山と川に囲まれた土地にあり、正に今回苫米地氏が述べている様な条件に当てはまるような町である。

方言は非常にキツく、その方言を町民全員が話すので、
「方言は存在しているけれど、町の人全員が方言を話す訳ではない」環境ではなく、
「町の人全員が、その方言をバリバリ話す」環境である。

(俺の母親、また父親は、それぞれ地方の出身であり、それぞれの土地には方言が存在する。しかし、その町や市に住む全員が、その場所の方言を、しかもコテコテの方言を話すわけではなかったので、自分の中で「方言」とは、段々廃れて来ているものかとの認識が少なからずあった。
なので、今の場所に移りすんでから、如何にこの町の独特の「文化」が力強く生き続けているかに、正直ビックリさせられた。)


よって、この町では、良い意味で昔からの歴史が残っている。
言ってみれば、「まるで昔から時が止まったかの様な」雰囲気に陥ることがしばしばある。

そして、俺はこの町を好きだが、
同時に、この町で一度仲間はずれにされるような状況に陥った場合、
ここで暮らして行く事は、難しいだろう、とも感じる。


*****


苫米地氏の今回のこの理論は、
非常に頷ける所があった。

それは、俺が18歳までを日本で過ごし、
その後、日本とはまるで対象の国であるアメリカで24歳まで6年間を過ごし、
その後、日本に帰って来て、また4年程過ごした今、
色々な所に住んだり、色々な国を訪れた経験を踏まえて、
日本に対して自分が感じることを、この論理は明確に捉えていたから。




日本人は、「周りの目」を非常に気にする文化を持つ国民であり、
だからこそ、全員が同じ考え、同じ生き方をする。
それを強制されていなくても、それに自然と従って行かないと、
風当たりが強くなり、生きづらくなってしまう国である。


これを、人々は「閉塞感」と呼び、
その結果、海外に踏み出すと、「まるで心から羽を伸ばせる様である」と感じる所以である。
(全員がそう感じるわけではないと思うが。)


*****


苫米地氏は別の表現で、
「パノプティコン」の例を出す。
これは、刑務所において、
常に24時間囚人が監視されているわけではなくても、
監視塔を真ん中に置くことで、
囚人は、「いつも見られている」というプレッシャーを無意識に感じ、
その結果、
果たして監視がされていないときでも、
囚人は、まるで監視をされているかのように、行動してしまう、
ということ。


苫米地氏は日本人がこのような傾向をもった別の理由で、
「日本が多神教の国」であることも挙げている。

例えば、一神教であるキリスト教やイスラム教などであれば、
同じ一つの神を全員が信じ、
その神の前では、誰もが無力となる。

しかし、日本の場合には、
「八百万の神」の言葉に代表されるように、
神は至る所にいるので、
「誰もが服従をしなければならない絶対的な存在」は無い。

そして、
日本独特の「お天道様がいつも見ている」の考えも手伝う事で、
「いつでも自分は、色々な目(神)から見られている」という概念が生じ、
結果、より、「いつも誰かに見られている」(上の村八分のアイディアと併せて)という無意識下の抑制がかかってしまう。


(ここで彼は、日本が多神教であるからこそ、「フェアネス」が存在せず、結果、上の位に付いた者を、絶対的に崇めてしまう傾向にある、とも説明する。

つまり、一神教であれば、金持ちだろうが、政治家だろうが、医者だろうが、
誰もが、一つの神の前では、「無力になる」という条件のもと、
そこで、「誰もが神の前では無力=みんな同じ」というフェアネスが存在するが、
日本の場合には、「絶対的な一つの神」が存在しないため、
結果、「偉い人は上に立つはず」=「上に立った人は偉いはず」の逆方程式が出来上がり、その結果、金持ちや政治家や学者など、何かしら社会的に権力を持った人間を、無意識に「彼/彼女は凄い人だ。上に立っているんだから」と見なしてしまう傾向がある、と述べる。
これも非常に面白いと思った。)


*****


そして最後に苫米地氏は、
「物事の本質を見極めるには、”具体的”の反対である”抽象的”視点に立ち、物事を上の広い視点から見ること」を説く。
これは彼が色々な本でいつも結論づけることであるが、
ここでは、これを「日本を遠い視点から見る事」に結びつける。

何か問題が起きたとき、
(例えば、今の日本に存在する様々な問題を解決しようとするとき)、
真面目な人ほど、目の前の問題に集中して考えようとする。
つまり、物事を”具体的”に見すぎて、アリンコの目になってしまうわけである。

その結果、行き詰まり、良い解決方法も出ないまま、終わってしまう。


それよりも、一度鳥の目で物事を上から見て、
そこに存在する「本質」を見抜く。


日本に対してもそれは同じで、
日本に今存在する増税問題、震災後の復興問題、TPP問題、社会福祉問題などなど、
それぞれ一つ一つを見て、「日本」という狭い国のことしか見えなくなるのではなく、
自分の思考は日本を飛び出し、
他の190以上の別の国々も視野に入れた、
より広い視野でこの世界を見て、
それから、「日本」という小さな国を見る事。

すると、そこに横たわる問題の核質、本質は、
以外と、同じ事に共通していることに気づく訳である。


******


この本の終わりで苫米地氏は、
解決策として、日本を「道州制」にして、
その土地にある道州毎に、法律も、税金も、学校のシステムも、
すべて変えてしまえば良い、と言う。

これはある意味、アメリカに非常に近い。
アメリカは州によって法律が異なり、
その別々の50の国をまとめあげるのが、
アメリカの政府であるようなものだから。

実際、アメリカでは、これもやはり一つの国であるために、
「アメリカ」というものに縛られなければならない現状も沢山あるが、
しかし、今の日本よりは、
その国の国民は、ずっと住み易いと思う。
少なくとも、自分で、自分の住む場所にかけられる法律を選ぶ権利がある。
(自分が住むその州の法律、ルールが気に入らなければ、別の州に移動してしまえばいい。)


しかし、これを日本で実行すると、
カリフォルニア州と同じ面積に、アメリカの人口の半分近くが密集しているわけだから、
これは流石に難しいんじゃないか、と思う。
そもそも、元々村八分の考えを持つ日本で、
これから、そこまで考えをガラリと変えて行くことも難しいだろうし、
頭がカチンコチンで自分の利権しか考えない政治家たち、及び官僚の層が、未だに「日本」という島国を固めているから。


だから、この日本に愛想を付かせて、どうしようもないと感じる人々は、
やはり日本を出て行くしかないと思う。


*****


話を元に戻して。

苫米地氏は、第二章の、「日本人はどうして不幸に感じるのか」にて、
「日本人は生まれた瞬間から、自分の生きる道を決められているからだ」というような記述がある。

つまりは、日本で掴める「成功」とは、
良い大学に入って、官僚になる、または、大企業に入るしかない、と。
そして、その道「しか」、幸せになる道はない、と。


人は、自分の未来に、限りない「可能性」を感じるとき、
心の奥底から、震える様な「喜び」を感じる。

自分は何でもできる、
この世界は広い、
自分次第で、何だってできる。

そう、「心から」感じられるとき、
人は、もの凄い自信と、同時に、
もの凄いやる気を感じるものだ。

それは、俺が留学時代、
または、様々な国を旅しているとき、
何度も感じたこと。


その「感覚」は、不思議と、
日本では感じにくい。

日本国内で「存在している」、上に書いたレールに置ける成功。
その道を歩む事を自らが、心から望んでいる人間であれば、
そして、そのレールに乗っかれた人間であるならば、
この日本という国での人生は、何よりも幸福であろう。

しかし、そのレールの上に用意された「幸せ」を、
心から「幸せ」と感じられない人間。
または、そのレールに乗ることすらできなかった人間。

その「人間」たちは、
日本という国に自らを置く以上、
常に、「自らに対する可能性」を、
「無限的に」感じることは、不可能となる。



それが、日本人が、
「どこかしら不幸である」所以。


つまり、日本には、
狭いレールしか用意されていなく、
その「用意されたレール」の上に置かれた「成功」しか、
「幸せになる方法はない」と、
誰もが、社会に思わされている。


*****


以上、
非常に共感する箇所の多い本だった。




最後に、
俺は、4年前に日本に帰って来てから、
アメリカとのギャップに違和感を感じ、
また、この「日本社会」に馴染めず、
悩んだ時期が続いた。


一時期は、
その「レール」に幸せを感じられず、
また、その「レール」に乗りたいと思った時には、
もう、乗れないことに気づき、落ち込んだ時期もあった。



しかし、俺は俺自身、
日本での生活に今は満足をしているし、
自らが求める「幸せ」を掴むことができている。

もちろん、社会的、そして自らのキャリア的には、
これからどんどんと進んで行く予定だが、
少なくとも、自分が進んで行く道、
そして、その道を幸せと思えるかどうかに関しては、
今では、自信がある。



苫米地氏は今回、「日本」という「国」に対してターゲットを絞って話をしており、
日本人一人一人が、どう生きて行くかに関しては触れていない。

最終的には、「自ら」が、いかに、
「心から」、「幸せ」と思える人生を生きられるかどうかである。


*****


まとまりの無い「まとめ」となったが、
色々と考えさせられた本。



2012/6/6 19:42





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 苫米地英人 | 本 Review
news2

2009年1月に出た本。
子供向けの大型本。
4つのシリーズになっている。その中の二冊目。

カラーの写真が豊富に使われ、
かつ、丁寧に説明が成されているので、
読み易い。

先日通訳をした際に、
その取引先の方々が、アフリカのスーダン出身の人たちだった。
それからこの国に興味を持ち、
この本を借りた、という経緯。

スーダンでは、俺が生まれた1983年に
第二次スーダン内戦が起こり、
それにより、200万人近い人が命を落としたという。

*****

この本では、
パキスタンのホテル爆弾テロ、
アフガニスタンの日本人殺害事件、
イランのウラン濃縮再開、
バグダッドの車爆弾テロ、
トルコ空軍イラク北部の空爆、
イスラエルとハマスの停戦合意、
パレスチナ連立政権誕生など、
そして、イスラム文化についてなど、
西アジア、アフリカの情勢が詳しく解説されている。

今、同じ時に、
同じ地球の別の所では、
テロや戦争が行われていることを、
改めて感じる。

*****

日本国内にいると、
ニュースは主に日本国内にフォーカスされたことしか報道されず、
まるで、「日本」=「世界」と勘違いしてしまう傾向がある。

これは、どこの国でもそうだろうが、
やはり、常に、
この広い地球では、色々な国が存在すること、
そして、そこでは、
自分が見えなく、知らないことが、
多々起こっている事を、
常に意識しておかなければならない。

そう、感じさせられた本だった。

2012/6/10 17:43



shunsukesekine at 17:44コメント(0)トラックバック(0) 
 歴史・地理 | 本 Review
Montana1948


2002年、俺が留学1年目に、
COSのEnglish 52のクラスで読んだ本。

これが、英語で一冊丸ごと読んだ、
初めての本だった。


最初の頃は、一々辞書で一つ一つ単語を調べて読んでいたけど、
最後の方には、それが面倒くさくなって、
そのまま分からない単語もすっ飛ばして、読んでいた。

でも、その方が、
一度文章の全体の流れを掴んでしまえば、
川の流れに乗る様に、
大体の概要を掴んで、読めて行ってしまう。

****

このクラスは、メガネをかけたかっこいい先生のクラスだった。

最近この学校に移って来たばかりで、
どうも、COSには馴染んでいない感じがあった。

このクラスは、言わば大学レベルの英語のクラス(English 1A)
の二つ下に位置するクラスであり、
俺の様な留学生は、みんな大体このクラスか、
または、もう一つ下のクラスから始めていた。


よって、普通に高校で英語(彼らに取っては国語)を勉強をしてきたアメリカ人なら、
こんなクラスは取らないわけで。


しかし、このクラスにも、もちろんアメリカ人は沢山いた。

主に、フットボールやベースボール、バスケットボールの選手たち。
つまり、アスリートたちが多かった。

よって、みんな体つきも良く、ムキムキのやつらが、
(しかし、勉強は余りして来なかった奴らが)
このクラスを一緒に取っていた。


なので、クラスの間も、
そいつらは教室の後ろの方に陣取って、
絶対に授業に参加しない感じ。

それを、このニューティーチャーが、
ちょっと無視されながらも、一生懸命教えているような、
そんなクラスだった。


(一度、クラスが早めに終わった時に、
後ろの方に座っていた生徒の一人が、
しきりに、"Can I be excused?"と先生に聞いていた。

先生は、"No, not yet"
と返していたが、
しばらく経つと、
"Okay, you are excused."と言うと、
みんな一斉に立ち上がって、
教室を出て行った。


その時に初めて、
"Can I be excused?"
"You are excused."
で、
「もう終わりですか?帰って良いですか?」
「もう帰って良いですよ。解散です」
と使うんだな、と知った。

こういうの、日本の英語のクラスでは習わなかったな。)




(Excuseのもう一つの使い方で言うと、
良く映画を観ていると、
相手が明らかに不快な事をしたり、
道を歩いていて、相手が自分にぶつかってきても、
自分に対して何も謝ろうとしなかった場合に、

"Oh, excuse ME!!"

と、"me"にアクセントを置いて、
相手に非難っぽくいう場合が多い。


普通、その状況では、
"Excuse me"と自分は言う必要がなく、
相手が謝らなければならないけれど、
それをしない相手に対して、
逆に皮肉っぽく、
「ごめんなさいね!」
と、自らが謝ることによって、
相手への非難を皮肉っぽく、遠回しに伝える。

こういうのも、日本のクラスでは習いませんね。
よく使うのにね。)



*****



さて、話がずれましたが、

一度、このクラスの中で、
「Be動詞の使い方」に関して学んだ時があった。


その時は、
「I の後は、am が来ます。
You の後は、are が来ます。
HeやSheの後は、be ではありません。isまたはdoesです。doでもありません。」

みたいなことをやっていた。

俺はてっきり、「え?」という感じで、
なんでこんな、中学一年生で日本人が学ぶ様な事を、
大学で教えているの?とビックリした。


そして、更にビックリしたのは、
そのフットボール選手たちは、
結構この問題が解けていなかったこと。



で、クラスが終わった後、
先生のところに行って、
「どうして、こんな内容を、このクラスでやるんですか?」
と聞いたら、
彼はこう答えた。


「多分きみは、英語がネイティブでは無い国で、
英語という言語を、”外国語”として習ったから、
”文法”という点に重点を置いて学んできたと思う。
最初に、"She"の後は"do"ではなく"does"である、
の様に学んだから、決してそういう間違えはしないだろうが、
僕らはアメリカ人で、英語が母国語だから、
余り、文法に拘らずに生活していても大丈夫なんだよ。

逆に言ってみると、
きみが日本語を話す際に、
”わたしは”と”わたしが”の違いを、
文法的に考えながら話すかい?
むしろ、感覚的な部分で話しているんじゃないかな?

彼らにとっても、そういう感覚で英語を話しているから、
いざこうして、文法のクラスになると、
意外とそれができなかったりするんだよ」

と。




それを聞いて、俺は、
「なるほどー!!!」
と思った。


でも、「普通 isとdoesぐらい分かるだろ」
というのが、その時の感想だった。


しかし、次第にアメリカで過ごすに連れて、
黒人英語は、あえてsheやheの後に、doを使うし、
"Don't trust nobody"の様に、
ダブルネガティブ(二重否定)を文法的に間違って使うし、

そうやって、「文法的には間違えているけれど、
そう話した方がカッコいいぜ」的なキッズが多い事に気づく。


日本と同じですね。


*****


以上、全然本のレビューになっていませんでした。

本自体は、モンタナの田舎で起こる、
殺人事件です。

閉じられた世界で起こる、
めっちゃ暗い内容です。

なぜこの本を、彼が参考図書にピックアップしたのか
今でも分かりません。

2012/6/10 9:48am












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本 Review | College Life-大学

June 09, 2012

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去年、3月頃に、
友達のSに薦められて買った本。
1999年3月に出た本。

俺は彼に、仕事の事や、
キャリアプランのことで、良く相談をするのだが、
彼が俺にくれたアドバイスの一つで、
「話をする時に、もう少し論理的に話をした方が良いかも」
と、この本を参考に挙げてくれた。

****

その後、この本を購入するも、
何だかお固い感じがして、
結局、今日の今日まで、読んで来なかった。



今朝、本を開いて読んでみて、
概要を掴んだ。

****

凄くシンプルに書くと、

「話をする時、及び文章を書くときには、
自分が言いたいことは何かを最初に明確に述べて、
その後に、その枝となる部分を説明して行きましょう」

というもの。

要するに、
「この人は何を言いたいのか?」
ということが分からないままに、
相手のとりとめの無い話を聴くことほど、
パワーを使う事は無い。

バーバラミント曰く、
人は、相手の話を聴く際に、
「この人の言わんとする事はなんだろう?」
と、無意識のうちに、その話の中に統合性を見いだそうとするらしい。

そして、それが分からないときほど、
労力を使うし、その作業は大変だとか。


だからこそ、話をする方が、
相手に対して、

「私の言いたい事は、◯◯です。
上の主張をサポートするために、
以下の3つの理由を述べます」

的な感じで話をした方が、
聴いている相手(またはその文章を読む相手)も、
ラクに話が聞ける、というもの。

そして、それができる人が、
ビジネスに置いても、重宝される、というもの。

****

これに関しては、
アメリカでは、嫌という程教わる。

俺が最初に、このアメリカのスタイルを学んだのは、
高校3年の頃、
TOEFLの勉強を始めたとき。


****


TOEFLの中では、
エッセイクエスチョンがあり、
その中で、
出されたお題に対して、
「賛成か反対か」
または、
「あなたの意見とその理由を述べよ」
という形で、30分間で、文章を書く問題があった。

その時に教わった文章の書き方は、
初めに、自分の主張を書き、
その後に、その理由を簡潔に2つまたは3つ書き、
最後に、また、
自分の主張をまとめる、という方法。


(例:

私の意見は◯◯です。
その理由は、以下の3つによります。

理由1ーーー
理由2ーーー
理由3ーーー

よって、私は、上に書いた自分の意見を主張します。

てな感じ。)


****

最初に上の書き方を学んだとき、
「何てシンプルで、頭の悪い書き方なんだ」
とマジで思った。

何のひねりも無いし、
ハッキリ言って、日本の文章の書き方と全く違う。

日本の文章はどちらかというと、
物事を難解に書くというか、

「物事は、こうであるというわけでもなく、しかし、そうとも言い切れない」
的な、
二重否定の更に否定、
みたいな文章が多い。

その、「難解」な文章を読み解くのが、
いわゆる、「国語力」のある人間であり、
その力を、俺は、高校までの12年間の義務教育で、
身につけて来たと思っていた。



それを、全く覆す、アメリカのスタイル。


日本では、
「如何に文章を難解に書くか」に評価がされ、
その文章を読解できない読者が悪い、
というスタンスだけれど、

アメリカでは、
「如何に文章をシンプルに書くか」に評価がされ、
誰が読んでも、すっと理解できる文章ほど、
「表現能力が高い」と見なされる。


日本では、
書き手が、自分勝手に書き、
それを、読み手が合わせる、という形に対して、

アメリカでは、
書き手が、すべての読み手に合わせて、
いかに分かり易く書くか、ということに、
重点が置かれる。

****


俺は、この書き方は、
てっきりTOEFL用のもののみかと思い、
アメリカに渡った後も、
最初の大学のライティングの授業では、
日本式に、難解にひねったりして書いていた。


すると、教授たちから、
全く評価されない。
「お前の言いたい事は何なのか、よく分からない」
と言われる。

「それは、あんたが読み取る能力がないんだよ」
と言いたくなるが、
それは、アメリカでは通用しない。

アメリカでは、
人種も混ざっているし、
それぞれのバックグラウンド、文化、
歴史、
すべてが異なる人種が混ざっているからこそ、
全員に共通する、
「共通点」「コモンセンス」「常識」
が存在しない。

「言わなくても分かる」文化ではない。
「空気を読む」どころか、
「読む空気」すら、存在しない。


だから、相手が誰であろうと、
その人が、その文章を読んだときに、
簡単に、簡潔に理解してもらえる、
シンプルな書き方ほど、
評価をされる。



*****



結局、この本では、
そのことを、言っている。

難しい言葉を使ったりして、
(演繹的(えんえきてき)とか。ソクラテスの三段階思考のこと。)
一見、お固く見えるが、
なんのことはない、
ただの、
「相手が分かり易い様に、
結論から述べようぜ」
という本である。


*****



それにしても、
俺がたまに不思議に思うのは、

日本では、
高校までは、俺が上に書いた様に、
「いかにひねった、難解な文章を書くか。
そして、それを読み解くか」
に、国語の授業の重点が置かれるのに、

いざ、社会に出て、
ビジネスシーンに身を置くと、

今度は、
上に書いた様な、
アメリカ式の、
「結論から述べる」シンプルな書き方、及び話し方を、
好まれる。

そして、それが出来る人が、
「アタマのいい人」
と見なされる。



これは、最近の傾向なのか?
それとも、昔から、
日本でも、一旦社会に出ると、
アメリカ式の、
「結論から話せよ」的な文化が、
浸透していたのか?




それは、まだ俺の中では分かっていないが、
どちらにせよ、
日本の中でも、いざ社会に出ると、
アメリカ式のシンプルな話し方、書き方が求められるのだから、
最初から、小学生の頃から、

「まずは結論から述べましょう。
その後に、理由を述べましょうね。
そうすれば、聞き手はラクですから」

と、教えればいいのにな、と思う。


2012/6/9 23:55






追記:
ちょっと話が変わるけれど、
「日本語」というのは、
主語や目的語がなくとも、
術語だけである程度は通じてしまう言葉であるな、と、
最近非常に強く思う。



例えば、英語であれば、

「私はこれから、彼女に、(◯◯の)話をしに行きます」

ということを誰かに伝える時に、

必ず、

"I'm going to talk to her (about ____ )."

と、I(私)とher (彼女)が必ず入るのに対して、
(決して、"Going to talk."だけでの様には言わないし、仮にそう言っても、文章が成り立たない。)

日本語の場合は、

「じゃあ、これから話しますんで。」

で、終わってしまう。


今の俺の職場には、
そういう人がいるのだが、
その人は基本的に、主語と目的語を使わずに、
術語だけで話を進める傾向がある。


なので、聞き手のこちらが彼の話をきくとき、

「え? 誰が、誰に?(何を?)」
と、聞き返さなければならない。

(大概の場合は、その瞬間の彼の表情と、
それまでの会話の状況を読んで、
「ああ、きっと、この人はあの話をしてるのかな?」
と察して、
「あのことですか?」
と聴くのだが、それが外れている場合も多い。)



そんなとき、
俺が、彼に対して聞き返す、その労力もムダだし、
俺が、彼の話を聴いて、
一瞬、「ん?この人が話そうとしていることは、何だ?」
と、頭を使わなければいけないのも、
いわば、労力。

そして、それを聞き返して、
それが外れていて、
結局はその人も、
また、主語と目的語を加えて話すとしたら、

,修譴泙任瞭鷽佑硫駭辰砲かった時間と、
俺が彼の話を最初に聞いて、頭を使った労力と、
H爐、同じ事をまた繰り返して言い直す労力の、
3つが、ムダなわけで。



ならば、最初から、
「英語の様に、主語と目的語をハッキリさせて話して下さい」
と思うのだが、
それはその人のクセであり、
直らない。



そんなとき、
「英語ならば、こういうこともないのにな」
とも思ってしまう。



そして、今朝、この本を読んで、
「ああ、俺がその人と話をするときに、
いつも疲れるのは、
要するに、彼が何を言わんをしているかを、
俺は毎回、頭の中で、
推測して、関連性を見つける、という作業を、
しなければいけないからなんだな」

と、気づいた。


以上。


なんかこう書くと、
俺があら探し好きのイヤなヤツみたいですね。



2012/6/10 0:05am





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本 Review |  ビジネス書
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さっき、スーパーに買い物に行った帰り、
家の下でチャリをとめていたら、
子供たち3人の声が向こうから聴こえた。

その子たちが丁度俺の事を見えるところ辺りまで来て、
3人は、そこでそれぞれの方向に別れたらしかった。


俺は特に気にもせず、そのままチャリのカギをかけていたら、
子供たちから、
「こんにちはー」と声をかけてくれた。


それで、俺も慌てて、
「こんにちはー」と返したら、
その内の一人の女の子(男の子二人と女の子一人だった)が、
俺の方に歩いて来て、
「カエル捕まえたんだよー、めっちゃ大きかったよー」と。

それで、「マジで?」と返すと、
「うん、そこの田んぼに、めっちゃおったよ」と。

それで、俺が「見せて」と言って、
その子の持っていた虫かごに入ったカエルを見ようとしていたら、
さっき別の方向にそこで別れて帰って行った男のがこっちに来て、
「それ、俺がとったんやでー。めっちゃカエルおったでー!」と。

その女の子も、「うん、めっちゃおったでー」と。


それで、「さよならー」と言って、
二人とも別の方向に帰って行った。

****

こっちの子は、みんな、
自転車に乗っていても、
「こんにちはー」と挨拶をしてくれる。


例えば、俺がチャリに乗っていて、
彼らがチャリに乗っているときでも、
俺が歩いていて、
彼らがチャリに乗っている時でも、
必ず、小学生から、中学生まで、
「こんにちはー」と。



最初は、俺もこの土地に来たばかりの時は、
それにビックリしたが、
次第に、それにも慣れて行った。


でも、今日のように、
まさか、全然知らない子供たちが、
「カエルめっちゃおったでー」と、
近くに寄って来て話をしてくれるとは、
思いもよらなかった。





こっちの地域は、
山に周りを囲まれているのもあり、
非常に町も小さく、
まるで、昔から時が止まった様で、

その分、閉ざされたところもあると思うけれど、
その代わり、「町全体」が繋がっているというか、
「他人だから」とか関係なく、
むしろ、「他人」という概念がない、という感覚に陥る。




みんな、親切だし、
声を掛け合って、生きている気がする。


****


俺はずっと、日本に帰って来てから、
4年近くは、東京や横浜で時を過ごして、
いわゆる「大都会」で、
他人とは一切関わらない、という雰囲気の町で時を過ごして来たから、
こちらから他人に声をかけることもなく、
むしろ、新宿などでは、
肩が思いっきりぶつかっても、謝らないどころか、
すれ違い様に、わざとぶつかって行く様な人もいたりして、

そういう人たちとの関係の中で、
次第に、「他人とは一切関わらない。存在も無視する」
的な感覚が身に付いていたけれど、

この土地に来て、それが覆されて、
なんだか、とても嬉しい。

そして同時に、
今日のように、そうやって、
素直に話しかけてくれる子供たちを前にして、
いかに俺が、周りに対して閉ざしていたのかを、
気づかされた。

(普通、大人になると、
俺が挨拶をしなかったら、向こうからも挨拶はしないだろうし、
ましてや、「カエルとったよー」なんて、
話しかけてくれることはほぼないだろうから。)


*****


そんなわけで、
良い意味でのカルチャーショックを受けている、
今日このごろ。



この後、来年東京に戻ったら、
また、カルチャーショックを受けるんだろうな。

「都会の人は、冷てえなあ」なんて。

2012/6/9 15:08





*写真は、その子たちがカエルをとったという、
俺んちの前の田んぼ。

段々と稲が伸びて来た。







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Thoughts-思ったこと 
In_Rainbows_Official_Cover


Radioheadが10 October 2007に出したアルバムです。

去年まで通っていた横浜の美容院のKさんが、
彼らの大ファンとのことで、
薦められて、ツタヤでアルバムを何枚か借りたうちの一枚です。


正直言って、
彼らの良さが、良く分かりません。

元々UKの音楽(U2やCold play、そして彼らなど)がそんなに好きではありません。
というか、全く聴きません。

なんか、精神世界を漂っているというか、
ドラッグでハイになって聴かないと、
気持ちよくないんじゃないの、という感じです。


でも、そう思ってしまうのも、
俺の偏見かと思い、
また、Kさんに、
「RadioheadやCold playの良さを知らない人生と知っている人生では、人生の楽しさが何倍も変わりますよ」ということを言われたような気がして、
それで、ちょっと頑張って、Radioheadのこのアルバムを、
何度もリピートして、頑張って(強調して2回言う)聴いていた時期があった。




そして、今日も、
昼の12時から、Youtubeで
Bonaroo 2012というライブ会場から、
ストリーミングで彼らのライブが見れたので、
ちょっと頑張って、2時間聴いてみました。



最初のうちは、ベストアルバムや、
"In Rainbows"からも、"15 Step"など、
知っている曲が出て来たので、
ちょっと楽しめましたが、

やはり、2時間も聴いていると、
気分が塞ぎ込んで来ます。



ドラマーが3人いたり、
ギターも3人(又はギター2人とベース1人?)いたり、
とにかく、「音」に拘っているのは分かりますが、
俺は、もっと分かり易い音楽がいいなあ。



いつか俺も、彼らの良さが分かる日が来るんでしょうか。


2012/6/9 14:01




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音楽 Review 
3e791186

2010/12/18に出た本。

友達のSがこの本をくれた。
去年の夏辺りだったと思う。
(いつも色々教えてくれたり、本をくれたりして本当にありがとうございます)

その時に読んで、非常にためになったが、
今回、ふとまた気になり読んでみた。


*****


この本のテーマは下記の通り。

■自らの「仕込み」を30歳までに終わらせる。

23歳までに、高い評価で入社する。
入社〜25歳 体を使って会社に尽くす。
26歳〜28歳 自分のナンバー1を作る。
29歳〜30歳 会社の外に出てみる。
31歳〜35歳 組織を切り盛りする。


*****


今回読んでいて、
この本の中で「なるほど」と思った箇所が、下記。


■自分らしさや強みを見つけるためのポイント

_燭忙間とお金を使って来たか
納得出来ない事は何か
プライベートでどんなことをしているか





,任蓮⊆分が今までに1000万円(1万円×1000回)お金を費やしてきたものを知る。
(ここでは、マルコムグラッドウェルの定義である、「1万時間費やせば、それを極められる」ことも出て来る。)

△任蓮他人が気にならない様なことでも、自分がどうしても気になってしまうことは何かを知る。
(俺であれば、人が書いた文章の構成だったり、アート(映像、音楽、空間、建築)など。
とは言いつつも、このブログも誤字脱字が頻繁に起こるが。)

では、プライベートで自分が時間をかけ、極めている事に気づく。



など。

*****


とにかく、現在就職活動をしたり、または、転職活動をしていて、「会社に入る前」の状態の人から、
既に会社に入り、現在、自分を鍛えている30歳前後の人までに、
役立つ内容が書いてある。


また、ビジネス書を年間で1万冊読むという、
著者のお勧めのブックレビューも載っていて、
それも参考になる。

2012/6/9 13:40






追記:個人的な事になるけれど、
今のこの研修期間を生かし、
かつ、山奥で、車もなく、遠くにも行けないので、
そして、毎日そんなに残業もなく、家にも早く帰って来られるので、

(今はどんなに遅くとも、会社から自宅まで2分の距離なので、会社の風呂に入った上で、20時には家に着く。前職の場合は、片道1時間半で、満員電車に夜中に揺られて、家に着くのが午前1時前後だったので、天と地の差である。それに、前職では2日連休も殆どなかったし、休みの出勤も多々あったが、今では土日は必ず休みなので、こうして週末に自分の時間がたっぷりと取れる。)

この時間を使って、今が「留学期間」と考え、
今の内に、沢山勉強をしておこうと思う。

こんなに、自分一人の時間が自由に取れる時期は、
恐らく、人生でもう二度とないだろうから。
俺が引退をするまでは。






追記:(2012/6/18)

この本の中で、
「30代に入ると、20代までは自然に兼ね備えていた”清潔感”が無くなる」
という表記があった。

まさにその通りだと思う。

その点を意識して普段の生活をしている人とそうでない人とでは、醸し出す雰囲気、及び見た目に大きな差が出て来る。

その点は、俺も意識をして行きたいと思う。
あと1年とちょっとで、30歳になっちゃうし。






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本 Review |  ビジネス書


AerosmithのNew Album
'Music From Another Dimension'は、
August 28, 2012発売ということ。
やっと発売日が決まって嬉しい。
(去年の夏前からニューアルバムのことが話され、今年の5月には出るとずっと言われていた。)

上は、アメリカンアイドルでのライブの様子。
曲名は"Legendary Child".
スティーブンタイラーはもう64歳だけど、
その迫力と威圧感は健在です。

こっちが高音質



しかし、ジョーペリーを始め、
トムハミルトン、ブラッドウィットフォード、
ジョーイクレイマーと、みんな老けました。

トムハミルトンに至っては、下のビデオを見た瞬間、
その痩けようと、声質が思いっきり変わってしまったことに、
ショックを覚えた。
(人が年を取ると、目つきがギョロリとして、表情が固くなるけれど、
その傾向が出ている。)
あと数年でこの人はヤバいんじゃないかという雰囲気が漂っていて、
非常に怖いです。



*****

バンドメンバーは確実に老けて来ているけれど、
スティーブンタイラー一人だけ、若さを保っている様な感じです。
彼は、恐らくあと20年は元気でいてくれると思います。
(事故に遭わない限り。)



エアロスミスが無くなってしまったら、
もの凄いショックを受けると思います。

そんなわけで、
8年ぶりのスタジオアルバム。
嬉し過ぎます。

2012/6/9 8:37am






PS. 下は2001年の様子。
11年前ですが、バンドメンバーの動きが今と全然違います。
やはり今は、みんな体が重そうです・・・。



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 Aerosmith | 音楽 Review

June 08, 2012

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さあ、非常に怪しいタイトルです。
一体、「とてつもない未来」とはどんな未来なのか、
ツッコまれそうです。

自分も、この本を会社の食堂で読んでいましたが、
先輩に「どんな本読んでるの?」と聞かれ、
この本の表紙を見せたら、
「そっちの方に興味があるの??」と、
やっぱり勘違いされました。

*****

この本は、2009/10/20に出版されました。
内容は、主に、

「時間は、過去から未来に流れるものではなく、
未来から過去に流れて行くものです。
よって、未来を、なるべく強い臨場感を持ってイメージし、
まるで手に取れるかの様にイメージが出来たら、
後は、その未来から今に直線が繋がっている様にイメージをして、
その道を歩むだけです」

というメッセージです。


彼が他の本でも言っている、

「時間は未来から過去へと流れて行くもの」
「抽象度を上げて、物事を見る」
「物事を立体的に見る」(例えば目の前のパソコンを見る際にも、そのパソコンに対して、様々な視点や観点で一度に見る)

などの論理が説かれています。
よって、苫米地氏の本を何冊も読んでいる人にとっては、
「ああ、またそれね」という内容の本でもあります。

*****

読んでいて面白かったが、
「あまのじゃくトレーニング」と称して、
「自分のスコトーマ(心理学的盲点)を外す訓練として、
今までに抱いた願望や価値観を全て否定して、自分の信条と全く逆のことをやってみる」というくだり。


例として、

「ビジネスで大成功したいと考えている人は、
会社を無断欠席したり、大遅刻をしたりしてみる」

や、

「食に拘りがある人は、
自分の嫌いな物や、不味いと思うものばかりを沢山食べる」

などの例はまだよかったのですが、

「美容に拘っている人は、
現在使用している化粧水や乳液を使うのをやめて、
コンビニで売っている安い石けんで、顔を毎日洗う」

の例が出て来た時は、思わず爆笑してしまいました。


(この主張のポイントは、以下の通り。

人は通常、”Belief System”(ブリーフ・システム。自分の信念に基づいて物事を考える傾向)を持っていて、その”信条”を元に、すべての行動を決めている。
しかし、その”信条”ゆえに、本来は見えるはずだったものが見えなくなっており、
実際には、その、自分が”見ようとしていないもの”の中に、自分にとってはもっと良いものが隠されていたりする。

例えば、「どこの高校に行ったらいいか分からない」と言っていた友人の中学生の息子に、苫米地氏が、「じゃあ、自分が一番行きたくないと思う学校の見学に行ってごらん」と薦めた所、その子は一番行きたく無いと思っていた「地元の公立高校」に見学に行った。その結果、「下らない生徒しかいなくて、先生もレベルが低い」と思っていた所、実際には、「効率なので真面目な生徒も多く、先生も熱い人が多かった。また、家からも一番近いし、学費も私立よりも安いので、一番いい選択肢であった」ということに気づいた、という例が挙げられる。

苫米地氏曰く、「人が持っているBelief Systemは、自分の両親の言葉や、周りの友達や学校の先生の意見、マスコミでいつか聴いた意見に影響をされて持った”偏見”」である
場合が多く、自分がそれを「良い」と思う根拠も、そんなに確固たるものではない、ということ。
そして、その”偏見”が故に、本来目の前にあって見えるはずのものが、見えなくなっていることが多すぎる、ということ。

よって、それを外すことで、自分の人生がもっと広がる、ということ。)



彼は、「自分のBelief Systemを外す為に、上に挙げた様な、自分の信条とは正反対の事を続けてしてみることで、何かに気づく。その後、もしも前の自分の考えの方が良いと結論づけた場合には、それに戻れば良い。」と説きます。

まあ、それはそうなんですが、その例えが極端すぎで、とても面白かったです。しかし参考になりました。

******

彼は、このように、結構極端な意見を、(笑いを狙っているのもあるかと思いますが)面白く書くので、読んでいてぷぷっと吹き出してしまうところが毎回あります。そこが彼の本の面白さの一つです。
(でも、一定の人からは、彼の書き方は、嫌われる傾向にもあると思う。)



別の表現で面白かったのは、
自分のスコトーマを外して、
周りの人間が考えてもいないような別の次元で物事を見て、行動をする人の例えで、
その昔、太古の生物の時代に、
初めて海から陸に上がった魚の話がでてきたとき。

「周りのどの魚も、『水の中の方が良いに決まっている。陸は危険だ』と思っている中で、その魚だけは、『俺は陸に上がる』と決めました。」

というくだりがあった。
この解説も、人の顔をしたような魚の挿絵と併せて読むと、非常に滑稽で面白かった。


*****


何だか、全然本のレビューになっていませんが、
この本で彼が言いたいのは、

「今までのように、過去と現在の研究ばかりして、それで未来が見えるわけではありません。現に、現在の情報量は、一昔前の情報量の何倍にもなっているので、過去と現在の情報ばかり研究していても、追いつく訳がありません。

それよりも、時間は未来から過去に流れているものなのだから、いかに物事を立体的に見て、抽象度を上げて、明確にイメージしながら考えるかで、未来は確実に見えて来るし、自分が望むその未来が今に繋がってくるのです。
その際に、自分の中に存在する、”Belief System”、”スコトーマ”を外すのが大事です。」

と言うこと。


彼が全ての彼の本で何度も述べている、
「抽象度を上げてモノゴトを見る」とは、

「例え、一見何のパターンもないような奇想天外なことでも、大きな視点で見て行くと、その中にある一定のパターンを見いだせる場合が多い。それと同じで、目の前のことしか見ないアリンコの目で物事を見るのではなく、情報を出来る限り削ぎ落として、俯瞰的な目で、ものごとを見て考える事で、そこに眠る、ある一定の本質を見いだせる」ということ。



*****

最近、彼の本ばかり読んでいるので、
「洗脳されないようにね。アナタはすぐに信じやすいんだから」と妻に心配をされています。

しかし、一度ハマるととことんハマってしまうので、
これからも当分、彼の本を読み続けるでしょう。



2012/6/8 23:11





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 苫米地英人 | 本 Review


2011/10/1にリオで行われたライブの様子です。

いやあ、彼らも大分うまくなりました。
最初に彼らのライブを見たのは2005年の5月、
サンノゼのHPパビリオンでしたが、
その時は、アダムレヴィーンの声も細く、
ギターの音にかき消されて、
全くうまくありませんでした。
むしろ、
「CDは良いけど、ヘタクソなバンドだなあ」
という感想でした。


しかし、年を重ねるごとに、
確実にうまくなって行っていますね。
(ただ、アダムレヴィーンの声は非常に甲高いので、
やっぱり、生のライブで聴くと、
他の音にかき消されがちですが。)



このライブ映像を見ても分かる様に、
アダムレヴィーンの声は非常に高いですね。
観客に叫びかけるところなんか、
高過ぎてちょっと笑ってしまいます。
(ライブの最後で、みんなに"Good night"と叫ぶ所はヘンタイの粋に入っています。)



それにしても、
彼らは本当に良い曲を沢山作りますね。

このライブも、最初から最後まで、
すべてがヒット曲で、聴いてすぐに分かるし、
観客が声を揃えて唄う様がすさまじい。

それと、ライブが始まってから7曲目の"The Sun"くらいまでの勢いが、
ハンパないですね。


*****


殆どの曲は、
アダムレヴィーンと、
キーボードのジェシーカーマイケル、
そしてギターのジェームズヴァレンタインの3人が作っています。

その中でも、アダムレヴィーンは必ずすべての曲をメインで作っているようなので、
やはり彼は才能があるんでしょうね。


*****


最新アルバムがあと12日で発売です。
とても楽しみです。


彼らの前作の"Hands All Over"は、
出てから2年近くが経ちましたが、
未だに毎日の様に聴いています。
本当に良く出来たアルバムです。

一枚目のアルバムも、最近またかなり聴いています。
(二枚目は、確かに良い曲も多いですが、
雰囲気が余り好きじゃありません。
結構辛い時期に聴いていたからかな。
その当時の辛い気持ちを思い出してしまいます。)

*****

ということで、
ジェシーカーマイケルがバンドから一旦抜けて、
ちゃんと良い曲を作ってくれるのか心配でしたが、
アダム君がそこは美味しい所を持って行ってくれると思うので、
彼にソングライティングの方も期待しています。



*****


彼らの様に、
とても良い曲を作り、
かつ、まだ若い(30代前半)なので、
これからの活動が長い間期待できるバンドがいる、
ということは、
何よりも心強いことです。

(俺の好きなバンドのエアロスミスやレニークラヴィッツたちは、
みんな歳を取って来てしまっているので。)

2012/6/8 22:09





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 Maroon 5 | 音楽 Review

June 06, 2012


さっき、同期の子たちの家で飲み会があり、
20時から22時過ぎまでその子たちの家にいた。

そこで、テレビがついていて、
A◯◯4◯の総選挙が行われていた。
(リアルネームを出すと、一気にブログのアクセスが増えそうなので止めておく。)


俺んちはテレビが無いから、
そうやって、テレビが付いているだけで、
「おおー、テレビだー。なんか、別の世界に来たみたい」
と思うわけですが、

そこで、彼女たちの「総選挙」とやらが行われていて、
なんかよく分からんけれど、
異様に見えてしまった。



あれは一体なんですか?

なんで、あんなものを、
19時から21時のゴールデンタイムで流しているんですか?


で、なんであの番組に、
茂◯健◯郎とかが出て、
神妙な顔をして、彼女たちの、わざとらしい涙ながらのコメントを聞いているんですか?



司会は徳◯だし。



本当に、日本のテレビは、レベルが低いなと思う。

まあ、全世界のテレビのレベルは低いのかもしれないが、

なんか、日本というのは、
ああやって、そのときの流行にみんな飛びついて、
(というか、マスコミが、その時の流行に飛びついて、
それしか流さない。
その時売れているお笑い芸人を出し、
その時に売れる内容のニュース報道しかせず、
どの局も、後ろでみんな踊らされているし、
その下らない番組により、
日本国民を踊らせている。)

非常に、異質なことをやっている。


(俺の様に、
留学中は、一年に一回くらいしか日本に帰って来なかったりして、
要するに、一年ぶりに日本のテレビを見たり、
または、今の様に、
やはり、普段はテレビを見ずに、
たまにこうして、テレビを見ると、
久しぶりに会う子供の身長が思いっきり伸びている事に気づく様に、
(そして、毎日その子供を見ている大人は、その変化ぶりに気づかない様に、)
日本のテレビが、いかにその時の”流行り”ばかりを追いかけているかに、
余計、顕著に気づくし、
同時に、その余りの一貫性の無さに、
驚いてしまう。
”下らなさ”という点では、
日本のテレビとマスコミは、恐ろしい程に一貫しているが。)


*****


同じ選挙は選挙でも、
実際の日本の政治の選挙よりも、
今日の彼女たちの選挙の方が、
注目を集めているんだろうな、と思う。


それも悲しい。

(野田総理は野田総理で、最近は消費税増税に向けて、
バカの一つ覚えの様な発言しかしていない。
彼も完全に後ろの官僚に踊らされているんだろうが、
最近の新聞やニュースを見ていると、
この日本の政治の仕方に、
頭に来てしょうがない。
朝から新聞を読むと、
その偏った意見や報道内容に、無性に腹が立ってしまう。)


*****


何とかならないんでしょうか、
日本国は。


というか、
実際の「日本人」一人ひとりは、
決して愚かではないと思うんだけれど、
その「日本」という国で流されている、
テレビ、ニュース、新聞等を操る、
マスコミの流す内容と、
その方向性が、
本当に、悲惨なんだと思う。




どうして日本人は、それに怒って、
この国の下らないマスコミ内容、
及び、報道の仕方に、
反対をしないのか?




それは、恐らく、
みんなが、「それ」を、
物心の付いた小さい頃から見ていて、
「その」おかしさに、
既に気づかなくなっているから。



2012/6/6/ 22:48







追記:
上の日記を書いてから、
彼女に、反対の視点の意見を教えてもらいました。

もちろん、俺が上に書いた様に、
テレビの2時間枠を使って、
まるまるとあの様子を放送するのはどうかと思う部分もあるけれど、

彼女たち自身に関しては、
日本の誰よりも頑張っている、と。

100名以上の女の子たちが、
一位の座を狙うために、
一年間、必死に頑張る、と。

そのために、テレビに出たり、
雑誌のインタビューに答えたり、
ブログを書いたり、
慈善活動をしたり、と。


同時に、10万人に、自分への投票をもらう反面、
それと同じ以上の数の人間からも、
批判を受ける、と。

そんな中、
相当の精神力で、頑張っているんだよ、と。



彼女たちは、実際にビジネスの手段にされていて、
お金を稼げるからこそ、ああやって、
ゴールデンタイムに、もの凄い金額の広告を出したりして、
放映をされるけれど、
その分、それだけの利益を作り出している、と。

また同時に、
完全なオタク文化でありながら、
彼女たちの影響で、
日本が海外から注目され、
彼女たちを見る為に、わざわざ海外から日本へ来るツアリスともいるだろう、と。



その辺でぼーっとしている子は、
彼女たちのグループに絶対に入れないし、
あの中で、一位を狙うのは、
相当の精神力の強さ(これはもう書きましたね)
を持っているはずだよ、と。


なので、彼女は、
同じ女の子として、
彼女たちの心境とか、がんばり様とか、
そういうことを想像して、感動してしまうし、
現に、あの日のメンバーのスピーチを見ても、
何回か泣いていしまった、と。


*****


それらの意見を、
15分近く、熱く語ってもらいました。



確かに、
僕も、あの日のテレビの内容にはビックリしましたが、
彼女たち自身に関しては、
また、別の視点から見る必要がありそうです。


*****


と、
こうして、偏った意見を持ちがちな俺を、
180℃別の方向から、
「もっとこういう見方もあるのよ。
もっと視野を広げなさい」
と、
諭してくれる、私の妻でした。


いつもありがとうございます。

2012/6/8 20:35




PS.でもさあ、
CDを買わないと投票が出来ないとか、
その効果により、ミリオンセールとか、
なんか、そういうのは、
好きじゃないね。

金儲けの方法としてはうまいんだろうけれど、
真剣に音楽の質だけで勝負しているミュージシャンたちが、
アルバムの売り上げの数を並べられて比較されるのは、
多分、変な気持ちなんじゃないかと思う。



まあ、それも今の、「日本文化」なんでしょうが。












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Thoughts-思ったこと 

June 04, 2012

4894514931

2012/3/21に出版された本。

4月の頭に、東京行きのバスの中で一度サラッと読んだが、
余りにも難しくて頭にすらっと入って来なかった。
いつもは大体の本は、
さらさらと読んでも内容が頭に入るが、
この本は自分の知らない経済用語や歴史がバンバン出てくるので、
一つ一つ噛み砕いて読んで行かないと、
理解が追いつかない。

ということで、少し置いていたのをまた出して来て、
昨日一日と今日をかけて、読み終わった。

非常に勉強になった。

*****

苫米地氏の本に対するアマゾンのレビューを見ると、
頭から彼に賛同する人と、
彼をボロクソにけなす人の、二極に別れる。
俺は、どちらかと言うと前者の方。

彼の本の中には、
かなり軽いノリで書かれているものもあり、
「これはわざわざお金を出して買うレベルの内容じゃないよね」
という本も多々あるが、
最近彼が出している、こういった経済関係の本や、
日本のマスコミや社会制度の問題を指摘する本は、
非常に示唆に富んでいて、
読んでいてとても勉強になる。

そして何より、彼の本を読む事により、
より自分が、世の中の色々な事に興味を持って、
「もっと知ろう」と思えることが、
何よりの恩恵である。

*****

この本の中では、目が開かされる記述が沢山あった。

果たして彼のその意見が全て事実として本当かどうかは、
自らが他の本やデータなども参考に調べ、
同時に、自分のアタマで考えてからでないと、
「本当かどうか」とは言えないが、
それを全て、やって行きたいと思える。
それだけ、触発されるところが多い本。




以下、俺がこの本を読んで、
興味を持った箇所。

(注意:一部はそのまま文章を抜粋し、
一部の言い回しや漢字使いなどは、
変更を施してあります。)


*****




「実際のところは、国債は円建ててあり、その殆どを国民が所有しているのであり、債権者は国民です。とすれば、借り手が貸し手に対して、「オレはキミにずいぶん借金しちゃったから、オレの借金はキミの所得から返すのが当然なんだぞ」と横柄に言っているのに等しい訳です。
ギリシャの例と本質的に違うのは、日本政府の借金は「円建て」だということです。他の通過で返済する必要がないのですから、デフォルトしようがないのです。」(p.90)




「実は、国民に増税を飲ませた結果、税収が減り、国家財政が行き詰まっている国が既に存在しています。それが、今ユーロ危機の主役を務めているギリシャです。
ギリシャ危機は、いわば国が財政の粉飾を行っていた事が出発点になっています。リーマンショックが起こり、国家財政の蓋を開けてみたら、とんでもない借金が発覚してしまったわけです。
そこでギリシャ政府は、財政赤字を減らす為に、国民への課税を強化しました。
ところが、課税強化によって民間経済が疲弊し、思い描いていた程の税収は上がりません。そのために、返って財政赤字が膨らむ状況に立たされています。財政破綻すれば、その重いツケは、それこそ後の世代が背負って行かなければなりません。ギリシャこそ、「後の世代にツケを回すな」という一見もっともな理屈により国家経済を悪化させ、「後の世代に重いツケを回した」典型例です。
日本政府は、増税が「ギリシャにならない為の道だ」としていますが、増税こそがギリシャに通じる道だ、という論理の方が正解です。にも関わらず、政府はまともな説明もほとんどないままに、復興増税を決めてしまいました。要するに、後は野となれ山となれで、いざとなればいくらでも消費税率を上げればいい、という腹なのかもしれません。」(p.94-95)




「社会保障の議論の際のお決まりは、日本の国民負担率は低い、という主張です。国民負担率が低く、そのために社会保障が十分でないというわけですが、日本の国民負担率が低いという指摘は、国会の審議でもよく使われます。国会で政治家が堂々と述べる訳ですから、それを聴いた国民はその通りに信じてしまうでしょう。ところが、これは全く正しくありません。
実は、日本の国民負担率が高い事は、内閣府がスウェーデンとの比較において、認めています。
(ここで、2005年7月の「スウェーデンと日本の国民負担率の比較」のデータを参照。)

‘本は、社会保障給付金などが少ないため、一見すると高負担のスウェーデンよりも、実際の国民負担率は高い。

△修両ない社会保証給付金の最たるものは、出産・育児等、家族政策関連の給付、高齢者・障害者関連の給付、そして雇用政策関連の給付の3つであり、スウェーデンは対GDPで、順番に日本の7倍、10倍、4倍の給付がある。
」 (p.123-126)




「年金財政がひっ迫しているのも、厚労省が年金基金を食いつぶしてしまったからです。年金はあるときまで、自分が積み立てた金を将来の自分がもらうという仕組みでしたが、いつの間にか、若者が年寄りの為にお金を融通する仕組みに変わってしまいました。
なぜ、そんなことになったのかといえば、グリーンピアなどの年金施設を乱造し、年金の運用に失敗したからです。そのため年金財源に巨額の損失が生じてしまいました。年金支給学の減額や至急年齢の引き上げは、いわば全て、官僚が運用に失敗したことが原因です。そのツケを国民に回して、厚労省はまるで当たり前だと言わんばかりに、相変らず威張っているわけです。
民間企業で社員が3億円も使い込めば、まず間違いなく実刑が下されます。ところが、官僚は兆の単位で使い込みを行っているにも関わらず、責任を一切問われません。こんなおかしな国がどこにあるというのでしょうか。」(p.148-149)




「TPPは、実質的にアメリカと2国間の自由貿易条約だと言われています。関税を撤廃、非関税障壁も取り払えば、日本にアメリカの医療サービス、行政サービス、金融サービスなどが流れ込み、アメリカ企業が日本市場を席巻することになるでしょう。これまでアメリカが年次改革要望書で日本に要求して来たことが、TPP参加ならあっさりと実現できるわけです。
実際、今年(2012年)2月14日の米下院公聴会では、米国の重要ターゲットが、「日本郵政問題」であると確認されています。まさにアメリカ側の本音です。
簡易保険93兆円をゆうちょ預金175兆円と合わせると、ゆうちょマネーは約270兆円になります。これがTPPの本丸です。かつで小泉・竹中ラインにやらせようとして失敗したことを、今度は民主党政権にやらせようというのが、アメリカ側の目論見です。
また、郵便事業を外資に解放する事もターゲットとして確認されています。

蛇に飲まれる蛙の様に、日本はアメリカに従おうとしていますが、ここへ来て、中国やロシアまでがTPPに感心を寄せ始めました。「アメリカが本気なら、俺たちも参加させてくれ」というわけです。
中国やロシアがTPPに参加しようとすれば、困るのは実はアメリカの方です。関税撤廃、非関税障壁を撤廃するというTPPの精神に従えば、アメリカ市場に中国製品やロシア製品が今以上に流れ込む事になります。良いとこ取りを目論むアメリカに、牽制球を投げつけたというところでしょう。そのため、アメリカの財界人の間でも、TPP論議が中断するというようなことが起こっています。」(p.209,210)




「そもそも、日本が(年に)2〜3%の経済成長をしなければならないという認識は、正しい事なのか?と。日本人が自分たちの事を、未だに新興国であると勘違いしているのではないか?
例えば、中国が年率2桁の経済成長を長期間続けていると言っても、それは走り出したばかりの自動車の様なものです。「去年は時速10キロで、今年は時速13キロになりました」というのが、年率30%の経済成長です。
それに対して、日本は単なる自動車を脱皮し、フェラーリに変わった経済です。それが今、例えば時速300キロで走っています。時速300キロの高速走行で1%の経済成長を遂げ、来年は303キロで走り、再来年は306キロで走るという状態を続けています。成長率に表れる数字はいかにも小さいかもしれませんが、それは誰にも真似出来ない様な高速走行で、日本と並行できる国はどこにも存在していないわけです。

もちろん、日本は今後、外国人が就業する様にならない限り、生産年齢人口が減って行きます。それに伴ってGDPは詰まるところ人口によって決まりますから、人口が減少するなら、フェラーリの時速も今年300キロが来年は297キロ、再来年は294キロと減って行くでしょう。
しかし、人口が減るのですから、それ自体、何も問題はありません。人口が減れば、税収が減り、それに合わせて政府支出も減っていきますから、日本人が経済的に苦しむようなことにはなりえません。

その場合に困るのは、自分たちが使える分のお金だけは維持して、利権を守りたいと考えている官僚だけです。人口が減り、経済規模が縮小しても、彼らは官僚の人数を減らしたく無いし、給料も上げて欲しいと言っているに過ぎません。

GDPを成長させなければならないというのは、官僚が仕掛けている幻想です。彼らの理論は常に、「それを成長させなければならないから、財政を立て直し、政府が使える金をもっと増やさなければならない」というところに行きつきます。
年金問題や介護問題などの社会保障も、根は同じです。日本は超高齢化社会で、お年寄りの介護で大変だ、だから政府が使える金をもっと増やせ、と言います。ところが、負担増に見合うだけの社会福祉が国民に提供された試しはありません。そして、国民がその事に不満をぶつけると、不満を解消する為にはもっと税金を上げる必要がある、と返して来ます。
官僚というのは、国民の不満や国家的危機を食(は)んで、つねに焼け太りしようとしようとする生き物だと捉えなくてはならないでしょう。」(p.212-216)




■世界の経済カースト(トップから順に):

_な撞霏膓箙圓離ーナーである銀行家
欧米巨大銀行の頭取
IMF, BIS等の国際金融機関
さ霏臈蟷餠箙堝取クラス
ゥ┘ソンモービル、GEといった多国籍企業
Ε▲瓮螢政府
С胴饑府(日本政府含む)
┠价掴△覆匹梁膣覿


「総務省は物価が下落しているとのデータを世の中に出しているが、実際にデータを調べると、物価は下落はしていません。
物価下落を表す政府の統計は、要するに、世界の多国籍企業の戦略の一環だということです。日本人がお金を溜め込む様にしかけ、それを、TPPによる市場開放や米国債の購入を迫るという形で、ごっそりかっさらう腹づもりでしょう。」(p.220-229)




「本書で述べたインフレとデフレの問題においても、そこにヨーロッパ大銀行家の意図が働いた痕跡を見る事ができます。
例えば、OECD(経済協力開発機構)は、次の様な定義をホームページ上に掲げています。
「インフレーションとは物価が継続的に上昇していくこと」「デフレーションとは物価が継続的に下落していくこと」と。既に指摘したように、この定義は明らかに間違っています。

インフレとデフレは、マクロ経済学の概念です。ご存知の様に、マクロ経済学は個々の製品価格を論じる分野ではありません。物価を問題にする場合には、ミクロ経済学で個々の製品価格を考えていくわけです。
マクロ経済学では通貨は「すべての通貨」、モノは「すべてのモノ」を指し、通貨とモノの関係を捉えて行きます。最近はマクロ経済とミクロ経済を統合する経済学の流れもありますが、だからといってインフレ・デフレの定義を変えて良いことにはなりません。
現代人は、状況の変化に応じてモノの価値が変化して当然だと思っているかもしれませんが、モノの価値というのは、ほんらいそう簡単に変わるものではありません。使っているうちに壊れてくれば価値がなくなるかもしれませんが、そのときは新しいモノが作られ、モノの総量としての価値は変わらないわけです。

では、なぜインフレやデフレが起こるのかといえば、これは専ら通貨の総量に起因しています。通貨の総量が増えれば、通貨の価値は相対的に下がり、インフレーションが起こります。逆に、通貨の総量が減れば、通貨の価値が相対的に上がり、デフレーションがが起こります。これが、ほんらいのインフレ、デフレの定義なのです。

ところが、OECDの定義では、このインフレとデフレの概念が、物価の概念に変わっています。これは、古典的な経済学から見ても、非常におかしな話です。素人ならともかく、十分に経済学を学んできたはずのOECDの研究者や職員が、こんな初歩的なミスを犯すとも思えません。

インフレ、デフレの概念を物価の概念に変えた事によって、実は私たちの目から隠されたことが二つあります。

ひとつは、物価は変わらないという当たり前のことを、私たちに見えなくしてしまったことです。OECDの定義が象徴しているように、「モノの価値は変化せずに通貨の価値が変化する」という本来の概念を、「モノの価値が変化して、通貨の価値は変化しない」という概念に変えた結果、不変の通貨の価値がモノの価値を決める、という論理のすり替えが行われました。つまり、お金がすべての基準であるという論理が、大手を振って通用する世界に、いつの間にか変わっているのです。
ヨーロッパの銀行家にとって、もともと通貨は、彼らが所有する金のことでした。彼らが、自分たちが所有する金の価値を不変と考え、それに対してあらゆるモノの価値が決まると考えたとしても、不思議はありません。そして、彼らの意向を体現した世界各国が、金本位の通貨制度を持ったのも当然です。実際、ブレトン・ウッズ体制においても、金は1オンス35ドルと決められ、世界各国の通貨は間接的に金と結びつきました。

本当は、金に不変の価値などありません。パソコンや携帯電話の電子部品に使われている様に、金にはもちろんモノとしての価値がありますが、あらゆる価値を量る絶対的な価値があるというのは、まったくの錯覚です。
ヨーロッパの銀行家は、金の不変の価値が崩れると困りますから、その価値から相対性を消し去ろうとしました。それが、金本位制の成立であり、あらゆるモノの価値の基準が通貨であるという概念を広めることだった、といえます。
その結果、私たちは知らず知らずのうちに、インフレもデフレも物価の概念であると思い込む様になってしまいました。

もう一つは、好況と不況の原因を隠してしまったことです。
特に日本人は、1990年のバブル崩壊から続く不況の中で、一体何をどうすれば不況から脱出できるのかさっぱり分からなくなり、自信を失っていると思います。総務省統計局の消費者物価指数でも、物価が継続的に下落しているとされていますから、まったく出口が見えないと悲観に陥るのも当然です。
ところが、それはマクロ経済とミクロ経済という全く異なる概念を混同させた結果として、日本人の多くがそう信じ込まされているだけのことです。

経済がインフレかデフレかを判断する理由は、単純にマネーストックが増えたか減ったか以外にありません。つまり、マネーストックを実質的に増やす事ができれば、デフレから脱却することができます。
また、今の日本は強い経済を続けていますから、ちょっとやそっとマネーストックを増やしても、インフレにならないとも言えます。それは、日本の経済成長にマネーストックが追いつかない状態を指しています。(以下省略)

にも関わらず、総務省統計局は個々の物価を調べて継続的に物価が下がっているとといい、日銀はマネーストックをコントロールできないと言い張っています。OECDがそうであるように、政府も日銀も、ヨーロッパの大銀行家が仕掛けた論理のすり替えに、どういうわけかやすやすと乗っかっているのです。」(p.232-238)











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 苫米地英人 | 本 Review
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June 25, 2002に出たアルバム。
俺が留学する一ヶ月前に出たということです。
しかしこのアルバムが完全にアメリカで流行り出したのは、
2003年以降でした。

じわじわと流行って来て、
いつの間にか、
「ラジオで良く聴くあのMaroon 5って、
ところでイギリスのバンド?」
てな感じでした。
(実際はLA出身のバリバリアメリカ人バンドです。
当時のアメリカの音楽シーンでは、
彼らの様な音楽スタイルとファッションセンスは珍しかった、と思う。)

*****

別に俺の思い出はどうでも良いんですが、
とにかく、良く出来たアルバムです。

非常に哀愁漂うというか、
とにかく、「雰囲気のある」アルバムです。
何回聴いても飽きません。

確かに、音の作りは、
彼らの二作目、そして三作目となるにつれて、
レコーディングの技術、歌の技術もあがっているけれど、
そして、
それらに比べると、このアルバムは随分、
荒削りに聴こえるけれども、
でも、その分、
鉛筆の下書きのデッサンだけで十分凄いというか、
ヘタに色を付けてゴージャスに見せなくても、
十分、元が良い、
という感じのアルバムです。



それが、このアルバムが、
実際に社会に出てから、
数年かけて、ジワジワと人気を出して来た理由でしょう。

一枚目のアルバムでこれだけヒットして、
二枚目のリリースが、5年後というのも、
随分珍しいバンドだと思います。

*****


さて、これはまた俺の個人的趣味になりますが、
ちょっとワインでも飲んで少し酔った状態で、
音楽を大音量で聴くのが、好きです。

ベースの音やギターのリズムが体にしみ込んで来て、
とても気持ちよくなります。

そして特に、
今までは特に歌詞を見ないで聴いて来た歌でも、
改めてその歌詞を見ながら、
その曲を聴くと、
今まで聴き取っていたと思っていたのと違う単語で実際は唄っていた、とか、
または、
文字にしてその歌を見る事で、
その後、その曲を改めて聴く時に、
より、その曲の台詞と世界観が、自分の中に染み渡って行く、
というのを感じます。


そして、そうやって過ごす時間は、
大事な楽しみの一つです。

俺は今まで、中学くらいから、
そうやって、一つの音楽を歌詞を見ながら、
その曲の歌詞を覚えて、
それで、英語の単語を増やして行く、
という方法を取っていました。

*****

また話はずれたけど、
とにかく、このアルバムは、
そういう、
「改めて歌詞を見ながら聴き、
その世界観を、また新しい目で見ながら、
その世界に浸る」
のに、非常に最適なアルバムの一つです。



******



ちなみに、彼らのニューアルバム、
"Overexposed"が、
今月、日本では6月20日に発売されます。

アダム・レヴィーン君と親友の
ジェシー・カーマイケル君は、
どうやら「自分の音楽性の追究と、スピリチュアル・ヒーリングに集中する」とかの理由で、
一旦、マルーン5を無定期で離れるそうです。
これは残念ですね。

(On March 9, 2012, It was announced that Jesse Carmichael would take a break from the band for an undetermined amount of time to focus more on his studies of music and "spiritual healing".) from Wikipedia

その代わり、今回のアルバムより、カニエウェストが真面目になったようなヤツがキーボードで加わっています。

さあ、今回のアルバムは、完全にPopと言われていますが、
果たしてどうなんでしょうか。


彼らには、一枚目と三枚目のように、
ロックやジャズ、R&B調で行って欲しいんですが。
また、二枚目みたいな雰囲気になったらちょっとやだな。


それにしても、前回のアルバムからたったの二年弱で出すというのは、
嬉しいですね。
最初に知った時はちょっとビックリでした。



2012/6/4 21:56





shunsukesekine at 21:57コメント(0)トラックバック(0) 
 Maroon 5 | 音楽 Review

June 03, 2012

2012/6/3 7:59am-


ここにも何度か書いているが、
今は、「留学をしている」という感覚が強い。

いずれ俺は、この土地を1年以内に去るのであり、
今は、テンポラリーでこの土地に滞在している、
という感覚。

よって、留学時代の心持ちに近い。





留学時代は、
常に、住む場所も変わるし、
学校も変わる、
また、進路も決まっておらず、
次はどうするのか、
どの学校に行くのか、
どの土地へ移動するのか、
何の仕事を将来選ぶのか、
という選択肢の中から、
常に、先を「選ぶ」という作業が続いていたので、
そういった意味でも、「安定していなかった」
状態である。



今はその点、
進路は、ある程度固まったので、
今の仕事でしっかりとキャリアを積んで行きながら、
自分自身、何が起こっても、
食って行ける人間として、
この世の中に存在していることが、
自分のミッションである。

キャリア、という観念において。

(プライベートでは、
妻と幸せな家庭を築き、
同時に、
子供を近いうちに持ち、
幸せな家庭生活を作って行く、
というのが目標。
それも安定しているので、
そこにもブレはない。)


*****


このように、
「進路、キャリア」
「プライベート」
という二点に置いては、
学生時代の時には、
どちらも確定していなかった為に、
毎日試行錯誤だったのに対して、
今は逆に安定している。


それとは反対に、
今、留学時代と同じことというのは、
初めに書いた様に、

「いずれ、この土地を去る」
ということが、分かっている、ということ。


*****


俺は、アメリカにいる頃は、
「いずれこの土地を必ず去るのだから、
今でしかできないこと。
アメリカでしかできないことを、
重点的にやろう」と、
いつも意識していた。



その結果が、
ただぼーっと過ごしているよりも、
より多くの友達を作り、
より多くの場所へ行き、
より多くのことを経験することへと、
繋がった。



*****


今も、似ている。

この土地には、少ししか滞在しないことから、
「今」しか出来ない事をしよう、という感覚が強い。


ただ、「より多くの土地へ」という意識は、
余りない。

場所は、はっきり言って、
誰か大切な人と行かない限り、
余り面白いものではないから。

(自分の場合は、それが妻である。)



それよりも、
今、一人でこの広い家に住み、
周りには何もなく、
山奥に籠っているような状態において、

「知識を付けよう」
という欲が、非常に高い。


*****


俺は今まで、
金融のこと、
経済のこと、
歴史のこと、
政治のこと、

そういったものに、
余り興味を覚えずに、
人生を生きて来た。


しかし今、
実際にお金を稼ぐ身となり、
また、
仕事を通して、
別の国の方と交渉をしたり、
または、
部署内での仕事をする上で、
上に挙げた知識の足りなさを、
感じている。


必要だから、勉強する。
それが、自分のスタイル。

*****


話が大分トピックとずれているが、
ここで書きたかった事は、


一体、人間というのは、
いつ、「属している」と感じるのか、
ということ。




俺は、今、「会社」という組織に属している。

よって、この「土地」に属しているという感じはないものの、
(この土地にはもちろん属しているが、あくまでも、
いずれこの土地を去るので、「一時的」という、
「仮」の感覚が強い。)

何かの「組織、グループ」に属している、
という安心感があるので、
そこは、精神的に安定している。

(また、その組織の居心地が良く、
その組織内で行う日々の活動が、
自分の生活、及び人生の目的に直結している、
ということが非常に大事。
それがないと、
例え何かの組織に属せようと、
決して、精神的安定感は生まれない。)



しかし、俺は、
上に書いた様に、
この「土地」に属している、
という感じは持たない。

これは、あくまでも一時的なものだから。


*****


しかしながら、
俺が前職において、
横浜に在住していたころ、

「組織」に対しての、
属する事により生まれる「精神的安定感」は、
ほんの一時しか感じられなかったが、
(それは、前職では一生キャリアをそこで積んで行く事ができない、
ということを、
ある時期から、感じたから。)

「土地」に対する「所属感」は、
少なからずあった。





しかし、その、
横浜の土地に対する「所属感」は、
なぜ、起こったのか?


それを、さっき考えていた。


決して、横浜のその土地は、
自然も多く無く、
居心地は、はっきり言って、
良くも無く、悪くもなく、
という感じだった。


その土地に、仕事以外の特定の友達がいたわけでもない。



ただ、今と違うのは、
「俺はいつか、ここを去る」
という感覚が、殆どなかったことだ。



決して、前職を一生続ける気がないことは、
分かっていた。

しかし、その横浜の土地を移って、
どこかへ移動する、
という実感も湧かなかった。


それは、今書きながら気づいたが、
きっと、
次の進路、
つまり、前職の後に、
一体、自分はどの道に進むのか、
が見えていなかったからなんだと思う。


人は、次のステップが決まっていない時に、
一歩を踏み出す程、勇気を必要とすることはないと思う。



しかし、今俺は、
次のステップが決まっている。

だから、安心して、
「この土地には、近いうちにおさらばだ」
という、安心感を、
感じるのだと思う。


*****


大分話がずれてきてしまったが、

そうやって、何かの「土地」や「組織」に属していない、
という「不安」を感じるとき、

それを紛らわす手段として、
人は色々なものに走る。

(本当は、その「不安」に向き合わなければ、
本当に自分の人生の問題は解決されないのだが、
それは非常にしんどい作業であり、
同時に、
毎日の仕事が辛かったりすると、
唯一、それができるプライベートの時間は、
ただの浪費活動に充てたくなってしまう。
しかし、それを続けることは、
本質の問題から目をそらしていることであるので、
一時的な「逃げ」により、
一時の満足感は得られようと、
心の奥底に眠る「不安感」は、
一生、付きまとって来る。)



その「不安」をかき消す手段として、
「テレビ」というものは、
非常に、有効な手段であると思う。


テレビを付けて、
その内容を見ているだけで、
例え自分は、山奥の誰もいないところに
一人で住んでいようとも、

テレビの中で起こることに、
意識を飛ばす事で、
まるで、「何か」に属している感が、
一気に生まれる。

そして有り難い事に、
テレビを見るに当たって、
「頭を使う」という行為は、必要とされない。





しかし同時に、
俺はテレビを見るということが嫌いなので、
テレビを見ない。

(番組の内容が気に入らない、
CMがうるさい、
そして、テレビによって、
自分の時間をコントロールされることが、
一番嫌い、などがある。)


そこで、何をするかというと、
パソコンでネットをするか、
(こうしてブログを書く、ニュースを見る、
Youtubeを見る、など)

映画を見るか、
本を読むか、
たまに、ギターを触るか、

それくらいしか、主にしない。



そして、今までは、
(つまり前職までは、)
キャリアも決まらず、
プライベートもフィックスしておらず、
その両方において、
「不安定」な状態があったわけだが、

今は、
キャリアに置いても、
プライベートに置いても、
完全に、フィックスしたので、

後は、
今得た、その二つを、
「いかに磨くか」
ということに、集中すればいいわけである。


(今までは、
「キャリア」「プライベート」という点において、
「新しい何かを、見つける」
という作業だったのに対して、
今は、
既に見つけた「それ」を、
じっくりと磨く事に、専念ができる。
ただ、自分の場合は、
プライベートにおいては、
自分の彼女という、
大事な人が、5年前から決まっていたので、
その点は、この5年間は一切心配がなかったけれど。)





そして、俺はきっと、
職人肌なので、
何か新しいものを見つける、
という、狩猟民族的な行為よりも、

既に見つけた武器を、
いかに、もっと切れる様に磨いて行くか、
もっと光るように、磨いて行くか、
という、ジックリした作業の方が、
性に合っているし、
好きなんだと思う。

(狩猟民族的なところは、
元々の俺の性格は、そうではないため、
それを出来ると嬉しい、という、
自己実現的な嬉しさを感じるために、
あえて自らを外に出して行く傾向はある。
しかし、心からそれを好きかというと、
それは違い、
本当は、
農耕民族の様に、
一つの畑を、
じっくりと耕して、
育てて行く事の方に、
より「安心感」を感じるのだと思う。)





そして、上に挙げた様に、
自分の心の中に、
本質的な問題が巣食うことにより生まれる
「不安感」を、取り除かずに、
または、
その「不安感」が、確実に存在するのに、
その存在を無視して、
一時的に、自分の趣味に走ることは、
例え、一時的な安心を覚えようとも、
本当の意味での、
心の「安定」は、
決して生み出さない。




しかし今の俺は、
今までと違い、
自分の人生で重要な二点、
「キャリア」
「プライベート」
の両方が、固まった。


(今までは、
それ(この5年間は「キャリア」)を「探す」作業が必要であり、
それが分からないことが、
心に巣食う、一番の「不安定感」だった。

そして、その答えを見つける為に、
試行錯誤して、悩んでいた。
しかし今は、それが解決された。
つまり、自分の心の奥の「不安」「迷い」が、
無くなった。)






だからこそ、今の俺は、
精神的に、本当に、
「安定」しているのだと思う。


つまり、今までは、
"I don' know what I'm doing"状態に対し、
今は、
"I know what I'm doing"状態。



*****




これは、今の仕事に就けた、
ということも大きいし、
しかしそれ以上に、
自分の妻のおかげ、
というところが大きいと思う。

彼女が、
俺をずっと励ましてくれてきたので、
今自分がいる状態に、
自分が辿り着けた、という感が、
非常に大きい。

なので、妻には非常に感謝している。


*****


同時に、
そもそも、
俺を、高校を出た後に留学させてくれた両親にも、
心から感謝をしている。

自分の両親が、
留学を承諾してくれなかったら、

そして、
バカ高い留学費用を
払ってくれなかったら、
俺は、留学なんて、
することができなかった。



それは、
留学を終えて、
今、
周りに留学をした人が殆どいない状態に陥り、
そこで、
「留学ができることは、
非常に特別な事だ」
ということを、
様々な人の言葉により、
しみじみと感じることからも、

改めて、
感じさせられる。

自分の両親に、
いかに、良い思いをさせてもらったのかを。



*****


だから俺は、
しっかりと稼いで、
自分の妻を幸せにし、
将来自分の子供が、
「留学をしたい」と言うのならば、
必ずさせてあげたいと思う。


そのためには、
今の時代、
いつ、自分の会社が潰れたり、
または、
自分の業界が危うくなるかも分からないので、
そのためにも、
自分自身を、
「会社に属する一人の人間」
として見なすのではなく、
「この社会で、どこでも生きて行ける、
一人の仕事人」
として、見なす事が、大事なわけであって。



そのために今俺は、
自分に足りない知識を増やし、
より、「仕事人」として、
自分のレベルを上げられる様に、
自らを、磨いている。



*****


以上、書きながら、
自己完結。

I needed to let all go and clear up my head.

2012/6/3 8:35am





PS.

あとは、ただ単純に、
「より良い人間になりたい」
「より、賢い人間になりたい」
「もっと、自分が自らを誇れる人間になりたい」
という欲が、強いだけ。


俺が自分を磨く理由は、
それが、究極の趣味だし、
それが、一番面白いから。
人生において。


以上。












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My Work-仕事 | My Life-人生

June 02, 2012



最近、日経新聞を見ると、
連日の様に、ミャンマー関係の記事が立て続けとなっている。


内容としては、
政治的な記事ももちろん多いが、

(最近では、アウン・サン・スー・チー氏の動向や、
5月28日のインドのシン首相とテイン・セイン大統領との首脳会談にて、
5億ドルをミャンマーに対して融資すること、及び、
空路と陸路の整備、国境地帯の開発などで合意したことなどが掲載されている。)

それ以外に、
日本企業の進出記事が相次いでいる。


ローソンなどコンビニ等のサービス業進出なり、
いすゞ自動車など、製造業の進出なり、と。


*****


2012年01月12日 (木)付けの、NHK解説委員室の時事公論内、道傳愛子 解説委員によると、
ミャンマーは主に下記3点の理由から、現在注目がされているとのこと。

)富な資源、労働力
(天然ガスは東南アジア第3位の埋蔵量、農業、漁業も盛ん。人口5800万の大国は労働力があり、発展の潜在性は極めて高く、経済力がつけばマーケットしても有望と見られている。)

中国の影響力への警戒
(ASEAN地域の主要貿易国の推移を見ると、2000年から2009年の間に中国の割合が急速に増加し存在感を増していることがわかる。ミャンマーに対しても欧米各国が経済制裁を課している間に、2011年度の中国の投資額は140億ドルと他の国を大きく引き離して首位に立っています。)

C論学的に重要
(ミャンマーはアジアの大国インドと中国にはさまれている。ベトナム、カンボジア、タイの主要都市をつなぐ「南部経済回廊」。そしてインドシナ半島の中部を横断する「東西経済回廊」の西側の起点となる。
ベンガル湾につながるミャンマーの港が整備されれば、東南アジアの東の端からインド、さらにはその先の中東、ヨーロッパへとつながる。ミャンマーでの開発が遅れれば「ミッシング・リンク」、つまり交通・流通のつながりを途切れさせ、連結性を高めたいASEAN東南アジア諸国連合にとっては足かせとなり、ASEANとの経済的なつながりを深めたい各国にとっても障害になるという認識が共有されている。

補足:
最近の要人の相次ぐミャンマー訪問にはひとたび制裁が解除され、投資・貿易が解禁となるときには出遅れてはならない、という思惑が見て取れる。しかし現実には、アメリカ、EUなどを中心にミャンマー製品の輸入禁止、政府高官へのビザ発給制限、資産の凍結、新規投資の禁止などの制裁が課せられ、関係強化には限界があるのが実情です。アメリカなどが制裁解除の前提としている「すべての政治犯の釈放」についても、先週(2012/1/12時点において)、およそ30人が釈放されたにとどまり、今もなお1000人近くが拘束されていると言われます。民主化に向けて踏み出したものの、政権の中には「すべての政治犯を釈放すれば社会が不安定になる」という抵抗もあり、民主化は加速度をつけては進まない限界があることを感じさせる。)


*****


しかしまあ、
日経新聞のミャンマー記事の連続投稿も、
何か意図的なものを感じずにはいられません。

これは俺の完全な個人的意見ですが、
毎日毎日、「ミャンマーにどこそこの会社も出資」
「どこそこも進出」
などを見ていると、
まるで、ミャンマーに、俺んとこの会社も出てかねえと、
と、煽られる感があります。


昨日(2012/6/1)の日経では、
インドが7年ぶり、
中国が3年ぶりに、低成長だった記事が、
一面にどかんと掲載されていました。


新聞というものは、
その新聞社によって、
載るニュース、
及び扱い方も変わるわけで、
読売新聞が政治のことばかり唄っている時に、
方や日経では、どうのこうの、
という状態です。

だから、なるべく、
主要紙を含めて、
色々な新聞に目を通すことが大事ですが、

話を元に戻して、

ミャンマーの連日の記事も、
何か、裏に意図を感じるなあ、
と思った事を、ここに記したかった。

2012/6/2 22:09








shunsukesekine at 22:00コメント(0)トラックバック(0) 
News Review 
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Dr. トマベッティーの本です。
この本は、2010年3月末に刊行されました。

この本は、2009年11月に出た、
「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」(by クリス・アンダーソン)
の本の内容を元に、
「実際のところはどうなのか?」
ということをテーマに書かれた本です。

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苫米地氏の別の本で彼は述べていましたが、
この本を執筆するに当たり、
編集者の人間が自分のところへ来る前に、
「フリー」の本を読んでおく時間が取れず、
編集者が自分のオフィスに着いてから、
5分だけ時間を取ってトイレに行き、
そこで一気に読んで、
その後に、この本の構想を話して決めた、とのことでした。

*****

まあ、今では苫米地氏の本を沢山読んでいるので、
それがハッタリではないだろうことが良くわかりますが、
彼の事を余り知らない頃は、
「このオッサン、なんか胡散臭い」という感じがプンプンでした。

この本も、やはりその一つです。

自分が苫米地氏の存在を目に留めたのは、
恐らくこの本が初めてだと思います。

2010年の3月、
本屋でこの本が新書コーナーに売り出されているのを見て、
その帯に映る彼の怪しいプロフィール写真を見て、
「どうせ、最近売れている本を利用して、
自分も金儲けをしたいという人間だろう」と、
この本を手に取る事もなく、
カバーだけで、この本をジャッジしていました。


そして、それから二年経った今、
やっとこの本を読みました。
非常に面白い内容でした。
正に、"Never judge a book by its cover"です。

*****


この本では、上に挙げた「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」
の内容をベースに、
その本の内容が述べる真実と、
論理として弱い点、
そして、
苫米地氏の体験と経験から考える、
彼自身の考察が語られています。

特に、自分ももう10年以上愛用しており、
個人的には大好きである、
検索サイトやフリーメールを提供するG社に対する描写も、
細かく書かれていました。

(例えば、G社は今までの世界展開に当たり、
技術面で先を行っていたL社やY社を差し置いて、
常に巨額の資金調達を難なく行い、それを達成して来ている。
その理由として、政治的な目的を持って
資金を投げ込む人間がいるのではないか、
など。

本当かどうかは分かりませんが、
上の会社に対して、悪いことをブログに書いたりすると、
その人のブログは、検索をかけても、
絶対に見つからない仕組みになっているとか。
それを、「村八分」ならぬ「G八分」と呼ぶらしい。
本当かね・・・)





他にも、世界的に有名なフリーチャットのSの機能は、
S側がしようと思えば、
Sのソフトをインストールしているユーザーのパソコンから得られる音声や映像のデータを、まるまるS側に送る事ができる、など。

(今は、コンピュータ自体に内蔵マイクやカメラが付いている場合も多いのに加え、
P2P(Peer to Peer)機能により、
例えSを起動していなくても、
常時、個人のPCとS側のサーバーとの間で24時間データ通信が行われているそうな。
そう考えると、俺のMacもばっちりと目の前に内蔵カメラが搭載され、
上には性能の良いマイクが内蔵されているわけで。)



実際に、上に挙げたG社は、
「私たちがしようと思えば、
全ユーザーの交信履歴をG社側で把握することができる」
と世間にも公表しています。


(よって、G社が始めているi Gなど、
G社の自分のアカウントにログインすることによって、
メールも、ドキュメントも、
写真も、ましてや自分のSNS情報までもが、
一貫して統一されている場合なんかは、
非常に危うい状態に自分を陥れている、
ということにもなります。)


*****


俺が個人的にこのブログを始めたのは、
2005年の始め頃でした。

その頃はまだアメリカにいたということもあり、
自分の個人情報を書いても、
余り日本側には関係ないだろう、という感覚が強くありました。

また、当時人気が出ていたMixiや、
その頃発足したfacebookなども、
今程は強力な力を持っていなかった、
というのもあります。

(当時はむしろ、
上の二つのSNSを使う人口はそれほど多く無く、
それを使い出した人間の方が、
一歩先を行く、という風潮があった。
それほど、ユーザー人数も多くなかったので、
本当の意味で、SNSを効果的に使う人が多かったのだと思う。)


それが今では、
誰もがfacebookに登録をするようになり、
本来それが持つはずの、
「本当に親しい人と、プライベートの内容をシェアする、
隠れ家的なところ」
という機能が、完全に覆されつつあります。

(もともとアメリカで流行っていたMySpaceが、
誰もがプライバシー関係なく、
手当り次第に友達を集める様な風潮があり、
それに対して、
Facebookは、「その大学に通っている学生しか登録できない」
という、非常にプライベート的なものだった。
しかし、今ではそれが、
日本においては、誰もがFacebookに登録し、
余り親しく無い人同士の間でも、
自分のプライベートをシェアする傾向にある。


また、これは俺個人の意見になりますが、
Facebookを使って、会社のマーケティングをしようと唄い、
その方法を伝授するために、
セミナーを2時間数十万円でやります、
と唄う会社ほど、個人的に嫌いなものはない。)


*****


話がそれましたが、
苫米地氏がこの本で語っている事は、

『「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」の中では、
「フリーランチは存在する」と述べられているが、
実際はそんなことはない。
無料のものほど、その裏には、
何かしらの意図が隠されており、
その代償は、明らかに高い。

また、今の時代、
フリーメールやSNSサイトを使う事により、
自分の情報が、全て世間に筒抜け(=権力者に筒抜け)
であることを、私たちは無意識的に感じており、
その、「見られている、誰かに四六時中監視されている」という無意識面での恐怖が、
私たちの行動を、制限させている』

と。

(つまり、彼のこの本の帯に貼られている、
「無料プレゼント」の言葉も、
疑ってかかりなさい、ということですね。)


*****



そして彼は、いつものように、
本の最後は、「抽象度を上げて生きろ」ということで、
話をまとめています。


苫米地氏の本は、毎回新しい本が出ますが、
殆どの場合、本の半分以上の内容は、
同じ事を言っています。

・「抽象度を上げることの重要性」
・「この世の中は、見えない権力者により、マスメディアなどを使い洗脳されている」
・「お金というもの自体には全く価値はなく、それは1912年のクリスマス休暇中に立ち上げられたFRBを牛耳る、ロスチャイルド系やロックフェラー系の家系が、世界を支配するに当り使用している紙切れにすぎない」
・「日本国民が収め、蓄えた税金や預貯金は、日本からアメリカへと吸い取られて行く」
・「資本主義は、金銭的な執着心を植え込まれた人間が、それを競うことで得た富を、権力者がそっくり吸い上げるためのシステムである」


など。


彼が言いたいのは、
「抽象度を上げることにより、
世の中に張り廻らされている”常識”とやらの数段上の視点で物事を見て、
雑念にとらわれる事無く、
超越した心持ちで生きなさい」
ということです。

「君たち、世の中のくだらない事に踊らされて、
人生を棒に振るなよ。
自分の人生を生きろよ」と。


*****

2012/6/2 6:40







追記:二点。



‘本でも浸透しているSuicaに関して:


現在Suicaに組み込まれているループアンテナの反応距離は、
30センチ以内、と電波法で規制されているが、
ある時そっと法律が変えられ、
ある一定の状況では、200メートルまで磁気反応機能を伸ばしてよい、
となっているとのこと。

その理由は、
アメリカの要望が背後にあり、
テロ対策である、と。

(ジャンボジェット機の機体は、
機長室から一番後ろの席までが200メートルであるとのこと。)


また、上のSuicaの仕組みの元である
USIDカードを持つアメリカ人が多く居住する、
日本の六本木などで、
半径1キロから出ているUSID電波をキャッチするコマンドを打ち込めば、
そこにいるUSIDカードを持つ全ての人間の個人情報が、
瞬時にして分かるとのこと。

(USIDとは、
電子ID法(Real ID Act)によって導入された、
アメリカの国民総背番号制のこと。
2005年にブッシュ政権の元で成立された。)


*****


地デジ放送に関して:



地上波デジタルは、リアルタイムのアナログ放送に比べ、
3秒の遅れがある。

よって、地震速報などが来ても、
それは実際に放送された時間から、
3秒遅れて家庭の画面に届いているわけであり、
その遅れが、実際の非難等に致命的な問題を起こす可能性が高い。


では、なぜ、リアルタイムより3秒も遅れる地デジが、
日本全国の家庭に統一されたのか?


地デジは、MPEG2(Moving Picture Expert Group 2)というアルゴリズムを使った放送。
MPEGは国際規格である。

MPEG技術は、MPEGLA(MPEGライセンス・エージェンシー)というアメリカの民間会社が保有し、
その会社が全ての特許権を管理する。

(例えば、日本の携帯電話のワンセグに使われているMPEG特許は、全てMPEGLAが保有する。よって、現在日本全体で使われている地デジ放送においても、MPEGの特許使用料が、アメリカMPEGLAという会社に入っている、ということ。)

そのMPEGLAの主要株主は、ジョージ・ブッシュ・ファミリーの関係者とまで言われている。

日本のメーカーがMPEGLAにライセンス料を支払うことが本決まりになったのは、小泉政権のときである。
既にMPEGを次世代の地デジに使う方針が事実上決まっていたが、それを正式に決めたのも、小泉政権である、と。

つまり、郵政を民営化することで、
日本の郵貯と簡保の資金をアメリカに提供しようとした一件と同じで、
ここでも小泉政権は、
ブッシュ政権と握手をしていた、と。

ここで恐らく、
小泉政権の主要人物には、
アメリカから謝礼が提供されていたであろうが、
それも、賄賂に始まる、「フリーミアム」の構造と瓜二つである、と。

(ある一定の人物にお金を払う事で、
後から、莫大な利益を得る仕組みを作る。)


*****




日本での地デジ放送の、リアルタイムに対する3秒遅延に対し、
アメリカでの地デジ放送では、
最大7秒の遅延が起こる。

これがいつ始まったかを辿ると、
2004年2月1日のスーパーボウルのハーフタイムショーで起こった、
ジャネット・ジャクソンの胸ポロリ事件からとのこと。

(これはアメリカでも大問題になり、
連日ニュースが酷かった。)

それ以来、この体制が整えられたが、
アメリカ政府が本当に問題と見なしているのは、
ジャネットの胸のことではなく、
対テロリスト、とのこと。

(仮に、テロリストがTVを電波ジャックし、
世界を揺るがす偽のニュースなどを流しても、
それを監視している政府側が、
7秒間の間に、
その映像が世間に流れる事を阻止する事ができる。)


よって、対テロの為に、
放送の遅延を認めること(つまり、MPEGによる地デジ放送の遅延を認めること)は、
政府による放送検閲を認めたことにすぎない、と。

そして、テレビ局は政府に対し、
「常に監視されている」という現状から、
政府に考慮した放送内容へと自主規制に走る。

(これは、日本の場合、
日本のTV局が、日本政府に対して、
そして、日本政府を取り締まるアメリカ政府に対して、
自主規制をする事と同じ。)

よって、放送遅延を認めた事により、
政府により世論操作が可能である状態を作り出すことで、
人々から言論の自由が奪われている、と。


結論として、
地デジ放送を日本が導入した理由は、

MPEGLAへの特許使用料が、アメリカの主要株主に送り込まれる。
日本の放送検閲権を、アメリカ政府に持たせる。

という二点の為だった、とのこと。


*****


これらの情報が真偽か否かは現時点では判断しかねるが、
このように、
世の中の動きの背後の心理を知ることは、
非常に大事である。










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 苫米地英人 | 本 Review
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国際金融取引、金融工学、証券・債券市場のしくみ、日銀・金融庁と金融メカニズム、
などに関しての本。

それぞれの用語の解説がただあるだけなので、
中身は全く深くない。

イラストがどのページにも入っているが、
そのイラストを見ていると、無性に居心地が悪くなって来る。
まるで、金融の世界がもの凄く腹黒い世界かの様に、
このイラストが物語ろうとしているかのような雰囲気が、
プンプンと漂ってくる。

そして、同じイラストを、
2回も3回も、別ページで使い、
吹き出しの中の台詞だけを変えたり、
そのイラストをアップにして、
いかにも「新しいイラストですよ」かの様に見せているので、
本の中身はともかく、
そのイラストに不満を覚えてしまう、本の作り。


作者は、もう少しその辺を、
手を抜かずに、考えた方が良かったと思う。


同じイラストが続くのであれば、
文字だけで、絵は何も無い方が良いのに。

2012/6/2 16:20




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本 Review |  金融・会計・投資
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