July 2009

July 28, 2009

dragonball_poster_destiny

ハリウッド版ドラゴンボール。

2002年、高校3年の頃に、
「ハリウッドが映画化するらしい」と聞いてから、
ずーっと待っていました。

そして、2007年ごろ、キャストが公開され、
「何だこりゃ!?」と。

以来、ずーっと嫌な予感がしていました。

一度、YouTubeで予告版を見てからは、
「絶対に映画館で見たくない」と思い、
今年の3月に公開されても、
見に行く勇気なんて全くありませんでした。

こんなに世界的に有名な、
鳥山明氏の「ドラゴンボール」の
映画でもあるにも関わらず、
公開された後も、いい評判は全く聞かず、

まるで、社会全体が、
作ってはいけないものを作ってしまって、
それを何とか明るみに出さず、
そーっと、

「映画が公開されました・・・」
「DVDが出ます・・・」

そんな風に扱っているような、
そんな感を受けていました。

だって、"あの"ドラゴンボールだよ?
それが、こんな扱いを受けるって、どれだけ駄作だったんだ?
と、本日遂に勇気を振り絞って、
ツタヤで借りて見てみました。


評価は、
「最悪」ですね。


何の見せ場も無いし、
映像も大した事ないし、
むしろ話がめちゃくちゃだし、
ただの「駄作映画」として見てみても、
本当にストーリーがなっていません。

相当のお金をつぎ込んで作ったようですが、
よくもこんな作品を作れたものです。

もう、この世界的に有名なドラゴンボールを、
ここまでヒドいものにするとは、
本当に悪夢みたいなもんです。

そりゃあ、流行らないハズだよ。

鳥山明を、ナメんなよ。


7.28.2009


PS.でも、ブルマ役のEmmy Rossumだけは可愛かったね。


emmy-rossum-photo

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映画 Review 

July 26, 2009


人の話を「聞く」ってこと。

その人が、何を言いたいのか、
何を、欲しているのか、
何を、求めているのか。

その人は、自分を、分かってもらいたいのか。


自分が言いたいことだけ考えて、
相手の話を「聞いて」いなかったら、
自分の相手をしているその人は、
つまらないよな。

人って、誰もが、
自分のことを、「分かって」もらいたいんだよな。


人の話を「聞かない」っていうのは、
自分のことしか、考えていないから。

人に興味がないっていうのは、
自分にしか、興味がないから。

俺がもし、その人に好感を持つとしたら、
その人が、俺の事を、「分かってくれている」
「気遣ってくれている」って思うから。
そう、思えるから。


それと、同じ事を、
相手にも、しなきゃダメだよな。


毎日、仕事を通して、
色々考える。
自分の欠点を、たくさん、気付かされる。

そして、そこを変えないと、
俺の仕事は、成果が出ない。


まずは、人の話を、「聞か」ないと。
その人のことを、「分かって」あげないと。

そう、難しいもんじゃないはずだよな。

07/26/2009


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My Work-仕事 

July 20, 2009

近所の銭湯に行って来た。
初めて行ったけど、色んなお湯があって楽しめた。
1時間以上いて、体もかなりスッキリした。
上がった後は、体がすごく軽くなって、
頭もスッキリする。
水泳に行った後と一緒。
サーフィンの後も一緒だけど、
水に長く浸かった後は、この爽やかな感覚に包まれる。
全てが、「幸せ」に感じる。
だから好き。水に浸かるのは・・・。

******

先日、16日は彼女と一緒で休みだった。
一緒に、七里ヶ浜にある、
「世界で一番おいしい朝食」と言われるご飯を食べに行った。

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Bills」と呼ばれるこの店は、
名前の通りBill Grangerという人が開いた店で、
オーストラリアに本店があって、
オーストラリア以外で他の国に開いたのは、
この七里ヶ浜の店舗が初めてらしい。

彼女に聞くと、レオナルド・ディカプリオが映画の撮影で
オーストラリアにいた際に、
ここの朝食を本当に”毎日”食べに来ていたらしい。

そんなBills。
有名なパンケーキと、朝食のセットを食べました。

CIMG0097


CIMG0093

パンケーキは、チーズと卵が入っていて、
中はフワフワ。
そして、朝食のスクランブルエッグや、その他の素材は、
全てオーガニックだそう。
なので、値段もやや高めだが、「いいものを食べた!」
という感じがした。


また、店は海のすぐ近くにあり、
店の中からは、地平線が広がる海がよく見える。
海を直接眺められテラスの席も用意してある。

更には、店が二つに分かれていて、
俺たちが入った方は、テーブル席が主の、
「ダイニング」という感じの雰囲気。
色合いも、木の色や、自然系の色などをふんだんに使い、
落ち着いた感じに。

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もう一方の空間は、
地面に近く座るソファや、仕切りで囲まれたテーブル席なが主の、
「夜のレストラン」、もしくは「バー」という感じの雰囲気。


どちらもよく作りこまれた雰囲気で、
しかし、自然さが漂い、
いい意味で肩の力が抜けたつくりをかもし出していました。
(ジャック・ジョンソンみたいな感じ)

CIMG0090


******

朝食セットはとても量が多く、
後に出てくるパンケーキを食べる余裕が無くなり、
途中でウェイトレスの女性に、
「今からパンケーキ、キャンセルできます?」と聞くが、
「もう作り始めたので無理です・・」とのことだった。

しかし、いざパンケーキが出てくると、
デザートの様な感覚で、簡単に食べられた。
更には、中田英寿に似たウェイターの男性が、
「ちょっと多すぎましたか?
 オーダーをお伺いするときに、
 一声かけておくべきでしたね」と、
気の利く声をかけてくれたので、
気分も晴れました。

やっぱり、ああいう気遣いの一言で、
お客さんの気持ちや雰囲気も、一気に変わるものです。
そういう心遣いが、非常に大事だなあと感じた瞬間でした。


なぜかソルト入れはプジョー!
細部にもこだわっている・・・
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******

帰りは、レストランの同じセクションにある
小さなサーフショップ等を見学。
すると、そこにあった美容院の中にいたスタイリストを
指して、彼女が、
「あの人、キムタクの髪を切っている人だよ」
と。

どうやら、キムタク主演の「ビューティフルライフ」
のドラマがやっていた頃、「カリスマ美容師」
たるものが流行りましたが、
その流行の第一人者ともなった人が、その人、
川畑タケルさんだそうです。

ボウズのおっちゃんでしたが、いい雰囲気を出していました。


すぐ目の前には海が広がる
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******

CIMG0104

海が目の前に見える江ノ電に乗り、
一度まちがえて、反対方向の電車に乗る。
すると、目の前の席に座っていた小学生2人。
その内の一人を指して、
「あの子のオーラはヤバい。今まで見てきた人の中で
 一番すごいオーラかもしれない」
と彼女。

その「オーラがすごい」少年を見ると、
確かに、目鼻立ちがスッキリして、
とても印象に残る雰囲気をかもし出していました。
見たのは4日前ですが、
今でもハッキリと思い出せます。

彼女に、「オーラが凄いって、どんな風に見えるの?」
と聞くと、
「その人の周りは、霧がかかったようになって、
その人物だけが、ハッキリと見える」と。
また、その人を見た瞬間、
その光景が、スローモーションになるそうです。

そんな「神童」と呼ばれる少年の横には、
更にこれまた「神童」と呼ぶべき、
もの凄い格好で寝ている小学生がおりました。

彼は靴を脱いで、席の所に45℃の角度でピンと背筋を伸ばし、
手には紙のボールのおもちゃを持っていました。
彼の寝方も凄かった・・・。笑


*****


そんなこんなで、海の見えるレストランで、
ゆっくりと贅沢な食事を取り、
とてもいい一日となりました。

それから、数週間前から
「誕生日が凄く楽しみ」と言っていた彼女。
何かと聞くと、どうやらとても気に入った指輪を見つけたそう。

なかなか気に入る指輪がない彼女が
そういうのは、相当気に入った指輪だということで、
この日は、ちょっと彼女の誕生日には早いですが、
それが無くなる前に、その店に買いに行きました。
とても喜んでくれて、毎日気に入って付けてくれています。

そんな彼女を見ると、とても幸せになります。
(完全なおのろけですな)

******

そんなわけで、
毎日仕事で夜遅くまで働く毎日ですが、
こうやって、たまにある休みを有効に使って、
「幸せ」と感じる瞬間を沢山つくる。
それが、すごく大事ですな。

2009/7/20


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日常 | Restaurant Review

July 09, 2009

我々

東京国立近代美術館にて、7月3日から開催されている
「ゴーギャン展」に行って来た。

今まで、ゴーギャンはあまり詳しくなかった。
特に好きなわけじゃないし、余り興味もなかった。
でも、今回、ゴーギャンの作品が世界中から
一度に集まるというのもあり、
ちょっと前から楽しみにしていたので、
遂に行って来ました。


平日の2時ごろに入ったので、人もそこまで多くなく、
まあまあ快適に見られました。

いつもはどの展覧会も、終了間際に行っていたので、
「見る」どころじゃなく、人の多さに辟易していましたが、
今日はそんなことはなくて良かったです。

********

肝心なゴーギャンの絵自体は、とても良かったです。

彼の描く絵は、まったりしていて、
色はとても鮮やかです。
色は原色なわけではないのですが、
色をうまく取り入れていて、見ていて落ち着く
色使いをしています。

また、この展覧会は、
ゴーギャンが初めて筆を握った頃の作品から、
一度彼がタヒチに行き、そこで描いた頃の作品郡、
そして、もう一度生まれ故郷のパリに戻ってきて、
そのパリで自分の絵が全く受け入れられない事にショックを受け、
もう二度とパリの地は踏まないと決め、
またタヒチに向かい、最後はマルキーズ諸島で死を迎えるまで
描き続けたまでの人生を、
3つの段階に分けて展示してありました。

ですので、作品を見ていて、
彼の画家としてのスキルが上がって行く様子も見えたし、
彼の情熱がどこへ向かって行ったのかを見ることもでき、
中々親切で興味深い展示の仕方となっていました。

彼が、二度目に訪れたタヒチの地で、
最愛の娘が無くなった悲しみと、
自分が悩まされていた病気の辛さに耐えながら、
遺書がわりに描いたという大作、

「我々はどこから来たのか 
 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

その作品は、一つだけ大きな空間を利用して、
その作品をじっくり味わえるように飾ってありました。

*******

正直、最初に中に入って、
まずはグルッと一周周り、
全ての絵を品定めしたときは、
あまり「すごいな」とは思いませんでしたが、
また入り口に戻り、
一つ一つの作品を、解説と供にジックリ見ていくと、
彼が「何」を描こうとしていたのか。
それがはっきりと見えてきて、
とても幸せな、濃い時間を過ごせました。

タヒチ















彼は、目の前に広がる、
しかし、写真や言葉では言い表せない、
その「空気」「感情」「愛しさ」「哀愁」
そういうものを、一枚の絵の中に収めようとしたわけです。

彼の描く絵は、技術的にすごく上手いわけでもないし、
言ってみれば、まるで小学生が描く絵のような
そんな雰囲気をかもし出します。

しかし、それは、その人にしか描けない、
かもし出せない、
そんな特別な「雰囲気」を含んでいるのです。

ゴーギャンの絵が、なぜ今も人に愛されるのか。
なぜ、生前はほとんど世の中に受け入れられなかったのに、
今では、世界中から賞賛されているのか。

それが、何となく感じ取れたような気がしました。

*******

また、彼の描く絵は、本当に雰囲気があって、
例えば「アリスカンの並木路、アルル」
という作品では、本当に目の前の紅葉の葉っぱが
こっちに飛んでくるような、
そんな感覚に陥りました。

アルル














また、彼がタヒチにいた頃に作った版画の作品郡。

タヒチの人々の生活や文化を浮き彫りにした
その作品群をじっくりと見ていると、
本来、人間というのは、
日の出と供に起き、自然の中で、
自然と共存し、
そしてまた、自然に対する畏怖の念も常に持ち合わせ、
夜は、悪霊が取り巻く闇に怯え、
そんな「生活」を送っていたんだな、と。

そんな、「生活」が、本来の「人間」というものであり、
そんな生活を、人々は、ほんの数百年前まで送っていたし、
それこそが、人間というものの、本質じゃないのかな、と、
そんなことを感じました。

タヒチ2
















*******

現代社会、
夜遅くまで仕事をし、
物質主義に走り、
物質的には恵まれているものの、
人々が感じる、「幸せ」と感じる感覚。
それは、果たして伸びているのだろうか。

数日前、CNNのニュースで、
世界で人々がどれだけ「幸せ度」を感じているかの
ランキングが発表されていました。

それを見ると、一位はコロンビア。
上位10位には、グアテマラやエルサルバドルなど、
中米の国がほとんど入り、
先進国、物質社会の象徴である
日本やアメリカは、丁度半分くらいの
75位あたりでした。

最下位は南アフリカのジンバブエで、
それらの地域では、貧困や紛争が起こっていて、
だからこそ人々が、幸せ度を感じないのは納得できるけど、
果たして、物質的にも十分恵まれている
日本やアメリカが、上位に名を連ねず、
140いくつある世界中の国々の中で、
ちょうど真ん中あたりというのは、
人々は、物質的、経済的に恵まれているからといって、
それが必ずしも「幸せ」には結びつかないということ。

それを見事に証明しているようでした。

*******

僕が2年半前にグアテマラとエルサルバドルを訪れたとき。

エルサルバドルのミゲールの家に泊まり、
彼の家族の生活を見ながら、
エルサルバドルの人たちの生活とはどの様なものかを
実体験しました。

人々は夜の9時には寝て、
朝の4時か5時に起きる。
夜は家族楽しく食事をして、
町を歩いていても、人々は他の人々に優しい。

そんな、シンプルで、昔ながらの生活。

だけど、すごく満たされていた気がしました。

*********

ゴーギャンも、今から100年前とはいえ、
フランスなどの先進国で人生を過ごし
(彼は株のトレーダーとして成功していた)、
その後タヒチに移って、
人々は元来どんなものであるのか、
それを感じたのではないか。

そして、そこに自分の情熱を感じ、
全てのパワーをそこに投じて、
自らの作品を残して行ったのではないか。

そんなことを感じました。

********

とにかく、ゴーギャンという人の生涯が
少しではあるが垣間見れる展覧会となっています。

夏休みになると混むと思うので、
興味のある人は、今のうちにぜひどうぞ。

2009.07.09



PS.
ゴーギャン展の会場から東京駅まで出ている
無料シャトルバスに帰りに乗ったとき。

その運転手さんが、マイクで色々と
教えてくれた。
皇居(江戸城)は、実は徳川家康が作ったものではないとか、
今取り壊し中のパレスホテルのローストビーフは
超絶品であったとか、
平将門の祭ってある場所があそこにありますとか、
何かツアーガイドのように
一つ一つ丁寧に、しかし心地良く教えてくれた。

そんなところには全く期待していなかったけど、
そのバスの運転手さんがいい人だったといいうだけで、
何か凄く幸せになった。

また、地元に帰ってきて、
自分の靴2足の踵が磨り減ってしまったので、
それを近くのスーパーの地下にある靴屋さんに持っていって
直してもらった。

そしたら、その靴屋さんが凄くいい人で、
靴もしっかり直してもらったし、色々教えてくれた。

そんな風に、いい人との出会いがあるだけで、
「ああ、今日ここに来てよかったな」
そう思える。

今まで色々なところに行って来たけど、
やっぱりそこの土地に行って良かったなと
思えるのは、その土地での人の出会いだし、
結局は、人との繋がりなんだな、と。

それを強く感じた一日でした。







こぼれ話
世界一「幸せ」な国はコスタリカ、日本は75位 英調査


(CNN) 英国のシンクタンク、新経済財団(NEF)が4日、世界143カ国・地域の「幸福度」について調査した結果を発表、世界一幸せな国に中米コスタリカが選ばれた。上位10カ国中には、ラテンアメリカ諸国が9カ国ランクインした。日本は75位だった。続きを読む

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行ったところReview | Art Review

July 07, 2009

1個前のブログに書いた、
「点から球を見ること」。
つまり、一つの情報から、全体像を見ること。

この事を書いたと思ったら、
早速、同じ様なことが起こったので、
ビックリした。それをここに書く。

*******

俺の今の仕事は、お客様が来店される前に、
その人の情報から、ある程度、
その人とのカウンセリングをして、
その上で話がどうなっていくだろうか、
という事を予測した上で、
カウンセリングに当たっていくことが
大事なんだけど、
俺は、その力がまだ足りないので、
上司に、最近良く言われる。

「先を予測して、ゴールまでのシナリオを描く事をしろ」
と。

つまり、今得ている情報から、自分のたどり着きたい
先を見る、「先見力」。

これは、俺が21歳ぐらいの頃から、
持つように言われてきたもので、しかし、
それが今できておらず、もがいている。


そんな先見力。
上司に、今一番必要なのはその力だと念押しされ、
昨日、彼が本を貸してくれた。
「仮説思考」(著者;内田和成)
という本。

これを今朝、電車の中で読んでいてビックリした。

要するに、この本に書いてあることは、
少しの情報から、仮説を立て、
それを自分の求めたいゴールに結び付けていくというもの。
または、自分の望むゴールにたどり着くために、
仮説を立てる力をつけるというもの。

この本の中で、将棋の羽生名人の話が出てきた。
彼は、80ほどの手から、その内無駄なものは一切切り捨てて、
可能性の高い3つほどに絞り込む、と。
で、その3つを検証し、一番良いものを選ぶ。

彼がその時に得られてる情報は、ほんの少しなもの。
相手が次にどの手を打つかどかは、分からない。
しかし、その少ない情報の中から、「無駄なモノ」を
そぎ落とし、本質だけを残す。

また、1993年に行われたサッカーワールドカップ・
アメリカ大会アジア予選で監督を務めた、
ハンス・オフト監督の話。

彼は、日本対中国の試合で、
試合が始まる前に、その試合結果を予測し、
見事的中したという。

他にも、色々な試合で、そのゲームがどうなるかの
詳しいところまで記者団に話し、それが見事
当たることが多かったという。

その点に関して、周りの人たちは
その「予測能力」に度肝を抜かれたが、
オフト自身は、それを予測ではなく、
「科学だ」と言っていたという。

*******

このくだりを読んで、
この前の和人が言っていた、
「占いは科学だ」という話。
そして、
彼が脈を診て、
その人の体の症状や正確等を言い当てる上で、
全ては、幾つかの情報から、
周りの全体像を見抜くという、いわば「先見力」。

それを、この本で言っていることと、
この前和人が言っていたことと、
俺が今仕事に一番求められるものと、
上司が貸してくれたこの本で言っていることが、
全てマッチしたので、
「うおお!」と驚いた。


人生、生きているとこういうことがよくある。
何か新しいことに気付いたら、
それが他の場面でも出てきたり、
後は、一つのことに気付いても、
それが、全く別の分野でも同じ共通項が発見できたり。

それは、全てを「一つ」と見るのと似ていると思う。

一つのことを拘って追求した人は、
他のことにも、同じ点を見出すから、
やはりそれをもマスターしてしまうし、

それはつまり、
全ての物事が持つ、「本質」というものは
一緒であって、
要は、それをどう見抜くか。
それにどう気付くか。
そこが一番重要だと思う。


例えば。
俺がサーフィンをして、海の波の
満ち引きを見ながら、ビジネスのこととか、
他の事に結び付けて考えたり、
今朝は、前から歩いてくる沢山の人の群れを見ながら、
「こうやって前から襲ってくる一つ一つの
小さな流れ(小さな仕事)に、その場その場で対応していたら、
その日はその諸業務であっという間に終わってしまうけど、
その人の流れの全体像を見るようにすれば、
その一つ一つの流れに翻弄されることはなく、
その大きな流れの隙間を縫って、一番
重要なポイントを抑えながら、仕事をスムーズにこなしていけるな」
なんて事に気付いたり、とか。


要は、全ては同じで、全ては一つで、
だからこそ、全てのことに、その「本質」を見抜き、
その上で、先を読む力、全体像を見抜く力、
いわゆる「先見力」をつけることが、
大事なんだと。


*****

そんなことで、最近考えていたことと
体験したこと、
そして今朝読んだ本の中身が一緒で、
「うおお!すげえ!」とちょっと震えた
一日でした。

2009/07/07 2:23am

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Thoughts-思ったこと | My Work-仕事

July 02, 2009

2009年 7月2日(木)

昨日の晩から、和人が泊まりに来た。
今日、タイヘ2週間の一人旅に行くため、
昨日はうちへ一泊して行った。
今日は2人で、横浜中華街等を周った。


和人と話していて、学ぶこと、感心することが、
本当にたくさんあった。

和人は鍼灸の先生。
鍼灸の道にかけては、本当に凄い人。
今回も、脈を見てもらったり、
舌診(舌の色や様子を見て健康状態を判断する)をしてもらったり、
お腹を押さえて、簡単な治療をしてもらったりした。

今回、和人と話して、体のことについてとか、
鍼灸のことについてとか、
感心することがたくさんあったけど、
一番驚いたのは、
今朝、中華街の地元民の店で、
お粥を食べながら聞いた話。

このブログの題名にも書いたが、
「点」から、「丸」(球体)へとものの見方を変えること。

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この世の中で、一番調和が取れた完璧な形は、
「丸」であるという。
だから、地球も丸いし、原子も丸い。


その「丸」の話がどうしたかと言うところだが、
和人に、中華街に行く道の途中で聞いた話から
発生した話が、元となった。

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最初、和人がどうして、鍼灸の道に入ったのかを聞いていて、
彼が最初に鍼灸の学校に通い始めたときに、
その頃に出会った一人の先生との出会いの話となった。

そこから、占いの話となった。


昔、それこそ卑弥呼の時代から、
国の情勢を予測するのは、占いが一番の方法だった。
そしてその次に食、
そして最後が、医者であった。

まずは何も起こっていない状態で、問題が起こる前に
先のことを予測して、国だけでなく、個人も、自分の先行きを決める。
それが、「占い」。

そして次に、食を通して、
自分の運勢をよくする。
それが、「食養生」。

そして最後に、体が悪くなってしまってから、
それを良くするために生まれたのが、
「医学」。


その流れを聞いて、
もともと占いの仕組みとは、どう生まれたのか、
それを和人に聞いた。

俺は最初、
「例えば、木の棒を投げたら、それがある方向に落ちて、
それが起こったときに、物事がこうだったから、
木がこの方向に落ちたら、物事はこうなる。
そんな感じに統計を取っていったの?」
と聞いたら、
「そうやっていたら、何万年かかっても、
物事の仕組みは分からない」と。

そんなわけで、「占い」の元々の仕組みがどう生まれたのかを、
その後入ったお粥屋でじっくり伺った。

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結論から言うと、
占いとは、完全な「科学」である。
そして、鍼灸の道、
東洋医学の道も、完全な「数学」である。


物事の全体像を捉えたものを、「事象」という。

そして、その事象、つまり、
この世の中の「仕組み」を解き明かそうとしたものが、
「占い」の始まりである。

しかし、その「事象」。
一つ一つ解明して行ったら、上に書いたように、
何万年かかっても解決しない。

だから昔の人は、
物事をカテゴリーに分けて、
大まかな仕組みを作った。

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平面の円。
これを一つ一つ分けていったら、360度、
全ての方向に線が伸びる。
でも、それをタテヨコ4つに分けて、
更にそれを4つに分けたら、
全部で8つの方角となる。

まずは、この「8つ」の方角を、
大きなカテゴリーとする。

これは、「当たるも八卦」の諺にあるものと同じ。

そして、今まで平面だったもの(つまりX軸)に、
更に縦の面(Y軸)の8つの方角も入れる。

すると、8×8で、64。
つまり、64個の「方角」というか、カテゴリーができる。

この64個の大まかなカテゴリーで、
この世の全ての事象をつかさどる「丸」、
つまり「球」を分けた。


占いとは、この64個のどこに、
その状態があるかを元に、
全ての動きである事象を読み解くものだという。

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例えば、俺が和人に脈を見てもらうと、
今自分は風邪を引いているとか、
喉が痛いとか、
脈が内向きであるとか、
昨日豚肉を食べたでしょ?とか、
そういったことを、簡単に言い当てられてしまう。

それは、まるでマジックのように見えるけど、
実は、それは完璧な「数学」であるという。

この脈のときは、この症状だから、
こうなる、
というような方程式に則って、和人は俺の症状を言い当てる。

それができるのは、和人が今まで何千人もの人の脈を見てきて、
その経験と知識より、
この脈のときは、こういった状態である、
という方程式を知っているから。


そして、そうやって言い当てる和人だが、
脈を診ると言っても、正直それは、ただの「脈」であり、
言ってみれば、どの人の脈も、大して変わりはないわけである。

しかし、その微妙な違い、
つまり感覚の世界のものを、
和人は感じ取って、そして、それを元に、
俺の今の体の状態、
つまり、全体像である、
「事象」を見ようとしている。


そして同時に、「豚肉を食べたときの脈」と言ったって、
いい豚肉を食べたときの脈と、
悪い豚肉を食べたときの脈も違うし、
そうやって言っていけば、
水を飲んだとき、
チョコレートを食べたとき、
お腹が痛いとき、

全ての状態、症状の脈は、
全て種類が違う。


しかも、その「違い」は、
感覚と経験でしか本当に気付けないような、
そんな、微妙な世界。


だからこそ、
「豚肉を食べたときの脈」
というような簡単な方程式は無いわけである。



だからこそ、和人が、「俊輔は昨晩豚肉を食べたでしょ」
と言うときは、
俺の脈を診たと同時に、
俺の話を聞いて、
「昨晩、中華街に行ったと言っていて、
 夜は何時ごろ食べたってことで、
 それで、このタイプの脈だから、
 きっと豚肉に違いない」
と、そういう風に答えを導き出して行くという。

つまり、
全体の事象において、
「脈」という、一つの手がかりと、
更に、他の幾つかの手がかりから、
今は64個のカテゴリーの一つか二つしか見えていないけど、
それらの情報を元に、
全体像である、「事象=球体」を見極めようとしているのである。


それが、和人が、俺の今の体の症状を言い当てる仕組みであり、
東洋医学における、「占い」の仕組みでもある。


ほんの小さな一つの「ヒント」から、
物事の全体像を見極めようとする。

そんな凄いことを、鍼灸師である和人はやっている。

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上の話、言い換えると、
例えば、グラスに入った、一杯の水。

それを見て、
「水がある」と見ることもできるし、
「グラスがある」とも見れるし、
温度の観点で言えば、「冷たいものがある」と見ることもできる。

つまり、グラス一杯の水でも、
色々な角度や視点から見れば、
様々なものとして見ることができる。


和人が、俺の「脈」を見るときは、
例えば、「水」を見ている。

それと同時に、俺の色々な話を聞くことで、
グラスに付く水滴を見て、
温度を予測して、
その水が入ったグラス全体像を見極めようと
しているわけである。


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そして、今日凄いなと思った話は、
和人の師匠の師匠である人の話。


実際に起こった話だが、
ある日、和人の師匠が、その師匠である方の
講義を聞いているとき。

外で突然、凄い音がして、車の大事故が起こった。

外に出て行って、それを見た和人の師匠。

教室に帰ってきて、
自分の師匠に言った。

「師匠!外で大きな事故が起きました!大変です!」

すると、それを聞いた師匠は、
教室の中にいながら、外に行って事故現場を見てもいないのに、
こう言った。

「今は何時何分で、外の天気はこんな感じで、
 今日はこんな状態か。

 大丈夫。その事故にあった車の中の人は、何も怪我をしていないよ」


実際に、その事故にあった人は、
車が大きく破損する事故だったにも関わらず、
本当に無傷だったという。

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こんな風に、一件信じられないようなことを、
この師匠は、沢山していたという。
そして、それを間近で見ていたのが、
和人の師匠である人。


この、和人の師匠の師匠は、
なぜ車の事故現場を見ずに、物事を言い当てたかというと、

つまり、
「この時間で、この天気で、この日付で、
その時に事故が起きた」
というように、その時外で起こっていた「事象」
を、幾つもの「ヒント」から、
その「全体像」を捉えていたわけである。

コップの話にすれば、
ただの一滴の水の情報から、
外に水滴がついた、冷たいグラスの全体像まで、
見通してしまったというわけである。


もちろん、これが出来るようになるには、
相当の経験と、知識がなければできない。

この方も、自分が30歳のときに、
自分が生きている時代の人の中では、誰よりも脈診に詳しくなり、
60歳で、東洋医学、西洋医学等、
全てをマスターし、
そして60歳以降、
この力を付けていったという。


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たった一つの「現象」から、
物事の全体像を見抜く。

つまり、一本の木から、
その森全体像を見抜く。

一つの点から、
その点が存在する、球の世界を見抜く。


この師匠は、こんなことが出来るわけだから、
この世の中のこと、どんなことにも精通していたし、
知識も生半可ではなかったという。

西洋医学の薬の名前なんかも、
どの医者よりも、詳しかったという。





つまり、この世の中にあるもの。

色々なものがあり、
バラバラに見えるが、
全ては、「一つ」であるということ。


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昔、俺がひろぽん(アメリカ時代のルームメイト)
と初めて会ったとき、
法律の勉強も、数学も、経済も、
テニスも、料理も、
ピアノも、サックスも、
何でもやる彼を見て、
「何でヒロさんはそんなに何でも出来るんですか?」
と聞いた。

すると彼はこう答えた。


「全ては一つなんだよ」


要するに、この世の中のものを、
一つ一つ区切って考えてしまうから、
自分には「できない」分野があると思ってしまう。

だけど、全ては一つ、繋がっていると考えれば、
何だって、できる可能性があるわけである。

その話を思い出した。

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それから、
その時、俺は和人の話を聞いていたが’、
普段なら、前で話しているその人が発する、
話の内容にしか集中しないが、

ふと、考えて見た。

今、こうして目の前で話す和人の話す内容。
その話をしている、和人の姿。
彼の着ているもの。
その後ろに広がる、中華料理屋の風景。
店の中にいる客たち。
そこにある、「雰囲気」。

そんなもの、「全て」を捉えながら、
物事全体を見るように、この世を見れば、
今まで気づかなかったこと、色々なことが、
見えてくるのではないか、と。


その店を一歩出て、
外を歩いているときも、
周りをよく見て、観察するだけで、
今目の前にある「現実」の「事象」(全体像)
が、見えてくるのではないか。

または、今は見えなくても、
そうやって物事を見ていくだけで、
段々と、今は気づかないことに、
気付いてくるのではないか、と。


和人と話した。

「今まで見えなかったことが、パッと見えるようになり、
 そうやって、今までは『これだけ〜』と思っていたものが、
 実は、もっともっと大きかった。
 そんな風に、自分が『きっとこれだけ』、
 そう思っていた『もの』の大きさが、
 実は想像以上に大きかった、
 つまり、その『可能性』の大きさを改めて知ったとき。

 その時、物凄く嬉しくなるし、この世の中の可能性の広さに、感服する」と。


それは、この世の中の物事だけじゃなく、
人の可能性にも言える。

自分が、『きっとこれだけ』と思っている、
自分自身の可能性。

その大きさが、実は、自分が想像していたものよりも
何倍も、何十倍も、何百倍もデカいと知ったとき。

そんな時、人間は、嬉しくなる。

自分が、自分が想像する以上に、
自分の人生を、デカく生きることができる。

そう思えるから。
そう、感じるから。

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この世の中のことは、自分が知っている以上に、
面白くて、広くて、色々な可能性を秘めている。

そして、全ては、一つである。

そう考えると、今この世界に生きている、
それだけで、もの凄いことだって、気付く。


人生は一度きり。
今、自分が数十年生きて生きて、自分がそう思っている
「人生の可能性」。
それは、自分が今までの経験により判断した、
当ての無い、ただの思い込みでしかない。

宇宙は、広い。
そして、自分の人生の可能性も、無限にある。


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そんな風に、ここに書いたことは
今日話した中のほんの一つのことだが、
和人と色んな事を話し、色々学ばせてもらった。

タイへの2週間の手ぶらの旅
(本当に手ぶら、バックすら持っていない!)
に行って帰ってきた後、
また和人はうちに泊まる予定。

今から楽しみである。


2009/7/2 11:34pm


shunsukesekine at 23:50コメント(2)トラックバック(0) 
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