May 2008

May 30, 2008

05 30 08 Ueno Museum















5月30日 金曜日

この日、上野の森美術館で現在開催されているイベント、
「井上雄彦 最後のマンガ展」に行ってきた。


素晴らしかった。


一歩中に足を入れた途端、
巨大な、「バガボンド」の宮本武蔵に目を奪われる。

武蔵の「死」を通して、

「人生とは」
「強さとは何か」
「最後、死ぬとき、人はどこへ帰るのか」

を、描いた作品。


*******


「強さ」を極め続けた武蔵が、
「強く」なるほど、
「人を殺し」、
「人を殺せば殺す」ほど、
自分の心には、
「トゲ」が刺さっていった。


そもそも、「強く」なりたかったのは、
「一人でも生きていける」様になるため。

母親を失くし、
父親にも嫌われ、憎まれ、
村人にも後ろ指を指された武蔵が、
仲間のいない中、
一人でも強く、生き残っていくため。


しかし、強さも極め、
一人でも生きていけるほど「強く」なった武蔵が、
自らの死を目前にし、
己の心に無数に刺さる、トゲに気づく。


その心のトゲを、一つずつ抜きながら、
武蔵は、己の人生の意義を、再確認していく。


そして、トゲが最後の一本になったとき、
武蔵が最後に求めたものとは・・・・?


05 30 08 Ueno Museum (5)















********


井上雄彦の直筆の、生の筆遣いが、
目の前で見られる。


井上雄彦の作品が好きな人、
彼の描く絵に魅了されている人、
「スラムダンク」「リアル」「バガボンド」
が好きな人たちには、
ぜひ、足を運んでもらいたい。

7月6日まで、毎日やっている。


興味のある人は、ぜひ。


06.05.08

05 30 08 Ueno Museum (7)

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行ったところReview | Art Review

May 29, 2008


5月12日、午後4時50分。
おばあちゃんは、天へ向けて旅立たれました。

その後、どうですか?

もう、おばちゃんがこの世からいなくなってから、2週間以上が過ぎました。


おばあちゃんのお葬式では、本当にたくさんの人が来てくれましたね。
160個ほどあった席が、満席となっていました。

式では、僕が、お別れの言葉を告げさせてもらいました。
おばあちゃんに、無事に届いているといいなと思います。


岩手県北上市では、おばあちゃんは、「伝説の高橋ハルさん」として、
誰もが知っていましたね。

その働きぶりは、凄まじく、
朝早くに出て行って、帰って来るのは、夜遅くでした。
一年の中で休みを取るのは、元旦だけで、
後の日は、全て、会社で過ごしていました。

産休のときも、
2日後には、働きに行っていたそうですね。
僕が中学3年のときの夏休みに、
おばあちゃんとお昼を食べながらその話を聞いた時にびっくりしたことを、
今でも昨日のように覚えています。

おばちゃんから聞いた話では、
会社にパソコンが入ってからも、
常にソロバンを使って、パソコンに打ち込んだデータをもう一度チェックしていたとか。

ある日なんか、会社の人全員が帰った後に、
既にパソコンで計算してあるデータを、もう一度ソロバンを使って計算し、
100万円の打ち間違いがあったことを、見つけたそうですね。

次の日に、「そんな風に、喋りながら仕事しているから、間違えることになるんだ!」と、
会社の人を叱ったそうですね。


そんな、仕事に厳しく、仕事一筋のおばあちゃんでしたが、
人の面倒見が本当に良くて、多くの人が、おばあちゃんのお世話になったことを、
今回、改めて感じさせられました。


おばあちゃんが亡くなった次の日にも、
多くの人が、おばあちゃんの元に詰めかけ、
「ハルさんには、本当にお世話になった」と、
涙を流していました。

お葬式の前にも、
何人もの人が、涙を流していました。
誰もが、「ハルさんには、本当にお世話になった」と。



70歳過ぎまで、働き続けたおばあちゃんでしたが、
引退した後も、今度は、地域のゴミ捨て場の清掃活動に、精を出していました。

それまでは汚かったゴミ捨て場も、おばあちゃんが、
全てボランティアで掃除し、
分別されずに出されたゴミも、一袋ずつ、おばあちゃんが開けて、
中身を分別していたそうですね。

弔辞の言葉を読まれた、近所の女性は、

「ハルさんは、雨の日も雪の日も、
 朝早くからゴミ捨て場に出かけ、
 ゴミの整理をしていました」

と仰っていました。

ハルおばあちゃんのおかげで、
以前は誰も整理しなかったゴミ捨て場も、
今では、地域の人が交代で、
整理をするようになったそうですね。



おばあちゃんは、毎年、
成田の家まで筋子やリンゴを送ってくれましたが、
筋子に関しても、毎年その時期になると、
おばあちゃんが沢山の筋子を買い入れ、
それを自宅で、自らの手でカットし、
袋に入れて、発泡スチロールの箱に入れて、
宅急便で、全国の親戚や、お友達に送られていたそうですね。


何よりも、お風呂が好きだったおばあちゃん。
今から3年半前の冬には、一緒に温泉にも行きました。

僕が、アメリカに行ってからは、
中々会う機会が取れませんでしたが、
それでも、毎回日本に帰るたびに、
おばあちゃんに会いにいくのを、楽しみにしていました。


僕は、小さい頃から成田に住んでいて、
おばあちゃんは、岩手でしたので、
中々会う機会がありませんでしたが、
それでも、小さい頃からの記憶を辿ると、
いつも、「ハルおばあちゃんは本当に優しくて、面倒見がいい」というのが、
おばあちゃんの印象です。

僕は、孫として、おばあちゃんを見ていましたが、
今回、お葬式の際に、本当に多くの方に会い、
多くの人の話を聞いて、
おばあちゃんが、生涯の間で、
本当に多くの人の面倒を見ていたこと。

それを、強く実感させられました。




おばあちゃんと会った最後の日、
5月5日。
ちょうど、おばあちゃんがあの世へ行く、一週間前でしたね。

おばあちゃんの手をさすりながら、
「おばあちゃんのおかげで、留学も出来て、
 自分は、本当にいい経験をすることが出来た。
 これも全て、支えてくれた、おばあちゃんのおかげだからね。
 本当に、どうもありがとう」
と言ったら、
おばあちゃん、声を出すのも大変だったのに、
「こっちこそありがとう」と言ってくれました。


僕が、この日の前日、おばあちゃんの元に着いた時も、
僕の顔を見るなり、腕を挙げて、僕の頭を、ぎゅーっと強く、抱きかかえてくれました。

力が入らないのに、
僕の手を、何度も、強く、
握ってくれました。





おばあちゃんが、この世からいなくなったということは、
今も、正直実感が湧きませんが、
今は、痛みなどなく、
幸せな気持ちで、いてくれたらいいなと思います。


おばあちゃんに送ってきた手紙は、
ボックスに入れて、大事に保管していてくれたんですね。
今回、おばあちゃんの形見として、
僕が持って帰って来ました。


最後、おばあちゃんと思ったように会話が出来なかったので、
おばあちゃんの思いが、よく分からなかったというのもあったのですが、
先週、おばあちゃんのお葬式が終わった次の日、
いとこのふーちゃんが、教えてくれました。

「この前行ったお蕎麦屋さんのね、天ぷらそばの天ぷらがすごく大きくて、
 これはすごいっておばあちゃん感動しててね。
 『俊輔にも食わしてやりてえな』って言ってたよ。」と。

それから、おばあちゃんの残していったものを整理していたとき、
おばあちゃんの財布から、僕の卒業式の時の写真が出てきたそうですね。

おばあちゃんも、俺のこと思っていてくれたんだなと分かって、
すごく嬉しかったです。



この2週間、
おばあちゃんのこと、書こうと思ったんですが、
なかなか書けませんでした。

今回、手紙のようにしましたが、
こうすれば、おばあちゃんに、直接思いが伝わると思いました。

おばあちゃんに、僕のメッセージが届いているといいです。


おばあちゃん、今までどうもありがとう。
俺も、精一杯、頑張るからね。
応援しててね。


05.29.2008

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おばあちゃん 

May 05, 2008

5月5日 朝2時41分

昨日、5月4日の午前中に、家族と岩手へ、おばあちゃんに会いに来た。


おばあちゃん、3月から、急に容態が悪くなって、
家族は、3月から、最低一月に一回の割合で、お見舞いに来ていたのだけれど、
今回、会ったおばあちゃんは、すっかりやせ細ってしまって、
骨と皮だけになってしまっていた。


そして、話が、ほとんどできなかった。
声が、出ないらしく、
本当に小さくて細い声で、
何とか、何かを言ってるのが、分かるくらいだった。


おじちゃんに聞くと、
おばあちゃんの容態が、ここまで悪くなったのは、
ここ2,3日のことらしい。
2,3日前までは、まだ、話せたし、自分で起きられたと。

母親と姉は、4月の頭に来たが、
その時は、玄関まで、立って迎えに来てくれて、
キッチンのダイニングテーブルでも、みんなと一緒に、食事をしていたそう。


親父が最後に来た、3月の半ばでも、
おばあちゃんは、普通に、小さな缶のビールを、飲んでいたそうだ。

それが、今日では、
飲み物どころか、もうほとんど、何も、口に出来なくなってしまった。


少し食べても、すぐに吐いてしまうらしい。

おばあちゃんの目は、うつろで、
顔は、やせ細りすぎてしまって、
おばあちゃん独特の、
気の強い、意思の強さを表す、あの表情は、
まったく見えなくなってしまった。

まるで、誰か別の人と、一緒にいるみたいだった。



俺が、アメリカでの友達の写真だよ、と。
何枚か現像してきた写真を見せ、
一枚一枚、解説してあげた。

サンノゼに住む、友達とその子供の写真を見たとき、
じーっと止まって見ていて、「かわいい」と言ってくれた。

それから、俺と彼女の写真も、じーっと見ていた。


体が、むくむらしく、
手や足を、さすってあげると、ずいぶん楽になるらしい。

あの、お風呂好きなおばあちゃんが、
今では、お風呂も入れなくなってしまった。
お風呂に入れると、体力を使いすぎるので、
もう、人に入れてもらうことも、控えた方がいいらしい。


ヘルパーの人が書いてくれた、
おばあちゃんの、健康日誌のようなものを見ると、
そこには、今から一ヶ月前、4月の半ばごろには、
まだ、「座って、テレビを見ておられた」とか、「新聞を読んでおられた」と書いてあった。
体を拭いてあげる度にも、「本当に優しいなあ、ありがとう」と、
声を一々かけてくれていたらしい。

受け答えも、いたって普通で、
つい、本当に数週間前までは、
体は弱っていたというものの、しっかりとやり取りが出来たとか。



俺が、親父からメールで、
「おばあちゃんの体調が良くない」というのを聞いたのは、3月の半ばだった。
それから、約2ヶ月。
俺が帰ってくる間に、一気に、おばあちゃんの容態は、
悪くなってしまったみたいだ。

もしも、あと1週間、早く会いに来てれば、
まだ、会話はしっかりと出来たのに。

あと、1ヶ月早く会いに来てれば、
立って歩くおばあちゃんと、会話が出来た。





ベッドサイドで、おばあちゃんの足をさすってあげながら、
ただ無言で、おばあちゃんの方を見ながら、
黙っている、お母さんの姿が、
いたたまれなかった。

夜、疲れて、
おばあちゃんのベッドの横の床で、
座布団の上で、小さくなって寝ている、お母さんの姿を見ると、
何とも、切なくなった。


今、お母さんは、おばあちゃんの横に、布団を敷いて寝ている。

俺と親父、姉貴は、
駅前のホテルに、移った。
4人も泊まっては、
おじちゃん、おばちゃんたちにも、悪いだろうという意味で。



********


明日、また、おばあちゃんに会いに行く。
明日の、3時の新幹線で、成田に帰るが、
その前に、おばあちゃんが、元気になるといい。

今日は、手と足を、さすることしか出来なかったが、
アロマのラベンダーのオイルで、
手と足を、さすってあげられたらいい。


05・05・08 2・58AM


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おばあちゃん 

May 03, 2008

5月3日 土曜日 09:48pm

一昨日の夕方、日本に帰ってきた。
母親が空港まで迎えに来てくれた。
実家が成田なので、非常に近くて便利。

成田空港に降りて、すぐに思った。
空港がすごく綺麗。
そして、シーンとしている。
とても静か。

人々が、大声で喋らない。
何か、人がいるのに、人がいない様な雰囲気。

車に乗る。
道路が、狭い。
左側通行。
変な感じがする。
俺は、日本で運転できないかも。

帰り道、いつも通っていた道を通るけど、
全てが、変な感じに見える。
こんなに全てが近くて、小さくて、狭かったっけ?という感じ。

家に着いた。
やはり、全てが思っていたより小さく感じる。
そして、低い。
テーブルも、ドアのノブも、椅子も、
全てが、低い位置にある。
天井も。
背が伸びたみたいに感じる。

久しぶりに会うお母さん、お姉ちゃん、親父は元気だった。
みんな、変わってなかった。

この日は、疲れすぎてて、9時ごろには寝た。
アメリカを去る日の前日と、飛行機の中では、ほとんど寝てなかったから。

*******

5月2日。昨日。

親父と、朝から外を回った。
1年半ぶりの銭湯。
お湯に、3ヶ月ぶりくらいに浸かった。

成田って、こんなに静かだったけ?という感じ。
店は多いのに、人が歩いていない。
あ、みんな車に乗ってんのかな。


アメリカにいる時は、ほとんど量を食べていなかったせいか、
家族の食べるペースについていけない。
毎食、前の食事を消化し切ってないのに、次の食事が来る。
お母さんが、料理を毎回作ってくれて、食べさせてくれるのは、大変有難い事ですが。

洗濯もしてもらえるし、
料理も作ってもらえるし、
もう本当に、感謝です。

それから、日本のテレビはヤバいな。
地上波デジタルっていうらしいけど、何だ、この画面の綺麗さは。
初めて見たけど、その綺麗さに、マジでビックリした。
画面に映っていた、中継の佐藤玉緒が、すごく綺麗に見えた。
「佐藤玉緒って、こんなにかわいかったのか・・・・!?」と、
一人でファンになりそうになっていた。
というか、もうファンになってしまった。

さっきも、NHKを付けたら、やってたドラマのシーン。
海のシーンだったけど、砂浜に吹く砂の一粒一粒とか、
海の波の水しぶきとか、
全てが、まるで目の前にあるみたい。

しかも、画面がワイドだから、画面構成が映画のように撮れて、
非常に素晴らしい。

1年半、見てないうちに、
こんなに日本のテレビは進化したのかと、
驚きの連続。

********


日本は、全てが近くにある。
土地が狭く、スペースがないから、
その狭いスペースに、全てがうまく収まっている。
スペースの活用方法が、非常にうまい。

しかし、一つのスペースに、色々なものが詰まっているため、
店なんかに行くと、一度に多くの情報が入ってきて、
目が疲れる。
アメリカに行くと、店は広いし、スーパーとか電気屋に行っても、
普通にたくさん歩かなきゃいけないけど、
こっちは、少しの空間に、本当に全てがつまっている。

それから、物の配列が、やはり下の方にある。
店の中とかにいても、常に目線は、下に降りている感じ。
気付くと、自分の姿勢も悪くなっているみたい。
たまに、姿勢を伸ばして、遠くの方を見る癖をつけねーと。
まるで、自分の視野まで、狭くなってしまいそう。

*********


1年半ぶりの日本は、
自分の生まれ故郷なんだけど、
まだ、完全に慣れない。
朝、起きると、
「もう自分は、日本に帰ってきちゃったんだ。アメリカにはもういないんだ」って、
気付く。
一昨日は、日本に着いた瞬間、
すでに、カリフォルニアの、ハンティントンビーチの海が、恋しくなってた。

まあ、次第に、慣れてきたけど。

**********

今は仕事も見つかってねーし、
次のステップが決まってないから、
つまり、目標が定まってないから、
今の状況に、不安定さを覚えるかもしれないけど、
それも、仕事が決まり次第、
なくなると思う。

とりあえずは、今の心理状況を、ここに記している。

帰ってきた初日に、いきなり、日本に慣れるわけではない。

6年間離れていて、カルチャーショックの方が、でかい。


*******

明日は、おばあちゃんのお見舞いに岩手まで行ってくる。

05/03/08 10:10pm




shunsukesekine at 22:06コメント(0)トラックバック(0) 

May 01, 2008

4月30日 午後2時ごろ

今、飛行機の中。
コリアン・エアー(大韓航空)を今回頼んだが、
とてもサービスが良くて大満足。
スチュワーデスのお姉さんたちは綺麗だし、
サービスはとても良いし、
昼食には美味しいビビンバが出るし、
ワインも何杯もお代わりをくれるし、
とにかく、サービスがいい。

1












ノース・ウエストとかの、アメリカ系の飛行機会社とは、大違いである。

ノースウエストなんて、もう最悪。
スチュワーデスのおばちゃんたちは、皆デブだし、
一人で通路を塞ぐ始末。
しかも、態度は悪いし、
全然憧れない。
テメエら、アジア人を見習えってんだ。

*****

さて、さっき、2時間ほど前に、この飛行機に乗り、アメリカを発った。
LAX(LA空港)から出発した。

空港までは、クロちゃんに送ってもらった。
俺の、高校からの親友である。

空港について、クロちゃんが帰った後は、
友達に電話した。

昨日ディナーを一緒にするはずだった、リー。
昨日、アレルギーが出てきたらしく、医者に行かなきゃいけなかったらしい。

その後は、俺の車を買ってくれたT君に電話し、
その後、サーフィン仲間の総長に電話。

次は、マウント・シャスタに住む、サンディ。
昨日、サンディの自宅に電話したけど、たまたまサンディは留守で、
サンディの娘のハナが電話に出た。
ハナも元気でやってるみたい。
毎回電話する度に、声が大人らしくなっていく。

サンディに、「先月さよならをしてから、連絡してなくてすみません」と。
また、近いうちに会えることを祈って。

それから、シアターのさやかさん、
そして、スティーブに電話。
彼らとは、先週末にでも、また最後にランチをと言ってたのに、
結局、俺の都合上、会えなかった。
その事を謝り、また近いうちに会いに来ますと。

それから、たまに何度も電話してくれてた、Aaron.
彼とは、ロングビーチ大学で出会った。
俺が今日本に帰ると言うと、「マジかよ!?」と。
お互い、元気でねと。

それから、クリス。
クリスとは、昨日の夜も会った。
俺がステイしてた、クロちゃんとゆうじ君の家に、すごく近いところに住んでいたクリス。
俺がロングビーチにいた頃は、中々遠くて会いに来れなかったけど、
今回は、日本に帰る前に、3,4回会えた。

昨夜は、「あなたのアメリカ最後の夜でしょう」と、
LAのダウンタウンの夜景を見に、車で連れて行ってくれた。

クロちゃんたちが住んでいるアルハンブラは、LAダウンタウンにこんなに近いなんて知らなかった。
パサデナにも、すごく近い。

俺が、この辺を全然模索しなかったことを言うと、
「私に言うべきだったのに!!一体何年、ここに住んでいると思ってるの?」と。

「また近いうちに帰ってこなきゃいけないってことね」と。

クリスとは、昨晩、色々と深い話もした。
毎回クリスと会うたび、色々な深い話が出来る。

物の見方についてとか、要するに、
「カタチにはないけど、心で感じる、その“感覚”、“価値観”」について。
そういう、感覚の世界のことを話せると、
すごく、「今、この人と話が出来てよかったなあ」と思う。

二人で話していた結果、
普段、物事に捉えられて、Distractedされている人々は、
物事のうわべしか話さないことが多い、と。

たとえば、常に車の話しかしない人とか。

その人の中にある、「こうあるべき像」に頭が捕らえられている人といると、
話す話題も、単調になるし、
結局、浅い話しか出来ない。

そんな中、深いことを考え、
そんなことを話し合えるクリスのような人と一緒にいると、
「本当に“会話”が楽しいなあ」と思える。

そして、そんな友達がいることを、非常に有難く思う。

******

クリスと話した後は、
飛行機に乗り、今度は、
オハイオ州のエスターと話した、
エスターも、元気でやってるみたいでよかった。

その後は、プリヤと。
プリヤは、俺がディアンザ・カレッジ(サンノゼの2年制大)にいた頃に、
同じクラスで出会って仲良くなった女の子。

俺がロングビーチに編入したとき、
プリヤは、Cal State Pomonaに編入した。
何回かプリヤのところへ遊びに行って、寿司も作った。

電話すると、「今仕事中だけど、3時に終わるから待ってて」と。
俺が、「いや、今飛行機に乗って、日本へ帰るところなんだけど」と言うと、
「Oh my gosh!!」と。

プリヤとこの前会ったのは、ちょうど一年前辺りの春休み後だった。
今回、プリヤを含め、ロングビーチ付近に住んでいる友達、
全員に会うことが出来なかった。

それから、サンノゼのデイビット。
やつも、今仕事中だとのテキスト・メッセージが来たけど、
もう今出るところだよ、と。

やつは、前月の終わり、ヴェトナムに、ボランティア活動に行ってたらしい。
Myspaceの写真を見たら、ずいぶん楽しそうだった。

デイビットにも会えなかったな。
すごく仲がよかったのに。
会いたかったな。

それから、ロングビーチ大学のときの友達、アイちゃん。
そして、サンノゼの、Blow Fish(俺が働いていた寿司屋)のノブさん。
彼らにも電話した。


昨日は、スーザン、スティーブ、ちさこ、
ロイ、ジーン、ランディ、
ノア、セス、デイビット、パッツィと話した。

みんな、「I’m gonna miss you Shun, I love you. I wish you all the best」と言ってくれる。
ランディとジーンは、
「Well, I hate losing my son. I already experienced once, and I don’t want to lose you again.」と。


アメリカに住んでると、一般的なアメリカ人のバカさに呆れるけど、
しかし、
俺が出会ったアメリカ人の人たちは、みんな、
本当にいい人たちだったなあと思う。

みんな、心が広くて、いつでも他人のことを迎え入れてくれて
本当に、いい人たちだなあ、と思う。


6年前。
俺が18歳のとき、アメリカに来たとき。
そのときは、この国の、誰も知らなかったのに、
今では、こんなに、心から話し合える、素晴らしき友達がたくさん出来た。

それだけで、本当に、
素晴らしいことだなあと、思う。


******


今は、まだ日本に着いてないから、
「日本に帰ってきた」っていう実感が湧かないけど、
日本に着いた途端、もう、自分はアメリカにいないことに、
気付くんだと思う。

今度は、アメリカから、日本の文化に、慣れる番。
6年前、全く知らないアメリカの土地に、足を踏み入れたのと同じように、
今度は、自分が生まれた土地、日本に、
また、足を踏み入れる時期。


みんなに、「日本に帰れて、相当嬉しいでしょう?」と聞かれたけど、
正直な答えは、「ちょっと不安だ」ということだった。

でも、昨日話していたとき、スーザンが、

「必ず物事には、2面性があるわ。
これを、“アメリカ生活の終わり”と捉えずに、
“新しい人生の始まりだ”と捉えるべきよ」と言われた。

まさに、そうだと思う。


今度は、日本で、
自分がどうなるか、見るときだと思う。


*******


空の上で、
思ったこと。

04-30-2008 02:34pm

2

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2008 Last Trip in CA 
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