November 2007

November 30, 2007

え

久しぶりの映画レビューです。

今回、この映画を見に行って来ました。ディズニーの映画です。日本タイトルは「魔法にかけられて」で、2008年の3月に公開のようです。

アメリカでは11月21日に公開されましたが、見た人の評価がよかったので、僕も彼女と見てきました。

内容は特に期待していませんでしたが、なかなか面白かったですね。
音楽もいいし、映画の中で、今までのディズニーをパロディ化して、ちょっと皮肉っぽくしているところがよかったです。


また、ただのラブ・コメディではなく、大事なメッセージも隠されていました。
「この世の中は、おとぎ話のように全てがうまくはいかないけれど、その中でも希望を無くさずにトライし続けることが大事」みたいな・・・(彼女によると)

観客はどうやら、半数以上が25歳以上だとか。大人向けでもあるようですね。
興味のある方はぜひご覧あれ。

11.29.07


映画予告


映画の1シーン(俺のお気に入りの曲)


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映画 Review 

November 29, 2007

jean roy


Roy, Jeanと




2007年11月22日 木曜日(前半からの続き)

バーニーからの山道を越え、4時半頃やっと、ロイの故郷、マッカーサーに着きました。

小さなダウンタウンにあるポストオフィスの横の道を通り、突き当りを右に折れて、家が集まった一帯の中にある小さな道を通って、ロイの家の前に出ます。

車を停め、外に出て、上着を着ていると、誰かが家から出てきました。
ロイです。

「ヘーイ!シューン!」

相変わらずのロイ口調です。

彼と握手をし、家の中に入りました。
家を入ってすぐのところにあるキッチンでは、ジーンとランディが、ディナーの準備をしていました。
「Hi Jean! Randy!」
「Hi Shun!」

二人とも元気そうです。
彼女を二人に紹介し、お土産の梅酒とカードを渡しました。
洗面所で手を洗って、すぐにディナーの開始です。

***

今回も相変わらず、大きなターキーに加え、ジーンの作ったパン、マッシュド・ポテト、グレイヴィーソース、ラズベリーソース、フルーツサラダ等、たくさんの品数がテーブルに並びます。

ジーンの作る料理は、とても美味しいです。味付けがとてもいいのです。
アメリカの人たちが作る料理は、あまり「おいしい!!」と言えるような品があまりないのですが、彼女の作る料理は、どれも本当においしいです。

22パウンドのターキー
turkey






食事をしているとき、最近の状況をジーンに色々と聞かれました。まるで実の母親に色々聞かれているようでした。


全ての料理をしっかり味わった後は、居間に行き、ランディと少し話して、お決まりのカウチに腰掛けて、テレビを見ました。
ジーンとロイは、彼女とキッチンのテーブルで、ずっと話をしていました。

3人が居間に来ると、どうやら彼女はジーンとかなり打ち解けたようです。
二人ともとても仲良くしていました。僕も嬉しかったです。

リビングルーム
livingroom






しばらくするとランディに聞かれました。
「So Shun, are you still living in a closet?」(まだクローゼットに住んでいるのかい?)

いや、もう出たよと言うと、ジーンがニヤニヤしながら、俺の方を向いて、
「Why don't you tell Randy who else was living there?(そのクローゼットに誰がもう一人住んでいたのかを教えてあげたら?)」と催促してきました。

どうやら、さっきキッチンで彼女とジーンが話していたとき、彼女がそのことを話していたらしいです。


ランディは、「なに?そこに他に誰かも住んでいたのか?」と驚いた顔をしています。
そこで、彼女が、「Me!」と。

ランディは「ワッハッハ!!」と言って思いっきり笑っていました。

彼女がランディに言いました。

「Because it was so small for 2 people and we were running out of air, becasue there is no window. We needed more oxygen」

(部屋が小さすぎて、二人で住むには狭すぎたんです。それに、部屋には窓が無くて、空気が足りなかったんですよ。もっと酸素が必要だったのでね)

それを聞くと、ランディはまたまた大爆笑です。ジーンとロイもまた大声で笑っていました。
土地の広いアメリカに住む彼らにとって、狭いクローゼットに住むということは、かなりヘンタイなのでしょう。しかも、そこに二人で住もうとしたこともね。

「I even bought a small plant to get more oxygen(酸素を取り込むために、小さなプラントも買ったんだよ)」と言うと、さらに3人は大爆笑でした。


***

そのあと僕らはカウチに座って、ゆっくりテレビを見たり、少し話したりしていました。
ロイは自分のジーンズが破れたので、そこをアイロンして補修しています。
床にきちっと正座をしてアイロンをしている彼の姿がとてもかわいかったです。

ロイが糸でジーンズを縫っていると、ジーンが「ロイ、頭の油をつければ。針の通りがよくなるわよ」と言うと、ロイはその通り、頭に針をつけて、せっせと縫っていました。

roy sawing






この夜は、運転などで疲れていたため、早めに寝ました。
ロイが彼の部屋とベッドを貸してくれました。
ありがとうロイ。

ロイの部屋
roys room







***

この家に来ると、とても落ち着きます。
アメリカの中で一番落ち着ける家です。
家のなかはとてもシンプルで、必要なもの意外何もありませんが、それがとても心地よいのです。
キッチンにある、今ではどこでも売ってないような、古くて小さいテレビなどが、とても好きです。

家の中には、家族の写真が飾ってあります。ジーンがそれらの写真を丁寧に説明してくれました。
ランディの若い頃や、ロイのまだ小さい頃。ロイが14歳の頃の写真は、まだロイの顔は幼い子供です。
自分の14歳の頃を思い出しながら、あの頃の自分と、その写真のロイを頭の中で隣に並べてみると、とても不思議な感じがしました。

ランディとロイ
roy and randy






そこにはロイの生まれたときの小さな写真がありました。

ロイは、予定日よりも10週間も早く生まれたそうです。その写真を見ると、隣においてあるケアベアよりも、もっと小さいロイ。
体重はなんと、2パウンド(907グラム)しかなかったそうです。
その小さなロイの写真を見ながら、ジーンは懐かしそうに話をしてくれました。

ロイは、ランディとジーンに、とても可愛がられています。特にジーンには、今でも小さな赤ちゃんのように、とても可愛がられています。
きっと、ロイがそんな風にして生まれたから、ジーンにはロイが、とても可愛いのでしょう。

ロイには上にお姉さんが二人いますが、二人ともロイと10歳以上、歳が離れています。
今回話を聞いていて知りましたが、ロイの前には、もう一人、別の男のこの赤ちゃんがいたようです。しかし、生まれて2週間ほどで亡くなってしまったとか。

その赤ちゃんの写真を見て、その赤ちゃんの話をしているとき、ジーンの目は涙で潤んでいました。

その後に生まれたロイだからこそ、しかも、体がそんなに小さいにも関わらず、今もこうして元気に育っているから、ジーンにはロイが、それだけ可愛いのでしょう。

***

ジーンは、生まれてから子供時代まで、今僕が住んでいるロングビーチに近い、ノアウォークという町、南カリフォルニアで育ちましたが、彼女のお父さんが50歳で亡くなってから、今のマッカーサーに越してきたそうです。そこで、高校時代に出会ったランディと結婚しました。

ジーンは今から2年前である2005年の3月にも、自分のお兄さんを、若くして亡くしています。お兄さんは、まだ55歳ほどだったそうです。


僕の彼女とも話していましたが、ジーンは、深い悲しみのある人です。
彼女は、深い悲しみがある分、優しさもまた深い人です。

僕の彼女が言っていました。
「ジーンは、きっと、彼女の人生の中で味わえる悲しみの量がこれだけあったとしたら、その量全てを、すでに若いうちに経験してしまったんじゃないかな」と。
「だから、ジーンはこれからはもう、幸せになるしかないんだと思うよ」と。

また、ジーンは、男性との縁に恵まれてこなかったんじゃないかと。
お父さんを若い頃に亡くし、自分のお兄さんも若くして亡くなり、ロイのお兄ちゃんにあたる人も、生まれてすぐに亡くなってしまった。
だからこそ、ロイが天使のように思えるんじゃないか、と。

そしてだからこそ、ランディに会えてよかったね、と。
ランディは、すごく優しくて、いい旦那さんだから。

今までは、ジーンのことを、ただのロイのお母さんとしてしか見てきませんでしたが、今回は僕の彼女から、女性の視点から見た話を聞き、ジーンがいかにロイが大事かを、よく分かるようになりました。

***

夜、カウチに座ってジーンと話していたとき、ジーンが僕に言いました。

「Roy is getting too independent. He doesn't want to come back home, so we got to go see him(ロイは最近、独立しすぎているのよ。彼がもう家に帰ってこようとしないから、今度は私たちがロイに会いにいかなければいけないわ)」

その目には、深い愛情が見えました。

***

その夜は、彼女とジーンの話をしながら、眠りにつきました。

(続く)




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2007 Thanks Giving Trip 
2007年11月22日 木曜日

さて、旅は二日目。
今日はSan Joseから、McArthur(マッカーサー)まで行きます。
マッカーサーは、僕の元ルームメイトである、ロイの両親が住む場所です。

この日、22日が、Thanks Giving Dayでした。
ですので、アメリカではどの家族も、みんなこの日に家族で家に集まって、ターキー等を食べます。
ロイも、この休みを利用して、両親の元に会いに帰ってきています。
ロイには4月に会いましたが、ロイのお父さんとお母さんに会うのは、去年のサンクスギヴィング以来、一年ぶりです。

この日をかなり前から、とても楽しみにしていました。

***

朝、デイビットのところで8時ごろ起きて、シャワーを浴び、まだ寝ている彼にありがとうを言って、彼のアパートを出ました。

すぐ近くにある中華系のスーパーマーケット(Marina)で、僕がサンノゼにいた頃によく買っていたパンを買います。

このスーパーの中には、その場で焼いている焼き立てのパンが売られています。
僕のお気に入りはメロンパンです。こっちでは「パイナップル・ブレッド」と言いますが、味は日本のメロンパンとほぼ同じです。見た目もほぼ同じです。

彼女と僕用に、メロンパンと、タロイモパンを二つずつ、それから、僕の大好きな中華ゴマ団子が売られているのを発見し、それを興奮して3つ買いました。3つで1,5ドルくらいでした。

bread






ちなみにそのスーパーの中には、イートインがあります。その場で鳥をさばいたり、豚を足から吊るして焼いていたりと、まさに中華の世界です。
その一帯は、サンクスギヴィングデイにも関わらず、多くの中国系の人たちでごった返していました。
朝から油でギッタギタの中華料理をがっつく人たち。
彼らにサンクスギヴィングは関係ないのでしょうか。

***

車にガスを入れ、いざ、マッカーサーまで運転します。
ここからマッカーサーは330マイル(528キロ)。
まっすぐ行っても、6時間はかかります。

さっき買ったパンを食べながら、運転を楽しみます。

me






道の途中、彼女と色々な話をしました。

隣のレーンを走っていたスポーツカーを運転していた男性がジャン・レノに似ていたため、そこから彼女が、「ジャン・レノとジョン・レノンと、もう一人似た名前の人ってだれだっけ?」と始まり、「オダギリ・ジョーじゃん?」とどうでもいい返しをし、そこからどんどん話が広がって行きました。

road 1






とても中身のある素晴らしい話をした記憶があるのですが、その肝心な中身がなぜか思い出せません。なぜでしょうか。1年くらい前までは、どんな話もすぐに思い出せたのですが、最近どうもダメですね。ちょっとショックを受けています。

ま、そんなこんなで、時は過ぎ・・・

***

road 2






もう時刻は3時過ぎ。やっと長い長いI−5を走り終え、299Eに乗り換えます。ここからは山道です。I−5はほとんど彼女が運転してくれました。僕は相変わらず1時間半ぐらい昼寝をしていました。どうもありがとう。

ここをあと1時間半ほど走ると、ついにロイの家に着きます。

山奥を走っているときに見えた夕日が綺麗でした。

sun set






山道を運転しているとき、彼女は少し寝ていたので、ラジオを聴きながら色々と物思いに耽っていました。

ラジオでは、明日から始まる「サンクスギヴィングデイ・アフターセール」の宣伝ばかりです。そう、サンクスギヴィングの次の日は、アメリカで年に一番大きいセールの日なのです。

その宣伝を聞きながら、こうして家族の元に集まってこの日を祝う人も多いけれど、集まる家族がいない人もいるんだよなという事に気づき、こうして誰かの家族の元に招待してもらえる自分は幸せだなと思いました。

***

マッカーサーまでもう少しの町、バーニーで少し休憩をし、ロイのお母さんジーンに電話をしました。ディナーは4時からなのですが、もう4時を周っていました。
彼女に今バーニーにいることを言うと、後15分でマッカーサーに着くそうです。
残りあとちょっと。
もう少しで、ロイ一家に会えます。

(続く)




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2007 Thanks Giving Trip 

November 28, 2007

皆さんこんにちは、ご無沙汰しております。
先週の水曜日から今週の月曜日まで、サンクスギヴィングの旅に行って来ました。
今回も、多くの家族に会うことができ、とても幸せな時間を過ごすことができました。
ここに、その模様を書いていきます。

***

2007年11月21日 水曜日
Long Beach→San Jose

旅のプラン
map












朝7時半ごろ起きて、支度をし、家を出ました。
今朝炊けるようにしていおいたご飯を使って、彼女がおにぎりを作ってくれました。

朝の9時に、お決まりのエンタープライズで、車をレンタカーします。
車種は、KIAのSPECTRA。韓国製の車です。
乗り心地はなかなかでした。

ガソリンも満タンまで入っていたため、そのまま出発!!

さけおにぎり(ゆかりと梅干もありました)
onogiri







***

road 2






9時半ごろロングビーチを出て、
そのまま北へ、ひたすら走ります。
405Nの後は、I−5Nに乗り換えます。

road 1






途中で、IN N OUTを発見。
昼ごはんにと、バーガーとフレンチフライをゲット。
店の中は、サンクスギヴィングの休みのために出かけた家族連れで、ものすごい混みようでした。
こんなに混んだIN N OUTを見たのは初めてです。

in n out






バーガーはいつも通り、「Extra Everything」で頼みました。
レタス、トマト、ドレッシングの量が、いつもより約2倍になるというやつです。
店内が混んでいるため、僕らはテーブルに座って待っていました。
すると彼女が、僕の方を見て言います。

「鼻の穴から何か出てるよ」

どうやら、ハナ○とハナ○○が、両方少しずつ顔を覗かせていたようです。
おっと汚ねえ。

どうやらバーガーだけではなく、僕の方も、「Extra Everything」だったようです。
はい、汚くてすみませんね。

***

鼻の処理もしっかりとした後は、
途中、彼女と色々な話をしたり、
お互いに交換しながら運転をしたりして、
夕方の6時ごろ、僕らは無事にサンノゼに着きました。

sun set






今夜はデイヴィット君のところに泊まらせてもらう予定ですが、
彼は夜の12時までスタバで仕事です。
それまで待つべく、まずは腹ごしらえにと、台湾系のレストランや店が集まった集落、クパチーノ・ヴィレッジに足を運びました。

ここ、サンノゼは、アジア系(特に中国系、台湾系)と、
インド人が多いことで有名です。
なぜかって?
GoogleやE-Bay、AppleやOracleなど、
アメリカで有名なIT系の会社は、ここシリコンバレーに全て集うからです。
そのエンジニアとして、中国系やインド系の人たちが多いわけです。(多分)

***

クパチーノ・ヴィレッジに行く前に、
そこからすぐの場所である、僕が前に住んでいたアパートに足を運びました。
今は誰が住んでいるか分かりませんが、
ここで僕は、留学3年目を過ごしたわけです。

そのアパートの横に車をつけ、
アパートの周りを一周ぐるっと歩くと、
当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。

今からたった2年半前のことなのに、
大分昔のことに感じられました。

***

アパートの空気を味わった後は、近くのSAFEWAY(スーパーマーケット)で、これから訪ねる皆へのお土産として梅酒などを買いました。

その後街を走っていると、僕らがお気に入りのオーガニック食品スーパーマーケット、「WHOLE FOODS」が、今まであった場所とは反対側の車線に、かなり大きくなってリニューアル・オープンしているではありませんか!!

車をとめて、そのばかでかい店の中に、足を入れました。

店の中は、かなりの人で一杯です。
この店独特の、温かい照明で店内は照らされ、フードセクションには、美味しそうな匂いが漂っていました。

ここで雰囲気をしっかり楽しんだ後は、いざ、中華レストランが何件も並ぶ、クパチーノ・ヴィレッジに出発です。

***

いつもここに来るときは、店が何件もあるにも関わらず、
なぜか「台南」という名前の店にしか来ていませんでした。
理由は、値段が安く、当時友達だった学生仲間たちと食事をする場合は、ここにしか来なかったからです。

しかし、今年の4月の春休みに、
ひろぽん君とここに来たときに頼んだチャーハンのまずかったこと!!
それは、「フライド・ライス」ではなく、「ウェット・ライス」でした。
(詳しくは、当時の日記を参照)

それ以来、この店には二度と来ないと決めていたので、
今回は、新しい店を試すことに決めました。

僕の彼女は、店の雰囲気やオーラなどで、いい店と悪い店を当てることができる才能の持ち主なので、彼女にここは頼みました。

見始めて、2件目のレストランで、彼女が言いました。
「この店はいい雰囲気を持ってると思うよ」

中は、人で一杯です。
客は見事に、中国人か台湾人しかいません。
僕らはここで食事をすることに決めました。

restaurant







席に付き、他の客が頼んでいる食べ物をチラ見すると、どれもヨダレが出るほど美味しそうです。

何かスープ系が頼みたかった僕らは、とりあえずと、その店の名物らしい、「Pork Hot Pot」と、牛肉と野菜のチャーハンを頼みました。

オーダーを取ってくれたおばさんは、英語を全く喋りませんでした。
向こうは中国語で、こっちは英語で、品を頼みました。


しばらくして、その2品が運ばれてきました。
その美味しそうなこと!!

fried ricepot






写真を撮り、いざ、いただきます。

いやあ、この豚肉の鍋は、本当に美味しかったですね。
今まで食べてきた中華料理の中で、一番でした。
中には、これでもかと言うくらいの量の豚肉と、
揚げ出し豆腐、
そして、生姜を元に作った、かなり味の深いだし汁。
その上には、ネギが散らしてあります。

いやあ、本当においしかった。

チャーハンも、値段の割には、ものすごい量でした。
二人では全て食べきれず、余った分は、デービット君に、プレゼントしました。

これだけ食べても、普通の安めのレストランと値段が全く変わりません。
まさか、こんなに美味しい店が、前に住んでいた場所のこんなに近くにあったとは!!

この店のことを知っていたら、この前家族がアメリカに来たときに、この店に連れてきてあげたかったなあと、ちょっと悔しい思いをしました。

この店にはまた帰りにも寄っていこうと、彼女と堅く約束をしました。

***

食べ終わり、僕らはデイビット君が働いているスターバックスへ。
店内は、クリスマス仕様で、とてもかわいくなっていました。

彼に挨拶をし、店の中でちょっとゆっくりしていくよと、声をかけました。
椅子に座り、彼女と色々話して待ちました。

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さわやかスマイルのデイビット君
(写真は今年の7月から)





11時。店が閉まりました。
この後も、デイビット君は12時まで店内の片付けです。
僕らは仕方なく、外へ出ました。

通りを挟んだ反対側に、新しくできていたホテルの外に、
大きなクリスマスツリーがあったので、それを見に行きました。

tree






外は凍て付く様に寒く、ロングビーチとは大違いです。
ロングビーチではすることの無いマフラーをし、ビーニーを被り、
外へ出ました。


彼女の後ろに背後霊が!?
g






その後も、Steevens Creek Blvd沿いをずっと走っていくとある、Santana Rowにも足を運びました。

ここには、前に僕が働いていたBlow Fishがあります。
外は、クリスマス仕様で、これまた綺麗になっていました。

santana row







12時ごろ。やっとデイビット君から電話があり、これから家に帰るということです。
僕らは彼のアパートに向かいました。

アパートに着くと、相変わらず、カレッジ生がたむろしています。
彼のルームメイトのチャズも、相変わらずでした。

彼と、友達のスコットを交えて少し話し、
1時半ごろ、疲れきった僕らは、先に寝ました。
デイビットはわざわざ、彼のベッドを貸してくれました。
いやあ、悪かったね。ありがとうデイビット君。

みんなで遅くまでワイワイ騒いでいる様子を見ながら、
自分の大学生1、2年目を思い出しつつ、就寝・・・。

(続く)



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2007 Thanks Giving Trip 

November 19, 2007

11月16日 金曜日

今回も行って来ました、サヤカさんの劇。

彼女については、ここでも何回か触れていますが、
僕が通っていたCSULBにて、Theater Majorとして演劇の道を歩む、
才能ある役者さんです。

今回の劇のタイトルは、
「The Intelligent Design of Jenny Chow」。

jenny chow







***簡単なあらすじ

22歳のジェニファー・マーカス。カリフォルニアに住むが、生まれは中国。
小さい頃に、親に捨てられていたのを、アメリカ人の今の両親に養子として受け入れられる。

自分が小さい頃に心に負った傷のせいか、強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder)と、広場恐怖症(agoraphobia)を併せ持ち、自分の家から外に出ることができない。

ビジネスばかりに忙しく、ほとんど家にいない自分の母親と常に対立し、
自らの本当の産みの母親に会いたいと願う。

オンラインで知り合った学者に頼み、ジェニファーは、自分そっくりのロボットを作り出す。
そして、そのロボットを通して、中国にいる、実の母親に会いにいくのだが・・・

***


サヤカさんは、このタイトルでもある、ロボットのジェニー・チョウ(Jenny Chow)を演じていました。

この舞台は、舞台設定もシンプルな上、話の前半は、主人公であるジェニファーが、自分の机に向かい合って、椅子に座ったまま喋る、という状態で話が進んで行くので、正直ちょっと、退屈でもありました。

しかし、前半のラスト。サヤカさんがロボットとして舞台に登場した途端、
舞台の雰囲気が一気に変わりました。
それまでモノトーンだった空気が、一気に華やかになりました。

彼女の演じるロボットは、初めはコードに繋がっていて、黒い服を着て、電気装飾が体中に付いて、動きも、表情も、喋り方も、見るからに「ロボット」なのですが、それが段々と人間らしいものに変わっていきます。

最初の登場で、ロボットであるジェニーが、ジェニファーに握手を求めるシーン。
そのサヤカさんのロボットとしての動きが、とても印象的でした。

***

話の途中で、サヤカさんが空を飛ぶシーンがあると聞き、どんな風に飛ぶんだろう?と色々考えていましたが、まさかああ来るとは!!
完璧にやられましたね。
かなり面白かったです。

***

話がクライマックスに近づくにつれ、見るものの心に訴えかけるシーンが繰り広げられます。

実際に、ロボットであるジェニーが、中国まで着き、実の母親に会うシーンと、
そこで自分の存在を受け入れられず、アメリカに帰って来て、ジェニファーからも拒絶をされるシーンでは、かなり悲しいものがありました。
観客の中でも泣いている人もかなりいました。

***

この劇を見てみて、普段、外見上は何事もなく幸せに暮らしているような人でも、
その人の過去の経験のせいで、何かしらの心の傷を抱え、それのせいで、悩み、苦しみながら生きる人が大勢いること。もしかしたら、この世の中の人、全ての人が、何かしらの傷を負っているのではないか。

そして、自らの受けた傷のために、自分の周りの人にも、また辛く当たってしまい、そうやって当たられた人も、また傷ついていく。

それが悪循環を生み、人が人を傷つけ、またそれが他の人を傷つけていく。


世の中は、そんな状態なのかなと、感じた。


***

劇の最後に、ジェニファー・マーカスは、また一人になってしまう。
自らが作った、自分のコピーであった、ジェニーさえも、追いやってしまったからだ。

そこで、彼女は、観客に、「こんなわけで、私は今の状態にあるわけです。でも、私は全然大丈夫よ。いつでも話しかけてね」みたいな感じで終わる。

本当は、自らの心の傷が癒えていないばかりか、更に傷ついてしまった後なのに、それでも彼女はやっていかなければならないから、「自分は何でもない、大丈夫」という”素振り”で、話し続ける。


このシーンを見て、何か、悲しくなってしまった。

この世の中に、こうして生きている人が、何人いるのだろうか。

自分も、そういう時期があったから、そうやってして行かなければいけない人のことを考えると、切なくなってしまう。

***

演技に関しては、サヤカさんのロボットとしての演技は、非常にうまかったと思います。ロボットであるが、同時にどんな人間よりも純粋である、ジェニーの役を、うまく演じていたと思います。
特に、体の動かし方がとても上手で、非常にメリハリがあり、見るものの目を引いていました。

自分は演劇をしたことがないので、ああやって完璧に役になり切って演じることが、どれだけ難しいのか、想像に難いですが、それを堂々とやり切り、観客のハートをつかむ演技をすることができることは、すごいと思います。


また、主役であるジェニファー役の方も、同じ日本人なのに、長いセリフをよくこなしていました。ジェニファーの、中はもろくてはかないのに、それを強がって生きている少女の心意気を、うまく表現していたと思います。

そして、博士役など一人3役をこなした、ショーンも、とても上手でした。
3役とも、役柄が全て違っていて、非常によかったです。
(博士役は、元ルームメイトのひろぽん君を思い出させてくれました)

***

胸に訴えるものもあり、笑いもある、見ごたえある劇でした。
ロングビーチ付近に住んでいる人は、ぜひご覧あれ。

今回の劇のReviewと劇の情報はこちら。



サヤカさん、どうもありがとうございました。
これからも頑張ってください。応援しています。

11・19・07



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行ったところReview | Art Review
水泳をすると、泳ぎ終わった後、すごく爽快な気分になる。
体が軽くなり、気分も冴え、何でも出来るような気分になる。

***

最近、今働いている会社の社長の影響で、
また自分にも、水泳熱が戻ってきた。

ここ1、2年は、「サーフィンしてるからいいや」とか、
後はただ単に、面倒くさいからという理由で、体を特に動かしていなかったけど、
ここ最近で、自分の体力が落ちていることを自覚。

このまま何もせずに過ごしていては、確実に体力は落ちていくと感じ、
水泳を中心にまた運動を始めた。

やっぱり、体が健康なのは素晴らしいと思うし、
健康があってこそ、普段の生活が、何一つ不自由なく出来ることを痛感している。

こうして定期的に、水泳やジョギングなどで体を鍛えることで、
病気にならないばかりか、更に健康で快適な生活も手に入る。


つい1年くらい前までは、特に運動しなくても、体力はそれなりにあったんだけど、
ここ最近で、20代後半にも差し掛かると、本当に体力は落ちるんだなと、
びっくりしている。

今までの調子で平泳ぎのキックをしたら、ひざの筋が痛くなる・・・
ジョギングを軽くしようとしたら、すぐにバテる・・・・

何もしないと、確実に体は、衰えるようである。

***

健康的な食生活と、定期的の運動。
そして、常に新しいことを学び、人間としての視野を広げ、若くいること、
それが大事だなと思う。

11・19・07


PS.今読み返してみたら、ずいぶんオッサン臭い内容だな・・・


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November 15, 2007

眠いですがちょっと一言。

毎日、仕事の行きと帰りに使う高速道路。
710と405を使うのですが、もう最悪ですね。
朝は、どっちも混んでいるし、帰りも405はずっと混んでいます。
しかも、みんな運転のマナーが非常に悪い。
アメリカは、運転免許を取るのに、わざわざ教習所に通わなくてもいいですから、
もうみんな、「自分風」の、すばらしい運転でございます。

ウインカーを出さないのは当然、
急に前のレーンに入り込んで来るし、
後ろや横の車線も見ずに、自分勝手に運転しているクソドライバーばかりです。
自分は毎日、高速道路の運転のために、どれだけ寿命を縮めているのでしょうか。
しかも、以前はそんなに運転にストレスを感じなかったのですが、
7月の終わりに、ものすごい事故を目の前で目撃してから、
どうも運転が恐くなってしまいました。

ま、前みたいに、全然恐れずに運転するよりは、
いつもビビッていても、安全運転の方がいいと思います。
しかし、この南カリフォルニアで、事故なく運転して行くには、
少しぐらい自分も、強気で運転するしかないのです。
それだけが、生き残る術ですから。
この、自分勝手で無神経なドライバーたちが溢れる国では・・・・

***

また、自分の車はマニュアルなので、これまた、オートマの人より、さらに気を使います。
405の渋滞では、1ギヤに入れて、2ギヤに入ったかと思えば、
またニュートラルにして、1ギヤ。
延々とその繰り返しです。
3ギヤに入れることは、まれにありますが、
4ギヤまで入れることは、渋滞を抜けない限り、ほとんどありません。
5ギヤの存在は、完璧に忘れ去られています。
時速は、20マイルほどで、ゆっくりと進みます。

なのに、渋滞を抜けたとたん、今度はみんな、80マイル以上(126キロ)出してぶっ飛ばします。
この瞬間、5ギヤ君は大活躍です。
俺のセントラ君は、ひいひい言ってます。


とにかく、運転で事故や怪我の無いよう、いつも「超!!」気をつけてます。

I hate driving in Souther California.

11・15・07




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日常 

November 14, 2007


仕事場での昼休み。
今日も、社長と泳ぎに行った。
作業をしている自分に声がかかる。

「コーチ!泳ぎに行きましょう!!」

***

水泳場に着くと、多くの人が泳いでいる。
今日は昨日に引き続き、かなりの快晴。
11月半ばというのに、この夏の様な天気は、さすが南カリフォルニア。
Tシャツ一枚でOK。

***

水に入る。かなり気持ちいい。
外のプールは、やはりいいね。水泳部時代を思い出す。

早速、社長さんの泳ぎをチェック。

***

今日で彼の泳ぎにアドバイスをあげるのは、3日目ぐらいだが、
泳ぎを直すさいに、気をつけなければならないことがある。

・フォームどおりに泳げていないからといって、フォームが綺麗になる様にだけ、気をつけていてはいけない。

例えば、彼の泳ぎは、右手をかいて、前に持って来る時に、体がひねってしまているが、これをただ、「体をひねらない様に」と言うだけでは、簡単すぎる。

最初は俺も、そう言っていたが、次第に気づくようになってきた。

なぜ、彼の体が、ひねってしまうのか。


・片方だけで呼吸をしているため、左右のかきのバランスが取りにくい。
・キックが、やはり左右対称に打てていないため、そこのバランスの崩れが、かきにも現れる。


彼の泳ぎをもぐって見ながら、彼に気づいたことを言う内に、
ただ、表面上の問題点だけを挙げて、その注意だけをしていては、いいコーチにはなれないことに気づいた。

上に挙げたように、後から、「あ、もしかしたらこれのせいかも?」と気づく点が、色々と出てくる。

それらの点を、彼に教えて、
「呼吸を左右でするようにすれば、手のフォームのバランスもとれるかもしれませんね」
「もしかしたら、キックを左右対象に打てる練習をすれば、もっとバランスが取れやすくなるかもしれませんよ」

そんな感じで、彼本人に泳いでもらって、感じてもらって、どの練習が一番いいかを、探してもらう。

***

ただ、フォームどおり(手本どおり)に教えることは、誰でもできるけど、それでは、その人のよさを、もしかしたら殺しているかもしれない。

最近読んでいる本に、こんなことが書いてあった。

***

ドラフト一位でプロに引き抜かれた、あるプロ野球のピッチャーの選手が、
入団5年目で、引退したそうである。
理由は、いい結果が出せなかったから。

彼にインタビューをすると、彼はこう答えたそうだ。

「入団してから、コーチに、フォームを直されてばかりいた。
結局、5年間ずうっと、いつもフォームばかり気にしていて、自分の投げが一度もできなかった」と。

このコーチは、素質ある選手を、「自分の理想とするフォームの通りに投げさせたい」という思いだけが突っ走って、彼のもともと持っていた才能を潰してしまったわけだが、
この話を読んで、「なるほどな」と思った。

俺が相手の泳ぎを見て、「この手のかきが出来ていないから」と、フォームばかり気にして、その注意ばかりしていたら、彼がもともと持っていた素質を消して、さらには、彼の泳ぐ気力さえ無くさせてしまうかもしれない。

***

ただ、フォームを教える=「押し付け」にならず、
その素質を出すようなコーチングをしてあげる。

かと言って、ただ褒めてばかりで、何も注意しないのもいけない。

そこの間のバランスをうまく取るのは、
なかなか難しいなと、
最近感じておりまする。


10・14・07


PS.ちなみに彼の泳ぎは大分よくなって来ました。

今度、彼のビジネスパートナーのフランス人であるR(元オリンピック選手補欠:平泳ぎベスト100M、1分11秒)対、
俺(平泳ぎベスト100M、1分18秒)+社長(タイムは一番遅いが、熱さは一番)で、100Mのレースをします。

社長は、それを目標に、数週間前からかなり燃えています。

食事中など、俺と何かを話す場合、仕事の話か、後は、水泳のクロールのかきの話ばかりです。

「やっぱりね、ここのかきが、中々うまくいかないんだよね。水泳は本当に奥が深いね・・・」


とてもいい人です。



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日常 

November 13, 2007

my shoes
写真は、自分のお気に入りの靴。
これを履き出してから、もう4年半も経つ。
この靴で、アメリカ一周も、アジアも、中米も周った。
かなりボロボロになってるけど、とても気に入っております。

今から4年半前、まだ自分がWeedにいた頃、
親友のギャレット君からもらったものです。
彼の足には小さすぎるということで、くれました。

これを履いて去年、日本に帰ったとき、
母親に、「そんなボロボロな靴、捨てなさい!」と言われましたが、
どうもこれだけは捨てられないのです。
可愛い弟のような気がしてね。
これが、愛着ってやつです。

11・13・07

shunsukesekine at 22:45コメント(0)トラックバック(0) 

November 11, 2007

自分は昔から、短気な方だった。
何かあると、すぐに怒っていた。
しかも、その怒りを相手にぶつけるよりは、ずっと不機嫌になって、ぶすっとしているタイプ。
これは、何も関係ない周りの人までもを不愉快にさせるので、最悪のパターンである。

今、彼女と一緒に暮らしていて、毎日同じ人と生活をするようになって、自分の「怒り」に対しての対処をするくせがついてきた。

前は、自分が何かに対して「怒り」を感じた後、その怒りをそのまま持ち続けていた。
当然一緒にいる人は、俺のそういう自分勝手な態度で不愉快になるわけで、
しかし、今は彼女と常に一緒にいるため、そういう風にしていると、関係にはすぐにひびが生じる。

何回か彼女の前で、自分が怒りを出し、彼女を不愉快にさせたり、泣かせてしまった後、自分の問題点に気づいた。それは、

「自分が怒りを感じた後、その”怒った自分”を認めて、そんな風になってしまった自分の状態を相手に素直に謝ることと、また新たに気分を変えることが、すぐにできなかったこと」。

要するに、怒りに身を任せたまま、そんな自分を笑えない自分がいた。
要するに、小さなプライドのため、自分を笑えないのである。


しかし、そんなプライドは持っていてもクソでも何でもないので、最近はそれをドブに捨てることができるようになってきた。

まあ、頭がカタかったわけですね。

***

こうして毎日誰かと一緒に暮らすことで、自分ひとりで好きなようにしていては、共同生活なんて出来ないことに、よく気づかされます。
彼女はとても賢く、もの分かりがよい子なので、大体のケンカの原因は、自分に非があるわけです。(99.9%ね、今のところ)

大学の授業で、「ディズニーの映画では常に、男と女が共になる中で、一番大切な要素とは、”男が変わることだ”、と言っている」と、僕の先生が言っていましたが、
どうやらそれは本当のようだぞと、日々思う毎日です。

(これは、人間性が素晴らしい女性を相手に持った場合のみ適用されます。ヒステリックな女性とか、わがままな女性、考え方が幼稚な女性、いつまでも引きずる様な女性はムリね)


とにかく言いたいことは、毎日一緒に誰かと生活を共にする中で、自分の問題点を見つめ、そこを直す必要に気づくわけです。

そして、それを直すために必要なのは、自分が持っている、小さなつまらないプライドを捨てることと、相手に素直に謝る(自分の非を認める)勇気を持つことです。

***

何でこんなことを書いたかというと、大人になっても、いまだに自分の感情だけに身を任せて、怒りや落胆した感情に、ずっと身を任せている人がいるからです。

そして、そういう人は、すでに起こってしまった事から生じた、自分のネガティブな感情に、いつまでも身を任せ、相手を不愉快にさせます。たとえ相手がそれについて謝ろうと、その「謝り」すら関係なく、その人は、怒りや落胆の感情を、いつまでも持ち続けるのです。

そうなると、そこには、謝った相手に対する「許し」もなく、もうどうしようもありません。そして、相手は、そんな人に愛想をつかせ、段々と離れていってしまいます。

まあ、要するに、いつまでも子供なわけです。そういう人は。
自分の感情をコントロールできないわけですから。
(僕もそんな人のうちの一人です)


今日、そんな人のことを、彼女と夕食時に話していて、こんな内容を書くに当たった次第です。ま、今日また僕がイライラしたことがあって、それで反省して、自分のことを省みたってこともあるんですが。

皆さん、「レッツ・アンガー・マネジメント!!」(怒りをコントロールしましょう!!)
(これ文法的に間違ってます)

11・10・07

shunsukesekine at 21:33コメント(0)トラックバック(0) 
最近は、健康でいることに、前よりも気を使うようになった。

10月は、月の頭に体調を壊し、4週とも全ての週末、家でじっとしているようなことになった。

今はやっと体調が治ったかと思いきや、今度は左目がものもらいになっている。
先週末に下の瞼が腫れて、一時は治ったかと思いきや、まだだったらしい。今度は上の瞼が大きく腫れてきた。

昔からものもらいにはよくなりやすいが、調べて見ると、季節の変わり目や、疲れが溜まっているときになりやすいとか。

健康というものは、害してみて初めて、そのありがたさに気づくもので、先月も、あんなに長引く風邪をひいたのは、生まれて初めてだった。

体が健康じゃないと、思うように動けなくなり、体も疲れやすくなり、好きなことができなくなる。
その結果、ストレスが溜まって、精神面にも影響が出てくる。


二十歳ぐらいまでは、何もしなくても体はまだまだ健康だったけど、24歳にもなった今、何もしていないと、体は確実に衰えていくみたいですね。
この前水泳のタイムを計って、その落ちように、ショックでした。

今の健康を維持するだけでなく、体をもっと丈夫にするぐらいの勢いで、体は常に鍛えていこうと思います。

11・10・07

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Thoughts-思ったこと 

November 10, 2007



昨日読んだ小説、村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」の感想を、彼女と話し合った。

昨夜俺が一人で読んだ時点では、この話が何を言わんとしているのか、よく分からなかった。どうもすっきりしない状態だった。
昨晩は彼女が早めに寝て、このことについて話し合えなかったので、今日これについて話し合った。

***

彼女はまだこの話を読んでいなかったので、5分ぐらいかけて彼女は読んでいたが、少しすると、「わかったよ」と。

「どうだった?」と聞くと、「この本のキーワードは、”痛み”だね」と。

それを頼りに、自分で少し、もう一度この話の内容について考えてみた後、彼女に聞いてみた。「俺の読みではこんなことを言ってると思うんだけど・・・」と。

すると彼女。「この本はね・・・」と、彼女がたった5分でささっと読んで、読解してみたというポイントを、次から次へと話してくれた。

いやあ、驚きました。まさかそういうことを言っていたとはね。
俺は、この話の言わんとするところが分からず、「村上さんのこの話は、余りよくなかったな・・・」で片付けるところでしたが、彼女の素晴らしい読解力のおかげで、「やっぱり村上春樹はすげえ」の感想で終わることができました。


この小説のポイントは、
「目に見えないものと、見えるもの」
「見ようとするものと、見ようとしないもの」。

普段目に見えるものは、誰もが気づくが、目に見えないものに関しては、人々はそれに気づきにくく、そんなに大げさに取ったりしない。

この話の主人公は、自分のいとこと病院に行く。いとこは、耳の病気があり、右耳が聞こえなくなってきている。その原因は、今ままでかかったどの医者も解明できない。
その、耳が聞こえなくなる原因は、実際は精神的なものじゃないかと、主人公は何となく思うが、彼がいとこと病院に行き、目に見える「痛み」---つまり、肉体的として、誰もがその存在に対して気づくことのできるもの---を治す、病院という場所へ行くことによって、自分は何も「痛み」を持ち得ないと思う主人公も、自分の心の中に巣食う、目に見えない「痛み」、つまり、「心の病」を自らが持っている可能性に気づき出す。

この主人公は、しかし、自分が、自らの心の中に、傷を持っていることすら、もう気づかなくなっていたし、自分の心が病んでいたことにも、もう気づきもしない。

その痛みとは、自分が気づかない間に、見えないところで、徐々に、徐々に、じわじわと、自らの心を巣食っていたからだ。


***

いとこの病である、「耳が聞こえない」という病気は、その症状に誰もが気づけるが、その原因は、どの医者も分からない。その原因が、「目に見えるもの」ではないからだ。

同時に、主人公である青年が抱える、「心の傷」は、周りの人はもちろん、自分にも見えないため、自分を含む誰もが、その痛みに気づこうとはしない。
そして、いつの間にか、その「痛み」さえ感じないほどに、「麻痺」していき、心は、完全に巣食われてしまう。

***

この小説は、そこのところを、主人公が17歳の頃に友達だった少年の彼女が、入院していたベッドの上で書いていた詩である、「めくらやなぎと眠る女」の話にかけて、うまく説明している。

めくらやなぎという木の花粉を付けた小さな蝿が、女の耳から忍び込んで、徐々に女の脳を腐らせていく。そして、彼女の肉を、体の中から食っていく。
しかし、その蝿は、体が小さいため、誰も目にすることが出来ず、体を食われている本人も気づかない。

女の気づかない間に、蝿は徐々に、しかし確実に、彼女の体を蝕んでいく。

***

小説の初めに、五月の風を体に浴びて、その風がもたらす「痛み」を、主人公が、久しぶりに感じるくだりがある。
彼は、高校生であった頃は、その痛みを感じていたが、東京に出て働き出して、25歳になった今は、そんな「痛み」も、当時は感じていたどころか、そんなものがあったことさえも、忘れていたことに気づく。

***

いとこである少年は、自分の耳が聞こえないということを気にしているため、普段からそれを意識している。

自分が、「それを持っていない」−−−「聴力を失っている」という事を知っている以上、”それがないこと”を、気にしている。

彼は、時計を持っていない。以前、気づかない間に、落としてしまったからだ。
彼は、自分が時計を持っていないことを「知っている」ため、いつも時間が気になる。
主人公である青年は、時計を持っているので、時間を気にしない。
いとこである少年は、病院行きのバスを待つ間、何度も何度も、「今何時?」と聞く。
それを、確かめるように。

***

誰もが、心の中に、闇を持っている。
その闇は、誰も、見ることはできない。

肉体的な傷は、誰もが目に見えるため、その「痛み」と、その傷がもたらす「影響」に敏感になれるが、
精神的な傷は、本人以外、誰も見ることはできない。
だからこそ、その「痛み」すら、本人以外、分からない。

一度、同じ経験をしたものでしか、その「心の傷」は分からない。
その傷が、どんな「痛み」をもたらすかも。

そして、その痛みは、本人さえも、気づかなくなってしまう。

それをいつも感じて、麻痺してしまうと。

***


この小説は、そんなところを、言いたかったみたいだ。
他にも、主人公がバスに乗って、周りの乗客が老人だらけで、一瞬驚くシーンがあるのだが、それも、彼は、普段そういう状況に陥ってないがゆえに、それが「非日常的」−−−「普段は体験しないこと」であるがゆえ、その不思議さに気づく。

これもやはり、最初は、その痛みを感じたとき、それが自分にとっては普通ではないため、その痛みに敏感だが、それも、それが「当たり前」となってしまった瞬間、その「痛み」にすら、気づかない。

そんなことを、この老人たちが出てくるシーンでは、言ってるんじゃないかとか、
そういうことを、色々話し合った。

***


彼女は、国語の能力がずば抜けて高い。小学校とか中学、高校時代も、いつも国語は全校でトップだったとか。
彼女は、「言葉」に敏感で、同時に、想像力が豊かなため、一つの文章や言葉を読んだ瞬間、それだけで、その情景が目に浮かぶそうだ。

「その夜は、雪がしんしんと降っていた」みたいな文章だったら、なぜ著者は、「しんしん」という言葉を使ったか、みたいな。

真っ暗な道。淡い街頭の光。周りは静かで、雪の降ってくる音しか聞こえない。
とても静かな夜。

そんな情景が、すぐに浮かんでくるらしい。


そんなわけで、彼女にかかると、どんな文章も驚くほどのスピード読み解かれ、同時に、その話が伝えんとするポイントまでも、一瞬で読まれてしまう。

その才能を素晴らしいと、俺は尊敬する。


今回の村上さんの話も、俺がもし一人で読み終わって、誰とも話さずに終わっていたら、「なんだか訳のわからない文章を書く人だなあ」で終わっていたところ、
彼女と話し合えたおかげで、「彼はすげえ作家だなあ」という感想で終わることができた。


普段、こうして、自分が読んだ本や、見た映画などの感想を、誰かと話し合って、
ここまで深く話せる人といたことが、あまり無いから、
彼女と色々とこうして話せることは、すごく素晴らしいことです。

彼女とは、どんな内容でも、話題でも、テーマでも、考えでも、哲学でも、社会問題でも、ジョークでも話しあえるので、本当に一緒にいて触発されます。

今回も、「その速読力と読解力には、おみそれいたしました」てな感じでした。

それを彼女に伝えると、「国語の神様ですから」と。

梅干を真剣な顔で選んでいるだけではありません。


いやあ、長くなっちまったぜ。

11・09・07

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本 Review |  村上春樹

November 09, 2007

た

写真は、キューピーちゃんのたらこです。
彼女にそっくりです。
特におでこの部分がそっくりです。


文章と言うのは、言いたいことがあると、ついつい長くなりすぎてしまいますが、実際のメッセージは、すごく短いものです。

率直に書きます。

***

僕は今の彼女と出会えて、人生が変わりました。
今まで知らなかった、女性からの「愛情」というものを初めて知りました。
今まで自分は、「家族愛」や「友情愛」には恵まれていましたが、
パートナーからの愛情というものは、知らずに来ました。

恐らく、その愛情をくれようとした人もいたでしょう。
しかし、その愛情を受け取る勇気を、自分が持ち合わせていなかったのかもしれません。

彼女と出会って、自分の人生の充実感が、本当に大きくなりました。
普段していた小さなことでも、それが大きな意味を持つようになりました。

今は仕事に行って、帰って来て、ご飯を食べ、本を読んだり、絵を描いたりする日々ですが、そんな日常が幸せだと感じられるのも、彼女がいるからです。
仕事から遅く帰って来て疲れていても、彼女が家で待っていてくれるだけで、元気が出ます。
仕事中も、家に帰ると彼女がいると思うと、本当に幸せに感じます。

僕にまだ子供はいませんが、お父さんが、自分の奥さんや家族のために、大変な仕事でも頑張れるという気持ちが、最近やっと分かるようになりました。

食事をしても、彼女と一緒に食べるので、とても楽しいです。
本を読んでも、その感想を彼女と話し合えるので、とても面白いです。
絵を描いても、彼女に見せて意見を聞けるので、やりがいが更に出ます。


つまり、自分の人生の全ての要素が、
彼女と一緒にシェアできるというだけで、本当に意義のある深いものとなっているのです。


僕が今まで生きてきた中で、誰かとずっと一緒に過ごしたいなと思ったのは、
今の彼女が初めてです。
以前は、「彼女をつくる」=「自由に動けない」みたいに思ってましたが、
今は違います。
彼女は、「つくる」ものでもなく、自分の付属品でもありません。
彼女がいるからって、自分の人生に自由がなくなるわけではありません。

彼女とは、自分の人生の一部なのです。
そして、彼女がいるからこそ、自分の人生が、一人でいる時よりも、
もっといいものになっています。

その人を本気で愛しているからこそ、相手からも愛されるし、
その人を全て受け入れようとするからこそ、相手にも全て受け入れてもらえます。

愛情があるだけで、自分の人生はこんなにも変わること。
逆に言うと、愛情がない人生は、いくら何をしても、どこかに虚しさを感じること。


それを、今までの自分の人生と、今の自分の人生を比べて、実感しています。

***

彼女と出会えて幸せです。いつまでも一緒にいたいと思います。
のろけでも何でもありません。素直な気持ちです。

11・08・07



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Thoughts-思ったこと | Special People-特別な人たち

November 08, 2007

今晩はネットも繋がらず、食事も早めに済ませたため、俺は本を読んだり、彼女と一緒にDVDを見たりしていた。
10時ちょっと前には、彼女は疲れたということで、先に眠ってしまった。

俺は一人で、村上春樹の本を読んでいた。
読み終わって、その感想を彼女と話し合いたかったが、それが出来なかったので、何か寂しかった。

***

さっき彼女に、普段の感謝の気持ちをこめて手紙を書いたが、
そこにも書いたように、彼女という人がいるおかげで、俺の人生は、ずいぶんと変わったと思う。

俺の人生自体はそんなに変わってないのかもしれない。
ただ、自分の考えが、そして、自分の心の満たされ方が、思いっきり変わった。

人を愛し、愛されるということが、どんなに自分の心を満たすかを、
自分の人生を、充実させるかを、実感している。


***

最近、あるクリスチャンの人と、「人生の目的」みたいなものを話し合う機会があった。
アメリカに住んでいるということもあって、俺の周りには、アメリカに来た当初から、常にクリスチャンの人が多かったたが、彼が今回、ある本を題材に、「人生を生きる目的、その意味を話し合おう」ということになったのだ。


ある日彼は俺に聞いた。
「何のために、自分はこの地球にいると思う?」と。

なぜいるか? それは分からない。
どうして、この世があるのか。
なぜ、宇宙があるのか。
なぜ、地球があり、なぜ、そこに人類がいるのか。

その理由は、分からない。

彼は言う。
「自分の人生の、本当の目的も知らずに、ただ、学校に行って、会社に勤めて、結婚して、子供を産んで、子供の成長を見守って、自分も年老いて、80歳か90歳になって死ぬ。どうせ死んじゃうんなら、そのどれも、虚しい」と。

「人は、どうせ死んじゃうんだったら、この世に何も残らないんだったら、
 結局、この世で頑張って出世したり、金持ちになったり、いいモノを持ったりしても、虚しい」と。


俺は最初、この意見を聞いて、すんなりと納得ができなかったが、
どうも、その意見に、反論できなかった。


「どうせ死んじゃうんだったら、この世の中の、何物も、”虚しい”」と。


”虚しい”。 そうだろうか。


その時は反論できずに、「じゃあ、あなたは、どうこの人生をどう捉えるんですか?」と聞くと、
「この世の中の人生は、この世から自分の命が消えたとき、あの世での永遠の世界があり、そこに行くためのテストだ」と。

「神は、人間を試すために、この世に送った」と。
「そして、この世界で、神を崇拝し、よい行いをし、神が自分に与えられた”目的”をこなして、あの世での永遠の世界に受け入れられる」と。

「その、”本当の目的”を知らずに、ただこの世であくせく働いていても、ただ虚しいだけなんだよね」と。

***

俺はこの意見を聞いたとき、何か面白くなかった。
永遠の世界があるかどうかは分からないが、
それよりも、まるで、この世で、神や永遠の世界を信じない人、
彼らが言う、「神が与えられた、本当の目的」を知らずに、ただがむしゃらに働いている人、
つまり、俺を含める、そういう人たちの生き方を、下に見られたようで、
どうも面白くなかった。

「じゃあ、その、”神が与えられた、本当の目的”とはどうやったら見つかるんですか?」と聞くと、
「それは、神の存在を信じ、彼を敬い、神にお祈りすることから始まるんだよね」と。

そして、その永遠の世界とは、誰が見たのか、
そのことは、誰が、どうやって知ったのかと聞くと、
「それは聖書に書いてあるんだよね」と。


果たして、この世の中のこと全てが聖書に書かれているとは思えないが、
そうやって言う彼の意見の、クリスチャンのアイディアに反論してもしょうがない。
それは一つの「考え」で、一つのものの見方でしかない。
それは、その人たちが持つ、信条でしかない。

人の信条は変えられないし、変えようとも思わない。
ただ、自分のがいいと思うからと言って、
それを、相手にもいいはずと、
「押し付けるな」ということだ。

押し付けが始まった時点で、
その人は、相手の考えよりも、自分の考えの方がより良いと考えている他ならず、
それは、自らの考えと、相手の考えとの比較であり、
一度比べてものごとを見た後、それを薦める以上は、
結局、押し付けにしかならないのだ。

相手がいくら、自分のすすめる「それ」が良いと思っていても。
有難迷惑でしかない。

***

結局、彼とは、その「人生の目的」について、1時間ちょっと話し合ったのだが、
結局、彼の言うポイントとは、

「この世界は神が作ったものであり、
 人類がこの地上に生を授かるのは、神が一人ひとりに与えられた”目的”を果たすため。
 そして、その目的を果たし、ジーザスを信じ、神に仕えたものだけが、
 ”永遠の世界”に行ける。
 そして、この世での人生とは、永遠の世界で生きるための、予行練習でしかない」と。


もう一回言うが、その考えを、否定しようとは思わない。

神がこの世に生まれた一人ひとりの人間に、その生きる「目的」というのを与えたというのは、自分もそういう風に捉えるし、反論はしない。

ただし、永遠の世界があるかどうかは、分からない。
永遠の世界で生きたいかどうかも分からない。
この世で、せいぜい80年しか生きられないからって、悲観もしない。


彼の言う意見は、「ああそうですか」と聞く以外、他に意味はない。
その考え方に反論しても、それはクリスチャンの考えだから、
何を言おうが、のれんに腕押しである。




ただ、今回の自分のポイントは、
「人は、なぜ生きるのか」ってところだった。


***

その答えが見つからず、しかし、そんなものはすぐには見つからず、
じばらく悶々としていた。


「人は、なぜこの世にいるのか」。

それは分からない。
それこそ正に、「神のみぞ知る」ってところだろう。

そこは、人類永遠の謎だと思う。
そこの、誰もが知りもしないし、分かりもしないところを、
「ほら、あなたも答えられないでしょう?でも、それは聖書に書いてあるんですよ。だから、一緒に神に祈りましょう」って言われても、
誰も答えられない難題をふっかけられて、それに答えられない人を責めているに他ならず、悪徳商売のなにものでもない。

結局彼らも、その自らが「答えられない」答えに、自分なりの回答を見つけることが出来なかったために、聖書に書いてあるものを受け入れたにすぎない。


”どこか”に書いてある、”誰か”が書いた答えを鵜呑みにするなんて、
そんなの、人生の手抜きみたいではないかと思ってしまうのは、
俺だけだろうか。





しかし、「人は、何のために生きるのか」。

この質問には、誰もが、自分なりの答えを出せるだろう。

仕事を生きがいにする人。
会社での昇進を生きがいにする人。
モノを作ることを生きがいにする人。
スポーツをすることを生きがいにする人。
料理を作ることを生きがいにする人。
人を健康にすることを生きがいにする人。
音楽を作ることを、生きがいにする人。
人を喜ばせることを、生きがいにする人。
文章を書くことを、生きがいにする人。
誰かを愛することを、生きがいにする人。
自分の家族を、生きがいにする人。
自らの人生の成長を、生きがいにする人。
違う国へ行くことを、生きがいにする人。


それぞれ、その人なりの「生きがい」が、あるだろう。

しかし、俺が話したクリスチャンの彼が、
最初に、「そのどれもが、神の存在、目的を知らずに生きている限り、虚しい」
「人生どうぜ、死んでしまうのだから、この世でどんなに頑張っても、結局は、虚しい」

そう言ったとき、どうも受け入れられなかった。

上に挙げたどの「生きがい」も、虚しいというのか?
どうせ死んでしまうのだから、何をしても、「虚しい」というのか?


まるで、自分の生き方を、そして、
人生、自分なりの「生きがい」を見つけて、頑張ってる人の生き方を、
否定されてるようで、
どうも、納得が行かなかった。


***


結局、最初に、

「何のために人は生きるのか? いずれ死んでしまうと分かっていながら」

と聞かれた質問への、自分なりの答えは、
今日出た。


それは、「人は愛するために生きる」ってこと。


俺は今の人生、満たされている。
彼女がいて、毎日一緒に話し合って、時を共に過ごして、
愛情を感じているから、
心の底が、満たされている。
彼女を「愛し」、彼女に「愛される」ことで、満たされている。


絵を描くことも、自分は絵を描くのが、「好き」だから。
絵を描くことを、「愛して」いるから。

絵を描いて、何になるわけでもない。
「どうせ、あなたは死んじゃうんでしょ?」
それはそうですよ。
でも、自分は絵を描くのが好きだから、描く。
この世の中に、自分が生み出した何かを、カタチにするのが好きだから、
描く。

描く理由なんてない。好きだから、ただ描く。


本を読むのもそう。
「楽しい」から、読む。
新しい話を知り、知識を蓄え、自分の中身が、貯蓄されていくのを感じるのが好きだから、読む。
「どうせ、あなたは死ぬんでしょ?」
そうですよ。
でも、自分が、本を読むことを通して、成長していくことを感じられるのが好きだから、読む。


人に会うのもそう。
世界を旅するのもそう。
色々なものを見て、新しい体験をして、吸収して、自分の視野が広がるのを実感して、自らが、「成長」しているのを感じるのが好きだから、旅をする。人に会う。


仕事をするのだって、生活をするために、お金を稼ぐ意外に、
その仕事を通して、自分が新しいことを学んで、成長しているのを感じるのが好きだから。
その仕事を通して、今まで見えなかった、社会の違う面が見えるようになることが好きだから。
新しい人と会って、触発されるのが好きだから。

だから、働く。


ご飯を食べるのは、生き残るために食べる以外に、
「おいしい」から、食べる。

映画を見るのは、何かを感じ取る以外に、
それ自体が、「楽しい」から、見る。

本を読むのも、「楽しい」から。
絵を描くのも、「楽しい」から。
サーフィンするのも、「楽しい」から。


そして、彼女を愛するのも、彼女が「好き」だから。
彼女のことが「愛おしく」、大事に思うから。


***


「嬉しい」「楽しい」「好き」「おいしい」
「気持ちいい」「面白い」「愛おしい」


そういう感情って言うのは、「生きてる」からこそ感じられるものであって、
これは、自分が死んでしまったら、もう感じられない。

「どうせいずれ死ぬんだから、このどれも、意味がない。虚しい」
と言う方が、”虚しい”と思う。


あの世に永遠の世界が本当にあるかどうかは分からないが、
その世界で生きることを楽しみに、
この世で生きることを、「虚しい」と感じていては、
それこそ、「虚しい」。



それは、今、目の前にあるものに向き合おうとせず、
目に見えない、「何か」を心の頼りに、今目の前にある、素晴らしいものたちから、目をそらして生きているようにしか感じられない。


海に行けば、素晴らしい夕日が見れるじゃないか。
公園に行けば、綺麗な花が見られるじゃないか。
俺はそれらを見て、「美しい」と思う。
感動する。

その、「感動する心」も、
今、生きてるからこそ、感じるもので、
その「美しいもの」を見られることも、
この地上にいるからこそ。


人を愛し、愛され、
「幸せだな」と感じ、心が満たされるのを感じられるのも、
今、生きているから。

美味しいものを食べて、「美味しいな」と感じられるのも、
絵を描いて、「楽しいな」と感じられるのも、
旅に行って、生きてる喜びを感じられるのも、
仕事で、やりがいを感じられるのも、

全て、今、生きているから。

生きているからこそ、その素晴らしさが分かる。


***

「いずれ、人は死んでしまうんだから、何をしても虚しい」
そういうのは簡単だろう。

だが、物事には終わりがあるからこそ、
その瞬間を、感謝できるんじゃないだろうか?

それが一生続くなら、
その有難さも、忘れてしまうだろう。


***


「この世に、なぜ人間はいるか?」
「なぜこの宇宙はできたか?」

その答えは、多分自分が生きている間は、一生分からないだろう。

それでもいい。
それこそ、人類が、歴史を通して悩んできた問題ではないのかと思う。

その答えを知るために、
人は、色々なものを試し、この世に形を残してきた。


その、「答え」とやら--------。
その「答え」を知ることが、人間の目的なのか?


その「答え」が見つからないから、
今を不安で生きられない?
今の人生を虚しいと思ってしまう?

それは、「今」を生きることから逃げているような気がして他ならない。



答えが見つからないからと、すぐに、その「答え」が書いてある「何か」にすがってしまうのか。


それとも、自分なりの答えを見つけるために、
自ら、色々試し、考え、悩んでいくのか。


俺は、それをすること自体が、自分の人生だと思う。


***

「人はなぜ、この世にいるのか?」

その答えは、恐らく一生見つからないだろう。

しかし、
「人はなぜ生きるのか?」

その答えは、自分の生き方次第で見つけられる。


その答えは、人それぞれだろう。


彼は、神を敬い、あの世での永遠の命のために、この世での人生を生きる。
それが、彼の「生きがい」だろう。

俺は、人を愛し、人生を楽しみ、自分の成長を楽しむことが、
「生きがい」。


人ぞれぞれ、生きがいがある。
その生きがいに、ケチは付けられない。

誰の生きがいが、他の誰かの生きがいより、
勝っているわけでもなく、劣っているわけでもない。

どの人の生きがいだって、立派な生きがいなのだ。


***

「なぜ、人はいずれ死ぬと分かっていながら、人生を生きるのか?」


その質問への、俺なりの答えはこうだ。

「いずれ死ぬからこそ、今しかない、”生”を生きる。
 今しかない、この瞬間を、思いっきり味わう。それだけ」


11・08・07





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Thoughts-思ったこと 

November 07, 2007

fishy
今働いている会社での仕事は楽しい。

まず、人がいいので、人間関係のストレスがない。
だから、仕事に行くのも楽しい。

次に、貿易関係で、モノを色々と扱うので、
実際にモノが見れて楽しい。
モノが好きな自分にとっては、色々なブランドのモノを見て、その流通の仕組みを見るのが楽しい。

今日検品したジーンズは、アメリカのブランドのもの。日本では最近かなり人気だとか。うちの会社の仕入れ値は120ドルほどだが、それが日本では最終的には、500ドル近くの値になるらしい。その理由は、実際に店頭に並べられるまでに、多くの会社が間に入るから。

他にも、有名ブランドのバッグやサングラス、靴や洋服、ゴルフのクラブなどまで扱う。

目の前にある品物と、最終的に店で売られる品物は一緒なのに、
その値段が、驚くほど変わるのには、不思議さを覚える。
モノの値段なんてのは、結局のところ、あってないようなもんなんだなと、
毎回高級ブランド系のものを扱うたびに思う。

例えば、俺が今日検品したジーンズも、俺はそのブランドを知らなかったから、全然特別視もしなかったけど、それが、日本にいるそのブランドの大ファンの人なら、涎が出るほどほしいんだろうなと。

で、自分はその価値が分からないから、「ただの何でもないジーンズじゃん」なんて気がするけど、その商品を自分が日本に帰って、店頭で5万円で売られてるのをみたら、「おお、やっぱり高いジーンズはすごいな」なんて思って、欲しくなっちゃうのかな、と。

結局、ブランドなんて、人が作り出すものなんですよね。
でも、そのブランドをどう作り出すのか、
そこまで人が欲しがる理由は何なのか、
どうやって、人の心をキャッチするか、
そういう心理的な部分を探ってくのが、面白いんだけどね。


今回扱った商品たちの名前は、ここに出そうと思ってましたが、
今日社長に、「うちで扱っている商品の名前は内密に」と言われたので、
隠しておきまする。

***


あともう一個は、社長の人柄ね。
この人は今46歳だけど、高校生のような若さを持っている。
何かに熱中すると、それに集中して、達成してしまうらしい。

前にも書いたけど、彼が今はまっているのは、水泳。
最近は、俺と社長で、昼休みになると、
近くにある屋外プールまで行って、2ドル払って、30分ほど泳ぐ。
もともと一緒に行き始めた理由は、彼が、俺に泳ぎを教えて欲しいと言ったから。

彼の泳ぎを録画したビデオを、彼のオフィスで見せられて、あ−でもないこーでもないと議論。「手のかきはこうです」と示すと、「じゃあ今度一緒に泳ぎにいって、ぜひ私に教えてください、シュンコーチ」と。
とても気さくな人です。

なので、今日も彼の泳ぎの特訓です。
クロールの右手が、水をかき終わって、前に手を戻すとき、
彼は体がひねりすぎてしまいます。
なので、それを直すために、色々とアドバイスをしました。

他にも、水のキャッチがしっかりできるように、プルブイを足にはさんで、手のかきの練習。どうやったら水を逃さずにキャッチできるか、彼の横でデモンストレーションです。
彼が実際に泳ぎだしたら、僕は中にもぐって、中からじっくり見て、アドバイスをあげます。

そんな感じで、今日も昼休みを過ごしました。


水泳のアドバイスをしていて思ったのは、自分も人に教えられることがあるんだなということ。
高校時代、考えてみると、水泳ばかりしていた日々でしたが、
その日々のおかげで、今こうして人に、教えてあげることができるわけです。

その頃は、「どうしてこんな水のキャッチなんて、地道な練習をするんだろう」なんて思ってた日々もありましたが(一年生のころ)、
今は、どうしてその練習が大事なのか、とてもよく分かります。

特に、人に教えると、どうしてその練習が大事なのか、もっと分かるようになります。

さらに、人に基本を教えることによって、自分の泳ぎも見直し、自分もまた、自らの泳ぎを改善することができるようになります。



今日泳いでいて、基本は大事だなと、とても思いました。

水に飛び込んで、ただずうっと、クロールや平泳ぎの練習をするよりも、
水のキャッチの練習、ビート版を使って、キックの練習、
プルブイを使って、手のかきの練習、
パドルをつけて、更なる手のかきの練習、
そして最後に、何もつけずに、コンビの練習、とやっていくだけで、
最終的な自分の泳ぎが、驚くほど見違えます。

基本の練習なしでは、やはり泳ぐときのポイントの中で、大事なところを忘れたり、
水のキャッチが十分にできていなかったり、
体のバランスが取れていなかったりと、
完全に近い泳ぎができなくなってしまうのです。

しかし、最初に、一つひとつの基本を抑えた練習を組み入れることで、
最終的に泳ぐとき、それぞれのポイントを、頭が常にキャッチできるようになります。


基本の大切さ。
この教訓は、人生のいたるところにも言えるんじゃないかなと、
自分が水泳を通して学んだことの大きさに、改めて感慨を覚えました。

***


そんなわけで、仕事と水泳。
色々と楽しいです。
やっぱり、人生は燃えるものがないとね。
自分が成長してる、って日々感じられる人生は、充実感がありますね。

11・07・07


*写真は俺のペット、フィッシー。
8月に買ってから、ぐんぐんと育っています。
綺麗な白い花も、いくつか咲いてきました。
息子の成長を見守るようで、心が和みます。



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日常 

November 06, 2007

先週の水曜日に書きかけていた日記です。今日遂に公開!!(え?誰も聞いていないって?)

***

10/31/2007

今年も行ってきました、ハロウィーン・パーティー・イン・ウェストハリウッド。

去年はヒロポンと行きましたが、今年は彼女とです。
なんだか、毎年30万人だか、50万人だか来るとか。
まあ、あの人の量は凄いですからね。

僕らは、去年の経験を踏まえ、かなり早めに出ました。
遅く行くと、車をとめるところが、皆無に等しいからです。

このパレードは、午後6時から深夜12時までやるのですが、
僕らは6時ごろにはもう場所に着いていました。

運よく、パレードの場所から歩いて15分ほどの場所に、車をとめられました。
6時半頃から、8時半頃まで、パレードに混じって歩きました。

去年と同じく、色々な人たちがいましたね。ヘンタイばかりでした。

何枚かの写真をどうぞ。

2 monster

筋金入りのモンスター男二人。
多分彼らが一番人気でした。
いやあ、気持ち悪かったね。見てくださいよ、この左側の男のチ○ポ



banny

こちらもかなり目立っていたウサギ男3人組の内の二人。
かなり気持ち悪かったですが、大人気でした。
右手の男性はかなりハンサムと思われます。
手前は彼女です。






cokie

アメリカではお馴染みの、クッキーのマスコットのやつもいました。
両脇の二人と全然マッチしていませんでした。
しかも、いつ見ても、彼らはかなりの速さで歩いていました。



pupy

かなりウケタたのがこのおばちゃんの格好をした人。
「あたしのパピーはどこ?」
といったプラカードを掲げて、その辺を探し回っていましたが、なんとそのパピーは、おばちゃんのお尻にペッチャンコになってくっついています。

このおばちゃん野郎は、実際に人が入っているトイレに登ったりもしていました。
他のアメリカ人は大爆笑です。
こういうの好きね、アメリカ人は。

guy 1


この人なんか、これでもフツウすぎてインパクトが無いので、誰も振り向きません。









police

この警官は、左側の赤い服を着た男が通りかかった際、
「Hey YOU!!」といきなり大声で叫びました。

赤い男は一瞬ビビりましたが、この警官が言った言葉は、
「Can I take a picture with you?」と・・・。

どうやら、この警官の息子は、このラッパーのファンだそうです。

写真を撮り終わった後彼は、「よしよし」と、自分のデジカメを見ながら、ニヤニヤしてました。
なのに、他の一般人がこの警官に向かって、「あなたと写真を一緒にとってもいい?」と聞くと、「しょうがねえな・・」という感じで嫌々やってました。

まったく、警官だからって権威を悪用していい気になんなっつうの。


b guy

彼もかなり気合が入ってましたね。
お腹につけたスピーカから流れる音楽に合わせて、ロボットの用に口パクしながら、のっしのっしと歩いていました。
かなりの形相で。


trafic

で、何といっても一番恐ろしいのが、この渋滞ね。
写真は10から405に入るところです。
この量の車が、ほとんど進まないからね。
LA付近の運転は、大っ嫌いです。




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行ったところReview 

November 05, 2007

ゴクウ

写真は、今ワーキング中のゴクウ。
段々と色が載ってきました。







今日彼女と色々話していて、色々な「モノ」の持つ「オーラ」の話になった。
それぞれの人に、その人特有のオーラがある様に、
それぞれのモノにも、そのオーラがある。

実際、そのオーラが目に見えるわけじゃないけど、
その「モノ」が放つ、雰囲気みたいなもの。
彼女は、それを感覚で、色々と感じるんだってさ。
面白いから、色々なものを指して聞いてみた。

例えば、俺がアメリカやアジア、中米等を周ったときに履いていたクツは、
すごくタフなやつだとか、
俺の赤いサーフボードは、いい雰囲気が出てるとか、
逆に、白いサーフボードは、疲れてるとかね。


そもそも何でモノの持つオーラの話になったかと言うと、
彼女が食事中に、梅干の入った容器をじっと見つめてたから、
「何見てんの?」と聞いたら、
「いいオーラを持つ梅干を選んでる」と。笑

「え?梅干にもオーラがあんの?」
「どの梅干も違うオーラを持ってるの?」と聞くと、
そうだと言う。

そんな風に、例えば24本入りの500MLのペットボトルの水も、
全部オーラが違うんだって。
だから、いつもいいオーラの水から選んでるんだって。

こう書くと、何かすごくおかしいね。
でも、色々と話を聞いてると、なるほどなと思った。

彼女は、例えば自分が洋服や靴を買うときでも、
いいオーラを持ったものを、(自分の体に合うものを)買うらしい。
逆に、いくら高くても、いい素材でも、
自分に合わないオーラのものは買わないって。

その後他にも聞いていったら、この茶碗はやんちゃ坊主だとか、
この御碗は渋いやつだとか、
このシャツは賢いとか、
この本は疲れてるとか、
とにかく全ての「モノ」の性格やら性別やらオーラをバンバンと答えていってくれたので、ビックリした。かなり面白かった。

***


人によって、その「オーラ」とか「性格」とかの解釈は違うだろうけど、
要するに、そのモノが持つ魂みたいなもんだと思う。

モノは、可愛がって使えば使うほど、愛着がわくし、
それにモノも応えてくれると思う。


もうアメリカにはいないけど、以前お世話になっていた、オレンジカウンティの車屋さんで働いていたKさん。
彼は、「車に話しかけてやると、必ず応えてくれる」と言っていた。

俺の彼女も同じで、自分の車に「バズ君」という名前をつけて、
いつも大事に可愛がってる。
一人で乗ってるときも、ずーっと話かけてるんだって。
彼女の車に対する愛着はすごいね。

俺も、愛車のセントラ君に、
「今日は元気か?」と声をかけたり、
「今日も無理してゴメンね」「大変だけど頑張ってね」
そんな風に言葉をかけてやると、車もそれに応えてくれる。


実際、モノに魂は宿ってないかもしれないけど、
もしかしたら宿ってるかもしれない。
モノにも、心があるかもしれない。

小さい頃は、気に入って遊んでいたおもちゃは、
自分と会話をしていた。
その頃の感覚を、忘れるか、忘れずにいつまでも持ってるか。

そんなもんじゃない?と、彼女は言っていた。


彼女曰く、
モノは、大事に扱えば、それだけ長持ちするし、
愛着もわく。
そして、もっと好きになり、もっと大事にしようと思う。

それが、結局、いい循環を生むんだと。


科学的に見て、「モノに魂なんてあるわけねーし」なんて寂しいこと言ってないで、
「よしよし、今日も俺のセントラ君は頑張ってくれてるね、ありがとう」と声をかけている方が、気持ちもいいし、自分のモノと会話しているみたいで楽しい。

ちなみに、彼女いわく、俺が見につけている多くのものは、
賢さと、強さがあるって。やったやったー♪

***


それと同じで、俺の描く、絵にも、やはりオーラや性格があるらしい。
この前に完成させたスーパーサイヤ人のゴクウは、かなり神経質で、厳しそうって。
逆に、今描いているゴクウは、いい意味でバカというか、はっちゃけてるって。

俺がその時にその絵を描いていた感情とか、雰囲気も、その絵に入り込むんだと思う。
スーパーサイヤ人のゴクウを描いていた時は、初めてのキャンバスに描くドラゴンボールの絵で、かなり緊張していたし、「間違いは許されない」みたいな感じで描いてた。当時、仕事でストレスも多かった。

今のゴクウは、二枚目だし、小さいキャンバスだし、ポップな絵だし、
失敗しても、まあ後で直せるしいいじゃん、
逆にそれがいい味になるじゃん、みたいな感じで描いてるから、
きっと、その気楽さが絵にも現れてるんだと思う。


そんな風に、自分の描く絵にも、自分が、「魂」を吹き込んでいるようなもんで。


それを、彼女は、「自分が生み出す子供なんだよ」と。

「女性は、子供を出産できるけど、男性は、子供を産めない。
 だけど、アーティストは唯一、自分の作品を通して、
 命あるものを、この世に作り出せるんだよ」と。

なるほどと思った。


***

一日の終わりに、絵を描くか、こうして文章を書いていないと、
何かをこの世に「生み出していない」様な気がして、何かふんぎりが付かない気分になる。

仕事場で何かをすることも、「仕事」という何かを生み出しているが、
それは、「おれ自身」ではない。

読書や映画を見ることなどは、自分の中に蓄えができるが、
それは、自分の中から、何かを「生み出して」いるとは言えない。

やはり、自分にしかできないもの、自分だけの、「何か」を、
この世に生み出すことに、生きがいと喜びを覚える。


きっと、この世に、カタチある何かを生み出したい、
自分だけしか作れないものを生み出したい、

そういう思いがあるのかなと、
さっきトイレの中で思った。


汚いオチだぜ。


11・05・07


PS.今ふと思ったけど、いつも俺が彼女のことを書くときは、こういう変な内容ばかり書いてるね。
もしかしたら変な人たちと思われてるかもしれないけど、まさにその通りです。

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