September 2006

September 27, 2006


昨日の続きです。
さて、答えは?
しげさんに聞いた。

「勝ったのは、カメですかね?」
「なんでそう思うの?」
「カメは少しずつでも確実に上がってるから、
 最後までそれでやり遂げたんじゃないんですか?」
「なるほどね。。。

正解は。。。続きを読む

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Funny Story-面白い話 

September 26, 2006


昔むかし、あるところに、
頭のいいキツネと、努力家のカメがいました。
彼らの住む町である日、競争レースが開かれることになりました。
このレースに勝った者には、なんと、食べ物一年分が与えられるそうです。
これは出るしかありません!
キツネもカメも、張り切って、レースに備えて鍛えました。

レース当日。
出場者は、キツネとカメだけでした。
キツネは思いました。
「こりゃしめた。こいつ相手なら、どうすっ転んでも勝てるわ!」
カメは思いました。
「いくら僕は足が遅くたって、最後まであきらめなければ、
 絶対に勝てる!
 絶対に僕はこの勝負に勝つんだ!」

レースの内容は、この日まで、隠されていました。
いざ、その内容が発表されました。
レースは、なんと、滝を登るというものでした。
この滝を、一番上まで先に登りつめた者が、優勝ということです。
ただし、滝を直接登らなくても、滝の頂上まで行きさえすれば、
その横の崖を登っても、山道を登っても、いいとのことです。
しかし、この崖はとても険しく、
山道は、とても長いものでした。

キツネは思いました。
「ふ〜ん、この滝のテッペンまで先に行けばいいのか。
崖は急すぎて危険だし、山道は長そうだしな。
どうっすかな・・・」

一方カメは、
「こんなの、あの滝を一気に登れば、
 頂上まで一直線だ!
 僕は何としてでも登ってやる!!」
と、やる気満々でした。


いざ、レースが始まります。
「位置について!
 ヨーイ、ドン!!」

スタートの合図と共に、カメはいきなり、滝つぼに飛び込みました。
ものすごい量の水に打たれながら、
ゆっくりとですが、しかし確実に、
カメは上へ登って行きます。

一方、キツネは、座り込んで考え始めました。
「ふ〜ん、この頭のいいオレ様は、あいつみたく、向こう見ずな事はしないぞ。
 どのルートで行ったら一番効率がいいか、考えてから実行するんだ!
 そうだな、
 ルートA、滝を最後まで直接登るか、
 ルートB、途中まで滝を登って、その後疲れたら、崖を登るか、
 ルートC、山道を猛ダッシュして、頂上まで行くか、
 ま、どのルートにしろ、オレ様が勝つのは見え見えだがな!
 
 う〜ん、どうすっぺかな。
 なるべくラクな道がいいな・・・」


カメは、ほとんど進んでいるのかどうか分からないほどゆっくりとですが、
しかし確実に、滝を登っていきます。

キツネは、まだ座り込んで、考え込んでいます。




さて!ここで質問!
キツネとカメ、どっちが勝ったでしょう??

答えは、明日のブログにて。^−^

9.25.06

(4.06.06のブログにて触れた、“キツネとカメ”の話より)




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Funny Story-面白い話 

元の根を掘り返さずに、
枝の先や、葉っぱに現れる症状を治してばかりいては、
いつまで経ってもラチが明かない。

毎回現れる問題が、
なぜ起きるのか。
そこを掘り返さずしては、
その小さな”問題”は、起こり続けるのだ。

土を掘り返して、
根っこを見ることは、大変だ。
疲れるし、パワーも使うし、
できるなら、やりたくないだろう。

しかし、それから逃げていては、
枝や葉っぱに出る症状を治すのに躍起になる日々を送るだけで、
ある日、疲れて燃え尽きてしまう自分が現れる。

土を、掘り返せ。
根を、調べろ。
根がしっかり張っていなくては、
どんな巨木も、いつかは倒れる。

9.25.06

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September 25, 2006


どんなに綺麗な花だろうが、
人気のある花だろうが、
自分が気に入って、自分から
「育てよう」と決心した花でなければ、
途中で必ず、続かなくなる。

ある花を、誰かに、「育てなさい」と言われたとしよう。
あなたも、その花を心から育てたいと思うのなら、
きっとそれは、誰に言われずとも、
花の手入れを、あなたから進んでやるだろう。

しかし、その花を育てると決心した理由に、
あなた自身が、心から頷いていない場合。
また、その花を育てる事に、最初から興味がない場合。
その場合は、あなたの気は、他の花に向いてしまう。
もし他に、もっと好きな花があったのなら、
あなたは気付かない間に、その花を育てたいと願う自分に気付くはずだ。

その花の世話を頼んだ当の本人は、
あなたが花をしっかり手入れしているかどうか、
気になって仕方がない。
少し経っては、花を見に来る。

「ここが枯れている!もっと水をあげなければダメじゃないか!」
「何度言ったら分かるんだ!何てお前は責任感がないんだ!」

しょうがない。あなたは、その花を、
心から、「育てたい」と思ってないんだから。
他に、あなたに本当に合った花があるんだから。

どの花を育てるのか。
自分で決めよう。
自分が心から好きな花を、育てよう。
花は、どれも綺麗なんだ。
どの花が一番いい、なんてない。
自分に合った花を、育てようじゃないか。

9・25・06


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石ころにつまずく。
その石ころに、いつまでも文句を言っているか。
「なんでこんな所に石ころがあるんだ!
 誰だここにこんなモノ置いたのは! 
 おい、石ころ!テメエのせいで転んじまったじゃねえか!・・・」

先のゴール、そして、
自分がなぜその道を進んでいるのかを忘れているときほど、
つまずいた石ころに、全神経を向けやすい。

それとも、さっさと立ち直って、
また前を見て、先へ進むか。


犬のフンを踏む。
フンを踏んだ事を、いつまでも不幸だと思っているのか。
「ああ!俺はこんなフンを踏んじまって、
 なんてついていなんだ・・・!
 靴は臭うし、俺のブランニューシューズは汚れるし、
 もう最悪だ!」

それとも、とっとと靴に付いたフンを掃除して、
気分を入れ替えて、歩き出すか。


 所詮、今目の前に起こってる、
 “大変”、”不幸”な問題なんて、
 他人の目から見たら、こんなもの。


石ころにむかって、ずっと文句言ってる。
フンを踏んで不幸だって、ずっと落ち込んでる。
なんてアイツは、馬鹿なんだろう。ぷっ 笑
早く先に進めばいいのに。
先が何も見えていなんだから。
何が大事か、分かってんのかな、あいつ。
ね?

9・25.06


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こういう人たちがドンドン増えるといいですね。


収益を地球温暖化防止に投入、英ヴァージン・グループ
2006.09.23
Web posted at: 15:23 JST
- CNN/AP

ニューヨーク――航空会社など英ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長は21日、地球温暖化を防止する事業に今後10年間で約30億ドル(約3500億円)を投じる、と発表した。同グループの傘下事業である航空、鉄道部門での収益をすべて注ぎ込む、としている。


石油、石炭に代わるエネルギー開発の研究、省エネルギー推進などを目指す。クリントン米前大統領が音頭を取る「クリントン・グローバル・イニシアチブ」の年次会合で発表した。「我々の世代が地球の環境に致命的な被害を与える世代になってはいけない」と会見で語った。


http://www.cnn.co.jp/business/CNN200609230010.html
より抜粋

341f0984.jpg英ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長


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September 24, 2006


みなさんこんにちは!
僕の別のブログ、
「アメリカ一周、野宿で周れ!!
 2005年夏、日記帳とペンだけ持って、一ヶ月間アメリカを列車で横断した旅日記。」を更新しました。

http://blog.livedoor.jp/shunusa/

まだ一話しか書いていませんが、徐々に時間見つけて書いていきますので、どうぞよろしく。

俊輔

9.23.06 

shunsukesekine at 16:23コメント(0)トラックバック(0) 

「アルケミスト」を読み終わって。
この本は、全てを物語っている。
夢に生きる事が、いかに大事か、
私たちに教えてくれる。

夢が今ある人は、迷わず、その道を突き進むんだ。
今、夢が分からない人は、
自分の心と、じっくりと向かい合い、
自分の心が語りかける声を、じっくりと聞くんだ。

誰にだって、必ずしや、夢はあるはず。
その道を、ひたすら突き進むんだ。
それが、人間の、生きるべき道。


9・21・06


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どっかの映画にあったようなこのタイトル。
別にパクッたわけではありません。
ただ、今夜の自分の考えていたことを書こうと思ったら、この言葉がすっと頭に浮かんで来たわけです。


今読んでいる本、「アルケミスト」。
パウロ・コエーリョというブラジル人によって書かれたこの本は、自分が今年の夏、旅の間に考えていたこと、そして、なんとなく気付き始めたことが、そのまま書いてあり、ページをめくればめくるほど、驚きと嬉しさの連続という本だ。
あと半分くらいで終わってしまうのが、何となくもったいないが、しかし、早く最後まで読みたい。そんな心境。

この本に書いてある、様々な人生の知恵。
共感することばかりだが、そんな中でも、今の俺が特に大事と思ったこと、一つ。


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主人公のサンチャゴが、砂漠を超えるシーンにて。
そのとき砂漠では、部族同士の戦争が起きだして、夜は敵から身を隠すために、火も焚くことができない。人々は先の見えない日々に疲れ、落ち込み、喋らなくなる。自分たちと共に行動しているラクダのうなり声は、以前は全く気にならなかったのだが、今は人々はそれを恐れてしょうがない。なぜなら、それは敵の襲撃を意味するかもしれないから。
そうやって、皆がみんな、無事にこの砂漠を超えられるのかどうか、そして、オアシスにたどり着く事ができるのかどうか、また、部族同士の戦争に鉢合わせしないかどうか毎日心配しているところで、あるラクダ使いは、あまり戦争のことを心配していないことにサンチャゴは気づく。

そのラクダ使いは、ある晩彼に言う。
自分は、今を生きている。過去にも未来にも生きていないと。
だから、その時、目の前にあることにいつも集中する。
彼は言う。
人生とは、私たちが生きている、今この瞬間だと。

そして次の日、みんなが待ち焦がれたオアシスを、地平線の向こうに発見する。
みんなが浮かれて騒ぐ中、サンチャゴは一人静かにたたずむ。
彼は、この後も、さらに先にあるピラミッドまで行くために、進んでいかなければならない。
今は目の前にオアシスがあるが、この瞬間も、いづれは思い出となり、また、苦しい日々が続くことを、彼は知っている。
しかし彼は思う。
大切なのは、今という時間であること。
そして、過去の教訓と、未来の夢と共に生きたいと。
今目の前に広がるナツメヤシの風景は、いつかはただの思い出となってしまうが、今は、それは実際に目の前に広がる、日陰であり、水であり、そして戦争からの避難場所であること。

このパートを読んで思った。
「今」を生きることが、「今」に集中することが、いかに大事か。
過去のことにいつまでも捉われて、それを引きずりながら生きることは良くない。
それは、過去に生きていることであり、心は、過去へ飛んでいる。
また、未来のことばかり心配し過ぎるのも良くない。
実際に起きるかも分からないことを心配しすぎる余り、心は未来へ飛んでいて、今目の前にあるものを、心から楽しむこと、感じること、感謝することができないからだ。

やっと気付いた。なぜ、旅の思い出は、こうまでも鮮明に、いつまでも自分の頭の中に残っているのか。
それは、旅の中では、瞬間瞬間が、新しい「今」の連続であり、
その瞬間は、もう二度と帰ってこないことを、体が知っているから。
だから、その時見る景色、感じる匂い、耳に入る音、
その時に会える人、話している内容、感じている気持ち、
全てが、“その時だけ”と知っているから、全てを楽しもうとする。
そして、常に、「今」に集中しているのだ。
その瞬間瞬間を忘れまいと思うが故に。
だからこそ、その時の思い出というのは、一生残る。
心をそこに集中させ、その瞬間を楽しんでいるからこそ、その時の印象は鮮明に頭に残り、後で思い返しても、それをまた思い出すことができる。

同じことが、日常生活でも言える。
誰か自分の好きな人と一緒に時を過ごしているとき。その瞬間を、すごく楽しんでいるとき。
そんなとき、その時の思い出というのは、いつまでも覚えている。
「あの時は楽しかったなあ」と。

逆に、後で思い返しても、特に何も思い出せないとき。
そんなときは、その時、心がどこかへ飛んでいたことが多い。
過去を思い返して、懐かしんでいたり、後悔していたり、
または、これから先に起こる未来のことを想像して、ワクワクしていたり、もしくは、不安になっていたりと。
そうやっている時、自分の心は、「今」を楽しんでおらず、どこかへ飛んでいる。
だからこそ、その時を精一杯味わっているとは言えないのだ。
そして、その時を後で思い返して見ると、「あれ、俺あのとき何やってたっけ?」となる。

自分はどちらかというと、未来に心を飛ばしすぎる傾向がある。
未来を先に読もうとする余り、常に先のことを考え、そのシュミレーションをしている。
それ自体はいい。しかし、無駄なのは、未来のことを心配すること。
心配は、所詮、心配。それが実際にその心配通り起こるかどうかは、その時になってみないと分からない。
実際にそれがそこで起こったならば、そのとき、いざそれを打破する行動を起こせばいいだけ。もし、それが起こらなければ、それはそれでいい。そして、その時、心配をしていた自分の労力は、無駄だったことに気付く。
だからこそ、未来を読むことはするが、それを心配することは意味がないこと。
それよりも、今をしっかり生きること。

例えば小さな例で、飛行機に乗り遅れそうだとしよう。
遅れたらどうしよう。車の渋滞があったらどうしよう。バスが時間通りに来なかったらどうしよう。
しかし、その時の心配は、全て心を不安にさせる以外は、何もいい効果をもたらさない。逆に、焦らせて、余計に無駄な事故や、災害を呼び起こすだけだ。
それよりも、まずは今できることを考える。車を確実に、そして安全に運転する。バスが来るまで、今の時間を有効活用する。
そして、実際に飛行機に乗り遅れなかったら、それはそれで一軒落着。
もし遅れても、まあ、そこで初めて、その状況を乗り切る頭に切り替えればいいわけだ。
ま、最初から、後れないように、早めに出るのが一番なんだけどね。笑
それが、“先を読み、あらかじめ賢く行動を起こすこと”。

しかし、自分の力ではどうにも先が読めないこともある。
それは、旅の途中、または、見知らぬ土地を歩いているとき、そして、新しい環境に入ったときなど、先が予測できないとき。
そんな時はやはり、「今に集中する」ということが大事になってくる。

試しに今晩、遅れそうだった友達のライブ会場まで車を運転する間、
いつもなら少し焦って車を急がせるところ、今回は、「今を生きよう」と思ってみた。

すると、今まで焦っていた気持ちはどこかへ消え、今、目の前にある景色に集中するようになってきた。
すると、今まで気付かなかったことに気付きだす。ロングビーチの、夜の景色。自分の周りを走る、他の車。
そういうものが、クリアに見え出し、余計集中力が高まる。事故を起こす確立は、確実に減っていく。
同時に、今この瞬間に、こうしてアメリカで運転できること。毎日生活できていること。友達のライブを見にいけるという、この幸せ度。
全てに気付き、改めて感謝し出した。
ニュースを聞きながら、タイのクーデターの状況や、日本の新しい首相のことを考える。
色々なことに思いを巡らす。
もしライブに遅れる事を心配していたら、その事しか頭に無かっただろう。

そして、気付くと、無事にライブ会場に着いている。
ライブは、今始まったところ。丁度いいタイミングじゃねえか。
心配しなくてよかったし、心配していたところで、その労力は無駄に終わっていただろう。そして、もし心配していても、心が焦っていて、事故を引き起こしたりして、余計遅れていたかもしれない。

そんな、小さなこと。
今現在に集中し、今を生きるということ。
それをするだけで、いかに一日が濃くなり、人生が濃くなり、
鮮明な思い出が増え、その時を楽しむことができるようになるか。

心の持ちようで、全ては変わってくる。
そんなことを、この本は教えてくれる。

9.19.06











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本 Review |  文学・評論

本を読むことは、頭を鍛えさせ、心を豊かにさせてくれる。
読書は、自分に新しい知識をくれる。
新しい、ものの見方を教えてくれる。
そして、何より嬉しいのは、
自分が今までの人生で、なんとなく「こうなんじゃないかな」
もしくは、「こんな事に気付いたな」
と思っているとき、それを、読んでいる本の中で見つけたとき。
そのとき、「そうそう!」と頷き、
自分以外の人も、同じようなことを考えていたことに気付き、
もしくは更にそれよりも先の考え方が書いてあったりすると、
それはもう楽しい。

今読んでいる本で非常に面白いのが、
宮本武蔵の「五輪書」と、
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」。
どちらも、心の持ち方や、考え方、
そして、この人生の法則、宇宙の法則などについて書いてある。

最近、自分はよく、
「心」について考える。
何よりも一番「心」が大事だと思うし、
心なくしては、人はありえないからだ。
心が死んでいては、生きていても、「生きている!」とは感じられない。
心の状態は、常に変わる。決まって、一定に抑えておくこと(平常心でいること)は難しい。
だからこそ、心のあり方、こころの持ちよう、
そして、心の鍛え方について書いてある本を読むと、
思わず共感してしまうのかもしれない。

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本 Review |  思想・哲学・心理学

September 23, 2006

HB Beach







海から、自然から、どれだけ学べるか。
毎回海に来る度に、気付く。
“自分は何て大事なものを忘れていたんだろう”と。
毎日の生活が忙しくなればなるほど、
やる事が多くなればなるほど、
こういった、自然と触れ合う時間、
ゆっくりと、日常生活から離れて、
自然の中に身を置く時間は少なくなる。
そして、その大切さも、忘れて来てしまう。
しかし、そうやって忙しくして、
自分の心とゆっくりと対話する時間が取れないときほど、
こうして大自然の中に自分を置く時間を作ることが大事なのだ。


自然から学ぶ事がいかに大きいか。
昔から変わらないもの。
しかし、毎瞬間変わり続けているもの。
それが自然である。
それを、じっと見つめ、
自然の流れを感じること。

自然の偉大なパワーを感じる事は、
自分の小ささを気付かせ、
自分はあくまでも、この“地球”の一部なんだということに、気付かされる。
そして、
この世の中に存在するもの、
全ては、一つの同じものから生まれたことに気付き、
だからこそ、自分“だけ”が所有できる“モノ”なんて、
この世にないことに気付き、
自分だけの利益を考えて行動する事が、
いかに意味のないことか、気付かされる。

自分だけが、
自分の家族だけが、
自分の仲間だけが、
自分の属する組織だけが、
自分の働く会社だけが、
自分の住む国だけが、
自分の生きている時代の人たちだけが、
利益を得て生きていさえすれば良いわけはないことに、
気付かされる。
この世は必ずや、バランスを取ろうとする。
“自分だけ〜”と思い、行動をした者には、
必ず、それなりの仕返しが来るものだ。
大きな力が、バランスを取ろうとして。


そして、こうして何億年も前から
変わらない海を前にして、
なぜ自分は、この時代の、この瞬間に、
こうして生かされているのかを考えると、
一体自分がこの星に生まれた意味は何なのか。
自分の使命とは何なのかと、
考えさせられる。

多くの人が、様々な時代に生まれてきて、
そして必ずや、いつしか死んでいくのだ。
この時代に、自分の現状況で、
自分がこうして生まれたこと。
そして今、生きてること。
必ずや意味があるはず。
人々が、自分が今生きてることに、
最大限の意味を持たせる方法。
それは、その人が一番、
自分が今持ち得る、環境、才能、恩恵、
全てを使って、
この世に生きていることに感謝でき、
自分が今与えられている命を、一番有効に使おうとすること。

それはやはり、自分の心からしたいこと、
自分が心から好きなこと、
つまり、“夢”じゃないかと。

その“夢”を追求することが、
自分の人生の意義を一番満たすことじゃないかと。

そう思う。


9.21.06


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The Ocean & Surf-海とサーフィン 

Gender Communicationのクラスを受けながら、感じたこと。

今日は、アメリカ社会の、男性の人権についての話だった。
先週は、女性の人権についての話。
いかに女性が、1900年代初頭から、
努力の結果、今に至るまでの、女性の人権を勝ち取ってきたか。
今週は、それとは逆で、男の人権を守る人たちの話。
今までどおり、「男は男らしく!」を叫ぶ団体もいれば、
「女性がそんなに社会進出を果たしたいんだったら、今度は男性にも、子供を家でこもりする権限を与えてくれ」と叫ぶ団体。
「男だって、素直に感情を出したいんだ!感動して泣いて、それで"女みたい!"と非難されるのはもうコリゴリだ!」と主張する団体。
「何で男がこんなに稼いでいるのに、いざ離婚すると、妻が資産の半分以上を持っていくんだ!」と訴える団体。

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College Life-大学 | Thoughts-思ったこと

September 22, 2006


組織というものは、一度入ると、それを外側から見る事が難しくなるものである。
なぜならその組織の持つ常識にはまってしまうから。
恐いのは、それが例え間違っていても、その内、その組織の中の人間と仲良くなったりして、ナアナアでそれを無視し出してしまうか、もしくはそれが間違っていることに本当に気が付かなくなって来てしまうこと。

組織の中に一度入る事は、自分をその“枠”の中に当てはめること。
その中で、また如何に、その組織が持つ常識とやらに捉われずに、自分たちを第三者の新鮮な視点でいつも見る事ができるか。

それをキープできることが、本当の視野の広さではないだろうか。


9.21.06

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Thoughts-思ったこと 

昨日この文章を書いたが、肝心なポイントを抑えるのを忘れていた。
つまりこの話を通して言いたかったことは、「自分の頭で考えること」がいかに大事かということ。

いくら学校の勉強ができて、成績がよかろうが、
自分の頭で考えて、自分で決断して、自分で人生を切り開いていく力なくしては、
本当に「賢い」とは言えないと思う。
日本の教育は、言われたことを文句なく素直にやり遂げる人材を作り上げるには、最高だと思う。
しかし、俺はそれを「教育」と呼ぶかは、疑問である。
例えば、95年の地下鉄サリン事件で話題になった、オウム真理教。
ついこの間、松本被告に死刑が下ったが、
彼の率いるこの怪しい宗教団体、多くの信者は、
有名な大学(東大など)を卒業の、エリート学生たちだという。
彼らは、勉強のための”頭”こそいいが、それが明らかに間違っているという考えを前にしても、
それを自分で判断して、「いや、これは違う」という頭がないのである。
小さいころから、親に、先生に、学校に、
やること為すことを全て決められて、
ただそれをこなし、「あなたはとてもいい子ね」と育った輩は、
自分で考える頭を鍛えてこなかった。
人から言われたことを上手くこなす器用さはあるものの、
自分で考えて、自分で判断、決断する”頭”がない。
だからこそ、こういった、明らかに道徳的に間違っている宗教に、
何の疑いもなく入り、
そして、あのような悲劇を起こしてしまうのだ。

彼らが、なぜその様な宗教に走るか?
それは、自分で考えるより、人にすべて決めてもらった方が、
圧倒的に、”ラク”だからだ。

俺はどんな宗教にも入っていないし、
逆に、どんな考えだって、受け入れて聞きたいと思う。
しかし、最後に自分の考えを決めるのは、自分であり、
自分の頭で考えて、心で感じて出した答えが、
自分にとって一番正しいのだと思う。
それが、道徳的に間違っていたり、
または、人の迷惑になっていたり、
ただの自分だけの利益追求の道ではない限り・・・

自分の考えをはっきりと持っていることと、
”頭が固い”ことは、違う。
頭が固いとは、人の意見を全く聞かず、自分の視野でしか、ものごとを見ようとしない人のことである。
俺は、常に、人の意見は取り入れていきたい。
それだけの柔軟さを持ちえた上で、
周りの常識に捉われない、自分の”頭”で考えた、
自分なりの考えを持つ人間でありたいと思う。

9.21.06




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Thoughts-思ったこと 

September 21, 2006

Sandy Family

サーフィンからの帰り道、車の中でラジオを聴いていたら、今の時代の教育について語っていた。今の学校の現状、その親の声、そしてアナウンサーの意見など。
それを聞きながら、3週間前の週末にマウントシャスタに行ってきた際に、サンディと話したことを思い出した。

サンディは、自分がアメリカ生活一年目を過ごした学校で、俺の英語のチューターをやってくれた人。最初は学校でチューターの時間に、生徒と先生として会うだけだったが、次第に親しくなり、彼女に休みの日は家に呼ばれるようになり、家族を通しての付き合いとまでなった。
彼女には、4人の子供がいる。上から、今年18歳、15歳、13歳、そして10歳。
俺がその学校にいた頃、つまり4年前は、子供たちも大分小さかった。
彼女と家族ぐるみで付き合うことになったせいもあり、彼女の子供たちとも随分仲良くなった。子供たちはもちろん学校に通っているため、下は保育園から、上は高校まで、全てのアメリカの学校システムを覗くこととなった。
実際に子供たちの小学校に行って、授業を一緒に見学したことも何回かある。
彼女と親しくなり、また彼女の子供たちと仲良くなったことは、俺にとって、アメリカの学校教育を垣間見るいい機会ともなったのだ。


今回サンディと会って、彼女と教育について話をした。
彼女は将来、先生、もしくは学校でのカウンセラーになりたいと思っているので、教育についての話題もよく出る。
今回彼女から聞いた、現在のアメリカの小学校、そして中学校の教育システムは、悲惨なものだった・・・

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Thoughts-思ったこと 

なぜか台湾人の女の子には、“J”で始まる名前の子が多い。

Jennifer, Jamie, Jessie, Jessica, Janet, Jihai, Joann, Joyce,
Jasmine, Judy, Jacob (これはウソ)...

ある子に聞くと、元々の台湾の名前が、これらの音に近いとか・・・
フシギだね。




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Thoughts-思ったこと 

September 20, 2006


今夜、ハリウッドにあるThe Baked Potatoにて行われた、高校時代からの親友、クロちゃんことギタリスト, Daisuke Kurodaのライブを見に行ってきた。
彼の聖地とも呼べる、ここでのライブ。数々のアーティストが演奏してきたこのライブハウスで演奏することは、彼にとって特別なものだったに違いない。
彼の通っていた音楽学校からの仲間で集まった、今夜のプレイヤーたち。
ボーカルが1人に、バックコーラス2人。
ギター、ベース、ドラム、そしてパーカッションの、計7人。
みんな、楽しそうに演奏していた。

クロちゃんに終わったあと感想を聞くと、
「こんなに静かなライブは始めてだったよ 笑」と。
本当はもっとガンガンに弾きたかったらしいが、今夜のメンバーに合わせて、抑えて弾くしかなかったようだ。
しかし、ライブの最中には、今日が誕生日だった彼へのサプライズケーキもあり、みんなの前で祝福されていた彼の顔は、とても嬉しそうだった。

誕生日に、自分の好きな道で、自分の好きなことをやっている。
今まで、ギターの道を進むと決めてから、色々と葛藤や困難、周りからの批判、偏見等、色々ときついこともあっただろう。
しかし彼は、自分の本当に進みたい道を貫き通している。そして、今日彼の誕生日に、ここThe Baked Potatoにて、ライブを行った。
素晴らしいことだ。
日本から来ていた彼の彼女もとても嬉しそうだった。

そこの小さなライブハウスは、演奏が終わった後も、お互いに祝福しあう人たちで溢れ返っていた。
いつもこういう場所に行く度に思うのは、人がみんな、とても穏やかで、幸せそうだということだ。
自分の好きなことをしている人たち。そして、その人を応援しに来る人たち。
演奏が終わった後、賞賛の言葉をかけに行き、その言葉を受け取った本人は、感謝の言葉を返す。
男同士、女同士、関係なく、がっちりと、ハグをし、お互いに愛情を示す。
こういう場にいると、自然と自分も、笑顔になってくる。

そしてこういう場所では、不思議な出会いもあるものだ。
ベースプレイヤーの幼い頃からの親友だったというある男性と知り合った。
彼は、現在Dream Works Animation SKGで働いているそうだ。
以前自分が、その道を目指していたというと、興味を持ってくれた。
今の自分はもうその道は目指していないが、実際その道に入るのは、非常に大変なことを知っていたので、どうやって入ったのか聞くと、ある面白い経歴だそう。
聞くと、元々イギリスにいた彼。アメリカのこの会社が、彼が当時働いていた会社に、機械をオーダーし、取り入れたが、うまく動かない。毎回メールでやり取りするのも面倒なので、実際に会社から一人アメリカまで来て欲しいといわれ、ここまで出向いたのが彼だったそうだ。
最初は2週間の予定だったが、それが1週間、また更に1週間伸び、気付いたら、フルタイムでこの国で働いていることとなった。

彼は言う。
「いつどんな繋がりでチャンスが自分の元に舞い込んでくるから分からないから、とにかく、Keep on Trying(トライし続けるべき)だ」と。
ジェスチャーを大きく使って情熱的に話す彼を見て思った。いつも、どんな分野の人と会おうが、その道を自分が心から行きたくて、それで実際にその道を歩めている人は、必ずや困難を乗り越えてきたこと。
そして、彼らに共通することは一つ。決して、自分の夢が叶うまで、あきらめなかったことだ。
そんな彼らは、必ずや、アドバイスを聞くと、情熱的に話してくれる。
なぜなら、夢の大切さを知っているし、もし相手が夢を持っているなら、その道で成功してほしいからだ。
そんな彼らと話すと、自分も夢を叶えるまで、トライし続けよう。あきらめずに。
そう励まされる。

ライブハウスから帰っていく人々は、みんないい顔をしていた。
いい夜だった。

9・19・06


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音楽 Review 

September 18, 2006


日曜日。
サンノゼから来ている友達と、ハリウッドにあるユニバーサルスタジオに行く。
いくつかのアトラクションに乗ったが、何より一番心に残ったのは、
そんな人工的なものではなく、楽しそうな家族たちの笑顔だった。

なぜかユニバーサルスタジオには、メキシコ人の家族連れが多い。
ジュラシックパークのライドに乗ったとき、前の席は、メキシコ人の親子だった。お父さん、お母さんと、小学校低学年くらいの男の子と女の子。
ライドの後、滝から落っこちるシーンで、すごく恐そうな顔をしたお父さんの顔が移された写真を見て、その子供たちがすごく嬉しそうに笑う。
お父さんも、「ありゃりゃ」みたいな顔で、一緒に楽しそうに笑ってる。
すごく、微笑ましい光景だった。

そういえば去年も、今と同じ頃、日本から来ていた友達とここに来たのだが、
そのときも、別のアトラクションで、やはり子供と同じようにきゃっきゃと笑って楽しんでいるお父さんの姿が印象的だったのを覚えている。そのお父さんの姿がやはりとても微笑ましかったので、今でも昨日のことのように頭に焼き付いている。

俺はメキシコ人の人たちが大好きだ。彼らは、とても明るい。
常に前向きだし、とてもポジティブ。
クヨクヨと落ち込んで悩んでいるメキシコ人なんて、考えたら、見たことないかも。
前にサンノゼにいたときに働いていた寿司屋。そこのキッチンには、メキシコ人が沢山働いていた。
みんな明るくて、音楽をかけながら、活き活きと楽しく仕事をしていた。
そのときマネージャーをやっていた、伊吹さんから聞いた話。
ある日、彼が店に来ると、他の従業員から、あるメキシコ人の一人が、車を盗まれたと耳にした。
それは気の毒にと思い、彼に声をかけに行く。
しかし当の本人は、音楽を聴きながら、いつものように明るく仕事をしていた。
とても昨日車を盗まれたようには見えない。
おかしいなと思いながら、声をかける。
「おまえ、昨日車盗まれたんだってなあ!それは残念だったな。でも、落ち込んでないのか?」
「いやあ、しょうがないしょうがない!
どうせあの車も、運転免許証なしで乗ってたし、もし警察に停められたら、どうせ車は取り上げられてたんだから、しょうがないさ!」
「でも、あの車、2000ドルくらいしたんだろ? 結構な額じゃないか?」
「いや、どうせまた稼げばお金は入るから!」
そしてまた、フンフンと鼻歌を歌いながら、仕事に戻る彼。

メキシコのある地域では、物価がアメリカの十分の一だ。
彼のように、メキシコから国境を越えて、カリフォルニアに入ってきて、ここで金を稼ぎ、国にいる家族に仕送りする人はとても多い。
彼らはものすごい働き者だ。アメリカで得たお金は、メキシコのそれの10倍にも匹敵するから、彼らはとにかく勤勉に働き、お金を溜め、家族のために仕送りする。
そんな状態の彼。2000ドルとはいえ、メキシコじゃその10倍の額の車を盗まれたわけだ。それでも、次の日には、すでにその事を悔やむのではなく、次の道を考え、完璧に頭の切り替えをして、楽しく明るく仕事をしている。
この、超プラス思考。色々な辛い状況を乗り越えてきたからこその、その前向きさと、そしてもともと持つ、ラテンの明るさか。
メキシコ人からは、いつも学ばされる。

そんな彼ら。上に書いたように、その家族への愛情も素晴らしい。
お父さんは、本当に、子供と一緒に、まるで自分が子供のように、一緒にはしゃいで、その場を楽しむ。
見ているこっちも、嬉しくなるし、ほんわかする。


帰り、駐車場へのエレベーターに乗ったときに、一緒に乗り合わせていた家族は、なんと行きのエレベーターで同じく乗っていた家族連れだった。
最後の人が降りるまで、ドアを手で丁寧に抑えてくれている紳士的な男の子。
ありがとうと言い、朝も一緒だったよねと言うと、その子もそのお父さんも、本当だね!と。
偶然だねなんていいながら、そこで一旦別れて、歩いて自分の車へ戻ると、またしても彼らに遭遇。
なんと彼らは、車まで俺たちの隣だった。^−^
お互い笑いながら、気をつけてねといい、手を振る。
いい出会いだった。


常に前向きで、明るくて、楽しそうな彼ら。
その家族に生まれた子供たちも、さぞかし幸せなことだろう。
あんな家族を将来持ちたい、そう思わせてくれる彼らを目にして、
今日もまた、暖かい気持ちにさせてもらった。


9.17.06


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People who ispired me-触発された出会い | 行ったところReview

September 17, 2006


自分を、オリの中に一定期間入れることの大事さ。
精神的にも、環境的にも。

自らプレッシャーを与え、“自由になりたい”という思いから、新たなアイディア、別の視点から見た考えを生み出す。

ずっと“自由”の中にいては、ただダラけるのみ。
その“自由の良さ”が、分からなくなってしまう。
今自分がいる環境を、客観的に見れなくなってしまう。

今いる環境がいかに恵まれているかを忘れ
(マヒしてくるから、それが“当たり前”と思い出すから)、
果てには、その環境に文句まで言い出す。

こうなったら終わり。
そしたら一度、そこから出て、自分をオリの中に入れるべき。
そして、やっと気付く。
その“環境”が持つ、自由さ、良さ、利点に。

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Thoughts-思ったこと 

September 16, 2006


LAでのテクニカル系キャリアジョブフェアに行ってきた。
技術系の募集と宣伝してあったので特に調べずに行ったが、
意外と色んな職種があったことに気付いた。
多くの人と話をし、また新たな生きた情報を得て、
新たなアイディアも生まれだした。

“どうせIT系だから”
“どうせ有名企業は来ないから”
“どうせ中小企業だから”
“どうせ日本の会社だから”

こういった、自分や周りの人が持つ先入観に影響されて、
足を運ぶ前から、こういうキャリアフェアに参加しない人も沢山いる。
俺はもったいないと思う。自ら、そこにある可能性を、断ち切っているからだ。

参加しても、自分の調べたところ、知ってるところしか話をしに行かない人も多い。しかし、全然興味のない分野でも、とにかく少し話を聞いてみるのもよい。
意外と、自分に興味があることに気付いたり、または、その人の話、経験談から、他の道へのコネクションが思いもよらず見つかったりするものだ。

本当に、行動を起こさずしては、分からないものが多い。
そして唯一言えるのは、動けば動くほど、
人と話をすればするほど、
自分の未来へ対する可能性の「道幅」が、ドンドン広がっていくことだ。


ヘンな先入観、固定観念を持って、
自分の“行動”の幅を狭めないこと。
実際に試してみるまでは、
何事も分からない。

もしかしたらそこから新たなチャンス、
ひらめき、出会いが生まれるかもしれない。

まずは固定観念を捨てて、
行動あるのみ。


9.15.06


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My Work-仕事 
5e771d49.jpgここは、San Francisco に近い街、San Joseから北に一時間半ほど行ったところにある、ワイン畑。
前々から行こうとは思っていたが、サンノゼにいた時は、「近いからいいや」と言って、結局行かなかった。
今回、やっと行く機会が出来たので、行って来た。
着いた途端に、街の景色が変わる。
広がるブドウ畑。真っ青な空。綺麗な空気。
車を停めて、インフォメーションセンターの人に話を聞くと、どこへ行ったらいいかを、丁寧に説明してくれる。
どの方も、その仕事を心から愛してやっていると言う感じ。
話を聞いたこっちも、気分がよくなる。
車を運転して、広がるワイン畑を通り過ぎながら、その一体を走る。
至る所に見える、「Wine Tasting」のサイン。
そう、そこで作りたてのワインの試飲ができるのだ。
今回はお金がなかったので、試飲はできなかったが、(というか運転もあるし)
その試飲ルームから見渡すブドウ畑の景色は、とても、とても綺麗だった。
なぜか鳥の鳴き声がよく聞こえる。
向こうに広がる夕日。
照らされる黄金のブドウ畑。
その静かな空間には、来る人をずっとそこにいたいと思わせる、雰囲気がある。

昼は、ワイナリーの一角に停まり、そこで友達とランチを食べた。
そこにあるデリで、パンと、チーズを3種類、そしてブドウを買う。
それを分けながら食べる。噴水の水の音が聞こえ、木々に囲まれた空間で。
向こう側にあったテーブルには、8人ほどの年配の方々が、同じように昼食を楽しんでいた。
みんな、笑顔で笑いながら、食事と話を楽しんでいる。
本当に楽しそうだった。
自分がリタイアする前に、ここで自分の大好きな仲間たちと、同じように食事ができたら、どんなに楽しいだろうか。
その未来が想像できた。


ナパ・ヴァリー。
ぜひ、機会のある人には行ってもらいたい。
都会の喧騒からひと時離れて、贅沢な時間が送れるはずだ、
きっと。



http://www.napavalley.com/


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行ったところReview 

September 15, 2006

459e6f24.jpgLAから少し北に行ったところにある、山の上の小さな美術館。
車を停めた後は、そこからは自動運転のトラムが、山の上まで連れて行ってくれる。
トラムの窓から眼下に広がる、LAのハイウェイの様子。
扉が開くと、そこに広がるのは、近代的でシンプルなつくりの、広場、そして階段。
そこを上がると、それぞれ彫刻、絵画、装飾品などに分かれた、数々の建物が並ぶ。
昼間に行くのもいいが、夜にぜひ行って欲しい。
そのライトアップされた建物の綺麗なこと。
二階に設置された展示場に入る前に、向こうに広がるロスの夜景は、目を見張るものがある。
下に降りると、まるで「秘密の花園」を思わせるような、不可思議かつ魅力的なデザインの、中庭が広がる。
池の上に広がる、緑の芝と木々。流れる小川。咲き乱れる花々。
まるで夢の中にいるのかと思わせるほどの、完璧な空間である。

もちろん美術品も素晴らしい。
古代アテネの時代から、現代美術まで、幅広く取り揃えている。
毎回定期的に変わる、特別展示回も嬉しい。
今はルーベンスとブリューゲルのコラボレーションの作品が紹介されている。
ファンの人はぜひチェックあり。

ここまで揃っていて、駐車場料金の7ドルを除いては、入場料はただである。
金、土曜は夜の9時まで開いている。
ぜひ、たまには違った週末の過ごし方を。

LAにひっそりと隠れた、素敵な空間、
Getty Museum.


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行ったところReview | Art Review

自分さえ良ければいい。
自分だけが良ければいい。

この考えが、俺の中をだいぶ占めていたようだ。最近。
自分ではそうは思っていなかった。逆に、他の人のことも考えなきゃ、そう「思っている」と思っていた。
しかし、違ったようだ。

今日、JCのオフィサーを引き続き、続けることにした。
理由は、考えたあげくの答え。
先週の今日、オフィサーの何人かに、JCを辞めたいと申し出た。
彼らは言った。「お前が辞めたいんだったら辞めろ」
それでいいと思ってたし、俺が抜けても何も支障はないと思っていた。
しかし、何か気分が良くない。
何をしていても、心がどこかに飛んでいるし、第一、自分が今目の前で相手にしていることに、心が集中しない。
そう、心はJCの問題に向いていた。
俺のアメリカ生活、残り9ヶ月を満喫したい。
今まで行った事のないところにも行きたい。
そして、JCにもう興味は無い。
そう思い込み、辞めることしか頭になかった。

実は昨日の夜まで、辞めようと頑なに決心していた。
しかし、昨日の夜一人のオフィサーと話して、伝えられた言葉。
「俺も前に一回、役職を降りたんだけど、その時は自分で立候補して自分で降りると決めたんだから、何も迷惑はかからないだろうと思っていた。
でも、そのときは周りの人のことまで考えていなかった。
あの時は、“視野が狭かった”よ。」
最近俺が言われて、気にしていた言葉だ。
視野が狭い。彼も俺に、それを伝えていたんだろう。つまり、今の俺の、“視野の狭さ”を。
一体俺のどこが視野が狭いんだ?先週別のオフィサーにそう言われたときは、怒りしか感じなかった。
しかし、それは本当に俺が視野が狭かった証拠。視野の狭いやつに、自分の視野の狭さは分からない。

今日、また別のオフィサーからメールをもらった。
「今日ミーティングに来る前に、もう一度考えてくれ。
お前が今の状況に至ったのは、JCでいくらか助けをもらったからじゃないのか?」

確かに、そうだった。
JCで色んな人に会えたからこそ、色んな世界が広まったのも事実。
一人きりでは出会えなかったチャンスにも色々出会えたことだろう。
それを無視して、今の自分がもう得たいものを得たから、JCを去る。
その考えほど、自分勝手、“視野が狭い”考えはないんじゃないか、と。
そのメールを読んだのは、ミーティングに行く一時間前。
それまで辞めようと決心していた自分の心が、何か、すっきりしない。
何か、俺は間違ったことをしてるんじゃないか。
自分の心をすっきりさせようと、紙に色々書いてみるが、何故か紙の上に書かれた言葉には、共感はするものの、自分の心が、なぜか潔いと感じない。
芝生の上に寝っ転がって、空を見ていた。
そうだな。今度は俺が何かを返す番かもしれない。

この前のブログにも書いた。「自分の才能を発揮して、それで人に、愛と感謝を伝えられればいいんじゃないか」と。
正に、その通りじゃないか。それをJCを通してやればいいんじゃないかと。
ミーティングに遅れていった。何故か皆と顔を合わせるのが、後ろめたい。
最近ここ2週間、俺は仕事を何もやらなかったから。
明らかに、俺は間違ったことをしていたんじゃないか。
皆の立場に立ってみて、皆がどう感じるか考えて、
「あ、俺は間違っていた」と確信した。

みんなにここ数週間の自分勝手な行動を誤り、
これからも自分を受け入れてくれるかどうか聞いた。
みんな、笑顔で受け入れた。
素晴らしい仲間だ。


新たな決断。
どうやって、人に返すことができるか。
それが俺の今後の課題。
今までは、自分のことばかり考えて、「人に何かを返す」ということを余り考えずに生きてきた。
しかし、今は人に何かを伝えていくことも始めるべきだろう。
今年の夏、大阪で馬場聖鍼堂の馬場先生と話していた時に言われた言葉。
「人間っていうのは、今まで培ってきた経験や知識を、同じようにどんどん出していかないと、新しいものが入ってこなくなっちゃうんですよ。
今まで俊輔君が先輩から授かってきた知識、情報、そして俊輔君自信が自分で得てきた経験や知識も、次の後輩に伝えていくことが大事かもしれないですね。」
そのとき考えた。自分に出来ることはなんだろうと。
今年の夏の経験。会社を相手に、就職活動をした経験だって、伝えられる。俺の旅の経験で、見てきたもの、感じたこと、ぜひ他の人にも伝えたいこと、沢山ある。
それらを、言葉にして、書く。話す。自分は書くことは大好きだし、人と話すことも大好きだ。特に自分が興味のあること、自分が心から好きなことは、人に情熱を持って話すことができる。
この特技を使って、どうにかしてうまく人の役に立てないだろうか。
病気で家から出られない人、体が健康でも、色々な問題で、海外に行けない人、英語が話せずに、他の国に行っても、その国の人や他の国の人と、会話が出来ない人、普段忙しすぎて、外に行く時間も取れない人。そういう人たちの代わりに、俺が体験したことを、まるで今目の前で起こっているかのように伝える。それができるだけの、描写力と、会話力。
それを付けて、将来的に、物を書いたり、人前で話をしたりして、うまく人のためになれないだろうか。
最近、それを考えている。

とにかく今の俺は書くのみ。そして、話しをするのみ。
どっちの能力も、鍛えれば鍛えるほど上がっていく。後は、自分の可能性を信じて、鍛え続けるのみ。

人生最大の喜び、そしてやりがいというのは、何か人のために役に立てた、と感じられたときに得られると思う。
俺もこれから、自分の才能を使って、人の役にどんどん立てていけたら。
とりあえずJCが、一番今の自分に近い、人に役立てる場所である。

これからは、自分の人生も濃く生き、そして人の役にも立っていく。
それを目標にしていく。


9.14.06


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Thoughts-思ったこと 

September 14, 2006


人と接することは、もの凄いポジティブなパワーをもらうことも出来るし、
ネガティブなパワーをもらうこともできる。
前向きなやつ、人生を楽しんでるやつ、周りのものごと、人に感謝してる人、
そんな人たちと一緒にいると、自分もウキウキとしてきて、前向きなやる気が出てくるはずだ。
逆に、文句ばっかり言ってたり、人の批判やうわさばかりしている様な人たちといると、
自然と自分もやる気が下がり、後ろ向きな考えになってきたりするものだ。

最近の俺のブログは、
マイナスなパワーを受けた後、どうそこから挽回して、またポジティブな状態に自分の心の状態を持っていくかに固執していた。
自分がその状況であったからだ。
そんな時に自分の書く文章というのは、マイナスのパワーは直接ないにしろ、
決して人を鼓舞させるような、素晴らしいプラスのパワーも持ち得ない。
自分の発する言葉に自分の感情が乗り移るように、
自分の書く文章にも、必ず自分の感情というのは、入り込むからだ。

俺は、自分のブログを、文句や人の批判に当てるようなことはしたくない。
そんなことをしたら、俺のブログ全体が、マイナスのパワーを持つようになるし、
第一そんなつまらない、魅力のない考え、そして文章を、誰が読みたいだろうか。
そして、それを読んだ人だって、いい気持ちになるはずがない。
このブログのタイトルにもあるように、俺は、すべての人が、その人の才能を発見して、
その人が自分の可能性を信じ込んで、自分の人生を開花させることができればいいと思っている。
つまり、このブログを読む人にも、いい影響を与えたいのだ。
これを読んだ後、「よし今日もがんばろう!!」と前向きになれたら、どんなにいいか。
そんなブログにしたいと思っている。

同時に、このブログは、俺自身の日々の状況、そして考えを書く場所でもある。
もしかしたら、今は視野が狭い奴だなと感じたり、もっとこう考えたらいいのにと思う人もいるだろう。
でも、それは、俺がこれから伸びる余地があると思って、見逃して欲しい。
そして、「こう考えた方がもっとよくなるはず」と思う人がいたなら、直接コメントしてください。
常に視野を広くして、新しいアイディアを学び、自分を成長させて行きたいと思ってますので。
そして、僕自身も、このブログをたまに読み返し、
「ああ、あの時はこんな風に考えていたんだな」とか、
「ああ、全然何も見えてなかったんだな」と自分の成長を振り返る場所でもあるのであります。
そう、自分が付けている日記と同じように。

さて、今の自分の気分、そして頭の中のモヤモヤをすっきりさせたかったので、ここに書かせてもらいました。
また投稿します。

俊輔 
9・13・06

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Thoughts-思ったこと 

September 13, 2006


“You can actively choose the positive in every moment of your life.”
(あなたは人生の中の全ての瞬間で、積極的にポジティブな側面を選ぶことができる)

友達が言った言葉。二人で物事の捉え方について話していたとき、彼がこのフレーズを言ったので、メモしておいた。
まさにそうである。最近特に感じるが、人生の中で何が起ころうと、それをプラスに捉えるもマイナスに捉えるも、自分しだいなのだ。

人には癖があると思う。日常生活の中で起こることを、プラスに捉える癖か、マイナスに捉える癖。
 俺も昔はマイナスに捉える方だったと思う。天気が暑ければ、「何でこんなに暑いんだよ」とブツブツ言っている。太陽の暑さを喜んで感じてればいいのだ。
 バスが遅れて来る。それに対して、ずっと文句を言うこともできれば、本を読む空きの時間ができてラッキーだと思うこともできる。
 同じクラスでも、「面白い」と思って話を聞けば、本当に楽しくなってくるし、「つまらない」と思えば、つまらなくなってしまう。
 全ては、捉え方しだいなのだ。
 自分にとって、どう考えても嫌なことが起きる。それのせいで、自信はなくすし、落ち込むし、心も塞いでしまう。
 でも、それに真正面から立ち向かい、それを乗り越えたとき、
その出来事があったおかげで、自分のことをもっと知るきっかけにもなったし、前より更に強くなれたと思うこともできる。

 今までに起こったことの無いことが起きて、それを瞬間的にプラスに捉えることには、訓練がいる。どうしてもネガティブサイドを見るほうが、簡単だからだ。
でも、自分を次第に律して、常にポジティブサイドを見られるようになってくれば、人生はどんなに違ってくるだろうか。生活の中の一瞬一瞬が、変わってくる。

 人の言葉もそうだ。ポジティブな人と一緒にいるのと、ネガティブな人と一緒にいるのとでは、自分の気分も、考え方も、その時の時間の使い方も、全て変わってくる。
 ネガティブな人は、起きたことに対して、いつまでも文句を言ってるし、他人のうわさや批判ばかりしている。そうやって文句が多い人と一緒にいると、例えその人が根はいい人であろうが、いつの間にか自分も、批判的な考え方になったり、文句が多くなってたりするものだ。自分の知らない間にこういった影響を受けてしまうことは、一番恐いと思う。
 逆にポジティブな人は、常に前向きである。他人のうわさなどはしないし、第一そんなことは意味がないと知っている。他人のうわさ、批判は、ものごとを更に悪化させはするものの、決して良くはさせないからだ。そんなことをしているよりも、もっと目を向けるべきポジティブなサイドが沢山あることを知っている。
 自分で自分の心を満たす方法を知っているし、常にいいものを見ようとしているからだ。こんな人たちと一緒にいると、自然と自分の心も温かくなり、心が和らいでいるはずだ。こうなると、自分にもドンドンといいアイディアが浮かんできたり、色んなことに対しての感謝の心が出てきたりする。
 この二つの心の状態は、全く違う。同じ心なのに、周りにいる人の影響で、全く変わって来てしまうのだ。ならば、ポジティブな人と一緒にいた方がずっといい。

 ネガティブな考え方は、強い力を持つ。ポジティブな考え方をも、簡単に吹っ飛ばしてしまうものだと思う。今までいい気分でいても、少しネガティブな言葉をかけられらたせいで、感単に自分の心は変わってしまうものだ。相当強い心を持ちえずしては。
 だからこそ、常にポジティブな心を保とう。そして、ネガティブな考えが自分の心の中や、周りの人から襲ってきても、それを吹っ飛ばずほどの、強いプラスのパワーを持とう。

 批判、悪口、文句、不安。これらのネガティブな要素は、日常生活いたるところに見られる。これに飲まれてしまうのか。それとも、それらをも吹っ飛ばし、強くポジティブに生きていくのか。
 全ては、自分しだいだ。


 そして、全ての物事には意味があり、全て、起こるべくして起こっていると取るのだ。それは、自分の人生を信頼して、流れに身を任せるようなもの。
 それは、ただラクをしろとか、あきらめろってことじゃない。
いい意味で、人生の全てを受け入れ出すってことだ。

 そうなったとき、初めて自分の人生が流れに乗り出したように感じ出す。
そして、全てを楽しむことができる様になる。
そうすると、全てのことも、ちょうどいいタイミングで起こっている様に感じてくるのだ。

 自分にとってショックが大きければ大きいほど、それを乗り越えて、しかもそれをポジティブに取ることは難しい。
 しかし、全てのことには意味があると考え、それから何かを学ぶために、それが今、起こるべくして、この瞬間に起こったと、受け入れる。

 そんな生き方が、俺は好きだ。


9.12.06


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Thoughts-思ったこと 

September 11, 2006


あの衝撃的な日から、五年が経った。高校3年生の9月。自分の部屋で英語の勉強をしている時だった。母親に、「ちょっと俊輔来なさい!」と呼ばれ、何だなんだと居間のテレビを見に行ったところ、あの衝撃的な映像が流れていた。
煙を上げながら、そびえ立つタワー。何が起こっているのか全く分からず、NHKのアナウンサーも、混乱していた。それから数分後。飛行機が突然左側から現れ、そのビルに吸い込まれていった。まるで、映画そのものだった。
そして数分後、二つのビルは崩れ落ちた。アナウンサーも、家族も、俺も、みんなショックだった。

あの日から五年が経った。思えば、この五年で自分の生活も、そして人間としても、ずいぶんと変わったものだ。17歳の高校生から、22歳のアメリカでの学生となっている。五年か。


今日、そのメモリアルの様子の写真が載った新聞を見ながら、友達とその話題になった。CNNのニュースでブッシュ大統領が、「イラクでの失敗がいかなるものであれ、われわれが(イラクを)撤退した場合、テロリストがわれわれを放置すると考えることが最大の過ちだ。テロリストはわれわれを放置せず、追ってくる。米国の安全は、バグダッドの路上で発生する戦闘の結果にかかっている」と言っていたことを彼に伝えた。その記事には、“大統領はさらに、対テロ戦争が従来の戦争とは異なるものの、米国人が第二次世界大戦や冷戦当時と同様の犠牲を払うことが現在必要だと強調。”とも書いてあった。

その言葉を聞いた彼は、イラつきを見せて言う。「この国も、そろそろ人の問題に首を突っ込むことを止めて、“世界の救世主”として力を見せ付けることをやめるべきだ」と。
今のイラク戦争が起きてから、約3年半が経つ。アメリカ生活一年目の冬、学校のクラスで、「そろそろ戦争が始まる。あなた達ももしかしたら、傭兵として戦場に行かなければいけないかもしれない」と先生に言われたときは、本当に恐かった。
あれから、3年半以上が経つのだ。今回の戦争が始まった理由も、そして、未だに戦争が続いている理由も、全てアメリカ政府の口から、「理にかなった正しい選択」として説明されている。しかし、理由はどうであれ、相手を力で打ち負かそうとしているに過ぎない。

友達が言う。「いくらその国が、ひどい政治形態だからといえ、“その国の民の自由、人権を守る”という理由で、その国のトップを力ずくで変えようとするこの国の方法は好きになれない」と。
「そんなのはただのおせっかいであり、余計なお世話である。残るのは、戦争で命を犠牲にさせられた傭兵たちと、その国で犠牲になった人たち、そして残った人たちの恨みと悲しみだけだ」と。
「俺は今戦争に送られている、“傭兵たち”は応援する。彼らはただ自分の意思ではなく、送られているのだから。しかし、この国の決断はサポートしない。」と。
「この国は、もしもこうして人のビジネスに首を突っ込むことをいつまでもやめないのだったら、せめて建設的な方法で人を送るべきだ」と。
「お前も、日本の傭兵がどんどん送られ、今命を亡くしていたら、嫌だろう? でも、もし彼らがその国に行き、傷ついた人たちや建物の復興を手伝っていたのなら、感じ方は全然違うだろう?」と。

彼の話を聞いていて思った。今このアメリカが取っている方法は、まさに日常生活の中で見られる、私たち人間同士の中に見られる、コミュニケーションの方法パターンとなんら変わりはないと。

英語では、かまって欲しくないとき、放っておいて欲しいとき、そして余計なお世話だと言いたいとき、”It’s none of your business.”(あなたのビジネスではない)と言う。
自分がいいと思うが故、そして、そうした方が相手にとってもきっと良いと思い込んでいるが故、余計なお世話をやいてしまう。
自分に取っては正しくても、相手にとっては、それはいいものではないかもしれないのだ。相手にそれをやってほしいと頼まれて、それでやってあげているのなら話は別だが、相手に頼まれもせず、自分の価値観を押し付け、それをベースにして、相手に対して行動を起こす。これはしばしば、ただの“余計なお世話”と成り得る。

この世の中に、自分の価値観を押し付ける人がいかに多いか。
“自分はそれが正しいと思うから、お前もやるべきだ”
“俺にとっていいんだから、お前もした方がいい”
“そして俺は絶対的に正しい”

人によって、“良い”、“正しい”は違うのだ。
そして、相手が望んでいないのに、自分の価値観を押し付け、その人の生活スタイル、考え、環境を、無理やり自分の力で変えてしまおうとするのは、いかがなものか。
その人はそれで心地よいのかもしれない。もしかしたらそれがその人にとって、ベストなのかもしれない。
もしもその人のことを本当に大切に思い、考えるのなら、その人をただ信頼してあげて、その人が自ら変わろうとするまで、見守ってあげるべきではないだろうか。そして、その人が助けを求めたときに、それでやっと、力を貸してあげればいいのだ。

これは、一対一の人間関係にも言えるし、国レベルの関係に関しても言えると思う。
俺が今年の夏、カンボジアの子供たちの生活環境を見て、思ったこと。「この子達に何とか、何かをしてあげたい」。
しかし、この子たちが本当に望む状況を理解してあげて、そして彼らが本当に助けを求めたときに力を貸してあげずに、こっちが良かれと思うことをこっちの都合でやってしまう形となってしまっては、ただの“余計なお世話”と成り得る。
その結果、彼らはちっとも幸せにはならず、逆に問題ばかりが増えてしまうかもしれないのだ。
こっちはあくまでも、その人にとって良かれと思ってやっただけなのに。

人間関係でも同じである。その人に良かれと思っても、相手は本当にそれを望んでいないのかもしれない。
相手が本当に何を欲しがっているのか。そして、相手の立場に立ってみたら、何が見えてくるのか。

本当の“助け”とは、まず相手のことを本当に理解することから始まるのではないだろうか。


9・11・06

http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200609120004.html
(上で触れた、CNNの記事)


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Thoughts-思ったこと 

September 10, 2006

「その場所の良さは、そこを出てみるまでは、本当に分からない。」

これは真実だと思うが、その“良さ”を、そこに住んでいる間でも、もっと分かり、そして感謝できる様になる方法があることに気付いた。
それは、自分の今住んでいる地域以外の人と時間を過ごして、その人の視点で、ものごとを見てみること。

今、サンノゼから友達(David)が訪ねに来ている。
彼は前の学校からの友人だ。ここロングビーチには、来たことが今までなかった。
南カリフォルニアも初めてなので、今日は一日、彼と行動を供にした。
彼はベジタリアンなので、肉、魚などは一切食べない。その代わり野菜や果物、そしてナッツ、豆類を沢山取る様にしている。また、基本的に自然のままの素材で作られたものを口にし、自分が何を食べるかには、非常に気を使っている。
とても健康的なやつだ。

その彼が、ファーマーズマーケットに行きたいと言った。日本でいう、朝市みたいなものだ。アメリカではどこでも大抵、週末ならやっている。
調べてみると、ロングビーチ近辺にはそのファーマーズマーケットが沢山あることに気付いた。そこで、一番近い、ロングビーチのダウンタウンでやっているやつに行ってみた。

ここの地域に移って一年。気付いたら、今までファーマーズマーケットは元より、ロングビーチのダウンタウンさえ回ったことが無かった事に気付いた。唯一そこを通ったと言えば、車でさっと通ったくらい。降りて、実際に歩いたことは無かった。
ダウンタウンに着き、車を停めて町を歩く。そこに広がる朝市の光景。
それぞれの店の人たちが、自分の畑から取れてきた果物や野菜、花を、自慢げに売っている。そこを行き交う人たち。みんな、ゆっくりと歩き、果物を試食し、よく見極め、店の人と話し、笑顔で買っていく。笑い声が飛び交う。
そこを一周して歩き終わる頃には、自分が、心からリラックスして、まるで自然の中にいるかのように感じていることに気付いた。そう、ここは車が行き交うロングビーチの町の中なのに。
友達が言った。「どんなに人が多くて忙しい街に行こうが、ファーマーズマーケットにいる人たちってのは、みんな良い人たちが多いんだ。」
確かにそう思った。ここは、人がみんな、「人間らしい」。そう思った。
みんなが、幸せな気分でいる。ゆったりした空気。焦らせられるものは何もない。

そこで果物を買った後、ダウンタウンの周りも、少し歩いてみた。
街というのは、歩いてみて、初めて見えてくる景色というものがある。
車で通り過ぎているだけでは、そこを何百回通り過ぎていようが、見えていないものがあるのだ。
初めて歩く街。色々なものが見えてくる。
こんな店がこんなところにあったのか。お、いい感じのカフェじゃん。
色々なものが、目に飛び込んでくる。
そして、その地域の人たちの生活も見えてくる。
少し歩くと、劇場があることに気付いた。その横には、水族館もある。友達が言う。「都会は人も多い分、嫌なことも多いだろうけど、その代わり、それだけ色んなチャンスがあるってことでもあるよね。都会は、幸せな生活、忙しい生活、ゆったりした生活、イライラした生活、どんな生活スタイルでも自分の考え次第で選べるところだよね。それだけチャンスがあるわけだ。」
その通りだと思った。同時に、最近の俺は、今住んでいる場所の、悪いところ、マイナスのところしか見ていなかったことに気付いた。
車が多すぎ。人が多すぎ。排気ガスで空気は汚い。夜、星は見えない。焦らせられる要素ばかり。
どうやら、この地域の“悪口”ばかり言って、それに自ら不満を持ち、自ら不幸に生きる奴となっていたようだ。
それを、友人の言葉で気付かされた。「おお、実際この地域は、いいところが沢山あるじゃないか」と。
そうやって彼のように、その場所を感謝しながら過ごしだすと、全てが良い方向に見えてくる。同じことが起こっても、その人の考え方、捉え方次第で、それに対する感情や感想といったものは、全て変わってくるのだ。

ダウンタウンを出た後は、海にサーフィンに行く。
彼が住んでいるサンノゼには、海はない。しかしここは、海まで車で20分。着替えて、砂浜に立ち、ストレッチする。海から吹く風を体いっぱいに浴びながら。
彼が言う。「最高だな、この気分」と。その通り。俺もこの瞬間は大好きだ。
海に入る。また、自然に帰る。
日常のことを一切忘れ、自らを自然のパワーの中に突っ込む瞬間。
襲ってくる波を相手にしている内に、頭の中のモヤモヤやイライラは、全て吹っ飛んでいく。
自然のその偉大なパワーを相手にして、その大きさを相手にしていると、
今まで自分が考えていた心配事や悩みが、いかに小さいものかに嫌でも気付かされ、それが何でも無かったように思えてくるのだ。そうやってウジウジ考えていた自分が、もの凄く小さかったことを思い知らされる。
そして、そうなった後、もう一度その“悩み事”を考えてみると、いたってシンプルなことに気付く。その時には答えはもう見えているのだ。後は、自分が出した答えにそって行動するのみ。

流れが以上に強かった今日は、かなりの距離を流されたが、友達も自分も、めちゃくちゃ楽しんだ。太陽が落ちて、暗くなった中、灯されて綺麗に光るオレンジの電柱の光。その中でうねる、黒い波。その光景は、いつ見ても、綺麗すぎて、ただそこにぼーっと佇まされる。

(途中、俺たちはピアの桟橋の下まで流され、危うく、桟橋に波の勢いで叩きつけられそうになった。「これはマジで死ぬ!」と思い、必死の形相で波を避けていると、やはり、少し離れたところで、同じように、必死の面持ちで波と格闘しているDavidを発見。
その時は笑う暇もなかったけれど、後でビーチに上がってから、二人でお互いの必死の形相を思い返して、原を抱えて笑った。)

海から上がったときには、俺の頭の中はすっきりして、今目の前にある全てのものを感謝するような、幸せな気持ちになっていた。上にも書いたが、その“現実”をどう捉えるかは、その人しだい。同じ状況を、幸せと取るか、不幸と取るか。自分に起こった出来事を、“いいこと”と取るか、“悪いこと”と取るか。
全ては、自分しだいだ。なら、なるべくいい方向に取った方がいいに決まってる。
いかに屁理屈と言われようが、バカにされようが、その状況をプラスと取れば、何か学べるものは必ずあるのだ。逆に、その状況を楽しんでしまう事だってできる。いかに最悪な状況でも。

海から上がって、ハンティントンビーチのダウンタウンを歩く。行き交う人々。かわいい女の子たち。友達が悔しそうに言う。「サンノゼにはこんなにかわいい子達は多くねーよ!」と。確かにその通りだった。それも忘れてたな。
街の角で演奏する、ストリートパフォーマーたち。そのヴァイオリンとエレキギターと、ドラムが作り出す音色に、沢山の人が聞き惚れている。確かに彼らはうまかった。チップを渡しながら、CDは出していないのかと聞くと、「前々から話はしてるんだけど、俺たちはただここで演奏するのが好きなんだよね」と。
彼らは、一時間ほどたった後、俺らが食事を済ませて帰ってきたときにも、まだ弾いていた。自分の心から好きなことをやってるから、お客さんがいようがいまいが、お金が入ろうが入らなかろうが、関係ないんだな。そう感じた。彼らの顔は、本当に楽しそうで、幸せそうだった。彼らの作る音もまた、彼らの心境をそのまま出していて、道行く人みんなが、笑顔になっていた。途中でドラムを持ったホームレスの人も、演奏に加わってくる。みんなが寄ってくる。彼らは演奏しながら、みんなを受け入れる。すごくいい光景だった。

街を歩き、友達と話す。彼が言う。「ロングビーチ、これはあるし、あれもあるし、人は親切だし、女の子はかわいいし、なんていいとこなんだ!」と。
その通り。今日は俺もそう感じた。今まで一年近くも住んでいたのに、俺は一回も、ダウンタウンや町の中を、歩いて回ったことがなかった。いつも、学校とか、同じ友達とか、“同じ生活パターン”しか送っていなかったのだ。同じところへ毎日行き、同じ光景を見る。自分の生活行動範囲内を、“ロングビーチの生活”と思い込んでいた。
実際そんなことは全然なかった。俺が開拓していない場所、行っていなかった場所、知らなかった光景、たーくさんあることに気付いた。
そして、もっとローカル(地元)の人と付き合うこと。ロングビーチならではの空気を感じること。その大事さに気付いた。日本人の友達だけと付き合い、日本語だけ話し、日本食屋に通う日々を繰り返していては、何をしにアメリカに来ているのか全く分からない。
ただ、毎日車で移動していたところを、少し歩いてみるだけで、どんなに違うものが見えてくるか。多くのことに気付かされた。

今日は俺は、ここでの生活を、「この街以外の人」の視点で見た。
全てが新鮮に見えた。彼はあと1日でここを去るから、今の内に、できるだけ、ここのいい所を見ておきたいのだ。そうやって見出すと。どんどん行ってみたい所が出てくる。“ここ”にしかないものが見えてくる。それを、どんどん体験していく。そして、感謝する。なぜなら、それは“ここ”にしかないからだ。

俺が旅が好きなことに気付いた。それは、その場所をその数日なり、“決まった時間”しかいないと知ってるから、そこをなるべく楽しもうとして過ごせるからだ。どんなものも、新しい。そして、どんなものも、新鮮に移る。そうやって見るものごとは、心に凄く残る。“その時だけ”と知っているから。
自分のアメリカ生活は、あと9ヶ月を切った。それが終われば、社会に出る。日本で働こうが、アメリカで働こうが、今の生活スタイルは、もう二度と帰ってこない。いわば、あと9ヶ月の寿命、みたいなもの。
だからこそ、今の内にやっておかなきゃならないこと、また、今しかできないこと、沢山あるのだ。
旅に行くときは、その場所でいられる時間がはっきり分かってる。だから、一瞬一瞬がもったいない。全てを、楽しもう、使いきろうとするのだ。
例えハプニングが起きようが、それだって楽しい。思い出として残るからだ。逆に、その状況がやばければやばいほど、後で思い返したときに面白かったりする。
今の俺のアメリカ生活も同じだ。あと9ヶ月しかないって知ってる。もうこの時は帰ってこないのだ。だからこそ、一瞬一瞬を楽しいと感じたいし、全てを、使い切りたいと思うのだ。


ものごとをそうやって、“今の現実”や“常識”から離れて、改めて見てみたとき、全ては全く違って見えてくる。それが新鮮に見え、それが“あるがまま”、が見えてくる。
俺はこの感覚を大事にしたい。自分の人生だってそうだ。今、自分を取り巻く常識や、自分を取り巻く人の考え、この時代の常識、それらの、“そうあるべき”ってものから一回自分を切り離し、改めて見てみたとき、自分の人生は全く違って見えてくる。全く今までとは違った視点から、この自分がこの世に授かった“命”ってものを見れる。この一回しかない命を、どうやって使ったら、一番、楽しめるんだろう、一番使い切れるんだろう、と。
必ずや、俺らの“旅”―――“人生”は、いずれ終わりが来るのである。


旅をすることは、自分を振り出しに戻し、初心に帰らせてくれる。
そして同時に、今自分がやっていることの、“核心”に気付かせてくれるのだ。

彼も、今は同じことをしている。そして、このロングビーチを、“旅人”からの目で見させてくれた。その彼のおかげで、今日自分は、この街を今までとは全く違う視点から見ることができて、この街に今いられることを、すごく感謝できる様になった。今は、この街のいいところが、沢山見れる。

全ては自分の捉え方なんだな。そして、その捉え方をどう選ぶかは、個人しだい。
良く取ろうと、悪く取ろうと、全て、自分しだい。
俺は、“ここに住むこと”を良く取るように、やっとなれた様だ。


9.9.06


shunsukesekine at 22:37コメント(2)トラックバック(0) 
Thoughts-思ったこと | Special People-特別な人たち

September 09, 2006


JCキャリアを辞めることにした。
理由は、自分の興味の対象が他のことに移ったこと。
そして、今の俺の状態でキャリアを引き受けては、
自分が伝えられるメッセージも、中途半端になってしまうということだ。
キャリアとは、あくまで、会社に入ることを前提とした上で、履歴書の書き方、面接の受け方などのアドバイスを与えるところ。そして、“会社で働くとはなんぞや”を説くところである。
社会経験のない自分に、この立場はまっとうできない。
「この夏ちょこっとだけ見聞きして来ました」のレベルで終わってしまう。
そして俺が与えられる情報は、俺個人の“印象”レベルで終わってしまう。
偏った情報は教えたくないし、やはり全員に、自分の目で、肌で確かめてもらいたい。

この前のブログで書いた。
「会社は、“牢獄”だ」と。
この表現、かなり極端だったため、反感をくらった。
当たり前だ。くらうに決まってる。
会社で実際に働いている人に対して、失礼だからな。
そして、これは、俺個人の「考え」、そして「印象」でしかない。
もちろん、会社はもっと違ったところだろう。
自分を伸ばせる可能性が一杯の、とてもエキサイティングなところにだってなる。
人に会えて、新しい世界を知れて、自分の可能性を探し出せるところでもある。
逆に、何かの組織に属することを嫌い、自分の才能を使って、この世を生きていこうとする人にとっては、早く抜け出したい場所ともなりえるだろう。
人によって捉え方は、違う。
自分の力で生きていこうとする場合、一生を会社に捧げる人生は、如何なるものか。そういった視点から見た場合、会社とは、牢獄ともなりえる。
俺は、極端にそう言っただけ。
自分がそこに「雇われている」と思ってる限りは、
そうだと。

今回俺のブログに対して、意見をくれた友達。
彼は、言う。
「お前は視野がもの凄く狭い」と。
「お前は今、夏に会社訪問を少ししただけで、“社会”“企業”と言うものを分かったような気になって、そして今、旅をすることに“逃げている”」と。
「“落ちたな”」と。

「お前は感性が鋭い分、
一を見ただけで、十を感じて分かってしまおうとする傾向がある」と。
「いつもそうやって、少しだけ見て、それで全て分かった様な気になって、
それで全てを決め付けてしまっている。それは“危険”だ」と。

そうかもしれない。
俺は、いつも、頭より、“感覚”で物事を見る。
だから、今年の夏の会社見学も、自分の“感覚”を使って見てきたし、
アジアの旅も、“感覚”を鋭くして感じてきた。
彼は言う。
「そうやっていつも感覚で全て見ようとするから、全てが“歪んで”見えてしまう」と。
「本当は、もっとその“事実”を勉強して、それで、全体像を見て、
それでやっと、その物事を言えるはずだ」と。
そうかもしれない。
感覚を使って見ることが、物事を“歪ませてる”かどうかは、俺は疑問だが。

でも、俺は、自分の感覚で物事を見て、感じて、
それで、“自分で”何かを発見したり、気付いたり、分かったりすることが好きだ。
もしそれで“分かった”と思っていても、それは世間一般から見たら、“分かっていない”かもしれない。
でも、だからと言って、簡単に周りから情報を得たり、本に書いてあることを鵜呑みにしたり、先輩の話を聞いて、それで“分かった”つもりになるよりも、実際に自分の肌で感じて、それで得た答えの方が、自分にとっては大事である。
もしかしたら、世界の人全員が、「お前は間違ってる、それは“正しい”答えじゃない」と言うかもしれない。
でも、俺が自分で体験してみて、そう感じたなら、俺はその自分の感覚を大事にしたい。


「お前は視野が狭い」「旅に逃げたな」「落ちたな」
本当だろうか。
見ているところが、感覚の付け所が違うだけではないだろうか。
今自分たちが、人生で一番、“価値”を置いているものの違いだけじゃないのだろうか。
お互いの価値を置くものに、上も下もない。

俺にとって旅をすることは、自分の人生の中で今まで気付かなかったことに沢山気付かせてくれる大事な時間であり、貴重な機会である。
今年の夏のアジアの旅のおかげで、日常から離れ、一人きりになり、今までの全ての“常識”たるものを振り払い、自分が一回きりの人生で本当に何ができるのか、できうるのか、それをじっくりと考える時間が取れたからこそ、気付いたことがあった。
彼に、旅に行くことを、“逃げ”と取られたのは、正直拍子抜けだった。自分にとって、会社で働くことと、旅をすることは、全く別のことであり、どちらに対しても俺はプラスの印象を持っている。それぞれは全く分野が違うことであり、測ること、比べることはできないと思う。
俺は学校を卒業した後、20代は会社に入り、そこで自分を鍛え抜こうと思っている。9ヵ月後に卒業をした後は、会社に入ることは、確実なのだ。
 この夏を日本で過ごしたからこそ、後のアメリカ生活にもう残りがないことを知り、それを満喫したいがため、もっとアメリカでの生活に自分を突っ込もう、そう決めたのだ。


価値観の違いならば、仕方がない。
相手の価値観は尊重したいし、
自分の価値観を、押し付けるつもりもない。
お互いが、自分の信じる道を進めばいい。

それぞれの人が、自分に合った生き方を見つけ、
その分野で、人に愛、そして感謝を与えられながら、
自分の人生を思いっきり生き切ることができればいいのでは。
そう思う。



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Thoughts-思ったこと 

September 08, 2006

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Mt. Shasta(マウントシャスタ)の家族たちに会いに、先週末からの休日を使って行って来た。
Mt. Shasta, そしてSan Jose(サンノゼ)は、自分がアメリカ生活一年目と、二年目&三年目をそれぞれ過ごしたところ。
それぞれの地域にいる友達に会いに、今の学校があるLong Beach(ロングビーチ)から車を運転して4,5日間の小さな旅に出ることは、自分のお気に入りの時間の過ごし方となった。
アメリカ生活ももう長くない。そして、4,5日の休みが取れることも、もう今回を入れてあと3回しかなかった。それが終われば、彼らに会いに来ることは、ほぼできない。日本に帰ってしまったら、ほぼ不可能になる。
だから、会える時に、会いに行く。

土曜は、一年目の学校の寮での元ルームメイト、ロイとその家族に会うために、McArthur(マッカーサー)というド田舎の町にある彼らの家に泊まった。
ロイのお父さんは木こりだ。朝の3時に起きて家を出て、5時ごろから昼の12時ごろまで働く。夜は、9時には寝る。
秋は鹿狩りの時期。毎年ロイとお父さんが、鹿を狩ってくる。


ロイの家で、夕方、夕食をとりながら思った。
“日本でずっと育って社会に出たビジネスマンには、この光景は想像もできないんだろうな”と。
小さなテーブルを、ロイと、彼の両親と、俺の4人で囲む。
音楽も、テレビも、何もない。
窓から夕日の木漏れ日が差し込む中、話し声と、食器の音だけが、響く。
この前日本で見た映画、「ゲド戦記」の中の食事のシーンを思い出した。
お腹いっぱい食べ終わった後は、ゆっくりと、話す。


 何て豊かな時間なんだ。
 何て、裕福な時間なんだ。


この家には、高価なモノはない。
家は小さいし、キッチンの床は傾いている。
家の周りには、小さな店が何件か並ぶ以外、何もない。
あるのは、真っ青に広がる空と、畑のみ。
しかし、ここは俺の一番のお気に入りの家だ。
なぜなら、彼らの愛が、溢れているから。
帰ってくる度に、心が、“心から”ほっとする。


昔の人の生活は、こうだったはずだ。
生活のメインは、テレビでもなく、ケータイでもなく、
インターネットでもない。
仕事は、生活のため。
メインは、“愛する人たちとの時間”だったはずだ。


この家で過ごす時間は、驚くほど濃い。
実際は、朝起きて、朝食と夕食をゆっくり取って、
あとは、庭のベンチに座って空を眺めながら話したり、
草木に水をやったりと、そんなことしかしてない。
後の時間は、ずっと話してる。彼らと。
でも、いつも思い返すと、驚くほど濃くて、幸せだったなという思い出だけがよみがえるのだ。また、彼らに会いに行きたいと。


“モノ”はいらない。もしも、自分の心が満たされていれば。
心が満たされていないから、モノや、名声、自分の地位が上がること、会社の拡大などに、自分の心の穴を埋めることを任せてしまうのだ。
 

自分の愛する、大事な人と、濃密な時間さえ過ごせれば、
心は満たされる。


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Thoughts-思ったこと 

September 04, 2006


心、体、頭は、それぞれ別のものだと思う。
そして、それぞれを鍛えていくと同時に、テイクケアもしていかなければならない。
人によってそれぞれの鍛え方、そしてテイクケアの方法は違うだろう。
ただ、自分に合った方法を知ることだ。


この世の中は、“頭がいい奴”が、“エラい、凄い”と見なされる社会。
逆に、頭以外(心、体)は、余り価値が置かれない。だから、バランスの悪い人が続出してしまう。
仕事はバリバリできようが、体のテイクケアをきちんとせずに、早い内から病気になって、死んでしまう人。
また、心が活き活きとしていない人、心が死んでしまっている人が、増えてしまう。

日本の朝の通勤電車に乗る、疲れきったサラリーマンの人たちは、正にこの状態。
“心”と“体”のテイクケアを怠っているからだ。

今の現代社会は、“頭”にだけ焦点を置く傾向がある。
“頭さえよければいい”、“頭が良いやつが、一番偉い”―――そんな傾向がある。
逆に、“体だけ”、“心だけ”になってもいけない。
“体だけ”―――“バカ”なスポーツ選手になってはいけない。いくら体が強くても、頭のないバカではな・・・
そして、“心だけ”でもいけない。いくら心が純粋で、心から発するメッセージが強かろうが、賢いアタマと健康な体なくしては、この世では生き残っていけない。人にうまく利用されて終わるか、弱すぎる体で、病気になって倒れてしまうかだ。


大事なのは、バランス。
心、体、頭。
この3つを、バランス良く鍛え、バランスよく、テイクケアすること。


9.4.06


shunsukesekine at 15:45コメント(0)トラックバック(0) 
Thoughts-思ったこと 

September 03, 2006


Gender and Communicationのクラスをちょうど終えて。

クラス中に先生の話を聞きながら感じていたこと。
アメリカ人は、"Gender"="社会的における性"をすごく気にする。
男は男らしく。女は女らしく。
男が座るときに足を組んだり、態度がGirlyだったりすると、(態度が男らしくないこと→アメリカでいう"男らしさ"とは、よく鍛えられた体、威圧的な話し方、タフさ等)、すぐに、"You are so gay!!"(お前って超ゲイっぽいじゃん!!)と見なされる。
女は女で、"アメリカの常識が認める女らしさ"に、皆ハマろうとする。(流行りのファッション、同じような話し方、態度Etc)
これはどの国に行っても同じことだけど。

この、国による"常識"、"人々の考え方"は、どこから来るのだろう?誰が決めるのだろう?
メディアか?テレビか?映画か?ファッション雑誌か?
人々の意識の奥底には、「皆がやってるから、"かっこいい"」と思う傾向がある。
人は、周りの人の行動を真似する傾向があるから。
"TVに出てる芸能人がやってるから〜"、"今、流行りだから〜" "皆がこのサングラスかけてるから〜"
それらが理由。
仮に、日本で流行って"かっこいい"と見なされるファッションは、アメリカでは必ずしもそうは取られない。その逆も同じこと。
タイでも、ヨーロッパでも、中国でも、アフリカでも、南アメリカでも、それぞれ、人々が"かっこいい"と見なすファッション、スタイル、そして、態度、人生の生き方は違う。

この、"人々の意識"、"大多数の人が向かう方向"を決めるのは、そしてそれを決めるパワーを持つのは、やはりメディアなのか?
人は、それを見れば見るほど、聞けば聞くほど、頭にそれがインプットされるからな。
そして、それがいつの間にか、"常識"となる。


"常識"に惑わされるな。
自分のアタマで考えろ。
自分の心で感じろ。


8/31/06

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