August 2006

August 31, 2006


自分は今学期、自分の今の学校にあるジャパンクラブ(略JC)という学生団体の役員として、「キャリア・コーディネーター」というものを担当する。
それは、アメリカにいる日本人留学生の、卒業後の進路を助けるというもの。
その“助け方”とは、
1. 日本に直接帰って、日本の企業で働く場合。
2. アメリカに残って、アメリカにある企業で働く場合。
それらのオプションに行く人用に、それらの企業の情報、または、履歴書の書き方、面接の受け方のこつ、自己分析の仕方等を教えるというもの。

しかし、こうしてやっている事は、非常に視野が狭い。
まず第一に、「学校を出た後、“企業”に入って働くという人」しか相手にしていないからだ。
ここでいう“自己分析”も、「どんな会社に入ることが自分に合っているか」という事が前提となっている。
どこかの会社に入って働くだけが人生の選択肢ではない。
自分が自分の人生を設計するオプションは、限りなくある。
今回自分が夏、日本で日本の企業を相手に就職活動してみて、俺は気づいた。
自分は、日本の会社に入ることには、興味がない、と。

全くその可能性を否定しているわけではない。
ただ、今は、自分が、「会社に入って働く」というオプションより、他のことに、自分の魂が燃えるものがあることに気づいただけだ。

だからこそ、俺は、JCで「キャリア・コーディネーター=進路選択の手助け役」となるに当たって、中途半端にはやりたくない。
その狭いオプションの情報だけをただ伝える役には絶対になりたくない。
何故なら自分自身が、その“道”に興味をもう感じないからだ。
よって、できることと言えば、自分の信念があるままに、自分の経験を人に伝えるまでだ。

そんな訳で、JCのキャリアを今回やるに当たって、俺が持っている考えが以下のもの。カンボジアからタイ行きへのバスの中で、頭がスパークして、薄暗いバスの中で、殴り書きした日記より。




{JCキャリアをやるに当たって}


まずは、自分の心と対話し、「自分の心が、自分の人生で何を一番求めているのか」を知ること。
また、「自分が人生において、何に一番価値を置くのか」に気づくこと。
それが、一番肝心な第一ステップとなる。

「あなたが求めているのは、
“金”なのか?“時間”なのか?
“名声”なのか?“拡大志向”なのか?
もし“金”なら、それで何が欲しいんだ?
いい車か?いい家か?
それが、自分の“幸せ”に、
本当に繋がるのか?

あなたが求める、本当の“幸せ”とは、何だ?」と。

これを自分でもはっきり分かっていない奴、勘違いしている奴が多い。
これがハッキリしないと、一生、本当の意味では“幸せ”にはなれない。

「“あなた”は、どう考えるんだ?」と。


これを最初にせずに、もしJCキャリアで、
“インタビューの受け方”
“履歴書の書き方”
などだけを教えていては、「不自由な社会人」「歯車として、いかに優秀に働くか、周りに認められるか」を教えるだけとなってしまう。
俺は、これはやりたくない。

俺のように、「本当はやりたいことが違うのに、器用であるが故に、“周りの認める人生”を演じて生きてしまう奴」、また、その、「“演じられていること自体”に気づかない奴」も沢山いるはずだからだ。
(その“周りが認める人生”とは、親や世間一般、そして社会が俗に言う、“有名企業に入って、お金をたくさん稼いで、いい車、いい家を持って、裕福に暮らすことが、幸せ・・・”という様な生き方だ。親が望んだり、世間一般が認めるが故に、本当は自分は好きではないのに、その道へ行くことを選んでしまう人のことだ)

俺はこの夏旅をして、運良くこの“常識”の考えから抜け出せた。そして、気づけた。
しかし、気付きたくても、気付くチャンス、きっかけすらない奴もいる。
“気付くこと”どころか、
「そうやって生きる(会社で働く)のが当たり前」と思ってる奴らの方が多い。

そいつらにまず、考える時間を与えることだ。
「お前が“本当”に、人生でやりたいことは何だ?
お前が一番、輝けることは?
お前が一番、“やりたい”ことは? 
誰の意見もなしで。」

それをまず、聞くこと。
そして、考えさせること。
「折角アメリカに来たんだろ?日本を、折角飛び出したんだろ?
また、自ら、日本の狭い“常識”に自分をはめようとするのか?」と。

俺は、自分が行かない、“会社=牢獄”の道への近道、ディレクションを教えるガイドにはなりたくない。
自分が心から好きではないものは、教えられない。それは、俺の心に反する。

俺がやるなら、
・自分と対話することの大切さ。
・自分の将来を、ビジュアライズすることの大切さ。(できるだけ細かく、鮮明に自分の未来の像を描くこと)
・プランを立てることの大切さ。そして、いつもフレキシブル(即の変更可能な状態)であること。
・周りの声、“周りの望む声”に惑わされないこと。(他人との境界線を持つこと)

・自分の道を見極めるのなら、まずは、
1. 自分の持ってる、“人生でやりたいこと=夢、目標”のオプションの中で、一番やりたいことから、“全力投球”で、トコトンぶつかっていくこと。
2. それがダメなら、次のオプションを、やはり、“徹底的”にやること。

        その繰り返しであること。

 そして“必ず”、チャンスは訪れること。
 もし“全力投球”でいつもやっていれば。

 決して、他力本願にならないこと。
“誰かが教えてくれる”
“いずれ、待ってれば、チャンスは来る”と思わないこと。

      “常に、自分から、動くこと。”

これらの大事さを教える。


そして、それでも「会社に入りたい」という人には、今度は、“会社の見極め方”を話せばいい。(俺の今年の夏の経験より)

自分の名刺が武器になること
(相手は、こっちが名刺を持っていないよりも、名刺をこちらから差し出すほうが、“一人の人間”として見てくれる。名刺なしでは、“就職活動中の学生その1”のように見られてしまう確立が高い。つまり、相手の自分への意識をよい方向へ変える“武器”となるのだ。)

その人の“本質”を見抜くこと
(その人の役職、地位、部下の数、やっている仕事の大きさなどではなく、その人の“本質”を見抜く。つまりは、例えば実際にその人と銭湯で会って、お互い素っ裸な中、お互いが肩書きも何も知らない状態で話したときに、どういった印象を受けるか、そんな感覚でその人と話すのだ。
その人の肩書きに影響されては、(例えば社長だから、「うわあこの人は社長か」などの様にこっちが変な先入観を持ったり、勝手に自分を下に見たり、ひるんだりしては、)相手の“本質”を見ることはできない。その人を、“その人以上”に見てしまったり、その人の肩書きに惑わされたり、その人の持っているお金や、部下の数に影響されたりしてしまう。)

その会社の、“人”を見ること
(会社は、そこで働く一人一人の“個人”から成り立つ。そこに自分が魅力的だなと思う人が沢山いれば、それは、その会社自体も、あなたにとって“魅力的”となる可能性が高い。だから、実際にその会社に何度も足を運んで、会社の細部まで見させてもらって、社員一人一人の動きを見ることだ。もしできるなら、社員の人たちと食事に行ったり、いろんな話をして、その人たちを人間として近く知ることだ。そうして、自分が認められたり、憧れることができるような人が多ければ、その会社で働くことは、あなたにとってプラスとなるだろう。逆に、そこの社員の生き様や考え方に魅力を覚えないのであれば、その会社はあなたにとってお門違いとなる可能性が高い)

給料、その会社の有名度に捉われないこと
(“給料が高いから”とか、“その会社が有名だから”とか、などの理由で会社を選んでしまっては、すぐにそこで働くことが不満となってしまう。何故なら、お金で選んだ場合、自分への給料は、“慰謝料”として取ってしまう。「こんなに金もらってんだから、仕方ないか」と、自分の仕事に対して、マイナスの姿勢となってしまう。そんな状態では、いい仕事はできない。
また、“その会社が有名だから”などで選ぶとしよう。その場合、“有名”=“安定している”“安心できる”などの動機が自分の心の裏に隠れている可能性が高い。なぜ“安定”を選ぶか?お金に食いっぱぐれる可能性が少なくなるからだ。“あんなに有名な企業だから、まさか潰れることはないだろう”“そこそこのポジションで、そこそこの仕事で、そこそこの給料がもらえるはず”―――それらの“会社まかせ”の考えが生まれてしまう。その会社の“肩書き”で働けるという安心感、また、そこで働いていることを誰かに言うと、“すごいね”と言われるという、密かな優越感、満足感などもその原因の一つだろう。)

実際に、何度も会社に足を運ぶこと
(一回だけ見たのでは、その会社の本質は絶対に分からない。いくらでもその会社の社員たちは、あなたが見に来たときだけ“いい子”ぶれるからだ。
何回も見に行け。そして、同じ人だけとではなく、毎回違う人と話せ。会社のフロア、全てを見させてもらえ。もしダメと言われたら、なぜダメなのかを聞け。その理由に納得できない場合、筋が通っていない場合は、そこを指摘しろ。社員全員が自分の仕事に誇りを持って働いている会社、社長がしっかりした考えを持っている会社、それらの会社は、正々堂々としているから、隅の隅まで、いくらでも見せてくれるはずだ。逆にそれが無理なら、何か問題があるはず。それは、自分がいくつもの会社を見るに連れて、段々と分かってくるはず)

面接は、所詮、“お見合い”でしかないこと
(俺のブログにも書いていたが、面接なんてものは、そのとき限りの“化かしあい”でしかない。もちろん、その人の本質を見抜こうとする面接もある。面接が3次4次と段々とあがって行くにつれて、相手は手強くなっていく。しかし、所詮は、“その何分〜何十分”の間に、相手のほんのちょっとの表面上を見ているに過ぎないのだ。それは、会社にとっても、あなたにとっても。
面接なんてものは、相手(その会社)が欲しい人材像に合うかどうかを会社は見ているだけ。それは、大企業になればなるほど、その傾向は強い。会社が小さくたって、その社長がその会社に欲しいなと思う人材かどうかを見極めているかどうかに変わりは無い。
 よって俺は、“よい面接の受け方、How to〜”などは一切教えない。そんなものを教えても、何の役にも立たないからだ。
例え自分を偽って、その場だけ合格しようが、自分が本当にその会社の中身を見極めきれてなかったら、そして、自分が本当にその会社で“働きたいのか”を確かめられなかったら、最終的には会社にとっても本人にとっても、不幸になるからだ。自分を面接で素のまま見せずに、“いい子ちゃん”ぶって、その会社に好かれるように演じていれば、いくらでも、どんな会社だって入れる。しかし、面接はゲームではない。駆け引きではない。相手にそんなとこで勝ってどうすんだ? 相手を見事負かして、自分を採用してもらえる様になったからって、それが“勝ち”なのか? 面接の意義は、相手を“見極める”ためにあるんだろう?
だからこそ、面接を、“お見合い”と捉えると、全てがシンプルになり、本質が見え出す。あなたが結婚して、これから残りの人生を全てを供に暮らしていく相手を見極めることが、お見合いの意味だよね? 相手に、自分を偽って、いいとこだけ見せて、例えその場だけ好かれても、実際に一緒に生活しだして、お互いの隠していた嫌なところが見え出したら、結局は“離婚”=“退職”になっちゃうんじゃないの? そして、またそこを改善せず、上辺だけのお見合いをしていては、“離婚→再婚”=“転職”のサイクルを何度も繰り返すだけ。だから、最初から、全てぶっちゃけて潔く話すことだ。自分のありのままを見せろ。面接で、嘘は絶対につくな。自分の心が思うこと意外は、絶対に言うな。たとえその面接で不利になろうと。そこで自分が思ったままを言って不利になるくらいなら、あなたとその会社が合っていない、ただそれだけの問題。あなたの心を素直に出して、それが認めてもらえない会社は、最初からあなたには合っていない。何故なら、例えあなたが自分を偽って入っても、必ず不満は溜まってくるからだ。自分の心に、嘘をついて毎日働くこととなるから。)

これらはほんの一例だ。


 だが、一番大事なのは、常に、

“自分一人の力で戦う”という強い意志と、
“自分の人生を見極める”という真剣さだ。

それが無い奴、
初めから、“誰かにやってもらおう”と他力本願な奴は、
どの会社と、何百社面接しようが、絶対に受からないし、
受かっても、決して幸せにはならない。
何故なら、“人まかせ”だからだ。

己の人生に対して、“真剣”ではない。
“責任感”がないからだ。

自分の生きたい道、自分が幸せになれる道、自分の“幸せ”とは。
それらの答えを見つけてくれるのは、会社ではない。親でもない。国でもない。政府でもない。学校でもない。
“自分自身”で見つけるしかない。

  “己の人生に対して、本気になれ”
  “どう生きたいのか、真剣に考えろ”

これが、モットー。


8/31/06

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My Work-仕事 | Thoughts-思ったこと

海に入ると、自分がまるで浄化されるようになる。
そう、心を洗いに行く様なものだ。
海に浮かんで、地平線の向こうを見ながら、来る波を待っていると、
段々と、自分の心から、雑念が取り払われていく。
毎日の学校の雑務や、仕事、
人間関係、その他の事での、頭に取り付いたこと。
それらの、「しなきゃいけないこと」「考えなきゃいけないこと」に、
頭がずーっと支配されていたことに気づく。
それに気づくのは、海に入って、地平線の向こうを見ながら、
雲ひとつ無い空と、太陽を見上げているとき、
ふと、気づく。
「あ、俺って、いっつもこんなに何かしらに頭の中支配されてんだな」と。

まるで、赤ちゃんが、初めてものを見るとき。
何の偏見も、先入観も、疑いも、何も心に無い状態。
そのものが、「あるがまま」を受け入れる。
それが、「あるがまま」を見る。そして、それを「あるがまま」受け取る。

人は、経験を積めば積むほど、今までの経験から、先入観を持ち、
物事を、それが「あるがまま」捉えることは、難しくなってくる。
必ず、自分の「物差し」が、それを計って、そして、自分なりにそれを取るからだ。
逆に、そうして行かないと、この世はうまく生きていけない。
しかし、海に入るとき、それはいらない。
ものごとがあるがまま、それが目の前に広がるまま、
ただ、それを、素直にすっと受け入れるのだ。
そんな時、自分の心から、今までへばり付いていた雑念が全て取り払われ、
やっと、全てのことを、「あるがまま」見ることができるようになる。
つまり、そのものごとの、「核心」を見ること。
全ては、シンプルである。
そして、それができた時、自分の答えは見つかる。
その、心に取り付いたものごとへの答えが。


海は、己の心の声を直に聞く、最高の場所。


8・30・06


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The Ocean & Surf-海とサーフィン 

August 30, 2006

2









(All Photos taken by Hiroyuki Yazawa)

新しい場所でやっとネットがつながった。
これでブログも更新できる。

昨日から学校が始まった。
久しぶりの学校。授業。楽しくてしょうがない。
新しい友達ができる。前からの友達と、クラスでまた会う。
先生の話を聞き、いろいろ考える。
そういうことが、楽しい。
今年の夏は、日本で就職活動を体験して、
社会人となって社会で働いていく日々はどんなものかを毎日考えていたから、
こうしてまた学生に戻ってこれて、
アメリカのロングビーチの陽気な気候の中、
朝起きて、サーフィン行って、海でリフレッシュして、
ビーサンはいて、クラスに行って、
帰ってきて、食事を作って、友達と食べに行って、
夜、泳ぎに行く。本を読む。書く。
こういう事が、いかに幸せか。
こういう事ができることが、いかに、「ラク」か。
そして、こういう時間は、人生で、本当に「今」しかないこと。
それを、実感している。
だから、今しかできないことを、今のうちにやる。
やり尽くす。
絶対にやり尽くせないだろうが。笑

My Sentra君

1










先週末はヨセミテ国立公園に行ってきた。
LAから車で7時間ほどだ。
前にサンノゼにいた時は近かったし、余り興味も無かったので行かなかったが、
今回夏に会った友達に、「ヨセミテは必ず行け!!」とダメ押しされたので、
長期の週末休みが取れる今を逃すまいと、
行ってきた。

At Vernal fall

7










3










すごくよかった。自然の中。
正直、森林のスケールは、一年目に行ってた、マウントシャスタの方が凄かった。
もっと手付かずで残ってるし、綺麗さも違う。
ヨセミテは、人の手が入りすぎ。すでに、「観光地」として、進展しすぎている。
だって、どこに行っても、紙付きのトイレがあるんだもん。
電気は通っているし、キャンプ場は、ぜんぜん「キャンプ」じゃないし、
人々はキャンプ場内の囲まれた敷地の中で、チャリに乗ったりして遊んでるし、
なんか、おいおいって感じだった。
でも、やはりヨセミテならではの滝はよかった!!
ヨセミテフォールは、時期のため枯れていたが、
ヴァーナルファールと、ネヴァダファール、
この二つはとてもよかった!
滝を上から見るために、山を登る。
友達と二人で、気合入れて登山の格好をしていったが、
蓋を開けてみれば、手ぶらで登る、お母さんや小さな子供連れの観光客ばかり。
しかも上まで5−6時間と聞いていたが、全然そんなにかからなかった。
どうやら、タイの山奥でのトレッキングツアーの頭があったから、ちょっと大げさに捕らえすぎたようだ。笑
でも、滝の上からの景色は最高だった。

(At Nevada Fall)

2










同じ水でも、山の頂上から流れ落ちる滝のパワーと、
一度落ちて、ゆっくりと流れる小川の水の顔、
そして、それが溜まり、何の波もない静かな湖となる水の顔、
そして、それが海に流れ出て、大きな波となって引いていく。
全て、同じ「水」なのに、その顔は、驚くほど変わる。
その「水」が、どこに位置するかによって。
水って本当に不思議なものだなと、改めて感じた。

夜は車の中で寝たり、湖の横で寝袋で寝たりした。
真上に広がる星空は、偉大だった。
何億光年先に輝く、星々。
この地球一個も、あそこに見える天の川の中の一つの星なのかと考えると、
そして、この広い宇宙の中で、この太陽系なんて、ほんとーーーーうにチッポケなものなんだなと考えながら、星空を見ていると、
もうなんか、今ここに生きていることが、すごい奇跡に思えた。

地球は何でできたんだろう?
人類はどうして生まれたんだろう?
そもそも、なぜ宇宙はできたの?
何のためにあるの?
永遠のナゾ。

*****


明け方、寝ている最中、シカに自分の周りに糞をされたりと、色々ハプニングが続出。

4










ひろぽん「俊、早く起きろよ」

俺「うるっせえな、もう少し寝かせろよ・・・!」

ひろぽん 「・・・・・」

寝起きの非常に悪い俺。最悪ですな。





そんなことはどうでもいいんですが、
俺ら二人が一番感動したのは、ヨセミテの森より、
その入り口付近にあった、セコイアの木々でした。

Sequoia Tree

1


















ちなみにハプニングと言えば、一緒に行った友達が下痢になる。つーか既に行く前からなってた。
公園の至る所で、「あ、ちょっとウンコしてくるわ」
俺も負けずと、「じゃ、俺も」
俺らのバッグには、いつもトイレットペーパーが。
もう野グソの名人だぜ。
おっと、こんな汚い話をしているんじゃなかった。


その巨大な木々は、3千年も前からそびえ立つ。
恐竜が生きていた時代から生きていた種も残っているらしい。
そんなバカでかい木々の中を、トラムで走り抜ける。
降りて、ゆっくりと、木の近くに行き、その大きさを体感する。
そのパワーを感じる。

A Root of Tree

(A Root of the Tree)





そのパワーは、偉大だった。
今まで見てきたどんな木よりも、偉大で、大きかった。
木とは、人のようなものだと思う。
まるで、その木、一本一本が、別々の個性、性格を持っているように感じられるからだ。
この夏、カンボジアのアンコール遺跡に行ったとき、そこに生えていたぶっとい木の根っこにさわり、その木と話をするような事をしてみた。
実際に話ができるわけじゃない。ただ、木に両手、両足で触れ、
目をつぶり、その木と、心で会話する感じになるんだ。
すると、不思議と、その木の中を通っている水の流れが見えたり(そんな気がしたり)、
その木の一番上からの景色、つまりその木がどんな風にその辺り一体を見渡しているか、
その景色の感じが想像できたりした。
自分でも変な感じだった。木と会話する?
でも、それがなぜか自然にできてた。そう、自分も獣っぽかったからだ。
そのときは。

Hiro Tree











今回も、試してみた。
でかすぎて、話せなかった。笑
でも、なんだか、もの凄い長い間この地球で生きてきた、もの凄く体が大きくて、皮膚ももう硬くてボロボロの、おじいちゃんを相手にしている様な感じだった。
それが、このセコイアの木々の印象。
でかすぎて、とても、話せない。
でも、その偉大さは、直に伝わってくる。
そんな感じだった。



アメリカの凄くいいところ。
大自然が、すぐ近くにあるところだ。
どんなに都会に住んでいても、車で2,3時間走れば、
すぐに自然の中に入れる。
それも、そのスケールはバカでかい。
グランドキャニオンだったり、ヨセミテだったり、
荒野や、草原、岩山だったり、
滝、湖、川、海だったりと。

4年前日本から来たときは、自然の中で暮らすなんて耐えられない少年だったが、今の俺は、自然が近ければ近いほど、体が喜ぶようになってしまった。
そんなアメリカに住んでいる。あと、9ヶ月。
今を、存分に味わおう。

1










ヨセミテ公園を抜け出る前の帰り道。ある滝の名前が書いてある看板の横を通りすぎる。俺が友達に聞く。
「あのさっき見かけた看板の滝って、どんなのかな?」
「ああ、あれだよ、一昨日見たやつ」
「え、どれ?」
「ほら、あれだよ。俺がウンコしてたところ」
「つーかどこでもウンコしてたじゃん」
「ほら、あれだよ、俺が裏でウンコしてて、俊が何かの説明を読んでたとこだよ」
「あーあれか!あのすげえ岩の前のやつね。
 ・・・つーか最初から岩のほうを説明しろよ!!」


おっと、汚い話で閉めてしまった。

8.30.06



5

「どうも、寝ている最中に鹿のフンで囲まれました、ラマです」








PS.
ちなみに、今回は行く前日くらいにヨセミテへ行くことを決めて行った。
なので、もちろんヨセミテパーク内のキャンプチケットなんて買っていなかった。

当日、その場へ行けば買えると思っていたが、
その読みは甘かった。
聞くと、ヨセミテのキャンプ場のチケットは毎年大人気で、
特に夏休みのそれはすぐに売り切れるらしい。

それを、既に日が落ちかけたところで知った俺たちは、
仕方なく帰るのもイヤだし、
どうしようか・・・というところで、
なんと、相方が、どこかに落ちていたパーキングチケットを発見!!
(車の窓ガラスのところに、
「私はキャンプのチケットを持っていますよ」という証拠のために
表示しておくチケットのこと。)

これを使って、実は俺たち、
勝手にキャンプ場に潜り込んでいました。
(内緒です)

まあ、潜り込むと言っても、
車の中で寝てはいけない、というルールもあったし、
かつ、
キャンプ場には、キャンプ用のコンクリートでできた
簡易ベッドルームみたいなので寝なきゃいけないし、
そこにはもちろん全部埋まっているから、
そこで寝る事もできない。


ということで、俺たちがしたことは、
誰も来ないところでの、野宿。

結局、
ロングビーチを出たのは一日目の夜で、
そのまま夜通し運転して、
明け方にヨセミテに着き、
キャンプ場の入り口の前で、車の中で二人で寝たのが一泊目。

(ロングビーチのアパートメントを出る前に、
ルームメイトのルシアーノが、
"Oh, you guys going to Yosemite?
It takes 5 hours from here, it's 300 miles from here"
と言うのに対して、
"But we'll get there in 1 hour if we drive 300 miles/hour"
と返すひろぽん。笑)


車の中で寝た後は、そのまま朝起きて、
ヨセミテを見て、
その夜に、キャンプ場の中の
湖の横での野宿が二泊目。

(そのとき俺は、車の中でこっそりと隠れて、
外から見えない様にして、寝袋の中で寝たが、
夜中に警備員が近づいて来て、
車の中をサーチライトで照らされて、
見つかるかと超緊張した。)


そして三日目もヨセミテを堪能して、
その夜は相方と一緒に、レイクの横で、
俺も野宿。

(そのときに周りにシカのフンを落とされまくった)



ちなみに、
キャンプ場一日目のとき、
適当に見繕って、
一つのキャンプファイアの場所があいているのを発見。

「ここ、誰も来ないんじゃない?」と二人で話して、
そのキャンプファイアを使って火をおこそうとしているときに、
そこを予約していた人たちが、
「あれ?ここは何番のはずだけど...?」
と来た瞬間、
焦って、"Oh, I'm sorry we thought this was ours but actually it was not!"
とか言って、
急いで逃げた。笑


そんな感じで、
強行突破でヨセミテを満喫してきたのも、
良い思い出です。

*****

帰りは、俺がこの夏に日本から持って来た
大黒摩季のベストアルバムを聴きながら、
大声で歌って帰って来た。

楽しかったなあ。













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2006 Yosemite National Park Trip 

August 28, 2006


海に浮かび、太陽の下、波を待つことは、
そして、じっと、地平線の向こうを見ることは、
俺にとって、最高のMeditation Place.
“己の心と対話する、
最高の場所“


心が何かに捉われているとき、
何かに焦っているとき、
誰かのことばかり気にしているとき、
周りの目、イケンばかり気にしているとき、
俺は、“俺”になっていない。

オレは、誰か他の奴になっている。
オレらしさを、出せていない。

そんな時は、太陽の下、波に浮かび、
じっと、ただ、並の上で待て。
何もない、真っ青な空の下。
次から次へと来る波を、ただ相手にしろ。
始めは雑念が次から次へと出てくる。
それらを、まずは、自分の頭で、相手にしろ。

そして、とにかくただ、一人で、
それらの文句、不満、雑念を相手にしろ。

いずれ、それらの不満が、自分ひとりの、一人よがりの、
小っぽけなものだったコトに気付く。
この広い空と、広い海の中で、
自分の小ささを感じて、
そして、自分が気にしているコト、人、批判等の小ささ。
その世界の小ささに、自然と気付く。

その後は、心が、はっと気付く。
“あ、今までのオレ、
“オレ”自身になっていなかった“と。

そして、やっと自分自身になったオレは、
何を本当に今するべきか
自然と、気付く。

自分の好きなコトをすること。
自分が心から今、“やりたい!!”と思う事をすること。
自分の持っている時間を、
どう使ったらいいのか、
自然と気付く。

そう、海は、オレを、オレにさせてくれる。
頭の雑念を全て取り払って、
オレ”=Neutralにしてくれる。


8・28.06

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The Ocean & Surf-海とサーフィン 

August 22, 2006


モノゴトの本質を見極めればいい。

本当に“何が”大事なのかを、
己が知ればいい。


・“車”=走るため、移動するため。
     外観、飾りではない。

・“英語”=Communicateするため。
 話せればいい。
 うまい発音、カンペキな文章は必要ない。

・“人生”=生きるため。

      生きるために、狩りをする。
      大事な人を守るために、強くなる。狩りをする。


狩り(仕事)のために、生きるのではない。
世間の目を気にして、それに応えるために、結婚するのではない。
愛する人がいるから、その人と一緒になる。

その逆ではない。


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旅から学んだ大事なこと 

August 21, 2006


今回のタイトル、「デブの、デブによる・・・」にしようとしたけど、やめた。
こっちのタイトルの方が、しっくり来ると思ったからだ。

アメリカに2ヶ月ぶりに帰ってきた。
空港に降り立ったときから、空気が違う。全てにおいて、サイズがでかく、全てが自由な感じ。何でもありな雰囲気。
友達に迎えに来てもらい、車で高速に乗り、気づく。アメリカ人の乱暴な運転に。
ものすごいスピードで、前の車両と間隔をほとんど取らず、くっついて走る。
ウインカーを出さずに、突然の車線変更はお手の物。
皆が自足80マイル以上(128キロ以上)でぶっ飛ばず。
すでに、やばい。これで一台が故障して停まったら、一体どうなるんだ。
こいつら何も考えてない。

ハンバーガー屋に行く。
みんな、車を停めて中に入って買えばいいのに、車から降りたくないから、ドライブスルーに行って、注文する。排気ガスをふかしながら。
10分後、頼むだけ頼んで受け取った商品を、駐車場に停め、車の中で食べる客。おいおい、最初から店に入れよ。

いざ頼んだフレンチフライ。付いてくるケチャップの量は、すさまじい。
一つ一つがパッキングされたケチャップ。明らかに二袋で足りるはず。
なのに、6,7個入れてきた。
紙ナプキンも、アメリカサイズで、特大。一個で絶対十分。
なのに、4,5枚入ってる。
確実に資源のムダやろう?

スーパーに買い物に行く。
恵まれた国だ。スーパーが24時間開いてる。冷房をクソ寒いくらいにガンガンにかけて。外はそんなに暑くないだろうが。
特大サイズのお菓子が売ってる。ポテトチップス。チョコチップクッキー。etc・・・
その袋を、もうあなた食べなくてもいいでしょう、くらいの体型をしたおばさんが、がっつりと買っていく。
食べすぎで人が病気になるこの国って?
なんて傲慢なんだ?
食べるものも無くて、毎日泣いているカンボジアの子供たちのことを知ってるのか?

引越しのため、車の中のゴミをいったん捨てに行く。
町のゴミ捨て場。容器の中を見ると、鉄のさび付いたハシゴと、新聞と、ビニール袋と、ゴムのサンダルと、その他もろもろが、一緒に入ってる??
これ一体、何の回収箱なんだ?これを全部一緒に捨ててるのか?
横には、「リサイクル」とかかれた、BOXが。ああよかった。ここにプラスチックが捨てられる。
空けると、入ってたのは、紙の束と、ビン類。
え??
その奥の「紙専用」の箱には、やはり関係の無いものがごちゃ混ぜにして入ってる。
そのBOXたちには、ハエがたかる。
ひでえ光景だ。
そのBOXに、仕方なく、自分のゴミも捨てる。
何か、地球環境破壊に貢献しているみたいで、非常に後ろめたかった。

ジムに泳ぎに行く。
見回すと、おなかの出たおじさん、おばさんばかり。
見事なばかりの、体にまとわりついた脂肪。
毎日、豚になるほど食い、そして、その脂肪を落とそうと試み、ジムに通う。
エクササイズが終わったあと、特大サイズのペプシを飲む。
チーズバーガーと。
おいおい。

今までは何とも思わなかったが、今回アジアを旅して、
自分の感覚は確実に変わったようだ。
ジムのジャグジーに浸かりながら、ガラス越しに見えるロビーの景色を見て、そこでヘッドフォンで音楽を聴きながら、ジムで鍛えた体を自慢げに披露し、体重計に乗る若い連中を見ていた。
皆、よく鍛えられている。しかし、彼らは、「いい体を保つため」にジムに通い、食べる。食べすぎたら、ジムに通い、体重を落とす。
今まで当たり前だと思っていたこの光景。
今日は、彼らのやっていることが、非常にゼイタクというか、恵まれすぎだというか、何か、ズレている様に感じた。
彼らは、体をかっこよくするために、食う。
その動機は、「よく見せるため」、「異性にもてるため」。
「生きていくため」ではない。
それをするだけの、「余裕」があるのだ。
そして、食いすぎたら、またジムに通う。
カンボジアの人たちは、生きるために、食べてた。
「食べすぎ」なんてことは彼らにとって無い。
自分が必要とする量を知ってるし、それ以上は、食べようとしないからだ。

シャワーを浴びながら、横のオジさん達を見る。
もの凄い勢いで、壁に備え付けられたソープのレバーをガシガシと押し、明らかにToo muchな量の石鹸で体を洗う。
ほとんど使われていない石鹸は、下に落ちる。

シャワーからあがった後、洗面所で水着を洗いながら。
横のオジさん、明らかにToo muchな量の、備え付けのハンドタオルを切り取り、自分の小さなペットボトルを拭く。おいおい、そんなに紙いらないだろう。
日本なんか、もう紙さえ置いていないのに。自動乾燥機でいいだろう?

近くのチャイニーズフードの店に行く。この店は安くて量も多いので、客が常に来て混んでいる。
並んで、食べ物をオーダーする。今までは明らかに多すぎる量を頼み、それをムリして食っていたが、今日は一番少ない量にする。
食べ始めて、明らかにこの夏の間に胃の大きさが小さくなっていたのか、少し食べたらもう入らない。素直に、残す。持って帰れるし。
食べ終わった後、店の中を見ていた。並ぶ客。
次から次へと客は来るが、その90パーセントは、太っていた。
しかも、日本で考えられる様なレベルじゃない。
一度アメリカに来たことがある人なら分かるだろう?もの凄い、「デブ度」だ。
多分世界で一番、この国の民は太っているだろう。
その民が、次から次へと、列に並び、もの凄い量の食べ物を頼んでいく。
店でガツガツと豚のように食う客。
持ち帰りにし、車に乗り込む客。
バカでかい車を乗り回し、ガソリンを、一気に消費する。
身長は大して大きくないのに、横に大きすぎるもんだから、デカい四駆じゃないと、体がフィットしない。
その馬鹿でかい車を、一人で運転する。
ガソリンの量は、地球から見る見るうちに減っていく。

女の子の、お腹からはみ出た腰の周りの肉。
男の、腕は確かに太くて強そうだが、同時にお腹もしっかり出ている体型。
今晩、唯一見た、「フツウ」の体型の人は、
その中華料理屋の男の店長一人。
日本じゃ当たり前の体型の彼が、ひょろひょろに見えた。

帰り、車を駐車場から出す。
こっちもロクに見ず、すごい勢いで急発進して来た、前に停めてあった車。
おいおい、てめえもうちょっとでブツかるところだっただろう。
その運転手は、こっちに目もくれず、さっさと車を車道に出す。
走っていると、何台もの車が、もの凄い勢いで追い越していく。
そして、目の前の信号は赤に変わり、急ブレーキ。
俺の車は、すぐにそいつらの後ろにつく。
信号が青に変わると、またもの凄い勢いで、走り出す。
そして、また次の信号で急ブレーキ。
ボクの車は、またすぐに、そいつの後ろにつく。
お前らは一体何がしたいねん?


この国。
恵まれすぎである。
そして、バカすぎる。
人々は、食い、食いすぎて、病気になる。
地球環境のことは、一切気にしない。
物を、凄まじい勢いで大量消費し、ゴミの「分別」なんて、聞いたこともないみたい。
何でも、金で解決すると思ってる。
人々は、他の人の話を聞かない。自分の意見を言いたいだけ言い、相手が喋っているときは、聞きもしない。
こっちの人々の会話を一度よく聞いて見るといいだろう。自分の意見の、ただの「言い合い」だ。
未だにアメリカ人相手に、何かについて話し合うときは疲れる。
こいつら、相手に「話させる」タイミングを与えないからだ。
もちろんそんな人ばかりじゃないよ。でも、そういう、自分のことしか主張しない人が、多すぎるのだ。

この国は、自由である。
好きなことを、好きなように、好きなだけやれる。
自分の得意分野が分かっている人、
また、自分の鍛え方を分かっている人には、とてもいい国だろう。
何せ、周りの誰も、あなたに対し、文句を言ってこないからだ。
「恥ずかしいからやめなさい」
「周りの目を少しは気にしなさい」
そんな言葉は、この国ではほとんど聞かれない。
そういう発想がないからだ。
自分を素直に表現できる。周りの目など気にせずに。
大事なのは、自分の「個性」だからだ。
しかし、同時に、そこがこの国の悪いところでもある。
周りのことを気にしない=自分のことしか考えていない。和を大切にしない。
「個の尊重」が叫ばれる国。
確かに、独立心の強い人民は育つだろう。
しかし、「和」を大切にする考えは、少しでも育つのだろうか?
この国は、自分たちが、この世界でナンバーワンだと思っている。そう、信じ込んでいる。それに関しては、何の疑いも無い。
愛国心を子供の頃から植えつけられ、何の理由もなく、「USA is No.1」を信じ込んでいる。
そいつらに、世界の他の国々の人々のことも考える余地は、ほとんどない。

今回アジアを旅して、ヨーロッパの人たちに沢山会った。
自分がアメリカの大学に行っていると言うと、みんな、
「Oh…」と少し驚き、その後、決まってこう聞かれた。
「アメリカ人のこと、どう思う??」

俺は答えた。
「すごくいい人たちも沢山いるけど、同時に、バカな人たちも沢山いるよ・・」
すると、彼らは安心した顔をして、周りを見回しながら、小さな声で言う。
「アメリカ人って、うるさいし、無知だし、失礼な人が多いわよね・・・」

最初は、その人が個人的にそういう意見を持っているだけかと思っていたが、
何人ものヨーロッパ人に会うたびに、彼ら「全員」が、同じ意見を言うのに気づいた。俺が会った人、全員、である。恐らく、20人以上のヨーロッパ人と話したはずだ。
彼らの口から必ず聞かれた、アメリカ人の特徴。

一位。“Too ignorant”(無知すぎ)
二位。“Too loud” (うるさすぎ)
三位。“Too rude” (失礼、無礼すぎ)
 
しかも皆が皆、必ず、”Too”(―すぎ)を最初につけるのがウケた。
彼らヨーロッパ人も、同じような感覚を持っているようだ。
それは、タイ人や、カンボジア人、ベトナム人の人たちも同じだった。
ちなみに中国人は、アメリカ人をどう思うのかを聞けなかったのは残念。
俺は中国語話せないから、彼らと会話ができなかった。
今度中国にいる人は、現地の人に聞いてみて下さい。

とにかく、どの国の人も、大体、同じような感覚を持っているようだ。アメリカ人に対して。
逆に、アメリカ人でも、外の国に出たりして、自分たちのことを、客観的に見始めた人たちは、必ず言う。
「アメリカの国民は、もっと賢くならなければならない・・・」と。

もちろん、アメリカ人皆が今回書いた様な人たちばかりという訳ではない。
いい人たちだって沢山いるし、アメリカならではの、馬鹿でかい心の広さを持った人たちは、たーくさんいる。
俺がアメリカ一年目に過ごした土地の人たちは、みんな良い人たちが多かったし、今でも連絡が続いて、必ず毎年会いに行く家族のような友達が、たくさんいる。
俺の持つ、「自然なよさ」に気づかせてくれたのも、彼ら、アメリカ人だった。
彼らは、全てを素直に、正直に話す。
嫌いなものは嫌いと言うし、いくら客だろうが、自分の気に食わない相手には、怒鳴り返すことだってある。
だけど、その分、彼らは、「素直」なのだ。
言ってみれば、一番、「人間らしい」のかもしれない。
いや、人間らしいというより、「動物らしい」のかな?
本能のまま、動く。それが、アメリカ人。
だから、素直で、かわいらしい。
同時に、すげームカつく。
そんな彼らだからこそ、あなたの持っている、素のよさ、
あなただけが持つ、その良さに気づかせてくれるのも、アメリカ人だ。
俺は、一年目、いろんな人に、”I like your smile”と言われ、初めて、
「あ、楽しかったり、嬉しかったりしたら、心から笑っていいんだ。
 日本みたく、かっこつけて、無理にクールぶらなくてもいいんだ」と気づかされた。自分の笑顔が、立派な、「よさ」であることに、気づかされたのだ。
そのおかげで、自分に、自信が持て始めたのも、彼らのおかげである。


とても、素直で、感情のままに動く人種、アメリカ人。
彼らは、素直なゆえ、自分の進みたい道に進む。
極端に勉強好きで、世界一の賢いやつになる人もドンドン出るし、
同時に、「お前は何のために生きているんだ」と聞きたくなるような生き様を送る人たちも沢山出てくる。
皆がみんな、自分の生きたいように、生きている。
素晴らしい。

しかし、もうちょっと、人類全体、そして地球全体の「和」についても、考えてほしいよな。
じゃないと、お前らのせいで、地球はあっという間に滅びるぞ。
とりあえず、食いすぎるのを止めて、ゴミの分別を始めてくれ。
そして、今すぐ戦争を止めてくれ。これ以上罪の無い人たちを殺すのは、十分だろう?
お願いだから。
あと、人の話も、ちゃんと聞いて。


8.20.06


shunsukesekine at 16:13コメント(5)トラックバック(0) 

August 18, 2006


人と人との縁とは、本当に不思議なものである。
人と出会い、そして、その人と縁ができる。
俺は必ず、どの人との出会いにも、「意味」があると思っている。
そして、この夏は、特にそれを強く感じた。

今年の夏は、本当に多くの人と会うことができた。
まずは、日本に帰ってきてからの、約一ヶ月間の就職活動。
その間で、会社の人、社会人の人、同じ就職活動をする仲間、
本当に多くの人と会ってきた。
そして、その後の大阪での10日間ほど。
僕の大事な人たちと、そしてその仲間達。
これまた、素晴らしい出会いの連続だった。
そして、その後のアジア旅行。
今度は、人種を超えて、アジア人、ヨーロッパ人、
関係なく、本当に多くの人と出会えた。
そして、一生切れないであろう縁も、沢山できた。

そしてまた、新たにこの夏学んだこと。
「自分らしさ」を常に出して人生を進み始めたとき、
素晴らしい出会いはどんどん起きて行く。
まるで、自分の人生の流れに乗り始めたように。

この夏で、自分は、何人の人とお会いしたのだろうか。
そして、その出会いが、一体どれだけ自分にいい影響を与えたのだろうか。
計り知れない。

自分は、新しいところへ行くこと。
そして、人と会うことが、大好きだ。
今年の夏は、考えたら、
毎日、新しいところへ行き、
新しい人と会って、刺激を受けていた。
毎日、本当に楽しかった。
企業フェアもめちゃくちゃ楽しかったし、
会社訪問、会社見学も楽しかった。
大阪、そしてアジアへの旅も、本当に楽しかった。
毎日どこかへ移動し、
毎日、新しい人に会う。
新しい景色を見て、
新しい空気を感じる。
これができることほど、幸せなことはない。
自分にとって。

今の自分は、正直、
毎日どこかへ移動できて、
日記帳とペンさえあれば、それだけで幸せである。
それに加えて、好きな曲を聴けるCDプレイヤーがあって、
好きな本が一冊持てたら、それでもう本当に最高である。

旅をすること。
新しい場所へ行くこと。
人と会うこと。
何かを感じること。
それを書くこと。
その感動を、誰かに伝えること。

それをすることが、こんなに好きだったこと、
今まで気がつかなかった。

今年の夏は、本当に、
「自分」を探せたようだ。
人との出会いから、自分の新たな点も学べたし、
旅の途中の、自分との対話からも、
今までに気づかなかった、更なる自分を発見できた。
本当に、有意義な時間だった。

今年の夏、
僕に会ってくれた皆さん、
本当に、ありがとう。

8/18/06


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岩手へ、おばあちゃんのお見舞いに行ってきた。
今年の夏、6月半ばに日本へ帰ってきて、すぐにおばあちゃんのお見舞いへ行ったが、
「また来なきゃ」
そう思いつつも、実際にまたアメリカへ帰る前にもう一度行くのは難しいかななどと、勝手に頭の中で言い訳を作っていた。
そして、アジアへの旅へ行って来て、向こうに着いて三日目。
タイのど田舎、チェンマイの山奥でのトレッキングツアーの最中、山を登りながら、一人で悶々と考えていた。
「俺が今日、今日の終わりにもし死んだら、どうなるんだろう。
 誰に一番、今会いたいだろう」
まず最初に浮かんできた顔は、やはり家族だった。
親父の顔、母親の顔、姉貴の顔。
そして、次に浮かんだのが、おばあちゃんの顔。
お婆ちゃん、今入院してる。俺がアメリカへ帰ったら、今度帰ってくるのは、来年?それも、もしかしたら帰ってこないかも?
あれ?だとしたら、今のチャンスを逃したら、もう当分会えないじゃねーか?
そう気づいたら、「日本へ帰ったら、アメリカへ帰る前に、何としてでもおばあちゃんに真っ先に会いに行こう」
そう決心した。
「もう時間がないから会いにいくのはムリかも」そんな浅はかな考えをしていた自分は、何も見えていなかったこと。そして、本当に大事な人、本当に時間を割いて会いに行く人が誰なのか、全然分かっていなかったことに気づいた。

いざ、日本へ帰って来て、おばあちゃんに会いに、姉貴と岩手へ行ってきた。
お婆ちゃん、病室で迎えてくれた。
抗がん剤の影響で、本当に痩せちゃって、髪の毛も大分薄くなってしまったけど、姉貴と俺の顔を見て、ムリに元気なところを見せてくれた。
本当に気を遣う人だ。血の繋がる家族にも。
おばあちゃんになるべく喜んでもらえる様、また、俺の元気なパワーが少しでもおばあちゃんに移るよう、旅の話をざっとして、見てきたところを本を見せて解説した。
そして、今回は、アロマセラピー用の、ラベンダーの香りのオイルを使って、おばあちゃんの手と足を揉んであげた。
最初は遠慮してたけど、やってあげたら、凄く喜んでくれた。
「気持ち良いな〜。ほんと、気持ち良いな〜」って。
周りの病室の人も、「あらお婆ちゃん、幸せね〜」って。
「いい香りね〜」って。
おばあちゃんも元気になったし、周りの人にも、少しいい影響を与えられたようだ。
俺の手から、おばあちゃんの手を伝って、
俺の元気な若いパワーが、どんど移るように、念じてマッサージした。
「元気になりますように」って。

時間の関係で、1時間ちょっとしかいられなかったけど、お婆ちゃん大分喜んでくれたようだ。俺も、何か少しでもできたみたいで、凄く暖かい気分だった。
帰り際、「おばあちゃん、元気になってね」と、何回も両手で握手した。
「また会いにくるからね」と。

次に会いに来れるのはいつだろう。それまで、お婆ちゃん、元気でいてほしい。
いや、元気でいる。必ず。


皆さん。毎日、仕事や、学校や、私生活、家族のことなど、
色々なことで忙しいと思いますが、
ふと落ち着いて、静かなところで、
「今、あなたにとって、本当に大事な人は誰なのか。
 本当に、今会いに行くべき人は誰なのか。」
もう一度、ゆっくりと考えてみて下さい。
そして、今いるあなたの大事な人を、
大事にしてあげてください。

お願いします。

俊輔

8/17/06




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おばあちゃん | Special People-特別な人たち

皆さん、コメントありがとう・・・感謝します。

まずは、ひろさん。
そうですね、僕も、「支援」というのは、まるで先進国の方が発展途上国より「偉い」かの様に言ってるみたいなので、「助け合い」という方が好きです。ひろみちゃんも言ってたけど、その、「先進国・発展途上国」って言い方も変だしね。
「何が一番いいのか、今後の人生の中で長期的に追求していくことと感じます」、まさにその通りですね。僕も、今回の旅でやっと本気で考えるに至りました。気づいたからには、その答え、「何が一番いいのか」そして「自分が何をできるか」を追求して行きます。
それから、僕もあの夜は、皆が同じトピックについて語り合い、ドンドンアイディア、考えが出てきて、とても有益な時間でした。本当に、あの場のあの瞬間は、「何て素晴らしい時間なんだろう」と思ってました。大事ですね。そして、素晴らしいですね、ああやって話を真剣にできる仲は。僕も、こんな仲間に出会えて、本当に幸せです。また集まろうね!! 


そして、青瑛さん。コメントありがとうございます。

「私も20年ほど前初めて行ったインドで、両足にまとわりつく物乞いの子どもたちの目を見て、なんとかせな! と決意したものです。でも、その子たちに持ってるだけの小銭を渡したとて、どうせ元締めに全部吸い取られるだけなんですよね。」

**そうですね、まずは、子供達にただお金をあげることについて。それでは、本当に問題は解決しませんよね。親が全て、そのお金を取りあえてしまう訳ですから。
今回、もの凄い田舎にも行きましたが、そこでは子供が真っ裸でヤリを持って駆け回っていました。お母さんは、水牛の横で田んぼの手入れをして、明らかに、”金銭的には”観光地で物を売っている子供達の家族よりも貧しかったですが、彼らの生きる姿は、堂々としていました。彼らは、観光地に来る人に頼り、「お金を乞う」ということはせず、自給自足で、自分達の地域で、堂々と誇りを持って生きていたのです。そんな人たちを見て、
「本当に問題なのは、観光地で自分の子供に、物売りや、物乞いをさせる”親達”なんだな」と思いました。何故なら、その親の意思次第で、子供に物売りをさせずに、いくらでも自分達で生きて行く道もあるだろうからです。しかし、その家に生まれた子供は、生きる道を選べません。その子供の「親」の選択が、問題なのです。「人に頼る」生き方をしていますから。そして、そんな事を言いつつも、やはりそうするべきしかない人たちがいる事自体、すでに問題ですよね。「国の貧しさ」という点に置いて。例えば日本では、子供に物売りをさせる必要は全くないわけですから。いかに貧乏であろうと。

そんな訳で、それを改善する方法は、教育でしょう。それと、国の制度が整うことでしょうか。今回ヨーロッパの国々から来た人たちと、彼らの国の制度についてじっくりと話し合う機会が沢山ありました。例えば、北欧のデンマークなどは、国の制度がしっかりと整っていて、税金を収入の最低40%〜最高60%も取る代わりに、その代償として、

1、医療費は治療費も薬代も、全て、タダ。
(この話を聞いたマークという青年は、ある持病があり、その薬代は年にUS$200,000(日本円にして年間約2320万円)かかるそうですが、それも全て国が持ってくれるそうです)
2、教育費も、大学まで、授業料は、全て、タダ。(しかもデンマークの国の教育レベルは、北欧の中でも断トツ高いそうです)
3、公共の乗り物は、北欧の中でも大分レベルの高いもので、それも学生はほとんどタダか、割引が大分利くなど。

そんな風に、日本よりも更に国の制度として国が整った国もあります。そんな国は、国民全員に恩恵が行き届くようになっているし、それだけの国の保障があるおかげで、物乞いなどもいないそうです。何故なら必ず、仕事がない人は誰でも、国がある程度の生活は保障するという制度だそうですから。(マークの話によると)

「もちろん、お受験なんかと関係なく、“生きる力”となる教育。物乞い以外の道を選択できるかどうか、であるし、将来への希望をもてるかどうか、ですね。」

**その通りですね。日本の様に、ただ「偏差値の高い学校に入るための暗記マシーンを作る”教育”」ではなくて、本当に、”生きる力”を付けさせる教育。それが必要ですよね。それは今の日本の教育の改善点としても言えることだと思います。
そして、”将来への希望をもてるかどうか”。
ここも、凄く大事なポイントですよね。本当の教育とは、その人の持つ可能性を最大限まで発揮させる”きっかけ”となるものだと思います。そして、自分を常に鼓舞させる”前向きな姿勢、態度=自分の未来への希望”を子供の心の中に植え込ませるものじゃないかと思います。

「そして、いわゆる先進国にたまたたま生まれた人たちの意識を変革することも、また大事だと思うのですが、いかがでしょう。」

**これは、もの凄く大事だと思います。特に、今回僕自身が自分の身をもって、このことの大切さを学びました。
僕は今回のブログにも書いたように、今まで世界中の貧しい国の子供達を助けたい、という純粋な思いは、正直あまりなかったのが事実です。
「あまり興味がなかった」
お恥ずかしいながら、それが真実です。
それが大事なのは分かっていたけど、正直、全然わかっていなかった。
”世の中には貧しくて食べるものさえない子供達もいるんだから、残さず食べなさい”
そう言われても、実際に自分の目で見たことがなかったから、実感が湧いていなかった。そして、やはり自分の「心は」、その必要性を感じていなかった。

しかし今回、実際に自分の目で、そういう現状を目の当たりにして、22歳ながら、やっと、そういう子供達がいたこと、そして、自分の今までの視野の狭さを、ガツンと思い知らされました。
今まで、そういうことに興味のなかった自分が大変情けなく思えました。
しかし、こうやって、僕のように、”最初は興味がなかったけど、実際に自分の目で見て、その現状のひどさ、そして、自分が何をするべきなのか考える”様になる人たちも、沢山いるはずです。
そんな人たちの意識を変革するためにも、実際に、日本国の皆が、学校の一環プログラムなどで、実際にカンボジアなどに飛び、その子供達と一緒に暮らすなり、彼らの生活を数日でもいいから見るプログラムなども必要な気がします。
修学旅行ディズニーランドにいくより、ずっと大事だし、ずっと意味があると思うのですが・・。



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August 16, 2006


今日は久しぶりに、高校時代の先輩であり親友、
恩田さんと会ってきた。
彼と、彼の彼女のヒロミさん、
そして、二人の友達の、アヤノさん。
この4人で、東京に集合し、
夕方から、夜まで、レストランで話した。

今日感じたこと。
「刺激し合える人と、その関係を続け、
 そして、その人たちと、同じトピックについて話し合うこと、
 話し合えることの、大事さ。」

僕らは今日、色んなことを話したが、
途中から話が、「発展途上国の人助け」に移り、
そこから、
「人助けとは?」
「何が本当の"助け"となるか?」
「その人たちに取っての、本当の"幸せ"とは?」
「先進国が、発展途上国の人に、本当にすべきことは?」
「本当の教育とは?」
「自分にできることとは?」
「なぜ、人助けをするか?」
「己の存在価値とは?」
など、話題がどんどん発展していった。

今回、アジアを旅し、自分より経済的に貧しい国の人たちの暮らしを見てきた自分。
22歳にして、やっと、その現実を、垣間見ることができた。
恩田さん、ヒロミさん、アヤノさんは、3人とも、教育関係に進んでいる人たち。
基本的に、人に対しての「教育」の道に進むことを、
目標としている。
また、恩田さんも、ヒロミさんも、
若いうちに、アジアの諸国を旅をしていて、
すでに彼らの中には、「経済的に自分たちより貧しい国に暮らす人たちに何かをしてあげたい」という思いが、ずっと前からあった。
そして、あるがゆえ、そういう視点で物事を見て、生きてきた。
そう、その物の見方とは、
「他人のことを考えよう」とする、視点。
自分の利益のためだけではなく、
他の人のことも考えてあげられる、また、あげようとする、
その、心の広さ。

俺には今まで、正直、それだけの心の広さは、
本当の意味ではなかったと思う。
今回、アジア旅行をするまでは。
して、その国の人たち、子供たちの暮らしを、この目で見て、
肌で、その状況を感じ取って、
やっと、
自分が置かれていた状況に気づき、
「何かをしなければ」
そう感じた。

今までの俺は、ボランティアとか、人助けとか、
基本的に、「人によく思われたいから」とか、
偽善的な理由でやっていたところも、少なくなかったと思う。
本当に、自分の心から、
「将来は自分のお金で、世界の子供たちを救いたい」などと思ったことは、
正直、一度もなかった。
サンドラブロックが、東南アジアで起きた津波の後、
すぐに寄付金を送った。
その後、何も行動を起こしておらず、皆に抗議されたビルゲイツは、
サンドラブロックが出した寄付金のほんの少しの額を、
寄付した。
彼には、「人を助けたい」という思いは、本心からは無い。
だから、周りから言われて、やっと、
しかも、少量のお金を、
「寄付金」として、出すのだ。
それは、
「周りによく思われるため」
「とりあえずやっておこう」
そんな、偽善的な動機でしかない。
彼には、自分が稼いだ、「自分の」お金で、
「誰か他の人を助けてあげよう」などという気は、一切ない。
結局は、自分のことしか考えていないのだ。
だから、そういう行動に出てしまう。

俺も、おそらく、そういう人間だった。
この夏までは。
表面上は、「自分が金持ちになったら、世界の貢献に役立ちたい」
そうは言っていたかも知れない。
でも、「心から」は、
俺の「肌」は、そうは言っていなかった。
そう、感じていなかったからだ。
その必要性を、感じていなかった。

しかし、今回の旅をして、実際に自分の目で現状を見て、
やっと、気づいた。やっと、肌が気づいた。
その、大事さ。大切さ。
自分が何かをしてあげること、
また、してあげられるだけの力を持つことの大切さ。
そして、やっと、
「他人のことを考える視野」が、身についた。
偽善ではない、本物の視野が。

だからこそ、やっと、今日の夜話したような話題に、
本当に、「心から」、ついて行くことが出来るようになった。
しかし、問題は続く。
次のステップは、そこから今度は、
「何を自分ができるのか」知ること。
そして、
「何を本当に、彼らにすべきなのか」。

彼らにとっての、「幸せ」とは、何なのか。
テレビがないから、快適な家がないから、「不幸」なのか?
いい家に住み、いい車に乗り、
いい服を着ているから、「幸せ」なのか?
毎日、水牛と田んぼの中で、稲を植えなければいけないから、
「不幸」なのか?いや、全然違う。
毎日、いいもの食べて、シャワートイレがあって、
快適な家で虫もいない空間で安心して寝られるから、
「幸せ」なのか?
その代わり、毎朝毎晩、満員電車に詰め込まれて?
上司に、怒鳴られて?
自分の人生を、60歳まで計画されて?
いや、違う。

今日、自分の生活に、
電気が入った。テレビが入った。「車」を手に入れた。
もう、田んぼを耕さなくていい。
これからは、ビーチサンダルを蹴って、遊ばなくていい。
テレビゲームが手に入ったから、これで遊べる?
テレビも毎日見れる?
そんな生活の変化が、そこの子供たちにとって、「幸せ」となるのか?
そうとは、限らない。


先進国の人が、発展途上国の人たちに、
何か「助け」となることをする場合、
その内容、また、その「助け方」が、
本当にその人たちにとって、「幸せ」となるのか、
もう一度考えてみたい。

彼らにとっての、「幸せ」とは?
そして、俺らが考える、「幸せ」とは?
そこを履き違えたまま、何か「助け」を続ける限り、
その「助け」とは、ただの、おせっかいとなってしまう。
「それをやってもらっても、幸せになるどころか、
不幸になってくばかりなんだけど」
そうなってしまうかもしれない。

だから、本当に、その人にとって何かをすることとは、
「その人の幸せとは何かをまず知り、
 その"幸せ”度を上げてあげること」
そこから始まるのかもしれない。

しかし、また別のステップが出る。
彼らは、別に人の助けは、必要ないかもしれない。
マジで、「勝手なお世話」かも知れない。
全ての人には、自分の人生の流れがある。
「助け」を求めていない限り、その人に対して、
何かをして「あげる」ことは、
余計なお世話となるかもしれない。

そして、ここから更に話は続いた。
「なぜ、人助けをするのか?」
「結局は、自己満足のためなのか?」
「それをやることによって、自分の存在価値を知るためなのか?」

俺は、それが、ただの「自己満足」でもいいと思う。
もし、それが、良い方向に繋がってさえすれば。
自分の心が、その行動に、納得すれば。
今回、カンボジアのある遺跡で、
俺は決心した。
将来、自分が大金を稼ぐようになった時、
そのお金を、この国の子供たち、
そして、世界中の子供たちにとって、
「よい方向」となることのために、
そのお金を使おう、と。

今まで、俺には、「大金を将来稼ぎたい」という野望は無かった。
俺には、大した物欲はないからだ。
それは、去年のアメリカ一週旅の後に、自分に起こった現象。
物欲が、ほとんど無くなってしまったのだ。
使えればいい、動けばいい。
必要なものさえあればいい。
今回の旅で、その考えは、更に増した。
物は、その機能さえ果たせばいい。
ブランド名はいらない。
高価な車はいらない。
だから、将来も、自分と、自分の家族が、
無理なく食べて行けるほどの稼ぎさえあれば、
いいと思っていた。
「自分たちだけで十分な量」
それさえ稼げば、いいと思っていた。

しかし、今回旅をして、
その子供たちの生活を見て、
学校に行くために、物売りをしなければいけない子供たちを見て、
「何かこの子達のためにしてあげたい」
「自分と、自分の家族の人生だけ満足させているだけでは、だめだ」
そう感じ出した。

それだけ、周りの人のこと、
更に多くの人のことのテイクケアも、し出すには、
それだけのパワーもいる。
お金もいる。
器量がいる。
そして、今やっと、将来、「大金」を作り出す、
目的が、がっちりと定まったのだ。
「自分だけのため」に、金を「儲ける」のではない。
ホリエモンになるのではない。
「自分以外の人をも幸せにするため」に、金を「作り出す」。
そして、そのお金を、
いい方向に使っていく。
「生き金(いきがね)」を作りだし、使っていく。
しかし、その決心、相当強いものでない限りは、
簡単に目の前にした大金に、翻弄されてしまうだろう。
だからこそ、「強い意志」が必要なのだ。
その「意志」、今の俺に完璧にあるとは思えない。
だから、これから鍛えていく。
そして同時に、自分がそれだけの大金を作れるほどの器量になれるよう、
自分の人生を設計し、
そして、「実行」していく。


そして最後の問題。
「何が本当の助けとなるか」。
ここに帰ってくる。
基本は、「いかに多くの人を幸せにできるか」。
ここだと思う。
金をただ寄付したから、幸せになるとは限らない。
テレビゲームを与えたから、幸せになるとは思わない。
その子が、学校に行くために、お金を稼がなくて良くなったからと言って、
それが確実にその子にとって、「幸せ」となるとは限らない。
もしかしたら、その子は、そうやって小さい頃から物売りをすることで、
「人と話すこと」、「物を売ること」、「人の心をどう掴むか」を肌で学び、
「世界中の国の言葉で物売りが出来るスキル」を確実に身につけていることで、
もしかしたら、一人立ちするための立派な要素を、
若いながらにして、身に付ける、いい機会となっているかもしれない。
これは俺が今回の旅で感じたことだ。
最初は、その子供たちを見て、
「学校に行くために休日に働かなきゃいけないなんて、なんて可哀想なんだろう」
そう思っていた。
しかし、よく考えてみた。
「本当に、この子達にとって、ここで物を売ることが、"不幸"なのかな?」
実際、その子供たちは、楽しそうに物を売ってたし、
目は、とても輝いていた。
かわいかった。俺に話しかけてくれたとき。
かわいい目で、「これ一個一ドル。買ってくれない??」って。
決して、押し付けじゃなかった。「買ってくれなくてもいいよ」って。
そんな雰囲気を持ってた。
そんな子だっているんだ。
もちろん、こっちの「同情」を誘って、売りつけようとする子供たちの方が断然多い。そう親に仕付けられているからだ。
しかし、そうやって、俺に笛を売ってくれた子のように、
貧しいながら、堂々と、自分の「人生」を生きている、
たくましい子供もいた。
俺は、その子を見て、とても清清しかった。
彼女は、確実に、「自立」していたからだ。
たった、12歳ながら。
世界中観光客相手に、その人の顔を見ただけで、どこの国の人か判断し、
その国の言葉で、「買いませんか?」と話しかける言語力と、
立派な交渉術と、判断力を兼ね備えながら。
その若い年で。
それは、その子にとって、もの凄い「強み」となっているんじゃないだろうか?
家でテレビゲームして、一日を過ごす子供より、
よっぽどいい時間のすごし方をしているのでは?
大自然の中で。
1千年以上も前からそびえたつ遺跡を、自分の遊び場としながら。


だから、本当の「助け」とは、
そして、何かしてあげたほうが、その子にとって「良い」場合、
本当にしてあげる「べき」ことは、

その子が、本当に「幸せ」と思える環境に、
その子を置いてあげる。
そういう環境に、多くの子がいられるように、
環境を整えていく。
それをするには、全てを、全体像を考えて行かないといけない。
その子が、そこで物売りをするのが好きなら、
ずっとさせてあげる。
もししたくない、
家でお母さんとずっと過ごしていられる日々を送りたいなら、
そうなる様に、その家族の生活を少し支えてあげる。
支えてあげることが、「良いこと」ならば。
その人たちにとって、本当の意味で、「良いこと」となるのならば。

ヒロミさんが言った。
「先進国ができる、本当に"すべきこと"とは、今その国たちがしている、森林伐採などをストップして、その国に入り込むことをまず止めることじゃないか。その森林伐採によって与えたダメージを回復させることをやる前に」
恩田さんが言った。
「でも、その森林伐採のプロセスにより、その国の人たちに仕事が与えられ、食っていける人がいる。森林伐採を止めたら、その国の人たちの職が失われ、マイナスとなるかも」
すでに与えてしまったダメージ。先進国が、発展途上国に。
すでに、その国々に介入してしまった時点で、
すでに、「余計なお世話」は、始まっていたのかもしれない。
そして、その国々は、
自分たちがしてしまったことの償いとして、
「お返し」をしている?
「援助」をして?

もともと、各国が、それぞれの国を尊重し、それぞれが、どこにも頼らず、
生きていけたならいい。
しかし、それは無理な話。人々は、昔から、
戦争を繰り返してきた。
そして、人は、助け合いながらでないと、生きていけないもの。
一人一人が、精神的に自立しつつも、
その中で、「和」を大事にし、助け合って生きていくこと。
それは、一人一人が意識しない限り、難しい。
「頼りあって」生きていくのではない。
「助け合って」生きていくこと。
発展途上国が、先進国に、「頼りながら」生きていくのでなく、
お互いの国が、「助け合って」生きていくこと。

それは、可能なのか?

そして、話は振り出しに戻る。
じゃあ、自分が出来ることとは?
自分が、自分の人生で、どこまでできるのか?


答えの探求は、続く。



この様な話ができたこと。
俺は、光栄だった。
この場にいられて、この3人と話し合えて、
本当に光栄だった。
なかなか、こういう話をする機会は無い。
しかも、その場にいる全員が、そのトピックに興味を持って、
お互いがお互いの考えを言い合い、
お互いが刺激され、
お互いが、新しいアイディアを思いつき、
考え、
頭をグルグル回転させることは。

これをやっていて気づいた。
この様な話題を、話せる仲間を、持つことの大事さ。
こういう問題は、自分ひとりで考えていても、なかなか新しい解決策は思いつかない。
独りよがりになってしまうからだ。
しかし、4人も集まると、ドンドンと刺激され、
お互いが新しい考え、そしてアイディアを思いついていく。
そして、これができる環境。
この仲間。
その大事さを、めっちゃ実感してた。


今日は、ありがとう。
この4人で話し合えて、ほんと楽しかった。
これからもよろしく。

俊輔
8/14/06

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August 15, 2006


大事なこと。
自分のSoul(魂)に従うこと。
誰のイケンにも左右されない、
"己の心の声"を聞くこと。

自分の人生で、何がしたいのか?
絵が描きたいのか?
世界を旅して周りたいのか?
遺跡発掘がしたいのか?
スキューバのコーチとして働きたいのか?
ボクサーになりたいのか?
美容師になりたいのか?
教師になりたいのか?
NGOで働きたいのか?
シェフになりたいのか?
鍼灸師になりたいのか?
俳優になりたいのか?

生きていく道は、五万とある。
人がいる分、それだけ、「違う」道がある。

"起業する"
"ビジネスマンとして儲ける"
"商社で働く"
こればかりが、人生じゃねえし、
どの道が、どの道より"いい"なんてのもない。

大事なのは、その人が、
どの道に一番、
"合っている"と感じるか。

これにまず時間を割け。
"どこで働けるか"を考える前に。
"どうやって生きて行きたいのか"を明確にさせるんだ。
これをハッキリさせずに生きていくと、
必ず、
"心の不満"を持ったまま、
一生過ごすことになる。
どこかで文句を言いながら。

その"自分の道"をハッキリさせることは、
自分の心とトコトン話すこと。
それをするために、どこか全然違う国へ行くのもいい。
一ヶ月、ネット、ケータイ、
全てから離れるのもいい。
「日本の常識」の中で生きていくことだけが、
人生ではない。

これは、物理的に自分の体を、
日本から外へ出さないと、難しい。
現にあれだけ、旅の途中、
Free Idea(自由な発想)が沢山出てきた俺が、
今は全く、出てこないんだから。
何故なら日本は、distraction(騒音)が多すぎ。
ウザいTV、広告、
ケータイの絶え間ない攻撃。
E-mail。

"一人になって、自分の心と対話する時間。
 ゆっくりと、静かに"
が、中々取りにくい。
それをしていると、ケータイがなる。
"早く電話出ろよ!!"
"早くメール返せよ!"

おいおい、ちょっと待てよ。
世界はお前一人のペースで周ってはいないんだ。
全ての人に、その人のペースというものがある。
同じように、
全ての人に、その人が望む道というものもあり、
それは、人によって違うんだ。
それを、"自分の考え"に押し付けようとするのは良くない。
自分が"ビジネス"がいいと思うから、そこに皆を押し付けるのはよくない。
自分が"日本で働くことが普通"と思うから、日本の常識に皆を押し付けるのはよくない。
みんな、一人一人、"人生"の見方、価値観、過ごし方は違うんだ。
それを、まず理解することだ。
"その人が望むからといって、自分もそれを望むとは限らないし、
自分がそれを望むからといって、その人もそれを望むとは限らない。"

まずは、"自分と他人との境界線"を、しっかりと引くんだ。
そして、そこから、己の心と、ジックリと対話しろ。
自分の心が、人生で、本当に何を求めているのか。
何を、自分の命をかけてしたいのか。
何が好きなのか。
何をしている時に、自分は一番輝くのか。
何が、自分を一番、"幸せ"にさせるのか。

それを、まず自分がよく知ることだ。
それが出来たとき、初めて、
自分の本当にしたいことが見えてくる。
まずは、己のSoul-魂に従うことだ。

己のSoulに、嘘をつくな。


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旅から学んだ大事なこと 

人間は、生活が都会に近づくにつれて、
「獣」としての感覚は、確実に鈍っていく。
なぜか?使わなくても、生き残れるからだ。
特に、日本のような国は、絶対に飢え死にすることはない。
コンビニの裏に行けば、賞味期限切れの、立派に食べられるお弁当がもらえるし、
ゴミ箱をあされば、必ず大丈夫なものが食べていける。
そう、
安心して寝られる場所だって、町の至る所にあるし、
正直、日本で「殺される」とか心配する必要は、ほとんどない。
自分を相当危険な場所に置かない限りは。

俺の、「獣としての感覚」は、
タイから香港に入り、そして中国に入った時点で、
かなり、落ちていた。
鈍くなっていた。
それを、感覚で感じていた。
自分が、「落ち着いたサル」となっていくのを感じる。
周りに気を配らなくても、
財布をスリ取られる心配もほとんどない。
物売りに詰め寄られる心配もない。
そして、豪華なホテルで、四泊し、
昨日日本に帰ってきて、
"全て"を手に入れた俺は、
(CDが聞ける生活、ネットに繋がる生活、温水シャワーが浴びられる生活、好きなものを好きなだけ食べられる生活、夜安心して寝られる生活、そして、家族に守られている生活)、
「獣」としての感覚は、最低限まで落ちていた。

何かが、おかしい。
何か、「マヒ」している。
全てが「ラク」なのに、
何なんだ、この、「生きている感じのしなさ」は?
そう、それは、全てを「与えられて」、
それに安心してしまったものに付きまとう、
変な「安心感」。
「己の力で生きていこう」とする研ぎ澄まされた感覚は鈍り、
どんどん、凄まじい勢いで、安心しきった豚と成り下がっていく。
そして、「生きている」という、喜び、充実感、感覚は、
どんどん感じられなくなっていく。

いざ、こうした、全てを与えられる生活に入ったとき。
そこで、自分の、「獣としての感覚」を保ち続けられるかどうかは、
全て、己次第。
自分を甘やかせば、すぐに、安心しきったヤツとなってしまうだろう。
そして、感覚は鈍り、
もう、自分の「アタマ」で考えることは、無くなってしまう。
本当の意味でな。

いつまでも、自然の中に、身を置いていくことは不可能だ。
この現代社会で戦って、生き残って行きたかったら。
後は、いかに、「獣としての感覚」を、
自分次第で、残して行くか。


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August 14, 2006


何事も、どんなことでも、必ず、
+と−の面がある。
そして、一つところにいる限り、
そのマイナス面しか見えてこないものだ。
日本にいると、日本の良さが見えない。
悪さばかりが見える。

ホームレスが、家がある人より絶対に不幸と思うか?
彼らは住宅税を払わなくて良い。
一生その家のローンに縛られることはないんだ。
物乞いが、絶対的に不幸か?
彼らは、働かないのに、金をもらっている。

皆、必ず、程度の差はあれ、
ある程度は、その人の成すことと、得るものの差は、
相反するものだ。

日本は、土地の狭さ、自然の少なさ、
自由のなさの代わりに、
素晴らしいサービス、快適感、おいしい料理がある。
カンボジアは、国が整ってこそいないが、
素晴らしい、大自然がある。
そして、自由がある。

どこへ行こうが、必ず、プラスとマイナスがあるのだ。
そして、外へ出ることは、己が今までいた場所、環境の、
プラスの面を知ること。
家族から離れ、初めて、その有難さ、
ラクさが分かる。
一緒にいると、干渉されることばかりが目に付くのに。

要は、自分が、何に一番重きを置くか。
そして、そのプラス面が、一番ある道を選べばいい。
ただし、プラスがでかいほど、マイナスもでかいことを忘れるな。
光る部分が多い道には、それだけ影が深く付く。
そして、人は死ぬ直前、やっと、
「生きること」の、本当の良さが見える。


他人は、自分のプラスの面、光っている面しか見ようとしない。
人というものは、他人の、「陽」の部分しか見えないのだ。
そういうものだ。

この世で、他の人とは違うだけの見返りを受けていくには、
それだけの覚悟が必要である。
他人には見えない、「陰」のサイド。
それを受け入れることができるか。
それだけの器量があるか。

そこなんだ。



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旅から学んだ大事なこと 

"Accept Everything As It Is"

"ものごとを、それがあるがまま捉える。受け入れる。"

常に、どんな状況でもたじろがない。
ひるまない。焦らない。

常に、平常心。
Accept as it is.
"そのまま"を全て受け入れる。
何故なら、全ては、
そうなる様に、なっている。
そして、なる。
そして、なって行く。

物事に動じない。
誰が目の前に現れても、態度を変えない。
俺の気持ちは変わらない。
全ては、「己が、どう捉えるか」なのだ。

感情の起伏は、全て、
己の捉え方一つにかかっている。



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旅から学んだ大事なこと 

世界へ旅に出ることは、
海の中へ飛び込む様なもの。
入る前は、水は冷たそうだし、
何か、恐い魚はいるかもしれないし、
今いる、乾いた大地の方が、
良さそうに見える。
安全だしな。

しかし、意を決して飛び込むと、
水が冷たく感じるのは、ホンの一瞬だけ。
次の瞬間には、その海の広さ、深さ、綺麗さ、
そして、大地との違いに、驚いている自分がいる。

そして、どこへでも好きなところへ泳いでいける。

少しずつ体を慣らそうと、水を少しずつ体に浴びせるのは、
「ジオス」に行く様なもの。
そんなの、海に入ってしまえば、何も意味なくなる。
本当に必要なのは、
入ってから、それからの、
本物のサバイバルスキルだからだ。
それは、自分の経験からしか学べない。
痛い思いを自分でしないと、身に付かない。

だから、ヘタに水を少しずつ水を触るよりは、
(ガイドブックを読んだり、ジオスに行ったりすること)
いきなりジャブンと入っちゃった方がいい。



英語を話せることは、どの魚とも話せるようなもの。

どこか良い場所を見つけても、そこに落ち着いていず、次のところへ行った方が、もっと自分に合った場所が見つかるかもしれない。

途中で会った仲間と、数日を過ごしても良いし、
また離れて、一人になっても良い。


たまには、休憩も必要。
泳ぎ回ってばかりいては、
確実に体は疲れている。


基本的に、自分は一人。
一人で、自分の身を守る必要がある。

危ないところへは、近付かない。
怪しい奴には、近寄らない。
それを、己の肌で、察する。
感じる。

いざという時は、戦う。
その強さも、必要。
(それは、体の強さであり、頭を使うことである)


とにかく、一人生き残っていく、
"サバイバル力"が必要なのだ。

サムライの様に。


そして、"素直に感動する心"も、同時に併せ持つ。

鋭く、スキはないが、
同時に、人を包み込む、
優しさも、持つ。



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*自分の肌の「感覚」に従うこと。

*「ケモノ」としての、直感を使うこと。
 常に、敏感に、感覚を研ぎ澄ますこと。

*頭で考えるのではなく、「感じる」こと。
 Feel it.
 Not, see it.

*心が嫌っていたら、しないこと。
 心が素直に思う方へ、行くこと。

*もし「嫌な感じ」が少しでもしたら、
 その決断にしないこと。
      ↓
 一度離れて、よく考える(己の心と話す)時間をとること。

*周りの人の意見に、その時の決断を左右されないこと。
 少しでも「迷い」が出たのなら、
 必ず、
 一度そこから離れ、
 「自分の心」とだけ、
 じっくりと話してみること。

 そうすると、全てスッキリと見えてくる。
 何が必要なのか。
 何が大事なのか。
 そして、
 自分の「心」は、
 「何」を、欲しがっているのか。


*そして、
 常に、最後は、「自分」で、
 決断することだ。

(人の意見に、頼らないことだ)


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旅から学んだ大事なこと 

August 13, 2006


みなさん!おはこんばんちは!
帰って来ました、いよいよ成田に!!

今回の旅は、行ってきて、
本当に、ほんっっっとうに、良かったです。

この19日間で、多くのことを学びました。
毎日刺激を受け、多くのことを感じ、
自分の視野も、考え方も、
物事の受け止め方も、自分の人生の捉え方も、
全てが大きく前進した、19日間でした。

僕は今回の旅に行くことができて、本当に幸せでした。
みなさんにも、ぜひ、僕がアジアで感じたこと、
共有してもらいたいです。

そんなわけで、少しずつ、日記に書いていきます。
そして、僕と会うことがあったら、熱く語るのをちょっと引きながら聞いて下さい。(熱くなりすぎて、きっと引くと思います 笑)
それほど!アジアでの経験は、熱かったのです!!

一昨年の夏は、ヨーロッパ、
去年の夏は、アメリカを一周しましたが、
今回のアジアの旅ほど、刺激が濃かった日々はありません。
同時に、友達が沢山できたのも、今回の旅です。
特に、ヨーロッパ人の友達が沢山できました。
何でアジアに行ったのに、ヨーロッパ??
なぜなら、東南アジアには、ヨーロッパ人のバックパッカーが、ごまんといるのです。
やつら、最初は僕もウザがっていましたが、
それも一日目の話。
いざ話してみると、みんないいヤツやん!!
もうかなりの数のやつらと、友達になりました。
しかも、「お前絶対に今度は俺の国に来いよ!」なんてヤツも結構できました。
そんなわけで、次回のヨーロッパ旅行は、泊まるとこタダです。はっはっは。
いやいや、そんなせこい考えばかりではありません。
やつら、本当にハートの熱いヤツが多かったのです。
そして、本当に色んな考えを、学びました。
ヨーロッパでは、ヨーロッパでの考えがあるのです。
そして、国によっても違う。
それぞれの国から来た彼らと深く話し、
彼らの「常識」を知り、
自分の「常識」と比べ、
その違いに気づく。
自分とは、全く違う角度から、
「人生」、「命」を見ている彼らと、話し合う。
そして、彼らのものの見方を、教わる。
そして、自分も、また別の角度から、
「人生」を見ることができる様になる。

そんなわけでも、今回、
ヨーロッパからの彼らと知り合ったことも、
大きな収穫の一つでした。

この、彼らとの会話、
また、何を学んだかも、書いていきます。
今回の旅で、日記帳は丸々二冊、終わってしまいました。
一日何十ページと書いていました。
カメラもないから、とにかく、
書くしかないのです。
でも、その代わり、
今でも、そこを読むだけで、その時の光景が目に浮かぶのです。
更には、「あ、そういえばそんな事あったな」
「そんなこと、そういえば話したよな」
なんてなことも、細かく書いておいたおかげで、
また、思い出せるのです。

昨日、夜、久しぶりに、
2週間前の日記帳を読み返して、
「ああ〜、そういえばこんな事もあったよな〜!」
なんてのもありました。
人間、すぐに忘れるもんです。
心に引き出しを作っておけば、すぐに思い返せるのに、
それを作らなかったがゆえに、もうそれを思い出すことはなくなり、
いつの間にか、忘れてしまうのです。
ですから、今回の旅のモットーは、
「何かを感じたり、感動したり、学んだり、
いいこと聞いたり、いいアイディアが浮かんだ場合は、
とにかくソッコウ書き残せ!!」

おかげで、遺跡を見ながら、立ったまま書く自分、
飛行機で、乗客は全員降りてるのに、気づかずに書き続ける自分、
(スチュワーデスさんは、笑顔の後ろに、「早く降りなさいよ!!」と切れてました)、
バスの中で、凄まじい揺れの中、ミミズの様な字で書く自分、
そんな自分を続けたおかげで、
素晴らしい思い出の引き出しができました。

それを使って、この3週間弱、
書いていきますよ!

それではまた後で。

俊輔
 




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August 11, 2006


今、夜の1時半。香港のホテルにて。
ここでも、もう二日目だ。
ここのホテルは、さっき書いたように、今回訪問している会社がとってくれた。
昨日は、シャワーをお湯で浴びて、感動していたのに、
今日はもう、当たり前のようにシャワーを浴びていた。
もう、体は、「感動」しない。
頭では、「これってめっちゃ贅沢やん。もっと感謝しろよ」と思うが、
もう、体は、慣れてしまってる。
人間って、なんて慣れるのが早いんだ。
特に、贅沢な方へ慣れるのは、あっという間である。


この旅、丸2週間、
毎日刺激を受けて、毎日、感動して、
毎日、何かを感じ、学んでいたが、
今日は、初めて、「感動」がなかった。
いや、もちろん感動はあったが、その量が少なかった。
こんな風に、感動がない状態を書くのも、嫌なんだけどな。
せっかく2週間も、もの凄い濃い日々を送ってきたから、
最初の日記は、「感動しまくってる状態の俺の心」で書きたかったが、
今はどうも、のらない。心が。
まあ、感動してないんだから、仕方ない。

なぜか?
今日の一日は、全部決められていたからだ。
朝起きて、9時にホテルまで迎えに来てもらい、
香港のオフィスへ行く。
会社の人たちと会い、話をして、
昼も食べに行く。
四川料理だ。本場の。
おいしかった。感動してもいいだろ?
でも、なぜか「感動」はしない。
すべてが、贅沢すぎて、そして、
「簡単」すぎたからだ。
すべて、他人に決められて、すばらしい贅沢をする。
自分で頭を使う必要はない。
次の行動は、決められている。
彼らのおかげで、もちろん、一日で、たくさんの場所を回った。
夜も、おいしい焼肉を食べた。
「感動」してもいいだろ?
いや、しねーんだ。
すべてが、「簡単」過ぎるから。


旅の醍醐味は、
「次に何か起こるか分からない」から、楽しい。
毎日、毎瞬間が、楽しい。
すべて、自分の行動しだいで、次に起こることが変わる。
あの道を、右に行くか、左に行くか。
どっちに行っても、会う人も変わるし、見る景色も変わるだろう。
タイミングも変わる。
今、右に行けば会うかも知れない人ととも、
今左に行き、後で右へ帰ってきても、もうその人はいないかもしれない。
その日のバスに乗ったから、その人と知り合う。
気づいたら、そいつと、酒を飲み、がっつり握手して語り合っている。
涙を流しながら。

そんなことが、毎日、毎瞬間続く。
それが、「旅」の醍醐味。
俺は、2週間、本当に幸せだった。
「毎瞬間」が、幸せだった。
すべての瞬間が、選択の連続であり、
すべての瞬間が、価値あるものとなる。
そんな状態で、毎日新しいところへ行き、
新しい人と会い、
何か新しいことを感じて、そこから刺激を受け、学ぶこと。
こんな贅沢は、他にはなかった。


この旅、本当に、たくさんの事に気づかされたんだ。
アイディアが、ガンガン浮かんできた。
どんどん書きたくてしょうがない。
始めると終わらないから、今はやめる。
帰ってから、ゆっくり書く。
今は、せっかく、「この土地」にいるのだから、
この土地でしか起こらないことに、すべての時間を割きたい。
この土地の空気は、今しか吸えない。


明日からも、上海へ行くが、また、会社訪問で終わるだろう。
もちろん、会社訪問は、楽しかった。
社員の人たちともガッツリ話し合えたし、別の意味で、
「感動」はした。
だが、「旅」から来るほどの、「感動」は、なかった。
やはり、自分からガンガン動いて行って起こるハプニングから感じる感動とは、
比べ物にはならない。
全て、自分で決め、自分から動き、自分で何かに遭遇したときのみ、
それほどの「感動」は起きる。

ただ、それを書きたかった。
ごめんな、あんまり楽しい内容じゃなくて。
その代わり、これまでの2週間分の内容は、本当に楽しいぜ!!
それは、後でじっくりと書きます。

それじゃまたね!

俊輔

PS そしてもちろん、残りの3日間も、無理やり行動して、楽しくしてやります。笑


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August 10, 2006

I finally got into China...

やっと中国に入った。
今は、シンセン。
香港からバスで一時間くらい。
今は、今回中国に来た理由、
ある会社の中国オフィスを訪ねてる。
今朝は香港のオフィスへ行ってきた。そして、今はシンセン。
明日上海へ飛んで、上海オフィスも見る。
日本へは、日曜くらいに帰るかな?
もう、旅も終盤だ。


昨日、初めて「ホテル」に泊まった。
この旅、もちろんお金はないから、安宿に泊まり続けてた。
一泊安くて、400円くらい。
だから、部屋には、ただベッドがあるだけ。
トイレとシャワーは、大体共同。
でも、シャワーが浴びれるだけでも、十分幸せだけどな。
お湯は出なくて当然。
だから、昨日ホテルで、お湯が出ると知った瞬間、「マジか!?」と一瞬びびった。
嬉しくて。
お湯が出た瞬間、なんか、すごく贅沢をしているみたいだった。
そしてトイレ。
タイ、カンボジア、中国は、大抵トイレットペーパーは置いていない。
ペーパーも、トイレには流せない事が多い。
詰まるから。
だから、トイレにまず紙が置いてあるだけで、びびってたのに、
このホテルは、更にぴかぴかできれいで、ほんと、
「これやりすぎ」とか思った。
ホテルだから、当然なんだけどね。笑


この旅、僕は本当に、毎日「学んで」います。
最初にタイに着き、バンコクやチェンマイへ行き、
山奥の民族に会いに行ったり、電機もガスももちろんない所で寝泊りしたりして、
僕の生活に対する考えは、ドンドンと変わっていった。
最初は、着いた初日に泊まったバンコクの安宿。
トイレに紙がないのを見て、「なんだよここは?」なんて文句言ってた。
「ま、安いから仕方ないか」なんて。
でも、そこから、次の日はバスの中に泊まり、
その次の夜は、すでに、山奥の川の横の、
少数民族の人の家の小屋に泊まってた。
小屋の中には、ばかでかい虫がいた。
トイレなんて、ねーよそんなもん。
その辺でやって来い。

イカダで川を下ったり、
象に乗ったり。
山を、何時間も歩いたり。
昼ごはんは、その村の人が作ってくれた、大きな竹のサヤで包まれた、
ヌードル。
今までの人生で一番うまかった。

そこからまたバンコクへ帰り、
次の日、バスで16時間かけて、カンボジア、シェムリアップへ行った。
アンコールワット遺跡があるところや。
バスの中は、こりゃもう、ジョークだぜ。笑
でこぼこ道で、せまーいバスに、人が詰め込まれて、
エアコンは効かず、汗だらだらで、夜中の12時まで走った。
道がひどいもんで、バンプの度に、俺の体はぶっ飛んで、
一度、天井に頭をぶつけた。
1メートルは飛んだんとちゃうか? ははは。

そんな道のりだったから、そのバスの中の乗客みんなとも仲良くなり、
いい思いでもたくさんできた。
アンコールワット遺跡を、丸5日かけて見て、
すばらしい思いをした。
同時に、その国の子供たちを見て、
本当、ショックだった。
学校へ行くために、物を売らなければいけない子供たち。
「1ドル、1ドル!」
竹でできた腕輪や、笛を売って来てくれる。
すごくかわいかったけど、
同時に、すごく悲しかった。

一番ショックやったのは、
観光客用のメインストリートで、
レストランでビールを飲む観光客の真横で、
夜中の12時に、住む家もない子供たちが、
真っ黒な体で、裸足で、
ボロボロの服で、
お金をこう。
帽子を差し出してきて、「お金ちょうだい」と言ってくる。
小さな女の子が、タクシーに引かれそうになってる。
タクシー運転手は、「邪魔だ邪魔!」と、
そんな子のことは気にしない。
誰も、その子を気にしない。
その子はすねて、道の真ん中で、寝転がって、泣き出した。
俺と一緒にいた女の子が、
見かねて、その子を助けに行った。
子供たちが一気に寄ってくる。
俺の友達は、その女の子をお母さんらしき人の所に連れて行った。
道端に、同じように座る母親。
友達が、その小さな女の子を母親に突き出すと、
母親は、何も関係ないような目で、こっちを見た。

宿に帰る間、タクシーを待ってたとき、
その時の、その目の前に広がる光景。
笑顔でバカ騒ぎする観光客と、
お金をこう、子供たち。
夜中の12時に。

なんなんだ、このコントラストは。
なんなんだ、この状況は。
これは、今目の前で起きているのか?
俺は、何をしたらいい?
子供たちにとって、何をしたらいいんだ?
お金をあげるのがいい?違う。
それは簡単、でも、それは、本当の意味では助けにならない。
子供たちが、帽子を差し出して寄ってくる。
「金ちょうだい」と。
何も、できなかった。
子供たちと、目を、合わせられなかった。
その俺が、情けなかった。
混乱した。


そんな状況を目にし、
バンコクへ帰ってきて、
今は、昨日から香港。
ビルが建ち並ぶ。
日本よりも技術はあるんじゃないかという、
快適な電車が、走る。
車内は、静か過ぎて、不気味だ。
町の中の、人口の夜景。
今は、素直に、「綺麗」と、思えない。
電気なんかない、真っ暗闇で見た、
あの村での、月明かりで照らされた田んぼの光景の方が、
ずっと綺麗だった。

町を歩く。
人が行きかう。
物を売りまくる。
人は、金を、消費する。
全てが、せわしい。

頭の中には、アンコールワット遺跡の中の一つの、
ピラミッドのような大きな石造の建物の上から見下ろした、
どこまでも広がる緑の木々、森の姿がよみがえる。
吹き抜ける風。
緑を一杯に受けて、吹いてきた風。
本当に、気持ちよかった。
あの、静かな、場所。
子供たちの綺麗な目。
あの、あの場所が、いとおしい。


たった2週間だが、
毎日、ものすごい刺激を受けている。
日々、目にする物は変わる。
感じることも変わる。
俺の日記帳は、2冊目に突入した。
ほぼ毎瞬間の気持ちは、この2冊に書いてある。
家に帰ったら、ゆっくりと、
この旅の記録を書いていくつもりだ。
この旅で、俺は本当に成長したと思う。
視野が、ぐんと広まった。
今まで、日本、アメリカ、ヨーロッパなど、
ある一定レベルの生活か、それより上のレベルしか見てきていなかったことに気づいた。
違った。
世界は、それだけじゃない。
貧しい国の方が、多いんだ。
俺は、今までの22年間、この世界の、半分しか見ていなかった。
気づかされた。思いっきり。


書く事がありすぎて、
書きたい事がありすぎて、筆が止まらない。
とりあえず、今は行かなければいけない。
また、時間ができたら書きます。

俊輔

shunsukesekine at 19:35コメント(5)トラックバック(0) 

August 08, 2006


皆さんお久しぶり!!
ただいまバンコクでございます!
あと4分でネットが切れるから、ソッコウ書くぜ!!

今日はじめてネットにつながりました。
もう2週間くらいメールから離れてたよー!
いいね、コンピューターから離れる生活ってのも。


この旅、すばらしい思いをしております。
もう、書くこと盛りだくさんです。
帰ってきたら、たくさん書きます!!

それじゃ時間切れです!
じゃね!

俊輔

shunsukesekine at 11:42コメント(3)トラックバック(0) 
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