March 24, 2006


昨日、久しぶりにサーフィンをしに行った。
広い砂浜。
毎回、そこに足を置くたびに、「ああ、帰って来た」という感じになる。
前回サーフィンに行ったのは、多分一ヶ月くらい前。
何で一ヶ月も行っていなかったのか。
昨日海に入って、初めて気がついた。
自分は、凄く大事なものを忘れていたと。

サーフィンに行く度に、いつも思う。
海に入って、波を待ちながら浮かんでいる瞬間、
この感覚を、何で俺は忘れていたんだろうって。

サーフィンを始めたのは、去年の夏辺り。
まだまだヘタクソで、まともに立てやしない。
でも、それでいいんです。
大事なのは、海に入って、浮かぶこと。
周りのやつから見たら変かもしれないけど、
俺は、それで十分満足。
ただ、海に浮かんで、太陽を体全体に受け、
風を感じ、波の音を聞き、
空に飛んでいるカモメを眺め、
遠くの方に目をやり、海の彼方を見ているだけで、
もうそれだけで俺は満足してしまう。
その瞬間、「自然に帰ってきた」。
いつもそう感じる。

俺はもともと、水が好きらしい。
小さいころから水泳をやっているし、(最初は全然泳げなくて、大っ嫌いだったけど)
水の近くにいると、なぜか自然と落ち着く。
今年の冬、日本に帰った際に、針灸の先生に体を見てもらったところ、
自分の生まれは、もともと水を好む体質なんだということが、
自分の生年月日から分かった。
それ以来、もっと水が好きになった。

水泳や、シャワーを浴びること、お湯につかることも大好きだが、
海に入ると、「自然に帰ってきた」
そう体が言ってる気がする。

なんか、海に入ってると、
体の中の嫌なものが全て抜けていって、
自然の偉大な力で、今までの毒が全て抜けていく、
そんな感じになる。
まるで、自分の体に溜まってるマイナスのパワーが全て浄化され、
ニュートラルな状態に戻される、
そんな感じ。
そのまま1時間も海に入っていた日には、
上がってくると、まるで体が「初期」に帰ったみたい、
そんな感じがする。

そんな中で、自然を感じ、
考え事をしていると、
色んなアイディアがぽんぽん浮かんでくるし、
自分の事を見つめ直すいい時間にもなる。
これは去年の夏頃から感じ始めたことだが、
人間は、何か考え事をするとき、
自然を見ながらすると、凄くいいと思う。
自然とは、海や、木、滝、草原、花、空、雲など、
常に昔から存在して、決して変わらないもの。
もちろん形は変わるが、その、「存在」自体は、
太古の昔から、一切変わっていないもの。
そういうものを見ながら考え事をすると、
自然の中に流れるリズムみたいなものから、
何かを学べる気がして、
頭が冴える。

そうして海から上がると、
自分の体は、また振り出しに戻り、
自然からすさまじいプラスのパワーをもらった、
そんな感じになる。

そうやって心も浄化されて、
海岸沿いに上がると、
次からる次へとビュンビュン走る車。
もの凄くガッカリする。
いきなり、負のパワー。
人間が作り出した、鉄のかたまり。
少しの距離を、急ぎ、我が先と乱暴に運転するドライバーたち。
響き渡るクラクションの音。
「マジかよ・・」
いつも、そこでガッカリする。


人間は、どれだけの自然を壊してきたんだろうか。
次から次へと伐採される森林。
毎年進む、地球の温暖化。
アメリカでは、みんなが車に頼り、
石油はドンドン消費されていく。
ロクに区別されずに捨てられるゴミ。
ひどい時には、燃えるものと燃えないものも区別せずに、
ただ、ゴミ袋に入れて出す。
電池をそのまま捨てているやつを見たときは、頭に来たというより、
あきれたよ。
何も、後先のことを考えない人たち。
それでいいのか?
今の時代のやつが生き残れれば、それでいいのか?
何億年も存在してきた地球。
それを、このたった何十年の間、
ここに存在させてもらってる人類が、
滅ぼしていっていいのか?
アメリカは、もっと、自然を守ることに対して、
敏感になるべきだと思う。


話はそれたが、
自然と同化することの大事さ。
いつも、海に入るたびに感じる。
いつも、海に入るたびに、何かを学んでいる気がする。

次から次へと来る波。
飲まれた日には、上も下も分からないくらい引っくり返され、
自然の恐ろしさを、嫌というほど知らされる。
そんな時、
人間は、この自然の中に存在する、ほんの一部なんだって事を知らされる。
広い海で眺める景色。
右から左まで、180度、広がる地平線。
無限に広がる空。
それを見て、自分の体の小ささを比べ、
「人間って、ホントにちっぽけなんだなあ」
そう感じる。


俺は、いつもサーフィンに行く度に、
波に飲まれ、ボロボロになり、
フラフラして帰ってくるけど、
その代わりいつも、自然からポジティブのパワーをもらい、
「この世にはお前の力だけで変えられないものもあるんだ」
そう自然に教えられているようで、
そして、人間は、この小さな地球を、
ほんの少しの間だけ、「借りているんだな」
そう感じて、帰ってくる。

「おっしゃ、明日も頑張ろう!」と。


自然に帰ること。
大事だよね。


3.23.06


shunsukesekine at 18:10コメント(0)トラックバック(0) 
The Ocean & Surf-海とサーフィン 

March 22, 2006

感謝。
その気持ち、
最近の俺は、忘れていなかっただろうか。

今あること。
今、持っているもの。
すべてを、「普通」と思った瞬間に、
そのものに対する、感謝の気持ちは、なくなる。

今、こうして、毎日食べ物が食べられること。
毎日、会う人がいること。
寝たいときに、安心して寝られる居場所があり、
好きなときに、シャワーが浴びられること。

全ては、有難いこと。

無くなって、初めてその意味が分かる。
その、有難さが分かる。


去年の夏、一ヶ月間、
アメリカを、列車を使って、一周した。
その旅で自分に課したルール。
それは、
「その旅先の土地で友達を作り、
その人の家に泊めてもらうか、
もしくは、列車の中で泊まれなかったら、
野宿!」
というもの。
最初は、人を見る目もなくて、
かなり危ない目にあったりもしたが(笑)、
結局、列車の中+野宿が半分、
人の家に泊まったのが半分ぐらいだった。

列車の中で寝ることや、野宿が多いもんだから、
中々シャワーなんて浴びられない。
知らない土地に行ったら、どこに店があるかも分からないから、
腹が減っても食べ物がないこともしばしば。
一番きついのは、
喉が渇いているのに、水が飲めなかったことかな。

一ヶ月間、一人で毎日移動するから、
もちろん友達なんていない。
その土地で友達ができても、
次の日には、お別れのさよなら。
また、新しい土地で、誰かを見つけないといけない。

そんな生活をしていて、初めて分かった。
好きなときに、食べ物が食べられることのありがたさ。
喉が渇いたら、水が飲めるありがたさ。
夜、周りを気にせずに、
安心して寝られる場所があることのありがたさ。
シャワーを浴びてすっきりしたい時に、
シャワーが浴びられるありがたさ。
一人で寂しくなったときに、
話す人、自分の話を聞いてくれる友達がいることのありがたさ。
「俊輔」という一人の人間の存在を認めてくれ、
自分に何かを求めてくれる人がいることのありがたさ。
その人がいないと、
自分の存在価値は、生まれない。
誰も、自分の事を気にしなかったら、
誰も、自分を必要としなかったら、
自分の存在価値は、分からなくなってしまう。

そんな状態で気づいた、
自分を愛してくれている人のありがたさ。

それらのこと。
そんな、基本的なこと。
基本的なのに、今まで、「当たり前」だと思っていたことのありがたさ。
その、ありがたさに、
心から、気づいた。

旅をしていたその頃。
持ち物は、日記帳と、ペンと、
着替えの洋服何枚か。
それと、バックパックだけ。
敢えて、持ち物は最低限にした。
何か貴重なものを持っていくと、自然と体は、守りに入るから。
「取りたかったら取っていけよ」
その覚悟で行くには、正真正銘、手ぶらでいくしかない。
ケータイも、CDプレイヤーも、カメラも、
全て置いて、旅に出た。

そんな中、何度も思った。
今まで普通に暮らしていた生活レベルに戻れたら、どんなに幸せだろうと。
車があり、好きなところに行け、
好きな音楽を好きなときに聴けたら。
それだけで、もう幸せだ。
夜、周りを気にせずに、
ゆっくり眠れる場所があったら。
ゆっくりシャワーを浴びれ、
夜、くつろげる場所があったら。
会いたいときに、大好きな友達に会いにいけたなら。
俺、という人間を知っている人に会えたなら。

それだけで、幸せだ。

そんな状態で一ヶ月間過ごして、
色々な人に会い、
色々な出会いをして、
人のありがたさ、
生きてることのありがたさ、
朝、綺麗な日の出が見えることのありがたさ、
帰る「家」があることのありがたさ、
全てを、「ありがたい」と思った。

そうして、帰ってきた。

それから、車を手に入れ、
住む家を手に入れ、
友達を手に入れ、
自分の生活スタイルが戻った。

全てが手に入った、その日は、
もう、本当に嬉しかった。
ただ、車が手に入り、
住む場所ができただけで、
もう何でもできる感覚だった。

だが、その感じも次第に薄れてきて、
次の日、
また、その次の日には、
もう、その「ありがたさ」も、消えていった。


それから俺は、その「ありがたさ」、
忘れていはいけないと思い、
紙に、「感謝の気持ちを忘れるな」
その言葉を記し、自分の部屋に貼った。

しかし、引越しでその紙をはがし、
新しい場所に移ってから、3週間。
その紙を貼っていないせいもあるのか、
また、毎日、忙しさに理由をつけて、
自分を良く見返らなかったせいか、
今日、ふと気づいた。

「俺、感謝の気持ち、忘れてないか?」と。

学校の忙しさ。
毎日の忙しさ。
人付き合いの忙しさ。
それらを理由にし、
感謝することは愚か、
それらを「当たり前」と思い、
そして、その次の段階、
「不満」を、今の現状に感じるようになっていた。


「不満」は大事だ。
今の現状をもっと良くしたい、
もっと、いいものにしていきたい。
その気持ちの表れだから。
だが、その欲と同時に、
「感謝」の気持ちも、絶対に忘れてはいけない。
感謝を忘れ、不満だけが残ったとき、
人は、醜くなる。
もっと、もっと。
これじゃ足りないわよ。
もっとよこしなさいよ。
あんた、生意気なのよ。
何で、誰もあたしのこと聞いてくれないのよ。

そうなった時に、
人は、醜くなる。

感謝の気持ちを忘れ、
満足しない、醜い豚と成り下がる。

まずは、感謝することだ。
今、自分が持っているものに、感謝することだ。
愛する家族がいること。
愛する友達がいること。
住む場所があること。
食べ物が食べられること。
安心して眠る場所があること。
綺麗な夕日が見られること。
音楽を聴いて、感動できること。
友達と、大事な人と、感動を共有できること。

全ては、素晴らしいこと。
ありがたいこと。

それらを、忘れてないか?


俺らは、まだまだ成長する。
もっともっと。
もっと生活を良くしたい。
もっと、自分の人間性を伸ばしたい。
もっと、広い世界を見たい。
もっと、人生を謳歌したい。

それらの、欲は必要だ。
でも、それと同時に、「感謝」の気持ちを持つこと。
今あるものに、感謝して、
そこから、更なる上の段階を目指すこと。
それで、やっと、人間は本当に上にいけると思う。



毎日、不満ばかり言ってないか?



「感謝」

その気持ちを、忘れずに。


3.21.06


shunsukesekine at 16:01コメント(0)トラックバック(0) 
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